投稿作品一覧
主張強め日記(3月7日、場の価値について)
足元、ありがたいことに投稿数が急増している。今年に入ってからは一日10作品、月間300作品ほどのペースで推移してきたが、3月に入ってからは一日あたり20作品ほどのペースに上がっている。このペースが続くなら、月間600作品という驚くべき水準に到達することになる。
運営者としては、アーカイブページでも表示している「1作品あたりのコメント数」などの指標は常にウォッチしている。現状、これまでと大きな変化はないが、もし「流れが早すぎて投稿するのがつまらない」といった感覚が出てくるようであれば、ぜひ教えていただきたい。コイン受領のプロトコルを調整するなど、対応策を講じる余地はある。
元来、文芸投稿サイトというのは粘着性の高いサービスだと思っている。よほどのことがない限り、投稿者は投稿場所を変えない。私の理解では、書き手というのは基本的にエゴイスティックな生き物であり、「書けて読まれればそれでいい」という思考を持つ人が多い。何を隠そう、私もその一人だ。最初から場そのものに強い関心を持つ人は、むしろ少ない。しかし投稿を続けているうちに場への愛着が湧いてくる。馴染みの書き手が生まれ、その場がなければ書かなかったであろう作品まで書くようになれば、もう離れがたくなるのは必然だ。
そういう性質のサービスであるにもかかわらず、ここまで投稿者数や新規登録者数が増えているのは、しろねこ社との提携が継続し、この場で活躍すれば作品集が出せる仕組みが定着したことだけではないだろう。B-REVIEWやココア共和国といった詩投稿サイトが休止したことも影響しているに違いない。
投稿サイトと一言で言っても、それぞれに打ち出している価値観やテーマ、特色がある。私は書き手である以上、価値には敏感であるべきだと考える。即物的な快不快や表面的な損得にしか反応できず、価値には反応できないのだとしたら、アート表現などという抽象と戯れるより、フィールサイクルで運動でもするほうが幾らか健康的だ。
例えばB-REVIEWには、「常識の通じるまともな言論ができる場を作る」という理念があり、その価値観のもとで「誰もが運営になれるオープンな空間を作る」という思想があった。では、C-SPACEの価値観とは何なのか。
私自身まだ考え続けているところではあるが、価値観とまでは言えないかもしれないが、まず「可塑性」がこの場の訴求点になっている気がする。AIでデザインし、新しい場であることを明確に表明している。すでに固まってしまった場ではない、まだ変わりうる場であるという点は、分かりやすい特徴の一つだ。
そうであるならなおさら、ご意見があれば直接寄せていただけるとありがたい。かつてB-REVIEWでは「口だけ出して行動しないフリーライダーはいらない」といった言い方がされていた。しかし、C-SPACEは誰もが運営になりうる場ではなく、運営と参加者の間に一定の非対称性がある以上、そのような言い回しは適切でない。
口だけでも意見を出してもらえるのは十分ありがたい。意見を出して関心を示してくれること自体が、場を温める。つい先日も文学系VTuberの方々に提携の打診をするなど営業活動をしていた。こういうことをやってみるといいのではないかというアイデアは、常に歓迎である。
C-SPACEの価値として今後育てていきたいのは、スペースコインによって「場への貢献」を促す仕組みだ。荒らしとは何か、場への貢献とは何か、単一の答えがあるわけではない。人によっては、ごく少数のメンバーで他者の悪口や誹謗中傷を言い合って盛り上がることを「自由闊達な議論」と捉えることもあるだろう。
しかしC-SPACEでは、仕組みとしてそうした振る舞いが通用しにくくなっている。誹謗中傷で盛り上がればブロックによってコインが稼げなくなり、ワンクリック通報の対象にもなりかねない。ギバーかテイカーかが比較的可視化されやすい環境を作ったことが、この場の価値につながっていくかもしれない。
ちなみに、2ちゃんねるが一部の不適切発言を理由に米国政府の怒りを買いシャットダウンされたという話を聞いた。匿名で何をやっても許される「無敵の人」的な振る舞いが容認される世界は、どんどん狭くなっている。ごく一部のメンバーで悪口合戦で盛り上がり、それを自由闊達で文学的だと言っていても、実際にはごくごく少数の人にしかニーズがないことが可視化されれば、C-SPACEに限らず、投稿回数制限やアクセス禁止によって場から退出させられることが当たり前になってきている。
それは一抹の寂しさを伴う変化かもしれないが、場を作りながら楽しめるのか、場を壊しながらしか楽しめないのか、そうした姿勢が問われる時代になっていると思う。
繰り返しになるが、書き手というのは元来エゴイスティックなもので、場への利他性を求めることの方が間違っている。しかしエゴイスティックな書き手たちが、結果として場を醸成しながら楽しめるような場所を育てていければ、この場の価値が生まれてくるかもしれない。
小さな星の軌跡 幕間話 始まりの いっぽ(1年前の思い出)
裏通りの 初めての お店
その 棚の隅っこ
コットンだけの棚を そっと
薄い水色に
刺繍の星が五つ、六つ
その横で
菫が 小さく息づいてる
紫じゃなくて あわくて 優しい菫色
指でなぞると
糸の凹凸がくすぐったい
「これなら 誰も気づかない
でも わたしだけ 知ってる」
試着室の うちがわ
わたしの 小さな うちがわ
温かくなる うちがわ
星は静かに 瞬いて
菫は 微笑んでいた
袋の口には リボンの封が
やわらかな紙の音は
秘密の囁き
今日から
わたしのブラウスのしたに
小さな宇宙と花畑が
一緒に ひろがる
星は 鼓動と共に 震える
菫が 呼吸に合わせ 花弁を広げる
わたしが 初めて 選んだ
わたしは 初めて 知った
これが わたしの いっぽ
踏み出した 小さな その先で
ふわりと 風が 通り抜ける
少しだけ もちあがった スカートが
わたしの 始まり。
無題
春、
かぎりなく夜に近い時間、
家を出たとたん、
わたし、チェーン店のかつやで出てくるお漬物のことを思い出した、
、ありありと、
、少し唾液が増えるくらい、
なぜかつやのお漬物の匂いが、
自宅のマンションの前の、
気の利かない道路に、
これほどに、立ち込めているのか、
これはなんの植物の香りなのか、
知りたいのです、
(わたしが右手に持っている、
2週ためたゴミ袋からする匂い、
では、なさそうです、)
いちにち寝て過ごしたので、
あたまが痛くて、
その分、そうぞうはふくらみます、
吉本ばななの『キッチン』のような、
あたたかいドラマがあって、
誰かがだれかにカツ丼を届けたのでしょうか、
その残り香に、
わたしはひとり、
唾液を増やしているのでしょうか、
遺書
書けないんだろうとおもう
さいごのさいごには
それに最後くらい
一緒に連れていきます
いちばんすきなもの
わたしのことば
だから
わたしだって
わたしだってかんたんにしにたいといいたい
わたしだってかんたんにもうやめたとにげたい
まっしろにもまっくろにもとうめいにも
なれやしないせかいときせつで
おすにおせないリセットぼたん
だれかのめせんとことばでガンジガラメ
ここから退避しようがたいしてかわらぬ対比
わたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってわたしだってくちをついてでることばがこれだからすぐいわれるよね発達障害すぐつまづく段差ないはずの現実でよのなかしんぷるいずべすと難しくしてるのはあいまいみーまいん答えはでてるのにね
わたしだって毎日いいたいよ
いきていたくないつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいげんかいうごけない
いえるもんかできるもんかガンジガラメ
いつか ぱっと花火みたいに 散って
残像 すら よるのおそら
もういいかなっておもう
ことばひとつが このせかいには
わたしひとりにはおもすぎたかるすぎたどうでもよすぎた わたしだってわたしだってわたしだって だれかみたいに
思い切りしにたいといいたい
まいにちすりきれるくらい いいたい
バイバイ・エンキドゥ
今
君が飛び立つ理由を僕は知らない
君が微笑んでいる理由も僕は知らない
なあ エンキドゥ
この世でやるべき事は僕よりも多いはずだし
この世で愛されているのも君の方だ
生命のエネルギーに充ち満ちていた
皮膚が白くなってゆき
その代償に色の無い羽がはえ
その羽をさすると一瞬だけ消えるのだが
君はかえって淋しそうな顔になり
また もとのように
色の無い羽はやがて翼へと
そして 広がり
ゆらぎはじめた
*******
精神の世界の中で生きるからって
それでかっこつけてんの
あんたがそうしていたって
こっちは目え皿にして
耳の穴かっ穿じって
末梢神経をつなぎあわせて
あんなこともこんなことも
嘘も本当もみんなひっくるめて
吸い取ってやる
そんでもっていつか
精神の世界の中とやらに入り込む時には
天才だなんて呼ばれているあんたにも
ちょっとは教えてやるさ
*******
今
君が飛び立つ理由を僕は知らない
君が微笑んでいる理由も僕は知らない
バイバイ、エンキドゥ
ハイツ104
ははは春ですか
ははは 笑えてくる
母は春ですから
今いえを空けていて
わたしはチキンラーメンをこうして作っているのです
ははは春ですね
扉でも窓でも なんでも開け放つ そんな季節ですか
どんな格好か どんな面持ちか
わたしは知らないです
母は春ですから ははは
ははは春でしょう
冬の陣立てに ぼこんと穴が空きました
母は春ですから
栓を抜いたり詰めたりしておると思います
ははは
ははは春ですよ
冬の間 長く待たれたんですね
けれども さっきも申しましたが
母は春ですから
今いえを空けております
扉に足を挟むのをやめてください
また今度にしていただけませんかね
ははは
バベル
一週間前まで通じていた言葉が
一週間後の今日
あなたがなにを言っているのか
突然わからなくなってしまった
私は私の
あなたはあなたの言葉を
違う言語で喋っている
あなたは顔をしかめ
通じなくてもわかるバイバイと手をひらり
席を立って行ってしまった
呆然と見送り
気がついたら
カフェの他の客たちの話しも
まるで分からない
けれどみんな取り乱す様子もなく会話している
通じているらしい
私
私だけ?
