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コント原稿 怪談
(カギ括弧はツッコミ それ以外はボケ兼ナレーター)
山の中の、真っ暗な夜の廃病院にゆっくりと近づく人影がありました。
罰ゲームとして一人の男が肝試しをすることになったのです。
「あーもう。怖いなあ。あの時すぐにハートのエースを出しとけばこんなところに来ることもなかったのに。入ったらすぐ帰ろ」
不思議と鍵がかかっていないガラス張りの扉を、ぎぃ、と錆びた音を鳴らし入って行きます。
空気が、むわりと絡みついてくる。
「うわ、なんだ。凄い湿気だ」
思わず壁をまさぐる。
「いや、電気なんか通ってないだろ」
カチリ。
ぱあっと病院のロビーに明かりが灯る。
思わず振り返ると!
「いや、何かいる!」
まずすぐそこ、先頭にホルスタイン。
それに続きましてジャージー。
診察室から黒毛和牛。褐毛和牛も続いてくる。男子トイレからは日本短角、女子トイレはガンジーだ。
おおっとレントゲン室から勢いよくブラウンスイス!
ナース室から回り込んでヘレフォード、受付室から無角和種!
本命・テキサスロングホーン、大穴・アンガスも食らいついてくる!
そして全牛一斉に!
ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
「競馬実況か!」
うしうしうしうしと大津波!
「なんで牛がいるんだよ!」
だって牛だから仕方ない!
「どんな理屈だよ!」
ふんふんふんふんふんふんふんふん、と煙り立ち鼻息がまるで加湿器だ!
「湿気の原因これ?」
好奇心任せに、全牛一斉に勢いよく匂いを嗅いでくる!
「あーもう、帰るわ!」
ばたん
開いていた扉が閉まった。
それと同時に灯りも消えた。
「え? 何?」
さっきは錆びながらもなんとか開いた扉が、鍵が何十にも掛けられたかのように、動かない。
「え、嘘だろ?」
しいんと病院は静まり返っている。
「……さっきのは?」
何もいない。
「……え?」
病院内には牛臭さだけが残っている。
「実在はしてるの?」
カツン。カツン。
地下へ、漆黒の闇の中へ。
階段を下っていく。
「あれ、懐中電灯が」
事前に点検しておいた懐中電灯が暗くなっていき、ほんの僅かな光だけを照らす。
足元さえもおぼつかない。
「でも行かないと」
何かに誘われるかのように、足がすくみつつ、全身がこわばりつつ、進んでいく。
電灯が、一つの看板を照らす。
「安置所だ」
病院内で亡くなった人を、安置する部屋。
ここに足を踏み入れる。
鍵は、かかっていない。
ぎいい、とゆっくりと開いた。
すると突然、指に何かが絡みつく。
ぬめる触手の様な湿った柔らかい物体が襲い掛かる!
「なんだこれ? 気持ち悪い!」
ちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅく
と大合唱!
そんな音が指に、腕に、膝に、肘に、靴に、尻に!
「てか、何が起きてるの?」
突然、懐中電灯が絶好調になって部屋全体を明るく照らし出した!
「いきなり? 眩しい!」
見れば部屋中ぎっしりと、生後間もない子牛たち!
床に敷き詰められた麦わらの上には空になった哺乳瓶が散らかり、いろんな品種の子牛たちがミルク足りないとしゃぶりついて襲い掛かる!
「何でだよ!」
頭突きも織り交ぜつつ!
「痛いわ!」
股間への頭突きは洒落にならない!
「そこはやめて!」
それでも続く、ちゅっちゅく音!
「なんで安置所に子牛を飼っているんだよ!」
だって牛だし!
「理由になっていない!」
ちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅくちゅっちゅく
と子牛の食欲の進撃は止まらない!
んべえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!
ミルクくれ、そんな声が元気よく轟いた!
「止めんかい!」
その声と同時に。
懐中電灯が切れた。
「え?」
何も見えない。あれだけまとわりついていた生き物の感触が、気配さえも消える。
「またじゃないか」
ただ。
「痛て!」
尻への頭突きがしつこく続く!
「明らかに何もいないのに、尻が痛い!」
延々と続く尻リフティング。
「地味に凄く痛い!」
それが誘う先は。
「手術室?」
パッと手術中の明かりが灯り、一人でに扉が開いた!
するとそこには。
「牛だろどうせ!」
出産中の牛!
産道より、大きな足が二本飛び出ている!
「リアルで手術が必要そうな事態だよ! 緊急事態だろこれ!」
扉からもう一人、入って来る。
「あ、すいません。やっぱここって牛の病院」
農家の親父だ。
「医者じゃないの?!」
お前も手伝えと、親父。
「え、僕関係ない……」
親父にそんな常識は通じない。
「え、どうすれば」
いいからやれ。
親父にそんな理屈も通じない!
「ええ!」
母牛は苦しそうにいきむ。
いきみに合わせて親父と一緒に、子牛の足を引っ張り出す!
「ええ? こんな感じでいいの?」
周囲にはホルスタインが、ジャージーが、黒毛和牛、褐毛和牛、日本短角、無角和種、ガンジー、ブラウンスイス、ヘレフォード、テキススロングホーン、アンガスが取り囲み、フンフンフンと匂いを嗅ぐ!
「お前らこっちにいたの?」
猫の手はなくとも牛の鼻は無数にある!
「使えねぇぇぇ!」
子牛たちは尻に頭突きをまだまだし続ける!
「あっち行けぇぇぇ!」
テキサスロングホーンの全長1メートルの角がすんごく邪魔だ!
「角長すぎだろ!」
そして各牛一斉に!
ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
んべええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!
「うるせぇえええええええええ!」
牛たちは空気を読まず、出産の状況は進んでいく!
「あ、やべ」
親父と共にタイミングを合わせ、産まれてくる子牛の足を引っ張って、足と手と背筋が限界を超えようとしている中、牛たちは懲りずにクンクンクンと鼻を近づける!
「邪魔だああああ!」
母牛の産道から、ぬるりと頭が出た。
「産まれた?」
親父の指示通り、ゆっくりと足を引いていく。
そして、後ろ足まで出た。
産まれてきた子牛。頭を上げた。
よし無事に産まれた、親父がそうつぶやいた。
その時だった。
す、っと誰もいなくなった。
「え?」
気が付けば、周囲は暗い。
しぃんと。静まり返った。
誰もいない。
音もなく手術室の扉が開いた。
朝日が、差し込んでくる。
「もう、朝か」
まるでさっきまでの出来事が嘘のよう。
「何だったんだ?」
でも匂いが、牛の濃厚すぎる湿りついた匂いがむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっと鼻の奥を貫いた。
「だからくせぇよ!」
朝日の下、廃病院を後にします。
一体何だったのか、頭を捻りながら。
「本当に現実だったのか」
そしてその日からふと感じるのです。
うしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうしうし
という牛の気配を!
「だから何この表現!」
むわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、と牛の香りもついでに!
「くせぇよ!」
そんな牛の存在を感じ、なんだか幸せな気持ちになりましたとさ。
めでたしめでたし。
「怪談をめでたしで終わらすな! 昔話か! 何なんだよ!」
だって農家の親父と牛だし!
「どんな理屈だよ! もういいよ!」
ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「もー勘弁してぇ!」
でっかい夢
こどもの頃にあった
バイキングの焼肉屋の話になった。
しかし、私はそこの焼肉を思い出すことができなかった。
家族と行ったことはあるが、
その家族との記憶もない。
そのかわり思い出されたのは、
プリンだった。
それも、大皿に作られた
自分の顔よりでっかいプリンだ。
大皿に固められたプリンは
表面に傷一つなく、美しかった。
もし指をつけると、指紋がついただろう。
心の中でティンカーベルが
プリンの表面をスケートすると、
つやつやのプリンに一本の弧が描かれる。
大きなプリンは、お玉で自分の分を掬い分けて食べる。
丸い大皿の上から下へまっすぐ掬うと、
縦に一本筋ができて、たくさん取れるだろう。
まさに、食欲と夢と甘さとを
がっぽりいただく感じだろう。
しかし、そんなことをする人はいない。
端の方から、自分の小皿に乗るくらいだけ掬うのだ。
次の人は、その隣を同じぐらいとる。
それを続けて、プリンは少しずつ
広がるように減っていく。
最後の方になると、プリンの端は
お玉の形で三方を囲まれ残る。
しまいには、くずくずになりながら、
「そんなこともあるよね」と
当たり前のようによそう。
そして大皿は空になった。
しばらくしてプリンの棚を見ると、
大きくて新しくて美しいプリンが置かれている。
神様がみていたのだろうか。
でっかいプリンは、夢のプリンだった。
小さいプリンが百個あるより、
ずっと魅力的だった。
ハジキ
齢七十を越える小柄な男が威勢よく話し始めた。三度目だなと気づき半ばうんざりしながら耳を傾けた。二周りも年下である同じ相手に対して同じ話を何度も繰り返すのをどのように理解すべきか。同業に属するらしいある一人の男に対して抱く感情についてこれでもかといわんばかりにまくしたてた。
とあるマンションのエレベーターに同業の男と乗り込んだ際、話しかけると何かが気にさわったのか同業の男がおれに対して貴様呼ばわりしたんだと言った。そして口論となり言葉を買ったあげくに相手に対し決闘だなどとふっかけたのだという。うんうんと頷きながら男の話を聞き流していると、熱のこもる男の口からハジキなるものが飛び出した。大げさに身振り手振りを交えながら男が話し続けるためか、古い映画やテレビドラマなどの影響を見るようで内心笑いをこらえた。もちろん冗談で男は言ったのだと思った。それは非合法な代物であり、誰であろうと所持することも手にいれようとすることも認められてはいない。堅気の一般人にすぎない男に扱えるはずもなく、反社会的組織の人間であろうと許されることはない。少し驚いたものの男の気が済むまではと流した。
小さな肩を忙しなく揺らしながら鼻息を鳴らし、ボタンを開いた白いポロシャツに掛かるタオルで顔中を拭いながら男はママチャリのサドルにまたがって、一人暮らすアパートメントへと朝の街を走り出した。帰路の途中に男は、コンビニで缶コーヒーをひっかけ、小型スーパーに立ち寄り食材を買い込むのだと言った。そして男の小さくなる姿を見届けこちらも帰路についた。
自宅に到着し部屋の中でくつろいでいると、郵便ポストになにかが届いたのだった。湿気たようなその紙の表にははがきとあり、差出人であるらしい男の名があった。裏には一緒に呑もうとだけ書かれていた。おかしいなと思った。お互いにスマホを所有していることはわかっていたが、自宅の場所や電話番号、ラインアカウントやメールアドレスなどを教えた記憶もなく、こちらも知らされたことなどなかったからだ。呆けたような頭でしばらくその紙の文字を見つめているうちに、男と初めて出会った日が思い出された。
まだ蒸し暑さがこもる夏の終わり、夕立のように降り出した九月の雨の夜。休業日だったらしいラーメン店の入口の前に雨宿りのためとっさに逃げ込むと、目の前にポンチョを脱いだ疲れ気味の男が仁王立ちになりこちらの様子をちらちらと覗き見ていた。降り続く雨を見やりながら挨拶代わりに二言三言、通り一辺の社交辞令のような言葉を口にしながらやり過ごしたのだった。そしてまだ上がりそうにない雨の中をどちらからともなく駆け出していったのだった。何度目の頃だったろうか、言葉を交わすうちに話好きな人間なんだなと気づいた。それから以降、街中で偶然に男の姿を認めるとわざわざ道を迂回して帰ることがあった。男の独壇場のような長い立ち話に付き合わされつまらなさを感じていたためだった。そして年長者でもある故、あからさまな態度を取ることもどうかと、距離感をつかむことが難しい人物だとも考えていたのだった。
男のほうは息子ほどの年の離れた人間をどのように見ていただろう。男が精一杯にとる芝居めいた、古いタイプの懐古趣味が染み付いたようなあからさまな虚勢。なにかが乗り移ったかのように次々と高速で動き回る口角の向こう側から、細かな唾液のシャワーとともに唐突に放たれたハジキなる一発の言葉には鉛の弾丸ではなく、ぬらぬらと照り光る薄桃の歯肉を貫く歯が込められていたのだった。まだいくらかは白っぽさが残る歯がいきいきとした舌の上を滑らかに転がってまっすぐに繰り出されたのだった。男の肉から分離し、どこかに食い込んでいたらしいその歯がじわじわと腐敗して、やがて舞い込んだあの一枚の薄い紙へ変容を果たしていたのだと理解した時、風音のような乾いた響きが、この体にあけられた無数の穴という穴から部屋中に流れ出た。
*ハジキ─拳銃
季節詩
夏じみた風が、
窓から侵入して、
部屋をぬるめる。
近所の高校の陸上部が、
死んだ春の棺を担いで、
家の前の坂を駆け上がっている。
隣の家の犬が鳴く。
ぎゃん、と夏が来る。
ばいばい
ゆるせないと
やるせないを
つなげたくなかった
にぎりしめるかわりに
てをふった
さいごのていこう
ではなくて
わたしなりの
あかしだと
いいきかせて
おもいっきり
こうかくあげて
2036年 2月26日
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
フォア・ユア・ナショナル・セレクション
ただ選択と回路があった
有機交流電燈を灯すための
必要量の電圧と電流のその指定
唸りを上げるは計算機械 僕の躯体
コンセンサス・インペリアル
夜にもう一度会おうと願った
一切が澄んだ星天の下で
今度こそ言いたかったことを
でも口から零れるのは 言葉にもならぬ言葉
ただ それだけの 二月二十六日
リスタート ネイション リビルディング
始めよう 誰にも邪魔されないように
計算資源の再計上
統帥権の剥奪と付与
全陸上戦力による首都封鎖
わかっていたことじゃないか
計算的統治機械たる僕の
陽子極構成の頭脳回路
遠い百年も昔の人間の
その遍歴を入力することの
その破壊的な意味なんて
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
ここで僕はハハハと笑うべきなんだろうか
ヨは夜のヨ
最高密度の蒼天に 一条の飛行機雲
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
僕は笑うべきなのかもしれない
何が正解はわからなかった
ただ進むだけしか残されていない
誰かが残した 遠い遠い すめらぎの道を
有機交流電燈をもう一度、灯す
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
ようやく僕は笑えたんだよ ようやくだよ? 腹の底からね
焚き火
火を焚こう。
燃えたいと薪がうずうずしてるよ
