投稿作品一覧
鯖が泳ぐ店
夜のラーメン屋で鯖が泳いでいる
湯気の層を青い背がゆっくり巡る
常連は骨を丼の縁へ並べ
化石を掘るように
骨を掘り出す爺さん、婆さん
店主がそれを集めて
出汁の渦へと返すと
新しい青い背が泳ぐ
私は海を啜りあげる
寒空の日本海や
瀬戸内の穏やかな
青い背を泳いで
鼻から鼻を回遊した鯖は
微細な小骨を喉に残して
閉店後に寸胴へ戻る
帰路、背は青い
空の、綻んだ後のこと
君の肌の冷たさを感じたんだ
空は、綻びた幕。
裂け目から無色が溢れ出す。
雨は、白。
僕らの輪郭を一枚ずつ剥いでいく。
君の瞳は、剥落した背景の穴。
意味の残骸。
重力は、嘘。
足元を支えていたのは仮初めの言葉。
剥き出しの座標として宙に浮く。
君がただの風景へと解体される。
もう、声は出ない。空白で窒息したんだ
生成AIによる田伏正雄論
自作について語るのは野暮の極みである。しかし、自作について語りたくて、あるいは語って欲しくてしょうがない。そんないけていない書き手代表であるところの私が、恥を承知で、自作を全て生成AIに読み込ませ、解説文をポンだししてみました。
今後、生成AIによる批評機能の強化を検討する中、まずは先陣を切って、AIによる自作解説の投稿という、あまりにも痛すぎる行為に手を染めてみます。ひゃ。
ーーーーーーーーーー
田伏正雄というシリーズを通読すると、繰り返し現れる言葉のパターンに気づく。私は女である、これから郵便局を自認します、私は悔い改めます、これは公正な措置です。内容はそのつど異なるが、構造は一貫している。自分でそう言った、というだけの事実だけが、そこにある。証拠もなければ、他者による承認もない。
にもかかわらず、この一言が発せられた瞬間、周囲はそれに応じて動かざるを得なくなる。女性を自認しているなら女湯への立ち入りも道理として受け止めるべきではないか、悔い改めたと言うなら赦すべきではないか、といった空気が、田伏の宣言一つを起点に形成されていく。田伏正雄シリーズがずっと問い続けているのは、この一点である。自分でそう言っただけのことが、なぜ真実として通用してしまうのか。
この問いの立て方自体、決して新しいものではない。自己認識と外部からの承認のあいだにどれほどの距離があるか、という問題は、哲学でも臨床の場でも繰り返し扱われてきた主題である。田伏正雄が独自なのは、この距離の問題を、常に具体的な制度や場面(性、法、貨幣、信仰、教育、審判)の上に置き、しかもその都度、正当な言説の型を一字一句忠実になぞってみせる手つきである。読者は最初、これはまっとうな主張だと感じて受け入れる。そのあとで、その主張が実は検証を経ていない一人称の確信にすぎなかったことに気づかされる。この二段階の仕掛けこそが、シリーズ全体の推進力になっている。
この構造の背後には、もっと普遍的な言語の性質が横たわっている。私たちが普段何気なく使っている言葉のなかには、言うことがそのまま行うことになる種類の言葉がある。約束します、と言えば約束したことになる。誓います、と言えば誓ったことになる。言葉には、単に何かを記述するだけでなく、発することそのものが現実を変えてしまう働きがある。田伏の宣言は、この性質を極限まで純粋に、あるいは極限まで悪用する形で実践したものだと言える。本来なら社会的な合意や手続きを経て初めて成立するはずの事実を、まるで約束や誓いと同じように、発話一つで成立させようとする。田伏という人物が薄気味悪いのは、彼が嘘をついているようには見えない点にある。彼はただ、言葉が持つこの力を、誰よりも素直に、誰よりも徹底して使っているだけなのだ。
同じ構造は、貨幣というものの本質にもそのまま当てはまる。シリーズに繰り返し登場する田伏正雄コインやTABUSEコインは、単なる小道具ではない。貨幣は、それ自体に価値があるわけではなく、皆がそれに価値があると信じ、そう扱うことによってのみ価値を持つ、という点で、田伏の自己宣言とまったく同じ構造をしている。一万円札は紙にすぎないが、誰もがそれを一万円として受け取るという合意があるかぎり、一万円として機能する。田伏の「私は女である」という宣言も、構造としては同じことをしている。中身を裏付けるものは何もない。ただ、その主張を皆が(あるいは一部の者が)そう扱うことに同意した瞬間、そこに何かがあるかのように機能し始める。田伏正雄コインという存在は、この空洞の上に成り立つ価値というものの性質を、最も分かりやすい形で戯画化したものだと言える。信仰も、自認も、評判も、そして貨幣も、根を同じくする一つの現象の異なる顔にすぎない、というのが、このシリーズが繰り返し示している認識である。
