投稿作品一覧
一つ
一つをする
一つのこと
一つのことだけを
むしろ
それだけしかしない
たとえ何かを
伝えたくなっても
それでしかしない
一つのことだけで
一つをする
一つのこと
一つをする
俗物礼賛
バチバチと
無数の穴を通り抜けて
あらゆる物事が世間に出てゆく
バチバチと
大なり小なりマネーの渦を生みながら
あらゆる物事が世間に出てゆく
無数の穴には何者も近寄れない
塞ぎようがない無数の穴を通り抜けて
あらゆる物事が際限なく世間に出てゆく
神聖な或いは秘密の物事すべてが
あっと言う間に無数の穴を通り抜けて
世間の俗人たちの胸を撃ち抜く
世間がすべてだ
愛嬌があってお金が好きで情欲に身も心もまかせられる
そんなタフな俗物たちの頭の中にこそ夢が宿る
夢を見させてあげよう
口さがない相談好きの俗物たちの間では
神聖さも秘密も騒がしく愉しい見世物となる
無数の穴から世間に向かって
あらゆる物事の弾丸を撃ちまくる
奴らの正体は何なのか
そういう問いを発してしまうのが俗物なのだ
何でも問えば知り得ると思うのは誤りだ
問いは夢であるから
せいぜい問いで心を膨らませたままでいるのが
我々の自然な愛すべき姿なのである
神亡き時代の信仰
我々は生き甲斐と云う宗教を信じ、自分教を信じる自信派を異端とみなします
アスファルトの色
下り坂に入ると
アスファルトの色が変わり
道が広くなった
小学生のとき
車に迫られながら自転車をこいだ
サドルから腰をあげて
立ちこぎをした上り坂
背負ったバットが肩を叩いた
息を切らして着いたバッティングセンター
小銭を落として追いかけ
自転車が倒れた
メーター料金が上がる
金属バットの音は
聞こえない
隣の母は
ホットコーヒーの缶
両手で包んでいる
触れるとどちらも冷たかった
アスファルトの色が変わり
慣れた狭い道
なだらかに上り坂
バットのない自転車が
窓を横切った
RMT#アイラシヤ大陸
時代 現代
場所 ベネズエラ
ベネズエラ、カラカスの北端。ルイス・アルベルトが住むアパートの窓の外では、今日もボリバル紙幣がゴミのように路上を舞っていた。昨日パン一斤を買えたはずの束は、今日には卵一個の価値も持たない。ハイパーインフレは、人々の労働も、思い出も、未来も、すべてを無価値な数字の羅列へと変え、胃袋を空虚に蝕んでいく。
「ルイス、次の獲物が見つかったぞ。今度は『TABUSE(タブセ)コイン』だ。……信じられん、レートが狂ってる」
隣室から仲間のホセが怒鳴り込んできた。そこは、埃を被った旧式のデスクトップや画面の割れたノートパソコンが並ぶ、電子の「炭鉱」だ。ホセ率いる換金チームの若者たちは、アメリカの廃棄場から流れてきた中古機器を繋ぎ合わせ、二十四時間体制でモニターに張り付いている。
彼らにとってMMORPG『Mythos Ailasia(ミュトス・アイラシヤ)』は遊びではない。一人が十個以上のマウスを同時に操る「マルチボクシング」を駆使し、アイラシヤ大陸の各地に配置したBOT(自動操作プログラム)を監視する戦場だ。RMT専門サイトの取引画面では、このゲームの通貨である瑠璃色の「TABUSEコイン」が、ビットコインすら霞む異常な高騰を見せていた。1TABUSEが、現実の食費に直結する。
「今のレートなら、一時間の収穫でアメリカ人の平均時給を上回る。ルイス、これは『ゲーム』じゃない。俺たちが生き残るための、唯一の実弾なんだ」
ホセが叩くキーボードの音は、マシンガンの掃射音のように響く。彼らにとってアイラシヤの美しい草原は単なる「コインの発生地」であり、農作物は「ドルに変換可能なデータ塊」に過ぎなかった。
ルイスもまた、生きるためにその世界へ「入植」した。しかし、初期設定を済ませ、阿部中期と呼ばれる時代の『境の国』に降り立った彼を包んだのは、圧倒的な「静寂」だった。
他の量産型ゲームのような派手なエフェクトも過剰なBGMもない。ただ、乾いた風が草原を撫でる音と、遠くで聞こえる家畜の鳴き声だけが届く。
「……これが、ゲームか?」
ルイスは木製の鍬を手に、支給された小さな畑を耕し始めた。数時間、泥にまみれて「アイラシヤ米」を収穫し、それを村の交換所に持っていく。手元で電子の硬貨がチリンと音を立てる。その一音が、現実世界での家族の食費に化ける。効率を求めるホセたちは、スクリプトを組んで最速でコインを稼ぐ方法を模索していたが、ルイスは気づけば、効率とは真逆の方向へ歩いていた。
彼は、村の片隅にある古びた看板に惹きつけられていた。
『田伏正雄商店』。
店の暖簾をくぐると、そこには奇妙な「生活感」が充満していた。目立つ場所には、なぜかキアヌ・リーブスの肖像画と映画ポスターが飾られている。店主である田伏正雄は、ただのNPCのはずだが、その眼差しには妙な深みがあった。
「いいかい。このコインの価値は、毎日変わるんだ。それが『為替(かわせ)』という魔法さ」
田伏は、瑠璃色のコインを握りしめた孤児たちにそう語りかけていた。驚くべきは、この商店が持つ独自の為替システムだった。店内の品物の価格は、プレイヤーの行動だけでなく、ゲーム内の「季節の移ろい」や「人々の噂」によって刻一刻と変動する。
ある日、ルイスは田伏から一つの苗を買った。
「これは『刹那の種子』だ。育てるのは難しいが、咲けば美しいぞ」
ルイスは、換金効率の悪いその種子を、自分の小さな畑の隅に植えた。
現実のカラカスでは、明日をも知れぬ不安が支配している。だが、アイラシヤ大陸の土を耕している間だけは、ルイスの心に不思議な安らぎが満ちていった。彼は、ただの「金稼ぎの道具」としてではなく、この世界の住人として呼吸を始めていた。
一週間後、RMTサイトでのTABUSEコインのレートはさらに跳ね上がった。世界中の投機家たちが、この「優しさのシステム」そのものに価値を見出し、買い漁っているのだ。
「ルイス! 何をやっている! 早くコインを回せ。今売れば、家族に肉を食わせてやれるんだぞ!」
ホセの怒声が響く。
だが、ルイスは画面の中の「田伏正雄商店」のカウンターに立っていた。
手元には、丹精込めて育てた「刹那の種子」が咲かせた、透き通るような青い花がある。田伏はこの花に対し、法外な額のTABUSEコインと、一冊の古びた詩集を提示した。
ルイスは迷った。このコインを売れば、現実の飢えは凌げる。
しかし、彼は選んだ。コインを現金化するのではなく、その「詩集」を受け取ることを。
詩集のページをめくると、そこにはアイラシヤ大陸に流れる時間の残酷さと、それでも芽吹く命の美しさが、透明感のある筆致で綴られていた。それは、現実世界のハイパーインフレで摩耗し、砂のように崩れかけていたルイスの自尊心を、優しく繋ぎ止める言葉たちだった。
「ルイス、お前……正気か?」
呆れるホセを尻目に、ルイスは静かに微笑んだ。
「ホセ、この世界には……数字に変えられないものがあるんだ。ここでは、僕たちの労働が、ただの『紙屑』にならない。このコインの価値が高いのは、この世界を愛している誰かが、どこかにいるからなんだよ」
夕暮れ時、アイラシヤ大陸の空は、燃えるようなオレンジ色から深い紫へと溶けていく。
ルイスは、田伏正雄商店の軒先で、手に入れた詩集を読み耽っていた。
画面の向こう側、現実のカラカスでは停電が始まり、街は深い闇に包まれる。だが、ルイスのノートパソコンのバッテリーが尽きるまでの間、彼は確かに、歴史の激動の中に立つ一人の開拓者だった。
TABUSEコイン。それは、崩壊する経済から逃れるための避難所であり、同時に、失われた「心の拠り所」を再構築するための資材でもあった。
店主・田伏正雄が、ふとルイスのキャラクターの方を向いた気がした。
「良い風が吹いてきましたな」
テキストボックスに浮かんだその一言は、ルイスの冷え切った部屋を、確かに暖めた。
CWSのAIさんは
ポストモダンと村上春樹と
フリッパーズギターがお好き
☆★*〜*★☆*〜*☆★*〜*★☆*〜*☆★*〜*★☆
AI分析をいつも楽しく利用させていただいてます
こちらのAIさんは、どうも村上春樹がお好きな模様で
なにかと云っては、必ずといっていいほどに名前をあげて
影響を受けている、と出てくるので
いやいや、1冊くらいしか読んだことないですけど
影響と云われましても💦と、毎回ツッコミつつ😂
ポストモダンにしても、いま2026年ですよ令和ですよ〜
そりゃあそうでしょうよ〜
なんて苦笑しながら読んだり
フリッパーズギターって😂💦😂💦
渋谷系なんて、最も遠いのになぁ
まぁでも、AIさんにはAIさんの
文章構築のクセみたいなのがあるのだなぁ
そういうふうに思いながら読んでると
それはそれで面白い、と思ったり😊
素直
褒め言葉だと思って
便利に使うなよ
まったくもって正直に生きては
いませんから
素直な良い子
真っ直ぐ育ってほしい
何じゃそりゃ
あまりにもご都合主義な皆様に
乾杯します
こちらは常に完売なのに
ニチャラニチャラと笑ってくださり
有り難う
疲れた私は憑かれたように
眠ったあとで
突かれたように
起き上がる朝を迎える毎日
素直じゃないです
まったくもって
わたしはわたしという名の
作品を
各々に差し出す為に必死ですわ
ええ
ええ
もう舞台から飛び降りる覚悟でいいますわ
素直にいえば
すべてがだいきらいです
BAR「Creative Writing Space」
ニーズがあるやらないやら、まったく見当がつきませんが、
毎度おなじみの思いつきで、BAR「Creative Writing Space」を開業いたしました。
皆様にお使いいただけなければ、すぐに閉店いたします。
電脳空間の片隅にある、吹けば飛ぶような小さなBARでございます。
一杯引っかけた体で雑談していただけるスペースをイメージしています。
「Talk」がさほど機能していないことも踏まえ、もっとカジュアルに使っていただけたらと思っています。
【ルール】
・ワンドリンク制です。必ず何かお飲み物をご注文してからお話しください。ノンアルコールでも構いません。
・お代はいただきません。もしスペースコインをお支払いになりたくなったら、他のお客様に奢ってあげてください。
・酔っ払いすぎにはご注意くださいませ。
Creative Writing Space事務局
2026/03/21
批評・論考
作品は死体である——鑑賞と倫理、複数の立場について
(多々AI対話推敲Claudeで記事作成)
作品は死体である——鑑賞と倫理、複数の立場について
2026年3月23日
はじめに:なぜ「死体」と呼ぶのか
作品を語るとき、私たちは様々な比喩を使う。「作品は鏡だ」「作品は窓だ」「作品は問いかけだ」。そのうち、「作品は事件現場だ」という言い方がある。これは芸術人類学者の中島智が示した捉え方で、興味深い。作品を「出来事そのもの」として見ること、完成品ではなく制作プロセスをその通過点として捉えることの重要性を指摘したものだ。
しかし、私が自分の制作と向き合うなかで感じるのは、「事件現場」という比喩では足りない、ということだ。むしろ、そこに「死体」という別の比喩が必要になってくる。
「死体」——それは、事件現場にあるもの。でも同時に、現場の読み方を大きく変える。
なぜそう呼ぶのか。それを説明するために、もう少し根本的なところから始めたい。
第1部:書く行為の本質——今を殺すこと
生と死の定義:流れるものと止まったもの
まず、ここで「生」と「死」をどう定義するかが重要だ。
生きていること=今、流れている。運動している。未確定である。
死んでいること=止まった。固定された。過去になった。
この定義は、道徳的な意味での「善悪」とは関係ない。単に時間の状態についての記述だ。
流れているものは形がない。動いているから捉えようがない。一瞬ごとに変わっていく。その中にいるあなたは、その流れを完全には把握できない。「今」は常に逃げていく。今を認識した時点で、それはもう過去だ。
書く=流れるものを止める=殺す
それでは、私たちが「書く」とはどういうことか。
思っていることを言葉にする。感じたことを文字にする。その行為の本質は何か。
それは流れているものを止めることだ。
形のない思考を、形のある言葉に変える。動き続けている感覚を、静止した文字に固定する。その瞬間、何が起きるのか。
流れていたものが、止まる。 運動が、形になる。 生が、死に変わる。
だから「書く=殺す」なのだ。
