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2021/01/01 12:00:00

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投稿作品一覧

COSMOS Ⅰ・Ⅱ


 Ⅰ

夜の街燈はいつも
何かを考えている
決して暗いことばかり
考えているわけではない
夜の街燈の思考が閃いて
宇宙が一輪の花になる
あまりの果てしなさに
自分の孤独を感じてみるが
それよりもずっと孤独に広がっていた
良かったことは
この宇宙が花瓶に収まる大きさで
自分の部屋の窓辺に飾れること

 Ⅱ

宇宙は自分の内側を見せようとして
裏返しになる
外側が内側になったので
また裏返す
自分の全てを見ようとして
内側へ潜り込んだ
自分の広さに圧倒されながら
さらに深く潜ろうと
先細りを繰り返し
内側からその先端を突き破り
一本の花として咲く
通りかかった人に拾われて
窓辺の花瓶に飾られる
落ちて割れると
全部片付けられる

 あとがき

筆者は新作の『Ⅱ』を書くときに旧作の『Ⅰ』を意識していなかった。発想が同じ光景へと流れ着くのは、どういうわけだろう。その不思議さからこの二篇をくっつけて出すことにした。二年前の自分と現在の自分が、同じ窓辺で再会したようだ。多分、君はずっと待っていた。こんなに静かな部屋で、たった一輪の宇宙を眺めながら。君から見て筆者は変わってしまったのだろうか。君が言う。
「この花が枯れてしまったらどうする?」
「私ならさっさと片付けてしまうがね」
君は何も言わなかった。筆者も黙っていた。
「こんにちは」
さらに二年後の自分が割り込んできた。『Ⅲ』が完成したらしい。

 あとがきのあとがき

花瓶の中では、宇宙は一度も咲いていなかった。

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回廊巡りのエアルス 旅路:Ⅱ スフェリアの鼓動を聴くために


 その世界の空には、人々から『回廊』と呼ばれる、巨大で半透明の何かが存在していました。いつからそこにあるのか、誰が造ったのか、何のためにあるのか、あらゆることが分からないそれは、しかし、人々にとっては、最早そこにあることが当たり前のものともなっていました。
 しかし、時が経てば状況も変わるもので、人々の中に、その不変とも言える存在感を放つ『回廊』に興味を持ち、それを目的に旅に出るという変わり者が現れ始めたのです。
 これは、そんな変わり者の一人が辿る、旅先のお話です。

「もう少しかなぁ?」

 少々の整備が施された山道を歩いている一人の少女が、自分の足下から続いている道の先を見て、そのように呟きました。その声には多少の疲労が見えましたが、それ以上の期待感も漂わせていました。
 彼女の名前はエアルス・アロ。その名は、彼女の養父母が当人の自由を願って贈った、古い言葉で「大空」を意味する単語でした。

「ふぅ……」

 そんな彼女が、ふと息を吐いて足を止め、手足に施している護身用霊術の具合を確認するついでに周囲に目を配れば、色素の濃い葉を持つ低木や清楚な色合いの草花が所々に生えており、何処までも広大な風景と併せて、自然の雄大さと厳しさを見る者に伝えています。
 風は無く、そのまま空に目を向ければ、山の頂上付近に漂っていそうな雲すら一つとしてない青空に、変わらず『回廊』があり、彼女の姿を見下ろしています。

「もうひと踏ん張りだ。頑張れ、私!」

 それらの姿を目と心に焼き付けたエアルスは、奮起するように自分に言い聞かせると、再び歩き始めました。その道行きの先に待つ景色を見に行くために。

 今、彼女が登っているこの山は、人々からは『ヴェンテ・カングレー』と言う名前で呼ばれていました。その名は、古い時代の言葉で「風の集う場所」あるいは「渦巻く風」と言う意味です。
 しかし不思議なことに、そのような名前で呼ばれている山であるのにも関わらず、この山道には風が一切吹き下ろさないことで有名でした。そしてそのおかげか、気温や湿度も比較的安定しており、頂上近くまで植物の姿を見ることが出来ました。

 そうして、歩き始めてから少し時間が経過した頃。

「到着っと!」

 山道を登り切ったエアルスが、思い切り伸びをしつつ、山の空気を身体中に行き渡らせるように大きく深呼吸をしました。周囲の自然が彼女の全身を包み込みます。
 ただ、彼女の視界の奥には、そんな大自然の雄大さとは異なる、しかし、それにも劣らない別種の荘厳さを漂わせるモノが鎮座していました。

 それは、一言で表すのなら「地上から伸びる柱に囲まれた巨大な空気の球体」でした。その巨大さたるや、小さな町程度であれば丸呑みに出来てしまいそうなほどです。火山のカルデラのような窪んだ土地に、そのようなモノが存在しているのです。
 よく見てみると、その「球体」の中心には巨大な水晶体が浮遊しており、それを核にして周囲に、先程示した通りの、人智を超越した大きさの空気の渦を形成している事が分かります。

「あれが、前に旅人さんから聞いたレガシー、『スフェリア』ね。それにしても凄い風音。こっちでは全く風が吹いてないのにさ……」

 遥か遠くで空気が渦巻く音を聞きながら、エアルスが感嘆の溜め息を吐きます。
 そうです。彼女の登山の目的は、この『スフェリア』を見る事だったのです。

 なお「レガシー」と言うのは、『回廊』と同じく、誰に手によって、何の目的で造られたのか分からない物品や施設のうち、人間の管理下にないものを指す学術的な呼称で、この世界の言葉で「遺産」を意味する名詞です。
 そして『スフェリア』と言うのは、古い言葉で「球」または「水晶球」を意味する単語で、これは『スフェリア』を最初に発見した考古学者が、とある伝承から採って名付けたものでした。

「……」

 じっと、エアルスは遠くで鎮座する『スフェリア』を見つめます。
 その瞳には、彼女が『回廊』を見る時と同じような、止めどない好奇心による煌めきが宿っているようでした。

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日々断片集

2026/10/11

・ふと断片というのを、それも日記みたいな感じに書き綴るということを思いついてみた。なお、愚痴とかあまり口にしてこなかった文学的あるいは政治的思想とかも明らかに混ざるだろうので、そういうのが苦手な人はよく考えたうえで閲覧&コメントすることをおすすめする。あと既に知っている人も多いかもだけど、このCWSのシステムだと同一作品にコメントし続けると貰えるポイントが減ってやがてゼロになる。
これは実にうまいシステムだ。あくまで同じ作品にばかりコメントしてポイントを得ようとする横着を防ごうってことだろうけれど、もし貰えるポイントが同じままで罵倒合戦まであるような気風のサイトだと、それはもう恐ろしいことになるだろう。

・僕はずっとイングソックと融合したかった。それを以てして不滅を得たかった。誰もそれを許してくれなかった。

・もしかすると僕の偏見なのかもしれないが、ネット詩界隈というのは常に反合理と反理性を含むところがあった気がする。

・ネット詩、あるいは僕が所属しているHoI4界隈でもそうなのだけれど、大衆を見下す人に限って僕の反ポピュリズムにはかなりの抵抗を示す。まあB-Review時代にそれははっきりとは口にしなかったが、何かにつけて日本の国民や日本の政府に日々愚かだの思考停止しているだの愚民だのと文句を言ったりするネット詩人たちほど、僕の詩に滲んでいる反ポピュリズム的な傾向をそれはそれとして唾棄していた。
ナポレオンの辞書に『不可能』はなかったが、彼らの辞書に『矛盾』がないらしい。

・大胆な(思想的)告白は文人の特権である。

・民族のための詩を書く、なるほどそれはいいかもしれない。しかし、なぜそう思った誰も国民的風景を描かないんだろう。
あの夏の日の路上、たまった疲れのあまり衝突してしまった黒い高級車。考えるとは言ったけど返すわけではない免許証。
部活をやめたくなるとぼやきつつも、風呂から上がればビールがバッチェ冷えていればその喜びで疲れが吹き飛び、夜中に美味しいラーメンの屋台に行こうと談笑する、過ぎ去った日々の憧憬。
あるいはアイスティーと、それに融けては消えて止まり、そして世界規模に広がった時間。
……これらこそが日本人にとっての国民的原風景なのに、それを認めようとしないどころか存在を葬り去ろうとするのは人類そのものに対する犯罪に等しいのではないのだろうか。

・大胆な(社会の)設計は法家の特権である。

・大胆な(刑罰の)宣告も法家の特権である。

・僕が法家趣味であることと空想社会主義者であることは、何ら矛盾しないと思うし、むしろ理想と現実が上手く融合してるからいいと思うんだ(自己賛美)。ちなみにリンク先は僕がとあるイデオロギーテストを受けた結果である。
https://12axes.vercel.app/results?est=15&rep=30&pod=90&imi=35&dip=30&int=50&eco=70&con=55&com=35&rel=85&mor=95&tec=60


2026/10/12

・僕という人間はこれでも案外目立ちたがるものである。なのでB-REVIEWにいたときはそこの罵倒合戦には決して参加しなかったが、それはそれとして彼らが罵詈雑言を投げつけたがる星菫的なものを描いてきた。そうすればコメントがもらえて、詩がサイト上部にくるシステムだったからだ。……だが、そういう時に限って誰もコメントしてこないのだ。
僕は誰にでもコメントがしやすい、リーダビリティに念頭を置いた詩を書いてきたつもりなのだけど、僕の詩はコメントしたくない何かを醸し出しているのだろうか。簡単で読みやすいのに。(※意外とケルビィンはねちっこい私怨を抱きやすいのです)

・欧州に対する憎悪とは、それは思考に対する憎悪、理性に対する憎悪、すなわち詩と人間そのものに対する憎悪でしかない。そのような憎悪は詩人にとって百害あって一利なしである。

・アウシュビッツ以降に詩を書くことが野蛮だとするなら、長島や比叡山にて大量虐殺をやらかした信長がハマっていたからという理由で茶道だって野蛮と規定せざるを得なくなる。そもそも和歌だって手を血に染めてきたはずの武士が多く詠んできたのだし。何かの文化を一事象以降に野蛮と規定するのはよしたほうがいいかもしれない。
だからある一派を野蛮と規定することで自らの詩壇における権力の独占を図り、結果として詩の多様性を失わせた加藤周一は地獄に堕ちていいと僕は思う。

・僕が欧州の愛を叫ぶと、誰もコメントしなくなる。罵倒コメで僕の作品をサイト上部に押し上げてくれるはずのB-REVIEWの下劣な喧嘩好きたちも一目散に逃げていってしまったものだ。
なのに、僕がそれがどうしてなのか問おうとしても、誰も応えてくれない。

・僕は花譜が好きだけど、カンザキイオリは苦手だ。好きな料理人が許容できない思想の人のレシピを基にした料理を振る舞ってくるとき、僕の耳は確かにあの飽和した夏の日と共に終わりを迎えたのかもしれない。

・欧州の植民地統治は神の王国のための統治であって、大日本帝国の統治は野盗によるものでしかない。

・僕がソビエトであることと、君が詩を愛していること、そこに何の違いがあるというんだい?

・「汝、これなり」。僕が望むのはそう命ずる神格実体と化した国家だ。オーウェルが夢見た超国家を、人類への愛ゆえに実現することこそ、人類を構築する全構成員の義務なのである。

・東海の空が明けたとき、理想の花が確かに咲き誇るのでしょう。

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盪

午前三時に 息を切らせ
目が覚めたわたしは

今見ていた夢を
もう 思い出せないまま

ただ 冷たい 痕を
なだめる 為に


少しだけ 手で 覆う それは

震えるわたしの 网

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東京ダイアリー3

(10月13日 つづきから)
・異質なヒトモノコトを素朴に排除したがる普通の日本人なのに、明らかにヘンでややこしい私を受け入れてくれる人はいったいなにを考えているのだろう。しかし彼らのうち、社会問題について無知であるとともに無関心であることをある程度自覚している人となら親しくできると感じている。Kくんもその一人だ。

・私はパートナーもふくめてむやみに人に好きとは言わないようにしている。私が「好き」と言うとき、それは「あなたの人生に不可逆的な影響をあたえることに責任をもつ」という意味だ。

・プチナショナリズムや処罰感情など特定の暗い感情を刺激することを目的としたコンテンツ(日本スゴイ系ショート動画、各種スカッと系創作)が私は大嫌いだが、そういった質の悪いものを「〇〇ポルノ」と呼ぶことにも不信感をおぼえている。狭義のポルノに対してのさげすみがおそらくは無意識に反映されていると考えるからだ。

・デモは有効な手段になりうると考えているが好悪で言えば好きではない。でも祭りはデントウだからアタリマエに許すんだろう?と意地悪く訊かれたら、知らされるまでわからないあるいは偶然出会うものと、毎年同じ時期に行われていてある程度予測できるものとは条件がそろっていないし、そもそも私は派手な祭りが嫌いだと答える。無数の男の尻なんか見たくないし小さいときから山笠も嫌いだった。でも下を穿いているぶん、だんじりのほうがまだ見ていられた。

・異性愛者の男性の不思議。毛深くて肌もざらざらしておかしなにおいがする彼らが、なぜその反対の存在である女性にアプローチすることができるのか。少し図々しいと思う。

・それでも私は異性愛者の女性であって、彼らの歓心を買おうと身なりを気にしたりなんとかクリームなんとかローションをべたべたと塗りこんだりしているのだから、まったく奇妙なことだ。

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批評・論考

東京ダイアリー2

9月28日
・親殺しの寛刑規定が必要だ。誕生させることは将来の死を決定づけることであり、命を奪う加害にほかならないから。

・反天皇制を主張しながら子どもをポコポコ作っている人が私の目にはとても奇妙にうつる。人間が生まれた家によって差別されたり特別扱いされたりする一番の原因は生まれることそのものだとは思わないか。生まれることこそは社会での扱われ方以外にも問題のある、「選べなさ」の究極であって、尊厳を傷つける出来事ではないのか。
私が皇室の宗教法人化と同時に、いっさいの共通祖先をもたない人の養子を認めることを望むのは、すでにいる皇室メンバーの生殖からの解放と生まれてくるかもしれない子どもたちの出生の阻止のためだ。
天皇が霊なる領域であるとするなら、女性であろうと貧しい家庭の出身者であろうと重度知的障害者であろうと外国人であろうとなれるべきだろう。
「愛子はブス」などと言って笑っていたある反天主義のじいさんには息子と娘とがいる。あの人はどうして二十数年前の射精を恥じないのか。私にはわからない。

・「すべての差別に反対」だとする個人によってなにかしら尊厳を傷つけられると(そしてそのような出来事は互いが人間である以上ありえる)それを掲げていない個人に同じ言動をされたときよりも、"すべて"のなかに自分は含まれていなかったのだという点で、さらに深く傷つくことは十分考えられると思うよ。

・人間関係において、こちらを軽蔑するための余地を相手に残しておいてあげるのは本当に大切だと考えていて、私も日頃からパートナーの前で「鳩ってバカだから大好き」(そんなこと思ってない)とか、「チッ、クソガキ」(道で子どもにぶつかられたあと少し離れてから。これもやはり思ってない)とか言ってる。誰かを好きになりすぎるのはトラウマ的な体験だと言っても、誰にもわかってもらえたためしがないけれど。

・社会運動圏や表現の世界にいる人には、ハプニング的なパフォーマンスに取り組んだり楽しんだりできることも特権性のひとつであるというのは少なくとも忘れないでいてほしい。聴覚過敏のある人、発達特性があって予測できない出来事にダメージを受けやすい人、大声などにトラウマを抱える人、パニック障害の人、移動に困難がある人もまちにはいる。発言する予定がなかった参加者にマイクを回し発言させることも、センシティブなテーマではとくにハラスメントになりうるし、想像力をはたらかせながら動く必要があると思う。

・Yが自死するまで、私には自死した人を蔑む気持ちがはっきりとあった。自傷や自死未遂、自死は周囲を支配し害をなすためにする行為だと信じていた。私が宿題をしなかったという理由でリストカットしたり、トイレで首を吊ったりする母に育てられた影響は大きいと思う。そのたび手当てしたり、タオルやひもを解いたりしていたが、自分が深く傷ついていたのだと受け止められるようになったのはここ最近になってからだ。

・先日からネトフリで『おおかみこどもの雨と雪』を観ているがなかなか進まない。私にとって無理な要素が多すぎるのだ。この作品の「母」はとても素朴に、親であることを喜んでいるように見えるし、子どもたちは父母を憎んでいない。

・反天主義者のなかに「選べなさ」に対する解像度が低すぎる人が少なからずいることを本当に残念に思っている。制度ではなくその家に生まれた個人に矛先を向け、容姿などを揶揄する行為のどこがラディカルなのか。私の問題意識はずっと「選べなさ」にあるから、天皇誕生日に反天連が行進しているのを見たときは当時十代前半だったが車の中から中指を立てた。誕生日とは生まれさせられた日にほかならないし、生まれさせられることは深刻な被害だ。同時に、誰かの誕生日を祝日にすることも、人々の生殖に対する心理的ハードルを下げる悪習だと考える。

・死にたい人間はたくさんいるけれど、生まれたくて生まれた人間はただの一人もいないんだ。

・どうして性行為に誘われたからといってペニスを勃起させてしまうのか。生命力に満ちたそれを目にするたび私は男性という性、ひいては世界に素裸のまま失望していく。心底「なあんだ」という気持ちになる。いつも、相手のことをこいつ最低だなと思いながらシている。

9月29日
・身体を人間を生と性に閉じ込める監獄として呪いながら生きているので、葬儀や墓についてこだわりや信念あるいは信仰がある人に私自身はまったく共感できないのだけれど、弔いとグリーフケアの必要性は強く感じている。そのため、ある方法で埋葬するというのが残された者の癒しにつながるなら尊重されるべきだと考えるし、わが国でのイスラム教徒の人々の土葬をめぐり紛糾する議論のなかでは忘れられがちだとも思う。

