投稿作品一覧
青の純真
あれだけは
ぜーったいにやらない!やりたくない!
絶対にやらないから!
それだけは断固として決めている
なのに、赤がどんどん迫ってくる
それは簡単とは言いたくないし、困難とも言いたくない
すると 青が現れて、
何がそんなに嫌なんですか?と聞いてくる
無秩序なルールに支配されるのが嫌なんだと答える
簡単なことだから…
時間もかからないし…
受け入れて赤と離れましょう
青の静かな声に導かれ…
気付けば私は、夕暮れの美しい湖面の前に立っていた
青は湖のほとりに膝をつき、水面に指を入れた
そして、その指先で水面を優しくかき混ぜた
これで終わりです
へぇーそうなんだぁ…
不思議なことに、わたしは全く腹が立たなかった
むしろ興味深く楽しかった
そこには素直なわたしがいた
幼い頃のわたしが…
なぜなぜ固い鎧が溶けたのだろう
誰か教えて
野生の花の、気高さに魅入られて@しろねこ社賞推薦文
推薦対象
最後の花
by 桐ヶ谷忍
ごく、プライベートな理由であるから、この推薦文には書かないけれど
私は自分の誕生日になると、桐ヶ谷忍さんという詩人さんの事を思い出す。
女流詩人、と述べたらば、桐ヶ谷忍さんはどういう事を思われるのか
私には分からない。なぜならば、桐ヶ谷忍さんの詩には性的マイノリティの
問題もきっぱり、記述されてらっしゃるからだ。
その、作品の印象として、桐ヶ谷忍さんの筆致には、きっぱりがある。
葛藤してはいる、悩んでいる、苦しんでらっしゃる、しかし、それを詩へ
封したとき、そこには、きっぱり、が見受けられる。
私が、村上春樹は、「長年小説を書いていても、救われた事もない」旨
書いていた事を、忍さんに述べると、ちょっと驚かせてしまったかも知れない。
忍さんの立場に立ってみれば、詩、文学を通じて、表現を通じて、自分を救ってきた
というのは、きっと紛れもない事実なのだろうから。
本当の事を書けば、わたくし自身、村上春樹、ちょっとそれはないだろう?と感じた。
そうして、わたくしの個人的な問題だったのですけれど
その、表現の「わかる/わからない」問題があり、その問題を抱えつつ
桐ヶ谷忍さんのこの作品にコメントさせて頂いたのですけれど
忍さんの立場に立ってみれば、詩、というのは言語芸術であり
そのセンテンス、言葉を、丹念、追ってゆけば「わからない」なんて事はない。
それに最低でも「愉しめる」。
という事になり、私の目を見開かせたくれた。
きっぱりを越えて、その言葉に全力を賭けている詩人の姿としては
寧ろ、真っ当なのであった。
そうして、ログを辿って、桐ヶ谷忍さんの詩作品を読んでゆく内に
「日本語としての詩の在り方」として、私に新しい道を拓いてくれているようであった。
私は、「くろかみながくやわらかな」なんて、調子の良い、歌を諳んじて
のほほん、としている自分を恥じた。猛反省した。
桐ヶ谷忍さんの花は、きっと、花屋さんできっぱりと、いや、かっちりと
パッケージングされた、プロフェショナルな技の入った花々であって
それか、または気高く咲く、野生の花だ。
私が花、と書くとき、そこには桜があることを、述べる。
そうして私は私の誕生日の事を思う。それは、もう桜が散りはじめて葉桜の季節である。
これが、推薦文に値する文章になっているのか、わからないし
忍さんには、もう推薦文が出てらっしゃるかも知れない。
そこまで、まだCWSのログを追えていないのであった。
段々、夏になってきますね。そうして桐ヶ谷忍さんのこれからのご活躍を
応援する意図もありまして、本当に勝手ながら、桐ヶ谷忍さんの推薦文を書かせていただきました。
感謝。
最後の花
地上で最後に咲いた花には
目がありました
かつて生存したあらゆるものが死滅し
文明の残骸さえ塵になった地上で
薄ら寒い強風にそよぐ雑草さえなく
とうとう最後のいのちになった花は
赤黒い雨に打たれながら
けがれた白い花弁を見、
空を仰ぎました
目に入る雨は有害物質を含んでおり
当たると激痛がありましたが
花は最後の生命として凛と
荒涼たる天地を見詰めました
花は、愛でられてこそ、花
けれど自分を見てくれる者は
もはや誰も、何もありません
口があれば嘆いたでしょう
けれど花は目を見開く以外
何も出来ません
毒液そのものの雨を一身に受け
花は泣きました
ひとりぼっちを泣きました
朽ちていく我が身を泣きました
花としてうまれたのに
何者にも愛でられないまま
死んでいくことを泣きました
それでも
生まれたからには
なんらかの意味があるのではないかと
いえ、意味などなくても
花は花に生まれたという
己の価値を分かった上で
うつくしくあらねば、と
空を仰ぎ
地を睥睨しました
花は最期まで目を見開いたまま
絶えました
最後のいのちであり最後の死者でした
うつくしい、と囁いてくれる何者かを
最期まで探し求めて地に倒れました
地上最後の花は
これまであまた咲いたどんな花より
花としてのいのちを全うしたのです
アリクイのふしぎ
まだ眠い目をこすりながら食卓についた
アリクイがヨーグルトの蓋の裏側の
発酵した朝露をこっそり舐めとる
覆い隠すから知は美味しいらしい
アリクイがいつも夢に見るものは
千枚の葉 千人の娘 千種類の獣の皮
多重露光されたコスモス畑
着膨れ 作中作 ドールハウス 地下街
マトリョーシカ人形のように
彼自身の蓋を開けてもさらに
よく似たアリクイがいるんだろうか
旅
古本屋の女主人は
若くて
美しくて
両の目の間が
人より少し離れている
本をめくりながら
チラリとその方を見たりすると
何故自分が生きているのか
時々わからなくなる
あい。
もう、
ねだられなくなってからも
バイキンマンを
手本なしですらすら
かけてしまうということ
肉塊を呈する者共よ
肉塊を呈し、魂を撹拌する者共よ。
孰れ、霊性に至る身ながら
何故、泥める肉塊へと拘泥する。
哀れなるは太陽、月を照らし出せど
常に厭われ、疎まれる陽光よ
肉塊は腐り果てるのだ
十字架
背負っていたつもりもない
逃れようのない無意識が
揺るぎない確信へと変わり
紡ぎあげる一本の糸
さも終わりのない円環
重ね合わせる二つのクルス
カチリと嵌まる八芒星
車輪へと変わる
その瞬間を
記録者としての営み
壮大な魂の宿題
その過酷さを掬い上げ
君の光を支える
底知れない創造の喜びに
理屈を超えて
貫いてやりたい
行き着く先への錬金術
蒔いた種
ボクはとても図太い人間なので
あなたが歩いてきた途を
平気で踏み歩いて
生きてきてしまいました
ボクはとても胡乱な人間なので
あなたがくれたやさしさで
平気で洟をかんだりして
生きてきてしまいました
ボクはとても勝手な人間なので
うまくいかないことすべてを
あなたのせいにして
生きてきてしまいました
ボクはとても薄情な人間なので
あなたが隅でこっそり泣いているのを
なかったことのようにして
生きてきてしまいました
ボクはとても不器用な人間なので
いつもまっすぐに歩くことができず
ふらふらふらふら 蛇行ばかりして
生きてきてしまいました
ボクはとても臆病な人間なので
転ばないようにケガしないように
壊れないように壊さないように
それでいて本当に大事なものは
いとも容易く ギュウっと握りつぶして
生きてきてしまいました
神様なんて信じちゃいませんでした
信じる者は救われる?