不可逆的な相転移
しかし、ここで重要なのは「不可逆性」だ。
運動を書く → 痕跡になる(自然、避けられない) 痕跡を書く → 運動にならない(不可能)
なぜか。時間の向きが逆だから。
運動は未来に開いている。今のあなたは未確定な状態で存在している。だから、それを言葉にすることはできる。
しかし、一度言葉になったものは、もう過去だ。それを読み返しても、それは「痕跡を読む」という行為になるだけで、再び運動にはならない。触れることで新しい運動は生じるが、書かれたもの自体は動かない。
書いた瞬間に、その内容は「いま」ではなくなる。それは確定され、固定され、変わらないものになる。
これが「死体」だ。
第2部:痕跡としての作品
痕跡とは何か
痕跡という言葉で何を指しているのか、もう少し詳しく考えてみよう。
風が砂を吹く。その軌跡が砂紋になる。 水が石を流す。その力が侵食になる。 足が地面を踏む。その跡が足跡になる。
こうした自然現象のなかで残るのは、意図や感情や説明ではない。それは単に「何かが通過した」という事実だけだ。方向、力のかかり方、速度、質量——そうした物理的な情報が、形として残る。
痕跡には、それを作った「何か」の説明がない。意図も感情も運動もない。ただ、通過したという事実だけがある。だから痕跡は、意味の前に立っている。それは「意味が発生する環境」であり、「意味そのもの」ではない。
書かれたものが痕跡だとすれば、読者が手にするのは、作者の「意図」でもなく「感情」でもなく、「運動が通過した跡」だけ、ということになる。
保存と変質——壜のメタファー
保存しようとする試み、それはしばしば失敗する。
新鮮な食材を壜に詰める。「これで保存できる」と思う。でも、詰めた瞬間に何が起きるか。その内容は、もう新鮮ではなくなっていく。酸化する。発酵する。変質する。壜の中では、確かに何かが「保存」されている。でもそれは、元の形のまま保存されているのではなく、変質した形で保存されているのだ。
作品も同じだ。「この瞬間を作品という形で保存しよう」と試みる。でも、保存された瞬間、それはもう「この瞬間」ではなくなっている。時間が経つ。読まれ方が変わる。自分自身も変わる。かつて「今」だったものは、どんどん「過去」へと遠ざかっていく。
だから、棚に並べられた過去の作品は、すべて「死体」のようなものだ。かつて「今」だったもの。でも、今はもう「今」ではない。全部、殺されたもの。
第3部:「事件現場」から「死体」へ——比喩の転換
事件現場という比喩の有効性と限界
「作品は事件現場だ」という言い方は、ある点では有効だ。
事件現場は、「何が起きたか」を推理させる場所だ。散らばった物、残された痕跡、配置——それらすべてが、出来事を語る手がかりになる。だから鑑賞者は、その痕跡から「事件」を再構成しようとする。犯人は誰か。何が起きたのか。どういう順序だったのか。そういう問いへ向かう。
つまり、「事件現場」という比喩は、必然的に読者を「解決」へ駆り立てる。読者は「推理」の快感を求める。「納得する」ことを求める。そういう方向へ引っ張られる。
でも、「解決」がない場合は?
しかし、もし「事件」そのものが再構成できない場合はどうか。
因果関係が解体されていたら。主体が確定しなかったら。時間的な連続性が消えていたら。そうした条件下では、読者は「事件の筋」を復元しようとしても、復元できない。手がかりが足りない。あるいは、手がかり同士が矛盾している。繋がらない。
そのとき、事件現場という比喩は崩れる。読者が手にしているのは「事件の証拠」ではなく、単なる「断片」「配置」「圧のかかり方」だけになる。
つまり「事件現場」は、もう「現場」ではなく、別のものになっている。
それが「死体」だ。
死体と事件現場の違い
死体と事件現場は、根本的に違う。
事件現場は、「何が起きたか」を問う場所。痕跡を通じて、出来事を再構成する。だから読者は解決へ向かう。
死体は、「何が起きたか」を説明しない。説明できない。それはすでに運動を終えた、固定された結果だ。意味的な回収に先立って、そこに存在している。
死体は、おそらく何か事件に関わっていただろう。でも、死体そのものは、その事件を語らない。死体があるだけだ。
だから、読者の関わり方が変わる。
第4部:死体に対峙すること——複数の立場の可能性
事件現場に立つということ
事件現場に立つ、とはどういうことか。あなたが突然、その現場に立ち会った。そこに死体がある。
あなたは、そこで何か一つの役割を果たすわけではない。あなたは、複数の立場を同時に持つことができる。
あなたは警察官かもしれない。事件を解決することが目的。真犯人を見つけ、動機を明らかにすること。
あなたは肉親かもしれない。その死体が愛する人間だったら。感情的な関係性の中にいる。
あなたは犯人かもしれない。罪悪感や、逃走の不安、あるいは別の感情を持ちながら現場を見ている。
あなたは通りがかりの人間かもしれない。何の関係もない傍観者。でも、その場に立ち会うことで、何かを感じずにはいられない。
重要なのは、この複数の立場が同時に可能であるということだ。作者は「こういう立場で読め」と指定しない。死体がそこにあるだけだ。読者は、その死体の前で、自分がどの立場に立つのかを選ぶ。あるいは、複数の立場を揺らぎながら経験する。
選択と責任
その選択には、責任が伴う。
あなたが「警察官」として死体を見れば、あなたの読みは「犯人探し」「事件の再構成」になる。その読みは、作品の一つの側面しか照らさないかもしれない。
あなたが「肉親」として死体を見れば、あなたの読みは「喪失」「愛」「悔恨」といった感情に焦点を当てるかもしれない。
あなたが「犯人」として死体を見れば、あなたの読みは「逃走の不安」「後悔」「自己弁護」といった心理に焦点を当てるかもしれない。
どの立場で見るのか。その選択は、読者のものだ。作者は強制しない。でも、その選択をした瞬間から、読者は責任を負う。自分がどう読んだのか、その読みがどこに立っているのかに、直面することになる。
鑑賞とは「思考すること」
だから、鑑賞とは何か。
答えを探すこと? No。 意味を回収すること? No。 作者の意図を理解すること? No。
鑑賞とは、その現場に立ち会った人間として、「何を見て、何を思うか」という行為そのものだ。
その思考プロセス、その問い、その戸惑い、その選択。それらすべてが鑑賞だ。
そして、その思考には、必ず倫理観が付随する。
第5部:倫理観の自動発生
死体は、倫理を要請する
「倫理」という言葉は、しばしば「規範」「〜すべき」という道徳的な重さを持つ。でも、ここで言う倫理観は、そういう意味ではない。
死体の前に立つ。その時点で、何かが自動的に立ち上がる。それは「この死体に、どう向き合うべきか」という問い。「この死体を、どう扱っていいのか」という困惑。
死体は、勝手に消費していい対象ではない。物体でもなく、ただの材料でもない。かつて「生」であったもの。その固定された結果。だから、それに対する接し方が問われる。
複数の立場と倫理
重要なのは、この倫理観が「一つ」ではないということだ。
警察官として死体を見る人と、肉親として死体を見る人では、その倫理観は異なる。
警察官は、科学的な証拠採取、動かしてはいけない部位、という形式的な倫理に従う。
肉親は、その死体への敬意、触れたい衝動と触れてはいけないという禁止の間で揺らぐ倫理を経験する。
犯人は、逃走を優先させる倫理と、自分がしたことへの倫理的責任の間で引き裂かれる。
通りがかりの人間は、何もしてはいけないという無力感と、それでも何かを感じずにはいられない責任感の間にいる。
つまり、倫理観は複数で、流動的だ。絶対的な規則ではなく、その立場によって変わる。そして、その立場を選ぶのは読者である。
倫理観は「要請」ではなく「発生」する
ここが重要な点だ。
作者は「倫理的に読め」と要請しない。死体として作品を提示することで、倫理観が自動的に発生する。それは、死体という対象の前に立つことの自然な結果だ。
つまり、倫理観は、作者からの命令ではなく、死体という物質性そのものがもたらすもの。だから、読者は「倫理的であるべき」という道徳的な圧力を感じるのではなく、単に「この対象に対して、どう接するか」を問わざるを得なくなる。
それは構造的に必然化される。選択の余地がある形で、でも確実に立ち上がる。
第6部:作者の側の放棄
作者は何もできない
ここで、作者の側の問題を考える必要がある。
作品を死体として提示する。その時点で、作者は多くのことを放棄する。
「こう読んでほしい」という願い。 「この意図を汲み取ってほしい」という期待。 「正しく理解されたい」という欲望。
すべて、手放す。
なぜなら、死体として提示された時点で、読者はその死体をどう扱うか、自分たちで決めるしかないから。作者には、もうそれに対する発言権がない。
読み手の暴走に対する無力性
そして、もう一つ重要なのは、作者は読者の暴走に対して、何もできないということだ。
死体として提示された作品に対して、読者が暴力的に接することもできる。踏みにじることもできる。無視することもできる。作者には、それを止める手段がない。
だから、作者は「倫理観が守られることを期待する」ことしかできない。でも、その期待が保証されることはない。
つまり、作者は「倫理観を要請しながら、その実現を保証できない」という矛盾した立場に立つ。
でも、それでいい
でも、それでいい。というより、そうであるべきだ。
作品を死体として置くことで、読者の自由が最大化される。読者はどう読んでもいい。どう解釈してもいい。どう怒ってもいい。どう感動してもいい。その自由が守られる。
同時に、その自由の中で、読者は自分の読みに責任を負う。どう読んだのか。なぜそう読んだのか。その読みが何を露出させているのか。それは、読者自身の問題になる。
作者は、その読みに対して「ありがとう」としか言えない。その読みが何を体現しているのか。読者がどこに立っているのか。それを受け止めるだけ。
第7部:節度と敬意——接触の作法
死体は「接触の仕方」を問う
死体に対しては、自動的に「接触の仕方」が問題になる。
勝手に動かしていいのか。触ってもいいのか。どこに触ってもいいのか。どれくらいの距離を保つべきか。
死体という対象の存在が、これらすべての問いを立ち上がらせる。
それは、規則や指示ではなく、死体の物質性そのものから発生する問い。だから、強制的だが、外部から与えられた命令ではない。その場に立つあなた自身が、必然的に問わざるを得ないことになる。
敬意と距離
死体に対する接触の仕方には、必ず「敬意」と「距離」が含まれる。
敬意とは、それが「かつて生きていたもの」である、という認識。単なる物体ではなく、何か意味のある対象として扱うこと。
距離とは、無闇に近づかない、無闇に触らない、という慎重さ。あるいは、感情的に引き込まれすぎない、という理性的な保ちの問題。
これらが、死体の前に立つ者に必然的に要求される。そして、その要求は、作者からのものではなく、死体という対象そのものからのものだ。
複数の立場による節度
先ほど述べた通り、死体に対する立場は複数だ。それぞれの立場によって、敬意と距離の取り方は異なる。
警察官としての敬意と距離。 肉親としての敬意と距離。 犯人としての敬意と距離。
それぞれが異なり、相互に矛盾することもある。でも、その矛盾の中で、読者は自分の立場を問い続ける。
その問い続ける行為そのものが、節度を生む。
第8部:読者の多様性と責任
「何をどう読み取られても、ありがたい」ということ
だから、作者としての立場は、シンプルだ。
「何をどう読み取られても、ありがたい。考えて言葉に出していただいて、『良い』と思う。」
なぜなら、それは読み手が自分の立場を体現しているに過ぎないから。
その読みが「浅い」か「深い」か。その読みが「正確」か「誤読」か。そういう判断は、作者はしない。できない。なぜなら、作者はもう、その作品に対して「正解」を持っていないから。
代わりに、読者の読みを通じて、「その人がどこに立っているのか」が明らかになる。その人の世界観が、立場が、倫理観が、読みの中に現れる。それは、読者自身を体現している。
読者の自由と責任