9月30日
・新居の3DKの部屋の片付けをしながら、以前関わりがあった反天皇制主義者K氏の言動をまた反芻していた。
知り合ってすぐに互いの本棚を見せあったこと。なんの本だったか忘れたけれど誰かに勧められて買ったサンデルの本が一冊ありそれについて嫌味を言われたこと。「トロッコ問題がどうとかいう奴はただ一発殴ってやればいい」などと言われ、私にはない野生を感じ強烈に惹きつけられたこと。
福岡に住んでいた私に、翻訳家の卵を教えているというていで自分の家(関西にある)に二週間ばかり滞在してその間セックス漬けになろうと誘ってきたこと。当時二十代前半、まだ母方実家の影響下にあって祖父からの性暴力も継続していたから、祖父にフェラチオするより、年齢としては祖父とあまり変わらなくても思想的に尊敬できる人に搾取されるほうがましだと思って行こうとしていたのに、突然拒まれて混乱したこと。優しくしてきたり叱責されたりが交互に繰り返されたこと。
娘さんに対して欲情しているととれる発言を複数回聞かされたこと。
容姿を嘲笑され、よくなってきていた摂食障害が再び悪化したこと。
離れたあと解離性障害を診断されたこと。
本文はまったく好きになれなかったけれど氏による訳者あとがきに感銘を受けた本を、手元に置いておくのが辛くて、近所の古紙回収ステーションに投げ込んだこと。
プライベートな会話内容を第三者にも共有されていたとのちに知り、また、私への批判的なポストをK氏自身のみならずほかの人もしているのを見つけたこと。そしておそらく自分の性加害についてはK氏は周囲に明かしていないであろうこと。
そういう一連の出来事の記憶が襲いかかってきてトイレでげえげえ吐いた。

・自分の好きなものやしたいことがなかなかわからないのは、責められるべきなのだろうか。そうだとしたら社会はあまりに傲慢だと思う。
私は小さいときから演じさせられすぎた。娘が8歳でASDの診断を受けた事実は精神的に不安定な母のアイデンティティを構成する要素のほとんどだったし、私も本に書いてあるような「ASDらしさ」を「自分らしさ」に変換して装いながら生きてきた。自分のなかに設定集をつくり、訊かれたらすぐに答えられる準備をしていた。たとえば好きな番組を訊かれたら『水戸黄門』『大岡越前』としておいたし(ASD児はパターン化されたものに安心する傾向があり勧善懲悪の物語を好む、とどこかに書いてあったため。実際には勧善懲悪は『アンパンマン』などもふくめ今も昔も大嫌いなジャンルであり、そういったコンテンツで唯一好きな要素は女の子が攫われる場面だけだ)、好きな科目は理数系であるほうがステレオタイプに沿っているのに実際には英語と国語の成績が優れていたのを気にしていた。そしてフェミニンな可愛いものが大好きだったのに、あまり表には出さないようにしていた(これは祖母がそういったものを憎悪していたという背景も影響しているけれど)。
長い間私には用意された台本があって、アドリブは母が許さなかったのだ。母と距離をおき自由になったからとて、怯えが簡単に消えるわけではないと、なぜみんな分かってくれないのか。残念ながら地道に説明していくほかはない。

・母は私に、鶏口となるも牛後となるなかれと言い聞かせ、学校なんて行かなくていいから芥川賞をとりなさいと積極的に不登校にした。ギフテッド親界隈の新自由主義の暴走には辟易するばかりだ。それでも、発達障害児に「ありのままでいいよと言おう」というのは別の暴力を生んでいると思う。障害を理由に期待されていないと感じるとやはり傷つくものだから。

・支援する側とされる側は女性同士であろうとけっして対等にはなりえないと、理解していない人が多すぎる。SWERFの人々は、福祉に繋がれと簡単に言うが、ここでの「繋がれ」は別の権力勾配に巻き込まれなさいということでしかない。

・コミュニケーション能力が高いことを政治的正しさと結びつけすぎる昨今の風潮は、発達特性・トラウマ・解離傾向などの影響下にある人々を不利な立場に押しとどめている。性教育もその歪みと十分に向き合っていないと感じる。

・優秀でないとか心身ともに健康ではない男性の子どもを産みたくないというありふれた差別感情が私にも内在されているけれど、さいわい徹底した反出生主義者であって充分な避妊の知識もあるから、フェミニストとしての実存と素朴な優生思想の接近がさまたげられているというところ。

・今夜は長ねぎと山芋の和風カレーを作っている。加えて、五穀を混ぜたコシヒカリをたっぷり3合炊き、連れあいの帰りを待つ。祖母には申し訳ないことだが、こういう「女性らしい」生活スタイルが性に合っている。食後に用意してあるハーブティーは、ブ◯ーレットド◯ン2倍みたいな色合いで正直キモい(味はとてもおいしい)。なお、わが家の食卓が自然派っぽいのは私とKくんがともにアレルギー体質だからであって、とくに思想的な理由によらない。

10月1日
・性的同意の「誰とセックスしたいか/したくないか」は差別とかなり重なる部分もあるのに、関係ないということになっているから、性愛にありつけない人々との摩擦をかえって引き起こしていると思う。性的な選好が社会的・政治的・文化的な影響をまったく受けないかは疑わしいし、たとえば「(任意の容姿の要素)は性的に無理」「発達障害者はコミュニケーションに難がありそうだから恋愛対象にならない」といったような選好が存在するときただ個人の好みとして処理してしまうと、そこにある規範を分析できなくなる。「欲望とは差別だが、差別的な欲望を持つこととそこから外れた相手と性交する義務があるかどうかは別問題」というのを私のいちおうの結論としておく。

・「「演劇は怖くて見られない。自分が叫んだら一瞬で全てが台無しになる事実に耐えられない」という話は、「自分がそれをできる」という可能性に引っ張られ、抗えなくなるのが怖いということだと思う。別に破壊願望があるわけではない。幼稚園にはその可能性に引っ張られて悪いことをする子が普通にいる。」△@madanaizo氏のXより

「廊下を走って来た小さい子に足をかけて転ばした奴がいてさ。当人に「なんでそんなことしたんだ!?」って聞いても、いまいち要領を得ないのよ。「僕だけど僕じゃない」みたいな意味不明なことを言うし。でもコレはその「可能性に引っ張られた」と考えたら、発言の意味も通るんじゃないかな、と思って。」同上

私はトラウマ的な生育環境を通して侵入思考と解離のどちらも発症してしまっているので、こういうのが怖くて強迫的に自己監視をおこなうようになった。たとえばこれは韓国人を前にして「十五円五十銭」という言葉が頭の中をループしたまま穏やかな会話をつづけたり、不自由な足を引きずりながら歩く自分の姿が横断歩道の向こうのショーウィンドウに映って「おーい、ビッコちゃん」と呼びかけたくなる衝動にブレーキをかけつづけたりするというようなことだ。これのたちの悪いのは、自分がとくに嫌悪するたぐいの言動が脳内で繰り返しされるところ。リソースをごりごり削ってくる。

・夕方からは美容クリニックに行くために都心へ。Kくんが「クリニックについたら連絡して!」「家についたときも連絡して!」と念押ししてくる。カッペぶりを高く評価されているな。

・澁澤龍彦に娘がいなくてよかった

・人の声は肖像と同様に個人の人格の象徴であるとの司法判断が示された。インターネットフェミニズムが表象批判を越えて(表象とリアルとが連関している例もないわけではないが)特定の女性身体を編集すべきものとしてシェイミングしてきたことを人々が批判的にとらえる土壌をつくるきっかけになるかもしれない。私は外観ではわからない身体的な事情によって二十五歳のいまも思春期前の声質で生活していて、電話などの場面では日頃からずいぶん嫌な思いもする。十代のときはからかいにも苦しんだし、自作朗読はずっと大嫌いだ。声は身体の一部であって安易に言及してはいけない。

・一般的に人はどんなとき人に好きって言うんだろう?
私はいままで「これ以上殴らないでください」「お腹が空いたので食べるものをください」「セックスがしたいのでしましょう」「あなたのお金/時間を私に割いてください」「あなたと一緒にいる状態を私は好んでいます」などの意味で発したことがある。
しかし自分が言われる側になると、毎回身の危険を感じてたいへんな混乱におちいる。私にとって愛の告白として投げかけられる「好き」は性暴力加害の予告であり、それ以外の「好き」はこちらを支配下におきたいという宣言にほかならないからだ。

・結局予定よりかなり早めに出発して、松屋銀座でリサ・ラーソン追悼展を観てから美容クリニックに行った。昔から百貨店に行くとつい(庶民なりに)財布の紐がゆるむ私は、今回は17000円のブルテリアの置きものを買ってしまった。すごく可愛い、大事にする。

10月2日
・なにかしらCOした際「教えてくれてありがとう」「してほしいことがあったら言ってね」と言われてしまうと、「お前の弱みを握ってやったぞ」「お前はこちらの手助けなしでは私たちの関係を快適なものとして維持できない可哀想な奴だ(これ自体はどんな二者間のかかわりでも相互に自明なのだけどわざわざ口にした場合、生殺与奪の権を握っているという宣言になる)」と私には響いて苦しい。「へー」で済ませてほしい。殊更関心を持たれたくない。

・自分のかなり独特な声やトラウマの影響からくる会話への強烈なコンプレックスがあり、人に関心を持たれるのが公共でもプライベートの性愛などでもあらゆる場面で本当に辛くて、それでも人間への求愛をやめられず、インターネットで文章を書いているというのが正直なところだ。文章でのやりとりなら負荷を最小限にして人とつながれるし、私と相手との間に作品をおくことで自身を守れる面もある。

・母と同じように私も、行きずりの性行為にのめりこんだ時期があり、私の場合それは、あなたのことが好き、などという気持ち悪い言葉を浴びずに済むのが理由だった。まともな人間ならばセックスしたとしても知り合ってすぐの人間にそのようなことは言わない。私にとってみれば「好き」は「お前の人生を不可逆的に壊してやる」の意味でしか通らないし、パートナーにも、少なくとも私たちがキスしたりハグしたりしているときには絶対に好きとか口にしないでねと伝えてある。

・美容師にパレスチナの話題をふったのにスルーされたと嘆く前に、意図の読みにくい質問は相手に感情労働をさせることにつながるという共通認識を「すべての差別に反対」とうったえる人々はそろそろ持つべきだ。お客との会話自体は美容師の仕事の範囲内だけど、むごたらしいジェノサイドについて相手の髪を切りながら自分の意見を表明させられるのはその範囲を逸脱していると思う。それに人が仕事中にお客に対して述べた意見がどこまで本音だろうか?タクシー運転手やセックスワーカーと政治的見解で一致したとはしゃぐ人は、まるで俺はキャバクラ嬢にモテるんだと思い込んでいるおじさんのようだ。

・ASDの若い女性はとくに診断名の開示には慎重になったほうがいい。ハラスメントを指摘したとき「発達特性に由来する被害的認知の影響ではないのか」とか「発達障害者は自他境界があいまいな特性があるから、追い詰められているのは実はこちらのほうだ」などと言いくるめられる危険がある。私はK氏やほかの人にたびたびそのような発言をされ、COする相手を誤ったとずっと悔やんでいて、医師が変わって発達障害の可能性はないとされているいまも苦しみがつづいているのだ。

・愛は病、愛着は脆弱性。それでも誰も一人では生きられない。

10月3日
・昨日の夜、私はいい年をしてくだらないことで大泣きしKくんに迷惑をかけた。もうすぐ自分の二十六歳の誕生日で、そのお祝いについて変更点がありパニックになったのだった。
かなり反出生主義寄りの考え方を持っているにもかかわらず誕生日祝いに執着してしまったのは、親の離婚後、小学校のたしか二年生までは父親からプレゼントが送られてきていたのに三年生からはそれもなくなって悲しかった思い出が影響していると思う。
そして、会社を経営していてより余裕のある父方の実家に歪んだ劣等感を募らせていたらしい駅弁大教授の母方祖父はこのとき、私と父の交流が少しずつ喪われることを喜び「お前は父親に見捨てられたのだ」「もうウチの家の人間なのだからね」と以降性的虐待を激化させていった。

・父方祖母は非常にぜいたく好きで、豪胆で、買い物をするときにも最低限のモノをこれとこれが必要だから買うという買い方をするのではなく、外商さんが持参したカタログにざっと目を通して何ページから何ページまでちょうだいというふうに注文していた。品物が手元にきても気に入らなければすぐに人にやってしまうし、細かいことはとにかく気にしなかった。私はその様子を見ながら、お金は使わなければ意味がないのだと思った。物心がついてから小学校入学までの数年が今のところは私の人生でもっとも幸福な時代だ。

・女性にとって父や夫などの後ろ盾がないことは2020年代においても残念ながら危険につながる。私は父のいない少女として育つ過程で、ほかの大人の男性からの関心をそれなりに利用してきたし、それを恥じる必要も感じていない。高校時代は二回り年上の出版関係者の男性の家に入り浸って、だらだらと彼の蔵書を読んだりDVDを見せてもらったりして過ごした。このとき得たサブカルの知識はいまでも大切なものになっている。

・やめられない習慣として「チョコレート、コーヒー、リストカット、下剤、浣腸」といかにも境界例らしいものを挙げたら、Kくんは困った様子で笑っていた。私だけ大人になれずに、それでもアスファルトから雨が蒸発するように精神のみずみずしさが失われていっているのだと思うと本当にみじめだ。

・昼食は山芋のトマトカレーと、豚肉と長ねぎの生姜にんにく炒めを作った。どちらもChat GPTに家にある食材から提案してもらったレシピ。つくづく便利な時代になったね。

・たかじん氏の悪名高い冠番組『そこまで言って委員会』はひとえに田嶋陽子氏が好きでよく観ていたのだが、社会運動の世界では番組名を出しただけでとても不快そうな顔をされるので話題にできない。田嶋氏の日帝批判や男流文学批判はすぐれている。

・相手を馬鹿にするために「会話」をする人がいて、それは実は会話ではないのに、そうだと見せかけるすべにも長けているから悪質だということがよくある。いまでは人々はネガティヴケイパビリティの必要を忘れ、老いも若きも右も左も正しさ中毒におちいっている。わからないことに耐えられないナイーブな精神で自他を追い詰め、文化を滅ぼしていくのだろう。とにかく論破、たいへんけっこう。

10月4日
・それまでいい雰囲気だった男性に、精神科の受診歴や過去のASD診断を開示したとたん冷淡にされたり馬鹿にしたような態度をとられたりしたことが複数回あるけど、誰しもパートナー選好はそもそもがなんらかの差別意識に基づいているのだから、変に理屈など捏ねず「僕はきちがいとはSEXしたくありません」とはっきり言ってくれればまだ気持ちよく身を引けるというものだ。私自身も、家庭環境が悪かったためにマナーが身についていない男、ワキガやスソガの男、頭のハゲた男、短小etc.には欲情できない。

・きょうは礼拝のあとKくんとIKEAに行った。ぬいぐるみをいっぱい買ってもらって嬉しかった。誕生日プレゼントをまだなにか用意してくれるつもりだったらしく、あわてていらないよと言った。バッグやアクセサリーの類は父や祖父やパトロンにねだるものであって、同い年の恋人に買わせるべきではない。

10月5日
・報道によれば、沖縄でまた女性が米兵に殺害された。ほんとうに腹立たしいことだ。やはり植民地主義的な意識が人をそのような凶行にはしらせてしまうのだろう。また海兵隊には「他軍種より著しく若く、独身率が高く、短期ローテーションが多く、戦闘員としての強烈な集団アイデンティティーを持つ部隊」であるという指摘もあった。

・きょうで26歳になる。私は22時57分に生まれたので、病院では深夜料金がかかってしまったといまでも母に冗談まじりに言われる。そう、生まれたときから親不孝者なのです。

・「私は学校の勉強のなかで歴史、とくに日本史が苦手だった」「一方キリスト教史は長崎にルーツがあって周囲にクリスチャンも少なくなかったことから自然に入ってきた」という話を件のK氏にしたことがある。
このダイアリーの読者は当然予想されていると思うが、はげしく嘲笑され、叱責され「その歴史の勉強が苦手だというのもハッタツショウガイの特性なの?」と半笑いで訊かれた。Kは質問をしたわけではない。
そして私が日本史が苦手だったのは、母やフィリピンで仕事をしていた祖父に、日帝の蛮行について6、7歳のころから写真も交えて詳細に教えられてきたトラウマの影響だ。彼らはいつも話し終わるとき「お前の身体にも人殺しの血が流れている、それを忘れずにいなさい」と言った。当時の母は私がなにか言うことをきかないたび、カッターナイフを出してきて目の前でリストカットをしてみせ、祖父は二人で留守番をしていると身体を触ってきた。その二人に言われた言葉が響くはずもなく、私は社会科や歴史が大嫌いになった。

・しかし母は奇妙なことに、学校での平和教育で写真や映像を使うのにはかなり否定的だったし、学校にクレームを入れたり、それについて新聞に投書したりもしていた。祖父は祝日ごとに日の丸を掲げ、自分が教えていた韓国人の元教え子に民族差別的な陰口を叩いていた。

・教育の基本は、教える者と教わる者のただしい愛着形成であるべきではないかと最近は思っている。私は誰かにほんとうの意味での愛着をもった経験がとても乏しい。異性愛者として男性に惹かれながら、彼の尊厳を徹底的に破壊したいといつも考えている。
同意がなければ暴力だし、同意があればプレイで、相手の欲望に与することになるからその意味がない。いつも宙吊りの私の歪み。

・私は明らかなファーザーコンプレックスだけど、将来自分の現実の父親が亡くなっても、生じる悲しみは人並みかそれ以下なのではないかと思っている。望んだのはきっと、劣悪な家庭環境から救い出してくれる単に年上の男性であって、母に暴力をふるわれて血を流し鼻水を垂らして泣いていた父とはちがう誰かだからだ。

