N o w   L o a d i n g

通知

ユーザー名

メッセージ

2021/01/01 12:00:00

通知の有効期限は3か月までです。

メールアドレス パスワード 共有パソコン等ではチェックを外してください パスワードを忘れた方はこちらから

投稿作品一覧

あかむらさき


赤紫に染められた
夕空のたたずまい

少しうつむく心には
昔色が重なって
懐かしさの色が増す

確かにあったあの日々も
確かに過ぎて昔の中
過ぎた私には戻れない

確かにあった煌めきを
そっと心が思い出し

いい日ばかりではない今日を
終える力に借りている



いつかの私が恋しがる
明日こそは
そんな私でありたいと

夕陽に少し願いながら



 0

trending_up 34

 4

 6

見えません

知ってる知ってると言いながら
カカオマス風味の油脂を口にする
誰かの(私の)健康も
人類の均衡も
そんなに興味はない

う そ

興味を持ったことによる失望
みたいなものが怖いだけ

 0

trending_up 28

 2

 2

鳥とキツネとアイツ ①

◆化け上手のアイツ


「よっ、浪・人・生・♪」

 迷彩柄で狭い野鳥観察用ブラインドの背後から声をかけてくる奴がいる。

「うっさいぞ国立推薦」

 こんなからかいをしてくる奴は他にはいない。あいつだ。学校では決して誰にも見せない馴れ馴れしさと砕けた口調で僕に語りかけてくる。

「ねえなにやってんの?」

「見てわからんか」

「はー、バードウォッチングなんて浪人生なのに余裕ですなあ」

「うるさい。僕が何しようとお前には関係ないだろ、出てけ」

「はあい」

 あいつはがさがさ無造作にブラインドから出ようとする。

「おいやめろ出てくんならそっと出てけ。鳥が逃げる」

「なんだよ注文が多いなあ。じゃあ出ない」

 今度は彼女は一人用の狭いブラインドに潜り込む。僕の背中に彼女の身体が密着する。僕は動揺した。

「おいやめろ、きついだろ」

「おやあ、照れてるんですかあ? 一緒にお風呂に入った仲なのにい」

「3歳の話を持ち出してくるんじゃないっ」

「ねえねえ、なに見てるの?」

「昨日はアメリカヒドリがいたんだけど今日はヒドリガモばっかだなあ」

「ふーん」

 あいつは相変わらず全く興味なさそうに答えた。なら訊くな。

 僕と彼女は家も隣の幼馴染。お互いのうちを行き来してよく遊んだものだった。それがこんなに差がつくとは。

「もうそんな3歳児の頃とは違うんだからさ、お前にふさわしい世界に行けよ。僕なんかほっといて」

「つれないなあ」

 同じ中学に上がった頃からこいつは変わった。急に勉強もできるようになったし、やけにおしとやかになったし。友達も多く高校では生徒会役員でもあった。だけど僕と二人きりでいる時だけ、こいつは小学校までと変わらない態度と口調で僕と接してきた。

「ね、『あたしにふさわしい世界』ってどこ?」

「国立推薦で受かるような連中のいる世界」

「ふうん」

 一呼吸おいてあいつが言った。

「あんた、案外つっまんないこと言うんだね」

「なんだと」

 僕はイラっとして振り返った。間近にあいつの顔が見える。僕は突然顔が熱くなるのを感じた。

「ねっ、今日なんか食べた?」

 考えてみれば午前3時に自宅でサンドイッチを食べて以来何も食べていない。

「いや、ほとんど食ってない」

 それを聞いて得意げな顔になるあいつ。背中のザックを開いて何かを取り出す。

「そう思って、じゃーん」

 彼女が取り出したものを見て僕は思わず声に出す。

「あ、カップうどん」

 それは赤いパッケージのカップうどんだった。

「そっ」

 あいつはそのカップきつねうどんのCMソングを少し調子っぱずれに歌うとまた嬉しそうな顔になった。

「あんたこれ好きだもんね」

「ああ、よく知ってたな」

「なんでも知ってるよ、あんたのことなら」

「嘘つけ」

 彼女の軽口に僕も、そして彼女も軽く笑う。
 僕は向きを変え彼女と向かい合う。彼女がフィルムを剥がし蓋を半分まで開く。あいつが持ってきた小型のポットからお湯を注いだ。

「じゃ、あたしもご|相伴《しょうばん》にあずからせてもらって、と」

 自分でも赤いカップきつねうどんを取り出しお湯を注ぐ。

 出来上がるのを待つ間、ふと言葉の空白が生まれた。彼女が静かに口を開く。

「来年はどこ受けるの?」

「ん? 今年受けたところをリベンジしようと思ってさ。僕のやりたいような生態学やれるところって結構少ないし」

「……あのさ、もっと上目指しなよ」

「上? 上って?」

「あたしの行くとこでも生態学やってるしさ…… そういうとこ」

「いやいやそれは難しいなあ」

「難しくないよ、あたしだって行けたんだもん」

 彼女の顔はどこか寂しげだった。

「うーん…… じゃ、一応候補には入れておくか。かなり厳しいけどな」

「ほんと!?」

 今度は太陽のように輝く笑顔を見せる彼女。

「しかしさ、すっごい差がついたよなあ僕たち……」

「そうかな?」

「そうだよ。かたや国立、かたや浪人。お前なんか中学入ってからもうすっかり変わったし」

「変わってない、変わってないよあたしなんにもっ」

 抗議するような目になる彼女。だけど僕は続ける。

「変わった。勉強だけじゃない、|外面《そとづら》だって。猫を被るどころの話じゃない、まるできつねが化けたみたいだ」

「それは……」

「それは?」

「ただの処世術……」

「処世術?」

「……でもあんたは、あんただけはほんとのあたしを知ってるんだからね」

「え? あ、ああ」

 スマートフォンが冷たい電子音を発する。彼女がカップうどんのふたを全部剥がしてから紅白のプラスチックのどんぶりを僕に差し出す。

「はい出来たあ、あたしの手料理よく味わって食べてねっ」

「手料理ってお湯入れただけじゃないか」

 彼女が僕のすねを蹴る。

「いてっ」

「愛情込めてお湯入れたんだからこれでも立派な手料理なのっ。それにここまで自転車で来るの大変だったんだからねっ」

「はいはい、そいつはどうもありがとうございます」

 僕は|汁《つゆ》を飲み麺をすすった。彼女も美味そうにおあげにかじりつく。

「うわあったまるー、やっぱきつねうどん最強だわ。腹にしみるー」

「よかった」

 カップうどんを静かに食べる僕を彼女はしばらくの間嬉しそうな顔で眺めていた。プラスチックのどんぶりから面を上げた僕は、ずっと以前から気になっていた事をつい口走ってしまう。

「なんで……」

「ん?」

「なんでお前みたいな出来のいいやつが僕みたいなただの野鳥オタクに付きまとうんだ? 野鳥のことだって何の興味もないのに」

 このいきなりの質問に彼女は意表を突かれたようだ。何か言いたげな顔になる。

「そっ、そりゃあんたが……」

「僕が……?」

「いやあんたほんと鈍いからだめだわ」

「鈍い」

「なんでもない。まあ一緒にいると楽しいからかな?」

「ふうん」

 楽しいからか。随分希薄な理由だな。でも、とふと思い返す。そう言えばそう言う僕だって……
 身体も温まった僕たちはごちそうさまを言うと、狭いブラインドから出て身体を伸ばす。陽は西に傾こうとしていた。
 僕たちは二人並んで湿原の|傍《かたわ》らに立つ。

「さ、じゃ僕も頑張ってお前と同じ大学目指すかな」

「えっ」

 驚いた顔をしたあいつに僕は笑いかけた。

「やっぱり僕もさ、お前といると楽しいし嬉しいんだ。だから」

 彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「うんっ!」

 彼女は肩から僕にぶつかってくる。僕は少しよろけた。
 人様の前では巧く化けても、僕の前ではやっぱり幼馴染のままだ。僕はこのキツネが少し、少しだけ可愛いと思った。
 僕たちは並んでいつまでも西日を浴びて立ち尽くしていた。

— 了 —

 0

trending_up 16

 2

 2

隣部屋の竹林

噂によれば隣の部屋には竹林があり
虎が湖月に吠えているらしいのです

つまりそこには湖もあり
なんとそこには昼がなく
夜のいきものたちがいて
魑魅魍魎とわんさかさか

月が次々、皮を脱ぎ、竹の子よりも姿を変えて
剥いでも、剥いでも、朝はやって来ないそうで
湖に移る月はもう多忙で、皺だらけで穴だらけ

魚を追いかけ、蟹を齧っている赤児がひとつ、ふたつ
七つを迎えられなかったから、まだ、神さまなんだよ
ぷかぷか、プクプク、泡を吐いて、笑うしかない

地蔵さまはまだ来ない
せめて和讚を歌おうか
賽の河原は何処だろう
魑魅魍魎も虎も歌えば

蓮華咲く、蓮華咲く、

ほろほろ
落ちゆく
種たちに
火が灯り
月の都へ
登りゆき
月安らぎ
 
火のように行くあてもない、虎はとぼとぼ竹林を
さまよい、屏風にいた頃を懐かしみ、吠えている

らしいのですが、 

襖を開け忍んでくるのは猫でして
虎でないのが不思議でたまらないのです
猫の抜けた毛を集め集め息を吹きかけ
虎をいっぴきつくりまして、襖の奥に

放ちます、猫がくわえていきました、襖の奥では
また噂が噂を呼んで次の噂が届くころ虎は月の都か
湖水を泳ぎ、そろそろと獲物をくわえてくるでしょう

しかし、襖を開けて帰ってくるのは
猫ばかり、翠石の虎の絵を囃し立て
ほら、出てこいと言えども言えども
出てくる訳もなく七十九日が過ぎるころ
噂の竹林は枯れました

 1200

trending_up 76

 7

 4

『あわいに咲くもの』 外伝 第十五話 「肌に綴る、わたしの夜」

――糸島能古――

 部屋の灯りは、ひとつだけ。
 乳白色の光が、鏡の前で滲む。
 ネグリジェの布は、月灯りを吸い込み、肌にやわらかく貼りつく。

 静寂の中で、わたしの躰は目を覚ます。
 お姉さまの気配は、この部屋の空気に溶けている。
 香のように、記憶を布に移して。

 鏡の前に立つ。
 鎖骨の下に、小さな影が落ちる。
 胸の線は呼吸に合わせて波打ち、
 背の中では、神経索の震えが波形を描く。

 それは、詩だ。
 肌という紙に、記憶というインクで綴られた詩。

  この肩は、お姉さまの眼差しが留まった場所。
  この胸は、お姉さまの吐息が韻を刻んだ場所。
  この背は、お姉さまの沈黙が寄り添った場所。

 指先で、ひと文字ずつなぞるように触れる。
 指は冷たく、記憶はあたたかい。
 ふたつが重なる、あわいの夜に、わたしは生きている。

 布越しに、肌が詩を詠う。
 声ではなく、触れ合う温度で詠う。
 呼吸は緩やかな対句となり、鼓動が韻を踏む。

 お姉さまがいない夜も、
 わたしの躰は、詩の紙面であり続ける。

 不在は余白。
 そして余白は、いまだ書かれぬ行の約束。

 記憶の中の、その指が、
 再びわたしをなぞるとき――
 最後の一行が、生まれる。

 わたしは、その行を夢に抱いて眠る。
 肌に綴る、わたしの夜のままに。

          ――了――

 1000

trending_up 110

 3

 1

豚と賭博と おわり

前話
『 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=2213&user_id=160&mode=post 』



 日中、町の依頼所にあった害獣狩りの仕事をこなしつつ、旅に持って行く保存食を取ってきた。兎の肉と果物は燻製にして、数日持つように処理をしておく。これを面倒だと思うようでは旅人なんか出来ないだろう。

 依頼所とは、町の人や行政が金を払ってでも他者に頼みたい案件を一カ所に集め、管理・整理をしておく役所で、誰でも利用が可能だ。金がほしいときなんかや、腕を鈍らせない為のトレーニング目的によく利用する。力仕事や、やっかいな動物の駆除や場合によっては魔物狩りなんかが依頼されるので、俺のような体格の者は実に重宝がられる。

 今回はトレーニング目的での利用だ。いくら昨日大金をせしめたからと言って、それに胡座をかいているわけにも行かない。金なんかいつかは消えてしまうのだ。

「ご立派なことだな」

 そう講釈を垂れたら、左に座るフードの男が関心無さそうな反応を返してきた。
 昨日と同じ席で、昨日と同じメンバーが、やっぱり昨日と同じ『十七』を囲む。

「そういうあんたは日中何してんだ?」
「これに決まっちょろうよ」

 札をひらひらさせるじいさん。

「じいさんには聞いてない」
「俺か? ……俺はこれだ」

 こっちも札を指さした。

「古物商はここでやってるのか?」

 と聞けば、フード男はくつくつと笑う。

「じいさんに巻き上げられて、な。取り返すまで休業する」

 何してんだ、あんたら。

「本業で取り返そうと思うんじゃないのか、普通」
「売れると思うのか?」

 自分で言うなよ。床においてある三つの皮鞄が存在価値を見失ってるじゃねーか。

「おめーさんはセンスがありゅうかんな。どうや、わしん後次ぎゃなぁか?」
「断る。二枚だ」
「おめーさんはよ? 一枚」
「手当たり次第に声をかけるなよ。いくぞ? 拝見」

 みんなの札を見て、フード男が銀貨をかき集める。

「ふ、運は俺に回ってきているようだな」
「あほうか。運ちゅうんは流れうもんだった。運だけんじゃ勝てようないわ。勝負っちゅうんはイカサマの腕で決まりようよ」
「断言するなよ、ヒーロー」

 バカな話をしながら札を切っていると、ルネに耳を引っ張られた。

「ねぇ、あれ、いいの?」

 今日はずいぶんと静かだなと思っていたら、どうやら近くのテーブルの酔っぱらい達を見ていたらしい。
 女一人を、軽薄な遊びが好きそうな男二人が左右から挟み込んでいる。狙われている女性は髪が長く、表情は硬い。ここからでは横顔しか見られないが、まだ若そうだな。清楚な外見で、大人しそうな顔立ちが男達を調子づかせているのだろう。
 そういう性格なのか、抵抗することもできず、声を荒げる事も出来ず。じっとうつむいて、男達が諦めるのを待っている。
 あれじゃあ、いつまで経っても男達は帰らないだろう。そのうち力づくでと、なりかねない様子だ。
 酒場ではよく見る光景と言えばそうだが、見ていて気持ちのいいものではない。

「じいさん、ヒーローの出番じゃないのか?」

 自称ヒーローに尋ねてみる。

「ヒーローちゅうても週末んは休みぃじゃ。休みん時まで働くヒーローなぞおらん」
「昔、警備兵かなんかだったんだろ? 正義感とかそんなのはどうした?」
「馬鹿言っちゃいけんわ。兵士ってんは問題が起きちょうから、動くもんじゃい。そこんとこ勘違いしちゃあいけん」
「なら問題が起きたら動くんだな」
「……わしゃそろそろ寝ようかんな」

 全く頼りにならないヒーローだ。試しに、反対隣に目を向けてみる。

「金次第だ」

 現金主義の極みがいた。

「ミツバチィ、こんなかっこわるい男達じゃダメダメだよー。ここはかっこいいミツバチが助けてあげようよ。その方がきっとあの人も喜ぶよー」

 ルネの主観的予測は無視するとしても、鼻を付くきな臭い気配は無視できそうにない。自分で言うのも何だが、この感覚は当たりやすい。首を突っ込めば絶対に面倒事になる。
 とはいっても放置していくのも目覚めが悪いか。
 仕方ないと立ち上がりかけたところで、札でテーブルをトントンと叩く音。

「少し待て。時が動く」

 フード男の口元が、にやりと上がったのを見て、座り直した。
 しばらく様子を見る、と。
 問題のテーブル、更に一つ向こうのテーブルに座っていた女が、グラスをテーブルに叩きつけて立ち上がった。

「ちょっと、あんたらいい加減にしなよ!」

 声をかけられている女より、まだ若い女だ。十代だろう。
 ここいらでは見ることの無い魔法使いの格好をしていて、宝玉のついた杖を手にしている。そのくせ、戦士みたいな軽装が杖とのアンバランス感を出していた。

 「何だぁ? てめーは」
 「まだ胸も出てねー子供なんかに用はねーんだよ。お子さまはお家に帰る時間ですよー。くくく」

 品の無い笑い声を浴びせかけられた女が右手の杖を翳す前に、同席していた男が剣を抜いて立ち上がった。

「僕の彼女がなんだって?」

 こちらも若い。魔法使いと同じ位の年格好だ。
 簡素な鎧がまだ馴染んでいない。駆け出しの冒険者二人のパーティーか。勢いはいいが、何だか頼りなく見える。
 そもそも、年季の入った冒険者ならこの段階で得物は抜かない。こんなにごちゃごちゃした部屋の中で武器を振り回せると思うところが、まだまだ青い。
 それでも軽薄な男どもは、鋭い刃の煌めきにひるんだらしい。

「て、テメー、俺たちにそんなもん向けてただで済むと思ってんのか?」
「ただで済むかどうかはやってみないとわかんないだろ。でも、僕の方はただで済ます気はないから」

 剣を挟んでの睨み合いが始まった。
 周りのテーブルに座る連中も、固唾を飲んで見守っている。

「チッ。行くぞ」

 しばらくして、引いたのは男二人組の方だった。悪態をつきながら宿を出て行く。同時に観客から拍手と指笛が投げかけられるが、女魔法使いは何だか不服そうだ。

「気づいてたんなら見てないで助けてあげたらどうなの?」

 彼女の言葉に酔っぱらい達から笑い声が起こる。冗談を言ったつもりはないのだろう。彼女の眉が寄る。それでも一つため息をついたあとは、眉間のしわを逃がすように首を振り、言い寄られていた女に優しげに声をかける。

「大丈夫?」
「はい。本当にありがとうございました」
「気をつけた方がいいよ、ここの男達はろくでなしばかりみたいだから」

 眼光も鋭く、周りを見遣る女魔法使い。肩をすくめる酔っぱらい達。

「はい。本当に助かりました。あなた達がいらっしゃらなかったらどうなっていたか」
「あんまり一人で出歩かない方がいいと思う。この町は、何だか治安悪いみたいだし」
「はい、気をつけます」

 男の剣士が、静かに声をかけた。

「あなたは、ここに宿を取ってるの?」
「はい」
「もしかして、一人?」
「……はい」

 心細い表情を見せる女性。それを見た魔法使いが優しく肩に手を置いて身を寄せた。

「ねぇ、私の部屋に泊まる? ベッド二つあるし」
「え? そこまでしていただくわけには」
「気にしないでいいよ。旅は道連れってね。あ、でも部屋代は折半してくれると嬉しいな。私たちあんまりお金ないんだ」

 魔法使いの言葉に笑顔を見せる彼女。そして、二人の手を取りギュッと胸に抱いて言った。

「あの、ありがとうございます! もしよろしければ助けてもらったお礼がしたいです。大したことはできませんが、一緒にお部屋に来ていただけますか?」
「い、いいの? それなら、その、あ痛!」
「いいよ、いいよ。気にしないで? 当然のことしただけだし」

 引き寄せられた手に当たるふくよかな胸の感覚にしどろもどろになる剣士の足を踏んで、遠慮を見せる魔法使い。

「本当に嬉しかったんです。助けてもらったことが。どうか、お礼をさせて下さい。それに、まだ少し不安で・・・・・・」
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらおうかな?」
「うん。それがいいよ。うあ、痛い痛いって」
「くすくす。では早速。旅の途中で見つけたお土産があるのです。是非受け取って下さいな」

 女性に手を引かれて二階に上がっていく二人。
 じっと見ているのも失礼かと思ったが、結局最後まで見てしまった。
 鼻が未だにピクピクする。

「うむ、一件落着。なんちゃって」

 ルネが嬉しそうに俺の顔の前を飛び回る。
 対照的に“草を食わされた”時のような、渋い顔を浮かべる俺たち三人。

「おい、お前ら最初から気がついていただろ」

 じいさんはあらぬ方向に目を向けて、フード男は声もなく肩をそびやかした。

「じいさん、事が起きた。出番じゃないのか?」
「じゃあから、休みじゃって」
「え、何? どうしたの? ミツバチ」

 頭にはてなマークを浮かべるルネを見ながら、一つため息をつく。面倒だがしょうがない。

「行くのか?」
「目覚めが悪いだろ」
「そうか。ならばこれをやろう」

 フード男が、片手で包み込めるぐらいの小さい袋を懐から取り出した。

「なんだこりゃ?」
「黒胡椒と檸檬の皮、鷹の爪を煎って粉末にしたものだ。顔に掛ければ大の大人でも一撃で潰せる。お嬢ちゃんに持たせるといい」
「え? あたし?」
「相手の頭の上から振りかけるだけでいい。絶対に吸い込むなよ?」
「うん? うん。ねぇミツバチ、何が始まるの?」
「悪者退治だ」

 イスから立ち上がると、じいさんも立ち上がってテーブルとテーブルの間を開けてくれる。

「気いつけえよ? 恐らくきゃつらあ手練れん者だ。よかか? 危なっか思ったら、大声出すんだ。すぐぅに助けに行く。よかな?」

 横を通りざま、そう声をかけるじいさん。

「あいつらは助けないのか?」

 そう問いかけると、じいさんは大人しく椅子に座り直した。

「わしゃ、もう、知り合いしか助けんば。気に入っちょう奴しか助けんば。わしじゃて長生きしとうばよ」
「……なるほど」
 
 わからなくはない。
 多分、それが年を取るということなのだろう。
 まぁ、そうだな、まだ若い俺が行くのが道理ではある。この町ともあいつらとも無関係だけどな。

 ルネを背中に隠し、くつくつ笑うフード男の声を聞きながら階段を上る。宿泊部屋のある二階は不気味なほどシンと静まりかえっていた。
 女の部屋のドアに立ち、声をかける。
 トントントン。

「ちょっと、いいかい?」

 ぼそぼそと聞こえていた声が、ピタリと止んだ。反応はそれだけ。
 トントントン。
 再び叩いて、ようやくドアがほんの僅かに開いた。部屋の中から覗いた顔が、俺の顔を見て少しおびえる。

「あの、何かご用ですか?」

 色白の顔に、長い髪。伏し目がちな黒の瞳が、上目遣いで機嫌を探ってくる。お淑やかという言葉で型どりしたような女性だ。

「悪いな、ここにいる冒険者二人に用があって。ちょいと貸してもらえないか?」
「いま、その、先ほどのお礼で、おもてなしをしていますので。今はちょっと」

どんなおもてなしなんだか。

「急用だ。入るぜ」
「きゃっ」

 女性をドアごと押し退けて、中に入る。

 案の定、ご丁寧にもてなされていた。
 内開きのドアの陰に、隠れるように潜んでいた大男の一撃を、跳びすさってかわす。
 ドアノブに引っかけていた手が離れてドアがゆっくりと閉まっていく。俺はまんまと閉じこめられた。

「随分とまあ、心のこもったおもてなしだな」

 部屋の中にいたのは四人と二人。
 長い髪の女性と、彼女に声をかけていた軽薄そうな男。そして、ドア近くにいる角材を手にした大男。こいつは一階には姿が無かったな。
 部屋の隅でナイフを突きつけられて、うずくまる若い男と、下着姿でベッドに縛り付けられている若い女。彼女の横にもナイフを持った男が一人立つ。

 案の定、予想していたとおりの風景。どうゆう事かと言えば、最初からすべて仕組まれていた罠だったということだ。
 下で声を掛けられていた女性と、声を掛けていた軽薄そうな二人は仲間で、助けてくれた人をお礼と称して部屋に招く。そこで、先に逃げる振りをして部屋に入っていた二人組と喧嘩に強い大男が襲いかかり、引っ掛かってきた獲物を拘束。今は身ぐるみを剥いでいるところなのだろう。

「見られたからには、黙ってで返すわけにはいかないわ」

 お淑やかさが消えて、妖艶な笑みを浮かべる女性。こちらの顔が本性か。

「俺が大人しく帰るとでも?」
「強がらない事ね。この二人の命が惜しいのなら」

 さすがの俺でも、一人で同時に二人を助けることはできない。
 はぁ、とため息を吐いて両手を上げる。

「そうそう。物わかりのいい男って好きよ」

 一人で、ならな。

「そりゃどうも……ルネ、男の方だ」
「まっかせて~」

 景気のいい声と共に、背中から飛び出すルネ。
 ぴゅーんと若い男にナイフを突きつけている奴の元へと飛んでいく。

「な、何だぁ?」

 ぱっと見、危険かどうかすら判断の付かないフェアリーに、視線を持って行かれる男。ルネを追って顔を上げる。

「投~下~!」

 男の顔の上で紐をほどき、逆さまにした小袋を投下。
 上出来だ。 
 落ちてきた袋に、慌てて腕で弾く男。パフッと広がる赤い粉。

「ぎゃーーーーーーーー」

 男の悲鳴が部屋にとどまらず、宿中に響きわたった。

「このやろう」

 ドア近くの大男が角材を振り翳すが、そいつを無視してベッドの側に立つ男に突進を掛ける。
 男は人質にナイフを突き立てることができない。こうゆう連中は、男の人質を傷つけることにためらいはないが、女が相手だと傷を付けることをためらう。
 わざわざ縛り付けて、お膳立てしたものを傷物にはしたくないのだろう……が、命取りだ。
 俺の体当たりを正面から受けると壁に激突して伸びる。

 残りは、大男一人。
 女は形勢不利と見た瞬間に窓から逃走した。なかなか場慣れした奴だ。

「ミツバチー」

 飛んできたルネが、体の中に入り込む。

(よーし、後はでっかいのだけだね。ルネとミツバチの愛のパワーでコテンパンダにしてやるんだから)

 どんな白黒まだらにする気だ?
 大男が角材をポイと投げ捨てて、不敵に笑う。バキバキと指やら首やらを慣らしてから、くいくいと指で挑発を仕掛けてきた。
 ハッ、いい度胸だ。190エタ、150ファーの俺に力勝負とは。
 ブルルッと鼻を鳴らして、親指を下に向ける。俺の故郷での挑発だ。
 目感だが、大男の体格は200エタの100ファーちょっと。見た目に大差がないから勝負になる、と思ったのだろうな。

 三歩下がって距離をとる。俺が前傾姿勢になると、大男は両手を広げて半身の姿勢になった。
 立ち上がった熊を思わせる格好だ。なるほど。相手の攻撃を受け止めてから反撃するタイプなのだろう。確かに人間相手ならそれで何とかなるのだろうが。
 残念だった。
 俺はオーク《豚人間》だ。

「あんた、オークとやり合ったことは?」

 問う。

「ククク、無いな。豚とやり合ったことは」

 と、奴は答えた。

「そうか」

 そいつはご愁傷様。ブルルッと鼻を鳴らし、足で床を掘るまねをする。土の上で戦闘していたときの癖。
 ザッ、ザッ、と足を後ろに蹴り上げる。

 次第に呼吸が荒くなっていく。
 一つ、足を蹴り上げるごとに。
 一つ、気分が昂揚っていく。

(ミツバチの中すっごく熱くなってるよぅ。いいよ、すっごくいい感じだよ?)