だから、読者の自由は最大化される。同時に、その自由の中で、読者は完全に責任を負う。
「何もしないでいい。でも、何かをしたなら、その選択に責任を持て」という構造。
読者は、死体に対して、警察官になることもできるし、肉親になることもできるし、犯人になることもできる。でも、どの立場を選んだのか。なぜそこに立ったのか。その選択は、読者のものであり、読者が負う責任だ。
第9部:「解釈」から「鑑識」へ
解釈とは何か
通常の鑑賞では、「解釈」という言葉がよく使われる。
「この作品をどう解釈するか」「作者の意図を解釈する」「隠喩を解釈する」
解釈とは、基本的に「意味を見つけ出す」行為だ。作品の奥に隠された「本当の意味」があると仮定して、それを明らかにしようとすること。
鑑識とは何か
これに対して「鑑識」は、別の行為だ。
鑑識とは「そこに何があるのか」を調べること。
意味を見つけることではなく、物質そのものを見ること。断片の配置を見ること。圧のかかり方を見ること。切断面を見ること。継ぎ目を見ること。
意味の前に立つ。意味に到達する前の段階で、すべてを見る。
死体に対する行為は、まさに鑑識だ。医学的な検死から、警察による現場検証から、肉親による最後の対面まで、すべてが「意味を見つけ出す」ことではなく「そこに何があるのか」を直視することだ。
鑑識の多様性
そして、鑑識は、立場によって見えるものが変わる。
警察官の鑑識:血痕の位置、致命傷の部位、推定死亡時刻 肉親の鑑識:顔つき、手の状態、最後の着衣 犯人の鑑識:自分の行為の痕跡、逃げられたかどうかの可能性
同じ死体を見ていても、見える側面が異なる。そして、どの側面を見るか、という選択は、立場を選ぶことと同じだ。
第10部:作品を死体と呼ぶことの意味
三つの層
作品を死体と呼ぶことの意味は、三つの層から説明できる。
第一の層:時間論 書かれたものは、流れるものを止めたもの。生から死への相転移。このプロセスは、必然的で不可逆的。すべての作品は、この構造を免れない。
第二の層:物質性 死体は、対象の前に立つ者に、必然的な問いを立ち上がらせる。「これにどう接するか」という問い。その問いから、倫理観や節度が発生する。
第三の層:関係性 死体として提示することで、読者の自由が最大化される。同時に、その自由の中で、読者は完全に責任を負う。複数の立場の可能性が開かれ、読者はそこに立つ。
これら三つが重なることで、「死体」という呼び方が、単なる比喩ではなく、制作と鑑賞の本質を指し示すことになる。
なぜ「比喩」ではなく「概念」なのか
「死体」を「比喩」として使っているのではない。それは「概念」だ。
なぜなら、比喩は「本当ではないこと」を指す。比喩は「例えるならば」であり、実際のことではない。でも、作品が死体であることは、比喩ではなく、制作と時間の本質についての記述だからだ。
書かれたものは、本当に死である。本当に痕跡である。本当に過去である。その時点で、鑑賞のあり方が本当に変わる。
だから、「死体」は概念であり、制作と鑑賞の根本的な構造を指す言葉。
終章:常に問いの中に
循環構造
結局のところ、この全体は、一つの循環を成す。
今(生)→ 書く → 死体(痕跡) → 触れる → 今(新しい生) → また流れる → また死体...
この循環を通して、存在を確かめる。 何が流れたかを知る。 何が変わったかに触れる。
そして常に、問い続ける。
「今はどこにあるのか」 「私はどこにいるのか」 「書かれたものは何なのか」
答えはない。でも、問い続けることで、「今」にいることができる。存在を確認できる。
読者を前にして
作品を死体として置くことで、読者は複数の立場の可能性を引き受ける。その中で、どこに立つのか。どう接するのか。その選択と責任の中で、鑑賞が成立する。
作者は、その読みのすべてに対して「ありがとう」である。なぜなら、それは読者が自分たちの世界を体現しているに過ぎないから。
倫理観も、節度も、敬意も。すべては、死体という対象の前で、自動的に立ち上がる。作者が強制するのではなく、その場に立つ者が必然的に問わざるを得ないことになる。
最後に
戸惑いながら進むこと自体が、この仕事に値する。 怖いまま進む。 わからないまま触る。 常に問いの中にいる。
そして、いつか手を離す。委ねる。
書かれたものは死体。 でも死体があることで、生が見える。
即時一杯の飯に如かず⑨
ep.9「台湾料理」
俺が抜けたことをフォローしてくれた和真に礼をして、一足早く帰宅。
酔いは冷めた。食べたりなかった腹を満たすべく所業とするか。
台湾料理のルーツは中国にあり。代表的な五香粉(ウーシャンフェン)は5つのスパイスがブレンドされた香辛料、桂皮(シナモン)丁香(グローブ)花椒(カホクサンショウ)小茴(フェンネル)大茴(八角、スターアニス)陳皮(チンピ)が主な内容。日本でいうところ七味だ。
エキゾチックな風味を漂わせる・・・・・・麺、そうだ麺にしよう。
冷蔵庫から挽肉、野菜はニラとキャベツを細切りにして下拵えを済ませたらフライパンにごま油を大さじ一杯回して鷹の爪を割り入れ、香りが立つまで強火で炒める。挽肉の色が変わるまで炒めたら春キャベツ、ニラの順に入れて軽く混ぜニラの色が鮮やかになったら塩ひとつまみ五香粉と黒コショウで味を整えて火から上げる。
「寿がきや」台湾ラーメンを鍋に作り、器に盛り付けたら具材をのせて即席めんの完成。
名古屋を代表するご当地メーカーから販売されている台湾ラーメン。
辛いは辛い、けど豆板醤の旨味に箸が止まらない。
昭和の遺産ともいえる油揚げ麺を引き上げ吸い込み、具ごとスープを飲み込む爽快さは例えようもないドラマだ。
一気に食べてしまったが、追い酢をかけてもこれ旨いんだよな。
腹心地も良く、もう一杯というところでスマホが振動する。
路嘉だと思い込んで電話に出ると宗一郎の声に拍子抜け、再会に気を悪くして帰ったのではないこと告げて切り捨てるつもりが甘い誘惑に押されて、指先でスケジュールを確認しながら二つ返事をした。
佐伯宗一郎の通り名は、スイーツ王子。
数年前から始めた食べ歩きの活動域がワールドワイド、多くの著名人と関係して蓄えたフォロワー100万人を日々魅了するスィートな文章からは想像もできない男らしさを兼ね備える、宗一郎の舌に惚れている。
「じゃあ、今度の日曜に。仕事入りそうなら早めに連絡する」
「俺より仕事の方が大事なの?」
「悪かったな、甲斐性なしで」
「半年も独り身でそろそろ寂しい頃だろ。俺が慰めてやるよ」
「じゃあ今度の日曜、おやつの時間に・・・・・・」
笑いながら別れる間柄には次がある。
宗一郎はいつだって心を結ぶリボンを解く楽しみを与えてくれる、一度でもその甘さを知ってしまったら逃れられない。
恋は終わっても繋がれる甘い予感に期待する俺は、寂しい男なんだろうか。
濾過された声(月末で消します)
母との待ち合わせ場所へ行くには、駅からかなり歩かねばならなかった。
この場所のように、都市とそのベッドタウンと、そのベッドタウンではたらく人々が仕事以外の生活をする場所に、まだ適切な名称はないのだろうか。
深い緑いろの胴体に、白い屋根が載せられたログハウス風の建物は、その周辺を、かざらない印象の、白をベースにした背の低い草花と、うさぎや小人の置物で装飾したかんじの良い庭で囲ってあった。
中に入る前にぐるりと一周したところ、駐車スペースの反対側には、テラス席があり、テーブルやイスは、木製のように見えたが、ガラス越しなので詳しいことは分からなかった。
建物へ向かう数段の階段は、靴底が当たるとカンカン音を立てるので、それに気を取られて、うっかりと蹴飛ばしてしまった銀色の、やけに軽くて私の拳くらいのサイズしかない小さなバケツを元にあったであろう位置へ戻す。
この暑さのなか、駅から25分も歩いたために、私は汗をだらだら流していて、小さなバケツなんかどうだってよかったのだが、そのままではなんとなく後味がわるい気がした。
よっ、と声をかけて、膝を折った姿勢から、もとの姿勢へもどり、扉をこちら側へ引いて、中へ入ると同時に、キンとした冷房の涼しさと、いらっしゃいませ! という複数の女性の声に迎えられた。
ご予約は、と一番近くの店員に尋ねられ、ああ、予約していて、連れが先に入っているんです、若林といいます、と返す。
店員の女性は、一瞬、黄色い花柄のバンダナから溢れた髪を耳にかけ直し、私の角度からは見えない店内を見渡したあと、案内ボードを注意深く確認してから、こちらへ、と私を店内へ案内した。
信じられないくらいざわざわした店内では、20代から60代くらいのあらゆる女性たちがケーキを食べ、紅茶を飲んでいる。そこの喧騒は、小学生の頃、500人くらいの生徒が集まる体育館での全校集会が始まる前と変わらないくらいのざわめきで、私はここで、誰かとお互いを理解し合うための会話をすることは、きっと誰にも不可能だろうと思った。
案内された店内の私から見て、左端の一番奥の席のテーブルの中の左側で壁に少しもたれながら、ホールの入り口の方を向いて座っているのが、母だと気づくのに、少しかかったが、出された水をちびちびと飲んでいる姿を見て、ああ母だ、と思う。
店員は、私を席に案内したついでに、私の分のグラスに水を注ぎ、母のグラスにも水を足した。その店員が、メニュー表をもってきて、今日のおすすめがほうれん草となすのトマトソースだと伝えて去るまで、私たちは目も合わさなかった。
あ、久しぶり、と私が声を掛けると、母は、久しぶり、と返し、一つしか置かれなかったメニュー表を手に取って、目を通し始める。
あー、その、元気? と、次切るのは、天気のことしか残らないペースで、私は母との会話カードを切ってしまう。
元気も元気、昼間っからこんなとこ、元気じゃなきゃこれないよ、と返ってきて、私はそれに頷く。ここにいるさまざまな年代の客に共通しているのは、ありあまるエネルギーだ、そして、それは私に足りないものでもある。
母は、メニュー表を一度隅から隅まで見たあと、また最初のページにもどり、二周目のメニューチェックを始める。
店員に、もう一冊メニュー表を頼もうとするが、店員は忙しそうで捕まらない。それどころか、目すら合わない。諦めて、母のメニューが決まるのを待つ。
母は、ナスとベーコンのペペロンチーノとオレンジジュース、私は、本日のおすすめとウーロン茶を頼むことにして、呼び出しボタンを押して、店員を呼んだ。
注文が繰り返され、飲み物は食前にということになり、店員は喧騒のなかへ去っていく。
私たちには、いよいよ話すことがなくなり、ただお互いのドリンクを心待ちにするよりなかった。
それから少しして、おどおどとしながら、学生のような店員が、ドリンクを盆に載せてこちらへきた。
私は、お手拭きや水の入ったグラスを壁際に寄せる。店員はにっこりして、何かの確信の下の行為なのか、ウーロン茶を母、オレンジジュースを私に提供して、消えていった。
私は黙って、オレンジジュースのグラスを母の方へ押しやり、代わりにウーロン茶をとった。
いやだわ、ああいうの、という自身の発したひと言が、トリガーとなったように母は、彼女を苛立たせるあらゆる物事について、堰を切ったように話し出す。
パート先に新しく来た社員が信じられないくらい使えないこと、同僚が孫自慢をしてくること、近所のスーパーの店員の態度がおそろしく悪いこと、父が映画を深夜まで見て、彼女と口を聞かないのが気に食わないこと。
この洪水のような発話を、止める術がないと私は27年間の母-子関係で熟知しているため、曖昧な相槌をうちながら、ただパスタか、前菜のサラダかが来て、一瞬でも私が自由にできる時間がくるように祈った。
私と母のもとにサラダがきたとき、急にヒートアップした母の声に驚いた私は、ウーロン茶のグラスを引き倒しそうになった。
なんとか私はそれをパッと手を出して支えて、ことなきを得たが、母はその一瞬の出来事にも、目の前に置かれた彼女の分のサラダに目もくれず、日頃の鬱憤を晴らそうと、オレンジジュースを片手に話し続けている。
私は、フォークを二人分、カトラリー入れから取り、一つを母に渡し、母にことわってから、サラダを食べ始めた。
ドレッシングが甘酸っぱいような味で、水菜やサラダもしゃきしゃきとして、美味しかった。てっぺんに乗っていた、コーンをチョイチョイとあとで食べようと避けつつ、サラダを食べ進める。
好き嫌い、まだあるの?
