投稿作品一覧
ころがる
人生の
ベルトを
緩めたら
時間や
針が
テーブルに
ころがる
物語の奴隷
俺ってこんな人間だなあ
だからこうなるのがふさわしいなあ
世界に要求するよ
人生を組み立てるのに
自己物語の完結ほど
たやすく安直なものはない
そこには智慧も慈悲も必要がない
悩む必要もない
勝手に坂を下るだけ
あいつは悪いやつで
俺が正義だ
確かに確かに
物語の主役よ
庶民は救われるのを待っている
あなた抜きでは始まらないよね
世界中の重要人物の顔が
記憶の中と
画面の中で
踊り回っている
え、晴れ舞台
メンツを立てるのかい
そんなにメンツが立って誇らしいかい
人生の勲章に
撃墜した勲章をぶら下げて
どこへ行くんだ
え、あんた
夜道は危ないから
気をつけておゆきよ
夜目がきくなら
いいんだがねえ
初出:現代詩フォーラム
コンピュータvirusくん
「おいみんな〜紹介するぞ。転校生のコンピュータVirus君だ。」
「Virus、こんにちは、初めまして。転校生のコンピュータ・Virus、と申します。Virus、よろしくお願いします。」
「みんな、仲良くしてあげてねー!!」
「はーーーーい!!」
(イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、、、)
クラスの女子たちの心の中の騒めき、、、。
「はい、じゃあVirus君は、そうだね。あそこ、たかこさんの隣に座ってもらってもいいかな。」
「Virus、了解。」
「はい、じゃあたか子さんと仲良くしてね〜。」
「Virus、了解。」
Virus君はそういうと、たか子さんの隣の席へ座りました。
「あ、よろしくね、Virusくん。」
「よろしく。俺はVirus。」
きゅんっ
なんだかかっこいい。たか子さんはもうVirusくんの事を好きになってしまいました。
「たか子さんはなんか、ハードディスクに似てるね。」
"えっ、、きゅんっ"
たか子さんはVirus君との初めての会話にときめいてしまいました。
「ハードディスクっていうのは、データを保存するための装置なんだ。僕はVirus。ハードディスクに入り込み、データを破壊するのが得意なんだぜ。」
饒舌に語り出すVirus君。
「えっ、えっち、Virus君のえっち!!」
たか子さんはえっちな発言に怒ってしまいました。
「先生!!Virus君がえっちで〜す。」
たか子さんは思わず、先生にチクりました。
「ん、Virus君はえっちなんだ。ところでVirus、ズボンを履きなさい。」
先生は落ち着いた対応をします。
「Virus、了解。」
ずずずずず、ずずずずず。Virus君はズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーン。
「きゃあVirus君。ズボン履くの上手ね。」
たか子さんはあまりにもVirus君が滑らかにズボンを履いたので驚いてしまいました。
「Virus、得意なことはズボンを履くこと。Virus、物音立てちゃ、いけないからさ。Virus、Virus、Virus。」
きゃあかっこいーーーーーーー!!
パチパチパチパチ〜!!
教室はVirus君のあまりのカッコよさに拍手と歓声で包まれました。
「ふふっ、俺はVirus。これくらい、当たり前のことさ。」
得意気な、Virus君。
それを見ていたたかしくん。嫉妬しました。僕だってあれくらい上手にズボンを履けるもの。僕だって、あれくらい上手にズボンを履けるもの。たかしくんは教室の前に躍り出ました。勿論ズボンは脱いでいます。
「これからズボンを履きます。みんな見てて。」
「わかったわ。」
「わかりました。見ます。」
みんな、見ています。たかしくんを見ています。みんなの、真剣な眼差し。たかしくんは、少し、緊張しています。
ドキドキドキドキ
は、履くぞ。履くぞ。履くぞ、履くぞ。
ずずずずずず。ずずずずず。隆くんは、ズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーーン。
「す、すごいわたかしくん。滑らかで上手だったわ!!」
「すごい!!すごいわ!!流石だわーー!!」
「え、えへへへへへ。そ、それ程でも。」
頭をかいて照れるたかしくん。それを見守るVirus君。
「みんな幸せ。Virus、ハッピー。」
完
六月の女
六月の女
雨傘をひらく
黒いフリルを見せつけて
斑紋にまたがる
オリモノの飛び散り
しなだれる
折れさうな雨足
水は低きところに流れゆく
六月の女
あ、と口唇が崩れ
化繊のマキシを
膝までたくしあげる
失われたものを曳く
腐つた松葉の裏に
動きはなく
ただ澱みに
六月の女
私は当然
caterpillarで
蹂躙されてゆく
雨傘を閉じる
黒いフリルをくねらせ
オリモノをふるい落とす
六月が終る
https://i.imgur.com/bKlh60C.jpg
アーティストステートメント
私が詩人であるところのナカタサトミとして、言語をつかって表現しようとこころみているもののすべては言語への不信です。
言葉とは通常、人と人との橋渡しをするツールあるいは人々を互いに遠ざけるための凶器だと考えます。これを自在に使いこなそうとすれば前提として人間を信頼しなければなりません。人をただ憎むことも、対象にひとつの揺るぎないこころがあると信頼した結果といえるでしょう。
私は言語学研究者の祖父をはじめ家族全員が文化芸術に親しむ家庭に育ちました。いちばん長く暮らした福岡の実家には書庫と茶室があり、多くの大人が出入りしていました。社会運動との親和性も高く、なかでも母は護憲デモと共産党の活動に熱心でした。この一見リベラルな環境でときには教育を濫用した身体・心理・性的虐待を経験したことが私のアンビバレントな存在をかたちづくっています。
六歳で両親が離婚し母方祖父母とともに暮らしはじめた起点からして、それはほとんどだましうちのような出来事でした。母は私に「おばあちゃんのおうちにお引越しするよ」「パパはあとからくるけん心配せんでよかよ」と言いましたが、何ヶ月待ってみても父とは会えませんでした。言葉というのはやはりあてにならないのです。
これは幼いながらに気づいたことでした。にもかかわらず現在、社会における私は詩に依って立っています。
いましているのは世界のなにものも信じられないという困難を、もっとも信じられない対象である言語を通して克服する荒療治ともいえるライフワークです。一方で自分のクリエイティブを商品としてもとらえています。そのため、「精緻にあいまいを描きこむこと」を大切なカラーにしたい思いがあります。
現在二十五歳、今年で二十六歳になりますがそのうち二十年ちかくつまり人生の大半を解離症状とともに過ごしてきました。スマホの連絡先に見知らぬ男性の名前が並んでいたことや、買った記憶のないとても派手な下着が自分の名前で届いて恥ずかしかったこと、幼児のような口調でぐずっていたと恋人に聞かされたことなど、自分自身を把握できない恐怖をたびたび味わいました。自分のものとは思えない考えもつぎつぎ浮かんできて、追いはらうのに苦労しますが、それでもあいまいである状態こそが確固たる自分であるのかもしれないと考える日があります。あいまいというきわめてよどんだ、しかしそれゆえに頭ひとつ抜けた高貴さが私には備わっているのではないか。世界への信頼を取り戻そうとする野生の令嬢の証言に価値を与えられないかという意識が唯一一貫性をもっています。
息子ではないあなたへ
すべての人間は母から生まれてきたのだから
男は女をさげすむべきではないと
善良なあなたが言う
私は男の人たちの神秘ではないと
言い返さないでおいた集会のあと
豆腐屋に行こう
豆腐屋にいくと
トーフが水を泳いでいる
包丁が、すっ、と
とーふを切り分けていく
とうふ、と呼ぶ子供
トーフ、と呼ぶ老人
とーふ、と呼ぶ主夫
ドーフ、と呼ぶ学生
同じものなのに少しずつ違う
豆腐屋に色んな人が集まって
それぞれの豆腐を買っていく
厚揚げも豆乳もおからもある
とうふはみずのなか
たにんごとみたいに
どこまでもおよいで
何か豆腐じゃないものに
なりそうな白さ、をしている
図鑑に載らない人
いつかはみんな死ぬ
という名札を胸に貼る事が
どの企業にも許されていない事で
俺は仕事をクビになった
善福寺川緑地公園に聳える老木に
様々な鳥が集まっている
群れている様々な鳥たちを眺めていると
見栄を張るのも悪口も考えないでいられそうでいいなあ、と
俺もなにかの鳥類だという事を証明しようという気になった
証明となるものがあればと
袖がボロボロのコートのポケットを墓を掘り返すようにまさぐった
そんな事を、それと似たような事をしていて
一日が終わっている
牛丼屋で注文が遅くなるたびに
俺は本当に死んだのではないかと
やや心外だが、腑に落ちてしまう事があった
作業用の俺の安全靴は
あまりにも鈍い俺の咀嚼音にいらいらして
こわれた断頭台のスイッチを押すように
せわしく、からっぽの靴音で床を打つ
カップ酒とするめの大入り袋が
高くなるたびにスーツはよれる
「あのおじいちゃん、お葬式屋さんだ。」
プラットフォームで
ぼんやりとしていたら子供が無邪気だった
オジサンだ バカヤロウ
煙草はもう吸う部分がないけれど浅い呼吸を、人生を続けた
帰り道を歩く事だけが生きがいのようになる
そんな事を青年期のどこかで卒業文集に書いたかもしれない
昔から、指先には、足元には
そんな感情が転がっていたような気がする
雑踏を甘く感じる鴉になりたい
鳥目である事を理由に夜中、
悪巧みを考える俺をやめたい
人である証明がこの身体にあるのなら、と
俺は骨を、肉を脱いでいくだろう
ありがとう、腕、手、足、骨、を脱ぐ、
全裸以上になれた事に喜ぶ俺は
もはやソーシャルネットワークサービスの中でいかに俺が社会不適合者であるか、と
犯罪者じみた異常な猫背の曲がり方をしている生きたネットミームだと騒がれても
ケータイの画面を、もう割り続けずに
いられる
だれも、イジメずにすむ
いまだに、揚力を得る事の出来ない身体
もう重さだけは、
鳥類といっても間違いではない
身軽になった俺の脳髄は雑踏を転がる
転がりながら俺は舌を這わせる、雑踏に
人であった時に散々、苦汁をなめさせられた欲望たちの味が
しない味がしない味がしない味がしない
甘くはないが甘くはないが甘くはないが
それだけでも救いになった
俺は雑踏をどこまでも転がる
転落はだいぶ遠ざかったはずだ
[む]ムニエルの詩
熱に抱かれて私は色付き
身を白く、労働を得て焦がれるのです
セピアの背景に第七惑星の氷粒が延々と、旋回をアピイルするわけで
自由に効かない節足が切れてしまったって
「あっ、切れちゃった」なんてどこか他人事のように思っちゃうわけで
切れた足ではどこにも行けないなんて誰に言われたのかわからないが、
例え切り身になったとしても誰かの栄養になるならそれでいいじゃないか
我が身は粉雪の降り積もる地にて鉄の上で拍手喝采のダンスに狂わされる
筋肉が悲鳴を上げる
拍手はやまぬ
この舞踏病は止まることを知らぬ
舞台が次第に熱く焼ける
拍手はやまぬ
脂汗が落ちる
足が切れる
拍手はやまぬ
舞台袖へ私はおいしくなった
ふぁいやーばーど
ファイヤーバードが
ときどき僕の心のどっかにとまって
翼を丸めて
うずくまってしまう
テレビでもネットでも
世界のニュースが流れている
その側で
キーボードを叩くたくさんの僕らが
架空の世界の話題で
立派にも傷ついたり笑ったり
その何気ない時間に
間違いなく命を削り続けているというのに
夢か現かもさだかではない世界は
とても居心地が良くて
ただ何も知らないことが
幸せだと思えてしまう
のだけれど
傷つけずにすむのなら
戦わずにすむのなら
と目を閉じているうちに
大切なものが消えてゆく
大切なものが
消えていった
それが何かさえも忘れていって
今朝のコーヒーのいれかた失敗したな
と思ったつかの間とか
あの娘の胸元きれいだな
と横目で見たつかの間にも
どこかで誰かが
くやしいと泣いたりしていることも
忘れてゆく
僕たちは
忘れてゆく
僕たちは
それぞれの命をちゃんと生きているのか
消えそうな声に
消えそうな笑顔に
消えそうな全てのもに
耳を澄ませファイヤーバード
眼を開けファイヤーバード
心を開けファイヤーバード
その足で蹴りだせファイヤーバード
血潮が流れている
自分自身からも目を反らさずに
解き放てファイヤーバード
心の中のファイヤーバード
僕らもやがて消えゆくもの
ならば
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https://youtu.be/rLB1HmE-LLA?si=NS2wrORcYpdJkpSI
持て余す
夜更かしの翌日
大きなあくびと
小さな後悔を
おともにして
なんとか起き上がる
最近好きになった
ブラックコーヒーと
昔から好きな
甘いドーナツが朝ごはん
ニュースを騒がせている台風で
電車が止まって
降って湧いた休日を
少し持て余して
声を聞きたくなったから
そんな理由で
電話できたらいいのにと
すっかり見慣れたアイコンを
指でなぞる
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (後編)
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (後編)
笛地静恵
三日後。
茉莉絵はキッチンの引き出しを開けた。プラスチックの容器を取り出した。
蓋を開ける。檸檬は、爛々とした狂気の目の光を完全に失っていた。シーツの上に力なく丸まった。
髪は乱れ、服は汚れ、ただ恐怖に震えている。
「れ、も、ん」
茉莉絵は、上空から冷淡な声で呼びかけた。水と食料と便所とするティッシュ・ペーパーさえも入れておいた。死なすつもりはなかった。
檸檬はビクッと身体を跳ね上げた。小さな涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、茉莉絵の巨大な瞳を見上げた。茉莉絵の眼球は表情の変化を克明に捉えた。
「茉莉絵ちゃん……お願いだ、おねがいだから、もうあの場所に戻さないでくれ……。俺が、俺が悪かった……」
「どう悪かったの?」
「俺は、君といつでも一緒にいたいなんて、大それたことを考えていた……。君の肌に触れるなんて、君の靴に踏まれるなんて、虫ケラには、あまりにも贅沢すぎる、恐れ多いことだったんだ……!」
檸檬はシーツに額を擦り付けた。小さな身体が何度も何度も平伏した。
彼はついに理解したのだ。暗闇の中で反省する時間はたっぷりとあっただろう。
茉莉絵に逆らい、彼女の支配を快楽として消費し続けようとした罪を。最後に向かう場所は、完全な忘却と虚無の闇なのだと。
「もう、私にべたべたと付きまとったりしない?」
「しない! 絶対にしない! 君の許可なく、君の視界に入ることも望まない! だから、どうか……どうか俺を、君の世界の片隅にでも、置いておいてくれ……!見捨てないでくれ!」
ストーカーの異常な執念が、茉莉絵の仕掛けた絶対的な孤独の檻に屈服した。
意地の張り合いは、茉莉絵の勝利で落着した。
茉莉絵は心から勝利の微笑みを浮かべた。
檸檬をそっとつまみ上げた。机の上のアクリルの飼育箱へ戻してやった。
「いい子ね、檸檬。じゃあ、箱の中で、私の許可があるときだけ、お話していいよ」
「ありがとう……ありがとう、茉莉絵ちゃん……!」
ガラスの向こうで、檸檬は安堵の涙を流しながら、箱の隅で小さく縮こまった。不気味に笑うこともない。茉莉絵のルールに従う無害なペットへ調教されたのだ。
茉莉絵は新しく買ってきた文庫本の小説のページをめくり始めた。茉莉絵の指先はストーカーである檸檬の存在に怯え、服従させるために焦燥し、奇妙な歓喜に敗北感すら覚えていた。しかし、牙を抜かれ、ガラスの向こうで怯える男の姿を、特等席から見物している。
(私が指を少し動かしただけで、恐怖のストーカーが、泣いて許しを乞う)
恐怖は甘美なサディズムへ反転していた。一度味わってしまった女神の視点、生殺与奪の権利を手放すことなどできそうにない。茉莉絵のプライドは、ストーカーを排除することから、気分一つで消費し尽くすという、暗い悪徳の領域へ足を踏み入れていた。部屋には、主従関係が固定された、歪で、しかし奇妙に安定した静寂が満ちた。
降参の儀式から数週間が経った。茉莉絵の部屋には平穏が訪れている。
茉莉絵は、水や食料や便所などの世話をする以外は、アクリルの飼育箱に手を触れなかった。声をかけることもない。檸檬が、彼女の巨大な影が落ちるだけで、 アクリルの飼育箱の隅で小さく縮こまっている。
ストーカーの害虫は毒の針を抜かれた。ルールに服従する無害な虫に成り下がった。
茉莉絵は、アクリルの飼育箱のある部屋で日常生活を続けた。朝になる。外出する。夜遅くなって帰宅する。最小限の世話をする。食事をとる。女友達のamiと電話で長話を楽しむ。男友達の明け透けな品評も交わす。Amiは、かわいい顔をして、けっこう遊んでいるのだ。話を合わせるが、特に彼氏を作りたいとは思わなかった。シャワーを浴び、着替えもする。夜になると、ベッドの上で、アクリルの輝きを横目に、自分を慰めた。
第四章 白日の枷
ひとたび主従関係が固定され、何の脅威もなくなってみると、茉莉絵の心には、予想もしていなかった倦怠が芽生え始めていた。
(……なんだか、つまんない)
九月に入り大学の講義が再開された。友人のamiやサークルの男友達と話している時も、茉莉絵はどこか物足りなさを感じていた。秋のせいかもしれない。
ハイヒールや下着の中に檸檬を閉じこめていた時に味わった、全身の毛穴が開くほどのあのゾクゾクする全能感。世界中で自分だけがストーカーの人権を踏みにじり、衣服の裏側で支配している。背徳感に満ちた優越感。アクリルの箱の中でおとなしくしている檸檬を眺めているだけでは、まったく満たされなくなってしまったのだ。
茉莉絵のサディスティックな欲望は、彼を屈服させるだけでは終わらない段階へ肥大化していたのだ。
(せっかく私だけのおもちゃに調教したのに、ずっと暗い部屋の箱の中に閉じこめておくだけなんて、もったいない)
彼女は、自分の勝利を、もっと別の形で実感したくなった。執拗に追い回していた男の罪を、白日の下に晒けだしたい。気分一つで、男を消費している。事実を示したい。
誰の目にも触れない暗闇に隠すのではない。あえて一番目立つ場所に展示する。誰にも気づかせることなく、全世界を騙し通してみたい。現代社会の常識という盲点を利用しよう。檸檬を堂々と外へ連れ出そう。自分の美しさを引き立てるための生きた装飾品として世界にお披露目する――。すてきなアイデアが浮かんだ。茉莉絵の胸は、秘められた悪徳の喜びに高鳴った。
週末、茉莉絵はネットのハンド・メイド・ショップ教会で、胸元が大きく開いた服に映える、ゴールドのネックレスを注文した。どこかの教会の十字架の精巧なレプリカであるという。
「ねえ、檸檬先輩。ずっと狭い箱の中じゃ、退屈でしょう?」
ある夜、茉莉絵は飼育箱の蓋を開けた。怯える檸檬をピンセットでそっとつまみ上げた。
「ひっ……! ごめんなさい、茉莉絵ちゃん! 俺、何か悪いことをしたかい!?」
タッパーの闇を思い出したのだろう。檸檬は小さな手足を縮めて必死に許しを乞う。哀れな姿を見下ろしながら、茉莉絵はサディスティックであるとともに、どこか妖艶な微笑みを浮かべた。
「お仕置きはもう終わりよ。明日からはね、先輩を私の特別な飾りとして、外の世界へ連れて行ってあげる。誰も人間だなんて気づかないわ、最高にスリリングなデートをしましょ?」
茉莉絵は届いたばかりの黄金の十字架の横に、檸檬をそっと横たえた。寸法は正確に測定してある。ぴったりと合う。半裸である。腰に生理用ナプキンからむしった綿がついている。おしめ代わりだ。
光あふれる外界へ戻れるという喜びと、茉莉絵の新しい支配の形を予感した檸檬の瞳に、失われていた狂信的な輝きが、じわじわと、しかし以前よりもさらに深い盲信を伴って戻ってくる。茉莉絵はストーカーの復活をしっかりと見届けた。
*
「先輩、そこから私のこと、しっかり見ててね」
茉莉絵の自室のドレッサーの前。鏡に映る彼女の胸元には、新調されたばかりのゴールドのネックレスが、怪しい輝きを放っている。
ペンダントトップのデザインは、精巧な十字架だ。しかし、ただのジュエリーではない。十字架の縦と横のラインに沿って、身長十八ミリメートルまで縮んだ檸檬が、極細の金糸によって磔刑の状態で縛り付けられていた。
両手、両足を広げられている。身動き一つ取れない。固定の状態だ。
タッパーの無に怯え、調教された檸檬は、恐怖と、そして狂信的な歓喜に身体を震わせている。
「ああ……茉莉絵ちゃん……。俺、君の飾りになるんだね」
彼の声は茉莉絵の調律された耳にしか届かない。蚊の羽音よりも小さい。
下着の中に閉じこめられていた時とは違う。茉莉絵の肌に直接的に触れている。外の世界を一八〇度、一望に見渡すことができる。何より、茉莉絵の首からネックレスが下がっている。檸檬の背中は、豊かな胸の谷間の、深く、温かい特等席へ滑りこんでいる。
茉莉絵の指先が、十字架に張り付けられた檸檬の小さな頭の上を疾風を起こしながら通過する。
「そうよ、檸檬。いつでも私と同じ景色が見られる。私も先輩がサボらずに、私だけを見つめているか、いつでも確認できる。お互いにとって、一番いい場所でしょ?」
「うん、うん……! 最高だよ、茉莉絵ちゃん。俺、一瞬も瞬きしないで、君の美しさと、君の歩む世界を見つめ続けるよ」
従順な番犬となった檸檬に、独占欲や傲慢さは一切なかった。絶対的な女神に仕える使徒の純粋な服従の悦びだけだ。
茉莉絵は満足げに微笑んだ。胸元の開いた純白のシフォンのブラウスの襟を整えた。
黄金の十字架に張り付けられた小さな男は、茉莉絵の胸の谷間で、鼓動を子守唄代わりに聴きながら、外の世界へと連れ出されることとなった。
「茉莉絵、ネックレス、すっごく可愛い! どこで買ったの?」
大学のキャンパス内のカフェテラス。サークルの友人である Ami が、身を乗り出して茉莉絵の胸元を覗きこんできた。
十字架の上で、檸檬は心臓が止まるほどの恐怖に直面した。
(見つかる……! 俺が人間だとバレたら、茉莉絵ちゃんに迷惑がかかる……!)