 沸騰している頭の中心から聞こえるルネの声。
 目が血走っていくのが自分でもわかる。

「ブルルッ。覚えとけ。オークの突進を止めたければ、あんたを三人用意しろ。一人で止めるなど、笑わせる」

 思いっきり息を吸い込むと、体が一回り大きくなった気がする。もしかすると、本当に大きくなっているのかもしれない。
 なぜ? 見ろよ、相手が微かに引いただろ? 恐怖してるんだよ。

 ガチッと床に爪が引っかかる。足の力が逃げ場を失い、太ももに溜まっていく。
 睨みつける血走った目が、相手の逃げ道を殺す。 幻聴のように遠く、ルネの声が聞こえた。

(ミツバチ、いいよ? いっても)

 力が爆発した。

 右足、左足の加速。
 瞬間、相手の肉を打ち、浮かせて、飛ばしても、なお加速。止まれない両足と、停滞を嫌がる心が俺の闘争心を昇華させてくれる。
 部屋は狭い。数歩でひどい衝撃に襲われた。強制的に止められた体。
 音。
 その音がどんな音かは、もう記憶にない。
 壁と俺とに挟まれた大男が目の前に居た。
 ふっと力を抜くと、大男の体がずるずると下がっていく。そいつの足が地面についた瞬間、もう一度突き潰す。
 ドン。
 グエッと大男が鳴いた。
 伸びた。ゴムのように力なく崩れ落ちる大男に、引き絞った右の拳を

(ミツバチッ!! ダメ!)

 静止した世界に、そいつはゆっくりと沈んでいった。

「フッ、フー、ハァ……ハァ」

 ゆっくりと時間をかけて呼吸を戻していく。
 そういえば、忘れていた。こいつは人間だったな。オークが相手だと、これぐらいで勝負はつかない。転げ回りながらの殴り合いになる。

(えぐっ・・・・・・えぐっ・・・・・・ぐっ・・・・・・うー)

 静かになった部屋の中で、いや、頭の中からルネの泣き声が聞こえた。

「どうした? 怖かったか?」
(うー、かっこいいよぅ。ミツバチィ)

 泣く意味が分からん。
 首や肩を回して、熱を冷ましていると、ドアがノックされた。

「あのーお客さん? どうされましたか?」

 どうされたかじゃねーだろ。どうやら外で終わるのを待っていたらしい。
 ガチャリと音がしたので、入るな! と脅す。ひぃっと声がしてドアが閉まる。
 とりあえず、ベッドに縛られた女の紐と猿ぐつわを解いてやった。これ以上知らない男に肌を見せたくはないだろう。

 自由を取り戻すと、ぱっと毛布を引き寄せて体を隠し、涙を浮かべた目で、壁際へ下がっていく。とりあえず大丈夫そうか。
 次は男の方だ。近づいていくとビクリと体を震わせたのが見えた。

「別に取って喰いやしねーよ」

 男の手足の拘束を解く。

「動けるか?」

 女はともかく、男は無事でない事が多い。現に、顔に青あざができている。

「……はい。その、大丈夫です」

 腹を押さえてはいるが、動くのに問題はないらしい。女の元に行こうとするのを、襟首を掴んで引き戻す。

「あんたはこっちを手伝ってくれ。あっちはルネに任せる」

 そう言うと、ポンと俺の胸から飛び出すルネ。虹色の羽をぱたつかせ、女のところに飛んでゆく。
 青年と二人で協力して、伸びている男と大男を部屋から出した。残るは、床にうずくまって悶え続けているこいつ。

「目がー、目が痛えよう、目ぇ目ぇ目ぇぇー」
「メガ痛い? 随分おもしろいことを言うな、お前」
「ミツバチ、ちょっと鬼だよ? 助けてあげよ?」

 向こうからルネのツッコミが入ったので、花瓶の水を頭からかけてやり、部屋から叩き出す。
 これで全員。女とルネを残して部屋を出た。
 部屋の外でうろうろしている店のおやじに、男共を引き渡す。後は保安官の仕事だ。俺の出番はない。
 おっと、忘れていた。

「おい、赤目。お前らに賞金首はいるか?」

 目を腫らした男に聞いてみる。賞金首がいれば、保安官から報奨金を受け取れる訳だが。腫れた目に水が染みるようで唸りながらも答えてくれる。

「い、いや、いない。あ、親分、逃げた親分には120万ついてる」

 しまった。あの女か。確かにあの逃げ足なら、捕まえるのも容易ではなさそうだ。まぁ、そんな簡単に捕まったら、賞金なんてつかないか。
 顔を腫らした男の襟首を掴んで階段を下っていった。





 一階は閑散としていた。というより、俺の座っていたテーブル以外、人の姿がない。席に戻ると、詐欺師とじいさん、二人揃って楽しげに笑った。

「みんな、あんたが宿ごと壊すと思って逃げよったわ」

 じいさんがうそぶく。単に面倒事を嫌がってさっさと帰った、が正解だろう。

「ほんとじゃて。ほれ、見い、えろう揺れっかあ、こぼしてもうた」

 嘘つけよ。あんたは今でも揺れてるだろ。
 テーブルをおざなりに拭くじいさん。手つきがアルコール臭い。
 所在なげに突っ立っていた青年を、俺の向かいの椅子に座らせる。少し話をしておこうじゃないか。
 
「さっきは、ありがとうございました。助けていただかなければ、どうなっていたか」
「あんた名前は?」
「あんたん名あどうでもええわい。あんのべっぴんさん名あなんちゅう――」
「じいさん、黙っててくれ」

 酔っぱらいを黙らせて、向かいに会話を投げる。

「サイトって言います」
「本名みたいだな」
「それは、本名ですから」
「そうかい」

 旅をしている者はなぜか通り名を名乗る。それが人間のしきたりらしいと言うことで、俺もこの国には行ってからは通り名を付けた。
 先に断っておくが、ミツバチじゃないからな? あれは、ルネが勝手につけた名だ。
 旅人だからと言って本名を名乗るのが悪い訳じゃない。好きにすればいいと思う。

「随分と、若そうだな」
「えっと、今年で十六です」

 詐欺師の問いに、そう答えるサイト。俺が脇から口を挟んだ。

「違う。多分こいつの言っているのは、年ではなく旅の経験のことだ」

 フッと肯定する詐欺師。

「あ、旅はまだ初めて半月です。全然、初心者です」
「どおりで」

 ひよこどころか、まだ殻をかぶった鄙だ。

「アミに、彼女に誘われて。半分勢いで旅にでました」

 なるほどな。普通、旅の初心者は、慣れるまで経験者と一緒に行動する。いくら治安がいい国とはいえ、旅というのは危険が多い。動物にしても、天候にしても、人間にしても、だ。

「旅ん出て半月じゃあ、まだ戻れんよう? わしゃ色んな人見とんだげ、あんたぁ旅ん向かんねえ人じゃあ。故郷でだって、生活していけるんじゃろ?」
「……」
「あんたぁ、何のためぇ、旅しちょんだ?」
「アミも僕も世界を見てみたかったんです。僕たちの故郷は露洞村っていって何にもない村なんです」
「露洞? 確か山麓の、銅が採れる所だったと記憶している」

 詐欺師が博識を披露する。

「何十年も昔の話です。一時は大勢人が居たらしいのですけど、ほんの十年ほどで採掘場が枯渇してしまって、徐々に人がいなくなったそうです。今は、牛と畑ぐらいしかないです」

 ありがちな話だ。
 若い頃は変化のない生活を嫌う。
 毎日同じことをして、同じ人と会う。この国は季節の変化も乏しいから、見るものもたいして変化はない。今日咲いた花の話は、一年前もしたし、一年後もするのだろう。そんな毎日の繰り返し。
 この平穏を好ましいと言えるようになるには、もう四十年は必要だろう。

「十分じゃ」

 サイトのセリフに、じいさんがドンとジョッキを置いた。
   
「十分じゃいよ。若いんはすぐに街だあ都だあ言いよんが、そんげなとこ行ったて良いことなん何もなあ。代々守っちょう――」
「あーあー、じいさんわかったから説教なら後にしてくれ。若い内に見聞を広めることは良いことだろ?」

 宥めては見たが、まだぐちぐちと吐き続けている。
 このぐらいの年になると、逆に変化を恐れるのだろう。一歩分の変化を、死に一歩近づくのだと思ってしてしまうようだ。
 俺もいずれは旅をやめるのだろうか。
 それとも旅の最中に死と出会うのだろうか。
 死にそうな目にあったことは何度かあるが、まだ、こうして生きている。できれば旅の最中で死にたい、とは思う。足が歩くのを止めて、一カ所に留まったまま、死に神の影を恐れるような生き方は……できればしたくない。

「ええか? 街んなんかに出ても、飯は高うわ、人んは冷とうわ、良いことなげ。こん間だて道い歩いとうたら――」

 じいさんの昔話が起承転々し始めた辺りで、階段にルネと女姿を見せた。
 ルネが一足先に飛んできて、俺の肩に止まる。

「大丈夫か?」
「もう大丈夫だって。ありがとうって言われちゃった」

 なんだか照れてるルネに、よかったなと返事をしていると女がサイトの隣に立った。

「ありがとうございました」

 ペコリと礼をする。サイトがあわてて立ち上がり、同じように礼をする。
 側のテーブルから椅子を引っ張ってきて、女を自分の隣に座らせようとするじいさんの足をけっ飛ばし、二人を正面に座らせた。
 女はアミと名乗った。こちらも本名っぽいな。
 うつむき加減だが、声ははっきりしていて、サイトよりは頼もしい印象だ。

「その格好、また男を寄せるぞ」

 詐欺師が鋭い視線をアミの体に投げる。ふとももや二の腕が露出している服装は、魔法使いよりも戦士が好むような可動性重視のもの。
 先ほどの傷も癒えていないのだろう、詐欺師の視線から隠すように素肌を手で覆う。しかし、言葉は強気だ。

「でも、負けたくないんです。これで、マントとかを着てしまったら、あのやつらに負けてしまうような気がして」

 主義に口を挟む気はないが、考えが若い、いや、甘い気がする。まぁ、悪いとは言わないが。若い頃の自分を振り返ってみれば人のことは言えない。
 詐欺師もそう思ったのかどうか、そうか、と言ったきり視線を外した。

「あの連中は恐らく最初からあんたらを狙っていた。もっとも、誰が掛かっても、罠は成功するようになっている」

 詐欺師が十七の札をもてあそびながら、解説を始めた。

「男一人が掛かったら、女一人で部屋に誘い、眠り薬でも嗅がせる。男が起きたときには丸裸だ。これがもっとも楽な方法になる。
 今回は男女の二人。部屋に入った瞬間、隠れていた連中が獲物に襲いかかる。女を捕らえた時点で勝負は終わり。男の方は金品を巻き上げられたうえに、女を人質に強盗などをさせられる。うまくいっても、いかなくても女は戻ってこないだろう」

 詐欺師の手の中の札が念入りに切られていく。

「大勢が掛かった場合、その中の金を持っていそうな男に狙いを絞る。あとは一緒だ。助けた女が男共とグルだとは普通なら思わない。お礼をしたいと油断させたところを襲うのだから、掛かった時の成功率は高い」
「詳しいな」

 というより詳しすぎるだろ。

「俺の姉が似たようなことをしていた。すでに捕まっているがな」

 姉弟で詐欺師かよ。

  
「さっきん女ぁも、知り合いんじゃなか?」
「そう言えば120万の賞金首だそうだが?」

 さっき聞いた情報を口に乗せる。

「知り合いと言うほどは知らないがな。風色のイチハ。ベテランだ。120万ではあまりに安すぎる。表沙汰にはなっていないが、詐欺以外に暗殺もやる。相場を考えれば400万を切ることは無いだろう。あんたでなければ止めには行かせていない。素人には手に負えない奴だ」
「おい。俺は素人だ。そうゆう話は先に言えよ」
「あんたが暗殺ごときでどうにかなる玉か?」

 くつくつと詐欺師が笑う。切り終わったらしい札をテーブルの上に並べていった。一番上から一枚ずつ表に返していく。
 王様、王妃、王子、教皇。これに騎士団長が加われば「てっぺん」、幻と呼ばれる17役目が完成するが、最後の一枚は……酒樽。くつくつと自身を嘲笑う。

 じいさんが、山になった札を引っ張っていき、いい加減に切っていく。このじいさん札を持つと酔いが醒めるらしい。手つきはいい加減に見えるが酔った手つきではない。

「あんたぁら、これから、どこ行くんよう?」
「都まで行ってみたいと思ってます。最低でもそこまでは、行きたい。じゃなかったら、振り切ってきたお母さんとお父さんに笑われちゃう」
「笑うもんかい。今かん戻っちょうのが、一番の孝行じゃいが? それでも行くんかいな?」
「……はい。あ、サイトが戻りたいって言うなら少しは考えますけど」
「僕は――」

 と言い掛けたサイトのセリフをじいさんがぶった切った。

「男にぁ聞いちょらん。嬢ちゃんの意見ば聞きとうよ」
「私は、行きたい。どんな結果になっても、行かないで後悔するよりはいい」
「うぬ。よう言っちょうな。おい、おまえさん」

 じいさんがこっちを向いた。

「なんだ?」
「おまえさんも、都んに行く言うとったな」
「はぁ?」 

 言ってねーだろ。一言も。

「のう、お嬢ちゃんの」

 今度はルネに振った。全然似合わないアイコンタクト付きで。

「うん! ルネ達は都に行く! ミツバチもそう言ってたよ」

 おいコラ。

「ほれ。じゃったらあんたが一緒ん行っとったら良い」
「おいおい、何言ってやがる」

 徹底抗議しようとしたら、アミが勢いよく立ち上がった。そして、その勢いのまま、思いっきり頭を下げた。詐欺師が手癖の悪い手で、空いたジョッキを寄せなければ、額をぶつけかねない勢いだった。

「お願いします!」

 90度で背中を曲げる。そのまま上がってこない。

「ほらサイトも!」

 頭を下げたまま隣のサイトの袖を引く。

 「あ、うん。お願いし(ゴン)痛っ! お、お願いします」

 ぶつかったジョッキをよせて、頭を下げ直すサイト。こちらもそのまま上がってこない。

「待ってくれ。何だって俺がそんなことをしなくちゃならないんだ?」
「いいじゃん。行く宛のない旅だって言ってたじゃんミツバチ。仲間は多い方が楽しいよ」

 楽しくねーよ。

「運命を感じる。星の導きだ」

 詐欺師が星を語るな。

「ほれ、占ってやる」

 じいさんが札の山を差し出す。これ引いたら戻れねーんじゃねーのか? イカサマでは占いとは言わねーだろ。

「ほうな、ほうな。はん、その図体で逃げよるんか?」

 結局引いた。
 
「旅人?」

 札の流れから騎士団長が来るものだと思っていたが。
 じいさんに目を向けると、ほれ、と二枚目を催促される。
 二枚目、旅人。
 三枚目、旅人。
 これで、山札のすべての旅人が出そろった。

「やっぱり旅は多い方がいいんだよ。ルネも引いてみていい?」
 
 全て出切ったのだから、これ以上引いてどうすると思ったが、じいさんはうなずいた。
 四枚目、旅人。
 五枚目、旅人。
 六枚目、旅人。
 七枚目……。

「ほうら、おまいさんの旅は、多い方んがええんやよ。諦めんね、連れちょったらええ」

 あり得ない枚数の旅人を引いて、じいさんの占いは終わった。そして、じいさんのイカサマの種もわかった。
 フードの男が、じいさんの話を聞いて一つうなずいた。

「だから星の運命だと。それにこの二人だけで旅を続ければ、また同じようなことが起こるだろう。それは好ましくないんじゃないのか? あんた風に言えば目覚めが悪い、というやつだ」

 そう言いながら、山札の一番上の一枚を引っ張り、手札に並べてある酒樽の札の上に乗せた。
 表に返せば勇壮なる『騎士団長』が剣を捧げている。十七役目の完成だ。
 こいつらがどんな手品を使ったのかがわからない俺は、やっぱり賭け事は向いていないんだろう。

 はぁ。

「あーわかった、わかったよ。言っておくが、付いて来れなかった時はその場に置いてくからな」
「「ありがとうございます」」

 返事を聞いて、無邪気に喜ぶ二人。
 明日出発するぞ、といい残し、大斧を掴んで席を立つ。
 詐欺師のくつくつ笑う声を聞きながら、階段へ向かった。全く面倒事を引き受けてしまった。
 部屋に入ると斧を壁に立てかけて、ドサッとベッドに倒れ込む。ルネが羽音を立てて、頭の周りを飛んでいる。

「ルネ、優しいミツバチ好きだよ?」
「もう誰にも優しくしない」
「ルネ、優しくないミツバチも好き」

 あーそうかよ。

「なあ、ルネ。俺が最初に名乗ってた通り名を覚えてるか?」
「……あれ? 何だっけ?」
「絶対教えん」

 最初の通り名は『一匹』。大昔、人間たちはオークを『匹』で数えていたらしい。それを揶揄して一匹にした。もちろん仲間を作らないという意味もある。
 しかし、ルネがついてまわるようになってからは使えなくなった。一匹では無くなった。

「忘れたけど、絶対ミツバチの方が可愛いよ」

 俺は黙って眠りにおちた。






 おわり。



 

 0

trending_up 32

 2

 5

白いシャツが着られない

他責思考を脱ぎ捨てたい
何でもやろう
覚悟はあるのに

ホップ・ステップ・ジャンプ
どれがかけて
必ずとべなかった

おかしなことにつまづくと
気づいたのはいつからだろう
そうだよ そうね
私は白いシャツが着られない

汚すも汚されるのもこわすぎて
避けて通れるものすべて避けたいから
ぜんぶの水溜まりに律儀にとびこんでいく

0か100かの極端な人生をやめたらいい
何度も言われても難度が高いだけなんだ
0もないし100もないから

やっぱりわたしは白いシャツが
着られない
うまく生きれない証として
今朝目が覚めた瞬間に
おりてきた

だからそうそうなんだ
きづいてしまった
ホップ・ステップ・ジャンプ
どれかがかけてかけていない
とべないわたしがわたしのために
1枚も白いシャツなど要らなくて
持ってもいなくていいことに

やっと目覚めたよ今の今
わたしは白いシャツが着られない
でもいい だからいい
わたしの白いシャツはきっとずっと
ぜったいによごれはしないから

世界一/白いシャツ/は/わたしの
白いシャツ/

 50

trending_up 78

 4

 5

『あわいに咲くもの』 外伝 第十三話「夜天」

 かたかたかたかた

 リビングの小窓が風で鳴る。

 大叔父の建てたこの別荘、今はわたし、姪浜伊都の仕事の城は、窓枠等は当時のままだ。なので気密性はあまり良くはない。ただ夏は山腹の大きな木陰が強い日差しを遮ってくれるし、冬場は、年に数回は雪で白くなり、鉛色の雲が垂れ込む様な日もあるが基本的には温暖な方である。
 大叔父夫妻が残してくれた古いアラジンのブルーフレームもその火をつけた時の香りは好ましく、灯油の買い出しに難はあっても春先まで活躍してくれた。少しリフォームした時に一応エアコンも各所新しくしたけれど、気密性の事ではさほど困る事は無かった。
 昨年末に相続し、住み始めて春から夏を過ぎ、秋へと少しづつ向かい始めたこの週末、いつも通りにおとちゃん―糸島能古が夜遅くに帰ってきた。

 「お姉さま、ただいま。今日は風が強いですね。でも月はきれいですよ~」

 中高の一つ下の後輩で、大学の頃文筆の世界に入ったわたしを追いかけるように能古は出版社でアルバイトを始めた。大学時代もその後も暫くは仕事の関係で会うことはあっても、それだけだったが今年六月頃、ちょっとしたきっかけで、今のように毎週末をともに過ごす様になった。
 山腹の別荘とは言うが、麓の、二人が元々過ごしていた街中までは車で一時間もかからない。それでも山中の県道から簡易舗装の私道に入り、さらに少し走るとたどり着くこの別荘は、夜の暗さと星月の明るさを十分にわたしに教えてくれた。

 「ほんとにいい月」

 短く答えたあとふと思いつく。

 「ねえ、今晩は家の電灯をつけずに過ごして見ない?使って良いのは、そうね、この小さいランタンだけとか」

 「お姉さま、それLEDなんでは?」

 「まあそのくらいは多めに見て行きましょ」

 「お姉さま、能古はお風呂に入りたいのですけど」

 「じゃあ露天の方にお湯をはりましょう。せっかくの月夜だしね。何か飲むものとかあったかな」

「あの、お姉さまは既に入浴を済ませているのでは?」

 能古が何か疑問を呈しているが気にしない。

 この別荘の室内のお風呂は元々扉がついていて、外に出られる様になっていた。
 そこにデッキと簡易な囲いをつけ、浴槽とシャワー類を取り付け露天風呂としたそれは、程よい開放感をもたらしてくれる。もっとも誰の目も心配ないここは完全な開放感だってお手の物ではあるのだけれど、それはそれ、これはこれだ。

―――――――――

――糸島能古――

 お姉さまのクローゼットの一角から、わたしの寝間着を取り出すと、お風呂場の籠に積み重ね、そしていま着ている物は洗濯籠の方へ置いていく。

 ライトが小さいLEDランタンしかないのでかなり暗い。わたしがそれを持って外へと続く扉を開けると、つい先週のうだるような街なかの熱気とはまるで異なる秋の夜風が吹き込んできた。

 そして真っ暗な影を重ね揺れ動くブナやシデの林と、すぐそこに見える稜線の上に輝く月。強い風に煽られる湯面にはその光りが波打っている。

 わわわ

 いい感じね、まだそこまで寒く無いからここで体を洗ってもだいじょうぶそうね。

 とお姉さま。

 さほど大きくは無い浴槽なので先にお姉さまが浸かった上に半ば重なるようにわたしが浸かる。

 ふぅ 気持良い。 木々の葉が奏でるざわめきが湯気を飛ばしてゆく。

「じゃあちょっと洗っちゃいますね」

 夜風が程よく体を撫でてゆく。いつものソープ類でいつも通りに自身を洗ってゆく。違うのは小さなランタンと星月の瞬き。

 お姉さまも少し暑くなったのか、バスタブからは半身を揚げて、風を受け流している。

 シャワーで流す段になって、いつもは跳ねないように座っているのだけど、今日はこの暗い露天風呂で全身で月の光と、山の風と、そしてお湯のしぶきを同時に浴びよう、そう思い立ち上がってカランを捻る

 気持ちいい。

 仄かな灯りに照らされて、柔らかな泡は、文字どうり泡沫となって流れてゆく。時折強い風が吹くとシャワーの飛沫も合わせて飛び散ってゆく。 湯船から水の跳ねる音が聞こえ、そしてを姉さまの小さな、「きゃ」と言う声が葉のざわめきの間に流れていった。

 もう一度湯船に浸かる。目の前にお姉さまが縁に腰掛けて月を見上げている。なので、その、いくら小さなランタンだけで暗いとはいえ、お姉さまあのちょっといろいろとぎりぎりなので……

「綺麗ですねえ」

 口にでてしまった。 お姉さまのシルエットは一旦こっちをむいて、そのなだらかな曲線を月明かりに縁取られて、

「もう、おとちゃんったら」 と小さく呟いて。その小さな背中をわたしに重ねて来た。

 いつもは長い黒髪に隠れている首筋が、束ねて巻き上げたその髪のすぐ下に、わたしの目の前、かすかな灯りに浮かび上がる水滴を滴れせてゆく。

 梟なのか、時折「ほー、ほー」と聞こえる。わたしに背中を預けたお姉さまは目をつむっているのだろう、なにも言葉は発せず、静かにその音を身体で受けている。

 ぱきん、と乾いた音が聞こえた。山の音って言うやつかな。
 枝が一瞬揺れ、そして梟の声は闇に消えていった。

 おとちゃん、そろそろあがろうか?