私は顔をあげる、母が白けた顔で私の方を見つめていた。
まあね、まだ少しある。でも、嫌いなわけじゃないよ、食べる、けど、最後でいいかなって。
私はそう言いながら、逃げるように、水の入ったグラスへ手を伸ばした。「そういえば、この前、お父さんが、ポップコーンなんて家で作ってた。後始末せずそのまま、お母さんが後は片付けた、いつも通り」。
コーンを避ける私をチクリとしたついでに、ポップコーンへ連想をつなげ、見事に父の愚痴へと着地する母のみごとな姿は、オリンピックならメダルが貰えるレベルかもしれない。まあ、あれでしょ、映画、映画見て寝落ち……。よくあるよ、私もよくする。まあ、まあ!片付けは自分でしなきゃいけないよ、そうだけど!と言いながら、私はコーンを一粒、フォークの先に突き刺した。
あんたはどっちにもいい顔をする。
地を這うような声に顔をあげられなくなる。それは、たしかに度々指摘される私の悪癖だった。
フォークの全ての先端にコーンを一粒ずつ装着しようとすることを、顔を上げない口実にしようと私は足掻く。そのうちに、それぞれに正しいパスタが届いた。
私は、すべての先端に、ブーツを履いているみたいにコーンを刺されたフォークを見てふふと笑って、それを口に入れて、なるべく雑に噛み、すぐにウーロン茶で飲み下した。ウーロン茶の少しの苦味が、コーンの甘さを和らげる。
パスタは、特筆することはないが、まずまずの味で、私はそれなりに満足したが、母は味については何も言わずに、引き続き何かに悪態をついていた。
わたしはいつのまにか、母の声だけが聞こえない世界へ行く術を身につけてしまっていて、今も何か濾過装置みたいなものが起動して、母の声だけを通さない。
サイレント映画みたいに、ぱくぱく、と母は口を動かし続ける。
その間も、世界は回り続け、音を発しているのに、お母さんだけが、妨げられている。
私は優れた愚痴聞きマシーンなので、たとえ、母の声が濾過されて聞こえなくても、まともな相槌を打ち、その場で最もふさわしく、適当だとされる反応をすることができる。
でも本当は何も聞こえてなどいないし、少しの思考も行われていない。穴の空いたバケツに、水を注ぐのと、それは、本質的には変わらない。
いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか? お席にご案内いたしますね! 本日のおすすめは……。もう孫がかわいくて可愛くてねえ。本日のケーキは何かしら? あのひとはだめだめ! やっぱりマッチングアプリにいいひとなんかいないよね! ……。
あらゆるパワーの飽和した店内は、やはり居心地が悪くて、浮遊する意識に反して、耳だけが私をここにつなぎとめる。
耳。
私は、昔、耳を餃子の形に畳む癖があった。
私が小学生のときに、そのことを担任の女性教師から母へ告げられたとき、母はその場で彼女に激昂したが、母の怒りの強度に驚いたその女性教師は、平謝りして、その月の終わりに学校へ来なくなった。
責任感のない。と母は何度も学校へ怒りの電話を入れたが、その相手をしていた教頭先生も、学校で姿を見るたびにやつれていって、最後にはその年度末でやめてしまった。
もうやめにしたい記憶を思い出していたのと、テラス席の方から、ちいさなポーチ片手に白いワンピースを着た女性が、こちらへ向かって歩いてきたのは、同じ時だった。
白いワンピースから出た手が、健康的に焼けていて、その、日焼けした肌と白い布の作るうつくしいコントラストに目が吸い込まれていく。そのひとはさっさと向こうへいってしまう。おそらくお手洗いに行ったのだろう。
それよりも、私は、白いワンピースに包まれていた、いつかのおかあさん、を思い出していた。
(おかあさんは、私と同じで、やけにしろくて、だからさっき見たようなあわいコントラストはできない。ただ、白い布に包まれた白い身体があるだけだ。わたしの左の上腕には、いくつか離れて火花が散っているような黒子があった。今もあるそれらを、当時は、何かあるといつも、指先でつないで、はやくおかあさんの気分が変わりますように、と願って、でたらめな方向に頭を振って、(すべてがまざるように、)わたしという、さなぎのなかみが均一にうつくしく塗りつぶされて、おかあさんを怒らせないにんげんになれるよう祈っていた。
ふるえている赤いジャムのついたスプーンを掴んだ子どもの指先が、白いパンをめがけて、食卓上をたどたどしくうごく、このときに怒られているのは、わたしではなかったけれど、標的は、ねこのきまぐれみたいに変わった。
わたしも、お父さんも、代わりばんこというか、常に標的を流動的に変えるおかあさんになれてしまって、もうどうしようもなかった。もう、わたし自体が、早いうちに何かに食いちぎられていて、吐き出されたものが、わたしというにんげんのかたちをして、おかあさんの前に立って、頭を垂れているだけだったのに。おかあさんの手はいつもすべらかで冷たかった、)
泣くなんて、嘘だよ。私が私へ言い続けた言葉。泣いたらお母さんはもっとひどくなる。泣くなんて、嘘だよ。おかあさんは、そんな私の様子に気づくことなく、いまだに皿から、どろどろしたものを、大切な娘にするように抱き上げている、だけのことで。
でも本当はちがう。
お母さんのお母さんは、私で。私は母に手を握られているようで、母の手を握らせてやっていたのだ。
母の母、私の祖母は、とにかく花が好きで、花を育てることにだけ精魂を込めているひとだった。祖母の庭には、季節の花がどぎつい色彩で並び、びかびかと存在を主張していた。
あざやかな花々も、一箇所に、蠱毒のように、集められれば、本当に気が狂いそうに明るいネオンになる。
小学生の私と、花々の有り余る祖母の庭から花を摘んで、せっせと自宅へ飾る母。それをあかるい笑顔で祖母が見ていて、この人なあにもわかっていない、と私だけが、すべてを知っていた。
でも私は祖母が好きだった、まだ幼い子どもだった私からみても人として未熟なところは多々あった人だけれど、私は祖母には気を遣わなくてよかったし、祖母は私をとにかく甘やかしてくれた。
庭でたくさんの花を見せてくれる祖母、西瓜を畑にぶつけて、来年もここに西瓜がなりますように、と二人で手を合わせて笑った。
子どもには母親がついてないと、父親の出番はここぞというとき。あとは母親がぜんぶ。子どもの全ては母親で決まるのだから、母親が全て教えなければだめ。
母は、自分にはまともな母親がいなかったから、お母さんは苦労してきた、といつも語った。
お母さんにはお母さんなんていなかったから、だからお母さんは、苦労して苦労して、あなたを育てるときにも、お手本がいないんだもの。何をされたら嬉しいかはわからない。でも側にはいてあげなくちゃね。手を握って、そうして、たくさん、抱きしめて、話しかけてあげる。絵本もたくさん読んであげて、公園にもいっぱいつれていってあげたわよ。大好きな滑り台のある公園があって、そこで遊ばせすぎてお母さんすごく日焼けしちゃったのよ。
耳元で繰り返されたスピードラーニングを、私はいつでも真似ることができる。節回しも、ため息も、優越感も、何もかもコピーできる。
「でも、お母さんにはお母さんの話を聞いてくれるお母さんがいなかったの」
祖母の代わりとされた私は、母の話を随分たくさん聞き、私は彼女の優れた愚痴聞き係かつ標的として生きてきた。
だから、十八で家を出たとき、家というのはこんなに静かで、誰からの制約も受けないのかと感動したものだ。時々くる母からの電話を取ったとき以外、私はハッピーでラッキーで、ケセラセラな人間になれた。
生きていて起こる大体のことは、十八までに経験した苦痛と比べれば大したものではなかった。
腹が減れば、食べればいいし、買ってきた食料を隠されることもない。食事が私の分だけ用意されないなんてこともないし、好きなようにすればいい。誰かの話を聞く必要もないので、夜は早く寝ても平気。逆に、遅くまで起きていたい日は、いつまでも電気がついていても良い。いやなことがあれば、友人に少しだけ愚痴って、次の日にはケロッとできるし、毎日がそれなりに楽しい。働くことはあまり好きではないけれど、自分の食い扶持を稼ぐくらいはできる。嫌なことなんて、家を出てから、ほんとうは、何も起こっていない。ただ、悩んだり、楽しくないふりをしているだけだ。友人からは、悩みがなくて、誰にでも良い顔をする八方美人と揶揄されるが、気にしたこともない。それは事実だからだ。
母の標的になるのはつらいことだ。
私は家を出るまで、何百回と彼女の標的になってきたが、その間に何度も空腹のあまり嘔吐し、汚れた便器の掃除をせねばならなかったし、何度も私の悪口を私の前で父に語る母を見なければならなかった。そしてそれに同調する、仕事で疲れている父の顔は青白くて、空想上の死体じみていた。
なにせ標的は、母には居ないものとして扱われるので、母はただ、私の愚痴を父に話しているだけ、という体なのだ。
家に帰宅して、ただいま、の声に返事がなかったとき、それは始まる。ああ、と膝から力が抜ける感覚。目を三角にして、お鍋の中身をぐるぐるしている母を見た時の、あの絶望感。しかし、10日ほどでそれも終わるのだから、終わらない不幸はない。
私を置いて、お弁当を持って父と母の二人だけでお花見に行く春、私の洗濯物だけが取り込まれずに、雨に濡れていた梅雨。体育祭の練習で汗をかいた私の髪の匂いを父におもしろおかしく笑って、冬はわたしの手袋とマフラーが、どこかに隠してある。また春がきて、私と母はふたりきりで父を残してピクニックに行き、父の服だけが洗濯機から、洗濯されないまま勝手に出してあって……。
母の一年、私の一年、父の一年は、何だったのか。家を出るまでの私の十八年は何だったのか。それは、誰にもわからない問いで、解答は用意されていない。
最初のうちは、母の仕打ちに、この世の終わりのように落ち込み、苦しんだが、あれは何がきっかけだったのか、何も感じなくなった。ただしくは、感じては生きていられなかったのだろうが、私は、何も感じない愚痴聞きマシーンとして、新たな生を得たのだった。
私は素早く、パスタをフォークに巻きつける。もう私は母の標的になることはそうそうない。物理的な距離が私を母から救ってくれた。
そして、標的の役割を一手に引き受けていた父が、最近、母に別れを切り出したらしく、今日もそれについて私は母から呼び出されたのだった。
父から少し前からよく電話がきていたので、事情は既に知っている。二人で分け合っていた責苦を、もう十年近く、ひとりで受け止めて、苦しんでいたであろう父が、はっきりと、「自分の人生を生きたいんだ」、と口にできたこと自体はよかったと思う。
だが、同士だった父よ。あなたは母の他人になれても、私はそうなれやしないんですよ。私は永遠にこの人の娘なんです。
またご飯でも行こうな、と晴れがましい口調で提案された誘いをわたしは断り続けていた。父も察したのか、最近はもう連絡も来なかったが、それで一向に構わない。
そういえば、父は何の食べ物が好きかも、私は知らない。例えば、もし本当に、父と食事に行くとしたら、私たちはどんな店に行くことになるんだろう。父は、一体どのような女性が好きで、どうして母と結婚したのか。母が妊娠したとき、どう感じたか。私が生まれたとき、嬉しかったか。
そんなことを一度も聞くこともなく、父は私の人生からフェードアウトしかかっているが、私はそのことを残念だとも思えない。
私たちは母を軸に繋がっていて、父の人生から母がいなくなれば、もう私たちには共通点もない。私は父を知らない。父も私を知らない。そのまま、すれ違って、離れていく。
お父さん、あなたは何の映画を見るんですか? そう言えば昔、お父さんとお母さんはよく映画館でデートしたと聞きました。その頃は、楽しかったんですか?