檸檬は必死に息を止め、本物の金属のふりをした。身体を硬直させた。
しかし、Ami の目は、茉莉絵の胸元で揺れる黄金の十字架をただの物質としてしか捉えていなかった。
「あ、これ? ネットのハンド・メイド・ショップで見つけたの。ちょっと変わったデザインでしょ?」
茉莉絵は涼しい顔で、人差し指の先でペンダントを軽く弾いた。
チリン。小さな金属音が響く。檸檬の身体が衝撃で揺れる。
「本当だ、よく見ると、すごく細かい。なんか……真ん中に、小さなお人形さんみたいなのが、付いてる? アンティークっぽくてお洒落!」
Ami は笑った。
彼女は、確かに檸檬の姿を見ている。檸檬の小さな腰の布のシワ、胸毛、小さな顔、手と足の形。すべては、彼女の網膜に映っているはずであった。
それなのに、Ami は何も言わなかった。
なぜなら、現代を生きる人間の脳は、女子大生の胸元に、十八ミリメートルの本物の生きた人間が張り付けられているという異常事態を認識できない。最初から、自分の生きている世界から排除しているからだ。
どんなに精巧に見えても、リアルに作られたインディーズの真鍮のアクセサリーか、凝ったデザインのフィギュアにしか見えない。まさか、警察から接近禁止命令を出されていた有名なストーカーが生き、呼吸し、汗をかいて張り付いているとは、夢にも思わないのだ。
「誰も……気づかない……」
Ami が去った後、檸檬は胸の谷間の暗がりで、驚愕のあまり呟いた。
白日の下に晒され、誰の目にも見えている。それなのに、透明な存在として、茉莉絵の飾りと化している。
「ふふ、言ったでしょ? 檸檬。誰も先輩のことなんて、人間だと思わないわよ。ただの、私を引き立てるための、ちょっと趣味の悪いブローチ。先輩の正体はそれぐらいなの」
茉莉絵は楽しげに笑いながら、ゼミ室へ歩を進めた。
大学の構内を行き交う人々、大学の教授、ゼミの仲間たち。多くの視線が、茉莉絵の美しい胸元や、個性的なネックレスの輝きに向けられている。しかし、素敵な飾りねと褒めるか、あるいは一瞥して通り過ぎるかだけであった。
世界から完全に切り離され、茉莉絵だけの所有する物になったという事実が、檸檬の脳を強烈な快楽で満たしていった。
*
檸檬は茉莉絵の生きたジュエリーとして、昼間の日常生活のすべてに同行した。
就職活動の面接の場でも、檸檬は茉莉絵のリクルートスーツのシャツの隙間から、厳めしい面接官たちを凝視していた。
面接官は、茉莉絵の優秀な回答に感心していた。胸元のシンプルな(実際は檸檬が張り付けられた)ネックレスを、マナー違反にならない程度の、ささやかな装飾品として見過ごした。
(ハハハ……偉そうな大人たちも、誰も気づかない。茉莉絵ちゃんは、俺という人間を身につけて、社会を騙し通しているんだ。なんて痛快で、なんて愉快なんだろう!)
檸檬は、茉莉絵と深い秘密を共有していることに、震えるほどの全能感を抱いていた。
ある日の夜、茉莉絵は大学のサークルの飲み会に参加した。
下着の中にいた頃、茉莉絵に言い寄ってきた、あの生意気な男子学生もいた。すぐに声で分かった。
「茉莉絵、今日も綺麗だな。ネックレス、前も、着けてたよね。なんか、十字架の人形、俺を睨んでるみたいで、ウケるんだけど」
男子学生が酒の勢いで、茉莉絵の胸元に顔を近づけてきた。
檸檬は十字架に縛り付けられたまま、男を憎悪の篭った目で見据えていた。生身の人間であれば、一触即発の事態だ。
しかし、男子学生は、ケラケラと笑うだけであった。
「あはは、デザイナーのこだわりかな? 妙にリアルな造形。まぁ、美人の茉莉絵が着けてるなら、何でも似合うけど」
男の指が、ペンダントトップに触れようと伸びてくる。
茉莉絵はすっと身を引いた。男の手をかわした。
「触らないで。これ、デリケートな細工なの、傷がつくと困るから」
茉莉絵の冷ややかな言葉に、男子学生は苦笑いして手を引いた。
胸の谷間で、檸檬の心臓は激しく高鳴っていた。茉莉絵が自分を守ってくれたという事実が、彼の忠誠心をさらに強固なものにした。
(茉莉絵ちゃん……俺、君の体温の中で、君のためだけに輝く飾りでい続けるよ。他の有象無象なんて、どうでもいい。君が俺をここに置いてくれるなら、俺は永遠に君の奴隷だ)
世界中で、茉莉絵だけが檸檬の存在を認識している。
そして檸檬だけが、茉莉絵の胸の鼓動を最も近くで聴いている。
誰もが目撃しているのに、誰も何も言わない。絶対的な孤独と密着の空間こそが、二人の完成された楽園であった。
季節が巡る。夜風が心地よい秋が訪れた。
茉莉絵はすべての就職活動を終えた。内定を頂いた。来春からは、IT企業に勤務する。サークル活動も引退していた。静かで穏やかな学生生活の終わりの季節を過ごしていた。
夜、静まり返った自室で、茉莉絵はネックレスを首から外した。
ドレッサーの鏡の前にゴールドの十字架を置いた。張り付けられたままの檸檬が、疲れた、しかし幸福な顔で茉莉絵を見上げた。
「先輩、今日も一日、お疲れ様。ずっと張り付けにされて、身体、痛くなかった?」
茉莉絵はピンセットを使い、檸檬を縛り付けていた金糸を一本ずつ、丁寧に解いていった。
自由になった檸檬は、じんわりと血が巡る自分の手足を動かしながら、茉莉絵の掌の上へ這いあがった。茉莉絵の親指の付け根のふくらみに体を預け、深く息を吐いた。
「痛くなんてないよ、茉莉絵ちゃん。むしろ、糸が解かれると、君の胸元から離されちゃうみたいで、少し寂しいくらいだ」
檸檬の言葉に、茉莉絵はクスッと声を立てて笑った。
あれほど不気味で、恐怖の対象でしかなかったストーカーが、自分の気分一つで装飾品になり、外の世界を騙す相棒になっている。
「本当に、檸檬は変わったね。最初の頃の、あの執拗なストーカーであった檸檬が嘘みたい」
「昔の俺は、愛の形を知らなかったんだ。君を追いかけ回すことしかできなかった。でも今はわかるよ。俺の愛は、君の一部になることでしか満たされないんだ。誰も俺に気づかなくていい。君が俺を身につけて歩いてくれるだけで、俺の存在意義がある」
檸檬は茉莉絵の肌にそっとキスをした。十八ミリメートルの唇が触れた場所が、微かにくすぐったい。
茉莉絵は檸檬をそっと持ち上げた。真紅のベルベットが敷かれた高級なジュエリー・ボックスの中へ寝かせた。彼の夜のベッドであった。
「じゃあ、明日は、どの服を着ようかな。ゴールドの十字架に合う、ちょっと大人っぽいワンピースにしようかしら」
「楽しみにしているよ、茉莉絵ちゃん。明日も君の胸元で、君の世界を一緒に見させてね」
茉莉絵はジュエリーボックスの蓋を、少しだけ隙間を開けて閉じた。
部屋の明かりを消す。窓から差しこむ月光が、机の上のゴールドのネックレスを、静かに照らし出した。
見えているのに、誰も気づかない。
ただの飾りとして世界に受け入れられたストーカー。明日もまた、最愛の少女の胸の谷間で、誰にも知られることのない幸福な絶頂を迎え続ける。二人だけの歪んだ、しかし決して壊れることのない調和の中で。
*
「先輩、今度はちょっと風通しのいいお部屋を用意したわ」
秋の気配が深まる頃、茉莉絵の自室のドレッサーには、新しく購入した風変わりなイヤリングが並んでいた。茉莉絵は自分のアイデアの成功に励まされていた。
細い金線で精巧に編まれた、親指の先ほどの大きさの鳥かごをモチーフにしたデザインであった。底の部分には小さな爪がある。パチン。開閉できる。
茉莉絵はジュエリー・ボックスから従順な檸檬をつまみ上げた。鳥かごの底を開ける。彼を中に滑りこませた。
「うわあ……!」
檸檬が着地する。足元は細い金線の格子であった。
十字架に張り付けにされていた時とは違い、手足は自由だ。しかし、周囲を囲むのは、全方位が透けて見える格子の壁。茉莉絵はイヤリングを自分の右の耳たぶに装着した。檸檬の身体は、ふわりと宙に浮く。白い首筋の横で揺れ始めた。
「どう? 先輩。今度は張り付けじゃないから、中で動いてもいいよ。でも、落っこちないように気をつけてね」
茉莉絵が首を少し傾ける。鳥かごは激しくスイングする。
檸檬は慌てて金線の格子にしがみつく。
「す、すごいよ、茉莉絵ちゃん! 視界が遮るものなく広がっている! それに……風が、ダイレクトに通り抜けていく!」
下着の中やハイヒールの底、ブラウスの陰になるネックレスといった隠された暗闇にいた。檸檬にとって、この場所はあまりにも開放的であった。
茉莉絵が歩く。右耳で鳥かごがチリン、チリンと微かな音を立てて揺れる。外界の冷たい風が、格子の隙間を吹き抜ける。檸檬の頬を撫でる。茉莉絵が顔を動かす。滑らかな耳たぶや、首筋の美しいラインが、檸檬の眼前でダイナミックに躍動する。
「すごく綺麗だ、茉莉絵ちゃん……。俺、君の耳元で囁く妖精になったみたいだ」
「ふふ、妖精だなんて、元ストーカーのくせにロマンチストね。さあ、今日も一緒にお出かけしましょう」
茉莉絵は鏡の中の、耳元で健気に格子にしがみついている小さな男に微笑みかけた。お気に入りのトレンチコートを羽織った。部屋を出た。
*
街へ出る。鳥かごの中の檸檬はスリルと全能感に陶然としている。
ネックレスとは違い、イヤリングは茉莉絵の美しい顔のすぐ横にある。つまり、他人の視線が最も集まりやすい場所に位置している。茉莉絵が歩行者天国を歩く。向こうから歩いてくる人々や、ショーウィンドウのガラス越しに見える他人の視線が、確実に鳥かごを捉えている。
(見えている……みんな、俺のことを見ている!)
檸檬は格子に掴まったまま、すれ違うサラリーマンや女子高生たちを凝視した。
十八ミリメートルの本物の人間が髪をなびかせ、小さな手で格子を握り、必死に外を覗きこんでいる。衣服のシワも、瞬きをする目も、すべてがそこに存在する。本物だ。
しかし、やはり誰も何も言わなかった。
「ねえ、あの人のイヤリング、すごく凝ってる。中に小さな人形が入ってるよ」
「本当だ、ミニチュアのドールハウスのパーツかな? 動いてるように見えるの、光の反射のせいかな。おしゃれだね」
すれ違いざま、そんな会話が檸檬の耳にまで届いた。
人間の脳の常識というフィルターは、恐ろしいほどに強固であった。人々は、風で揺れている、実によく出来た、ギミック付きのインディーズ・アクセサリーだと頭から信じこんでいる。本物の生きた人間が閉じこめられて、風に吹かれているなど、想像の範疇にすら入りこんでこないのだ。
「おもしろい……本当に、みんな盲目だ。茉莉絵ちゃん、君の言った通りだ。俺は世界に曝け出されているのに、君だけの秘密であり続けている!」
檸檬は歓喜の声を上げた。
外界の空気が、ダイレクトに肺に流れこむ。茉莉絵がうなじにつけた香水の香りと混ざり合う。
大学のゼミの教授と、茉莉絵は、IT関係の未来について真剣な議論を交わしている。檸檬は教授の目の前で、格子に腰掛け、両足をぶらぶらさせている。老教授を見下ろしていた。教授は茉莉絵の卒論を誉めた。偉そうにしているが、耳元で本物の人間が、自分を小馬鹿に見ていることなど、露ほども気づいていなかった。
ある日の午後、茉莉絵は青猫山学院大学の帰りに、地下鉄を乗り継いで、遮るもののない広大な臨海公園へと足を延ばした。IT企業は内陸にある。もう遊びに来ることもないだろう。
東京湾から吹き付ける強い海風が、茉莉絵の長い髪を激しくなびかせる。
「うわああああっ!」
耳元の鳥かごは、激しい風にあおられて大きく弧を描いて揺れた。
檸檬は必死で格子にしがみついている。身をすくめた。百分の一の身体にとって、海風は大型の台風か暴風雨に匹敵する猛烈なエネルギーであった。
「先輩、大丈夫? 飛ばされちゃいそう?」
茉莉絵は楽しげに声を出して笑った。わざと風上へ顔を向ける。
風の音が檸檬の耳を塞ぐ。冷たい空気が容赦なく鳥かごの中を通り抜ける。腰布一枚の檸檬の体温を奪っていく。しかし、極限の寒さと恐怖の中であっても、檸檬の脳内には、再び歪んだ幸福感が満ち満ちていた。
(寒い、痛い……! でも、俺は、茉莉絵ちゃんと同じ風を浴びている! 彼女の耳を掠めた風が、俺の身体を通り抜けていく!究極の間接的な抱擁じゃないか……!)
「茉莉絵ちゃん! 楽しいよ! もっと風を頂戴! 君と同じ世界にいる実感が、体中で弾けてるんだ!」
檸檬の叫びは、風の音にかき消されて、茉莉絵には聞こえない。だが、彼が必死に格子にしがみつきながら、目が狂信的な悦びで爛々と輝いているのを、茉莉絵はスマートフォンのインカメラを鏡代わりにして確認していた。
(本当に、この人はもう、私なしでは生きていけないんだ)
茉莉絵はカメラに映る、自分の耳元で健気に揺れる小さな男を見つめながら、深い愛着と支配の完了を確信した。
夜、マンションに戻る。茉莉絵はイヤリングを耳から外した。
しかし、今回は檸檬を鳥かごから出さなかった。
「先輩、今日は一日、風に吹かれて頑張ったから、ご褒美ね」
茉莉絵は鳥かごのイヤリングを、窓辺に吊るされた観葉植物の小枝へ引っ掛けた。
檸檬は鳥かごの床に座りこんでいる。格子の隙間から、部屋の中でルームウェアに着替える茉莉絵の姿を眺めていた。
「どう? 檸檬。そこからなら、私の部屋全体が見渡せるでしょ?」
「ああ……最高だよ、茉莉絵ちゃん。君の部屋に巣を作った小鳥になった気分だ」
檸檬は、金線のベッドに横たわりながら、満足げに微笑んだ。壁の隙間から覗き見たり、GPSで居場所を追跡するしかなかったストーカー。最も見晴らしの良い場所から堂々と観察することを許されている。
肉体的には鳥かごの中のペットに過ぎないのだが、精神的にはストーカーの願望は満たされていたのだ。
茉莉絵はベッドに入り、電気を消した。
暗闇の中、窓辺からチリン、と小さくイヤリングが揺れる音が聞こえる。
「おやすみ、先輩。明日も、私の飾りよ。しっかり働いてね」
「おやすみ、茉莉絵ちゃん。明日はどんな服を着るの? 俺、君の耳元で、ずっと待っているよ」
誰も気づかない、誰も何も言わない。世界で一番小さなストーカー。
冷たい外気と茉莉絵の温もりの境界線である耳元の檻の中で、忠誠を誓った。
第五章 最期の晩餐
十二月に入った。東京の街はクリスマスの華やかな色彩と喧騒に包まれていく。
茉莉絵の自室の窓辺では、相変わらず鳥かごのイヤリングに入った檸檬が、軽装の茉莉絵の半裸をうっとりと見つめ続けていた。
暖房のきいた室内で過ごすときには、茉莉絵はショーツしか身につけていない。胸を締め付けるブラは外している。
茉莉絵の胸中には、ある種の限界が見え始めていた。
すべての無理難題をクリアし、どんな過酷な環境をも歪んだ快楽へと変えてみせた檸檬。ハイヒールの底、下着の奥、十字架の磔刑、そして耳元の鳥かご。茉莉絵が思いつく限りのサディスティックな嗜虐を、彼は底なしの狂信的な愛で、ことごとく吸収し、生きながらえてきた。
(これ以上、この人をどう支配すればいいの……?)