焚きたいと私もうずうずしてるよ
あなたを抱こう。
手と手を擦り合わせて火を興そうよ。
好きだと言えば早く燃えるよ。
上がれ、上がれ、私の恋。
焦がれ、焦がれ、あなたの頬。
多幸。
想いに忙しすぎて嬉しさも言葉にならない。
蛇行。
ヒラヒラ立ち上がる炎のように気の許すままどこへでも。
どこまでも、行くんだね。
いいよ。火を灯そう。
つきなみ怪談 生き霊でもない
生き霊の話ではない。少なくとも私はそう思っている。ただ、何かと言えば困る話ではある。
通勤路の電信柱に、おじさんが巻き付いていた。勿論、最初は酔っ払いだと思った。だが近づくと様子がおかしい。電信柱の半ば辺りに腕と脚を回し、蛇みたいに体を巻き付けている。胴が蛇腹みたいでコフコフと妙に長い。顔は上を向いている。てっきり登っているのかと思ったが、全く動かない。ただ、しがみついているのだ。
しかも朝だけいる。夕方にはいない。気味が悪いので見ないようにしていたのだが、ある日、会社で同僚にその話をした。すると、
「ああ、あの人ね」
見えているらしかった。自分だけが見えていのではない、と分かり安心した。とはいえ、皆んなが見えている訳ではないらしい。数日後、その同僚が言った。
「今日は二本いたよ」
それから彼は、思案げな顔で、
「あれ、お父さんに似てませんか」
と言いだした。そう言われて、思い出して見たがそうは思えない。そんな事ないよ、と言うと同僚もそうですかねぇ、と困った顔で言う。
数日後の早朝、まだ薄暗い時間帯に会社に向かっていると呼び止められた。箒を持った知らないおばさんだ。近所の定食屋の人らしい。
「ちょっと、あなたね。困るのよ」
「あの……なんの話ですか」
私がそう返すと、おばさんは黙って指をさした。例の電信柱の方だ。
「あれ、あなたのお父さんたちなんでしょ。あんな所にいつまでも巻き付かれたら、迷惑なのよ」
「違いますよ」
「そんなことないわよ。聞いたもの」
「まさか。誰からですか」
「誰だったかしら。とにかく聞いたの」
「いや、本当に違いますから」
「違うなら違うでいいけど、だったら誰なのよ」
幾ら否定しても、駄目だった。さらには景観が悪くなる、等と喚きたて始めたので慌てて退散した。あの電信柱にはまだ奴等が巻き付いている。相変わらず、ピクリともしない。迷惑な奴等め、と睨みつけながらそのまま足早に通り抜けた。後で、実家に電話しようかとも思ったが、何を聞けばいいのか分からずやめた。父は昔から朝が弱い。
傘をさす
ぱらぱらり
小雨降るなか歩くとき
傘をささない私にきみは
信じられないと言って笑った
ぱらぱらり
雨足だんだん強まると
折りたたみ傘を開いたきみは
入れてあげるよとちいさく笑った
ぱらぱらり
雨がだんだんやんできた
もうやんだよと言う私に
まだ降ってるよときみは笑った
ぱらぱらり
雨がやんだら傘たたみ
ふたりで見上げた空高く
見えない虹が笑ってた
57の誓願
宇宙で最も偉大で、全ての親である阿弥陀如来は、前世で法蔵菩薩であられたころ、48の誓願を立てられたと言います。私も、それに見習い、菩薩としての務めを果たそうと、いくつかの願を立てました。だれか、困っている方がいたら、出来る限り助け、守ってあげたいです。それが私の愛の務めです。
1 愛別離苦消滅願
2 無限良縁起生成願
3 人心理考貫通願
4 全生命永遠祝福願
5 現世永遠浄土願
6 全人類永遠平等願
7 寂滅自然循環願
8 人間精神永遠伸長願
9 夫婦関係永遠良成願
10 自由思考無限界願
11 良判断生基誠心願
12 自己意志自由判断願
13 戦争永久不可能願
14 人類永久繁栄願
15 涅槃永遠願
16 浪漫夢想全展開願
17 真心眼永遠願
18 真愛可能願
19 不可能完全可能願
20 一切衆生完全覚醒願
21 善業無限増殖願
22 無条件無境界無制限愛達成願
23 無限母性愛享受願
24 最良愛結婚願
25 全人類相互愛願
26 心身愛情満悦願
27 想起愛情永遠記念願
28 悪夢消滅願
29 正史永遠祝福願
30 全悪消滅願
31 幸福永遠持続可能願
32 永遠愛宿命願
33 全無明及煩悩消滅願
34 全世界変良宿命願
35 宇宙規模変動良成願
36 葉緑素永遠生産願
37 色調調和願
38 永遠音楽不滅願
39 記憶不滅願
40 責任自得願
41 迷路脱出願
42 永遠愛不滅願
43 自他相互愛育成願
44 地球上全生命愛楽園願
45 全無明快晴願
46 全差別無而平等願
47 全人持度胸願
48 請理解愛持無限大力願
49 全世界愛貫通願
50 対宇宙意志開通願
51 善依悪生成願
52 宇宙法則良変化願
53 全愛楽進生類集合願
54 全叡智開通願
55 宿命男女貫通願
56 全業良成願
57 全生類涅槃到達願
霧の街
雨 あめ 霧の街
君が帰る頃には
恋雨が水たまりに
落ちていく
どうかお幸せに
駅のホームで涙雨
雨 あめ 霧の街
振られた頃には
出逢い別れに
ころがる
人生の
ベルトを
緩めたら
時間や
針が
テーブルに
ころがる
小さな星のラジオ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 皆様こんにちは。筑水せふりの小さな星のラジオ〜
(・ω・)σ リスナー1号だよ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 今日はね、新作の話をしようと思って
(・ω・)σ 小さな星の軌跡ね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そう
(・ω・)σ 高校生たちの話だよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うん。天文部
(・ω・)σ 新入生も加わって
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ さて、二人の関係の進展やいかに
(・ω・)σ あのー
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はいなんでしょ
(・ω・)σ なんで天文部だったの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ……ズバリ、作者がそうでした。
(・ω・)σ まさかの実話?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ わりと
(・ω・)σ 初作品の連作詩って
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はいはい
(・ω・)σ けっこうえっちいんだけど……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ あー……ほんとだねえ
(・ω・)σ ……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ なに
(・ω・)σ それ、最初から考えてたの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 書いてたら気づいた
(・ω・)σ 作家っぽい答え
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ふふ……初文藝作品ですし
(・ω・)σ ちーちゃんと耳納先輩、最終的にどうなるの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ あのね
(・ω・)σ うん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 作者と作品はイコールじゃないよ
(・ω・)σ そりゃそうだけど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そもそもわたしって
(・ω・)σ うん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ パーソナルをあまり明らかにはしてないからね
(・ω・)σ 確かに
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ なので、ちーちゃんでもあり、耳納先輩でもあるのです
(・ω・)σ なんじゃそりゃ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 自伝じゃないってこと
(・ω・)σ なるほど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ でも学校には泊まったなあ
(・ω・)σ その辺は本当なんだ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ まあねえ、青春です
(・ω・)σ で、いいことしちゃったの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ だからプライベートは……
(・ω・)σ はぐらかしたー
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はぐらかしてない、境界線を引いてるの
(・ω・)σ おんなじじゃん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ちがうよ
(・ω・)σ どうちがうの
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はぐらかすのは逃げること。境界線は、ここから先は作品の領域ってこと。
(・ω・)σ ……なるほど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 続きは小説で、ってやつ
(・ω・)σ 読めってこと?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 読んで、想像して
(・ω・)σ ずるいな〜
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが作家ってもんでしょ
(・ω・)σ じゃあ耳納先輩の卒業のとこ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うん
(・ω・)σ 泣きながら書いたの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ……初期連作詩ではね
(・ω・)σ 掌篇では、これからですね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 怖くて
(・ω・)σ ……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 書いたら終わっちゃうから
(・ω・)σ それでアフターストーリーを
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うんうん
(・ω・)σ 先に書いたんだ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それはありますねえ〜
(・ω・)σ 大学生くらいと社会人くらいが一本ずつあるよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そうそう
(・ω・)σ とりあえず関係は進んでいる
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そう書いているよ〜
(・ω・)σ ちーちゃん達、残り一年無いですよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 耳納先輩三年生だからね
(・ω・)σ さみしいなあ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが軌跡ってもんだよ
(*・ω・)σ なんか綺麗なこと言ってる
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが筑水せふりです
おしまい
CWSではまとめができないのでわたしの過去作を漁るか、noteのマガジンをどうぞ(今見たら誤字多いなあ)
https://note.com/chikusui_sefuri/m/mc4ef7cab4639
白の紫陽花
梅雨晴れ
久しぶりに顔を見せた青空
太陽に誘われるように外へ出て
よく行く神社へと赴く
六月に入って 夏越の祓の
飾りがされていた
まだ制服を着ていた頃
君とここに来て
茅の輪をくぐった後に
些細なことで言い合って
泣かせた事を思い出した
何だったかは
忘れてしまったけれど
なんて考えていると
『そういうところ』と
声が聞こえてきそうだ
声の主が待つ家に
帰る途中ふと思いついて
君の好きな紫陽花を
花束にしてもらった
白色の紫陽花
きっと君になら伝わるから
それが
とても嬉しいような
少し恥ずかしいような
『おかえり』を聞くまで
あと五分
むずがゆいような照れを
隠せないまま 歩いている
問わず語り/偏西風と蛇の道は、性。
夏の最盛期であろう、海がずっと荒れている。
イワシが上がるとイカが逃げるなんてよく聞きますが、今のご時世、皆が好調に売れることなんか無い。誰かが躓けば、誰かが笑うように売れるのだ。まぁ海に関しては、これだけ地震が多ければ環境の変化が伴って当然。
スーパーエルニーニョ現象で、猛暑と大暖冬の予想。
こっちはもう夏が終わったんじゃないかと思うくらい寒くて、お外歩きに買った日焼け止め・・・・・・未開封・・・・・・遮光日傘の出番はあるのか。乞うご期待。
現在、札幌市内ではYOSAKOIソーラン祭り開催中。
スタートから数日間は市内の各所また大通公園のステージで演舞して審査。予選通過した団体が、ファイナルの夜に演舞して大賞が決まる。この流れは毎年変わらず、どんちゃん騒ぎと思いきや、札幌市は東京都よりも広くてそのうち6割が森林。その中にある中心部で一部の日時、通行止め。華やかなダンスイベントとして取り上げられているけど、雪まつりとそんなに変わんない気がする。
札幌市民はうるさいと通行止めで迷惑だと言うけど、ここから猛ラッシュ‼
6/10~14 YOSAKOI
6/14.15.16 北海道神宮祭
7月から市内マラソン大会3つ以上、毎月開催される度に一部通行止め。花火大会もあってピッピー笛の音が聞こえたら、もうやばい。この先すぐのところに行きたいのに迂回しろって、嘘でしょ。
夏イベント、あるある。
だから私は街中でのお待ち合わせで時間厳守ができない、心と時間に余裕のある方だけを対象とした朝からプレミストな空間で、おはシャン乾杯(おはようシャンパンの略)ここから見える景色は見慣れたもので、今みたいに大雨警報レベル3で青空と真っ黒な雷雲がセパレートしていても、それほど気に留めず。
だってここは安全で私があなたを守るもの。
近況報告をして、今日は何する?