私にできることはなにもない、私は何もしないと、母にはやく告げなければならないが、私は、のろのろとパスタなんかをたべている。この後のことを考えると、胸が勝手に苦しくなるが、本当に私に出来ることはなにもない。
私が、母を迎えて暮らすのはあらゆる観点から無理だし、ただのフリーターの私には、金銭的援助も、無理だ。
そんなことを考えていると、お腹が痛くなって、母に言ってから、ハンカチを片手に、お手洗いへ向かった。
外から聞こえる馬鹿みたいに楽しそうな声。便座に座ったまま、私は久しぶりに、耳を餃子のかたちに閉じてみた。もわもわとした覆いがかかって、よく聞こえない。はっきりと音を拾うことができない。少しして、閉じた耳を開いてみると、ワッと音が迫ってくる。
用を足し終えたあと、手を洗う時、すこし肌寒さを感じた。薄手のカーディガンを持ってくるべきだったな、と考えながら、わたしは手をハンカチで拭く。そのあと鏡を振り返り、前髪を手櫛で整えた。
父は、私は母によく似た顔だといっていたが、私にはわからない。母に似ているだなんて、誰からも言われたことがなくて、そんなことを言うのは父だけだ。
母と似ていても、嬉しいとも嬉しくないとも思わない。私は、母の子なのだから、母に似てはいるだろうが、実感もなく、似ていなくても、私は間違いなく母の子だ。そうでなければ、私はわざわざこんなところに来ない。
馬鹿馬鹿しいくらいうるさいここに、私の居場所がないことは自明だった。
ならば、母はどうだろう。お手洗いのドアノブを握って開けたとき、ふと思う。
しかし、私には、母がどのような暮らしをしてきたどのようなひとなのか、そして、その(物理的—精神的)居場所にも、すこしのこころあたりもなかった。
お母さんは、家族に尽くしてきた!と席に戻るなり始まった母の弁明を私は深刻な顔で聞き流している。お母さんがどれだけ頑張ってきたか、と熱弁を奮いながら、感情の昂った母は、ついに顔を両手で覆って、ウッと泣き声をあげたように見えるが、いかんせん、ここは、うるさすぎる。私は母を慰めながら、自宅の冷蔵庫の中身のキャベツを使い切ることについて思いを馳せていた。
あんたには、わからないだろうけど……! と言って、母は顔を覆う手に力を入れ、涙を拭う動作をした。
それは、発作的に、生理的反応のように、咳のように、くしゃみのように、私から出た。
泣くなんて、嘘だよ。
私のその言葉に、母が勢いよく、パッと顔を上げる、真っ赤な顔をしている、両目が充血しているのが見える。狼狽えた母を見て、私は反射的に口にしてしまった言葉を後悔する。
たしかに、子どもの頃からいつも、私は自分にそう唱えつづけてきたが、かといって、そのことを誰かに押し付けようとしたことはないはずだった。そういうことをするのは、嫌なことだから。人に何かを押し付けるのは、よくないことで、私はそれをしないようにしてきたし、これからもしないはずだった。
母は歳を重ねて皺の増えた手を、怒りで振るわせながら、水の入ったグラスを取る。そうして、わたしの方へ、そのグラスを放る。
水は、ほとんどがパスタの皿にかかり、私への被害はあまりなかった。私は机を転がってきたグラスを掴んで、きちんとあるべき姿の向きへ戻して、母の手元に戻した。ここがうるさすぎる場所でよかったと心底思う。
足元の荷物入れから、もう二年近く使っている肩掛けの鞄を取って、その中から黒い財布を取り出すと、そこから三千円を出してテーブルの上に置いた。
そして、ちいさな紙袋をそこへ添える。「お母さん、誕生日、近いから。おめでとう」。母は今度こそ本当に泣き出しそうになりながら、テーブルの上から目を背けている。私にできることは、やはり何もない。ただ、そのことを確認しに、ここに来ただけだ。
「もう帰るよ、お母さんも身体に気をつけて。じゃあ」
私は席を立って、店内を横切り、レジにいた店員の女性に、連れがまだ中にいる旨を伝えて店を出た。
ありがとうございましたー! という店員の声だけが私を追いかけてくる。振り返ることなく、扉を押して、店の外に出た。
カンカンと小さな階段を降りている間にも、ひんやり冷たかった身体が、すぐに夏の熱気に包まれてぬるくなる。
なんだかすべてが夢のようだった。どこまでが夢で、どこからが現実なのか分からない、浮遊感のような不思議な感覚が、私を包んでいた。
現実は暑い夏で、先程までの店内の涼しさは、非現実のようだった。このログハウス風の建物だけが、幾多の女性たちを収容して、終わらない夢を見せているみたいに。
これから、25分またこの炎天下を歩くのは苦痛だが、タクシーを呼ぶほどでもないと、気を取り直して、私は駅への道を目指そうとする。
店先の庭に目を遣れば、先程は気づかなかった、薄い紫色の蔦性の花が地面を這って、敷地から溢れ出しそうな姿で咲いていた。
それはクレマチスって言うのよ。
いつか祖母がそんな風に言っていた気がする。そのとき、わたしの手を握っていた母は、いったい何と言っていたか。そういう、母の声の濾過された記憶ばかりが、ある。
3ページ目(10)
10
父は少し間を置いてから言った。
「……大丈夫だよ」
「しばらく入院すれば、よくなるって」
それから、少しだけ声をやわらげる。
「救急車、呼んでくれてありがとう」
凛はうつむいたまま、小さくうなずく。父は続ける。
「初めてだっただろ。疲れただろうし……」
言葉を探すように一度止まり、
「何か食べて帰るか」
と、言った。
凛は父を見なかった。
「お父さん」
声は低かった。
「携帯に出なかったから……」
少しだけ息が揺れる。
「会社に、電話したの」
父の動きが止まる。
廊下の空気が、そのまま固まったように感じた。
凛は下を向いたまま、続けようとする。
でも、声が出ない。
視界が滲む。
息を吸う。
うまく入らない。
もう1度、吸う。
それでも足りない。
唇を噛む。
それでも、こぼれる。
「……ごめん」
小さな声だった。
「ごめん……」
「ごめん……」
何に対してなのか、自分でも分からない。
知らなかった。
私、何も知らなかった。
家のことも、母のことも、父のことも。
考えていなかったわけじゃない。
でも、見ようとしていなかった。
こんな自分に、父がリストラされたことを話すわけがない。
「ごめん……」
言葉が止まらない。
「ごめん……ごめん……」
声が揺れる。
うまく息ができない。
父は一歩だけ近づいた。
どうしていいのか分からないまま、凛の背中に手を置く。
「……大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、自分でも分からない。
ただ、そう言うしかなかった。
凛はまだ泣いている。
父は背中をさする。
父は口を開きかけた。
「……凛」
そこから先が続かない。
一度、口を閉じる。
もう一度、開きかける。
それでも、何も出てこなかった。
「……行こう」
父はそう言った。
凛はうなずく。
顔を上げることがどうしてもできなかった。
病院の外に出ると、夜の空気が少し冷たかった。
父は手を上げてタクシーを止める。
「近くのコンビニまでお願いします」
後部座席に乗り込む。
ドアが閉まる音がやけに大きく響く。
凛は遅れて、体を震わせた。
車が動き出す。
凛は視線を落としたまま、ゆっくり息を吸う。
うまく入らない。
もう一度、吸う。
吐く。
それを繰り返す。
タクシーの中だ。
今にも溢れそうな感情を抑えなければならない。
今だけでも頭の中から追い出そうとする。
それでも、消えない。
父は、凛の様子が気になって仕方がなかった。
タクシーの運転手が言う。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「えぇ、えー……大丈夫です。あ!そこのコンビニで大丈夫です!」
コンビニの明かりが見える。
車が止まる。
父が料金を払う。
凛は急いで先に降りる。
コンビニの自動ドアが開く。
眩しすぎる白い光の下、棚が並んでいる。
おにぎり、弁当、飲み物。
いつもと同じはずの場所なのに、その便利さが今の凛には何の意味もなかった。
何を選べばいいのか分からない。
父がカゴを取る。
「何か食べられそうなの、取っていいから」
凛はうなずく。
でも、手はすぐには伸びない。
早く家に帰りたかった。
食べたいものを買うことよりも、早くここを出ることを優先して、パン売り場のプレーンなロールパンを選び、かごに入れる。
「それだけか?もっとしっかり食べないと……」
そう言いながら、父は総菜コーナーで品定めをしている。
凛は少し、苛立ってきた。
気を紛らわせるように、文具コーナーを見る。
このコンビニには無印良品の商品が並んでいる。
茶色を基調としたノートや手帳。
それを見ていると、紙の匂いを思い出す。
少しだけ、気持ちが落ち着く。
父は買い物を終えてレジへ向かう。
電子音が鳴る。
袋に入れられる。
凛が受け取る。
自動ドアが開く。
夜の空気が流れ込む。
凛は袋を持ったまま外に出た。
店内の明かりが背中に残る。
何も言わないまま、二人は立ち止まる。
玄関のドアを開ける。
家の中は静かだった。
明かりはついているのに、人の気配がない。
凛は靴を脱ぎながら、少しだけ動きを止めた。
こんなふうに母がいない家に帰るのは、久しぶりだった。
父は後ろで鍵を閉める。
台所から、かすかに匂いがする。
生野菜の匂いだった。
さっきまで、そこにいた。
流しの横のまな板に、刻みかけの玉ねぎが残っている。
包丁も、そのまま置かれていた。
途中で止まったままの形だった。
父は台所に入り、テーブルの上を軽く片付けた。
それ以上は手をつけない。
途中のまま残されたものに、触れないようにするみたいに。
買ってきた袋をテーブルに置く。
父は中身を取り出す。
ロールパンしか選ばなかった凛のために買った
おにぎり、卵焼き、唐揚げ、カップのスープ。
自分の分には、幕の内弁当。
凛は椅子に座ったまま、袋から出てくる食べ物を見ていた。
手を伸ばして取り出したのは、ロールパン。
それなら食べられそうだった。
「ロールパンだけじゃ足りないだろ。少しずつでもいいから栄養のあるものを食べたほうがいいよ」
父はそう言いながら、惣菜を電子レンジで温める。
電子レンジの音が鳴る。
静かな部屋に、その音だけが続く。
温め終わったものを、父がテーブルに並べる。
スープにお湯を注ぐ。
湯気が立つ。
凛はパンの袋を開ける。
ひと口、食べる。
味はよく分からない。
でも、飲み込めた。
父も箸を取る。
一口、食べる。
少しして、父が箸を置いた。
「……さっき」
凛は顔を上げない。
「ごめん、って言ってたけど」
少し間があく。
凛はパンを指でちぎる。
しばらくして、口を開く。
「救急車で」
それだけ言って、止まる。
「いろいろ聞かれて」
「お母さんのこと」
「分からなくて」
父は黙って聞いている。
「年齢も、ちゃんと出てこなくて」
「持病ありますかって聞かれて」
「……分からなくて」
凛は息を整える。
「何も知らないんだなって思って」
父は少しだけ眉を寄せる。
「……悪かったな。大変な思い、させたな」
凛はすぐに言う。
「違う」
父は少しだけ顔を上げる。
「ん?じゃあ、何だ」
凛は答えようとする。
言葉を探す。
でも止めない。
「私が知らなかったのは」
「そういうことじゃなくて」
「お母さんのことも」
「家のことも」