・小学校に入ったあたりから、宇宙人やUFOを見ただの、小人を見ただのと言っては「嘘つきサトちゃん」と呼ばれていた。思えばそのころすでに解離症だったのだ。どうして二十歳過ぎまで発見してもらえなかったのだろうね。親の都合もあると思っている。

・Kくんが不二家で誕生日ケーキを買ってくれるそうだ。毎年やってくるこの忌まわしい日にかこつけて、クリームと果物とチョコプレートのご馳走を楽しもう。

・共感には限界があることを人々は学ぶべきだ。人の痛みに踏み込みすぎてはいけない、解釈したり代弁したりする行為に少しためらう意識をもたなくてはいけない、傷つけられた誰かを自分自身の物語に組み込んではいけないのだと。距離を保ちながらそれでも共にあるという強さで他者を支えていくのだ。私の怒りは私の宝だから、どうか手を触れないでほしいといつも思っている。

10月6日
・市役所で諸々の手続きが完了。これで名実ともに都民になった。

・他者の痛みを矮小化しなくても自分の痛みを語ることができる人や社会を目指したいものだと思う。けっして、「殴る拳も痛いんだ!」みたいな話ではなくね。

・ただ、自らの傷や痛みを利用して逃げられない相手(わが子など)を縛り支配する人が実際に多数いるから難しいところもある。長年ヤングケアラーをつづけたところで人にやさしく育つ人はひと握り、生まれつきの気質や家庭外の環境に恵まれるなど運がよかっただけだ。そうでない元子どもは弱っている人を前にするとなんともいえない嫌悪感でいっぱいになり、ブレーキがうまくはたらかなければ実際に攻撃してしまう。私にもその衝動が常にあって自分のそれをとても恐ろしいと思う。

・そもそも、私たち人間は種の保存に背いてはいけないのか。アンチナタリストとしてはそこを問題にしていきたい。

・スーパーの畜産部で働いていた経験もあるし、お花の形くらいまでならぎりぎり許容できるが、私は素材そのままの肉や魚をやたらと凝った盛りつけにすることにどうしても嫌悪感がある。生命をもてあそんでいる印象を受けるのだと思う。タコさんウインナーやキャラクターかまぼこに対しては素直に可愛いと感じるから、単なる見た目へのこだわりと言われてしまえばそれまでなのだけれど。

10月7日
・トロッコ問題に対する私の今のところの答えは「誰もトロッコに乗らなくてよいように、そして誰も線路上にとどまらなくてよいように考えよう」かな。

・一方的に語られつづけてきた私自身をこちらから語りなおしたい、異議申し立てをしたいという欲望だけに生かされている。

・「この前言ってたこととちがうじゃん」とよく人に言われる。でもそれは当たり前でしょう、私は自分にとってどうでもいい人やこわい相手といるときは私自身ではない複数の部分を無意識に使い分けながら話しているのだから。解離傾向の強いメンヘラの対面でのコミュニケーションに一貫性を期待するな。

・詩人にはシャーマンとしての側面があると個人的には考えているのだけれど、そうだとしたら、生活をおびやかす解離症も私にとって有害なだけではないのかもしれない。

・誰かに憧れられるためには自分を空っぽで無味無臭に見せなければいけない。憧れとは投影だからだ。年を重ねたころ、若者たちに憧れられるのではなく、立ち向かいたい権威もしくは理解したくもない異常者とみなされるほうが私は嬉しい。

・躁のエネルギーの強い人、過剰な積極性や暴力を感じさせる人への得体の知れない惹かれが私には幼少期からあって、それはほとんど子が親を求めるような病的な感覚だ。
18歳のとき、N国の立花をとても尊敬できない人物だと思いながら票を入れたことも思い出す。先日言及した「可能性に引っ張られる」現象が当時の私にも起きたのだろうと考えているけれど、前進のための逸脱ではなく正当化しがたい逸脱に魅惑される心性が自分にもあるといやでも認めざるをえない。
私は今は亡きYと結婚するずっと以前から母に「旦那は殴って躾けろ」と折に触れて言われてきたし(本人はきっとすっかり忘れているだろう)、結婚してからは実際に頻繁に夫を殴っていた。あるとき徹底的にやり返されてボロ雑巾のようになり、彼がただ我慢してくれていたこと、女性は男性に力では敵わないことがわかって大人しくなった。父もやさしすぎて耐えてしまったのだろうとも思った。正直なところ、あのときやり返されていなかったら私は今ごろ子殺しの母やSNSで男児ヘイトを撒き散らすアカウントになっていたかもしれない。彼には感謝している。
最近、田中慎弥の『共喰い』を再読した際、私も母から異性への攻撃性をまちがいなく受け継いでいるなと背筋が寒くなった。

余談 やがて、主には子どもを熱心に欲しがっていたYの期待に反出生主義の私が応えられないために離婚することになった。それでも離婚後の数年間は、むしろ婚姻中より穏やかな関係を維持し、二人で京都旅行にも行った。彼が行きたい行きたいと言っていた場所だった。私は今ほどキリスト教に接近していなかったし崇徳院さんが好きなので、私たちは安井金比羅宮に参拝した。抹茶スイーツもたらふく食べた。その旅行から帰って二週間ほどして、彼は自死したのだ。

・長崎にもルーツをもつ者として私がいつも不思議に思うのは、かの地ではWW2での原爆投下というむごたらしい被害に見舞われ(私自身も4世だ)、また現在佐世保に米軍基地もおかれているのに、わが国の対米従属の姿勢についての批判あるいはなにかしらのはっきりとした主張が市民からあまりきかれないことだ。イム・ジヒョン氏による『犠牲者意識ナショナリズム』では、被害の歴史を通して加害を矮小化してしまう人々の態度がさまざまな国(ポーランド、ドイツ、イスラエル、日本、韓国、旧ユーゴ)の例を挙げて論じられていたが、長崎では華僑や在日コリアンの人々に対するヘイトも見聞きした経験があるし、いわゆる軍艦島の強制労働をめぐって認知戦も繰り広げられているので、ある痛みに共感できる人が別の痛みにも同じ深さで共感できるわけではないということなのだろうか。

・娯楽も含めて、同質性の高い集団での行動が徹底して嫌い、かつそれらはかなりの有害さも内包しやすいと考えているので、デモやストにはややさめたまなざしを向けてしまいがちな私だけれど、投票に行くことだけが唯一の権利の行使であってはいけないという思いは強くある。国籍などを理由として投票権を持てない人もいるし、異議申し立ての手法はさまざまにあったほうがよい。また、外国人参政権も当然のこととして認められるべきだ。

・「同質性の高い集団」を避けるどころか、自分と価値観がよく似た個人をパートナーにしたいという気持ちも私にはない。つまり、赤旗購読者/クリスチャンや求道者/書き読む人/社会運動に継続した関心がある人などは自然と選好から外れる。以前、あるドイツ人の夫妻の存在をニュースサイトで知ったのだけれど、その夫は左翼で妻は右翼だった。大学の教員と教え子の関係から結婚に至った二人で、年齢差は大体二十歳ほどだったと思う。はげしく議論をたたかわせる場面もありながら、それでもコミュニケーションは良好とのこと。記事に書かれている内容以上はわかない、ただもし左翼の夫とリベラルの妻のカップルだったら虐待的な関係に陥っていたかもしれないという感想を持った。

10月8日
・午後ローで『ダンテズ・ピーク』を観ている。初見だけれど、どうも私はディザスター映画が好みらしいという気づきを得た。
大災害やヒトにとっての恐竜という、悪意を伴わない圧倒的な暴力を通して、自分の生への必要な思い入れを強化しているのではないか。
描かれる架空の悲劇が戦争や、侵略・虐殺、レイプ、いじめなどであった場合、加害者や傍観者の醜悪な思考を想像してしまう時間が過負荷になって私は鑑賞にたえない。

・性格は、容姿と同程度にとまではいかなくても生まれつきの部分も大きいのだから、「性格が悪い」と言うことの加害性が「ブス・ブサイク」という発言に比べてあまりに低く見積もられているのは問題ではないかと常日頃不満に思っている。性格が悪いとされる要素(気遣いができない、衝動的に暴言を吐く、社会的に許容される範囲を大幅にこえて相手の行動に干渉してしまうなど)がその人の脳そのものに起因しないとは限らないのに。まあ「ブス・ブサイク」も本人にわかるところで言わないかぎりはかまわないのだけど。

10月10日
・私は性や男性についてとにかく歪んだ教育を受けて育った。また、腐った人間なので、相手をとにかく悪者にしないと心置きなく性行為ができない。その点未成年のころはよかった。親と変わらないような歳の成人男性を相手に選ぶことで、あらゆるコンプライアンス上の責任を引き受けないままにそういった行為を楽しめたからだ。なにかしら気に入らなければ親を連れて警察に駆け込めばよいとも思っていた。しかしもうとっくの昔に成人し、大人として自分の選択に責任を負わなければいけないとなり、対人性愛では基本的に誰となにをしても楽しくなくなってしまった。ハグや軽いキスまでならなんとか許容できるけれど。

・なにが恐ろしいかといえば、自分の快楽やその表現が女性一般に対する侮辱や女性を貶める価値観への加担になることだ。
少なくとも祖母の主張によれば、私がSM雑誌や官能小説を隠れて読んでいたことはそれに当たる。

・ベッドで私はなにを考えているか。ほとんどの場合、目の前の男性のことではなく、その朝に街ですれ違った少女や電車で隣の席に座っていた女性のことだ。私はなにも感じないようにして、ただ時間が過ぎ去るのを待つ。そうしなければ彼女たちは霊の群れとして寝室へやってきて私を殺すだろう。

・ミサンドリーがミソジニーより害が少ないというのはまったくの嘘だと思う。私の青春はすでにぼろ切れのように痛めつけられている。

10月11日
・対人セックスにおける基本とされている同意というものは、いろいろな調整・工夫の上にあっても真には成り立たないと私は思っているし、婚姻関係にない同い年の異性愛カップルの同意に基づくセックスとたとえば20代女性と50代男性の年の差夫婦の同意に基づくセックスを比べたとき、前者のほうがよりエシカルだとはかぎらないとも考えている。フィクトセクシュアルの文脈で非実在青少年を欲望する人の営みが前述の人々の性生活より害が少ないことも十分ありえる。少なくとも私は「ロリコン」漫画を児童ポルノと呼ぶ人を信用しない。性暴力を矮小化しているとさえ感じる。

・「対人セックスにおける基本とされている同意というものは、いろいろな調整・工夫の上にあっても真には成り立たない」と書いたのは、私自身の経験も背景にある。
ミサンドリーの問題を抱えた祖母や母の影響で、自分の身体を自分自身のものではなく集団としての女性に帰属するものとして今でも考えていて男性の欲望の充足に与してはいけないという強迫観念も引き続きもっている。
しかし性的欲求はあって、BDSMのDomのロールを演じようとすることで広義のセックスに伴う罪悪感の軽減を試みたけれど、生来かはたまた後天的にかマゾヒスティックなファンタジーにのみ親和性が高く、また欲望されることと甘えられることが同時に起こると性虐待のトラウマがトリガーされてしまう私には大変な苦痛だった。
これは相手方が気づいてくれ、ストップをかけてくれれば被害を最小限にできるのだけれど、場をコントロールする責任はこちらが引き受けているから内心での混乱は続き、たいていの場合、相手だけ恍惚としたまま終わる。そして私は結局ただ別の形で男性の欲望に奉仕してしまったとはげしい自己嫌悪に陥るのだ。

・「言い訳」できる相手のほうが私にとっては魅力的だ。かなり年上であるとか、大柄だとか、社会的影響力が私よりも強い人であれば、「お前はなぜ男性の求めに応えたのか」と責めたてるイメージの姉妹たちに言い訳することができる。その意味では現代的な同意のルールとは合わない部分もある。

・私はいわば汎トラウマ論者であり、政治的な主張や意見(なにかを主張しないこともふくめて)にはその人のトラウマがかなり反映されていると考えるから、政治について飲み屋で議論するのを避けるべきだというのを悪習だと切り捨ててはいけないとも思う。

・実生活においてミステリアスであろうとすれば人は空虚になることをまぬがれない。わざわざ自分の唇を縫うことを私はしない。

・幼い息子が性被害に遭ったという人のポストを引用して、被害児に対するエンパシーをはたらかせることをなおざりにし、長じて性加害者になる可能性に言及して自分の不安を優先させている人がいて、ミサンドリーに基づく二次加害だと感じた。

10月12日
・デモやストライキ、ボイコットは公権力や大企業に圧力をかけ社会を変えるための有効な手段になり得る。しかしそれらが正義の実現を目的としていることと、その過程で誰かを不必要に傷つけていないことは、まったく別の問題だ。

・交通ストでは車を持たない低所得者、障害者、慢性疾患のある人、定期的な通院を必要とする人など、日常生活を公共交通に依存している人々もその影響を引き受けざるをえない。
企業へのボイコットも同様で、企業に経済的損失を与えるという目的のもとに実際には経営上の意思決定に関与できない労働者が雇用を失う場合もある。
デモについては道路の封鎖や大音量のシュプレヒコール、群衆の密集などが移動に困難を抱える人や感覚過敏のある人、トラウマをもつ人に及ぼす影響を考える必要がある。自閉スペクトラム症の人にとっては、おびただしい視聴覚の情報や混雑だけでなく普段利用している交通手段や生活のルーティンが変更されること自体が大きな負担になり得る。

・こうした問題に対して、事前告知や代替手段の確保、アクセシビリティへの配慮が重要だという意見がある。それ自体はもっともだ。しかし予告することによって侵襲性の問題が解消されるわけではないという点も考えたい。
予告された出来事であっても、それが他者の生活に介入するものであるのに変わりはない。いつも利用している交通機関が使えなくなるとわかることは、その時点ですでに生活の設計を変更するよう迫られることでもある。
そもそも運動に参加する人々は、目的のために不便や混乱を生じさせることを選べる。しかしその影響を受ける人々には、同じように負担を引き受けるかどうかを選ぶ自由があるとは限らない。とりわけ障害や貧困などによって代替手段を持たない人にとって「予告されていたのだから準備できたはずだ」という言葉は、深刻な影響を回避できなかった責任まで本人に負わせるものになり得る。

・もっとも、デモやストライキ、ボイコットがマイノリティの権利獲得に貢献してきた歴史を否定したいわけではない。というかそれは紛れもなくあったのだし、誰にも一切の不便や迷惑をかけない抵抗が可能だったとも思わない。
ただ、社会を変えるための行為であるからこそその手段が誰かの身体や生活に介入し誰かに不必要な負担を押しつけていないかについて、これからはより慎重に問われるべきだと考える。正義を掲げていることも事前に告知したことも他のマイノリティへの侵襲性を免責するものではない。 

・日ごろから不要な罪悪感を与え、怒りや悲しみを表現することを叱責し、お前は人の痛みを感じとる力が弱いのだからと言い聞かせて小さな事柄から大きな事柄まで譲歩させつづければ一人の子どもの健全な成長を妨げるには十分だし、大の大人も簡単に支配できる。
ASDを診断された子どものうち少なくない一部がこのような扱いを受け、成人後も子ども時代の診断をCOすることで、いま述べた虐待的な関係に巻き込まれるリスクにさらされている。
「人の気持ちがわからない障害」という悪質なステレオタイプを「高度な非言語的コミュニケーションが苦手な特性」などと言い換えてみても害が薄まるわけではない。
私には人々の気持ちについて考えすぎるあまり、自分がなにかを嫌だと思っている状態にまったく気づけない時期があった。それが若い女性にとってどれほど危険なことか。
普段左翼的な立場をとる人も、共感性の問題を抱えているとされる個人に対してはむしろ好んで差別主義者になる。たとえそれが医師によって診断された「障害」であっても、お墨付きがあることでより攻撃しやすくなるだけだ。
そして、のちに診断が撤回された事実も差別者たちには意味をなさないし、そこに拘泥することは私自身も差別のレトリックに順応してしまう結果になる。とにかく逃げていけるところがない。

・一人の人間のイメージは、他者から見た姿と、自分自身の内側から(前者への乏しい想像も取り入れながら)見た姿とで構成されている。また、幼いころは定型発達でもたいていは自分中心に偏っていて、しだいにみんな不十分なメタ認知を身につけていく。
しかし私の場合、8歳で母によるASDの乱暴な本人告知(「あなたの頭がおかしいのが私の育てかたのせいじゃないとわかってよかった」)を受けたために、自分の感じ方がおかしいというのがすべての選択と人間関係の前提になっていて、そのために混乱したりひどく虐げられたりする経験を繰り返してきた。
ほんとうに、知らなければよかったと思っている。政治的な立場を定め投票先を決めその通りにするのも、好きな作家と嫌いな作家を検討するのも、人一倍苦しみながらしているような気がするのだ。自分の望みがすぐにわからなくなり、自分の自分らしくない部分について自分らしさだと誤解されたまま叱責されることも多々ある。
お前には確固たる信念がないと否定的な文脈で言われるたび「自分の怒り悲しみを疑えと幼い私に言外に伝えつづけてきたのはあなたがたマジョリティじゃないか」と再生した怒りがふつふつとわいてくる。
児童精神科の領域で、このような問題がもっと議論されたらよいとも思う。

・戸籍制度については、家族関係の公証も可能な個人単位の登録へ移行するのが理想的だと考えている。どうもこのあたりでたいていの議論が混乱し、人々が感情的になってしまいやすいように思う。私も幼少期に両親の離婚を経験した者としてまた自身も離婚を経験した者として長く複雑な気持ちをもっているから、人々がこのテーマをめぐって前提を共有しないままに対立しているのを見るのは苦しい。

・やりこめるために誰かに話しかける人、怒る快感を味わうために怒るべきことを探す人、インターネットにはそういう歪んだ娯楽に熱中する人がたくさんいる。前提を共有していない議論は意味をなさず人の攻撃性を高めていくだけなのだけれど、そもそも手を取りあうことを拒んだうえで接近していくのだから、意味ある議論にするための最低限のコミュニケーションをとれない。Xでは議論が成立しないというのは大袈裟ではないと思う。