それって信じない者はどうでもいいってことで
信じない者こそ救わなけりゃ
神様なんて呼べるわけもないのに
ですが 何故だかむかしから
バチだとか因果応報だとかというものだけは
頑なにあると信じているのです
ボクにヒドイことをした奴らに
天罰が下されればいい
それを願っていないわけではありません
むしろ 毎日毎晩
報いが起きることを
願ってやみませんが
しかしながら 本当のとこ実は逆で
ボクがいま こうして血を吐いているのも
具合が悪く ふらふらで
家のことひとつ ろくすぽできないのも
どこにも異常は見つからず
ただただ原因不明で
不安ばかりが募っていく日々を送っているのも
20年近く かかさずに
ちゃんとちゃんと クスリも飲んでるのに
全然良くなる気配すらなく
悪くなる一方なのも
お金がないのも人が去っていくのも
よく知りもしないうちから
いつも軽く扱われるのも
ボクが生きて 仕出かしてきた因果
すべて報いとして還ってきている
それだけのことなのだと思います
いまのいままで ボクからなにか望んだり
欲しがったりしたことは
記憶にある限り たった一度きりです
なにかを望むなんてそんなこと
はじまりからしてボクは
罪の子なのですから
誰にも望まれることなく祝福もされず
生まれてきてしまった
ふしあわせ
という名の
ボクが蒔いてしまった種
なのですから
痩せこけた葉っぱばかりついている
花の咲かない種でした
養分だけはやたらと吸い摂って
なんの役にも立たない
面白おかしくもない
ヒョロリヒョロヒョロ
うなだれて時折
こちらをチラチラとのぞき込んでいる
気味のわるい種でした
ボクはとってもと〜っても嘘つきな人間なので
この話のぜ~んぶを
決して真に受けたりしないでください
運ばれて、生きて
人が生きる
と書いて
人生、と読む
命を運ぶ
と書いて
運命、と読む
つまり
運命こそが人生
生きる
それこそがまさに
運命なのです
ジャジャジャジャーン
ジャジャジャジャーン
運命が外から扉をドンドン叩いてる
なんてことはだから
ありえないのです
# じんたま 16 The Silver Bullet and the Incomplete Domain Expansion
土曜日の雑談回を聴き終え、その後、日曜日のクヮン・アイ・ユウさんのツイキャスを追いかけている。
土曜日の配信『#じんたま』は、どこか異様な緊張感に包まれていた。同接は10名を超え、暗がりに潜む「ROM勢」の気配が濃い。初見さんもいたのだろうか。私はといえば、脳内で密接に絡み合う「三浦×花緒」「花緒×ビーレビ8期」「#じんたま×CWS」という複雑怪奇な相関図を前に、知恵の輪を解くような思いで聴き入っていた。
ユウさんやつつみさんは「最近の三浦果実はおかしい」と口を揃える。確かに、今の三浦氏はいつもと違う。現在聴いているユウさんのキャス後半、ついに花緒氏が登場した。彼は彼で「とりあえず一回、腹を割って話そうや」という構えを見せている。
……しかし、肝心の三浦果実がそこに居ない。
(なんなん?)
画面越しの全員の頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。三浦氏不在のまま、配信は続く。これはいつもの「悪い癖」なのか、それとも高度な計算なのか。
ソフトウェア工学の古典的な命題に、「なぜ、銀の弾丸(万能な解決策)は作れないのか?」というものがある。高級言語やAIが進化しても、「複雑な概念を論理的に整理する」という本質的な作業はゼロにならない。AIに指示を出すにしても、「何を解決したいのか」を正確に定義し、矛盾がないか確認するのは依然として人間の仕事だからだ。つまり、「書く手間(偶有)」は減らせても、「考える手間(本質)」は減らせない。
これを『#じんたま』やB-REVIEWに当てはめてみると、ある仮説が浮かび上がる。歴代の運営も、結成メンバーも、実は「自分たちが本当は何をやりたいのか」という本質(コア)を、誰一人として真には理解していなかったのではないか。
いや、やりたいことは分かっているのだ。例えば「美味しいポテチを食べたい」ということは。しかし、そのためにジャガイモをどこから仕入れ、どのくらいの温度で揚げ、誰が皿を洗うのかという「付随するコスト」の計算が、全員バラバラだった。進んでいるつもりが、実は全力で足踏みをしていたり、あるいは「未来へ向かっている」と言いながらバックギアに入っていたりする。そんな信じられない怪現象が、何年も続いてきたのではないだろうか。
この凄惨な経験を経て、三浦氏も花緒氏も、ある種の悟りに至ったように見える。「結局、大事なコアの部分は、個人で判断するしかない」と。
今、私には不穏な雲行きが見える。これ、近いうちに「三人同時に領域展開」するんとちゃうんか?
三浦氏はわざわざCWSに現れては花緒氏のレスを華麗にスルーし、放送には出たり出なかったりと「情緒不安定なヒロイン」のようなムーブをかましている。土曜日の配信にいたっては、随分と突飛な「やらかし」を画策していた。これは何かを「掴んで」いる。システムとして構築はできていないが、観念としては完全に「ある」状態だ。
私自身にも、なんとなくその予感はある。「コレをこうして、ああすれば、こうなるよね」という、パズルがハマる直前のクリック感。花緒氏にも何かあるように見える。特にCWSの新機能追加を控えた今、彼が静かに牙を研いでいるのは間違いない。
目的地への道は複数ある。それぞれが偶然にも違うルートを選び、崖を登り、川を泳ぎ、なぜか同じ頂上に辿り着こうとしている。三浦氏の個人キャスの頻度が「異常」であることは、周囲も既に察している。あれは完全に、何かが爆発する前の「前触れ」だ。
まぁ、私の杞憂に終わればそれでいい。ただ、もし「万一」が起きるなら、それは最高に面白い方向であってほしいと願っている。
『赦しのためのマニピュレーション』
推薦対象
3ページ目(最終回)
by つつみ
全14話の長い旅路、本当にお疲れ様でした。
物語の最後に置かれた「碧月」という二文字。それが画面に刻まれた瞬間、バラバラだったピースが音を立てて繋がっていくような、見事な収束感でした。
この最終稿が提示した「碧月」という焦点から、全編を振り返る批評的感想をまとめさせていただきます。
物語の幕切れ、河野が白い画面に入力した「碧月」
それは単なる新人作家の名前ではありません。この瞬間、読者は第11話のアートフェスタへと引き戻されます。あの時、ブースの片隅で「赦(ゆるし)」という一文字の本を売り、誰よりも長くそのページをめくる「ある一人の客」を静かに見つめていた碧月。その「客」こそが、河野だったのだと。
最終稿で凛が拾い上げた「白い本」の感触――なめらかで、けれど内側にざらつきを含んでいる――。それは第4話で凛の人生を変え、第11話で河野の心を止めた、あの自費出版の本の感触です。
凛はあの時、碧月から直接本を買いました。そして河野もまた、別の場所でその本と出会っていた。この二人が同じ新人賞の選考の場で、説明できない一文に「止まってしまった」のは偶然ではありません。彼らはあの日、あの場所で、同じ「碧月の言葉」に人生の足場を奪われていたのです。
第8話から第10話にかけて描かれた凛の家庭の崩壊。母の沈黙と、父の「嘘」。その息苦しさの中で、凛は「正解」を失いました。しかし、碧月が書いた「存在ごと受け入れる」という赦しの概念が、今の凛を支えています。
最終回で凛が、倒れた母のために煮物を作っていたあの台所の記憶(根菜の形の崩れ方)を思い出しながら原稿を整えるシーンは、彼女が「不完全なもの、崩れたもの」の中にこそ真実があると確信した瞬間を描いています。だからこそ、彼女は『二年一組、三十八人』の中に、かつての自分を救った「碧月の影」を見出したのでしょう。
河野が最後に打った「碧月」という名前。
彼は第7話で「会話の多い小説を信用しない」と言い、第6話では引き出しの封筒(碧月からの手紙、あるいは新作)をあえて開けずにいました。彼は「選ぶ側」としての矜持を守ろうとしていた。
しかし、選考が終わり、凛が持ち歩いていた「白い本」を再び目にしたとき、彼はすべてを悟ります。自分たちを揺さぶったあの原稿の主が、あの日の青年であることを。
最後にパソコンの余白に名前を打つ行為は、編集者としてその才能を世に送り出す「覚悟」の表明です。