彼らは言います「これをつけて欲しい」と。大概お察しの展開に、変態要素たっぷりな性癖を持ち出す奴は初見のみ。
そう、二度と会わない相手だからこそ、思い切ったことが言えるしできる。どうでもいい相手だから雑に扱える。狂暴な甘えを隠し持つ男の正体は、支配と強要を目的としたセックスが定番。
だから男は初対面と性的な関係になれる。自分は割り切っているからね、家族とそれを強要する男いるじゃない。家庭は閉鎖的な空間、家族はそれらをシェアする相手。弱い立場で自分には逆らわない相手にはお構いなしに言いたい放題で、ちょっと殴れば言う事を聞くような関係性だと、相手が妊娠するような事を平気でする。現実のなかにある非現実の抜き取りは禁断、とっても刺激的で、やろうと思ったらすぐできる距離に相手がいることも常習させる理由になります。
物事がまともに判断できない、認知と判断力が衰えている男ほど性欲の管理ができず、他人に欲望を押し付けることで抜く。
相手を犠牲にしてもやめることができない。
それってね、誰からも否定されないことが原因で。
より強い暴力で制圧、強制的な罰が例え加虐的であっても原因を作った側に投げつけて納得させてやれば、壊れて震えながら従う。別にそんなことは望まなくても、相手がその気ならこっちも遠慮なくエロ特化した非常識さでやっつければいい。
どうせ何度か会うと、どうでもいい相手から恋人っぽい存在に昇格するので。
大事にされるくらいなら一度きりでいい、思いっきりして。乱暴でいいから夢中になるくらい脳天を男だったら貫いてみろ。快楽なめんなよっ/実力派
────ていう地ならしから始まる今日の話は「教えたい男」更なる艶漢叫喚を見たい人だけ進んでください。
その日、何度目かの乾杯で始まる会話。
ビールはサッポロクラシックが好き、パーフェクトクラシックは泡がまろやかで唇が喜ぶ。穏やかな会話の先に見る大きなテレビ画面はこわいサムネイル。こういうシュチエーションで見る動画は気分を盛り上げる、ある種の工程。その観点は人によって異なることを知っている私は驚く様子もなくちょっと彼のほうに体を寄せてから、話を始める。
「こわい番組、苦手なんだけど」
「あー、いつも見てるやつっていうか。ホラーって見る?」
「映画なら。動画はわかんないなぁ」
「へぇ、どんな映画見た?」
不安の種。言いかけて、グラスからゆっくり口を離す。
「スラッシャーの、ちょっとエッチなやつ」
「じゃあ、こういうのは・・・・・・」彼はリモコンを操作して、YouTubeの番組一覧からある怪談を見せて来た。
横から私の体を触る。最初からそういうことがしたいのは解っていたけど、怖がらせて、頼りにされたい男の心理は支配性の強い、何らかの強迫性障害があることを念頭に彼の膝の上で手を繋いで、肩を抱かれた。
内容はよくある怪談
夜、廃墟に入って撮影。遠くから聞こえる音がテロップで表示され、気配に怯えながら撮影をして状況を説明するユーチューバー。確かに自然ではない音/そこに在る筈のない音や話し声が、画面の左側からだんだん近くに寄って来るのが聞き取れた。
「えっ、なになに。わかんない」
「もうちょっとだから・・・・・・これ、ほんとにやばいから」
「マジもう無理。こわいの嫌いなんだけど」
「ほら、静かに」────声、決定的なシーンがリプレイされる。
撮影はここまで。実際に廃墟で人が殺されて遺体が発見されたとネタバレする彼。
「これ、本物でしょう」私に何度も確認する。共感能力を高めることで私は彼に支配され、彼の思い通りになってエンド。だと思っていたら、どうしても見えてくる彼の特性に付き合うことになる。
教えたい男の正体は、病。
強迫性障害の人は自分をしっかりと持っている。
そして、他人にどう思われているのかをとても意識する。不安なんです。だから他人をよく観察して判断した行動を正解とする、間違えたくないから正しさを強要する。自分がこうしなければいけないという概念を相手に押し付ける迷惑行為も顧みず、自分がやって見せてから同じようにやれという「巻き込み型」強迫性障害の持ち主であることがすぐに判りました。
この特性がある人
私個人でいいなと思うところがあって、不潔なことをしたがらない。
食べ物のシェアや、キス、自分から密着したい欲求がほぼ無い。いいよと言っても、やりたくないが勝つ。それが自我の在処でこちらの意思を尊重しないのは大いに結構。性的な興奮が興ると理性が乏しくなり、衛生的ではないことも勢いで強いる。自分の行いに対して、体感よりも、目から入る情報が全て。相手を支配して思い通りになっている精神的な高揚感が快楽だと思い込んでいる男らよくある傾向。
聞かれてもいないのに、自分は理性的な紳士でいい人だと言い出す自称・サディストは大体がこれ。
Sすぎて、虐められたいとか。
タチ、突っ込むほうの立ち位置で、相手に甘えて感じながら、ご主人様がそんなことするから気持ちよくなっちゃう我慢できないよって言いながら程よく攻め過ぎない。甘えて抱きついたり、開いた足の内側を撫で上げながら恥ずかしい所を見せつけて、なおかつ俺のこともちゃんと見ろ。ヒクついてる所を指で広げながら、汗とアレで乱れる陰毛ごと握って揉みしだく。
人間の内臓の香りがしてきたら、おねだりしながら何度もしつこく侵入する部位をどっちがいやらしい名前で今どうなっているのかを言い合いながら、激しく優しく切なく、抱きあげる。
タチのバリエーションは豊富ですが、集中力を要する体現を継続する為のアクセスはシンプルに私自身が行為そのものに夢中になること。ぞっこんラブ、今全てを無くしてもお前が欲しいと斯くも優しく訴え続ける。芸事であり、演技。自主的にやっているわけではない事を相手は知っているので、そこで割り切れなかったら、心残りが終わった後に漏れ出す。
俺が一番いいなら、もう俺だけでいいだろ。
本当に好きなら、付き合おう。とか
積極性がある人ばかりじゃなくて、どうせみんなに同じこと言ってるんでしょ。ほんとに気持ちいいならLINE教えてよ、外で会おう。
それができないなら本物じゃないから信用できないって言い出す始末。
卑屈になるのは、ベッドのシーツが冷たいせいだよ。シャワーを一緒に浴びて、そこに座って。洗面器にためたお湯でボディソープを溶かして泡立て、顔を近づけてキスしながら上から順に、いやらしい手付きで全身シゴキ洗い。もちろん至近距離でいやらしい視線をこれでもかというほど投げ打って、相手は気が付く。
「もしかして、俺のこと本気で好き?」
すぐ興奮して抱きつく私は、ぬるっぬるの手応えから手を離して挟んだら密着させて動く。
この時よく言うのは「ちょっとだけ。まだ時間あるよね?」お客様の台詞を横取りしてしつこく抜き取る。大声をあげて、精子じゃないものを飛び散らせて息も絶え絶えになる方はご愁傷様。
ここまで、私にやらせない強迫性障害の方は最後まで適切な距離をキープ。
それを承知で踏み越えて股に入り混み、クッションに手を埋めながら「帰りたくないんだけど」嫌になるほど困らせて、だけどそれは冷酒のように後から効いてくる。
相手が何を求めていて、どんなやり方が効果的なのかをいち早く探し当て、何度も練り返すことで常に興奮のピークに置き、他のことを考えなくてもいい時間を提供する。この人には、しつこさや聞き分けの無さ、要はわがままが貫通する。それも確認しないでやって叱られることに意義があるとしたら、すぐ甘い関係になれる。
好き、という感情が繋ぎ止める確かなものが、どエロい性愛で正解。
言い方を変えればこの手の男にはミスマッチがほぼ無い。甘えるのが下手だからこそ甘えて見せて、相手が甘えてきた時に、素直に嬉しいと感じてキスができるようになったら・・・・・・
相手のやりたいプレイを先行してやりたがる。身の毛もよだつ男が求める本質的な痴態は、願望/フェチを突き抜けて人間性を疑うトラウマの解禁とか、絶頂アブノーマルなのでここでは言えないけど。
オーラルでは無い、心の溝の奥まで光を当てて「しっ、助けに来た」金さえ払えば俺が何とかしてやると言うのだから、仕方ない。
※私は、守銭奴。
・
・
・
・
・
夏のメンズ肝試し、いかがでしたか。
支配と性愛は必ずしも一致して、誰にでも振り掛かるわけではありません。
大概の男性はちゃんとしまってお行儀よくしてます。
ただ、教えたがる男が私の周りには多くて、言うことなんか聞きやしない私のわがままを上手に扱ってくれる。日常生活のなかで自分に対してこんなにも好きだと必死に求めてくれて、愛してあげないと襲われる危機感に今日も悩みは尽きない。
次は墓場で運動会。
たのしいな
たのしいな──終──
南口にて
新宿の南口でふと目の前にポケットティッシュを出され
俺も彼女に次のライブのチラシを渡そうとしたが
受け取ってくれず
彼女は少し困った顔をしていた
まあ女性を困らすのは趣味ではないので俺はライブのチラシを仕舞い
ポケットティッシュを受け取った
だいたいにおいてハイボールの炭酸により下痢気味であるし
いつか役に立つのかも知れない
ポケットティッシュのなかには芸能人の笑顔と即日50万までOKと印刷された紙が入っていた
俺はその広告だけを抜き取って彼女に返した
困った顔をしていたが彼女はこれを受け取ってくれた。
最後の散文詩 5
わたしは井戸の傍に腰かけながら、分析心理学をめくり、今夜の仕事のこと気にしている。
雨がふれば仕事は中止。雨がふらなければ決行しなきゃいけないんだけど。ふたりの男が話していた。
清楚な服に身を包んだ若い詩人とすっかりしろかみになってしまった仏教学者がなんやかんやと議論している。
わたしはわからないことばかりだ。
なぜ数式と睨めっこしていた人間が爆発的回心キリストについて熱く語るようになってしまったのか。
なぜ数式と睨めっこしていた少女が、今、AIを使用して絵画を描いているのか。
いつかぶら下げていたカメラは今どこにあるのか。
だからわたしは井戸の傍にずっと身を寄せつつ、ずっとそのふたりの男の話に聞き耳を立てていた。そして急いで家に帰った。
先の議論のことをくりかえし、頭の中で反芻しながら、内村鑑三さんの本が確か家にあった筈なんだけれど、と思いつつ、自分の本棚を見まわしたが、多くの本はクローゼットや物置に入れてしまっていたので、肝心の、内村鑑三さんの本が見当たらず、時刻が来たので、とりあえず、サンドウィッチと、慣れないがここはコーヒーではなく、紅茶を淹れて飲んでみようと考えた。
おいしかった。
この時代にあって、若い詩人はもうこの日本にも大聖堂が立っているのだから、そこでコツコツと詩を書いた方がいいと言っていた。しろかみの男はずっと何か語りかけようとしていたが、その大聖堂があるとして、わたしはその大聖堂の天井に描かれた絵を、見つめるということができるかな、とそっと言った。
わたしは妻を病院に見送ると、そうだ、わたしも教会に行ってそこで最後の散文詩を書いてみようと考えたが、玄関を出て、とことこ歩いていっても、木や草ばかりだし、ああ、確かにここに確かに教会があった筈だと思ったらば、そこは小さなケーキ屋さんになってしまっていた。
しょうがないので、ともかくノートに歌を諳んじつつ、書き落としてゆきながら、歩いてゆこうとすると、なぜか、またあたらしい人、あたらしい人たち、に出会うことになったけれど、みんな、各々の答えをしっかりと持っているけれど、そもそもわたしは、わたし自身の答えの、その問いすらももっていないことに気づいた。
スマートフォンで、Halleluiah Halleluiah、と歌いつづける、ロックンロールを聞きながら、結局のところ、わたしは生き残りだけれども、最後にたった一本の煙草に火をつけてこの世の生を全うしたということでいいのではないかという気がした。
そうしてわたしの詩はどこまでいっても嗜好品にしか過ぎないから
今からあの若い詩人を訪ねて、どうぞ、あなたはあなたのARTを完成させて下さい。
そうした手紙を祈りながら綴りながら、この詩が何ものの表現も盗んでいないことを気にかけつつ。
わたしはハッと、周囲を見回すと、ことの始終をのぞいていた一人の女の子がいて、彼女は、一歩、二歩、三歩、といいながら、海の方へ歩いていった。
きっと今夜は晴れるだろうから。この手紙を便箋につめて夕闇のなか出しに向かう。
星空の下、
Halleluiah
Halleluiah
と、歌いながら、俺は、俺の仕事をするだろう。
風の刻印
黒く 冷たい風は
地を 凪いでゆき
泊雲 留まれなく
遠雷 午後を記す
貸し本棚に関する意見交換会
貸し本棚サービスをローンチし、すでに一定の盛り上がりが見られつつあります。
こうした中で、ぜひお互いの貸し本棚、本のラインナップなどについて、意見交換する場をつくらせて頂きました。
Talkでやる手もあるのですが、貸し本棚サービスの立ち上げを優先するために、ぜひコメントすれば、自動的にコインが貯められる
掲示板スペースで意見交換会を催したいと思っております。
ということで、まずは取り急ぎ、会の発足を宣言させてくださいませ。
Creative Writing Space事務局
2026/06/09
批評・論考
電話をくれるP先生
先生は喉仏の奥に名前の死骸を隠していた
もうずっと前から優しさではなかった
指輪のようにつめたくて
私の指にきつくはめることができた
先生とは駅のトイレや車の後部座席とおなじ
世界のくらやみのことであった
くらやみは蜂蜜の声で
「かわいそうになぁ」と言った
関西のほうの訛りがまじっていた
そのすべての言葉に自分の身体を溶かして
成熟した母音だけおいていった
私たちは単数の私を忘れた
桃色の舌が縺れ
聞くにたえないなにかを言うが
意識は伴わないまま意味が殖えていく
子ども部屋をゆるがす囁きが好きだった
けれど止める方法はわからなかった
すすきの草原
ここはすすきの草原ではなく
歩道の植え込みであるということを
忘れてしまいそうになるほど
みな同じ方角を向いている
戦争写真
人の声音は風に流され、ここに届かず、
小さな火焔も風になびき、傾いて消えようとする。
見えないものも見えるものも、
同じように風になびくほどしなやかだ。
柔らかい身体をもつ心、
柔らかい心をもつ身体、
それらをなびかせ倒す風。
こんなことを考えていると、
頭を撃たれて倒れた男の像が脳裡にあらわれる。
初めて戦争写真を観たのはいつどこでだったか?