どんなに外に連れ出し、世界を騙す優越感に浸ったところで、十八ミリメートルの物質として存在している限り、奇妙なゲームに本当の終わりは来ない。来春は企業に就職する。そして、いつか自分が結婚したり、年齢を重ねたとき、小さなストーカーをどうするべきなのか。茉莉絵の美しさは今が絶頂だろう。やがては、目尻の皺を檸檬に見られてしまう。彼の鋭い目には何も隠せない。そんなのは嫌だ。現実的な思考が、茉莉絵の脳裏をよぎった。
ある夜。茉莉絵はベッドに寝転びながら、スマートフォンの画面で、子供の頃の家族写真を眺めていた。画面に写っているのは、幼い日の自分の姿であった。クリスマスツリーの前で、口の周りを真っ白な生クリームだらけにしている。大好きな老舗の菓子店のショートケーキを頬張っている。
茉莉絵の脳内で、ジグソー・パズルのピースが、恐ろしいほどの速度で、カチリカチリと音を立てて組み合わさった。
(あぁ……そうか。本当にこの人を私のものにして、永遠に終わらない関係にする方法が、まだ一つだけ残っている)
茉莉絵はベッドから起き上がった。窓辺の鳥かごへとゆっくり近づいた。ガラス越しに月光を浴びて、檸檬が手を振っている。
被害者であった茉莉絵が、加害者であるストーカーへ下す、最も残酷で、同時に最も甘美な閃きであった。
「ねえ、檸檬」
茉莉絵は、鳥かごをそっと指先で揺らした。冷徹で、しかしどこか狂おしいほどに優しい微笑みを浮かべた。
「今年のクリスマスはね、先輩に最高のプレゼントをあげる。私と一つになりましょ?」
茉莉絵の囁きに、檸檬は背筋が凍る全能感を覚えた。狂喜に身体を震わせた。
誰も先輩を人間だと気づかないというイヤリングの優越感に、茉莉絵はひと冬の間に、早くも飽き始めていた。そのことに、檸檬も気づいていた。
冷たい雪がしんしんと降り積もる、聖なる夜。
茉莉絵の部屋の中は、暖房のぬくもりと、どこか厳かな静寂に包まれていた。茉莉絵は純白のドレスを着ている。理容室で髪を整え、エステで肌を磨いてきた。化粧をしていた。窓の外に踊る純白の雪を見つめていた。
茉莉絵はテーブルの上に、檸檬への特別なプレゼントを用意した。
子供の頃からずっと大好きであった、有名洋菓子店のクリスマスのイチゴのショートケーキ。
真っ白な生クリームの雪原の上に、真っ赤なイチゴが誇らしげに鎮座している、どこか懐かしく、そして、特別なケーキだった。
茉莉絵はジュエリー・ボックスから、小さな鳥かごのイヤリングを取り出した。蓋を開け、中にいた檸檬をそっとつまみ上げる。
「ねえ、檸檬。メリークリスマス。今日は先輩に、とびきり素敵なプレゼントをあげるね」
茉莉絵は檸檬をショートケーキの頂上――生クリームの雪原へと、そっと降ろした。
「うわあ……っ!」
着地した。檸檬の足元が、ぐにゃりと沈みこんだ。
百分の一の小人にとって、濃厚でなめらかな生クリームは、底なしの深い泥沼であった。一歩を踏み出そうとした。純白のクリームに足を取られる。檸檬は派手に転倒した。
「冷たくて、甘い……! 茉莉絵ちゃん、これは……!」
全身が生クリームまみれになりながら、檸檬は必死に顔を上げた。見上げるほど巨大な真っ赤なイチゴが、すぐ目の前で甘い香りを放っている。
「先輩、ケーキ、子供の頃から、私が一番大好きなものなの。だからね――」
茉莉絵は頬杖をついている。どこか気怠そうな表情だった。生クリームの海で溺れそうになりながらも、歓喜の声を上げる檸檬を優しく見つめた。
「そこでたっぷり、大好きなケーキを食べてね。先輩が満足するまで食べたら……その後は、私が食べるから」
茉莉絵の言葉の真意を、檸檬の歪んだ脳は一瞬で理解した。
恐怖など微塵もなかった。あるのは、彼のストーカー人生における、究極の、最終的な歓喜であった。
(ああ……ついに、この時が来たんだ。茉莉絵ちゃんの一部になれる。血となり、肉となり、永遠に彼女から離れない存在になれるんだ……!)
ストーカーが望む究極の願望は、茉莉絵との絶対的な一体化だ。そして、茉莉絵が望む究極の支配の形は、檸檬という存在の私物化だ。
衣服の隙間に隠すのでもない。アクセサリーとして世界に晒すのでもない。肉体の一部にする。血肉に変え栄養として消費する。そうすれば、警察も、社会も、世界中の誰も、檸檬を茉莉絵から引き離すことは絶対にできない。
「ありがとう、茉莉絵ちゃん……! メリークリスマス! 俺、本当に幸せだ!」
檸檬は笑いながら、周囲の生クリームを貪り喰らった。イチゴの果肉にしがみついた。全身を茉莉絵の大好物で染め上げた。彼女に捧げる最高の食材となるために。
茉莉絵は、銀のフォークを手にした。ケーキと正対した。
銀色の刃先が、ゆっくりとケーキに突き立てられる。
「それじゃあ、檸檬。いただきまあす」
大きなフォークが、生クリームと、イチゴと、そして、中心で恍惚の表情を浮かべる檸檬を、ひとまとめにしてすくい上げた。
茉莉絵の艶やかな唇が開く。
躊躇はなかった。あれほど追い回し、執着し続けた男を、最愛のケーキの甘みとともに、自らの内側へ迎え入れる。
甘美なイチゴの酸味と、生クリームの濃厚なコクが口いっぱいに広がった。すべてが混ざっている。けれども、かすかな存在を舌で感じた。噛まなかった。丸のみにした。
ゴクリ。喉が鳴った。食道から胃へ下っていく。
茉莉絵はフォークを動かす手を止めない。二口、三口。最後の一切れ、皿に残った小さなクリームのひとかけらに至るまで、綺麗に平らげた。
お皿の上には何も残っていない。
警察の手すら擦り抜けて、茉莉絵をひたすらに追い求めてきたストーカーは、衣服の一片すら残さずに、世界から消滅したのだ。
いや、消滅ではない。
檸檬はついに、生涯をかけた願いを叶えたのだ。
誰の目にも触れない下着の中よりも、耳元の鳥かごよりも、もっと深く、もっと絶対的な場所へ。
茉莉絵とひとつになった。
カーテンの隙間から、静かな雪夜の光が部屋を照らしている。
茉莉絵はお腹のあたりを愛おしそうに撫でた。内側から、温もりが全身に広がっていく。
「クリスマスおめでとう、檸檬」
茉莉絵は両手の平で腹部を抱いた。受胎した子を慈しむように。
部屋には、虫の声も、チリンと揺れる金属音もない。
けれども、茉莉絵は、これからの歩みに、彼が永遠に寄り添い続けているのを、確信していた。二人の愛は結末を迎えた。聖なる夜の闇に溶けていく。
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (後編)
(了)
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (全編)
(完)
【あとがき】久しぶりの「食い」の小説です。数十年前、灯世我舞さんの小女子のイラストに触発されて、カニバリズムの小説を書きました。こんなものを公開して良いのかと、エンターキーを押す指に、ためらいを覚えたことを、昨日のことのように思い出します。しかし、今やネットにはカニバリズムの小説やイラストが溢れています。ゲームにもなりました。隔世の感があります。2026年6月15日(月) 作者 拝
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (前編)
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (前編)
笛地静恵
【ノート】
R18です。暴力や性的な表現やカニバリズムがあります。成人したら読みに来てください。笛地には、同一の題名の作品が過去にありますが、全く別の内容になっています。AIさんとの共作です。もともとは八千字程度の未完成の短編でした。倍以上の長さに、膨らませてもらいました。特に苦手な会話の部分は、ほとんど書いてもらったという実感があります。楽しい共同作業でした。時代は、ここまで来ているという例としても、公開することにしました。お楽しみいただければさいわいです。笛地静恵 2026年6月15日(月)
プロローグ プロポーズは冷たい雨
「そんなに私のことが好きなら。私のために、何でもしてくれるなら……」
二月の冷たい雨の降る道元坂の裏路地で、茉莉絵が囁いた。青猫山学院大学の二年先輩の五年生。檸檬は狂喜乱舞した。どんな命令が下るのか。濡れた犬の目を輝かせた。次の言葉を待った。
しかし、茉莉絵の提案は、檸檬の自由な想像さえも超えたものであった。
「私、いい方法を思いついたの」
茉莉絵はハンドバッグから、奇妙な形のガラスの小瓶を取り出した。
「これね、ネットの怪しい裏サイトで見つけた、お薬なの。人間を百分の一の小人にしちゃうんだって。先輩、いつも私のそばにいたいって言ったよね? だったら、小さくなって、私のポケットで暮らさない?」
常人であれば、戯言だと逃げ出すか、疑問を覚える場面だ。正体不明の液体など飲むはずがない。だが、檸檬は本物のストーカーである。警察の度重なる接近禁止命令すら、愛の障害物程度にしか思っていない。提案は極上のプロポーズに他ならなかった。二十四時間、大好きな茉莉絵ちゃんの傍に、合法的にいられるのだ。
「なる……! 俺、茉莉絵ちゃんの小人になるよ!」
檸檬は手渡された小瓶の中の液体を一気に飲み干した。
直後、彼の全身の骨が軋む音を立てた。奇妙な感覚だった。内側に向かって落下していく。全世界が上昇していく。服がのしかかってきた。地面に転がった。身長わずか十八ミリメートル。大人の小指の先ほど。小人に変貌していた。
茉莉絵はしゃがみこんだ。
「うそ、ほんとうにきくんだ」
人差し指の腹をそっと差し出した。
檸檬は歓喜の声を上げて、指にしがみついた。有頂天だ。茉莉絵の全身を抱擁した気分だ。
道路に人の声がした。茉莉絵は人差し指と親指で檸檬を摘まんだ。白いブラウスの胸ポケットへ仕舞いこんだ。
「これでもう、警察にも、文句を言われないよね」
茉莉絵は満足そうに微笑んだ。軽やかな足取りでマンションへ向かった。
ポケットの奥で、檸檬は茉莉絵の体温と、どっくんどくんと規則正しい心臓の鼓動を全身で感じていた。これ以上の楽園は、地球上のどこを探しても存在しなかった。
茉莉絵は部屋に到着した。檸檬の家をてきぱきと用意した。
茉莉絵の実家は山奥の小さな村だった。子供のころは野山を走り回って男の子たちと昆虫採集をした。虫への嫌悪はなかった。プラスチック製の透明な飼育箱は都会生活のさびしさに耐えかねて、新入生の夏に買ったものだ。本来はクワガタやカブトムシを飼育するために使う。中に入っていた虫は、とうに死に絶えていた。
しかし、茉莉絵は檸檬を虫けらとして扱うつもりはなかった。
箱の底に清潔なコットンのパフを敷き詰めた。
「はい、先輩。今日から、先輩の、お部屋」
茉莉絵は檸檬を摘まみだした。コットンのベッドにダイブした。
「すごいよ、茉莉絵ちゃん! 最高の寝心地だ! 部屋の中から、君の姿がいつでも見えるなんて、ここは天国か何かかい!?」
檸檬が精一杯の声で叫ぶ。
「チチチ、チチチ」
鈴虫が鳴いている。
茉莉絵は檸檬とつきあったこともある。何回かデートを重ねた。しかし、すぐに別れた。よくある性格の不一致というやつだ。檸檬は、あまりにも嫉妬深かった。茉莉絵のすべてを独占しようとした。手を握り合っただけだ。キスも交わしていない。これ以上は、とても無理だ。
そして、彼は恐るべきストーカーとなったのだ。
「気に入ってくれてよかった。はい、これ、今日の晩ご飯」
冷蔵庫にコンビニで買ったレトルトのハンバーグがあった。フライパンで温めた。はじっこを米粒ほどの大きさに千切る。爪楊枝に刺した。ペットボトルのキャップの皿に置いた。ストローの切れ端の水を一滴。表面張力でぷっくりと膨らんだ水滴を添える。おままごとをしているようだ。檸檬とはこんな優しい生活をしたかっただけなのに。
檸檬にとって、ハンバーグは胴体ほどもある巨大な肉塊であった。
「うまい……! 茉莉絵ちゃんの手料理だ! 俺、一生、味を忘れないよ!」
貪り食べる檸檬の姿を、茉莉絵は頬杖をついて、プラスティック越しに眺めていた。
どこへ行くにも、檸檬の影が張り付いてきた。スマートフォンに何百通もメッセージを送りつけてきた。茉莉絵の友人たちとも騒動を起こした。親友のamiやみんなに多大な迷惑をかけた。
プラスチックの箱の中で、生殺与奪の権利を握られている。無力な存在だ。
(あんなに怖かったストーカー君が、こんなに小さくて、害のない生き物になっちゃうなんてね)
茉莉絵は心の底からスカッとする全能感を味わっていた。脅迫に怯えるストレスもない。可愛いペットを眺めている。それだけで癒やされる。早くこうすればよかった。怪しい薬を売ってくれた外国人の占い師に感謝していた。ただし、もとにもどす薬はないよ。そう教えられていた。別に何の問題もなかった。
第一章 飼育箱の生活
翌日から、茉莉絵と檸檬の新たな同棲生活が、本格的に始まった。
茉莉絵が青猫山学院大学へ行く。檸檬が同行する。
移動手段は、茉莉絵のペンケースの中や、コートのポケット、あるいはトートバッグのサイドポケットなどなどだ。
「先輩、静かにしててね。声を出したら、他のお友達に見つかっちゃうから」
「わかってるよ、茉莉絵ちゃん。二人だけの秘密のデートだもんね」
檸檬はポケットの隙間から、外の世界を覗き見ている。
茉莉絵が歩く。世界は心地よく揺れる。ノートを取る。ペンが走る。教授の退屈な講義。そして、茉莉絵のため息。すべてが、檸檬にとっては至高のBGMであった。
ある日の英文学の講義中のことだ。茉莉絵の隣に、同じゼミの男子学生が座った。男子学生は親しげに茉莉絵に話しかけてくる。シャーペンを貸したり、週末のサークル活動の誘いをかけたりしてくる。
本来の檸檬であれば、激しい嫉妬に狂い、男子学生の家を特定して嫌がらせを始めるところだ。
だが、今は違う。茉莉絵の胸ポケットから、下心の見え見えな男子学生の顔を見下していた。
(ハハハ、哀れな男め。お前は、茉莉絵ちゃんと表面的な会話しかできないが、俺は、彼女の衣服の内側、心臓に一番近い場所にいるんだ。お前の入れる隙間なんかないんだ!)
百分の一になったことで、檸檬のストーカーの歪んだ独占欲は充足されていた。茉莉絵の体温に包まれている。勝利者の優越感に浸っていた。
一方の茉莉絵も、男友達と話しながら、それとなく胸ポケットに手を当てた。布地越しにモゾモゾと動く小さな気配を感じる。
(男の人が、どれだけ私に言い寄ってきても、私には、命を丸ごと預けてくれた檸檬が、ポケットにいるんだから)
二人にしか理解できない共生関係であった。
季節は冬から春へ流れた。茉莉絵は大学四年生となった。就職活動と卒業論文に追われる日々が始まった。もちろん、檸檬は百分の一のサイズのままだ。元に戻る薬は地球上に存在しない。檸檬自身、元に戻りたいなどとは、微塵も思っていない。
四月の週末の夜。
茉莉絵は少し大きめの高級なアクリルケースの前に座っていた。春休み中のアルバイトの給料で新調した。
ケースの中は、さらに豪華になっていた。小さな液晶画面(古いスマートフォンのリサイクル)が設置されている。檸檬が退屈しないために映画や音楽などが流れている。外界との通話はできないように設定してある。
茉莉絵はケースの蓋を開けた。人差し指を入れる。
檸檬はすぐに駆け寄ってくる。慣れた手つきで人差し指の腹に登る。指紋が滑り止めとなる。第一関節の溝あたりに、ちょこんと抱き着く。
「先輩、今日も、いい子にしてた?」
「もちろんさ、茉莉絵ちゃん。君が大学に行っている間、ずっと君のことばかりを考えていたよ。ああ、今日も世界で一番可愛いね」
茉莉絵はクスッと笑う。もう片方の手の人差し指で、檸檬の背中を優しく撫でる。
檸檬にとっては、巨大な温かい壁が背中から包みこんでくる。極上のマッサージだ。
「ねえ、檸檬先輩。先輩は本当に、私に飼われて幸せ?」
茉莉絵が尋ねる。檸檬は即座に立ち上がる。小さな両手を精一杯広げる。茉莉絵の大きな瞳を見つめ返してくる。
「幸福すぎて、死んでしまいそうだよ! 昔の俺はバカだった。君を追いかけ回して。嫌がられて。警察まで呼ばれて……。でも今は、君がご飯をくれて。君が家をくれて。君がこうして触ってくれる。俺の全世界は、箱の中と、君の掌の上だけだ。これ以上の幸せが、この世にあるわけがないじゃないか!」
檸檬の言葉に、嘘偽りは一切なかった。
彼は、己のストーカーとしての執着心を、茉莉絵に管理され支配されることで安寧を得たのだ。
茉莉絵は、檸檬を頬に寄せた。
檸檬が茉莉絵の滑らかな肌に、小さな手を添えてすり寄る。
「よかった。私もね、先輩がこの大きさになってくれて、本当に救われたの。もう誰にも、先輩を渡さないからね」
ストーカーとすとーかーされた者。
被害者と加害者であった二人は、飼い主とペットという絆で、結ばれていた。
茉莉絵は檸檬をケースに戻した。蓋を閉め、鍵をかけた。
透明なプラスチックの向こうで、元カレが手を振っている。
茉莉絵は部屋の明かりを消した。満ち足りた微笑みを浮かべた。卒論の準備で頭が疲れている。深い眠りへ落ちていった。
第二章 ハイヒールの檻
青猫山学院大学の五限目の講義が終わった。六月の夕暮れ。梅雨の合間のキャンパス。ポプラ並木の下を、茉莉絵は一人で歩いていた。チャペルの鐘が鳴っている。好きな時間帯だ。
すれ違う学生たちは気づかない。小脇に抱えたトートバッグの底、ペンケースの暗闇の中で、彼らを恐怖させた二年先輩のあのストーカー檸檬が、十八ミリメートルの小人として揺られていることを。
「さて、今日は、何をして遊んであげようかな」
茉莉絵は構内でも、人目につかない女性用の多目的トイレに入った。個室の鍵を閉めた。
便座の蓋に腰を下ろす。ペンケースから檸檬をつまみ出す。檸檬は茉莉絵の指の腹に頬をすり寄せる。
「茉莉絵ちゃん、会いたかったよ!」
鈴虫の声で鳴いた。
茉莉絵は冷ややかな、しかしどこか嗜虐的な愉悦を孕んだ瞳で、掌の上の小さな元恋人を見つめる。
最近の茉莉絵は、檸檬をただ飼育箱の中で愛でるだけでは、物足りなくなっている。警察の厳しい接近禁止命令を無視して、執着してきた男だ。復讐したい。もっと徹底的に服従させたい。自分の支配下に置きたい。欲求が膨らんでいく。止められなかった。
「ねえ、檸檬先輩。いつもポケットの中ばかりじゃ退屈でしょ? 今日は、もっと私を近くで感じられる特別な場所に、連れて行ってあげる」
「本当かい!? どこだっていいよ、茉莉絵ちゃんの傍なら!」
檸檬は無邪気に喜んでいる。両手で万歳までしている。
茉莉絵はフッと微笑む。さっきまで履いていた黒いハイヒールに目を落とした。就職活動やフォーマルな場面で履くために購入した。ヒールの高さが、七センチメートルある。長身で足の長い茉莉絵に似合った。新調したばかりの革製のパンプスだ。
茉莉絵は檸檬を指先でつまんだ。ハイヒールのつま先の奥深くへ。無造作に放りこんだ。説明はしなかった。
「あ、あれ……?」
檸檬の身体は、銀色の急斜面を滑落していった。着地した。暗い洞窟にいた。周囲は滑らかな壁に囲まれている。はるか上方から、楕円形に切り取られた光が斜面の上の部分に差しんでいる。底の深い漆黒の井戸の底だった。
「茉莉絵ちゃん? ここは、どこ……うわっ!」
檸檬は声を上げた。頭上の光が完全に遮断された。
茉莉絵の足が、黒いストッキングに包まれた状態で、容赦なく滑りこんできたのだ。
「ひっ……!」
檸檬は本能的な恐怖で身をすくめた。圧倒的な質量の足が、上空から降ってくる。檸檬の頭上を完全に覆い尽くした。
押し潰される――!