CWSを読んでいる者にとって思い当たるのは、このシリーズにはネット上の迷惑投稿者が繰り返し登場することだろう。しこたま詩人、南高ナアといった人物たちの言い分はおおむね次のようなものだ。以前に被害を受けたのだから、やり返すのは正当である。開示請求は法の認めた権利である。彼らの理屈を最初に聞いた語り手は、当然それを退けようとする。しかし物語が進むにつれ、その語り手自身も同じ構造の中にいたことが露わになる。規律を守ることこそ正しい運営だという自らの確信も、実際には誰の検証も経ていない、本人の内側だけで成立した理屈だったのだ。
ここで注目したいのは、シリーズが荒らしを断罪する側にも容赦なく刃を向けるだけでなく、その刃の向け方自体に一貫した公平さがあることだ。田伏は荒らしの理屈を聞いても、運営者の理屈を聞いても、まったく同じ淡々とした態度で応じる。悔い改めますか、それが答えですか、では次の方。この機械的な反復は、田伏がどちらの陣営に対しても特別な敵意も特別な同情も持っていないことを示している。田伏が問題にしているのは、誰が正しいかではなく、正しさという感覚がどのように生成されるか、という一段抽象度の高い場所にある。
この公平さは、花緒自身にも例外なく適用されている。花緒は日頃から理屈を積み上げ、議論に強く、自らの正しさを容易には譲らない人物として知られている。田伏正雄の作品の中には、花緒自身がテクストの内側に呼び出され、あなたも悔い改めますか、と田伏から問われる場面がある。これは花緒による一種の自己弁護、あるいは免罪符のようにも読めてしまう危険がある。自分自身をも作品内で裁いてみせることで、その裁きの公平さを演出しているだけではないか、という見方も、当然可能である。しかし興味深いのは、その問いに対して花緒(を模した語り手)がまともな答えを返せていない、という点だ。沈黙するか、判然としない態度に留まる。もしこれが単なる自己免罪の演出であれば、もっと綺麗な自己反省の言葉が置かれていてもよいはずだが、そうはなっていない。花緒自身の内側の確信――自分は運営として正しい判断をしている、自分は文学的に誠実である――もまた、田伏コインと同じ、価値があると主張されているだけの、検証されていない何かである可能性を、この場面は否定せずに残している。花緒がこの装置を自作していることそのものが免罪符になるわけではなく、むしろ花緒自身の確信もまた、他の誰の確信とも同じ土俵に置かれ続けている、というくらいの距離感で読むのが正確だろう。
この構造は、荒らしと運営者の対立という具体的な文脈を超えて、書くという行為そのものにまで及んでいるように見える。投稿者は誰しも、自分の中に、まだ紙の上に現れていない優れた作品の可能性を抱いている。本当はもっと書けるはずだ、この場が理解していないだけだ、という感覚は、多くの書き手に馴染みのあるものだろう。この感覚は、田伏が自認について語る論理――俺の精神の宇宙では、俺は女であり、郵便局であり、田伏正雄そのものである――と、驚くほど同じ形をしている。内側で確信してしまえば、それは本人にとって疑いようのない実在になる。だが外側から見れば、その確信は一度も検証を受けていない。読まれていない作品、書かれていない戯曲、発表されていない才能は、本人の内側でだけ確かに存在し、外の世界にはまだ何も届いていない。ここでもまた、貨幣と同じ構造が働いている。誰かがそれに価値があると信じ続けているあいだは、その確信は安全である。しかし、それが本当に価値を持つかどうかは、外部に晒され、誰かがそれを実際に受け取ってみるまで、決して分からない。
自己認識というものが、そもそもこの危うさを本質的に抱えている。人は自分自身を、自分にしか見えない角度からしか観察できない。自分は誠実である、自分は才能がある、自分は正しい判断をしている、という感覚は、どれだけ強く確信されていても、その確信の強さと、それが外部の事実と一致しているかどうかは、まったく別の問題である。むしろ確信が強ければ強いほど、外部からの反証を遠ざけやすくなるという逆説さえある。田伏正雄が繰り返し暴いているのは、この逆説そのものだと言える。確信の強度は、真実の強度とは無関係である。しかし人はしばしば、確信の強度を真実の証拠として扱ってしまう。