この小説は、かつて自分を救った名もなき言葉に、数年越しに『名前』を与えて世界に放つという、編集者にとって最も聖域に近い瞬間を描き切りました。
部数や返本率という「数字」に支配された1話の冒頭から、何も書かれていない「白い光(余白)」へ。
凛と河野、そして碧月。三人の孤独が「紙の手ざわり」を介して重なり合ったこの結末は、文学を信じるすべての人にとっての福音のような静けさを持っています。
最後に「碧月」とだけ記された余白には、これから始まる新しい物語の鼓動が満ちています。素晴らしい完結でした。
この作品は、派手な事件が起きる物語ではありません。しかし、一文一文を丁寧に積み上げるような筆致と、誰かの孤独にそっと寄り添うような親密さがあります。
「碧月」という二文字に込められた重みを、より多くの読者が自分の指先で受け取れるよう、冒頭の「引き(フック)」と、伏線の「接続」を少し整理するだけで、商業作品としての強度はさらに一段階、確実に上がります。
この作品を一言で表すなら、指先が覚えている、救いの感触です。
• キーボードの打鍵感。
• 紙の繊維の引っかかり。
• 煮物の湯気の湿り気。
などこれらの「物理的な感覚」を全編を通じてより書き込むことで、読者はスマホの画面(デジタル)で読んでいながらも、まるで「一冊の分厚い紙の本を読み終えた」かのような重厚な満足感を得るはずです。
全14話、この繊細なバランスを保ちながら完結させた作者様の構成力は既に十分なものがあります。上記の「解像度をさらに上げる」作業を加えることで、より多くの人の本棚に「物理的に」残り続ける名作になることを確信しています。
この物語が、いつか本当の「紙の重み」となって、誰かの手元に届く日を心から楽しみにしています。
シナモンシュガーバター
苛立ちをこんがりと焼いて
バターをたっぷり塗る
お砂糖とシナモンをふりかけて
むしゃむしゃ食べる
噛んで噛んで噛み砕いて飲み込んで
苛立ちはいま、腹の中
ひーろーはしをかいている
おしゃべりげんきほがらかさん
べんりにつかわれるわたしのなまえは
よくおぼえてもらえるから
わたしもわたしのなまえを
ちょっとほこったりしていたのですが
もうしゃべりたくないげんきもなしこさん
よくなくしうつむいていたい
にっきにはわるぐちだらけ
まじめなのでじぶんをおとしめて
それからせなかをおすはげましめいげん
わたしはわたしのことしかかけなくて
現代詩人が見えないお宇宙を謳うのに
めをしろくろさせすぐにげだしたけど
ちょーこじんてきなことがすくうせかいもあるせかいをすくいたいわたしだけのせかいしかすくえないとしてもいつしかどんどんことばをなくして
「あっ」とか「いー」に 「ん!」って詩をしんけんにかきだしてもそれはしんじつでわたしはまぎれもなくひーろー
シテ
へんかんして
さけびたくないから
きづいてほしいは
たせきしこうかな
へんしんして
ヒーローにねがうのこそ
たりきほんがんだから
へんしんすることに
きめたのわたし
だから
ことばくらい
れっつ ちぇーんじ
黒髪
くろかみながくやわらかな
きみのこころをだれがしる
ひかりのうちのかげとなり
よすがとしてのせいけつさ
きみのこころをかんがえて
わたしはけふもあるきゆく
ゆるされるのはさきのこと
きみはたしかにそうつげた
くろかみながくやわらかな
きみのこころがしりたくて
てがみをかいているけれど
ことばをつむぐはずかしさ
げばば ぼぼぼ列伝 ~ #2 田伏正雄のMasao Tabuse
私は小説を書き、文芸投稿サイトに投稿している。長年書いていると、読者からの評価は不要になってくる。自作がどういった水準でどういう性質のものか、誰に聞かずとも了解できてしまうからだ。それでも文芸投稿サイトに投稿するのは、誰かがそこにいないと書けない性格だからかもしれない。誰かがそこにいる、という事実だけが必要で、誰かが何を思い、その誰かとどう言葉を交わすかは関係がないのだ。
配信を始めたのは、文芸投稿サイトのコミュニティが荒れ始めた時期だった。誹謗中傷と非難の応酬の渦中で、私はライフワークにしていた掌握小説が書けなくなっていた。書けなくなったので、とりあえず配信を始めた。テーマは「文芸投稿サイトの迷惑者たちについて」。迷惑者は荒らしとは違う。荒らしは場を壊すことを目的としている。迷惑者は場を壊そうとはしていないが、コミュニケーションが噛み合わず、結果的に場に損害を与える類の人間だ。実のところ、私はそういう人間が嫌いではない。
三週目から人が集まり始めた。私は対話企画をやることにした。テーマは「なぜ文芸投稿サイトでは揉め事が起きるのか」だった。
配信を始めると、テーマのせいか、迷惑者たちのコメントが溢れた。しかしバラバラだった。あのサイトの運営者は人格に欠損がある。あの投稿者が最初に粗相をやらかした。文芸に品格を求めること自体がおかしい。品格のない場に文学はない。全員が他者を非難している体で自分の話をしていた。全員が相手の話を聞いていなかった。まず一人ずつ話しましょう、と言った。誰も聞かなかった。少し落ち着いてください、と言った。全員が、いや落ち着いていますよ、と答えた。そこだけは一致していた。
六週目の夜、私は途方に暮れた。誰かがそこにいれば書けると思っていた。しかし対話をする気のない人たちの気まぐれな発言に囲まれてしまっては、書けなくなるのだと知った。
その夜、「田伏正雄のMASAO TABUSE」という配信のことを思い出した。文芸界隈の迷惑者に人気のツイキャスだと聞いたことがあった。出禁を食らった者、行き場をなくした者たちが集まっているらしかった。私は馬鹿にしていた。しかし六週間失敗し続けた夜に、探して再生することにした。
田伏正雄という人物が、迷惑者を一人ずつ呼び出し、やったことを確認し、ただ一つの問いを投げていた。悔い改めますか。それだけだった。呼ばれた者たちは自分を正当化し、田伏はただByeと言って次に進んだ。怒らなかった。説教もなかった。ただ問いを投げ、回答を無視し、次に進んだ。それは対話と言えるような代物ではなかった。しかし何かが機能している気配があった。
私は田伏にDMを送った。「対話しようとしない理由は何ですか」。
田伏から間髪置かずに返信が来た。「げばばとぼぼぼです」。意味がわからなかった。
翌週の配信を始めると、コメント欄に見慣れない文字が現れた。「げばば」。配信が始まると匿名のアカウントが「げばば」と書いてよこしてくる。私が小説の一節を読み上げると「げばば」。今日は調子が悪いと言うと「げばば」。配信を終了しようとすると「げばば」。わたしはこのアカウントを「げばば」と名付けた。
「げばばとはどういう意味ですか」と一度だけ聞いた。げばばは、「げばばです」と答えた。厳密には回答は成立しているのかもしれないが、これ以上言葉を交わす意味はない。それ以来、げばばに話しかけるのはやめた。
翌週、ぼぼぼが来た。コメント欄に「ぼぼぼ」とだけ書く存在だった。げばばが「げばば」と書くタイミングで、ぼぼぼは「ぼぼぼ」と書いた。コメント欄は「げばばぼぼぼ」になった。私はそれを眺めながら小説を書いた。げばば、と書いてみると、その言葉が核になって不思議と書けた。
その後、ぴぴぴが来た。むむむが来た。でろでろが来た。がぼがぼが来た。コメント欄は音で溢れた。誰も言葉を書かなかった。私だけが言葉を話した。
あるとき、黙ってみた。三分間、沈黙した。コメント欄は止まらなかった。げばば、ぼぼぼ、ぴぴぴ、むむむ。彼らは私の言葉に反応しているのではなく、私がそこにいることそのものに反応していたのかもしれない。ぼぼぼ、と書き進めてみたら、私は小説の続きを書くことができた。私に必要なのは、意味の交換ではなくて音の連なりだったのかもしれない。
私は掌握小説を完成させ、久しぶりに文芸投稿サイトに投稿した。賞賛の言葉か、あるいは、げばば、や、ぼぼぼ、といったコメントを内心期待してはいた。しかし、誰もコメントをよこさず、一定期間、無視されたのち、田伏正雄がコメントを付けた。
「まったく書けていない。あなたは自分の書いているものの水準と性質を理解していない」
残っているもの
五月の夜。
乾いた空気が、胸に触れる。
思い出す。
欠けていない、あなたを。
熱のこもった目と、
少しだけ噛んだ笑い方と、
あたりまえに伸びてきた、手。
——それだけが。
ほんとうではないと、
もう、知っているのに。
それでも——
あなたもどこかで、
私をきれいに
残したりする?