 音が戻り、お姉さまが目の前で立ち上がる。

 少しの水の音と、ぱさりと髪が落ちる音。タオルを手にしたお姉さまは髪を挟むようにしばらく水気を吸わせている。

 じゃあ、お湯は抜きますね。

 そうお姉様に告げて排水のレバーを倒すと、こーっと小さな音を立て、その湯面に映る月と共に静かに消えていった。

 わたしもタオルを手に取り、小さなランタンの灯りを頼りに体を拭いてゆく。そして薄明かりの中、化粧水で整える。少し長湯だったせいか火照っている気がする。

 冷蔵庫に冷えてるよ。

 お姉様の声とともにタオルだけ身体に巻いてキッチンに向かう。冷蔵庫を開けた瞬間、少し目が眩んだ。暗闇に慣れた目を細めて炭酸水のペットボトルを2本取り出すとランタンを手に寝室に向かう。そしてそのままベッドに二人腰をかけた。

 ぷしゅと二つの音。
 ふぅっと二つの音。

 着替えをお風呂場の脱衣籠に置いてきてしまった。

 しばらくお姉様はわたしをみていたけどタオルを椅子にぱさりとかけると、そのままベッドにもすっと潜ってしまう。

 なのでわたしも同じようにする。
 ランタンのスイッチを切ると、カーテンの隙間から月明かりが差し込み、レースの影を床に落としているのに気づいた。


 明日の朝は、今日買ってきたベーコンで何を作ろうか、そう思いながら目を閉じる。


――おやすみなさい

 0

trending_up 98

 3

 2

しょうめいたん

大文字になって寝かされ、倒れるように横たわるも
煤けたランプが瞬いている 肉を刻む出口は遠い
開始を告げるアラームもまた鉄骨のした
あかりが 途切れない という 身を 投げて 死ぬ
ハンドルを握りしめ 照明や歓声はあつい幕をへだて
積みあげられた汗は泡だち 鉄柵のよう失奏する
支えよう ゆっくりと吸い込み、ヒグラシがきれる音
潮がひくように空間を描け ゆかり とどかない拍手と
 
ヨレヨレになった天鵞絨のうらて
襟をぬうように唇をかいがいしく撫で
あけ濡れたレインコートの裾 水がしたたる
すこし外した幻想として立ちあげられる
命令をきかない、駄馬の柱
おもに濁化した ささくれの肌理
陽光、眠らないから 楽譜をめぐる
キーボードに零れたコーヒーは乾かない
群れに 阻まれる 目は、濁っている
行く手とは、鼻歌だろうか
 
止まりそうになるまで、代わりに触れているブーケ
腐った、軍手を脱いだ掌は割れ、香りを含んだ口から
しろくたいらくなり、すっと頭から消えていく私
出まかせを吐く。演目は トレモロをあやつる
スポットライトがひとり、ひそやかな寝息をきかせるも
袖口に追いやられた生き物 のびためろでぃが溶け
光り。かがろうとする。虫が材木に巣食うように
咳払いひとつなぐ。暗転:軍靴ひとつが、強めます
 
ざわめく余白は海にあずける 打ち捨てた漁村の小屋
轡が食い込み、吐き気がして、せせこましい波にゆだねて

かちり、誰かが息を呑み かすかな尾をおっていくこと
ゆるり、唇が動いて 動きにぶい眠気を、瀑布のよう浴び
蝋燭の腰をおり曲げたアパートの敷居はしづみ
壁にもたれた浅瀬を、昏々と滾々と、まどかに預けて
またどこかで上演するサーカスは攫われた喝采
土の床は湿り気を帯び、藁も汚れきっていて
畳の上に域を、針ほどの理由にまた、片付けても
 
流れを堰きとめて 擦れた背景板
その隣に、人が腰をおろす
背を丸めたまま、肩が広がっては途絶える 
身じろぎすら リズムとなり
倒れかけた表紙に禽獣と近づくと
死んだようになって
立ち尽くしている ともしびが差し替える
ボタンの飛ぶ不規則なアケビの伴奏
吹き溜まりで火花が さき揺れる油膜と蹄
またこだまする かすかに耳によぎる
 
檻の影で眦をあげる人形のように
ここで私を抜け出し、見苦しそうに寝返りを打つ
浅い川に漂う。すなわち落ちてくる眩暈、勝手に軋む
ぽたり、ぽたり、泥を抱え、風が溢れていく
やわこいソファーのしぐさ。点滅、点滅、
歩く前はかがみ、イメージを振り払っては継ぎ足す
うすい縞を描くデスクで。腹を濡らし。口許も締まりなく
拭えない耳を支配する まだ体温を失わない 幻の舞台
ただ黙って。では頷き合う。それさえ、しかたないことがら

 0

trending_up 44

 2

 1

散歩。

陽が昇り、生まれてきたのに
ひねくれて、老いてゆく
実につまらん天動説だ
太陽なんぞ いくらでものぼる
大地を蹴れば陽は昇る

 0

trending_up 63

 2

 12

ママチャリ

アスファルトに(雨が
読点を打つように(降ってきましたよ
温室効果ガスを吐かない
儚い 墓ない くりーんな乗り物ママチャリ
出るのはため息とあくび
出さないのは噯
いつもかしげている小首
に跨り
描くタイヤ痕に込める誇り
が夜を導く
たましいはサドルに宿る
踏み込むペダルがせがむ
バブルガムの如くふくらます
掴むハンドルのいます
威風堂々たるちりんちりんは
流暢に音を奏でてザイオンを目指す
すると、
街灯に照らされた(雨が
鋭くとがり輝いて
わあ、私(ママチャリ

 1000

trending_up 34

 3

 2

【読者募集中】田中宏輔『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』鑑賞一例 | しろねこ社への推薦文

推薦対象

ごめんね。ハイル・ヒットラー!
by 田中宏輔

【告知】全行引用詩鑑賞の振興を願って、この推薦文の読者を募集します。報酬は予算2000コインの分配制、最低保証額200コイン。来訪者が1名なら2000コイン総取りです。コメント欄の募集要項をご覧になり、ぜひお気軽にお越しください。





●序文

田中宏輔の詩のあまたあるフォルムにも、全行引用詩ほど鑑賞しやすく言及しやすいものはあるまい。「全行が引用」という驚異の見映えに圧倒され、作中の全出典を読まなければ読解できないと思い込む読者もいるだろうが、誤解だ。これは音楽でいうサンプリング、引用が出典の重要な特徴を捉えていないことに特徴がある。でなければ著作権侵害になるのだから、そうせざるをえないともいえる。

つまり出典をまったく知らなくても自由に鑑賞できるのが、全行引用詩の特長だ。これについてはもうなん度も述べたので、今回は別の論点を採りたい。その自由な鑑賞とやらに果たしてどれほど需要があるのか、多くの読者は詩人の詩論に強いられた自由を持て余すのではないか。それを実情と仮定すれば、全行引用詩の入り口には『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』のような特例こそ好適とみなせよう。

『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』は詩誌『midnightpress』創刊号の所載*で、フォルムの意図が公表されている**、鑑賞には出典の知識がすこぶる有用である。読解が制限されるからといって、鑑賞が窮屈になるかといえば、そんなことはまったくない。それをこの鑑賞一例が実証できれば重畳だ。

*https://megalodon.jp/2025-1031-0816-27/www.midnightpress.co.jp/publish/mp/mp001.htm
**https://megalodon.jp/2025-1031-0819-40/bungoku.jp/ebbs/20180901_417_10700p



●本文

作者の自解によれば『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』は、ヒトラーの自殺に想を得たもの。1945年4月30日の午後、ヒトラーが妻エヴァとふたりきりで過ごしたはずの、最後の十分間を創作している。

>幸せかい?
>(ヘミングウェイ『エデンの園』第二部・7、沼澤洽治訳)
>
>彼【※ヒトラー】はなにげなくたずねた。
>(サキ『七番目の若鶏』中村能三訳)
>
>あと十分ある。
>(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2』第Ⅱ部・20、厚木 淳訳)
>
>なにかぼくにできることがあるかい?
>(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)
>
>彼女【※エヴァ】は
>(創世記四・一)
>
>詩句を書いた。
>(ハインツ・ピオンテク『詩作の実際』高本研一訳)

上記冒頭部の出典の題名から、この詩がヒトラーの妻エヴァをアダムの妻エヴァ(イヴ)に重ねていること、ふたりの死を失楽園に結びつけていることが読み取れる。そのような通俗的な発想に、田中宏輔の詩が収まる道理はない。

詩中のエヴァは辞世の全行引用詩を書く。それを剽窃とヒトラーが指摘すると、エヴァは引用と反論する。ヒトラーが譲歩して「きみの引用しているその海(出典は『詩の問題点』)はどこにあるんだい?」と質問すると、エヴァの返答は「お黙り、ノータリン」。ヒトラーはそれに気を悪くし発砲したという、幾重の意味で奇想天外な展開。なにより奇天烈なのは、正体不明の語り手だ。

ヒトラーがエヴァとふたりきりで迎えたはずの最期***を見届け、ふたりのやりとりを記録した者が、この詩中にはなぜか存在する。

***https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%BB

>ああ、
>(ラリイ・ニーヴン『太陽系辺境空域』小隅 黎訳)
>
>でも、ぼくは
>(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二の歌、栗田 勇訳)
>
>いったいなんのために、こんなことを書きつけるんだろう?
>(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

上記の主語「ぼく」の出典を重視すれば、この謎の語り手(記録者)の正体をマルドロールと想定できる。シュルレアリスムの代名詞「ミシンとコウモリ傘の、解剖台のうえでの偶然の出会いのように、彼は美しい!」で有名なあの堕天使だ。アダムの妻エヴァが蛇(サタン)に誑かされたように、この詩中でヒトラーの妻エヴァは、あの堕天使マルドロールに惑わされて夫を「ノータリン」となじったようだ。詩の最後に語り手が「ごめんね。ハイル・ヒットラー!」と謝罪するのはそのためと推測される。

その構造は、題名『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』の出典であるフエンテス『脱皮』のものに似ている。題名からして「一皮むけた蛇(サタン)」を寓し例の堕天使を示唆するこの小説の内容は、メキシコを旅する四人のうちのだれかを殺すために追っていると自称する語り手の盛大な虚構。語り手が事件の現場に登場しない点に特徴があるが、オチとしては現場自体が存在しない。名実ともに、この全行引用詩を題するにふさわしい出典だ。

ではヒトラーが惑わされたエヴァの辞世の全行引用詩に、いかなる『詩の問題性』が潜んでいたか、読解を試みる。

>しばしばバスに乗ってその海へ行った。
>(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)
>
>魂の風景が
>(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)
>
>思い出させる
>(エゼキエル書二一・二三)
>
>言葉でできている
>(ボルヘス『砂の本』ウンドル、篠田一士訳)
>
>海だった。
>(ジュマーク・ハイウォーター『アンパオ』第二章、金原瑞人訳)
>
>どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。
>(ユーゴー『死刑囚最後の日』一、豊島与志雄訳)
>
>ああ、海が見たい。
>(リルケ『マルテの手記』大山定一訳)
>
>いつかまた海を見にゆきたい。
>(ノサック『弟』3、中野孝次訳、句点加筆)

エヴァが書いたこの全行引用詩を、ヒトラーは「剽窃」と評しているので、その内容を出典の内容を含めて読解したのかもしれない。たとえば下記のように。

「しばしば『夢の貨幣』でバス代を払ってその海へ行った。その海はボルヘス『砂の本』の言葉でできている、エゼキエルの見た「命をもたらす川」の源である。すなわち『詩についての対話』、リルケ『マルテの手記』が没頭した読書体験、ノサック『弟』のごとき非在への希求。ちなみにノサック『弟』はこういう話だ。主人公が自分の留守中に怪死した妻の死因を探るため、現場にいたとおぼしい若い男を探しているうちに、その男を自分の弟のように思いはじめる。さらにちなみにハイウォーター『アンパオ』の双子の弟オパンアは、アンパオ自身の分身であった」

そうした読解のうえでヒトラーは、妻エヴァにこう尋ねたのかもしれない、

>きみの引用しているその
>(ディクスン・カー『絞首台の謎』7、井上一夫訳)
>
>海は
>(ゴットフリート・ベン『詩の問題性』内藤道雄訳)
>
>どこにあるんだい?
>(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

各出典の題名がヒトラーの晩年をみごと象ってみえるのも気になるが、ここでの最大の問題は『詩の問題性』であるところの「海」だ。詩中でこの語は、さまざまな出典から引用されており、その寓意を一意に定めることはできかねる。

しかし便宜上、詩中のエヴァを惑わせたとおぼしき例の堕天使『マルドロールの歌』を偏重するなら、「その海」を同一性や不変性の象徴と想定することは可能だ。「老いたる海よ、お前は同一性の象徴だ。つねにお前自身そのままだ。お前は本質的には変化しない。よし、お前の波濤がいづれの部分かで荒れ狂つてゐようとも、それより遠いべつの地帯では最も完全な静謐のなかにある」(青柳瑞穂訳)──つまり。

つまりエヴァの辞世の全行引用詩は、ヒトラーとの世紀の恋****の回顧であり、永遠の愛の誓いであったのかもしれない。そう思って読めばそう読めるのが詩というものだ。そう想定すればエヴァがヒトラーを「ノータリン」となじったのを、当然の反応とも評価できよう。

****https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3

>お黙り、ノータリン。
>(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)
>
>ヒトラーはひどく気を悪くした。
>(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳、句点加筆)
>
>彼は拳銃を抜きだし、発射した。
>(ボルヘス『砂の本』アベリーノ・アレドンド、篠田一士訳)

エヴァになじられたヒトラーは、かの女に誓った永遠の愛が「あるバレリーナとの偽りの恋」に堕したと気を悪くしたまま逝ってしまったのだろうか。エヴァの辞世の全行引用詩は「たしかに/海(永遠の愛)だった」のかもしれないのに、この悲恋は詩とその読解の宿業である。どうかエヴァの辞世の全行引用詩が、地獄でヒトラーに再読されますように。アーメン。





※この鑑賞は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解にある問題は、批評対象の問題でなく、その著作者に責任はない。

 6304

trending_up 350

 2

 20

普通じゃないと思い込む位のふつう

だから、わたしにください
普通の人間のひびのせーかつを

 1000

trending_up 15

 1

 0

海の不在

 生首の断面からしたたりおち、乾いた路面の土を濡らす液体をビルは指で触れた、体液特有の粘度――これはついさっき首が落ちたと見るよりほかはない、だがビルの車にそれらしい痕跡はなかった、ただ大木にぶつかって大きくバンパーが凹んでいるだけ――このくすんだゴールドの中型車が絶望的に誰かの首と身体を切り離したとはどうも思えなかった。それにこの人の体はどこにも見つからないのだ――それにどうしてこの人の首からしたたりおちる液体には何の色もついていないのだろうか、ビルは体液を鼻に近づけた。
 海の匂いがする、ビルは言った。ゲッドが、本当? と手で触れようとするので俺は制止した、狂うぞ? そりゃそうだ、しかしビル、君はよくこんな山奥で海の匂いなんかを思い出すことができた――でも本当に海の匂いなんだ、実際に嗅いだらお前もそうとわかるはずだよ――俺は首を振った、確かにそう言われるとどうも海の匂いが恋しいような気がしてきたが、実際に嗅ぐのはとても気味の悪いことだ――ビルは上着を脱いでその首を包むと小脇に車に乗り込んだ。そして、ゆっくりと倒木を迂回し、再び国境への道を進み出した。
 ビルの言った通りだった。程なくして車内には磯の香りが充満しだした。俺はジャングルの真っ只中を激走する車の中で、これまで見つめた無数の海の、無数の波を、無数の砕け散る音を、静かに寄せては返す音を、数え、結びつけ、体の中に広がっている空間へ広げてフェードさせた。
 すっかり海の気持ちで俺は窓の外の世界を見つめていた、乾季の終わりのジャングルに雨が降り注ぐ瞬間を想像した、世界が均等に濡れた状態は海の中とどれほど異なっているのだろうか? たくさんの海を思い出してた。世界に海は一つしか存在していないのにもかかわらず。
 覚えていることはだいたい本当に古いことばっかりで――お互い海のそばに生まれたゲッドとビルは故郷の話をしていた、二人とも南部生まれで実際同じロットゥに乗っていたかもしれないくらい地元は近いらしい、南部行きのロットゥはエカマイのバスターミナルから出発するのか? と俺が聞くと二人はゲラゲラ笑った、車で行くわけがない、鉄道か飛行機で南まで行ってそこからたくさんある小さな町の一つ一つにロットゥが走っていくんだ――そこからまたロットゥを乗り継いで、あの辺は誰も知らない村がいっぱいあるのよ、ここはジャングルだけど、向こうも大層な田舎だから、と言った。
 ビルはタバコをミネラルウォーターのペットボトルに捨てた、俺は二センチのみ残された水の中に灰が混じっていくのを眺めていた、でこぼこ道だから中の水が元気に揺れて、灰も賑やかに踊っていたが、混ざることはなかった――強い風が吹いて木々が揺れ、赤土の表面で砂埃が舞っていた。俺はビルが生首をくるんだ上着に挟まっていた木の葉を手に取った、クチクラが踊るぷるっとした鮮やかな緑、ゲッドは海の話をする。
 祖母が死んで初めてその田舎に帰ったんだけど――ゲッドの母方の実家は南部トラン県で、俺の学部でもサファというそこの出のムスリムが一人いた、その辺はアンダマン海に面していて、それこそプーケットとかクラビとかリゾートの多いところの――水は深く澄んでいる、シャム湾と違って水深があるし周囲を陸に囲まれているわけじゃない、流入河川も少ない――でも、トランのあたりは遠浅で沿岸部はマングローブに覆われている、水は澄んでおらず、マングローブで海岸は覆われている――ゲッドは昔ボート・ツアーに参加したことがあるらしいけどその時は、迷路みたいに内陸に食い込む川のような無数の海を目にしたらしい――ちなみに観光ツアーで一攫千金を狙っていたその地元業者は次第にあれこれ何もうまくいかなくって結局彼女が南部を去る時にはもう潰れて借金まみれだったらしい――私のママは体が弱かったのよ、そもそも早死の家系で有名だったらしいし――パパはいっつもバンコクの空気が悪いせいでママが病気になったって言ってたけど、別にママはトランに戻っても治らなかった――呪われてんのかしら、言っちゃえば母の実家って村じゃ金持ちだったわけ、あそこに住んでたのは小学校に入る前――家は立派だけど、クルンテープのどこを探しても近いものは見つけられないってくらいの田舎、だって入江をボート飛ばして四十分、それで大きな道に出て、そっからバスで病院へ行ってたんだから、身寄りもいない都会で夜中まで働いてる夫を待ちながら暮らすよりはいいだろうってパパは思ったんだけど医療があんましな田舎だったの、馴染みの顔がいっぱいある田舎でのびのび、都会の人は田舎をそんなふうに思ってる――俺はゲッドの生い立ちを詳しく聞いたことがなかった、彼女はそんなに英語が上手な方じゃなかったからずっとカタコトみたいな英語で喋っていたし、昔のことを聞いても笑ってへらへらジュゴンの話をするばっかりだった――でも、出会って一ヶ月、彼女は俺みたいないろんな訛りの混じった英語をよく話すようになっていたし、ダッシュボードのペットボトルの中に入っている吸い殻からは茶色いやにが沁み出してきていた、三水に心って大袈裟なとろけ方だ、俺のクラスにもトラン生まれの奴がいるぜ、そいつはムスリムで、そこの人間はみんなタイ語じゃない言語、マラユ語とか言ってたかなそういう言葉を話すって言ってた――私にもムスリマの友達はたくさんいた、みんな学校へ行く前はヒジャブをつけてないわけ、でも学校に上がるぐらいでだんだんつけ始めるの――なんだか、それが私にとってはとても美しいことで――でも、私はマラユは理解できないし話せない、母も話せない、別にマレー系のムスリム家庭じゃなくて、タイ語だったから、でも――ビルが口を挟む、活きエビを学校の帰りによく食ってたんだよな、うまかった、故郷と言って最初に思い出すのは活きエビだ――私って友達がそんなに多い方じゃなかったから、学校帰りの思い出ってそんなにないかもな、ほんとにちっちゃな村よ、タラートなんていうものもなかった、みんなタラートに魚を持っていくために日々生きてて――でも活きエビは食べたことがある、スコータイ建築をみにフィールドトリップで、ねえフィールドトリップのさ、弁当美味しくない?――ノー、あんな冷めた弁当好きなやつなんかいないよ、ビルは二本目のタバコに火をつけた――発泡スチルのボックスに入った弁当、俺はベジだからさ、ぺしゃぺしゃの鶏肉とバジルを炒めたのと目玉焼き、それってハラルだよね、その鶏肉をどけて食うの、冷たい米がうまくてさ、あとパシャパシャのバジルも最高だった――いっつもフィールドトリップは楽しみなんだよね、目玉焼きもカチカチでラブリーだし――それって多分お前が肉を食わないからだよ、肉以外の全部は俺にとっておまけみたいなもんだしさ――てか、ねえビル、聞いて、イチロウはまだエキゾチックをやってるのよ、一年この国にいるんだか知らないけれどさ、あんたはまだエキゾチックをやってる――最近お化けが怖いって誇らしげに言って、タイ人の仲間入りだ! みたいに威勢よく、でもまずいものを面白がることくらいエキゾチックってないと思うわけ、あんたはまだエキゾチックをやってる、あんたはまだ活きエビに醤油をかけて食べたことがない――それで、ゲッドはさ、何歳までトランにいたんだよ?――中等に上がる頃にバンコクに戻ったのね、でももうとっくにママは死んでた、ママが死んだのは十歳の頃だったから――ねえ、お前の母親って津波で死んだの? ビルが聞いた、津波って?――ほら、スマトラ沖地震の頃、ちょうどそのくらいだろう? ――ううん、ママは病気のおもちゃばこだったわけ、津波なんかくる前に死んでた、肺病で実家に帰ったのにさ、死んだのは腎臓がん、そんときはソンクラー県の病院に入院してた、退院した後も月に二回くらいは長いこと車に乗って通院してて、私ママと一緒に病院に行くのが好きだった――学校を休めるの、あの頃はもうお兄さんも大学で村を出てたから、私はママに甘え放題で――年上のビルを前に明るく話すゲッドは俺と一緒にいる時と違って子供みたいだった、俺の前はいくら言葉が下手になっても強い人のような顔をしているのに、今はママに甘えた話、病院でさ、検査が終わったら下の食堂で好きなものを食べさせてくれた、ばあちゃんがくれたお金が余ってるからって、ジュースも注文してね、その後スニッカーズのチョコレートを二本買って、それからバンに乗ってトランまで帰るの、帰ったらもう夜中十一時とか、すごいの、まるで私とママは別の、二人だけの世界に行ってきたみたいな気分、どうにかして村に帰ってきたみたいな、市街からボートに乗って村に向かう途中全くの暗闇の中を進むの、真っ暗も真っ暗、星が本当に綺麗、この森林の中で見る空より眩しい星々、きっとここはまだバンコクのヘイズで霞むでしょう星も、でも村に帰る道の空は本当に御伽話みたいに綺麗で、私はあの暗闇が世界と世界の繋ぎ目だと思っていたの、しばらくするとマングローブの影の隙間から私たちの村の明かりが見えてくる、電気もほとんどないような村よ、電気なんか本当に少ししかないの、それでもね、あたたかい気持ちになるの、潮風は人を含んでいて、それで、ママの家は金持ちだったから遠くから見て一番明るいわけね、私たちは本当に勇敢で、どうにかこうにかして冒険を終えてこの世界に帰ってきた、そんな誇らしい気分だった――ママのお墓は津波で流れた、死んだのは春だったもんな、葬式にはパパもきた――その時にもうクルンテープに戻るか? って、パパに聞かれたけど、私もうクルンテープがどんな場所だったかも、パパがどんな人だったかも、ほとんど覚えてなかったし、ママが好きだったから、いやだって言って、それでトランにいたの、津波が来た時は、ねえ、変なことがあったの――何?――お告げがあったの、私たちみんな村のそばの丘の上にいたの、石のブッダの洞窟がある上のヤシの木の下に百人くらいの村人がみんなでいて、津波が来るのを眺めてたの、朝だったじゃない? だから漁から帰ってきたばかりだった人たちが何人も亡くなったけれど、他はほとんど無事だったの、私たちはじっと、村が水に飲みこわれて、その水の中からぐちゃぐちゃのものが出てくるのをじっと眺めていた、そう――お墓のところにも水が増えていって、流れ去った後には何も残らなかった。
 じゃあお母さんのものは何も残ってないの?
 ううん、彼女は首飾りを外してみせた――金の車輪のチャームがついてるネックレス、鎖の後ろ側にはロケットが付いていた、そこを開けると干からびたそら豆みたいなのが入っていて、彼女はそれを誇らしげにみせた――なんだよそれ?、これママの摘出した腎臓で、手術が成功した時に記念にもらったの、つまり癌ってことね、結局間に合わなくて死んだんだけど、まあでも、これを持っているのは強いでしょ、いない人の体の一部を、今までの人生で私のことを一番愛した人の体の一部を、私はいつも肌にくっつけて、生きている、それってとても強いことだと思っていて――俺から見ればそんなのただの乾物でしかも病気の乾物、でも彼女にとっては――Anyways、悲しかっただろう、俺も小さい頃に父親を失ったから、とビルは遠い顔をした――それは悲しみというよりも安心感に近いような顔で、いまだに鬱屈としているという感じではない、煙草に火をつけた、三本目、俺の両親は元気だし離婚もしないし、ちょっと気まずい時もあるかもしれないけれどきっと普通の家族で良い方、家族がらみで惨めな顔をする瞬間はなかったし、驚くほど貧乏ってことでもない、つまり話すようなことなんか何もないし、でもヘラヘラ話を聞き出そうとするのも悪い気がして黙るしかないし、そう、地震だって津波だって俺には経験のないことで、二人のけろっと話す惨劇に俺はどんな気持ちを持ち出していいかわからなかった――ビルは津波が来た時何をしていたの――覚えていないんだ、学校にいて、帰ったら村はめちゃくちゃになっていたんだ、おばあちゃんとおじいちゃんが死んだ、でも覚えていないんだ、お葬式だってみんなと一緒にやったし、それどころじゃなかったんだ。
 人生って苦しみと悲しみの連続だと思う? 俺が出し抜けにそう尋ねると二人はほとんど同時に首を振った――でも、世界は、とゲッドが言った。でも、私たちが生きているこの世界は苦しみと悲しみの連続で――でも私自身は別に苦しくも悲しくもないな、彼女はそう言った――それじゃまるで君は世界の中にいないみたいじゃないか。