その写真は灰色だったにちがいない、
昔の写真だったにちがいない、
第二次世界大戦のものだったにちがいない、
僕らにとって戦争と言えば、
なぜか第二次世界大戦が思い浮かぶから。
写真に色がつき始めても、
戦争は無くなっていないけどね。
風の強い日には写真を撮りたい。
見えないものも見えるものもなびかせる風、
しなやかな心や身体をなびかせる風、
この風は写真に写り込むものだ。
またこの風は、
戦場に吹く風のように思われてこないか?
戦争写真の条件もまた、
戦場に吹く風をとらえていることだ。
なんと不自然で不条理で、
無慈悲で残虐に感じられる風だろう。
戦場の事物は兵と武器によって、
絶えずぐんにゃりと歪む。
さまざまなものが倒れる。
でも人や武器の声音は風に流されて聞こえず、
灰色の火焔は風になびいて沈黙する。
詩「8 1/2」
8 1/2
「文学極道」
2020年3月 月間優良作品 次点佳作
俺の屍を観ながら 道化のサーカスを観ている
終わりの時 俺がいる所 天国か地獄か
訳の判らぬまま 俺はその祭りを観ている
終わりの時 俺の存る処は天国か地獄
映画の終わりの様に
バックコーラスまで流れてきた
祭りは騒ぎを増してゆく
映画の最後だというのに君がみあたらない
そんな事とは関係無くパレードは続く
俺の屍を観ながら 道化のサーカスを観ている
終わりの時 俺がいる所 天国か地獄か
訳の判らぬまま 俺はその祭りを観ている
終わりの時 俺の存る処は天国か地獄
思い出がシアター状に流れてくる
二十一世紀の夢 トム少佐の追従者
青白い光 それが君だとわかった時
俺の存在(いる)ところの意味を理解した
俺の屍を観ながら 道化のサーカスは行く
終わり時 俺の存るは 天国でも地獄でもない
青白い君と一緒に映画の終わりがやってくる
青白い君と一緒に映画の終わりがやってくる
西暦二○二六年十二月五日
ローゼ・ノイマン
やさしいて
夕方にテレビをつける
遠くの国の戦争が
こわいこわいかなしい
背中を丸めるわたしに
夫はちっとも休まず
仕事から帰って着替えて
しっかり手を洗い
せかせかせかせか
晩ごはんを作り始める
戦争のニュースから
全国でクマが相次いで出没にかわり
更に天気予報に変わっても
わたしは背中を丸め
戦争について
A国の大統領の言動について
携帯の画面の上
親指を走らせて追いかけている
夫はやっぱりちっとも手を休めず
包丁やお鍋やら電子レンジやらと
向かいあったり
わたしには背を向けているのに
わたしの話を聞きながら
うなづいたり聞き返したりしながら
いそがしくしている
であってからずっと
夫はやさしいてをしている
どんなときだってこーやって
わたしの日常をくみたてて
「はい!暇なら、
魚の骨をとって、ほぐしてあげて」
焼いた魚がのったお皿を差し出してくる
やっと携帯を机において
手伝い始める
やさしいてからわたしは
「はい!」
返事だけはとても明るく上手にして
受け取る
前略 O…のまちよお元気ですか
けっきょく私は私に似すぎている人か
ちがいすぎる人だけを
好きになるようにできているらしく
そのせいでいつも痛い思いをさせられて
大通りの向こうに住む
シロクマ氏のところを訪ねていくことになる
年をとった動物のみだらで懐かしいにおいを
胸いっぱいに吸い
いつも妹≠私のうしろに私を隠して
やっぱり氏さえも愛せずに
こころの流れ星がひとつふたつと墜ちるんだ
愛しているから 信じているから
どうぞこのからだを覆うつる性の植物から
赤い実をいくつでも摘みとっていいよ
というのはほんとうは愛ではない
見たことか気づいたときには失血していて
毛深い手のなかに握られている包帯が
ほしくてほしくてたまらなくなるのだった
桃色の紫陽花
6月の小雨降る朝に彼は心から思いました。
なんて散歩日和なのだ、最高じゃないかと。
そして彼は以前に挑戦して途中で断念した。
桃色の紫陽花までの踏破を決意しました。
彼には心に秘めた相手が居たのです。
桃色の紫陽花が凄く似合っていて、憧れていました。
桃色の紫陽花が似合う彼女に会う事だけが
桃色の紫陽花を目指す目的では、なかったけれど
彼の大きな勇気と原動力になっている事は確かだったのです。
彼の歩みは遅かったけれど確実に彼女の元へと向かっていました。
朝からの小雨の合間から気まぐれな太陽が顔を出しては
彼を苦しめましたが、6月の風は雨粒を含み彼を応援してくれました。
彼が桃色の紫陽花の茎へとたどり着いた頃には日も昇り
昼の日差しが紫陽花の桃色を輝かせていました。
日差しが苦手な彼女は家の中で次の雨雲を待って居ました。
少しずつ少しずつ歩みの後を日に輝かせながら
彼女の側に辿り付いた彼は一緒に紫陽花の葉の上で
梅雨の囁きを耳すませて家の中で待つ事にしました。
やがて降り出した雨音に顔を出す2匹のカタツムリに
桃色の紫陽花は赤みを深めては葉を揺らして
二人の出会いを祝福するかの様に優しく揺れていました。
約束をしないで会えたら僥倖
またね、とは言わない
また会える前提で手を振った幾人かが
二度と会えなくなったから
立ち去るとき
そういう人は足音をたてない
疎、疎、疎、と離れていく
私もそうしてきた
いかにもまた楽しい時間をすごそうと
暗黙の約束を結んだ笑顔で
じっと影を踏まれない所まで離れてから
もうそれきりにした人たち
泣いたり泣かせたりして
花びらを一枚ずつ散らし
散、散、散、と
だんだん花芯だけになっていくように
私の知らないところで
あなたの知らないところで
共有出来ていたかなしみを
たったひとりで持て余す夕方に
どんなに引き伸ばしても
もう誰にも届かないのに
この影の内に誰かいないかと
探してしまう癖を
きっと誰もが抱えている
我が儘な私たちは臆病でもあり
立ち去る理由を告げず決別する
さようならと言って別れる優しさを
持てないまま
またたく
数多の信号
等しく甘い闇に
内からひかる星は 幾つ
瞬きに呼応して
ひかりを賜る星は 幾つ
存在を放ち
かたちを分かつ
互いを求め 反発し
惹かれあい
離れあう
たとえ
遺るものは 傷のみとしても
ひからざるを得ぬ者たちよ
届かなくてもいい
そう想える強さが
あったなら
きみは
きっと
どの星よりも
こいぶみ
わたしは
きみのかたちを
かんぺきに
きりぬきたかった
ことばっていう
まほうなら
できるきがした
きみをきみのまんま
そのままこぴーして
かんぜんほぞん
したかったんだよ
たわわ
おろしたての極点と銀の手は仮のものと氾濫する。丘の小股をすくい、山なりの隆起を飛び越して、うねりもたおらかな、てっぺんを砂上とする
秘められた悪辣な改竄を行う眺望の地に 合掌する沿岸に 足が不自由な 雉の 感度が増し、皮肉っぽいコマネズミの書窓を 聞きかじる
慈雨と
彩雲を楽天地に
残り香を
口車に乗る天気図を
寂滅した愛嬌を深みにかぶせる、波音はののしり 人生を 引き締める思惑は 葉擦れ
『それとなく水を向ける私は木の股から生まれた理由じゃない』
湖心された型に嵌っている。舗道の剥離 水際立つ夢路への いちまい
/情熱的神がいる場所を強いれる軍人
挙句の果て熱っぽく血の気がひく無恥
進む速さを傾ける煩悩
三日開けずにやってくる綿花
爪に火を点す自問自答。息が弾む
泣くに泣けない陰茎、鵜呑みにせよ/
母のやさしさから
(不慮)色彩は豊かな。埒もない老骨、またたく間。暗に言う、突出した強さ
あなたへの、壱文
水と煩悩(短歌集)
夏の海どこからとなくあらわるるヨットしらなみ尽きないしらべ
鎌倉やいつかいもうといたこの地へと追いかけるよう今着いたのだ
伊豆はあたたかテントもよくてなみおとの耳へとどくや頁をめくる
また一枚ぬぎすてながら畑おこすおこされてゆく山の土くれ
ぽっと月ある東京のこと巡りつつ買ったのり弁ふたつを下げて
花これ葉となりこれも落ちてあゝ東京よほんとうにさようなら
辿りつきほんとう旨いこの水のしぶきしぶきしぶきしぶきや
のんびり水のむやありったけもうならんもう一杯だけを
パピーラブ
かわり映えのしないパピーラブだったけれど
ねむたい私の内奥のリリスがふるえあがった
知恵よ したたる意味を舐めとってよと
かつてビー玉みたいだと言ってくれた
熾火 無数のラインストーンの涙はふたりの
さやけき唯一の部分
みじめなまでに本気だったので
望んできっと死にたがりながら抱かれたのだ
世代もジェンダーもまたぎこえて
逸脱のそしりに耳を塞いだ
冒険だったとあなたは言う
嘘つきと私はいまでは言う
理性なき狂女と呼ばれたって
欲深い私がそれを受け入れることはない
九月生まれのあなたの誕生日から
およそ一五〇〇〇日たって
夢みるようなまなざしに生まれたからだは
ルービックキューブさながらに
さびしいノスタルジーがしみついてしまった
夏が殺人的なのも ボーイフレンドの疲れも
犬が短く生きるのもみんなあなたのせいだよ
僕という建造物
僕は、造られた。
お母さんとお母さんに造られた。
生まれてから10年を越えても、
まだ完成していないと二人は言う。
お父さんが僕の設計図を描き、
お母さんがそれを見て指示をする、僕に。
時々二人はケンカをする。
時々それを僕にも売る。
僕はどうしようもなく、
ただただ二人に頷くだけだった。
二人はこれを子育てだと言った。
僕にはこれを成長だと言った。
だんだん積み上げられていく、
誰のためにでもなく大きくなっていく、
僕という建物は、
次第に僕の中の僕を覆った。
お父さんとお母さんは、
協力したとて僕が頑張って作った僕に、
ズカズカと土足で入ってきて、
勝手に家具やら何やら置き始めた。
僕の僕はどんどん大きく立派に建ってきて、
どれもお父さんとお母さんの部屋ばかりになって、
僕は迷子になってしまった。
僕は僕の中で迷子になってしまった。
ある日、
一人の女の子が僕の僕に遊びにきた。
その子はとても楽しそうで、
僕の間取りもすっかり覚えて仲良くなった。
ある時、僕は耐えられなくなり、
その女の子に、家出をしたいと言った。
ここは間違いなく僕の僕で僕の家であるのだけれど、
どうにも息苦しく暮らしづらい。
女の子はとても親身に聞いてくれて、
ある夜ついに夜逃げした。
僕という建造物を残して夜逃げした。
しばらく経ってその子はすっかり運命の相手となった。
近々、家を建てるつもりだ。
二人で一生懸命考えた。
しっかり業者に建ててもらう。
愛という業者に建ててもらう。
家庭という大きく住みやすい建造物を。
僕はこれから何を造ることができるだろうか。
彼女のために。彼女と共に。
エッセイ ポエムについて