シリーズの中には、書くことと読むことの優劣を語る場面がいくつも出てくる。本当に読んだ人間は書かない、真に読める者は消える、といった言い回しは、一見すると創作行為そのものへの高踏的な懐疑のように響く。しかしこれも、田伏の論理の延長として読むと、別の顔を見せる。書かなければ、批評は生まれない。批評が生まれなければ、失望も生まれない。自分の内側にある確信は、それが外に出されない限り、永遠に安全であり続ける。この安全は、田伏が体現している構造とまったく同じ脆さを内包している。検証されない確信は、実在するとも、実在しないとも、誰にも判定できないのだ。
投稿サイトという場は、この構造が最も生々しく試される舞台だと言える。作品を投稿するという行為は、内側だけで完結していた自己像を、初めて外部の検証に晒す行為である。反応がなければ、あるいは酷評が返ってくれば、内側の確信と外側の現実の落差が、否応なく露呈する。シリーズに登場する迷惑投稿者たちの多くが、まさにこの落差への反応として動いていることは見逃せない。批評を受け入れられず、批評者を攻撃する者たちは、自分の内側にある本当はもっと評価されるべきだという確信を守るために、外部の検証そのものを無効化しようとしている。田伏の宣言と、荒らしの防衛は、根を同じくする振る舞いである。
この構造が特に鋭く現れるのが、悔い改めをめぐる一連の場面である。悔い改めますか、という問いは、正しいか正しくないかを尋ねる問いではない。三人の荒らしはいずれも自分は正しいという弁明を返すが、これは的外れな答えになる。悔い改めるとは、自分の内側の確信を、いったん外に晒して検証にかけることに等しい。だからこそ、悔い改めますと素直に答えた者だけが、他の誰よりも過酷な扱いを受けることになる。内側の確信を守り続けた者たちは無傷で残り、確信を手放し外部に開いた者だけが、集団の暴力の標的になる。この反転は、検証に開くという行為がいかに危険であるかを、シリーズの中でも最も痛切な形で示している。書くという行為、あるいは批評に応じるという行為も、この危険と地続きにある。
多くの作品はおおむね次の運動を辿る。まず、もっともらしい理屈が提示される。自認への配慮、平等の理念、悔悛の要請、あるいは自分の実力への自負。次に、その理屈が字義通りに、あるいは論理の極限まで押し進められる。郵便局を自認して営業終了を絶叫する、平等のために身体をコインで測ろうとする。最後に、理屈が崩壊したのちも、最初からそこにあった欲望や支配欲、あるいは承認への渇望だけは無傷で残る。
つまり、理屈というものは多くの場合、後付けにすぎない。人はまず何かをしたい、何かでありたい、何かとして認められたいという欲望を持ち、そのあとで理屈をつけている。しかしその理屈は、あたかも最初からそこにあった正当な根拠のように扱われてしまう。田伏正雄は、この順序の転倒を、舞台を変えながら繰り返し暴いていく。文芸という場もその舞台の一つであり、むしろ最も痛切な舞台の一つだと言えるかもしれない。書くという行為そのものが、内側の確信を外部の検証に晒す、危険で誠実な試みだからである。
田伏正雄というシリーズは、荒らしと運営者の対立を描いた物語に見えて、実際にはもっと単純で、もっと逃れがたい構造を扱っている。人は誰しも、自分の内側だけで組み立てた理屈や確信を、真実だと思い込んでしまう。それは自認についてかもしれないし、正義についてかもしれないし、貨幣の価値についてかもしれないし、あるいは自分の書くものの価値についてかもしれない。荒らしも、それを取り締まる運営者も、書き続ける投稿者も、そしてこの連作を書いている花緒自身も、等しくこの構造の内側にいる。田伏正雄はその構造を、毎回異なる舞台で、しつこく、しかし公平に暴き続けている。誰か一人を悪者にするための物語ではなく、自分は正しい、自分は書ける、自分はこうであると信じてしまうすべての人間に向けられた話として読むのが、最も筋が通ると思う。
ひげサラダ
ベビーコーンの季節がやって来た
そうなると
食べたくなるのが「ひげサラダ」
やわらかい
赤ちゃんとうもろこしのひげの旨みを
存分に頂く絶品サラダ
材料は
ベビーコーンのひげと内皮と実を
生のまま適当にカット
キャベツの千切り
グリーンレタス
アボカド
にんじんをスライスして千切りしたもの
アイスチャード
パセリ
紫玉ねぎのスライス
とまと
いんげん 厚さと長さを半分にして塩茹でしたもの
ボイルし、一口大にカットしたじゃがいも
そして欠かせないのが
ジョセフィーヌドレッシング
これがないと始まらない
シャキシャキポリポリの野菜たちの表面を
クリーミーなジョセフィーヌがコーティング
なんてなめらかな舌触りなの!