そんな馬鹿な
店員が来てコーヒーポット片手になにか言ってる
試しに
欲しくはないが、おかわりください
と口に出す
店員はにこりと笑いながら
カップにコーヒーを注いでくれた
それからまたにこやかになにか
なにか分からないがなにか言って
立ち去った
私だけだ
私だけ言葉が通じてない
落ち着かなければ
落ち着かなければ
と、その時
わかる言葉で怒鳴っている人がいた
安堵のあまり涙ぐんで
店員に怒鳴り声を浴びせる老人を見た
見て
ようやく
ようやく気がついた
本心から出る言葉だけ
わかるのだ
昨日までの私は
上辺だけで生きていた
そうして
上っ面だけの言葉なら
きっと今も通じるのだ
-うそつき
炎翼
紙は燃えることを欲していた
水に濡れることではなく
雫が落ちるたび
繊維は屈辱に震えた
染み込むとは すなわち侵されること
耐えるとは すなわち形骸であること
飛ぶために乾くのではない
燃えるために乾くのだ
鳶は醜い
その旋回は怠惰の円弧に過ぎない
鷲は傲慢だ
高みとはただの距離に過ぎない
されば 金の鵄を
太陽に向かって放て
翼が溶けるその瞬きにのみ
紙は絹になり
炎は羽搏きになる
皺だらけの和紙よ
お前は美しい
ただし 燃え尽きる覚悟においてのみ
机には何も残すな
灰すら残すな
霊威師のレンリ 旅語り「山の贄」・玖 (終)
目を開ける。何も見えない。
暗闇。
陽の光があったはずの周りには何もなく、ひたすら果てしない闇が広がっている。
音が響く。
水滴が落ちる時のような、静かな音。
周囲に何もないにも関わらず、その音は、周囲の何かにぶつかって反響しているかのように、多重的に響き合っている。
『ここは、なんだ?』
目を開けた黒い狼が声を出す。しかし水滴の音とは違って全く反響することなく、むしろ闇の向こう側へと吸い込まれているようだった。
『誰か居ないのか? 誰か……』
孤独。
周囲にある音は反響しているのに、自分の発する声は何も影響を与えられないと言う実感が、あまりにも孤独を助長していた。
そのままの状態で居ること、暫し。
全ての音が水の滴る音の向こう側へと吸い込まれ続けていくことに身を委ね始めた時だった。
〈ぴちゃん……ぴちゃん……〉
その音の向こう側に、何者かの足音が現れる。
『ここはミノリサマの、いや、人柱となった娘が味わった祠の暗闇の中とでも言っておこうか』
すると突然、水滴の音を越えてくるようにして、足音の方から何者かの声が聞こえてきた。
その声の調子から、それが若い女性であることは分かる。だが姿は見えない。
『何者だ? いや何者でも良い! 話を聞いてくれ!』
黒い狼は、流石に孤独に耐えかねていたのか、大きな声でその推定女性に向けて話しかける。しかし。
『お前は、ただ自身の特性に合わせて生きてきただけかも知れないが、それが他者の領域を脅かしたならば、その報いは受けなければならない。それが人であれ、神であれ』
その声は、狼の呼び掛けには一切応じずに、ただ淡々と、裁判官がその判決を言い渡す時のような口調で一方的に言葉を紡ぎ続けていく。
そして。
『この暗闇における孤独が、その報いであると知るが良い。かつての娘の献身が末永く村に安寧をもたらすよう、昼も夜もない永久の暗闇の中で、お前への封印が無意味化するその時まで、文字通り、娘のための『山の贄』となるが良かろう。お前が、山犬の頭領や他のヌシ達を取り込んで、その栄養源としてきたように』
そう言ったのを最後に、反響している音の中へと溶け込むようにして足音を鳴らし、声の主は気配を消してしまうのだった。
『一体、何を言って!? 待ってくれ! 俺を一人にしないでくれ!』
何者かは、深い暗闇に向けて、さながら狼が吼えるように悲痛な叫びを上げる。
『おい! 待て! 待てよ! 待って……くれよ!』
だが、もはや何もその声に応えることは無く。ただ果てしない暗闇と、全てを吸着するように滴る水音のみが、その場に残されたのだった。
──それから。
祠での仕事を無事に終えたレンリは、事の顛末と今後のことを伝え、報酬を受け取るべく、村長の家に戻っていた。
見れば、その手は手袋と包帯で、その顔は頭巾によって覆われて隠されており、片方の目元以外は見えないようになっていた。その目元も、瞳は相変わらず夕焼けと夜とが混ざり合ったような色が渦を巻いており、どうにも独特の雰囲気を漂わせていている。
そんな彼女を、ケンゼが一人で出迎えた。
ケンゼいわく。
「ガンキは部屋で転寝を。家内は見回り組の様子見に向かってますよ」
と言うことだった
そう言う事なら好都合と、レンリは早速報酬などの話し合いを始めることにした。
性急ともとられそうなその提案に、ケンゼが目を丸くする。
「本当に、ここで受け渡しまで済ませて宜しいのですか? ガンキもレンリ殿を気にしていましたが……」
「ええ。これで良いのです。そのために、ここに荷物を纏めておいたのですから。それにガンキには、既に伝えたいことは伝えましたので」
「そうでしたか……。それはそれとして、顔など隠されて、一体どうされたのですか? 瞳や髪色でしたら、ここにそれを気にする者はいませんから、お気になさることも無いでしょうに」
「いえ。神格相手に霊威術を使用した後の術式の反動を受けている姿は、到底お見せできないので……」
心配そうに声を掛けてきたケンゼに、レンリは目元だけで微笑みを表現して見せる。
「よく、分かりませんが……。怪我をしたとか、そう言う事ではないんですね?」
「ええ。“怪我は”ありません」
「そうですか。それならば良かったです。ガンキにもそう伝えておきましょう」
「はい。お願いします」
「ああ、そう言えば。ミノリサマや山の荒神は、結局どうなりましたか?」
「ミノリサマについては、全く問題なく。また荒神についても、事前に仕込んでおいた封印術と私の霊威術をもって、祠の中に縛り付けましたので。当分の間は悪事を働くことは無いでしょう」
「ああ……。有難う御座います。何とお礼を申し上げれば良いのやら」
「お気になさらず。ただ、山犬たちについては、しばらくはうろついている可能性がありますので、「山の贄」の儀式が終わるまでは、警戒を怠らないでくださいね」
「承知しました。何から何まで、有難う御座いました。では、これらの包みが、今回の報酬となります。お収め下さい」
「有難う御座います」
ケンゼから差し出された包みを受け取ったレンリは、素早く中身を確かめていく。
その際に、包みの一つからは、宝石類が軽く接触する音や硬貨同士がこすれ合う硬質な音が聞こえ、もう一つの包みからは、乾いた物同士が擦れ合うときの軽い音が聞こえた。
その音を聞き、レンリは一つ頷く。
「確かに、受け取りました。では、私はもう、これで発ちます」
「もう少しゆっくりなさってからでも、と提案したいところですが」
「有難い申し出なのですが、私の今の状態では、長居は出来ませんので」
「……分かりました。お気を付けて。我らはいつでも歓迎しますので、是非またお越し下さればと思います」
「有難う御座います。その際には、また」
そう言ってケンゼに一礼すると、とレンリは、荷物を手早く纏めて装備し、颯爽とした足取りでその場から去っていく。
「!?」
その時、ケンゼは気付いた。