#恋愛
#巻間詩
#連作
#詩
#短詩
きもちよかろうな
駐輪場に
倒れた
かもめよ
夜の波止場の
生きた血を
ひとりぢめ
窓に映る手形を
胃に
放り込んだら
きもちよかろうな
かりゅうど
あなたの
苦しみを
粉々に
炙ったのなら
「ロリータ」の答えを知りたいんじゃない、「ロリータ」の問いを負っている人の詩が読みたい@しろねこ社賞推薦文
推薦対象
少女Xは死ななかった
by ナカタ サトミ
以前、図書館で一冊の本を借りた。多読の為その本の名前は失念した。どーいう本かというと、アメリカの或る刑務所で
読書クラブの活動を企画した女性ボランティアのドキュメンタリー兼、エッセイみたいなスタイルの本だった。
色々な本を彼女は提供し、ある一定の期間を待って、本を読んだ男性囚人達がディスカッションする、といった内容だった。
そのとき、その彼女は例のナボコフの「ロリータ」を男性囚人たちに配った。
さて、どうだったか。男性囚人たちはこんなことを漏らした。
「こんな話絶対に受けいれられない、だってもしも俺の親族の14歳の女の子がこんな事になったらどうするか、腹が立って仕方ない」
女性ボランティアの女性は反論する。
「でも、このロリータって話はラヴロマンスなのよ」
「NO!NO!NO!!」
俺はロリータの答えなんて知りたくない。だって本当の文学とは、つまり「問い」を残してそこにある事しかできないから。
俺はCWSでコメント付けする際に於いて、「問い」を与えてくれる作品を捜しはじめた。
CWSで活動されているある作家さんが言っていた。
「みんな、考えないんだよね」
そうふと漏らしていた。
そして、そんな作品には積極的にコメントはつけなかった。
まずはコメントがついていない注目されていない作品に光りを与える事が、ネット詩への恩返しだ。
そうして数日経った。いつもと同じように、ゼロコメントの作品にコメントをつけたが、以前より少なくなってきて、鑑賞のパワーを他の方向へ向ける事ができた。
俺の好み、アメ産の、ジャック・ケルアックの路上から、それこそ裸のランチ、失念していたが、そう、ロリータのアナベル・リーについて語れる人を捜していた。
その方はハロー!と言った感じで、俺に直接、推薦文を書いて欲しいと言った。
ガッツがあるな、と思った。そうしてその詩を通読するに至って
俺に対して幾つもの「問い」のボールを投げてくる詩群に出会った。
「ロリコン死ね!」
そうは書いていない。そしてそれは問いかけの言葉で、寧ろ、もっと静謐に、且つエモーショナルに書いてあった。
本来的に、俺はネット詩平等論者だから、頼まれて推薦文を書いていたら
すべての詩人の推薦文を書かなければならない。勿論、そんな事はできない。
こんな話がある。
文学極道出身の長い髪の男の話だ。男は言っていた。
「俺は、詩の為なら、スケープゴートになってもいい」
言い切った。清いと思った。男は「問い」のボールを俺に投げつづけた。
「田中さん、わかるって何?」「弥勒菩薩って今どこにいんの?」「セクハラの問題があったから活動をやめようか?」
正直、俺たちの世代の問題は、俺たちで解決しなければならない。
その為に、考えつづけねばならない。
問いのボールを投げつづけなければならない。
「ロリコン死ね!」
よくわかる、問題あるよ、学校もね。
その為に俺は幾つものダメージを負ってきた。
と、いう夢から私は目が覚めた。そうしてXのメモをもう一度見た。
ナカタ サトミさんの推薦文を書く事になっていた。
置いてかないで
人の隙間を縫っていく
あなたが行ってしまう
急がなければ
あなたは私を待ってくれやしない
わたしがあなたに合わせなければ
足が縺れる
切れた息で 体が跳ねる
「待って」の一言が届かない
あともう少しだったのに
あなたがいっちゃった
私一人置いて
あなたはわたしのためには止まらない
宝物(あなたに)
五十六歳の誕生日
わたしはベビーベッドより
起床する
暴力はなかったことに出来る世界で
暴力をなかったことに
しなかった
あなたがいる
わたしは
赤ん坊の
ふりをして
泣く
三歳で
止まったままの
瞳孔
あなたが
わたしの
ひっこめかけた
手を握り
宝物と
笑うから
わたしは
やっと
安心して
瞼を閉じる
自殺に失敗しました
タイトル通りです。気づいたら緊急搬送されていました。その後拘束され入院。自分のこと殺そうとしたので当然ですよね。地獄のようでした。トイレで排泄ができず、垂れ流すまま。涙も拭けない死に損ない。さよならさよならさよならサヨナラ。さよならって言ってるじゃん。結局は生きたいままでただの反抗期が治ってないのかもしれない。毎日叫んでる。夜は寒い。自分の事を傷つけてしまう自分が嫌い。私のことを認められない私が嫌い。私はいつになったら私のことを好きになれるんだろう。新しい私はどこにいるんだろう。
人生の第1章が終了した。
正しくなりたい、優しくなれない。
あの人たちは、どうしてあんなにも楽しそうに笑えるの?
答案用紙に転がる血走った目玉は何を見ていたの?
大人になっていつか立ち止まったみんなに、
私のささやかな闘いの日々は、'青春'と呼んでもらえるの?
