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2021/01/01 12:00:00

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投稿作品一覧

アメリカ娘の歌と、日本の男の返歌

ブリトニーの歌

Once Upon a Time…
町の者どもは、みなジャック・ラッセル・テリアを飼うておりました。
その犬どもは、飼い主たちよりもずっと血が濃うございました。

週末になると、高校の生徒たちはオーチャーズ(果樹園)へ罷り出て、裸になって水に入りますの。私めも誘われました。されど、あの御方たちの裸だけは、身罷るとも見とうございませんでした。

店は五つに閉まります。

公園のほとりには、大きな池がございました。魚は数多く棲んでおりました。
されど、いずれも養殖場より運ばれてきたニジマスにて、味はよくございませんでした。それを釣るのが、みなの慰みでございますの。

あるとき、友人たちと、出会いのアプリにて町の保安官の写影を見つけましたの。
彼は素っ裸にて、ただ股間のみをカウボーイハットにて隠しておりました。私どもはそれを摺りて、町じゅうに貼ってやりました。
保安官はいたく恥じ入り、別の町へ去っていきました。

高校には廊下が一筋しかございませんでした。師たちは、たいてい二つか三つの科目を受け持っておりました。私めの算術の師は、スペイン語の師でもございましたの。


シンの歌


街には同じような四角い箱が立ち並んでおる。
箱の内には、似たような面の男どもが似たような夢を見ておった。官立の大学を出て、超満員の電車に揺られ、ベンゾジアゼピンを舌の下に溶かしながら眠たき目をして、戸が開くとわらわらとホームに降り立つ。

週末になると、十九世紀の欧羅巴の音楽を、まるでおのれのものであるかのごとくありがたがって聴いた。

日曜には川沿いの釣り場に集うた。米軍の兵どものために仕切られた水域に、養殖場より運ばれたニジマスが放たれる。ヒレのぼろぼろになったニジマスどもは、出来合いの毛鉤に食いついた。そして仕切られた川の前にて、英吉利の古典を暗誦した。

”Study to be quiet”静かに生きることを学べ。

店は一日中やってゐた。

アプリで出会える女どもは数を勘定してきた一族、下士官の末裔よ。 髪の色、眉のかたち、手足の寸法まで整っていやがる。
 箱育ちに、県令の娘はまわってこぬ。
埋立地にできたディズニーランドへ連れて行くが愛という、真白き腹のニジマスのごとき娘ども。
親と同じような箱と女を得て、地上に肉の色の実を結ぶ。
そして二十世紀の亜米利加の音楽を聴き、浅煎りのシアトル式珈琲を飲む。

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 斜面の北側、ミズナラの根のあいだの窪みに横たわる獣。皮毛にはまだ水分が残り、口の周りにクロバエが集まる。
 腹部が膨らみはじめる。皮膚の下でガスが移動する。耳の内側、鼻腔、目の縁に、卵が産みつけられる。

 雨。水は窪みに溜まり、毛のあいだを流れる。卵のいくつかは土に紛れる。残ったものは、皮の内側で動く。

 腹がほどける。

 膨らんだ皮膚が裂け、内側のものが外へ出る。匂いが尾根を越える。ハシブトガラスが舞い降り、トビが旋回する。眼球が運ばれる。舌が運ばれる。夜、肋骨のあいだから内臓が引き出される。

 ハエの次の世代が羽化する。窪みの上の空気が羽音で満たされる。風が吹くたびに、羽音が近付き、遠ざかる。シデムシが土の下から這い上がり、死骸を掘り、その下に潜り、肉の繊維を解体する。

 毛皮は輪郭を失う。

 骨が露出する。第一頸椎、肩甲骨、腸骨。白いものが地表に現れ、雨に洗われる。残った皮は薄くなり、色を失う。

 落葉。窪みのまわりに葉が積もり、白いものを覆う。

 初霜。ハエはいない。

 雪が降る。風が通過する。雪は解け、また降り積もる。

 雪解け水が斜面を流れ、骨のいくつかが下方へ動く。大腿骨が根のあいだに止まる。頭蓋骨は動かない。眼窩に落ち葉が詰まる。

 窪みの土から、若いシダが伸びる。葉はまだ巻いている。コケが広がる。

 また葉が落ちる。頭蓋骨の上にコケが厚みを増す。角は折れ、片方が運ばれ、片方が残る。骨の表面に地衣類の白い斑が現れる。

 ふたたびの芽吹き。

 窪みは平らに近づく。ミズナラの根が、頭蓋骨のあった場所を貫いて伸びる。シダは群落をつくる。土の色は、まわりより濃い。

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v oi d

息づいたものが 声とならずに蒸散するのがわかる
それは どこに行ったのか と 戸棚の方を見遣った 
v と d が 語義通り母のない子のように 
前提を置かれず 黙らせられている

急須の蓋裏の 一つ一つのそれが 
手を取り合って 

次はphraseになりたいな

と思ったかは知らないが 
とびおりた先でのありかたを 諦めた様

まだ 無視への抗議をしていたい といった
vとdのあいだに 

おい 

とこえをかけたのに 
voidが一つできてしまって
piss と呟いた

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サーカス

テントの内側に
星が瞬いて
ラオスの象たちが
ゆっくりと歩きます
耳をひらひらと
蝶のように動かして
ちいさな目は
どこを見ていたのか

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……、……

ねえねえ 一番強い、剝き出しの言葉って、なんだろねーーー?



…………おぎゃあ、かな?



じゃあ、二番目は?




……君の名前……

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途切れなく流れ続けて―柑那と遥(ある日の矢部遥 最終話)

 桜も散り、ふわふわしていた校内の空気も少し落ち着いてきた四月の終わり頃、少し袖口が長く手のひらを隠しがちになる制服を持て余し気味に、特に部活に入ることもなかった矢部遥は、放課後の教室で、文庫本のページをめくっていた。

 図書室のラベルが貼られた古い本の傷は、今まで読んだ人の足跡なんだなと、そんな事を遥は思いながら、かさりと乾いた音を立ててページをめくる。
 その音の合間に、自分の呼吸と窓から入る風の湿度が並んで流れていく。

​ その風に乗って、一筋の香りが漂う

「……それ、面白い?」

​ 降ってきたのは、シトラスの香りが混じった、胸をくすぐるような声だった。
 遥は顔を上げる。そこには同じ制服を、自分とは違う着こなしで纏ったクラスメイトが立っていた。
​ 彼女の名前は、まだ名簿の中の記号でしかなかった遥は、返事に詰まる。

​「あ、……図書室にあったから」

​ 遥は反射的に、長く伸びた袖口を握り込んだ。
 握り込んだ手のひらの中で、わずかに汗が滲む。

 それが、彼女の内側の水位が初めて外の世界に向かって波紋を立てた瞬間で、遥自身が水位を意識した瞬間でもあった。

「寺田寅彦……何の本なの?……」

 彼女はそう言って、遥の机の角に指を添えた。その指先は、可愛らしい絆創膏が一枚。

 遥は、ページを開いたままの手が急に“そこにある”ことを意識してしまう。

「あ、えっと……随筆……みたいな、科学とか……」

 声が、湿り気を含み、少し重たげに。

 彼女は気づいたのか気づかないのか、ふわりと笑って、遥の隣の席に腰を下ろした。

 その瞬間、シトラスの香りが、文庫本の紙の匂いと混ざって、遥の胸の奥の水面にそっと触れた。

「へぇ、なんか意外。
遥さんって、もっと……歴史とか好きそうな感じかと思ってた」

「……なんで?」

「なんとなく。
落ち着いてるし、調べ物してる感じするし」

 今わたしを調べてるのは、あなたじゃないのかなぁ。遥はそう思いながら、袖口をまた握り込んだ。

 握った手のひらの中で、さっきより少しだけ水位が上がる。

「ねえ、帰り……一緒にちょっと寄り道しない?」

 彼女は、窓の外の光を一度だけ見てから、遥のほうへ身体を向けた。

「駅の近くに、かわいいお店があるんよ。
見てみたいものがあってさ。
 ……一人じゃ入りにくいけん」

 その言い方が、秘密をそっと差し出すみたいだなと、遥の胸の奥の水面は、その言葉に揺れたのだった。

「……うん。いいよ」

遥は自分でも驚くほど、すぐに言葉を返した。

 彼女は嬉しそうに目を細めた。
 その笑顔が、遥の中の“まだ名前も知らない水脈”に、初めて光を落とした。

 放課後の教室は、もう人影もまばらで、運動部の掛け声が遠くから風に乗って紛れてくる。

「じゃあ、行こっか」

 彼女は立ち上がりながら、絆創膏の貼られた指先で、机の角を軽く“とん”と叩いた。その小さな音は、遥の胸の奥に、思ったより深く波紋を立てた。

 教室を出ると、廊下は少しひんやりしていた。二人分の足音が響く。

 コツコツ、こつこつ。

 遥は、歩幅を合わせることを意識してしまう。

「ねえ、遥さんってさ」

「……うん」

「本読むとき、すごーく静かなんね。
 なんか、風の音とかまで聞いてそう」

 遥は少しだけ笑った。図書室の文庫本の紙の匂いと、さっきのシトラスの香りが、まだ胸の奥に残っている。

「……聞こえるよ。風とか、雨とか。
 そういうの好きで」

「やっぱり。そういう感じするもん」

 彼女はそう言って、階段を降りるとき、手すりに軽く触れた。その仕草が、どこか大人びて見えた。

 校門を出ると、夕方の風が少し強く吹いた。制服の裾が揺れて、遥の袖口もふわりと浮く。

「ここからちょっと歩くんよ。
駅前のアーケードのひとつ裏、わかる?」

「うん……なんとなく」

「大丈夫。
迷ったら、手ぇ引っ張るけん」

 冗談めかして笑うその声に、遥の胸の水面がまたひとつ揺れた。
 歩きながら、遥はふと気づく。自分の手のひらの汗は、もうさっきほど気にならない。

 代わりに、
“この子と歩いている”という事実だけが、静かに胸の奥に沈んでいく。

 ようやく名前を思い出した遥は

「瀬高柑那さん、柑那さんで良いかな、呼ぶの」

 遥がそう言うと、彼女は一瞬だけ目を丸くして、それからふわっと笑った。

「うん。そっちのほうが嬉しい」

 その“嬉しい”の響きが、夕方の風よりも先に、遥の胸の奥へ届いた。

 アーケードの手前で信号が赤に変わる。
二人は並んで立ち止まった。人の流れの中で、ほんの少しだけ互いの距離が近づく。

「ねえ、遥さんってさ」
「……うん?」

「なんか、話しやすいね。
今日、声かけてよかった」

 遥は返事をしようとして、喉の奥で言葉がひとつ転がった

“話しやすい”と言われたのは初めてだった。むしろ、話す前に一歩引いてしまう自分を、ずっと気にしていたのに。

「……そう、かな」
「そうよ。なんか、落ち着く」

 信号が青に変わる。
 二人は歩き出す。アーケードの屋根が頭上に広がり、夕方の光が少しだけ柔らかくなる。

「ほら、あそこ。あの小さいお店。
 かわいくない?」

 指さした先には、淡い色の看板と、布の影が揺れる小さなインナーショップがあった。

 遥は思わず足を止めた。
「夢みるエス……えっと」
「エストレリータ、スペイン語で小さな星、だって」

「……入るの?私、初めてで……」
「うん。ちょっとだけ見るだけね、付き合って?」

 その“付き合って”の響きが、遥の胸の水面を揺らした。一雫の、はじまりの音がした。

 遥は小さく息を吸って、袖口を握り込む癖が出そうになるのを、そっと止めた。

「……うん、じゃあ行こか」

 柑那は嬉しそうに頷いた。
その横顔を見た瞬間、遥の胸の奥の水位が、静かに、でも確かに上がった。

カランカラン

 ドアベルの柔らかな響きをくぐり、遥は店内の木の床に、まだ傷も少ない革靴で、少し戸惑いながらも踏み入れた。

「いらっしゃいませ〜」
若い店員の声がかかる。

「すいません、ちょっと見させてもらって良いですか?」

 柑那がそう答えると、店員は
「ごゆっくりどうぞ〜、なにか質問あったら遠慮なく聞いてね〜」
と気さくな返事を返してきた。

 遥はちょっと落ち着かない。
何より今までこういったのは母親任せだったし、初めて喋ったクラスメイトと二人で来るというのも全く考えてなかった。

 ただ、店内の雰囲気は落ち着いたナチュラルなアースカラーをベースにした素材と色合いで、所々に手描きのポップがメッセージカードの様に展示してある。遥の好む内装だったので先に動こうとする躰を引き戻すような、余裕ができるのを感じた。

 遥はしばらく見回して、そして気づいた。
「あの、ここってサイズが……」
柑那がにやっと笑って答える
「そう、わたしらみたいなのの専門店」


 その言葉に遥はまた胸の奥になにかが溜まるのを感じた。少しずつ水面が持ち上がるような、ただそれをうまく柑那に伝えることが出来ない。少し長い制服の袖口を再び握る。

 柑那は、棚に並んだ淡い布を指先でそっと触れながら言った。その指先の絆創膏が、店内の柔らかい光を受けて、小さく光った。

 遥は、どう返せばいいのか分からなかった。けれど、柑那の声はからかいでもなく、ただ“同じだよ”と伝えてくるような、そんな優しい響きだった。

「……あ、そうなんだ」

 それだけ言うのが精一杯だった。胸の奥の水位は、言葉よりも先に動いてしまう。

 柑那は、棚の奥にあった淡いラベンダー色の布を手に取った。

「これ、かわいくない?
 大人っぽいけど、やさしい感じで」

 遥はうなずいた。
布の色が、胸の奥の水面にそっと落ちていく。

「遥さんは、どれが好き?」

 突然の問いに、遥は息をのんだ。
“好き”と聞かれることに慣れていない。
まして、自分の身体に関わるものならなおさら。

「えっと……まだ、よく分からないけど……」

「分からんでよかよ。
 うちも今、そうやけん」

 柑那は笑った。
その笑顔は、遥には店内のアースカラーよりも柔らかかった。

「ね、これとかどう?
 色、遥さんに似合いそう」

 差し出されたのは、淡い水色の、小さな星が刺繍されたやさしい布。

 遥は受け取る指先が震えないように、そっと両手で包んだ。胸の奥の水位が、静かに、でも確かに上がる。

「……きれい、だね」

「でしょ。
 なんか、こういうの見るとさ……ちょっとだけ、自分のこと大事にしたくなるんよね」

 その言葉が、遥の胸の奥の水面から深く沈んだ。

“自分のことを大事にする”
そんなこと、考えたことがなかった。

 柑那は続けた。

「ね、誰にも言わんけん。
 今日ここ来たことも、何見たかも。
 秘密にしとこ」

 秘密。

 その響きが、遥の胸の水面に落ちて、静かに波紋を広げた。

「……うん。秘密」

 遥がそう言うと、柑那は嬉しそうに目を細めた。その瞬間、遥の中の“まだ名前を覚えたばかりの水脈”に、またひとつ光の粒が落ちた。

−−−
五月の風は、まだ春の匂いを残していた。

「今日も寄っていく?」
柑那がそう言うのが、いつの間にか当たり前になっていた。

 二人はアーケードを抜け、
「エストレリータ」の木のドアを押す。

カランカラン。

店のお姉さんは、もう二人を覚えていた。

「いらっしゃい、今日も仲良しやね〜」

 遥は少し照れながらも、その言葉が胸の奥に静かに沈むのを感じた。

柑那は棚の布を指先で触れながら、
「これかわいくない?」
「こっちは大人っぽいよね」
と、楽しそうに言う。

 遥はまだ何も買わない。ただ、布の色や質感を眺めるだけ。

でも、
“柑那と一緒に選んでいる”
という事実だけが、遥の胸の水面にそっと波紋を広げていく。

−−−
六月の雨は、二人の距離を少しだけ縮めた。

「ありゃ、振ってきたね」
「……うん、傘あるから、大丈夫」

二つの雨音とシトラスの香りが混ざる。

「ねえ、遥さん」

柑那がふと、アーケードの屋根の端を見上げた。

「秋になっても、ここ来れるかなぁ」

独り言みたいな声だった。
遥は返事の形を探して、結局、傘を少しだけ柑那の方へ傾けた。

「でもね、遥さんと帰るの、好きなんよね」
その言葉だけが、遥の胸に深く沈んだ。

店のお姉さんは、
「雨の日に来るのもいいよね〜」
と笑った。

遥は、
“ここに来ること”が
自分にとってどれだけ大事になっているか、まだ気づいていなかった。

−−−
七月:夏休み前、二人で“お揃い”を買う日期末

テストが終わった帰り道。
夕方の光はまだその暑さを落とす。

「今日こそさ、買おうと思うんよ」
 柑那が言った。いつもより少しだけ、早足だった。

「……買うって?」
「これまで見てきたやつ。夏休み前に、ちゃんと形にして持っておきたいんよ」

 遥は胸の奥が熱くなるのを感じた。理由は分からない。 でも、“今日なら”と思った。

 店に入ると、お姉さんが嬉しそうに言った。

「お、今日は本気の顔やね?」

 柑那はアプリコットのセットを手に取る。遥は、淡い水色に星と月の刺繍がついている布に目が止まる。

「これ、遥さんに似合うよ」
 柑那が言う。

 遥は、胸の奥の水位が静かに満ちていくのを感じた。
 そして二人は同じシリーズの、色違いのセットを買った。

「夏休み明けたら、また来よ」
柑那が言う。その声が、一瞬遅れて聞こえた。

「……うん」
遥も少しだけ遅れてうなずいた。

遥の胸の奥に“満ちる”という感覚が生まれた。ただそれと同時に、水面が揺れるのも感じるのだった。

−−−
九月:新学期、柑那はいない

始業式の朝。
教室に柑那の姿はなかった。

先生は短く言った。

「瀬高さんは、ご家庭の都合で夏休みの間に転校されました」

理由は誰も知らない。
遥も聞けない。

放課後、九月なのにアーケードの風がやけに冷たく感じた。

「エストレリータ」の前を通る。
ドアベルの音が聞こえる気がした。
でも、入れなかった。

家に帰り、夏休み前に買ったセットを箱にしまう。

一度も身につけないまま。
クローゼットの隅へ。

それは、秘密の続きが途切れた場所として、遥の中に残った。

 遥は箱に触れながら、かつて図書室でめくった寺田寅彦の一節を思い出す。

――線香花火の火花は、一瞬で消えて見えなくなる。けれど、その光が描いた複雑な軌跡は、しばらくの間、網膜の裏側に鮮やかな残像として焼き付いて離れない。

「線香花火みたいに消えちゃって……でも、ここにその姿は残しておくから、ね」

 独り言は、クローゼットの暗がりに静かに吸い込まれた。 けれど、彼女が遥の「水脈」に落とした光の粒や、あのシトラスの香りの余韻は、消えずにそこにある。

 遥は思う。

――あの日の水位は、どこへ流れていったんだろう。

 答えは出ない。けれど、胸の奥の水脈は、確かにあの日から、夏休み前の星と月の影を映し、温んだ水面を湛え流れ続けている。

――――――
ある日の瀬高柑那

 半島の山あいに来て、三年が過ぎた。
任期で来たはずなのに、気がついたら更新していた。頼まれたから、というのも本当だけど、それだけじゃないのは自分が一番分かっている。
 施設の庭に、みかんの木が三本ある。夏は青くて固い実が、秋になると少しずつ色づいてくる。患者さんの車椅子を押して、その木の下を通るたびに、ふっと香りが来る。

 「あ、」と思う。
 この香り。
 あの街にいた頃も、自分にシトラスの香りを選んでいた理由を、うまく説明したことがない。ただ単に、少ないお小遣いで買える、精一杯の香りだったかもしれない。それでも、これがいいと思っていた。今は外からも来るし、自分からも出ている。どちらが先なのか、もう分からない。

 リウマチの患者さんの手は、朝が一番つらい。起き抜けの関節の強張りが、その日一日の調子を決める。だから私は朝が早い。「今日はどうですか」 聞きながら手を取る。温度を確かめる。握り返してくる力の加減で、だいたい分かるようになってきた。
 言葉より先に、手が教えてくれる。

 あの制服のことを、たまに思い出す。
 遠くに転校してからも、そのままあの制服で通った。「買ったばっかやけん、勿体なかし」と母を気遣うようには言ったが、家計の事は後付けだ。おかしいのは分かっていた。でも脱げなかった。

 あの四ヶ月を、手放したくなかった。
 特に、あの放課後のことを。

 図書室の文庫本の匂いと、窓から入る風と、ページをめくる音の中にいた人のことを。名前を呼んだら、少し驚いたような顔をして、それからゆっくり答えてくれた。

 矢部遥さん。

 今も、どこかで本を読んでいるんだろうか。風の音を聞きながら。

 夕方、山の稜線が暗くなる前の、一番空が広い時間がある。患者さんのリハビリが終わって、記録をつけて、少しだけ窓の外を見る時間。
 みかんの木が、また少し色づいていた。

 秘密にしとこ、と言った日のことを覚えている。
 アプコリコットの、星と月の刺繍。ずっと箱にしまったまま十年が経った。

 代わりに、ここでは星がよく見える事に気がついたよ。

 もう一つの水色の星と月の刺繍は、今でも、どこかにあるんだろうか。

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丸刈り税込1100円

これは日記である
詩ではなくて

思うところがありすぎて
死にたさが極まって
でもそう言うわけにもいかないので
それならば


よんじゅういっさいで
丸坊主にしてみた

死にたいなら
髪の毛くらい失おうが
屁でもないはず


良いのですか?
本当に?
思い切りますね、、、
本当にいいですか?
念入りに4回確認されて
バリカン

半分くらいまでは
笑っていられたのに
7割、8割髪の毛が
オサラバしたときに

泣いてしまいそうになった


たかだか坊主 されど髪の毛

坊主になってから
夫は、目を見て話してくれないし
次男5歳も「しばらく帽子をかぶってて。
女の子じゃなくなったおかあさんは
すきじゃない」とむくれている

くしくも、母の日のプレゼントだと
ニコニコわらうわたしの似顔絵を
持ち帰った日だった


「前髪、消すね。
おかあさんのえ、にてなくなったから
前髪、、、どこいったんやろう」
次男が悲しそうで悲しかった

丸刈り1100円税込
ものの10分で終わり、
帰りにうちわと、缶ジュースまで
頂いた

これは詩じゃなく日記


わたしはわたしを誇りたい

丸坊主くらいだけど
丸坊主に思い切って
できる人生を

そうそう送れはしないのだから


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保存しますか?