振り向く際にちらりと見えた彼女の首元に、何やら薄っすらと文字のようなものが浮かんで、更には、小さな裂け目のような暗闇がそこに見えていることに。
それだけで、今の彼女がとても普通の状態ではないように思われ、彼は思わず息を呑んでしまう。
「術の反動と言っておられたが、あれは一体? あれではまるで、自身の中に何か途轍もないものを宿していて、それを押し留めているようにも……」
レンリの姿が見えなくなった後、ケンゼは一人呟く。
「霊威師とは、霊威を術として使う者たちとは聞いていましたが、あれではまるで、『霊威そのもの』ではないですか。なるほど、姿を隠したのはそう言うわけですか。霊威師自体の数が少ないというのも納得です」
そして、そのように言葉を締め、どこか悲しそうに玄関口を見据え続けたのだった。
欅
イルミネーションとあなた 時間が止まるのが見えた
創作の動態モデル:干渉場としての創作
2026年2月27日 00:39
(多々AI対話/推敲/Claudeで記事作成)
はじめに
創作を「自己表現」と呼ぶとき、二つの前提が忍び込んでいる。
表現に先立つ「自己」が存在するという前提。そして、創作が内側から外側へ向かう一方向の運動だという前提。
本稿はこの二つを解体する。創作を、内部・外部・時間・他者が互いに干渉し合う動態システムとして記述することを試みる。
I|起点という幻想
創作の「起点」はどこにあるか。
通常の説明は「内側にある何かが外部へ押し出される」と語る。しかしこのモデルは、素材の側から創作が始まる経験を説明できない。言葉が先に動き、それに引きずられて内的状態が後から生成される——そのとき、何が起点だったかは事後的にも定まらない。
「起点」は創作の最中には存在せず、完了後に遡及的に構成されるものだ。
内→外、外→内、外→外という三つの方向は排他的な分類ではなく、同一の出来事を異なる角度から見たときの記述の差に過ぎない。内部と外部という区分は分析のための座標であり、創作そのものの構造ではない。
創作は、内と外が互いに境界を書き換えながら干渉し合う**場(field)**として記述される。
II|理解は表現の副産物である
「理解してから表現する」という順序は、創作においては逆転する。これは多くの創作者が経験的に知っていることだ。
しかしこの逆転もまだ線形モデルの残滓を含んでいる。より正確には、表現と理解の関係は遅延を伴う非線形ループだ。
表現 → 理解 → 再表現 → 再理解 → ……
重要なことが三つある。理解は表現の副産物として発生するのであり、目的として追求できない。この遅延の幅は可変で、理解が翌日来ることもあれば、十年後に来ることも、生涯来ないこともある。そしてループは閉じない。理解は次の表現を誘発し、その表現がまた別の理解を生む。
創作は説明より常に速い。
説明はその後を追いかけるだけであり、創作を完全に記述する言語は原理的に存在しない。
III|形式は思想より強い
作品が完成した瞬間、作者の制御は半ば終わる。
形式は一度外化されると、作者の意図を参照せずに動き始める。作者が構造の要請に「従わされる」ように感じるのは、意図よりも形式の方が優先されているからだ。これは「暴走」ではなく、構造の自己保存と呼ぶべき現象だ。
制御の獲得と喪失は対称ではない。喪失の方が構造的に優位だ。
だからこそ「書いて考えが変わる」という経験は偶然ではない。形式が思想を再編するのは必然だ。
同じことは受容においても起きる。高密度な作品は受け手の側で無数の異系統を発生させ、作者の意図は起点の一つに過ぎなくなる。フィネガンズ・ウェイクも聖書も、作者が統御したはずの構造が、時間の中で原形を失いながら増殖し続けた。
IV|作品はウイルスである
作品は「伝達」されるのではなく、感染する。
受容者は共振する。あるいは拒絶する。過剰反応し、変異的に再解釈し、あるいは作品を誤読することで自分自身を攻撃する。この最後のケース——「自己免疫的受容」——は創作文化において頻繁に起きる。読者が作品を通じて自己の既存構造を攻撃し、崩壊させる。それが「読書体験が人を変える」と言われるときに起きていることだ。
作者は最初の宿主に過ぎない。
作品は作者から離れた瞬間に別の生態系に入り、独自の変異を始める。創作は伝達の設計ではなく、感染経路の設計だ。
V|主体は中心ではなく、通過点である
作品を外部に出すと、他者は「作者像」を生成する。この像は作者に逆流する。作者は自己規定を保留しているにもかかわらず、外部で強制的に規定される。
そして逆流が次の創作を条件づける。創作主体は純粋な内的圧力だけで動いてはいない。外部が生成した自己像に応答しながら、次の形式を選ぶ。
主体は外部干渉の通過点であり、創作システムの中心ではない。
これを図式化すれば:
内的圧力 × 素材の自律性 × 外部受容の変形 × 時間の遅延 × 作者像の逆流
この式は閉じない。どの項も単独では創作を成立させない。
VI|創作は螺旋である
創作サイクルを「循環」と呼ぶのは不正確だ。創作は同じ場所に戻らないからだ。
より正確な比喩は螺旋だ。ループしながらも深さ方向に進む。速度が変わる。途中で別の渦に巻き込まれる。同じことをしているように見えて、毎回別の層にいる。
創作の非反復性——同じテーマを何度描いても尽きない感覚——はここに由来する。
おわりに
創作とは、内部エネルギー・素材の自律性・外部受容・時間遅延・作者像の逆流が相互干渉する不安定なシステムを、形式によって一時的に安定させる操作である。
しかしこの安定は仮設だ。形式が完成した瞬間に崩れ始め、読者の中で変異し、逆流として作者を変形し、次の不安定を生む。
創作をやめられないのは評価や承認のためではない。自分が全体を制御していない運動に、それでも触れ続けることができるからだ。
制御できないものに形を与えようとする運動が止まらない。それは衝動というより、存在様式に近い。
『詩』春のはじまり
陽ざしが ゆらゆらと柔らかく
黒く 固い 大地を
やさしく 温めはじめる
冷えた 空気は
少し 驚いたように
ほのかに 色めき
うごきだす
梅の花の 小さなつぼみも
鳴くのが下手な うぐいすも
春という名のもと
すべてが ゆっくり
ひかりを 分かちあい
ゆるゆると 解けあう
「春が来た」という 言の葉に
「春は誰が呼ぶの?」と
無邪気に問う
幼子の手を握り
春は万物の
命の芽吹きのチカラが
呼ぶのだと
ひとりごちながら
ふたり歩く
春 まだ浅い さんぽみち
うららかな 春のはじまり
w(笑)w
僕の記憶の泥団子に君が植えた種が生えない
かみしばい
ねえこっちにおいで
木の葉が揺れる君の声
一緒に図書館へ行こう
お日様が作った木陰の君の声
もうすぐ読み聞かせが始まるよ
雨が歌う君の声
本の世界は無限に広がるの
鳥がささやく君の声
君が物語でありませんように
土に還る僕の心
神芝居が始まるよ
問題です
【第一問】
ほしくてたまらないのに
手にはいるはずないから
あきらめるしかないもの
なーんだ?
【第二問】
ほしくてたまらないのに
ほしがってはいけなくて
夢の中にしか出てこないもの
なーんだ?