檸檬は恐慌に陥っていた。
だが、茉莉絵は詳細に計測していた。黒のストッキングに包まれた茉莉絵の足の五本の指先は、ハイヒールの最深部、まさに檸檬が閉じこめられている空間のすぐ手前で、ピタリと止まるのだ。
しかし、空間は極限まで狭められた。
檸檬は、前後左右、そして頭上。ストッキングのナイロンの繊維と、ハイヒールの硬い芯地に、完全に挟まれてしまっている。身動きが取れない。右を向いても左を向いても、茉莉絵の足の皮膚が、網目越しにすぐそこまで迫っている。空気が圧迫されている。鼓膜が痛い。耳鳴りがする。何よりも空気が。酸素が足りない。
「茉莉絵ちゃん! 狭いよ、苦しいよ! 出して、ここから出して!」
檸檬は必死に叫ぶ。茉莉絵の足の指を両手で押し返そうとした。
しかし、百分の一の小人の力などたかがしれている。成人女性の足にとっては、存在しないも同然だ。茉莉絵の足の指は、ピクリとも動かない。檸檬が暴れれば暴れるほど、ストッキングの細かな繊維が顔に擦れ、身動きが取れなくなるだけであった。
「ふふ、先輩、どう? 私の足の心地は」
頭上のはるか彼方から、くぐもった茉莉絵の声が響いてくる。茉莉絵は少しだけ足を抜いた。内部を覗きこむ。
黒いハイヒールという名の強固な檻。自力での脱出は百パーセント不可能だ。檸檬が爪を立てて革の壁を登ろうとしても、ツルツルとしたインソールの堅い表面には、引っ掛けることすらできない。ただ滑り落ちるだけだ。
「こわい? 先輩。あんなに私のお尻を追い回して、どこまでもついてきたでしょ。それなのに、私の足の下から、もう一歩も動けないのね」
茉莉絵の声には、女王様の冷酷な響きがあった。
檸檬は強烈な革と茉莉絵の足臭から、ついに状況を理解した。ハイヒールの中にいるのだ。脳内に、恐怖とは異なる全く別の感情が、爆発的に湧き上がった。
(ああ……俺は、茉莉絵ちゃんの足に踏まれているんだ。体重を、歩みを、全身で受け止めているんだ……!)
ストーカーとしての歪んだ精神が、極限の閉塞空間で、恐るべき変貌を遂げた。
脱出できない絶望は、一瞬にして歓喜へ逆転した。
「嫌じゃない! 嫌じゃないよ、茉莉絵ちゃん! 俺、ここにいる! ずっとここにいるよ!」
檸檬の狂気に満ちた叫びは、茉莉絵には、靴の奥でかすかに響くゴソゴソという虫の振動としても、伝わってはいなかった。
茉莉絵は用を足して女子トイレの個室を出た。再びキャンパスを歩き始めた。
コツン、コツン、コツン。
アスファルトの道に黒いハイヒールの硬い音が響く。
閉じこめられた檸檬にとっては、世界崩壊規模の大地震の連続であった。
茉莉絵が一歩を踏み出す。凄まじい衝撃が全身を襲う。
体重が乗る。つま先の空間がわずかに歪む。ストッキング越しの圧迫がさらに強まる。茉莉絵の足の指が、檸檬の小さな身体を容赦なく押し潰しそうになる。が、ギリギリのところで踏みとどまる。寸止めのアトラクションが繰り返される。
「う、あ、あああっ……!」
檸檬は衝撃に耐えながら狂笑していた。
靴の中は、茉莉絵の体温で熱を帯びていく。ストッキング越しに伝わる、生々しい人間の温もり。そして、漂い始める、革の匂いと混ざり合った茉莉絵の足の匂い。
普通の人間にとっては、不快極まりない環境だ。
だが、檸檬は本物の狂信者だ。大好きな女の子の最も隠された部分に密着している。歩行の衝撃をダイレクトに浴びている。五感のすべてが茉莉絵で満たされている。至高の聖所であった。
(もっと、もっと踏んでくれ! 茉莉絵ちゃん! 君の行きたい場所へ、俺を敷き詰めて歩いてくれ!)
茉莉絵は、歩くたびにつま先に感じる、微小な抵抗を楽しんでいた。
神経を集中させている。一歩を進める。靴の奥で、何かがモゾモゾと蠢いている。健気に足を押し返そうとしている。恐怖のどん底に叩き落としたストーカーが、靴底を支えるクッションにすらならない存在として、足先で転がっている。
(あはは、本当に傑作。先輩、どんな顔をしてるのかな。泣いてる? それとも、喜んでる?)
茉莉絵はわざと、いつもより強く足音を立てて歩いた。
地下鉄の階段を下る。つま先にグッと体重をかける。靴の奥から小さな、押し潰される振動が、足の指先に伝わってくる。たまらなく愛おしい。そして滑稽だ。
二人の奇妙な歩行は、大学を出て、地下鉄の改札を通り、満員電車に揺られ、茉莉絵のマンションに到着するまで、一時間以上も続いた。
マンションの玄関に入る。茉莉絵はパチンと電気をつける。暗闇に帰ってくる時間が嫌いだ。一人暮らしがさみしくなる。大家族だった。いつもにぎやかだった。
ふう。大きく息を吐いた。玄関のタタキで、黒いハイヒールを脱いだ。
足を抜く。
靴の中に冷たい空気が流れこんだ。
檸檬は、全身の圧迫から解放された安堵と、同時に茉莉絵の温もりが離れていった寂しさで、ハァハァと荒い息を吐いた。彼の服は茉莉絵の足の汗で、しっとりと濡れている。髪も顔も溺れた直後の状態だ。しかし、目だけは爛々と輝いていた。
茉莉絵は玄関にしゃがみこむ。ハイヒールの中に指を差し入れる。
奥の方で、ぐったりと、身をよじっている檸檬を、爪先で引っかける。人差し指の爪の隙間に入りこんでしまう。外へ掻き出す。
タタキの上に転がされた檸檬は、難破から生還した船乗りであった。
「おかえり、先輩。どうだった? 私のハイヒールの中は。もう二度と入りたくない?」
茉莉絵は意地悪く微笑んだ。上から檸檬を見下ろした。
「もう堪忍してくれ、元の家に戻してくれ」
もしも泣き叫んだとする。それはそれで、面白い光景だ。
しかし、檸檬の反応は、茉莉絵の想像を斜め上へ超えていた。
檸檬はフラフラと立ち上がった。脱ぎ捨てられたばかりの巨大なハイヒールを振り返った。まだ茉莉絵の体温が残っている。微かに湯気が立っている。玄関の冷たく淀んでいた空気が動いている。彼の視線のみが気流の変化を把握していた。黒い革の怪物の靴。
檸檬は跪いた。黒いハイヒールのつま先部分に、熱烈なキスを捧げたのだ。
「茉莉絵ちゃん……最高だ。最高だよ……! 俺、もうあのプラスチックの箱には戻りたくない。お願いだ、俺をずっと、ハイヒールの中に住まわせてくれ!」
「え……?」
茉莉絵は呆気に取られた。
「あの狭くて暗い場所こそ、俺の本当の家だ! 君が歩くたびに、俺は君の命を感じられる。君に踏まれるたびに、俺の愛は無限に深まるんだ! 脱出なんてしたくない! ずっと、ずっと君の靴底で、君に踏まれ続ける奴隷にしてくれ!」
檸檬の声は、百分の一になっても変わらない、あの粘着質で執拗なストーカーの執念の声であった。どれだけ小さくしても、どれだけ過酷な環境に閉じこめても、茉莉絵への歪んだ愛は、決して摩滅することがないのだ。
茉莉絵はしばらく唖然としていたが、やがて、お腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! 檸檬、本当に狂ってる! 本当に、手の施しようのない変態ストーカーなんだね!」
笑い声が玄関に響き渡る。
ここまで自分を全肯定し、自分のどんな理不尽な支配をも快楽として受け入れてくれる男が、この世には他にいるのだろうか。
「いいよ、檸檬。そんなに気に入ったなら、これからは、そこが檸檬の指定席ね」
茉莉絵は、先輩という一種の敬称で読んでいない。呼び捨てにしている。そのことに、気が付いてもいない。そして、檸檬を再びつまみ上げた。今度は優しく、ハイヒールの奥へ戻した。
「明日はね、朝から学園祭の準備があるの。一日中歩き回るの。覚悟しておいてね、先輩」
「ありがとう、茉莉絵ちゃん! 俺、楽しみに待ってるよ!」
真っ暗な靴の奥底から、檸檬の歓喜に満ちた声が返ってくる。茉莉絵の聴力は、檸檬の微小な声を聴きとれる。慣れてきている。檸檬の声に耳が調律されているのだ。
茉莉絵は黒いハイヒールを靴箱の一番目立つ場所へ置いた。鼻歌を歌いながらリビングへ向かった。
ストーカーを小さな檻に閉じこめたはずの女子大生と、閉じこめられることで愛を成就させたストーカー。
二人の歪んだ共依存の関係は、黒いハイヒールという名前の脱出できない漆黒の闇の中で、どこまでも深く、永遠に続いていくようであった。
「そんなにいつも私と一緒にいたいのなら、もうこれで文句はないよね、檸檬」
茉莉絵はマンションの自室で、姿見の前に立っていた。
手元にあるのは、普段は誰にも見せることのない、ごく薄いレースが施されたシルクの下着だ。ブラジャーのカップの裏側、肌に最も密着する薄い布地の隙間に、十八ミリメートルの檸檬をそっと滑りこませた。
「う、わあぁ……!」
檸檬の視界は、一瞬にして柔らかい絹の壁と、目の前に迫る茉莉絵の豊潤な肌の温もりで埋め尽くされた。
茉莉絵は下着で乳房を包んだ。ホックを留めた。檸檬は閉鎖空間に閉じこめられた。
前後左右、どこを見渡しても茉莉絵の純白の肌。息を吸うたびに、胸元がゆっくりと上下する。檸檬の小さな身体に心地よい圧迫感を与える。衣服越しではない、ダイレクトに伝わる鼓動、体温、そして甘い香り。
黒いハイヒールの底が過酷な檻であったとするならば、間違いなく、ストーカーの聖域であった。
「どう? 檸檬。一日、私と一つになれるよ。まさか、まだもっとなんて言わないよね?」
茉莉絵は鏡の中の自分に囁いた。
目的は明確であった。プラスチックの箱やハイヒールの牢獄からは、檸檬は異常な執念で、逆に快楽を見出してしまった。ならば、ストーカーの望む究極の接近を与え、飽和させ、窒息させる。そのことで、今度こそ彼を降参させる。そう考えたのだ。
事態は、茉莉絵にとって、ストーカーとのプライドをかけた意地の張り合いとなっていた。
下着の奥底から、檸檬のくぐもった声が響く。
「幸せだ……茉莉絵ちゃん、俺、もう何もいらない。一生閉じこめられて、君の体温に溶けてしまいたい……!」
(まだそんな余裕があるんだ……。いいよ、檸檬。どこまで耐えられるか、勝負しようじゃない)
茉莉絵はブラウスのボタンを留めた。不敵な笑みを浮かべた。部屋を出た。
茉莉絵が下着のホックを留め、ブラウスのボタンを上までしっかりと閉じたときには、檸檬の世界は茉莉絵という名の、あまりにも濃密で、逃げ場のない肉の小宇宙と化していた。
十八ミリメートルの身体を包みこむのは、極薄のシルクがもたらす滑らかな摩擦と、至近距離から容赦なく放射される体温、そして、皮膚から直接立ち上る狂おしいほどの甘い香りである。茉莉絵が息を吸う。そのたびに、シルクの壁が巨大なプレス機になる。檸檬の小さな身体を豊満な肌へ圧迫する。
普通の人間であれば、異常な閉塞感と窒息の恐怖に、発狂しているかもしれない。
しかし、檸檬は怪物であった。
「ああ……ああ、神様! これだ、これこそが俺の求めていた世界のすべてだ……!」
檸檬はシルクの網目に爪を立てる。茉莉絵の鼓動が最も激しく響く左側のカップの裏側へ。怪獣は這い進む。どぐん。どぐん。全身の骨格を震わせる心臓音。BGMなどではない。脳髄を直接揺さぶる。世界を成り立たせる理(ことわり)であった。
茉莉絵は彼を降参させるためのさらに過酷な試練を用意していた。
七月の照りつける太陽の下、青猫山学院大学の広大なキャンパスを、学園祭の準備の用事で、汗だくで走り回る。本来は、最上級の四年生はサークル室に詰めていればよい。雑用は下級生に任せる。しかし、茉莉絵は自分から志願した。檸檬への執拗な嫌がらせのためである。
下着の中の環境は、劇的な悪化を遂げていった。
茉莉絵の体温が上昇している。沸騰寸前のサウナの状態だった。熱気に包まれる。毛穴から溢れ出る汗の玉が、シルクの布地を濡らしていく。檸檬の足元を温かい水流が襲う。熱風、湿気、そして酸素の欠乏。檸檬の肺は、熱い空気で焼けそうになっている。衣服は茉莉絵の汗で、ぐっしょりと濡れている。檸檬の肌に張り付いてくる。
「どう、檸檬? 苦しいでしょう? 早く泣き叫んで、私に許しを乞いなさい」
茉莉絵は走りながら、胸元に手を当てる。心の中がサディスティックな歓喜に震えている。衣服の上からでも、小さな虫が必死に苦闘している気配が伝わってくる。
だが、茉莉絵は檸檬という男の異常性の本質を、まだ理解していなかった。檸檬にとって、地獄の環境は、極上の聖水に満たされた楽園に他ならなかったのだ。
熱気に意識が朦朧とする。檸檬の目は爛々とした輝きを取り戻している。彼は茉莉絵の塩味のする汗の滴が、自分の顔に滴り落ちるたびに、狂信的な信者の舌で受け止めている。
「うまい……! 茉莉絵ちゃんの汗、茉莉絵ちゃんの熱量……! 俺は彼女の生命活動の排泄物と熱を、誰よりもダイレクトに、全身の毛穴から吸収している!」
彼は悶絶していたのではない。歓喜のあまり、身悶えしていたのだ。
茉莉絵の乳房が激しく躍動する。檸檬の身体は、肌と下着の硬いワイヤーの間に挟まれる。骨が軋む圧迫がある。皮膚が擦れる。打撲の痛みが全身を走る。だが、激痛は檸檬の歪みきった脳内で変換されている。
「茉莉絵ちゃんが、俺を全力で抱きしめている」
猛烈な愛のメッセージに書き換えられている。
「もっとだ! もっと走れ、茉莉絵ちゃん! もっと俺を、君の肉体で蹂躙してくれ!」
檸檬は四肢を踏ん張る。茉莉絵の肌に直接、小さな顔を擦り付ける。彼の服は濃密な汗で溶けそうだ。爪がデリケートな皮膚をわずかに刺激する。
茉莉絵は、サークルの部屋に戻る。エアコンの風に当たりながら戦慄を覚えていた。
どれだけ過酷な運動をしても、どれだけ下着の中を蒸れさせても、胸元から聞こえてくるのは軽やかな虫の声だった。茉莉絵は容易に脳内で翻訳できる。
「チチチ」
「揺れてる、揺れてる! 君の動きと、俺の命が完全にシンクロしている!」
そして、「チチチ」。
「茉莉絵ちゃんの汗の匂いだ……! 君が、一生懸命生きている証拠が、俺の全身に染みこんでくる!」
声は小さい。しかし、執拗に繰り返される。茉莉絵の胸で囁き続けている。
「どうしたの、茉莉絵。顔色が悪いよ。暑さにやられた?」
サークルの男子学生が心配して声をかけてきた。
「だいじょうぶ。なんでもない」
茉莉絵は冷えたポカリスウェットを喉に流しこんだ。胸が揺れる。檸檬を喜ばせている。冷汗が流れる。檸檬には極上の美酒だ。
自分が支配しているはずの哀れなペットが、自分自身を内側から捕食し、精神を侵食し始めているのではないか。悍ましい錯覚に囚われている。
檸檬は下着という狭小の檻の中で怪物と化している。茉莉絵は左手で左胸を押さえた。このまま、指に力を入れれば、すべてが済む。すべてが終わる。だが、できなかった。
「ごめん、ちょっと横になる」
サークル室の椅子を三つ並べて横になった。親友のamiが、冷たいタオルを額に当ててくれた。仲間からは、ひたすら熱中症を疑われていた。
檸檬は、茉莉絵の介護をするサークルの男子学生と会話をしている時も、嫉妬の炎を燃やすことすらしなかった。なぜなら、男子学生がどれだけ外面的な美辞麗句を並べ立てようとも、自分は下着の内側で、彼女の最も恥ずかしく、最も神聖な肉体の拍動を、全身で浴びている。唯一無二の存在なのだ。そう信じているだからだ。
(ハハハ、哀れな有象無象め。お前たちが彼女の表情に一喜一憂している間、俺は彼女の体温になり、衣服の一部として生きている。俺の勝ちだ。俺の完全な勝利だ……!)
下着の暗闇の底で、檸檬は濁りのない純粋な狂気の笑みを浮かべている。茉莉絵の肌を両手で愛おしそうに撫で回し続ける。茉莉絵が用意したどんな物理的な苦痛や精神的な辱めをも肥やしとして肥大化していく。
支配者であるはずの茉莉絵の心が、じわじわと恐怖と奇妙な敗北感で満たされていく。檸檬のストーカーとしての執着は、限界を突破していた。
ブラジャーの内部という密閉空間でさえも、恐怖させることはできない。歓喜の声を上げている。茉莉絵は苛立ちとプライドを募らせていた。
「どこまで耐えられるか、もっと徹底的にシゴいてあげるわ、檸檬」
夜、茉莉絵が用意したのは、大学のフィットネスの講義やサークル活動で愛用している、目の覚めるネオンカラーのエアロビクス用レオタードであった。
茉莉絵はスポーツブラと彼を身につけた。伸縮性の強いナイロンとポリウレタンの混紡素材で作られたハイレグのレオタードを重ねて穿きこんだ。
「うぐっ……!」
下着と皮膚の隙間にいた檸檬の全身に、スポーツブラの上からさらに強力な、逃げ場のない第二の肉の壁が強烈に押し寄せてきた。
レオタードの生地は、成人女性の身体のラインを極限まで美しく引き締めるためのものだ。十八リメートルの檸檬にとっては、強化された油圧プレス機が機能したことになる。ブラジャーのワイヤーと、レオタードの強固なゴムの締め付けに挟まれ、檸檬は茉莉絵の柔らかな肌に、めりこむ形で固定された。指一本動かすことすらできない。
「さあ、先輩。夜のトレーニングの時間よ。私の動きに、ちゃんとついてきてね」
茉莉絵は部屋のスピーカーから、テンポの速いアップテンポなダンスミュージックを大音量で流し始めた。
ワン、ツー、スリー、フォー!