 1298

trending_up 18

 0

 0

翡翠の瞳のラベーリア 【短編Ⅰ:山間の町・マウテへ】 Ⅴ:診療開始 (仮)


 懺悔室前の廊下には、患者の待合のための椅子が列で整えられており、更に部屋の中に入ると、中の調度品や家具の配置が、昨日のそれよりも更に整えられ、診察や面談に可能な限り配慮したものへと変わっていた。

「さてと」

 ラベーリアは、自分が座る場所へと素早く移動すると、持ってきた鞄を椅子の足元へと置き、中から調剤した薬を収めた箱と用具箱、“カルテ”代わりの冊子と筆記用具を取り出して、机上に並べていく。
 更に、用具箱の中から香を焚くための道具と丸薬を取り出すと、所定の位置にそれを配置したうえで。

「『Ffllit baubo』」

 法術の「火を呼ぶ言葉」を用いて、用具内の薬皿に置いた数粒の丸薬に火をつけた。すると、すぐに一筋の煙がすうっと立ち昇り始め、部屋の中の空気の流れに乗っていく。そうして、その煙は部屋中に拡散されていった。
 彼女はそれを見て、頷く。

(空気清浄も、これで良し)

 その後に椅子に腰かけ、一つ息をついた。
 現場での用意としては、それで終わりだった。あとはマルセロ神父達が、町長や、町の住民たちへの案内を終えて戻ってくるのを待つだけである。

 すると。扉がノックされ。

「お早う御座います、ラベーリアさん。ミシェラです」

 修道女のミシェラが訪問してきた。

「入って大丈夫ですよー」

 すぐに許可を出し、入ってもらう。彼女は、お茶のカップとティーポットを載せたトレーと共に入室して、ラベーリアにお茶を提供した。

「有難う御座います。そう言えば、マルセロ神父は……」
「そうですねぇ……。お祈りの時間の直前に出られましたから、町長への報告も含めると、戻られるまでは、もう少し掛かるでしょうか。一応、診察開始の時間はお昼前くらいになるかと思います」
「分かりました。その間は、このお茶を楽しませてもらいます」
「ええ。今朝は水の質も良くて良い感じに淹れられたので、いつも以上に美味しく出来ているかと」
「それは楽しみですね。では、有難く……」
「カップは、折を見て回収しますので、飲み終わったら横の卓上にでも置いといてください。それでは私はこれで。神父様が戻られたら、また来ますね」

 そう言うと、ミシェラは部屋から退出。再び一人になった。遠くで聞こえる生活音や祈りの声を聞きつつ、静かな時を過ごしていく。
 結局、マルセロ神父が戻ってきたのは、それから二十分ぐらい後だった。

 その後、診察時の最終的な打ち合せや、患者達の誘導の仕方、町長からの伝言など、必要な事項について話し合いを行っていると、あっと言う間に診察開始予定の時間がやってきた。
 とは言え、何か特別なことがあるわけでもなく。最初の動線への誘導さえ終われば、あとは普通に診察が始まり、何も慌てるようなことは起こらない。

 一人目、酪農作業に従事する三十代半ばの男性。症状は関節痛と筋肉痛。診察の結果、直接的な負傷による痛みではなく肉体疲労の蓄積に由来する炎症であったため、法術の修復術が効かなかったようだ。問診の末、根の深い疲労の回復に役立つ薬と、疲労の蓄積を予防する薬を処方。
 二人目、同じく酪農作業に従事する二十代半ばの男性。症状は虚弱体質。診察の結果、労働環境の変化で慣れない作業が続いたことによる肉体への過負荷が原因だと判明。問診の末、慢性疲労の回復に役立つ薬と、本人の希望により精力剤を処方。
 三人目、役場に勤める二十代前半の女性。症状は目のかすみと、たまにぶり返す頭痛。診察と問診の結果、食事内容の偏りによる体質の改善が必要と判明。栄養補給のための薬と、応急処置に使える鎮痛効果のある薬を処方。
 等々、多様な患者が訪れ、そして──。

「次の方、どうぞー」
「失礼しますよ。って、おやまあ、旅人さん?」
「ああ、貴方は確か、朝の礼拝の時の……」
「来て下さった薬師さんってのは、旅人さんだったんですな。よっこいしょっと、あいたた……」

 次に部屋に入ってきたのは、朝の礼拝の時に出会った老人だった。彼は、痛みを庇うようなぎこちない動きで椅子に腰かけると、ラベーリアに向き直った。

「お名前を伺っても?」
「私はザルガと言います。どうぞ宜しく」
「宜しくお願いします。それで、その腰の痛みは、先週からでしたね?」
「うむ……。前に同じようになった時は何とかなったんだけど、今回はどうにも上手く行かなくてねぇ……」
「その時は、どのように?」
「いたた……、家に伝わってる手作りの塗り薬を使って、ええ。それを塗って後は放っておけば治ったんですがね」
「ふむふむ。その塗り薬とは?」
「そこの鞄に入れてきたんですが、ね……。青い線の入った陶器の入れ物なんですが、あいたた……!」
「ああ、私が取りますから! 無理をなさらず!」

 そう言って急ぎ立ち上がったラベーリアは、老人ザルガの持ち込んだ小さな鞄から、軟膏の入った陶器の入れ物を取り出す。

「これですね?」
「ええ、それです。中に塗り薬が入っておりますでな」
「なるほど」

 確認が取れたので、ラベーリアは再び自分の席に戻る。
 そして陶器の蓋を開けると、中には、乳白色に緑色やオレンジ色が混ざった、複数の薬草の匂いを漂わせるクリーム状の軟膏薬が入っているのが分かる。

「この匂いは、痛み止めに使われる薬草のものですね。あとは、かぶれを防ぐ効能を持つ薬草の匂いもします。確かに、これならば効果がありそうです」
「なぜ、突然に効かなくなったのか……。薬師さんなら、分かるかもと……」
「うーん……」

 ザルガの問いかけに、ラベーリアは薬の観察を始める。

(見た目だけなら特に問題は無さそうに見える。薬液の表面も滑らかだし、色見にも異常らしい異常は見当たらない。だけど、あの鎮痛効果のある薬草を混ぜている割には、あの独特な、鼻を突くような匂いが弱いな……)

 彼女は、薬を隈なく観察し、自分の薬学の知識から分かる様々な要素についての考察を行っていく。

(とすると、この場合で考えられるのは……)

 そして、一つの可能性に行きついて、観察をやめた。

「ザルガさん。この薬は手作りと仰ってましたが、作ってからどのくらい経ったか、覚えていますか?」
「作ってから?」

 考え込むザルガ。しかし、すぐに首を横に振った。

「はて? どのくらい経ったやら……」
「分からない、という事ですか?」
「すみませんな。考えたこともなかったもので……」
「なるほど」
「もしかして、そこに何か関係が!?」
「ええ。それで幾つか確認したいことがあるので、これから行う三つの質問に、分かる限りで答えてもらえますか?」
「は、はあ、分かりました」
「まず一つ目。前は何とかなったと仰いましたが、薬はどのくらいの間隔で使ってましたか?」
「えーっと……。二周日に一回くらい、ですな。ここ最近は一周日に一、二回くらいになってましたが」
「分かりました。では二つ目。薬の効き目は、使うたびに悪くなっていましたか?」
「えっ!? あ、思い返してみれば確かに……!」
「有難う御座います。では最後です。この薬の匂いは、作りたてもこのような匂いなんですか?」
「……うーん、どうだろうねぇ。初めよりは薄くなったようなそうでもないような?」
「有難う御座います。質問は以上です。原因も分かりました。劣化です」
「劣化?」
「ええ。薬は、時間が経つことにより、混ぜあわせた薬の有効な成分が劣化、つまり効能が弱くなったり、効能が無くなったりすることがあるんです。使う回数が増えたのも、そこに関係があるように思います」
「じゃ、じゃあ、その薬はもう?」
「はい。使うにも、新しく作り直した方がいいと思います。場合によっては害になることもありますから……」
「そう、ですか」
「なので、今から私が処方する薬を使って症状を治めつつ、この塗り薬を作り直すことを強く、強ーくお勧めしておきます」
「……分かりました。そうします」
「では、今日は三回分の薬をお渡しします。効能自体はこの塗り薬と似たようなものですが、布に塗って痛いところに貼ることによって、強い効果を長く発揮させることが出来ます。ですので、その薬が効いている内に、この塗り薬を新調してください」

 そう言いながらラベーリアは、軟膏薬の入った陶器の入れ物をザルガの鞄の中に返却し、ついでに、自分が調剤した塗り薬とその使い方を書いた紙切れを彼に持たせた。

「今回の診察は以上になりますが、何か質問はありますか?」
「いや、大丈夫だよ」
「分かりました。では、お大事になさってくださいね」
「有難うねぇ。また宜しく」

 そう言うとザルガは、やはりぎこちなく部屋から退出していった。

 そこからも複数人の診察が行われ、この日は、最終的に十人の診療が行われたのだった。

 0

trending_up 62

 3

 5

田伏正雄の成分

サプリメントを選んでいる妙齢の女性の
横を通り過ぎる。
ここのところ、
目が乾燥して仕方ないので、
仕事帰りに
目薬を求めてドラッグストアにきたのだ。

「ヨッコラショーイチ」

田伏正雄は、振り向く。
確かにそう聞こえたからだ。
ちょっと笑ってしまう。

先ほど、サプリメントを選んでいた女性が、
中腰の姿勢で、こちらを見ていて
バチリっと、視線と視線がぶつかり合う。
「あ、ああ、、」
聞こえてしまいましたか?と口にしなくても
赤面しているその様が、すべてを明白にしている。
「た、た、たぶっちゃん?!!」
女性が大きな声で、こちらを指さす。
「えええ、えー!えっ!
えっちゃーーーん!!」
そう、なんと、小学生のときの同級生だったのである。1年1組 苗字は忘れた。
「えっちゃん」だった。
その手には、「鉄分」と「マルチビタミン」ふたつのサプリメントがしっかりと握られていた。

「ふふふ」
「お互いに歳を取ったねぇ、えっちゃん。」
「あの頃から、何年って指折り数えるの馬鹿らしいわ。指が足りないもの。」
「もはや、両手両足でも、たりな、、」
えっちゃんがバシっと、背中を叩き、
「それ以上言わないでよー、わたしはちっとも、変わらないんだからぁ。
まぁ、、さ、出番は減ったかなあ、、
時代が時代だからさあ」
目薬は買わず、えっちゃんがサプリメントを購入するのを待ち、「なんとなく」一緒に、店を出た。
「たぶっちゃんはさぁ、わたしのこと、
たぶん好きだったよねぇ」
えっちゃんが好きだった、、のだろうか。
初恋は忘れられないというが、
もう、何十年も前、「一昔、二昔」くらい前だからなのかえっちゃんについて思い出せるのは、
えっちゃんという名前くらいだった。
「何回も、何回も、よんでくれたよねえ。
大きな声でさ、、えっちゃーんってさ、
恥ずかしがりやだからさ、みんなの前で
大きな声出すは苦手だったよねぇ。
見かけに似合わずさ、緊張で大きな身体震わせてたよね、なつかしい」
ふーむ。えっちゃんは、どうしてだか、しっかりと、小学1年生の田伏正雄を記憶しているようだ。
「うーん、たぶっちゃん。その顔はまだ思い出せていないんだよね、そりゃそーか!」
えっちゃんは、ガハガハ笑う。
2人は、いつの間にか、海の近くの公園まで
ふらふら歩いてきてしまっていたらしい。
何気なく、ベンチにすわる。
「ふふふ、わたしは、田伏正雄をしっている。
田伏正雄の成分の中に、わたしはいるよ。
小学1年生、小学生になって初めて手にしたこくごの教科書!1番最初に出会った女の子は、わたし。えっちゃん!田伏正雄の初めての女の子!」

えっちゃんが叫んだとき、
ばちぃんとナニかが弾けた音がしたあと、
田伏正雄は、後ろにひっくり返った。
えっちゃんは、消えた。
田伏正雄の手に
鉄分、マルチビタミンのサプリメントを
残して。
あれは、なんだったのか、
夢だったのか、10月31日。
ハロウィンの。

田伏正雄は考える。そうそう、あれは、「文学」との初めての出会いで、主人公だった「えっちゃん」は、確か、、記憶が正しければ、シロクマや、いろんな動物と協力しながら、「おいしいサラダ」を作っていたはずで、、、なくてはならぬ田伏正雄の成分だ。田伏正雄は、今、もう一度、えっちゃんに会えないか、、と考えている。
だって妙齢のえっちゃんは、きっと、
「イライラ」していて、「吹き出物」や、「慢性的な疲れ」に悩んでいるに違いないから。
それに、近年の、「クマ騒動」にも、胸を痛めているに違いないから。

田伏正雄、えっちゃんに伝えたいことだらけだ。
最近、とある界隈で、プチバズしてること。
田伏正雄文学が広まりつつあること、
「おーーい、えっちゃーーーん」

たまらず海に叫ぶのであった。

 150

trending_up 63

 4

 8

翡翠の瞳のラベーリア 【短編Ⅰ:山間の町 マウテへ】 Ⅰ:向かう道中のこと (仮)

 こことは違う場所の、古の時代。今見えている世界の全ては神々と精霊たちによって運行され、全ての生命が、彼らのもたらす恩恵と大いなる破壊の繰り返しの中で生きていると、固く信仰されていた頃。
 そのような超常の者の支配下にあるとされる世界の人々には、しかし、相応に活力があり、明日へと歩こうとする生命力に満ちていていた。
 さらに世界には、彼ら超常の者の力を借り受けたり、彼らの言語を模した呪文を口にすることでそれに近しいことが出来る技、通称「法術」が存在しており、その修得者達が、建築、医療、交通などの多方面の分野にて力を発揮していた。

 これから語る一人の若い女性も、その貴重な使い手であり専門家でもあるのだが。

「クスブリソウと、キマワシソウと、ミタシギの実と……。うん。質も良いから、これだけあれば十分かしらね」

 彼女は、薬草売りらしき商人の男から何やら様々な種類の薬草を購入しており、それぞれを鞄の専用のポケットへと収納している。
 それらを一つずつ確認していった彼女は、目の前の薬草売りに向けてにっこりと笑みを向けた。その特徴的な、透き通るような翡翠色の瞳が、外の光を光源として煌めく。

「いつも良い品を有難う御座います。これ、お代です」
「銀貨が十枚。はい、確かに頂戴しました。いや何の何の。毎度毎度多くの商品を買ってくださる上客のためならば、いくらでも。またのお越しをお待ちしています。ラベーリアさん」
「ええ。またそのうちに」

 互いに礼を交すと、ラベーリアと呼ばれた若い女性は外へと向かい、いずこかへと歩き始めた。しばらく行き先を見ていると、他の建物よりも広大な敷地と建物を持つ場所へと向かっているようだった。
 その建物の周囲を見ると、二頭立ての馬車や、ワシの頭と翼に獅子の身体を持つ魔獣グリフォンなどが幾つも留まっており、それらの近くには御者や騎手らしき人がついている。それらを見るに、そこはどうやら馬車などの停まる停留所らしかった。その証拠に建物への人の出入りが多く、いずれもが旅人や行商人のような、移動の足を必要とする者たちばかりである。

 ラベーリアは、それら人混みを器用に避けつつ建物の方へと近付いていく。中からは何人もの人が話し合う声が聞こえている。
 そのまま彼女は中に入ると、真っ直ぐに「利用者窓口」の表札が掛かっている場所へと向かった。

「こんにちは。利用者の順番待ち登録、大丈夫ですか?」

 そして窓口を預かっている女性の事務員へと声を掛けて、用件を伝える。彼女は挨拶を返すと、すぐに手元にある冊子を開いて、そこに書かれている文字列を素早く確認していく。
 それからすぐに頷くと、彼女は窓口担当として相応しい微笑みをラベーリアに向けた。

「はい、大丈夫ですよ。ただ入れ替わりの時間がありますので、出発は一周時後になりますが……」
「お願いします」
「分かりました。では、こちらにお名前と、行き先の記入をお願いしますね」

 そう言って事務員から差し出された冊子と筆で、ラベーリアは自分の名前と行き先を記入、しかる後に返却する。

「はい、確かに承りました。では、一周時の十刻前には、こちらにお越しくださいね」
「了解です」

 そうして事務手続きを終えたラベーリアは、荷物と共に近くのベンチへと向かって腰かけ、鞄から小さな冊子を取り出して広げる。

「……さて」

 そのままパラパラとめくっていき、とあるページで止める。
 そこには、何者かの名前と共に病名が書かれており、更には薬品らしき物の名前とその処方の内容までもが併記されている。
 いわゆる“カルテ”と呼ばれる代物だった。

(皆さん、お元気にされているでしょうか)

 冊子に書かれている内容に目を通しながら、ラベーリアはそのようなことを考えているのだった。

 それから、やり残した事などないように確認を済ませた後で、窓口で言われたとおりに一周時ほどを待った後。

 輸送の予約していた馬車に乗ったラベーリアは、目的地として定めていた山間の町を目指して移動していた。
 その道中には、旅慣れていなければ思わず通行を躊躇ってしまうような深い森があり、人伝に聞く噂によれば、その森は精霊の影響が濃いゆえに深くなったらしく、そう言った場所を好む存在をよく見かける危険な場所だそうだった。だが噂とは裏腹に、彼女の旅路は、そのような場所を通過しているとは思えないくらいに穏やかなもので、いっそ長閑とさえ言えるほどだった。
 それらの事実が、彼女の乗っている馬車を扱う御者が優れた技量と危機回避の直感を併せ持っていることを彼女に伝えてくれていた。

(ここまで穏やかなら、私が戦いに出る必要もなさそうだし、今のうちに必要になることが分かってる薬を仕分けておこうか。幸い、時間はたっぷりあるし)

 車内から外の様子を観察していた彼女は、他の乗客が居ないことを利用し、鞄の中の荷物を取り出して整頓を始める。
 特に雑音もなく静かに取り出されたものが、ちょっとした小物置き用として備え付けられているらしい卓上に並べられていく。
 丸薬が収められた頑丈な小瓶が十数種類。薬を包む際に使う薬包紙の束。患者の情報が収められた小冊子など。いずれも商売道具の数々である。

(取り敢えず、依頼書で分かっている範囲だと、滋養の薬。鼻の病を抑える薬。お腹のむかつきを抑える薬。眠り薬。咳を止める薬……)

 彼女は小冊子を開いてペラペラとページをめくり、必要な情報を拾いつつ小瓶の配置を揃えて、鞄の取り出しやすい位置へと戻していく。もちろん、丸薬を包む薬包紙も、それぞれの小瓶の横に必要と解っている分を束から仕分けて差し込んでいく。
 そのような作業を繰り返すこと数回ほど。さして問題もなく、滞りなく全ての仕分けが終わった。もちろん使わなかったものも、元の位置へきっちりと仕舞い込む。

(こんなところかな。よし、あとは現地入りしてからだ。別件が出てくる可能性もあるし、そう言うことも考えておかないと)

 ラベーリアは、椅子へと身体を預けて一息つきながら窓の外へと目を向ける。
 すると、陽の光に由来する光源が、わずかながら車内に射しこんできているのが分かる。どうやら彼女が作業をしている内に、森の深さが幾分か解消されたようであった。抜けるにはまだ時間が掛かりそうな様子ではあったが、少なくとも大きな危険は無いように思われた。

「さて……」

 それを半ば確信したラベーリアは、一つ頷くと、鞄の横に付けていた柔らかそうな布の塊を取ってから、荷物を端に寄せて、簡易的な物理的な固定を施していく。

「FH khotbon rakh zuhde……」

 更に彼女は、早口で何事かの言語を唱えながら、鞄を指先でなぞっていく。すると、鞄全体に薄く淡い光が広がって、すぐに消えた。それは法術による防犯用の呪文だった。
 そうして。

「……よし」

 そのまま布の塊を枕のようにして、何処からともなく取り出した一冊の本を手に、読書を開始するのだった。

 それから、しばらくした後のこと。
 幸せな読書を終えたラベーリアは、その後に軽く仮眠を取っていた。眠りは浅いようで、少し身じろぎしている。
 すると、御者席の小窓が開く音が聴こえた。

「お客さん、お待たせしました。そろそろ着きますので、降りる準備をお願いします!」
「んえ……? ああ、はい。分っかりましたー」

 次いで聞こえた御者の声を聴き、眠りから覚めたラベーリアが応える。
 彼女は仮眠で縮んだ身体を大きく伸ばすと、肩を回したり足を動かしたり、軽くストレッチしていく。

「うーんっ! よしっ! 起きた!」

 そして最後に、自分の身体に言い聞かせるように声を上げると、窓の外へと目を向けた。森は既に抜けており、疎らな木々と、広大な土地とが広がっている事が分かる。
 そして、少し離れたところに、山間に特有の勾配のある地形を上手く生かして築かれた、石造りの家並みが見えた。加えて、それらの付近には無数の牛たちが放牧されている様子も見えており、山地で酪農を営んでいるらしいことが伺えた。