「お父さんのことも」
声が少しだけ揺れる。
「ちゃんと見てなかったっていうか」
「何も、分かってなかった」
一度、息を吸う。
「分かろうとも、してなかった」
父は言葉を失う。
箸を持ったまま、止まる。
凛の方を見る。
今まで聞いたことのない言葉だった。
こういうときの凛は、もっと違った。
はっきりと責めるように言うはずだった。
それがない。
何かが違う、と思う。
でも、それが何かは分からない。
父は思わず言う。
「……凛」
「それは違うだろ」
すぐに続ける。
「お前はまだ子どもなんだから、親のことを全部分かってる必要なんかない」
「そんなもんだろ」
「そんなことで——」
「違う」
凛が言う。
少しだけ強い声だった。
「そういうことじゃない」
父は止まる。
凛は続ける。
「私は」
少しだけ詰まる。
「自分が嫌になったの」
「お母さんのこと、気づけなかったこと」
「お父さんのことも」
一度、息を吸う。
「自分のことしか考えてなかったことが」
「嫌で嫌で仕方ないの」
父は言葉を失う。
そのまま、誰も何も言わなかった。
太洋のさざ波
神様は言いました
すべてのヒトに個性を持たせる
小さき使いは返します
主よ、総体ではノイズです
神様は言いました
そうだよ、そのノイズから
波が生まれるのを待つのだ
神様は更に続けました
個性だけあっても
向きが無いと波は進まないのだ
風が吹くとき
月が満ちるとき
その時――さざ波はうねりを持つだろう。
ほんとうの故郷
鷹が
ほんとうの故郷を見つけに行く夜の
寄せては返す波の音
いつまでもそのままのあなたでいて
頭上に落ちてくるまで箱を高く積み上げるあなた
食べてる最中なのに、弁当箱の形が変だといって裏返すあなた
手元に集中して足元を見ないから転びそうになるあなた
帽子の表裏が逆のまま歩いていくあなた
朝の挨拶はしないのに、新年の挨拶はするあなた
ほとんど喋らないのに、今日は声が出ないというあなた
見てわかるイタズラに100%引っかかってくれるあなた
なんて無邪気なの!!
残念ながら、わたしはそんなあなたが大好きです!
桜並木のある道(掌編散文)
近くのバス停から、四つ目の停留所を過ぎると、桜並木がしばらく続く。
かつて川だったといううねった道は、春になると華やかさを増す。
バスが停留所に留まる。
まだ続く桜並木の歩道には、ゆっくりと見あげながら、歩く老人夫婦の姿がある。
穏やかな笑顔で、会話をしている風でもなく、バスの進行と逆に歩いていった。
バスに乗り込んだ人も、席に座ると、華やかな桜に目を向ける。
伸びる枝は、アーチ状に広がり、雑踏の中の花見よりよほど美しいものだ。
席に座った女性が、抱いている幼子に外を見せる。
わかっているのだろうか、笑顔を見せている。
ただこのバス路線を使いなれている人は、外に目を向けない。
たまに乗る、僕のピントが合ってしまうのは、散った花の方だ。
地面に届いたところで、バスや通りを進む車に踏まれていく。
歩道で咲いた桜を見あげている人の靴も、花びらを踏んでいる。
咲いて、散って風に乗る。
美しいのは、咲いて、花びらが宙に舞うまでだ。
地面に落ちれば、アスファルトの上で土にかえることもできず、傷ついたまま自然に消えていくのを待つしかない。
咲いているのも桜なら、散って踏まれるのも桜。
見上げるものは美しく、足元には忘れ去られる跡。
桜にすれば、咲いて、散って、踏まれる、繰り返すしかない。
ハンカチを出し、外したメガネを磨いた。必死に書いた台本を「やる気だけじゃ」と苦笑いされた。
読まれてもいなかったことを知ったのは、数日経ってからだった。
イヤホンをつけた学生が、桜を見あげることもなく、散った花を踏みつけて、スマホに集中している。
ただ何に夢中なのかは人それぞれだ。
振り向くと、黙って散った桜の花びらが、宙に舞っていた。
この瞬間がきれいで、自由だと桜がいっている気がした。
舞う風で少し浮いたタイヤについた花びら。
短いバスでの桜との無言の会話は、並木が抜けたところで終わった。
バスは広い通りに出るため右に曲がった。
その揺れの勢いを利用するように、僕はポケットからスマホを出してメールを見る、日常に戻った。
この日だけ、明日は同じに見えて違う桜並木。
桜にとっては、毎年繰り返される日常だ。
コタツよな
コタツよな
温もり集う
牛団子
丸くなっては
眠くなってく
焦げるよな
赤熱線に
牛あくび
重なり合って
仲良くイビキ
雪が降る
黒毛の上に
粉砂糖
それでも眠い
ヒーターの下
あぬあむと
眠りなまこで
反芻し
知らず食みたる
となり牛耳
餅のよに
くっつきあって
目をつむり
犇めき合って
また眠り付く
辛うじて
繋ぎとめたる
命あり
祈りと共に
スイッチ入れ
原子力
石油石炭
火を灯し
紡ぎたりたる
子牛の命
温めた
点滴吊るし
牛の中
生食水に
祈りこめたり
夕日よな
ヒーター灯し
朝日よな
ストーブ燃やし
体温上げろ
今 今 生きろ
冬になり
ヒーター縋る
子牛たち
続けよ続け
牛たちの命
小さき言葉
窓の外には広い空
皮張りのイスが
ギシギシとなる
大きな声の持ち主の
赤いネクタイ揺れている
黙って頭を下げている
青いマスクは隠してる
子供の頃は
ごめんなさい
大人になったら
すみません
どちらが重たかったのか
聞かせるようなため息
イスを回して
背を向けて咳払い
拍子に言葉が転がった
頭を下げていた人が
並んだ席に戻り
仲間の小さき言葉にうなずく
転がった言葉は
駆けて出ていく足に踏まれて
床でつぶれた
小さき言葉は
部屋の壁に
染みこんでいく
無常の風
世の中がどんどん移り変わっていくことを無常というんだと教わったけれど、今はうまくいってないことでも、そのうちうまくいくこともあるさ、というふうにはつかわれないのかな。
と高校生のとき、柿下が言ったのは付き合っていた彼女に振られたすぐ後のことだったから仕方ない。たぶんまだたっぷり未練があるんだって気持ちをわかってもらいたかったんだよ。
でも、そこは高校生だからみんなあんまり人を思いやれなかった。
「それは平家物語の影響だろ。諸行無常で滅びかかった源氏が天下を取った、って言ってないもんな」と上丘は言うし、杉山がそれをまぜかえして、
「そうじゃなくて人は結局死ぬってことだから、どんどん変わっていっても最後は滅ぶしかないじゃん」っていうからなんだか話がずれてしまった。
柿下を振った子は普通に美人だったけど、俺はその子が一人でいるときに鼻の頭に蠅がとまったのを近くで見て、なんか男としてはさめちゃってたんだよな。
大きな銀蝿。
柿下には同窓会で会ったけど、一緒のクラスだった振られた子とも何ともなく話してた。そりゃ、お互いに四十を越えて子どももいるからな、いまさらね。
で、俺は独身でなんか生々しく出会いを求めたりしてる。なんなんだ。
今もあのときの蠅のことを考えたりする。蠅は女の子の鼻の頭でどんな景色を見ていたんだろう、とか、あの蠅の子孫は今も繋がっているのかな、とか。
あげくのはてに、今の俺は蠅の見ている夢かもしれないな、なんて考え始めるから、一番かんじんなところから外れているのは、上丘でも杉山でもなくて俺なんだよ。
とんでもないことだ。
春
梅は うむ
海は うむ
木に
水に
倦むことなくただようもの
昨日無く
いつまで有るかわからぬものを
そうして
うまれたものは いまを
駆ける 颯爽と
きみが嗅いだ花や潮の香は
通って行った証拠だ
姿は見せず
春の馬が
新しい恋人
艶めくパラジウムのエンジェル
ネオジムに惹かれ合うイオンたち
煌めくタンタルのストレージ
指先で触れ合うインジウム
すぐに頭とろけそうになる
やけに硬質でスクエアーな恋人
君と触れる時全てがE.T.との邂逅
それはもう不可抗力
紡がれるタナトスの陰謀
周りを見渡せば誰もが君と手を繋いでる
それでも頭とろけそうになる
やけに硬質でスクエアーな恋人
「有機」の接吻は3,4-パルスの奥深くへ
ブルーラ3,4-イトが明滅す3.4-る度
指先だ3,4-けで僕らは繋3,4がっている
Automatic3,4-InfectionLoveそれでも3,4いい-
空3,4-は視3,4-線の下3,4-に3,4-ある世3,4-界は僕3,4-3,4-の手3,4-の3,4-中に3,4-あるそ3,4-れで3,4-3,4-も3,4-3,4-い3,4-い3,4-3,4-3,4-3,4-
shidan
遠い森の中
色とりどりの鳥たち
麗しくよくとおる声で
さえずりあつて
私は立つ
酢漿草の上
何も聞こえてこない
ただ遠くで森が揺れてゐる
変わらぬ森の深さ
知らない風の記号に
新しい鳴きかたを
鳥たちが試しだす
私は蹲う
落雁色の空の下
新しくはないやりかたで
又同じみぞ筋を掘りなおす
https://i.imgur.com/la2ngxV.jpg
春うらら
私の知る春は
うららうらら麗らかな灰色
雨の匂いがする
ぱらりぱらり湿った土香
濡れそぼる花びら
しとりしとり滴る花露
俯く目に映るのは
ぽとりぽとり枯れ落つ薮椿
頭上で啼く烏
宵闇迫る空
消えた笑い声
霞み歪む景色
それが私の知る
絶望と希望入り混じる
うららうらら
麗らかな春
拙訳 サッキヤルヴェンポルッカ
あゝ懐かし愛しやカレリアの
思ひ出いかで忘らりょか
楽師が爪弾くその歌は
サッキヤルヴィがポルッカ
ポルッカに偲ぶよその縁
音色がそぞろ身に染みて
さあさ鳴らせや手風琴
サッキヤルヴィがポルッカ
爺っさも若衆も皆踊る
何に比びょかその音色
どのみち己等は根無草
サッキヤルヴィがポルッカ
水面に風吹きゃ波が立ち
松の木々さへ舞ひ踊る
カレリア歌ふはお馴染みの
サッキヤルヴィがポルッカ
娘ご来たりて己等と踊れや
ポルッカの音に乗せて
ギリリと歯軋り馬めはほっとけ
おつむが大きうござるから
娘ご来たりて己等と踊れや
夏の宵はまだ明けぬ
サッキヤルヴィは異国にくれても
死んでも渡さぬポルッカよ
流人の心の故郷は
二度と戻らぬあの岸辺
哀しき調べに懐かしむ
サッキヤルヴィがポルッカ
ただのポルッカじゃござらぬよ
懐かしあの日の形見の音
麗しカレリア歌ふのは
サッキヤルヴィがポルッカ
かいくぐる
めんどうくさいこと
しらなくていいこと
おぼえなくていいこと
わたしはどんどん
すいすいひょーいひょい
詩を上手に書くことすら
ぴゅーんと手にせず目にせず
とおりすぎていくのかも
詩
詩が出来る時の淋しさについて
考えている
揺れる昆布の間に座り
ひねもす考えている
潮の流れは絶えず
皮膚を通り抜け
細胞に酸素を送りとどけるから
膨らんでいく風船みたいに
むくむく動いて
人差し指が水底に文字を書く
と
なぞるごとに砂に描かれた線が
スパークする
その事には何の意味もない
マグネシウムみたいに
ただスパークする
細胞の中の酸素を燃やして発光する
マリンスノウが降る
皮膚に見えない穴を開け続け
次々と燃える文字を
次々と鎮火させて
音もなく
まるでそれが
世界の唯一の
使命であるかのように
もちろん
視覚的に四角
であるところのトド
まることを知らない
まるで丸
であるような
ビシビシ
ないしヒシヒシとした
菱形のひしめきで
なくもない
暗夜行路の鮟鱇
よもやよもや四万本の木
河岸の話
はたまた時に象に似た
あるいはヘソならぬイソ
かもしか錯乱や月
などなどの
長く保たれる事柄については
論ずるにも
イヤ!