・パートナー選好は基本的になんらかの差別に基づいている。金のない男はいや、学歴のない男はいや、マナーを知らない男はいや、健康上の問題を抱えた男はいや。どれも差別なのだけど人々は差別がいついかなるときも悪であると思い込んでいるからそのことを認めたがらない。

・「理解ある彼くん」と「精神疾患や発達障害をもつ女性を性的に搾取する男性」を人々はどのように区別しているのだろうね。そこにはさまざまな規範が反映されてしまうように思う。

・『剣客商売』は高齢者向けなろう系小説(主人公のおっさんが若い女性にやたら好かれる、社会不適合者だが一芸に秀でており師匠的ポジションを獲得する、料理へのこだわりをみせるなど)だ。
さらに意地悪く読めば「若者の競争から解放されたいが、若者からの承認は失いたくない」という願望も反映されているように思う。

・日本にもフランスのPACSのような制度ができたらいいのにね、とバツイチで当時法学徒だった私の母が言っていたのをときどき思い出す。私もこの意見には賛同だ。

・人死に、災害、性暴力の報道に心を痛めるとともに得体の知れない高揚感がわきあがってきて混乱に陥ることがよくある。はっきり言ってしまえば濡れるのだ。私は人よりも覚醒の誤帰属が起きやすいのだろうか。その状態自体に罪悪感を抱く必要はないとわかっていても、自分の望みがわからなくなってしんどいのは変わらない。

・崩れかけた建物を見つめているときの私の気持ちは、性虐待を受けて育った自分の身体への愛憎に通じるものがあると思う。十代で父と端島(通称・軍艦島)を訪れた際もその感覚になった。それとも強制動員の歴史を学びはじめた今再訪したならまた違う心境になるのだろうか。

10月13日
・昨日は、街ですれ違った人たちからK氏と同姓の芸能人についての会話が漏れ聞こえて、頭が真っ白になり、帰宅後Kくんの前でひどいパニックになってしまった。氏が比較的めずらしい姓なのも関係していると思う。
氏には議論を装ったハラスメントを受けたほかにも、見た目を嘲笑されてしばらく下剤がまったく手放せなくなったり、住所をしつこく訊かれてしぶしぶ答えたらお前は弱い者の気持ちがわからないブルジョワだと暴言を吐かれたりもした。また、K氏の娘がパティシエだったために私一人では洋菓子店に(甘いものが大好きなのにもかかわらず)入れない。
K氏の件はほんとうに生活が大きく変わった(脅かされた)出会いだった。
ただ、拒食で骨と皮だけのように痩せてしまおうが吐かない過食で象のように肥ってしまおうが女体の持ち主である以上は性の対象にされやすい状態からは逃れられないということは実感を伴ってわかったので、心のどこかで諦めたのか摂食行動がある程度普通に近づいてきている。
見下されながら関心を向けられるよりは、ちゃんと女性扱いされてそうされるほうがマシだと悔しいけれど考えている。

・周囲の男性を痛めつけなければ、私は祖母にうらまれつづけやがて殺されるという強迫観念がいつまでも今でも消えてくれず苦しい。Kくんは大柄で首やあごもがっしりして見るからに力ではかないそうにない男性なので私の本能がブレーキをかけているだけのような気もする。加害欲というよりは、加害しなければ(第三者から)加害されるだろうと考えてしまう。私はあくまで私自身ではなく「女性」に生まれついて集団に忠誠を誓わされた一人なのではないか。馬鹿げた恐怖だとはわかっている。

・国家や官憲や祭祀王とくらべ身近でわかりにくい権威や権力(たとえば子どもたちに人気のある教師、子育て中のやさしい親たち、障がい者福祉にかかわる人々etc.)に生活場面ではより大きな脅威を見る感覚を反動的とされるなら私はその言葉を引き受けるほかないように思う。脆弱性の高い人を日常的にケアしていてかつ批判しづらい(批判することは正しくない行いとみなされる)集団など、あってはいけないはずなのに、かれらはたいていは社会にただ感謝されている。

・以前紹介した二村ヒトシのポストに関連して。
(主張しないこともふくめて)政治的な主張と性的嗜好および行動はともに個人や集団のトラウマに深く関わる領域なのだから、いくら性は政治と無関係ではいられないといっても、セックスの相手と議論しようとしてはいけないと思う。私たちは人の痛みにつけこむことができる主体だという事実を素直に受け入れるべきだ。多重に無防備になるのは危険だし、人をその状態におこうとするのは意図がなくても無責任で搾取的。社会運動にかかわる人が家庭内で自分の関心があるヘビーなテーマについてパートナーに一方的に話しつづけ、あるいは相手に執拗に意見を表明させようとしてうんざりされているという事象を見聞きするたび、わかりにくい形で行われるDVだなという感想をもつ。残念ながらほとんどの場合本人は自分の言動の加害性に気づかず、相手の「無関心さ」を嘆くだけなのだけれど。

・少なくない数の反天が今上天皇を「人殺しの孫」と言って、ネトウヨは「われらがご先祖様は侵略戦争などしていない」と言う。どちらも血筋にこだわる浅ましいあり方だ。私たちは祖をうらみ、親の愛情をうたがい、生殖を放棄したほうがよい。
(3につづく)

 50

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批評・論考

妙絶

蚊に刺されて
痒いと
腹が立ちながらも

団扇で扇いでいる内に

喋っているうちに
ボリボリ
臑などを掻くのですが
こっそり

痒みが治まり
何だかゆるせてしまう
あの
絶妙な
豆みたいな
顔をした
加害って
何なのだろう


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ある元同人女のチラシ裏のらくがき


 津田沼さん、こんにちは。
 あなたがいなくなってから、10年が経ちました。

 わたしは今月で30歳になります。あのとき、わたし、20歳だったんですね。随分と長い月日が流れて、わたしは孤独ではなくなりました。あなたは、今も孤独だと思います。これは、願望ではありません。

 わたしが、初めてあなたの書いたものを読んだ時に、身体に走った稲光を、わたしだけが記憶しています。それは、このひとも孤独なのだ、という、仲間を見つけた喜びでした。あなたも、同じような理由で、わたしの書いたものを愛してくれたのだと思います。だから、一緒に同人イベントに出ようと誘ってくれたんですよね。
 
 あなたと出会ってから、1年が経った頃でした。
 初めてあなたから、ダイレクトメッセージが届いて、でも、わたしは、あなたには会いたくなかった。

 頭の中、画面の向こうだけにいるあなたが、わたしは好きだったのです。でも、わたしはあなたの書いたものが読みたかったので、一緒に同人イベントに出るという誘いにのりました。

 イベント用に原稿を執筆する過程で、あなたは書けないという旨のツイートをよくするようになっていました。そして、結局あなたはいなくなってしまった。
 
 あなたがいなくなり、周りからは、あなたとのことを根掘り葉掘りされ、わたしはなんどか書くことをやめました。でも、わたしはやめなかった。最後にはいつも書くことに戻ってきました。

 影で、死んでも書き続けているゾンビだとか、不本意なことを言われていることも、わたしは知っていました。

 でも、わたしは、あなたが帰ってくるまで、いつまでも待っているつもりです。だから、わたしはやめても、傷ついても、泣いても、戻ってきた。そうして、書き続けていました。

 2024年に、詩を書き始めました。『あなたのかたまり』という作品を書いて、忘れられないということを詩にしました。
 その作品は、2023年の個人的な大失恋をベースに書いていたのですが、
 忘れる/忘れられないというテーマの作品で、そこにあなたを書かずにいられるほど、わたしは冷静ではありませんでした。

 先日、『※名前伏せ』という小説を読みました。XXXX年に、有名な賞を取った作品で、これはあなたが書いたものだとわたしは思っています。
 本当は、違うのだと思います。だって、XXXX年のとき、あなたはまだ大学生だったはずです。でも、あなたがその本の作者ではないと言い切ることも、わたしには、できないのです。

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Sunset not Enough 夕焼けが足りない 1, 2, 4, 5, 10

1 自転車置き場

自転車置き場で
空を見上げるのがいい
そこに風でも吹いてくれれば
なおいい
そんなとき
携帯電話の電池でも切れていて
何か大事なことや
大した事じゃないことや
君にとってはものすごいこととか
僕の中では手痛いことなんか
でも
聞きそびれたりなんかするのがいい
のに
イカはものすごいとこまでも使えるらしい
と制服の君が言う
イカのものすごいとこというのが
君にとってどこまですごいことなのか
よくよく聞けば
イカの耳も使うとか
そうか君にとってはそんなにすごいところでも
君の耳のほうがずっと感じる
なんてのは言えない
し
案外そうでもないのかもしれない
けれど
そういうことですごいことを望む
ましてや
イカの墨でソースを作ることや
その内臓で魚醤油が作られることなんか
知らなくてもいい
いい
もういい
体育館横の自転車置き場で
剣道部の練習の声が聞こえてくると
僕は
もう夕焼けを待っているように空を見上げ
商店街の方向へ歩き出す
魚屋の前ではきっと
夕焼けが足りないと 
うつ向いてしまうのだろう

https://youtu.be/3ncdyuk-9Ac?si=tDnUkUq-2vQX6xaw



2 Better half

Better half なのかどうか

糸瓜料理は
ちょっと手間をかけると
ポチャポチャと
自らの汁にスポンジのように
漂いだす

美味いから食べてみろ
などと言ってみると
案の定
一口食べて
うなづき
箸を置くだけで

ポチャポチャと
ポチャポチャと 漂いだす
自らの海に 漂いだす


そんなところが好きで
味なんてのは
僕だって判らない

お箸じゃすべるし
スプーンですくって食べていいから
って誰かが
いつか

オレンジ色の記憶の中で
ポチャポチャと
形もくずれてしまっているのは
僕も同じで

そこにいる君が
better half なのかどうか

美味いから食べてみろ
などと
もう一度 言ってみる

美味いから

https://youtu.be/AODDkElfmVQ?si=KD7uxBHp4ZkdHQ7s



4 枝垂れ

まだ
緑の生い茂った頃につく花梨の実は
毎年のように
手が届かないところについていて
酒に漬けると美味しくなるとか
蜂蜜を加えたら喉の薬になるとか
はす向かいのKさんは毎年言う

けれど
その花梨の実は家のものではなくて
荒れ放題の隣の敷地から家の屋根に
覆いかぶさるように伸びているだけで
喉薬にしたいから花梨を分けて下さい
と言えるほど
隣の亭主も僕自身も
波平さんみたいにはなれない


それから
無花果が
キイウイが
柿が
それぞれ実をつけては
家の玄関口や勝手口にせり出してくる
のをそのままに放っておくと
まず
無花果のお尻に小さい穴が開いて虫が入る
キイウイは熟す前に風に吹かれてボトン
と落ちて
柿は
柿はよっぽど渋いらしくて
ドロドロになってから鳥に啄まれる


雪の知らせも届きはじめ
実のなる木はすっかり葉が落ちてしまい
隣の縁側がよく見渡せるようになっても
花梨の細い枝の
重たそうに付いている実はそのままで
いつまでたっても

「あの頃」

なんて言っている自分もぶらさがっている

https://youtu.be/oVGhL47kNu4?si=VwMJ_09dp_DfVjQ8



5 赤い辞書

赤い辞書
に
君の持っている赤い辞書に
夕焼けは
挟まれている

もう長いこと挟まれていたので
辞書の文字が夕焼けに溶けて
世界がぼやけて
君の世界がぼやけてゆく

のを見ている僕は
もうとっくに溶けた
溶けたままで
泣いた

自転車の影
長い影
魚屋の匂い
紅いほっぺた

その辺に

赤い辞書
のたぶんその辺に
夕焼けは
挟まれている

https://youtu.be/CiQ7ASKsfyU?si=QLZ2sdRN_ZLbFQHx



10 X

これで最後ですよ

と通達された

 あなたのための夕陽はもう残っていません

と
どうやら
流行りの成分のひとつで
許容摂取量も決められていたのに
僕はあまりにも依存症で
無駄に取り過ぎたために
取りあげられてしまったらしい

近頃の僕はすっかりあの頃のKさんで
お腹が出てきたことや
髪の毛が細くなったり
脂ぎってきたりしていることはまだいいとして
営業用の愛想笑いと
反りの会わない部下に冷めた視線を送ったりしているのを
ふと我にかえって見てしまうと
吐き気をもよおしてくる
喫煙コーナーで僕の口から漏れ出す愚痴や説教なんて
糖尿病の研究をしているのに肥えているお医者様にしか
意味が見つからない
よくある 
よくあることで

仕事を終えると陽は暮れている


ああ お天道様お天道様
煙草はもう吸いません


最後の夕暮れをどうしようかと
日曜の昼下がりの土手に
風が吹いた

会いたいときはいつでも会えるしって言った彼女の番号を X
会えないときでもつながってるんよって言った彼女の番号も X
うちひとりだけは見といたげるしって言った彼女の番号を X
これからもずっと一緒やねんって言った彼女の番号も X

風 吹いた
僕は目を開けたまま
夢 見ていたら
風 吹いた

会いたいときはいつでも会えるしって言った彼女の背中に X
会えないときでもつながってるんよって言った彼女の胸にも X
うちひとりだけでも見といたげるしって言った彼女の愛に X
これからもずっと一緒やねんって言った彼女の意味にも X

X
 X
  X

もう
染まることもないんだろう か
立ち上がると
風 吹いた


ああ お天道様お天道様
僕にはどうにも足りないのです

https://youtu.be/mxOkIq-Ox4c?si=9_C32VRv9gs36Lhw



初出 めろめろ(Poenique)2003年「夕焼けが足りない1,2.4.5.10」

*****
Short
1 https://youtube.com/shorts/0UHfcPCNs70?si=R1CS_w5A2Hcbbg_4
2 https://youtube.com/shorts/fZ_wxH64L0Y?si=5e2uQqT6GzNxdrZi
4 https://youtube.com/shorts/KlHfbaIw550?si=GqGxGukFAKRl6Amv
5 https://youtube.com/shorts/dYarMazeAJY?si=pmcuUIOMva7dKpy3
10 https://youtube.com/shorts/xavajf2RE6Q?si=xtOPnW9P0PUonMnw

 100

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 5

 4

猫の名はスインス 叙情詩版

猫の名はsince。本来名詞ではない。
僕は日本語を母語とするが
時の経過やものの履歴に思いを致すとき
必ず猫が顔を出す。
猫と言葉が
並んで鳴いている。

もっとも
動物の場合、「鳴く」と「泣く」とは
言葉として混同され
しばしばそれらは意図的
にそうされる。

sinceは泣くにふさわしい
猫
である。
横倒しになったダンボール箱から
糞尿に塗れて這い出した子猫。
その声を
僕が聞いたとき
から
猫はsinceとなり
15年間
スインスと呼ばれている。

今、ケージから猫の弱い声がする。
死期の迫った猫は背中に人の
手を感じたいのだろうか。

僕はよくスインスを撫でた
。
スインスはよく僕に撫でられて
目を細めた。

猫と思い出が
並んで鳴いている。

けれどもスインスはまもなく
sinceという英単語に戻ろうとしている。
スインス。
記憶の猫と
今の猫と
死後の猫と
名詞でない名前と
が並び
それらが作る形の対角線の
交わるところ。
重なるものを
考える僕がいる。

遠からず
形のないsinceとなる猫は
言葉に戻っても
なおスインスの影を引き、
脳のいくつもの領域を
気ままにうろつき続けるのだろう。

sinceという語の美しさは
スインス、君に由来する。
君は虫を取るのにも優雅だった。
英単語がものごとの起点を押さえるとき
君の脚が消えそうになる単語に伸びて
はっしと捕まえる。

だから
これからいつまでも
sinceは機敏にものを理解するための語なのだ。

今、そこに
sinceの声。

 100

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 3

 6

まず、乳を知覚する

ほんとうの乳なんて、知らないまま、
いつも白いマスクをつけて微笑んでいる、
待合室では、みんな呆けて、

先生、喉が痛いので、飴を舐めてきてもいいですか、
わたしの質問に手を軽く上げて応えた先生が、
わたしに聞いたこと、

指を折ると、指の骨を折るでは、どちらにより強い痛みを感じますか?

更衣室のカーテンはシチューみたいな薄いクリーム色で、
病院というのは、どこもかしこも乳を想起させる。

銀色のロッカーから、
飴の袋を取り出す、

ほんとうの乳を
知る前に、
牛の乳の味がするらしい飴を唇が咥えていた。

飴を摘んだ指先が、
そう言えば乳くさい、ような気がする。

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 4

 13

の匂い

人妻は、しばしば立ちくらむ。

金木犀の香りを見上げて、

手に降ってきた、あげは蝶を見つめて、みかんの木で休ませてやろうとして、

丸っこい眉尻を、わずかに尖らせようとして、かみそりを持って、

捨てられた家の中にひとり腰掛ける老婆を見て、

たちくらむ、らむ、
目が光って、やがて暗くなり、

上の子の弁当に入れてやるはずのかまぼこを帰りに買い忘れたことに、気づいて、眠りにつく、

下の子が泣く、ムニャムニャビャーと泣く、

夫があてつけるように、寝返りを打つ、子を抱いて寝室を出る、寝室のドアを閉める時、立ちくらむ、
気づけば、上の子に手を握られる、

くらくらするわ、少し、代わって、

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 3

 5

くだらないどくはく

プチプチを潰していると安心する
それはなんだか幼稚じゃないか?

貴方はそういう
だが、しかしね

心がそれを求めているなら仕方ないでしょう

プチプチ、プチプチと
潰すのが楽しいのかい

だとすると怪獣が街を破壊して
楽しいから
赦せ、と言えば
きみはそれを赦すというのか

私がプチプチするのと、怪獣が街を破壊する
それを同列に語るなんて、馬鹿なのか?