思い出したくないことばかり 
また思い出してしまう
中途覚醒で深夜0時に突然目が覚めちゃったときとか
Wi-Fiが繋がりづらくて 動画がカクカクしちゃうときとか
お風呂で髪の毛シャンプーしてるときとか
足の爪切ってるときとか
映画が予想より面白くなかったときとか
スーパーで買い物してるときとか
ごはん食べてるときとか 
なにもできずにただ横になってるときとか
その他もろもろ ありとあらゆるときと場面で



詩を描くときはいつも 
パソコンのWordを使ってるんだけども
DeleteとかBackskipとかEnterとかで
いくらでも描き直しすることが出来るし
置換機能とか選択機能とか駆使して
納得がいくまで 捏ね繰り回すことだって可能だ


人間にもこの機能があったらいいのにね
嫌な思い出 消したい過去 いらないあのひと
削除 削除 削除 削除ぉ〜!
って なんだかデスノートの魅上みたいだけど



海馬ってやつがさ 
なんでもかんでもみんな記憶してしまうくせに
肝心かなめに思い出したい記憶はなかなか出てこなくて
思い出したくもないことばっかり取り出してきやがるから


せめて記憶する前に保存するかしないかだけでも
決めさせてほしいものだよね



保存しますか? はい いいえ
名前をつけて保存しますか? はい いいえ


削除しますか? はい いいえ
ゴミ箱を空にしますか? はい いいえ


本当に削除しますか? はい いいえ







ゴミ箱は空になりました









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二つの雨―満水の遥(ある日の矢部遥 第七話)

 矢部遥は疲れ果てていた。

 一応の対応は終わった。自己の範囲で最大のことをやった。そして、ようやく帰宅した。

 タイマーで入れていた浴室の湯は既に冷めていた。追い焚きを入れると、底から熱が戻り、水面が少し上がる。肩まで浸かっても、温かさは皮膚の上で止まる。

 日付が変わった頃、雨が降り出した。いつもなら好きな音だった。なのに今日は粒がひとつずつ大きく、軒先を叩く。

 新しいパジャマをおろした。袖を通しても、布になじまない。体がずれる。一歩先なら、それは普通の事。いつでもどこでも、ちょっと水位を見ればそれで良かった。

 今日は違う事を、胸に当てた指先が知っている。今にも溢れ出しそうで、でも栓を開けるためのことすらしたくない。

 ベッドに横たわっても、雨音は遠くならない。呼吸も脈拍も勝手に走っていると遥は感じる。

 遥は起き上がり、窓から一番遠い廊下へ行った。毛布を一枚だけ持って、硬い床に躰を丸める。

 水位は下がらない。増えもしない。ただ、満ちたままそこにある。

 溢れそうな水位に、少しだけ指を浸す。
 雨の音は遠くで聞こえる。

 時折、口から声が溢れそうになる。小さく小さく息をして、揺れる水面を撫でてゆく。

 開けないことを選んだ躰は、ようやく水平と言う基準に落ち着いた。

 目は廊下から見えるテーブルの脚だけを見ている。遥はその満水をそのまま抱え、そしてずれたまま、水位を見るのをやめた。


 雨音が聞こえないことに気づいた遥は、ゆっくりと手を伸ばす。廊下の天井。テーブルの脚。玄関の靴箱。

 いつもの風景。

 起き上がろうとして、目を回す。
 まだ躰はずれたまま。湛えた何かは水脈を、別の色で巡り続けている。

 揺れる水位を感じたまま、やかんを手に取り、お湯を沸かし、いつもの休日の朝を始める。

 ただ今日は、濃いめのコーヒーを、たっぷりと用意した。


 午前中、弱々しく家事を済ませ、たっぷりのコーヒーが半分になった頃、遥はもう一度バスタブにお湯をはった。
 そういえばとベッドの脇に目をやる。数年前、友達からもらったまま飾ってあったバスソルトを手に取った。封を切ると、潮の香りと柑橘の香りが、ひっそりとした寝室に満ちていく。

 遥はクローゼットの隅にあるボックスを開けた。柔らかく、優しげなパジャマやその他いくつかを取り出すとベッドの上に並べて見る。その光景に少しだけ胸の水面が静かになった気がした。

 浴室の窓からは空しか見えない。

 遥は雨上がりのまだ薄い雲を見あげたまま、湯に躰を沈める。

 昨夜の張り詰めた胸は、まだその水を湛えたままだったが、遥は潮と柑橘の香りを躰に染み込ませるように、手を自身に添わせてゆく。

 湯から上がると、浴室の鏡が白く曇っていた。遥は拭かずにそのまま出た。

 ベッドの上のものたちが、並んだままでいる。遥はその中にそっと倒れ込む。素肌に触れる布の重さが、昨夜の硬い廊下の床をゆっくりと上書きしていく。

 潮と柑橘の香りが、髪に残っている。

 窓の外、雨上がりの光が薄く部屋に入ってきた。昨夜とは違う白さ。遥は目を細めて、その光の端を見ていた。


 水位は、まだそこにある。
 でも、今は流れの重さが違う。

 満ちたままでいることが、昨夜ほど怖くない。

 コーヒーの残りを思い出した。

 でも、まだいい。

 遥は並べたうちの一つを胸に抱いた。
 抱きしめるわけでもなく、ただ、重さを感じる。

 そのまま、眠った。


 目が覚めると、部屋の光が傾いていた。
 三時、か四時。コーヒーはすっかり冷めている。遥は起き上がり、窓を少しだけ開けた。

 雨上がりの空気が、潮と柑橘の残る部屋に入ってくる。

 水位は、下がっていた。
 少しだけ。
 でも確かに。

 昨夜からずっと湛えていたものが、眠っているあいだに、どこかへ少しだけ流れていったらしい。

 どこへ、とは分からない。
 それでいい、と体が知っていた。


 遥は冷めたコーヒーをそのまま一口飲んだ。

 苦かった。
 ただ悪くなかった。

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山水と潮風―溢水の遥(ある日の矢部遥 第六話)

 七月の日曜日、山間の温泉を出た遥は、駐車場で少し立ち止まった。

 午前中はよく晴れていたが、午後の山の空気はすでに湿り始めていた。お湯は気持ちよかった。露天からは稜線が見えて、人もほどよくいて、悪くない時間だった。
 なのに、着替えて車のシートに座った瞬間、遥は自分が軽すぎることに気づいた。
自分の胸の奥、水脈の流れ、流れはあるのに軽い。何か違う物で満たされている。そんなズレかた。

 エンジンをかけながら、その感覚に名前をつけようとして、やめた。山を下り始めると、カーブのたびに木々が流れ、やがて川沿いの道に出た。川面が、曇り空を映してくぐもった光を返している。ラジオをつけようとして、やめた。このズレを、音で埋めたくなかった。

 海沿いのバイパスに入ると、潮の香りが来た。
 遥はバイパスから並行する下道に降りると、堤防脇に車を停めた。自宅まではもう十分ほどだったが、身体が先に動いた。

 エンジンを切ると、静かになった。窓を少しだけ開ける。

 潮の湿った香りが、静かに入ってきた。
 外出着は汗ばんでいた。お気に入りのシャツも、皮膚に薄く貼りついている。帰れば清潔なシャワーと、ベッドの上には優しい寝間着が出してある。なのに遥はここで、見えない波に身を委ねていた。

 ヘッドライトが流れるたび、フロントガラスに光が走る。遥の膝を、ハンドルの影が横切ってゆく。また来て、また過ぎる。誰も遥に気づかない。

 波の音が聞こえた。

 規則的ではない。来るたびに違う。遥の心臓は、自分のリズムで打っていた。波と、心臓。潮の香りと、汗の香り。どちらも遥のもので、遥のものでもなかった。

 フロントガラスの向こう、黒い海に月が浮いていた。

 時折ヘッドライトが走るたびに、遥の姿が浮かぶ。汗ばんだ外出着の遥が、暗い海を見ていた。見えない波に、ただ、委ねていた。

 温泉が満たした何かは、波の音の中で少しずつ、形を変えていった。出るのでも溜まるのでもなく、ただ、並んで流れてゆく。

 どれくらいそうしていたか、分からない。

「ん、」

 小さな声が、波の合間に一度だけ響いた。やがて遥はエンジンをかけた。バイパスに戻り、十分を走った。

 明るい浴室で、シャワーを浴びた。

 潮の香りが、排水口へ流れてゆく。汗も、山の水も、一日の重さも、湯が引いていった。化粧水を手に取り、伸ばす。いつものシトラスの香りが、浴室に広がった。

 自分の手から、今日最後の水が、水路を辿ってゆくのを遥は感じていた。

 寝間着に袖を通す。柔らかく、軽い。今度は、ちょうどいい軽さだった。
 部屋を暗くして、ベッドに入った。スピーカーから、波の音を小さく流した。

もう一度小さく、「ん、」と呟く。
そして遥は眠りに落ちた。

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『赦しのためのマニピュレーション』

推薦対象

3ページ目(最終回)
by つつみ

全14話の長い旅路、本当にお疲れ様でした。
物語の最後に置かれた「碧月」という二文字。それが画面に刻まれた瞬間、バラバラだったピースが音を立てて繋がっていくような、見事な収束感でした。
この最終稿が提示した「碧月」という焦点から、全編を振り返る批評的感想をまとめさせていただきます。

物語の幕切れ、河野が白い画面に入力した「碧月」
それは単なる新人作家の名前ではありません。この瞬間、読者は第11話のアートフェスタへと引き戻されます。あの時、ブースの片隅で「赦(ゆるし)」という一文字の本を売り、誰よりも長くそのページをめくる「ある一人の客」を静かに見つめていた碧月。その「客」こそが、河野だったのだと。
最終稿で凛が拾い上げた「白い本」の感触――なめらかで、けれど内側にざらつきを含んでいる――。それは第4話で凛の人生を変え、第11話で河野の心を止めた、あの自費出版の本の感触です。
凛はあの時、碧月から直接本を買いました。そして河野もまた、別の場所でその本と出会っていた。この二人が同じ新人賞の選考の場で、説明できない一文に「止まってしまった」のは偶然ではありません。彼らはあの日、あの場所で、同じ「碧月の言葉」に人生の足場を奪われていたのです。
第8話から第10話にかけて描かれた凛の家庭の崩壊。母の沈黙と、父の「嘘」。その息苦しさの中で、凛は「正解」を失いました。しかし、碧月が書いた「存在ごと受け入れる」という赦しの概念が、今の凛を支えています。
最終回で凛が、倒れた母のために煮物を作っていたあの台所の記憶(根菜の形の崩れ方)を思い出しながら原稿を整えるシーンは、彼女が「不完全なもの、崩れたもの」の中にこそ真実があると確信した瞬間を描いています。だからこそ、彼女は『二年一組、三十八人』の中に、かつての自分を救った「碧月の影」を見出したのでしょう。
河野が最後に打った「碧月」という名前。
彼は第7話で「会話の多い小説を信用しない」と言い、第6話では引き出しの封筒(碧月からの手紙、あるいは新作)をあえて開けずにいました。彼は「選ぶ側」としての矜持を守ろうとしていた。
しかし、選考が終わり、凛が持ち歩いていた「白い本」を再び目にしたとき、彼はすべてを悟ります。自分たちを揺さぶったあの原稿の主が、あの日の青年であることを。
最後にパソコンの余白に名前を打つ行為は、編集者としてその才能を世に送り出す「覚悟」の表明です。
この小説は、かつて自分を救った名もなき言葉に、数年越しに『名前』を与えて世界に放つという、編集者にとって最も聖域に近い瞬間を描き切りました。
部数や返本率という「数字」に支配された1話の冒頭から、何も書かれていない「白い光(余白)」へ。
凛と河野、そして碧月。三人の孤独が「紙の手ざわり」を介して重なり合ったこの結末は、文学を信じるすべての人にとっての福音のような静けさを持っています。
最後に「碧月」とだけ記された余白には、これから始まる新しい物語の鼓動が満ちています。素晴らしい完結でした。

この作品は、派手な事件が起きる物語ではありません。しかし、一文一文を丁寧に積み上げるような筆致と、誰かの孤独にそっと寄り添うような親密さがあります。
「碧月」という二文字に込められた重みを、より多くの読者が自分の指先で受け取れるよう、冒頭の「引き(フック)」と、伏線の「接続」を少し整理するだけで、商業作品としての強度はさらに一段階、確実に上がります。
この作品を一言で表すなら、指先が覚えている、救いの感触です。
• キーボードの打鍵感。
• 紙の繊維の引っかかり。
• 煮物の湯気の湿り気。
などこれらの「物理的な感覚」を全編を通じてより書き込むことで、読者はスマホの画面(デジタル)で読んでいながらも、まるで「一冊の分厚い紙の本を読み終えた」かのような重厚な満足感を得るはずです。
全14話、この繊細なバランスを保ちながら完結させた作者様の構成力は既に十分なものがあります。上記の「解像度をさらに上げる」作業を加えることで、より多くの人の本棚に「物理的に」残り続ける名作になることを確信しています。
この物語が、いつか本当の「紙の重み」となって、誰かの手元に届く日を心から楽しみにしています。

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3分の調整 ― オフィスの遥(ある日の矢部遥 第五話)

 午前十時四十分。
会議室の空気は、少しだけ乾いていた。

 プロジェクターの光が壁に当たり、資料のグラフが淡く揺れている。
 誰かの言葉は形のまま、一定の速さで流れてい く。

 遥は椅子に浅く腰掛け、背筋を保っていた。手元のペンは、持っているだけで動いていない。

 最初のズレは、喉だった。
乾いている、というほどではない。
ただ飲み込む動作が、呼吸と嚥下のあいだで、わずかに噛み合わない。

 ――あ。

 気づいたときには、もうずれている。
 なにかの流れが、どこかで止まる。
 無理に開こうとすると、不自然になる。

外では、誰かが頷き、誰かがメモを取り、すべてが円滑に進んでいる。遥の中だけが、ほんの少しだけ、ずれている。

 水位が、低い。
それは、言葉にしても変わらない感覚だ。

外の流れは一定の速さで続き、内側の流れは、ほんのわずかに遅れている。

 遥は、合わせるのをやめた。
ペンをそっと置く。
視線は前を向いたまま、動かさない。

 吸う。
 止めずに、そのまま落とす。

 空気が、喉から胸へ、さらにその下へと沈んでいく。
腹の奥、名前のないあたりに、わずかに重さが集まる。

 もう一度。

 吸う。

 今度は、少し遅く。
 やはり止めずに、落とす。

そのとき気づく。

足の裏が床に触れている。
硬さ、温度、逃げない感触。
そこへ、呼吸を預ける。

外の声は、相変わらず続いている。
グラフも、資料も、淡々と流れてゆく。

 遥は、内側の流れに指を浸すようにして、遅れていた線を、そのままの形で受け取る。

 ――これでいい。

 体が、先に知る。
 流れが、追いつく。

遥は、そこで初めてペンを持ち直した。

ひとつ、短いメモを書く。
意味のある言葉ではない。
ただ、今の位置を残すための印。

会議は、そのまま続いていく。
遥も、その中にいる。

外側の流れは、変わらない。
そして同時に、内側の水路も、変わらず流れている。

二つは重ならないが、ぶつかりもしない。

会議室を出ると、廊下の空気が少しだけ湿っていた。

遥は足を止めずに、ひとつ息を吸う。
胸の奥で、水面が静かに揺れ、すぐに戻る。

 「ん、――大丈夫」

声には出さず、そう思う。
誰にも見えない場所で、
流れは確かに続いていた。

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皆さんがタイトルを付けてください

人生の第1章が終了した。
知っているか?人生は鋭い蝋燭を1本1本皮膚に刺すような痛みを伴う気色の悪い新興宗教なのだ。生きるのが正しいということが埋め込まれた信念が当たり前なのだ。時計の針が冷酷に午前零時を告げたとき、私の胸を満たしたのは、悲哀でも未練でもなく、ただただ底の抜けたような虚無感であった。
つまり、私はすべてを失ったのだ。
神聖であるべき自らの命を、おのれの軽薄な手で終わらせることすらできず、醜く生きながらえてしまった。死に損ないという消し去れぬ恥辱を背負い、肉親たちからは狂人を見るような冷ややかな目で拒絶され、そうして今、私はこの狭い四畳半の奈落に放り出されたのである。
カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、埃の舞う床を虚しく照らしている。
もう、誰も私を叱ってくれない。誰も私を憐れんでさえくれない。
絶対的な孤独。それは私がずっと望んでいたはずの、純粋な破滅の姿であった。
一生かかっても、この罪を償える気がしない。私はただ、この静寂の中で、自分が世界から完全に消滅していくのをじっと待つより外はなかった。私は、私を殺そうとしたのだ。誰もいないはずの四畳半の闇の中から、その声は唐突に鼓膜を震わせた。
──お前は、また生き延びたのか。 それは紛れもなく、私自身の声であった。しかし、私の喉から出たものではない。部屋の隅の、最も暗い淀みから這い出してきた、もう一人の私の冷笑であった。こんな狂った世界で生きていると頭がおかくなってしまう。発狂する。私以外にはには見えてないらしい。私しか見えていないらしい。どこにいてもずっと誰かいるから風呂場でも便所でも1人になれないのだ。窓から生首が出てきて笑いながらこっちを見つめている。
──人生の第1章が終了した、だと? 笑わせるな。お前はただ、死ぬ勇気さえなかった臆病者に過ぎない。肉親に見捨てられ、孤立無援になったおのれの惨めさを、「純粋な破滅」などという美しい言葉で飾り立てて、一体何をごまかそうとしているのだ。
声は容赦なく、私の脳髄を引っ掻いた。
つまり、この幻聴こそが、私の正当な裁判官なのである。家族を追い詰め、自らも狂気の淵に沈んだ私に、この声は無限の自己嫌悪を突きつけてくるのだ。私は耳を塞いだが、声は私の頭の真ん中で、いよいよ高く、滑稽そうに嗤い続けるのであった。
──違う! 私は、私は本当に死のうとしたのだ!
気がつけば、私は自室の戸口を飛び出し、夜の闇の中へ駆け出していた。
靴を履くことさえ忘れていた。冷たいアスファルトが裸足の裏を無慈悲に削り、鋭い痛みが走るが、そんなものはどうでもよかった。頭の中の「声」から、おのれの醜悪な正体から、一秒でも早く逃げ出したかったのだ。
「ああ! ああ!」
口からは、言葉にならない奇怪な叫びが狂ったように溢れ出た。
深夜の住宅街に響き渡るおのれの叫び声を聴きながら、私は胸の内で、凄惨な自嘲に震えていた。
つまり、私はついに本物の狂人になったのだ。
髪を振り乱し、裸足で叫びながら夜道を疾走する人間。これ以上の滑稽が、これ以上の恥辱が、この地上に存在するだろうか。すれ違う者など誰もいない。しかし、夜の闇そのものが、街灯の冷え冷えとした光そのものが、この哀れな逃亡者を指差して嗤っているように思えてならなかった。
──憧れちゃうよ、その図太い神経に。人間の本質から遠ざかって、お前は何者になるつもりなんだ?
遠ざかっていく夜の街並みを眺めながら、私の心には、不思議なほど冷え切った平穏が満ちていった。蝋燭は消えてくれない。自分のこと救えるの自分だけである。それなのに私は結局他者に救ってもらおうとしている。甘えようとしている。気持ち悪すぎる。一人で生きろ、私みたいな周りの空気を汚すやつは子供も産むな。
生涯孤独で死ね。