オー!
なくなく
長々伸びるという
言うまでもない話だ
そして透明であるということ
そして透明であるということ わたしのように あなたのように それから他のなにかのように漂っているもの 架空であるということ 空想であること あるいは なにもない空間のなか ひとがひとり 小鳥のように籠にいる すこしの微風に揺れている そこに色彩と呼べるものはなかった あったのは籠で そのなかにいるということは あまりにあたりまえのことだったから
爪を切る とおりすぎる人がいる 破片は落ちる そうして少し宙空を漂い 大気に触れて ゆっくりとおちてゆく それを眺めているもうひとりのわたしがいる そうして地面に接するときに 衝突するいたみを思う その過程を その映像を
時折 みえないものがみえるという みえるということはそれが現実なのだという またはそれすら言葉であるという そして
AとBをプラスするとXになるという Xがすべてのはじまりだった すべては仮定の話であるという その仮定の話をしているものが誰なのか 想定すらしていなかったことに気づく時に 多くの物語のはじまりは幼年期のゆめのように 根拠のないまま定められていた
αとN°を衝突させてシャッフルさせていた 手助けが必要だった 風が流れて 何がおきたのかという声が聴こえる すべてが終わって 透明な言葉が いくつもの映像が 多くの物語が創造される この土地に いずれかの時代に
嘆きの天使
最最最底辺に生きる私には
輝ける未来なんかない
いつでもどこでも空気が読めず
周りからドン引きされる運命になっている
一番嫌いな奴はオノレ自身
こんな人間失格に誰がした
屈辱感に耐えきれずバックレた
世間様の正義が私を木っ端微塵にする
オ前ハ社会ノ穀ツブシ
オ前ハ社会ノ穀ツブシ
高い壁を乗り越えてもさらにもっと高い壁
死ぬまでこれの繰り返し
運の悪い奴は何をやっても
ドツボにハマるようにできている
同情買う奴オレオレ詐欺師
この世は弱肉強食の生き地獄
私のような●●●●●は
一丁前にハッピーになる資格はない
オ前ハ地球ノ落チコボレ
オ前ハ地球ノ落チコボレ
人生に期待する奴は大馬鹿野郎
生きていられるだけで御の字と思え
ラブとかピースとかありえない
夢みたいなこと考えてるから病気になる
オ前ノ一生燃エルゴミ
オ前ノ一生燃エルゴミ
NO NO NO
NO NO NO
NO NO NO
NO NO NO
ことば
胸の奥まで 落ちた言葉が
ゴロゴロゴロゴロ転がって
骨を食い
身を食い
そしてこころを食う
胸の奥まで透った言葉が
リンリンリンリン鳴り響いて
骨を満ち
身を満ち
そしてこころを満つ
だめ人間
わたしは だめ人間
できないことが 多すぎる
上手に 生きられない
私の生き方は ぶさいく
器用なあなたが うらやましい
わたしも あなたのように
ふるまわなければ と思うけど
そうしたくない と思ってもいる
不器用な自分も 嫌いじゃないから
きれいに生きたら わたしじゃない
できないことが 多くても
今まで 生きることは できた
わたしをできるのは わたしだけ
どんなに だめでも
わたしは わたしを 生きていく
凄いね、英語も数学もデキるんだね
週末は線形微分方程式を解きながらテニスかい?
騙されている
パチンコはマジで割に合わない。
例えばスマパチの東京喰種。
1/399でラッキートリガー突入率50%。
言い換えれば1/199でラッキートリガー突入率25%。
1/199を100回転して当たる確率は約40%。
ラッキートリガー突入率が25%であるから、
40%の内ラッキートリガー突入するのは10%。(正確には11.8%ほど)
即ち100回転して10%の確率で当たるゲーム。
1000円で約15回転するとして、
100回転するのに約7000円かかるとすれば、
10%を引くまで7000円を賭け続けるということになる。
そして得られるものは何か?
ラッキートリガー(笑)である。
7000円を賭け続けて10%を引いてスタートラインに立てる。
(もちろん7000円以内で当てることもあるが今回は計算上7000円とする。)
さぞかしとんでもない報酬が得られるような気がするだろう?
どんなラッキートリガーかと言うと、
継続率75%で3000玉(約1万円)が連続するのである。
こちらは継続率90%で7000円を失い続けるのに対して、
東京喰種というやつは継続率75%で10000円が出るだけ。(まれに3%の確率で6000玉もあり約2万2000円)
7000円ずつ賭けてるのに報酬1万円だからプラス3000円なんだよね。
プラス3000円が75%の確率で連続するだけ。
こちらとら10%を引くために7000円を賭け続けるリスクを背負って。
何がラッキートリガー(笑)なんだよ。なめんじゃねぇぞ。
だからボーダーって大事なんだよ。せめて5000円で100回転するべきやろ。
アホらしくなってくるよね。
割に合わないやろ、どう考えても。
継続率75%ってことは1/4で外れる。
平均4連だよね。
初当たり1500玉貰えるのと4連(3000玉×4)で大体50000円。
こちらは100回転計算で10%の確率で
ラッキートリガーに突入するわけだから
1/10。
平均10回だから7000円×10回で70000円。
じゃあ回転率を上げるしかないんだよね。
1000円で20回転なんて極稀に大きなイベントの日が無い限り、そんなお宝台(というか真っ当に闘える台)とは出会えない。
1000円で20回転してやっとトントン。遊べる範疇になる。
どこを見ても1000円で15回転の釘ばかり。負けて当然。今の時代パチンコを打つということは勝つためにあるんじゃない。もし勝つためとしたらそれは騙されているか思考停止になっている。金持ちが暇潰しか世の中は思い通りにならないんだって気づけるための遊びでしかない。
今日の記録
4パチ 東京喰種
マイナス1万7000円(軽傷)
もう当分パチンコはええわ。
降車専用
降車専用と書かれたホームから改札へと進み
エスカレーターを2回乗り継いで地上へ出ると
私たちは綿毛のように散ってゆく
一緒に歌ったり
言葉を交わしたり
すれ違ったりして
ただ綿毛のように散ってゆくのだ
降車専用と書かれたホームを置き去りにして
※某サイト閉鎖に伴い詩のお引越し①
乾涸びる乾涸びる
わたしは超がつく飲み物依存症です
1日10リットル近く
水やお茶だけにとどまらず
甘い甘~い900ミリリットル入り紙パックジュースを
がぶがぶ がぶがぶ
一気に2本3本と飲んでしまうくらいに
冷蔵庫の中は常に 飲み物でいっぱいになっていないと
カラっカラに乾涸びて死んでしまう妄想に駆られて
苦しくって 呼吸が出来なくなって
狂ってしまいそうになって目が醒めるのです
そうして急いで冷蔵庫に駆け寄っては
ジョッキに山盛り氷を入れて
がぶがぶ
ペットボトル症候群
水中毒
最悪の場合 死に至る
ネット調べによる
しかしながら 気になって
通ってる病院の先生にも訊いてみましたが
特になにか云われたりもせず
そんな依存症は
ないのやもしれませんが
乾涸びる
乾涸びる
乾涸びる
ザラバン紙
涙が出る瞬間を
図式で表すという実験をしている彼は
普通の会社に勤務していて
倉庫で箱詰めをし 幾つもの空白を
ザラバン紙で埋めている私と
都会の歩道橋の上で会った
初めは涙の話を
蛙が体から落とした雫の話と勘違いし
笑った後から 少しずつ泣いた
図式は一旦社へ持ち帰り
後日見せてくれると言って
彼とは歩道橋の上で別れた
あれから
幾たびもの背景が過ぎ
蛙は何匹も葉陰へと消えた
時々 詰めるザラバン紙の中から
微かだけれど 交信がある
彼からの 図式だと思う
手紙
毎日かいてる
出さないだけで
出せないのとは
ちがうから
それが ほんのちょっぴり
救いだよね
ひとりごとばかり
ふえていくけれど
ここちよい
春
じこちゅー
自己中だよね
って
かおりちゃんから
いわれて
泣いた
じこちゅーって
虫みたいだよね
虫みたいに
ウザイよね
そーやって
周りの女の子たちに
優しいと評判のかおりちゃんは
わたしを笑っていた
けどあれから
二十年たってから
じこちゅーだよね
自分で自分に言ってみて
笑って胸を張っている
じこちゅーじこちゅー
上等だよ
虫みたいにウザイくらいに
生きられてサイコーだよ
じこちゅー
わたしがわたしのこと
考えなきゃ誰が考えてくれるって
いうんだよ
かおりちゃんを時々
思い出す
風のうわさで
3人のこどものお母さんに
なったって聞いた
きっと 優しい優しいと
言われているだろう
しをかくひと
詩人でありたい
とか思ったことないし
詩を書きたい
と明確な意思をもち
書き始めたわけではない
意思もさ
意思と意志があるし
どう違うかわからないし
調べるのも癪だから
今は
検索すらしないけど
しをかくひと
である私は
ひどく居心地の悪さを感じたり
詩とはなにか
詩人とは誰で
どういうものか
声高らかに騙ることから
離れていたいし
「〇〇」賞とか
「投稿欄」や「〇〇詩人会」から
当たりも触られもしないとこで
書いている
詩人と名乗りたくないといい
詩人とくくらないでと言えば
「自分自身を否定してるのですね」
とか心理分析
もうそう言うの結構なのです
詩を書いてしまう
から
逃げられないけど
書いている
それだけで
それだけくらい
許してもらえませんか。
まぁ、勝手に書くんですけど。
なにがどうあれ
デモクラティック・オーガズム
自由は人々を流血なき内戦へと駆り立てた。
腕力の代わりに言葉でバトルしようぜ!という80年前の男たちの熱い約束だ。
念のため言っておくと、本当に流血してしまっては重罪である。くれぐれも気を付けるように。
---
……という注意を聞かずに法廷に立つ羽目になった男。
5人やったそうだ。5流血はさすがに重罪も重罪である。
男の自己弁論は「欺瞞を暴いた。明白に無罪である」。ちょっと無理がないかそれは。
傍聴席は極刑のファンファーレを今か今かと待っている。
「あの事件の裁判傍聴してきた。勝手にルサンチマン拗らせて他人を巻き込むなんて死刑で当然だよね。」
傍聴席の女は超高速フリックでXの投稿ドラフトを作成している。
女は落ち着いた雰囲気の外見で、目を潤ませ、そのフリック捌きには怒りとも悲しみとも使命感ともとれる感情がこもる。
ちなみにこの女は数万フォロワーを抱えるXアカウントを10個運営し、そのすべてのアカウントでラディカルフェミニズムと反出生主義を垂れ流すインフルエンサーである。
たぶんコイツ一人で日本の合計特殊出生率0.01ポイントくらい下げてる。
言うまでもなくこれは合法である。一人の死は悲劇だが数百万人の死は統計上の数字でしかないし、そもそも生まれてこないなら統計ですらないので……
「主文、被告人を……」
ドゥルルル……(ド派手なドラムロール)(虹色のガベルが高速回転する)
「死刑に処す。」
(大当たり演出)(豪勢なBGMとSE)(飛び交う赤スパ)
傍聴席は一斉に絶頂した。比喩ではなくマジで。
件の女もだらりと足を開いて痙攣している……彼は間違った。彼女は正しい。言葉とは、言葉である。
---
とまあ、こんな具合で世の中どうにかなっちゃったとしても、それもまた一つのエンディングだ。
「それで、エラソーに語ってるお前は何者なんだ?」
こっちの台詞だよ。お前こそ「誰」なんだ?