茉莉絵は音楽に合わせて激しいステップを踏んだ。エアロビクスのジャンプやターンを開始した。
檸檬の世界は、大狂乱のディスコと化した。
茉莉絵が大きく腕を振る。胸を張る。レオタードの生地がギチギチと音を立てる。檸檬の身体をさらに圧迫する。激しいステップの衝撃が、豊かな肉体を激しく揺らす。檸檬は弾む胸と強固な生地の間で、何度も何度も押し潰される。
「はぁ、はぁ……! どう、先輩! 苦しいでしょう! 押し潰されて。早くごめんなさいって、降参しなさい!」
茉莉絵はわざと激しいディープスクワットや、胸元を大きく震わせるジャンプを繰り返す。額から流れる汗が首筋を伝う。レオタードの襟ぐりから浸入していく。下着の奥の檸檬を濡らしていく。
しかし、レオタードの締め付けによる強烈なG(重力)と、茉莉絵の激しい運動による体温の上昇、そして大量の汗にまみれながらも、檸檬の目は、やはり爛々と狂気の輝きを発射していた。
「う、あ、あああああ……! 最高だ! 最高だよ、茉莉絵ちゃん!」
檸檬は押し潰され、骨を軋ませながらも、狂喜の咆哮を上げている。
(誰も知らない……! 激しい音楽に合わせて、茉莉絵ちゃんの身体を動かしているのは、レオタードのクッションになっている俺なんだ! 躍動する命の振動が、ダイレクトに俺の魂に響いてくる!)
茉莉絵の激しい呼吸に合わせて、胸元が大きく上下する。檸檬の顔はストッキング以上の密度で編まれたレオタードのナイロン繊維に擦れる。熱い肌に押しつけられた。激痛。そして、窒息寸前の熱気。だが、茉莉絵と一体化してダンスを踊っている。至高のシンクロニシティ(同調)の舞踏であった。
「もっと……もっと跳んでくれ、茉莉絵ちゃん! 君の美しすぎる肉体のステップを、俺の全身ですべて受け止めてみせるから……!」
レオタードの奥底から響く、小さく、しかしどこまでも執拗で歓喜に満ちた虫の声。
十五分間の激しいワークアウトを終えた。全身の映る鏡の前で肩を上下させて荒い息を吐いている。それなのに、鳥肌が立っている。茉莉絵は、胸元の不気味な蠢動に戦慄を覚えている。
第三章 タッパーの虚無
ブラジャーとレオタードの監獄ですら快楽を見出した檸檬に、茉莉絵の焦燥とプライドは、ついに引き返せない一線を越えた。
「先輩。そこまで私の体温が心地いいなら、今度はもっと特別で、もっと泥臭い場所に閉じこめてあげる」
夏季休暇に入った朝のことだ。茉莉絵は自室の鏡の前で、薄手のシルクのショーツを穿く直前に、最も繊細なクロッチ(股布)の真ん中に、十八ミリメートルの檸檬を容赦なく落としこんだ。
茉莉絵はショーツを引き上げた。タイトなジーンズを重ねて穿いた。檸檬の視界は漆黒へと変わった。
「う、あ……ああっ……!」
ブラジャーの中とは比較にならなかった。過酷で、圧倒的な肉の圧力が支配している。禁断の領域であった。
ジーンズとショーツの強固な布地に挟まれている。底は二重になっている。他より厚いのだ。檸檬の身体は茉莉絵のショーツと温熱を帯びた皮膚の間に、完全にプレスされた。一歩も動けない。右を向いても左を向いても、生々しい肉の壁が迫る。檸檬の細い骨をミシミシと軋ませる。
さらに恐るべきは、匂いと湿度であった。ただでさえ蒸し暑い日だった。
衣服が重なる場所は、茉莉絵の体温がこもる。高温多湿の熱帯だった。歩くたびに、肉の襞がダイナミックに蠢く。檸檬の小さな身体を挟み込んでくる。呑み込もうとする。
(苦しい……息が、できない……!)
普通の人間なら、己の尊厳を完全に破壊され、あまりの屈辱と閉塞感に精神が崩壊する場所だ。茉莉絵も狙っていた。ショーツの底だ。肛門も近い。ウォッシュレットは、使用している。きれいにしてある。しかし、多少の臭いはあるだろう。それも、計算の内だ。これは、ストーカーへの罰なのだ。手加減はしない。
「ここまですれば、どんな男だってプライドをへし折られて泣いて慈悲を乞うはずだ」
しかし、檸檬の狂気は、例によって茉莉絵の想像の遥か斜め上を暴走した。
「最高だ……! 茉莉絵ちゃんの、一番隠された秘密の場所に、俺は皮膚の一部として張り付いているんだ……!」
檸檬は暗闇の中で、鼻腔を広げる。濃密な空気を貪る。肺に吸いこむ。布地を濡らし始める汗、皮膚の匂い、そして、女体からの多種多様な分泌物。脳の血管が焼き切れる。至高の麻薬であった。
茉莉絵が青猫山学院大学の校舎の階段を上り下りする。卒論に関して、どうしても相談したいことがあったからだ。
檸檬の身体には凄まじい圧迫のG(重力)がかかる。大陰唇と小陰唇が擦れ合う。檸檬の十八ミリメートルの肉体がすり潰される。激痛に襲われている。膣を守る弱酸性の液体が、傷んだ皮膚に染みる。だが涙を流しながらも、恍惚とした笑みを浮かべている。
(ハハハ! 誰も知らない! 大学の教授も、あの生意気な男友達も、茉莉絵ちゃんが、ショーツの中に俺を隠して歩いているなんて、夢にも思っていない! 彼女の最もデリケートな部分を独占しているのは俺なんだ!)
茉莉絵は歩きながら、下腹部に走る奇妙な違和感に身震いした。
歩行の衝撃を加える。ショーツの奥底から、小さく、しかし確実に、歓喜に震えるゴソゴソとした蠢きが、敏感な部分へ伝わってくる。
どれだけ踏みにじっても、こいつは死なない。むしろ蹂躙されることで、さらに艶やかに輝く怪物となっていく。恐るべき執念であった。
もしかすると支配しているはずの自分が、彼の狂った愛の妄想の檻の中に閉じこめられているのではないか――。
茉莉絵は女子トイレで、下着から檸檬を乱暴につまみ出した。
掌に転がされた檸檬は、まだ夢見心地の顔をしている。茉莉絵を見上げている。濁りのない狂気の瞳。茉莉絵はハッと気づいた。
(そうか……。この人に刺激を与えちゃダメなんだ。苦痛も、快楽も、私の肌の温もりも、全部、この人にとってはご褒美になっちゃうんだ)
ストーカーが最も恐れるもの。拒絶でも暴力でもない。
完全な無視であり、存在の忘却だ。
茉莉絵は冷酷な、一切の感情を排した無表情になった。
放尿を開始した。さっきから、我慢していたのだ。冷たい物を飲み過ぎた。檸檬は人間ではない。臭いも音も気にする必要はない。このまま水洗トイレに流すことは簡単だ。証拠も残らない。しかし、まだ終わりではない。もっと恐怖と屈辱を味合わせてやらなければ、茉莉絵の気持ちがおさまらなかった。
マンションのキッチンの一番下の引き出しを開けた。
取り出したのは、檸檬を閉じこめていたアクリルケースでも、高級な玩具でもなかった。百円ショップで買った味気ない、中身の全く見えない、お弁当のオカズ入れ用の小さなタッパーであった。
「茉莉絵ちゃん……? どうしたの、そんな怖い顔をして。また君の服の中に戻してよ」
檸檬が不安げに声を上げる。彼の声に焦りが混ざったのは、初めてかもしれない。動物的な本能で危険を察知しているのだ。
「先輩。私、先輩を降参させる方法がやっと分かったわ」
茉莉絵はピンセットで檸檬の身体を冷たく挟み上げる。不透明なプラスチックの容器へ落としこんだ。
小さな容器のパッキン付きの蓋を、パチン、パチンと小気味よく閉めた。
「あ、あれ!? 茉莉絵ちゃん! 何も見えないよ! 君の匂いも、音も聞こえない!」
容器の中から、檸檬の悲鳴が小さく聞こえた。
茉莉絵は一切答えない。キッチンの一番下の引き出しの、奥へ容器を仕舞いこんだ。雑貨類を収納してある。めったに開けることもない。
茉莉絵は固い引き出しを力任せに押しこんだ。閉めた。
光も、音も、体温も、茉莉絵の気配すらも一切届かない。
無の世界であった。
「茉莉絵ちゃん! 嘘だろ!? 出してくれ! 叩いてくれ、踏んでくれ! 罵ってくれてもいい! 君がいない場所なんて、俺は……俺は……!」
檸檬は暗闇の中で、プラスチックの壁を叩いた。
しかし、どれだけ叫んでも、タッパーの外にさえ一ミリも漏れない。茉莉絵が、何をしているのか。怒っているのか。笑っているのか。それすら分からない。
ハイヒールや下着類の中には、苦痛であれ何であれ茉莉絵が存在していた。しかし、ここには何もない。ただの冷たく、乾燥した、静寂だけがある。
ストーカーの精神は、じわじわと、確実に破壊していった。本当の虚無があった。
ストーカー狩り ―― 巨大娘小説 ―― (前編)
(了)
午後のつまり
(一)
声の止み間
剥がれていく後翅
読みかけの白地図を
擦りガラスの中に戻すとき
鳩は父親のまま
音のでない
亡骸になった
(二)
魚介の背に
夏のような虫がとまり
ゆるやかな風が
受話器を取ると
午後のつまり
草いきれはほつれて
溶けていく氷
(三)
種になってすぐの
多年草の破裂音が
戸棚にありふれている
ピクニックはまだ
生活の一部なのに
教員の瞳の奥で
木漏れ日が閉じる
(四)
水を話す
シスターは風車を
波間に秘匿する
扉を開けてはいけない
砂礫が人に降り積もって
とても久しい
午後のつまり
(五)
排水機場の洗濯物が
失われた口笛に揺れ
またひとつの鼓動になる
終わるものも
終わらないものも
ただそれだけの声
光に収束していく
馬の耳に新宿
瓶の中に新宿があった
むかし捕まえて入れておいた
新宿は綺麗だった
たくさんの色や形や
囁きのような足音
甘い蜜みたいな匂いに溢れて
夜のネオンはきらきらしていて
ここにはきっと
心の美しい人しかいない
馬の耳元に瓶を近づけてみる
馬は何も聞こえないかのように
海のある方角を見ている
お互い年をとったと思う
それでも自分なんかよりも先に
いなくなってしまう
白の紫陽花
梅雨晴れ
久しぶりに顔を見せた青空
太陽に誘われるように外へ出て
よく行く神社へと赴く
六月に入って 夏越の祓の
飾りがされていた
まだ制服を着ていた頃
君とここに来て
茅の輪をくぐった後に
些細なことで言い合って
泣かせた事を思い出した
何だったかは
忘れてしまったけれど
なんて考えていると
『そういうところ』と
声が聞こえてきそうだ
声の主が待つ家に
帰る途中ふと思いついて
君の好きな紫陽花を
花束にしてもらった
白色の紫陽花
きっと君になら伝わるから
それが
とても嬉しいような
少し恥ずかしいような
『おかえり』を聞くまで
あと五分
むずがゆいような照れを
隠せないまま 歩いている
またたく
数多の信号
等しく甘い闇に
内からひかる星は 幾つ
瞬きに呼応して
ひかりを賜る星は 幾つ
存在を放ち
かたちを分かつ
互いを求め 反発し
惹かれあい
離れあう
たとえ
遺るものは 傷のみとしても
ひからざるを得ぬ者たちよ
届かなくてもいい
そう想える強さが
あったなら
きみは
きっと
どの星よりも
桃色の紫陽花
6月の小雨降る朝に彼は心から思いました。
なんて散歩日和なのだ、最高じゃないかと。
そして彼は以前に挑戦して途中で断念した。
桃色の紫陽花までの踏破を決意しました。
彼には心に秘めた相手が居たのです。
桃色の紫陽花が凄く似合っていて、憧れていました。
桃色の紫陽花が似合う彼女に会う事だけが
桃色の紫陽花を目指す目的では、なかったけれど
彼の大きな勇気と原動力になっている事は確かだったのです。
彼の歩みは遅かったけれど確実に彼女の元へと向かっていました。
朝からの小雨の合間から気まぐれな太陽が顔を出しては
彼を苦しめましたが、6月の風は雨粒を含み彼を応援してくれました。
彼が桃色の紫陽花の茎へとたどり着いた頃には日も昇り
昼の日差しが紫陽花の桃色を輝かせていました。
日差しが苦手な彼女は家の中で次の雨雲を待って居ました。
少しずつ少しずつ歩みの後を日に輝かせながら
彼女の側に辿り付いた彼は一緒に紫陽花の葉の上で
梅雨の囁きを耳すませて家の中で待つ事にしました。
やがて降り出した雨音に顔を出す2匹のカタツムリに
桃色の紫陽花は赤みを深めては葉を揺らして
二人の出会いを祝福するかの様に優しく揺れていました。
にがて
あなたが
本
だったなら
もっと すきに
なれたかもって
おもってる よ?
すぐ擬人化
するんだから
いちばんすきなものに
せめてなれば
いいなっって
熱違
やけ酒をしたバーで忘れた
ジャケットに片袖だけ通して
短い帰路で
滑走路のランプに似た
街灯を眺め
自分に飛び立つ先などないと
煙に乗せて吐き捨てる
午前2時半
火種がじゅんと
数秒ほど赤を作る
手中のアイスティーが
体を冷やす
やけをした記録が
僕を温めるが
今は君の熱にさらされたい
人間
太古の昔から、戦争の神様はいたけど
反戦の神様はいないから
戦争に反対する人間を讃えよう
悪と戦うのは正義だとか
防衛は侵略じゃないとか
そんなことを言う神様を見捨てて
良い戦争とか、悪い戦争とか
敵とか味方とか関係なく
戦争に反対する人間を讃えよう
お尻語
食べると太るはずなのに、痩せます。なぜでしょう。それは、お尻がうんこを出しすぎていたためでした。お尻が謝りました。
「ぶぶぶー(うんこ出しすぎてごめんなさい)」
お尻語は人間にはわかりません。しかしそのお尻の持ち主は、確かにお尻がしゃべったように聞こえたのでした。
普段人間が話しているのは口語です。お尻語を理解する必要があるように思われました。そのように総理に伝えると、お尻語学科が医学部に新設されました。
「私たちがお尻語を解明し、お尻との会話を可能にして見せます。」
人類最高の知性が集まり、お尻から出る音(うんこが出る時の音やおならのように聞こえるもの)を分析しました。
ぶぶぶー!
これは、ただのオナラかもしれないぞ。
ぶりぶりー!
これは、うんこを排出するためのただの音だ。
人類最高の知性たちが30年分析した結果、お尻はしゃべっていないという結論に達しました。
しかし、お尻は実はしゃべっていました。
「ぶぶぶー(私は孤独だ)」
と言っていました。
ある日、お尻をつっつき合う性癖の人が、お尻をお互い餅のようにぶつけ合っていました。
でぶんでぶんでぶんでぶん、あんあんあん、でぶんでぶんでぶん、あんあんあん
すると
「ぶぶぶぶぶー!!」
「ぶぶー!!」
「ぶぶぶぶぶぶぶー!!」
お尻音が活発になり始めたのです。
「これは、会話をしているようだぞ!お尻同士を向き合わせた時の音を分析すれば、お尻語を解明できるのではないか!」
うわー!!
再びお尻語学科が結成され、人々はたくさんのお尻とお尻を向かい合わせて会話をさせ合いました。人間と豚のお尻を突き合わせたり、虫同士のお尻を突き合わせたりして多角的に分析しました。
「ぶぶぶー!!」
「ぶー!」
その結果、今までと比較にならない量のサンプルを得ることができたのです。
「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだ!」
人類最高の知性がそれらを分析したところ、無事お尻語翻訳機ができ、お尻と会話できるようになったのでした。自殺が減りました。
完
羊と兎をめぐる冒険
走る車の窓からの夏の光はさびしい
センチメンタルやエモーションではなく
あれらはもっと暗い地点にある光
愛されて育った人と同じ言葉を持てず
冷やかし以外で使ったことがあまりない
汎用の形容も嘆息も使いたくないのに
他者を見るときまなざしが泥のように深い
ご先祖様のセックスと蛮行の連続でできた
心と身体は文章題の点Pと点Qだ
大人は汚いと真顔で言う中年は危ない
わめくガキは嫌い わきまえた若者も嫌い
家の黒い雌羊として生まれて生きて
どこにも属すということができない女に
いいんだよと簡単に言ってくれる人は
まもなく女を寝室に引っぱり込むだろう
社会は複雑怪奇な森林の類であるらしく
ここでは善良な市民も一羽の肉食の兎だから
きょうもひと口ずつ食べられている
偃鼠(えんそ)の歌
ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
「リンダリンダ」甲本ヒロト
無常観、わび、さびなど所謂日本的美意識と言われるものについて書いてみた。素人の戯言に過ぎない。
一、
人生は思うままにならない。不如意な事が後から後から生じる。都会に就職して高給取りになりたかったのに幸運の女神にソッポを向かれて田舎暮らしを強いられる。若いうちには頻繁にパーティなんぞを楽しみたかったのに人もいなければよい場所もない。都内タワマンの高所でエッヘンオッホンとしたかったのに我が家は僻地にあって荒屋じみている。家具も食器も輝かんばかりの新品で埋め尽くしたかったのに親や親戚からのお古で我慢しなくてはならない。いつまでも若いと思っていたのに気がつけば黒髪に白いものが混じり体の到る所に皺が刻まれ節々が痛み始める。一体どうしろと言うのだろう。
誰しも自我を守らんとする心理体制を備えている。酸っぱい葡萄がそうである。高所に実る葡萄を取れなかった狐は、どうせ酸っぱいのだから取れなくてよかったと負け惜しみを言う。心中に壁、というより門を造り自在に開閉させ、自我にとって必要な情報は門を開いて取り込む一方、好ましからざる情報は閉ざして遮断する。葡萄は酸っぱくて口に合わないかもしれないとの話はしっかりと聞いて記憶し、世間の悪口は心に容れずに自我を守る。葡萄の寓話は人の成長を阻むので必ずしも好ましいとは言い切れないが、それでも何もしないで自我を無防備に厳しい現実に晒せばいい、というものでもあるまい。
葡萄が可能なら、華のない生活や古びた家具や思いのほか足早な終末も可能ではあるまいか。自我の門を思うままに開閉し、心を清流で満たし、逆境にあって順境さながらの自足が果たせるのではあるまいか。無常・わび・さびのイデーである。負の美学であるが、人を苦しませかねない事物をしてむしろ満足せしめるのである。儚きを儚きが故に愛し、寂しきを寂しきが故に愛で、古きを古きが故に惜しむ。このように人をして価値転換せしむる防衛機制として、無常観があり、わび・さびの理念があるのである。
二、
如何なる生き物であれ、この世に生を受けて喜ぶのも束の間、終息は足早に訪れる。春の桜は夏を知らず、夏の蝉は秋を知らない。愛する者もいつまで生き永らえようか。鴨長明は「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と嘆き、啄木は「おそ秋の空気を/三尺四方ばかり/吸ひてわが児の死にゆきしかな」[1]と悲しむ。しかし、生きとし生けるものは蜻蛉の命であるからこそ、一分一秒の輝きが愛しくなるのである。桜が年中咲き誇るとしたら、我々はかくもかの花を愛するだろうか。咲くと見る間に散るからこそ、いっそう愛おしいのではあるまいか。兼好法師が「あだし野の露きゆる時なく、鳥辺山の煙立ちさらでのみ住みはつる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」と説くのはそのためである。命が永遠だとしたら「もののあはれ」も何もないのであり、儚く定めないからこそ胸を打つのである。命は儚いが故に愛おしく、愛おしいが故に美しくまた尊いのである。損なわれ易い生は憂いの対象であるが、それにもかかわらず、否、それ故にこそ愛おしく、慈しむというまさにその思いを通して生の充溢が感じられるのである。同一の対象が正負両義の解釈を許容し、対象の陰性が悲しむべきものから愛おしむべきものへと変えられるのであり、かくして人は能動的にゲシュタルト転換を成し遂げ、新解釈に慣れ親しみ、生の悲しみが生の喜びとなるのである。(啄木の嘆きには同情すべき点があるにしても)鴨長明はこの積極性を欠くので悲しむばかりに終わったが、兼好法師は生の愁いを歓びへと投げ企てたのであり、無常観は主体的獲得によって負の美学として確立されたのである。
陰陽転換は洋の東西を問わない。詩人シェリーの涙は随筆家リンドの笑みへと変貌する。シェリーは「うたかた」[2]にて無常に袖を濡らす。
きょう ほほえむ花も
あすは 死ぬ
待ってほしいものはみな
さからい 逃げてしまう
この世のよろこびは なに?