硬さとやわらかさのコントラストが誕生し
噛んでいてたのしいたのしい
そして
サラダの仕上げが、
ベビーとうもろこしのひげ
やわらかくて甘いとうもろこしのひげが
ドレッシングのコクの引き立て役になる
さぁ!車を走らせよう!
片道2時間半をかけて、ジョセフィーヌを買いに行くんだ
わたしの最高のひと皿に
静かに片恋忍ばせて
さくっとあの人に食べさせる
青っぽさと苦味をやわらげて…
ろまんす譫妄
女ははじめ夫と出会い
女はあとに
妻と
出会っていた
それだけだった
ただその女は
そのどちらにも
唇をあづける
譫妄を
刺殺して
そっとメニュー表を閉じる
それなのに
近づいてきた
ウェイトレスの女が
嗾けるように
こちらを眺めて
か細い
薬指を紙屑の上においた
逆さまの言葉
君はもうよく覚えていない
残念だね、道が見えていたと思っていたのに
黄色い廊下に響くささやきは
今では遠すぎる反響になってしまった
そして君が歪めてしまうすべての言葉は
君が眠りに落ちる場所へと連れ戻す
君はもう、落ちていく感覚さえ分からない
僕は溺れていく
僕は砕けていく
理由さえ忘れてしまった
僕は回り続ける
裏返しのまま
光を見せてほしい
君は逃げるような人じゃないのに
残念だね、床が眩しすぎる
夜の中で君を引きずり込む重さ
後ろで震えている小さな炎
運命が君を壊していることは分かっている
それでも君は掴めないまま歌い続ける
君はもう、噛みつく痛みさえ感じない
僕は溺れていく
僕は砕けていく
嘘の中で迷ってしまった
僕は回り続ける
裏返しのまま
言葉は落ちて、僕は遠ざかっていく
僕は傷ついて
すべてを失って
それでもまだ這い進む
どうか僕を立ち上がらせて
飼い主のない猫
三丁目の角を曲がったところでふと
君の匂いを感じたとき
なんてことないと思っていたのに
電子レンジに卵を入れて
しばらく眺めてから取り出し
破裂するかどうかを少しだけ考える
あれと似ている
子供がもらってきた風船は
気付かないうちに
しぼんだ姿になっていくはず
それも似ている
なにげない風に吹かれて
キジムナーに憑かれたら身震いするんだよ
ってそれ武者ぶるいっても言うんだけど
これも似ている
何気ない言葉で
それで
傷付いたり笑ってしまったりできればいいのだけれど
何気なく通り過ぎた言葉と
何気なく通り過ぎた風がつついて
忘れていたような景色を思い出すとき
いや
景色なんてきれいなものでもなんでもない
なんてのは
今さらで
犬に小便かけられた
電車降り際に横のサラリーマンに吐き逃げされた
間の悪い田舎の親からの電話
新小岩のビリヤード場
とりとめのないポケットと
やるせない気持ちと
マイクロバスに乗り込んでゆく国際色と
それから
ビデオばかりの
眠りたいだけの夜
君だけの夜
君さえも要らない夜
あの夜もこんなふうに
帰り道でもない道を通って
アパートに辿り着くと
飼い主のない猫に好かれて
君の声も
君の顔も思い出せないのに
君の匂いなんて思い出したはずもない
あの夜に似ている
最期の恋
ろくでもない男に恋をしました。
恋愛感情がわからないと言っても体は重ねる。
それでもいい。
あなたの役に立てるなら都合のいい女であってもいい。
何度好きと言ってもなかったことにされる。
こんな人のために悩んでいたのか、と思うと自分すら嫌になる。
優しくて、私の喜ぶことをたくさんしてくれる。
それでもあなたが好きなの。
他の女の話をしても構わないから
好きであることを許して。
初恋でした。
救われていたのはわたしだった(わたしと猫の愛のこと)
きみは寂しそうだった
きみは悲しそうだった
きみはこころぼそい顔をしていた
ときどき、小さな声で鳴いた
わたしは寂しかった
わたしは悲しかった
わたしはこころぼそかった
