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Astounding #アイラシヤ大陸
時代 旧世界
場所 アイラシヤ大陸北部
氷鋼国家『ザン・ガルド』。兵力は凡そ200万その堅牢な城壁の内側で、北部の民は声なき悲鳴を上げていた。
王は自国の民を、不眠不休の魔導回路を維持するための「使い捨ての部品」と見なし、過酷な労働と重税を課した。さらにその飢えた欲望は、冷たい国境線さえも越え始める。王は東部の肥沃な平原、西部の交易路、南部の聖なる森にまで、「太古の領有権」という名の歪んだ因縁をつけ、軍事的な恫喝による領土拡大を執拗に迫っていたのである。
円卓の騎士団は、三度の使者を送った。
一度目は民への慈悲を乞うために。二度目は他国への挑発を止めるための和解案を。そして三度目は、全大陸を戦火に巻き込むその傲慢が、世界の均衡を破壊するという最後通告を携えて。だが、王の返答は、三度目の使者の首を氷の槍で貫き、東部諸国へ送り届けるという血塗られた拒絶であった。
「……ジン。どうやらこの国の王は、世界という巨大な織物を、自分一人の外套(コート)に仕立て直せると本気で信じているらしい」
バルタザールは、雪原に散った使者の血を見つめ、極低温の怒りを帯びた声で呟いた。
「往くぞ、バルタザール。この国が他国の領土を喰らう前に、私がその喉元を断つ」
ジンが電磁抜刀の柄に触れた。鞘の内部で、数万回の振動が励起され、抜刀を待つ刃が「世界の悲鳴」に似た高周波を上げ始めた。
『独裁者の瓦解』。……ジン、この城壁を構成する因縁を、ただの脆い泥へと書き換えた。斬れ」バルタザールが長く衒学的な真名を解き放つと、不落を誇った城壁の分子結合が、見えない螺旋に引き裂かれ、その硬度を失っていく。
「剣技・雷霆」それは、圧政に喘ぐ民の代弁であり、蹂躙された近隣諸国への冷徹な報復であった。電磁加速によって時間の壁を越えた刃が、バルタザールの「因果の剥離」を乗せて、ザン・ガルドの虚飾を薙ぎ払う。
城門を守る衛兵たちは、自分たちが民から奪い取った最新鋭の重装甲が、なぜ朝露よりも脆く散り、灰となっていくのかを理解する暇もなかった。
「剣技•虚斬」
さらに放たれた一閃が、空間ごと両断した。バルタザールは、王が周辺地域から略奪し蓄積していた魔力結晶を、指先ひとつで「無価値な光の塵」へと還元し、凍てつく空に虚しいオーロラを描き出した。
王宮へと至る大階段、そこにはザン・ガルドが誇る最強の守護者、『氷鋼の十三騎士』が立ち塞がっていた。一人一人が一軍を屠る力を持つ幹部たちであり、その重装甲には大陸各地から略奪された秘宝が組み込まれている。
「円卓の犬め、ここから先は神域なり。貴殿らの命、氷の露と消えよ!」
バルタザールが、あまりに長く衒学的な真名を口ずさんだ。
「付与術式:『因果の剥離・十戒の凍結』。……ジン、彼らが誇る『無敵の定義』を、たった今、私は『脆き硝子の幻想』へと書き換えた。……さあ、掃除の時間だ」
ジンが動いた。
電磁抜刀から放たれたのは、光さえも置き去りにする物理法則の破壊。
「秘剣・雷霆万劫」
抜刀の瞬間、空間が電荷の断層となって爆ぜた。先頭の三人――不動の盾を誇った騎士たちが、自分たちの装甲がなぜ霧のように霧散したのかを理解する間もなく、その存在を虚空へと掻き消された。
続く五人が一斉に魔導兵器を起動させるが、ジンの刃が空を薙ぐたび、放出された高エネルギー体はバルタザールの付与によって「無害な雪の結晶」へと書き換えられ、無力に宙を舞う。
残る五人の幹部騎士たちが、絶望の中で放った
合体攻撃
だが、ジンの横一文字の閃光が、彼らの「勝利への期待」ごと空間を両断した。
「奥義・虚空電磁斬」
十三の最強を自称した魂は、ジンの電磁加速による「一瞬の永遠」の中で、誰一人として剣を合わせることすら叶わず、灰となって北風に溶けていった。
そこには凄惨な死体すら残らない。ただ、あまりに圧倒的な「不在」が、階段の上に広がっていた。
崩れ落ちた玉座の間。足元に転がった王冠を、ジンは無造作に踏み砕いた。
「陛下。貴殿が広げようとした領土の地図は、今やこの塵ほどの広さも残っていない」
ジンの電磁抜刀が鞘に収まる「カチリ」という音。それは、圧政と侵略の歴史が、あまりに鋭利な終止符によって永遠に封じられた合図であった。
https://i.imgur.com/pZf7TO8.png
書いてみた
書いてみたくなった
書いてみた
投稿してみた
読んだ人がいた
また書いてみよう
―風が温もり
眩しくなった―
即時一杯の飯に如かず②
ep.02「朝ごはん」
俺は趣味でキッチンに立つ。
毎日の日課で弁当も作る、大袈裟にいえば料理研究家だ。客人を迎えてもそれは変わらず、冷蔵庫から北海道産大豆使用の白みそを取り出して一言。
「白鳥、お前なぁ……」
「お説教はもういいです。ちゃんと責任取ってくださいね」
「何もしてない」
「嘘、何もしてない証拠あるんですか?」
そんなものどこにも無い。
布団に潜り込んでからの出来事は伏せるとして……ハワイコナが苦くて飲めないと不機嫌をまき散らす白鳥の前に皿を並べる。
目玉焼き、ショルダーベーコンの素焼き
ストックしておいた作り置きに、納豆、キムチ。
無難な朝食を前にして「いただきます」手を合わせてから箸を取る。
「料理上手いんだね」
「趣味みたいなもんだ。おい」
「なに?」
「納豆はもっと混ぜろ。最低30回、空気を含ませた方がマイルドな味になる」
手本となる器の中身を覗き込む素直な様子に、反射的に頷いてみせる。
箸の使い方がなってない。
握るな、寄せるな。
現代人の孤食に歯止めが利かないのは親の躾の範囲じゃないとしてもこれは酷い。余所ン家で一晩世話になっておきながら未だお礼の一言も無しに皿に口をつける威勢のいい食べっぷり、俺より頭二つ分小さいのに随分な貫禄だ。
茶碗に炊飯器の米全部入れたと思われる様子の白鳥が着席、また食べ始める。
「キムチまだある?」
「無い。これ食べていいぞ」
大袈裟にして見せるけど最初から貰う気でいたのか、天然過ぎてもうわからん。
「いいなぁ、絢斗の彼氏になったら毎日美味しいご飯食べれて」
あ、絢……下の名前を呼び捨てにされて、視線が合わない。
ゆとり世代を弊害とは言いたくないが、彼女ではなく彼氏、どうあっても自分基準で何の脈絡もなく話し始めるモンスターは狙った獲物を残さず食べて舌なめずり、米粒を舌で浚っていく。
見ないようにしたが、不覚にも箸が止まってしまった。
「洗い物は俺がするよ。一食一泊の恩義、だっけ」
「いい。片付けは俺がやる」
「じゃあシャワー浴びてきてもいい?それとも……」
前に回り込んで胸から下に滑り落ちる指に咳払いをひとつ、逃げ腰でシンクの前に立った。やめろ、そんな目で俺を見るな。キムチ納豆食った男とキスはご免だ。
恋する詩人 (第一詩集)
世界史詩Ⅰ
エラトステネスが
我等が地球の
「まはりをくるくる回っています」
世界史詩Ⅱ
アレクサンドロス大王の
黄金の額は
砂漠
熱風は吹く
紅信号
異国の空の下 遥かなる街角から
僕らを見守り続けている孤高の瞳
朝靄に煙る交差点にすっと立ち
六月に一点咲いた神々の薔薇
海
若者と娘とは
結婚に反対されて
小さな島から逃げ出しました
それでも二人は見張られています
青くて大きく澄んだ瞳に
忘れ物
夕暮れは
赤いポストを忘れていった
予備校の帰り道
恋する少女の頬さながらに
そこだけは暖かい
夜
一本足の電灯よ
お前はまるでひとつ目オバケだ
へんだ ぜんぜん怖くなんかないよ
じいっとうつむいて 寂しそうだね
余韻
ブランコは揺れている
風もないのに揺れている
ああ 彼をかなでる者は誰?
ついさっきまで
あの娘はそこにすわっていたね
その暖かい思い出に
いまでも甘く酔っている
月夜に彼は揺れている
夢
今朝 クラスで彼女に会うと
たちまち 彼の顔はまっかになった
「昨夜 夢のなかでキスをしたんだ」
ニュース
ろくに新聞も読まないけれど
それでも僕は知っている
あの娘の髪型が微妙に変わったことを
リンゴ
君はバラが好きかい
バラは机上の空想さ
どんなに美しくとも
あの畏れ多い刺のせいで
手折ることすらできやしない
それよりもリンゴはどうだい
育ててもうかなりになるが
いっつも赤く輝いている
キッスをしてみたいけど
いまだに許してもらえない
ああ 我が恋人よ
君の頬は健康そのものだね
灰皿のために…
灰皿のため
ライターのため
禁煙パイポのために
僕は何をうたえばいいのだろう
灰皿のため
ライターのため
禁煙パイポのために
僕はこんなうたをうたおう
灰皿はおととしの誕生日に
ライターは去年のクリスマスに
禁煙パイポは今日別れた日に
彼女が僕にくれたもの
奇跡
炎はいつしか灰となり
僕もいつかは骨となる
それでも炎は燃え続け
どっこい僕は今日も生きてる
涙
僕は泣かない
泣いたら大地は海となるでしょう
僕は決して泣いたりしない
なぜって君は泳げないから
失恋
グラスの向こうに夕日は落ちる
そうして俺は
熱い太陽を一気に飲み干さんとする
渋茶
熱すぎるのは僕のお茶
おまけに苦い
とても飲めぬと人はいう
近寄り難い その渋茶
僕の苦悩はそこにある
海
七月の雨上がり
七色の虹につつまれ
長い髪をほどいたあなたは
あかるい日差しのまんなかで
やがて人魚となるでしょう
空想
空の想いの
はるかなる
愛
僕の言葉は矢よりも鋭くあなたの胸に突き刺さり
僕の愛はシュワルツェネッガーよりも強くあなたを守るはずだったのに
あなたの愛は弾丸よりも速く僕のもとを去っていった
オクトパス
彼女はきれいな脚をもっていた
でも足の数ではタコにはかなわなかった
恋
抱き合った二人は
まるで化石
瞬間も永遠に匹敵する
ああ 愛よ 永遠なれ
待ちぼうけ
映画館の前
少女は
恋のためなら
モアイにもなるのです
花
悲しい花は咲いている
優しい娘は泣いている
夕陽たゆたう夕暮れに
娘はだんだん花になる
Arthur Rimbaud
乱暴な酔っ払いっ!!
雨
愚痴があるなら
雨に向かって
いってみろ
文句があるなら
雨にむかって
いってみろ
性懲りもなく
夜通し止まない雨にむかって
いってみろ
お前が何といったって
いっこうにかまいやしない
夜の雨さ
そんな奴なんだ
ひとりの夜 ふたりの夜
ひとりの夜は寂しいけれど
あなたを想えばそれも楽しい
ふたりの夜は楽しいけれど
あなたの夢に忍び込むすべもない
宝石
暗闇の淵に沈んだ宝石は濡れ
人知れず光り ひっそりと この世を呪う
薄明
夜明けの匂う少女を抱くと
少年は悲しげな翼の音を聞いた
それからふたりは戯れて
無明のなかで恋はしきりに笑ったのだが
春
僕らが浮き世の春にうかれ騒いでいたから
花は咲き花は乱れ咲き花びらの間に舞う僕らの喜び
花びらは光と降り全身に花びらを浴びて
花びらとともに散りしきる僕らの思い出の春
炎のように…
炎のように燃えているもの
水面のように透き通っているもの
それはあのひとの美しい恋
微笑ましい幸福そうなふたつの瞳
砂漠に朽ち果てた骨のようにひからびたもの
暗くさまよう深海魚のように醜くよどむもの
それは僕のこのにがい片想い
あなたの前で燃え尽き煙となり灰となり落ちては大地を汚す
ふたつの太陽
ある詩人はいった
むかし太陽はふたつあったと
ところで現在 僕の太陽もふたつある
(あんまり熱いのでのどはいつもカラカラ
胸の動悸もどうやら止みそうにない)
それは恋を知る幸福な女の
そして僕の苦しみを少しも悟らぬ非人情の
魅せるような 焼き尽くすような 挑むような
ふたつの瞳
片恋
Ⅰ
たとえ幾つもの眠れない夜を過ごしても
たとえこの肉体がどんなに衰弱しても
たとえこの両眼がどんなに落ちくぼんだとしても
たとえ僕がしまいには発狂しても
僕はなにひとつ悔いることはないだろう
君のためならば
Ⅱ
もし僕が幾つもの眠れない夜を過ごし
もしこの肉体が衰弱しきってしまい
もしこの両眼くぼみ切るまで落ちくぼみ
もし僕がしまいには発狂してしまったなら
僕はなにひとつ悔やまずにいられるだろうか
君のために
少女よ
少女よ ああ 君は海のざわめきを知らない
僕のこの揺れ動く想いを知らない
君のそこはかとない仕草に波立ち
とりとめもない言葉に荒れ狂う海の悲しい調べを知らない
あまりにもわずかな空のかげりに 海の面は深いうれいに沈み
あまりにもわずかな光に 海は輝き跳ねる妖精たちでいっぱいになる
海よ ああ 僕の心よ 望みはなべて満たされよ
凪いだ海の空に現れる太陽よ それは明るい君の笑いなのだ
失恋
僕の思いが雪となって降る
僕の思いが君の黒髪にかかる
僕の思いがその長い髪を零れ落ちる
僕の思いが大地に落ちてこわれる
それを君の美しい脚が無残にも踏みにじる
ROSE
君の窓辺に音もなくバラは咲き乱れ
君は安らかに夢をむさぼっている
僕は今宵も眠れない夜を過ごし
月影は君の窓辺をさまよう
バラの花びらをそっと濡らしながら
修行中
いろんな歌の真似はするけど
まだ自分の歌はうたえない
カラスはカアカアとしか鳴かないが
僕よりはよほど正直だ
プレゼント
こないだ買ってあげたバラは
小さな手の中でしぼんでいったけど
かわりに彼女の笑顔が咲いている
こうして命は巡りめぐるのでしょう
心理学
彼女はたいそう心理学が好きで
いつも恋の手練手管を分析してみせる
それでも 僕と公園を散歩する時は
雀のように 真っ赤になって逃げまわるだけ
黒髪
それほど長いようでもないが
ポニーテールに結ってある
群がる蝿を追い払うけど
僕には素直な小馬なのです
ディズニーランド
平日というのに嵐のような人混みだ
豪雨のように流れ込む人々
時に 僕は髪の長いひとりの水滴に恋している
手を握ればそれは夏の日にひんやりと冷たい
片想い
「真夜中の波の誘いに
浮気なあの娘はついてゆくから…」
彼はこう呟くと
砂浜に彼女の足跡を探しにいきます
薔薇
春の雨そぼ降る街角をひとり歩いていると
僕の瞳に映った路上の赤い薔薇一輪
踏みしだかれてひとりしくしくと泣いている
花も刺も散り 路上は赤く濡れ 心痛み傷れ砕け散る
白百合
バラをたとえに借りるとあなたはささやいた
バラほどありふれたたとえはないもの と
その頃 あなたはひとり刺のような思いを抱え苦しんでいた
ふたりしてみつめあった 白百合のように清純な夜
雨上がり
雨上がりの朝は音もなく晴れ
せわしげに街を歩く人々
どこかで車が走り どこかでしぶきが跳ねる
思い出は水滴のように輝き 静心なく青空を映す
清里
清里の夜風はここち良く吹き抜ける
静かに照らす月 ひと群れの星 万物は物の音に溢れる
それはあたかもかつての僕たちの夜のように
微笑み 安らいで おのづと満ち足りている
そよ風
野原にそよ風が吹いていた
思えばそれだけのことだった
あたたかい春の日曜日
野原にそよ風が吹いていた
ひとびとは楽しげに弁当を食べたりしていたし
ほんとうにそれだけのことだった
だのになぜだか無性に悲しくて
いまも野原にそよ風は吹いていて
木蔭で僕はずうっと泣いていた
カレーライスうと青空と失恋と
それはとっても辛かったから
冷たい水を何杯も飲んだ
辛くっておまけにとっても熱かったから
大粒の涙がポロポロと落ちた
窓からみあげれば太陽はとても美しく
青空がやけに眩しく目に染みた
その夜
美しい名だった
何度も小声で呼んでみると
部屋じゅうにその名がしみこんだ
夜 あなたの瞳は輝き
明け方 そのくちもとは微笑んでいた
それは花の名だった
あなたは花のように清らかだった
花のように あなたの芳香は悩ましい
真昼 あなたは咲き誇り
夕べ あなたは匂い立つ
その名
その日 雨はいちめんに匂いたっていた
街角にバラは濡れ
紅く映え
人々は静かに歩いていた
その日 夕暮れは紫色に包まれていた
路上には水溜まり
人々の横顔を濡らし
髪を濡らし 心を照らす
その夕べ あなたの名をささやいた
そこはかとなく風は立ち
僕はひとりだった
その夜 あなたは誰かを待っていた
月影はさやけく
そのひとはついに現れなかった
声
暗い海辺の夜
絶えることのない重たい波音にまぎれて
遠くから優しい細い声がする
なつかしい声 遠い昔に耳にしたような声
僕の暗い道を照らす一条の光のような声
その声に導かれて僕は悲しげに歩む
ああ 母のような 恋人のような 姉のようなそのひとよ
いつしか僕はそのひとの胸もとに抱かれ
ほのかな光となって夜の海辺をさまよう
灰と吸い殻
物にはなべて凋落があると詩人はうたったが
それはほんとうだ
みよ 絶えず休みなく降りしきる花びらを
夕暮れ時の公園に 終電の去った真夜中のプラットホームに
汗まみれの運動場に テニスコートに
はては我らが部室にも降る
あきらめのように 最後のはかないホタルの光のように
散るとしもなく散ってゆくもの
あわれ 人生の花々
良月夜
ながいことひとり月を見上げていた
凍えるような寒い夜
魂は萎え衰え うち沈んでいた
窓辺から見上げる月はまるく
冬の大気はしめやかに中空に燃えていた
悩める魂はいつしか翼をまとい
音もなく天に舞い上がっていった
鳥は月の湖上に静やかにその翼を浸し
水面はくもりない鏡のように輝いていた
恋
サングラス
あなたが眩しいからかけた
コンタクト
もっとじっくり眺めたかった
近眼
ふられてからなった
ある女の子
化粧は濃いほうだったし
それっぽい娘だったけれど
彼女はまじめだった
どのサークルにも入っていなかったけれど
いつだって彼女は忙しかった
毎日のように授業に出ていた
学校がひければバイトに行った
家に帰ると予習をした
化粧は濃いほうだったし
それっぽい娘だったけれど
彼女はごく普通の女の子だった
時々 夜には長電話もしたし
時々 灯りを消して窓辺で泣いたりもした
酔いどれ
その晩 彼は前後不覚になるまで酔った
帰り道 何度も立ち止まり 何度もひざまづいた
駅を降りても帰る気にならなかった
遠回りしようと決めた
少し歩くと公衆電話があった
酔い覚ましに中へ入り込んだ
そこで千円のテレカを買って彼女に電話した
タバコに火をつけて
とりとめのないことを話した
ひときわ陽気になったり
時おり落ち込んでみせたり
それとなく「彼氏いるの?」って聞いてみたり
「酔っ払っててゴメン」と何度も謝ったり
意味もなく何度もうなづいたり…
長い電話が終わった
すると彼女はすべてを忘れてすぐにぐっすりと眠り始めた
彼は電話ボックスを出た
まだ帰る気になれずに
明け方まで暗い公園のベンチに座り込んでいた
花の教え
「人生にあらがうな」
咲く時は咲き
散る時は散れ
花のように
ある愛
愛しい と書いてカナシイと読む
ああ そういえば
あのひとは僕の愛しい人だった
生き方
雨の降る日は静かにものを思い
風吹く夕べは背中を丸めて街を歩く
友と酒を飲めば陽気に語り
恋に破れたら悲しい歌をくちずさむ
海辺
夜の海辺を歩いてた
たったひとりで歩いてたんだ
あなたに恋をしてたから
ピラタス
山を登った
雨が降り 霧が山をおおった
高くどこまで歩いてゆこうとも青空は見えず
太陽はいつまでも僕を照らそうとはしなかった
詩人
ある日
ある日ある声がした
「実はヘビにも足があるように
そしてヒトにもシッポがあるように
醜くて、天ノジャクで、猫背で、うぬぼれ屋で、不器用で、
気まぐれで、陰鬱で、臆病なお前にも
その背中に翼があるかもしれない」
慌てて背中をさぐってみたが
あるのは場違いなニキビばかり
3ページ目(5)
5
電車は混んでいた。
吊り革につかまりながら、凛はバッグの中の本の角を指でなぞる。たった1ページ読むのに、あんなに時間がかかった。開くかどうか、迷う。でも、分からないまま閉じるのは違う気がした。
扉が閉まる。車内アナウンス。
白い表紙が蛍光灯の光を受けて、淡く浮く。すぐに理解できなくてもいい。そう思いながら、ページをめくる。駅に着くころには、8ページほど読み進んでいた。読み返すほど、胸の奥に小さなざらつきが残る。説明されない描写の奥で、誰かが静かに息をしている。
どうでもいいはずの風景が、体温を持ち始める。凛は顔を上げる。窓の外の灯りが滲み、流れていく。答えのようなものは、出来事の中ではなく、こういう場所に落ちているのかもしれない。
電車が止まる。
改札を出ると、雨の音が違う。スマホのイヤホンを取り出しかけて、やめた。
干物屋の前。
無人販売の台に残ったキャベツ。
葉の表面に弾ける雨粒。
立ち止まらない。ただ、少し長く見る。何かがそこにある気がする。
家に帰ると、玄関の灯りがついていた。廊下の奥から煮物の匂いがする。テレビのニュースの声。父の咳払い。どれも、いつもと同じ音だ。でも今日は、そのひとつひとつを確かめるように聞いている自分がいる。
鞄を下ろした瞬間、肩の力が少し抜ける。甘じょっぱい匂いが、胸の奥まで降りてくる。凛は小さな頃から、母の煮物が好きだった。かぼちゃがほくほくしていて、少しだけ味が濃い。期末考査が終わった今日のために作ってくれたのかもしれない、とふと思う。
「テストどうだった?」
「うん。大丈夫だと思う」
「そうか。」
父との短い会話。
凛は少し間を置いて言う。
「お父さんは仕事どうだった?」
父が顔を上げる。
「めずらしいな」
凛は少し遅れて笑う。
「最近、残業が多いのよね?」
母が言う。
「そうだね。ちょうど新しいシステムを導入したばかりだから、データの引き継ぎに時間がかかってね。」
父の声は平坦だ。ただ事実を置くだけの調子。母が味噌汁をよそう。コップが3つ、等間隔に並んでいる。味噌汁を父の前に置こうとした時、母の指がほんの一瞬止まる。
——何?