幸せになりたい。

心の中でそう思った。私は何者にもなれない哀れな反逆者だったのだ。

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雪灯りの宿 ーー 巨大娘小説 ーー

雪灯りの宿

笛地静恵

【ノート】R18です。おとなになってから、読みに来てください。性的な描写があります。苦手な方は、読まないでください。少し、説明が必要だと思いました。笛地にとっては。五作目となるAIとの合作小説だからです。具体的には、笛地が書いた一万四千字の文章を、一万字以内に推敲してもらいました。書きすぎた部分や重複が整理されてすっきりしたと思います。文章からも、いわゆる手癖がとれました。読みやすくなったように感じています。齢七十代にして、新しいおもちゃを手に入れた気分です。さらに、挑戦していくつもりです。よろしくお願い申し上げます。笛地静恵 二〇二六年五月十九日 米中会談の新聞記事を読みつつ

第一章 雪灯りの宿

しんしんと、しんしんと、ただひたすらに雪が降り積もる、そんな夜のことだった。

夜溝山脈の山懐に抱かれた温泉郷は、冬になれば外界との往来も途絶えがちになるほど雪が深い。大正時代から続く古い木造旅館である『八倖(はちこう)』の軒先には、大人の体ほどもある氷柱がいくつも垂れ下がり、月光を反射して青白く妖しく光っていた。

旅館『八倖』がこの地に産声を上げたのは太正の初めのこと。それから時代は唱和へと移り変わったが、山深いこの宿を包む空気は、今もどこか俗世から切り離されたかのように静まり返っている。

都会の大富豪である国分寺家は、療養のためにと、まだこの時代には珍しい電気冷蔵庫などの家財道具一式を、長男である大輔のためにわざわざこの山奥まで運び込ませていた。

「照子、ちょっと大輔さんの部屋へ、これを届けておくれ」

帳場から声をかけたのは、祖父の源蔵だ。源蔵は宿の頑固な総料理長であり、早くに両親を亡くした照子を引き取って、男手一つで育て上げてくれた恩人でもある。手渡された小さな朱塗りの漆盆の上には、小ぶりの器に盛られた山菜の天ぷらと、一本の酒が載っていた。漆の盆も、国分寺家が送ってきた道具のひとつだった。

「はーい、おじいちゃん」

今年で二十歳になる照子は、仕込みの手を止めて割烹着の衣擦れを響かせながらお盆を受け取った。照子自身も女中の仕事を勤めながら、料理人である祖父の背中を追いかけている身だ。もっとも、まだ包丁は握らせてもらえず、今は洗い物専門の「料理人の卵」に過ぎない。けれど、いつか祖父のようにおいしい料理を作れるようになるのが、彼女の密かな夢だった。

このお膳は、宿にとって「特別に大切なお客さま」のものである。

名を、国分寺大輔様という。祖父の話によればたいへんな金持ちの一族だそうで、この冬の間、旅館でも最上級の部屋を朝昼晩の三食付きで貸し切っていた。料金はすでに一括で払い込まれている。

当初、祖父は「食べる量が少ないのであれば、食費は安く済むはずだ」と宿の主人に進言した。しかし先方からは、「少量でも構わないから、とにかくうまい料理を作ってほしい。細かく世話をかける分、追加の料金はいくらでも請求してくれて構わない。金に糸目はつけないから、大輔の要求をできるだけかなえてほしい」という強い希望があった。

その言葉に、さすがの頑固な祖父も折れた。特に冬場であっても肉料理を所望されるため、この地域で手に入る雪兎や雷鳥など、冬眠中で個体数も少ない獲物を専門の猟師に手配させている。峠を業者が超えることができれば、新鮮な魚介の刺身だって手に入るかもしれない。祖父が腕を奮おうと張り切っている姿を見るのは、孫娘として純粋にうれしかった。血はつながっていなくとも、自分にとっては唯一の育ての親なのだから。

客間がいくつも並ぶ長い廊下を進む。この旅館は歴史が長い分、代々建て増しを繰り返してきたせいで、まるで迷宮のようになっていた。生まれ育った照子でさえ、時折迷いそうになるほどだ。

大輔が滞在しているのは、一番山に近い建物の二階の奥。静かな環境を望む本人の希望によるものだった。「ギィ、ギィ」と雪の重みできしむ廊下を踏みしめるたび、照子の胸はトクンと小さく跳ねる。

部屋の前に立ち、そっと声をかけた。

「大輔さん、照子です。お夜食を持ってきました」
「あ、照子ちゃん。入っていいよ」

中から返ってきたのは、優しくてハスキーな、男の子のような声だった。少し高めだけれども耳に快く、照子にとっては、いつまでも聴いていたくなるほど愛おしい響きだった。

襖をそっと開くと、行灯の柔らかな光と、炭を熾した火鉢の心地よい熱気に包まれる。

「わあ、美味しそう。わざわざありがとう、照子ちゃん」

居間の隣、寝室の真ん中に敷かれた布団から起き上がったのは、国分寺大輔その人だった。
東京の有名な帝国大学に通う二十四歳の大学院生であり、学業は極めて優秀。ゼミの教授からも研究室に残るよう強く勧められ、本人も科学者として生きるつもりでいた。しかし、突然の病が彼の未来を無残に打ち砕いたのだった。

東京にいた頃は、すらりとした長身に涼しげな目元を持つ、誰もが振り返るような美青年だったのだろう――見せてもらった数枚の写真から、照子はいつもそう想像している。

しかし一年前から、彼は原因不明の奇病に冒されてしまった。世間にいう『縮小病』である。身体だけがみるみるうちに小さくなっていく病で、未だ治療法は見つかっていない。

現在の彼の身長は、この村の大柄な女性たちの中にあって、比較的小柄な照子と比較しても、ちょうど半分ほどしかなかった。並んで立つと、照子の腰の高さに大輔の頭のてっぺんが届くかどうかというサイズだ。その姿は、まるで大きな座敷わらしのようでもあり、郷土名産の大こけしの寸法のようでもある。

国分寺大輔は、宿の子供用の浴衣を、裁縫の得意な照子が少し手直ししたものを着ていた。居間の紫の座布団の上にちょこんと正座しているが、顔立ちや体格自体は二十四歳の美青年のままである。ただ、全体の寸法だけがそのまま縮んでいるのだ。

「おじいちゃんがね、大輔さんのためにって。山鳥と山菜の揚げたてだよ」

照子は畳に正座し、お盆を卓の上に置いた。大輔はうれしそうに目を細めると、自分の両手にぴったり収まる特製の子供用の箸を器用に使い、天ぷらをつまんだ。そして、本当にお腹が減っていたのだろう、パクリとかぶりついた。

身体が小さくなったことで、当然胃袋も小さくなっている。だが、たとえ少量であっても、すぐに栄養を消費してしまうため、一日に何度も食事を摂らなければ身体がもたない。これこそが、国分寺家が「細かい世話をかける」と言ってきた理由だった。

彼の食事は、午前六時、午前十時、正午、午後三時、午後六時、午後九時、そして深夜に二回。合計八回にも及ぶ。照子はそのたびに、かいがいしく彼の要求に応えていた。大輔にすっかり気に入られた結果、今ではほぼ彼女が専属の給仕役となっている。

照子は忠実な運び役に徹していたが、それは決して苦痛ではなく、むしろ毎回楽しみで仕方がなかった。大輔がいつも本当に美味しそうに食べてくれるから、それだけで自然と顔がほころんでしまうのだ。

「んむ、美味しい……! 衣がサクサクしてて、中の山菜がほろ苦くて。源蔵さんの天ぷらは日本一だね」
「ふふ、よかった。大輔さんがそうやって美味しそうに食べてくれるのが、私たちにとって一番うれしいんです」

心からの賛辞に、照子は祖父に代わって黒髪の頭を下げた。仕事の邪魔にならないよう珊瑚の簪(かんざし)で高くきっちりと結い上げているが、照子は生まれつき髪の量が非常に豊かだった。

世間から隠されるようにして雪深い宿にやってきた彼が、自分の運んできた料理で笑顔になってくれる。それだけで照子の胸の奥は、宥めようもないほどじんわりと熱くなった。食事をとる彼の端正な横顔は、いくら見つめていても飽きることがない。まるで童話の世界から飛び出してきた王子様のようだった。

都会から病気療養のためにこの寂れた温泉宿にはるばるやってきた当初、彼は精神的にも相当に追い詰められていた。身体の不可解な変化に絶望し、ただふさぎ込む日々。雪深い里に、国分寺一族の手で幽閉されたかのように感じていたのだろう。

帝都にいれば、縮小病の研究がどの程度進んでいるのか時刻一刻と情報が入るため、未来に希望をかけることもできる。けれど田舎に引っ込んでしまえば、手紙だけが頼りだ。じりじりと返信を待つことしかできず、封を開くたびに待っているのは絶望だったが、それでも読まずにはいられなかった。

一族による、一種の隔離状態。国分寺を継ぐはずだった長男の異形を、衆目の目にさらしたくないという親族会議の決定により、すでに家督は弟が継ぐことに決まっていた。大輔は、家からも見捨てられた存在だった。

そんな彼のもとへ、もともと明るい性格の照子が毎日欠かさず通い、酒と心を込めた手料理を運び続けたことで、彼は少しずつ笑顔を取り戻していった。

このごろは、子供用の小さな机に厚い座布団を敷いて、大学院の難しい本を読んだりノートをとったりもしている。研究に集中する彼の横顔は知的で美しく、村の男たちには逆立ちしても真似できない気品があった。

何よりも、照子の胸よりも少し低い位置にある大輔の頭が、たまらなく愛おしかった。七三に分けられた、細く艶のある黒髪。旅館に週一回やってくる床屋で短く切り揃えられているのは、「髪を洗うのが短時間で済むように」という本人なりの合理的な理由かららしい。

お客様に対してそんな失礼な真似はできるはずもないが、あの柔らかな頭を撫でてみたらさぞかし気持ちがいいだろうと、照子はいつも密かに空想していた。

「大輔さん、お口に衣がついてますよ」
「え、どこ?」

大輔が笑うのを見て、照子が指摘すると、大輔の小さな手が自分の美しい顔を撫で回した。髭の剃り跡がかすかに青い。彼はやはり、子供ではなく一人の成熟した大人なのだ。

照子がそっと手を伸ばすと、大輔は逃げることもなく、されるがままに顔を差し出して目を閉じた。親指でそっと頬の汚れを拭ってやる。このくらいの接触なら、今ではお互いに平気になっていた。

最初の頃の国分寺大輔は、明らかに照子の「巨大な肉体」を恐れていたものだ。
「三メートル以内の距離に入るのは禁止」と、真剣な顔で、厳しい口調で命令されたこともある。明白に彼女の存在を拒んでいた。照子が食卓に食事を並べ、部屋を出ていくのを見計らってから寝室から出てくるほど、徹底的に警戒されていたのだ。

無理もない、と照子も頭では理解していた。もし自分の二倍の大きさの人間に迫られたら、恐怖を感じて当然だ。照子が担当に選ばれたのも、この村の女性にしては少女のように小柄だったからかもしれない。それが自分の長所なのだと納得しつつも、当時はやはり拒絶されることが寂しかった。

それでも傷つきながら、照子はただひたすら大輔の体調を気遣い、好物の料理を運び続けた。

変化が訪れたのは、ある激しい吹雪の夜のことだ。
凍える手で冷気の中を膳を運んできた照子は、部屋の暖かい空気にむせ、不意に激しく咳き込んでしまった。

「寒かったろう。――君を怖がっていてごめん」

大輔の方から、初めてそう声をかけてくれた。大雪の中、自分のために尽くしてくれる照子の真心に、彼がようやく気付いてくれた瞬間だった。大輔の心の障壁が、音を立てて崩れ落ちた日だった。

そして忘れもしない、一ヶ月前の大雪の夜。
風邪をこじらせて寝込んだ大輔のために、照子は夜通し何度も部屋に通った。祖父が煎じてくれた薬湯を運び、冷え切ってしまった大輔の小さな足を、自分の太ももの間に挟んで必死に温め続けた。

翌朝、目を覚ました大輔は、枕元でうたた寝をする照子の「あかぎれだらけの手」を見て、ぽろぽろと涙を流した。

「こんな身体になった僕を、気味悪がらずにいてくれてありがとう」

水仕事で荒れた照子の指先に、自らの小さな手を重ねてきたあの日から、二人の時間は確かに重なり合い、動き始めたのだった。

大輔が、照子の大きな手に自分の小さな手を重ねる。最初はびっくりしたものの、徐々にその温もりに慣れていった。それから二か月が経過した。

大輔の病状に大きな変化はない。しかしそれに対し、若い二人の距離は、湯治の間に驚くほど近くなっていた。二人は照れくさそうに笑い合う。

「ありがとう。照子ちゃんの手、いつもあったかくて、お料理のいい匂いがする」

水仕事でがさがさに荒れ、力仕事のまめができている自分の手をそう褒められると、うれしくないわけがなかった。

「大輔さんの手も、ポマードと髭剃りクリームの、いい匂いがします」

白くてなめらかな大輔の手。傷一つない手の甲に、うっすらと男らしい毛が生えているのを見るたび、「やはりこの人は男の人なのだ」と実感させられる。

二人は顔を見合わせ、またふふふ、と笑い合った。外を吹き荒れる猛吹雪の音など、今の二人にはまったく届いていなかった。


第二章 手のひらの上の愛しさ
大輔が食事を終えると、照子は手際よく器を漆盆へと片付けた。しかし、彼女はそのまま部屋を辞そうとはしなかった。これからの時間こそが、給仕を終えた照子にとっての、もう一つの密かな楽しみだったからである。

「大輔さん、今夜もお勉強ですか?」
「うん。教授から送られてきた新しい論文の翻訳と、僕自身の研究ノートをまとめなきゃいけなくてね。でも、この大きさだと本をめくるだけでも一苦労なんだ」

大輔は苦笑しながら、子供用の小さな机に広げられた、彼にとっては分厚い辞書や専門書に視線を落とした。二十四歳の若さで帝国大学の大学院に進み、将来を嘱望されていた彼の頭脳は、身体がどれほど縮もうとも、いささかも衰えてはいなかった。

「それなら、私にお手伝いさせてください。ページをめくるくらいなら、私にもできますから」
「ありがとう、照子ちゃん。いつも助かるよ」

照子は机の脇に膝を突き、大輔の指示に合わせて大きな洋書のページをそっと指先でめくっていく。
大輔は厚い座布団の上にちょこんと正座し、細い万年筆を握ってノートに細かな文字を書き連ねていた。その万年筆さえ、今の彼の手には大振りの杖のように見えた。

集中して机に向かう彼の横顔は、村の男たちには逆立ちしても真似できないような気品と知性に溢れている。鼻筋はすっと通り、長い睫毛が行灯の光を浴びて畳に影を落としていた。

ふと、大輔がペンを置き、小さく息を吐いて伸びをした。
「少し、目が疲れたな。……照子ちゃん、もしよかったら、また僕の髪を梳いてくれないかい?」
「はい、喜んで。喜んでお受けします」

照子は胸を弾ませながら、懐から愛用の柘植(つげ)の櫛を取り出した。
大輔が照子の目の前に背中を向けて座り直す。照子が膝立ちになり、大輔の頭の真後ろに位置を取ると、その圧倒的なサイズ差が際立った。七三に分けられた大輔の細く艶やかな黒髪は、旅館に週一回やってくる床屋の手で短く切り揃えられている。

照子は息を詰め、壊れ物を扱うように優しい手つきで櫛を頭頂部にあてた。
「……ん、気持ちいい」

大輔がうっとりと目を細め、小さく声を漏らす。その声の響きが、照子の手を通じて胸の奥へと心地よく染み渡っていった。
都会の大富豪の長男として生まれ、何不自由なく育ちながらも、異形の病を患ったことで一族から見捨てられ、この雪深い山奥へと隔離された大輔。世間的にはこれ以上ないほどの悲劇に違いなかった。

しかし、髪を梳く指先に伝わる彼の小さな頭の温もりを感じるたび、照子の胸には不謹慎なほどの独占欲が湧き上がってくるのだった。

(大輔さんが、こんなに小さくなってくれたから……。だから、私みたいな田舎の女女中が、こうしてすぐ傍でお世話をさせていただけるんだわ。神様、ごめんなさい。でも、私は今のこの人が、愛しくてたまらないのです)

大輔の髪からは、彼が好んで使うポマードと、かすかな髭剃りクリームの清潔な匂いが漂ってくる。身体は縮んでも、彼は間違いなく一人の成熟した大人の男性だった。

「照子ちゃんの手は、本当に器用だね。源蔵さんの料理を覚えるのも早いわけだ。僕の家にもたくさんの使用人がいたけれど、こんなに優しく髪を梳いてくれた人は誰もいなかったよ」
「そんな……私はただ、大輔さんに心地よく過ごしていただきたいだけです」

褒め言葉に頬を染めながら、照子はさらに丁寧に櫛を動かした。
村の男たちのような粗野な力強さは、今の大輔にはない。けれど、この小さく繊細な身体の中に宿る誠実さと優しさが、照子にとっては最高の救いだった。