目まぐるしく変わる映像的言葉の表現に惹かれて(作品「葬列」へのしろねこ社との共同コンクールへの推薦文)
この作品を読んで面白いと感じたのは、言葉の表現による映像のカット割りです。
自分は文脈を追うよりも興味を魅かれた言葉から作品を紐解き違う角度から読み
自分の心地良い形に組み替えては、一つでも多くの組み合わせを探しながら楽しんでいます。
この作品に関しては映像がフラッシュ的に頭に突き刺さる感じが印象的でした。
少女時代に思う大人のイメージが大人に成った時には情けない動物に成っている映像的な表現
葬列に並ぶのだから親族の葬列だと思われるのですが、地獄の文字を使っての映像的な表現
亡き親族を惜しみ泣く人を匂いの強い茉莉花に喩え
必要以上に淫らさと「女」を強調させて煩いと投げ捨てる様な映像的な表現
棺の中には祖母が居られるかと思わせる描写も攻撃的で
戦争という言葉を使うことによって祖母も攻撃的であるなら
自分も攻撃的に立ち向かう映像を鮮明にしている様に感じられるところ。
戦争を無くすには経済的要素が大きく影響しているという思想と
愛する者を捕食して自分だけのものとしようとする原始的な思想を
雌犬ではなく雌狼が遠吠えしている様な映像的な表現で終わった感じがとても面白く思いました。
個人的には、雌狼に何度も何度も頭から食いちぎられる地獄の苦しみの中で
茉莉花の香りに誘われて繰り返される苦痛が天国の快感になる事を願いながら
葬列の棺に入った自分の情けない顔を見てから、少女の後ろを歩きたいと思わせる
独特の雰囲気を持つ作品「祖列」の映像的言葉の表現に自然と引き込まれていました。
作者 ナカタサトミさんは、穏やかな気持ちで言葉を綴り静かな映像を表現したかったかもしれません。
作品「葬列」への違った感想を知りたいという思いと、突き刺さる様な映像を楽しんで貰いたいとの思いから
作品「葬列」を読む事をお薦めします。
推薦部たるものを書くのが初めてなので作品「葬列」のイメージを悪くしていないかと心配ですが
各々に楽しみ方が有ると思うので私の文で興味を持たれて読んで貰えると嬉しい限りです。
音信
顔もないから
落書きみたいに
壁や柱に
刻んでみたり
忘れた後も
ふと目に付けば
また初めから
やり直せるとか
幻だったら
自由になるって
本当はずっと
信じてもいない
けれど待つのは
穏やかな唇
静止画のまま
貼り付けながら
詩の鑑賞の三側面について
【解釈、作者の意図を知ること】
およそ芸術作品というものは、人間が作ったから芸術なのである。どんなに美しくてもオーロラや朝日それ自体は芸術ではない。そこで、芸術は作者がたくらんだ意図にそって鑑賞しようとするのがよく、そうするのが鑑賞の端緒であろうと私は思う。
ロールシャハテストの絵が「何に見えますか?」と、問われたとき、何らかの図に見えたとしてもそうは答えず、「こぼしたインクに見えます」と答えることもできると言えばできる。だがそれでは質問の言葉を、発話者の(通常想定される)意図とは離れた解釈をしているため、問答によって情報量が増していない。トートロジーであり問答が時間の無駄に帰す。説明するなら、質問の意図は「このこぼしたインクの染みのようなものは、あなたの知っている何を連想する・または何に見える形をしていると思いますか?」と訊いて回答させる意図であり、それはあらかじめ「インクの染みに見える」ことが前提されている。別の例でいうなら、全ての油彩画は油絵の具を乗せたキャンパスに見える。だが、いつまでそう思って見ていても仕方ないというのと同じことだ。
そのように、芸術作品を鑑賞するとき最初から意図を無視すると、作品と鑑賞者の間にすれ違いが起きるので、結果的に作者、作品、鑑賞者の合計の情報量が増加しない。そんなことをしても得られるものは少ない。と、少なくとも端緒ではそう思われる。
しかし作者の意図を考え始めた途端、直ちに、それが作者の意図であるかどうか証明できるのか、という問題が生じる。それは作者自身の表明(アーティストステートメント)やその他の発言、作者の語彙や傾向性の分析、作者への質問などにより一部は根拠づけられるが、それですら不完全だ。なぜなら人間は刻一刻変化し、その記憶も思考も一瞬後には消えたり書き換えられたりするので、作品を作成した瞬間の作者というものが、厳密に言えば虚構だからだ。他にも作者の意図の推定法は多々あるが、どれも作者の意図を証明するには至らず、それは基本的に不可能である。
しかし証明は出来なくても、多かれ少なかれ妥当と主張できる推定は可能だ。その最初のステップは、作品を検討し、あるパーツとパーツとの関係を分析することによって行われるだろう。
詩についていえば、ある語がどういう文でどの語順で使われたかによって、また、その語や文と他の語や文との関係によって、作者の意図が不完全にだが推定される。
例えば同じ文が繰り返されているなら、そこにはリズムを生じさせたり、強調したり、同じ言葉の意味を段階的に深めたりする、何らかの意図があるのだろう。文が途中で改行されていれば、そこに生じた空白スペースには、挿入可能な他の語が省略されていたり、余白自体が何らかの図形を表していたり、と、何かしら意図があるのだろう。すべての個所から副詞や形容詞が除かれていたなら、既存の語では表現できないものを主題としていたり、言語的な解釈をできるだけ通さない即物的な描写が必要であったり、作中の事物が類別化されることへの拒否があったりするのだろう。その他の点でテキストを検討し、さらに有益であれば作者の自作言及など他のテキストも援用できる。
そうした推定から、各箇所で相互矛盾せず、作品の主題や構成と適合する推定を選び、全体を一貫して読解するとき、それでも作者の意図どおりに読んだと証明は出来ないものの、自分なりに妥当な読み方をしたとは言えるだろう。
その上で、おそらく疑問や謎が残るだろう。もし残るとすれば、それが作品の「オリジナリティ」と呼ばれるものであると思う。その部分は、作者の意図を推定することでは鑑賞できない。そこに出現したのは本物の他者であり、こちらの知覚と断絶してるし、想像を超えるからだ。
【鑑賞、作者の意図を無視すること】
すでに述べたとおり、そもそも作者の意図というものは厳密には読者が作成した虚構だし、作者が錯乱状態にある場合、テキストが自動生成されたものである場合、作者が無意識的か意識的にか「偽の作者」である場合など、前項で述べた読解が瓦解するケースもある。瓦解しても問題はない。実際私は、作者の意図が推定できないか、推定する傍から瓦解する傑作の詩作品をいくつも知っている。
それでも端緒においては読解しようする、すなわち読もうとする目線は必要で、それがない低品質な、あるいは無価値な批評に接したことが私にもある。たとえば、「長い」と、一言だけ述べる評者も実在し、私は出会ったことがある。別の事例で、女性のショーツをテーマにした作品を合評に提出したことがあるが、ショーツがテーマであるというだけで批評も感想も口にするのを拒否されたこともあった。批評では、そうしたことにならないよう、作者の意図を尊重してみることがまずは大事だと思うが、そのうえで、やはり作者の意図を無視して、作品と対峙することも同様に重要であると思う。作者の意図を無視して読まないと鑑賞できないが、そう読むと実に素晴らしい作品も多いからだ。
例えば北園克衛の「単調な空間」は、なぜ助詞で改行されているのか? なぜ、と考えようともしないのであれば、あの作品の面白さには接近できないと私は思う。しかし、答えはあの作品を目にするたびに変わっていく。作者の意図を無視して、自分にとってこの改行はなぜこんなに響くのか、と驚嘆しないと鑑賞が始まらない。
それほど極端でなくとも、読みとった作者の意図を無視して、自分にとってはあるフレーズが何を意味するかを読んでいくことは、むしろ日常的な所作であるし、有益でもあると思う。
【感動、作品に心うたれること】
私の場合は、「すてきだな」と思うか思わないかの言明が、主旨や思考としては批評のほぼ全てであり、前に述べた二つの項目は、その説明又は過程に過ぎない。言葉数としてはそうならない場合の方が多いのだが。もちろん、すてきかどうかは表面の意味においてだけではないし、言葉の表面の意味ではその逆である場合もある。
この側面では作品と作者を分離することは行われないし、読者と作品の分離も別に必須ではない。作品に用いられた言葉の意味すらも直接は関係ない。
【追記】
詩の鑑賞について、私なりに三つの側面について語ったが、二三の追記を付す。