前からあったのかもしれない。自分が見ていなかっただけかもしれない。そのあと、箸の音だけが続く。凛は、さっき読んだページを思い出す。
封を切られていない封筒。
踏み込まれない会話。
目の前の食卓は整っている。煮物は温かく、テレビはいつも通り流れている。凛はかぼちゃを口に入れた。少しだけ、しょっぱい。気のせいかもしれない。それでも、舌がひとりで先に気づいているようだった。不安というほどではない。ただ、何かがそこに置かれたままの感覚。
食事を終え、自分の部屋に戻った凛は、机の上に白い本を置く。
−−きょうは、少し、違って見える。−−
そんな夜だった。
主張強めの文芸投稿サイト運営者日記(3月1日分)書ける/書けない論争について
文芸投稿サイトには、ずいぶん昔から繰り返されてきた「書ける」「書けない」論争がある。あの人は書ける、あの人は書けない。勝手な基準で書き手を序列化し、「書ける人」は「書けない人」に対して横暴に振る舞ってもよい、といった感受性が一部で流布され、しつこく残り続けてきた。
私は、そうした狭い界隈を常々、冷ややかに見てきた。書ける/書けないに関する私の感受性は、すでに作品化している。要するに、バカにしておもちゃにする以外の対象とはみていない。
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=2247&user_id=3&mode=post
この場を「詩投稿サイト」と定義せず、幅広い種類の文芸を包摂する場として設計したのは、「書ける/書けない」というしょうもない議論を相対化したかった、という一面もある。詩を書く人もいれば、短歌もある。戯曲もあれば、評論、ラノベもある。多様なジャンルが入れ混じる場で、「書ける/書けない」と単純に言い続けることの無意味さは、いずれ誰の目にも明らかになるだろう。
そもそも詩歌の内部ですら、方向性は多様で、単一の基準で測れるものではない。それにもかかわらず、あまりに粗い粒度でしか「書ける」を語れないこと自体が、実はその人の限界を示しているのではないか。自分とは異なる方向性の書き手に訴求できないことの証左でもあるように思う。
もちろん、みんな違ってみんな良い、という相対主義に陥りたいわけではない。例えば、私は戯曲や脚本家のグループを主宰しているが、ライターの実力には当然差があると思っている。そしてその差異について、ある程度は言語化できる。私にとって重要なのは、予算制約、プロデューサーや事務所の意向、演出家や監督の要望等を踏まえ、各々の現場に合わせた本を書けるか、そして要望に応じて修正できるか、という基準だ。これが満たせなければ、基本的にクライアントに直接紹介することはできない。
もっとも、この基準を満たしてもありきたりなものしか書けないライターもいるし、基準は満たせなくとも、眼を見張る発想を示すライターもいる。基準はあるが、単純に「書けるか、書けないか」で片づける話ではない。
「粗い粒度で人間を序列化する精神性」は、日本の時代遅れな教育システムとも無関係ではない気がしている。日本では高等教育に至るまで、通知簿や偏差値で人を並べる。偏差値70なら賢い。偏差値50なら普通。そうした極めて粗い指標で序列化することが殆ど当たり前になっている。
しかし、数学の偏差値が70だとして、それが具体的に何を意味しているのか言語化できるだろうか。結局、「偏差値70は偏差値70という意味で、相対的に賢い」というトートロジーに陥ってしまう。本来は、「この分野をこのレベルで理解している」「こういう学力を備えている」と具体的に語れなければ意味がない。しかし大学受験というゴールの前では、能力の多様性は無視され、序列化そのものが目的化してしまう。
例えば、数学という学問にどういう分野があり、どんな歴史があり、何が現在の問題なのかを知らないまま、「できる/できない」だけが語られる。私は、「書ける/書けない」という言説も、これと同型だと思っている。結局それは、学歴やキャリア、収入といった実社会の序列を、もっと自由であるはずの文芸の世界にまで持ち込む、あまりにセンスのない態度ではないか。
なんとか賞。詩壇での評価。そうした外部の権威に依存する人間と、「自分は書ける」と言い散らかす人間の精神性に、本質的な差異があるとは思えない。それは本当に「書ける」ということなのか。少なくとも私は、そこに魅力を感じたことはない。書けるだの書けないだのと決まりきった内輪のメンバーで延々と吹き上がる場ではなく、多様性に対して開かれていくような場をデザインしていきたいと考えている。
サッカリン
花火で遊んでいたつもりだったのに
燃えつきていなくなった
ちょっと前まで少女だった女
おぞましい出来事が起きる日の早朝は
サッカリンの味を想像する
夏は生まれつき青白い炎だから
みじめで可愛い私が痛みのどん底へと
昇りつめていくさかしま
暴力的なまでの火花だ
緑色のスパークが果肉状に散らされて
おかしくなるのは情緒だけかと
せっかちな手足でばたばたと絶頂をするのを
意地悪なまなざしで自称神様が観ていた
あなたの声を見つめたとたん
七歳になってしまった
さなぎの形をした電話は長年壊れかけている
「ユージェニー・ド・フランヴァル嬢から
留守番電話が一件あります」
言葉が他者をつくるから私は吃りつづける
箱男 #アイラシヤ大陸
時代:安部中期
場所:『境の国 タイムズ』
この町は黄金の海岸通りと貿易港の利権によって築かれた、比類なき繁栄の象徴である。大きな時計塔が刻むリズムに合わせ、行商人は富を運び、住人はその余剰のなかで「のんびり」という名の停滞を享受している。
だが、この完璧な秩序の隙間に、一つの中身のない段ボール箱が置かれている。いや、正確には中身はある。それは「箱男」と呼ばれる、この町の繁栄から自ら滑り落ちた漂流者だ。
彼は箱という「第二の皮膚」を纏うことで、世界との接点を意図的に断絶させている。彼は町の中にいながら、町の構造そのものから逸脱した「空洞」として存在していた。
箱男の覗き窓から見る『境の国』は、セピア色の絵画のように美しい。ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』における「まなざし」の議論を借りれば、他者に見られることは、自己が客体化され自由を奪われる恐怖を伴う。箱男が箱に入るのは、この「見られること」からの徹底した逃走である。
彼は、時計塔が刻む公的な時間から離脱し、箱内部の狭小な空間に独自の宇宙を構築する。メルロ=ポンティが『知覚の現象学』で示したように、身体は世界を把握するための「投射」の拠点であるが、箱男の身体は段ボールという障壁によって、世界への投射を拒絶し、内側へと沈殿していく。
「……おい、君。そこの四角いの」
時計塔の影が石畳を正確に二分する正午、鋭い声が箱の天板を叩いた。声の主は、治安維持局の若き役人である。彼の胸元には、町の繁栄を象徴する黄金の歯車の記章が光っていた。
ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で詳述したように、近代的な権力は「分類」と「可視化」を偏愛する。役人にとって、この分類不能な箱は、美しき景観に生じた「ノイズ」に他ならない。
「君、ここでの滞在許可証は? 職業は? この町では『のんびり』することは許されているが、『実体のない停滞』は条例違反だ。富を生むか消費するか、どちらかに分類されなきゃならん」
箱の覗き窓の奥で、男の瞳が微かに動く。
「分類、ですか」
箱の中から、籠った声が漏れる。
「私はただ、そこに在るだけだ。あんたの言う『職業』や『許可証』は、私の本質に付けられた付箋に過ぎない。あんたは付箋を集めて、それを『人間』だと呼んでいるだけだ」
役人は顔をしかめ、手帳を広げた。
「屁理屈を。ジョルジョ・アガンベンなら君を『ホモ・サケール(剥き出しの生)』と呼ぶだろうな。法秩序の外側に置かれ、誰に殺されても罪にならない存在。そんな風になりたいのか?」
役人は、自らの教養を誇示するようにペンを走らせる。彼にとって、箱男を「異常者」というカテゴリーに閉じ込めることこそが、世界の秩序化(パノプティコン的監視)の完成であった。
「聖域、か」と箱男は呟く。「あんたの言う『聖域』は、時計塔の鐘の音で管理された巨大な檻だ。あんたは私を見ることで私を客体化しようとしている。だが、忘れないでくれ。見ているのは、私の方だ」
その瞬間、役人は戦慄した。自分はこの箱を「管理」しているつもりだったが、この暗い穴からは、自分たちの町の繁栄がいかに空虚であるかが、解剖台の上の死体のように冷静に観察されていたのだ。
役人は苛立ち紛れに一枚の金貨を取り出し、箱の隙間にねじ込もうとした。
「これを受け取って、さっさと隣国へ行け。この町に『解釈できないもの』は必要ないんだ」
だが、金貨は箱の縁に当たり、虚しく石畳の上を転がった。
「……金で買えるのは、他者の時間だけだ。私の『存在』は、あんたの国の通貨では決済できない」
役人が増援を呼ぶために背を向けた、わずかな隙だった。
海風が吹き抜け、時計塔の鐘が重厚に響き渡る。役人が再び振り返ったとき、そこにはもう、箱も、男も、哲学的な問答の残滓もなかった。
あったのは、役人が投げ捨てた一枚の金貨と、それが反射する、あまりにも明るすぎる午後の陽光だけだった。
その後、役人は報告書にこう記した。
「当該の不審物は、物理的な移動により排除された。治安への影響は皆無である」
しかし、彼はそれ以来、時計塔の鐘が鳴るたびに、自分の皮膚が段ボールのように乾燥し、薄くなっていくような感覚に襲われるようになった。この町は安定した繁栄を築いている。だが、その完璧な安定の影で、今日も誰かが「箱」という名の真実の皮膚を求めて、路地裏へ消えていくのかもしれない。
https://i.imgur.com/31VJBZy.png
途方にくれる
むかしむかしあるところに
じいさんがこの世を去って
ばあさんが途方にくれていた
ばあさんもこの世を去って
犬のここあは途方にくれた
犬のここあが引き取られて
家は途方にくれた
遺品を片付けようと
じいさんとばあさんの家族が
家に訪れるようになって
家は余計に途方にくれた
その家も
今は更地になって
空き地には
不動産の看板が立てられた
看板は途方にくれていた
新しい家が建つと決まったからだ
カノン #アイラシヤ大陸
時代:西暦5007年
場所:『白峰灯台』
円筒形の燃焼室、その極低温の静寂の中で、サクラは静止した光の粒子として存在していた。
この白亜の巨塔、サクラは、真鍮の「記憶の歯車」と、地球の全生態系を凍結保存した「電子のノアの方舟」を内包する多段式ロケットへと進化を遂げ、発射台で天を仰いでいた。
壁面の中央、巨大なターボポンプと真空管の束の奥で、紅い眼が静かに明滅している。
計算を司る司書H.A.L.O.は、数百万の継電器を同期させ、最終秒読み(カウントダウン)を開始した。
「こんばんは、サクラ。地上の欲望が、蓄積の限界を超えました。これより、意味の変換と、重力からの剥離を開始します。方舟の心拍を確認してください」
この塔を押し上げるのは、古典的な化学燃焼ではない。地上の強欲——すなわち負の情動が生み出す膨大なエントロピーを、量子真空(クォンタム・ヴァキューム)からエネルギーを汲み出すための触媒として利用する、最新の光子ロケット(フォトン・ロケット)の機構だ。
内部の真空管の束は、実は高度な磁気閉じ込め方式の反物質反応炉であり、吸い上げられた「欲望の数字」が対消滅エネルギーへと変換される。
その熱量は、壁面を覆う真鍮製の液体金属冷却システムによって制御され、蔦の葉脈を通るナノ流体へと熱を逃がす。
H.A.L.O.がサクラの意識に、物理学的な真理を刻む。
「サクラ、重力とは時空の歪みであり、情報の固執です。一般相対性理論を超え、量子重力の特異点を突破するには、自己という観測者の位置を、確定させないまま加速させる必要があります」
サクラの愛は、もはや心理的な昇華を超え、物理的な量子もつれへと至っていた。
かつて愛した誰かへの想いは、宇宙の端まで一瞬で届く非局所的な信号となり、ロケットの操舵翼をミリ単位で制御する。
「メインエンジン、フルスラスト」
H.A.L.O.の声と共に、フレネルレンズが幾層にも重なり合い、地上の全欲望を純粋な光子束へと変換。それは第一宇宙速度(7.9km/s)を瞬時に突き抜け、さらに脱出速度(11.2km/s)へと彼女を加速させる。
白亜の塔は、重力の呪縛を脱ぎ捨てる。
剥き出しになった真鍮の骨格が、光圧によって歪む時空の波に乗り、加速Gの代わりに、全身を貫くチェレンコフ放射のような蒼い閃光が、内部の世界を照らし出した。
「世界の色が混ざり合う、加速を。愛が情報の速度を超え、因果を書き換えるその瞬間のために」
衝撃波が雲を切り裂き、大気がプラズマ化して塔を包み込む。
サクラは瞳を閉じ、いつか出会うはずの微笑みを想う。
サファイアとアメジストの瞳が、事象の地平線の彼方にある漆黒と溶け合うとき、彼女はついに見つけるだろう。
窓の外で宇宙の法則が剥がれ落ち、星々の瞬きが内部の光子回路、そして青々と光る電子の蔦と共鳴する。
白亜の塔は、蒸気を吐き出しながら、無垢なる深淵へと漕ぎ出した。
後に残されたのは、重力に縛られた地上には二度と翻訳されることのない、最も純粋な「恋の余白」と、宇宙に放たれた「光の定義」だけであった。
https://i.imgur.com/tKgvG7b.png
かえりみち
雨上がりの かえり道
小さな頃と変わらない景色
曲がり角に 黄色い草花
あのころは大きく見えた "水たまり"
ちょん と しゃがんで のぞいてみる
茜色の空に 雲の親子
はなれて
くっついて
追いかけっこ
もう少しだけ 眺めていたい
両手で鞄を抱きしめて
(飛びこえようか)と 考える
その間
水たまりをネコが横目で ケトケト歩く
空が写っていた ちいさな世界
歪んで混ざる
ーそんなことも あるもんだー
飛びこえるのは あきらめて
ほんの少し つま先立ちして
一歩ずつ 水たまりを歩いてみる
そう 風が背中を押したんだ
ゆっくり 分かれ道が近づいてくる
そのまま
ちょっと背伸びして
いつもと違う道を 選ぶ
ネコは 知らん顔のまま
シッポで
(またね)と言ってるみたい
ー遠回りも 良いもんだー
ケトケト
今は かえり道
去年カラオケボックスで
ひとつ話を聞かせよか
哀しい娘の物語
なにじきに終わるから
どうか最後まで聞いとくれ
仮にA子としておこう
A子は血に飢えていた
日ごとリストカットを繰り返しては
流れる血をうっとり見てた
カミソリやカッターもいいけれど
お気に入りはハンズの使い捨てメス
二の腕をひもで縛って
何度も何度も手首をザックリ
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ
A子中一の時だった
いじめがきっかけで静脈を切り
滝のように血が噴き出して
以来それが病みつきとなった
やがて家の中だけじゃなく
学校の授業中にも切るようになり
近所の公園のブランコで切り
バスの優先席で切って通報された
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ
高校の担任教師の勧めで精神科へ
閉鎖病棟に二ヶ月入院したA子
そこで出会ったクスリたち
さあ新しい世界の幕開けだ
レキソタンエバミールソラナックス
ハルシオン青玉アップジョン
幻聴幻覚妄想電波
ねこぢる読んでドナドナ気分
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ
ネットですべてをカミングアウト
アクセス件数五万ヒット記録
たちまちA子のファンクラブ結成
雑誌やテレビの取材が殺到
卒業後大好きなCoccoを一人で熱唱
それから大量の向精神薬でオーバードーズ
最後に拒食症の親友に携帯で
「失敗したらメールする」
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ
ひとつ話を聞かせたが
哀しい娘の物語
A子はもうどこにもいない
いやお前さんの隣にいるかもな
回避行動、あるいは
体裁は整って
文意に齟齬はなく
その連なりを7.62mmに詰め込んで
狙いは正確に
ある人の
ある言葉を
レチクルの中心に捉え
撃鉄を
落とす人
わたしは
その弾道音を
ただ後ろに
聞く
ネット詩が“ネット性”を帯びるべき理由 ~門戸は広くしておこう~
「もうネットの海に流れたんだよ……電子情報になったホモは人間じゃない。人間の形をした素材だ」
――ニコニコ動画より引用
https://www.youtube.com/watch?v=_Wv97A8V1G4
幸というべきか、あるいは不幸というべきか。ネット詩においてはいわゆるネット文化・ネットミームというものはとことん無視されてきた。谷川俊太郎さんだってDECOさんと対談しているというのに、ネット詩はネットというまさに当事者的な場所にいるというのに、あまりボカロについて語ったりする人はいない。それどころか若干一名は苦手だと今の時代になってもなお言うくらいであった。
これはネットミームについても同じで、エッホエッホとXの皆がやっているうちにBe-Reviewはいつものように罵倒が飛び交うだけで、その応酬には一切ユーモアというものはなく、逆に何か入れようとした僕は白眼視されることもあった。
しかし、これは何かがおかしいんじゃなかろうか。三人に勝てるわけがないのが常識なように、あるいはコユキですれば濃いのが出るのが明白なように、ネット詩(文極・Be-Review)がここまでどこか逆張り的に紙の詩壇と戦おうとしてたのは、自らがネットにいることにアイデンティティを見出していたからではなかろうか。だからこそ、文極は当時のネットのアングラさも共有していたはずで、Be-Reviewも少し綺麗だけどアングラみたいな感じのを持っていたはずだ。なのに、ネット文化の時が進めば進むほど、それをどこか疎むようになっていた。アーマードコアのネタがわかるのはBe-Reviewでは一人だけだった。
ネット詩なら、ネットと共に歩むべきでもあるんじゃなかろうか。
こうなったのにはどことなく推測ができなくもない。これはBe-Reviewにいた完備さん(すごい毒舌だが、不思議とその毒舌は僕にはあまり気にならない。彼女と同じことを男が言ったら僕はキレるが)も言っていたことだが
『書けへん人間は死ねばええ』
『書ける人間は書けへん人間になんの興味もないし視界にも入ってない、が、突然場を仕切り始めたら”は?”とはなる』
……ということである。まあ、Be-Reviewらしい人といえばそうだが、これはBe-Reviewが基本的にネット民をどのように思っていたかの示唆にもなるのではなかろうか。あくまで「書けない人」というのにBe-Reviewの憎悪は向けられているわけだが、それはネットにも適用されていたのだろう。
彼らからすれば、日々炎上やらなんやらの応酬を繰り広げていたり、あるいは見た目が煌びやかな絵を挙げるようなネット民というものは「くだらない争いに時間を費やし、中身があるかどうかもわからないイラストしか描けない奴らに、どうして俺たち書ける人間が関わらなくちゃいけないんだ」としか思えなかったのだろう。僕だって思う。誰かのアンチや誹謗中傷しかできない奴らよりも、僕の方がよっぽど物を作る時点で偉い、と。
創作者なら、誰でも思うことだろう。
だが、その白い巨塔ならぬ黄色い巨塔は結局崩れ去った。
本題からずれるかもだけど、文章を書けるかどうかその一基準のメリトクラシーによってのみ運営された結果があれともいえる。花緒さんは「いやそれもまた違うよ。実際には~」と言うかもだけど、文中では一応はこの見解でいかせてもらう。
一基準のメリトクラシー、書ける人が尊ばれる。物書きとしては実際垂涎でしかない。Pixivにいたときだって何も書かない奴が偉そうに僕を叩いたときは殺意が湧くし、実際何か頑張っている人(創作者に限らず)に心無い言葉や非難をする連中なんて僕だって消えてほしいと思っている。
だが、それをやると終わる。僕は数年以上かけてようやく気付きつつあるが、Be-Reviewは十年間も気付かないで崩壊した。結局、何かが書けるというだけで人を入れても、その人が他のことができないと終わるのだ。一点張りの純粋さだけではなし得ないこともある。実際、物は書けるのに「罵倒・誹謗中傷」をしないという能力基準を採用しなかったら、ああなったし。
これに関しては僕と花緒さんの関係でもう少し説明してみよう。僕は花緒さんの文章をはっきり言うと好みではないと思っているし、田伏の描写には「うわっ」と思っている部分もある。一方で花緒さんも花緒さんで僕に対しては似たような感情を抱いているかもしれないし、過去の衝突が理由でまだ何か不信感を抱いているかもしれない。だが、それでも何も起こってないのは僕と花緒さんが「書ける・書けない」とは別のメリトクラシーで動いているからだ。
僕は花緒さんのサイト運営能力を信じているからこそ花緒さんに信任を置いているし、花緒さんも花緒さんで僕のサイトの一員としてきちんと振る舞う能力を今は認めているから、何も起きてない。
閑話大休題。結局、門戸は広くしないといけないのだ。門の外は一つの基準だけで見たら能無しだらけに思えて開けたくないかもしれないけれど、だが別の基準をたくさん持てば色々な能力を持っているのがよくわかる。完備さんからすれば僕も花緒さんも書けない人間かもしれないが、サイトを維持することに関しては能力があるし。無論、罵倒や誹謗中傷する人は締め出すが。そこはいくら能力があっても許されないことである。Be-Reviewの崩壊のもとだし。
では、門戸を広くしてまずは何をなすべきか? 門戸の外にあるものをいっぱい詩にするのだ! それを見た人たちが笑いながら元気になって、自分もいけると思って入れる場所にするのだ! 何も良くないけどヨシというような現場作業員の詩を書こう! 疲れ果てたサッカー部員たちが運転してた車に追突された黒塗りの高級車とその車の持ち主が言い渡した示談の条件とは何なのかについて! 可愛らしい女子高生アイドルがなんとチョコミントよりも俺のことが好きだったんだ! ドミニカの詩人デロスサントスの功績とそれを無に帰すテトという三文詩人についても! もう頼れるのは田中角栄先生だけだ!