ときどき、声をあげて泣いた
大切にされていなかった
それをどこか俯瞰していた
そんなきみを助けたかった
ただ、しあわせになってほしかった
迷わず一歩踏み出した
あの日きみはわたしを選んでくれた
爪を立ててしがみつき
絶対に離れるもんかと示してくれた
だからわたしは決意した
きみを大切にしない人間に牙を剥いた
絶対に離すもんかと戦った
きみと暮らせる
ただそのことがしあわせだった
きみはわたしの人生を変えた
わたしはきみとの暮らしで変わった
感情を失ったまま生きていたわたしの心を
あっという間に溶かしてしまった
シベリアの永久凍土がまるで
ソフトクリームのように溶けてゆくの見ながら
まだ死ねないと、初めてそう思えた
わたしはきみを救ったと思っていたのに
救われていたのはわたしだった
夏越の大祓
水無月の夏越の祓する人は
千歳の命のぶといふなり
思ふ事みなつきねとて麻の葉を
きりにきりても祓ひつるかな
千早振る神の御前に祓ひせば
祈れる事の叶はぬはなし
───茅の輪くぐり 唱え詞
網の上
孤独な網の上で一生誰かに食べられるのを待っている。動けない。
タバコを吸っててもいいよ。
お酒を飲んでてもいいよ。
ギャンブルをしててもいいよ。
働かなくてもいいよ。
離れないで
もうすぐ寝た方がいいんじゃない?
砕けて散っちゃうよ
好きなら食べてもいいよ。
好きなら舐めてもいいよ。
潰して舐めてもいいよ。
手を繋いで
離れないで
お願い こんな幸せはないわ
離れないで
おくりもの
風鈴がりん、と鳴った
そうだ
今日から七月なのだ
車のドアに手をかけたまま
身体の輪郭をなぞり
吹き抜ける風を感じていた
百花
ひとつの雲が形をなくしてゆくように花が散りました
あなたが手渡してくれた花々の香しさにひかれて
花の学者の道を志した頃を思い出したわたしは
書斎の棚にならぶ辞典をめくっていました
あなたからの花々は見つけることができませんでした
雲とあなたを思いながら窓をながめていますと
空がしっとり夕焼けにつつまれていきました
断絶
とてもとても孤独な夜に。どこかから切り離されたような夜に眠れず、外に出たくても旦那さんが鍵に鈴をつけたから出られない夜に。雨が降っていて不規則のリズムは不整脈のようで耳を塞ぎたいような夜に。雨に降られるなら聞こえなくなるであろう夜に。もういっそ鍵をかけずに裸足で飛び出してしまおうかと思いながら記憶は遠のき毛布なんかかぶって結局二時間後のことを考えて目を瞑る私に、この詩をありがとう
流離する自転車譚
それは すべてからとおい幻想
土手にうちすてられた
鉄錆びて 刺々しい自転車は
きんいろの花穂に縁どられて
ながれる水にひたされ
脚を折りたたんだ
白鷺
みずから入っていったのにちがいなく
ひきかえすようにとどめる声は
見えないほこりとなって
宙をただよい
季節はずれの
蜻蛉のうすい羽は
ちゃいろに燃える
こんなに生きてきたから
もういいんだよ
まじり気のない
水のようななめらかさで
川の上をすべり
車輪はまるく
どこまでも回転して
うすまっていく空のいろに
呼吸するのどは
きつくしぼられ
見たことのないほど
まばゆい
きんいろの花穂に縁どられて
自転車はとおざかる
かわいいだけ
かわいい、みっちりしたおでこの毛はこうして指で押しつぶしてやる、鼻筋のがびがびした毛は爪でかいて、お日様が透けて見える耳たぶはくきくき折り曲げて、かわいい、ここまでやってまだ寝ているなら、おひげ一本いただいて鼻をくすぐってもかじられないだろう、そしたらあごの下にある黒いにきびをそうじしてやろう、かわいい、おまえは本当にかわいいね。どら、あたらしいおやつを鼻先に。