そういう嫉妬や身震いを喰い荒らした私の影は、
色濃く黒ずんですぐ、私の背丈を越えた。
切り落としたくて、カッターナイフの刃を腕に突き立てた私を、
傷跡が残ってはいけないからと、思い留まらせてくれた手は、
確かにあった。
あったのに、私の瞳は拒絶していた。
口先は強張り、言葉尻は尖り、
力強く振り払った時の痛みを隠す為に、
悪びれて笑った。
素直になれない臆病さも、期限切れの思い出に縋る心のよろめきも、
いずれ時間が全部洗い流してくれるものだと信じきっていたのだろう。
ひとりぼっちだと哀れまれる事が辛くて、
中途半端でも大人になった。
いい加減に生きてきたつもりなんてないけど、
踏みとどまった分だけ、みんなとの差は開いた。
着飾った言葉ではなく、正気の私のままで愛されたくて渇いていた。
誰かの体温に。
きっと随分前から分かっていたんだ、
このままじゃいけないって事。
逡巡する目玉を鷲掴みにして、時間はまだ私を試したがっているから。
向こう側に行けたら、きっと今よりほんの少しだけ、
良くなる予感が燻っているから。
それだけが、死ねない理由。
今だって、あの人たちみたいに上手く笑えない。
怒りや若さを壁に投げつけたあの頃を悔いても、
もう追いつけない。
「当たり前」が出来ない自分を恨んでみても、
とても間に合いそうにない。
終了時刻を過ぎたあとも、教卓の上に忘れられていた私の答案用紙は、
記名欄だけが今も白いままで、
みんながこの先のどこかで思い返す楽しかった頃の毎日に、
私は多分、いない。
まともな人間には、きっと死ぬまでなれないとしても、
そんな自分さえ許せる証明を、私だけは知っている、はず。
何も言えずに悲しい目をして、誰もいない別の道を歩き始めたけれど、
私が私を選び続ける目的は、あの人たちとそんなに変わらない。
幸せになるってこと。
ただそれだけの為に、どうしてこんなにも、
頭の中がめちゃくちゃになるのだろう。
かつて と いま
はるか遠くの坂の上 爽やかな風の向こうに君の顔
駆け寄る僕は幼子で 何気なく笑った君に恋をした
更に多くの時が経ち 乗り越えた僕は大人になった
それでも君の横顔は 爽やかな風の向こうにあった
かなた遠くの坂の上 今の君に駆け寄れるだろうか
どこかの星で
遠い異国の地には、
憧れがある。
行ってみると、
暑さにふらふらになり、
もう二度と行かないと思う。
終わった恋も、
そんなものなのだろうか。
今日も、別れたひとと
会うのだけれど。
相も変わらず、
わがままで賢い人だ。
あいそが良いが、
文句が多い。
呆れかえれば、
人間関係は
少し面白くなる。
頼むよ、
はいよ。
どうもありがとう。
どういたしまして、
おきをつけて。
ギブアンドテイクではなくて、
ただのスルースルーだ。
気づけば私は、
どこかの星についたようだ。
Komm, süsser Tod requiem for SEKAI(超訳版「甘き死よ、きたれ」:セカイ系の終焉が訪れるときにいつかまた)
わかっていたろう、僕よ
皆を失望させてしまったことぐらい
自分だけを至尊の座において
セカイを変えて救うなんて
ただのおもちゃ遊びじゃないか
今までの苦痛も全ての瞬間においても
誰かがいてくれたから
僕はずっと立っていられたのに
どうして他人を忘れてしまったんだ
だから、どうか、終われ
セカイ、セカイ、セカイ
セカイよ、終われ、そう祈ることしかできなくなった
過去がどうであれ、幸せだったことが今は皮肉だ
もう何も愛してやるものか
セカイを終わらせよう
時を戻そう、はじまりにまで
僕の罪がはじまる前に
あの人が愛した人々を
駒に変えてしまうまえに
過去は延々と僕の苛みを加速させた
お前だって愛と誇りを離しやしないじゃないか
僕もお前も同じなんだ
ヒーローごっこの時間は終わりなんだ
セカイはもうなくなった
特別な力を持った自己はないし
社会との間には大きく複雑な作用が戻って
だからまた一歩一歩進めていくだけに戻れる
セカイを無に帰そう
僕は一ミリしか動かせない
君も一ミリしか動かせない
でも、それでいいじゃないか
心の底から思うよ、僕は知っている
僕はもうセカイを愛せやしない
僕は失ってしまおう、捨てちまえ
あのセカイも、セカイにとって意味があったものも
時間がどうか戻ってきて欲しい
僕が僕だけのセカイに籠る前に
人々との協調で世界が動いていたときに
過去は忘れずとも背負うし
愛と尊厳とを皆が皆に向け合うために
セカイを殺して世界を作っていきたい
世界に帰ろう
セカイをただ
崩していくんだ
崩していくんだ
崩していくんだ
世界の中で
僕はようやく青い空に戻った
自我の殻なき空に
あなたたちのための世界に
蝿さんの場所
ああー、飛行機が飛んでてむかついたわ。
イライライライラ、イライライライラ
飛行機が飛んでいたら蠅が飛べる場所が少し減るだろーが!!
キレてしまった。なぜなら私は常に蠅と会話をしているため蠅の立場に立って物事を考えてしまうから。
「ぶーんぶーん。飛行機怖いぶん。」
と、蝿はいつも言っています。
ぶおおおおおおおお!!
また飛行機が飛んでるわ。腹立つな。おらあ!!
バゴーン!!
怒りに任せて買ってきた牛乳パックを殴ると、牛乳パックは吹っ飛びました。
「ああ、牛乳パックが飛んだら蠅が安心して飛べる場所が減るじゃないか!この馬鹿!!あんぽんたん!!」
私は私に対する苛立ちから私を殴りました。
ボカーン!!
顔が破壊され、私は救急車を呼びました。
うーうーうーうー!!
「ああ、救急車は飛んでないけど、救急車が走ってる高さとかも十分蠅が飛ぶ位置だから蠅が安心して飛べないじゃないのよー!!」
私はイライラしました。蠅のためにみんないなくなるべきだと思いました。
「蠅のためにみんないなくなるべきだー!!」
「大丈夫ですか?」
「蝿のためにみんないなくなるべきなんだよ!!お前も!!ほら!!この救急車もお!!」
「落ち着いてー!!」
ドカドカキキキー!!
バーンッ!!
救急車は建物に突っ込み止まりました。
意識が朦朧としている中、蝿たちが私の元へ集まってきました。
ブンブンブンブーン
「ありがぶーん。でも、餌とかを集めてくれた方がありがたかったぶーん。」
ぶんぶんぶーん
そう言って蝿たちは去っていきました。
少女Xは死ななかった
私たちはもちろん恋人どうしじゃなく
街娼と金を払わず逃げる客でもなく
たぶん同じ事故の目撃者だった
きれいなものはみんな死に近すぎるね
人間の内部にはいつも薄暗い水路があって
そこへ落ちた声だけが本音だと
言えなかったのをひどく悔やんでる
あなたのアナベル・リーではないのも
私自身の罪だと思うんでしょう?
先生のばか くそじじい 相対的ロリコン
食べたらウンコを出すくせに
やさしくしないでほしかった
ぬいぐるみしか愛せない私を
祈りの手つきで撫でたこと
あの瞬間 自分がとほうもなく神様だったと
せめて毎晩寝る前に
フラッシュバックしてくれる?