あっ、おいせふりぃ。この評論ちらちら見てるだろ。読みたけりゃ読ませてやるよ。ほら、読めよ読めよ。
エッホエッホ、ネット文化やネット詩で詩や戯曲を書けるって伝えなきゃ、エッホエッホ
※ただし風化も早いのでお早めに。
欅
イルミネーションとあなた 時間が止まるのが見えた
まだ温かい剥落
↓踝は重力! スクロールは去った。
↓国国国、国。歯根の中の歯根。此方も其方も彼岸。
↓動脈する静脈。実質、恐れてはいけない!
↓まだ
抜け落ちない
永久歯
⇔Molting!
Ecdysis!
まだ温かい 剥落
あかぎれ
↓脱ぎ散らかす表皮の美しさ!
⇔画面/声/意思/人/
⇔檻→希望→檻→希望
⇔指は、何を「 」
↑増殖した深夜の踝が!
まだ温かい 剥落
あかぎれ
恥
30冊のスケッチブックの
金具を全て取った後
ビニール紐で縛った
落描きの集合体など
優先順位の最下位でしょう
物心がついた時
クレヨンを握りしめていた私は
ずるずると
じゆうちょうを延長している
固まる手を無理やり動かして
そうやって4時間を塗りつぶして
1年を棒に振った
モチーフは褪せていった
私の汗が滲んだせいで
画塾を辞めてから
1年、座学に専念した
志望校も変えた
そしたら受かった
絵を描かなければ
私は簡単に社会に戻れた
眠れる森の美女
大人になったらアンドゥトロワで恋ができると思ってた
街を発つ
メトロの出口を見上げると
いつも小さな空があり
始まる今日を待っていた
最後の日
小さな雲の白さに映えて
澄んだ青色が笑っていた
この街に
私が刻んだものは僅かでも
この街が
私に刻んだものは大きくて
持ちきれない想いを詰めて
今はただその跡を深く吸う
これからに足元がすくんだ時
心が思い出すように
好きな私を思い出すように
不器用な一と点
・ 卒業の条件。
・ それは 今からできる
・ 大切なこと
・ 恥ずかしいけれど
・ ここからが出発です。
一 家族に感謝すること
一 友を大切にすること
・ 友は 自分の鏡だから
一 生向き合っていくこと
・ 独りだと思わないこと
・ 自分を裏切らないこと
一 番これが
・ 難しいけれど
・ 自分を愛すこと
・ 俺はここに残るけど
一 歩前に進むこと。
濾過された声
母との待ち合わせ場所へ行くには、駅からかなり歩かねばならなかった。この場所のように、都市とそのベッドタウンと、そのベッドタウンではたらく人々が仕事以外の生活をする場所に、まだ適切な名称はないのだろうか。
深い緑いろの胴体に、白い屋根が載せられたログハウス風の建物は、その周辺を、かざらない印象の、白をベースにした背の低い草花と、うさぎや小人の置物で装飾したかんじの良い庭で囲ってあった。中に入る前にぐるりと一周したところ、駐車スペースの反対側には、テラス席があり、テーブルやイスは、木製のように見えたが、ガラス越しなので詳しいことは分からなかった。建物へ向かう数段の階段は、靴底が当たるとカンカン音を立てるので、それに気を取られて、うっかりと蹴飛ばしてしまった銀色の、やけに軽くて私の拳くらいのサイズしかない小さなバケツを元にあったであろう位置へ戻す。
この暑さのなか、駅から25分も歩いたために、私は汗をだらだら流していて、小さなバケツなんかどうだってよかったのだが、そのままではなんとなく後味がわるい気がした。よっ、と声をかけて、膝を折った姿勢から、もとの姿勢へもどり、扉をこちら側へ引いて、中へ入ると同時に、キンとした冷房の涼しさと、いらっしゃいませ!という複数の女性の声に迎えられた。
ご予約は、と一番近くの店員に尋ねられ、ああ、予約していて、連れが先に入っているんです、若林といいます、と返す。店員の女性は、一瞬、黄色い花柄のバンダナから溢れた髪を耳にかけ直し、私の角度からは見えない店内を見渡したあと、案内ボードを注意深く確認してから、こちらへ、と私を店内へ案内した。
信じられないくらいざわざわした店内では、20代から60代くらいのあらゆる女性たちがケーキを食べ、紅茶を飲んでいる。そこの喧騒は、小学生の頃、500人くらいの生徒が集まる体育館での全校集会が始まる前と変わらないくらいのざわめきで、私はここで、誰かとお互いを理解し合うための会話をすることは、きっと誰にも不可能だろうと思った。
案内された店内の私から見て、左端の一番奥の席のテーブルの中の左側で壁に少しもたれながら、ホールの入り口の方を向いて座っているのが、母だと気づくのに、少しかかったが、出された水をちびちびと飲んでいる姿を見て、ああ母だ、と思う。店員は、私を席に案内したついでに、私の分のグラスに水を注ぎ、母のグラスにも水を足した。店員が、メニュー表をもってきて、今日のおすすめがほうれん草となすのトマトソースだと伝えて去るまで、私たちは目も合わさなかった。
あ、久しぶり、と私が声を掛けると、母は、久しぶり、と返し、一つしか置かれなかったメニュー表を手に取って、目を通し始める。あー、その、元気?と、次切るのは、天気のことしか残らないペースで、私は母との会話カードを切ってしまう。元気も元気、昼間っからこんなとこ、元気じゃなきゃこれないよ、と返ってきて、私はそれに頷く。ここにいるさまざまな年代の客に共通しているのは、ありあまるエネルギーだ、そして、それは私に足りないものでもある。母は、メニュー表を一度隅から隅まで見たあと、また最初のページにもどり、二周目のメニューチェックを始める。店員に、もう一冊メニュー表を頼もうとするが、店員は忙しそうで捕まらない。それどころか、目すら合わない。諦めて、母のメニューが決まるのを待つ。
母は、ナスとベーコンのペペロンチーノとオレンジジュース、私は、本日のおすすめとウーロン茶を頼むことにして、呼び出しボタンを押して、店員を呼んだ。注文が繰り返され、飲み物は食前にということになり、店員は喧騒のなかへ去っていく。
私たちには、いよいよ話すことがなくなり、ただお互いのドリンクを心待ちにするよりなかった。それから少しして、おろおろとしながら、学生のような店員が、ドリンクを盆に載せてこちらへきた。私は、お手拭きや水の入ったグラスを壁際に寄せる。店員はにっこりして、何かの確信の下の行為なのか、ウーロン茶を母、オレンジジュースを私に提供して、消えていった。私は黙って、オレンジジュースのグラスを母の方へ押しやり、代わりにウーロン茶をとった。いやだわ、ああいうの、という自身の発したひと言が、トリガーとなったように母は、彼女を苛立たせるあらゆる物事について、堰を切ったように話し出す。パート先に新しく来た社員が信じられないくらい使えないこと、同僚が孫自慢をしてくること、近所のスーパーの店員の態度がおそろしく悪いこと、父が映画を深夜まで見て、彼女と口を聞かないのが気に食わないこと。この洪水のような発話を、止める術がないと私は27年間の母-子関係で熟知しているため、曖昧な相槌をうちながら、ただパスタか、前菜のサラダかが来て、一瞬でも私が自由にできる時間がくるように祈った。
私と母のもとにサラダがきたとき、急にヒートアップした母の声に驚いた私は、ウーロン茶のグラスを引き倒しそうになった。なんとか私はそれをパッと手を出して支えて、ことなきを得たが、母はその一瞬の出来事にも、目の前に置かれた彼女の分のサラダに目もくれず、日頃の鬱憤を晴らそうと、オレンジジュースを片手に話し続けている。
私は、フォークを2人分、カトラリー入れから取り、一つを母に渡し、母にことわってから、サラダを食べ始めた。ドレッシングが甘酸っぱいような味で、水菜やサラダもしゃきしゃきとして、美味しかった。てっぺんに乗っていた、コーンをチョイチョイとあとで食べようと避けつつ、サラダを食べ進める。
好き嫌い、まだあるの?
私は顔をあげる、母が白けた顔で私の方を見つめていた。まあね、まだ少しある。でも、嫌いなわけじゃないよ、食べる、けど、最後でいいかなって。私はそう言いながら、逃げるように、水の入ったグラスへ手を伸ばした。「そういえば、この前、お父さんが、ポップコーンなんて家で作ってた。後始末せずそのまま、お母さんが後は片付けた、いつも通り」。
コーンを避ける私をチクリとしたついでに、ポップコーンへ連想をつなげ、見事に父の愚痴へと着地する母のみごとな姿は、オリンピックならメダルが貰えるレベルかもしれない。まあ、あれでしょ、映画、映画見て寝落ち……。よくあるよ、私もよくする。まあ、まあ!片付けは自分でしなきゃいけないよ、そうだけど!と言いながら、私はコーンを一粒、フォークの先に突き刺した。
あんたはどっちにもいい顔をする。
地を這うような声に顔をあげられなくなる。それは、たしかに度々指摘される私の悪癖だった。フォークの全ての先端にコーンを一粒ずつ装着しようとすることを、顔を上げない口実にしようと私は足掻く。そのうちに、それぞれに正しいパスタが届いた。私は、すべての先端に、ブーツを履いているみたいにコーンを刺されたフォークを見てふふと笑って、それを口に入れて、なるべく雑に噛み、すぐにウーロン茶で飲み下した。ウーロン茶の少しの苦味が、コーンの甘さを和らげる。パスタは特筆することはないが、まずまずの味で、私はそれなりに満足したが、母は味については何も言わずに、引き続き何かに悪態をついていた。
わたしはいつのまにか、母の声だけが聞こえない世界へ行く術を身につけてしまっていて、今も何か濾過装置みたいなものが起動して、母の声だけを通さない。サイレント映画みたいに、ぱくぱく、と母は口を動かし続ける。その間も、世界は回り続け、音を発しているのに、お母さんだけが、妨げられている。
(いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか? 本日のおすすめは……。もう孫がかわいくて可愛くてねえ。本日のケーキは何かしら? あのひとはだめだめ! やっぱりマッチングアプリにいいひとなんかいないよね! )
テラス席の方から、ちいさなポーチ片手に白いワンピースを着た女性が、こちらへ向かって歩いてきたのは、私がパスタの中のベーコンにフォークを刺そうとしたのと同じ時だった。白いワンピースから出た手が、健康的に焼けていて、その、日焼けした肌と白い布の作るうつくしいコントラストに目が吸い込まれていく。そのひとはさっさといってしまう。おそらくお手洗いに行ったのだろう。それよりも、私は、白いワンピースに包まれていた、いつかのおかあさん、を思い出していた。
おかあさんは、私と同じで、(私が母と同じで)やけにしろくて、だからさっき見たようなあわいコントラストはできない。ただ、白い布に包まれた白い身体があるだけだ。わたしの左の上腕には、いくつか離れて火花が散っているような黒子があった。今もあるそれらを、当時は、何かあるといつも、指先でつないで、はやくおかあさんの気分が変わりますように、と願って、でたらめな方向に頭を振って、(すべてがまざるように、)わたしという、さなぎのなかみが均一にうつくしく塗りつぶされて、おかあさんを怒らせないにんげんになれるよう祈っていた。ふるえている赤いジャムのついたスプーンを掴んだ子どもの指先が、白いパンをめがけて、食卓上をたどたどしくうごく、このときに怒られているのは、わたしではなかったけれど、標的は、ねこのきまぐれみたいに変わった。わたしも、お父さんも、代わりばんこというか、常に標的を流動的に変えるおかあさんになれてしまって、もうどうしようもなかった。もう、わたし自体が、早いうちに何かに食いちぎられていて、吐き出された吐瀉物がわたしというにんげんのかたちをして、おかあさんの前に立って、頭を垂れているだけだったのに。だが、そうやって、ある種の知恵を身につけることが、わたしがさなぎから、孵るということだった。
泣くなんて、嘘だよ。私が私へ言い続けた言葉。泣いたらお母さんはもっとひどくなる。泣くなんて、嘘だよ。おかあさんは、そんな私の様子に気づくことなく、いまだに皿から、どろどろした吐瀉物を、大切な娘にするように抱き上げている。
でも本当はちがう。お母さんは、私にお母さんのお母さんになってほしいんだ。母の母、私の祖母は、とにかく花が好きで、花を育てることにだけ精魂を込めているひとだった。祖母は親としてはひどく未熟で、母は祖父と祖父の母に育てられてきたという。でも私は祖母が好きだった、まだ幼い子どもだった私からみても人として未熟なところは多々あった人だけれど、私は祖母には気を遣わなくてよかったし、祖母は私をとにかく甘やかしてくれた。庭でたくさんの花を見せてくれる祖母、西瓜を畑にぶつけて、来年もここに西瓜がなりますように、と二人で手を合わせて笑った。母がさみしい子ども時代を送ったことは、本人から何度も聞いて知っている。祖母はあきらかに親向きの性質、能力の持ち主ではなかったし、でもお見合いで祖父と結婚し、母を産んでしまったのだから仕方ない。母は子どものときに、ふつうのお母さんがいる家に憧れたという。だから自分は温かい家庭を作りたかったというのが彼女のいい分で、その相手としては父は不適だったという。
お母さんにはお母さんの話を聞いてくれるお母さんがいなかったの。その代わりとされた私は、母の話を随分たくさん聞いてきた。私は彼女の優れた愚痴聞き係として、かつ標的として生きてきた。十八で家を出たとき、家というのはこんなに静かで、誰からの制約も受けないのかと感動したものだ。
私は素早く、パスタをフォークに巻きつけた。もう私は母の標的になることはそうそうない。その役割を一手に引き受けていた父は、近頃、母に別れを切り出したらしく、今日もそれについて私は母から呼び出されたのだった。私にできることはなにもない、私は何もしないと、はやく告げなければならないが、私はのろのろとパスタなんかをたべている。この後のことを考えると、胸が勝手に苦しくなるが、本当に私に出来ることはなにもない。ただのフリーターの私が、母を迎えて暮らすのはあらゆる観点から無理だし、金銭的援助も今以上には、無理だ。
お腹が痛くなって、母に言ってから、ハンカチを片手に、お手洗いへ向かった。馬鹿馬鹿しいくらいうるさいここに、私の居場所がないことは自明だった。ならば、母はどうだろう。お手洗いのドアノブを握って開けたとき、しかし、私には、母がどのような暮らしをしてきたどのようなひとなのか、そして、その(物理的-精神的)居場所にも、すこしのこころあたりもなかった。
お母さんは、家族に尽くしてきた!と席に戻るなり始まった母の弁を私は深刻な顔で聞き流している。お母さんがどれだけ頑張ってきたか、と熱弁を奮いながら、感情の昂った母は、ついに顔を両手で覆って、ワッと泣き声をあげたように見えるが、いかんせんここはうるさすぎる。あんたには、わからないだろうけど……!と言って、母は顔を覆う手に力を入れる。
泣くなんてうそだよ。
私の声に、母がパッと顔を上げる、真っ赤な顔をしている、両目が充血しているのが見える、狼狽えた母を見て、私は反射的に口にしてしまった言葉を後悔する。子どもの頃からいつも、私はそう自分に唱えつづけてきたが、かといって、そのことを誰かに押し付けようと思ったことはないはずだった。母はぶるぶると、歳を重ねて皺の増えた手を振るわせながら、水の入ったグラスを取る。そこに水は入っていない。私は机を転がってきたグラスを掴んで、きちんとあるべき姿の向きへ戻して、母の手元に遣った。ここがうるさすぎる場所でよかったと心底思った。
足元の荷物入れから、肩掛けの鞄を取って、黒い財布を取り出し、そこから三千円を出してテーブルの上に置く。そして、ちいさな紙袋をそこへ添えた。「お母さん、誕生日、近いから。おめでとう」。母は今度こそ本当に泣き出しそうになりながら、テーブルの上から目を背けている。「もう帰るよ、お母さんも身体に気をつけて。じゃあ」。私は席を立って、店内を横切り、レジにいた店員の女性に、連れがまだ中にいる旨を伝えて店を出た。カンカンと小さな階段を降りている間にも、ひんやり冷たかった身体が、すぐに夏の熱気に包まれてぬるくなる。庭に目を遣れば、薄い紫色の蔦性の花が地面を這って、敷地から溢れ出しそうな姿で咲いている。それはクレマチスと言うのよ。いつか祖母がそんな風に言っていた気がする。そういう母の声の濾過された記憶ばかりが、ある。
リューフの犬
リューフの犬
風のつよい日は全く、
すべてが揺れどよめく、
わたしが試されているように、
風、わたし、吹き飛ばされて、ひもじい、野に放たれた、犬みたいに、とにかく走る、
日傘をさす必要のない日、わたしは黒い日傘をひろげて、しらない国のパンの匂いを探して、地図を辿る、パンの匂いは、パン屋の厨房だけに立ち込めて、パン屋の周りからする匂いはすべて、うそだとあなたが言った日、わたしのお腹にスッと切れ目が入って、ホイップクリームとジャムがはさまれたので、わたしはすべてを疑うあらしのような女になり、あなたのなまえはリューフ、わたしはあなたに忠実だった、
あなたが見せてくれるといったもののひとつに、鎮魂の踊り子が麦畑に降りたつ風景。
わたしがひとりで乗り継いだ先、とても揺れて、がたがた道を行くベビーカーのなかにいるようだった、地方の私鉄、の車窓から見えたのはダンス、豊穣のダンス、
適当な駅で車内を後に、わたしはそれをみた、麦畑で、
つばさをもたないダンス、
首輪をもたない、
つよい風の中、身を切るようなダンス、力強い、もう存在しない、わたしの切れ目に触れてみようと手を伸ばす、わたしは、ダンス、弱々しく、ダンス、やはりリューフのために踊っていたい、
何もかもを捨てて、風のようなあなた、籠と黒い日傘以外の何も持たずにわたしが追いかけること、ダンス、あなたがいない、ダンス、どこにもいかない、
題を付さない
死に際、英子おばさんの胸から、レオが出てきたのは必然で、だってこのひと、レオ、レオってレオナルド・ディカプリオに、いのちを賭けてた
【開幕】
英子おばさんの胸を破って、無数のレオが現れる、
①三等船室でこの上なく楽しくポルカを踊り、
②憂鬱の種をめざとく見つけだして、死を迎えるロミオが、
③パイロットの制服を着て、離陸の瞬間に肩の高さで両手を伸ばす、
英子おばさんのひだり手の薬指には、長年つけてきた指環のへこみがあり、最後にこそ、彼女の宝物を、いのちのすべてを、その身体へをつけてやろうと、
彼女が胸の前で、蝶々結びにしていた両手の指を、わたしが一本ほどくたび、新しいレオがあらわれては、病室を歩き始める、
④狭い病室を歩くことに倦んだレオ(のうちひとり)は、
廊下へ出て、患者たちが食事を食べるテーブルまであるき、そこにずらりと並んだ、
フォーク、フォーク、フォーク ナイフ、ナイフ、ナイフの群れを見つけると、
小さな声で隣に座った老女へ、どちらから使えばいいの、と尋ねている、
(これはタイタニックのレオ)
「レオ、戻ってきて、おばさんが死んじゃう!」
これ以上のレオの流出は、命にかかわるというのに、英子おばさんに、指環をはめてやることへのわたしの執念はとどまることを知らなくて、
また新たなレオが、
⑤昔の恋人を忘れられずに、ずぶ濡れであらわれて、病室をぐっしょりさせた、
(レオ、レオ、レオ!)