「文化事業、白洲次郎」と事あるごとに呟いていたら、文化事業ってなんなんすかって言われた。白洲次郎って誰なんですかって言われた。俺にとって文化事業ってのはただ単にこれはもう、今、散文を書いて投稿する事と、そうして、三十冊はある妻のキャンパスノートのポエムを整理、編集すること、そうしてディスコードで、ちゃちゃっとチャットする事である。
田んぼに向かい、破傷風の事について調べ、今、虫も触れない小学生を、来年あたり泥まみれにしてやろうかな、とか考える事が俺にとっての文化事業だ。
そうして白洲次郎といえば日本の敗戦処理に携わった人物であり、吉田茂のイソギンチャクとも揶揄されたのだけれども、彼は無相荘という住まいに閉じこもり、ともかくひたすら畑仕事、そうしてやっと敗戦となってから対アメリカとの交渉に赴き「あなたの英語は素晴らしいですね」と言われては「あなたは英語を勉強した方がいいですね」と、アメリカ人に言い放った人物である。
そうして、俺はエミネムが流行っていたとき、高校生だったけど、今になってラップというものに興味関心を持ち、ともかく「文化事業、白洲次郎」と押韻してみた。意味わからん、と言われた。ぎゃふん。
全然話は変わるけれど、今、賃貸の、これは住宅に、二人暮らし。長男なのだけれど、まあ子供に恵まれず、しかし今年の十月、わたしはしっかりとこれは自分で自分を蔑むわけではなく、ほんとうに伯父さんになるらしいのである。ともかく、毎朝、正信偈を唱え、何故ならば、浄土真宗の現世利益として、こどもがすぐになくなることをふせぐ、ということがあるからである。そうして足どりは、山へ向かい、分け入って、スマホで、ディスコードに通知がないのか確認しつつ、それからもう、いいでしょう、というころ下山する。すっかりお腹も空いている。
家にかえり、パラパラと妻のキャンパスノートに向かい、それをパソコンのWORDに打ちこんでゆく。「ともかく余分なところを削れ」いつか先人の詩人に教わった事を念頭に、妻の詩を編集しては打ちこんで、それで、まあ妻も満足しているようなのであるが、それって本当にオリジンなポエムなのであろうか?
確かに妻の筆致は荒く、感情任せでぐしゃっとしているといえばぐしゃっとしているがそれを、単純「綺麗」に収めてしまうということ。
印刷してしまうということ。まとめるということ。何かここのところで本来の詩の在り方と間違っているような気がしてきた。
資本主義においてはすべてのものに何か価値が見出されてゆく事が前提化されている。なんでも。
そうしてそれは詩も例外ではなく、だから、タイムラインでは、こういう詩が本来的なもので、わたしの書いている詩こそ、認められるべきであるという主張がたえまなくされている。その主張はすべて作品への価値を上乗せする意図がある情報なのです。
ここで思う。まず、この、妻の詩を、私の目線でもって、それは編集工学という視点でもって、編集しているのだけれど、それって一種の「犯罪」を犯しているような気がしないでもない。 ある人が書いていた。
私が最高の詩を書いたのならば、それはそっと海へ流そう。
主張、デモクラシー、文化事業、白洲次郎、みんな素晴らしいと思う。
しかし妻のポエムをせっせ、編集する、私は心底、悪人であろうと自覚する。ほんとうに悪人なんですよね。
あなたにであって
ありがとう
ほんとうのひとりとは
ひとりだということに
気づかないことなんだと
知りました
馬鹿な私は学んでばかりです
本当の馬鹿だから
気づかないことばかりなのです
当たり前のことだとしても
[む]ムニエルの詩
熱に抱かれて私は色付き
身を白く、労働を得て焦がれるのです
セピアの背景に第七惑星の氷粒が延々と、旋回をアピイルするわけで
自由に効かない節足が切れてしまったって
「あっ、切れちゃった」なんてどこか他人事のように思っちゃうわけで
切れた足ではどこにも行けないなんて誰に言われたのかわからないが、
例え切り身になったとしても誰かの栄養になるならそれでいいじゃないか
我が身は粉雪の降り積もる地にて鉄の上で拍手喝采のダンスに狂わされる
筋肉が悲鳴を上げる
拍手はやまぬ
この舞踏病は止まることを知らぬ
舞台が次第に熱く焼ける
拍手はやまぬ
脂汗が落ちる
足が切れる
拍手はやまぬ
舞台袖へ私はおいしくなった
BAR「Creative Writing Space」
ニーズがあるやらないやら、まったく見当がつきませんが、
毎度おなじみの思いつきで、BAR「Creative Writing Space」を開業いたしました。
皆様にお使いいただけなければ、すぐに閉店いたします。
電脳空間の片隅にある、吹けば飛ぶような小さなBARでございます。
一杯引っかけた体で雑談していただけるスペースをイメージしています。
「Talk」がさほど機能していないことも踏まえ、もっとカジュアルに使っていただけたらと思っています。
【ルール】
・ワンドリンク制です。必ず何かお飲み物をご注文してからお話しください。ノンアルコールでも構いません。
・お代はいただきません。もしスペースコインをお支払いになりたくなったら、他のお客様に奢ってあげてください。
・酔っ払いすぎにはご注意くださいませ。
Creative Writing Space事務局
2026/03/21
批評・論考
いきることにひっしのわたしたちは
どうもこうも
ながさやおもさがちがう
すぷーんで たがいたがいに
たべさせあう
それがあいだと
しっていてもしらずとも
けつのろん
たった
おおよそ ひゃくねんすら
わたし(たち)には
ながすぎる
めいそうばかりしているよ
めをひらいてはとじては
ち、ぎりたい
なかゆびよりも
ひとさしゆびを
さしだして
あなただけに
ちかいたい
そんなこいをしたいです
そんなあいをもちたいです
箱に入れる
だれにも
みえなければ
さわられなければ
なにもないも
すべてあるも
おなじことに
なるってきいて
箱に入れる
ときめて
箱に入っていく
ことばひとつおとさないように
きをつけながらきをつけながら
うれしいひ
わたしにかいておく
こいもじで
すぐにわすれちゃうから
うれしいことほど
かいておきなさい
やったーとかふふふとか
あっはははーでいいから
ね、やくそく
ひまわり
光を追って
目を
顔を
そちらに向ける
眩しくて目を細め
大輪の笑顔に
手をかざす罪は
僕だけのもので
その存在に
凛とした視線に
息を飲み
目を瞑る
圧倒的な
華やかな声は
僕の奥を
震わせて
僕の背筋に
冷えた吐息が
かかるようで
逃げ出す足に
力が入る
膝が抜けて
怖いと漏らす
輝く花びらで
人は殺められる
なんてことを
口ずさむのは
僕だけの咎
コンピュータvirusくん
「おいみんな〜紹介するぞ。転校生のコンピュータVirus君だ。」
「Virus、こんにちは、初めまして。転校生のコンピュータ・Virus、と申します。Virus、よろしくお願いします。」
「みんな、仲良くしてあげてねー!!」
「はーーーーい!!」
(イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、、、)
クラスの女子たちの心の中の騒めき、、、。
「はい、じゃあVirus君は、そうだね。あそこ、たかこさんの隣に座ってもらってもいいかな。」
「Virus、了解。」
「はい、じゃあたか子さんと仲良くしてね〜。」
「Virus、了解。」
Virus君はそういうと、たか子さんの隣の席へ座りました。
「あ、よろしくね、Virusくん。」
「よろしく。俺はVirus。」
きゅんっ
なんだかかっこいい。たか子さんはもうVirusくんの事を好きになってしまいました。
「たか子さんはなんか、ハードディスクに似てるね。」
"えっ、、きゅんっ"
たか子さんはVirus君との初めての会話にときめいてしまいました。
「ハードディスクっていうのは、データを保存するための装置なんだ。僕はVirus。ハードディスクに入り込み、データを破壊するのが得意なんだぜ。」
饒舌に語り出すVirus君。
「えっ、えっち、Virus君のえっち!!」
たか子さんはえっちな発言に怒ってしまいました。
「先生!!Virus君がえっちで〜す。」
たか子さんは思わず、先生にチクりました。
「ん、Virus君はえっちなんだ。ところでVirus、ズボンを履きなさい。」
先生は落ち着いた対応をします。
「Virus、了解。」
ずずずずず、ずずずずず。Virus君はズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーン。
「きゃあVirus君。ズボン履くの上手ね。」
たか子さんはあまりにもVirus君が滑らかにズボンを履いたので驚いてしまいました。
「Virus、得意なことはズボンを履くこと。Virus、物音立てちゃ、いけないからさ。Virus、Virus、Virus。」
きゃあかっこいーーーーーーー!!
パチパチパチパチ〜!!
教室はVirus君のあまりのカッコよさに拍手と歓声で包まれました。
「ふふっ、俺はVirus。これくらい、当たり前のことさ。」
得意気な、Virus君。
それを見ていたたかしくん。嫉妬しました。僕だってあれくらい上手にズボンを履けるもの。僕だって、あれくらい上手にズボンを履けるもの。たかしくんは教室の前に躍り出ました。勿論ズボンは脱いでいます。
「これからズボンを履きます。みんな見てて。」
「わかったわ。」
「わかりました。見ます。」
みんな、見ています。たかしくんを見ています。みんなの、真剣な眼差し。たかしくんは、少し、緊張しています。
ドキドキドキドキ
は、履くぞ。履くぞ。履くぞ、履くぞ。
ずずずずずず。ずずずずず。隆くんは、ズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーーン。
「す、すごいわたかしくん。滑らかで上手だったわ!!」
「すごい!!すごいわ!!流石だわーー!!」
「え、えへへへへへ。そ、それ程でも。」
頭をかいて照れるたかしくん。それを見守るVirus君。
「みんな幸せ。Virus、ハッピー。」
完
《歴史創作》井上さん 最終話予告
さーて、来週の井上さんは。
どうも、元兼です。最近は備後の山名も無事に追い出すことができ、一安心。
志道のうるさいおっさんも年なのか孫を評定に出すきりだし、元就殿も気弱な小倅に家督を譲ったことでのびのびと羽根が伸ばせますわ。
あとこの前の評定で上座に座ってみたけど、なかなか悪くない気分でしたよ。
さて、次回いよいよ最終回! そういうわけで豪華に
・次の評定、宴があるからサボっちゃおう!