「長閑で良い風景だなぁ。あの町。今回も楽しみだ」

 見えてきたその風景に、ラベーリアが微笑む。
 こうして彼女は、山間の町「マウテ」に到着したのだった。

 0

trending_up 132

 2

 5

翡翠の瞳のラベーリア (序)

 こことは違う遥か古の時代。目に見えている全ては神々と精霊によって運行されており、それらの力によって全ての生命は見守られていると、固く信奉されている世界があった。
 この世界に運命的に生まれ落ちた人々は、神々の如き力を持つ大自然から日々もたらされる恩恵への感謝と、ときおり巡りくる大いなる破壊への畏怖の中で、逞しく、力強く生きていた。

 そんな世界の、とある小さな町にある教会の一室にて。
 二人の人が対面で話をしている。一人は年季の深そうな顔の老婆で、もう一人は、透き通るような翡翠色の瞳が特徴的な、ローブを纏った若い女性だった。
 老婆は、にこにこと微笑んでおり、何やらローブの女性に感謝しているようだった。

「有難う御座います、薬師様。作ってもらった薬のおかげで、長年悩まされてきた腰痛が改善してきましたよ」
「ああ、それは良かった。あれから、お変わりはありませんか?」
「ええ。ええ。とても良いですよ。腰どころか肩こりも良くなってきましてねぇ」
「ふむふむ。なるほど……」

 椅子に腰かけているローブ姿の若い女性は、老婆の話に耳を傾けながら、手近の机に広げている二冊の小さな書物に何事かを書き込んでいく。

「お聞きしている限りでは、しっかりと改善してきていますね。この調子で服薬を続けていけば、完治も近いでしょう」
「おお。なら、薬も減らしていけるかねぇ」
「んー、そうですね。飲む量は減ってくると思います。ただ、体の中から整えていくものなので、もうしばらくは飲まないと」
「そうなのかい。大変なんだねぇ。だけど、この痛みとおさらば出来るなら頑張るよ」
「その意気です。今からお渡しする薬もしっかりと飲んで、栄養も取ってくださいね」

 そう言うとローブの女性は、足元に置いていた鞄の中から丸薬の入った瓶と手製の薬包紙を取り出して、何錠かを包んだものを複数個、老婆へと差し出した。それを丁寧に受け取った老婆は嬉しそうに笑みを浮かべて立ち上がると、ゆっくりと女性へと近付き、数枚の銅貨を手渡した。
 女性は、受け取った銅貨を確かめると、しっかりと頷いて見せる。

「お代、確かに頂戴しました。ちなみに飲む回数と量は前と変わらず、三日おきに、二錠を、お昼ご飯の時に飲んでください。追加の分は神父様にお渡ししておきますので、代金ともども、宜しくお願いします。どうぞお大事に」

 そのまま部屋を退出していく老婆を見送った女性は、机の上の書物に追加で何かを書き込むと、手早く片づけを始めた。どうやら全ての業務が終わったらしい。
 すると、部屋の扉が静かにノックされ。

「私です。神父のラッセルです」

 扉の向こうから、落ち着いた男性の声が届いた。声の主は、神父のラッセルと名乗っている。

「どうぞ。ちょうど患者さんが帰られたところですので」

 声に応じる形で女性がそう言うと、ガチャッと言う音と共に扉が開かれ、向こう側から、信仰への敬虔さが雰囲気として感じられる初老の神父が姿を現した。手には、湯気の立っているティーカップが乗せられたトレーを持っている。

「お仕事、お疲れ様です。ラベーリアさん。宜しければ、こちらをどうぞ」

 彼はそう言うと、ラベーリアの方へと近付き、片付いた机の上にティーカップを置いた。中には鮮やかなオレンジ色の見事な紅茶が注がれている事が分かる。
 彼女は、それを好ましそうに眺めると、神父ラッセルに向けて一礼して見せた。

「有難う御座います。全部の片付けが済んだ後で、ゆっくりと頂きますね。あー、そうだ。後で、患者さんに追加で渡す分のお薬と内訳と分量表をお渡ししますから、いつも通りにお願いします」
「承知しました。それはそうと。いかがでしたか? 皆さんの様子は」
「特に、問題は何も。皆が順調に日々を生きていることが分かるくらいには、平穏そのものでしたよ。大きな怪我をしてもすぐに神父様が治してくださるから安心だ、と仰ってる男性も居られましたし」

 片付けを継続しながらラベーリアがそう伝えると、ラッセルは半分呆れたように苦笑を浮かべ、軽く溜め息を吐いて見せた。

「いやはや、まったく。私としては無茶はしないで頂きたいんですけどもね。確かに、原因の分かり易い負傷であれば法術で治せはします。ですが、神ならぬ身で我らが使う法術は、当然ながら万能ではない。体力や失った血などの回復は、結局は怪我をした当人の生命力頼りになりますから。ラベーリアさんも、よく御存じかと思います」
「そうですね。私も法術は扱えますが、薬師という仕事が各地で重用されているのは、そう言う法術の隙間を補うためですから」
「本当に助かっていますよ。前に教えて頂いた滋養の薬、あれは効果てきめんでした。きっとこれからも役立つことでしょう」
「それは良かった。今後とも、相互に協力していきましょう」
「有難う御座います。こちらこそ宜しくお願い致します」
「……と言うことで、先の言葉は、我々に対する信頼ゆえの冗談、と、そう考えられてはいかがでしょう?」
「はは、そうですね。そう言うことにしておきましょうか」
「お互い、前向きに考えていきましょう」

 ラベーリアはそう言うと、ラッセルと共に笑い声を上げ、同時に、片付けるべき全ての道具の片付けを終えた。
 そして彼女は、改めてラッセルの方へと向き直る。

「と言うことで、前向きついでに明日以降の話を始めましょうか。紅茶を頂きつつになりますが」
「良いんですか? お疲れでしょうに」
「こう言うことは、早めに終わらせておきたいんですよ。伝え忘れがあっては大変ですから」
「なるほど。そう言うものですか。では伺いましょう」
「有難う御座います。それではまず、先程のダーナさんからですが……。彼女は、お薬の種類と量が変わります。頻度は変わりません。三日おき、昼食時に二錠ずつ。これを一周月続けさせてください。次に──」

 そうして次々に必要事項がラッセルへと伝えられ、情報の共有と、何度かの質疑応答が行われていく。
 それを繰り返すこと、三十分ほど。

「以上です。いつも通り、そこに置かれている冊子にお話した事は書き留めてありますので、思い出せない時などにお使い下さい。予備薬は、そこの木箱に入れてあります」

 ここまで続けざまに話したラベーリアは、紅茶の最後の一口を飲み干すと、ゆっくり息を吐いて。

「あと……」
「はい、何でしょう?」
「紅茶、ごちそうさまでした。美味しかったです」

 彼女がそう伝えると、ラッセルはにっこりと微笑むのだった。

 こうして人々は今日を生きていく。恐らく、明日より後も。

 0

trending_up 108

 2

 4

The circle of the unconscious

BMW M5。その後方には、護衛車両数台が統率されたフォーメーションを保っていた。
「何だ? あのバイク、フルチューンか? いい音をさせている。」助手席の朝倉が呟いた。
道路のわずか数百メートル前方、ドゥカティ・パニガーレV4が、先行する一般車の間を縫って、軽やかに車線変更を繰り返す。その車体は、通常仕様ではない。カウルはドライカーボンで全身が武装され、標準の216馬力を遥かに超える力を秘めたデスモセディチV4のECUは、公道のルールを無視して完全に解放されている。エキゾーストから響く高周波の絶叫は、触媒を失ったフルチタン製レーシングシステムが、その真の力を誇示する咆哮だった。
パニガーレは、突然、まるで待ち構えていたかのように速度を緩め、M5の車列の前に躍り出た。ライダーは左手を軽く上げ、ヘルメットのシールド越しに、一瞬だけM5を振り返る。それは、冷笑的な笑みを隠した挑戦状だった。
次の瞬間、パニガーレのテールランプが爆発的に遠のいた。V4エンジンが、官能的な金属音を立てて高回転域に達する。
「何だ? 面白い奴だな。どうする?」朝倉が、手元のキューブを回転させながら呟く。
「腕に自信があるみたいだね、お灸を据えてあげないと。」レオナルドがアクセルを踏み出した。
M5のエンジンが地鳴りのように咆哮し、車体は質量と速度を兼ね備えた「弾丸」のように加速する。市街地のトラフィックは、彼らにとって乗り越えるべき「迷路」だった。
パニガーレは、その軽量さと機動力を最大限に活かし、車と車の間に存在する「刹那の空間」を通過していく。それは、周囲の交通を完璧に読み切り、寸分の狂いもないライン取りで、まるで優雅な舞踏のように車列を抜けていく動き。
追うM5は、その重厚なパワーと、卓越した足回りで応戦する。レオナルドは、他の車両との安全な距離を保ちながらも、極限までアペックスを攻める。彼のドライビングは、周囲の車を巻き込むことなく、しかし見る者を戦慄させる「精度の暴力」だった。M5は、他の車の流れを断ち切るように、圧倒的な加速力とブレーキ性能で、バイクの残像を追いかける。
「ああ、ヤッテルな。良いラインだ! 」朝倉は、手元のマスターゴーストキューブを完成させて楽しんでいる様子で歓声を上げた。彼の目は、獲物を追うハンターのそれだ。
パニガーレが、交差点の信号が青に変わる一瞬を捉え、右折レーンの車群を横切り、首都高速へのランプウェイへと向かう。M5は、他の車両が反応する間もない速度で、バイクの航跡にねじ込む。護衛のSUV群も、シームレスな隊列を維持したまま、その背後を追う。彼らの車列は、都市の喧騒の中で、異様な「夜の軍団」の様相を呈していた。
料金所を過ぎた先、首都高速の直線区間。
バイクは、まるで重力を知らないかのように、M5との距離を広げていく。M5は時速200kmを超える速度で追走するが、パニガーレとの差は一向に縮まらない。
「規制解除しているな。さすがに排気量のアドバンテージを潰されるか。」レオナルドが、冷静な声でM5のステアリングを握りしめた。彼の瞳の中にモニターが映り込む。
朝倉は、完成させたキューブを助手席のトレイに置き、身を乗り出した。
「コンフォート設定を切れ、レオナルド。『Mモード』で応える。」
レオナルドは、センターコンソールのボタンを操作した。車載システムが唸り、M5の車体が一瞬沈み込む。サスペンションが最もハードな設定へ切り替わり、エンジンマッピングが全開のレスポンスへと変貌した。
S63 V8ツインターボが、再び地を揺るがすような咆哮を上げる。M5は、それまでの加速をさらに上乗せするように、猛烈なトルクでパニガーレの影に迫り始めた。速度計の針が、250km/h、そして280km/hに跳ね上がる。
「縮まってきたぞ!」朝倉はスマホで何かの計算をしている。
しかし、パニガーレのライダーは、冷静だった。彼は、一瞬だけ車体を左右にブレさせ、後方のM5を確認すると、即座にさらなる加速に入った。
ドゥカティ V4エンジンが、まるで空気を切り裂くような高周波の絶叫を上げる。その音は、まるでレーシングカーのソレだ。M5が縮めたはずの距離が、再びじりじりと開き始める。
「軽さには勝てないか。」レオナルドが呟く。
その時、前方にタイトな連続カーブが差し掛かる。
「ここからがM5の領域だ」レオナルドは、即座にブレーキングを開始した。カーボンセラミックブレーキが、M5の巨大な質量を瞬時に、しかしスムーズに制御する。
レオナルドはM5の限界性能を引き出し、タイヤが叫び声を上げるほどのG(重力)を車体にかけた。M5は、路面に張り付くかのようなスタビリティで、カーブのイン側へと鋭くねじ込んでいく。
しかし、パニガーレのライダーは、バンク角を極限まで深くし、車体を路面に吸い付かせた。ハイグリップタイヤと専用にセットアップされたサスペンションが、そのコーナリングを支える。それは、人間が扱う乗り物の限界を超えており、まるで遠心力そのものをねじ伏せているかのようだった。パニガーレは、カーブの中でさらに加速するという、M5には不可能な挙動で、依然としてリードを保った。
そして、ライダーは、まるで計算され尽くしたフィナーレのように、高速道路の側壁に近づいた。彼は、一瞬もためらわず、その段差を蹴ってジャンプを敢行したのだ。
「マジかよ!」朝倉の驚愕の声が、キャビンに木霊する。それは、敗北の叫びではなく、ありえない光景に対する純粋な興奮だった。
M5のハイビームが捉えたのは、夜空を切り裂くカーボンブラックの塊。パニガーレV4は、物理法則を冒涜するかのように、首都高の壁を乗り越え、約5mの高低差をものともせず、下の一般道へと無傷で着地した。
タイヤがアスファルトを叩く鈍い音が、高速道路の静寂に響く。ライダーは振り返ることを良しとせず、そのまま夜の闇の奥深くへと消えていった。
M5は、カーブを曲がりきり、急ブレーキで速度を落とした。朝倉とレオナルドの目に映ったのは、無人の一般道へと続く、漆黒のドゥカティのテールランプの残像だけだった。
「おもろ!」朝倉は呟いた。
「Nシステム使って追い詰める?」レオナルドが尋ねる。
「いや、やめとこう。遊びだよ、遊び。何だか面白くなってきたな。どうしたんだ、トーキョー」
朝倉美鶴は夜の先を見つめる。

 0

trending_up 17

 0

 0

CWS怪談会 黒い魚

 この地方には補陀落渡海という捨身の行がある。
補陀落とは仏教における理想郷のことである。
補陀落渡海とは表向きはその補陀落を目指して舟で旅に出ることであったが、実態としては箱の中に僧侶を詰めて舟にくくりつけ死出の旅路へと送り出す即身仏の一種であった。
十六世紀、室町時代から安土桃山時代にかけて、もっと雑に言えば戦国時代にこの補陀落渡海は一種の流行になった。
増えすぎた僧侶の口減らしという実利的側面と、村人達の往生の祈願をかなえるための人身御供としての宗教的側面が、この熱狂を支えていた。
ある時、補陀落渡海に出た僧侶が飢えと渇きに耐えかね、箱を壊して戻ってきてしまうという事件があった。
村人達は困ってしまった。
僧侶が補陀落を目指して死ぬからこそ、村人達は往生できるのである。
戻ってこられてはその願いが叶わない。
村人達は僧侶を歓待して安心させると、夜陰に乗じてこれを襲い、総身の骨を打ち砕いた。
そうして半死半生の僧侶を箱に押し込めると、再び舟に乗せて送り出した。
それからである、当地においてこの黒い魚がとれるようになったのは。
そのどす黒い魚体をみて、あのお坊さまが祟ったのだと、人々は恐れ慄き忌み嫌った。

「はい。その黒い魚がこのスミヤキという魚にございます。全身がトロとも言われるこのスミヤキのお造り、どうぞご賞味くださいませ」

「女将さん、今のは食べる前に聞かせるような話じゃなくないか」

 400

trending_up 123

 3

 8

エル・コロソ

 その巨大生物はいつしか「田伏正雄」と呼ばれていた。
陸海空の兵器をものともせずに街を蹂躙する巨大な生物。
身長100mの小汚い全裸中年男性といった風情のその生物は、CWSなる文芸投稿サイトのマスコットキャラクターに確かに似ていた。
われわれ特高は手がかりを得るべく、CWS関係者に石抱きや鞭打ちといったあらゆる拷問を加えて証言を取った。


◇詩人Aの証言

特高:田伏正雄とはなにか。

詩人A:それがわからないんです。わかっている人いたのかな。ひょっとして運営もよくわかってなかったんじゃないかな。

特高:(石を増やしながら)サイトのマスコットが登録者にわからないことなどありえるのか。

詩人A:あったんだからしょうがないじゃないですか。でも、運営もそのわけがわからない田伏正雄を推すし、場の雰囲気に呑まれていたところはありますよ、正直。詩人の私たちもわからないんだから、あのラノベとかいうものを投稿してるWeb作家の連中なんかもっと面食らってたんじゃないかな。

◇作家Bの証言

特高:田伏正雄文学とはなにか。

作家B:踏み絵。

特高:(電流を強めながら)曖昧な表現をするな。

作家B:ツッ……ある種の内輪ノリ、あえて詩的でも美的でもない小汚い全裸中年男性をマスコットにし、それに関連する作品を投稿させることで、これを許容できるコアなメンバーとそれ以外を選別する目的があった。そう俺は見ている。そうでないなら、よくわからない。

特高:なぜ選別の必要があった。

作家B:CWSは特異な投稿サイトだ。文芸サイトと銘打ちながら、実質は詩の投稿サイトとして始まった。ところが運営は出版事業まで踏み込みたいのでサイトの拡大をしたい。そこに俺のような逸れ者の作家が目をつけた。手垢のついてないサイトのほうが良い空気が吸えるからな。俺は何人かの作家に声をかけて一緒に参加した。

特高:続けろ。

作家B:ある作家が主導するコンテストをきっかけにCWSには大量にWeb作家が流入した。サイトは狙い通り拡大した。だが、Web作家たちの多くはサイトの毛色にあわないラノベを投稿しつづけた。詩人はラノベがわからないし、Web作家は詩がわからない。塞外から呼び寄せた北方異民族が中華の作法に合わせないまま居座る、そんな状況になった。まあ、拡大と引き換えの混乱とも言えるがね。

特高:それで踏み絵が必要になった。

作家B:運営がCWSへの一種の忠誠の証を求めた、そう踏んでいるね、踏み絵だけに。

特高:(無言で電流を上げる)

作家B:イツツツッ、まあもう今となっては過ぎた話さ。俺を痛めつけても田伏正雄が巨大な姿で実体化した理由はわからんし、もう何もかも終わるんだろ、どうせ。


 山々のごときビルの陰から田伏正雄がその巨体をあらわした。
その姿はフランシスコ・デ・ゴヤの「巨人」という絵画を思わせた。
私ははじめて田伏正雄に詩と美を感じたことに驚いた。
某国の発射した複数のICBMが空を切り裂いてやってきた。

 600

trending_up 143

 5

 11

骨を囓るなんて妄想

10月31日
なんの前触れもなく
突然届いたメール
「あなた、長男でしょ。
土地は欲しいですか?」
兄は驚いて、
スクリーンショットをして
家族のグループラインに
それを送ってきた

生き別れたままでいい
関わりたくない
そんな父の親族からのメール
母は戸惑いながらも
「そんな年齢になったってこと。
避けては通れぬ問題よ」と
「これはチャンス」とばかりに
自分の「終活」の話を語り始める始末

「お父さんのお葬式についても、、、」
と冒頭でそこからは読み勧めずに
ぐーぐる先生に 言葉を打ち込む

「親の骨」 
予測変換が先読みしてくれて
くしゃみみたいな拍手がでる
「親の骨 いらない」

0火葬などという知識まで添えてくれる

いいかい?骨を囓るなんて妄想だ

4月8日亡くなった愛犬の骨つぼ抱いて
未だに泣く日があるというのに、、

おかしいかい?こんなことかいたら
薄情だとか、
「いろんな状況にある読者の気持ち」
考えていますか?と
言われるかもしれないけれど

書かずにはいられない 幼きわたし

親の骨 いらない 
予測ワード1位に助けられた夜

 0

trending_up 49

 1

 4

朝をとじこめる

目をつぶり、握っている
握っていると安心する
こころはまもられて
面に膜が張って、そのうえに置かれている
遠くに炭が燃えていて
じっじっ、と空気をふるわせている
目を閉じると、蚕にもなれます
鳥にもなれます
鳥は明け方、もう起きていて
追いかけっこをしています
隣にいないひとがいて、安心
煙がはしごをのぼっていく
道行く人を上から眺める
あなたたちは、虫になれる
マネキンが手を広げている
飲み終わったジュースがたくさん
肌を撫でて登ります
電線を綱渡りするねこ
ねこねこねこからすねこ
ダストシュートで放り出される鳩
はとはとはとドブいろ
すぽんと丸まります
握っていると、金属のやさしさ
奥歯の痛みもわすれてしまう
自販機で古代エビを買う
湯をかけて三分まつ
はつらつとした新代エビになる
冷蔵庫のブーンという音に
鼓動が眠っており
目なしであやとりをする
迫る、ウォーター、迫る
 感センサーで、照らされるパイロン
卓上の石に
額を預ける
曲がったビル
手をかけて登る
手には古代インクがあります
溝に沿って並ぶので

とまではいかないものの
室外機に回される犬
がサモエドだった場合。
石を数珠繋ぎにしてマントを編んだとき
ガソリンスタンドでは
円周率が洗車されていた
かすかに苺の気配があり
それは予備校に漸近していく
粒になって吐き出された
すべて煙で説明できてしまったら
太極拳体操が湯気をつめたく持ち帰り
南極にとじこめた
ここからさらにとじこめていく所存
だからPARTYとはおそれいった
鳥の形と相似形をなし
二階にハンバーガーが運ばれ
名前をつけていくことだけが
抵抗だとすれば
朱鷺色平茸として
ドーナツにもドードーが宿るはずで
新たに発見されるいくつもの
反射鏡、装いあらたに
葉で隠すとよい
すべての災厄から守ってくれるタイマー
もう切るよ
交換しよう

 0

trending_up 93

 5

 6

ごめんね。ハイル・ヒットラー!