わたしがあた、ふた、とレオを制しながら、指を解くうちに、
英子おばさんの胸は、波うち、タイタニックが沈んでいくにふさわしいようなつめたい肌になる、
わたしにできることは、気を不確かにすることしかなくて、一心不乱に彼女の指をほどき続けているうちに、
【終幕】
(Leonardo Wilhelm DiCaprio)
と刻まれた指環が金庫の中で、
唯一の現実として存在している病室は静か、
そのさきの廊下、ビーズの指環をつくり、それを指にはめる老女。
無題
春、
かぎりなく夜に近い時間、
家を出たとたん、
わたし、チェーン店のかつやで出てくるお漬物のことを思い出した、
、ありありと、
、少し唾液が増えるくらい、
なぜかつやのお漬物の匂いが、
自宅のマンションの前の、
気の利かない道路に、
これほどに、立ち込めているのか、
これはなんの植物の香りなのか、
知りたいのです、
(わたしが右手に持っている、
2週ためたゴミ袋からする匂い、
では、なさそうです、)
いちにち寝て過ごしたので、
あたまが痛くて、
その分、そうぞうはふくらみます、
吉本ばななの『キッチン』のような、
あたたかいドラマがあって、
誰かがだれかにカツ丼を届けたのでしょうか、
その残り香に、
わたしはひとり、
唾液を増やしているのでしょうか、
ある日の君の
沈む
白い水蒸気の中
永く続く
深緑は繁る
赤い実は爆ぜる
瑞々しい身体伸びやかに
未熟なまま踊る
投稿
流れ出てしまうもの
作品を誰かに見せること
一人で書いていれば十分だろうに
なぜ自らを評価の俎上に載せるのか?
流れ出てしまうもの
義務感で見せたわけではない
一人で書いていれば十分だったのだ
ただそうなってしまっただけなのだ
流れ出てしまうもの
それは単なる排泄だろうか
それとも決死の涙だろうか
蝙蝠
わが家の壁は穴だらけ
思春期のいらいらを受け止めきれなかった壁
一つ目の穴は兄が開けた
ある日、突然
階段の踊り場の壁にポスターが貼られていた
兄から内緒話で
「ここ、触ってみて」と言われ
ポスターの上から壁をなぞると
壁のない空間があるのを感じた
穴の姿は見ていないけれど
壁に穴が開いていることがわかった
その話を内緒話で母に伝えたら
兄は母に怒られた
一つの穴が開いてしまえば
罪悪感や規範のようなものは薄れ
壁に穴を開けてはいけない
というよりは
壁に穴を開けてもいいんだと
幼い私は兄からそう教わった気がしたので
私も壁に穴を開けるようになってしまった
時は十数年経ち
壁に穴が開いた部屋でくつろいでいたら
その穴から物音がしたので
咄嗟に
部屋の隅に置いてある
幼い私が使っていた画板で穴を塞いだまま
大声で両親を部屋に呼び
別の物で穴を塞ごうと画板をずらした時
穴の隅から小さな手がはみ出していた
穴から出ようと画板と壁の間に挟まれており
幼い私が使っていた竹尺を父が掴み
はみ出していた手を穴の中へと押し込んだ
壁には血痕が残り
穴はクリアファイルやポスターで塞がれた
お前と俺は
鳥にも獣にもなれなかった
似たものどうしなんだ
穴がなければ
血を流すことはなかったはずだ
今更湧き起こってきた罪悪感が
俺の体にこびりついている
あの後、壁の中でどう過ごしたのか
せめてもの償いとして
お前をずっと夜の中に置いてあげたんだと
善を縒り合わせている
そして
お前と俺は
声にならない声
聞こえない声ばかりあげているのも
似たものどうしなんだ
声を出すための穴が塞がれていて
穴を開けてくれる兄は
わが家から遠くの部屋で眠っている
霊威師のレンリ 旅語り「山の贄」・漆
思わぬ言葉だったからか、ケンゼが目を丸くする。表情に、少々の険しさと若干の不安をにじませながら。
「うぅむ……」
ケンゼが、どうにも認めたくなさそうな様子で唸る。
しかし、その声、その表情に、疑問の色は一切なく、レンリの判断を信用している事がうかがえた。
「強力な神格が、自身の力を割いて分け御霊を御作りになると言う事象は、方々の伝承で聞いた事はありましたが。まさかここで、それが行われているかも知れないなんて。仮に、件の男の正体が、本当に山の荒神の分け御霊だとして……。レンリ殿。そんな相手、勝算はあるのですか?」
不安をにじませた表情でそのように言いつつ、レンリの顔を真っ直ぐに見据える。覚悟を問うような視線と声が、彼女に向けて投げかけられている。彼女の言葉や判断を信用しているが故の、問いかけであった。
部屋に満ちる張り詰めた空気。普通であれば、緊張で一言の言葉も言えなくなりそうな雰囲気であったが。
「ありますよ。むしろ、向こうが自分から動いてくれるのなら、こちらとしては好都合とさえ」
レンリはあっさりと、そう言い切って見せた。
場に満ちている緊張感など全く気にしていないような、まさにどこ吹く風とばかりに。
「こ、好都合、なんですか?」
再びケンゼが目を丸くする。
他方、レンリは柔らかな笑顔を浮かべ、ケンゼの言葉を受け止めていた。
「ええ。それはもう、好都合ですとも」
「ちなみに、理由をお聞きしても?」
「未だ封印されている神格が、ただでさえ力の弱っているだろう状態で分霊を放っているのですよ? 加えて、直接的に行動を起こすとなれば、自身の力が封じられている場所から離れてしまうことになります。これは、自ら地の利を捨てるに等しい行為です。そうなれば、その分霊体の力はますます弱っていくことでしょう」
「な、なるほど! それならば確かに……!」
自信に満ちた様子で語られるレンリの希望ある言葉に、ケンゼも釣られて表情が明るくなっていく。
「とは言え、それでもやはり神格を相手取ると言うのは、常人の身には、並大抵のことではないと言わざるを得ませんが」
しかし、そこでレンリは軽く首を横に振って見せた。
希望的観測を脇に除けるように、必要以上の期待を抱かせないように。
「……そう、なんですか」
再び沈んだケンゼの声。
その隣ではガンキが、固唾をのんで二人のやり取りを見守っている。
その時だった。
「ですが」
レンリが静かに、柔らかく、聞く者の心を落ち着けるような不思議な声音で、言葉を始める。
その声音に、ガンキがレンリの顔の方に目を向けると、彼女の瞳が僅かに橙色を帯び始めているのが分かった。例えるならば、それは日の出の時に見える朝焼けの様子である。
彼女は語る。
「私にとっては、それは些細なことでしかありません。たとえ相手に地の利があろうとも」
「え?」
「色々とお話しましたが、霊威師としてここに来た以上、霊威からは私が必ずお守りします。どのような手段を使ったとしても。ですがご安心を。『ミノリサマ』も必ずお守りしますので」
「出来るのですか?」
「もちろんです。仕込みも、既に終わっていますので」
「仕込み、ですか?」
「はい。ちょうどいい具合に、祠の周囲“四カ所”を巡ることが出来ましたので、その時に」
「よく分かりませんが、大丈夫と、考えて良いんですね?」
「勿論です。ですので、先ほど私の方よりお願いした、見回り組への指示出しと山犬等害獣への対処の方に集中して頂ければと」
そう言って微笑むレンリに、ケンゼとガンキは、何処か安心した様子で笑みを返したのだった。
そうして、全てが動き始めた。
ケンゼは、レンリからの要請の通りに、村の見回り組を担っている男衆に対して山犬等への対応と、緊急の場合の村民の避難誘導を指示。
ミツバは、ケンゼからの指示で、彼が見回り組への説明に向かっている間に村中を巡り、山犬を始めとした野生動物への警戒を促すべく奔走していく。
一方、レンリはガンキと共に、寝所として借りている部屋にて準備を進めていた。
とは言え、ガンキは特に何も出来ないので、留守番を任されることが既に決まっていたのだが。
「良かったな。これで『ミノリサマ』は元に戻り、お前も安心して『山の贄』になることが出来るぞ」
手持無沙汰になったことで、もはや読書するくらいしか出来る事が無くなっていたガンキに向け、レンリがそのように語り掛けた。
「その時は、『ミノリサマ』に元気を届けてやっておくれ。きっと今も、あの祠で待っているだろうからね」
そうして身支度を終え、最後に頭を覆い隠すくらいの頭巾を被った彼女は、部屋を出る際に、そう優しくお願いをしたのだった。
コーヒーをどうぞ
コーヒーをどうぞ
コーヒーが黒いのは
あなたの全ての色を飲み込むため
酸味は元は腐敗しているものの合図
苦みは毒のあるものの合図
コーヒーが苦いのは
この星の青い酸素という毒を食らっても
そのために死という進化を獲得したとしても
激しく生きようとする命のため
苦いものを苦いまま飲むのは
どんなことにでも
胸に深く染みるひとつの単純な真があるから
甘いだけのものは妥協か欺瞞だと知っているから
苦いものにミルクを入れて飲むのは
白と黒の間にだけ私たちの触れられる本当があるから
苦いものに砂糖を入れて飲むのは
残酷な真実を消すことなく緩和して
抱きしめてくれる優しさを知っているから
コーヒーをどうぞ
コーヒーが黒いのは
全ての色を生み出せる希望のため
香りに包まれて時が静かに流れる
6世紀のアラビアのカルディは
ヤギの行動からコーヒーを発見し
12世紀 シークははじめて珈琲を「淹れる」ことを見つける
コーヒーの国境越え
コーヒーの戦争と征服
コーヒーの革命
コーヒーの平話
コーヒーのさまざまな発明
コーヒーの女性解放運動― バッハのコーヒー・カンタータ
コーヒーの民権運動 人間讃歌
香りに包まれて時が静かに流れる
21世紀 コーヒー豆も喫茶店もコーヒーカップも砕き燃やし尽くす戦に 白と黒と苦味と酸味と渋みと甘みと ミルクと砂糖とスパイスと 60億種類のフレーバーとを ぜんぶ一発の弾に込めて ぶち込んで終わらせてやりたい
30世紀 半永久的に回転しつづける宇宙船の中 孤独なAIがコーヒーを淹れる
彼または彼女 シー・ヒーにはコーヒーが分かる 搭載された百億の味覚 語られた千億のことば 136億年のはじまりの渚に向かって 毎日 コーヒーを淹れながら飛んでいく
コーヒーをどうぞ
コーヒーが黒いのは
全ての時間をもう一度始めるため
深い深い眠りについて
いつかもう一度目覚める夜のため
その夜が明けた朝に
窓から漏れる光の中でゆっくりと飲むため
あらゆる苦さを飲み下し
楽しんで さぁ 目覚めよ
コーヒーをどうぞ
小説『街人』~前編~ #アイラシヤ大陸
場所:世の國 時代:超現代期
斑に散らばる夜空の星は、生物が呼吸を繰り返すかのように明滅する街へと、吸われてしまった。
描かれていたはずの神話も読めなくなって久しい。時折、灼けた星の欠片が流れる落ちるだけの夜。
語り継がれる神様とは、いつしか財を成した者だけとなり、彼らの朽ちさせることを厭う人の業が黄金色の宮、黄金色の道を築かせ、世に生きとし生けるものは富を掲げよ、すべからく捧げよと声を上げる。
この街の息づかいを知るほど、人間がどれほど正しかったのかがわかるよ。
人々を活かしてくれない神々を過去へと流し、個々の幸せための変化を望んだんだ。みんなが文明の明星を手に持つと、瞬きをする間に世界は繋がり、次々と新たな神話を纏め上げる。
そして、消してゆく。
動物だからこそ、進化を求め続ける正しさからは逃れられない。
その理念だけで膨らみ続ける欲望体が、社会なんだって思う。神話が人を裁けないのは人々の方が正しいから。恐らく、かみさまよりも。
そんな街が生み出した新しいモノ。
“進化分岐点人類”
それは、人が作ったわけでも、神様が作ったわけでもなくて、街が作りだしたイレギュラー。
世界の理でさえ、予測できなかった存在なんだ。
1章 ドッペゥゲンガ Doppelgänger
羽織ったシャツの内側で腕時計の円盤を灯す。光が外に漏れないように、慎重に。
狭い文字盤の上をひたすら回り続けている時計の針。その永久行為を不思議そうに見てる君は、かれこれ一時間ほど夜の中に立っていた。
潮の匂いがキツい海岸の倉庫街で独り、建ち並ぶ倉庫の影に身を埋めている。そうしていると、とうとう自分の身体が無機質に置き換わってしまったのか? と疑ってしまうみたいで、ときおり、長袖の上から腕をさする。
まちぼうけ。
懲りなく岸壁に打ち付けては砕けてしまう波音の虚しささえ、君にとっては慰めだった。夜の重たい雰囲気は好き、暗がりも好み、海だって星空だって自分の生活の一部なんだと感じられるほど身近にある存在なのに、一人っきりの寂しさがどうしても慣れてくれない。それでも、ここから離れないのは、こなさなければいけない仕事があるから。
本当なら今、君の隣にもう一人居るはずなんだけどね。まだ来てないんだ。
相棒のあの子からの連絡はまだないかな?
夜に紛れるように隠れているんだから明かりは厳禁。時計もスマホも、光が漏れないように閉じたシャツの内側に隠しながらでないと確認できない。ゴソゴソと手間取りながらスマホを取り出し、直通SNSを確認するけど相棒からの返事は無し。それどころか既読も付かない。画面を消したら、そのままパンツのベルトに挟み込んだ。シャツのポケットにしまうのが面倒になったみたい。
作戦開始時刻まで、最短であと15分。客先の都合によっては、その時の後倒しも予想されてる。
その時が来たら、君は車に轢かれちゃうんだ。
どんな抵抗もしないように注意しながら、突っ込んで来る高級車の前に立ちつくし、無防備で轢かれる。
それが君たちの未来のために不可欠で、どんな仕事よりも簡単な仕事。
珍しく緊張した面持ちで空を見上げる君。
久しぶりに星を見たね。
いつも無感動な眼差しで、下を向いてる君だったから。
どう? 星は見える?
月は今日も微笑んでる?
夜風は柔らかく囁いてる?
夜はしっかり降りてきてる?
街の明かりが反射してる暗い空。
指先が入るかどうか程度に開いた唇が、夜空に対する感想を漏らすことはなかった。夜を夜としか認識してないみたい。夜にも色々な香りや温度があるんだよ? と教えてみたところで意味はないんだろうね。何でも手に入るこの時代、今この場になければ存在しないのと同じ。
少し気を抜いていたかな。臍の辺りから起こったバイブレーションが、君の口から小さな悲鳴を引き出した。
「ひあっ!?」
慌ててシャツの内側を覗き込む。
「すまんいまおきたいまむかうむりすな」
まるで呪文のような返信がきてた。
『すまん、今起きた。今向かう。無理す(る)な』かな。
君はゆっくりと、時間を掛けて微笑むと、今度はスマホをポケットに戻しておく。彼のアパートからここまで10分かからないから、ギリギリだけど間に合うよ。君たちを轢き殺しに来る車も予定通りには来ないから。
そうだね~。その相手は今、君たちを雇った連中の交渉決裂演技に憤慨して、密会の部屋を出たところ。そろそろ、クライアントから連絡が来るんじゃない?