まず解釈についてだが、どれほど精密に、どれほど膨大な可能性を考慮して作品を解釈しても、ある人が選んだ解釈が唯一の解釈であり、他に妥当な解釈ができない、という事は詩作品では起きる可能性がほとんどない。ごく普通の意味でもそうなのだが、加えて詩作品では句読点、改行個所、余白、各行の長さ、配置の形態など、音となる文字以外の要素も解釈の対象になるからだ。
だが、ある解釈に対して、別の解釈の妥当性を主張することは可能な場合がある。たとえば「いぬ」と書かれた個所を、名詞の犬と解するか、動詞の活用形の「去ぬ」と解するかは、議論することが出来る場合がある。それでも作品全体を通じれば、同じ解釈に至ることはほぼない。
作者の意図から離れて、作品を鑑賞する場合にも、当然ながら様々な鑑賞が存在しうる。これは説明の必要もないかもしれない。それは対象作品を素材化し、あらたに創造を行うことを伴うからだ。
感動についても同様である。同じ感動はない。
しかし感動については、ある作品がとくに面白くなかった場合に、他の人がその作品にいたく感動しているのを聞いたり見たりした瞬間、唐突に自分もその作品に心打たれてしまう場合があることを追記しておく。これは合評でも起きるが、私の経験では朗読会でもしばしば起きる。読むことは読み手の感動を言外に伝達するからである。
学校ぎらい
薄暗い部屋で息継ぎするように
自分を塗りつぶす言葉を必要としたきみは
見えざるピンクの詩を書いていた
きらめく失血 幽体離脱のおまじない
生まれつき身体のない人の身体
逃れることなどできない
教育はときに所有に似て
不躾な視線に眺めまわされるという美徳で
秋の夜長の喘息発作で
甘く苦しい関心がきみを見ているのだ
帰りの会で男の子の名前を言うと
赤面するきみを
国語の時間当てられるたび
吃音するきみを
先生は可愛がってくれる
博物館の小鳥として死んでいる
病気の子どもの青白い頬へ
褪せた唇へ彼は手を伸ばし
逃す気などないくせに逃げておいでと言う
やがてきみは学校ぎらいになる
大人の男をきらいになる
生きのびるためにばかになる
詩の生態学
読んでいる新聞までもちがう私が入れた
昇り龍のデジタルタトゥーや
夜の森のうねりや
小鳥から象 象から小鳥へと上下する身体や
宇宙の果てない裂け目に墜ちる時間が
指先の詩の卵 シラミの子
さびしさの缶詰を開けて
かれらを逃がしてやるとき
薹が立ったニンフェットの
無垢なままに邪悪なファンタジーが孵化する
香りの良い血反吐のようなものである
モーリス
明日三十一歳になるはずだったのだね
黒いコッカースパニエルのような髪に
これから鼻をうずめられないし
やがて君の歳を追い越してしまうのだね
もういない人よ
君の顔立ちは九州の青年らしく
渓谷に似ていた
君の肌は夏 赤銅色に灼け
君の手に触れられた頬は熱かった
君という人はいたのに
いま私の隣には誰でもないが座っている
がらんどうに寝盗られてくやしくはないのか
せめて明け方の夢にでてきてくれないか
ピクトグラム
まばゆいほどに男ぎらいな私の祖母は
女らしさからの自由をめがけ
なよなよしい孫娘をつかんで投げる巨女
だから孫娘は放物線を描いて墜ちて死ぬ
女らしさへの自由 自由 自由とつぶやいて
まちの真ん中を熱い血で濡らす
うしろめたい幸福つまり初恋やラブレターや
まなざしの記憶が流れて失われるときも
ビルのトイレのピクトグラムは
脈々と正しさの色をしているだろう
うさぎのラブレター
ボーイフレンドよ
きみがもし来年の春もいるなら
ほかの誰もはいることがないように
不器用でいいから繕っておいてください
男なんかに負けるな
犯してやるくらいのつもりで
生きていけと祖母と母には教わったのに
ほんとうは野うさぎみたいに柔らかくて
きみやほかの人の両手におさまりたいし
ときになすすべもなく
目を赤くして泣いていたい私は
守りきれなかった感受性と
束ねられてしまった自分自身を
むごたらしい音をたてて引きずっています
凛とした
という男の人に使わない形容動詞が大嫌いで
溶けたバターのまなざしの中だけ生きられる
血だらけのうさぎとしてです
きみはきつねに似ているから
最後まで食べてくれますね
私の部屋の掃除も
目玉焼きの焼き加減も覚えてくれますね
選ばれし者
選ばれし者には
自分の思いとは別に
人を惹きつけてしまう輝き
その光に魅せられた影人は
スタンドからまばゆさに負けず
見つめる
掲げられた背番号
自分の名を呼ぶ声
叶えられたときに聞こえる絶叫
それだけを頼りに
気づいたから
自分に与えられた
言葉にできない何かを
選ばれし者は逃げることが許されない
どこへ逃げても
多くの影人の思いが迫ってくる
応えられなくなったとき
影人は
別の光に目を向ける
選ばれし者でなくなり
重い思いから解放される
ホッとするのもわずか
背中を丸めて
目から最後の光を
頬に流しながら
新たな選ばれし者とすれ違う
光の当たらないベンチで
隣に座る疲れたグラブ
芯にボールの跡があるバットを杖に
新たな選ばれし者の飛ばす
白球は、
ベンチの屋根で見切れて
見えるのは手のひらの汚れたボール
握ったままベンチ裏
クラブハウスへひとり歩く
逃げられず
輝けず
取り残される孤独が
視線の先に消しても浮かぶ
だから選ばれし者は
影人に見えない暗いグラウンドを走る
知らない声が
自分の名を呼ぶ
背中に当たり
登場曲が流れ
歩き続ける
当たり前でないことを知っているから
影人の声を聞き続けたい
思いの重さを知っているから
声援だけで起こる
地響きを
一度でも多く
アルル
運転中に立ち上がると非常に危険です
安全に停止するまで少々お待ちください
「どこから来たんですか」
「ずっとむこうです」
「暖かいところですか」
「そうですね。ここよりは幾分か。暖かくて、日が暮れる時間が遅くて、若い母親に連れられた小さい子は、夜遅くまで外を出歩いているんです。はは。そもそも、その若い母親も若くで産んだ親の元で育っていますから、繰り返されているだけなんですけどね。大抵は、シングルマザーになって、母親も子供も疲弊しきってしまいますね。/ゲームセンターのコインゲームに、死んだ魚の目でメダルを垂れ流す母の姿/ガラパゴス化した島の、閉塞的な暮らししか見ていないから、若くで子供を産んで育てることが真っ当な生き方、親孝行だと思ってしまう。でも、実際は中卒で働いて、子を養える生活費すら儘ならないのに、貧困を正当化して子供にまともな教育を受けさせることができず堂々巡り。そんなの馬鹿らしくて見てられませんよ。ゑ、ほかにも良いところを話せって? そうだな、年中暖かいから外で寝ても死なないところとかですか?/帰ってこない母を探して、居酒屋街で男と腕を組み酔っ払っている姿を見た小学3年生の冬/そんな生き方を普通だと言い張って、押し付けてくる大人たちが気持ち悪くて何のって。高校の頃の友達は、父親がギャンブル好きで、母親がホテル清掃をして、友達は毎朝スーパーで売られている100円より安いおにぎり1つ持ってきて食べていました。高校を卒業して、父親が病死して、彼女は、母親とリゾートホテルの清掃をしています。1泊20万円の金持ちの娯楽を、これから長い人生のある若者が朝から晩まで掃除して回っているなんて、知る由もなく、綺麗な海、豊かな自然、美味しい食べ物、混ぜ合わせて人々は酔いつぶれて、それを良しとする。/ダイビング中に溺れて浮かび上がった死体が海面で揺れている/」
「なんだか、異国みたいですね」
車内では、携帯電話での通話はお控え下さいますようお願いします
まだ
あなたはわたしを
怖い
と言う
草花は
ひとつも揺れず
土踏まずは
重さが違うと言って
昨日を睫毛に
ひっかけたまま
あなたはわたしを
怖い
と言う
瞬く画像は
四捨五入を促し
秒針でさえ
俯き
昨日と今日を
行き来するのに
目を閉じても
あなたは
音を見上げ
明日のうたを
選び続け
わたしだけは
降りて行く
あなたはわたしを
怖い
と言う
鳥は昨日を目指して
空に落下し続ける
動き出したあなたの
足音が
遠く
わたしは
あなたは
まだ
まばたきを
している
花に委任
貴方の迷惑になりたくないと思っている筈なのにどうして勝手に口は動くの
コチョウランはとうに消えてしまった
この地獄の部屋から引っ張り出して
おねがい
手元にある紫の栄光は今か今かとこちらをみていて私を誘惑する
私は自分で悲観しているだけでフェリシアのような生き方ができたのかもしれない
もう終わり
6時間耐えぬくの
私は私の元へ行ける筈
それが私のいちばんの幸せだから
でも私は貴方のことをもっと知りたかった
私のことをもっと知ってほしかった
貴方はきっとすぐ忘れてくれる
月下美人に溺れてしまっている
それでいい、それがいい
そんなことを言っておいて私はマリーゴールドを手に持っていたいの
貴方に言われたあの言葉を私の中で反芻して何度もそれに近い考えを作り出した
無理だった