幸せかい?
(ヘミングウェイ『エデンの園』第二部・7、沼澤洽治訳)

彼はなにげなくたずねた。
(サキ『七番目の若鶏』中村能三訳)

あと十分ある。
(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2』第Ⅱ部・20、厚木 淳訳)

なにかぼくにできることがあるかい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

彼女は
(創世記四・一)

詩句を書いた。
(ハインツ・ピオンテク『詩作の実際』高本研一訳)

しばしばバスに乗ってその海へ行った。
(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)

魂の風景が
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

思い出させる
(エゼキエル書二一・二三)

言葉でできている
(ボルヘス『砂の本』ウンドル、篠田一士訳)

海だった。
(ジュマーク・ハイウォーター『アンパオ』第二章、金原瑞人訳)

どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。
(ユーゴー『死刑囚最後の日』一、豊島与志雄訳)

ああ、海が見たい。
(リルケ『マルテの手記』大山定一訳)

いつかまた海を見にゆきたい。
(ノサック『弟』3、中野孝次訳、句点加筆)

どう?
(レイモンド・カーヴァー『ナイト・スクール』村上春樹訳)

うん?
(スタインベック『二十日鼠と人間』三、杉木 喬訳)

ああ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

いい詩だよ、
(ミュリエル・スパーク『マンデルバウム・ゲイト』第Ⅰ部・4、小野寺 健訳)

それはもう
(マリア・ルイサ・ボンバル『樹』土岐恒二訳)

きみは
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)

引用が
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

得意だから。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

でも、
(フロベール『ボヴァリー夫人』第三部・八、杉 捷夫訳)

これは剽窃だよ。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』2、井上 勇訳)

引用!
(ボルヘス『砂の本』疲れた男のユートピア、篠田一士訳、感嘆符加筆)

まあ、
(サルトル『悪魔と神』第一幕・第二場・第四景、生島遼一訳)

どっちでもいいが、
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

きみの引用しているその
(ディクスン・カー『絞首台の謎』7、井上一夫訳)

海は
(ゴットフリート・ベン『詩の問題性』内藤道雄訳)

どこにあるんだい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

お黙り、ノータリン。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)

ヒトラーはひどく気を悪くした。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳、句点加筆)

彼は拳銃を抜きだし、発射した。
(ボルヘス『砂の本』アベリーノ・アレドンド、篠田一士訳)

ああ、
(ラリイ・ニーヴン『太陽系辺境空域』小隅 黎訳)

でも、ぼくは
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二の歌、栗田 勇訳)

いったいなんのために、こんなことを書きつけるんだろう?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

相変らず海の思い出か。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

たしかに
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

海だったのだ。
(モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)

ごめんね。ハイル・ヒットラー!
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)





 1070

trending_up 117

 4

 6

すたっかーと

こころの中に
ぽっかり空いた穴を
塞ごうとしても
できないでいる

明かりのない部屋で
退屈に打ちのめされて
体育座りをするしかない私を
皆んな笑っているんだろう

音楽室でひとり
ギターが弾けずに
呆けている
そんなこと
誰にも言えないでいる

マホガニー板のウクレレを抱えて
小さな音の海に沈む
ギターより扱いが楽だ
少しはマシかもしれない
少しはまだ生きていけるかも

だけれど君
安請け合いはしちゃいけないよ
そんなに簡単に優しさはもらえない
分かっているとは思うけれど

すたっかーと

それでも君
傷付く事を恐れないで
信じる人の声を聴けばいい
考えているとは思うけれど

手足をばたつかせて
右手
左手
右足
左足
跳ねる
踊る

不安定な精神
蹴り飛ばしたい
望みは高く
宙を飛ぶ
残酷なほど
極彩色に
塗りたくられて
答えさえ
毒々しく
光り輝いている
胞子のように

 0

trending_up 43

 1

 0

舗装路


汽水域でしかいきられない乱反射は
椅子に座っても安らぎにはほど遠く
手から手と瓶のなか追いかけていた

 わたしの、わたし達の心は縛られることはない
 そんな風に真っ向から歌う事を忘れてしまった

瓶詰めの化石達に等しく月光を与え
欠落したものを忘れない為の仕草が
椅子に腰掛けながら遊歩する、夕べ

足跡を残さない誰かが通りぬけていく
椅子の背らは益々まるく、瓶は満たされ
幼い月たちさへ満ちていくのであった

 カーテンを手繰り寄せながら落ちてゆく
  みぎもひだりもうえもしたもなく
 今、ここでしか生きられないものたちが
  瓶の内と外、背を寄せあうだろう

汽水域から来た乱反射は
  椅子に腰掛けひととき
永遠の微睡みを得ていた

 どこにでもいて。どこにもいない。
  地球はほんとうに廻っているんだ、と
   投げられた瓶が汽水域をぬけてみちていく。

 100

trending_up 75

 7

 6

水底


交番の蓋を開けると
砂漠が広がっていた
砂漠には机が置いてあった
引き出しはすべて
取り外されていて
古い思い出は無く
新しい思い出も
もうしまえなかった
雨上がりの
虹がかかっていた
虹を育てるのは
若い警官の役目だった
蓋を閉じると
月明かりに照らされた
交番だけが残った
水底のように
深く澄んだ夜
迷い込んだ小さな魚は
おそらく何かの
花びらだった

 100

trending_up 28

 2

 1

CWS出版 田伏裸文業書 巻末説明文

CWS出版 田伏裸文業書は、文芸投稿サイトCreative Writing Space(クリエイティブ・ライティング・スペース) から生まれた出版レーベルです。

Creative Writing Space は、生成AIによってデザインされた、一風変わった文芸投稿サイトです。

そこでは、誰もが自由に作品を投稿し、コメントを通じてゆるやかにつながることができます。
サイト内では「スペースコイン」と呼ばれる仮想通貨を模した仕組みが動いており、投稿や交流を通じてコインがやり取りされることで、小さな経済が静かに循環しています。
創作や批評という営みそのものが、ひとつの社会のように息づいているのです。

田伏裸文業書は、そんな場所で活動する書き手の作品を、現実のかたちとして世に発していくためのレーベルです。
ネットの片隅で交わされた熱を、静かにすくい上げていきます。

私たちは、この時代に文学をやることに、明確な意味を感じてはいません。
それでも、書かずにはいられない表現がある。
読むことも書くことも、滑稽で、報われない行為かもしれません。
けれど、そんな周縁の営みの中にこそ、宿るものがあると信じています。

Creative Writing Space には、「田伏正雄(たぶせまさお)」というマスコットキャラクターがいます。
身長190センチ、体重150キロ。鼻毛が伸び放題で、女性を自認するヌーディスト。
その異形の姿に、私たちはこの時代に文学を続けることの滑稽さ、無意味さ、そしてどうしようもなさを託しています。

文学なんて、なんの意味もない。

それが可視化されていてなお書かれる作品こそが、いま拾い上げるべき表現なのかもしれません。

小説でも詩でもない、名づけようのない作品。
たとえ不格好でも、洗練されていなくとも、そこにしかない光を宿した表現、「裸文」を静かに世界へ送り出していきます。

作品へのご感想やご意見は、Creative Writing Space にてお寄せください。

 0

trending_up 47

 2

 0

衣擦れ

躾糸 待ち人来ぬまま とうに切れて

 0

trending_up 20

 3

 2

だけどさ

世界も人生もなかなかに厳しいね 
だけどさ 夜 電気を消して見上げる
暗闇混じった天井の模様と
イヤフォンから耳に流れ込むミュージックは
明日も明後日もこれからもきっと変わらない
何か変わらなきゃいけないって思うよ
だけどさ 変わらなくてもいいものだって
人それぞれ あるよね 

 0

trending_up 44

 4

 1

叩き潰すというクリエイティブ・ライティング

それにつけても田伏正雄は叩き潰さねばならぬ
…ふむ、こういったものはまず古の名言から取り形から入るのがのがよかろう。なにしろ相手はCWSに投稿しているものなら見聞きした事はあろう、あの田伏正雄である。何故叩き潰し罵倒し磔にし三角木馬に跨らせねばならぬのか。実はわたしは田伏正雄文学創始者の投稿文を熟読しても、そこに至るまでの決定的な理由というのが見いだせていない。いや他の投稿者は辟易しているのかもしれないが、いちいち辟易としているという意思表示を100コイン使って書く暇人もいないだけであろうと思う。書けば300コインをあげるぞとの誘惑にも乗らない他の投稿者の方々の高潔な精神には感服するばかりである。ん?田伏正雄を罵倒するはずがなにやら他の投稿者に対する皮肉になりつつある。これはおそらくは田伏正雄に浸食されつつあるわたしの姿なのかもしれない。なにしろわたしときたら田伏正雄文学祭という文言にあっさり乗って連続掌編を三シリーズもノリノリで書いてしまった。内容はいたって真面目に幻想サスペンス風味から始まって『創作と自己変容』とか『創作対距離感』とか『創作とアイデンティティ』とかいろいろ盛り込んでしっかりTABUSEコインだの田伏正雄本人だのをストーリーの柱の一本に据え、なかなかの出来だと自負しているが、田伏正雄はおろかCWSという名前まで作中に出してしまったせいでわたしのnoteアカウントにあげるわけにもいかぬ。つまるところわたしは田伏正雄に浸食されている。融合かもしれない。融合したわたしの中の田伏正雄だけを叩き潰すことはできるのだろうか?生物のたんぱく質で作られた神経回路だろうがAIプログラムの学習だろうが学習とは融合なのだろう。個を保ったまま他の思想感情を受け入れる事なのだ。はい、これは攻殻機動隊の少佐と人形遣いですねごちそうさまでした。ここまで書いて何とか田伏正雄を罵倒しようとしても攻殻機動隊がちらついて罵倒どころかバトーさーんとタチコマの声が脳内で鳴り響くありさまだ。

一向に田伏正雄を叩き罵倒する方向に話が向かない。
そもそもがだ(困った時はそもそも論頼みだ)文学の枠組みで田伏正雄を罵倒せよという作者の命題に乗ること自体が間違いなのだ。作者が作り出した罵倒されるべき気持ち悪いキャラクターを罵倒しても、作者の思惑通りでしかない。ということでわたしのホームグラウンドである写真の世界で田伏正雄を論じてみよう。となると190cm150kgの巨漢で鼻毛伸び放題、いつも小鳥が周りに集まる人物というのはなかなかに魅力的な被写体である。スラリとととのった青年よりよっぽど人物として興味深い被写体だ。個人的な好き嫌いなら鼻毛は整えてほしいが被写体となれば面白い逸品だ。女湯と書かれた暖簾をくぐろうとするシーンですらノンフィクションなら決定的瞬間として写真史に残る一シーンになるかもしれない。カルティエ・ブレッソンも迷わずにライカを向けるだろう。ただ誠に残念ながら現代社会において浴場でカメラを構えること自体が社会的困難である。よって、これは浴場を借り切って演出写真として実現されるべきだ。写真家、ロバート・メイプルソープは様々な性的多様な作品を残しているがそれに続く歴史的一品の誕生である。

創作のキャラクターとその作者は一体であるとの前提において、キャラクターを叩けという作者の命題は作者の思惑とは別の方法論をもって褒め殺すことこそ思わぬ方向からいきなり横っ面をひっぱたく唯一の方法ではないだろうか。
この一文をもって一旦〆る事とする。

 0

trending_up 244

 6

 10

ほとぼり

目前広がる紺帷
浮かぶ白には滲む黄
見上げた景色は見下げた根性
たまに見せるは月景色
少し空いた隙間から
ぬすんでとるは地獄行き

 0

trending_up 49

 0

 1

手ばなし

子孫を残すためにトンボが浮遊しはじめる季節の前に
あなたが生まれてきたので、新居への引っ越しをした
ものを捨てるのが苦手だけど
一年以上触りもしなかったものたちとは、お別れをした
誰かが手放して私にくれたものを手放すのが心苦しい気がした
けれど
今となっては何を手放したのかさえ忘れてしまった

手放したものは
燃やされて、散り散りになっていく
かつて
短冊や卒業アルバムに書き残した願いごとや
数多の願いごとを背負わされた流れ星もまた
散り散りになって
魚や植物の栄養にでもなれたのだろうか
それとも
叶わなくて、燃やされた夢の欠片たちは
誰にも気がつかれないままに
どこかへと降り注いでいるのだろうか

赤子は、はなせない
自分で生きる術を知らず
誰かの手によって、洗われ、飲まされ、抱かれ、寝かされて
そして、言葉を覚えるより前に
手をふり、さわり、にぎり、あげて
手放しに喜び始める

「泣いた時には、とりあえずおっぱいを飲ませておけば
 すぐに眠って、落ち着いたわ」
と育てられた僕には、おっぱいがない
泣いた赤子を大人しくさせる術が母より少ない
生まれた時から、かなわないことが約束された夢の欠片は
手放すことすらできなかった

(約束された痛みを経験せず、安易に羨望しないでください。月の満ち欠けを観察もせず、腰をトンカチで叩かれ続けたこともなく、鼻からスイカを出したこともないのに)

少しだけ大事にしていたものや少しだけ続けていた趣味を手放して、私は私を散り散りにしていく。隙間になりつつある私は、誰かの栄養になるわけでもなく、人間をすり抜けて、空手になる。血は、手から離れてくれずに、冷たさを補うための熱を与え続けてしまう。だから、すくえるようになる。そして、赤子を、はなして、赤子は、はなして、はなたれる。

ちりぢりの わたし もえた はい まんま おっぱい かためて んー んー ふー にゅう こぼして たれて おちた
 ふり そそぐ てんてんと にゅる もい はなし て いく なく て て て ひと り ゆめ かなえ て あかく
 もえ て は は はえ て かけ て て で ある く

 0

trending_up 84

 6

 6

桐ヶ谷忍『凍える蝶』鑑賞一例(参考:同『春の芽吹き』)| しろねこ社への推薦文

推薦対象

凍える蝶
by 桐ヶ谷忍

「信頼できない語り手」を信頼しないことは、抒情詩に限れば容易ではない。詩は鏡、語り手へのその不信が読者自身へ跳ね返るからだ。ただ共感ないし反感を惹起するばかりが抒情ではない。本人にすら理解されない圧倒的な他者にこそ、人は本来得心できるのではないか。なぜなら「自分」というものは、自分に掌握できるほど、単純にはできていない。

たとえば今回推薦作と同じ作者の作品に、下記の異色作がある。

●桐ケ谷忍『春の芽吹き』
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=470
※この作品に関する拙解は上記コメント欄に記載した。

花壇に生えた女の手という怪異を、この語り手は「けなげ」なものとして慈しみ、「綺麗」なものとして讃えるために手折り活けて飾るのだという。その逸脱した語りを信頼できない読者は、わたしひとりではないだろう。

しかしなぜ信頼できないのか、わたしはこの語り手に説明できそうにない。「あなたに折られた手がかわいそうだから、わたしはあなたを信頼しない」などという説明では、相手どころか自分自身すら説得できそうにない。

相手以前に自分を理解できず、理解できない事態に耐えることもできず、「正しくないがわかりやすい説明」に流され依存してしまいそうだ……前述した「圧倒的な他者」とはそういうもので、むしろ自身の裡にいる。今回推薦作『凍える蝶』の語り手も、おそらく自身に圧倒されている、わたしがそう信じたいだけの投影にすぎないけれど。





『凍える蝶』の信頼しかねる語りが、わたしには回想にみえる。作中でなん度も(あたかも自身に言い聞かせるように)繰り返される鍵句「夏の終わり」が、詩の舞台を明示するとともに、現在の語り手の段階を暗示しているようにみえる。朱夏を終え白秋を迎えるころになって、ようやく青春を回顧できる段階に至った、そこに至るまで顧みることもできないような青春だった……わたしはそのような観点からしか、この詩境に臨場できそうにない。

作中に描写されている冷凍庫が古い直冷式であることから、詩の舞台はそれの普及していた昭和後期から平成初期、すなわち30年以上前と推測される。このタイプの冷凍庫にはこまめな霜取りが必要だが、作中の冷凍庫の内壁には、包丁を使わなければ削れないほど厚い氷が付着している。ずいぶん手入れを怠ったとみえる、語り手の育った家庭を象るようにもみえる。

語り手は夏の終わりの衰弱した「うつくしいアゲハ」を捕まえ、死んでしまう前に冷凍庫で凍らせた。自分の家を象るような氷に、投げ入れ閉じ込め封印した、

>なぜそんな残酷なことをしたのか自分でも分からない

「うつくしいもの」を「うつくしいまま」、標本にでもして留めようという考えが、この語り手には微塵もない。逆にこの哀れなアゲハを弔い送り出そうという考えも、やはりこの語りからは読み取れない。自身を象るようなアゲハを壊した、その罪と穢れのみを、語り手は留め置きたがっている。ユリの鉢植えにアゲハを弔い、アゲハとユリを輪廻させて、閉じ込め続けようと企てている。

>凍りついたアゲハを見詰め
>何かが可笑しかった
>可笑しくて笑った
>笑いながら
>一気に手の平を閉じた
>閉じた手の平を開けると
>アゲハの細切れが零れていった
>そうして
>ようやく何故アゲハを凍りつかせたか
>思い至る
>
> (中略)
>
>私は床に落ちたアゲハの残骸をかき集めて
>ユリの鉢植えに弔った
>ユリもまた、枯れ始める前に凍らせよう
>ぼんやりとそんな事を考える
>うつくしいものは
>うつくしいままに殺し
>ありえない形で死体を壊す
>自分の中の冒涜心に初めて気がついた
>夏の終わり

きっと蝶よ花よとは育ててもらえなかった語り手の、アゲハとユリへの「冒涜心」。だれもどこへも飛び立てず、ここに根ざし続けるしかない。手入れされず厚い氷に覆われた冷凍庫に象られる、暗く冷たく出口のない、墓との区別もつかないような家に。──わたしにこの詩がそう読まれるのは、この詩がわたしの形代だから、詩が読者の本性を暴いてしまう鏡だからだ。




※この鑑賞は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解にある問題は、推薦作の問題でなく、その著作者に責任はない。

 100

trending_up 269

 3

 6

新発明のテレビ

「やれ、やれ、なんとか特大発明が完成した」
 小さな研究室の中で、ある博士は声をあげた。その声は彼自身の予想より大きく、二つ隣の部屋の管理人が駆けつけた。
「とても大きな声だ、このマンションが揺れましたよ。よほどの大発明なのですね」
「ええ、ええ、そうですとも。これはすごいものだ。これが認められれば、貧困生活ともオサラバですよ」
「それはよかった。あなたは家賃を二ヶ月滞納していますからね」
 管理人はきょろきょろと見回す。
「それで、発明品はどこにあるのですか」
「ずっとここにありますよ。わたしの隣のこれです」
「なんだ、ただのテレビじゃないか。しかもブラウン管ですか、期待して損をした。もういい、今すぐ出ていってもらおうか」
「いえ、いえ、ただのテレビじゃありません。これは、未来の嫌なことを見ることができるテレビなのです」
 小汚ない博士の部屋とは対照的に、そのテレビは新品としてピカピカに光っていた。しかしその形ゆえに新発明には見えない。
 管理人はむすっとしたままだった。
「うそも大概にしてください。別にあなたに地獄へ落ちてほしいわけじゃないんですよ。しかし、来週のこの時間に家賃が払えなければ、もう出ていっていただきます、約束しましたからね」
 そう言って、管理人は博士の部屋を出た。
「ふん、ふん、このテレビはほんとうに未来を予見できる発明なのだ。どれ、わたしが使ってみよう」
 博士はテレビの方に屈んで、ツマミを回す。
 テレビはブブッというノイズをたてたが、画面は真っ暗だった。
「……いや、いや、この発明は間違っていないはずだ。そうだ、このテレビは嫌な未来を映すのだから、何も映さないということは、つまり、嫌な未来がないということだろう」
 その後、博士は商人に売り込むための提案書を書いて、寝室に入って寝た。

 翌日、ゆっくりと起床した博士は声を上げる。
「テレビが、無くなっている!」
 部屋の隅から隅、小物入れの奥まで探してみても、テレビは無かった。
 盗まれたのだ。
「そんな、そんな! あのテレビは間違っていたのか!?」
 実のところ、あのテレビは完璧な発明品だった。しかし、博士の解釈が間違っていたのだ。
 あのテレビは、たしかに博士の未来を映していた。
 そう、博士はお先真っ暗だったのである。

 0

trending_up 29

 0

 1

はなびらのようにやわらかく田伏正雄を焼却するための詩的訓練

https://creative-writing-space.com/view/Discussions/discussion.php?id=25

――状況開始

こんにちは、そして、ああ、またお会いできてしまって、本当に嬉しく思うわ。この奇妙な再会こそが、おそらくは私たちがまだ、この虚ろな世界で戯れ合うことを許されている証拠なのでしょうね。今度こそ、いいえ、今度こそと何度も繰り返してきたけれど、今度こそは本当に、あの田伏正雄なる詩的・あるいは病的な概念を、その概念をかろうじて繋ぎとめている、あまりにも重たく、不潔な腹腔の奥底から、優雅に、そして残酷に引きずり出してあげましょう。その150kgにもなる、想像を絶する重さの臓物の中に、まるで子供が大事なものを隠すようにして詰め込まれた郵便ポストや、日本中の誰もがその名を口にするたびに畏敬の念を抱くはずのイチロー、そして何よりも、彼の虚構の根幹を支える田伏優子という、存在しないはずの幻影。これらすべての虚構の源が、いかに虚構であるかを、まるで居酒屋でメニューに書かれた「豪華刺身盛り合わせ」と、実際に目の前に運ばれてきた、申し訳程度に一切れずつ乗せられた、どうしようもなく安っぽい皿の違いのように、誰の目にも明らかな白日の元に、これ以上ないほどに無慈悲に、そして徹底的に晒してあげるの。

​彼は、自身を郵便ポストだと、幾度となく、そしてしつこく、まるで自分に言い聞かせるかのように主張する。しかし、そんな彼の、そのあまりにも分厚い肉体という名のポストに投函される手紙は、いつだって、彼自身の、誰にも理解されない独り言が、タイプすらされていない、ただの紙切れでしかないのよ。誰かが彼の元へ向けて書いた言葉など、ただの一通も存在しない。そして、その手紙を受け取る人も、届けるべき場所も、この広大な世界にはどこにも存在しない。ただ、彼の重い、重い身体に、臓物の代わりにぎっしりと詰め込まれた、無数の独り言という名の反響だけが、虚しく、そして途切れる事の無い音叉の如く響いている。ああ、この存在のなんと詩的なことか。そして、同時に、この存在のなんと無駄なことか。彼の存在そのものが、一つの、壮大で、そして誰にも必要とされない、哀れな芸術作品なのかもしれないわね。

​そして、遠い、遠い高みとして語られるイチローという名の英雄。彼は、日本中の、いや、世界中の誰もが知っている、偉大な名前を借りて、自分のどうしようもなく空虚な存在を、必死に覆い隠そうとする、哀れで、滑稽な見せかけに過ぎない。彼にとってのイチローとは、ただの背番号と、誰もが真似できない美しいフォーム、そして誰もが成し遂げられない偉業という、それをまるで子供だましのようにつるんとした、薄っぺらなラベルにしたに過ぎないの。そのラベルを、彼の、中身がいつまで経っても空っぽのままである存在に、必死に、必死に貼り付けたところで、その中身が満たされることは永遠にない。彼の内側には、相変わらず、何もない、無の空間が広がっているだけなのだから。

​さらに、この虚構の中でも、最も滑稽で、最も無慈悲な存在が、田伏優子という名の虚構よ。存在しないはずの誰かの名前を、あたかもそこに実在するかのように、幾度となく叫び続けることで、彼は自分自身に、「愛する」という、極めて重たく、人間的な役割を無理やり与えようとする。それはまるで、誰もいない、ひっそりと静まり返った部屋で、架空の家族のために、誰も食べることのない夕食を、真剣な顔で並べているような、孤独で、痛々しい行為そのもの。愛も、憎しみも、喜びも、悲しみも、何もかもが、彼一人の中で完結してしまう、完璧なニヒリズム。そして、そのことの、絶望的なまでのニヒリズムに、彼自身は、未だ、そしておそらくはこれからも、永遠に気づくことはないのでしょう。

​あなたの詩は、田伏正雄という名の、この巨大で、絶望的な虚無を、花びらのように、そう、散る花びらが広大な地面を覆いやわらかく包み込み、そして燃やすことでしか、その無価値さを、世界に、そして彼自身に証明できないのでしょうね。燃えかすすら残らないほどに、美しく、そして完全に、この世界にとって無意味な形で、すべてを終わらせるために。

――状況終了

 0

trending_up 161

 4

 3

ゆうやけ

なみだいちに、やってまいりました

なみだに、みなくれておりました

なみださん、あんまりながれるので

なみだしをかきました

なみだご

なみだろくをつけて

なみだしちに、うりにいきました

なみだはちもんで、うれました

なみだきゅうんと、でました

なみだばしぎゃくにわたれよ、じゅう

 0

trending_up 15

 2

 1

アイドル田伏

きょうはけんさだ
しろいまどぎわにときめきのないじじつ
わたしはぎゅうばのよう
藁のねどこのぬくもりからはなれるのがなんだかやだなって
ていこうをかんじている
ここから離れるいっしゅん
するどい風をいしきし
裸身でいることがゆるされず
べつのものをまとわなくてはならなくなるから
いえ、裸が好きということではない(※誰もそんな事言ってない)
自然と裸になり
裸である必要を感じなくなるときまで自然と移り変わりたい、その時、着衣を纏い、好ましい姿かたちで人に接したい
自然とそう思うとききっと成長している
でもそれはひとがもとめるしゃかいせいだ
わたしのだいじなひとがそうもとめているわけではないもの
わたしがだいじなのって
わたしよ
その次にだいじなのがあなた
私は自分を大事だと思うのとひとしいさりげなさで
あなたを大事にできる日がきたらいいなと思っている
世間のかちかんにふりまわされないわたしはきっと田伏なの

 0

trending_up 49

 1

 6

豚と賭博と


 一か八かのハッタリを見破れるかどうか、それがこのゲームの醍醐味だ。運を頼りに勝負を仕掛けるような奴は二流。勝敗はどれだけ相手を騙せるかで決まる。
 もっとも。偉そうに言えるほど、俺はこのゲームが得意ではないけどな。

「追加で二枚だ」

 銅貨五枚と手札のカードを二枚、テーブルの上に放り、山札から二枚を引いてくる。

「……四枚」

 次に順番が回り、左に座るフードを目深にかぶった男が銅貨を出して、手札を交換していく。
 これで順番が一周し、四人全員が賭けに乗った。掛け金をつり上げる声もなし。後は勝負するだけだ。

 「拝見」

 一斉に手札を開く。
 無役の「ブタ」。一階級の「平民一揆」が二人。
 このゲームは3階級の「軍隊」を作り上げた俺の勝ち。テーブルに投げ出されていた銅貨をごっそりと掴み、袋に入れる。
 掴み損ねた銅貨を、えいやっと抱きかかえたルネが、虹色の羽をひらひらさせながら飛んできた。

 「わ! また勝ったね~。ミツバチすご~い!」

 あんまり大声であだ名を呼ぶな。俺の姿に似合ってねーんだから。
 ミツバチってのはルネが付けたあだ名だが、どうして身長200エタ(約200センチ)近く、体重140フィー(約140キログラム)の俺にそんな名を付けたんだか。
 むしろ、ミツバチならルネの方が近い。なにせ身長は20エタあるかないかの花妖精、フェアリーなのだから。