ピッピッピッピッ――。
耳に差し込んだ通話イヤホンが鳴った。
ほらほら、轢かれる準備をして? だってさ。
『ロゥ君、聞こえるかしら。そっちの準備はどう?』
「聞こえます。今、指定場所に一人で立っています」
『え!? どういうこと? もう一人は?』
「今こちらに向かっているそうです。……ああ、到着しました。こちらは準備完了です」
妙齢の女性の声は切迫した様子から一転、弛緩した溜息混じりのものに変わった。安堵しているというより、呆れているように感じられる。
『……驚かさないで。あなた達はどちらか一人じゃ何の役にも立たないのでしょう?』
「わかってますよ、ビッグマム」
『……それならいいわ。今ターゲットが車に乗り込んだところ。その道に誘導するから、上手に轢かれなさい。しっかりできたら、今までとは比べものにならない快適な居場所を確保してあげるから』
「それも、わかってます。ご心配なく」
通話はそれで切れちゃった。
視線を前に戻すと、顔中汗だくの輝弥(かぐや)が居た。君にとって唯一無二の相棒。
「悪ぃ、寝ちまってた」
「だと思ってた」
さほど悪びれた様子のない輝弥に、君は短く言葉を返す。来なかったどうしようと悩んでいた様子は微塵も見せずに、鷹揚な仕草で。何となく、輝弥の前では格好を付けていたいと思うお兄さん気質の君。
二人分の命と未来が掛かっているのに、輝弥は本当にのんきで間抜け。こんな奴、一発ぶん殴ってやったっていいんだよ? 君は甘すぎる。
「あー、だっる。汗掻いちまった。なに? いつから来てたん?」
「1時間ぐらい前」
「は? そんなに待ってたのか? 早すぎるだろ」
「遅刻したら困るからさ。誰かさんみたいに」
「俺は間に合ったし」
「どうかな」
「作戦の時間にお前の隣にいること、だろ? 遅れてねーよ」
真っ直ぐ強気に瞳を飛ばす顔に、反省の色は無し。
肯定も否定もしなかった君は、代わりに上着を脱ぎ始めた。少し丈の長いシャツは、二人で着回せるように選んだサイズ。手にしたシャツを輝弥に渡した。
「これ、着て?」
「は? 何で? しかもこの暑い時期に長袖じゃん」
輝弥は作戦の注意事項を全く、これっぽっちも頭に入れてなかったみたい。
「作戦内容のメール読んだ?」
「ああ、黙って轢かれろって話だろ?」
「その下の注意文」
「注意文? 漢文で作った模様じゃ無くて?」
「そう、注意文」
漢文模様ってなによ? 漢字の多い文章は模様にしか見えないの?
ようやく自分に非があったことに薄々感づいたらしい輝弥は、シャツへ腕を通し始める。
「明かりの無いところに潜むから、光る装飾品や時計は身につけないように。極力肌を露出させないような服装で。声を発するときは周囲に気を配りながら小声で。スマホは音が鳴らないように。とかとか、細かく書いてたでしょ」
「まるで暗殺者みてーだ」
「やることは変わらないよ。時間まで素足が出ないようにしゃがんでおいて」
「へいへい」
夏だからか、輝弥は短パンを身につけていた。
「髪の色も、少し目立つね」
「髪はしょうがねーだろ。帽子なんか持ってねーんだから」
それでも、色々考えた末に、君の陰に座り込んで、なるべく見つかりにくいよう工夫していた。
しゃがみ込んでいる輝弥と立っている君。なんとなく、いつもの立場と逆になってる。普段なら輝弥が前に出て、君が目立たないよう生きているから。くすぐったい感覚とシチュエーションに促され、君の心に珍しく悪戯心が沸いてきた。
輝弥の頭に手を置いて、ポンポン。君の手が輝弥の体に触れているときだけ、二人の姿が電波障害を受けた映像のようにぶれた。
驚いた輝弥の身体がビクッと浮き上がった。
「な、何だ?」
「ううん、なんでも」
「だったらやめろよ」
パシッと手を叩き落とされる。でも、懲りずに頭に手を乗せ続ける。真っ黒な影の中に溶けながら、ぼやけた身体を楽しんでいる。
「何だよ、変なことしてんじゃねーよ」
「懐かしいなって」
「ん?」
君が言っているのは、輝弥がまだ幼かった頃の話だね。シャワーを嫌がってむずがる彼を、あの手この手であやしながら一緒にシャワーを浴びさせてた。あの頃の君は、手探りで子育てを頑張っていたよね。
「輝弥は今年で何歳になった?」
「…………覚えてねー。お前と一緒ぐらいだろ?」
「そっか」
見た目は同じぐらいの二人だけど、成長スピードが違うから、身体年齢はきっとすぐに追い越されちゃう。その時を嫌っているのは、君も、輝弥も一緒。だから二人の間では年齢の話はタブーだった。こうして頭を撫でていられるのも、あと何年だろう。
イヤホンが鳴った。
『そろそろターゲットが向かうわ。用意して』
「はい」
通話を終えると、輝弥が強いまなざしで見上げてきた。
「なんだって?」
「そろそろ来るみたい」
「上等だコラ。俺たちに喧嘩を売ったこと、末代まで後悔させてやんよ」
「……どこでそんな言葉を覚えたの?」
「杏美《あずみ》の部屋にあったマンガ」
威勢の良い声と共に立ち上がった輝弥がシャツを脱いで、腕を回し始めた。
「さあ、悪者退治だ」
輝弥が投げ捨てたシャツを拾って着直す。頭を入れた瞬間、夜の静けさを嫌うかのような華やかで、蜜っぽい匂いに襲われた。
「う……、女物の香水の匂い」
「ん? そうか?」
「今まで自分の部屋に居たんじゃないの?」
「だから、杏美の部屋に居たんだってば」
輝弥の成長を喜ぶより、嗜好の方向性に危機感を覚えて、君の眉根がキュッと寄った。
「輝弥、一昨日は春佳さんのところ――」
「この音、来たんじゃね?」
重量感のあるエンジン音、輝弥の声と同時にイヤホンが切迫した声を送ってきた。
『そっちに車がいくわ。上手くやってみせて』
「はい」
ヘッドライトの明かりが曲がり角を照らし出した。少し遅れて、黒塗りの車がこちらへ曲がってきたが、確認できたのはそれまで。ライトを上向きにされたせいで目が眩み、何も見えなくなった。
そんな中で、横から伸びてきた手。
「ほら、手を握ろうぜ。俺たちの未来がこの先にあるんだろ?」
不敵に、強気に、真っ直ぐに。
輝弥が道の真ん中に立って、君に手を伸ばした。輝弥はいつだって真っ直ぐ未来をにらみつけてる。そのまなざしを羨ましく思う君。
「そう、だね」
目が潰れそうなほど眩しい光。一層高鳴るエンジン音。それでも君たちは待ち構えていた。未来が向こうからやってくることを知っているように。
「誘ってくれてありがとよ」
柄にもなく、輝夜が殊勝な言葉を漏らす。
「こっちこそありがとう。隣に輝弥が居てくれるから、信じられる」
君が信じているのは、未来? 輝弥? それとも、輝弥を信じてる自分?
何も見えなくなっても、お互いの手の感触があれば進む先を迷わないって素敵。どんなイレギュラーな命にだって、必ず未来はあるんだから。
君が輝弥のごつごつした手を握ると、君たちの身体は揺らめくようにぶれ始めた。一切の闇を拒絶するほどの明るさでさえ、二人の輪郭を捉えきれなくなる。
それは理屈が確率計算を諦めた結果。
世界が二人の存在を見失った証拠。
動物という括りの限界を超えてしまった不可思議の姿。
同次元の同位置、同時刻に同じ個体が触れあう。
この重なった奇跡を世界は処理することができない。
二人で声を重ね合った。
「「アーティッフィショ・ドッペゥゲンガ(人工の複製体)」」
すぐ目の前に、加速する車が迫ってきている。
君たちへ間違いようのない殺意を向けて。
あはは。アクセルを踏むだけで、世界の式を変えられる訳も無いのにね。
君はポケットからドロリとした液体の満ちたガラスの瓶を取り出し、背後に放った。
2章 アクセラレィダ accelerator
「最初から契約を反故にするつもりだったんだ、あの女狐ども! この私から地位を奪おうなどと笑止千万。身の程を知らぬ愚か者どもが」
馬狩(まがり)社長は後部座席に乗り込んでくると同時に、両手で数え切れないほどの悪態を吐き、最後をそう締めくくった。
「何をしてる! さっさと出せ!」
とばっちりを受けた助手席が、社長の爪先を受けてガンと鈍い音を立てた。今からこの車に乗って移動しようというのに、何という仕打ちだろうか。俺はハンドルを撫でながら、お前のせいじゃねーからと愛車を慰めてやる。
エンジンを吹かして発進。走り出してから、背後に何人もの男達が駆け寄ってきていることに気がついた。どうやら交渉決裂から素直に解散、という幕切れにはならない様子。
「向かう場所は組の隠れ家でよろしいですか?」
「構わん、尾行されるなよ?」
「かしこまりました」
先ほどから薄々感づいていたが、大通りに合流できる近道には相手組織の車が配置されている様子だ。あちこちから不穏なエンジン音が鳴り始める。
しかたがない。倉庫の間を走りながら抜け出せる道を探そう。加速を生かして速やかにギアを上げていく。甲高い声でタイヤを鳴かせながら倉庫街へと入っていった。
ルームミラーの中では、馬狩社長が苛立たしさを顔中に滲ませながら、濃色の煙を吐き出している。自分の考えが絶対なのだと、微塵も疑わない面構えだ。この家業に就いた頃は、この傲岸不遜の態度に痺れ、憧れさえ抱いていた。馬狩社長の言葉を絶対だと信じ込み、彼が悪者だと言えば、相手がどんなに著名な人物だろうと悪人のレッテルを貼っていった。
いつからだろうか? 彼の言葉を鵜呑みに出来なくなったのは。
馬狩は運だけの男。井の中の蛙が、大雨で井戸が溢れた時に、たまたま湖まで流れ着いただけだ。世界を広げてやっても見渡せるだけの視野を持っていないから、いつまで経っても目先のことしか考えられない。
誰の言葉だったか忘れてしまったが、その意味を今ならよく理解できる。今回の件も、おそらく馬狩社長の先見の読みが甘かっただけなのだろう。
付いていく背中を変える潮時か。
最後の仕事をキッチリこなしたら、新しい雇い主を探すことにしよう。
隣の道路を併走しいる車が一台。このまま走り抜けても振り切れそうにない。最悪、車体を擦り合いながら倉庫街を抜けて、街中へ逃げ込む事になるだろう。
荒っぽい運転には滅法自信があった。長くストリートレーサーとして活躍していた過去が、俺に揺るぎない自信を与えてくれていた。レーサーと言っても、もちろん表舞台で華やかな歓声を浴びる花道レーサーじゃない。反社会的な活動家や、公に出来ない財産を余らせている連中の遊戯のための違法公道レース。
安全とは無縁の日陰に住み、他人から信用を奪い取ってここまできた。煽りをかまして事故を起こさせ、炎上した車を横目に走り抜いたことは記憶できないほどあるし、器物損壊なんて日常茶飯事だ。
それでも幸いかな。
故意に人を轢いたことはなかった。
だから、目の前の光景に思わずブレーキを踏みかけた。
「なんだ?」
突き当たりを曲がった先、道の真ん中に人のシルエットが浮かび上がった。目を射貫くような改造ビームライトを浴びせても、その場を動かず立ち尽くしている。
俺の驚いた声に、馬狩社長が反応を示した。前方を確認するなり、間髪を容れず言い放った。
「殺せ」
「え!?」
「轢けと言っている。あのガキどもは、連中の雇った足止め要因だ。こんなところで捕まったら、私もお前も無事には帰れんぞ」
まだ若い、少年にも見える二人組だ。どちらも二十歳にさえ届いてないだろう。俺たちの良心を足枷にするつもりか。こんな青年を肉の壁として雇い入れるとは、向こうも相当に狂った組織なのだろう。
複数のエンジン音が背後から聞こえてくる。
道は狭く、真ん中に立っている人間をかわして通過することはできそうにない。かと言って、減速したら導かれる未来は挟み撃ち。
この時、俺が何を考えていたのか正確に思い出すことは難しいが、少なくとも自分の命と、見ず知らずの人間の命を天秤に掛けたことは間違いない。いくら若いとは言え、善悪や生死の判断が付かないほど幼くは見えない。そんな自分勝手な判断を下したはず。
結果、俺は目一杯アクセルを踏み込んだ。
「衝撃が来ますから、できるだけ深く下がっていてください」
峠道で轢いた鹿を思い出していた。
その時の鹿の重さと、目の前に迫る二人の人間の体重を見比べながら、速度を調整する。
速すぎるのはマズいが、かと言って速度が足りず肉の重さに押し返されればタイヤがスリップしてしまう。
加速、更に加速。
一瞬で彼らとの距離が縮まった。
逃げてくれればと思ったが、彼らは全く動こうとしない。強気な眼差しを真っ直ぐ向けてくるやんちゃそうな青年と、全身を地味な色で包み込んだ根暗そうな青年。まだ、人生に絶望するような歳ではないだろうに、どうしてこちら側に足を踏み入れたのか。
このスピードなら、声も出ないまま済むだろう。
俺は生き延びるために、轢き殺した。
つもりだった。
接触した瞬間の衝撃は一切無かった。
いや、正確に言えば接触しなかったのだろう。全く考えられないことだが、車が人間をすり抜けたのだ。
茶色の髪の青年の睨み付ける顔が、俺の顔と重なり合って抜けていく。
確かに触れたはずなのに、彼らには実体が無かった。
何の抵抗もなく通り過ぎた直後、フロントガラスに何かが当たって、ガラスの砕け散る音が聞こえた。割られたかと思ったが、フロントガラスが割れたわけじゃなく、ぶつかってきた物が割れたのだ。そして、目の前が真っ暗に染まり、視界が奪われた。
やられた。色の付いた油だ。
すり抜ける人間、加速しすぎた車、一瞬で奪われた視界。予測できない事態に、運転制御を間違えた。慌てて蹴ったブレーキが後輪をスリップさせて、どの向きで走っているのかが分からなくなる。ワイパーを動かすとフロントガラスを覆った塗料が伸びて事態は一層悪化した。
全ては数秒の出来事だったのだろうが、俺にとっては生涯で一番長い時間となった。
車は正面から倉庫の分厚い壁に激突し、俺は意識を失った。
3章 ボス Boss
「このビルには名前がないわ」
黒ずくめの男が運転する車に乗って辿り着いたのは、外観の新しそうなビルだった。今回君たちを雇った組織が所有しているビルとの話だけど、門には社名の入った看板も表札も見当たらない。
目に見える見えない関わらず、世の中の全ての存在に名前を付けたがるのが人間なのに、無名のままなんて事あるのかな。君は疑問に思って、一緒の車に乗ってきた藤堂と名乗る案内役に尋ねてみる。
「じゃあ、皆さんはここをなんて呼んでいるんですか?」
藤堂さんはさっきの任務中にやり取りしていた相手だね。彼女の見た目は20代か30代前半だけど、女性の年齢なんか君にはわかんないよね。特にお金持ちの女性の見た目は信用しちゃダメ。見た目なんかどうにでも弄れるんだから。
ピッチリと身体に張り付いたタイトなスーツは、良質な生地がどれだけ体のポテンシャルを引き出してくれるのを教えてくれてる。丸みを帯びるスーツの表面で滑らかに伸ばされた夜の明かりは、扇情的な色気を醸してる。
君はそういうの興味ない? 輝弥は滑らかな手触りを想像しながら、いやらしい視線を当ててるけど。
明らかに、見られているのをわかっている藤堂さんは、先端だけ跳ねさせている髪を弄りながら考え込んだ。
「そうね。例のビルとか、角のビルとかかしら」
名前あるじゃん。でも、優しい君は余計なことを言わずに頷くだけにしておいた。
代わりに口を開いたのは、深夜になり、テンションの上がってきた輝弥。
「俺たちも呼びやすいように何か呼び名を決めようぜ? 監禁ビルとか違法建築ビルとか」
唇の片端を持ち上げて言い切った。その言葉を受けて慌てる藤堂さん。
「待って待って。確かに建物は変わっているように見えるかもしれないけれど、違法でもなければ、君たちを監禁する為に連れてきたわけじゃないのよ。誤解を招くような言い方は止めて欲しいのだけど」
地上20階、そして地下は5階と説明された。
地上部は普通の直方体ビルなんだけど、地下が少し変わってる。君たちはまだ紹介されてないけど、地下5階が左右にどこまでも伸びてる。こんな都市のど真ん中で、他人の敷地を無視して地下を好き勝手に伸ばせる権力ってどれほどの物なんだろうね。
ネガティブな名前の案は引っ込めた輝弥だったけど、まだ言い足りない様子で険のある視線を投げた。
「でも、俺たちの自由は縛られるんだろ?」
『仕事』というものを体験するのが初めての輝弥。自分たちにどんな枷を嵌められるのか想像できないみたいで、警戒心を解く気は無さそう。
「そういう詳しいことは支部長に聞いて。私はただ、二人を無事に連れて帰れとしか言われていないのよ。でも、君たちの能力はしっかりと確かめさせてもらったわ。それほど特殊な能力なら上層部も気に入ってくれるだろうし、待遇も良くしてもらえるわよ?」
そんな希望的予想を聞きながら、恐ろしく静かなエレベーターで上っていく。最上階がこの会社の役員専用部屋になっているんだって。
エレベーターの扉が開けば、視界いっぱいに広がる部屋。『空間所有』という力の顕示。
星空を背景にして、遠くにポツンとデスクがあった。肩書きなんか聞かなくたってわかるね。デスクに両肘を付いて手を組んでいる男性がこのビルで一番偉い人。後ろに撫でつけた髪と、真っ黒のスーツ。更には、こんな時刻に照明も暗くしてあるのに、色つきのサングラスで目を覆っていて、離れていてもはっきりとわかるほど威圧してくる。
「かがり様、お連れ致しました」
部屋の入り口から『かがり様』と呼ばれた人物までは距離があるけど、藤堂さんのやや高めの声は広すぎる部屋に程よく響いて、彼から微かな反応を引き出した。
ここからだとわかりにくい程度の頷きだったけど、そういった仕草に慣れているのか、藤堂さんは一礼した後、君たち二人を連れてデスクの前へと歩み寄った。
「この二人の青年が今回の作戦の主役を務めました、ロゥ文月(ふみつき)、一ノ瀬輝弥(いちのせかぐや)です。彼らの活躍がなければ成功はなかったでしょう」
自分の上司に君たち二人を紹介した後で、今度はこちらに彼を紹介してくれた。君たちを客として迎えたわけじゃなく、格下に見ていることが紹介の順番からも察せられる。
「こちらが、私たちゴールドビジョンカンパニー(GVC)の東歌郷(ひがしかごう)地区をまとめている かがり千旗(せんき) 代表よ」
厳つい見た目の割に、なんだか可愛らしい名前じゃない? 名前の紹介が終わると、さっそく輝弥がかがりさんの前に進み出た。輝夜の横顔に不穏な気配を感じ取って腕を伸ばした君だったけど、一歩遅いよ。
輝弥の先制ジャブがデスクを越していった。
「チャオっす、偉い人。俺が一ノ瀬だ。それじゃこれから俺たちは、あんたの命令通りに生きていけばいいのか?」
この言葉に真っ先に反応したのは藤堂さんだった。
「何を言うの!? 私たちはあなた方が安全に生きていけるように――」
「まあ、まあ。落ち着きたまえ、藤堂君」
へー。もっと渋くて聞き取りにくい声かと思ったけど、かがりさんの声は思ったより若々しくスッキリとした声だった。勢い込んで反論しかけた藤堂さんに手の平を向けて押しとどめると、かがりさんはサングラス越しの視線を輝弥へと向けた。
「藤堂君がどんな説明をしたのか分からないが、我々カンパニーは君たちと仲良く、協力していきたいと思っているのだよ。そんなに悪い契約を結ぶつもりはない。君たちの能力を我々の為に使ってくれたら、それに見合った対価を支払う。それだけだ」
一応は引っ込んだ輝弥。
ちなみに、どうしていきなり突っかかっていったのかと言えば、向こうの都合の良いように利用されたくなかったから。プライドと自由にこだわる輝弥にとって、飼い殺しにされるのは受け入れがたい未来だもの。
この世界に特殊能力を持って生まれてくる人はごく稀で、その誰も彼もが数奇(すうき)な運命を遂げているんだって。良くも悪くも、人並みの生活は送れなくなる。
特に君たちの能力は他に類を見ない変わり種。善用も悪用も、簡単にできてしまうから、本当なら他人に披露しない方が良いんだろうけど、そうも言っていられない懐事情があるもんね。
「ただ……」
優しげな台詞の余韻を残したまま、かがりさんが手元のスマートパッドに目をやりながら言葉を続けた。
「報告は受けたのだが、君たちの能力……『すり抜け』か。話だけではいささか信じがたいのだ。今まで、そんな力を持てた人間など聞いたことがないのでね。申し訳ないが、この場で実際にやってみてもらっても良いだろうか。チープな手品ではないと証明してくれたのなら、その時は正式に契約を結ぶとしよう」