夜をあざける稲びかりか
つかのまのきらめきか
ところが、その袖に滴る雫に知らず感嘆するのがリンドである。
たいていの人間にとって、人はついには死なねばならぬと知るからといって、いま生きている喜びを弱めることはならない。詩人にとって、枯れる宿命にある花
や余りに早く過ぎ去る春を凝視する時にも、世界はいっそう美しく見えるのである。五月を見ているまさにその瞬間にもその美しさは消えつつあると知るからこ
そ、詩人は心をより激しく震わせるのである。
と言うのだから[3]。リンド的転回には兼好法師と同じ機微が潜むのであり、無常を憂いから喜びへと転換させる知恵は普遍的なのである。
三、
わびは元々は叶わぬ恋の苦しみや生活上の不如意の辛さを表した。以下は万葉集からであるが、一つは「何度も恋に泣くが、心慰める効果なく、辛い思いで寝る夜が多い」と嘆き、一つは「国が遠いからとて悲しむな、風に吹かれ雲が行く如く、私の言葉があなたに届こう」と言う。どちらの動詞「わぶ」も辛さを意味する。
立ち反り泣けども我(あれ)は験(しるし)なみ思ひわぶれて寝る夜しそ多き[4]
国遠み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通はむ[5]
仮に地方へと流されたとすれば、都会的事物から隔離され、愛しい人に会えず、手にしたい物もない。人は憂いの淵に沈む。ところが、これは煩わしい世間からの解放でもある。私は誰にも気兼ねしない独居に親しみを覚える。草の葉に這う朝露、物静かな昼下がり、郷愁を呼び起こす夕暮れの情景に愛着を抱く。すると新しい環境を辛いと感じず、自ら進んで享受する。主体的生活態度としてのわびが成立し、これを和歌に詠むと美意識へと昇華する。価値転換が果たされるのである。
古今和歌集には「山里はもののわびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」というよみ人知らずの歌があり、「山里は物悲しいが、都の辛さと比べれば住み易い」という意味である。ここでは、正負転回の結果としてわびが成立し、しかも「もののあはれ」を知る者ならば誰であれ経験し得るので、無名の人もまた詠むのである。
わびとは何か。武野紹鴎は『紹鴎侘びの文』において「正直に慎み深くおごらぬ様」であるとして、「一年のうちにも十月こそ侘なれ」とする。「正直」とは自然であって無理に作らぬ態度である。「慎み深くおごらぬ」とは人に派手さを見せつけず、静謐な暮らしに安住することである。『分類草人木』という書には「有るべき様こそ面白けれ」とあり、『禅茶録』には「不自由なるも不自由なりと思ふ念を生ぜず、不足も不足の念を起さず」とあるように、富者が強いて貧しいナリをするのではなく、貧者が貧しさに忍従することでもなく、富者ならざる者がその暮らしぶりのままに充足することである。人も物も不足する日々に馴染んで自足することである。その様はまさに穏やかな秋であり、華やかな春でも眩い夏でも手厳しい冬でもない。
千利休によれば、わびの精神は藤原家隆の歌「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや」にある。見目麗しき花を欠く草地に親しみ、活気に満ちる派手さよりも活気無き地味さに心惹かれて落ち着く詩情である。さらに、わびは贅沢と粗末を対照させ、より深い美を引き出すことでもあり、華麗美と不足美の対照において成立する感性でもある。
すなわち、不足それ自体に享受すべき美の性格があるから不足美と言えるのだが〔不足美〕、のみならず、通常は好まれない不足に敢えて美を見いだそうとするから見いだされるのであり〔主体性〕、不足に慣れて自足するから美を自家薬籠中の物とできるのである〔習い〕(「習い」は兼好法師の言葉である)。また、不足美に華麗美を対比させることによって不足美を際立たせることであると同時に、華麗美の華麗美たる所以を強調することであり〔対照性〕、さらには不足美を華麗美に重ねて重層化させることでもある〔重層性〕。
家隆の歌でいえば、まだ雪の間に草が生えつつあるのみであって花は何処にも咲いていないのがむしろ美しいのと考え〔不足美〕、華やかならぬ雪間の草にすら美を見いだす積極的態度があり〔主体性〕、そして草を見慣れるにつれ愛着を抱くところに自然な美意識が育成される〔習い〕。想像上の春の花と現実の冬の雪と草との対比により、いまだ花の開かぬ草地の不足性が浮き立つところでそれを哀憐し、同時に雪間の草と待ち遠しい春の花との対比により春の花の美しさが際立つところでそれを愛で〔対照性〕、雪間の草を背景に据えた上で春の花を提示することによって重層化された美が示されることで、いっそうその美の虜となるのである〔重層性〕。
四、
心に苦しみを引き起こす生活や対象から逃避したり、あるいはそれを抑圧していたりするだけでは、いつまで経っても不如意のままであろう。この手のものの中には、美的観点から、ひいては実存的立場から、実は高い評価の付与に値するところもあるかもしれない。逃げたり抑えつけたりせずに向き合い、目を留めるべき点を見出し、いわば身を委ねれば、精神の充足を果たし得る。
芭蕉がそうである。このわび人は、若い頃は将来が約束された立場にいた。ところが後ろ盾となる人物が亡くなって苦境に陥ると、江戸に出て俳句評論家として身を立てようとした。弟子もでき、さあこれからだという時に、芭蕉はなぜか鄙びた深川へと隠棲し、この地で短期間に『柴の戸』『月侘斎』『茅舎の感』『寒夜の辞』『乞食の翁』など一連の名句を生み出すのであり、これらの作中において、徐々にわび概念を確立するのである[6]。以下、簡潔に見て行こう。
『柴の戸』では、芭蕉は「こゝのとせの春秋、市中に住侘(すみわび)て、居を深川のほとりに移す」と書く。都会は金のない者が暮らすには辛いから町外れへと住まいを移すのであり、芭蕉は辛い場所から逃げる〔逃避〕。次に『月侘斎』においては、「月をわび、身をわび、拙きをわびて、わぶと答へむとすれど、問ふ人もなし。なほわびわびて、侘てすめ月侘斎がなら茶哥」とする。わぶという動詞を繰り返すことによって芭蕉は自らの状況を直視し、苦しみを忌避せず、意識という舞台へと登壇させる〔意識化〕。『茅舎の感』では、杜甫に「茅舎破風の歌あり」と言い、蘇東坡は「此句を侘(わび)て、屋漏の句作る」と続け、そして芭蕉は「芭蕉野分して盥(たらひ)に雨をきく夜哉」の句を得る。杜甫は破屋が漏るので眠れないと困り、蘇東坡は大雨には雨漏りがすると悩み、その心を芭蕉は取り上げて一句を得る。ここでは、孤独で辛い独夜に雨音を聴くという情景が描かれ、苦しみながらそれが詩情へと高められている〔昇華〕(ただし、芭蕉翁の弁としては、いまだこれを楽しむ心境には到っていないようであるが)。精神分析の用語を借りれば、逃避によって意識下へと抑圧されていた辛い侘びの思いが、意識化を経て詩情溢れる侘びへと昇華するのである。
そして『寒夜の辞』では、「深川三またの辺りに草庵を侘て」と書き、「芦の枯葉とふく風」という一節を挟み入れる。ここには、西行の和歌
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
津の国の葦の丸屋のさびしさは冬こそわけて訪ふべかりけれ
この二つが背景となっている。「津の国の難波の花咲く春は夢だったのか、眼前には蘆の枯葉に風が吹き抜けるだけではないか。むしろ難波の春の暖かさではなく、冬の枯れたる詩情こそ我々は希求すべきではあるまいか」と。これは西行の陰陽転換の記録であり、芭蕉はそれに共感し、「芦の枯葉とふく風」という言葉を書き留めたのである。
そして『乞食の翁』である。芭蕉は杜甫の
窓には含む西嶺千秋の雪
門には泊す東海万里の船
という二行を置き、「我其の句を識て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、其楽をしらず」と続ける。杜甫と同様、芭蕉も貧しく生きているが、杜甫とは違って芭蕉はいまだそれに自足する精神を獲得していないと言う(もっとも、そう嘆くのも俳諧に固有のイロニーであるのかもしれず、当の翁は既に莞爾としているのかもしれない)。ここに到ってようやく、芭蕉の詩歌と人生の目的が侘びを楽しむことと見据えられた。侘びの精神の確立である。
言語的に見る。『柴の戸』では、「市中に住侘て」とあり、わびは助動詞であるに過ぎない。『月侘斎』では、「月をわび、身をわび」となり、わびが本動詞に昇格される。最後の『乞食の翁』となってようやく「その侘をはかりて、其楽をしらず」と書かれ、わびが名詞として用いられる。わびが明確な概念として確立され、詩歌の主題として追及する価値のあるものとなったのである。
このように、芭蕉は孤独で粗末な暮らしに対する評価を消極的なものから積極的なものへと転換させたのであるが、東に芭蕉がいれば西にはソローがいる。ソローは人里離れた森に単独で暮らし始め、ただ一度だけ寂しいと思ったと述懐する。しかしソローはむしろ孤独に精神の充足を感じることになる。発見されたのは日本のわびではないが、僻地における孤独で貧しい暮らしを悲観せず好意的に評価したのだから、芭蕉と同じ精神の力学が働いており、わびの西洋版とでも言うべきものがあると言える。
ただ一度だけ——森に住みはじめてから二、三週間たったころだった——おちついた健康な生活を営むには、やはり身近なところに人間がいなくてはならないのではないか、という疑いの念に、一時間ばかりとりつかれたことがある。ひとりでいるのが、なにか不愉快だった。しかし同時に、私は自分がいくらか狂気じみた気分になっていることを意識しており、まもなく回復することもわかっていたようだ。そんな気分に囚われているあいだ、雨がしとしとと降りつづいていたが、突然私は「自然」が——雨だれの音や、家のまわりのすべての音や光景が——とてもやさしい、情け深い交際仲間であることに気づき、たちまち筆舌につくしがたい無限の懐かしさがこみあげてきて、大気のように私を包み、人間が知覚にいればなにかと好都合ではないかといった先ほどの考えはすっかり無意味となってしまい、それ以来、二度と私をわずらわせることはなかったのである。[7]
さらに、ソローは「むかしから最高の賢者たちは、貧しいひとびと以上に質素で乏しい生活を送ってきた」と書く。賢者は「外面的な富においてはもっとも貧しく、内面的な富においてはもっとも豊かな階級に属して」おり、賢者のように「自発的貧困とでも呼ばれるべき有利な基盤に立脚しなければ、だれひとり人間の生活を公平な賢い目で観察することができない」と言うのみならず、「贅沢な生活からは贅沢という果実しか生まれはしない。当節では、哲学の教授はいても、哲学者はいないのである」とすら断言する。そして「哲学者になる」ためには、「ひたすら知恵を愛するがゆえに、知恵の命ずるところに従って、簡素、独立、寛容、信頼の生活を送ることである」と述べる。簡素と独立はまさしく芭蕉のわびではあるまいか。日本人の定義するわび人は、西洋においては哲学者と呼ばれるのである。
不足美といえば、ワーズワースのルーシー詩編に侘しい生活を送った少女を題材とする作品がある。不足への評価は消極的であるが、少なくとも詩の主題となる点においてわびに通じる。
人の通わぬ路に人知れず暮らす少女がいる。讃えられも愛されもせず孤独である。おそらく少女の住まいは粗末であろう。少女は付き合うべき人間に不足し、生活する上で便利な物にも不足する。少女はひっそりと生き、ひっそりと死ぬのであるが、詩人はこの少女に哀惜の念を吐露するのである。少女の慎ましい境遇は楽しいものではなかったが、少なくともワーズワースにとっては、詩へと昇華すべき価値はあったのであり、わびの精神に通うものではあったのである。[8]
ダヴの泉のかたほとり、
迹なき路に住みしなり。
讃へしはなく、愛でにしは
いともすくなき鄙少女。
苔むす石のかたはらに、
かくれて咲ける花すみれ。
そのさやけさは大空に
さびしく照らすひとつ星。
生きて知られず、ルーシーの
逝きしを知るも稀なりき、
今、墓にあり、ああ、われに
大いなるかな、そのけぢめ。
五、
人の生を促進せず、妨げかねないものがあるとする。その対象の負の性格は変えられないにしても、人の捉え方を負から正へ、陰から陽へと転換することによって、人がその対象の負性を忌避せずに受け止め、安らぐに到ることは不可能ではない。無常、わび・さびがそうである。対象は負のままでありながら、その負を担う人の精神は陰から陽へ、負から正へとコペルニクス的転回を成し遂げる。兼好法師はこれを書き留め、リンドはここに詩人の幸福を探り当て、芭蕉は深川隠棲中にこれを成就し、ソローも森林中の独居においてこれを獲得したのである。古今東西の賢者や詩人の書を繙けば、枚挙に遑がないのではあるまいか。
この価値転換は既に神話において見られる。ソフォクレスによるオイディプス神話と古事記におけるイザナギの神話を見てみよう。
オイディプスを生んだ二親は一国の統治者だった。ところが、我が子は父を殺め母と交わると予言され、恐れをなして子を遠ざける。遠くで長じたオイディプスは、とある道端で遭遇した人物と揉め事を起し、その者が父とは知らずに殺害する。オイディプスは訪れた国でとある問題を解決し、その王座を得、その王妃を母と知らずに娶る。やがて事実が明るみに出ると、オイディプスは絶望の余り両目を抉り出し、失命して放浪の旅に出る。最後にオイディプスは行きついた地で死ぬのであるが、かっての絶望に弱り切った姿は見られない。自らを襲った残酷な運命と向き合い、受け入れ、尊厳を持ってオイディプスは死ぬのである[9]。知るに到った出自から当初は逃げ出したが、やがて直面し、それを自らの実存的課題であると悟達し、清明なる境地を獲得するのであるが、ここにも〔逃避→意識化→昇華〕なる過程が確認できるのである。
ニーチェの運命愛はこの観点から解明すべきものではあるまいか。すなわち、認識するのが辛いがため逃避している対象と敢えて向き合い、意識化することにより、対象それ自体の負性は変わらぬまでも、対象を見て取る目が負から正へと転換するのであり、そうして対象を受容し、安心立命すら獲得することが可能なのである。その一例がギリシア神話のオイディプスであり、それを運命愛と呼び得るのである、と。
古事記はどうか。死せるイザナミを黄泉の国まで追っていったイザナギは、見てはならぬという約束を破って醜くなり果てたイザナミを見てしまう。恐れをなしたイザナギは逃げ、イザナミに追われる。黄泉比良坂を千引の石で塞ぎ、イザナミにこれより先に入るなと禁ずると、穢い国にいたから禊ぎをしようと独り言ち、禊ぎ祓いをする。海水中に潜って身を濯ぐと、まず穢れによって成れる神である八十禍津日神と大禍津日神が生じ、次にその禍を直そうとして成れる神である神直毘神、大直毘神、伊豆能売神が生じ、最後にはいとも畏き三柱である天照大御神、月読命、建速須佐之男命が生じた。
ここには不浄を浄化する三過程が見られる。イザナギはまず不浄から逃げ〔逃避〕、次いで不浄に直面し(黄泉比良坂においてイザナミに対し「これより先に入るな」と言ったことや、禊ぎにより好ましからざる神々を生成したこと)〔意識化〕、終いには自らの不浄を清めることにより、不浄が浄化されたのである(直毘神や貴き三柱を生成したこと)〔昇華または浄化〕。すなわち、禊は、より多くより念入りに行われることにより、その対象となる人や物のケガレを祓うことができるのであり、さらには不幸・不運・邪悪を取り去る消極的行為から、安全や幸運や豊穣をもたらす積極的行為へと、行為の目的も効果も変わってくるのである[10]。ここにおいても、ケガレと呼ばれる逃避対象が意識化され、昇華(浄化)される過程が描かれているのである。
ケガレとは神々の嫌うものである[11]。
一、衛生上不潔なもの。糞尿、塵芥、腐敗物、溜り水など人間に不潔感を与えるもの。
二、必ずしも不潔でなくとも醜怪な感じを与えるもの。血液がそうであり、殺傷の出血、産血、月水。
三、死。人間の死のみならず禽獣一般の死、生きとし生けるものを殺傷する行為、死者の屍を切り破ること、鳥獣を殺して料理すること。
四、自然から受ける損害。虫に刺されることや蛇に咬まれること、家畜が野獣に食われること、農作物が外注に荒らされること、天変地異により人畜が害を受け
ること。
五、人間の社会生活を攪乱する行為。大祓に列挙するものには、田の畔を破壊すること、水樋を毀すこと、一度種子を蒔いた畑にさらに種子を蒔くこと、地堺の
串を勝手に挿すこと、他人の家畜を害すること、略奪、横領、盗賊、放火、失火、職務怠慢など。その時代時代の社会規範に反するもの。
無常観にせよ、わび・さびにせよ、ひいては運命愛にせよ、何れも日本神話の概念で定義すれば、ケガレがミソギにより浄化された結果(不浄の浄化)、獲得された精神なのであり、この浄化過程が文芸に取り込まれて成立したものなのである。
六、
無常観ならば、論者様々であっても定義の一致は比較的容易に見出せよう。わびとさびについては、論者により定義に異同が少なからずありそうである。さび概念の多様性に私も甘えよう。
さびとは、物の内部から浮かび上がる衰退の相に敢えて愛でるべき側面を見出し、その物自体も愛惜する主体的態度である。衰退相の現れと言うのは、「寂」は「錆」「荒」と読みが同じであることから連想せられよ。鉄器の表面が錆びるのも、建物や庭が荒ぶのも、どちらも寂びときわめて似通った印象を与えるのである。
かくして、さびは古びを古びとして愛好する態度であると言えるが、通常は美とみなされず見逃されやすい古びの様相から美的性質を的確に掬い上げるには、主体性と訓練が求められる(「訓練」は、九鬼周造が『情緒の系譜』で用いる言葉である。P.155)。いつまでも新しいと思っていた物の内部からいつしか古びた様相が浮き上がってきたり、若さの内からいつの間にか老いが現れ居ついたりする際に、古びや老いを嫌がらず、その性格が刻印された物や人を忌避せず、直視し、のみならずその古さや老い、それを帯びる物や人、これに評価すべきところを鑑賞者が見出だすのである。
『徒然草』(八十二段)には、「羅(うすもの)の表紙は、とく損ずるがわびしきと人のいひしに、頓阿が、羅は上下はづれ、螺鈿(らでん)の軸は貝落ちて後こそいみじけれ、と申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか」とある。草紙や巻物の表紙について言えば、上下の部分が剥がれ、巻物の軸は散りばめられた螺鈿(青貝)が剥がれ落ちているのが素晴らしいという。さびが積極的に評価されるのである。『南方録』では、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の春の夕暮れ」という歌について、「とまやのさびすましたる」と評される。粗末な小屋がわびであり、観賞に十分に堪え得るのである。わびが貧しく孤独な生活に対する主体的充足感であるならば、さびは具体的な物に現れる客観的劣化相への愛着ではあるまいか。わびの主観性がさびの客観性へと結晶化されるのである。
七、
物や人における古びや老いを毛嫌いせず、むしろ親しみを感じる点にさびが成立する。それまでなかった新たなる相が人や物に立ち現れるのであり、それが古びや老いであり、その愛着がさびとなる〔古び〕。四季で言えば、春は誕生であり、夏は成長である。秋は衰えが始まり、冬はそれがいっそう深まって死へと到る。わびが穏やかなる秋であるとするならば、さびは白々とした冬となる。冬ともなると、夏や秋には見られなかった新たなる様相が立ち現れる。それが雪や氷であり、さびをしてさびたらしめる。物の内部より立ち現れる新たな相は、自然界では必ずしも古びや老いではないが、これらの新様相が周囲の死滅せる世界から際立ち、愛でられるに値するのである〔際立ち〕。藤原俊成の歌論書『古来風躰抄』では、冬についてこう書かれている。
冬になりゆくままには、蘆の枯葉に霜置き迷ひ、水際(みぎは)の氷に閉じられ、まして雪降りぬれば、厳(いはほ)にも咲く花と疑はれ、終(つひ)の緑の松
の上の雪などは、年さへ残りなくなるにつけても、袖の氷も心身しみまさる心地して…。