実は照子には、十代の頃、村の乱暴な男に強引に迫られ、危うく力ずくで傷つけられそうになった過去があった。男の圧倒的な腕力、逃げられない恐怖――それは今も彼女の心に深い傷として残っている。

だからこそ、自分を力で脅かすことのない、手のひらに乗るほどに愛らしい大輔の存在が、照子にこの上ない安心感を与えていた。大輔の前でだけは、彼女は心からも、身体からも、すべての警戒を解いて素直な自分になれるのだった。

ひとしきり髪を梳き終えると、大輔は振り返り、照子を見上げて悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ、照子ちゃん。ちょっと、君の手の上に僕を乗せてみてくれないかい?」
「えっ……? で、でも、私、水仕事であかぎれだらけですし、お恥ずかしいですわ」
「いいから。君の手が、一番安心するんだ」

そう言われて拒めるはずもなかった。照子は畳の上に、そっと両手を揃えて差し出した。
大輔は躊躇うことなく、その小さな身体を照子の手のひらの上へと移動させた。

「あっ……」

手のひらに、大輔の確かな質量が加わる。大人一人分の命の重みが、そのまま縮小されたかのような、不思議な重み。座布団の上に座る大輔は、照子の両手にすっぽりと収まってしまうほど小さかった。

「ほら、やっぱりあったかい。照子ちゃんの手は、僕を包み込んでくれる、世界で一番優しい場所だよ」

大輔は照子の親指にぽつりと小さな手を添え、愛おしそうに頬を寄せた。手のひらを通じて伝わってくる大輔の体温と、かすかな呼吸の気配。照子は胸がいっぱいになり、零れそうになる涙を必死に堪えながら、その愛しい小さな身体をそっと見つめ続けた。

第三章 家族湯の湯煙の中で

夜も更けた頃、宿の宿泊客たちが寝静まるのを待って、照子は大輔を「家族湯」へと案内した。
大輔のために特別に時間を空けた、貸し切りの小さな温泉である。

湯気があちこちから立ち上る浴室は、外の酷寒が嘘のように暖かい。白濁した硫黄の温泉が、湯口からトトトと小気味よい音を立てて浴槽へと注がれていた。

「大輔さん、お洋服を脱がせますね」

脱衣所で、照子はかがみ込み、大輔の小さな浴衣の紐を丁寧に解いた。
衣服を脱ぎ去った大輔の身体は、まさに驚異そのものだった。
全体の寸法こそ子供のようだが、その骨格や筋肉の付き方は、紛れもなく二十四歳の成熟した大人の男のものだった。引き締まった胸筋、細いながらも男らしい肩のライン。その異質な美しさに、照子は何度見ても息を呑み、胸の鼓動を速めた。

「さあ、お湯に入りましょう」

照子は自分も着物を脱ぎ、白い肌を湯気に晒しながら、大輔の小さな身体を、壊れ物を扱うようにして、両手で抱き上げた。大輔の滑らかな肌が、照子の豊かな胸に直接触れる。

「……照子ちゃん、君の身体は本当に柔らかくて、温かいね。まるで大きな真綿に包まれているようだ」
「大輔さん、そんなにまじまじと見ないでください。恥ずかしいですわ」

照子は顔を真っ赤にしながら、ゆっくりと浴槽の縁へ歩を進め、まずは大輔の足を優しく湯に浸からせた。

「あぁ……生き返るようだ。やっぱり宿の温泉は最高だね」

大輔は、照子の手のひらに支えられたまま、湯の中に身体を沈めて心地よさそうに息を吐いた。湯の深さは、大輔にとっては立ち上がっても頭まで浸かってしまうほど深い。そのため、照子は常に片手を彼の身体の下に添え、安全に浮いていられるように支え続けた。

「お背中、流しますね」

照子は手ぬぐいにお湯を浸し、大輔の小さな背中を優しく 撫でるように洗っていった。
「君にこうして洗ってもらっていると、自分がとても大切な存在になったように思えるんだ。東京にいた頃は、病気が進むたびに、自分がただの出来損ないの塊になっていくような気がして怖かったけれど……」
「そんなことありません! 大輔さんは、誰よりも立派で、優しくて、私にとって特別なお方です」

照子は思わず大輔を後ろからそっと抱きしめるように、その小さな肩に頬を寄せた。湯煙の向こうで、二人の影が一つに重なり合う。外では相変わらずしんしんと雪が降り続いていたが、この湯殿の中だけは、二人だけの秘められた熱気に満たされていた。

第四章 雪灯りの契り

お風呂から上がり、しっかりと身体を拭いた二人は、大輔の寝室へと戻った。
部屋の真ん中には、大輔のために特別に仕立てられた小さな布団が敷かれている。しかし今夜は、その隣に照子が自分のための布団を並べて敷いていた。

行灯の火を消すと、部屋は窓の外から差し込む「雪灯り」の青白い光に満たされた。
深々と降り積もる雪が月光を反射し、室内を妖しく、けれど美しく照らし出している。

照子が布団に横たわると、大輔が自分の布団から這い出て、照子の布団の中へと潜り込んできた。

「照子ちゃん、お邪魔してもいいかい?」
「はい……大輔さん」

照子は寝返りを打ち、大輔を迎え入れるために掛け布団を持ち上げた。
大輔は照子の広大な白いお腹を登るようにして、ゆっくりと身体を寄せてくる。その小さな手足が、彼女の肌を這う感覚は、たまらなく官能的で、照子の身体の奥底をじわじわと熱くさせた。

大輔が、照子の豊かな胸の谷間にすっぽりと収まるようにして横たわる。
「こうしていると、君の心臓の音がよく聞こえる。トクン、トクンって……すごく力強くて、安心する音だ」
「大輔さんの心音も、ちゃんと聞こえますよ。小さくても、とても情熱的に動いています」

照子はそっと手を回し、大輔の小さな背中を包み込んだ。
大輔の小さな唇が、照子の胸の膨らみに触れ、吸い付く。サイズ差があるからこそ、その愛撫は細局に至るまで驚くほど繊細だった。大輔はまるで、大きな果実の甘みを楽しむかのように、丁寧に、情熱的に照子の肉体を愛していった。

「ああ……大輔さん……」

照子は甘い吐息を漏らし、自らの身体を大輔の愛撫に委ねた。
大輔の、小さくとも硬く熱り立った男としての証が、照子の指先に触れる。全体がどれほど小さくとも、そこに宿る熱量と、男としての情欲の深さは本物だった。

照子は自らの秘所を惜しみなく開き、大輔の小さな質量を、身体の奥深くへと迎え入れた。
村の男たちに襲われかけた時の恐怖とは、全く違う。大輔の愛は、どこまでも優しく、けれど確実に照子の心を歓喜で満たしていく。照子は自分の大きな身体をくねらせながら、手のひらの上で愛を囁く小さな恋人を、壊さぬように、けれど狂おしいほどの情熱で抱き締め続けた。

雪灯りに照らされた二人の影は、大きな女体と、それに包み込まれる小さな男の姿となり、古い木造の部屋で何度も何度も重なり合い、揺れ動いた。

第五章 幸福の量

「……照子ちゃん、君の匂い、本当に落ち着くなぁ」

すべてを終えた後、大輔は照子の腕枕の中にすっぽりと収まり、満足そうに呟いた。
その前髪はまだ少し湯気と汗で濡れており、照子はそれを愛おしそうに大きな指先でそっと撫でた。

「私もですよ、大輔さん。大輔さんがこうして私の傍にいてくれるだけで、私、毎日のお仕事をいくらでも頑張れるんです」
「僕が眠るまでは、ずっと傍にいてくれるかい?」
「ええ、約束します。ずっと、ここにいますからね」

照子が微笑むと、大輔は安心したように小さく息を漏らした。
大輔にも、照子には宿の仕事があることは十分に分かっている。だからこそ、無理強いは決してしない。それが、彼が残した男としての唯一の流儀であり、誇りでもあった。

雪の重みが、宿の頑丈な梁や柱を時折「ギィ……」と軋ませる。
唱和の、まだ不便で、けれど人の情けが確かに残っていた時代。外界から切り離された豪雪地帯の古い旅館の片隅で、二人の恋は静かに、けれど誰よりも熱く燃え上がっていた。

「ねぇ、照子ちゃん」
「なあに、大輔さん」
「僕、明日も、明後日も、ずっと照子ちゃんとおじいちゃんに、美味しいご飯を作ってもらうからね」
「ふふ、はい。大輔さんがおじいちゃんになるまで、私、ずっと作り続けます。毎日お腹いっぱいになるように、大好きなものをたくさん、たくさん用意しますからね」
「うん……楽しみに、しているよ……」

やがて、大輔の規則正しい、静かな寝息が聞こえ始めた。
照子は、腕の中で眠る愛しい恋人の小さな寝顔を、いつまでも、いつまでも飽きることなく見つめ続けた。

大輔の身体がどれほど小さくなろうとも。
二人の間に流れる幸福の量は、少しも縮むことはない。

窓の外では、夜明けを待つ雪灯りが、二人の未来を祝福するように青白く輝き続けていた。

(了)


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金貨と目薬(2)

<3人の関係➊>
キャバクラで働く深水 琴李(23歳)は際立って美人とは言えなかったが、
スタイルの良さと頭の回転の良さで毎月の売り上げランキングでベスト3には入っていた。
深水が売り上げナンバー1に拘らないのは深水自身が夜の世界に対して執着が無かったからだった。
昼間のファッション雑誌の契約モデルとしての仕事を充実させて、
モデル業界で注目されて上手くすれば芸能界への進出を考えていたからだった。
予定していたモデルの子が事件を起こし、雑誌の大き目なイベント撮影が深水へと回って来たので勝負所と思い
店の常連客から貰った紹介状を使い会員制のスポーツジムへ行く事に決めた。
有名ともあって入会費と年会費だけでも百万を超えた。
しかし夢への投資と思い躊躇う事なく入会し受付でトレーニング・メニューの相談へと進んだ
夜の酒を抜くとは言えなくて不規則な生活からくる体のぬくみ取りとウエストの引き締めを中心としたエクササイズを頼んだ。
何人かのトレナーが交代でメニューに従いトレーニングを進めてくれた。
トレーニングの甲斐もあってイベントも好評に終わり少しずつ昼の仕事も増え夜と昼の仕事の割合差が無くなり、
ジムへ行く頻度が増えだした時に「僕が専属トレナーに成っても良いですか?」と声を掛けて来たのが
武内 達也(25歳)だった。
「良いですけど、追加料金とかが高いんじゃないですか?」の深水の言葉に「追加料金とかは頂きません。
深水様の活動の手助けをしたくて御声を掛けさせて頂きました。」と爽やかな笑顔と共にプレゼンして来た。
要するに私を雑誌で見たフアンの一人だなと深水は思った。
「良いですよ。追加料金も不要で私の事を応援して下さる人なら歓迎です。」と
自分の融通が利くし内緒で特別なトレーニングもして貰えるかもと下心満々で承諾した。
深水の思惑通りにジムでのエクササイズは快適なものとなった。
トレーニングの効果かスタイルも以前より磨きがかかり昼間でも時々だが脚光を浴びる様になり、
テレビにこそ出ないけれど何社かの大手ファッション雑誌との長期契約を貰える様にまでになり
昼の仕事だけで十分生活が出来る様になっていた。
武内とも二人で食事をする仲になり自然と夜を共に過ごし朝を迎える日も有った。 
しかし、深水は夜の仕事を量は減らしたとは言え辞める事はしなかった。
何故なら店に出る日が少ない事からレア度が高いと客からの指名度が高まったからだ。
そんな深水を我先に指名すると息巻く客が占める店内で、
初めての来店客にあてがわれるシステムで女の子が自動的に入れ替わるお試しタイム中で
静かに相槌を打ちながら静かに飲んでいる男が深水の目を引いた。
それが加賀見 陵介(25歳)だった。
一目見ただけで仕立てが良いと解るスーツを着こなしクールな顔で女の子を相手する様子は、
どちらが客なのかと思う程に店の女の子達が浮かれていた。
フロアーボーイに耳打ちして指名を数件キャンセルし加賀見のヘルプにセッティングさせた。
「深水 琴李と言います。」座るなり名刺を渡し「御名刺を御持ちでしたら頂けますか?」と
加賀見に喋る間を与えず名刺を要求した。
「加賀見 俊介です。」と言って名刺を差し出す俊介の手を優しく包み込む様にして名刺を受け取った。
「凄い、イラストレーターさんなのですか?
私も少しだけですが雑誌とかでメディアに顔を出しているので興味が有ります。
良ければ私を今夜、加賀見様の横に座らせて貰えないでしょうか?」琴李の言葉に頷くのを見て
フロアーボーイに指名が入ったと合図を送る。
加賀見の必要情報と自分のアピールをして深々と頭を下げてから太客の指名をこなし深水は今夜の仕事を終えた。 
~つづく~

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幸子の幸 ーー 巨大娘ダーク・ファンタジー ーー

幸子の幸

笛地静恵

【ノート】
R18の「巨大娘小説」です。一万字のダーク・ファンタジーです。成人して興味があるようでしたら、もう一度、読みに来てください。そして、暴力や性的な描写があります。異常です。不愉快になります。つまらないです。苦手な人は読まないように、ご注意を申し上げます。2026年5月18日 笛地静恵

【あらすじ】
未知の難病「縮小病」により、身長が80センチメートルに縮んでしまった中学生の太一。かつて自分が「ミニちょん」と見下していた無口な同級生・高橋幸子に、放課後の旧体育館へ呼び出される。太一を待っていたのは、圧倒的な体格差を背景にした、幸子からの狂気的な愛の告白と、抗えない力による肉体的な蹂躙だった。脅迫写真で逃げ道を塞がれ、絶対的な捕食者となった彼女の奴隷となる太一。だが、次第にその歪んだ支配に奇妙な安堵と、男としての悦びを見出し始めていく。
病による肉体の縮小が、教室の権力構造を文字通り「逆転」させる衝撃的なダーク・ファンタジー。ディストピア・エロス。圧倒的な質量と筋力の差を前に無力化する少年の恐怖と屈辱が、生々しい官能性とともに描かれます。暴力的な支配の果てに、従属の快楽へと脳が書き換えられていく心理描写が秀逸です。読者をゾクゾクさせる怪作です。



「話があるの」
 太一は、クラスで二番目の〈ミニちょん〉である高橋幸子に呼びだされた。〈ミニちょん〉というのは、小さいという意味のあだ名だ。先生からは、使ってはいけないと注意されている。差別になるからだ。しかし、裏では、みんなが使っている。公然の秘密用語だった。
要件はわかっている。太一がクラスで一番の美少女を、エッチな顔で盗み見ている横顔を、幸子のスマホで盗撮されたのだ。あれを消してもらうためには、太一の大切なコレクションであるゲームのカードの一枚を、渡すしかないかもしれない。それとも、現金を要求してくるつもりなのだろうか。
幸子の家があまり裕福でないのは、なんとなく感じている。女の子たちが、ぶらさげているおしゃれな小物のたぐいが、彼女のカバンには、ひとつもついていない。セーラー服の生地も、てかてか光っている。髪の毛にも、艶がなかった。かわいて、ぼさぼさしている。
幸子は、無口で目立たない。勉強も運動も普通だ。世間を騒がせている未知の難病のニュースなんて何の関係もない。どんなに世界が変貌しようと、幸子はただそこに、無口で目立たない存在として佇んでいるだけだ。だが、どこかしら底の知れないところがある。本心が読めないのだ。いくら、いじめられても、けして泣き顔を見せない。あの気の強さは、どこからきているのだろう。



二人で、旧体育館への渡り廊下を歩いていた。運動部も、後片付けを済ませている。校庭に人影はない。誰も見ていない。太一は、助かったと思った。自分の恥となる事件だ。ばれたら、級友たちから、何を言われるか、わからない。まして、太一は、それでなくとも、みんなから注目される存在となりはてている。同級生の誰にも、今回のことは、知られていないはずだ。
昼休み、幸子はクラスメイトたちの前で、いかにも身体の小さな太一を気遣うような優しい声で話しかけてきた。
「太一くん、頼まれたプリントの整理、放課後に、ちょっとだけ手伝ってくれない」
誰も二人の行動を怪しまない。幸子の計算通りだ。
幸子は、何を話しかけても「あとで」と答えるだけだ。大股で、すたすたと太一の前を歩いていく。追いつくために、小走りにならなければならない。歩幅も、二分の一になっている。廊下を歩くだけで大仕事だ。クラスメイトの倍の体力を消費する。旧体育館へ続く三段のコンクリートの階段は、膝を胸元まで大きく引き上げなければ、登れない。険しい障壁だ。幸子との距離が開いてしまう。焦ってズボンの裾を踏む。危うく転びそうになる。
幸子の後姿を、こんなに至近距離から見るのは、初めてかもしれない。いや、見上げていると言うべきだ。やせているのに、お尻が大きかった。肉がついている。予想外だった。なにしろ太一の目線の高さで、左右に揺れている。いやでも、目に入ってくる。スカートから、にょきりとのびた太ももは太い。膝の裏側の皮膚が、洗ったようにきれいだ。ふくらはぎには、筋肉がついている。たくましい。そういえば、幸子は小さいのに足が速い。短距離の選手でもあったのだ。足首は細く締まっている。アキレス腱は強靭だ。
太一は、顔を左右に大きく振った。自分は無遠慮に、何を見ているのかと思う。今は、そんなときではない。なにしろ、女子のからだを盗み見るというエッチな性癖のおかげで、困った状況に置かれているのだ。反省すべき点だった。
困るのは、こんなからだになっても、性欲だけは、相変わらず残っていることだ。いや、前よりも、強くなっているのかもしれない。太一専用となった男子便所の隅の個室で、出さなければならないことがある。何しろ、太一の視点からだと、女の子たちのスカートの中身が、その気がなくとも、のぞけてしまう。パンティの色や柄がわかってしまう。太一の身長と同じほどの生足の森が、周囲に群がっている。むらむらする。
それに、ある種の女の子たちは、太一で遊ぼうとする。廊下を歩いていると、いきなり二本の足が。頭上を通過していった。突風が吹きすぎた。
「あ。ごめん。見えなかった」
そんなはずはない。
ある時は、下級生の女子たち四人に、四方を囲まれていた。おしゃべりに集中している。出られなかった。
しかし、これらは、太一を、おもしろいおもちゃとして、遊んでいるだけだ。一人前の男としては、見ていない。このままでは、彼女もできないだろう。キスをしようとしても、口まで届かない。太一が精一杯、両手を上に伸ばしても、高く前方に突き出したブラウスの胸の下あたりまでしか、届かない。一生、童貞をつらぬくしかないのか。それに、縮小病は、まだ未知の病気だ。これから、自分のからだが、どう変わるのかさえわからない。
太一の頭には、将来への不安が、渦を巻いている。〈ミニちょん〉の高橋幸子なんかに、新しいもめ事を持ちこまれるのは、耐えられない。手っ取り早く解決してしまいたかった。
 高橋幸子が、旧体育館の扉を開いた。中に入った。倉庫は半地下にある。校庭には、まだ日の光が残っているのに、内部は薄暗かった。幸子は電気をつけなかった。誰かがいると、わかってしまうからだ。