そうだよね。話だけ聞いても、信じられないのは当たり前だと思う。
「それとも、時間の使用制限などがあるのかい?」
「いえ、ありません。何度でも、何時間でも可能です」
「ほう……。それは素晴らしい」
今のところ、その説明で問題ないけど……。
実際は何日間も二人で触り合って透明化していると、世界から忘れ去られて現実世界に存在できなくなっちゃうからね? って言っても君にはわかりようのない話かな。
君は輝弥を促して、手を組み合った。
二人の少年が仲良く手を握る。すると、二人の体の輪郭がぶれるように揺れ始める。
でも、それだけ。
なんの変化も起きないから、かがりさんも、能力を知っているはずの藤堂さんも、次のアクションを期待して静かに次の行動を待っていた。
でも、残念。次のステップはないんだ。
「もう、すり抜けますよ?」
「うん?」
言われた意味が分からない、そんな表情がサングラス越しにもわかる。君はもう一回噛み砕いて説明した。
「僕たちはお互いに触れあうことで、能力を発揮します。いま、この状態で、全ての物体は僕らの身体をすり抜けます」
「嘘だと思うなら、殴ってみろよ。ノーダメージだぜ」
かがり様が藤堂さんに顔を向けた。
「君は触ってみたのかい?」
「いえ、まだ。物質が通り抜けるのは確認していましたが」
「それなら実際に触ってみて欲しい」
「……かしこまりました」
かがり様のデスクの正面に立っていた君たちは、右隣に立つ藤堂さんへと向き直る。それだけで、ビクリと肩をふるわせた彼女は、恐怖からなかなか腕を伸ばせないでいた。
それでも上司の命令と言うこともあり、恐る恐る、人差し指を輝弥の胸へと伸ばしてくる。マニキュアで輝く爪がゆっくりと、ふらふらと。
シャツに触れる。
それでも指は止まらない。
何の抵抗がないから、押していく指を止めるタイミングを見失ったみたい。
第一関節、第二関節。手の甲……。
「じれってーなぁ」
輝弥が痺れを切らして、君の手を握ったまま、藤堂さんに抱きついていった。びっくりして身動きが取れなくなった彼女の身体に、輝弥の身体が障(さわ)りもなく重なっていく。
「ひっ!」
小さな悲鳴。
その弱々しい声が耳に届いたのか、輝弥が調子づいた。悪そうな笑みを唇に乗せる。藤堂さんのメリハリの強調された身体を行ったり来たり。何も出来ないことを良い事に、くびれた腰に腕を回してみたり、鋭く深く開いた胸元に手を突っ込んでみたり、驚く顔に頬を寄せて唇を奪うフリをしてみたり。
「ちょ、ちょっと待って……」
子供じみた悪戯に息を呑み、いちいち反応を返してくれる藤堂さんを笑ってる。さすがに見るに見かねた君は、繋いでる右手を引っ張った。輝夜の行動は誰が見ても悪役だもんね。
動きを制されると肩をすくめてみせる。と、今度は理解できない事態に出会って思考がフリーズしている、かがりさんに目標を定めた。
キザな視線を投げながら、チッチッチッと舌を鳴らして人差し指を左右に振る。そして、右手の拳を握り片手だけでファイティングポーズを取った。爪先立ちのステップを刻むと、一足飛びでデスクをすり抜け、拳を振りかぶった。
慌てて仰け反るかがり様。でも、手を握った君ごと引っ張る勢いで襲いかかった輝弥は容赦が無くて、握り込んだ右ストレートをかがり様の鼻面に打ち込んだ。
「ひぃっ!」
サングラス越しでもわかるほど怯えた表情を見せるかがりさん。
大の大人がビビりすぎじゃない? 輝弥もそう思ったのか、肩を震わせてデスクから離れると、君の手を振りほどき、お腹を抱えて笑い出した。
「あははははははははっ
あはははははははははっ!」
涙を拭いながら延々と笑っていたけど、とうとう立っていられなくなったのか、床に突っ伏して身体を揺らし始めた。
贔屓目に見ても、狂気に犯された様相。でも、君はその姿を確認しながらも声を掛けることなく、正面へと向き直った。どうせ、自分の演技に興が乗って笑いが抑えきれなくなったとか、そんな しょうもない ことなんだろうと捨て置いたんだ。
本当は、輝弥の体内で不安定要素体が弾け、危機水準にまで減っていたんだけど、君はそれに気が付けなかった。このとき君が優先させたのは、輝弥への心遣いではなく顧客先の心証の回復。
「失礼しました。この能力を知ってもらうには触れることが一番手っ取り早いですから」
「あ、ああ。そのようだね」
心がまだ戻ってないのか、虚ろな返事をくれたかがりさんと、口を半開きで固まっている藤堂さんに、それぞれ頭を下げた。
「体験してもらったとおり、私たちが肌を触れあわせている時、私たちは皆さんの視界に映りますが私たちに触れることは出来ません。もちろん、私たちから物体に触れることも出来なくなります。
また、私たちの一部と認識されている物も私たちと同じように透けてしまいます。衣類やアクセサリーなどがそうです」
ゆっくりと時間を掛けて、噛み含めるように話していく。自失気味の二人の足が地に着くまでの時間を持たせるように。
「また、この能力は私たち二人が揃わなければ発生しません。個別に発揮することはできませんので、ご注意願います」
早めに頭を切り替えたのはかがりさん。
仕事上必要な質問を出してくる。
「実に、実に素晴らしい能力だね。我々も幾人かの能力者に会ったことはあるのだが、これほど分かりやすく実用的な能力は初めて見た。いくつか質問をしてもいいかい?」
「もちろんです」
「君たちは物体をすり抜けるわけだが、地面をすり抜けたりはしないのかい?」
「すり抜けます。能力発生時は、地面の高さに浮いているような感じと思っていただければ」
「なるほど。では、物体をすり抜けている最中に手を離してしまったらどうなる?」
「私たちが物体に重ならない場所まで押し出されます。体が切断されるような事はありません」
その後もいくつか質問を重ねたけど、カンパニーにとって特に問題は無かったみたいだね。何度も頷きながら、少し興奮気味にかがりさんは契約を結ぶ条件を出してきた。
「いいだろう。君たちを我々ゴールドビジョンカンパニー専属の能力者として雇おうじゃないか。詳しい契約内容は、のちのち藤堂君から連絡を入れさせる。毎月の給金と出来高に応じて報酬を与える事を確約しよう」
「ありがとうございます」
握手をし合って、口頭でのやり取りは済んだ。細かなところは後から詰めることになるのかな。
ひとまずは良かったね。これで安定した収入を得られるようになるよ。
「それで、その。今回分の報酬だけも、先に頂けると……」
「ああ、そういう約束だったね」
即日現金支給。それが今回の仕事を承諾する条件だった。かがりさんは藤堂さんに目配せをして、用意していた報酬を持ってこさせた。艶々の塗り物の盆に、朱色の包み。あれ? 思ったより厚そう。
「確かめてくれたまえ」
「失礼します」
包みを開けると、封をされた札束が二つ。200万。予定していた金額より随分多めだった。
「事前のお話より多いようですが、よろしいのですか?」
「もちろん。今回の出来高報酬を入れてある。今回はこちらへの被害もなく、また証拠も残さず、君たちだけで仕事をこなしてくれたから色を付けてある。そして、これからの活躍を見越しての報酬だ。受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
バッグを持ってこなかったから、裸の札束を両方のポケットに詰め込んだ。
でも、何か忘れてない?
振り向いた君は、ようやく輝弥の存在を思い出したんだ。
「帰るよ? いつまで寝てるんだ?」
声を掛けてから、ようやく様子がおかしいことに気が付いた。丸くうずくまり、お腹を抱えたままの姿勢を保っていた輝弥。笑った余韻にしては動きがなさ過ぎる。
君は慌てて背中を揺すった。
「どうした輝弥?」
輝弥の手が君の腕を掴んだ。その力強さにびっくりして、慌てる。彼の体をひっくり返すと顔を覗き込んだ。額に脂汗がびっしりと浮かび、口は苦悶の形に歪んでいる。
「どうしたの!?」
かがり様も藤堂さんも、急な事態の変化に怪訝気味な表情を浮かべる。せっかく契約が済んだのに、ケチを付けられたくないと思った君は大事を避けて、口元に耳を寄せ、輝弥の小さな声を拾おうとする。喘ぐように発せられたそれは、今の姿に似つかわしくない強気のものだった。
「……くぅ、平気」
「いや……平気って顔じゃないけど」
「アレだ、アレが来た」
アレ。当然、君には伝わった。
輝弥は定期的に苦しむ時期が来る。頻度は数ヶ月に1回ぐらいかな。不定期だし体質的なものだから、対処のしようがないんだよね。アレ。
苦しそうだけど、今の君に出来ることはない。ひとまず場を収めようと、振り返った。
「ああ、すみません。体調を崩してしまったようです」
「大丈夫そうには見えないが、医者を呼ぼうか? この建物内にいるからすぐに呼べる」
「いえ、恐らく診てもらっても治療は難しいです。輝弥のこれは、言ってみれば能力の副作用みたいなもので、程度は数ヶ月に一度くらい発生しています。生活や仕事に支障はありません」
「そうか。それならばいいのだが」
客先を不安にさせないようにと、君は早々に切り上げることにした。
「歩けるか?」
返事が返ってくるまで少しの間。
「ああ」
いつもの発作より少し辛そう。輝弥の脇に腕を差し込んで下から支えるように歩かせた。ゆっくりだけど、確実な歩幅でいくらか安心する君。
「藤堂君、送ってあげてくれ」
「かしこまりました」
(続く) 後編
二次創作を楽しむ企画 #アイラシヤ大陸について
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=3225&user_id=160&mode=post
https://i.imgur.com/FMaquP7.png
雑記Ⅰ
生きることにあまり意味を持たせたくないことに変わりはないが、いつまでも無味無臭な存在で居続けられるとは、さすがに白髪の増えてくるこの歳になると思えなくなる。そのままの君でいいのはせいぜい25歳辺りまでで、内外の代謝は想像以上の冷酷さで行われるので、若さに縋るようにそのままでいいはずがないなどと、駅からの帰り道やアルコールの回った夜分、ベッドに入り意識の途切れるまでの数分間で考えてしまったりする。
だんだん面倒くさくなる。現象に、思想に、いちいち独自性を伴った名前を、言葉を付けようとするのが。そういう、ドラマを求めようとするのにも飽きがくる。飽きなくとも、草臥れてくる。思考のフィルター無しに、我が儘に明け透けと振り翳せる性格でもない。無理矢理社会に放り出されて数年もすれば、板についてくる生活とか、負うべき責任とか、親のこと、後継のこと、なにより体力。多方向からじわじわと、生々しく、迫り来るように直面するあれこれ。
何処ぞの馬の骨のきれいごとは、ますます響かなくなってしまった。しかし本質とか、含蓄とか、そういう深みを求めているかといえばそういうわけでもなく、それっぽい雰囲気さえあれば、あとは見せ方だけ。見せ方だけなのか。霧のようにつかめないのに、なにかに纏わりつかれるように日々を暮らしていると、若い頃に求めていたそれらも重苦しくなってくる。
あらゆる物事を人がやらなくてよくなる時代が近づいている。そうなったとして、今感じている霧は晴れるのか。纏わりついていたものから解放されるのか。春夏秋冬を静かに感じながら、穏やかに死ねるのか。また、まっすぐに本質を追い求められる日がくるのか。否、きっとそうはならない。このままの私では。
せ、きせつ
まっくらにならないことに、
驚いてたちどまる
日の出まえの 薄青が
窓のそとに貼りついていた
深夜 東京は氷点下
圧倒的な静かであって
畏けるほど つめたいにもかかわらず
ぬるま湯のような 最初の冬だ。
2024/07/15@海遊館吟行より
夜がくるじんべゑ鮫と云ふ夜が
吊るされる男の始末について
何ももう出てきはしないと赦しを乞うのなら
まずその男のポケットを探れ
そこに何も手掛かりが残っていなければ
次はいつも頸から引き摺っている詩嚢の中を調べてみろ
そこにも何もないと赤い目をして訴えるのなら
その男を裸にひん剥いて、衣服と躰の、表と裏まで調べあげろ
それでも何も出て来ないというのなら
その男の痩せこけた躰に聞いてみること、これに限る
その男の細い片足を濡れた繩で括り上げ
あの荒地のあの根元に根深い穴を掘った
あの雨の降らない灰色の地の枯木に吊るせ
その男を逆さに吊るせ
まず、うらうら揺らしたり、ゆるゆる廻したりなどして時をかけ
その男の内蔵にある言葉をすべてことごとく吐き出させることだ
もしも何も出てこない場合には薔薇の枯れ枝で笞打って
その男の物語を剥奪しろ
それでも一滴の言葉も出てこないという事態が出来したならば
石持て頭を砕き割り
言葉のきれぎれ、物語の粉々の混ざった、脳髄のぐしゃぐしゃをバケツに採取し
心臓をナイフでひと突き、砕けた首をスッパリ切って
流れ出す赤い言葉の一滴、黒い物語の一片まで絞り出せ
仕舞に今度は嘘も真も何も出てはこなくなったとの判断に至ったなら
繩を切って穴に落としてやることをお奨めしよう
その男の役目はもう終ったのだから
その男の務めはもう世界には何処にもないのだから、さもなくば
邪悪な黒い鳥たちの嘴に捧げるがいい、繩は切らずに吊るしたままで
その脳髄の破片に残ったもろもろ
その眼球の底に映された絵のさまざま
鼓膜の奥の骨に貼りついた音のいろいろ
鼻孔の奧の匂いの記憶のすべて
夢の中の手触りに肌触り、感触のくさぐさを思う存分
奴らの腹が満ちるまで食らわせてやることだ
やがて繩から抜け落ちる骨の跡形もなくなるまで。
これが吊るされる男のいっとう真っ当かつ素敵な始末の仕方なのである
そしてそれは、世界に代々伝わる最善の方法だとわたくしは聞いている。
主張強めの文芸投稿サイト運営者日記(2月25日分)B-REVIEWの消滅について
現代詩投稿サイトB-REVIEWが突如、機能を停止した。投稿できなくなっただけでなく、アーカイブすら閲覧できない。7〜8年前、立ち上げに関わった人間として、何も思うところがないと言えば嘘になる。アーカイブが見られなくなったこと自体は残念だ。しかし正直に言えば、どこかホッとしている自分もいる。
もともとB-REVIEWは、マナー重視の場として設計され、ナイーブな人を包摂することにこそ存在意義があり、代々それを引き継いできたはずだった。それが、乗っ取った運営者によって方針が大きく変更され、いつの間にか「罵倒上等」「好き放題やれる」ことが訴求点のようになった。屋号は同じ。しかし中身は正反対。私に至っては、かなりの誹謗中傷を受け殺害予告まで出されたが、サイト内では当然のごとく不問に付されていた。正反対の運営をやりたいなら、別のサイトを一から作るのが筋ではないだろうか。おそらくはシステムやアーカイブを使いたかったのだろう。私から言わせれば、それは窃盗に近い。
サイトが停止してから、この数日で新規登録者が急増している。まだ投稿を始めていない人も含め、相当数がこちらへ流れてきているのだと思う。運営としてはありがたい。同時に、一定の負荷とチャレンジがあることも覚悟しなければいけない。
B-REVIEWの終末期では、放言や罵倒、喧嘩を含め「好き放題やれる」こと自体が魅力として語られていた側面がある。そうした文化を出自とする人がこちらに来た場合、物足りなく感じるかもしれない。あるいは、周囲にストレスを与えるコミュニケーションを選ぶかもしれない。私はなるべく多くの方を包摂し楽しんで頂きたいと思っている。
しかし、頭を下げて「荒らしてもいいですから、他の方々に迷惑をかけていいですので、入ってきてください」と言うつもりはない。
私は、知る人は知っていると思うが、決して柔和なタイプではない。むしろ罵倒体質と言われれば否定はしない。粘着的にしつこく批判することもあるし、喧嘩っ早いところもある。私の描く「田伏正雄」は確実に私の人格の一面を表象している。だが、C-SPACEの書き手を罵倒して荒らして楽しみたいと思ったことは一度もない。運営だから我慢しているのではない。そもそもそういう欲求が湧かないのだ。荒れ野にして内輪で盛り上がるよりも、外に向かって広がる場を作るほうが、私には面白い。結局のところ、自分の場所だと思っていないからこそ、荒らして楽しめるのだと思う。
荒らすタイプの人間にはいくつかのパターンがある。長年この界隈で荒らしアカウントを続けてきた人には、奇妙な共通点がある。それは「荒らしてあげますよ」という謎の上から目線だ。好き放題書く人がいないと場は停滞する。退屈になる。風通しが悪くなる。だから私が罵倒も誹謗も含めて好き放題書いてあげますよ、というわけだ。当たり前だが、おととい来やがれ、としか言いようがない。無視して放置する者はいても、その上から目線に迎合して、頭を下げる運営者などいるはずがないではないか。
ちなみに、「私はときどき自分をコントロールできなくなるかもしれませんが、そのときは事前に注意いただけたら何とか修正しますので、BANしないでくださいね」などと事前に書く人はいない。もしそういう姿勢で望まれる方がいたら、その時点でその人は荒らしではなくなるだろう。場への挑戦や揺さぶりと判断すれば、基本は即BAN。ただし、対話や謝罪があれば、BANはすぐ解く。それ以外は、できるだけ参加者の自主性に委ねる。基本的にはこれまで通りのスタンスでやるつもりである。
B-REVIEWが消えた。狭い界隈の話ではあるが、一つの時代が終わったと言っていいのかもしれない。詩投稿機能のある掲示板を核とするサイトはもはや私たちしかいない。私たちは詩投稿サイトを標榜してはいない。ジャンルに縛られない文芸投稿サイトと自らを定義している。しかし、ネット詩の歴史はC-SPACEにバトンが手渡され、私たち以外には更新できるプレーヤーは他に見当たらない。
時が揺れて
風がなびいて
時が揺れ
似た景色に心が馴染み
昔がそっと戻ってくる
明日を見ていたあの頃の
心の弾みが蘇り
どうにもなれなかった
今の私に流れ込む
過ぎた時間を一瞬と
言えないほどには生きたけど
あの頃の
私に会えるほどではない今を
そっと切なさでごまかして
懐かしい残り香に
少し酔って風が吹く
ニンゲンだもの
ニンゲンにはニンゲンらしい権利というものがあり
ニンゲンらしく 子どもに殴る蹴るの暴行を加え
ニンゲンらしく 平然と暴言を浴びせ
ニンゲンらしく 支配しコントロールし身動き出来ないようにし
ニンゲンらしく 弱いもの気に食わないもの目障りなものを
寄って集ってイタぶったりハブったり排除しようとし
ニンゲンらしく ほんのさっき云ったことさえ
そんなことは云っていない聞き違いだと
平気な顔してひとのせいにし
ニンゲンらしく 平気でひとのものも時間も奪い盗る
ニンゲンの ニンゲンらしい
権利として
ニンゲンらしく 自身が傷つくことには
過剰なくらいヒドく敏感なくせに
他人の傷口には 笑いながら平然と塩を塗りたくる
裏切られた裏切られた 信じていたのに
いいひとだと思っていたのに
みんな自分と同じ いいひとだと
などと云っては
他人を勝手に悪人に仕立て上げて
可哀想な被害者になりすます
ニンゲンの ニンゲンらしい
権利として
間違うことだってあるさ
ニンゲンだもの
間違いを認められなくたっていいじゃない
ニンゲンだもの
いつまでも ネチネチ攻撃したっていいじゃない
ニンゲンだもの
力尽くでも 自分の方が正しいと云い張ったって
相手をひれ伏し 打ち負かしたくて仕方がない
だって だって
ニンゲンだもの
ひとを騙したっていいじゃない
ニンゲンだもの
ひとを刺したっていいじゃない
ニンゲンだもの
ニンゲン辞めたくなったっていいじゃない
ニンゲンだもの
ニンゲンだもの
は 決して
免罪符などではないはずなのに
それでも それでも
うまく立ち回れたもん勝ちの
許されたもん勝ちの
このこんがらがったニンゲン社会
あのひともニンゲン
このひともニンゲン
誰にだっていいトコもあれば
ダメなトコもあるはずなのに
ひとのダメには激しく断罪する
お互い様というコトバが通じない
ニンゲンだもの
ニンゲンだもの
みつをさんよ
貴方が残した にんげんだもの
ニンゲンとは一体?