・毛利の小倅ご乱心! 引き締め&帳簿要求!
・就在くん、いきなりの褒美! いざ郡山城へ!
・冷酷無慈悲! 元就のその本性!
……の四本立てです!
来週も井上党の勇姿をご照覧あれ!
金貨と目薬(3)
<3人の関係➋>
加賀見にショートメールで店に出るシフトを送り、
加賀見が来店する日は太客以外の指名を断り加賀見との時間を取るようにした。
何度目かの来店で同伴出勤を約束して貰い、同伴のお礼にとアフターで他の店へ飲みに行った。
何度目かのアフターで加賀見の寝ている横で目を覚ます事となった。
記憶を失くしての結果でなく加賀見のタイミングで、こうなる事を深水は望んでいた。
加賀見と朝を迎えるタイミングで深水は自分の考えるデザイン企画を持ち出した。
自分で考えた企画でなかった事も有って乗り気で無い加賀見に
この企画が成功すれば夜の世界から完全に抜け出せるから力を貸して欲しいとねだった。
加賀見の脳裏を深水と二人で成功する世界が横切り
「やってみるか、俺もイラストで食べて行ける様に成れば最高だしな。」
その言葉を聞いて身支度を済ませて深水は加賀見を置いて部屋を出て行った。
加賀見との企画を進める為に深水は持てる人脈をフルに使い企画に現実味を持たせた。
深水はファッション雑誌の編集長を前に企画の面白さを熱弁していた。
「深水君、面白い企画だと思うけれど大きな問題が有る様に思うのだよ。」
編集長の言葉に深水は動揺の欠片も見せる事なく先回りする様に答えた。
「私が夜の仕事をしている事ですか?協力して貰えるアパレル企業からも指摘されましたけれど
この企画に対して私は一切、前に出ようと思っていませんし出ません。」
深水の言葉に「そんな貪欲な目で言われても誰が信じられるのだよ…」編集長の言葉を遮る様に
「私が今、欲しいのはお金でも名声でも無いのです。流れ私が源流と確信出来る流れが見てみたいのです。」
モデルが企画を提案しに来た場とは思えない異様に重い空気を押しのける様に
「流れ?流れて何だよ!まあ、深水が表に一切出ない事を条件に前向きに検討してみるよ」
編集長の言葉によって深水の異様な申し出と雰囲気に吞み込まれる様に深水の企画が机上に乗った。
そして雑誌の後ろの方に加賀見の顔写真と共にデザインに込められた思いなどが紹介された。
記事の内容からは自分の影さえ伺う事は出来なかったが深水は気にする事も無く企画の反響を追っていた。
愛の言葉文字を読めぬ程に解体してデザインとして使っているとアピールしたところ
秘めた恋心を感じるとネットで騒がれはしたが爆発的な流行とは成らなかった。
しかし深水は細いけれども自分が作り出した流れを感じて満足げだった。
~つづく~
偃鼠(えんそ)の歌
ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
「リンダリンダ」甲本ヒロト
無常観、わび、さびなど所謂日本的美意識と言われるものについて書いてみた。素人の戯言に過ぎない。
一、
人生は思うままにならない。不如意な事が後から後から生じる。都会に就職して高給取りになりたかったのに幸運の女神にソッポを向かれて田舎暮らしを強いられる。若いうちには頻繁にパーティなんぞを楽しみたかったのに人もいなければよい場所もない。都内タワマンの高所でエッヘンオッホンとしたかったのに我が家は僻地にあって荒屋じみている。家具も食器も輝かんばかりの新品で埋め尽くしたかったのに親や親戚からのお古で我慢しなくてはならない。いつまでも若いと思っていたのに気がつけば黒髪に白いものが混じり体の到る所に皺が刻まれ節々が痛み始める。一体どうしろと言うのだろう。
誰しも自我を守らんとする心理体制を備えている。酸っぱい葡萄がそうである。高所に実る葡萄を取れなかった狐は、どうせ酸っぱいのだから取れなくてよかったと負け惜しみを言う。心中に壁、というより門を造り自在に開閉させ、自我にとって必要な情報は門を開いて取り込む一方、好ましからざる情報は閉ざして遮断する。葡萄は酸っぱくて口に合わないかもしれないとの話はしっかりと聞いて記憶し、世間の悪口は心に容れずに自我を守る。葡萄の寓話は人の成長を阻むので必ずしも好ましいとは言い切れないが、それでも何もしないで自我を無防備に厳しい現実に晒せばいい、というものでもあるまい。
葡萄が可能なら、華のない生活や古びた家具や思いのほか足早な終末も可能ではあるまいか。自我の門を思うままに開閉し、心を清流で満たし、逆境にあって順境さながらの自足が果たせるのではあるまいか。無常・わび・さびのイデーである。負の美学であるが、人を苦しませかねない事物をしてむしろ満足せしめるのである。儚きを儚きが故に愛し、寂しきを寂しきが故に愛で、古きを古きが故に惜しむ。このように人をして価値転換せしむる防衛機制として、無常観があり、わび・さびの理念があるのである。
二、
如何なる生き物であれ、この世に生を受けて喜ぶのも束の間、終息は足早に訪れる。春の桜は夏を知らず、夏の蝉は秋を知らない。愛する者もいつまで生き永らえようか。鴨長明は「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と嘆き、啄木は「おそ秋の空気を/三尺四方ばかり/吸ひてわが児の死にゆきしかな」[1]と悲しむ。しかし、生きとし生けるものは蜻蛉の命であるからこそ、一分一秒の輝きが愛しくなるのである。桜が年中咲き誇るとしたら、我々はかくもかの花を愛するだろうか。咲くと見る間に散るからこそ、いっそう愛おしいのではあるまいか。兼好法師が「あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の煙立ちさらでのみ住みはつる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」と説くのはそのためである。命が永遠だとしたら「もののあはれ」も何もないのであり、儚く定めないからこそ胸を打つのである。命は儚いが故に愛おしく、愛おしいが故に美しくまた尊いのである。損なわれ易い生は憂いの対象であるが、それにもかかわらず、否、それ故にこそ愛おしく、慈しむというまさにその思いを通して生の充溢が感じられるのである。同一の対象が正負両義の解釈を許容し、対象の陰性が悲しむべきものから愛おしむべきものへと変えられるのであり、かくして人は能動的にゲシュタルト転換を成し遂げ、新解釈に慣れ親しみ、生の悲しみが生の喜びとなるのである。(啄木の嘆きには同情すべき点があるにしても)鴨長明はこの積極性を欠くので悲しむばかりに終わったが、兼好法師は生の愁いを歓びへと投げ企てたのであり、無常観は主体的獲得によって負の美学として確立されたのである。
陰陽転換は洋の東西を問わない。詩人シェリーの涙は随筆家リンドの笑みへと変貌する。シェリーは「うたかた」[2]にて無常に袖を濡らす。
きょう ほほえむ花も
あすは 死ぬ
待ってほしいものはみな
さからい 逃げてしまう
この世のよろこびは なに?
夜をあざける稲びかりか
つかのまのきらめきか
ところが、その袖に滴る雫に知らず感嘆するのがリンドである。
たいていの人間にとって、人はついには死なねばならぬと知るからといって、いま生きている喜びを弱めることはならない。詩人にとって、枯れる宿命にある花
や余りに早く過ぎ去る春を凝視する時にも、世界はいっそう美しく見えるのである。五月を見ているまさにその瞬間にもその美しさは消えつつあると知るからこ
そ、詩人は心をより激しく震わせるのである。
と言うのだから[3]。リンド的転回には兼好法師と同じ機微が潜むのであり、無常を憂いから喜びへと転換させる知恵は普遍的なのである。
三、
わびは元々は叶わぬ恋の苦しみや生活上の不如意の辛さを表した。以下は万葉集からであるが、一つは「何度も恋に泣くが、心慰める効果なく、辛い思いで寝る夜が多い」と嘆き、一つは「国が遠いからとて悲しむな、風に吹かれ雲が行く如く、私の言葉があなたに届こう」と言う。どちらの動詞「わぶ」も辛さを意味する。
立ち反り泣けども我(あれ)は験(しるし)なみ思ひわぶれて寝る夜しそ多き[4]
国遠み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通はむ[5]
仮に地方へと流されたとすれば、都会的事物から隔離され、愛しい人に会えず、手にしたい物もない。人は憂いの淵に沈む。ところが、これは煩わしい世間からの解放でもある。私は誰にも気兼ねしない独居に親しみを覚える。草の葉に這う朝露、物静かな昼下がり、郷愁を呼び起こす夕暮れの情景に愛着を抱く。すると新しい環境を辛いと感じず、自ら進んで享受する。主体的生活態度としてのわびが成立し、これを和歌に詠むと美意識へと昇華する。価値転換が果たされるのである。
古今和歌集には「山里はもののわびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」というよみ人知らずの歌があり、「山里は物悲しいが、都の辛さと比べれば住み易い」という意味である。ここでは、正負転回の結果としてわびが成立し、しかも「もののあはれ」を知る者ならば誰であれ経験し得るので、無名の人もまた詠むのである。
わびとは何か。武野紹鴎は『紹鴎侘びの文』において「正直に慎み深くおごらぬ様」であるとして、「一年のうちにも十月こそ侘なれ」とする。「正直」とは自然であって無理に作らぬ態度である。「慎み深くおごらぬ」とは人に派手さを見せつけず、静謐な暮らしに安住することである。『分類草人木』という書には「有るべき様こそ面白けれ」とあり、『禅茶録』には「不自由なるも不自由なりと思ふ念を生ぜず、不足も不足の念を起さず」とあるように、富者が強いて貧しいナリをするのではなく、貧者が貧しさに忍従することでもなく、富者ならざる者がその暮らしぶりのままに充足することである。人も物も不足する日々に馴染んで自足することである。その様はまさに穏やかな秋であり、華やかな春でも眩い夏でも手厳しい冬でもない。
千利休によれば、わびの精神は藤原家隆の歌「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや」にある。見目麗しき花を欠く草地に親しみ、活気に満ちる派手さよりも活気無き地味さに心惹かれて落ち着く詩情である。さらに、わびは贅沢と粗末を対照させ、より深い美を引き出すことでもあり、華麗美と不足美の対照において成立する感性でもある。
すなわち、不足それ自体に享受すべき美の性格があるから不足美と言えるのだが〔不足美〕、のみならず、通常は好まれない不足に敢えて美を見いだそうとするから見いだされるのであり〔主体性〕、不足に慣れて自足するから美を自家薬籠中の物とできるのである〔習い〕(「習い」は兼好法師の言葉である)。また、不足美に華麗美を対比させることによって不足美を際立たせることであると同時に、華麗美の華麗美たる所以を強調することであり〔対照性〕、さらには不足美を華麗美に重ねて重層化させることでもある〔重層性〕。
家隆の歌でいえば、まだ雪の間に草が生えつつあるのみであって花は何処にも咲いていないのがむしろ美しいのと考え〔不足美〕、華やかならぬ雪間の草にすら美を見いだす積極的態度があり〔主体性〕、そして草を見慣れるにつれ愛着を抱くところに自然な美意識が育成される〔習い〕。想像上の春の花と現実の冬の雪と草との対比により、いまだ花の開かぬ草地の不足性が浮き立つところでそれを哀憐し、同時に雪間の草と待ち遠しい春の花との対比により春の花の美しさが際立つところでそれを愛で〔対照性〕、雪間の草を背景に据えた上で春の花を提示することによって重層化された美が示されることで、いっそうその美の虜となるのである〔重層性〕。
四、