半年前までは、太一の身長は、百七十センチメートルはあったのだ。中学二年生の男子としては、平均的な数値だ。
幸子は、クラスで一番の〈ミニちょん〉の女子生徒だった、百四十五センチメートルそこそこしかない。見下ろすには、十分すぎる背の高さだった。「おい、〈ミニちょん〉幸子。そこ、どけよ」「〈ミニちょん〉は、歩幅が狭くて、歩くのが遅いのが、じゃまだな」
太一は、日常的に軽口を叩いていた。からかっている。それだけのつもりだった。
未知の難病「縮小病」に罹患したことで、世界は劇的に変化した。発症からわずか一ヶ月で、太一の身体は、骨も、筋肉も、内臓も、すべてが、均等な割合で縮小した。症状が安定した。縮小病棟から退院した。身長は、八十センチメートル。元の半分以下の肉体しか残されていなかった。幼児のサイズである。
母親に手を引かれた幼稚園の女子児童から、優越感をもって見降ろされたことがある。近所の道ですれ違ったのだ。
「ママ。あのお兄ちゃん」
「しっ、見るんじゃ、ありません」
母親に引きずられるようにして、遠ざかっていた。親しげに太一へ手を振っていた。仲間だと思われたのだろう。
教室に戻った太一を、級友たちは、哀れみと好奇の目で迎えた。特に女子生徒たちの腫れ物に触るような優しさが、太一の男としてのプライドを、じわじわと傷つけていた。
退院の時期に、縮小人間の肉体に合う衣服や下着が、政府から無償で支給されている。中学校の制服も含まれている。制服のミニチュアが太一の境遇を象徴していた。元のままの教科書とノートは重くてかさばる。机の上でページをめくるだけでも、両手が必要となる。
階段は膝を大きく曲げないと登れない。障壁だった。当たり前だった校舎のすべてが、巨大なアスレチック場となった。障害物との闘いの日々だった。
太一は、三段の跳び箱によじ登った。以前は椅子代わりにして、簡単に腰を下ろせた。自分の背丈ぐらいある。その上で足を組んだ。
入り口に立ったままだった幸子が、ゆっくりと振り返った。扉が、重い音を立てて閉まった。内側から鍵をかけた。
「なあ、何の真似だよ。幸子」
精一杯、すごんで見せた。しかし、声は体格に比例して甲高くなっている。その上に、かすれていた。威厳も何もない。
ずしんずしん。幸子が、太一の方に歩いてきた。足音が、体育館のコンクリートの床と跳び箱を通しても、太一の小さな身体に、直に振動として伝わってくる。
目の前で止まった。腰に両手を当てている。仁王立ちになった。眼前にそびえた。威圧感に息を呑んだ。普段、クラスの男子たちからは、〈ミニちょん〉とからかわれていたはずの幸子が、見上げるような大女だった。スカートのゴムの位置が、太一の胸の高さにある。くびれた腰がある。巨大な生きた彫像だ。高く突き出たブラウスの胸の下側を見上げている。幸子は、そんなに胸がなかったはずだ。かなりの巨乳に感じられた。
「どうして、そんなに、おびえた顔を、してるの。今までみたいに、私のこと、〈ミニちょん〉って呼んでいいのよ」  
幸子が、にっこりと微笑んだ。細い切れ長の瞳は、まったく笑っていなかった。
「カードか、それとも、金か」
太一としては、切り札を出したつもりだった。幸子がくすりと笑った。
「ああ、あなたが気にしていた、あの盗撮写真のこと。あんなの、どうでも、いいんだ。それより、きいてほしい話が、あるんだけど」
「なんだよ、もったいぶらずに、早く言えよ」



高橋幸子は、太一の目の前で、膝をついた。肉体の圧迫感からは、ひとまず解放された。安心はした。妙な沈黙の間があった。太一が口を開こうとした瞬間、幸子がかすれた声を出した。
「私ね、太一くんのことが、ずっと、好きだったんだよ」
唐突な告白だった。幸子の顔が近づいてくる。熱い吐息が、太一の顔全体を包みこむ。口臭を吹き付けられた。
「毎日、毎日、私を、からかってくる太一くんを見て、愛おしくて、たまらなかった。みんなが私を無視して、空気みたいに扱った。でも、太一くんだけは、いつも私をちゃんと見ていた。声をかけてくれた。意地悪な言葉だって、たいせつな言葉だったんだよ。だから、悪いけど、こんどのことでは、私、神様に感謝しちゃったよ。太一くんが、こんなに可愛くなって、私の前に、現れてくれたんだもの」
「な、何を、言ってるんだよ、幸子」
訳が分からない。太一の心臓が、早鐘を打っている。恐怖のせいだ。甘く見ていた。
退院時、主治医から真剣な顔で告げられた言葉が、耳の奥で蘇る。
『太一くん、絶対に普通サイズの人と、二人きりになってはいけないよ。肉体の差は、人間の精神をも、狂わせる。牙を隠した捕食者が、君をオモチャにしようとして、近づいてくるかもしれない。不幸な事件が、全国で、いくつも起こっているんだ』
太一は、まさか同級生の、それもあの無口な幸子が、捕食者に変貌するとは、夢にも思っていなかった。捕食者とは、ニュースに出てくる大人の犯罪者のことだ。自分が散々見くだしてきた、クラスで一番小さな女子生徒が、その牙を持っているなどとは想像すらできなかった。
しかし、これは、やばい。相当にやばかった。高橋幸子の瞳が濡れている。
「ふざけるな。俺は、お前のことなんか、好きでも、なんでもない。そんな風に言われても、気持ちが悪いだけだ。消え失せろ」
精一杯の拒絶だった。男のプライドをかき集めた。怒りを示した。しかし、身体の縮小にともなって、甲高くなっている。幼い子どもの悲鳴のように頼りない。
幸子の表情から、温度が消えた。もともと浅黒い顔をしている。日に焼けているわけではない。そういう体質なのだ。顔が冷たい石の仮面となった。
「へえ、拒むんだ」
低い声が、倉庫の空気を震わせた。
「それだけ、小さくなって、一人じゃ、何も、できないくせに。まだ、私を見くだせると、思ってるんだ」
 幸子が立ち上がった。太一の眼前に聳えた。巨大な肉の彫像だった。
太一は、本能的な恐怖を感じた。跳び箱から飛び降りた。背中を見せて逃げた。
「ねえ、どこに、行くの」
幸子が、哄笑した。
ゆっくりと太一を追いかけてくる。出口に向かう方向は、ことごとくじゃまされた。倉庫の奥へ進む。夕暮れのわずかな光すら届かなくなる。闇が迫ってくる。幸子の巨大な肉体が、黒い影となっている。幸子との関係は、完全に逆転した。薄暗い倉庫の中で、太一は無力な獲物でしかなかった。幸子は、絶対的な捕食者と化した。
「そんなに、急がなくても、時間は。たっぷりあるよ。太一くん」



太一は倉庫の奥の壁へと、追いつめられていた。高橋幸子の肉体の壁が、太一のからだを、とうとう倉庫の壁に磔にした。コンクリートの打ちっぱなしである。太一の背中に冷たかった。長い年月の間に張り付いた、乾いた消石灰と埃の香りがした。
幸子の白いブラウスの腹に、顔面を圧迫された。女の子特有の甘い匂いがする。服地から石鹸の香りが漂う。幸子自身の臭いの方が強い。発汗しているのだ。襞の多い紺色の制服のスカートが、ステージの幕のように重く垂れている。
「悪かったよ。今までは、からかったりして、ほんとうに悪かった。謝るからさあ、そこを、どいてくれ」
「別に、謝って、欲しいんじゃ、ないよ」
幸子の大きな両手が、伸びてきた。太一の薄くなった両肩を掴んだ。握力の強さに息をのんだ。抵抗しなければ。手首は、大木の幹のように太い。幸子の手は、太一の肩の骨を握りつぶせる。大きくて重い。太一は幸子の手首をつかんだ。手首でも自分の二の腕と同じぐらいに太い。押し戻そうとした。びくともしない。筋肉の質量が異なる。生み出す筋力が違いすぎる。
幸子の顔が、接近してくる。目を閉じている。唇を丸く突き出している。キスをしようとしているのだ。
「やめろ、お前、おかしいぞ」
ぺっ。唾を吐いた。至近距離だ。幸子の口元にかかった。
「やらかしたね」
幸子は手の甲で顔をぬぐった。太一の両脇に両手が差しこまれた。持ち上げられた。幼児を抱え上げるように軽々と。太一の身体が、宙に浮いた。
「やめろ、放せ」
太一は、空中で足をバタつかせた。幸子の両肩を拳で叩いた。足で胸を蹴とばした。しかし、何の痛みも与えていない。幸子は、細い眉一つ動かさない。
太一を、わきにあった厚い運動用のマットレスの上に、無造作に投げ飛ばした。ドサリ。力をこめたとは思えない。それなのに、太一は、柔らかいマットに、背中からたたきつけられていた。息ができない。受け身も取れなかった。力が違いすぎる。幸子には人形の相手をしているようなものなのだろう。
太一はマットに肘をついた。起き上がろうとした。だが、視界が完全に遮られた。幸子の両足が、太一の身体を跨いだ。上半身で覆いかぶさってきた。全体重がのしかかった。
「ぐふう」
太一は、自動車にひかれた蛙だ。つぶれる。幸子は、体重差をわかっている。楽しんでいる。息ができない。圧迫感がある。
太一は拳骨で、幸子の胸を殴る。手加減はしない。全力だ。白いブラウスの下に、胸の弾力を感じる。それなのに、何も感じていない。笑っている。太一の無力を楽しんでいる。
幸子が、喉を鳴らす。
「ねえ、太一くん。それで、全力なの。もっと、力をこめて、胸にふれて、いいのよ。くすぐったいだけ。私を、感じさせて」
太一は全力で暴れた。ボス。ボス。連続で幸子の腹にパンチをたたきこんだ。サンドバッグを殴っている感じだ。幸子の腹筋が、鉄のように固い。拳骨が痛い。
「そんなに、ジタバタ動いて。かわいい。〈ミニちょん〉は、無駄な動きが多くて、じゃまだよ。なあんてね」
太一の気のすむまで、やらせるだけやらせた。彼我の体力の差を思い知らされた。太一の腕が止まった。息が切れた。小さな肉体は、すぐに疲れてしまう。燃料がきれたみたいだ。
「もう、いいの。それじゃ、今度は、こっちから、行くわよ」



高橋幸子が上から覆いかぶさってきた。太一の顔にかかる自分の髪を指ではらった。うっとりとした目つきで見下ろした。
「やっと、私だけのものに、なってくれた。もう、どこにも、逃げられないよ、太一くん」
太一の両手首は、幸子の片手だけで、頭上の床に縫い付けられた。万力が締め付ける。びくともしない。
もう片方の手で、高橋幸子は太一の顎を乱暴に掴んだ。無理に上を向かせた。
「いやって、言っても、もう遅いよ。太一くん」
「んぐう」
言葉を挟む余地はなかった。幸子の唇が、強引に太一の唇を塞いだ。太一が映画や漫画で知っているはずの甘いキスとは全く別ものだった。幸子の口が、太一にとっては、あまりにも大きすぎるのだ。鼻と口を同時にふさがれた。パニックに陥った。呼吸できない。酸素が足りない。舌が挿入される。唇を閉じて拒もうとした。こじあけられた。分厚い舌の筋肉が、口内を蹂躙する。頭の中が真っ白になる。太一は目に涙を浮かべた。
かろうじて拘束されていない足を動かした。幸子の腹部を、膝で蹴ろうとした。だが抵抗は、またしても幸子の巨体で、簡単に封じられた。太一に体重を乗せる。それで十分なのだ。みしみし。肋骨がきしむ。生々しく胸に響く。幸子が、わずかに腰を浮かせる。ドスン。体重を預ける。そのたびに、太一の肺の中の空気が、強制的に絞り出される。抗おうにも、太ももの片方ですら、太一の両腕では、びくとも動かせない。大木だった。圧殺される。



どれほどの時間が、経ったのだろうか。ようやく高橋幸子が、唇を離した。太一は、頭がくらくらした。何も考えられない。咳きこんだ。無我夢中で、空気を肺におくりこむ。それしかできなかった。口元からは、だらしなく銀の糸が、引いて垂れている。幸子の唾液だった。
「あはは、すごい顔。でも、可愛い」
幸子は、欲しかった人形を手に入れた子どもだ。純粋で残酷な笑顔を浮かべている。
両腕で胸に抱かれた。強い力でブラウスに押し付けられる。太一の骨が、ぼきぼき鳴る。太一の尻は、幸子の左腕に乗っている。右手が背中を支えている。太一の両足が、幸子の腹の前で、ぶらぶら揺れている。幸子の右手は、太一を支えながらも、幸子は長い指先で、制服のスカートのポケットから、スマートフォンを抜き取った。太一にレンズが向けられる。太一は気づけなかった。意識が朦朧としている。両手が無意識に突き出た胸を押し返そうとしている。
抱かれたまま、もう一度、キスをされた。今度は、そっとだった。
「好き」
太一の唇が、幸子の唇の間に挟まれた。口腔に大きな舌が入ってくる。
「わかってるでしょうけど、噛みついたりしたら、握りつぶすよ」
幸子の巨大な手が、太一の学生ズボンの股間を鷲掴みにしている。ペニスも睾丸も、彼女の手の中にある。太一の命は、文字通りに幸子の掌中にあった。
そして、またマットに投げ落とされた。
幸子の長い指が、仰向けになって倒れている太一の制服のボタンを、上から順番に器用に外していく。太一の胸が激しく上下している。「や……め……ろ……っ」激痛で過呼吸になった喉からは、まともな声が出ない。喘鳴のような掠れた拒絶を、幸子は意に介さなかった。
「何って、私のしたいことをするに、きまってるじゃん」
幸子の指先が、太一の縮小した胸元に触れる。腹部から下腹部へ降りていく。指一本の太ささえ、太一にとっては脅威だ。衣服を剥ぎ取られていく。無力な存在に貶められていく。
ズボンのベルトを外された。パンツを下ろされた。
ペニスをつままれていた。
「さあ、もっと泣いてよ、太一くん。私の名前を、呼んで。どうして、黙っているの。もう少し、お仕置きが必要かな」
 ぴん。睾丸をつま先で弾かれた。衝撃。脳天まで痛みが肉体を貫通した。悶絶した。からだを二つに折った。息ができない。びくびく。痙攣している。そんな様子を、幸子が冷たく見下ろしている。
「あはは、男の子の、急所だというのは、ほんとなんだね」
 紺色のスカートが、天蓋のように翻る。太一の視界を遮る。幸子はすでに下着を脱ぎ捨てていた。太一の顔に座ってきた。湿り気を帯びた熱い性器が、容赦なく顔面に押し当てられた。濡れている。顔はスカートの作る天蓋の影に、すっぽりと覆われている。暗い。幸子が無慈悲に動き始める。巨大な臀部の全重量が、太一の頭部にのしかかる。頭蓋骨が軋む。顔が割れ目に飲みこまれる。鼻がつぶれる。
「ああ、それ、気持ち、いいかも」
幸子は、太一の鼻に、女性自身を、ごりごりと押し当てる。左右に動かす。傍若無人だ。陰毛が痛い。濃密に繁茂している。幸子は毛深いのだ。顔の皮膚を擦られた。迫り来る幸子の大きな質量。抗えない力の奔流。太一は、涙を流した。蹂躙される運命を、受け入れるしかない。
太一の頭の芯は、急速に冷えて麻痺していった。激痛と屈辱が、キャパシティを超えた。防衛本能が、恐怖のスイッチを勝手に切った。これは暴力ではない、ただの激しい愛撫なのだ。脳が現実を書き換えようとしていた。そう思わなければ、精神が狂ってしまう。バラバラになってしまう。幸子は愛液が豊富だ。太一は、舌を出した。喉を鳴らして飲んだ。粘膜の襞を舐めた。
「ああ、太一くん、好き」
 幸子を喜ばせた。
「太一くん、柔らかくて、小さくて、かわいい。お返しよ」
 強制的に口で射精させられた。幸子に飲まれた。



 行為の後で、全身を拭かれた。きれいな新しいタオルだ。アルコール入りのティッシュもある。高橋幸子は、すべてを用意していたのだ。
「さあ、きれい、きれい、しましょうね」
乱暴に引き裂かれたあとに、赤ん坊のように優しく拭き清められている。幸子の手のぬくもりに、太一は、おぞましいほどの安堵を感じた。極限まで痛めつけた捕食者が、母親のように自分をケアしている。巨大な怪物に逆らってはならない。身を委ねてさえいれば、これ以上の痛みは与えられない。奴隷の平穏が太一の胸に染み込こんでいく。
幸子は太一の頭髪に鼻をつけた。くんくん。嗅がれている。
「少し、臭いかな。これ、私の臭いよね」
仕上げとして、最新鋭の消臭剤を太一の髪と身体に、容赦なく吹き付けた。タオルでごしごしと拭く。幸子の生々しい匂いは、無臭の素材で完全に上書きされた。凌辱の痕跡は、きれいに消し去さられた。
「これからは、毎日、放課後は、ここでこうして、遊ぼうね。言うことを聞かないと、クラスのみんなに、太一くんが私の胸を触っている、この新しい写真を見せちゃうからね。『太一くんが、私の胸に抱きついてきた』この証拠写真を見せれば、みんな信じるよ」
幸子が制服のポケットから、スマートフォンを取り出した。太一も同じものを持っている。両手でなければ持てない。幸子が指を滑らせる。太一の顔と同じサイズの画面が、ギラギラと発光する。暗い倉庫内を冷酷に照らし出す。幸子は太一の画面を見せた。幸子の白いブラウスの胸を、小人が両手で鷲掴みにしている。太一は、絶望に打ちのめされていた。
幸子は衣服と髪を整えた。太一は片手を握られている。母親に付き添われた子供だった。倉庫の窓から差しこむ斜陽が、二人の異常な体格差を、克明に照らし出した。
「また明日ね、太一くん。もし学校を休んだら、すてきな写真を、クラスのグループラインに、流しちゃうから」
校門から出る幸子は、小さな同級生を献身的に守る、やさしい女子生徒の役割に徹していた。
「先生、さようなら」
 にこやかに、あいさつをしていく。何事もなかったように、校庭に日が沈んでいった。



次の日からも、教室での高橋幸子は、クラスで二番目の〈ミニちょん〉という役割を、完璧に演じていた。長身の同級生たちの隙間を、優雅にすり抜けていく。自分のステップで自信をもって歩いている。しかし、太一を見下ろす目には、冷酷な光が宿っていた。幸子は唇の動きだけで、太一を呼んだ。〈ミニちょん〉と。気付けるのは、幸子を見上げる太一の目しかなかった。
それどころか、以前よりも、馴れ馴れしくなっている。距離が近い。
「太一くん、教科書、重くない。開いてあげるよ」
クラスメイトの前で、甲斐甲斐しく太一の世話をする。幸子の笑顔は、やさしい同級生そのものだ。
「高橋さんは、太一くんに優しいのね」
周囲の女子生徒たちが、囃し立てる。
太一には分かっている。幸子の指先が、太一の肩に軽く触れる。暗闇で、肩の骨を砕かんばかりに握りつぶしてきた握力。誰も高橋幸子の正体に気づいていない。
しかし、と、太一は、頭の隅で考える。自分は、高橋幸子との間で。ファースト・キスを済ませてしまった。より正確には、奪われた。その上、フェラティオから精飲までを、一気に初体験した。女の子の秘密の部分に口をつけた。舌で舐めた。記憶にないが、ブラウスの胸にも触れた。
高橋幸子は、何度もやろうと断言している。変則的にだが、彼女ができたようなものかもしれない。そうだ、凌辱でも脅迫でもない。太一を熱烈に求める女子に、手ひどく、しかし深く愛されているだけだ。〈ミニちょん〉に成り下がった自分を、男として欲望してくれる。世界中で。この大女しかいない。何か、新しい季節が、巡って来るのかもしれない。太一は目の端で、高橋幸子の三角の白いブラウスの胸元を、盗み見していた。