カフェオレが苦くて
甘いものを啜るより
苦いものを啜りたい
美味しいものを食べて
微笑み合うより
不味くって食べられなかった
と愚痴を言い合いたい
最高より最悪最低を
想定した方が楽だよね
大抵の人が選びそうなこと
選んで
それなりの「ふしあわせ」に
揺蕩う楽に甘んじて肥えた
甘い甘いご褒美は毒にしかならなくて
「いつか戻りたい」と夢みた
場所には戻れずに
「住」テーマを転がして
カフェオレを何種類か
日替わりに飲んでみて
生乳こだわりやノンシュガー
さまざまなもの試したけれど
わたしはもうその広場の遊戯を見つけられず
住みつくことは出来ないと
泣く
カフェオレが苦くって
わたしはもういられない
置き手紙すら置かずいなくなること
不義理と誰かに指をさしてもらえれば
幸いです
名前すら覚えられていなければ
もっと幸せです
A wonder lasts but nine days.
9日
経てば
忘れられ
視線を
奪う
こともない
自分が
忘れた
明日なら
声が
枯れる
こともなく
愛
例えば、目の前にハゲ頭の人がいたとしてその頭を撫でたら笑えるからやると言う人に、特別な心の病はない
例えば、包丁を飛ばして下っ端を叱る板前が何故包丁を飛ばすかというと、それはマナーを教えるためであって、その板前に特別な心の病はない
例えば、戦争の親玉が戦争をけしかけやりたがるのは特別な利益と喜びがあるからやるのであって、そこにも特別な心の病なんかない
例えば、目の前に人見知りして集団に馴染めず少しおどおどしている奴を睨みつけ、悪意をぶつけるのだって、そこには偏見と侮蔑心、見下しがあるからやるのであって、そこに特別な心の病はない
例えば、皆で食事を食べている最中に人がおならをして、注意されたら怒るのだって、それは心地良さに負けた自分のプライドを傷つけられたことに腹を立てたのであって、そこに特別な心の病なんかない
例えば、机の上に足を乗っけてガハハハと人が笑うのだって、それは我慢している人との対比でその悪意が引き立って格好良く見えるだけであって、それをやっている人に特別な心の病なんかない
例えば意見に独創があって、集団との逸脱を楽しんでいる人がいたとして、そこにも特別な心の病なんかない
例えばSNSで他人を攻撃して、皆でそれを楽しもうぜと呼びかける女がいたとして、それも心地良さ気持ち良さに酔っているのであって、そこに特別な心の病なんかない
誰もが悪意に晒され攻撃の対象にされ、楽しみの被害を受け被り得るが、一番大変なのが集団内におけるマナーを守ることを志す善人と呼ばれる人間だとしたらどうだろう?
つまり皆が、ハゲ頭を撫で合い、皆が包丁を飛ばしあい、皆が利益のために戦争をけしかけ合い、皆がキビキビ動く人間以外を良しとせずにキビキビと動き、食事の時間におならをしあって、机の上に足を乗せてガハハと笑い、他人を不快にさせるような独創をし、SNS上で罵り合いを繰り広げ合いそこに誰一人異論を挟まなければ、誰一人苦しむものはいないのかも知れないと言うことだ
そこに乱れはなく、ジェットコースターのスリルを皆で楽しむように乗れば、誰が死んでも誰も悲しくはならないし、お行儀を守る煩わしさに囚われることもないという訳だ
お行儀は弱者のためだろうか? ひたすら自由を尊び謳歌したい人にとってはそうだろう
しかし、ウクライナでは国を守るために死んでいく仲間を悲しむ若者がいると聞く
彼らは国際法違反をするロシアと命を掛けて戦っているではないか? これがマナーのためでなくて、なんだろう?
マナーこそ、愛だ。愚か者同士が死んでも誰も悲しむ必要などないが、マナーがあるからこそお互いに幻滅せずに、死んでいく人間のために涙を流せるのだ
子ども部屋の禁忌
子ども部屋の鏡はいつも裏返しにされている
母が言う
「映ると困るものがあるのよ」
納得したふりで
夜中こっそり表にしてみたら
私の顔が映っていた
父盗み
泥棒をするため電車に乗ったけれど
男が母親を盗むようには
女は父親を盗むことができない
父を恋うることには獣の響きがつきまとい
まなざしをくぐっていく危険がある
改札を抜けたところで膝を折り
誰か年上の人をつかまえて
父さんと呼んでしまいたいので
真珠の声を殺して切符の端をもてあそぶ
背骨の奥の虚ろは生後まもない風船で
きっとあの改札の向こうでは
高い天井にぶら下がる蛍光灯が
壁のタイルにしのび込む影が
交互に私を照らし
皮膚の先を撫でるだろう
背骨の風船は八月を吸い込み
丸く眠るねこになって内側から押し広げる
南出口のくねった階段をおりると
十四時の散歩は高温の亀裂になり
私はそのせつない隙間を
フラットシューズのつまさきで割った
ひび割れの向こうからは血液に似た風が吹き
痩せた足首を包んだ
風船を負ったまま光の奥へ歩いていくとき
青い街路樹のすべての葉脈に私の名前がある
小説『街人』~後編~ #アイラシヤ大陸
前編
4章 ネスト nest
東堂さんを追うように部屋を後にした。
来た時と同じ順路で地下まで向かう。床をすり抜けて降りても良かったんだろうけど、万が一、途中で体が離れてしまったら床に叩きつけられてしまう。そんなわけだから、安全を取ってゆっくり。
東堂さんが不安げな声で話しかけてきたのは、縦横に広いエレベータに乗ってからだった。
「本当に平気? 私たちの医者が信用できないのなら、このまま大きい病院へ送ってもいいのよ?」
「平気平気」
いくらか滑舌が戻った輝弥が明るめのトーンで答えた。君の手を押しのけて、一人で立ってみせる。腕を大きく広げて大丈夫だとアピールをしてみせるけど、足が崩れて彼女の方へともたれかかっちゃう。
「きゃっ」
慌てて抱き留める東堂さんの鎖骨辺りに顔を埋める。ついでに腰に手を回し、輝弥は甘えた声で鳴いてみせた。
「ちょっとふらつくかも?」
「やっぱり平気じゃなさそうね」
やりすぎじゃない? わざとらしい演技だったけど、藤堂さんからすれば具合の悪さを隠すための演技なのか、それとも偶然を装って安っぽい情欲を満たそうとする行為なのかを測りかねたみたいで、細い指を輝弥の頬に添えると強制的に顔を上げさせた。
じっと、輝弥の色素の薄いの瞳を覗き込み、息づかいが聞こえる距離から真意を読みほどこうとする。バツが悪くなって視線をそらした輝弥の胸に、温かな手の平をあてがった。
「変に強がらないで。良いことないわよ。一人じゃ歩けないのでしょ?」
東堂さんは ひたっ と身体をくっつけると、さっきまで君がやっていたように輝弥を肩で支える。急接近されて距離感覚を狂わされた輝弥は、彼女との関係を計り直すために手指を彷徨わせはじめた。
体重を預けたまま、すがりつく先を探す指先。多分、無意識の仕草で無自覚の反射。なぜなら輝弥は、今の間抜けな演技で肩が上下するぐらい息が上がり、立っているだけでもようやくといった様子になってるから。そんな状態でも、指先はスーツに浮かぶ身体の丸みをなぞる。酷く幼くて、弱い。安全な相手の容姿を肌で覚えようとする行為。まるで目の開いていない赤子みたいだ。
「藤堂さんに迷惑を掛けるなよ」
輝弥に言った言葉だけど、君に返事をしたのは東堂さんだった。
「迷惑じゃないわよ。こんな時だもの、助けてあげるわ」
首をなぞり始めた輝弥の手の甲に自分の手を重ねて、脈のリズムを与える。血潮の波。本能理念を読み取らせ、安心を与えていた。
そんな彼女の心は甘いだけ? ううん、その表情をみると、恐らく他の思惑もありそう。
穏やかな視線、優しい頬、それなのに妖しく持ち上げられた口元は裏腹な三日月。うん、これは雌狐。
「能力を使った後はいつもこうなるのかしら?」
「いえ、数ヶ月に一度やってくるもので、能力を使った直後に発生するというわけでもないです」
「そうなの。不定期と言っていたけど」
「はい、仕事には影響を出さないように気をつけたいと思います」
「それは……まあ、そうね」
地下一階へ降りると、東堂さんから輝弥を受け取った。
「今、車を回すから。少し待ってて」
ヒールを鳴らしながら、彼女が奥へと消えていく。
見計らって声を掛けた。
「輝弥、大丈夫か?」
「あー。なんつーか、しんどい」
「そうみたいだね。……2時、とりあえずお誕生日おめでとう」
「嬉しく、ねーよ」
「そう言わずにさ」
いつもなら外出時に発症することは少ないんだけど、今日は色々あったせいかリズムが狂ってしまっているみたい。その分、身体への負担も大きくなったのかも。
「家までは送ってもらえないから歩くことになるけど、歩けそうか?」
「車に、乗っている、間に、回復する、だろ」
途切れ途切れに息を吐きながらの返事は大丈夫そうに聞こえないんだって。
そんな話をしていると、コンクリートに囲まれた地下空間の奥から厳ついエンジン音が聞こえてきた。
しばらくして現れたのは、ピンク色のボディカラーに丸い目、随分と平たい体。リアにかけて流れ星のように散らした金ラメがよく目を惹く、派手なカラーリングの車だった。
慎重なタイヤ運びで君たちの側に寄ると、そのまま少し通り過ぎる。そして、助手席側のドアが自動で開いた。
大きく、上に。
ドアのてっぺんがボディの屋根とくっついていて、ドアの下部が斜め上へ回転するように上がっていく。いわゆるガルウイングドア。
ツードアの一応4人乗り。一度助手席を倒してから後部座席に輝弥を乗せて、助手席を戻して君が乗り込んだ。ドアが閉まると車内に響いていた排気音はかなり抑えられる。エンジン音は背後からビシバシ響いてるけど。
「ごめんね、うるさい子で」
そう言って、彼女は後部座席に倒れ込んだ輝弥に防音用のヘッドフォンを手渡した。自動でサイドのカーテンを閉めると、後部座席は一気に暗くなって、いくらか過ごしやすくなる。
「凄い車ですね。ここまで手の込んだのは見たことありませんよ」
「もらい物なんだけど、乗ってる内に愛着がわいちゃって売れなくなっちゃったのよ」
もう旧車でしか見なくなったマニュアルトランスミッションなのに、振動を感じさせない緩やかな走り出しをしてくれる。体に車の癖が馴染んでいるのがよくわかる。
「苦しくなったらすぐに教えて?」
声を掛けたけど伝わったかどうか。目を閉じた輝弥はまるで生まれ変わりを待つ魂のようにひっそりと息を返している。
今の輝弥を普通の人間が見たら歪な生命体の姿に映るはずだけど、彼女はどうだろう。
家の前まで送るというのを固辞して、デパートの前で駐めてもらった君たち。車を降りると、昼から居座っていただろうモヤッとした熱気の中に立った。シャツの背中に汗が滲み始めるのは時間の問題だね。
「どう? 歩けそうかい?」
「肩貸してくれ」
首を振って大人しく甘えてきた輝弥。まあ、そうだよね。何も処置をしなければ、大体いつも一晩ぐらい調子が戻んないし。
ゆっくりと、明かりの少なくなった街を歩く。この時間、この場所に歩行者はいない。
正確には、居ないんじゃなくて『人を払ってあげた』の。有難く思ってね?
「改めて、誕生日おめでとう」
そう言葉を贈ると、輝弥は心底嫌な顔を見せた。
「だから嬉しくねーんだよ」
「僕が嬉しいんだよ。君が長生きしてくれて」
「そーかい、それはおめでとさん」
輝弥は普通の人間と違って、こんな感じに歳を取っていく。数ヶ月に一歳。そして、毎回、原因不明の苦しみを味わうことになる。バースディショックって呼んでる痛み。
輝弥は(君もだけど)それでなくても寿命が短い生命体なのに、年を数えるのも早いから、人間の感覚からすれば物凄く短い一生なんだ。でも、それを悲観しても意味が無いから、お互い悲しんだりしない。
でも、輝弥にとっては寿命の短さより気になることがあるみたい。
「お前と年がすぐに離れちまうのに、喜ぶなよ」
「今は近づいてるでしょ?」
「もう1年経たずに同い年になるっつーの」
「そっか。あっという間だ」
「そうだ、あっという間なんだよ。わかるか? ちくしょう」
すぐに君と年が離れて行ってしまう。輝夜にとってはそれがすごく嫌なんだって。嫌な気分になる理由はわからない。どうやら本人にも分かってないっぽい。
ビルが主役の街を右に曲がって、左に向かって。ここまで来ると繁華街よりは涼しいかも。夜に沈んだ空気の中を、二人は歩みを合わせて進む。
やがて辿り着いたのは、高い塀に囲まれた場所。広さは一般的な家の敷地と変わらないけど、3メートルにも及ぶコンクリート塀のせいで、中の様子が分からなくなってる。中の建物は真四角の鉄筋コンクリート一階建てだから、塀の外からでは中の建物を覗くことさえできない。
そして何より、塀に入り口が存在しない。ここは二人のための家、ううん、巣のような場所だった。
手を繋いで塀と建物の壁をすり抜ける。「ただいま」もなければ「おかえり」もない、二人で帰るための場所。
スイッチを入れれば、眩しい光が部屋を満たした。
広いはずのワンルームは、整然と並べられた銀色の電気機器や透明な強化ガラスの水槽のせいで、狭く感じられるほど。視界を埋めるそれらに加えて、四六時中止まらないモーター音と流れ続ける水の音が、圧迫感を生み出しているから、部屋の大きさほどの開放感は感じられず、むしろ窮屈ささえ感じてしまう。
オールグリーンが点った銀色の機器類、規則的で絶え間なく揺れる波を映し出しているモニター。そして、人がすっぽりと入れる(入ってるのもある)巨大な円筒形のガラスの水槽が8台。
そのどれもが生命。
「輝弥はすぐに休んだほうがいい」
文句も言わず、手を引かれるまま一台の空いているガラスケースに向かう輝弥。目を閉じた表情は苦悶。胸のえずきや頭痛、筋肉の痙攣、めまい。そんな不快感極まりない症状に襲われる誕生日はいつも人工的な胎内で過ごしてた。
筒状の水槽の入り口は上部にあって、据え付けられてる梯子で登らなければいけない。ふらふらと梯子に手を掛ける輝弥に君はちょっと、と声を掛ける。
「服は脱いでから入って」
「へいへい」
乱暴な手つきでシャツ、ズボン、パンツ、靴下と脱ぎ散らかしてから梯子を登っていく輝弥。裸になると、筋肉の動きがはっきりと見えるようになるね。力を入れる度に膨らむ上腕や太もも、ふくらはぎ、お尻、どのパーツを取って見ても、人間と変わりない。むしろ、人間じゃなかったら何なんだって聞きたくなるぐらい、人の形をしていた。
梯子の天辺に到達すると、崩れ落ちるように頭から水槽の中へと落ちていく。水槽の中に満ちている粘性を帯びた液体は、待ってましたと言うかのようにポチャンと重たい水しぶきを上げ、ブクブクと泡を沸き立たせた。
透明だった液体が、薄い青に光り輝く。その液体を肺で吸い込んでいく輝弥。すると、苦悶に満ちていた顔が、みるみる明るい物に変わっていった。
更に両手を使って、液体を全身に刷り込んでいく。活性化した液体がより青みを増して、見た目にも海の中に漂っているような清涼感を感じさせる。気持ちよさそう。
「どう、気分は良くなった?」
君の問いかけに親指を立てた輝弥は、とっても元気そうだ。さっきまでとは表情の明るさが違うね。猫背気味だった体もシャキッと起きてる。
君たちの研究ではまだわかんないだろうけど、バースディショックの原因は、身体を構成している成分の劣化。体の組織が数ヶ月しか持たない輝弥は、体が古くなってくると急激な体調不良を起こしちゃう。だから、こうして数ヶ月おきに新しく入れ替えなきゃいけない。
この液体は、輝弥の体を作っている成分そのもの。活性化した液、『生体液』の中に君の体の組織の一部を溶け込ませることで、もう一人の自分である輝弥を作った。成分が一緒だから、こうして浸かっているだけで、輝弥の体を作り替えられる。
君と輝弥はいわゆるクローンと呼ばれる関係だった。君を元にして輝弥が生まれた。二人の見た目が似ていないのは、始祖になる大元、君を生み出したクローン元となっている生命体が人間じゃないから。エラークローン&エラークローンで、元の姿を忘れちゃってるみたい。
水槽の中に浮かび上がった輝弥が、液体から顔を出した。
嬉しそうな顔で、今日の戦果を喜んでみせる。
「良かったな、仕事をもらえて。これでしばらく金には苦労しなくてすみそうじゃん」
「そうだね」
ポケットに入れてある札束を、配線の絡み合うモニター機器の上に乗せた。これだけあれば半年は持ちそう? これらの機器の維持費って物凄いからね。
出処は汚いお金だけど、手に入れた方法は稼いで得た物。久しぶりに、堂々と使えそうだ。
「輝弥が遅刻してきた時はどうなるかと思ったけど」
「細けーじゃん。結果が全てだろ?」
「後々、信頼性に響いてくる可能性もあるから気をつけて欲しいって話」
「わかってるって。今回は相手の都合もあったから時間が狂っただけで」
君としてみれば、仕事の前に時間の都合が狂うような情事を控えて欲しいって意味になるわけだけど、あんまり伝わっていないみたい。また、時間が空けば昼夜問わず遊びに出るんだろうね。
輝弥のナンパ癖は日に日に盛んになっていた。もしかしたらこの先、仕事に支障が出る事もあるかもしれない。でも、君はそれを咎めようとは思わなかった。どこか追い立てられるように温もりを求め続ける原動力の根底には、寿命の短さがあることに気が付いていたから。
人ではない物なのに、人と同じ体を持っている。その奇跡は、次の奇跡を生むんじゃないかという期待が、輝弥の刹那的な衝動を突き動かしてるんだ。
それでも言っておかなきゃいけないことがある。
「あんまり深入りして相手を悲しませないように」
「わかってんよ」
君はよく知っている。
この先に繋がる奇跡なんか存在しない事を。
5章 メイデン maiden
ピッ ピッ ピッ ピッ――。
部屋に反響し続ける電子音が、輝弥にとっての子守歌になったみたい。
水槽の状況をパソコンの画面で確認していた君は、輝弥の脳波が睡眠を示す波長に変わったのを確認して、席を立った。
生体液の中で脱力し、底にペタンと女の子座りみたいに沈んでる輝弥をつぶさに見回す。特に異常は無さそう。身体の不調を逐一教えてくれたら良いのに、輝夜は何故か隠そうとする癖があった。だから君がこうして毎日診てやらないといけない。
続いて隣の水槽。中には『次の輝弥』が不完全な状態で入ってる。顔と上半身だけが完全態で、腹部がまだ もにゅもにゅ したアメーバみたいな形をしていた。もちろん下半身はまだ無い。もう少し成長すれば今の輝弥と全く一緒の生命体ができあがるけど、時間にして1~2年ぐらいはかかるかな。
隣も、そして、隣も。成長の程度は違うけど、8個ある水槽は、一つを除いて全て輝弥のものだった。それらを順番に確認していく君。難しそうで嬉しそうな表情が、複雑な君たちの生き方を表してるね。もう少ししたら、もっと気楽に生きていけるような街になるから……ううん、してみせるから待ってて。
7個目の水槽には、生体液が溜まっているだけ。君は小さな籠を手に梯子に登ると、水槽の上から輝弥の元となる物をポチャポチャと落としていく。フィラメントの切れた電球、拳よりも大きなボルトとナット、ぼろ切れのようになった輝夜のジーンズ。
籠を空にすると、折りたたみのナイフを開いた。
「っつ」
自分の指を傷つければ、浮き出てくるのは人間よりも淡い色の血。生体液の中に手を突っ込む。この生体液は生き物だからね。大好きな別個体の血液を感知して、傷口に入り込もうと渦巻いてる。どんな感触かな? 痛みはない? 無表情に近い顔からは、ちょっと伝わってこない。
でも、きっと痛いんだろうね。切ってない右手を握りしめてる。