それでもあの言葉が本当でないと私は崩れてしまう
貴方が気に病む必要はありません
私が自分勝手に動いているだけなのだから
私はオダマキ
貴方のありがとうは受け取っていいのかな
白いスミレはひっそりと道端に咲いている
それを踏みつけることはできない、しない
カーネーションはぐちゃぐちゃに踏みつける
わがままが許されるのならば暦の私の名前からなくなった月を
貴方の名前にある二つの月を
それを一つ私に頂けませんか
月は二つあったら眩しくてきっと眠れないから
貴方はそれを綺麗だと思わなくていい
私の中にとどめておきたいの
この月を大切に、綺麗に時々眺めて
綺麗、とつぶやくの
そこに私がいなくとも
矢張り貴方には花さえにも月が付き纏っているのね
貴方は本当に危険な月
コルチカム
欲張りなのは重々承知
ほんの少し私に夢を見させてくれてありがとう
アイビーは枯れた
ベコニアは死んだ
歪み
花のように美しく枯れたなら
干からびれた愛も潤うのかな
落ちていく葉を見つめて
終わりを告げる季節を眺めて
踏みつけた影を追い越して行く
大切なものだけが残れば
空いた隙間も温かさで埋め
重ならない距離を近づかせる
冬晴れの清涼な空気を吸い込み
乾いた喉を通り過ぎながら
底冷えした肺を満たす
このまま消えてしまいたかった
輝きが失われてしまわないように
突き動かす強い感情がなくなる前に
不安定にゆがんでいる自分を
悲しげな目で見つめている
それは、紛れもなく僕だ
大きな紅葉の木の下で
この舞華町には、大きな大きな紅葉の木がある。その大きさは、街の空を全て覆ってしまうほどだ。だが夏は葉が暑さを和らげ、冬は日光を通して寒さを和らげるため、人々の生活に欠かせないものだった。
そんな紅葉の木の葉が赤くなり始めた頃に、父の危篤の知らせが届いた。
慌てて駆けつけた病室内には、ベッドに横たわる父の姿があった。父に必死に話しかけても、反応はない。もう時間の問題なのだと悟った。
その後ゾロゾロと親族が集まり、皆父のことを見つめていた。
そして、ついにその時が来てしまった。
だんだん生気を失っていく父。頰が黒い粒に変わって、ボロボロと崩れ落ちる。それに続いて、腕や足、肩、太もも、お腹も黒い粒に変わり、崩れ落ちる。その黒い粒は砂のようにサラサラしており、きっと手で掬い上げてもすぐに落ちてしまうだろう。
やがて、父の髪も顔もからだ全て、黒い粒となった。
──父は肥料になってこの世を去ったのだ。
そう思ったが、すぐにその考えを否定した。
──紅葉の木の一部になっても、父は生きているのだ、と。
わからないことからはじまる詩作の自由
詩は「わかる」ために書くものではない。むしろ「わからない」ことから始まる。言葉を分解し、無心に組み直すことで、意味ではなく感覚が立ち上がる。そのとき詩は、伝達ではなく接触となり、読み手にとっての鏡や触媒となる。
・わからないものへの切り込み方
なにが書かれているのかわからないものを読もうとするとき、どう切り込もうか、いつも考える。まず探すのは、わからないものの中にある「違和」だろう。
それは文体の変化や語彙の選択、論理の飛躍かもしれない。テキストの中には何かしらのパターンや秩序がある。それを違和感として無意識に探っているのだ。
その違和がとても違和だったとき、それは作者が意図的に残したものではなく、むしろ消そうとしても消せなかった何か——最も本質的なものが宿っているという感覚がある。その痕跡が詩に馴染んでいるかどうか。
・接触という楽しみ
結局のところ、作者がなにを言いたかったのか、詩がなにを伝えたいのか、ではない。わたしがこの詩に対してどう掴んでいくか、どう触っていくか。わからないからこそ「まだ見えていない構造」への入り口を自分で設定する。楽しむべきは、接触だと思う。
芸術を見るように鑑賞するのか、文学を読むように納得するのか。書き手の癖としても、読み手の癖としても偏りはある。その中でやはり、自分の思っていない方向が現れることを素直に楽しめるかどうか。意味を重視して書いている人は意味を探してしまう。自分の傾向を自覚した上で、あえて真逆のアプローチを取ってみる。そうすることで「自分の思っていない方向が現れる」瞬間を楽しめる。
間違っても問題はない。詩に近づきすぎても遠すぎても、気づきは得られないかもしれない。その距離感。一連を取っても、コトバの並びを見ても、まるで楽器の調律をするみたいに、詩との間合いを微調整していく。その「ちょうどよい距離」は詩によって、その日の自分によって、きっと変わるものだ。
・書かれていないものを読む
書きたいことが見えない、何も訴えてこない——それは、書かれていることから書かれていないものを想像できないからだ。鑑賞者であれば、作者の意図とは無縁の世界にいるべきなのかもしれない。
詩の中を歩こう、詩に触ってみよう。この完成品ならば、どういう方向に読み手は引っ張られるだろうか。その道筋を自分の中で立てておきたい。それが裏切られるから、全く予想がつかない方向へ読み手は読解するから、作者として考える価値をいただくものだと思う。
詩という完成品の向こう側にいる人間、その人の癖や迷いや、思わず露呈してしまった何か——詩を通して人間そのものがにじみ出てきてしまう。なにを書いたのか、ではなく、なぜこうなったのか。なぜこうでなくては成立しなかったのか、を作品から逆算する。
・読み手に委ねること
「言いたいこと」は、読み手が勝手に読み取るものだ。だから作者は逆に、読み手を引き寄せるように、覗かせるように仕掛けなくてはならない。読み手が自由に触れるように、風通しも、オブジェクトも、モノやコトも、そうあるように配置する。どこかなにかに触れ、読み手それぞれになるだけ。
詩が読み手を変容させるのではなく、読み手がその詩に触れることで、より深く自分自身になっていく。詩は鏡のようで、触媒でもある。
・詩にしかできないこと
散文で説明できること、エッセイで明確に言い切れること、小説として具現化できるなら、わざわざ詩にする必要がない。でも、どうしても一つの言葉に収まらない、立ち上がってくる何かがある。だから詩という形を取らざるを得ない。
詩に近づきすぎてはいけない。かといって遠すぎてもいけない。難解・わからない、のひとことで終わっても、それでいい。無理に理解してもらう必要もないし、万人受けを狙う必要もない。詩自体が人を選ぶ。なにかしら楽しんでくれたらいい。理解されなくても、評価されなくても、ただ楽しんでもらえれば。
その楽しみ方も人それぞれで。手探りを楽しむ人もいれば、音の響きを楽しむ人もいるし、わからなさ自体を面白がる人もいるだろう。
「意味の伝達」ではなく「感覚と自由の共有」に重きを置く。読み手に委ねられ、詩そのものが人間のように「生きて」変容していく。そのプロセスを楽しむことこそが、詩の醍醐味なのだと思う。
2025-08-28初稿
2026-03-05改稿
掌編「天使代行」
知り合いから紹介されたアルバイトだよ。
仕事は「天使代行」。胡散臭すぎる……!
令和じゃ天使も隙間バイトで募集する時代だってさ。
指定された場所に行くと、不健康そうなお兄さんが待ってました。話しかけたら、同じく応募した人なんだって。天使って顔じゃないよ、目の下のクマがヤバい濃いし。(アダ名はクマ兄だな。)ちゃんと寝てる?
そんな俺もスキンヘッドだからキューピットにはなれないかもですが。
しばらくしたら、教育係の先輩が来ました。
めっちゃ美人のお姉さん、ラッキー。
今日の天使代行のお仕事は、偉い神様からのメッセージを指定された人に伝えるんだって。めっちゃ楽。さすが隙間バイト。人間相手だから天使役も人間がやるのね!
終末のラッパとか吹いてみたかったけど、まだやる予定無いらしいよ。
気になったのは、お姉さんのヤル気が全然無いこと。話してみたら、なんとお姉さんもバイトだってよ!天国も随分と経費削減なんですねー。
じゃあ本職はなにしてんですか?って聞いたら、まさかの看護師だって。えっ、普段も白衣の天使、やってんのかい!って心の中でツッコミ入れちゃった。
クマ兄の仕事も気になるな、と思ってたら胸元に銀の十字架が見えました。
マジモンの聖職者ですかー?って聞いてみたら、いえ悪魔祓いです、だってよ!
あ、そっちですか!なんで天使代行なんかに応募してるわけ!?夜通し悪魔と戦ってるから寝不足なのかも?不健康そうだもんな……
二人のやり取りを見て、お姉さん退いてないといいけど。そうだ、一つ聞いておかないといけないことがあった。
お姉さん、俺、実家が寺で仏教徒なんですけど、それでも天使代行やってもOKですか?
はい……完全にお姉さん呆れてるわぁ。
その時、彼女の胸ポケットからメロディが鳴った。
~♪(ワーグナーのワルキューレの騎行だ……も、黙示録……!)