心に苦しみを引き起こす生活や対象から逃避したり、あるいはそれを抑圧していたりするだけでは、いつまで経っても不如意のままであろう。この手のものの中には、美的観点から、ひいては実存的立場から、実は高い評価の付与に値するところもあるかもしれない。逃げたり抑えつけたりせずに向き合い、目を留めるべき点を見出し、いわば身を委ねれば、精神の充足を果たし得る。
芭蕉がそうである。このわび人は、若い頃は将来が約束された立場にいた。ところが後ろ盾となる人物が亡くなって苦境に陥ると、江戸に出て俳句評論家として身を立てようとした。弟子もでき、さあこれからだという時に、芭蕉はなぜか鄙びた深川へと隠棲し、この地で短期間に『柴の戸』『月侘斎』『茅舎の感』『寒夜の辞』『乞食の翁』など一連の名句を生み出すのであり、これらの作中において、徐々にわび概念を確立するのである[6]。以下、簡潔に見て行こう。
『柴の戸』では、芭蕉は「こゝのとせの春秋、市中に住侘(すみわび)て、居を深川のほとりに移す」と書く。都会は金のない者が暮らすには辛いから町外れへと住まいを移すのであり、芭蕉は辛い場所から逃げる〔逃避〕。次に『月侘斎』においては、「月をわび、身をわび、拙きをわびて、わぶと答へむとすれど、問ふ人もなし。なほわびわびて、侘てすめ月侘斎がなら茶哥」とする。わぶという動詞を繰り返すことによって芭蕉は自らの状況を直視し、苦しみを忌避せず、意識という舞台へと登壇させる〔意識化〕。『茅舎の感』では、杜甫に「茅舎破風の歌あり」と言い、蘇東坡は「此句を侘(わび)て、屋漏の句作る」と続け、そして芭蕉は「芭蕉野分して盥(たらひ)に雨をきく夜哉」の句を得る。杜甫は破屋が漏るので眠れないと困り、蘇東坡は大雨には雨漏りがすると悩み、その心を芭蕉は取り上げて一句を得る。ここでは、孤独で辛い独夜に雨音を聴くという情景が描かれ、苦しみながらそれが詩情へと高められている〔昇華〕(ただし、芭蕉翁の弁としては、いまだこれを楽しむ心境には到っていないようであるが)。精神分析の用語を借りれば、逃避によって意識下へと抑圧されていた辛い侘びの思いが、意識化を経て詩情溢れる侘びへと昇華するのである。
そして『寒夜の辞』では、「深川三またの辺りに草庵を侘て」と書き、「芦の枯葉とふく風」という一節を挟み入れる。ここには、西行の和歌
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
津の国の葦の丸屋のさびしさは冬こそわけて訪ふべかりけれ
この二つが背景となっている。「津の国の難波の花咲く春は夢だったのか、眼前には蘆の枯葉に風が吹き抜けるだけではないか。むしろ難波の春の暖かさではなく、冬の枯れたる詩情こそ我々は希求すべきではあるまいか」と。これは西行の陰陽転換の記録であり、芭蕉はそれに共感し、「芦の枯葉とふく風」という言葉を書き留めたのである。
そして『乞食の翁』である。芭蕉は杜甫の
窓には含む西嶺千秋の雪
門には泊す東海万里の船
という二行を置き、「我其の句を識て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、其楽をしらず」と続ける。杜甫と同様、芭蕉も貧しく生きているが、杜甫とは違って芭蕉はいまだそれに自足する精神を獲得していないと言う(もっとも、そう嘆くのも俳諧に固有のイロニーであるのかもしれず、当の翁は既に莞爾としているのかもしれない)。ここに到ってようやく、芭蕉の詩歌と人生の目的が侘びを楽しむことと見据えられた。侘びの精神の確立である。
言語的に見る。『柴の戸』では、「市中に住侘て」とあり、わびは助動詞であるに過ぎない。『月侘斎』では、「月をわび、身をわび」となり、わびが本動詞に昇格される。最後の『乞食の翁』となってようやく「その侘をはかりて、其楽をしらず」と書かれ、わびが名詞として用いられる。わびが明確な概念として確立され、詩歌の主題として追及する価値のあるものとなったのである。
このように、芭蕉は孤独で粗末な暮らしに対する評価を消極的なものから積極的なものへと転換させたのであるが、東に芭蕉がいれば西にはソローがいる。ソローは人里離れた森に単独で暮らし始め、ただ一度だけ寂しいと思ったと述懐する。しかしソローはむしろ孤独に精神の充足を感じることになる。発見されたのは日本のわびではないが、僻地における孤独で貧しい暮らしを悲観せず好意的に評価したのだから、芭蕉と同じ精神の力学が働いており、わびの西洋版とでも言うべきものがあると言える。
ただ一度だけ——森に住みはじめてから二、三週間たったころだった——おちついた健康な生活を営むには、やはり身近なところに人間がいなくてはならないのではないか、という疑いの念に、一時間ばかりとりつかれたことがある。ひとりでいるのが、なにか不愉快だった。しかし同時に、私は自分がいくらか狂気じみた気分になっていることを意識しており、まもなく回復することもわかっていたようだ。そんな気分に囚われているあいだ、雨がしとしとと降りつづいていたが、突然私は「自然」が——雨だれの音や、家のまわりのすべての音や光景が——とてもやさしい、情け深い交際仲間であることに気づき、たちまち筆舌につくしがたい無限の懐かしさがこみあげてきて、大気のように私を包み、人間が知覚にいればなにかと好都合ではないかといった先ほどの考えはすっかり無意味となってしまい、それ以来、二度と私をわずらわせることはなかったのである。[7]
さらに、ソローは「むかしから最高の賢者たちは、貧しいひとびと以上に質素で乏しい生活を送ってきた」と書く。賢者は「外面的な富においてはもっとも貧しく、内面的な富においてはもっとも豊かな階級に属して」おり、賢者のように「自発的貧困とでも呼ばれるべき有利な基盤に立脚しなければ、だれひとり人間の生活を公平な賢い目で観察することができない」と言うのみならず、「贅沢な生活からは贅沢という果実しか生まれはしない。当節では、哲学の教授はいても、哲学者はいないのである」とすら断言する。そして「哲学者になる」ためには、「ひたすら知恵を愛するがゆえに、知恵の命ずるところに従って、簡素、独立、寛容、信頼の生活を送ることである」と述べる。簡素と独立はまさしく芭蕉のわびではあるまいか。日本人の定義するわび人は、西洋においては哲学者と呼ばれるのである。
不足美といえば、ワーズワースのルーシー詩編に侘しい生活を送った少女を題材とする作品がある。不足への評価は消極的であるが、少なくとも詩の主題となる点においてわびに通じる。
人の通わぬ路に人知れず暮らす少女がいる。讃えられも愛されもせず孤独である。おそらく少女の住まいは粗末であろう。少女は付き合うべき人間に不足し、生活する上で便利な物にも不足する。少女はひっそりと生き、ひっそりと死ぬのであるが、詩人はこの少女に哀惜の念を吐露するのである。少女の慎ましい境遇は楽しいものではなかったが、少なくともワーズワースにとっては、詩へと昇華すべき価値はあったのであり、わびの精神に通うものではあったのである。[8]
ダヴの泉のかたほとり、
迹なき路に住みしなり。
讃へしはなく、愛でにしは
いともすくなき鄙少女。
苔むす石のかたはらに、
かくれて咲ける花すみれ。
そのさやけさは大空に
さびしく照らすひとつ星。
生きて知られず、ルーシーの
逝きしを知るも稀なりき、
今、墓にあり、ああ、われに
大いなるかな、そのけぢめ。
五、
人の生を促進せず、妨げかねないものがあるとする。その対象の負の性格は変えられないにしても、人の捉え方を負から正へ、陰から陽へと転換することによって、人がその対象の負性を忌避せずに受け止め、安らぐに到ることは不可能ではない。無常、わび・さびがそうである。対象は負のままでありながら、その負を担う人の精神は陰から陽へ、負から正へとコペルニクス的転回を成し遂げる。兼好法師はこれを書き留め、リンドはここに詩人の幸福を探り当て、芭蕉は深川隠棲中にこれを成就し、ソローも森林中の独居においてこれを獲得したのである。古今東西の賢者や詩人の書を繙けば、枚挙に遑がないのではあるまいか。
この価値転換は既に神話において見られる。ソフォクレスによるオイディプス神話と古事記におけるイザナギの神話を見てみよう。
オイディプスを生んだ二親は一国の統治者だった。ところが、我が子は父を殺め母と交わると予言され、恐れをなして子を遠ざける。遠くで長じたオイディプスは、とある道端で遭遇した人物と揉め事を起し、その者が父とは知らずに殺害する。オイディプスは訪れた国でとある問題を解決し、その王座を得、その王妃を母と知らずに娶る。やがて事実が明るみに出ると、オイディプスは絶望の余り両目を抉り出し、失命して放浪の旅に出る。最後にオイディプスは行きついた地で死ぬのであるが、かっての絶望に弱り切った姿は見られない。自らを襲った残酷な運命と向き合い、受け入れ、尊厳を持ってオイディプスは死ぬのである[9]。知るに到った出自から当初は逃げ出したが、やがて直面し、それを自らの実存的課題であると悟達し、清明なる境地を獲得するのであるが、ここにも〔逃避→意識化→昇華〕なる過程が確認できるのである。
ニーチェの運命愛はこの観点から解明すべきものではあるまいか。すなわち、認識するのが辛いがため逃避している対象と敢えて向き合い、意識化することにより、対象それ自体の負性は変わらぬまでも、対象を見て取る目が負から正へと転換するのであり、そうして対象を受容し、安心立命すら獲得することが可能なのである。その一例がギリシア神話のオイディプスであり、それを運命愛と呼び得るのである、と。
古事記はどうか。死せるイザナミを黄泉の国まで追っていったイザナギは、見てはならぬという約束を破って醜くなり果てたイザナミを見てしまう。恐れをなしたイザナギは逃げ、イザナミに追われる。黄泉比良坂を千引の石で塞ぎ、イザナミにこれより先に入るなと禁ずると、穢い国にいたから禊ぎをしようと独り言ち、禊ぎ祓いをする。海水中に潜って身を濯ぐと、まず穢れによって成れる神である八十禍津日神と大禍津日神が生じ、次にその禍を直そうとして成れる神である神直毘神、大直毘神、伊豆能売神が生じ、最後にはいとも畏き三柱である天照大御神、月読命、建速須佐之男命が生じた。
ここには不浄を浄化する三過程が見られる。イザナギはまず不浄から逃げ〔逃避〕、次いで不浄に直面し(黄泉比良坂においてイザナミに対し「これより先に入るな」と言ったことや、禊ぎにより好ましからざる神々を生成したこと)〔意識化〕、終いには自らの不浄を清めることにより、不浄が浄化されたのである(直毘神や貴き三柱を生成したこと)〔昇華または浄化〕。すなわち、禊は、より多くより念入りに行われることにより、その対象となる人や物のケガレを祓うことができるのであり、さらには不幸・不運・邪悪を取り去る消極的行為から、安全や幸運や豊穣をもたらす積極的行為へと、行為の目的も効果も変わってくるのである[10]。ここにおいても、ケガレと呼ばれる逃避対象が意識化され、昇華(浄化)される過程が描かれているのである。
ケガレとは神々の嫌うものである[11]。
一、衛生上不潔なもの。糞尿、塵芥、腐敗物、溜り水など人間に不潔感を与えるもの。
二、必ずしも不潔でなくとも醜怪な感じを与えるもの。血液がそうであり、殺傷の出血、産血、月水。
三、死。人間の死のみならず禽獣一般の死、生きとし生けるものを殺傷する行為、死者の屍を切り破ること、鳥獣を殺して料理すること。
四、自然から受ける損害。虫に刺されることや蛇に咬まれること、家畜が野獣に食われること、農作物が外注に荒らされること、天変地異により人畜が害を受け
ること。
五、人間の社会生活を攪乱する行為。大祓に列挙するものには、田の畔を破壊すること、水樋を毀すこと、一度種子を蒔いた畑にさらに種子を蒔くこと、地堺の
串を勝手に挿すこと、他人の家畜を害すること、略奪、横領、盗賊、放火、失火、職務怠慢など。その時代時代の社会規範に反するもの。
無常観にせよ、わび・さびにせよ、ひいては運命愛にせよ、何れも日本神話の概念で定義すれば、ケガレがミソギにより浄化された結果(不浄の浄化)、獲得された精神なのであり、この浄化過程が文芸に取り込まれて成立したものなのである。