私の眠りのおとむらいのため
死ななかった少女へと手向ける花として
牛が雪崩込んでくる
牛が雪崩れ込んでくる。
新しいおが屑の上に、麦わらを敷き詰め、牛を入れる。
飛び跳ね、テンションを上げつつ牛が雪崩れ込んでくる。
顔を麦わらに擦りつけ、飛び跳ね、走り回り。
せっかくの麦わらを、咀嚼して反芻する。
牛が雪崩れ込む。
産道よりこの世に粘膜まみれで。
子牛は歓声を上げて、親牛でも顔を振り上げつつ走りだす。
牛の肉が、名前も顔もなく冷蔵庫より雪崩れ込んできた。
焼かれ煮られ、人の口へ入っていく。
これが牛の命の完成だ。
そうだとしても。
牛たちが雪崩れ込んで走って来る。
息を、声を、体を弾ませて。
数百キロの体重は唸りを上げる。
明日も昨日も、一瞬前も一瞬後すらもなく、牛の命は灼熱する。
生は、死は。
極端だ。
絶望も希望も、善も悪も。
境界を突破して牛は雪崩れ込む。
わずか一時、一刹那。
呼吸ができた。牛たちはこの一息の中に命を爆発させる。
数億年後に、地球上からすべての命は消えるという。
それでも命は燃え上る。
ほんのわずかな時間の中で。
絶対的に。
陽だまり色の麦わらの中、牛たちは眠りついている。
みんなくっつきあって、夢の中に雪崩れ込む。
あなたはこの詩人の父親になれない
身体という戦場において
殺された子どものばらばらの手足が
危険ではない場所で悪さをするので
どうしたらいいのかわからなくなっている
女は頭の中に新聞広告を思い浮かべてみる
むかしアメリカの小説で読んだような
「入眠儀式の協力者求む
ぬいぐるみ 妖精 悪魔 老犬可
性と時間のない者に限る」
かれはホットミルクを用意してくれ
歯を磨かせ パジャマを着せてくれる
銃声は止み
眠りはふたたびおびやかされない
だから安心して欲情することができる
三千世界の鳥を殺さなくたっていい
だって非道いから それに
ほんとうは時間は流れていくほうがいい
凍てついた大河のような彼女は
遠くまで行けるはずなのに
針と糸と炎がないから詩を書いている
その皮膚はまだ美しく張りつめているが
いまのくらしは
いっぱいの順風を受けるヨットではない
所与性一行
それで、八十年前のケンポーに誰が合意したって?
穴
ポッカリと空いた穴を埋めたくて
違う場所に穴を掘って埋めてみた
空けた穴を埋める為に
少し離れた所で穴を掘っていると
こんな所に掘ったら危ないだろう
なんで此処に掘ったりするの
ゴメンなさい
一度埋めた所を掘りたく無くて
掘る場所を探しています
仲の良い友達も探しているみたいで
穴を掘っても怒られない所
知りませんか
楽園に行く。
こんにちは。鬱病女です。なんと鬱病な私が!旅行に行きました。母に同伴してもらい、飛行機も列車も乗れました。母がいなかったらきっと行けなかったでしょう。母、本当にありがとうございます……。感謝…………
旅行はとても楽しかったです。今回は母協力の元、連れて行ってもらうことに成功しました。
特急列車に乗っている時のワクワクは、子供の頃のきらめきを連想させるようなものでした。特急列車で歩くたび揺れが私を包み込みました。ホテルは狭いけれど、知らない場所で眠ることは私に非日常な感覚を届けてくれました。
私は毎日布団の中に引きこもり泣いています。ですが、旅行中はなんだかそんな私が嘘みたいでした。すっぴんにワンピースでスキップをして、カンカン帽を被って見たり、新しくピアスを買ってつけてみたり、募金をしてみたり、猫を追いかけてみたり、神社で参拝をしてみたり……。時間は嘘つきのように過ぎていきました。見知らぬ果ての古き土地はなんだか全てのものが煌めいてみえました。
私は東京に帰って、自分の部屋に荷物を置き布団に潜り込むでしょう。そのときの私が泣いているかは、分かりません。自傷行為をしているかもしれません。でも私は私に忘れないでと言いたいです。あなたは旅行をして、見ず知らずの土地で楽しみ、生きることに希望を見出したのだと。あなたは少しでも、あなたは楽園で生きたひとなのです。
目覚めよと呼ぶ声が
憂鬱な美しい音楽の調べ
私を癒してくれる
心が沈む時は徹底的に沈んでよい
音楽は疲れ切った頑なな心に寄り添ってくれる
暫くは打ちひしがれてもいい
今は死んだ人たちと語らってもいい
そのうちに目覚めよと呼ぶ声が聞こえるだろう
生きてさえいればやり直しはきく
明日に向かって頑張ろう
死のっか
おはようございます。死のうと思います。遺書みたいなものなのでしょうか。生きていく気力がないのです。生きる理由もないのです。
私が死んだらみんな悲しんでくれるのでしょうか。
死んだら今までしてきたことを後悔してくれるのでしょうか。
死んだら今までどれだけ苦しかったか、理解してくれるのでしょうか。
もう何もかも終わりにしたいんです。自分が嫌い。
すみません、私は先に行きます。生きていたいと思う人だけが生きていればよいのではないでしょうか。無理して生きて、傷付いてその度自分の体を傷つけるくらいなら死んだ方が楽園に行けると思うのです。
ああ死にたい。死にたくて堪らない。
ありがとうございました。
(ネバー)エンディング
白々しい あさが来た
昨夜、
わたしとあなたの凍結胚は
しずかに 水辺になりました
暗がりの先で《モシモ》が叫ぶ
甘く凍えた《モシモ》の声
波音が背骨に沁みわたる
かじかむままに 生きるのか?
なにはともあれ、たまごだよ
遠くの窓に 灯りがひとつ
おまえのための ケトルを撫でる
冷蔵庫には ゼリーがあった
なにはともあれ、たまごだよ
消せない日々を 抱きしめて
寄せる《モシモ》は 揺籃へ
白ときいろに 敬礼を
なにはともあれ、たまごだよ
ゆでた たまごを食べるのだ。
ZERO
コカ・コーラの
赤いトラックに
蛇口がついていた
入道雲が立ち上り
好きなだけ飲めよと
言い放った
ロゴは白かった
喉が渇いているのに
蛇口には近づけなかった
仕事中に飲むコーラは
背徳感に満ちている
それを打ち消すために
黒いロゴを選ぶ
ひと口目だけの愉楽
握り返すこともできない
定義の定義
意味の意味
存在の存在を
吟味すべく
集められた人々の暮らす街に
今年も夏が来た
人々はサイドカーや
ベビーカーに犬を乗せ
口数少なく吠えてまわった
深夜、それは唐突に
「巡る」という言葉が降って
公園で踊る女の子たちを濡らした
影から手が伸びている
峠の旅籠屋に報せが届くよ明日には
紙であればなんでも
通貨として使えるので
人々は常に不在票を財布に忍ばせていた
文字や言葉にすることは簡単なのに
一遍の詩を朗読することすら
ままならない
見つめ合えばすぐに
情動を渡し合う私たち
ああ、大きさが違う
あなたはどうして私より狭くて小さい
握り返すこともできない
指切りげんまん
人々が見ている
私の中にあなたが入る瞬間を
夏が訪れる感触を
定義の定義
意味の意味
存在の存在を
知覚できる形にしてしまいたい
人々は私ではない
今は私の中で暮らすあなただって実は
私ではない
だから、
文字や言葉にできる
簡単に
握り返すこともできないくせに
私は人々を
見つめるわけにはいかない
ほどけたリボン
縁の切れ目
結び直したくない
君の声とも
その笑顔とも
首に巻いて
あの世と繋いで
この世界ごと
解いてしまえ
むちのち
あたまがよすぎて
へんになったこ。
と、震える手で抱きしめられ
きみからは
なぜか
東京の匂いがした
(わたしがいちども
東京に住んだことないと知りながら)
なつかしいと目を細めた
きみはきみがおもっているいじょうに
からだのかたち
たとえばちいさくもないおおきくもない
へらべったいあしのかたちすらも
美しくて
花束をもらうタイプのニンゲンだったけど
花束をあげたいとはじめて
