✧ COMMUNITY EXHIBITION October-2025 ✧
                    
                    これだけを書けばよかったんだ
                    
                    
                        李太白の遊んだ月は19世紀を経ても沈まず
なおもなおも、僕の眼前の湖上に浮かび
ただ悠然という意義をなしていた
あるいは尹東柱の仰いだ星々というのもまた
ただ澄んだ涙を僕の肩に降り注がせ
この透明線上にそっと道を指し示す
誰が憎むというのだろうか、月を
誰が憎むというのだろうか、星を
夜の果てに消え往く入道雲
それを眺める僕の足元に落ちるはイチョウの葉
背もたれの鳥居の苔がむすのを見るには
あと1000年生きる必要があるのだろう
セリーヌといよわが時空を超えて誓ったように
この景色の何に憎悪を向ける必要があるのだろう
夕焼け小焼け、影を伸ばすは地蔵尊
そこにそっと花を手向けては
こおろぎの鳴き声が響き始める帰り道
この景色はずっと心の中に染み込んでいた
街燈が闇夜をただぼんやりと刺していくように
そこに何を疎むことがあったんだろう
ちょうどよく拵えられた机と
ほのかな湯気を放つマグカップ
そして積み上がるは書籍たち
これでよかった
一点の濁りもない澄みきった詩のためなら
これだけでよかったんだ
どうしてそれがこんなにも許されなかったんだろう
菫花酒をたずさえた僕はそっと夜の果ての帰路を歩いていた。ずっと昔、誰かの手に引かれながら歩いていたけれど、今は僕一人で歩まねばならない道を。
月と雲と星とがどこまでも憂いなく空を覆う中で、歩き続けた目の前には慎ましやかな井戸があって、最高光度の透明性をただ湛えていた。
がたがたと優しく鳴る釣瓶をやさしく引いていけば
一点の曇りもなき情景と、そのための一点の迷いもなき文章が
とめどなく僕らの魂から湧きあがってくるというのに
 そっとお酒に継ぎ足しては、井戸のたもとでくびっと飲んでみた。今は一人で歩む道の心細さが、どこか癒された気がした。あの人の温度がずっと僕に纏われてくれるような気がした。それでよかった。それだけでよかった。
 だから僕は歩めたんだ、この夜の果てを。
                    
                    
                    ケルビィン
                    
                    
                    About This Exhibition
                    
                    
                 
            
                
                
                    
                    ✧ COMMUNITY EXHIBITION October-2025 ✧
                    
                    影がほつれる
                    
                    
                        影売りから影を買ったら
なぜか若い男の影だったので
悪い気はしないにしても
少し鬱陶しいかなと思った
でも私の影が次の影を探していた
仕方ないことだった
私の影は弱っていた
影売りは仮縫いをした糸を切った
仮縫いの彼は書生の影だった
妙に甘い言葉を使いこなすと思ったら
若者のきっぱりとした態度でいる
私に縫われたことで
彼の記憶は私に流れ込んだ
夭折した恋人のくだりは泣きそうになった
下駄で蹴られるととても痛いことなど
私の影はものも言わずに
耳を傾けているだけだった
眩しい朝だからか
私の影はなんだかさらに薄く
岬まで行って風に当てたりした
夕暮れには濃く長く伸びたので
私は影と手を繋いで帰った
誰かと手を繋いだのは子供の頃以来だ
嘘くさくないだろうか
弱々しく握り返してくるのが
もうやはり年齢を感じさせる
ゆっくりと歩いた
私はもともと影を持たずに産まれた
それは寿命が短いというだけなのに
母は死ぬ間際
影売りを使って
自分の影を私に縫い付けた
気に病んでいたのだろう
いま弱っているのは
母の影だ
私は母の影を引き
母の声を聞き
うめきを聞き
流れ込むその人生の怨嗟に
黙って耐えていた
そうして私は固く閉じられていた
もうじきだ
ほどけてしまった
糸の色は赤かった
母の影はすうと消えた
影のほつれを私達は知っていた
もういいでしょうとどちらかが言った
道端の花の名は全部教えてくれたよね
                    
                    
                    酒部朔日
                    
                    
                    About This Exhibition
                    
                    
                 
                    
By 筑水せふり
文藝歴も短いわたしが他者の作品を展示に上げても良いのかと悩みましたが、ちょうど読んでストンと響く作品が投稿されましたのでここにCommunityMemberの権利を行使させていただきます。今までのCWS投稿作品と同様のモチーフ、思想でありますが、作品タイトルにもあるように、非常に脱力(武道とかの自然体とかそういう意味)した物として心地よく言葉が響きました。