六、
無常観ならば、論者様々であっても定義の一致は比較的容易に見出せよう。わびとさびについては、論者により定義に異同が少なからずありそうである。さび概念の多様性に私も甘えよう。
さびとは、物の内部から浮かび上がる衰退の相に敢えて愛でるべき側面を見出し、その物自体も愛惜する主体的態度である。衰退相の現れと言うのは、「寂」は「錆」「荒」と読みが同じであることから連想せられよ。鉄器の表面が錆びるのも、建物や庭が荒ぶのも、どちらも寂びときわめて似通った印象を与えるのである。
かくして、さびは古びを古びとして愛好する態度であると言えるが、通常は美とみなされず見逃されやすい古びの様相から美的性質を的確に掬い上げるには、主体性と訓練が求められる(「訓練」は、九鬼周造が『情緒の系譜』で用いる言葉である。P.155)。いつまでも新しいと思っていた物の内部からいつしか古びた様相が浮き上がってきたり、若さの内からいつの間にか老いが現れ居ついたりする際に、古びや老いを嫌がらず、その性格が刻印された物や人を忌避せず、直視し、のみならずその古さや老い、それを帯びる物や人、これに評価すべきところを鑑賞者が見出だすのである。
『徒然草』(八十二段)には、「羅(うすもの)の表紙は、とく損ずるがわびしきと人のいひしに、頓阿が、羅は上下はづれ、螺鈿(らでん)の軸は貝落ちて後こそいみじけれ、と申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか」とある。草紙や巻物の表紙について言えば、上下の部分が剥がれ、巻物の軸は散りばめられた螺鈿(青貝)が剥がれ落ちているのが素晴らしいという。さびが積極的に評価されるのである。『南方録』では、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の春の夕暮れ」という歌について、「とまやのさびすましたる」と評される。粗末な小屋がわびであり、観賞に十分に堪え得るのである。わびが貧しく孤独な生活に対する主体的充足感であるならば、さびは具体的な物に現れる客観的劣化相への愛着ではあるまいか。わびの主観性がさびの客観性へと結晶化されるのである。
七、
物や人における古びや老いを毛嫌いせず、むしろ親しみを感じる点にさびが成立する。それまでなかった新たなる相が人や物に立ち現れるのであり、それが古びや老いであり、その愛着がさびとなる〔古び〕。四季で言えば、春は誕生であり、夏は成長である。秋は衰えが始まり、冬はそれがいっそう深まって死へと到る。わびが穏やかなる秋であるとするならば、さびは白々とした冬となる。冬ともなると、夏や秋には見られなかった新たなる様相が立ち現れる。それが雪や氷であり、さびをしてさびたらしめる。物の内部より立ち現れる新たな相は、自然界では必ずしも古びや老いではないが、これらの新様相が周囲の死滅せる世界から際立ち、愛でられるに値するのである〔際立ち〕。藤原俊成の歌論書『古来風躰抄』では、冬についてこう書かれている。
冬になりゆくままには、蘆の枯葉に霜置き迷ひ、水際(みぎは)の氷に閉じられ、まして雪降りぬれば、厳(いはほ)にも咲く花と疑はれ、終(つひ)の緑の松
の上の雪などは、年さへ残りなくなるにつけても、袖の氷も心身しみまさる心地して…。
私の考えに従えば、「蘆の枯葉に霜置き迷」うのが俊成の「さび」となる。生命絶える冬の枯葉において新たに立ち現れるのが霜であり、周囲には映える物が減るので希少価値を有し、いっそう際立って見える。それが「厳にも咲く花と疑はれ」ということなのである。つまり、殺風景なる情景はそれ自体がさびとなり得るが、同時にそこにひときわ目立って見えるもの、それもまたさびの真髄を構成するのである。蕉門十哲の一人である支考の『続五論』の「華実論」では、「風雅は本さびしきもの也。…たのしきに居ては淋しきをたのしみがたく、さびしきに居てはたのしきをたのしみやすし」とし、それを「風雅のさび」とする。支考説を俊成説に接合すれば、「さびしき」とは冬の荒んだ情景や枯葉であり、「たのしき」とは枯葉の霜である。「さびしきに居てはたのしきをたのしみやすし」とは、殺風景なる風景の中だからこそ、枯葉の霜がいっそう映えるということなのである〔際立ち〕。また、ここでもわびと同様に、地味と派手、陰陽の対照性も確認できよう〔対照性〕。
リルケは何処かで果物の美味さを詩に詠むが、もしやリルケは満足に果物を食べられなかったのかもしれず、だからこそその美味さがひときわ強く感じられたのかもしれない。だとしたら、それはリルケのさびとなるのではあるまいか(飽くまでリルケ的なものとして、であるが)。
八、
芭蕉は去来の「花守や白きかしらをつき合はせ」という句について、さび色がよく出ていると評した。桜の咲き誇る時期に花の番人がいる。老夫婦であろうか、二人が花弁の散りしきる中に頭を突き合わせるようにして、何やら相談事でもしているのだろうか、それとも周囲の華麗なる情景をじっと見入っているのだろうか。二人はもう何年もこの情景を見続けてきたのであろう。そしていまも時を惜しむが如くに、または時の波に揺られるが如くに、桜の風景を見守っているのである。さびとは人や物の内部から立ち現れる経年の象徴であり、ここでは老夫婦の白髪であり〔古び〕、そのような象徴や象徴を含む全体に対する愛着の念でもあり、ここでは白髪を戴く老夫婦への静かな共感である。そして老人全体においては、深く刻まれた皺や衰えた皮膚と比べると、清浄そのものにも見える白髪はひときわ映えるようにも感じられるのであり〔際立ち〕、あるいは二人の老人と咲き誇る桜とを対比すれば、桜の姿がいっそう華やかに際立つのである〔対照性〕。
心敬は「ふけにけり音せぬ月に水さび江の棚無し小舟ひとり流れて」(夜も更けて月は傾き、水錆の浮かぶ入江には乗り捨てられた小舟が一艘あって、音もなく流れている)という和歌を詠んでいる[12]。「ふけにけり」が時の流れを示し、「水さび江」は、水溜まりの表面には茶褐色の錆びのようなものがしばしば浮かんでおり、そのような入り江をいうのだが、これは自然界における古びを詩情へと掬い取ったものであろう。心敬はこの歌について「ひとへにふけさびたる風情をつくし侍り」と自註しており、『老いのくりごと』では「ふけさびたるかた、最尊なるべし」とすら言う。この歌には古びのみが見られて陰陽の対照性はなく、これといった際立ちもないが、これもまたさびなのであろう。
九、
ソローは衣服について言う。衣服の意味は実用性にあって目新しさや世間体にはない、「われわれの衣服は、着ている者の性格を刻印され、日々肉体に同化されてゆくので、ついには自分自身のからだとおなじように、ためらったり、医療器械で治療したり、儀式でも挙げたりしたあとでなくては、思いきって捨てることもできなくなってしまう」と[13]。ここには、物の内部から新たな様相が日々の使用と共に立ち現れる姿が描かれ、これも古びであるが、経年劣化というより経年「変化」の様相である。それが人をしてよりいっそう衣服に馴染ませ、愛着を抱かせるのである。古びが人を惹きつける一因である。ソロー一流の見立てによるものであるとしても、これもまたさびではあるまいか。
ソローはわびからさびへの精神的経路の発見者でもある。ソローは住まいについて言う、最も趣のある住まいというのは「貧しいひとびとの、少しも気取ったところのない質素な丸太小屋や田舎家である」と。家を「絵になるものにしているのは、その貝殻のなかに暮らしているひとびとの生活であって、その外観上の特質だけではない。また、都会人が郊外にもっている箱型の家も、やはり彼らの生活が単純で、想像するだけでも楽しいものとなり、住居の様式にむりな工夫をこらしたりしなければ、それに劣らず趣の深いものになるだろう」とも[14]。要約すれば、質素な住まいはわびであるが、理由としては背後に庶民の貧しくも素朴な暮らしが想像されるからである。貧しい暮らしはわびであり、それによって成り立つ住まいがさびである。主観的なるわびを苗床として客観的なるさびの木が育つのであり、ここにわびからさびへの連絡がつくのである。
ソローは、衣服が古びを獲得することによって人はいっそう衣服に親しむと述べた。この事情は衣服に限らない。ヘッセは「ラヴェンナ」という詩において「ささやかな死んだ町」[15]を詠むが、町の古びに惹きつけられる人の心が主題である。その第二、三連を見よう。
町を通りぬけて、振返って見ると
街路はいたく陰気で湿っている。
千年のよわいを重ねて、ひっそりと語らず、
到るところにコケむし、草がはえている。
さながら古い歌のようだ——
その調べを聴いてだれも笑わず、
みな耳をかたむけ、聞いたあとでも
夜中までみな物思いする古い歌のようだ。
古い街並みは誰もが耳を傾け物思いに耽るようなものであり、ヘッセは町の古びに心を寄せる。まさしくさびではなかろうか。「夕暮れの家々」[16]もそうである(どこかの旅路で詠まれたようであるが)。その第二、三連を見よう。
家々は互にしっくりと寄り添い合い
姉妹のように丘の斜面に根ばえている。
だれも習いはしないがだれでも歌える
歌のように、簡素に古めかしく。
壁、漆喰、かしいだ屋根、
貧しさと誇らしさ、衰えと幸いが、
愛情こめてやさしく深く、
昼に向ってその熱を照し返す。
質素な暮らしを背景として粗末な家々が寄り添い合っている。質素な暮らしとはわびであり、粗末な家とはさびである。ヘッセは寄り添い合う家々を見、背後に倹しい生活を見通すのであるが、ヘッセの視線も主観的わびから浮かび上がる客観的さび、すなわちソローの経路をなぞっているのである。
以上、陰の美学とでも呼ぶべきものについて、駆け足で舌足らずながら論じてみた。写真には写らない美しいドブネズミの歌である。いまだ長い道中の途上におり、道は東西に伸び、再び探求の旅は続くのである。
参考文献
[1]『一握の砂』石川啄木、青空文庫
[2]『シェリー詩集』シェリー、上田和夫訳、新潮文庫
[3] Rain, Rain, Go to Spain、III. The Earthquake、Robert Lynd。
[4]万葉集、中臣朝臣宅守、巻15-3759
[5]万葉集、作者未詳、巻12-3178
[6]『芭蕉の「わぶ」についての考察』日暮聖の講演。
[7]『森の生活』ソロー、飯田実訳、岩波文庫、上巻、「孤独」
[8]『名訳詩集』ワーズワース、竹友藻風訳
[9]『ギリシア悲劇全集 第2巻』、人文書院
[10]『ケガレ』波平恵美子、講談社学術文庫
[11]『祭——本質と諸相』松平斉光、日光書院)
[12]『正徹と心敬』伊藤伸江、笠間書院)
[13]『森の生活』ソロー、飯田実訳、岩波文庫、上巻「経済」)
[14]『同上』
[15]『世界の名詩』高橋健二訳
[16]『同上』高橋健二訳
でっきるかな、でっきるかな、はてさてフフ〜ン
会話も喧嘩も
ひとりじゃできない
あ
ただ一方的に投げつけるのは
それとは云わないからね
そんなのは
単なる暴力で支配で
自分が気持ちよくなりたいだけの
押し着せでしかない
そしてまた
自分を深く深く知るすべも
ひとりじゃ決して
決して
できっこない
鏡の中のアリスちゃん
あなたはいったい
誰ですか
透明の駅
石英のように透き通っている
ホームも線路も
あるいは留まっている汽車さえも
そんな透明の駅の中の
これまた透明のキオスクで
僕はコーヒーを買う
ふとしたときに
少し感じることのできる
君の残り香を求めて
君がいなくなった日々を想う
世界の夜の中で
過去の駅
果ての星々
あるいはあの日の夕焼け
僕がまだこの駅に
ずっと留まっているのは
まだ君の存在の証拠に
ずっと浸っていたいから
石英質の香り高い
このコーヒーは
ずっと僕の心に刺さり続ける
あの日の君の声がまだ僕の魂に刺さり続けているように
コーヒーを飲み終えると
世界にそっと
無色透明の水銀の雨が降り始めた