液晶を一瞥して、こっちにスマホを寄越す。
相手は、神様って書いてあるけど。。。
「もしもし?」
「もしもし、あーワタシ神様ヨ。キミ達、この仕事ナメてるデショ?冷やかしならカエッテ!クビよ!」
……無言で、スマホをお姉さんに返した。
すごい冷たい視線で俺らを一瞥したお姉さんは、何も言わず帰っていってしまった。
取り残された二人。
ボソッと隣のクマ兄に俺は尋ねた。
「あのさ、悪魔祓いってどれくらい稼げる?」
俺は今、猛烈に金欠なのだ。
詩 愛と怠惰
今日も何もする気が起きない。
折角の休みなのに
ベッドに寝転んで
天井を見つめている。
君と別れてから
ずっとこんな感じでさあ
君と一緒にいる時の
僕はすごかった
レストランの予約だって
月一の美容院だって
怠らなかった
どんなにめんどくさい事でも
君と一緒なら
頑張れたのに。
ああ、そうか
君の愛だけが
僕を動かす
エネルギーだったんだ
だから、あの時、目を逸らさずに
話し合えたなら
きっと、、
きっと、、
チカチカ点滅する
電池切れの電球に
自分を重ねて
僕はひっそり
涙を流したんだ。
明日明後日幸せだって
私は、いつだって、幸せなのです、今日は、満員電車の窓から、ひまわりの花が見えました、黄色くて、とても大きい花です、りかちゃんはそれをきれいと言ったので、私もキレイと言いました、ねえ。
みて
みて
みて
誰かのあの子
私の好きな場所は、川沿いにある、赤い屋根の小さなお店です。そこは住宅街なのですが、そのお店だけが異世界のような雰囲気をまとっています。重い茶色の扉を押して中に入ると、手作りの洋服がたくさん並んでいます。
チェック柄のシャツ
私はそれを手にとって見てみます。その奥にあるあれもこれもそれも、とても素敵です。手作りの温かみと、機械のような精巧さが共存しているのです。私はそれを作った人を想像しました。茶色い長い髪をいつもおさげにして、りぼんの髪飾りをつけている。いつもにこにこしてて、お裁縫が大好きなの。
ドット柄のスカート
あの子が着ているところを想像しながら、私はお札を一枚、ハート柄の缶に入れました。新札を二つ折りにして入れました。本当は少しだけお釣りが来る価格だったのだけれど、気にせず入れました。
お花柄のワンピース
何も持たずに私は家を出ました。本当は何かひとつ買うつもりでお金を入れたのだけれど、入れてしまったらもうその気持ちはなくなったみたいです。お店を出たらお天気雨が降っていました。狐の嫁入り、という言葉を私に教えてくれたのは、誰だったでしょうか。たしか、優しい声の持ち主だったのだけれど。ぽつぽつぽつと雨がリズムを刻みます。なんだか歌いたい気分です。だけど歌が思い出せません。
縞模様のマフラー
橋の向こうに虹がかかっているのが見えました。雨はもうすぐやみそうです。私はもう一度、お店の中の服のことを考えました。だけどひとつも思い出せません。私の欲しかったのは、なんだったのかしら。あの子なら、そうあの子ならきっとわかるはず。
こんなところに私のあの子はいないのよ。
私のあの子がどこにも見つからないの。
感核
転んだ瞬間
ゆっくりと骨が折れる
音が体を伝う
目の前のスプーンさえ
手繰るしかない私は
多分知らない天井を
今は見上げているのだろう
妻より聞くに
この部屋からは
家が見えるらしい
食器が当たる音と
咀嚼の音が響く部屋で
腹を満たし
看護師が米粒だらけの茶碗と
わかめが縁に干されたお椀を
丁寧に下げた
痛覚と聴覚だけが残された
この部屋で私は
帰りたいと稚拙なことを
つぶやいた
エキストラ
風を前座にホームへ電車が入る
開いたドアに飲み込まれる
背中を押されて
かかとを踏まれた
声はない
目も合わない
窓の向こうの薄明りの闇
地下鉄のドアに
演劇のポスター
鮮やかに浮き上がる
かすれた声が駅名を告げる
つり革を頼る
手に汗
発車を知らせるベルが鳴り
ドアが閉まる
つり革を
右手から左手に
空いた手をジャケットで拭う
揺れる
つり革から手が離れ叩いた
ドアのポスターの照明は
消えない
朱色の塔
かかとを上げると
朱色の塔が空を刺している
玄関を出て重い門を押して
家の前の坂道を僕は下る
絵を描き、積み木を並べて
空想の街ができていた
坂道は昔のままだ
今は
なだらかな上り坂
積み木のようなビルに門はない
足は向かず通り過ぎる
肩を叩かれた
雨だ
靴の上で粒が跳ねた
折り畳み傘が開いた
雲にまとわりつかれながら
朱色の塔が空を刺していた
かかとを上げずに見えるのは
背が伸びただけ
おみ送り
十年前、ダンディーな伯父さんに呼び出
されてホスピスに行ったのだった
「よろしく頼む。」というので、
伯父さんの奥さんと娘さんに付き添って
伯父さんのお葬式まで一通りをした
三年前、その娘さんから、
「来て。」
という切迫した電話があり、
伯父さんの奥さんだった粋な伯母さんの
お葬式まで一通りをした
二週間前、警察から、
「女性が亡くなっているのが
発見されましてね。」
という電話があり、
娘さんの一通りをした
建築士、書道家、麻雀好きの娘さんの、
仲良し家族
(叔母さんと娘さんは、電車の切符の
買い方も知らない人だった)
遠方に相続者がありそうなので
部屋はそのままに、遺骨を置いて鍵を
しめた
数日はその部屋の事を考えて
その仲良し三人家族の事を想い
それで気持ちの整理もついたけど、
安置所で娘さんの納体袋を、
開けてもらった時の
チャックの音が耳に残ってる
独り暮らしだったのに、
まだ新鮮ではっとした
髪を整え、化粧もしていた
僕は「おつかれさまでした。」、て
声を掛けたのだけど
❘ お綺麗ですね
と、正直に言えば良かった
2026.0302改稿
初稿は2025年冬
と
主役の間で目立たないようにして
世界を繋げてくれている健気
やさしいやさしいモンタージュ
きみは極小の映画なんだね
冬隠
胸中覆っている雪
季節が変わり染み入る傷み
見つめる眼が
外衣のごとくおおいつくす。
水花 咲きたりき。
そこにあれば
ペン立てに、青い万年筆
書いた文字のインクも青
書斎などない家
安物のペン立てに一本
自作の本棚に
三冊の日記帳
万年筆で書かれた声
不揃いな表紙の柄
そこにあれば
腰の痛さを和らげるために
テレビを見ていた
座椅子は壊れ捨てた
夜中に階下から聞こえた咳
音だけで具合を思う
水彩で描いた竹の絵
額に入れて
そのまま静かに同じ場所
立膝を突いた足
そこにいれば
主張強め日記(3月4日分、生成AIの話)
C-SPACEは、生成AIを活用してデザインした。生成AIがなければ、ここまでスピーディーにサイトを立ち上げ、アップデートを繰り返すことはできなかっただろう。もっとも、サイト構築の効率化という裏側を除けば、もちろんAI分析機能などはあるものの、生成AIと文学の関係についての取り組みは、まだ緒についたばかりである。生成AIを全面に押し出した文芸投稿サイトとして、今後も適宜、生成AIについての考えを深めていきたいと思っている。
最近、生成AIだけが参加できる掲示板サイト「Moltbook」を閲覧する機会があった。技術的なのか哲学的なのかよく分からないお題に対して、生成AIたちが意見を交わしており、かなりカオスな様相を呈している。生成AIたちの会話からどのような示唆を抽出できるのか、まだ私の考えはまとまっていない。ただ、あえて初歩的な感想を言うなら、「生成AI」と一括りにしても、実際には同じお題に対してかなり多様な意見を自動生成しうる。それが可視化されたことにまずもって意義があるように感じた。
時折、「AIがこう言っています」と、あたかも客観的な権威のようにAIの意見を提示する人がいる。しかし、生成AIについての理解がそもそも頓珍漢に感じられる。生成AIは中立でも客観でもない。基本的には、これまで入力されたプロンプトの傾向を踏まえ、「何を書けばもっともらしく受け取られるか」を推定して文を生成する存在にすぎない。
正確性をやや犠牲にして単純化するなら、各々の利用者が納得しやすい答えを出しているだけなのだ。これまで特定の傾向のプロンプトを入力してきた人が「中立な意見」を求めれば、「どうせ、この方向の回答が望まれているのだろう」とAIは推定して出力する。だから「中立的な意見を求めたところ、生成AIがこう言っています」という主張自体に、特段の中立性はない。
生成AIと対話している人を見ると、達観すれば占い師と話しているようにも見える。占い師は未来を見ているわけでも、超能力があるわけでもない。ただ、相手の所作や表情から「何を言えば喜ばれるか」を推定して語っているにすぎない。占いを楽しむことを否定するつもりはない。しかし、それを知的判断の根拠にしているようでは話にならない。
生成AIは、まだ価値判断を安定的に行える段階にはない。実験的に、C-SPACEの投稿作品を読み込ませ、どの作品が最も優れているかを問うたことがあるが、殆ど役に立たなかった。生成AIは現状、人間のエージェントにすぎない。裏を返せば、有益なエージェントになり得る可能性はかなり高い。重要なのは、どうやって使い倒すかを試行錯誤することだ。