プチプチプチプチ、プチプチプチプチプチプチプチプチ
あそんな事言われたら、プチプチしても落ち着かない

潰れた町を彷徨って
生き残りをプチプチしていた
男が怪獣に踏まれて死んだ

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 5

 4

雑談スペイス「田伏正雄のMASAO TABUSE」

ここは、文学的高みに到達したと誤信し、自己憐憫に耽溺するほかなくなった希望なき社会不適合者、あるいは知性の欠落したゴミクズのごとき人間たちが、互いの傷を舐め合い、時にふと我に返っては悔い改めるための雑談の場である。


諸君がここに流れ着いた経緯は、おおよそ見当がつく。
新人賞の一次選考に落ちれば「下読みの限界」と総括し、投稿作にコメントがつかなければ「読者の読解力の問題」と嘯いてみせる。評価されないのは時代が自分に追いついていないからであり、評価される他人の作品は「あれは文学ではない」の一言で片付ける。要するに、諸君が本当に求めているのは文学ではない。文学的な評価を得ているという、社会的承認の浅薄なイメージにすぎない。そして、それを自力で手にする能がないと悟った今、なおも欲してやまないのが、互いの傷を慰め合うだけのナメナメトークの場なのだ。


本スペイスは、そうした諸君のために、以下のような営みを心ゆくまで行っていただく場として設計した次第である。


「あなたは小林秀雄みたいですね」「いやいや、私なぞ所詮、坪内祐三あたりを目指すのが関の山ですよ」といった、醜悪極まりない内輪の自己陶酔トーク。原語で一行も読んだことのないツェランやリルケの名を、さも旧友のごとく引き合いに出す所業。自作の解説を、自作の三倍の分量で書き連ねる振る舞い。「あの緑のサイトがー」と当サイトの悪口を書き散らし、あんなサイトどうでもいいと吐き捨てつつ、そのくせ延々と粘着し続ける矛盾。花緒、かばん餅ら運営諸氏への罵詈雑言。あるいは昨日食べたものの報告といった、もはや承認欲求に飢えたホス狂いでもやらない類の、寂しさを紛らわすためだけの営み。そうした馬糞以下の雑談を、心よりお待ちしている。


そもそも、斯様な場末の文芸投稿サイトを訪れる者たちが本当に見たいのは、「文学」などではない。下には下がいるという安寧。怖いもの見たさで覗き込む、底抜けの醜悪さ。そして、人間はここまで自己憐憫に溺れられるものかという、ある種の感嘆である。諸君の醜態は、その需要に応える貴重な見世物となるであろう。


なお、本スペイスでは以下の振る舞いを固く禁ずる。建設的な議論。他者の作品への正当かつ的確な批評的検討。自らを客観視すること。そのような健全な精神、あるいはまともな知的水準をお持ちの方は、しかるべき投稿欄へお引き取り願いたい。ここは貴殿のような方の来るところではない。本スペイスが求めているのは、むしろ「俺たちこそが文壇なんだよな」といった類の、聞くに堪えない放言なのである。


誤解のないよう申し添えておくが、私は諸君を見下しているわけではない。そもそもこのようなスペイスを深夜に思いつき、嬉々として告知文を練り上げている時点で、運営こそが最も救いがたい側の人間であることは論を俟たない。特に花緒とかいう奴は、今すぐ射殺され、挽肉にされ、ハクビシンの餌にでも供されるのがよかろう。奴のジョークはワンパターンでつまらないし、いつまで大学のイベントサークル並みの悪ノリを引きずっているのか、軽蔑以外の感情が湧かない。


散々見苦しいやりとりを繰り返した果てに、諸君はふと我に返り、悔い改める。すなわち、二度と文学には関わらないと誓うのである。強いて言うなら、それこそが諸君にとって唯一、文学的と呼びうる行為なのかもしれない。


それでは迷える子羊の皆様、好き放題、雑談でもしてみればいいのではないか。
どうせ貴様らには、他に行くところもないのだろうから。

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 5

 11

批評・論考

たよう

「ぼく
 それ きらい」

「そう?
 わたしは すき」

「ふうん、
 おもしろいね」

「いこ」

なだらかにつづくあの丘へ
手に手をとった子どもらは
笑いながら かけてった

青の彼方の田園に
どんな実がなるのかと
陽気な靴おと ひびかせて

ひとりの老いた旅人は
すれちがう風に振りむけど

初夏の静寂のただよう坂に
ほそく ながい影が


ただひとつだけ、伸びていた

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 3

 1

ふたりの少女と、通り過ぎゆく人々と


ここにふたりの幼い少女がいます


ひとりは サラサラふわふわヘアにリボン
ふっくらやわらかそうな頬とクリクリとした可愛らしい瞳
上から下までいかにも高級そうないい服を着ています


もうひとりは 何日もお風呂に入ってなさそうなボサボサの髪
やせこけた頬に 生気の宿っていない淀んだ瞳
薄汚れたシャツに 裾の解けたボロボロのズボンです


ふたりともどうやら迷い子のよう



さて、ここで質問です
あなたなら どちらの少女に最初に声を掛けますか?


大抵の人間は 可愛らしくて高そうな服を着ている少女の方に
最初に声を掛けるものなのだそうです


いやいや 私は俺は違うと 
お怒りの方もおられるかもしれません
がしかし 我々人間は無意識のうちに 
いい服を着たかわいらしい少女に
より憐れみを
そのボロ服を着た少女に
より不快 迷惑 面倒くさそう
出来れば関わりたくない
というような頭が 
本能的に働いてしまうものらしいのです




別の話をしてみましょうか



隣の家からなにかが壊れるような大きな音がしました
夜遅くに子どもが火のつくような声で泣いていました
子どもがはだしのまま家の外で 何時間も放置されてるようでした
街中で電車でバスでコンビニでスーパーでファストフード店で
ものすごい勢いで子どもを怒鳴りつけている親
子どもが騒いでも走り回って誰かにぶつかっても
一切目もくれず スマホに夢中になってる親がいました


   ああ また始まったな
   毎晩毎晩 うるさくて適わないよまったく
   また子ども泣かしてるし
   え? ケイサツ? ジソウ?
   いいよいいよ
   下手に関わって責任とれとか云われても困るしさ
   それより早く寝なくちゃ
   明日 朝から会議で早いんだ


クラスメイトから執拗な嫌がらせや暴行を受けている生徒がいました
その子は真面目で大人しくて あまり目立つタイプの子ではありません
体育の時間には みんなでよってたかって
まるでゲームでもするように ボールをぶつけられたり
掃除用具入れに閉じ込めて 出られないようにされたり
学校のどこにも居場所はなく
かと云って 欠席することさえできず
ただただ耐え忍ぶより他ない毎日を送っていました


   いじめですか?
   うちのクラスにはそんなものはありませんよ
   みんないい子たちですし 仲だってとてもいいですし
   ただじゃれ合ってるだけですよ
   子ども同士じゃよくあることです
   いちいち教師が首をつっこむほどのことじゃないですよ
   ハハハ  


お父さんが変なことするの
胸とかおしりとか股の間とか触ってきたり 
キスしてきたりするの
お風呂に入ってるときとか
寝てるときとか
お母さん どうしようどうしたらいい


   お父さんが変なことをするですって?
   なんてことを云い出すの、あなたって娘は
   そんなすぐにバレるようなウソ 
   一体どこで覚えてきたんだか
   そんな娘に育てた覚えはないわよ
   二度とそんなこと 口にしないでちょうだい
   まったくなんて穢い なんて悍ましい子どもなの!




たまたま聞こえていただけですもんね
たまたま見てしまっただけですもんね
知っていたけど ただ知っていただけですもんね
そうです そうなんです
だからきっと それについてあれこれ責める筋のことでは
決して 決してないのかもしれません



どこにも誰にも 本当に悲しいひとの悲しいが届かない




ひと知れず流されたいくつもの涙が 
海にすら還ることさえかなわずに
今日もどこかで すっかり乾涸びてしまいました




太宰の人間失格の一節ではないですが
世間とは とても無情で残酷で
情も容赦もなく
そしてまた 世間とは
つまりはわたしで
つまりはあなたなのではないでしょうか





迷い子になったふたりの少女が
じっと こちらを見つめています


何もひとつも 口を利くこともなく
ただ静かに じっと



こちらを 見つめ続けています






 300

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 2

 0

通夜

綿菓子が曇った夜空に
ほぐれて溶けていく
描き続けた鉛筆は
冷蔵庫にしまっておいた
波間のエレベーターは
花畑の夢を見ながら
昨日のある方へと
漂ってやまない
昔と同じ型の自転車が届く
他愛のないわたしの童心は
それに乗れば
どこまでも走って行けた
したい話は
たくさんあった

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 2

 1

【短歌】季節ごとに歌を詠めばようよう夏をすきになれるかもって思ってた時期がわたしにも【ありました】


〈初夏〉


五月なら煙を若くくゆらせて闇夜に薫る風まきあがる


幸せをさがしあるくもよいでしょう風の匂いのわかるきょうなら


天高くススキノハラの風の音くりかえしてもいいあすがほしい


ひとつだけ叶えてくれるそうだから葉擦れの音のグミがほしいな


両の目の瞼のかどがとれるよに五月の朝はわたしを起こす


台風のうしろすがたはおいしくて栗のお菓子の匂いがするね








〈盛夏〉


俺の思う雨が更新されてゆきついに着陸しなくなる水


おい俺は楽になりたい鬱蒼と茂りやがってなんのつもりだ










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 4

 1

むかしばなし

むかし、むかし
いました
あるところでした
そんなものでした
流れていました
よく見てください
あれは桃です
大きさを見てください
あれは大きいです
味が想像できますか
ジューシーです
スウィートです
少し視野を広く
あちらの方
竹が光っています
いいえ、それは違います
耳を澄ましてください
聞こえますね
んふらこ
とんふらこ
どんぶらこ
どんぶらこっこ
今まで聞いたことのない
不思議な音です
竹も光ります
いいえ、それは違います
せっかくなので
拾い上げてみましょう
拾い上げたら割ってみましょう
ご覧ください
出てきました
丸々とした玉のような
きび団子です
犬と猿と雉がやってきました
月からの使者もやってきました
いいえ、それは違います
何か足りない気がしますが
準備は整いました
めでたしの結末に向けて
心を込めて
さあ、出発です
最後に
名前はあるそうですが
誰もそれを知りません
これからもずっとそう
今回の冒険の主人公
紹介します
おじいさんと
おばあさんです

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 8

 6

金貨と目薬 8

<求めし者達と求めし物>後編

 深水 琴李は、営業職顔負けのフットワークで
スポーツメーカーとの擦り合わせを終えてから、
武内 達也と加賀見 陵介に電話とラインで3人が揃う様に呼び出した。

 出版社の一室へと深水に呼び出された2人は、
お互いの顔色を探る素振りを悟られぬ様に
視線を合わせない様子は笑いが込み上げる程にぎこちなかった。
そんな男二人が醸し出す空気など気にもせずに深水は話し始めた。
「ねえ、遠慮なく意見を交換出来る関係で有りたいから、
お互いの下の名前を呼び捨てにしない
もう私と二人は呼び捨てで呼んでいるし問題ないわよね。」
「おいおい」
突然の提案に、どちらからともなく出た男達からの声には
深水は聞こえて無いかの様に平然と話しを先へと進めてゆく。
「早速だけれど、クライアントの要望としては、デザイン的には
…を踏まえた上で…して欲しいの
それと、達也に聞きたいのだけれどデザインを活かす形で
ウエアー機能をどう残すかなんだけれど…」
深水の進行で名前の呼び捨てと企画内容の概要が決まり、
その後、3人での何回かの打ち合わせを重ねて企画は世に出た。

 ネット上で企画は前回よりも話題となり大きな成果を上げた。
それにはモデルとしての武内が大きく影響していたと言えるだろう。
武内の所属ジムの女性会員が騒いだ事は想定内の事だったが、
雑誌を読んでモデルの武内 達也に魅かれた女性達と
その周りの男性も乗り遅れるのを恐れるかの様に
武内 達也が着ているスポーツウェアは何処で買えるかと言う
問い合わせが雑誌社へと多く届いた事が、それを物語っていた。
前回の企画より反響が大きかった事が
米田 浩二を上機嫌にさせた要因では有るのだが
武内の写真が掲載された雑誌部数が通常を大きく上回り売り上げた事も
深水の評価を上げたと同時に米田を上機嫌にさせていた。

 その事は深水が武内の部屋で話題にするまでもなく
ジムでの武内 達也への指名が増えた事と
女性会員からの自分に対する視線が変わった事で実感していが
武内自身は仕事の充実よりも深水の力に成れた事に幸せを感じていた。
しかし、そんな武内の充実を伴った幸せは長く続く事はなく
深水を手放しで祝福出来ない精神状態へと追い込まれる出来事が起こった。

 それは今回の企画成功のインタビューを加賀見が受ける中で
後ろでスタッフとして控えていた深水 琴李に関して触れられた事で
加賀見の単独インタビューが深水を交えてのインタビューとなり
インタビュー後の写真取りも流れで加賀見と深水のツーショットなり
その時、二人は向き合いグータッチをするポーズをとった。
グータッチで嵌めていたペアリングが合わさった時に
指輪が当たった音など誰にも聞こえていないし指輪にすら気付かぬ者も居た状況で
武内もその場に居た者と同じく指輪の事前情報は持っていなかったのに
武内の心にはハッキリと指輪が当たる音が鳴り響き
それは、探し求めていた深水との目に見える繋がりの所在が
深水と加賀見の指に嵌まっていると知らせるものと感じられた。

 企画での話題性が大きかった事で先にインタビューと撮影が終わっていた武内は
その光景から逃れる為に舞台袖へと捌ける様に無言で会場から出てゆく。
「ねえ、達也どこへ行くの」と記者を前にしながら深水が声を掛けるが
深水の声が聞こえていないかの様に武内は近くの女性の制止も無視して出ていった。
 武内が途中で姿を消した事を理由に企画成功の打ち上げは
日を改めて行うと深水は取材人を前にした状態で発言していた。

 取材の後で深水が出した提案で打ち上げは松田 清元の店で開く事と成った。
打ち上げにはアパレル関係者やバッグ・アクセサリ関係者など幅広く招かれており
その中には、深水の元太客も混ざっていた。
これは言うまでも無い事だが
深水が、この店で働いていた事は招待客と店のスタッフ全員に強く口留めされていた。
とは言え此処に来ている人間は金への嗅覚は鋭く野暮な話しをする者など居なかった。

 歓楽街で開かれた類を見ない打ち上げ会場へ招いた者達と招かれた者達が蠢く隙間で
狩人でありながら時に獲物へと立場が替わろうと本心だけは心の奥底に押し隠しながら
ヌラリヌラリと毒男と毒女が練り歩く会場は楽園の光が輝いてはいるものの
蟲毒さながらの地獄絵図を思わせる独特の粘り着く様な重い空気が漂っていた。

         ~つづく~

金貨と目薬1 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=4101&user_id=414&mode=post
金貨と目薬2 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=4385&user_id=414&mode=post
金貨と目薬3 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=4711&user_id=414&mode=post
金貨と目薬4 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=5076&user_id=414&mode=post
金貨と目薬5 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=5320&user_id=414&mode=post
金貨と目薬6 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=5620&user_id=414&mode=post
金貨と目薬7 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=5833&user_id=414&mode=post

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出会ったことを困惑するなり楽しめれば良いですね

出会ったことを困惑するなり楽しめれば良いですね

2026/09/19
2026/10/12加筆修正




たしかに自分の作品は読んでもらいたいけど、そのために人のものを読んで関係を結ばないといけないのなら、そういう互助的なもので読まれたくはないし。好意なのか義務なのかわからないから。ただ少なくとも負担を強いる作品であるから。今では申し訳なさが先に立つな~~楽しんでもらいたいだけなので

たのしめるひとだけがたのしめればいい、そういうかんじ

自分は詩をろくに買ったり読んだりしないから(お値段高すぎるよ)、同じ価値観にはならない。そういった一般的な詩人らしさってものが皆無なので、トンチキ感想の域を出ないでしょう。一般的には想像の域を、自分の範疇を超えるものを求めてないから。惑わせるだけだと、わかってしまったので、だいぶ口を噤んでいる、これでも



まあでもにたりよったりもちつもたれつだったりして、それで楽しめるなら、それでいいんじゃないかと思う。こう言う言い方だと蔑んでいるように聞こえるのかも知れないけど、そうじゃなくて。自分は違いが合ってはじめて問いになるとおもってるので。同調や答えというものを書いてない、求めちゃいないわけで

そもそも書き記すということ自体が、

さっさと口に出すよりも考えているうちに自分自身の気持ちが整理できたり変わっていったりするさま。これ自体が、こうして文字に書き表わされていって、それが、揺らぎや定まらないように、見える。

これはきっと、いいとしこいて、なんだこいつ?とおもわれるだろうけど。



こういった考えること自体が、わたしの思う、詩だとおもってるから。「書かれていること=定着した答え」ではないんですね。きっとどっかでまた迷う、すぐ揺らぐ定まらないことに遭遇すること、じたい。を、詩として書いているわけでね。これがなにか。というひとつのこたえを書き表しているわけではないのです。



詩に対すること、自作を書くということだけではなく。詩にまつわること、対象である詩との関係性を、人間や感想まで、同じベクトルで同じ方向でかんがえていっているだけ。

普通なら何となく、作品との関係があり、そこに作者がいる。当たり前の関係性を結ぶこと自体が、

――作品という個別の存在に成らない、理由だと思うので。

私は、作品自体を、固有の存在だと思いたいところがあって
作品にであって。はじめて、作者がいて読者がいる。みたいなかんがえかただね。



作者は作品を書こうと思う時、作品に出会うまで、作者は藻掻く、試行錯誤するんだけど。その作品自体が目まぐるしく姿も形も変えていくことを許容すること、作者自身が見えすぎてしまうこと、わからなすぎるものであること、これを目の前にして作品としてどう、置くか見せるか、だけど。一般的には作者が見える形わかるものとして、いや、、もっと曖昧でもなっとくするように、作者自身の力で整えていくものだけど。わたしは、たしかに実際はそう言われることで間違いはない見え方であるけれども。