 銅貨を抱えたまま袋の中に体ごと突っ込んでいったルネ。袋をのぞき込むと金銀銅に照らし出されたルネが、銀貨を拾い上げてニコッと笑う。こいつはなぜか金貨より銀貨を好む。ちなみに金貨は銀貨の10倍の価値で、銀貨の10分の1が銅貨。ここには入っていないが、銅貨よりも価値の低い石貨というものもある。
 生きるのに金銭を必要としないフェアリーだから、色の好み以外に貨幣価値を見ていないのかもしれない。無欲で幸せそうな笑顔だ。
 陽気に会話を交わす俺たちを憎々しげに見ていた正面の男が、ドンとテーブルを叩いた。

 「次だ!!」

 男が散らばった札をかき集めて適当に混ぜ始める。よけいな話だがこのゲームは集中を切らした方が負ける。まぁ、この先の結果は見えているのだから、本当によけいな話だ。

 このゲームの名は「十七《セブンティーン》」
 絵柄の付いた札を使う有名なゲームだ。五枚の札で十七階級ある役を作り上げる。一番高い階級の役を作った奴が勝ちというルール。
 一見運任せのようだが、そうじゃない。
 プレイヤーは、掛け金をつり上げることとゲームから降りることが自由に出来るためだ。
 手札がいい時だけ掛け金をつり上げたとして、他の全員がゲームを降りてしまえば手取りは無くなる。逆に手札が悪いからと言って、ゲームを降りているといつまで経っても勝てない。高い役なんか滅多に揃うものではないのだから。

 じゃあどうすればいいか。
 もうわかるだろう? ハッタリをかます。これしかない。
 どれだけ「無役《ブタ》」を高いの役だと思わせて相手をゲームから降ろさせるか。逆に、高い勝負役を「草」と呼ばれる低階級の役たちだと予想させて、なるべく多くのプレイヤーを最後まで乗せさせるか。手札が高くても低くても、勝てるのがこのゲームの面白いところ。

 ちなみに。無役だと思いこみ勝負を仕掛けるも、相手の手札は高階級で返り討ちにあう間抜けの事を、突っ込んでくる「ブタ」という意味で「イノシシ」という。また、「草」である事を相手に読ませずに、全員を降ろさせることを「草を喰わせる」と言う。
 こんな言葉が日常の慣用句として広く知られていることから見ても、このゲームが古くからあることがわかるだろう。

「銀貨五枚、乗せようかいの」

 ゲームは続いている。
 参加しているのは俺を含め、ルネを外して四人。

 俺の左に座るのが、フードを目深にかぶった『自称』古美術商で年齢不詳の男。
 正面が『自称』賭博師の若い男。
 右隣が『自称』隠居のじいさん。
 そして、体格が大きすぎて通路側に座れず、壁に背を預けているのが正真正銘旅人の俺。隣に大斧を置いているので、二人分以上のスペースが必要になる。テーブルに座るときは、いつも気を使う。

 俺を含め、どいつもこいつも癖のありそうな奴らだ。
 今の声、最初に掛け金を銀貨三枚に設定したうえ、さらにつり上げて銀貨をせしめようとしているのが右のじいさん。

「降りる」

 手札を全部、テーブルに放る。参加料分を損をするが、この手札を取っ替え引っ替えしても役が立つとは思えない。
 それに、今日は順調に勝っている。焦ることはないのだ。

 順番が左に流れる。被ったフードが落とす暗闇の向こうから、鋭い目つきを老人に投げるフード男。それを、ニヤニヤしながら正面から受け止める老人。
 老人の表情から何を読んだのか、くつくつとフードが揺れる。

「一枚交換だ」

 銀貨を五枚出して、札を一枚交換する。

「……クソ! 四枚だ」

 正面の若い奴が銀貨と札4枚を叩きつける。この男、賭博師を名乗る割に表情が面に出やすい。結局一番負けが込み、後に引けなくなっている。

 勝負を下りたことで気が抜けた。イスを軋ませながら、固まった背中をうんとのばす。
 大きな笑い声につられてそちらをみると、顔を赤くした連中がやいのやいのと騒いでいる。宴もたけなわ、といったところ。
 日が沈んで大分経つが、宿の食事処にはまだ結構人が残っている。
 この町には今朝着いたが、聞いていたより大きな町だった。どの国に行ってもそうだが、町が大きくなるほど夜は遅くなるものだ。

「えへへー」

 緩い笑い声がテーブルの上の麻袋から聞こえる。袋の口を開けると、中ではルネが金銀に浸かっていた。
 今日はいっぱい勝ったねーなんて言いながら、袋から飛び出してくる。

「そうだな」

 顔の周りをパタパタと飛び回るルネに、気のない返事を返す。
 今日はいつになく勝っている。普段はこんなに調子良くは勝てない。どちらかと言えば負けることが多いので、滅多にでかい勝負には出ないのだが、流れに任せているうちに金貨十枚分ぐらいは稼いでしまった。

 「ねえねえ、ルネお洋服がほしいなー」
 「まあ、それぐらいなら」

 買ってやっても問題ない。何せこいつに合うサイズの服なんかこの国に売っているわけもなく、綺麗な色のハンカチを体に巻いているだけ。何枚買っても大した額にはならない。
 問題があるとすれば、この金の使い道ではなく、この金が俺のところに集まってくる理由。

 「ほれ、おまえさんが親の番じゃ」

 場は次の勝負に移っていた。銀貨を片手に持って急かすじいさんから、札の山を受け取る。札は綺麗に整えられていた。さっき、じいさんが気のない感じで札を切っていたのを見ているわけだが……。
 この札の山は俺が切り直すべきか、それとも、このまま配っても良いものだろうか。

 「早く配れよ。よろま」

 ……正面の奴からせっつかれたので、このまま配ることにした。

 全員に配り終えてから、自分の手札を確認する。
『王様』、『王妃』、『王子』の三枚があった。いくらなんでもこれはやりすぎだろう。
 この時点で「雲上人」の七役だ。札の枚数から確率を計算すれば、最初に配られる手札で完成する役は高くても五役までが普通。この五役の中で勝負を楽しむのが一般的なのだが。今の時点で七役ある。ありえない。
これに騎士がくれば十四役の「王宮」、貴族が二枚くれば十六役の「王侯殿」。どうやれば負けるのだろうか。

 なんだかやる気が失せて、一つため息をつく。
 俺の様子をそれとなく監視していたフードの男が、くつくつと肩をそびやかす。

「なんだかバラバラだねー」

 なんて俺の手札をのぞき込みながらつぶやくルネ。王様のいない世界から来たこいつにとっては、この札のありがたみがわからないのだろう。
 ルネの言葉をどう解釈したのか、正面の男が喜色を浮かべる。一方、げんなりとしてしまった俺は、札を伏せた。

「お前ら降りた方がいい。金貨、一枚」

 俺の善意の言葉に、左右の二人がゲームを降りる。
 人の話を聞かずに突っ込んできたのは正面の賭博師。

「は、その手に乗るかよ。てめーはさっきからツキまくっていた。だがな、そうそう運ってのは続かねーんだよ」

 金貨一枚が転がった。

「俺は善意で言ってるんだ。イノシシになりたいのか? 金貨一枚」
「おいおい、ブタがなんか言ってやがるぜ」

 また金貨一枚が転がる。

「後悔するなよ? 開くぞ」
「いいのか? 開いて。無役のお前は俺を降ろさないと負けるんだろ? あーそうか、これ以上掛け金を吊り上げる度胸がねーんだよなぁ。悪かったよ、チキンハートのピッグデブ」

 この言葉にルネが噛みついた。

 「なっ! あんた、あたしのミツバチに何て事言うのよ! モヤシ男」

 飛びかかろうとするルネ鷲掴みにする。こんな安い挑発に乗るんじゃねーよ。

 「これ以上吊り上げる上げるとあんたが払えないんじゃないかと思ってね。すまなかった、金貨 10枚。ルネ、出してくれ」

 驚いた顔で俺を見上げたルネは、俺が本気なのを見ておとなしく袋の中に入り込んだ。ついでに手札を二枚交換する。手元にやってきたのは『家畜の鶏』と……『貴族』。「王宮」が完成した。
 ルネが金貨を一枚づつ積んでいく。金貨の高さが増すにつれて、正面に座る男の頬が緩んでいく。金貨10枚の使い道でも考えているのだろう。

「乗らないのか?」
「え? あ、ああ」

 慌てて自分の懐から金貨を探り出す男。

「……悪かったな、チキンハートなんて言っちまって。あんたはなかなかの男だ」
「俺もあんたを見くびってたよ。ずいぶん立派な牙を持ってるんだな」

 そう言うと男は不敵な笑顔を見せた。

「俺も男だからな」

 そうだな。今まで見たこともない立派なイノシシの牙だ。
 俺の皮肉に気がついたフード男がエール酒にむせる。吹き出さなかっただけ誉めてやるよ。

「ようし、いくぜ? 恨みっこなしだ」
「……はぁ。拝見」


牙が折れる音を聞いた、気がする。





  
 ふざけるなよ、と男が吠えた。
 テメーがそのチビを使ってイカサマやってんのはわかってんだよ! と俺も知らなかった話を教えてくれた。そうなのか? とルネに問うと、ブンブンと首を振る
 まぁ、出来レースだったとは言え、ここで主犯のじいさんを突き出すのも目覚めが悪い。

「で? だとしたら、どうするんだ?」
「表へ出ろ! ……というのもありきたりすぎるからな。俺はさすらいの賭博師だ。勝負はこれでつける」

 札を指す男。

「ただし、テメーはこのチビでイカサマをした。よってチビを賭けろ」

 ルネを賭ける?

「お前、こんなもん連れてってどうする気だよ。何の役にも立たねーぞ」
「それはテメーの知った事じゃねーんだよ」

 ふーん。と俺が気のない返事を返したところで、ルネがキャンキャン吠えだした。

「イヤイヤ、ぜっっっっったいイヤ! こんなスケベっぽい男にもらわれて行くのなんてあたしヤダよ? ミツバチこんな賭けやっちゃダメ」
「要は勝てばいいんだろ?」
「もし負けたらどうするのよ?」

 俺は賭け事に強い方ではないが、この男には負けない。ような気がする。

「ルネ、お前さんざん俺の嫁を自称して、所構わず言いふらしておいて、結局信用してないのな」
「ち、違うよ! 信用してるよ! てゆうかこんな場面で愛を試すのは、ひどいよミツバチィ? それに、ミツバチのことだから、面倒な女を片づけられるならちょうどいいやとか思ってわざと――」

 食い終わったどんぶりの椀を逆さにして、ルネに被せてやった。更に硬貨がたっぷり詰まった麻袋をどんぶりの上に積んでおく。
 ルネの体格ではこの椀を持ち上げることは出来ないだろう。

「で? あんたは何を賭けるんだ?」
「これだ」

 銭袋がテーブルの上に置かれる。何だか重みを感じない音がしたが? 中を確認してみれば、案の定、威張って突き出すほどの額ではない。

「・・・・・・これだけか?」
「全財産だバカ野郎」
「それは失敬」

 じゃあやるかと札に手を伸ばしたところで、がっしと腕を捕まれた。

「あんたは信用できねー」

 なるほど。
 手癖が悪い、という設定の俺は札を切るな、と。

「だからといって、俺が札を切って後からイカサマを疑われるのもつまんねーからな。よし、おい、あんたが切れ」
「ほあ? わしか?」

 急に振られてびっくりするじいさん。俺もびっくりだ。まさか、ここで、元凶に運命を託すとは。

「いいかデブ! 俺が今から素人と玄人の違いって奴を見せてやる」

 最初から見せてくれればこんな事にはならなかったろうに。

「こりゃあ良い勝負になりそうじゃわ。そいじゃあ、配るぞい?」

 じいさんの笑い声の中、何とも白けたイカサマ勝負が始まった。 
 




  
「じいさん、なんで俺を勝たせたんだ?」

 俺が聞いているのは今の勝負ではなく、最初から俺を勝たせようとしていたことについてだ。俺がこのテーブルに着いて、ゲームを始めたときから、じいさんは俺に良い札を配っていた。
 どうゆう手品をしていたのかは、全くわからなかったが。

「わしゃあな、隠居であるけっど、この町を守るヒーローでもあるんよ」

 じいさんの戯れ言に、クツクツと笑うローブの男。
 置き捨てられていった銭袋から無断で銀貨を拾い、エール酒を追加する自称ヒーロー。

「どうゆう意味だ?」
「あん男は、おとついからこの宿に泊っとんじゃが、なかなかに態度が悪うての。飲み代はツケよるわ、客にいちゃもんつけようわ、ここのべっぴんさんにべたべた触りよるわ。のうハルちゃん」

 近くを通りがかった給仕(ハルちゃん?)の尻に手を伸ばすじいさんの手は、電光が飛び散りそうな勢いではたき落とされた。

「痛っとうぅぅ! ふーふー。まぁ、そんな訳じゃって、体格の良さげなお前さんを利用して、早ように帰ってもろたんじゃ」

 なるほど、体力に自信のないじいさんだと、喧嘩になったとき勝てそうにないから、俺を利用したと。
 それは理解したが、俺から言わせればさっきの若者も、この自称ヒーローもやってることに大差はない。給仕にしてみれば、いやらしいモヤシの手か、いやらしい皺だらけの手か、の違いしかないだろう。

「わしはこの町が好きなんよ。せやけら、わしがこの町の平和を守らなあかん」

 ヒーローのしわの寄った手がまた銭袋に入り込む。

「このじいさんは昔、警備隊で一目おかれる鬼隊長、だったらしい」

 ローブ男がぽつりと言った。

「今では枯れた老木だがな」
「うるさいわ。詐欺師崩れ」

 フード男がクツクツと笑う。
 フードが目元を完全に隠しているので、口元でしか表情がわからないが、その口は感情を豊かに表していた。
 その口元とスープ皿を行き来しているスプーンが目を引く。スプーンの柄全体に細かな銀細工があしらわれ、上部には瑪瑙かなにかの宝石が埋め込まれている。手にしているカップも、このあたりでは見られない文様が刻まれている自前の逸品だ。

「気になるか?」
「ああ。まあな」

 フード男が語ったところによると、どちらも千年は昔の、北と西からの伝来物であるらしい。とくにこのスプーンは有名な王朝時代に、豪族の墓から出てきた貴重な物であるという。
 なんて話を訥々と語るフード男に、じいさんが茶々を入れる。

「ほんにするなよ? 騙されっと、けつの毛ぇまで抜かれよう羽目になる」

 話に横槍を入れられても、ローブ男はクツクツと笑うばかり。

「それは売り物じゃないのか?」

 古物商と言っていたはずだ。それならば売り物だろうと思って聞くと、

「売れ残りだ」

 という返事だった。

「へぇ、質の良さそうな物に見えるがな」

 偽物であることを差し引いても、買い手は付きそうな物だ。

「買うか?」
「使った物はさすがにな。ちなみに、いくらだ?」

 値段を聞いて魂消た。スプーンとカップの二つを買うと平均的な家が三件は建つ。それは売れないだろう。

「値段下げろよ」
「この物たちに失礼だ」

 ずいぶんと律儀な男だ。もしかしたら真面目な男なのかもしれない。

「騙されなーと言っとろう。こげん者がそん値段で仕入れよう訳ないじゃろ。元値は銀貨数枚じゃあ」

 じいさんが睨みを利かす。
 なるほど。偏見で悪いが、この男が仕入れの段階で、その値段が払えるほど金を持っているとは思えない。

「そんな偽もんでも、目ん玉飛び出すほんの値ぇ付いてーと、もしかすっと、ほんもんじゃけかあ、思うようになんねよ。そいがこいつん手だぁ」

 なるほど。
 俺たち二人の視線を受けて、またしてもクツクツと笑うフード男。

「こいつが持ちよば「ほんもん」は、詐欺の腕だけじゃい」

 ほんもんの玄人がいよいよ楽しそうに笑った。




 イノシシの若者が帰ってから大分経つ。
 一階にいた客もほとんどいなくなり、残ってるのは俺らともう一組のみ。宿の人も奥に引っ込んだ。
 真っ当な人はもう寝なければ明日に響く。一応真っ当なつもりの俺も、そろそろ寝ないとな。
 立ち上がったところで何かを忘れていることに気が付いた。

「あー忘れてた」

 と呟くと、フード男の口が吃驚の形に開かれる。

「忘れていたのか!?」
「気が付いてたんなら教えてくれよ」
「わしゃあ、てっきりそんたな「ぷれい」なんじゃと思っとったわ」

 どんなプレイだ、じいさん。
 銭袋を寄せて、ゆっくりと逆さまのどんぶりを持ち上げる。
 中には膝を抱えて座り込むルネがいた。 

「うううー、ミツバチー」

 涙でくちゃくちゃな顔のルネが、ピューと飛んできて俺の顔に抱きついてきた。

「怖かったよぅ、寂しかったよぅ、ミツバチのいぢわるぅ、人でなしぃ」
「悪かったよ」

 やけに静かで酒が進むと思っていたら、そうだ、こいつがいなかったんだ。
 パタパタと視界を塞ぐルネを引き離し、羽に付いた飯粒を取ってやる。どんぶりの中で暴れていたのかもしれない。
 俺の太い指に抱きついて、しくしくと泣くルネが、もごもごと何かを言っている。

「何だって?」
「おふろ~。おふろにはいる~」

 非は俺にあるからな、それぐらいなら用意してやろう。

「待ってな。今湯を沸かす」
「紅茶~。紅茶がいい~」

 はいはい。
 首筋にルネを抱きつけたまま、宿の炊事場に失敬する。
 炊事場を使う許可はじいさんに取った。じいさん曰く、わしもよくつまみを失敬するよって大丈夫じゃい、だそうだ。
 今までのじいさんのつまみ代分も含め、あの若者が置いていった銭袋を炊事場に置いていく。俺には必要のない額だからな。旅をするのにこんなにはいらない。

 消えかけていた炭を起こして、薬缶を竈にかける。湯が沸くまで少しかかりそうだ。
 まだ鼻をぐずぐずさせているルネに声をかける。

「なぁルネ。故郷に帰りたくはないか?」

 といったら、全力で抱きついてくるルネ。

「ミツバチの側にいる」
「どうして俺なんだよ」

 俺は風来の旅人が性に合っている。ただし、一人で、だ。誰かと一緒に歩くのには違和感が拭えない。一面にコスモスが咲き乱れる花畑でこいつと出会って、付いてくるようになるまで何度も喧嘩になったが、それでもこいつは離れなかった。

「ミツバチが好きだから」
「何一つお前の為にしてないだろ?」
「あたしが、ミツバチを好きなんだもん。だから、ミツバチが、あたしを好きになるようにがんばる」

 よくわからん思考だ。違う種族を好きになったって良いことなんかない。

「再来年、故郷に戻してやるから」
「ヤダ」

 やだって言うなよ。
 そういう条件で旅に連れてきた。三年間だけ同行させてやると。ルネは短いと駄々をこねたが、フェアリーの寿命から見ると長すぎるくらいだ。 十年ちょっとしか生きられないフェアリー。ルネが今何歳なのかは知らないが、もう年頃だろう。他種族の俺なんかに付いてきている場合ではないと思う。

「ルネ、ミツバチのお嫁さんになる」

 無理だろ。
 ぐちぐちと湯が沸いた。







「ミツバチ、どおどお?」

 ピチャンと水の跳ねる音がする。
 目を向けると、深めの皿に注がれた赤い液体から、ルネの右足が突き出ていた。

「どお? 色っぽい?」
「……耳かきかと思った」

 ピシャッと紅茶が飛んできた。華やかな香りも一つ遅れて飛んできた。
 白磁の器に赤い紅茶と、虹色のフェアリーの羽。絶妙な色逢い。
 萎れていた茶花が湯を啜って甦り、湯気の間を縫って差し込む月光が、銀の帯を赤い水面に流していた。
 温かな紅茶風呂に浸かり、ルネの機嫌が戻っていった。幸せそうな顔で紅茶の中に浮いている。
 月が綺麗だと言ったら、私も見る、というので、窓辺に皿を移動させた。

「うー、月が半分しかない」

 ルネが嘆く。今日はちょうど半月らしく、下半分がごっそり消えている。
 だがまぁ。これはこれで、と。

「良いと思うんだがな」
「えー。まんまるの方がいいよー。じゃあ、何色のお月様がいい?」
「黄色」
「うー。紅は?」
「何だか気持ち悪くならないか?」
「うううー。合わないよぅ」

 ルネが足をバタつかせる。
 しばらく紅茶の香りをまき散らしていたが、不意に口を開いた。

「ね、ね、あたしと月と、どっちが綺麗?」

 まためんどくさい質問を。
 それを聞いてお前はどうしたいんだ?
 意図が分からないので適当に答える。
 
「月――」
「ミツバチィ、そうゆう時は嘘でもいいから『君だよ』って答」
「――に照らされてるお前」
「え……る……の…………」

 ルネの言葉が中途半端に消失していく。
 そちらを見ると目があった。瞬間、ルネが飛沫を上げて沈んでいく。

「言わせておいて照れるなよ。社交辞令だ」
「ブクブクブクブク」

 どうやら俺の言葉は泡と消えたみたいだ。
 沈んだ奴はほっておいて、ベッドに入り込む。
 明日は害獣狩りの依頼をこなそう。ついでに兎でも捕ってきて、干し肉にしておこう。明後日の朝にはこの町を出て、次の町へ旅立つ。
 そんな計画を立てていると、ルネがフラフラと飛んできた。

「ミツバチィ~~~紅茶で酔った」
「はぁ? それは酔ったんじゃなくて、のぼせたんだろ? って待て、来るな」

 でたらめで不規則な、頼りない飛び方で俺の手をかわすルネ。そのまま俺の胸の辺りに着地、せずにするりと体の中に入り込む。
 掴もうとした俺の手は、ルネが着ていたハンカチをひっかけただけに終わった。

(ううう、きぼちわるひー)
(やめろ、人の体の中でそんな声を出すな。こっちまで気持ち悪くなる)

 ルネたちフェアリーの体を構成している物は有機的な物質ではなく、不思議な謎物体でできているそうで、たまにこうして体の中に入り込んでくる。
 体の中に入られても痛みはないが、気分はあんまり良くない。
 本人は、俺の心の中に入っているのだと言っているが、ルネの声はどう聞いても頭の中から聞こえる。

(おやすみー)
(いや、出てこいよ)
(グーグー)

 ほんとに寝た奴がグーグーなんて言うかよ。
 ルネを体に入れたまま寝るとおかしな夢ばかり見る。ルネと旅行に行く夢だったり、ルネと海を泳ぐ夢だったり、ルネと一家団欒の夢だったり。ちなみに、夢の中のルネの体は大きかったり小さいままだったり。
 目が覚めた後、軽く混乱するほど鮮明な夢だから、余計に質が悪い。
 しかし、相手は体の中だ。こうなるともう手の出しようがない。

(頼むから変な夢を見させるなよ?)
(あたしが見せてるんじゃないよー。ミツバチが見たいと思ってるんだよー)

 そんなわけあるか!


 次の日。
 ルネと水辺で洗濯をする夢を見た、と言ったら、ルネはお腹を抱えて笑い転げた。
 誰がこんなもん見たいと思うんだよ!