私の考えに従えば、「蘆の枯葉に霜置き迷」うのが俊成の「さび」となる。生命絶える冬の枯葉において新たに立ち現れるのが霜であり、周囲には映える物が減るので希少価値を有し、いっそう際立って見える。それが「厳にも咲く花と疑はれ」ということなのである。つまり、殺風景なる情景はそれ自体がさびとなり得るが、同時にそこにひときわ目立って見えるもの、それもまたさびの真髄を構成するのである。蕉門十哲の一人である支考の『続五論』の「華実論」では、「風雅は本さびしきもの也。…たのしきに居ては淋しきをたのしみがたく、さびしきに居てはたのしきをたのしみやすし」とし、それを「風雅のさび」とする。支考説を俊成説に接合すれば、「さびしき」とは冬の荒んだ情景や枯葉であり、「たのしき」とは枯葉の霜である。「さびしきに居てはたのしきをたのしみやすし」とは、殺風景なる風景の中だからこそ、枯葉の霜がいっそう映えるということなのである〔際立ち〕。また、ここでもわびと同様に、地味と派手、陰陽の対照性も確認できよう〔対照性〕。
リルケは何処かで果物の美味さを詩に詠むが、もしやリルケは満足に果物を食べられなかったのかもしれず、だからこそその美味さがひときわ強く感じられたのかもしれない。だとしたら、それはリルケのさびとなるのではあるまいか(飽くまでリルケ的なものとして、であるが)。
八、
芭蕉は去来の「花守や白きかしらをつき合はせ」という句について、さび色がよく出ていると評した。桜の咲き誇る時期に花の番人がいる。老夫婦であろうか、二人が花弁の散りしきる中に頭を突き合わせるようにして、何やら相談事でもしているのだろうか、それとも周囲の華麗なる情景をじっと見入っているのだろうか。二人はもう何年もこの情景を見続けてきたのであろう。そしていまも時を惜しむが如くに、または時の波に揺られるが如くに、桜の風景を見守っているのである。さびとは人や物の内部から立ち現れる経年の象徴であり、ここでは老夫婦の白髪であり〔古び〕、そのような象徴や象徴を含む全体に対する愛着の念でもあり、ここでは白髪を戴く老夫婦への静かな共感である。そして老人全体においては、深く刻まれた皺や衰えた皮膚と比べると、清浄そのものにも見える白髪はひときわ映えるようにも感じられるのであり〔際立ち〕、あるいは二人の老人と咲き誇る桜とを対比すれば、桜の姿がいっそう華やかに際立つのである〔対照性〕。
心敬は「ふけにけり音せぬ月に水さび江の棚無し小舟ひとり流れて」(夜も更けて月は傾き、水錆の浮かぶ入江には乗り捨てられた小舟が一艘あって、音もなく流れている)という和歌を詠んでいる[12]。「ふけにけり」が時の流れを示し、「水さび江」は、水溜まりの表面には茶褐色の錆びのようなものがしばしば浮かんでおり、そのような入り江をいうのだが、これは自然界における古びを詩情へと掬い取ったものであろう。心敬はこの歌について「ひとへにふけさびたる風情をつくし侍り」と自註しており、『老いのくりごと』では「ふけさびたるかた、最尊なるべし」とすら言う。この歌には古びのみが見られて陰陽の対照性はなく、これといった際立ちもないが、これもまたさびなのであろう。
九、
ソローは衣服について言う。衣服の意味は実用性にあって目新しさや世間体にはない、「われわれの衣服は、着ている者の性格を刻印され、日々肉体に同化されてゆくので、ついには自分自身のからだとおなじように、ためらったり、医療器械で治療したり、儀式でも挙げたりしたあとでなくては、思いきって捨てることもできなくなってしまう」と[13]。ここには、物の内部から新たな様相が日々の使用と共に立ち現れる姿が描かれ、これも古びであるが、経年劣化というより経年「変化」の様相である。それが人をしてよりいっそう衣服に馴染ませ、愛着を抱かせるのである。古びが人を惹きつける一因である。ソロー一流の見立てによるものであるとしても、これもまたさびではあるまいか。
ソローはわびからさびへの精神的経路の発見者でもある。ソローは住まいについて言う、最も趣のある住まいというのは「貧しいひとびとの、少しも気取ったところのない質素な丸太小屋や田舎家である」と。家を「絵になるものにしているのは、その貝殻のなかに暮らしているひとびとの生活であって、その外観上の特質だけではない。また、都会人が郊外にもっている箱型の家も、やはり彼らの生活が単純で、想像するだけでも楽しいものとなり、住居の様式にむりな工夫をこらしたりしなければ、それに劣らず趣の深いものになるだろう」とも[14]。要約すれば、質素な住まいはわびであるが、理由としては背後に庶民の貧しくも素朴な暮らしが想像されるからである。貧しい暮らしはわびであり、それによって成り立つ住まいがさびである。主観的なるわびを苗床として客観的なるさびの木が育つのであり、ここにわびからさびへの連絡がつくのである。
ソローは、衣服が古びを獲得することによって人はいっそう衣服に親しむと述べた。この事情は衣服に限らない。ヘッセは「ラヴェンナ」という詩において「ささやかな死んだ町」[15]を詠むが、町の古びに惹きつけられる人の心が主題である。その第二、三連を見よう。
町を通りぬけて、振返って見ると
街路はいたく陰気で湿っている。
千年のよわいを重ねて、ひっそりと語らず、
到るところにコケむし、草がはえている。
さながら古い歌のようだ——
その調べを聴いてだれも笑わず、
みな耳をかたむけ、聞いたあとでも
夜中までみな物思いする古い歌のようだ。
古い街並みは誰もが耳を傾け物思いに耽るようなものであり、ヘッセは町の古びに心を寄せる。まさしくさびではなかろうか。「夕暮れの家々」[16]もそうである(どこかの旅路で詠まれたようであるが)。その第二、三連を見よう。
家々は互にしっくりと寄り添い合い
姉妹のように丘の斜面に根ばえている。
だれも習いはしないがだれでも歌える
歌のように、簡素に古めかしく。
壁、漆喰、かしいだ屋根、
貧しさと誇らしさ、衰えと幸いが、
愛情こめてやさしく深く、
昼に向ってその熱を照し返す。
質素な暮らしを背景として粗末な家々が寄り添い合っている。質素な暮らしとはわびであり、粗末な家とはさびである。ヘッセは寄り添い合う家々を見、背後に倹しい生活を見通すのであるが、ヘッセの視線も主観的わびから浮かび上がる客観的さび、すなわちソローの経路をなぞっているのである。
以上、陰の美学とでも呼ぶべきものについて、駆け足で舌足らずながら論じてみた。写真には写らない美しいドブネズミの歌である。いまだ長い道中の途上におり、道は東西に伸び、再び探求の旅は続くのである。
参考文献
[1]『一握の砂』石川啄木、青空文庫
[2]『シェリー詩集』シェリー、上田和夫訳、新潮文庫
[3] Rain, Rain, Go to Spain、III. The Earthquake、Robert Lynd。
[4]万葉集、中臣朝臣宅守、巻15-3759
[5]万葉集、作者未詳、巻12-3178
[6]『芭蕉の「わぶ」についての考察』日暮聖の講演。
[7]『森の生活』ソロー、飯田実訳、岩波文庫、上巻、「孤独」
[8]『名訳詩集』ワーズワース、竹友藻風訳
[9]『ギリシア悲劇全集 第2巻』、人文書院
[10]『ケガレ』波平恵美子、講談社学術文庫
[11]『祭——本質と諸相』松平斉光、日光書院)
[12]『正徹と心敬』伊藤伸江、笠間書院)
[13]『森の生活』ソロー、飯田実訳、岩波文庫、上巻「経済」)
[14]『同上』
[15]『世界の名詩』高橋健二訳
[16]『同上』高橋健二訳
57の誓願
宇宙で最も偉大で、全ての親である阿弥陀如来は、前世で法蔵菩薩であられたころ、48の誓願を立てられたと言います。私も、それに見習い、菩薩としての務めを果たそうと、いくつかの願を立てました。だれか、困っている方がいたら、出来る限り助け、守ってあげたいです。それが私の愛の務めです。
1 愛別離苦消滅願
2 無限良縁起生成願
3 人心理考貫通願
4 全生命永遠祝福願
5 現世永遠浄土願
6 全人類永遠平等願
7 寂滅自然循環願
8 人間精神永遠伸長願
9 夫婦関係永遠良成願
10 自由思考無限界願
11 良判断生基誠心願
12 自己意志自由判断願
13 戦争永久不可能願
14 人類永久繁栄願
15 涅槃永遠願
16 浪漫夢想全展開願
17 真心眼永遠願
18 真愛可能願
19 不可能完全可能願
20 一切衆生完全覚醒願
21 善業無限増殖願
22 無条件無境界無制限愛達成願
23 無限母性愛享受願
24 最良愛結婚願
25 全人類相互愛願
26 心身愛情満悦願
27 想起愛情永遠記念願
28 悪夢消滅願
29 正史永遠祝福願
30 全悪消滅願
31 幸福永遠持続可能願
32 永遠愛宿命願
33 全無明及煩悩消滅願
34 全世界変良宿命願
35 宇宙規模変動良成願
36 葉緑素永遠生産願
37 色調調和願
38 永遠音楽不滅願
39 記憶不滅願
40 責任自得願
41 迷路脱出願
42 永遠愛不滅願
43 自他相互愛育成願
44 地球上全生命愛楽園願
45 全無明快晴願
46 全差別無而平等願
47 全人持度胸願
48 請理解愛持無限大力願
49 全世界愛貫通願
50 対宇宙意志開通願
51 善依悪生成願
52 宇宙法則良変化願
53 全愛楽進生類集合願
54 全叡智開通願
55 宿命男女貫通願
56 全業良成願
57 全生類涅槃到達願
ラブ・チャイルド
先生 わたしお姫様になりたいけど
誰の子どもも産みたくない
国家を脱ぎ捨てて
うすだいだいのパジャマで
教会へ行って産めるものが
うんことわたしの自由だけだとしても
宇宙はきっとまだまだつづく
あじさい
花壇の手入れをしていた時のこと…
「すみません!すみません!」
誰かが呼ぶ声がする
幾重にも折り重なる葉の隙間からのぞいてみると…
奥の方に、あどけない顔をした小さな紫色のあじさいがいた
深い陰の中で暮らしているせいか
首が細長く伸び、くねくねと曲がっている
「わたしは毎年1番下の枝から花を咲かせているものです。
どうか、そこの草を抜かないでください。
わたしは人間が苦手なのです。
人目につかないように、ひっそりと暮らしたいのです。」
そういうと紫あじさいは、茂みの中に身を隠してしまった
わたしは、その小さくて痩せ細った紫あじさいに
たっぷりと栄養をあげたいと思い
空とあじさいをつなぐ光の小径をつくった
時々、光の小径をのぞくと、
紫あじさいが顔を出していることがある
「光の小径をつくってくれたのですね。
ありがとうございます。」
紫あじさいのつぶらな瞳が笑った
わたしも笑った
すると、紫あじさいの花びらが紅潮した
紫あじさいとわたしは、ただ見つめ合うだけだった
来年の6月
紫あじさいは、どんな花をさかせるだろう
そんな事を考える今日この頃…
小さな星のラジオ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 皆様こんにちは。筑水せふりの小さな星のラジオ〜
(・ω・)σ リスナー1号だよ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 今日はね、新作の話をしようと思って
(・ω・)σ 小さな星の軌跡ね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そう
(・ω・)σ 高校生たちの話だよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うん。天文部
(・ω・)σ 新入生も加わって
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ さて、二人の関係の進展やいかに
(・ω・)σ あのー
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はいなんでしょ
(・ω・)σ なんで天文部だったの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ……ズバリ、作者がそうでした。
(・ω・)σ まさかの実話?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ わりと
(・ω・)σ 初作品の連作詩って
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はいはい
(・ω・)σ けっこうえっちいんだけど……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ あー……ほんとだねえ
(・ω・)σ ……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ なに
(・ω・)σ それ、最初から考えてたの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 書いてたら気づいた
(・ω・)σ 作家っぽい答え
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ふふ……初文藝作品ですし
(・ω・)σ ちーちゃんと耳納先輩、最終的にどうなるの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ あのね
(・ω・)σ うん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 作者と作品はイコールじゃないよ
(・ω・)σ そりゃそうだけど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そもそもわたしって
(・ω・)σ うん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ パーソナルをあまり明らかにはしてないからね
(・ω・)σ 確かに
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ なので、ちーちゃんでもあり、耳納先輩でもあるのです
(・ω・)σ なんじゃそりゃ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 自伝じゃないってこと
(・ω・)σ なるほど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ でも学校には泊まったなあ
(・ω・)σ その辺は本当なんだ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ まあねえ、青春です
(・ω・)σ で、いいことしちゃったの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ だからプライベートは……
(・ω・)σ はぐらかしたー
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はぐらかしてない、境界線を引いてるの
(・ω・)σ おんなじじゃん
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ちがうよ
(・ω・)σ どうちがうの
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ はぐらかすのは逃げること。境界線は、ここから先は作品の領域ってこと。
(・ω・)σ ……なるほど
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 続きは小説で、ってやつ
(・ω・)σ 読めってこと?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 読んで、想像して
(・ω・)σ ずるいな〜
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが作家ってもんでしょ
(・ω・)σ じゃあ耳納先輩の卒業のとこ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うん
(・ω・)σ 泣きながら書いたの?
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ ……初期連作詩ではね
(・ω・)σ 掌篇では、これからですね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 怖くて
(・ω・)σ ……
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 書いたら終わっちゃうから
(・ω・)σ それでアフターストーリーを
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ うんうん
(・ω・)σ 先に書いたんだ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それはありますねえ〜
(・ω・)σ 大学生くらいと社会人くらいが一本ずつあるよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そうそう
(・ω・)σ とりあえず関係は進んでいる
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ そう書いているよ〜
(・ω・)σ ちーちゃん達、残り一年無いですよね
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ 耳納先輩三年生だからね
(・ω・)σ さみしいなあ
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが軌跡ってもんだよ
(*・ω・)σ なんか綺麗なこと言ってる
ଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧ それが筑水せふりです
おしまい
CWSではまとめができないのでわたしの過去作を漁るか、noteのマガジンをどうぞ(今見たら誤字多いなあ)
https://note.com/chikusui_sefuri/m/mc4ef7cab4639
暴 力
タンクトツプよれよれの太陽の陰部にて
よれよれになる団地の四角窓の鉄柵の錆
キリストを讃へる赤ペンキ字の上で芋虫
補助輪のもげた自転車と子供用バケツと
タンクトツプで出てきたあなたの無防備
よれよれの隙間から見えそうで見えない
生えかけのよれよれだらう腋毛の間引き
お互い片親のお互い未来は暗いよれよれ
赤ペンキまみれの芋虫キリストの項垂れ
長祝辞が述べられてよれよれになれども
暴 力
よれよれのタンクトツプの継ぎ目からは
地黒のよれよれとした十代のあるまじき
汝隣人を愛せよ構えよ敬えよ喰らへよと
あなたの腋毛に触れやうと脳ノ手を翳す
一九八五年赤ペンキ一色タンクトツプよ
滑り込ませばすぐそこに届いたであろう
硬化した先端の愛であり平和であり諸々
よれよれの私服のだらしなさがまた尊し
つけいる機会も解らずにラジカセの再生
安全地帯でなく生理ナプキンの上に座る
暴 力
あなたの母親を初めて見た似てもいない
よれよれのホルモンのやうな簾の向こふ
私はだらしのない立ち方で狭い鉄扉の間
刈り取られてゆく腋毛と共に面皰面をも
よい返事だけ戴きたい画面には桂三枝だ
お互いの背中のあたりで殴打されてゐる
やさしいものからこわされてゆくマジで
生けたばかりの脳ノ手がよれよれとなる
好きだといつてくれたおんなのこの腋毛
タンクトツプ姿はいいよなよれよれだが
暴 力
芋虫はユダとなり赤ペンキは溶けて出て
讃へるタンクトツプのよれよれ片親同士
あなたによく似たポルノ女優の唇の動き
生理ナプキンはよれよれでそれは鬱血で
冷蔵庫の吸盤のやうな乳首を硬化させて
よれよれになり一九九五年に入院をする
肥大した夏柑橘の肌や砂場の中の補助輪
なにをいまさら希望めいたおとぎばなし
あなたとあなたの母親は団地に沈下して
生けた私はよれよれて腋毛にからまつて
暴 力
暴 力
https://i.imgur.com/42QJAbF.jpg
2025年俳句短歌誌『We』19号掲載「真珠墓」より
姥捨つるたびに螢の指得るも
恋の病で入院中
スマートフォンで 初めて書いてみる
いつもはパソコン
貴方への恋慕は
こんな ちっちゃい長四角ではもどかしい
そう あたし 不器用だし 誤字も多い
思い込みの激しい ヤキモチやき
病室から 貴方だけ求め たまらずに
スマートフォンだっておおよそ あたしの スマートじゃない恋文
じゃあパソコンならば 大海原へ
ふたり 繰り出せるのかと訊かれたら
あたし達は 口を閉ざすことしかできぬ
だからどうした
あたしなら 別れを望まれるのなら
別れられる
その意味が わかりますか
どんなにスキかわかりますか?