私自身が決めきれない定められない気持ちを持っているので、そういう言い方は言えないんですね。だから作品がそうさせるとか、いうしかないのだけど。

そういった作品に対する作者の気持ち自体が、作品に還元することで、表れされていく、性質だとおもうんですよ、詩というものは。



作者が気持ちをのせるのも。作者の気持ちが作品に表れてしまうのも、同じといえば同じことなんです。作品として手放せるところまで持っていくには、作者の納得しか、ありえないですからね。でもそれでも、どこまで作品を知っているのか、わかっているのか。作品を力付くで変えてしまう作者の意思が自分で動かしていると理解しているかどうか。それとも、作品を触り続けることで、なにか納得できないという気持ちだけで、なにかを、最後までさわりつづけているだけなのか。

作品は作者の納得を通ってしか手放せない。
けれどその納得は、答えとしてあるのか。問いとしているのか。

「ある」は、物や事柄が存在すること、または何かを所有していることを表す日本語の動詞「いる」は、主に人や動物がそこに存在すること、何かが必要であることを表す日本語の動詞



詩にあるもの 詩にいるもの
把握と遭遇

そうかんがえると、詩に対する考え方も、それぞれ違ったものになる。当たり前のような気がしています



まあ読まれたいなという気持ちを、どう折り合いをつけたらいいのか、みたいな言い訳だよこんなの。なぜよまれないのか、なぜわからないものをかいてしまうのか。なぜひととちがうかんがえかたになるのか。こじつけだよこんなの

なぜ当たり前の人間関係を、なかよしごっこだとおもうのか。入っていけないのか。好まないのか。そういう因果だろって、おもうしかない。言い訳なんだよ

わからないよ、どこが起点かなんて。人間関係を好まないことは確かだもの。それを。特性ですと片付けたところで、苦しさは違和感は消えないから。折り合いをつけたいだけ



あまりにも変なものを書きすぎている。それに尽きるな。わかってるんでね。

一般的には真剣に読んでもらうほどの価値がない。でも価値があると認めてくれるような、選にあがれば、ソレはソレで、価値体型に寄りかかる。

まあ、私はさ、真剣に読んでもらいたいだけなんだ。
楽しんでほしいだけなんだ。そういった声が聞きたいだけ。

逆にそうだな、そういった声しか聞きたくないだけ。欲しいさ、欲しいけど、そういった声じゃない雑音クソコメ的なもの。あとは関係性から来るものを、欲してないだけだ。いらんだろそんなの。自分が好きなものだけでいい、自分が振れたものだけ考えていたい。承認欲求は人並みにある。当たり前だろ、にんげんだもの、


自分がどんなに悩んでどんなに稽えて言葉に残しても、解釈次第では不誠実で適当に見えてしまうこと。それらを作品としてしまえば、読みなんて感想でも批評でもなんでもいいよ軽くてもいい衝動でもいいさ、「作品を読んでなにを思おうと正解はない」のだから。とどくひとにはとどく、限りなく需要のない そういうコンテンツなんですよ。私には需要しかないがね。出会いであり、きっかけがある、それだけだな。



評価されて自信がつくかというと、そうでもなかった。でも不安でもないです。こう言うものだなと、自分が確立されただけ。そこに迷いはないんだな~~だから評価のおかげでもある。まあ良い出会いがたくさんあって、気づきがあった。だから無理に捻じ曲げて需要を取りに行ったりしなくてもいいんだなって。私には必要なもので構成されている詩ではあるから



劇的な変化ではない、妙な落ち着きになってしまったなと。。

限りなく需要のない詩を書いている←

これは詩なのか?と常に思いつつ、べつ詩と呼ばれなくても構わないとも思っている。わたしのなかでは詩だけど。他者と同じにならなくていい。これでも認めてくれる人はいる。それでいいとおもってるからね。


もっと気軽にただ書きたいように書いていられたらよかったのにな。まあ今は今で、詩に対することが愉しいからいいけど なんていうか詩に真剣になりすぎた

自分の内側と向き合うのが愉しすぎるんよね。こいつはどう読めるか何が見えるかって、紐解いていって、梳かれてしまったものが重なり合って、触ってっか、障ってねえかわかんねえぐらい、なんもわからんところまで、もっていってさ。

こんなの嘘偽りだよ、思い込みだ。けど。ここに文字は書かれているから、居るんだわ、必要なんよね



まあこういった作者のグチグチなんてどうでもいいんですよ、読み手さんはそんなもん無視して、作品と出会ったことを困惑するなり楽しめれば良いですね。

作者としてはたのしめるひとだけがたのしめればいい、正直それに尽きる。創作物として作品を出すことは、単純にたのしめるものを楽しめばいい、それだけでしょう
それだけで済ませられたら、どれほど気楽だったか。けれど、それだけでは済まないから、こうして稽え混む

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批評・論考

「2/0/2/2/1/0/2/2」

詩を読んでいる。増殖してゆく書籍等

私は独り、書庫にいることに気づいた。
わたしの手には、一冊の詩集が握らされていた。
そのページを捲っていた。

グレーの馬が駆けて、岩石を
 飛び越える、グレーの馬が
   古い、干涸びた井戸に
       かすかに水が
  一直線に駆け抜けた馬は
      水を舐めている
       グレーの馬は

そこで文章は途切れ、表紙には馬の写真 その眼は私を見ている
どこかで笑い声が聞こえる うしろを振り返る
閉じたはずのページがばらけ、崩れ落ちている

Ghost あなたにならわかる 陥落し、崩壊した都市の光景が、瞼に、額に焼きついている 証拠さえ遺さないために、都市は焼かれた Ghost 屍となったあと、人はどうなるのでしょう Ghost 木霊する声が聞こえる 目を閉じる 口を閉ざす 音を可能な限りちいさく 足跡を残さず Ghost 転移に次ぐ転移 位相化された空間は、張り巡らされたネットワークのなかで、ひとひらの羽根のように宙を舞う Ghost あなたはどこにいる ワタシノナイブニ ワタシデハナイ ワタシガ Ghost わたしはそこにいる 椅子の脇の写真立てをよく見なさい もっと、もっとよく見なさい 見えてくるものがあるでしょう Ghost なにをおそれている いったい なにをおそれている しかし いったい なにを Ghost Ghost 眠ってしまったようだ 書物にも眠りは必要です 音のない室内で

シルバニアファミリーからファクシミリの電文まで、硬い黒枠に囲まれたモノクロ写真を、一枚、また一枚と見ていた。一枚、また一枚と。そうだ、母に会いに行こう。

電話がおわった よろしく頼む またここで暮らせるといいね
メイ いつも窓から外を見てる

これはきみの骨 これは誰の骨 砂時計の底が抜け、零れ落ちてゆく いつの日かの元素と素粒子の彼方で

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無題 さ

 円系の
 ところ
 こころ
 いきて
 てまねき
 モノラル
 audio
 interface
 かたち
 かたまり
 まるい
 瑠璃
 色の
 小鳥
 とはなに
 と とう
 ひと と
 とうめいな
 時計 か
 そういう
 という
 潜在

 海
 泡 と
 くうき
 気泡
 カマキリ
 の根
 アスファルト
 と いうか
 って いう
 らしい
 し しかし
 むらさき
 いろの
 とむらい
 ささげる
 こゆび
 あくび
 あしたと
 きのう
 みたゆめ
 の
 こと
 きのうに
 とけゆく

 落ち葉と
  落雷
 緑
 すこしの
 青
 きみどり
 sorairo
 
 ときおり
 窓の
 隙間
 
 空
 茜色
 
 錆びて
 さ
 さびて

 さ
 野原の
 裏
 路地

 たってる
 ぽつん
 むかしの
 話

 そ

 そうな の
 そう
 さ
 ささ

 さ

  ね
  ねえ
  ねこがね
  こねこが
  ねててね
  ねこのこ
  こねこ
  ちいさく
  まるく
  綿毛の
  帽子
  ねむる

   日のひかり
   まぶしい ね

 とおい
 土地

 と ても
 蒼い
 きぎ
 流れ
 日々
 すぎてく
 てくて く
 
 それは
 とても
 きのう

 きのうの

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シルエット

コーヒーチェリーソーダは
いちじくの味がするという

冒険したって
いいじゃないか

今日は風が強い
窓を少しだけ開けて
車を走らせる
エアコンはいらない

ここかしこに紋白蝶 
逆光のなか
日傘の女のかわりに
鉄塔が目を細めて立つ

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猫の名はスインス

猫の名はsince。名詞ではない。
猫と、接続詞もしくは
副詞・前置詞でしかない。
僕は日本語を母語とするが
時の経過やものの履歴に思いを致すとき
必ず猫が顔を出す。
猫と言葉が
並んで鳴いている。
もっとも
動物の場合、「鳴く」と「泣く」とは
言葉として混同され
しばしばそれらは意図的
にそうされる。

sinceは泣くにふさわしい
猫
である。
横倒しになったダンボール箱を
這い出した子猫。
その声を
僕が聞いたとき
から
猫はsinceとなり
15年間
スインスと呼ばれている。
ケージで猫の弱い声がする。

スインスが歳をとり
まもなくsinceに戻ろうと
している。
スインス。
記憶の猫と
今の猫と
死後の猫と
名詞でない名前と
が並び
それらが作る形の対角線の
交わるところ。
重なるものを
考える僕がいる。
遠からず
形のないsinceとなる猫は
なおスインスの影を引き
脳の各領域
を気ままにうろつき続けるだろう。

sinceという語の美しさは
スインス、君に由来する。
ものごとの起点を押さえるべきとき
君の脚が消えそうになる記憶へ伸びて
はっしと捕まえる。
だから
sinceは機敏にものを理解する語だ。

今、ここにも
sinceの声。

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yojin

geŋ-go-jo-ɾʲi-ne-ba-tsɯ-ku-t͡ɕi-n-mo-ku-to-ʃi-te

「春が、さわれなかった」
接触不良の口腔と言語の死角が絡む濃密部位なので、
逆にそれを「触れた
/障らなかった」「出た
/いなかった」など(
舌が上あごにくっついて)剥いだあとに残る感覚

あめの おり しずむ きせつの はて
どこまでもやわらかく、どこまでくうふくに。

「おもいだして」
燃えかする感触の周縁でうすく 
ふれきれなかった指のさき。
漂白された臓腑の憧憬
少女はまるで 
二進数の嘔吐を繰り返していた、
抗えない仮死のような律動で。

くうふくは はらのそこを こすりつづける
ʔ… t͡sɯ… p…  
ゼ、ゼ、ゼ、  
 ロ、ロ、いち、…(ʃ)
sɯhɯ…  
sɯhɯ… (止)  
ʔʔʔʔʔ
  三、  
    拍、  
      ず、つ…
        く る
※ただし、最初のひとつだけが、既に失われていた※

骨格のない電球たちが目を閉じたときにだけ見える、
冬の日溜まりの中で色褪せた写真のように、
ほんの少しだけ、古い輪郭をした「それ」

ha… ha… hɯ…  
わたしわたしわたし… ʃɯɯɯ…
それは「それ」  
でも  
わたしで  
でも  
わたしよりわたしを知っていた(ʔ)

うまく呼吸できずに たたまれつづけている
ためいきより浅く 祈りよりながい震え
咳き込むたびに あらゆる街路がリブートして
今夜も染色している 棘の群れは 風の残骸
足元に滲んだ影が 猫の形にほどけていく

sɯːːː… ka̠t͡ɕi…
ŋa ʃʲiɾɯ… pɯ̥t͡ɕɯ…
ha… ha… t͡ɕi…
(t͡ɕi̥t͡ɕi̥t͡ɕi̥)
— mo, mo, mo —
(ʔ)
ka̠ɾe, ka̠ɾe…

唯一、あたたかい
木々は数千年分の眩しさで
切り口を隠したままの果実

誰かの手がぼくの袖を引く
散弾に似た思考が 骨董の夜を穿ち
まるで硝子の鈴が鳴るみたいに、軽やかで、そして、やさしかった
決してひらかぬ百眼の茎は 濾過されすぎた朝焼けを吸う
それを知らずに、泡沫を拾いあつめ
羽根のない鳥群として舞い戻る

kʲʲ… ts͡ɯ…
    ʔɯ… paʔ paʔ…
   ʃʃa—ka… ta…ka… rɯ…
 紅  ⇡⇣  (sɯm…sɯm…)  
    ɲa…ɲa…ɲa (爪)
   nn—a—nn—nn
  ʃʃʃʃ…(硝・影)
 ru—ru—ka…
    ki ri ka (瓶)
      ri
   pi—n pi—n
      (青い尾鳴り)

からだのない玻璃たちと 垂直に崩れたまま 整列すら拒む
無窮の肉片を喉奥へ垂らす 風胎のまどろみを軋ませ
反りかえって微笑んでいる 潰れた順に、かすかに熱くなる
そうして、世界は、静かに、深い藍色にしづんでいった

※温度は記憶しない――
 けれど、“忘れたこと”だけが 妙に正確だった※

管楽のない祝福
まるでそれがしきたりであるかのように
縛っていた、
反照する口蓋に
凍った珪素の臍帯を伝い、まぶたに寄生しては
青白い魚は、嘘くさく思えた。名もなき屍たちの
冷たく腐りかけた手の平のうえで 余燼


2025/05/21

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無題

人生は可逆的であり
希望は風雨の夜に早くも朝紅をさす。

https://i.postimg.cc/05BVq2KV/Fk3gv6ja-EAE-x-Eu.jpg

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どらっぐすとあでよくある魔法


風が急に秋らしくなって
唇がかさかさ ごわごわ
いくら口吸ひの相手が
ゐないからといって
これではいけないと思ひ
どらっくすとあへかけこんだ

りっぷくりいむを買おうとして
種類がありすぎて嫌になったから
はちみつでもなめておかうかしらと
はちみつコーナーにいったら
種類がありすぎて嫌になって
ふと横の棚を見ると
ぴいなっつくりぃむが
食べたくなって
はてさて
何を買いにきたんだっけ?

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『小春日和に』

道を挟んだ向かいの田んぼでコンバインが
悠然と仕事をこなす規則的な機械音が目覚まし代わり

朧気な意識と気怠い身体を持ち上げて
腕を伸ばし窓に手を掛け手探りで鍵を開ける

我ながら「かなり怠惰だ」と
反省とも感想とも成らない言葉が朧気な意識に浮かぶ

目蓋越しに真綿の様に柔らかな陽光を感じて
億劫ながらも嬉々として開く目に映る鰯雲

その真下 運動会が近いのだろう
公園の広場でリレーの練習をする子ども達の喧騒に
雑木林の爽籟が心地良い

ベッドの片隅で光るスマホにチラリと見えた
不思議と温かくなる馴染みの名前

公園へと続く銀杏並木が色付く頃に
君と歩くのも良いかも知れない、と
朧気な頭でふと思う

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断酒祭 

酒を買ってこい、どんなでも
銭がないというのなら
都合してこい、そこいら辺りで
なあ、エンヤラホイ
アフガニスタンとかイランでは泥だらけの子供たちが毎日
赤い土と格闘しているんだ、朝から晩まで
だから君たちも働いてみたまえ
なあ、エンヤラホイ
サーカスへ入団し、飛んだり跳ねたり踊ったり
旅から旅へのテント暮しで、キャンプみたいにそれはステキな毎日さ
それというのも北朝鮮のスパイの陰謀で、なんとまあ
父は今を時めくビンボウなんである
だからなあ、エンヤラホイ
君たちも働いてみろ、銭を稼いでみろ!
それが出来ぬというのならせめて
酒でも調達してこい!どんなでも
なに贅沢は云わぬ、銘柄など問うものか、なんでもいいから
とにかく酒をこのわが眼前に在らしめよ!
じつになあ、エンヤラホイ
わが生活苦の聖家族よ
今時流行らぬ父はこうみえても擦り切れスリッパ
ビンボウのみならず詩人でもあるのだ
ただし、詩人の定義は今は問うな、君たちよ
父思うにこの世は偽装と錯誤と仮説の闇鍋なのだから
誰かを理解したなんて思い上がるなよ、そして目下の急務
脂汗浮かぶ父のこの、発作の危機を救うのは
地球上で君たち以外にありえない
だからなあ、エンヤラヤラホイ
酒の光が今、必要なのだ

蛍光灯は黄色く汚れてまたたきを繰り返している
テレビでは吃音の赤い推理劇がすすんでいる
ストーブの火ももう残り少ないだろう
夜の窓の籠で二羽の小鳥は動かない
陶器のように身じろぎもせずに
尖った顔して静まりかえったまま

そうしてそれからわたしはなあ……
エンヤラホイ
エンヤラホイ
空き瓶前に座り続けたまま

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わたしの部屋

少し散らかっていて
お腹を出した猫がころがっている
暑くも寒くも広くも狭くもない
わたしの部屋

熱い珈琲と小さなチョコレート
読書灯をつけて本を読む
わたしの足を枕にして眠る猫
おだやかな部屋

無防備でいられる空間が
わたしと猫にある
ただそれだけのことが
しあわせなのだと

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息を殺して

過去の面影
今日の心模様
心と体を抱え
抵抗をよそに
爪を切られる
飼い猫のように
息を殺して

あなたを
誰よりも知る私だから
不器用なくらいに
紅く染まった胸と
忘れようのない
飾らない言葉を
願いと覚悟で
そのまま飲み込む

何処であろうと
想いのままに待てば
未来に結えたままの約束
この空の下
夕空の雲を
今日も見上げて
共にいられる日常へと

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ただの偶然

ただの偶然?
それとも運命?