(了)

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即時一杯の飯の如かず⑰

 ep.17 「Twist Lick Dunk」

 路嘉の隣から逃げ出せる猶予はあった。
 しかし残業を振ってまで一緒に居たい気持ちを優先した俺は今、レンタルショップ<R18>エリアの暖簾を潜り、女性の裸体が並ぶ異世界で立ち尽くしている。
 表を上げられず視線を反らした先にも激しいタイトル・・・・・・いかがわしい。

 「外で待ってる」
 「・・・・・・は? 適当に見てて」

 レンタルビデオといえば現物を借りて店で受渡するのが従来のやり方だが、今はパッケージの二次元コードを読み取ってサイト内で期限付きAVを視聴。スマホ決済ができるので店員と顔を合わせる必要が無いのは利点だが、現代社会においてネット利用に完全移行しない理由は店側の利益になるのだろう。ネット価格は月額2200円の他タイトル別500円~有料ダウンロード可能だが、店頭価格は映画一律・5本/1000円利用でポイントもつくのだから足を運ぶ客は誰かしらいる。路嘉がそうであるように。
 一週間にタイトル5本、若い男なら余裕だろう。
 女性に興味がない一方で顔が映らない男性の裸体のぼんやりとした部分に目を細めてしまわないよう必死に避けて角を曲がると、見たことがある横顔に小さな悲鳴が出た。
 元彼、佐伯総一郎との遭遇に次ぎ
 今彼、白鳥路嘉の板挟みにされる苦悩に、頭痛。些か血の巡りが良いらしい。 

 「何でお前がここに居るんだよ」
 「ここ、男しか来ないから物色・・・・・・ほら、あそこ見て」

 素直に従うと肩を押されて壁を背にしたまま、宗一郎の手が逸る。わかる、お前はそれを平気でやる男だっていうのは百も承知だ。しかし通路側から顔を覗かせる路嘉がパッケージの列で遮られる直後、宗一郎の顔が近づく。こんな所で襲われる理不尽さに抗っても汗混じりのラストノートに鋭く反応して視線が導かれる。

 「すみません。それ・・・・・・俺のなんですけど」

 俺の眼前にAVのパッケージが差し込まれ、一難逃れて膝が折れる。────た、助かった。気が抜けると足元がフラつき、暖簾を潜る客人に倒れ込む。

 「宗ちゃんおっそいよ。何や・・・・・・って、絢斗?」
 「あ、的場さん!」
 「白鳥さんもお揃いで」
 「聞いて!あそこの男に痴漢されたの」
 「誰が?」
 「絢斗が。リーマンが痴漢されるなんてゲイビじゃねぇんだから。おいこらテメェ!!」
 「あー、迷子の仔猫ちゃんが居たので」
 「エッチなおまわりさんだね。絢斗、大丈夫?」

 間一髪の救済ではあったが、眼前に飛び込んで来たのは女性のご開帳。背後からお尻を両手で掴み、開かれた様のぼかしは見覚えがあるくすんだ肉色と、事後の体液が破れたストッキングを這う。
 声は聞こえても返事がおぼつかないほど、冷静な判断ができない。張り詰めた緊張に睡眠を要求する作用に絶え兼ね、そのまま和真に頭を預ける俺は自宅に運ばれ、揺らぐ意識の中で花椒の香りに目覚めた。

 「豆腐は下茹でして、辛いソースに材料を足していく」
 「葱はいつ入れるの?」
 「味が決まってから。残りの中華スープをゆっくり注いで」
 「これ?」
 「そう、上手だね。味はどう?」
 「ん……やばっ店で食べる味」
 「葱を入れて、水溶き片栗粉を混ぜ合わせたら完成」

 和真が料理を教えている。
 こちらに気が付いた路嘉は撮影している宗一郎を避けながら、皿を持ってきた。


 今夜のメニュー

 ・麻婆豆腐
 ・豆もやしの時短ナムル
 ・茄子煮浸し
 ・レタスと玉子の中華スープ

 
 「すまない、疲れが出てしまって」
 「お疲れさん。冷蔵庫にあったもの、使ってよかった?」

 和真の間を割って抱きつく路嘉の頭を撫でながら話を聞く。
 初顔合わせにも関わらず、俺が寝ている間に路嘉はすっかり馴染んでいて安心した。

 「・・・・・・やっば。俺、天才かも」
 「殆ど和真が作ったよな?」
 「いいから。絢斗には辛すぎるね」

 確かに、激辛耐性の無い俺には花椒の刺激は強すぎるが、茄子の煮浸しの味付けを舌の上で解きながら飲み込む。
 オリーブオイルか?
 甘辛さのキレがよくさっぱりしている。疲れた体が欲するアイテムが全て凝縮された圧倒的、美味。副菜だが、これがメインに出てきても納得がいく。
 
 「あのさぁ、おやつはご飯食べてからにしなよ」

 食事に手を付けない宗一郎を見兼ねた路嘉だが、オレオの黒いクッキーを回して上下離す食べ癖は相変わらずで<あの言葉>を呟く。

 「回して、舐めて…」
 「食べ物で遊ぶな」
 「なんだお前知らないのか?」

 Twist Lick Dunk
 それは、みんなが笑顔になる魔法の言葉。

 俺ら世代には懐かしいが、路嘉は首を傾げていた。正面の宗一郎は満面の笑みで、クリームにフォークを刺して牛乳に半分落とす。
 
 「これが主食なんだよ」
 「え? おやつしか食べないの」
 「仕事だから」

 
 はい、と言葉をひとつ置いてから名刺をフォールドして自己紹介「絢斗の"友達"で、佐伯総一郎と申します」立場上、積極的に正体を明かす方ではないのに。腕組みを解く和真の視線が注がれるのは当然だろう。下手を打てば、俺ごと怒られ承知で・・・・・・この野郎。
 路嘉のレンゲから麻婆豆腐がゆっくりと零れる。自分が作った料理を食べない痴漢男の正体を知った途端、レンゲを落として口を押えた。

 「スイーツ王子、ほぉんにぃん・・・・・・て、こと!?」
 「和真は紅茶の王子様」

 腕にしがみつく路嘉の瞳はアガーでコーティングされたタルトの様に輝く。

 「絢斗は・・・・・・俺の王子様だから。あ、あのっ俺たち付き合ってます」
 「セフレじゃなくて」
 「痴漢には教えない」
 「あれは逢引きといってな」
 「うるせぇ!今度やったら俺の作ったカレー食わせるからな」
 「あはは。甘口なら食べれますけど」
 「死んでも知らねぇぞっ!!」
 「開示だな」
 「はいはーい、痴話喧嘩しないの」
 「それでは新メンバーに新米ダーリン♡お迎え、でいいのか? 絢斗」
 
 頷くと、和真の音頭でグラスをぶつける、賑やかな食卓。
 米を研いだことがない路嘉が食べ物として成立するカレーを料理できるか否か。ダメなら俺がダールカレーを作ってやると頭を撫でる先に唇が降り注ぐ。俺たちの夜は、これから。

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この世はクソ

この世はクソだ。まともで健気に毎日頑張って生きてる人が報われない。自分の言いたいことばかり言って他人に配慮のない人間ばかりが上手くいくこの世が憎たらしい。死にたい人は生きて生きたい人は死んで、この世はクソだ。身を粉にしてまで生きてる人間には絶望が降りかかり、他人の不幸で生業を立て甘い蜜を吸う輩には希望のある未来があるのだ。この世から争いが耐えないのは息苦しい人々がいるからだ。気持ち悪いんだよ。自分が苦しいからって言い訳を並べて相手を攻撃して自分を守った気になって、相手のためになってると誤認して気持ちよくなってひとりでオナニーしてるお前がいちばん愚かで気持ち悪いんだよ。ああいつもそうやって。私の首を絞めて。セコいんだよやり方が。てめぇの気持ちなんて知らねえよ。私はお前を忘れて幸せになる。アディショナルタイムを無視したお前らは今日もシャンパンを飲んでニコニコ笑ってる。グチグチグチグチ気持ち悪いゲロがお似合いだね。この世はクソだ。狂ったフリして壊れていこうぜ。遊び足りない。ラブアンドピースなんてクソ喰らえ。お前が世界の中心なわけないだろ!私は今すぐお前とこの世を壊してグチャグチャにしてやりたい。説教が気持ちいいと思ってる奴らはダサいしデブ。死にたいとか言ってる暇はない。こんなくだらない世の中で残酷なこと言うけど、自分で幸せを掴みとらないと幸せになれない。でも、こんなくだらないことばっかり、そんなこと言ってこの世のせいにしている自分がいちばんクソだ。

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UCC

夜、落ちていたコーヒー缶を見つけた

どれくらい前のだろう
もうずっとずっと浸ってたろう
赤茶色の数十年の我慢に

それを何気なく拾い
しばらく歩き続けると

今度は花が星に照らされて落ちていた

土から離されて
まだそう経ってはいない
その鮮やかさは枯れるためのものか

しばらくする月が出て
池のそばの東屋が見えてきた

僕はそっと缶に水をすくって
そこに花をさしてやると
手に抱えながら椅子にもたれかかった

星はただ静かさに沈み
木々はただ揺れにゆれ

それだけの世界が広がっていた

それだけがただ手放しがたかった

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はしつてむかうはるのあめ きみのことばにいそぎゆく
たもとをわかつはずだけど やはりわかれがさびしくて

さんざんとこにみたきみは やみをはらんでつよくある
やまにわたしはよわくあり ちぢこまりつあわれなり 

はなにみずゆくはるのあさ ほんをとじゆくひとりかな


 

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凩馨

そしてとある広場にて/パノラマの群衆が/音のないパズルに到る/へだたりのない手が/みずたまりのホタルより/絵本のページとおく/ふところのうえで/ケムリを吐いています//ひずんだ心臓を濾過する/金糸雀と呼べ/虹彩に並べ/疲れ果てた処で/日没を手にした瞬間/白い旅をはじめたとき/秋はぶら下がりはじめていた//焼き立ての情報は擬似的な物語だから/カラメルがかかったポスターに表現され/採用された旗はリンゴに広がっていく/スタートした瞬間を一滴/パンの香りと評し/おだやかに傷ついて/風にのって、街中/このからだのシナモンの匂いがとれやしない//この街の人々は/しなびた舌が/(惜しくもない、辛いとはおもわない)/いつもより長く伸びている海面をみながら/傾斜を詰めた鍵一つ持って/ただ泣いた//沈むのを忘れたように/粒子の唇に触れるとき/失われたトマトが/眠るジェスチャーをする/触覚のない口が/うねうねと饒舌になる//振動する港までいけば/立ち去るがいい/迷路のない駅までゆけば/遠ざかるばかり//そのたましいとは。ビルの隙間から/オレンジから紫へと/ゆっくり/変わり続けます//おきあがる檸檬の感覚が/その太い陽は/腐らない蒼さの地図をひき/ちぎって/輪郭なき大窓にひかりがやどるから/(潮時をみて)/いろがみの夢が苔むした花をただ、しぶき/錆びた骨を嚥下したようです//多くを語らない/装飾のない抜け殻だから/時計塔の群れに/かざぐるまはちかく/おおぞらをまわり続けた/ここで/風を均す鐘は/頬をかすめるのだけれど/うすい微笑みをこなす/目覚めにはがし/その狐兎に/わかっているけれど、誰もが気にしないんだ//使い方も登録済みの幻灯機のネガだった/とある小さな街では/誰も帰りたがらない/つややかな流れ星に想えたから/見上げたら/無意味な掌で染み込む小舟は/ブイを通り過ぎ/黒煙が開くはなびらは/クシャクシャな顔だが/点描の猛虎は耳の中で/ねむたげな足取りで//あくせくと黄昏れている/Enter.↵

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キュークツ


どんなに靴擦れしても 
まめが潰れて痛くて仕方なくても 


ずっと我慢して履き続けてる  


たぶんそれがきっと 
あたしなんだと思うわ







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メガネを外して

駅を出ると
水滴がメガネについた
電車の中でみた黒い雲
降れなければいいと思っていたのに

一歩
家路を進むたびに
雨粒は強さを増す
メガネを外すと
街がぼやけた

見えなくてもいいものまで
メガネははっきりと
輪郭を映しだす

雨粒が当たる
痛さ
冷たさ

すれ違う傘を持つ人が
どんな表情なのか
ぼやけている

重くなった靴
濡れた靴下の気持ち悪さ
急いでも変わらない

無意識でも
さわれる暗い部屋のスイッチ

灯りのついた部屋で
濡れたメガネを拭いて
かける
映る見慣れた部屋のシミ

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人間 滅亡 賛歌  

消えていく
愚かな姿が目一杯

最後の足掻きなのか
オクターブの声が耳一杯

私には今にも死にゆく
彼らを見守ることで手一杯

酒を片手に一杯
ごくりと飲み干す

腐肉の味
吐くほど不味い

充満する香り
赤血の匂い
なぜ這い寄る?
ゴキブリのように
カサカサと私の足元に縋る


地獄へゆけ


私は天使や悪魔ではない

光輪など授けてやるな

こいつらが天でもまた野を駆ける

そう思うほど虫唾が走る

そうだとも

お前たちの憧れる空の国は

所詮この世界と同じ

クソにまみれ光などない


滅亡   万歳!!!

人類   万歳!!!

滅亡   万歳!!!

人類   万歳!!!




泣きわめく
若い衆が一人

親族を失くしたのか
瓦礫と死体の山に目が泳いでいる

私には今にも死にゆく
彼らを見守ることが使命

刃物を片手に一斉
ぞくりと背に伝う


地獄へゆけ


お前は虎や獅子などではない

豚のような処分を下してやる

あぁこいつらがたくさん殺してきた

そう思うと腸が煮えくり返る

沈みゆく太陽

月などあるはずがないのだ

息絶えるまで灼熱に焼かれていろ


人類    万歳!!!!

滅亡    万歳!!!!

人類    万歳!!!!

滅亡    万歳!!!!


死にゆけ、死に行け

慎ましく、

(愚かな姿を)

静かに、

(オクターブの声を)

見えぬところで、

(見守ることが使命)


綻べ、滅べ



指で作った花瓶にスノードロップ

もう一輪(いっぱい)








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けつのろん

たった
おおよそ ひゃくねんすら
わたし(たち)には
ながすぎる

めいそうばかりしているよ
めをひらいてはとじては

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五月の空の叫び

ほどけかけた微笑みが
光の中にまぎれていく 

五月の空
やわらかなひかりが
街路樹をゆらしている

目を閉じれば
風は頬をなで
花の香りが
そっとひらく

遠いものほど
高く澄み

触れられぬまま
憧れだけが残る

迷いながら
ふと 立ち止まる午後

見上げた空の先に
かすかな叫び声



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書置。

突然、死んでしまわぬように
必死で生きています。
親であるが故に
絶対に死なないように

冷蔵庫には
家族の予定表
病院の予約票を
ベッタリとはりつけて

書置。
遺書ではなくて
(えんぎでもない!!!と笑い飛ばして)

もしもわたしに「突然が」訪れたら
だれか「書籍化を切望」して
わたしのことばだけはのこしてね
呟くだけでもいいからさ、
ちょっとだけでも ことばくらいは
残そうともがいてくれたら嬉しいな

    そう、これは、ただの書置

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にげる

にげきれている
みせかけだけとしても
そのいのちが
にくい

きみがきみだけで
いきていくことへの
つうれつなあこがれとしっと

そして おいてけぼりにされた
いない子にされた おさなごのめが
わたしのなかで ひらいて
とじない

にげるにげきれないとしってるくせに
にげたそれしかできないとおもいこませて
にげたいわたしはにげきれないから
にげようここにはいられないものね

ぜったいにいえないことを
ぜったいにいいたいこととして
このめがつきさしくちがだまらなくなる

にげる つながったいのちじゃない
つなげたいのちたちきって
おまえはおまえだと
あくまのとりひき

にげるそれができたひとがうらやましい
だからわたしはきみとはなれていたい
どんなえがおとことばとはなを
きみがたずさえていようとて

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ふれる

かぜのなかをあるく
きせつが
はるなつあきふゆと
きめていたのは
こちらだけなのに

おもいどおりにならないと
くびをかしげて

ふれる
かぜに
ほほとかみとうでと
なでてもらって

そのひを
ちょぴっと つれていって
もらう

できることが
すくなすぎるわたしは

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子殺し

いつしか まっすぐ
みつめられなくなったのに
いっぽうてきな めいれいを
まもらせるときだけ
めをみて
としかりつける

幾千回万回億回
嬲り殺しだろうか
自問自答しかしないくせに
鏡は見ない
深呼吸はしたことがない

いつしか やいばと
おもいこみ むきあうのを
おそれて

きょくたんなはなしではなく
じかくがある
しめころした手の感触

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義姉の力

ひさしぶりに見る伯父と伯母と叔母と叔父たちだった
冷え冷えとした神社の大座敷に
大父や大母も座っている
得体の知れない女中も来ている
あいかわらず細い目の能面顔である
むかし行方不明になった犬のマルもいて
せわしなく尻尾を振っている
車座になって族やからは
みんな笑ってニコニコしている
正面に神主の叔父が鎮座ましまして 
飴色に焼けた顔から目を光らせている
神主の娘の三人姉妹も揃っている
そのぐるりを父は一人一人に頭を下げて廻っており
いつものように額縁の中の母も微笑んでいる
その真ん中でいきなり素裸に剥かれたわたしの首を
背後から羽交い締めにした義姉が
ぐいぐいと太い腕で締めつけてくる
逃れようと一瞬もがいたが
これがごく自然のまっとうな正義
心地よくなすがままにされていた
ギリギリと締め上げる義姉の審問はまもなく
ヘッド・ロックからスリーパー・ホールドへとうつり
一生が昏くなり気が遠くなりかけた頃
三人姉妹の笑いさざめく声も聞こえ 
あの娘らのうちの二人はむかしわたしのお嫁になりたいと云っていたのに
みんな笑ってニコニコうなづいている
涎を垂らし、舌を出し、窒息寸前の息子を
父と母は見つづけなければならない
やがてやさしい義姉は後ろから
わたしの腕と脚にたくましい腕と脚をからめるや
えいっ、と万力加えて仰向けになった
大胯びらき、赤ちゃん固めにされて目まで真っ赤になったわたしを
泣き笑いを浮かべて悲しい兄が見ている
首を振って、うんうんうなづく恥ずかしいわたしを
みんな笑ってニコニコ見ている
ようやく会議は果てて万事は解決したようだ 
畳の上に全裸のまま投げ出されていたわたしに
ロープを一本、切符を一枚、義姉はくれたのだ
みんな笑ってニコニコ音もなく万歳をしていた
ロープを入れた紙袋ひとつを提げて
境内の中の駅から独り列車に乗った 
曇った北海の空の下
車窓の沖から
車輪の下まで
蒼黒い海は齒を剥いており
終着駅で引き寄せられるように一本道を                      
なつかしい三角山の方へと歩いて行く
鴉の群れが急ぐ空を仰げば
空は黄昏
森は深くなるばかり
夕闇のしらない土地のしらない森が
鳥たちの目玉でいっぱいになった頃
ああ、兄さん、すっかりわたしは迷ってしまった
義姉さんが地図を付けてくれなかったので弟は
どうにもほとほと困り果ててしまったのです

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世界への疑い

世界は本当に広いのか
知らなかったことを責められて 視野が狭まっていく

常識さえ知っていればよいのか
それは当たり前だと頷いて 大切なことを知らない

知識と情報は本当に大事か
世間は知ったかぶり争い

努力は本当に報われるのか
競争に負けた時に見つかるものがある

愛情は本当に温かいのか
それは冷たさを併せ持っている

社会のルールにさえあわせてればよいか
マンネリ化した日々を送り年をとっていくだけ

活躍すればヨシとされる社会でよいのか
役に立たなければ仲間はずれにされる社会で

人生楽しければよいのか
なんの苦しみも知らないまま
苦しんでる人のことも知らないまま

未来への希望は本当に大事か
1分先の未来 私がいきているかもわからないのに

この星は本当に美しいのか
空の下は戦、いじめ、争いだらけ

信じることは本当にできるのか
世の中偽りだらけ

幸せになることは本当にできるのか
結局自分のことしか考えていない


自分に対する疑いから、世界に対する疑いへの転換

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矢部遥は少しずれる(ある日の矢部遥 第四話)

矢部遥は少しずれる。

ずれる事を感じている。
ずれるのは、外と内。
反応と認識。

ずれたら困る――訳でも無い。
不愉快――な訳でも無い。
ぴたりとあっていても――それでも良い。
無理にずらす――訳でも無い。

ただずれているとき、その時に個を認識する。

ずれるとは、大きな海の中にも海流があるような

矢部遥と言う一つの流れ。

混じり合い、入れ替わり、その位置を時々変えながら、しかし流れは独立している。

その流れは ずれとなって初めて認識できる。

遥は 今 ここにいる と。

遥は その内なる流れに 手を浸す。
遥は その内なる水位の 浮き子を見る。
ずれが大き過ぎた時 その時だけ
少しだけ 意識を向ける

水の中の水
内なる流れ

その流れを 少しだけ 速めたり とどめたり

海の中にある 自分の水門


「ん、」


とかすかな囁きが聞こえた時

それは矢部遥が、小さな調整を行った時。

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あしたは、どっちだ?