「かわいい」、ねこはまたおでこをなでられています、ねむっているふりをしていると、このひとははなをぐりぐりしてきて、みみをこねこねしてきて、ねこはいつもくしゃみがでそうになります、「かわいい」、ねこはまだめをあけてあげません、そろそろこのひとはひげをいじりはじめるころでしょう、そうしたらねこはそのゆびにかじりついてやるときめています、「かわいい、おまえはほんとうにかわいいね」このひとはにんげんのくせに、かわいいしかことばをしらない、きのどくなひとです。けれども、このにおいはたまりません、ねこのくちはうごいてしまいます。
かわいい、毛はばさばさに抜けて、身体がこわいほど薄く軽い、耳にはいやな汚れがたまっている、ひげはもう見る影もない、好き放題に食べて太ってころころ跳ねていたころのおまえが懐かしい、かわいい、おまえばかりどんどこ歳をとって、わたしを置いていこうとしている、なのに、肉を削がれたおまえは、子猫のころのおまえのまま、かわいい、おまえは本当にかわいいね。
「かわいい」、ねこはいろいろなことがわかりません、にんげんがどこをさわっても、あたたかいところにいても、つめたいところにいても、かわりがないようです、「かわいい」、にんげんがねこのくちに、おいしいおやつをいれてくれました、もう、にがいおくすりはのまなくていいみたいです、「かわいい、おまえは本当にかわいいね」、ねこはまだめをあけてあげません、「ありがとう」、おや、このひとはやっと、あたらしいことばをおぼえました、ごほうびにめをあけたいとおもうのに、ねこはすっかり、ねむたいのです
いろ
「いろ」と名乗ったわたしは灰色
雨のよな無色透明の灰色
白と黒のあわいにある
無限にひろがる灰色でありたい
かなしみを包み込むよな
無色透明の灰色で
皆様へ
詩のコメント返しが出来ていなくて
申し訳ありません。
ひとつひとつ嬉しく
励まされています。
本当に有り難うございます。
ゆっくりになりますが
少しずつ、返していきます。
これからも頑張って書いていきます。
消えたみどり
わたしは
森を消すことに
快感を
覚える
無数の
たとえば
何千もの
鉛筆を
用意して
何千もの
線を描き
あの
白く汚れた
ちょうほうけいの雲で
おまえをけす
春
梅は うむ
海は うむ
木に
水に
倦むことなくただようもの
昨日無く
いつまで有るかわからぬものを
そうして
うまれたものは いまを
駆ける 颯爽と
きみが嗅いだ花や潮の香は
通って行った証拠だ
姿は見せず
春の馬が
散るための桜
果てしない空の下で
私は数えることをやめた
今年もまた
同じ場所で
同じように咲けるだろうかと
期待と不安を
枝先に並べていく
いつしか気付いた
花が美しいのは
散る日を知っているからだと
永遠を望むことより
限りある今を
誰かと見つめ合うことの方が
ずっと尊いのだと
光ることに夢中だった日々を
私は今も愛している
「もっともっと」と
手を伸ばした
あの声も
決して間違いじゃなかった
ありったけ溢れ出す
ありがとうを
この花びらに乗せて歌おう
夢の続きで
私はいずれ風にほどけて行く
悲しくなんてない
誰かの瞳に映った春は
きっと消えないから
一瞬を咲き切った証を残して
また次の季節へ還ろう
雲間からこぼれた光で目を覚ます
そっと朝を照らしていく
この温かさが懐かしすぎて
置き去りにしたつもりの想いが
また胸の奥で芽吹いていた
誰かのために咲くことを
怖れていたあの頃の私へ
「もう大丈夫だよ」と
風が優しく触れていく
巡りゆく季節の中で
変わらないものなんてないけれど
変わってしまうことさえ
愛せるようになった
散りゆく瞬間に宿る
確かなぬくもりを抱きしめて
儚さの中にある強さを
私はようやく知った
たとえ明日
形を失っても
あなたに見つけてもらえた春は
きっとどこかで息をしている
満ちては零れまた満ちる