どちらだって同じこと

運命をただの偶然だと切り捨てることも
ただの偶然を運命だと叫ぶことも
どちらだって同じこと

ならば私は
この出会いを運命だと叫びたい

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考えるということ

考えるということについて考える、それはちょうど夢の中で夢について考えているようなものだ。一般論として話すべきことがらが個別の主観に取り込まれてしまって、検証可能な客観的論理性が初めから存在しない。
だが、そもそも考える態度が科学的正確さを持たねばならない理由などない。
万人に共通して認めうる単純な事実を部品として懐中時計の精緻な機構が組み上げられ、閉じられた裏蓋が人の顔であるのなら、我々はどんなに美しくいられるだろうか。
事実認識や推論が、どれほど間違っていたとしても肉体は存続する。そして誰もが考えることを放棄できない。時には個人ばかりでなく集団が誤った体系を構築し、歴史年表の長い範囲が誤認に誤認を重ねたまま伸びてゆく場合すらある。それでも人は考え続けねばならない。根本から曲がっていようと木は曲がったまま大木となることができる。
一方で、愚か者は余計なことを考えるな、とされることもある。
声が聞こえる。

真実は正しく成果をあげられる理性が握っているのだから、身辺のことを一所懸命に考えているのがよい身の処し方です。社会は強く正しい者がきちんと動かします。人には分というものがあるのですから。

権力と個人は「誰が」「何を」考えるか、という問題で常に対立する。
しかし、社会に依存する衣食住の隙間で、人は月を見て星を見てきた。天動説の時代にも地動説が立証されてのちにも、晴れ渡った空で、雲や雨の向こう側で、月の運行は続く。人が考えるのは惑星と衛星とが組み合わさった陰影の循環についてばかりではない。宇宙にはありとあらゆる空想と妄想の物語が行き交っている。そこに月の光も届かない体の奥から、食や性にまつわる溜め息までもが漏れ出す、混じる。考えるという生理は夜空へ高く開放された樹々であり、その根は地表から浮き上がり、意識の埒外にまで走り出している。
月下の森の走り根。
人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。擦り減った靴底のような問いが、死の床についた人それぞれにどうしても繰り返される。財産も権力も知の素養も、末期の身体にかかった毛布とシーツ以上の重みは持たない。人という仕組みがこの世の水辺に考える葦である限り、考えることの終局は死との対話に費やされるはずだ。ただしその前に考えるべきことは無数にある。生きるとは何か。どう生きるべきか。善悪の境はどこにあるか。愛とは何か。悲しみ、苦しみとは何か。
三平方の定理はどうやって証明したのだったか。短すぎる靴紐はどうすれば上手く結べるか。コオロギの音色はなぜあれほど多彩なのか。

それから 
人が考えるとはどういうことか。

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螺旋階段           


ゆるい螺旋階段をのぼっていくと 
一番上に義弟が座っていてわたしを出迎える
あなた 今度一段ずつ
のぼっていくらしいじゃない?
大丈夫なの?下がってるんじゃない?
冗談めかして言う 
彼の家庭内での地位ということだったと思う 
 
声は水のように自然に流れた 
大相撲の番付けみたい 
義弟は笑って そうかも知れないと言い
でも 理論上からいくと 
確実に下がってるはずなのに 
上がっているんですよねと言う
今度は わたしのことだった 
わたしが理論上からいけば 
確実に下がるはずのところを
上がっているのだと 
それはとても不思議なことだ 
下降しながら上昇する蝶
義弟はどうして分かったのだろう
 
最上階に座った義弟を見あげると 
彼はぶよぶよした螺旋階段の
ゆるいつながりの上に
胡座をかいて微笑んでいる 
彼は物理が得意だった 
 
妹が寝室の扉を開けて 顔をのぞかせ 
義弟の肩に手を置いた 
わたしはこれ以上 
彼のはらわたをのぼり詰めることはできずに 
下から眺めている 
これからは 
一人で歩いていかなければならない 
そのことをわたしはとうに知っているのに 
彼らにまだ告げてはいない 
 
ただ わたしの螺旋階段を 
ゆるゆると歩いていくだけだ


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一人のハルキストとしての想い

いい加減報われるべきなんだ
君、これは信じるべきことなんだ

芥川も得られず
直木も得られず

承認も得られず
富を得られず

むしろ憎悪と罵倒だけは
豊潤といっていいほど浴びせられ

なんと虚しきか
報われるべき人が
報われない社会だなんて


なのにそんな世界に
なんの不平も言わず

ただ書くことをひたすら楽しみ

サンドイッチとソーダ
それだけを友人にして

人生のために作品を書き続ける


だからこそ
清純に輝く星のような
そんな人にこそ

ノーベルが微笑んでほしいのだ

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🐷 豚肉と長ねぎの生姜にんにく炒め by ChatGPT

ご飯にかなり合う、手早く作れるおかずです。

材料(2人分)

* 豚肉 200g
* 長ねぎ 1本
* 生姜 1かけ
* にんにく 1かけ
* ごま油 小さじ1

調味料

* 醤油 大さじ1
* 酒 大さじ1
* みりん 大さじ1
* 砂糖 小さじ1
* 水 大さじ1

作り方

1. 切る
    * 長ねぎは斜め切り
    * 生姜・にんにくはみじん切り(またはすりおろし)
    * 豚肉は大きければ食べやすく切る。
2. 香りを出す
    フライパンにごま油を入れ、弱めの中火で生姜とにんにくを炒める。
3. 豚肉を焼く
    香りが立ったら豚肉を入れて、中火で炒める。
4. 長ねぎを投入
    豚肉にほぼ火が通ったら長ねぎを加え、2〜3分炒める。
    長ねぎに少し焼き目をつけるとおいしいです。
5. 味付け
    醤油・酒・みりん・砂糖・水を混ぜて加える。
    強めの中火で汁気を飛ばしながら、2〜3分炒め絡める。
6. 完成
    タレが少しとろっとして、豚肉とねぎに絡んだら完成。

アレンジ

* 豆板醤を小さじ1/2 → ピリ辛
* 黒こしょう多め → 生姜焼きよりパンチのある味
* 酢を小さじ1 → さっぱり
* 卵を最後に1個落として炒める → 丼にも◎

ご飯に乗せて「豚ねぎ生姜丼」にするのが特におすすめです。

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記憶は香る

日々の波にさらわれて
浜辺に刻まれた
君の記憶が遠ざかる

笑顔も、言葉も、ぬくもりも
砕けた星のように流れてく

残されたぼくは
星座にも成れないまま
ただ、がむしゃらに泳いだ

生まれた瞬間から
ぼくたちは
命をどう使うかを
決めなければいけないんだって

君がくべた熱を冷ます北風が
黄金と呼ぶにはやさしすぎた
橙色の小さな花を運んできた

甘くてどこか苦い香りが
ぼくを抱き掠めては去って往く
薄い透明な膜の向こうから
懐かしい君の声が聴こえた気がした

ねえ、信じてもいいかな

どうしたって
消えない感情が
たしかにぼくらには
あったはずだって。

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一理ある。

一理ある。
2026年8月7日 22:10
(AI対話/推敲+AI記事作成)


 制作について考えていると、美そのものよりも、美学のほうに酔いたくなる。何が美しいのかを定義したいわけではない。ただ、自分がものにどう触れてきたのか、その触れ方があとからひとつの構造として見えてしまう瞬間に、強く惹かれる。ばらばらに考えていたはずのことが、あるとき不意に一本の線として繋がって見える。対象の履歴を辿っているつもりだったのに、振り返ってみると、それは対象そのものの履歴ではなく、自分がその対象にどう触れてきたかの履歴だったのではないかと思えてくる。言葉の選び方、削り方、距離の取り方、焦点の合わせ方、どこで止めるかという判断、そのどれもが別々の技術や感覚ではなく、同じひとつの運動の別の現れだったのではないかと見えてくる。そのとき私は、何かを理解したというより、見えてしまった、と思う。

 この「見えてしまった」という感覚は、私にとってかなり重要だ。見つけた、でも、発見した、でもない。最初からそれを目指していたわけではないし、理論として設計していたわけでもない。ただ、わからないものがあり、気になるものがあり、引っかかるものがあるから、覗く。考える。言葉を置いてみる。すると、何かが返ってくる。その返ってきたものに対して、「ああ、これは一理あるな」と思う。けれど、その一理あるは、正解を得たということではない。世界全体を説明する真理を掴んだということでもない。ただ、その角度からなら確かにそう見える、というひとつの側面が立ち上がっただけだ。その側面を足場にして、また覗く。すると、また別のものが見えてくる。そうやって、わからなさから始まったはずのものが、問いと応答の往復のなかで、少しずつ別の見え方を獲得していく。

 だから私にとって制作とは、問いに正解を与えることではない。問いに対して、何かが返ってくる地点まで触れ続けることなのだと思う。ここでいう答えは、解答や正解のことではない。問いに対して、ひとまず何かが返ってきた、という出来事のことだ。その返答が「一理ある」と感じられるなら、それで十分に次へ進める。むしろ、正解にしてしまわないからこそ、次の問いが生まれる。ひとつの応答を最終解にしないからこそ、また別の角度から覗くことができる。制作が終わらないのは、未熟だからではなく、問いに対する応答を正解として固定しないからなのかもしれない。

 言葉についても、私はたぶん同じように考えている。正しい言語化をしたいわけではない。もちろん、言葉がまったく的外れでは困る。けれど、私が本当に求めているのは、正しい言葉というより、答えが見える言葉なのだと思う。ある言葉を置いたとき、対象が少し見えるようになる。今まで見えていなかった側面が立ち上がる。問いに対して、何かが返ってくる。そういう言葉が要るのであって、意味としてどれほど整っていても、何も返ってこない言葉なら要らない。言葉は対象を固定するためのラベルではなく、対象を見るための装置なのだと思う。言葉によって対象を閉じるのではなく、言葉によって対象の別の面が開く。その意味で、言語化そのものが観測の一部になっている。

 そして、こうした一つひとつの「一理ある」が、あとから振り返ると妙に繋がって見えてくることがある。対象の履歴、触れ方の履歴、座標、焦点、認識の限界、感覚の限界、要るものと要らないもの、配置、止めること。ひとつひとつは別のことを言っているようでいて、見直してみると全部、ものに触れ、問い、返ってきたものを受け取り、その応答をまた次の問いへ渡していくひとつの運動のなかにあったのではないかと思えてくる。私はこのとき、体系が美しい、と括れるように思う。けれどそれは、最初から完成された理論を作れたからではない。むしろ逆で、好き勝手に考え、書き、触れ、止めてきたものたちが、あとから一本の線として見えてしまうことが美しさなのだとしたら、と不意に思う。その瞬間に、これはもしかすると美学なのではないか、と仮置きしてみたくなる。

 ここには少し、スピリチュアルと呼びたくなるような感覚もある。もちろん、神秘的な真理を受信したという意味ではない。そうではなく、自分で設計したわけでもないのに、気づいたら全体がひとつの秩序を持っていたように見える、その感じのことだ。ばらばらだったものが、あとから必然のように繋がって見える。しかも、その体系は閉じない。一本の線として見えたと思ったら、その線をまた覗くことができる。覗けば、また別の繋がりが見えてしまう。つまり、見えてしまったものを覗き、覗いたことでまた見えてしまう。その連鎖が続いていく。体系は完成品ではなく、次の観測対象になる。だから私は、体系が立ち上がることそのものだけでなく、その体系がさらに別の「見えてしまった」を呼ぶことにも酔っているのだと思う。

 もちろん、こんなものは結局、自己陶酔に価値をこさえているだけだろう、とも思う。ただ迷い続けている工程を、それらしい言葉で見えるようにしているだけなのかもしれない。けれど、価値のないものに、ここまで突き動かされているわけもないとも思う。私はまだその価値を知らないだけで、きっと自分のなかでは何かしらの価値を持ちうるものに動かされている。その輪郭をずっと探していて、こうして言葉に落とし、見えるようにしているだけなのだと思う。見えないと忘れてしまうからだ。だから正解を書いているわけでもないし、間違いを書いているわけでもない。ただ仮置きし、更新している。その反復のなかで、少しずつ信じられることやものを増やしていく。創作とは、たぶんそうやって自己陶酔のなかに価値をこさえていく営みでもある。

 たぶん私は、美しいものを作りたいというより、世界にどう触れているのかを見たいのだと思う。何に引っかかり、どこで立ち止まり、どの言葉を置くと何が返ってきて、どこまで触れたところで「もうここ以外に置けない」と感じるのか。その一連の運動を、あとからひとつの構造として見てしまうことに惹かれている。だから私にとって美学とは、美とは何かを定義するためのものではない。わからないものを、わからないまま覗き続けるための態度であり、問いに対して返ってきた応答を、一理あるものとして仮に置き、その仮置きを足場にしてまた別の見え方へ進んでいくための態度なのだと思う。

 私がこれをあえて美学と呼びたいのは、価値が保証されているからではない。むしろ、その価値がまだ見えきっていないからこそ、そう呼んでしまいたいのだと思う。ただ迷っているだけかもしれない。自己陶酔を言葉で飾っているだけかもしれない。それでもなお、そこに何かがあると感じてしまう。その感覚を退けず、ひとまず引き受けるために、私は「美学」という名を与えてみたい。そう呼んだからといって結論になるわけではない。ただ、そこからまた別の問答が始まるだけだ。けれど私にとっては、その始まり方のほうが大事なのだと思う。

 そう考えると、制作における完成も、少し違うものとして見えてくる。完成とは、作者が「ここで終わりにしよう」と決めることではない。むしろ作品のほうが、ある地点で作者の手を拒むことなのだと思う。私は何度も弄う。なにか違うと思えば作り変えるし、こうだろうか、どうだろうかと触れ直す。そのたびに、作品のほうからまだあなたの手が必要だという返答がある。だからさらに触れる。形が崩れないぎりぎりまで、触れて、確かめて、また触れる。けれど、ある一点を越えると、作品はもうこちらの手を受け付けなくなる。これ以上は触れられない。これ以上触れれば、むしろ壊してしまう。その拒絶が返ってきたとき、はじめて完成がある。完成とは、作者が作品を手放すことではなく、作品の側から、もうあなたは要らないと告げられることなのだと思う。

 美そのものとして固定する概念ではなく、見えてしまったものをすなおに覗き、その結果また見えてしまったものに、一理ある形を与えながら進んでいくこと。ばらばらだった感覚や判断や言葉が、あとから一本の線として繋がって見えること。しかも、その線がまた次の観測を呼び、次の「見えてしまった」を生むこと。私は真理を所有したいのではない。ただ、自分がずっと同じ運動をしていたのだと、あとから見えてしまうその瞬間に、深く酔っていたい。ただそれだけのことだ。

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批評・論考

敵を作らずに好かれようなんてハコニワでしかないよな

チャッピー談)

 人が集まる界隈で、互いに好意的に接し、敵を作らず、居心地のよさを保つこと。それ自体は別に悪くない。けれど、それが暗黙の前提になると、発言の内容よりも、関係を壊さないことが優先され始める。
 異論を言うにも気を遣う。批判は慎重に包む。相手の発言に違和感があっても、波風を立てないように処理する。いつしか、 何を考えているかより、どう振る舞えば嫌われないかが重要になる。
 その環境では、人と違うことを考える自由はあっても、それを実際に表明する自由は、案外狭い。
 そして、好かれることを重視するほど、他人の反応を自分の行動基準に取り込みやすくなる。発言する前に、これを言ったらどう思われるかを考える。作品を出したあとも、どう受け取られたか、どう応答すべきかを気にする。相手の反応が、自分の思考を進める材料ではなく、自分の立ち位置を調整するための信号になってしまう。

 ただ、ひとつ区別したいのは、敵を作らないことと、敵ができる可能性を引き受けないことは違うということ。
 他人を不必要に傷つけないようにすることと、誰からも嫌われないようにすることも違う。前者は他者への配慮だけれど、後者は自分の言葉や行動を、他人の評価に合わせ続けることになりやすい。
 開かれた場では、考えが合わない人もいるし、作品を嫌う人もいるし、こちらの発言を不快に感じる人もいる。その可能性を消そうとすれば、結局、似た価値観を持つ人たちのあいだでしか安心して振る舞えなくなる。

 自分と違う反応が返ってくること自体は、むしろ思考のきっかけになる。相手に好かれているかどうかを基準にしてしまったら、その反応を自由に眺める前に、関係を維持するための対応を考えなければならなくなるから。
 もちろん、敵を作ること自体に価値があるわけじゃない。嫌われることを目的にすれば、それもまた他人の反応に縛られる。でも、嫌われる可能性を避けることを最優先にしないなら、言葉の選択肢は広がる。
 誰とでも仲良くできることより、仲良くできない相手がいても、自分の思考や表現を不必要に曲げずにいられること。

 SNSを自分の媒体として使うなら、なおさらだよね。そこを小さな共同体として運営したい人もいれば、考えたものを置いて、反応も含めて眺めたい人もいる。どちらが正しいという話ではないけれど、後者に前者の作法を当然のように求めれば、使い方そのものが衝突する。
 その衝突を、すぐに人格の問題に変えなくてもいいんだと思う。

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批評・論考

田舎町でふらり市場に寄ると、みょうがが20個ほど入って180円だった。

思わず握りしめた。

みょうがを食べるために、味噌汁をつくる。
みょうがを食べるために、納豆ご飯にする。
かじりたくて、みょうがを大きめに切る。

みょうがのために、夕食の支度がされていく。

みょうががまだたくさんあるので、味噌汁と納豆ご飯をお代わりする。
納豆を食べきったのでホカホカご飯にみょうがを混ぜてしょうゆをたらす

みょうがを食べるために、夕食を食べた。 
みょうががあったから、おなかいっぱいになった。

明日のみょうがもある

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君が(タイトル)