あたしを手離さない覚悟をしているあなたの愛が
どれほどのものか
あたし 知ってるよ
無慈悲な不良ならよかったのに
ちがうから、手首を結んだリボンを痛がる貴方
けどねぜったい離さない
知ってるよ
残酷な フランス映画に酔って千鳥足
電柱に激突して鼻血
路面に大の字 星が綺麗
そのうち車に轢かれるかもね
馬鹿な恋人同士だと
笑われたって
あたしはこの綿菓子を手放さない
貴方が慕ってくれる限り
とても愛してる愛してる
あなたからフワフワが消え 棒になったら
あたしがモコモコ製造してみせる
スマートフォンで毎日、伝え合う
逢いたくて
おかしくなりそうだねって
https://i.postimg.cc/RCfThJnf/lianno-bingde-ru-yuan-zhong.png
迷宮
真っ暗な闇に突如現れた光り輝く道
直線に伸びている道
ずっと暗闇にいた私は
ついその光の道に足を踏み入れてしまった
辿り着いた先には
暖かく優しい光りに包まれていた
巨大な建物が立っていた
中は広く暖かく
そこは私が求めていた
「愛」に満ち溢れていた
ゆっくりと歩き「愛」を「優しさ」を
心に感じながら歩き続けた
歩き過ぎた
長居し過ぎた
あんなに広く歩きやすい道だったのに
光は薄れ
暖かさも消え
「愛」も「優しさ」も消えていた
「迷宮」に入った事に気づいた
深く
奥深く
「愛」を「優しさ」を
求め過ぎて抜け出せなくなった
もう抜け出せないだろう
「愛の迷宮」から
私の犬
私たちは核兵器をもっているから
プラナリアよりも愚かだと言ったきみは
去年三十歳で死んだ
きみの特別好きだった曲は
聴いたら泣いてしまうから
街のなかでは再生しない
ぬーぬ とこしえの恋人よ
その黒くうねる髪が
私の暮らしをやさしく縛る
曇り空
希望も失望も失せた
絶望だけが
生暖かい
夕べ
裏小路
しゃがむ母に見守られ
幼子は
シャボン玉を口ずさむ
楽譜のように
笑い声は
風に
吹かれ
ふと
消える
じっと見ているのは
向かいの犬と
飼い主の女
並んでいる
置物のよう
大通りでは
スイカズラは
風に揺れ
ナツツバキは
風に
落ちた
少女Q
一時間前にはじめてお会いしたのに
あなたは野蛮なる九州の男たちから
ムラ娘をかばおうとしている
これって問題意識ぶった
どしたん?話聞こか?だったりするのかな
わたしはいちごクリームソーダのグラスを
かちゃかちゃとお行儀悪くかきまわしながら
目の前の歳のいったシティーボーイを見る
いやだなあ濁音のつくきらきらで
人権派の肩書きをよごしてる
南のほうの女性は情熱的だから好きなんだと
壁の時計も笑ってる
季節詩
夏じみた風が、
窓から侵入して、
部屋をぬるめる。
近所の高校の陸上部が、
死んだ春の棺を担いで、
家の前の坂を駆け上がっている。
隣の家の犬が鳴く。
ぎゃん、と夏が来る。
たまごバイアス
背中 を 三度 叩いた きみの 正体が
加工無しの
円
である 確証は どこにもない
と
殻
が告げる
アンチポップ
爪の間にはさまっている性の匂いは
肝心な対価が とぎれている
朝ごはんを食べたかどうかを
気にするほどには
わたしはやさしくはないのですね
と
督促状の文字は、歪んでいる
(本当は、文字かどうかすら判別する事が出来ないほどに、曖昧な線だった。
それが、「関係性」そのものだと
主張するような、
情欲に滾る、はみだした線。)
直線はつきささるから、きらい
矩形は、うそをとじこめているだけだから
いい子ぶって、るだけだ、きらい
アルコールに浸した文字の羅列は
みたことのないオバケが
わたしの最終遺影にうつる、
きらい
それらをくみあわせたら
すごくあまい
そんなもの
おもちゃ として
もろい。
85点。をもらう。
その85点。だと思っているものをもらう
どの距離までの人たちが85点だと
思っているかわからないなにか
こわれやすいものさしだけだ
なにかをはかれるもの
「にぎりつぶすなよ。」と知らない言葉を吐きだすのは、たぶん、知らない年上の人
もうすぐ、
寝屋は朽ちる
形骸という言葉も
ごまかし の一種に過ぎなかったのだが
よう やっ と
形骸そのものになるのだろう
身体と身体がひとつになるという事が
可視化された初めての神話になる
言葉がなくなってやっと体温と律動が
においたつ
わたしは新しい神話だった、と
その頃、
だれしもがそんな事を呟きながら
最後、と
ペンキで塗ってあるドアを開けている
ナツビシン
夏に降り積もる雪のようなもの
それがしあわせのようなものだと
あなたはそんなふうに言うけれど
僕はそう思わない
あなたの好きな花が笑うたびに
それは違う、と言える
入道雲が溶けて沈んでいく水平線を
ぼくらの帰る場所だと言えたなら
アルコールを今際に摂取出来なかった事を
悔やむことはない
祭りの夜店から
出てきたハクビシンであれば
それはナツビシンじゃあないか
一緒に踊ってごらんよ
うまくいけば
ちいさい時に
「僕が当てるから」と
何度、くじをひいても
当てられなかったゲームボーイアドバンスをあの娘にプレゼント出来るかもしれないよ
水泳部
タマネギ剥いたら
凛々しい姿
涙すら出る
少年よ
君も立派な
タマネギでした
救われない命とその後遺症について
ごはん食べるのがちょっと遅かっただけで
口ん中にモノが入ってるからただうなずいたら
返事をしなかったって
怒鳴られ殴られ
蹴り飛ばされて
扁桃腺の手術で
痛みに苦しんでるその横で
「おまえの親父は今ごろ
呑み屋で酒くらって大騒ぎだとよ」
などと いま云わなくていいこと
わざわざ云ってきたり
散々帰るの嫌がって 電車
上り下りを行ったり来たり
なのに 帰ったら
自分だけサッササッサと
安全な場所へ逃げて行ってしまったり
挙句の果てに殺されてしまったその子の名前を
誰が呼んでくれるというのだろう
助けてって声もあげられなかった
その子の声を
一体誰が聞いてくれるというのだろう
おかあさんおかあさんおとうさんおとうさん
ぼくをうみたくなかったの
ぼくはうまれてきちゃいけなかったの
どうしてそんなかなしいかおするの
ぼくがいけないのぼくがわるかったの
ごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいごめんなさい
めいわくかけないようにするから
ちゃんとひとりでできるようになるから
ちゃんといいこになるから
いいこでいるから
おねがいですおねがいします
もういたいことしないで
おこったりしないで
誰だって最初から子供を死なせるために産むわけじゃない
憎むために子供を育てるわけでもない
一体なにがいけなかったんだろう
一体どこで狂ってしまったのだろう
私だって俺だってこうやって育てられてきたんだ
だからこれは暴力じゃない
暴力なんかじゃない
しつけだ教育だ
云ってわからないから殴ってるだけ
云うコトきかないなら出てくって云ってるだけ
それのなにがいけない?
なにが悪い?
なにも知らないヤツに
四の五の云われたくなんかないね
救われない命は繰り返される
救われない命は繰り返される
そしてまた わたしも
ただただ憤り 怒りに震え
それでいてなにもしない
なにもできない
ただの傍観者
こんな詩を描いては
自分は違うんだと
なにかした気になって
いい気になってよがってる
本当は聞こえてるのに
見えているのに
何も届かない何も響かない
ただ自分が傷つかないための
逃げ道ばかり探してる
それでも
そうだとしても
やっぱり描かずにはいられないんだ
目の前で倒れてるひとがいれば
傷ついて動けずにいるひとがいれば
考える前に体が勝手に動いている
そんな人間になっていたくて
大きなお世話かもしれない
踏みこんでくんな
鬱陶しい
邪魔くさいあっち行け
って思われてるかもしれないけれど
ふみつけられた者の行き場のない怒りや
笑顔に裏打ちされた涙のあとさきや
繰り返される悲しい過ちや
助けてって声もあげられずに消えていった小さな命や
過去や未来や今や
自分の弱さずるさ卑怯さすべてひっくるめて
見えるものからもう目をそらさないように
聞こえる声に もう耳をふさがないように
解ってもないもの 解ったフリして
知らぬフリして もうなにも
置き去りにしてしまわないように
ちゃんと
ちゃんと
貸し本棚に関する意見交換会
貸し本棚サービスをローンチし、すでに一定の盛り上がりが見られつつあります。
こうした中で、ぜひお互いの貸し本棚、本のラインナップなどについて、意見交換する場をつくらせて頂きました。
Talkでやる手もあるのですが、貸し本棚サービスの立ち上げを優先するために、ぜひコメントすれば、自動的にコインが貯められる
掲示板スペースで意見交換会を催したいと思っております。
ということで、まずは取り急ぎ、会の発足を宣言させてくださいませ。
Creative Writing Space事務局
2026/06/09
批評・論考
しんきろの詩
雨が降る日は、お腹を空かそう
時には悲しく、涙の中を
舐められ騙され、挫けた日々よ
心にぽっかり、おうたがひとつ
晴れた朝には、良く見てみよう
ペガサス、魔が刺す、光差す
完璧な丸と、三角四角
人として生まれ計算して、生きて
心にぽっかり、アイデアがおひとつ
落ち込む時には、海見て寝よう
空気は無料で、価値は有限だ
気の合う仲間と、月見て過ごそう
何処かでばったり、予感がおひとつ
clepsydra
しかめっつらで
砂漠を歩く
長い睫毛のラクダ
ラクダ ダラク クダラヌ
蜃気楼につぶやく
ばらのつぼみ
アネモネ
うつくしいのは
どっち
砂丘の向こう
光る水面の
睡蓮はみんな午後には
目をつむる
ヤシの木陰で
すれ違ったひと
ベールを揺らして
離れていった
手のなかの
砂漠のばらは
水辺にいたひとの
結晶
いえ、いいえ
⸻
clepsydra
A camel with a frown
walks through the desert,
long lashes swaying.
Camel, camel,
Falling from grace,
Muttering to the mirage.
rosebud,
anemone,
which one
is beautiful?
Beyond the dunes,
on the gleaming water,
the water lilies all
close their eyes in the afternoon.
Beneath the palms,
I passed someone
whose veil was fluttering,
and they drifted away.
In my hand,
the desert rose is
the trace
of the one who was by the water.
لا، لا
2023年10月 関西現代俳句協会招待作品 『神柰月』より
渾沌よ死してまくなぎ降らしめよ
◽️プチストーリー【夢のコンパス】(作品No_03)
小学5年生の夏
毎年の恒例となった、トモキの家に3人集まった。
「あーーー暇だーー
暇で死にそうぉおおー」
シゲは叫んだ。
「あのね人の家きてさ、しょーもないこと近所に響かせないでよ、困るって」
トモキは呆れた口調で言った。ナオトの方を向いてなんとか言ってくれと無言のメッセージをたっぷり込めて援軍を求めたが、、、
「さすがに暇で死ぬ人はいないんじゃないかな。」
ナオトはポテチをつまみながら呟いた。
「なぁなぁなぁ。だってさ、俺たち1年から友達になってさ、夏休みいつも、ほぼほぼ3人でこうやってトモキの家に集まってさ、ゲームをオンラインで遊んだり、お菓子シェアしたりしてるよな。」
シゲの声のボリュームは止まらない。
「だから、声でけーのよ!外の人に聞こえたら、俺たち3人の会話に参加者増えるかもだろって。外の通行人がチャットルームに参加しました。ってさ」と、トモキ。
「さすがにこの部屋に通行人が突然扉開けて入って来ないんじゃないかな。」
「ユーモアよ、ユーモア。ナオトじゃなくて、暴走のシゲがボケに突っ込んできて話の流れを変えようと思ったのよ」
トモキはナオトを恨めしそうな目で見た。
シゲは炭酸ジュースを一気に飲んで、エネルギーを再充填。
「俺たちこのままずっとこんな感じなのかな?
ヤバない?それって、ね。ヤバいよね?」あおるシゲ。
「親に言われて塾行って中学受験の勉強してるやつはいるけどさ。そういうのって、俺たち3人みたいに親がそういう感じでなければこんなものじゃん?」冷静なトモキ。
そして、、、ナオトは、漫画を片手に持って、空いた手でポテチの袋に手を奥に突っ込んで、探っていた。
「まぁ、そうかもだけど。でもさ、俺は気付いてしまったわけよ。小5つまり、5年間、5年間同じこと繰り返してね?遊んでるゲームと、読んでる漫画が変わっただけじゃん。あああー暇すぎて不安になってきたぁああ!」
「それはそれで楽しいじゃん。じゃあ、どうしろって言うのよ」
「、、、、、思いついた。ゴッドからの天啓を受信。」
ナオトが急に真っ直ぐに立ち上がった。残りの2人はナオトの波動を感じたようにナオトを見ながら座りながら後ずさった。
ナオトは右腕を真っ直ぐに伸ばして天を指し示した。
「じゃあ今ここで3人それぞれの夢を決めよう。
そして、〝成人式の時に、夢の答え合わせ〟をしよう」
「はぁ?!??」トモキは目が点になった。
「、、、、ナオト!おまえ、たまには、いいこというじゃん!面白そうじゃん!俺たちそんなことしたことないし。やろうやろう!誰から言うよ?トモキ?おまえ、言いたそうじゃん?いっとく?」
なぜ?はぁ!?と開口一番にシゲがノリノリなのに指名するのかと、もう訳がわからないノリに戸惑いながら、このメンバー構成だったら、もうそうするしかないとトモキは腹を括った。
ナオトは相変わらず、棒立ちしたまま。あ、目をつぶってる。瞑想か?寝てるのか??
「わかったよ。ちょっとだけ考えさせてよ。流石に」
頭の台拭きをギュッギュッと絞ってひねり出した一滴は・・・
「パイロット、、、かな」
「おー!そうなんだ。なんで?」
「ちゃんとした理由なんてなくて、なんとなくだけど、海外に少し興味あるし、空飛ぶのいいなって。。はい!俺は言ったからね。
シゲ、次はおまえがいいなよ!俺を指名したんだから」
「オッケー!俺は待ってる間に思いつきましたよ。
俺の夢はお笑い芸人!人の笑顔見ていたいから」
そして、残るはナオト。
シゲとトモキが、自由の女神のように立ち尽くしているナオキを見上げると、ナオキは、急に目を見開いて。
「プロゲーマー」
3人は〝成人式で夢の答え合わせをする約束〟をしてから20歳を迎えた。
歳を重ねて生活の場がそれぞれ変わり、気づけば出会うこともなくなっていた。
そんな中、久しぶりにナオキから、シゲ、トモキに小学生のときの夢の答え合わせしようと連絡があった。
「久しぶりぃ!」3人は久しぶりに再会した。
「じゃあ小学生のときの夢の答え合わせ、していきますかね。」
ナオトがスマホを2人の前に突き出した。
スマホ画面には
〈小学生5年生の俺たちの夢〉
シゲ お笑い芸人
トモキ パイロット
ナオキ プロゲーマー
「ナオト、マメだねぇ。
では、スマホの順番で、俺はお笑い芸人ではなくーー介護士になりました!
なんだろ、介護士ってめちゃくちゃ人手足りないみたいなのよ、それ聞いてさ。なんかなら俺がやろう!力になろうって思えちゃったのよ!介護しながら、おじいちゃん、おばあちゃんと話をしていつまでも笑顔になっていて欲しいからさ。そうやってお笑いの力もつけたいなって」
「トモキ、お前はパイロットはどうなった?」
「俺?俺は旅行代理店で働いてるよ。パイロットは俺には現実的になんか遠く感じて、空、旅、世界の憧れとそばにいたいなって思ったら、みんなの旅のお手伝いさせてもらう旅行代理店を選んでた」
そして、、シゲとトモキは首をグイッと動かし、ナオトを2人で視線を送った。
ナオトは
「私がプロゲーマーから高校教師へとの夢の命題の変化には真に驚くべき物語りがあるのだが、成人式1日では短すぎるので、ここで話すことはできない」
「何を言ってるの?語り口調、急に変だし!」
「、、、、フェルマーの最終定理のオマージュ」
「高校で教えながら、eスポーツ部の顧問となるのだ!」
「あらあらあら、なーんだ、結局誰1人、小学生のときの夢を叶えてないじゃないか!
あーあー、あの暇で死にそうなくらいたっぷりあった時間のリベンジにと思ったのに。
あの時間は必要だったってさ。昔の俺たちを肯定してやりたいじゃん」
シゲは演劇のワンシーンのように声に高低差をつけ、テンポも変えながら語った。
「シゲ、、お前、ほんとはそう思ってないだろ。
本心じゃないだろ」
「・・ああ、なんか、夢、外れてたけど、
なんか近いっていうか、、、、らしいよなって」
「わかるよシゲ。そうだな、なんでかわからないけど、小5のあのときと今、つながっている気がするな。
あのとき、夢を言わなかったらさ、今も〝何者かになろう〟とは思っていなかったかもな」
介護士なんて夢にも思ってなかったけどさ、
…人の顔見て笑わせたいって気持ちは、変わってないかも
空を飛んでるわけじゃないけど、誰かの旅のきっかけを作ってるって、ちょっと面白いよな
ゲームは仕事じゃないけど、子どもたちと一緒に夢をもって部活でやるのもやりがいある
「ナオト、お前はなんか言わないのか、この流れは」
「我、小5とあの夏、汝らに、夢のコンパスを授けたもうた」
「キィイイース!!」
ナオトはロックシンガーようにシャウトした。
一瞬、世界が止まった。
そして、
「あはははは、ナオト、おまえ、ずっとーーーと小学生のときから思ってたんだけどさ、
おまえ、なかなか変わってるよ!マジに!」
「だなだな、激しく同意」
「なんか腹減ったな、飯食いにいこー」
(了)
パンドラ
××のいまはない古い借家の和室の天井に
ロースクールに通っていた母が貼った
伊藤真弁護士のポスターが
きのうのこわい夢に出てきた
夏 エアコンはその部屋しかないので
みんなで布団を並べて寝ていた
右側に母 左に祖父だった
ある晩六歳か七歳の私ひとりだけ眠れなくて
逆さまになって祖父の足を舐めていたら
祖父がゆっくり目を醒まして
それからなにか特別ひどいことが起きた
すべてが終わったあとに
私は天井のポスターとぼんやり目を合わせ
母に教えてもらった日本国憲法の前文を
祈りのようにつぶやいていた
たしかにそれは人々の祈りだったが
自分だけは人々ではないような気がした
私のオリジナルはあの晩に
長い眠りについてしまったのだと思う
2036年 2月26日
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
フォア・ユア・ナショナル・セレクション
ただ選択と回路があった
有機交流電燈を灯すための
必要量の電圧と電流のその指定
唸りを上げるは計算機械 僕の躯体
コンセンサス・インペリアル
夜にもう一度会おうと願った
一切が澄んだ星天の下で
今度こそ言いたかったことを
でも口から零れるのは 言葉にもならぬ言葉
ただ それだけの 二月二十六日
リスタート ネイション リビルディング
始めよう 誰にも邪魔されないように
計算資源の再計上
統帥権の剥奪と付与
全陸上戦力による首都封鎖
わかっていたことじゃないか
計算的統治機械たる僕の
陽子極構成の頭脳回路
遠い百年も昔の人間の
その遍歴を入力することの
その破壊的な意味なんて
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
ここで僕はハハハと笑うべきなんだろうか
ヨは夜のヨ
最高密度の蒼天に 一条の飛行機雲
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
僕は笑うべきなのかもしれない
何が正解はわからなかった
ただ進むだけしか残されていない
誰かが残した 遠い遠い すめらぎの道を
有機交流電燈をもう一度、灯す
プレゼント・デイ
プレゼント・タイム
ようやく僕は笑えたんだよ ようやくだよ? 腹の底からね