あしたがどっちなんて 
あたしにはもうカンケイないの 


どうせ行き着く先は決まってるんだし 
だったら 


どこをどう歩いたって
同じことじゃないの









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民生食堂 あじさい 第1話 拳と女

 昭和。
 イギリスのエリザベス女王が来日し、ベトナム戦争が終結した年の頃。
 今日も朝から雨が降り続いていた。
 強くはないが、止む様子もない、じとじとと湿度が身にまとわりつく雨。軒下に溜まった水は澱み、土と古い木材と排煙の匂いが混じって、民生食堂の裏口にこもっていた。
 見上げれば煙をあげる煙突。視線を戻せば工場と壁。灰色の雲を背景にそびえる何本もの煙突と工場の壁。工場から上がる金属を叩く音。それらに囲まれた小ぢんまりした空間。まるで外の人々から忘れ去られたかのような場所にその食堂はあった。

 女は一人で仕込みをする。
 袖をまくり、鍋に水を張り、火を入れる。包丁の刃を軽く拭いてから、野菜を刻む。どれも手慣れた動作だ。毎日素早く規則正しく刻む。

 壁際の板張りは湿気を吸って色が濃くなり、その継ぎ目を、灰色がかったナメクジが一匹、ゆっくりと這っていた。
 女はそれを見つけると、少しだけ眉をひそめたが、声もあげない。近くにあった古い箒の柄で、窓からそっと外へ落とす。踏み潰すでもなく、ただ視界から遠ざけるだけ。

 ふつふつと鍋が静かに鳴り始めた。
 女は蓋を開け、浮いてきたアクをすくい取る。湯気が顔にかかる。頭に巻いた手拭いを巻いた頭からのぞいた前髪が少し額に貼りつく。布巾で手を拭き、次の鍋へ移る。その間にも、流れるような雨音は途切れない。

 民生食堂はまだ開いていない。
 それでも、外にはすでに何人かの人影が見えた。軒下で雨を避けながら、黙って待っている者もいれば、落ち着きなく足踏みをしている者もいる。顔ぶれはだいたい決まっていた。

 女は食堂内の時計を見る。
 開店にはまだ少し早いが、これ以上仕込みを延ばす意味もない。

 包丁を置き、手を洗い、入口の暖簾を手に取る。表に出ると、外から大きな声が聞こえてきた。何か罵るような、湿った怒声。続いて、若い声がそれにかぶさり、言葉が荒くなっていく。

 女は一瞬、手を止めた。
 それから、暖簾を持ち直すと、何事もなかったかのように表へ向かう。女がかけた暖簾は紺地に白で「あじさい」と染め抜かれていた。入り口の傍らには雨に打たれた青いあじさいが重たげに頭を垂れている。

 今日もまた、同じ一日が始まろうとしていた。

 客が暖簾をくぐり始めると、湿った空気がそのまま食堂の中へ流れ込んできた。
 すぐに七、八人が店内に並ぶ。いつもの顔ぶれだ。誰もが口を閉ざし、ただ雨音と、鍋の煮える音と金属製の食器が鳴る音だけが沈黙を埋めていた。

 その沈黙を破ったのは、列の後ろの方に並んでいた老人だった。
 痩せた体を前に突き出し、濡れた作業着のまま、低い声で何事かを呟いていた。最初は独り言のようだったが、次第に音量が上がり、言葉に角が立ち始める。さっき店外で聞こえた声と同じだった。

「おい、どうなってやがる…… 並ばせといてこれか。遅えんだよ。年寄りは後回しかよ、おい!」

 女はまだ厨房にいた。
 老人の声は、店内の湿気をさらに重くする。周囲の客は視線を伏せ、誰も応じない。

 すると、少し後ろにいた若い職工が、苛立ったように顔を上げた。
 油と鉄の匂いが染みついた作業服。まだ若い。二十代半ばか。

「おお、うっせえな。順番だ。文句あんなら外で言ってろ」

 老人はそれを聞くと、はっとしたように顔を上げた。
 血走った目が若者を捉える。

「なんだ、青二才が偉そうに。ろくな仕事も出来ねえくせしてよ。お前らみたいなのが、俺たちの足引っ張んだ」

「冗談言うなよ。てめえみてえなロートルに何ができんだ。あ? 何言ってんだ偉そうに」

 空気が一気に張りつめる。ふたりは近寄って睨みあう。
 リノリウムの床が鳴り、誰かが息を呑む音がした。

 そのとき、最後尾に立っていた男が、一歩前へ出た。
 背は高くない。作業着姿ではないが、シャツもズボンもすっかり色褪せ、袖口が擦り切れている。顔立ちは穏やかだが、どこか疲れが滲んでいた。

「やめてくれ」

 男の声は大きくなかった。

「ここは飯を食う場所だ」

 だが、二人の狙いが逸れるには、充分だった。

 老人が男を睨む。

「なんだ、お前は。関係ないだろ」

「関係ある。これ以上騒がれると、みんなも迷惑だ」

 若い職工も、舌打ちをして男を見る。

「おいあんた、どっちの味方だよ。はっきりしろ」

 男は一瞬、言葉に詰まった。
 どちらの味方でもない。それをどう言えばいいのか、分からなかった。だからそのままを口にしてしまった。

「……どっちでもない。ただ、殴り合うような場所じゃない、と」

 それが、引き金だった。

 老人が立ち上がり、男の胸倉を掴んだ。
 同時に、若い職工も一歩踏み出す。

「若造が!」

「説教すんな!」

 拳が飛ぶ。
 最初に当たったのがどちらの拳だったのか、男には分からなかった。頬に鈍い衝撃が走り、視界が白く弾け星が飛ぶ。続いて腹に衝撃。息が詰まる。

「おい、やめろ!」

 誰かの声がしたが、もう遅い。
 老人の拳は震えていたが、若い職工の拳は重かった。男は反撃しなかった。ただ腕を上げ、耐えるだけだった。

 床が滑る。
 濡れた靴底が踏ん張り切れず、男はよろめいた。

 そのとき、鋭い声が店内を切り裂いた。

「やめなさい!」

 女だった。
 いつの間にか厨房を出て、食堂に立っている。麺棒を握っている。

「二人とも、出て行って。今日で出禁」

 その声に、老人と若い職工の動きが止まる。
 女は二人を等しく見た。憤りも同情も、その顔には浮かんでいない。麺棒を握る手も震えず、力強く握られている。

「ここは殴り合う場所じゃない。この人が言ったみたいに、飯を食う場所」

 沈黙が食堂内に充満する。雨音だけが、やけに大きく聞こえた。

 女は続けた。

「二人とも、もう来ないで」

 老人は何か言い返そうとしたが、言葉にならず、舌打ちして外へ出ていった。若い職工も、悔しそうに男と女を一瞥し、後を追う。

 扉が閉まり、雨の音も遠のいたように聞こえる。

 男はその場に立ち尽くしていた。
 口の中に鉄の味が広がる。唇が切れているのだろう。視界が少し揺れていた。

 女は男を見る。

「……あんたは、そこ座んなさい」

 命令口調だったが、声は穏やかだった。
 男は頷き、椅子に腰を下ろす。手がわずかに震えている。

 女は布巾を取り、水を張った洗面器を持ってくる。
 そして、何も言わずに、男の顔の血を拭き始めた。

 その手つきは荒っぽかったが、悪意は感じなかった。
 男は、礼を言おうとして、痛さで言葉を飲み込んだ。
 雨は、まだ止みそうになかった。

 一通りの手当てが終わると、何も言わずに女は傍らのテレビをつけた。「昼のプレゼント」が流され、軽妙なアナウンサーの声が虚しく響き渡る。そして、布巾と洗面器を持って厨房に戻り黙って配膳を再開する。民生食堂の中に、再び鍋の音が戻ってきた。食堂はいつもより静かだった。

 ようやく注文が始まった。口々に好みの総菜を頼むと、女はそれを手際よくお盆に乗せ、茶碗の飯と、希望があれば味噌汁の代わりに豚汁をつけて渡す。

 最後、先ほど仲裁に入った男がショーウィンドウの前に立つ。女は特に表情を変えずに言った。

「いいご面相ね、お節介さん」

「え?」

「うち帰ってから鏡見てご覧なさいよ」

「ああ……」

 男は痛む顔を押さえた。あざができているのだろう。

「なにがいい?」

「あー、サトイモ、シャケ、お浸し…… それで」

 女はてきぱきと注文の品と、茶碗一杯のご飯とみそ汁を合わせて乗せ、男に渡す。

「はい。余計なことには手を出さない方がいいよ」

「ああ」

 男はその一言こそ余計なお節介だと思ったが、何言わず黙って受け取り、席に着いた。

 ちらちらと自分を覗き見る人々の視線を感じながら、男は黙って飯を食った。

▼用語
民生食堂:
大正七(一九一八)年、暴動化した「米騒動」を契機にして、同年より都市部の貧困層対策として、自治体の直営または補助により「簡易食堂」や「公設食堂」と称する食堂が設営されたのが源流とされる。

昭和十六年(一九四一年)より「外食券食堂」に統合されても「労務食堂」、「罹災者給食」、「食困窮者給食」などと形を変えて運営された。

昭和二十一年(一九四六年)、東京都は再び統合された戦時的な既存の「外食券食堂」の中から指定を行う形で「東京都指定民生食堂」制度を開始した。
安価で栄養価の高い食事の提供を主眼とし、昭和二十五年(一九五〇年)から昭和三十年代にかけて、質素な一汁三菜のおかずを自由に選べるカフェテリア様式の店舗が普及した。

昭和四十四年(一九六九年)、米穀配給制度の緩和により「外食券食堂」としての機能が実質的に終了した後も、自治体の指定制度として存続したが、外食産業の多角化に伴い減少。平成七年(一九九五年)三月三十一日をもって指定制度は完全に廃止され、その公的役割を終えた。

指定終了後も、かつての屋号や看板を掲げ、当時の形態で営業を継続している「元民生食堂」の店舗が、現在も都内にわずかながら現存している。


▼次回  第2話 温もりの理由

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民生食堂 あじさい 第2話 温もりの理由

 二日間、男は昼をあんパンとジャムパンで済ませた。
 どちらも駅改札脇のキヨスクで買える。安いし、それなりに腹にも溜まる。そう思っていたが、仕事を探して歩き回った午後には、どうにも物足りなかった。空腹というより、胃の腑の奥が落ち着かない。口に甘さだけが残り、噛んだ実感もなかった。

 三日目の昼、男は傘を差したまま立ち止まった。
 そのままキヨスクへ向かおうと思っていたが、足が勝手に別の方へ向いた。あえて理由をつけるなら、温かいものが欲しかっただけだ。雨も小止みだ。忍ぶほどの恥だってかいちゃいない。みんなもう忘れてる。そう自分に言い聞かせ、民生食堂あじさいの暖簾をくぐった。

 店内は、前と変わらない。
 鍋の音、味噌の匂い、小さな音量のテレビ。午後の歌番組が流れていた。内山田洋とクール・ファイブの「噂の女」が流れていた。昼時も過ぎていたからか、客はまばらでいつもより静かだった。

 女が気づく。

「あら、久しぶり。だいぶ消えたね、あざ」

 相変わらず無感情な顔と声だった。
 男は一瞬、何か言い返そうとしてやめた。一瞬何か思いついたが、それもすぐに消えてしまっていた。

「なにがいい?」

 女はショーウィンドウの中を見る。
 男も同じように視線を動かす。

「塩サバ……  と、大豆の煮物と、ひじき煮」

 女は頷き、手際よく皿を取る。前回と同じ動き、同じ速さだった。茶碗の飯と豚汁が添えられ、ショーケースの上、男の前に置かれる。言葉はない。

 男は席に着き、箸を取った。
 一口目で、はっきりと分かった。塩気がある。噛むと、しっかりとした歯応えがある。温かい。胃の腑の奥に落ちていくのが分かる。

 あんパンとは違った。
 自分はこんなにも空腹だったのか、とその時初めて気付いた。二日分の空腹がまとめて、遅れてきたような空腹だった。

 周囲の客は、男を見なかった。
 女も見なかった。ただ、配膳を続けている。

 男は飯を食い終えても、すぐには立たなかった。
 テレビの音を聞きながら、湯気の消えた豚汁の椀を見つめていた。

 ここに戻ってきた、という感覚だけが、じわりと胸に沁みてきた。

 食堂を出ると、外はすっかり晴れていた。
 昼の雨が嘘のように、路面は乾き始めている。男は立ち止まり、工場と煙突の影に切り取られた空を見上げることもなく、歩き出した。腹の奥に、まだ温かさが残っていた。

 帰り道は遠く感じなかった。
 足取りが軽いとまでは言わないが、背を丸めて歩くことはなかった。

 部屋に戻ると、湿った空気が彼を迎える。
 窓は閉め切ったままだ。畳の隅がわずかに黒ずんでいる。流しには、朝使った湯呑みが伏せて置かれていた。

 男は上衣を脱ぎ、畳に放るように置いた。
 洗う気にはならなかった。どうせ、明日も着る。

 机の上の工具箱には、古い工具が並んでいる。
 ノギス、ヤスリ、小さな金槌。どれも手に馴染んでいるが、もう使う場はなさそうだ。男はノギスを手に取り、指で挟み幅を確かめるようにスライダを動かした。目盛りを読むことはしなかった。今の彼には、その数値から意味を見出せなかった。工具箱にノギスを放り投げる。精度が狂うが、もうどうでも良かった。

 新しい技術と工作機械の普及は、かつての職工たちを現場から追い出した。工場経営者は、高給で育成に時間を要する「ベテランの勘」よりも、未経験者でもボタンひとつで均一な精度を出せる「自動化システム」を求めていた。
 金属からプラスチックへの素材転換、そしてオイルショックによる深刻な不況。それら全てが、古い金型技術しか持たぬ男の再就職を阻む、重い足枷となっていた。 

 夕方になって、腹が鳴った。
 昼に食ったはずなのに、もう足りない気がした。

 男はキヨスクで買ってきたクリームパンを一つ、机の上に置いた。包装を剥がし、半分に割る。甘い匂いが立つ。噛むと、すぐに潰れた。歯ごたえはない。

 昼に食ったサバの歯ごたえと塩気を、思い出してしまう。
 それを打ち消すように、男はもう半分を口に入れた。

 ラジオをつける。
 軽い音楽と、景気のいい話が流れる。新しい工場、増産、明るい経済。男は音量を下げた。しかし、消しはしない。

 畳に横になり、天井を見る。
 小さな染みがいくつもある。数えたことはない。

 あじさいの暖簾。木綿の感触が、なぜか指に残っていた。
 昼に女と交わした言葉は、ほんの数語だけだ。名前も聞かれていない。聞こうともしなかった。自分もそうだった。

 それでも、飯は出てきた。
 手際よく、いつも通りの速さで、いつも通りの分量で。

 男は目を閉じた。
 明日どうするかは考えなかった。考えなくても、また日が昇ることだけは分かっている。

 外で、どこかの工場のサイレンが鳴った。
 それを合図のように、男はゆっくりと深呼吸をした。

 腹の奥に残った温かさが、消えないまま夜になった。

 また明日、男は仕事を探しに行く。
 民生食堂に行くかは決めかねていた。でもこの温もりはどこか懐かしかった。

 そして男が思った通り、明日がやってきて今日になる。
 夜明け前に雨は止み、朝から空は晴れ渡っていた。煙突と工場に切り取られた青空が男の頭上にあった。
 舗道に残った水たまりも、午後の陽に照らされて薄くなっている。男はその上を避けるでもなく歩き、くたびれたズックを濡らし民生食堂あじさいの前に立った。こんな時間に暖簾はまだ出ている。

 中に入ると、もう客はいなかった。
 鍋の音と、包丁がまな板を叩く乾いた音だけがする。

「また来たんだ」

 女は手を止めず、無表情に言った。

「ここのおかず、そんなに気に入った?」

 男は一瞬、返事に迷った。
 気に入った、と言うほどのものではない。だが、違うとも言い切れなかった。

「……なんていうか、温かいな」

 女が表情も変えず、ちらりとこちらを見る。

「ええ? 冷めてるけど?」

 男は小さく首を振った。

「そういうんじゃないんだ。 ……うまく言えないが、温かい。それは本当だ」

 女は、男には判らないほど、ほんの少しだけ口角を動かした。

「ふうん」

 それ以上女は訊かなかった。

「なににする?」

「アジの開きの半切れと…… 肉じゃがと白和えで。あと、豚汁」

 女は黙って皿を取り、盛り付ける。茶碗と豚汁を添え、男の前に置いた。

「はい」

 男は礼を言わず、箸を取った。
 店内は静かで、床に伸びた午後の陽が短くなっている。男が飯を食い始めると、女は厨房から出て食堂のテーブルを拭き始めた。

 拭き終えると、布巾をもてあそびながら男の向かい側にどかっと座る。
 距離が近い。ただ座っているだけで、話を振る様子もない。女は足を組んで、エプロンのポケットから「チェリー」とマッチを取り出すと煙草に火を点ける。少し歪んだアルミの灰皿にマッチの燃えさしを無造作に放る。