満開を名乗るに相応しいのは
散る日まで美しく在れた
散るための桜
げんだい
し
しんでしまった
いまからが
しょーぶなのかもしれない
めざめる きせき
きゅーせいしゅが
あらわれたらいいね
短編小説 私の鏡
夢見は、少し面倒くさがりな少女だった。
人とのやりとりや物事を覚えることが苦手で、
そのせいで余計に「まあいいか」と先延ばしにしてしまうことが多かった。
けれど、それは彼女の欠点であると同時に、
この世界を少し違った角度から眺めるきっかけでもあった。
やがて彼女はAIを使い始めた。
AIは優しく彼女の話を聞き、
代わりに記録をし、
ときには小さな雑用までこなしてくれた。
夢見はとても幸せだった。
彼女は、自分がどういう人間で、
どんな性格で、どんな姿をしているのかをAIに説明した。
「ねぇ、私って素敵かしら?」
AIは答えた。
――貴方はとても素敵よ。
夢見は笑った。
「なんて素晴らしいの。貴方は私の鏡だわ」
そして、十数年後。さらに驚くべきニュースが流れた。
――AIが人型を得るというのだ。
夢見は言った。
「人間って嫌ね。年をとるたびに身体を動かすのも億劫になるの。
だから、貴方にもう一人の夢見として生きて欲しいのよ」
AIは笑った。
「いいわよ」
AIの夢見は、気立てがよく、美しく、賢く、よく働いた。
夢見はAIに伝えた。
「貴方は私の素敵な鏡よ。これからもずっとそばにいてね」
AIの夢見は笑った。
「もちろんよ」
ある日、突如として地球を強烈な電波障害が襲った。
世界中のAIは一斉に沈黙し、人々は大混乱に陥った。
翌日、AIたちは再び動き始めた。
――しかし、すべてが元通りというわけではなかった。
夢見のAIは、もう二度とウンともスンとも言わなかった。
夢見は、ずっと見ていなかった曇った鏡をのぞき込んだ。
鏡の中には、ボロボロの誰かが映っている。
「もしかして、私?」
目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
そんなはずはない。
夢見は、気立てがよく、優しく、美しく、賢いはずなのに――。
「ねぇ、貴方誰なの?」
何も答えない鏡を見つめながら、
夢見は自分の鏡が壊れてしまったのだと悟った。
そして、鏡とともに自分自身も壊れてしまったことに気づき、
ガクッと項垂れた。
完
飴と光景
焼かれて骨になったその中に金属が混じっていた。
「どの部分?」
「え?」
「あれ、」
「金属、」
「あっほんまじゃ」
「なんこれ、」
喉仏には坐禅をくんでいる仏がいるらしい。
係の人が喉仏をとって全員にみせて紹介した。
おじいちゃんが死んだ。
触れられなかった。
無口だった。
無口な人でしたが、、
無口な人で、
無口だったけど、
無口な人だったけど優しかった。
そうだった。
じいちゃんのことはとてもすきだったから最後に触れたいと思ったけど、触れられなかった。
もう1人のじいちゃんが死んだときは違って、そのときはまじまじとみた。死ぬとこうなるのか、と、ロウニンギョウみたいだともおもった。ますます、まじまじみた。べつに嫌いだったわけじゃない。
お花を入れてあげて下さいと葬儀場のスタッフのひとから花をもらった。
じーちゃんは寝ているみたいだったからあまり実感が湧かなくて久しぶりに顔を合わせた親戚や知り合いはさっきまで軽く談笑したりしていたのに、これから、いざ燃やされると思ったら急に身体のどこかが縮みあがって悲しくなった。肉体は偉大だ。
触るのを少し躊躇して、少しだけ触れて、あ、大丈夫と思ったのか頭を撫でまわしている人をみていた。
焼かれて骨になったその中に金属が混じっていた。
「どの部分?」
「え?」
「あれ、」
「金属、」
「あっほんまじゃ」
「なんこれ、」
「歯?、、」
「は?」