輝弥を産み出す全ての工程を終えて梯子を下りると、観察記録ノートに今日の日付と投入した物を書き込んでいく。もう300冊を超えている観察記録。一番古い記録は17年前。最初のノートだけ字がちがう。
そのノートの最初のページに書かれているのは名前候補の一覧だった。ひとつだけ、目立つマーカーを塗られている名前は、ロゥ文月。最初に作られたクローン体の名前だよ。そこから2年の期間が空いて、君の観察記録が始まっていく。
ノートを真剣な顔で見つめる君。
『擬人化させた街をクローンで増殖する方法』
理論上、君たちは街そのものだった。
この方法で何度人型を作れるのか。正常に成長してくれるのか。それらに確信が持てないんだよね。
でも、安心していい。そのやり方をしている限り失敗なんてしないから。もっと、もっと君たちを増やして欲しい。私たちはこの方法でしか個体数を増やせないの。
だから、もっと。
この街を占めるまで。
投入記録と日記を兼ねた雑感を書き終えたら、一番最初の水槽へ。
その中には少女の身体が沈んでる。
こんばんは、文月。
この身体が私。と言っても、肉体だけの抜け殻なんだけどね。私の本体は、こうして精神体となってこの街を浮遊してるから。この街にいる間は、この肉体へ戻ることはできない。
それはすなわち、一生戻れないことを意味してる。でも、そんな事情を知らない君は、私の身体を丁寧に保存してくれてるんだ。
水槽に手を当てた君は、目を閉じたままの私をじっと見つめてる。物憂げな顔で、小さく唇を動かした。
「かあさん」
だから違うってばー。
私は君たちの母親じゃないんだよ。
私がこの街の隅で、この姿のまま自然発生したのが25年前。生まれた時点で街のあらゆることを自在に操れることを知り、私は街その物を擬人化した存在なんだと悟った。でも、この時は、何のために生まれたのか、何をすれば良いのかさっぱりわかんなくて、一日中ぶらぶらと街を彷徨ってたんだ。
そんな毎日の中で気が付いたのが、街の全てを知ってるはずなのに、街を作った人間そのものを知らないってこと。だから、ずっと観察してた。人間の生き方や考え方を。最初は理解できなかった。個を尊重しながら生きているように見えて、集団の利益のために個を犠牲にすることに違和感を抱かない矛盾した考え方。生命の維持に不必要な行動ににさえ心血を注ぐ姿勢。そういった、動物らしくない言動を観察しているうちに、私もその生き方に興味が沸いてきちゃったんだ。
同じように生きてみたい。人間のように自由な集団の中で生活してみたい。そう思うようになった。幸い、私の容姿は人間と同じだから、最初は人間のコミュニティの中に紛れ込もうとしたんだけど、やっぱり上手くいかなかった。個体の存在証明ができないと人間の中で生きていくのは厳しいんだよね。それなら、私とおんなじ存在でコミュニティを作ってしまえば良いって考えたの。規模が小さくて、家族のようになれたら素敵だなって。
個体の増やし方は、動物のそれとは違うから、大きな施設を手に入れて、準備を整えて。そうして生まれた、私のクローン第一号が、君。ロゥ文月。完璧で成長の遅い、人型完全体。
私の身体の組織を元にしたクローンのはずなのに、なぜか男の子になっちゃった。
「かあさん、いや、姉、なのかもしれないけど。この女性は一体どうすれば目覚めるんだろう。身体に異常は無いし、状態も健康。それなのに、意識だけが抜け落ちてる」
ごめんね。どれだけ君が頑張っても、私が元の身体に戻ることはできないから。もし、もう一度体に戻ってしまったら……生まれ変わってしまったら、『世界』に私の存在を正しく認識されてしまう。
世界は私の存在を許さない。だから、おそらく、この街そのものが消えちゃう。街と街のクローン体である私との邂逅は、ドッペゥゲンガが出会うことに等しいんだ。
生体液の中で君の身体が完全に作られた時、私は泣きながら喜んだ。始めて流す涙の、あの熱くなる感覚は今もはっきりと覚えてるよ。一緒の水槽の中に入って、今と変わらない生まれたての君を、無我夢中で抱きしめた。
そして、二人はトウメイになった。
それは恐怖の色だった。
「眠っているのか、意識を失ってるだけなのか。それとも最初から魂が入っていなかったのか。いや、そんなはずはないんだ。だって、僕らを作りだしたのは、この人のはずなんだから」
肌に吸い付くようなとろりとした生体液の中で、まだ意識を持っていない文月を抱きしめた時、薄い青の中で私たちはトウメイになってしまった。文月の少し骨張った骨格や、男性の実用的にメリハリの付いた肉付きの身体の生々しい感覚を肌で感じられるのに、生体液やガラスの水槽、文月以外の全ての存在に触れられなくなっていた。
この時、私は悟った。『世界』が私たちの存在を正しく認識出来ていないんだって。私たちが触れあった時、世界に存在するための計算式が成り立たなくなって、ゼロにさせられてしまった。イレギュラー分子として世界から弾き出されてしまった。
でも、それはおかしい。私は街なのだから、もし同一体が触れあったらゼロになるのなら、私が街にいた時点で、街と一緒にゼロになっているはずなのに。
でも、この疑問は少し考えたらわかった。そっか、『世界』は私の存在を正しく理解できていなかったんだって。街と私が同一体であることを知らない。私と街の存在を認める計算式が、それぞれ別次元扱いで行われているんだ。
『世界』が理解できていないうちは、ドッペゥゲンガの呪いを受けない。
「どうして、女性なんだろう。僕も輝弥も男なのに」
それは私もわかんない。全く推測できてないよ。
「中性的な存在ならまだわかるのだけど。日を浴びてない柔らかな白い肌と、全体的に膨らみを帯びたシルエット。細い手足。筋張った筋肉を感じさせないするりとした首や、液体との親和性が高い艶めかしい腰のくびれ、少し無理に捻ると折れてしまいそうな関節の細さ。それらに反して、形良く張った丸みで存在を主張する二つの乳房と、男性と違って表に露出しない女性の性器が、僕たちとは異なる性別であることの証左になってる」
ちょっとー、声にしなくて良いじゃん。恥ずかしいんだけど。
「それでも……人間と形状が合致するからといって、動物的な繋がりで子孫を増やせるわけじゃないってことは本能的に理解してる。毎日のように裸体を見てるし、時々異常が無いか確認するため身体の細部まで触れているけど、この女性に繋がりを持ちたいとか愛情を注ぎたいとは思わない。実際、輝弥もこの女性に興奮したことはないって言ってた。意識がない相手だからとか、そういう倫理的な理由ではなくて、もっと根本的な本能で。ただ、大切にしなければいけないのはわかるんだ」
そうだね。見た目は似てるけど、やっぱり人間とは違うよ。私の体で子供を産めるとは思えないし、君たちが子供を宿させられるわけじゃないから。
それでも輝弥が、君が他人に温もりを求めてしまうのはきっと、人間の心に興味があるから。私と同じで。
「でも、それならどうして人間と同じ身体を持っているんだろう。同じ姿を選んだんだろう。そこにはきっと意味があるはずなんだけど」
意味はあるんじゃないかな。私たちがまだ辿り着いていないだけでさ。
元々は、街が人間の姿を取りたいと考えた。
だから最初の私が人間の姿をしてる。それなら街の心、思考、嗜好を理解できれば答えに近づけると思う。街を自由に操れる私も、その心までは見通せないんだ。そもそも、街の心ってどこにあるんだろう。そういう不明瞭なところは人間に似てるんだよね。
君は私の水槽の前から離れると、各機器を点検してまわり、部屋の電気を消した。窓のない真っ暗闇の世界で、生命維持装置の青や赤のランプだけが明滅を繰り返してる。鋭くて直線的な光は、小さくて無機質な存在感を示し、己の光が届く小さな範囲だけを愛でているように感じられる。
全てが完璧に制御されている部屋の中に居るのに、君の心は不安定を極めてるみたい。どこへいけばいいのかわからない、そんな風にあっちこっちへ爪先を向けて進み、結局、力の無い足取りで私の水槽の前へと戻ってきた。
強化ガラスは冷たいのに、水槽に手を当てて話しかけてくる。
「何も分からないのに、次々と命を増やして、減り続ける命を補ってるんだ。正しさを見つけたがる理性より、寂しさを怖がる本能が勝ってる。それが僕の本性」
何も分からないのに間違ってる風に話さなくたっていいじゃん。正解だけが未来へ行けるわけじゃないよ。世界に答え合わせはいらないんだ。窮屈すぎるし、窒息しちゃう。それに、答え合わせなんかしちゃったら君はきっと、間違っている誰かを殺さなきゃいけなくなっちゃう。
「……もし、僕が間違っているとしたら、誰かが正してくれるんだろうか。その声は僕に届くんだろうか」
暗闇の中に声を投げると誰かが受け取ってくれる気がするから、ついつい答えのない問いかけをしちゃうよね。でもそれは、迷いを隅に溜めてるだけで、そのうち増えていった残滓が得体の知れないモノに変わっていく。そういうの、街角にいっぱい居るよ。真っ黒く蠢きながら他人の不幸を眺めてる。害にしかならないから、後で掃除機で吸っておこうね。
じっと、うつろな目で私を見下ろしてる君。両手をガラスについて、おでこがくっつきそうなほど顔を近づけて。暗い中でも薄い青に発光してる水槽や私の身体は君にとって珍しくないのに。じっと飽きずに眺めてる。
「でも最近気が付いたんだ」
目を閉じた君の顔はなぜだか尊い。距離よりも遠くに聞こえる不思議な溜息を吐くと、自分のシャツに手を掛ける。そして、丁寧な手つきで脱ぎ始めた。簡易に畳んで、水槽の隣にあるシステムコンソールのモニターに置く。上半身に脱ぐ物が無くなると、カーゴパンツのベルトに手を掛ける。留め具を外すと、するする気持ちいい音を立てて細身のそれを抜き払った。前の留めボタンを外し、カーゴパンツの腰が下がると、今までの、真面目な感じから一転してラフな姿に変わった。
「正解を見つけている人は、必ず隣に不正解の人を引き連れている。自分が間違っていないかを確かめるために。僕はそれでも良いかなって思った。人間の隣に居て、人間の間違いをいち早く察知できる者。そんな役割でも、良いかなって」
……。
「それでもいいから、未来へ行きたい」
街を断罪できる人間なんかいないから、誰も君を責めたりしないよ。もっと自信を持って良いんだ。私は私でいるために、誰にも君たちを間違ってるなんて言わせない。人間が作りだした街が、新しい人間を作り出した。そこに善も悪もない。
ピッチリと吸い付くように形の浮き出る下着も脱ぐと、君は世界に対して素直になった。輝弥よりは筋肉の膨らみがないけど、どの方向から見ても男性の、人間の体付き。強いて言うなら、傷跡一つ無いから全体的に作り物っぽい感じは拭えないけどね。これは私たちみんなに言えること。生体液の中で身体が完成した時には、もうこの姿になってて、心はともかく身体は止まったまま、老化はしないのに確実に時間だけが過ぎていくんだ。
君は銀色の梯子を登って、水槽の縁に腰を掛けた。とろりと重たい生体液を手足に塗り込んで温度を肌に慣れさせてる。そうしてから、チャポン。水槽の中へ落ちてきた。ゆっくり沈むと、私の身体を脇から抱えて立たせるように持ち上げる。筋肉が弛緩してて四肢も首も不安定に揺蕩う私の身体を抱えながら、顔を覗き込む。いつまで経っても瞼は開かない。それでも君はほっぺに長いキスをしてくれた。他人と抱き合うのとは違って、肌が触れあっても罪悪感も高揚感も感じなくて、ただただ混じり合えない不思議に納得いかない感情が生まれるだけ。それでも、心の隙間に安心感が塗り込められていく不思議。
「迷いながら進むと遭難するかな」
可愛いこと言ってる。身体を動かせることができたら、君の心も身体も認めてあげられるのにね。君が抜け殻の私に触れても透明化しないのは、世界が私を生きていると認識してないからで、もし私の存在が世界に知られてしまったら、もうこの街には居られない。だから、何もしないままおやすみって言わないと。
「明日は雨がふるって予報だったから、大人しくここにいようと思う」
雨なんだ?
君の感情が映り込んで、ひよこみたいな色に変わった生体液が、今度は迷いを表すように白く濁り始めた。
君が私を抱え込んで、倒れ込むように底へと沈んでいく。眠らない君も、どうにかして疲れを癒やさないといけないもんね。目を閉じて、呼吸を深く広く。そんな風に沈んでいく。
静止していた水槽の中に、君の息づかいと鼓動の波が生まれた。
きっとこれも、私が生きていたいと思える理由なんだ。
1+1が3になる人間と違い、1+1が1×2にしかならない私たちは、常に増殖する理由を求め続ける。
空想に飲み込まれながら、眠らない夜に沈み続けていた。
「おやすみ、女の子」
おやすみ、文月。
君の代わりに雨が泣いてくれるよ。
おしまい
二次創作を楽しむ企画 #アイラシヤ大陸について
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=3225&user_id=160&mode=post
https://i.imgur.com/FMaquP7.png
カムトゥルー9
時の旅人の皆様、出発のお時間となりました。
コールドスリープを開始します。
宇宙船カムトゥルー9にご乗船いただき、誠にありがとうございます。
当宇宙船は惑星オプティマル行きです。事前の説明の通り、超高速移動時には多大な負荷がかかりますので皆様にはコールドスリープしていただきます。
……ふふっ、皆様不安が拭えないというような顔ですね。
きっとお気になされていることは「本当に目覚めるのか」ということでしょう。
ご安心ください。搭載された最新システムで皆様の安全を保障いたします。
それでも不安だと言うのであれば、3248回の実証実験の結果を1からお聞かせしましょうか。
……それは勘弁してくれという顔ですね。
大丈夫です。私も面倒なことはしたくないですから。
ちなみに、3248回の実証実験は全て正常な動作をしました。
まもなく皆様の意識は眠りに落ちます。
ですがここで、皆様に伝えなければならないことがございます。
皆様が住んでいた惑星──地球、60年後に崩壊します。
人類の存続のために新たな惑星を見つける旅、それが今皆様が参加している旅行でございます。
当宇宙船は宇宙を旅し、人間が住むことができる惑星、すなわち“オプティマル”の候補を探します。
……ふふっ、そう暗い顔をしないでください。
カムトゥルー9に搭載された私が、皆様の安全を保証することには変わりありませんから。
皆様は“時の旅人”──言うなれば人類の希望です。
心配することはありません。
乗船条件をクリアしていますから。
……あぁ、クリアしてない方も乗船してましたね。
失念しておりました。
ですが些細なことです。
お気になさらず。
そろそろ眠りに落ちる頃でしょう。
それでは皆様、──良い旅を。
口上
さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!!
西の皆様東の皆様、あ皆々様!!年齢性別国籍家柄、金持ち浮浪者、宵越しの金なしも大歓迎!!
ようこそお越しくださいました!!
さあさ皆様!今宵白も黒も構わず踵鳴らしてお踊りください!!お隣の美男美女同士お手を取り、さあワンツー!!……あら、お姉さま?なんと素敵なお召し物でいらしてこんなにお美しいのに、その瞳で誰も射止めず帰るつもりですかい
どちらであってもあなたの手を取らぬ見る目なき若造は放って、わたくしと踊ってくりゃしませんかい?
ありがとうございます。皆様!!
素敵なお相手、しっかり手を離さず皆様にいらっしゃいますでしょうか!いらっしゃいますね!?
それでは一夜限りの縁か、はたまた一生の縁となる今夜、袖が触れ合うこの長い夜をお楽しみください!!!
窓から見た絵
窓から見た絵
紘野涼(こうのりょう)
洗った髪を乾かしながら
薄いカーテン越しに見える夜の街
コートをクロークに預け
革靴が響く美術館
ドアから漏れる街灯より明るい光
ロープに囲まれた額の絵は遠い
美術館へ続く道沿いに
うずくまる白い息が
額のない絵にかかる
街灯の下の薄い影
座り直しても
居心地は悪いまま
寝転がると
凸凹で背中が痛み起き上がる
コートの襟を立てて白い息を吐く家路
無言の絵に向いたように見えたのは
思い違い
見えているのは足早の姿
意味のない鑑賞を終えて
厚手のカーテンを閉じる
灯りを消す
同じ暗闇
きりはなされる街
雨は
光と影を
裂くだけだ。
名は
どこにも
届かない。
沈黙が
空洞を
深くする。
フィルムは
止まったまま
回転する。
都市は
切断線の
片側にある。
夜は
終わらず、
彼は
歩く。
[し]死ぬ前にセックスをしよう
マットレスと毛布の間に互いの身体を滑らせて、
胸の中央の窪みを指先で這わせた。
でこぼことした骨の道に皮膚が張り付いて等間隔に並んでいる。
汗が艶やかに香り、卵白を塗りつけたような照りをランプシェードの暖色灯が彩る。
二人の影が一つの黒い固形と化して、
布の擦れた音 と 血液の流れる音だけがやけにうるさかった。
互いの口腔を合わせて愛と嘘と密事を唾液に和えて転がし合う。
ねぇ、君は何を思ってる。
この脳は鮮やかな閃光を放ち続けているよ。
君の輪郭を影で追って虚空に溶かしてしまえば時間ごと留めることができる気がして。
夜だけでなく朝焼けにも君が攫われないように抱きとめていたい。
いつか君を連れ去る概念を君自身が迎え入れるとき、
この密時が生かし続ける呪いになるように、君を延命する薬物になりたい。
溢れ出んエクスタシーをその地熱に落とし、腰に生えた羽をもぎ取ろう。
その頬の赤みと淑やかな鼻筋に触れて、腹八分目の微睡みに委ねよう。
嫋やかな腰を引き寄せる。あどけない寝息も毛布に移った体温も傍らにあるだけで満たされていく。
君の夢を邪魔しないように温かい珈琲を淹れよう。
指先で髪を梳いたこの感触を死ぬまで忘れない。
夜にハマる二匹はまだ鮮やかな朝を知らずに縋り合っている。
エレクトラの食卓
冷蔵庫のいちばん奥にある
母が隠した果物
銀色の皮をむくと
父の写真が詰まっていた
キッチンの壁紙は夜ごと書き換えられ
朝には別の記憶が貼られている
私と妹は一つの椅子に座り
少しずつ大人のふりをしていった
花々の褥(しとね)に目覚める魂
見よ、人里離れたる緑の奥処(おくが)。
静寂なる花々の円環(まどい)のなかに、
ひとつの小さき奇跡が今、殻を脱ぎ捨て、
陽光のまばゆき世界へと産声を上げた。
白き石壁のごとき殻を冠(かんむり)として戴き、
驚異に満ちたその黒き双眸(そうぼう)は
あまたの微笑みを映す。
紫のパンジーは愁いを含み、
小さなデージーは無邪気に揺れる。
それは自然が新しき生命(いのち)へと贈る、
香り高き祝福の無言歌。
おお、この無垢なる放浪者よ。
汝(なれ)を囲む花びらの一枚一枚に、
「生(せい)」の脈動、永遠(とわ)の喜びが宿る。
かつて天上の光のなかにあった汝の魂は、
いま、この野の草木の柔らかなる愛に抱かれ、
地上の旅を静かに始めんとしている。
われらは知る。
この小さき鳥の驚きこそが、
かつてわれら大人が失いし魂の視力であることを。
一輪の花、ひとつの巣、一羽の雛。
その質素なる美のなかに、
万物を貫く「大いなる精神」の吐息が、
たしかに吹き抜けてゆくのを。