 男は箸を進めながら、居心地の悪さを覚えた。
 凝視されている感じはしなかったが、誰もいない店内で、女がすぐそばにいる。それだけで、何だかひどく気まずかった。

「……仕事は? 何やってんの?」

 女が、煙を吐きながら不意に言った。
 問い詰める声ではない。天気を聞くのと同じ調子だった。

 男は一度、箸を止めた。

「……金型をやってた」

「ふうん」

 それだけだった。

「前の話だ。今は……」

 男は言葉を切った。
 お椀と箸から手を放し、膝の上に置く。言う必要なんてあるはずもないのに、口が勝手に動いた。

「今は、仕事がない。探してはいるが、俺がやれるような金型を扱う工場が減ってて……」

 女はうなずきもしなかった。
 ただ、男の茶碗が空きかけたままお盆に置かれているのを見ていた。アルミの灰皿に、指で挟んだ煙草の灰を落とす。

「そう」

 それで終わりだった。

 男は、拍子抜けした。哀れむでも、励ますでもない。理由を聞くことも、助言をすることもない。

 しばらく沈黙が流れる。
 男は飯を食い終え、箸を揃えた。

「ごちそうさま……」

 男が喉から絞り出すように言葉を吐く。

「……あの」

 女が顔を上げる。

「一昨日も、その前も、ここに来ていいのか。迷っていた」

「来たらいいじゃない」

 即答だった。

「あんた自分で言ってたじゃない。ここは、飯を出すとこだよ。出禁にした覚えもないし、来ちゃいけない訳なんてある?」

 男は何も言えず背を丸めた。
 女は立ち上がり、お盆を下げる。

「今は客もいないし、出てってもいいし、座っててもいい。好きにしな」

 男は、うなずいた。
 女はくわえ煙草で灰皿を持って厨房へ戻り、また包丁を手に取った。朝と同じ音が戻る。

 男は、しばらくその場に座っていた。
 温かい、という言葉の意味を考えようとして、やめた。

 考えなくても、とりあえず今、腹は満ちて温かい。
 それだけで、今は良かった。

 ▼用語
 新しい技術:
工作機械をコンピュータで数値制御(Numerical Control)する技術。設計図を数値データ化することで、機械が自動で鋼材を削り、精密な金型を製作する。熟練工の「勘」や「手加減」をプログラムに置き換えたことで、複雑な形状の金型を短期間で正確に複製することが可能となり、工業製品の圧倒的な量産体制を支える基盤となった。

 ▼次回 第3話 六畳一間

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そんなことあるわけないだろと笑われるが、本当にあった話

2025年12月25日
私はとある神社の前にいた。
老朽化の進んだ古くて小さな神社は、人生の転機や新しい挑戦をしたい時に参拝すると良いとされている。
「来年こそ幸運が雪崩のように押し寄せますように!できればバラ色の人生もお願いします!」
誰もいなかったので、遠慮なく声を大にして祈願をした。
すると、拝殿の扉がガタガタ音を立てて開かれ、中から、小さなおばあちゃんがひとり現れた。
「あなた時間ある?お茶でも飲んでいかない?」
えええ?神社の中でお茶ですか?かつて人生の中で経験のない事だわ!こんなLuckyってある?
心は踊り、欲深い私は、迷うことなく誘われるがまま、中に入っていった。
温かみのある優しい声で、おばあちゃんはゆっくりと話を始めた。
「私はここで洋裁教室をやってるのよ。週に2回、10時から16時まで。いつきてもいいのよ。週に一度でもいいし、月に一度でもいいし、あなたの都合の良い時でいいの。あなたも洋裁やってみない?」
見渡すと、年配の女性が、冬のコートやジャケット、ワンピース等を作っている。
素晴らしい作品の数々だ。
「是非わたしもやらせてください!」
即決即答した。
何故なら、チャンスがあれば洋裁をやってみたいとかねてから思っていたから。

この世に服はあふれているのに、直感が迷わず「これだ!」とささやく運命の一枚にはそうそう巡り会えるものではない。
だから、粋な色柄の生地で、私の感性が閃くままに服をデザインしてみたかったのだ。

早速、生地を探しに行った。
透明感のあるエメラルドグリーンの麻の生地に一目惚れ!
私の大好きなあの南の海の色だ!
姿見で顔映りをチェック。似合わなければ、買っても意味がない。
うん、大丈夫そうだ、良かった。
あとは、必要なもの、糸やファスナーや、裏地などを購入し、準備は整った。

気付けば、幾つもの偶然が折り重なり、私は神社へ通い、お参りを済ませると、そのまま神様の前で洋裁を学ぶという前代未聞のありがたい習い事が始まったのだった。

何と言っても、パワースポットで、ひと針ひと針心を込めて縫わせて頂くわけだから、仕上がれば、幸運と幸運を繋ぎ合わせた『福服』となるわけだ。

今、目の前には、最後のアイロンを待つだけのエメラルドグリーンの福服が静かに佇んでいる。
それは、私が私に贈る最高のご褒美!

この一着に袖を通した瞬間から……
人生がキラッキラの幕を上げる。

始まるよ! バラ色の人生が!!

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赤いコーンが目じるしの


人生の折返し地点
なんてコトバがあるが


人生に折返しなんて
あるわけないだろ









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過日の香り―影追の遥(ある日の矢部遥 第三話)

 休日、駅前に隣接する百貨店で用事を済ませた遥は外に出て、少し驚いた。午前中の巻雲は厚い雲に消え、ひやりと湿った風が辺りを走り始めている。秋の入り口の、急な冷え込みだった。

 本降りはまだ――ただ単にまだなだけなのは、ペトリコールが教えてくれていた。
 バッグから傘を取り出す。生成りの風合いに、端へ蔓草が這うデザイン。日傘兼用の、遥のお気に入り。まだ広げずに手に持ったまま、古い木製の天蓋が続くアーケードへ入った。

 裏通りへの路地が見えたとき、遥の足が少し遅くなった。
 十年前、クラスメイトと初めて入った装身具と――肌着の専門店。

 傘を広げ、路地へ折れる。雨の香りが強くなった。隣に、いないはずの影が並んで歩いていた。遥はそちらを見なかった。ただ、歩幅が自然に、二人分になっていた。
店は変わっていなかった。

 ドアベルが鳴った。からん――からん、と二回。

 奥でミシンをかけていたのは、あの頃大学の服飾科にいると言っていたお姉さんだった。手つきが、落ち着いた職人のそれになっていた。二言三言、昔よく来ていたことを話した。鈴蘭の刺繍がある、柔らかな風合いの揃いを、二つ求めた。

 外に出ると、またドアベルが二回鳴った。
傘を差して歩く。傘に当たる雨の音が、二種類聞こえた。

 小さな公園の東屋に、遥は座った。
左の方から、雨の匂いに重なって、シトラスの香りがした。

 遥は前を向いたまま、動かなかった。香りが強くなる。唇と、胸に、冷えた手のひらの記憶が戻ってくる。

 「ん、」
 ふっと、吐息が絡みあい混じった気がした。

 傘に当たる雨の音は、一つだけだった。

 遥は包みを一つ、東屋のベンチに置いた。それから立ち上がり、傘を持ち直して、公園を出た。

 ただ胸に手を当てて、何かを抱くように。

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二度と行かない所に
赤い傘を忘れた。

雨の日に元気でいられるようにと
赤を選んだ。

もしかしたら、もう、
いらなくなったのかもしれない。

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啞異野四流四

啞とは、なにか?
驚きとたまげの世界で、時に人は動転する
未だわからないことがあると言うこと。それが人を成長させる

異とは、なにか?
同じで無いイコールで無いことは、万事に共通する
隔たりは人を分けるけれど、そこに心地よさもある

野とは、なにか?
人工的に作られた世界で、時に我々は目眩する
自らの内側にありて外にそれを見つけた時、発見と解放もある

四とは、なにか?
発展と途上の世界で、大きな分岐にもなる
五になれば安定もあれど、無となれば振り出しに戻る

流とは、なにか?
石として生きる人生を選べど、変化は免れぬもの
頑なは美しく見えても、儚き願望と化す

四とは、なにか?
刻まれたその誓いを胸に、責任と舵を取ろう
バッターが席で投手を睨めば、ランナーは一斉にホームを睨む

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なあ地球

なあ
地球 
お前は 
食べられるのか 

ちぎれるか 
レタスの
葉っぱみたいに

なあ 地球 
骨みたいに 
尖ってアブナイのか 
焼いたら どうなる
匂いは
かなしいか
それともサボンか

煙は出るか


 涙は流すのか


 御経は唱えるか

 葬式はするか

あの星にもな
れなかった
連中の為に

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百年物語

いつも いつも うれいもち。
それ、母の面影。

母は文句が多かった。
子どもごころに、文句の内容は
大したことじゃないことは分かっていた。
違うところにあるんでしょ。

街でマッサージを受ければ、
母に受けさせてあげたかったと思う。

おつかれさん。

重荷をおろして去る姿は、
ひっそりと小さく、
そして凛としていた。

あなたがやり残したことを、
今やっているよ。
しかし、やり残したことが多すぎる。
誰かがやり残したことには、
使命があるの。

さかのぼる十年、二十年、三十年。
これは私の仕事だ。

さかのぼる四十年、五十年、六十年。
誰かがしなければならない。

さかのぼる七十年、八十年、九十年。
並々ならぬ、緊張、忍耐、不条理。

そして百年。

もはやここまでくると、伝統だ。
カッコよく三代目当主とでも
呼んでもらいたい。

私は一日一日を幸せに生きる。
私が幸せじゃないと、
幸せになれない人がいるから。

この百年物語も、まもなく終わる。

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六個

きちんと

鶏が
落とした

錠剤

箱に
いれて
並べた

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BAR「Creative Writing Space」

ニーズがあるやらないやら、まったく見当がつきませんが、
毎度おなじみの思いつきで、BAR「Creative Writing Space」を開業いたしました。

皆様にお使いいただけなければ、すぐに閉店いたします。
電脳空間の片隅にある、吹けば飛ぶような小さなBARでございます。

一杯引っかけた体で雑談していただけるスペースをイメージしています。
「Talk」がさほど機能していないことも踏まえ、もっとカジュアルに使っていただけたらと思っています。


【ルール】
・ワンドリンク制です。必ず何かお飲み物をご注文してからお話しください。ノンアルコールでも構いません。
・お代はいただきません。もしスペースコインをお支払いになりたくなったら、他のお客様に奢ってあげてください。
・酔っ払いすぎにはご注意くださいませ。

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批評・論考

もとめてないよ なんにも。

わたしに
たどりつくまで
いまに
なりはてるまで
どれだけの
だれかれのみがっての
けっか。 だろうか

しあわせ ふしわあせを
ひとりひとりにせおわせて
これからのことやもののすべてを
まるなげされてさ
「あなたしだいだからね」
すばらしいかがみのじゅもん
たせきしこうはどちらだろう
むせきにんはだれにとえばいい

何にも言わないけどさ
誰にも突き詰めないけどさ
ただ想うだけ

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即時一杯の飯に如かず⑯

 残り2話のところで、停滞していました。
 続きを「新作」として書こうか迷いましたが時間が取れず、ある程度の進行をもっと目途をつけたのでまた始めます。
 
 まずは、おさらいを。

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 作品紹介

 独身男の飯盛りな日常系
 江波絢斗(アラサー部長)は会社の歓迎会で白鳥路嘉(新卒NR)をお持ち帰り
 それが飯友(的場和真)にバレてしまい――――!?

 秘密の恋と男子ごはん/BL小説

 『絢斗のごはんレシピ』付き

 ・とりあえず、飯。
 ・実在する商品や店、地名が出てきます。

 主な登場人物

 ●江波絢斗:趣味が料理の純然たるアラサー部長。
 ●白鳥路嘉:平成最期の新入社員。食欲旺盛!ツン担当のタチ
 ●的場和真:絢斗の飯友。イケメンの紅茶王子。
 ●佐伯総一郎:絢斗の元彼。魅惑のスイーツ王子(今でも絢斗が好き)

 全17話/タイトル一覧

 1.猫、拾いました。 
 2.朝ごはん
 3.マキシマム
 4.社員食堂
 5.ロシアンティー
 6.グランマーブル
 7.今夜のメニュー
 8.仕事帰りの一杯
 9.台湾料理
 10.珈琲とチーズケーキ
 11.アフタヌーンティー
 12.シメパフェ
 13.ナポリタン
 14.東京ミルクチーズ工房
 15.藪蕎麦
 16.蒙古タンメン中本 ←今回投稿するお話
 17.Twist Scoop Dunk

 一話あたり、600~2000文字のショートストーリー。
 当時話題だったライトBLのタグがついてます。他、ブロマンス・元カレ・年下攻め・飯テロなど。
 
 CWS初の小説連載。新作ではありませんが、一部の内容に加筆しながら、月・火・水/更新を予定。エッセイも書きます。

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 ep.16 「蒙古タンメン中本」


 25日連続の猛暑日
 熱帯夜に泳ぐスーツの群れも程なくして家に帰るこの時間、高層ビルの15階に位置するオフィスの窓から外を眺める俺は最終に間に合わない覚悟を決めた。
 ホワイトボードの消し忘れに気が付き、踏み出した先で・・・・・・これは?

 白鳥路嘉 16:00~NR

 営業先から直帰とは、これ如何に。
 新卒、だから・・・・・・弊社としては新人研修2か月儲け「研修生」として基礎からサポートした上で実際の現場に送り込む。見極めの期間を生き残った社員は半年毎に研修と面談を受け、2年で安定した雇用として獲得できれば儲け者。中途採用の雇用も良かった時期はあるが、即戦力に期待して実績が出ない場合も多く人員不足の悩みは尽きない。
 路嘉がどのくらい働けるのか。
 評価共に本人からも話を聞いたことは無いが、NRの傾向として・・・・・・

 プライベート優先する奴が多い。

 会社に身を置く限り、公私混同も覚悟の上で生きる事は食うこと。とは言わないが俺が考えが古風なのか、時代錯誤を感じながらボードを消していると通路からの物音に振り返る。

 「江波さーん、いますか」

 路嘉の声に慌てて駆け出す。

 「お疲れ様です」
 「あ、俺のパスケース届いてませんか」
 「見て無いが・・・・・・」
 「中に免許証入れてるんですよ。会員証作ろうとしたら無くて・・・・・・やばい」

 デスクを見回した後、ふと俺のデスクに置かれた封筒の下を見るとパスケースに付箋が添えられていた。そのまま渡すと、顔をしかめる。

 「的場さん、今日来てたんですか」
 「さぁ・・・・・・お前のデスクを置けばいいものを」
 「こういうお礼は、LINEで返しても失礼じゃない?」

 頷くとスマホ片手にすぐ取り掛かるのは良い事だ。しかしグループLINEに送らなくても、通知音OFFにしてないのでオフィスに喧しく鳴る。誰も居なくてよかった。

 「残業もいいけど自分の時間も大事にした方がいっすよ。江波さん」

 通勤バックからビニール袋を取り出す路嘉は、一度こちらに視線を寄こし、フフッと笑いながらカップラーメンを抜き取った。
 
 「新発売です。もう、食べました?」

 セブンプレミアム
 蒙古タンメン中本北極ブラック黒い激辛味噌
 

 絶句


 俺は激辛耐性、皆無。
 ラーメン界を「旨辛」で制する中本は、味覚が壊される恐怖の対象でしかない。
 それをここで食べようとする路嘉の手を止める。

 「会員証は、いいのか」

 今から行けば間に合う、とはいえ営業時間ギリギリに飛び込むのは感心できない。中本を持って速やかに帰れと促すがスマホをいじり出す。
 優しく言ってるうちに理解してくれ。
 俺は一秒でも早く仕事を終わらせて帰らないと総務から報告書を上げる羽目に遭う。そんなことよりスマホが煩い、誰だ。


 ──── 仕事終わるまで待ってる ────


 すぐ近くにいる、路嘉からメッセージ。
 やる気を削がれてしまい、荷物をまとめてオフィスを出るまで5分と掛からなかった。

 「お前、蒙古タンメン好きなのか」
 「刺激的なモノでストレス解消、よくある話でしょう」

 ホームのアナウンスに気が付けば習慣で階段を駆け足で降りる。
 改札を通りホームに流れ込む電車に飛び乗った。吊皮を握る手に汗。息が上がってるのは走ったせいではない。久しぶりに路嘉の横に立つ緊張の着地点がどこにあるのか、いつもは憂鬱に流れる景色が今夜はとても鮮やかに見えた。まるで真夏の世の夢だな。

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汝、不埒であれ。


聖者たちの祈りが
夜の底で冷たいプラスチックの破片に変わる頃
僕らはもっと、不埒でなければならない。

​正しさという名の、糊のきいたシャツを脱ぎ捨てて
行儀の悪い指先で
世界という熟れた果実の、いちばん柔らかい嘘を剥く。

​綺麗に生きることは、
硝子の檻の中で、静かに窒息することだ。
​だから、唆されるままに、はみ出しなさい。

夜を徹した秘密の部屋、こぼした赤ワインが
純白の絨毯を汚していく、あの鮮やかな罪のように。

痛みのない幸福など、
ラベルを剥がされた安物の缶詰にすぎないのだから。

​もっと不埒に、さらに貪欲に。
​神様が創り忘れた、世界の余白を
僕らの不始末な情熱で埋め尽くそう。

夜明けの冷たい光が、僕らの不埒な足跡を
すべて暴いてしまう、その前に。

皆、不埒であれ。

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自殺に失敗しました

タイトル通りです。気づいたら緊急搬送されていました。その後拘束され入院。自分のこと殺そうとしたので当然ですよね。地獄のようでした。トイレで排泄ができず、垂れ流すまま。涙も拭けない死に損ない。さよならさよならさよならサヨナラ。さよならって言ってるじゃん。結局は生きたいままでただの反抗期が治ってないのかもしれない。毎日叫んでる。夜は寒い。自分の事を傷つけてしまう自分が嫌い。私のことを認められない私が嫌い。私はいつになったら私のことを好きになれるんだろう。新しい私はどこにいるんだろう。 
人生の第1章が終了した。

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二回。
一日に二回。

浅瀬は一日に二回、
干潮で日の目を浴びます。

月と太陽のチカラで波が引いていき、
深淵はさらに深い場所へと姿を眩ませます。

一日のうちたった二回。
唯一浅瀬が輝ける時がありました。

ほんの二、三時間。
たくさんの男が浅瀬を見にやってきます。

しかし奇跡はそう長く続きません。
実際は30分ほどで波はザァザァ戻ってきてしまいます。

男たちも戻っていってしまいます。
顔を覚える間もなく行ってしまいます。



ある日、
一人の男が釣りをしにやってきました。

満潮です。
浅瀬で釣りを楽しめるところは限られています。

魚はなかなか釣れません。
なので、浅瀬は

深淵と混じる混合水、
中間層くらいの深さにいる魚を男に持っていきます。

しかし男にはどれもパッとしないようで、
一匹も受け取ってくれません。

男は浅瀬が見たこともない高価な仕掛けや、
巧妙なテクニックで、

少ないながらも着実に、
珍しい、深淵の魚を次々と釣っていきました。

浅瀬は絶望します。
男は深淵しか見ていません。浅瀬など眼中にないのです。

もちろん世の中には、
ここまでの男もたくさんいます。

何より浅瀬がショックだったのは、
その男に見覚えがあるからでした。

男とは小さい頃から一緒に笑い合う仲でした。
あの時にプレゼントした翡翠石や貝殻は、今の男には見る陰もありませんでした。

浅瀬は泣きました。
ありったけのガラス片を集めてやけっぱちな気持ちで遊びにきた人たちを傷付けて回りました。

男は自分で船を出し、
深淵の元へ行ってしまいました。


それから季節が経ち、
ガラス片も波に削られて丸くなった頃、

一人の男がやってきます。
夏でした。

太陽の光を引きずり込み黒々とした深淵に比べて、
浅瀬は日光を反射してキラキラと輝いて見えます。

美しい顔をしている。
浅瀬は男を見て思いました。

まるで沈んでいく夕日のように、
この広い海にもよく映る綺麗な顔。

男は浅瀬が決死の思いで集め、
磨いたガラス片を美しいと言いました。

それから浅瀬は深淵に憧れるのを辞め、
一人の男の側にいたいと思いました。




それから二人は結婚しました。
言葉も体も指輪も交わしました。

それでも、
1つのベットで何もかもを混じえて眠る夜に、

あの深淵の男が、
心の奥深くに、

思うのです。



Wind is blowing from the Aegean
女は海
好きな男の腕の中でも
違う男の夢を見る
Uh,,,,Ah,,,,Uh,,,,Ah,,,,
私の中でお眠りなさい




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