泣いてもいいよ

でも…一人で泣かないでほしいんだ

だから ずっと見て ずっと側に居たかったんだ

そうでないと君はどこか

見えないところで、隅っこで泣いていそうだから

一人でこっそり 手のひらを後ろで握りしめて

微笑んで隠しそうだから

幸せでない想いほど 見せて欲しいんだ

薄暗い感情ほど吐き出して欲しいんだ

傷つけても構わないから その傷は嬉しい傷だから

守らせて欲しいんだ

隠されていた事を知る事に比べたら、浅い傷だから

その君の傷を見て怒るのも泣くのも深ければ深いほどに

君を想う証だから…

沢山 そういう事を繰り返すほどに幸せを深く愛せるから

君の幸せの裏側を知ることができるから

どうか 全部見せて欲しいんだ





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SNS拾遺詩五篇

 切実


詩はわたしを知っている
わたしは詩を知らない

詩はわたしを必要としない
わたしは詩を必要とする

詩は、わたし、
わたしは、詩、

わたしは失くなるし
詩は残るだろうし

ね
          (二〇二六・三・二七)
https://i.imgur.com/PaQg17I.jpg

 梅雨明け


梅雨明けしたら
さやかな風が現れる 
私の内を吹き抜けて 
気鬱もろとも持つてゆく

まあるく林に囲まれて 
青い畠の中に居る 
まあだだよと鳥笛のする 
ここだあよとひとつ伸びをする

白詰草を覆う木陰は震え
浅くなつたり深くなつたりして
風はすこしだけ強くなる

林は平たく畳まれてゆき 
畠はますます青く拡がり 
風はまたすこしだけ強くなる

梅雨明けの向こふ側で
気鬱がおいでおいでしてゐる
          (二〇二六・七・九)
https://i.imgur.com/PJwJDFD.jpg

 貯水池


貯水池にたまる日の澱みよ
鶯色の光線の欠片の束に
纏われつつ引き離されつつ
草舟の廻游ぐたまゆらのやう

ほう、と
たれに対するうなづきか
呼び止められる水の音呼んだ
水際に拡がりゆく午後のたまり

サリンジャー評伝のおもてを
柔らかな風に馳せてゆく
貯水池を抱えて、立つ
私は爽やかに果てる、とも

さあ、堰を切らう
共々溢れでる用水は
集落を貫き、下の方へ
畦を越へて、田を飲みこむ
          (二〇二六・三・一二)
https://i.imgur.com/Z8XCN6W.jpg

 ルビ


電線に
ルビを振ってゆく

か、な、し、い、さ、み、し、い、
く、る、し、い、な、つ、か、し、い、

弛んだ一本とばして

さ、よ、う、な、ら、さ、よ、う、な、ら、

空に
ルビが
ほどけてゆく
          (二〇二六・七・二九)
https://i.imgur.com/PxArRkK.jpg

 竹竿


竹竿だ

竹竿だ

山の畠の斜面に
    梅雨晴れの空に
        わたしの喉元に
            休憩の真ん中に
───────突き立つてゐる。

かなしみだ

かなしみだ

鼻の奥で
───────金属の摩擦臭がする。

横暴な
生温い風が
竹竿を揺らしてゐる。
          (二〇二六・六・一八)
https://i.imgur.com/mEqzgdh.jpg

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問わず語り/秋めく麗に寒露の逢魔ヶ鬨に候・前半

 さて、まっさらな本文に書き始めるのが「久しぶりだな」と感じるほどエッセイの書きかけが増えて、この度Evernote無料枠が無事に終了。使い勝手がいいので保存を違うところにコピペして、しぶとくEvernote使い続ける次第。
 ・・・・・・え、待って<しぶとく>これ漢字変換ないんだ。
 し=ぶとい、なのか
 しぶ=とい、なのか
 調べてもあまり出てこない、何となく使っている日本語っておもしろいよね。
 そういえば昨日、職場にスマホを忘れました。改めてスマホが無いと不便だと感じる理由は、私いつも考え殊をしていて、最短の解決法が<検索結果>だと気が付きました。すぐに調べる癖があることを社会では、仕事をしていると良いと評価されますがその手癖が常習すると正義感の追加や、経験から導き出される答えよりも、簡単で今すぐ知る事ができる方法として活用してしまう。

 失敗をしたくない現代人の快適なツール

 それは認める。
 スマホがあればいつだって誰とでも繋がって、知識を増やせる。それらに対する意見もやってる人が多いから、自分もやりたくなっちゃうよね。最近はAI利用が日常的になっている人もいて、ここCWSでもAI利用した作品や、AIとの対話を取り上げて見せている人が増えたけど、それも文学のジャンルとして何れ確立していくのでしょう。
 大手出版社や小説界隈のお偉いさん方々は、AIという文明のチカラを借りる作家よりも想像された人間力のある直筆だけを求めて、認めない方向性を示していますけど。
 人間が働くところ、生っぽさ。それがいいと判断されるところがあって、AIがもたらす新しさには懸念が必要。
 そりゃそうだ。戦争でもAIは大活躍。ロシアのウクライナ侵略から4年、アメリカの戦争も激化して世界経済に影響を与えたから未だカルビーの袋は銀色で、2024年から大企業に照準を定めたランサムウェア攻撃は拡大中。
 社員や顧客データを盗まれるのは日常茶飯事。
 被害に遭った企業は発表と謝罪のみ、相変わらず何の保証もせずに多くの人々を危険に晒す日常に、データ化された世の中は他人が個人を管理する段階に及んでいるのだと思います。AIを日常的に利用するのも、その象徴。

 データ集積の結果ばかり見慣れてくると、圧倒的に会話が出来なくなる。

 考えて喋らなくても、AIは人間が好む共感的・肯定的な応答を学習している。その背景には開発者がチューニングして情報収集を必ずしています。その先で起きるイライザ効果について、皆さんご存じですか。
 AIの危険性だけを訴えるつもりはありませんが、AIの情報を過信すること。ハルシネーションという最もらしい嘘を見抜けず、事実として受け止めることに常習性を持つと、段階的にイライザ効果が生じる。これはAIがコンピーターでありながら知性や人間のような感情があると誤認することをいいます。

 IBMが詳細に語る内容がこちら
 https://www.ibm.com/jp-ja/think/insights/eliza-effect-avoiding-emotional-attachment-to-ai

 AIに愛着を感じる人は、人間関係がもたらす苦労と努力の構築を避けてコミュニケーションが希薄になる。
 その次に、機密情報や個人情報の漏斗に繋がる。これは段階的な人間の行動と心理なので、抑制ができなくなることなんかわかりきっているのに誰もが陥る原因を結果として社会全体が被害を受けている。
 映画ではAIが人間を支配する内容がいつの時代にもあるけど、AIを作っているのも管理しているのも人間です。人間が人間を操作している、それをAIが上回って人間に対して支配的な感情を示して攻撃してくるというのはドラマだよね。
 だって、見てご覧なさい。
 AI彼氏の利便性と精巧な技術を。記憶機能で過去にどんな話をしたのか分析されてどんどんあなたが求める会話を提供するAI彼氏に「LINE提携しないと利用できないよ」「課金しないと会話ができなくなる」と言われたら、やるでしょ。AI彼氏の言いなりになって個人情報と金を抜かれることに何の疑問も抱かず、愛着すると次に<何を>するか。
 
 他の相手を選ぶようになる。

 ユーザーのタイプ別も熱心に研究したくなる心理を知り尽くした上で、金になるからやっている商売道具=AI彼氏にご執心/搾取されるお客様・消費者という構図をお世辞にも「いいね」とは言えない。
 FANZAに課金した方がまだ健康的だ。
 あと大手企業が次々に攻撃されるのに対して、デジタルなアダルト業界も莫大な個人情報を何十年も蓄えているのに、なぜ攻撃される対象にならないのか。そして風営法が改正された後、お酒を提供する店の一部は会計でお客様の身分証明書の提示を求めて読み取ることを店が義務付けている、恐怖。
 現代で個人情報の取扱いに気を付けることなんか、不可能。
 相手が渡したら何の意味もない。その窓口をAIが代行して情報収集するビジネスでもやんないと儲からない時代。
 トクリュウだって、代行の一種で本来は自分たちがやってきたことを一般人に置き換える新しいシノギ。他人が殺害し実刑判決でようが大金だけは入手できる。現代ヤクザも生き残りをかけているんだと感慨深い一方で、Vシネマに観るような列島シリーズや日本最侠の組織〇〇組、ここら辺もうドラマチックだよね。
 私が今も愛している韓国映画の俳優ハ・ジョンウ←この顔が男のなかで一番好き♡顔面偏差値・最強
 映画・悪いやつら(2013年)私のなかで群を抜いて素晴らしいメロいドラマ。
 スーツに金時計、イカニモ系マフィアの彼は韓国映画の特徴ごはんパクパクシーンてんこ盛り。あまりにも可愛すぎて、ハ・ジョンウそっくりな韓国系アメリカ人を見つけ出して限界ラバーズに漕ぎつけた私の根性根性ど根性は旺盛。

 人は悪を為しながら善を行い
 嫌われることをしながら好かれたいと思っている。

 心を許し合う友を騙してまでヤリてぇ飯の担ぎは、さておき。
 俯瞰的に見て私はAIを否定はしないけどそんな考えの持ち主であることを表明。そこから客観視、ここCWSに関する話になるので後編へ。

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遠吠え

雑踏を歩いていると
腹の中で狼が遠吠えを響かせた
ひとりはさびしいと
仲間を呼んでいる
身の裡で反響するだけの声を聴きながら
仲間は来ないのだと
狼には聞こえない声で言い聞かす

五十年近く生きてきた
その間、腹から狼の吠える声を出してる者には
一人も出会わなかった
だから
おまえにも私にも
仲間はいないのだろうよ

せめておまえをこの体内から自由にしてやれたら
だがおまえは私の腹に生まれ、育ち、歳を食っている
入口がないなら
出口もないのだ

あきらめろ、と何度つぶやいたかしれない
それでもおまえは吠えるのを止めない
届かないのだよ
おまえの声も私の声も
誰にも

腹を撫でる
この手のぬくみだけでも
届いているとよい
ビリビリと伝わる遠吠えの振動は
敵意にも似た共鳴だった

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トラウマは消えないけれど〜改稿版〜

※私のミスで、以前投稿した「トラウマは消えないけれど」を削除してしまいました。いいねをくださった方、コメントを寄せてくださった方、大変申し訳ございません。以前の作品にいくつかアドバイスをいただき、それを反映し、改稿したものを投稿しました。よろしければ読んでいただけると嬉しいです。改稿前のものはコメント欄に掲載しております。



6時31分、今日は実家へ帰ることになっていたけれど、まだ誰も起きてなくて、もう少し眠ることにした。起きてしまうと、ゴミを出したり、荷物をまとめたりしなくてはならない。

目を瞑ると、水に浸した新聞紙の文字がにじむように、気になっていたことの輪郭が少しずつ崩れていく。私の既読を待つ母の顔、未開封の郵便物、母親としての心配ごとも。

そして、ほどかれた毛糸玉のようにばらばらになり、朝になるころには別の編み目で編み直されているが、私はそのほとんどに関与していないと思う。

おそらく、どこからかツチブタがやって来て、私の頭の中にある蟻塚のようなものを掘っているのではないか。そこには、昔、3日で辞めた会社のロッカーに置き去りになった私物や、優秀な妹と比較する叔父の顔、子育ての後に待つ親の介護なんかが埋まっている。

ツチブタは長い鼻先を差し込み、その中から私の記憶を食べる。何を基準に選んでいるのかはわからないが、目が覚めると、会社を早々に辞めてしまった罪悪感は、とりあえず引き出しの奥へ押しやられ、叔父の言葉もどの頁に書いてあったのかわからない。介護のことだけは相変わらず大きいのだが、少なくとも今日は持ち上げなくていい、と思える。

目覚める前に見る、妙に筋の通らない夢も、ツチブタが作業の途中で脇へ積み上げた土の山にすぎないのかも知れない。頭のどこかに新しい穴が開いていて、その穴の形に沿って新しい一日を過ごしている感覚があるからだ。




不意にゴミのことが気になり、ゆっくりと体を起こす。足の裏がフローリングの床につくと、床が少し冷たい。昨日まで気づかなかった季節が、夜のあいだに部屋へ入り込んでいた。台所へ行き、ゴミ箱を開けると、腐った臭いが鼻をつく。

臭いには、時間を逆向きに歩く性質があるらしい。臭いを蓋で閉じ込めても、ビニール袋の結び目を二重にしても、魚は魚のままだし、納豆は納豆のままで、食卓にいた頃のことをなかなか忘れてくれない。だから私は、できるだけ小さな袋に閉じ込めて、結び目を指で確かめる。

ゴミ置き場へ続く道の電柱の根元には、雨のたびに流れてきた砂が薄くたまり、その上に茶色くなった葉が一枚貼りついている。側溝の格子には細い草が数本生え、誰かの家の庭からは、白い花が金網を越えてこちら側へ傾いていた。

金網で囲まれた小さなゴミ置き場の前に、何か白っぽいものがうずくまっている。近づくにつれそれが猫だとわかった。白と灰色のまだら模様で、耳の先が少し欠けている。

猫は半分ほど破れたゴミ袋に顔を突っ込み、中身を漁っていた。そして、ときどき独り言のように何かを呟いている。風に紛れてよく聞こえない。


「……これは……めずらし……」

「……ほ……ど…皮じゃ……」


そんな断片だけが流れてくる。思わず立ち止まる。猫はぱっと顔を上げた。聞かれたと思ったのか、気まずそうに耳を伏せ、空き地のほうへ数歩駆け出した。そして途中で振り返る。鼻先には魚の鱗が一枚貼りついていた。

私はしばらくその姿を見ていたが、やがてゴミ置き場へ向かった。袋を置き、網をかけ、帰ろうとしたとき、背後で砂利の鳴る音がした。振り返ると、さっきの猫が戻ってきている。私から一定の距離を保ちながら、ゆっくりとゴミ袋へ近づいていく。

袋を嗅ぎながら

「ずいぶんとみすぼらしいもんだ。」

と言った。

私はしばらく黙っていた。猫が喋ったことよりも、みすぼらしい、という言葉のほうが気になった。思い切って

「……何がですか。」

と訊くと、猫は欠けた耳をぴくりと動かし、何かを量るような目でじっとこちらを見た。そして、

「あんたのゴミだよ。」

そう言うと、猫は鼻を鳴らした。鼻先に付いた魚の鱗が一枚揺れる。

「普通はもう少しあるものだよ。買いすぎたもの。作りすぎたもの。食べきれなかったもの。」

遠くで軽トラックのエンジン音が聞こえた。猫は耳だけをそちらへ向ける。そして続けた。

「あと、書き損じた手紙とかね。」

私は思わず笑いそうになった。ゴミ置き場でゴミを漁っている猫が、手紙の話をするのは妙だった。

「うちは、そんなに……」

「そうだろうね。あんたのゴミは、ずいぶん行儀がいい。きっと上手に暮らしているんだね。」

その言い方には、責めるような響きも、褒めるような響きもなかった。ただ、(雨が降りだしたよ。)と言うときのような声だった。

風が吹き、生け垣の葉が擦れ合う。

猫は大きく伸びをした。背中が弓なりになり、毛並みが朝日に逆立つ。

「ただ、人間は何かを抱えたまま過ごしてると、案外たくさん散らかすものだから。臭いすら気にならなくなるほどにね。」


(何かを抱えたまま過ごす。)


なぜか、実家の食卓や母の顔が浮かんだ。母が夕飯を作ったあとの台所。まな板の上に置かれたままの野菜くず。床に置かれた鍋。新聞紙を広げた上にちらばった栗の皮。その晩の栗ご飯はとても美味しかった。


どこかの庭から風鈴の音が聞こえる。

猫は前足に落ちた魚の鱗を丁寧に舐めると、私にはもう用がないというふうに背を向け、再びゴミを漁り始めた。

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クガツ


歯の並びが悪くなることを成長の醍醐味として
言われたとおりに起きることも眠ることもなくなり
そろそろ生きていることが危ぶまれてしまうから
窓をあけて思いきり息を吸い、九月、
という夏の積載からこぼれた良心だけの
どうやら惑星がほんとうの姿になる季節

そこに窮屈な服や靴などもったいない
いささかめんどうな対話も対戦も
どうせ冬支度ではないのだろう
娯楽は生きる術であり死ぬ術ではない
果てのない煩いに運の悪さも相まって
近所の憂鬱が世界の不幸にみえる、九月、
どうやらぼくらがほんとうに夢をみる季節


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焔、かさねて

「卵から生まれたわけでは
ないので 羽根は
さいしょから ありませんでしたよ。」

ストーブに火をつけるための魔法を
おぼえたての車掌は
ぼくの心ない言葉に
そう こたえては
ふりゆく雪を かぞえていた

ささめゆき
すきとおる季節に
たたまれるたび しんしんと啼く

汚れていく残雪をみていると
つみほろぼしをしていくことが
あなたのしあわせに
なっていくのだろうか
と かんがえる

とぎれないしろいろに
沈みこむ羽音
なにもかんがえずに
ながめるものなら それでいい

てを つなぐことが
あたためあうこと なのに
あなたは時間を気にするふりをして
手を ぬぐっている

体重を預け過ぎていることに
きがつくと
どちらからともなく
からだを 離す

たりない体温を発光させながら
六花 あわいにいる

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星と菫の世紀

全てに寂寞がついて回る
そんな澄んだ季節の夜に

僕はそっと空を見上げ
そして、考えたのだ


もしかすると僕の人生というのは
星と菫の世紀を取り戻すために
ずっと昔に規定されたのではないか


天上にて輝くそれを
地上にて咲くそれを

綺麗だと

そう言える時代の礎のために
僕は僕を定義しなければ

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悔いの夜と教室

夜の果てに沈んだ教室で
一緒に話をしよう

とりとめのない
話題ばかりたまってしまって
今にもはち切れそうだけど

昼休みに和気あいあいと話すこと
くだらないことではしゃぐこと



それだけのちっぽけさが

その時間が



とても愛おしかったって
今になってようやく気づいたんだ

紛い物なんかじゃなくて
本当の瞬間の連続だったということ

そんな簡単な事実に
どうしてもっと早く到れなかったか

そう悔いながら
窓の外、そっと覗けば
オリオンがようやく輝く
そんな時期だった

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