きみにであっておもったんだ
臭い台詞ばかりと小さな花束の束
きみはかしこすぎる
だから世の中は
つらいだろう
むちのち
むちということをしらないままに
感覚だけで掴んでしまった「ち」
つぶされそうだろう
泣きながら頭を撫でていた
優しいライオンと名乗り
ながいながい詩のような
自作の童話をくれたあと
彼はこつ然ときえた
くだらないむかしばなし
なにがなんだというのだ
ぼくはふつうのかていを
つくらなきゃいけないから
きみはむりでしょう
むちのち ってことばだけ
なんどもおしえてくれたけど
あれはなんだったのだろうか
たぶん、わかげ?わかぎ?のいたり
若気→ただしいよみかたおしえて。しらべたくないから。
あいされすぎてしあわせなのです(ちょーこじんてきないけんなのであしからず)
むしょーのあいってやつが
あるならば
こどもがははを
みつめるひとみにだけ
うつるものだとおもっている
じぶんをかなぐり捨て
神様だけをあいする実母には
なんぜんかいもひていされようが
わたしはわたしをしんじてるわけでは
なくなくなくなくなくなくなくなくて
こどもをしんじているだけなのですが
むしょーのあいってやつは
こどものひとみにうつるはは
それだけだとおもってしまうのです
君の涙
君の涙が
一粒の雨となる
やがてくる夏に
雨を降らせよう
折り畳まれてゆく雨粒が
僕の口へと入る頃
喉元を通り過ぎる時
僕の胸が苦しくなる
心を口から吐き出そうとしたが
日々の忙しさの余り辞めた
僕を哀しませないでおくれ
君の涙を飲み込む前に
君の涙が
一粒の雨となる
僕が老いてゆく前に
どうか 君よ
雨に溶けてほしいから
「運」とは何か。
「運」とは何か。「運」とは結果に対するシニフィエである。
運がいい。運が悪い。
この差は結局の所、その人の都合によって如何様にも解釈される。
極論ではあるが、そもそも「運」というものは人間側の造語であって現象ないしは出来事そのもののことを指さない。「運」とは意味づけの一形式でしかない。
ただただ現象が起き続けるだけ。宝くじに当たっても交通事故に遭っても、全ては出来事の一つでしかない。運というものはない。ただただ現象が起き続けるだけ。
僕は今日、スマスロのバーニングエクスプレスを打ってきた。やろうかな、やっぱりやめようかなと、いやとりあえず千円だけ入れてみてそれから考えようと千円を入れて10g回してロングフリーズを引いた。確率は解析されていないが、リールロックのその他が出てそのままロングフリーズに直行したので、おそらく確率としては設定1と仮定して、およそ52886.3分の1である。それを10g目に引いたのである。結果としてはエンディングまで完走し、4070枚程出て、ターミングゾーンでは50%が引けずで引き戻しが無く終了。少し回して4010枚でヤメ。5.1枚交換かつ二重の手数料がかかるということで、77610円。1000円入れて77610円が1時間で入ったのである。
これだって単なる現象であり、どれほどの薄い確率であろうとそんなのも結果でしかない。1/52886.3を10g目で引いたのも、ターミングゾーンの成功率1/2を引けなかったのも、結局全て丸ごと単なる現象。運というものもツキというものもない。全てはランダム。
だから僕は運がいいとか運が悪いとか思わなくなった。ハナハナもよく打つ。ジャグラーもよく打つ。当てようなんて思わない。当たる、それだけがある。この意識は結構重要で、当てようなんて思っていると深追いして大怪我する可能性がある。当たるまで打つというのも危険で、そもそも確率なんてのはメチャクチャ気まぐれなものだからこっちもメチャクチャ気まぐれでいい。やめようと思ったらやめちゃっていい。気にする必要はない。当たることは単なる現象の一つであって、特別な思い入れは不要である。天井手前でも捨てちまえばいい、捨てた後は何も気にする必要はない。
パチンコでラッシュに突入しても僕は真顔で右打ちしている。ラッシュが終わりそうになっても最後まで止めることなく淡々と右打ち。当てたいという気持ちがあると終わりたくないという気持ちがあると、台を休めようとする人もいるが、気持ちは分かる。でもそんなのは全く意味がないこと。タイミングによって当たったり当たらなかったりすることもわかる。それでも確率は変化しない。だから僕は、ただただ現象を受け入れるだけ。出来事を受け入れるだけ。そのように最後まで真顔で右打ちする。駆け抜けても、連チャンしても同様に真顔で右打ち。時々隣の席の人が何を思ってなのか知らないが、僕の微動だにしない顔に向かって(えぇ〜??)という表情を浮かべる。
僕だって、駆け抜けたら、ふざけんなよ、と思うし、連チャンすれば、心の中で盆踊りするよ。それでもそんなのも、単なる現象の一つでしかなくて、駆け抜けても連チャンしても、全部僕の力ではない、運は実力じゃない。なぜなら「運」というのがそもそも存在しないものだから。
1/2だろうと、1/319だろうと、1/16384だろうと、当たる時は当たるし、当たらない時は当たらない。全てがランダムなのに、人が勝手にそこに物語を見出して「運」という名のラベルを貼り付けているだけに他ならない。
「運」というものはない。「現象」だけがある。これは僕がギャンブルをやり始めて3年目に発見したことである。
幸い中の不幸
辛い
苦しい
誰か 誰か 助けてよ
誰も 誰も 助けられない
もう 呼吸が難しくて息苦しい
もう 動けなくなってしまった
もー 立っていられない
もー 横になるしかない
モー 意識が遠のいていく
モー 私は駄目かも知れない
モーモー モーモー
牛になる
お腹一杯 食べ過ぎた
光の輪郭
この、滑らかに白くぼんやりと光る
柔らかい肌も
軽やかに放り出され
ベッドに重さを落としている四肢も
ほんのりと赤みを帯びている
手の関節や頬
薄くゆるやかな腹も
すべて美しくて、白く、透明で、純朴なもののように私には見える
その柔らかな稜線と、光線の交錯を
コトと音を立てて崩れていくようなその影を、
光を受けるベッドのシーツを、
溜まっていくその光のなかを、
白く光る埃のあいだを、
そんな風に、言葉で輪郭をなぞって
#じんたま 12 The Cinders of Regolith
先日、初めてツイキャスで配信をしてみた。
何をすればいいのか分からず、数曲歌を歌った後、私は「#じんたま」について語り始めた。CWSに投稿している掌編としての「#じんたま」と、配信プロジェクトとしての「#じんたま」がどのような関係にあるのか。YouTube配信で知られるヒカル氏の在り方を引き合いに出しながら、三十分ほど言葉を紡いだ。
もし、このプロジェクトに関わっていなければ、決して起こさなかった行動だ。文学極道のことにしても、話すつもりはなかった。だが、何かの弾みで、カスケード(連鎖)が起きたのだ。
今、私は旅行中にこの文章を書いている。
昼食の予約を待つ間、周囲は多国籍な客たちで溢れかえっている。予約は並んだ順。色とりどりの言語が飛び交う、まさに人種の坩堝(るつぼ)だ。
ふと思う。クヮン・アイ・ユウ氏や三浦氏、つつみ氏に、私の存在が良い影響を与えているのなら嬉しい。だが同時に、私の書く掌編が、彼らに焦りや戸惑いを生んではいないだろうか。
夜二十時。旅先の不安定な電波を掴みながら、ツイキャスで「#じんたま」の雑談回を聴き始めた。四時間を超える放送は、空を掴むような、それでいて震えるほど濃密な内容だった。
掌編を書くことが私自身の扉を開く契機であったように、その放送もまた、誰かの運命が動き出す兆しのように感じられた。
問題は先送りにされていたわけではない。ただ、息を潜めてその瞬間を待っていたのだ。