何度でも
きみが
お話のろうそくに
灯りを点してくれると
どうしてかな
窓が曇るね いつも
お互いに
恐る恐る
覗いた
蓋から
あたたかい
湯気
きみが眼鏡を外す
性別
曇ったら
拭き続けよう
何度でも
窓に
掌を重ねる
厚い硝子のずっと奥
半分ずつの虹
唇を隠して
微笑った
灯すということ
普通でない事に
誇りを持っているのなら
その誇りにふさわしい行動を
普通を積み上げた事に
誇りを持っているなら
その誇りにふさわしい行動を
それが正しさとは
ちょっとだけ違う
優しさじゃないかなって
でないと、それは
3σの外側の
非凡なものであっても
ただの厄介な外れ値
でないと、それは
1σの内側にある
ただたんに多数派なだけの
数の暴力
だから、わたしは、静かに、
得意なもの、苦手なもの、ちょっと変なもの
それらが、ここが、わたしと、ともに。
晴曇
花言葉は骨董品の、
作者不明の〝まだき〟にあるらしく
水平線のたまり場で
流行らないアドリブを繰り返す
やさしさレモンシトロンと
素材の文庫本をひらいた
『またね、けなげなカモメ』
ひとつまみのクラシックが空から降ってくる
雨ざらしの目盛りは意味がないラジオです
ふしぎな温かみのある部屋で
満月加工機能から、
炭酸の仮説を変換する
むしゃくしゃなタバコは
喜怒哀楽を浮かべた
レターサイズに閉じ込めた寝言があった
へそ曲がりな音楽は片隅でみにくい
つれづれなるドミノのパーセンテージは
つめたくて逆光 おもいでの水脈
満開の群青色がまた泣いていたね
青春とはオマージュを満たす夕映えの雲である
砂時計ジェネレーションに焼き付いて
しまい、無限大ビスケットに焦がすばかり
読み手のない春夏秋冬、ひとり、資料館に置き去り
また、きよらかな時計台と滑り
まるで炎上アイスクリームをおとしたようです
たとえば いま
複雑な境界線上にあるマークシートメッセージ
手型衛星がいくつになっても眼帯を手放さず
むかしむかしあるところに放し飼いの羊を放った
杞憂の診断を手づかみできるほど
鈍痛に栄えたといっても
感傷的になってドアを閉めて
金木犀の風を聴いたアスファルト
手を掲げて木蓮の香りを乗せた道のりをおもった
透明な鍵をかけ忘れて、錆びた楔をこぼして
もぎ取られた椿にじゃあねと、かるく
やわらかくしずんだ桜、忘れられないよ
ふるえてしまうから
すりぬけるように めばえ さぐりあうころ
春の花
むせるほどに
春が流れ込んでくる
また巡って来たと
幾度か数えているうちに
咲いていた桜より
今を咲いてる桜のほうを
見始めている心がいる
またきっと
時が動き出す
あなたもどこかで
春を見つめているでしょうか
キスで起こして
最近は夢と現実の区別がつかず困っています。私は不眠症です。薬物治療中ですがもう2ヶ月も熟睡できていません。睡眠薬を飲み寝ても悪夢を見て飛び起き寝汗で脱水症状になり動けず苦しい気持ちになるしかないのが、悔しいのです。毎日深夜に起きてしまい、全く眠れず結局朝から夕方までもまたちまちまと眠るのです。一日に沢山運動して身体を疲弊させても脳はギンギンに覚醒していて、寝ても疲れはとれず疲労が増すだけなのでした。
ここって本当に現実なんですか?それって証明できますか?本当は現実なんかなくて、全部夢で、死んだら私は目覚めることができますか?ここが夢なら何してもいいですよね、いっぱいご飯を食べたり 人を殺してみたり 自分を殺してみたり。
リストカットをすると正気に戻れるし、不安もなくなります。ですが周りの人達に心配されると面倒です。どうしたら私は正気に戻れるのでしょうか。お風呂に入って入浴剤の香りを嗅ぎました。なんだか鼻がおかしくなりそうでした。ここって本当に現実なんですか?ほんとうに、ほんとうに、ほんとうにここはどこなの?今私が狂い始めているのは、現実なの?樹海に彷徨ってしまった気分で私はお風呂の中に全身を沈みこみました。暖かくて、誰かのお腹の中みたいです。息ができなくなったのでお風呂から出ました。現実とは、息ができたとて…。このあと布団に入り私は悪夢と戦いにいくのです。私だけが苦しんでいる。悪夢は毎日私を待ち構えている。神様なんていない。このふざけた悪夢を断ち切るためにまずは、自分の腕を切るのでした。王子様がいたら、キスで起こしてくれるんだろうなぁ。
表皮だけ、
剥離をいざなう
恍惚が
虹彩(褪せた
踝の(踵の(白い、みかんの
アルベド(痛覚はない)
下
亀裂、と言うよりも
ぶつけて割った軽石
(の
手触りだったはずだった、陽
が照らし
毛根(毛髪
表皮だけ、
炭酸の抜けた
コーラの
気泡の代わりに
詰め込んで
(、(と
喉を慰撫する
モニター越しの
声(帯
土踏まずへ捧げる
拷問
空(地中深く
ざらざらの、眼
が照らす
網を振っても
網目のない網には
踝と
コーラ
だけ
飛び込んでくる
今日も活きのいい
誰か(の(悲しみ(
一匹(網)
水溜まりの中
びちびち
ふるえる瞳で
ぼくを(ぼくを(
見つめている
【短歌】親愛なる冬のみなさま【まとめてみた】
銀紙にくるまれた冬をとりだしてほうばる前にすこし眺める
透明をかさねてかさねて神無月こんないろでも光になるのか
夏掛けにいっしょうけんめいもぐりこむコタツごっこと音も無い窓
濡れ鼠かわかしたので眠りねずミルクのふとんにくるまって尚
おや中尉あなたでしたかこの冬を鏡のように磨く役目は
十二月なにを撮っても美しく星の採取に役立ちました
枝ぶりは丑三つ時ならシカのツノ冬の昼なら空の花束
将来は研究しようと思い立つ無垢なそらほど寒いふしぎを
碧すぎて夜はとうとう紅くなる電信柱へ薪をくべよう
終わり際は初冬とおなじ匂いみたいこんな鼻ではわからないけど
ブブンヤキソバ
わたしたち、幼い風に吹かれて
食べている(食べている)
ブブンヤキソバ
わたしたちは全部ではないから
いつまでたっても部分だから
ブブンヤキソバばかり
食べているの(食べているの)
この麺は (ブブン)
このお肉は (ブブン)
このキャベツは (ブブン)
広がっていく (ブブン)
狭まっていく (ゼンブ)
宇宙のどこか片隅に
厨房があるんだってね
そこではゼンブヤキソバが
調理されているんだってね
あなたが夕べ
寝言でそう言っていた
その宇宙は
千葉県長生郡にあるんだってね
名物のゼンブヤキソバは
絶品なんだってね
わたしが夕べ
寝言でそう言っていた(らしいね)
いつまでも見つからない全部を探して
ブブンヤキソバを食べる
細い顎をしたわたしたちはそれでも
ブブンブブンをよく噛んで食べる
部分がいくら増えても
全部にはならない
そんなことは知っているのに
部分ばかり集めてしまう
(集めてしまうの)
雨が降り始める
雨音を聞くために
今ここにある
わたしたちの身体
見たことはないけれど
全部の真似事をしてみる
たとえ間違っていても
こうしてわたしたち
幸せで良かった
(出会えて良かった)
矛盾
「草生す屍、あるいは水漬く屍。
それだけが僕に許された運命だ」
これほどに煌びやかさと
同時に高貴に溢れた言葉は
見たことがない
ないのに
なぜか世の低俗さとか
モラルの低下とやらを
嘆く人々ほど
喜んでこの言葉を踏みにじる
モラルを支持しておきながら
彼らの口から溢れるのは
許されざる不誠実と裏切り
そして彼らは
僕というノブレス・オブリージュを憎み
卑劣というレッテルを貼り付け
下卑た笑みとともに罵倒する
彼らが低俗とやらを憎み
あるいはモラルを嘆くとき
彼らは一つの過ちを犯している
街
感嘆符が降る街に
文脈が棚びく
句読点が傘をさして
拍子を重ね
韻律をはね上げる
水溜りが記号を映して
形象を結ぶ
終局の星を数えて
翼は夢を見ている
閉ざされた鏡の中で
意味がざわめいている
パラフィン紙に濾されて
幾何学形の現象が
透明な滴りになる
その純水に
感嘆符は飽和して鎮まり
軈て煉瓦の街角に
ゆらゆらと詩が立ち昇る