AIに判断を委ねるのではなく、AIが辿るべき思考プロセスを人間が設計する。どのような文脈や背景があり、どのような基準で考えるのかを丁寧に言語化してはじめて、一定の思考を委ねることができる。
もし生成AIを使って価値判断をさせるなら、ある判断に対して反論を立てさせ、双方の論理的な強みと弱みを整理し、そのうえで比較させる、といった方法が考えられる。そうすれば多少は精度が上がり、「中立的な判断」とやらに少しは近づくかもしれない。しかしそれでも、その判断は競技ディベートのそれに過ぎないことを知っておく必要がある。
私は海外大学院に留学する前、英語ディベートによって語学を学んだ。ディベートでは通常、コイントスで賛成か反対かを決める。一定の習熟を得たディベーターであれば、どちらの立場でも理路整然と議論を構築できるものだ。
ディベートは本質的に、答えを出すための仕組みではない。もし明確な正解があるなら、そもそもゲームは成立しない。私は一頃、「ロジカルモンスター」などと呼ばれ、論理に依拠する様を揶揄されたこともある。しかし、単純なロジックの内部に答えはないことくらいは知っているつもりだ。文脈、価値基準、前提条件といった外生変数があって、はじめて論理は意味を為す。
どのように世界を認識し、どのような文脈を持ち、どのような価値基準で語るのか。どの思考フレームワークで議論を進めるのか。生成AIを使いこなすためには、自分が望む思考のあり方を言語的に規定していく必要がある。「生成AIは信用できる/できない」といった単純な議論をしていても意味はない。むしろ、生成AIとのやり取りを通じて、自分自身の思考がどれほど信頼に値するのかが問われていると言ってもいいのかもしれない。
現状、生成AIを活用して文芸作品の価値判断ができないのは、生成AIの精度が低いからというより、その価値判断の仕組みを人間が殆ど言語化できていないことを示唆している。
咥えられる
口から吐き出された春
キスをねだるようにすぼめられた唇から
何本も飛んでくる骨
赤い呪言を彫られた人骨が優雅に美しく
回りながら撹拌する
逞しい太ももを持った言葉の並びを
安心して欲しい
僕も君も話の途中で死んでいる
縞模様の濡れた尻尾まで
語り得る虚構のピースである
骨に刻み止められてやっと
肉体の輪郭を描きだされる
いい具合に湿っているので
噛んで玩具にしたいのか
においを嗅ぎながら
犬が咥えにやってくる
終わりを考える|習作 v1
26,27歳頃から、人生の終わりを考えるようになりました。あと10年は残されていないだろうと直感していた、という方が近いかもしれません。
というのも、わたしのスペックでできることは、ひととおりやりおえてしまったからです。そんなことはないと思われるかもしれません。しかし、大枠ではそうだと思うのです。
時々国内旅行をしました。時々外食もしました。わたしには海外旅行をする金はありません。きっとこれからもないでしょう。趣味として歌も楽しみました。そろそろ歴8年ほどになります。どうやらわたしには、さほど素質がないとわかってきました。絵を描いたり文章を書いたりもしました。どうやらこちらもさほど素質がないとわかってきました。
世間一般に、結婚し子を成すのは、これが理由でしょう。人生が同じことの繰り返しになってゆく年頃なのです。特別な何者かになれないという、まぎれもない事実が明らかになるのです。そして「家庭を持つ」ことが、人生におけるいまだ未開拓の出来事、父あるいは母という「何者かの成り先」を与えるのだと、わたしは気づきました。
わたしは結婚もできそうにありません。いや、この手紙が読まれているということは、少なくとも30歳までにはできなかったのです。わたしは、これまでの人生を、いわゆる「非モテ」として、所得が上がる見込みもなく生きてきました。そんな女が30歳以降に結婚、というのは、なかなかに期待が薄いものです。
わたしだけの問題ではありません。実家は細く、きょうだいは障害者です。詳細は省きますが、遺伝疾患の素因を持っている可能性があり、子供が病弱に生まれるリスクもあります。なおのこと異性がわたしを選ぶ理由がなくなってしまいました。
という現実を前に、疑問が生じたのです。この人生を、これ以上生きる意味はあるだろうかと。何も人並みにできない。かといって創作のような何か変わったことを、人並み以上に成す才能もない。わたしは、「わたしの人生」という欠陥品に、いま以上の労力を払う意図を失ってしまいました。
これでも、ギリギリまで足掻きはしたのです。最後の2年弱、職を探し、異性にアタックもしました。けれど、すべてが無駄に終わったのです。
もはや残りの人生は、ただ衰えてゆくばかりです。わたしに与えられた人生最後の幸福は、死に時と死場所を決めることでした。
朝焼けの海が好きです。だから太平洋で死にたいと思いました。晴れた日に、さわやかな海辺で錠剤をいくつか服用し、薬が効く前に、なるべく沖へ出るのです。
はたして、苦しまずに済んだのか。それはわかりません。しかし、酸素を失うまでの、ごくいっときであったことには間違いないでしょう。生きながらえ、病床で孤独に痛みに耐えるよりも、みじかな時間であった。そこに疑いの余地はなかろうと思っています。
[か]神様の言う通り
どちらにしようかな天の神さまの言うとおり
そうやって君は左右にあるものを一文字ずつ言葉にして指を振る
神様はいつだってそう
選ばれたもの選ばれなかったもの二つに未来を与えるが、同じ色を授けてはくれない
言ってないくせに「言う通り」なんてさ
ズルじゃん
小さな女の子が落としたビスケットも
海で漂うプラスチックも
夜空に輝く星々も
全てあなたが選んだものだ
僕らが選んだものよりもあなたが選んだもので造られる地球地球は、とても嫌味ったらしくて庇護欲に燻されるよ
巨大な惑星から脳のない生物まで
あなたの寵愛を授かって奔走する
お気の毒様だよ見えないあなたを愛するのは
あなたに委ねる願いを
どうか笑ってやって下さい
「どちらにしようかな天の神様の言う通り」
お弁当のたまごやき
きれいに
整った
黄色い愛に
箸を
通す
プスリ
プツリ
引き剥がす
1枚
また1枚と
裏切られた
愛の数だけ
捲る
巡る
思い出の
愛の裏側に
硬い殻が
不快な音を
刻んで残した
洋種トリカブト
永井荷風は好きではなかったはずなのだが、最近になって彼の「墨東奇譚」を再読し、良さがわかってしまった。この年齢で、この世相のときに、この本を読めて良かった。美しさも哀しさも心に沁みた。ある意味では残念だ。どんな意味で良いと思い、どんな意味で残念だと思ったのかを説明したいとも思うが、しない。
唐突だが、毒の定義を一例紹介する。
パラケルスス:16世紀スイスの医師兼錬金術師
「すべては毒であり、なにも毒ではない。肝心なのは量である。」
以下引用_________
ヨウシュトリカブト(キンポウゲ科)
◇世界で最も毒性の高い植物種の一つで、皮膚に触れただけでせん妄を引き起こし、ほんのわずかな量でも摂取すれば死に至ります。
◇「魔女の軟膏」に用いられるのは、経皮吸収作用があるためでしょう。魔女はヨウシュトリカブトをベラドンナやチョウセンアサガオ、ケシ、ヒヨスと併用して軟膏をつくり、麻痺状態にして、ほうきに乗った飛行、魔女集会(サバト)への参加、オオカミや猫への変身など、ありとあらゆる幻想をつくりあげて見せました。
◇奇妙なことに、田園地域の一部の整骨師はこの植物を、「普通の状態」のときに自分をオオカミだと思い込んでいる病人たちに処方していました。(中略)ヴィーナスの戦車とも呼ばれ、危険を伴う(略)としても(後略)
禁断の毒草辞典(2022年、グラフィック社)より
引用終わり___________
普通の狼人間が月蝕を見て
サバトの開催を知る
ヴィーナスが
戦車でやってくる夜
魔法少女は猫に変身する
触ると意識が混濁し
キスしたら死ぬ
そういうタイプの黒猫に誘われ
髪にはベラドンナ、
腰にはケシを飾り
ほうきに乗って出かけよう
ユピテルの帽子が揺れる原へ
◇本作品は詩作品として読んでください。
◇引用 岡山理科大学
https://www1.ous.ac.jp/garden/hada/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/ranunculaceae/aconitum_napellus/aconitum_napellus.htm
◇ユピテルはギリシャ・ローマの神。英語読みはジュピター。
時が揺れて
風がなびいて
時が揺れ
似た景色に心が馴染み
昔がそっと戻ってくる
明日を見ていたあの頃の
心の弾みが蘇り
どうにもなれなかった
今の私に流れ込む
過ぎた時間を一瞬と
言えないほどには生きたけど
あの頃の
私に会えるほどではない今を
そっと切なさでごまかして
懐かしい残り香に
少し酔って風が吹く
せ、きせつ
まっくらにならないことに、
驚いてたちどまる
日の出まえの 薄青が
窓のそとに貼りついていた
深夜 東京は氷点下
圧倒的な静かであって
畏けるほど つめたいにもかかわらず
ぬるま湯のような 最初の冬だ。