テーマは「ルールに頼らず、コミュニティ内で迷惑行為を行う者をも排除せずに共存することは可能なのか」。
その問いを反芻しながら、私はかつて文極のフォーラムで、初代天才詩人・コントラ氏と交わした長いスレッドを思い出していた。
私は進行役として、文学の芸術性を語り尽くした。だが、コントラ氏は最後に、文極とは別のプラットフォーム構築を宣言した。
当時、私はその試みに賛同できなかった。
運営と衝突し、アクセス制限を受けながらも、わざわざ自宅から離れた場所から文極へアクセスし続けていたコントラ氏。運営時代の管理パスワードを用いた掲示板操作や、海外拠点ゆえの法的な危うさ。混沌とする文極の中で、私は後の「四代目代表」を巡る運営との数ヶ月に及ぶ泥沼のやり取りへと引きずり込まれていく。
コントラ氏が中心で立ち上げた新たな場所が「B-REVIEW」だと知ったのは、随分後のことだ。文極で子供扱いされていた赤青黄氏が、百均という名で幹部のように崇められているのを知った時の驚きは覚えている。
誰も真面目に相手にしていなかった子が、新たな地で重要な役割を成している。そこには、言葉にできない感慨があった。
考えてみれば、私は文極において間違いなく「迷惑おじさん」だった。
自分なりに真摯に文学と向き合っていたが、端から見ればただの「荒らし」に映っただろう。作品を投稿せず、苛烈な批評ばかりを繰り返す。あの山田太郎氏でさえ作品を投稿していたのだから、私は「荒らし以下」と認識されていたかもしれない。
「何のためにそんなことをしているのか?」
理解される必要はないと思っていた。批判はすれど、自分なりの一線を守ってきたつもりだ。
迷惑おじさんと呼ばれても仕方がない。だが、自分を恥じるつもりはない。それが私の精一杯の、文学への向き合い方だったのだから。
「#じんたま」の放送でも、それぞれの正義が交錯していた。
錯綜する認識の森の中で、私は陰に潜みながら耳を澄ませていた。その音色は、私には心地よく響いた。
私も、迷惑おじさんだから。
だからこそ、この場が私を受け入れてくれている。
その優しさに対して、私にできることは何か。
旅先の坩堝の中で、私はずっと、それだけを考えていた。
葉隠
草の汁で書く時候の挨拶が
脈絡のない光の渦へ吸い込まれていく
三十年前に貰った、さして親しくもない人の
暑中見舞いに汗塗れで返信する
小林さん、巨象の皮膚の裂け目から
夜明けのような腐臭がします
滴ってくるのは呪言の粒です
この世の夏に雨も洪水もありません
わたくしがわたくしにしがみつくための
どの指先にも
もう一枚の爪も残っていない
血もインクも滑る間違いなく滑る
三十年間を一瞬で滑落し
その先で
夏に繋がる骨を
全骨折するのでした
あはれ
乾いた骸に
臭うほどの現実は残るか否か
点検日
機械が描いた絵の中で
今日も彷徨うヒトがいた
正確には彷徨いの擬態
絵を描くアームは茜色
明日には昨日になる空に
まだらな鳩が飛ぶ
空はまあるく切り取られ
ゆっくりと
でも
しっかりと
左に廻
転して
い
る
機械はコバンザメとなり
絵の中のヒトは
石
になる
巣に戻った アノ 鳩が
廻転
し
始めていた
ババロアとムース
兄「ババロアが入ってないやん!」
兄はまるで殺人事件が起こったかのように大袈裟に騒ぎ立てた。
母「なあに?大きな声を出して」
買い物から帰ってきて着替えを済ませたばかりの母が、驚いた顔でパタパタと駆け寄ってきた。
兄「ババロアが、ない」
母「あるじゃない。はい、どうぞ♪」
兄「これ、ムースじゃん……。俺が頼んだのは、ババロア」
母「あら、似たようなものじゃない」
兄「違うよ!全然違うよ!」
私「お兄ちゃん、ムースいらないの?それなら私食べるよ」
兄「いや、食うよ。食べます」
母「あなたの分もあるから仲良く食べなさい♪」
私「わぁい、私ムース大好き!」
私たちは仲良くムースを食べた。
私「お兄ちゃん!ムース美味しいね」
兄「おぅ。俺だってムースは嫌いじゃない」
兄は美味しそうにムースを平らげていた。
母は私たちをニコニコしながら見ていた。
数時間後、兄は「ちょっと出掛けてくる」と急に言い出して、どこかに行ってしまった。
兄「ただいま」
母「お帰りなさい♪」
私「お帰り~。あっ、その袋、エトワールのスイーツ買ってきたの?」
兄「まあな。お前も来いよ」
私「あっ、ババロアだぁ。綺麗だねえ」
母「とってもカワイイわ」
兄が買ってきたものはババロアだった。
今大人気の高級スイーツ店のものだ。しかも家族全員分ある。
父「おっ、何だそれ。美味そうだな」
私たちが騒いでいるのを聞きつけて、仕事から帰ってきたばかりの父が着替えながら様子を見に来た。
夕飯のデザートに家族みんなでババロアを食べた。
* * *
しばらく経ったある日。
母「これからピヨピヨ・マートに買い物行くけど、何か食べたいもの、ある?」
私「アイス食べたい!」
兄「俺、ババロア。ババロア買ってきて」
母「わかったわ♪」
母、帰宅。
兄「ムースじゃん……(呆れ)」
母「あらぁ?やだぁ、間違えちゃった(てへぺろ)」
私「お兄ちゃん、ムースいらないの?それなら私食べるよ」
兄「いや、食うよ。食べます」
母「あなたの分もあるから仲良く食べなさい♪」
私「わぁい、私ムース大好き!」
私たちは仲良くムースを食べた。
私「お兄ちゃん!ムース美味しいね」
兄「おぅ。俺だってムースは嫌いじゃない」
兄は美味しそうにムースを平らげていた。
母は何故か私にウィンクしてきた。なんだろう急に。
しばらくして、兄は「ちょっと出掛けてくる」と、外に出ていった。
兄「ただいま」
母「お帰りなさい♪」
私「お帰り~。あっ、その袋、エトワールのスイーツ買ってきたの?」
兄「まあな。お前も来いよ」
私「あっ、ババロアだぁ。しかも新作!?」
母「とってもカワイイわ」
兄が買ってきたものはババロアだった。
今大人気の高級スイーツ店のものだ。しかも家族全員分ある。
父「おっ、何だそれ。美味そうだな」
私たちが騒いでいるのを聞きつけて、仕事から帰ってきたばかりの父が着替えながら様子を見に来た。
夕飯のデザートに家族みんなでババロアを食べた。
* * *
しばらく経ったある日。
母「これからピヨピヨ・マートに買い物行くけど、何か食べたいもの、ある?」
私「私、チョコチップクッキー食べたい!」
兄「俺、ババロア。絶対ババロアな。間違えんなよ」
母「もちろんよ、任せて♪」
母、帰宅。
兄「なんだよ、またムースじゃん(笑い)。母さんはホントしょうがないな」
母「あら、ごめんなさい♪私ったらうっかりさんね♪」
私「お兄ちゃん、ムースいらないの?それなら私食べるよ」
兄「いや、食うよ。食べます」
母「あなたの分もあるから仲良く食べなさい♪」
私「わぁい、私ムース大好き!」
私たちは仲良くムースを食べた。
私「お兄ちゃん!ムース美味しいね」
兄「おぅ。俺だってムースは嫌いじゃない」
兄は美味しそうにムースを平らげていた。
母はニコニコと兄を見ている。
ムースを食べ終わると、兄は「ちょっと出掛けてくる」と言うと、すぐに出掛けた。
兄「ただいま」
母「お帰りなさい♪」
私「お帰り~。あっ、その袋、エトワールのスイーツ買ってきたの?」
兄「まあな。お前も来いよ」
私「あっ、ババロアだぁ。しかも並ばないと買えないやつ!」
母「とってもカワイイわ」
兄が買ってきたものはババロアだった。
今大人気の高級スイーツ店のものだ。しかも家族全員分ある。
父「おっ、何だそれ。美味そうだな」
私たちが騒いでいるのを聞きつけて、仕事から帰ってきたばかりの父が着替えながら様子を見に来た。
夕飯のデザートに家族みんなでババロアを食べた。
(おしまい)