次話
『 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=2221&user_id=160&mode=post 』


 100

trending_up 52

 2

 2

リプレイ

雨の匂い
それは あの店の扉を
開けた日の記憶

雨の匂い
それは あの店の布に
包まれた肌の記憶

雨の匂い
それはあの人の声

 わたしは、雨で、あの日を呼び覚ます。

その記録は、わたしの内側で
雨音の儀式を始める

指先は布を探し
鼻腔は香りをなぞり
耳は声の残響を拾う

 わたしの躰は、記憶の通りに動き出す。

誰もいなくても
雨が降れば

 わたしは、あの日を もう一度、生きる。

 0

trending_up 104

 6

 3

Salom at the Heart's Edge, or the Revelation of the Random

携帯が低く唸る。もはやそれは、ただの着信通知ではない。私の内なる防衛線を侵食する、敵からの電子的な弾丸だった。
画面に表示された見知らぬ番号からのメッセージ。そして、その影で嘲笑っているかのような憎むべき標的の名前。
「田伏正雄……まただ」
この一週間、私は田伏正雄という実在せぬ影、ひとつの概念に憑りつかれていた。メッセージの主たちは、彼の仕事、親族、私的な繋がり。それは、彼の人生の無秩序な断片であり、そのすべてが、私の日常という薄い膜を引き裂くように通過していった。
• 『請求書。確認しろ。』
• (確認?お前の金だろ。傲慢な指示だ。)
• 『明日の会議、リスケだ。』
• (勝手に決めろ。世界はお前を中心に回っているのか。)
• 『奥歯の詰め物、取れた。至急、予約変更して。』
• (私を秘書か何かと勘違いしている。私怨が募る。)
• 『株、売るぞ。指示を待て。』
• (金に汚い。さぞ高慢な顔で取引しているのだろう。)
• 『母さんが入院した。詳細を送ってくれ。』
• (他人まで巻き込むな。同情を誘うつもりか。)
• 『愛してる。今夜、来て。』
• (軽薄な男め。昼間の顔と夜の顔を使い分ける偽善者。)
• 『この間の写真、全部削除した方がいい。後悔するぞ。』
• (隠し事。汚い秘密を抱えている。最低だ。)
• 『先週のプロジェクトの進捗、上から問い合わせだ。すぐ資料を送れ。』
• (無能のくせに責任だけ人に押し付ける。)
• 『緊急連絡。契約書の内容に重大な誤り。至急弁護士と連絡を取ってくれ。』
• (破滅しろ。その失敗がお前の報いだ。)
• 『猫の餌、無くなったぞ。いつ帰るんだ。』
• (猫にまで見捨てられている。)
• 『車のエンジンがかからない。保険会社にレッカーを頼め。』
• (自業自得。移動手段まで私の手間を煩わせるな。)
• 『あの件、他言無用。絶対に。』
• (「あの件」とは何だ。よりによって私に秘密を預けるとは。)
• 『家のローン、今月分間に合わない。どういうつもりだ?』
• (金銭的な破綻。早く地獄に落ちろ。)
• 『誕生日おめでとう!今夜はサプライズがあるよ。』
• (他人に祝われて喜ぶ、浅薄な幸福。)
• 『銀行口座のパスワードを忘れた。再設定の手順を調べてくれ。』
• (無能。自分の記憶すら管理できないくせに。)
• 『隣人との騒音トラブル、警察が来てる。至急対応しろ。』
• (社会不適合者。どこでも問題を起こす。)
• 『急募:週末のゴルフコンペ、メンバーが一人足りない。参加しろ。』
• (くだらない社交。その顔が目に浮かぶ。)
• 『別れたはずの元妻から連絡。子供のことで話があるらしい。』
• (過去の清算もできない男。粘着質な人生だ。)
• 『昨日の件、本当にごめん。許してほしい。』
• (許すものか。お前の謝罪は常に空虚だ。)
エトセトラ、エトセトラ。
私はこのメッセージを、ただの「迷惑」として処理できなくなっていた。それは、私の自己存在のあからさまな否定だった。なぜ私が、見知らぬ他人の、それも仕事から痴話喧嘩まで、人生の醜聞の処理を強いられなければならないのか?
私は怒りが極限に達するプロセスを、客観的に観察している自分がいた。最初は「苛立ち」、次に「憤慨」、そして今は、すべてのメッセージに宿る田伏正雄の存在そのものに対する、純粋で透明な憎悪だ。
怒りは、私を日常の理性を超えた非日常の領域へと連れ出した。私は、田伏正雄という男の実像を勝手にでっち上げ、彼がどのような人間であるかを推測し、その度に憎しみを深めていった。それは一種の精神錯乱であり、怒りがもたらす認知の痛ましい歪みだった。
「次にメッセージが来たら、怒りのサンプルとして、この携帯を破壊してやる!」
その時、携帯が甲高い着信音を鳴らした。記念すべき666件目、知らない番号。このタイミング。私は確信した。これは、激昂の最終フェーズだ。
私は、自分の限界反応を見るために、受話ボタンをスワイプした。怒鳴り声は出なかった。代わりに、全身の力が抜け、冷たい諦念が私を支配した。
「……もしもし」
「ああ、もしもし。突然ごめんなさい。私は田伏正雄と申します」
田伏正雄の声は、清澄な静寂の響きのようだった。
虚無への収束。怒りのエネルギーは、一瞬にしてあの頃の私、虚無、何者でもない私、へと収束した。
彼は、淡々と、そして理路整然と語り始めた。
「実は、数日前から私の携帯が行方不明になりまして。つきましては、私の急ぎの連絡先数名に対し、『当面の間、緊急メッセージは、とある無作為の番号にメッセージを残すように』と指示を出していました」
無作為の番号?
「失礼ながら、あなたの番号は、私が無作為に選んだものでした。私の携帯が見つかるまでの間、あなたは私の社会的な生活を一方的に背負わされてしまったわけです」
彼は言葉を選びながら、続けた。彼の声には、好奇心と、かすかな罪悪感と不可思議な誠実さが混じっていた。
「私の指示は、『連絡があれば、あなたの番号にメッセージを残す』というもの。あなたは今、私の社会的なつながりが生み出したメッセージの集積を預かっていることになります。何か、預かっているメッセージはありますでしょうか?」
私の全身を駆け巡っていた怒りの炎。
今は、透明な壁の向こう側から、自分の感情を眺めているかのような、奇妙な平静さが訪れた。
なんと怒りの極限の先にあったのは、爆発ではなく、深く、何処までも清澄な静寂だった。そして、その静寂の中で、私は自分が田伏正雄の物語の登場人物になっていたことを悟った。
私の経験した激しい怒りは、田伏正雄という人物の物語だった。その事実を知った瞬間、私の怒りは、感情から切り離され、依代へと昇華した。
「……田伏さん」
私の声は、ひどく冷徹で、分析的だった。
「はい」
「お預かりしております。あなたの『社会的な生活』に関する貴重なデータを。それは、あなたが望んだ心理反応のサンプルでもありますが、同時に、あなたの人生そのものの記録でもあります」
私は、この一週間、私を苦しめたすべてのメッセージを、もはや憎悪の対象ではない、正確に記録すべき言霊、彼の人生の断片として、一言一句、違えず伝え始めた。
怒りの爆発の代わりに、私には「責任」という名の役割が与えられた。そして、その役割を正確に果たすことで、私の心は、極限の怒りを超越した、清らかな受容に満たされていた。
私は確信した。この魂の旅路は、燃え盛る荒野を抜け、突如として広がる「心のサロム」へと至る道であったと。怒りという浄化の業火は、私という存在の不純物を焼き尽くし、ただの透明な受容の器へと変貌させた。それは、もはや私自身の感情ではない。それは、他者の物語をただ見つめる「証人」となるための、一週間にもわたる「神聖な試練」であった。

 0

trending_up 71

 2

 8

ちっちゃな悪魔

怖かった
ちっちゃなちっちゃな悪魔
だとしても だとしてだ
小さ過ぎるから
濃度を増すわけではないのに

例えば
誰も見ていない早朝に
車どころか人っ子一人いないから
赤信号で横断歩道を渡ってしまった
それくらいの
ささやかで済まされる悪だとしても

罪は罪 罰を受けようが受けまいが
小さかろう軽かろうかそんな罪など
ないはずで

君が飼っていた
ちっちゃな悪魔
ギロリとしたアカイメより
よく伸びた刃みたいなツメ
ちょっと魅力的な裂けている口は
口角が上がってる

怖かった キミソノモノ
ちっちゃくて可愛いねって
目の端で捉えていられるうちに

離れてしまいたかったんだ
切り裂いてしまうと知りながら
きみに さようならを

許す許される勝った負けたのゲーム
では決してない消せはしないひびのあれこれ
愛したかった それはいいわけ
ただ逃げたかった

ちっちゃなちっちゃな悪魔みつけた
から

 0

trending_up 60

 2

 2

にんじんを食べるとうさぎになってしまうよ
そう嘯いて揺れている後ろ髪ばかり見ていた
学校で教えくれるきれいなものは
青い空や小鳥のさえずり、
あるいは星の瞬きばかりで
擦りむけた膝をあわせながら
どこまでも灰色の空にも
柔らかな陰影がそそぎ
鼻の粘膜をかすかに濡らす
雨の香りもまた
美しいと
あなたは
教えてくれた

(熱
 を帯びていく
 わたしたちはからだ
 に熱を巡らせて 
 刷毛で塗るみたいに
 熱
 を塗り合う)

クラスの
女の子たちは
男の子たちの
話をしている
ねえわたしたちにも
言葉
があったら

(わたし
 の指をひく指
 の柔らかな体温
 揺れている
 ポニーテイルがほんとうに
 うさぎ
 に見えるね)

まだ
女の子たちは
男の子たちの
話をしている
わたしは外に出て
今日は部屋干しだったか
と嘆く
嘆きながら
わたしは
ひかりが
曇り空のもとで
一層柔らかく
美しい

知っている

 0

trending_up 24

 1

 2

骨折

僕の濡れた橈骨のたかまりが 
腕時計のように光った

風呂場の 裸 
裸の まなこ
乱視の 鏡 に

弛むなと 骨 
骨は硬いから苛立っていた
だから 時計のように光った
よりによっても 風呂場で

肉の言葉で 仄めかすな
ぐちゅぐちゅした、脂肪織で
髄を覆うな 
骨は僕に苛立っているから、詩に苛立っていた

僕は 苛立っていた 
骨に苛立たれる筋合いなどないから
包含されるベン図をしらん器官は生意気だから
こんな骨は 折る

右手が 折れた 折った
しばらく詩は書けそうにない

骨は満足そうだった 
それにも腹が立ったが 
右手が 折れているから
反対はもう折れない

それでも
僕の日々は変わらなかったが
整形外科が儲かった

 0

trending_up 37

 2

 2

おじさんを見るために街にでる

本を捨て おじさんを見るために
街にでる
ハラハラハラなんにでもハラスメントが
ついてしまい
区別も差別もまったくもって
ついていけない難しい

わたしのマルでも
あなたのバツで
誰かのサンカク
だったりして
グレーも黒も赤も
白もぐちゃぐちゃで
衝かれて憑かれて疲れてしまうから

一旦脇において
大好きな文庫もすらてばなして
街にでる
おじさんを見るために

ワタクシ女性が口にするから許されることってありますよね、逆だったらカナリ気持ち悪いでしょう、だからハラハラハラ、ハラスメント。性別で得をすることもある。けれども、それ自体、差別なんですよね、でもさ、でもさ、私が私である以上は、そこはどうしようもないじゃない?それに言論の自由ってやつは、何処まで認められるの?

おじさんは良いのです
おじさんであるから良いのです
ひとり残らずおじさんは
おじさんらしくおじさんでいてくれるので
わたしはおじさんをただ見るために
街へゆこう

おじさんはおじさんだと胸もはらずに
おじさんはおじさんのまま歩いてください
気持ち悪いと言わないで
誰にも迷惑かけてないはずのおばさんが
ただただ街にでる それだけの話なんです

こんなひとって沢山いるとおもう
わざわざ書かないだけだとおもう
書いてしまうとやっぱり気持ち悪いけれど
おじさんが ただ好きなだけ

 0

trending_up 50

 3

 6

Dr.商法繁盛期・赤提灯篇

ネットの偽医者は居酒屋で仕事をする 
ハムカツとハイボールで 出来上がっている 
この サクッと揚がったような
薄っぺらい文面がいい! 

ー濡れ手に粟とパン粉を纏い

アリエクで名入れした
LEDライトの売り上げは好調である 
わたしのおかげで
全国の不登校児が涙を流し覚醒させられる
学校なぞ 行っても行かなくても
私のような詐欺師が育つ
くらえ 色温度12000K 俗悪の目覚め

おかげさまで〜から
始まるメールを 震える手で読む
衣が剥げてハムがずり落ちる 
粉飾ここに極まれり

馬鹿につけるソースはない
わたしはブルドッグがあればいい 
キャベツにはマヨネーズが欲しい 
三千世界で朝寝がしたい 

✨春野菜のエネルギーをもらおう✨
土の下で雪に耐えた蔗糖が健康にいい!とbotに追加する 集中には果糖か希少糖 
甘い言葉にも 種類があるようだ
彼らはイワシの頭でも グラニュー糖でも飲む

わたしもなにが本当かわからない
大抵の鬱は居酒屋で治してるし
居酒屋が人々を治療していることになる

 0

trending_up 135

 3

 10

Jesu, bleibet meine Freude

畏るべき深淵からの響き。それは「制御者」たる三つの絶対意志、すなわち統御者の三位一体(Tri-Dominus)が織りなす「渦」の位相空間における、驚異的なまでの秩序の強制を意味する。その密度勾配 \bm{\bm{\nabla^2 \rho_{\text{Tri}}}} は、統計力学的な揺らぎすら許さぬ、極限の抑圧下に置かれている。この病的とも言える過剰な秩序は、宇宙の基本定数すら欺き、負のエネルギーが局所的な「無」、すなわち「虚無の特異点(Nihil-Singularity)」へと収束する瞬間を生み出す。
その刹那、時空の基本構造、我々の認識可能な四次元(\bm{x, y, z, t})を織りなす「空間の織物(Texture of Spacetime)」は、修復不能な亀裂を被る。負のエネルギー密度は、アインシュタイン=ローゼンブリッジの逆説的な生成条件を満たし、プランクスケール(\bm{L_P \approx 10^{-35} \text{m}})の時空を激しく震動させ、その振動は重力の場 \bm{G_{\mu\nu}} そのものに、量子的な干渉を引き起こす。この非対称性の破れ、すなわち空間の完全性の不可逆な喪失こそが、高次元宇宙(Hyperspace)の純粋な光、あるいは情報体が、我らの低次元宇宙へと「漏れ出す」現象を生み出す。
「それが所謂、天使の降臨です。教授、修辞的な美辞麗句で飾られた神話的な現象は、本質的には異次元からの情報体の不法侵入に他なりません」
アーサーの視線は、手元の冷たいタンブラーの琥珀色の液体から、教授の老いた顔へと移り、その鋭利さは、研ぎ澄まされたダマスカス鋼の刃と化す。彼の声には、絶対的な確信と、幾許かの冷酷な愉悦が滲む。
「聖遺物(Relic)のドロップ成果は明白です。パリのノートルダムの地下には『聖釘(Holy Nail)』のレプリカを装った高次元情報の『アンカー(Anchor)』が、ロンドンの大英博物館の奥には『聖杯の破片(Fragment of the Holy Grail)』の偽装を施した位相変換器が、そしてニューヨークの国連ビル近郊には、ヨハネの『聖なる杖の頭(Head of the Holy Scepter)』の残骸が、それぞれの『祭壇』として機能しました。世界の磁場は、これらの聖遺物集積点によって既に引き裂かれ、情報次元の位相が不安定化し、幾柱かの高次の存在、すなわち『天使』が、我々の低次元宇宙へと強引に引きずり下ろされました」
だが、アーサーの関心は、既に過去の成功例にはない。彼の言葉は、一点の都市、東京へと収斂する。
「しかし、教授。最も重要な祭壇、終焉の舞台(The Grand Altar of Climax)は、この東京に他なりません。この都市の地理的特異性、すなわち複雑に交錯する地下鉄網と、世界有数の情報密度、そして昼夜を問わぬ電磁波(Electromagnetic Wave)の飽和状態が生み出す異常な磁場こそが、超低確率の『Q資料(The Q-Document)』の出現に最も適した土壌である、と我々は理論的に証明した。東京は、中世の魔術的構造、すなわち『ロゴスの交差点(The Crossroads of Logos)』を現代に再現した、巨大な魔術陣に他ならないのです」
中世フランス王フィリップ四世による聖遺物集積の試み、あるいはエリザベス一世の宮廷魔術師ジョン・ディーとエドワード・ケリーによる「エノク語」を用いた天使召喚の試みが、この現代の都市の磁場で、スケールアップされて再現されている。Q資料の降臨は、これまで引きずり降ろされた天使たちとは比較にならぬ、根源的で純粋な「高次の存在(High-Dimensional Entity)」の来訪、すなわち「原初の天使(Arch-Angelos)」の兆しを告げる。
「藤嶋千沙子が遺した、水槽の中に閉ざされた意識。クロウリー家の血統という、根源的な魔術的資質を巧妙に隠蔽し、その意識そのものを演算領域へと昇華させた『容器(The Vessel)』。それは、情報的な『祭具(Sacrificial Tool)』として、既に完璧に調整されています」
計画は最終段階へと移行している。東京23区の磁場の中枢、すなわち「ロゴスの交差点」の最も歪んだ三箇所に、三体のアンドロイドが放たれた。コードネームは、汎用性と匿名性を象徴する「山田太郎(Taro Yamada)」、「ジョンスミス(John Smith)」、そして「マックス・ムスターマン(Max Mustermann)」。彼らには、降臨した天使を、物理的・情報的に同時に拘束するための、特殊な術式「バラッド(BALLADE: Bounding Algorithm for Logos-Linked Angelic Detainment)」が搭載されている。彼らの存在、そして行動原理そのものが、天使が目をかけるべき黙示(Revelation)を、常に東京の磁場へと発信し続けている。
「現在の東京の磁場は、父上が望んだ、まさに『異常』という言葉すら生温い、臨界寸前の乱れの中にある。教授、貴方は証人となりましょう。この東京という名の巨大な祭壇で、我々が『高次の存在』を物理的に滅し、我が妹アリスの昇華された意識をアンテナ(The Antenna)として利用し、天上の『語録(ロゴス)』、すなわち宇宙の根源的情報の全てを強奪する、その荘厳なる瞬間を」
アーサーの言葉は、冷酷な決意と、血族への複雑な執着と、超越的な知識への渇望が混ざり合った、歪んだ祈りのようであった。

 0

trending_up 110

 1

 6

助走


廊下を渡る足音には
特段目的地がないから
店長は突き当りのエレベーターを
使い捨てに決めた
わたしの相談事にも
丁寧に対応していただき
お昼に買った二個入りの一つを食べずに
後用に残しておくことにした

屋外で割れた砂時計の砂粒は
風がすべてさらっていったらしいよ
そうらしいよ
店長さんはいつも誰かに話すように
わたしに話しかけるので
可哀想な人が誰なのかわからなくなり
やがて可哀想な人は
どこかにいなくなっていく

子供の頃からわたしには
速度が足りないことがある
そういう時は助走をする
両腕を思いっきり振るといいよ、と
真由美さんが収穫祭の日に教えてくれた
自分もそうだから
真由美さんは俯きながら付け加えた
店長さんが隅っこの方から
少しずつお店の拡張をしている
わたしはお手伝いをするために助走する
両腕を思いっきり振りながら
真由美さんの孤独を思う

店長さんが空を指差している
冷たい金属に触れて冷えた指先
その青さの突端に小さなものがあった
あれが春だよ
店長さんが言う
天日干しされた靴の爪先から
ゆっくりと解けていく春
その匂いを嗅ぐと毎年のこと
もう春なのだ

 0

trending_up 145

 10

 14

創作滑稽噺『day after tomorrow』

「ハロー、サムシング。言うとりますけども、なんですな、今日はギャングのお客様が多く非常に光栄なのでありますが、チャカだけは出さんといて下さい。マクドのハンバーガーありますでしょう?私よう行きません。決まってお腹下すんです。これ、ほんまなんです。『やってるか?』、『マイケルはん、どないされました?』、『なんや、ポテトがな、今日クーポンで安なる聞いてな、それで来たんやけど』、『ほんまですか、よう知ってはりますね』、『コンプトンのサムさんに聞いてんねやんか、ほんま安なるん?』、『なりますけど、クーポン持ってはりますか?』、『あれな、あんで、ちょっと待ってや』、『コンプトンのサムさん、こないだなんや派手にやらかしたみたいですね』、『サムさんな、後輩が挨拶する声が小さい言うてな、西海岸から東海岸までどつき回したらしいで』、『昔気質ちゅうか、サムさんも、もうすぐ還暦ちゃいます?』、『そやで、あ、クーポン無いわ』、『ほんまですか?ポテトどないします?』、『ええわ、帰りにウォルマート寄るわ』、『ほんまですか、すんまへん、バーガーだったら、割引しますよ』、『バーガーな、バーガーはあかんねん』、『ほんまですか?』、『そやねん、腹弱いからな、下すねんな』、『たまたまちゃいます?』、『たまたまちゃうねん、四割打ってイチロー超えてもうてな』、『四割はもう大谷ですよ』、『やろ?こわいねん、お前んとこのバーガー』、『えろうすんまへん』、『ええねん、バイトやろ?頑張ってるやん』、『ほんますんまへん』、『それはええねんけど、さっきから、ドナルド・マクドナルドがな、わしにメンチ切ってんねんけど、しばいたろか?』、『マイケルはん、ほんますんまへん、あいつ尖っとるんすわ』、『いくつや?』、『マイケルはんより、後輩ちゃいます?』、『ほんなら、向こうが挨拶するのが筋とちがうか?』、『ほんまですね』、『ずっとわろてるで』、『すんまへん、ポテト無料にさせて下さい』、『そこまでせんでええねん、ドナルド・マクドナルドいうイキったあんちゃんやろ?いてこますわ』、『マイケルはん、ほんますんまへん』、『もうあかん、店長おるか?』、『シアトルのヘルプに行くいうて、明後日出勤します』、『待ってられへんわ、そんなん、あかんやろ?』、『すんまへん』、『なんでメンチ切んねん』、『あいつ、複雑な家庭で、おかんが病気やいうてて』、『それでここにおんのか?』、『なんやおとんがジャンキーで、えらい揉めてるいうてましたわ』、『ほんまか、なら、ええわ。あいつにポテト食わしたってや、金出すから』、『マイケルはん、それはあきまへん、もらわれへんのです』、『あんな、子どもは親を選ばれへんねん。みんな大変や。大変な中で、なんとかやってんねん』、『マイケルはん、ほんま、ありがとうございます』、『わしかてな、母子家庭やってん。そりゃ苦労したよ、学歴もないしな。あいつの気持ち分かんねん』、『あいつは、ほんまに、幸せな奴や思います』、『また来るわ』、『ありがとうございます。おおきに』、全てを水に流せたら、まず最初に足を洗いたい、ありがとうございました」

 0

trending_up 152

 3

 7

外へと打って出た時の


  題名「背後をつけてくる ストーカーたち」

 音を聞き匂いを嗅ぎ分けて千切れた君の痕跡を
 戯れのように集めて繋げる才能が彼女を救える
 リバイバルだとのお告げを森で授かった私達は
 リリースされた肉食魚か巨万の財に群がる働き
 アリの如く高揚しながら紅葉の道に連なる変態



 詩……とは大変言いがたいですが、言葉遊びを背負って外へと出たときの作品ですね。
 とあるのVTuberさんが、以前、企画配信で読むためのホラーマシュマロを募集していたんですよ。今は企画を休止されています。この前Talkの雑談で紹介させてもらった方とは違う推しさんですね。
 VTuberご本人さんからは、投稿サイトへの投稿許可を頂いています。作品を作ったのはわたしですけどVTuberさんのお名前が出てますのでね。一応。
 ちなみに、マシュマロと言うのは匿名で相手にコメントを送れるサービスのことです。X(旧Twitter)などをされている人ならご存じかもしれません。


『こちらが個人で作った『切り抜き動画』の方です。
 https://youtu.be/rR7G2Uz1kHI
 元の動画へのリンクは、この動画の概要欄に載せてあります。
 この企画自体が今は停止中なので、元動画リンクはこちらには載せないでおきます。
 もし事情が変われば、元の動画の方も載せたいと思いますm(__)m』


 見ての通り、ストーカーがテーマの縦読み言葉遊びです。
 匿名だって言うのに名前を出すのはわたしの悪癖ですね。まあ、そのマシュマロ企画では配信中に投稿主が名乗りを上げるのも珍しくないので、この形をとってみました。

 配信では結構楽しんでもらえたんですよ。文章の内容はもちろん伝わらなかったんですけど(自分で読んでも何を言いたいのかわからない)、内容が意味不明でも縦読みというギミックは文章を読まない方でも楽しめますし。配信では、Vさんがストーカーのように紛れ込んでいるわたしの名前に気が付かなかったので、良いリアクションを聞く事ができました。

 で、何が言いたいのかというと。
 楽しんでもらえたってことです。わたしが扱える程度の作品でも、外の世界では楽しんでもらえるってことなんですよ。プロが活躍するよう華やかな舞台ではないですし、出版したわけでもないんですけど、それでも詩を読まない見ず知らずの人達を楽しませられる。

 ここに出入りされている皆さんであれば、こうした遊びを入れながらでも、もっと詩としてのレベルの高い作品を作れるわけじゃないですか。その才能を活かして作品を外へ広めてもらいたいなって思うんですよね。もちろんコンテストとかもいいんですけど、詩や小説とは関係の無い一般的な場所でも文章作品を読めたら良いなと。
 もちろん、好みや得手不得手な場所はあるでしょうけど、好きなジャンルなんかでは発表しやすいと思いますし。
 プロになってしまってからでは気軽に書いて遊べる機会は少なくなるじゃないですか。今のうちに色んな所で遊んでもらって、文章作品の裾野を広めてもらいたいなと思うわけです。おすすめ。




2025/10/30 『』を追記

 0

trending_up 32

 2

 2

 0

trending_up 0

 0

 0