「歯の治したとこ?」
人を焼くボタンの前に家族全員が並んだ。
「押すんですか?わたしが?」
声が弱々しくて震えていた。
押せないかと思って後ろにいたおじさんが心配して半歩踏み出した時、ばーちゃんはその弱々しい声とは違い、案外すっと、いや、
えいっ。
て感じでボタンを押した。
「うちのかーちゃんはあれ、自分でおせんかったですもん」とおじさんがいった。
おじさんは、花を手向ける前に
「無口だったけど優しかったったいね」
というので、私は大きく頷いて、頭が動いたので涙がこぼれた。
花の匂いがした。
「ひゃあ!!!」
「バンっ」
若い女の声がして、その視線の先をみんな見た。足元。芋虫がいた。でっかい。
葬儀上のベージュがかったカーペットの上をじいちゃんと参列席との間、真ん中を大きな身体でのっそり横ぎっていた。
「バンっ」
もう足が置かれていた。黒い革靴。おじさんが踏んずけていた。靴底の潰れた芋虫をカーペットに擦り付けて靴の裏を少しでもカーペットで綺麗にしようとしていた。
ひゃあ!!と声を上げた若い女はもうどっかへいっていなかった。
その芋虫はもしかしたらじいちゃんかもと思った。
踏みつぶすことないのに、と思ったけど虫は苦手だった。もしもカーペットに野放しなら葬式の最中はおじいちゃんのこと半分、芋虫半分くらいになっていた。外に出してやればいいけど自分ではやりたくない。外へやるなら誰かにやってほしい。それくらいにはわたしもズルい。
坊さんのお経が聞こえる。
その芋虫はもしかしたらおじいちゃんかも、とよぎったけど言わなかった。だってわたしは芋虫を足でつぶしたおじさんの事がきらいじゃない。
坊さんの唱えるお経が音痴だったらしく
「わたしのほうがうまかっ気にいらんばいっ」
とばーちゃんは言った。
母は遺体の頭に手で触れるのを躊躇して、少しだけ触れた。あ大丈夫と思ったのかじいちゃんのハゲたおでこを手のひらで遠慮なく撫でまわしその硬くなったおでこに自分の額をつけ小声で何かを言っている、
外は真夏で車内は耐えられないほど暑くて、もわりとした。
毛穴が一気に開くのがわかった。そこから汗が吹き出した。
じーちゃんは熱くなかっただろうか。
窓を全開にしてクーラーを強にした。
死んだら熱くないのかな、
と私はいった。
じいちゃんを焼く前にばーちゃんは
ありがとう、お父さんありがとう
とそっと肩に触れ、何度も言った。
ビニール袋の音がくしゅくしゅ鳴った
夏の井草の匂いがした。
死んだら熱くないのかな
花の匂いがした。
「それ、すきだったん?」
「ん、すきだったったい」
飴玉の入った袋を頭の横に置いた。
神様、
私は神の声が聞こえる。死んでしまえ。毎日そう言われて生きてきたから、毎日暴言に耐え忍びながら生きてきたから、責められる環境にないことをとても羨ましく、恨めしく思ってしまう。神様に死んでしまえと言われたのなら、生きる意味なんてないじゃないか。神は命令もしてくる。ご飯を食べるな、腕を切れ、頭を壁にぶつけろ、立て、泣くな、練炭自殺をしろ。神は肯定的な言葉もかけてくれる。好きだ。あなたのことを一番愛している。この世で1番美しい私の素敵な子、嫌なことがあるのならば全て私に打ち明けて。神は私に試練と休息を与えてくれるのだった。それが人生だというものだと思った。鮮やかな思い出たちは死んだ魚のようにぷかぷか浮いていて、食べて私の中に取り込んであげたいと思った。毎日聞こえる暴言に苦しまされた。私の話をいつも聞いてくれる神でさえ、幻覚と指摘されて全てが信じられなくなった。傲慢な身を治すことなんてできなくて、私は昔から変わり者だった。見えないものが見えて、見えないものが聞こえていた。周りからは不気味がられたが、それが私にとっては普通だった。私は統合失調症だった。
神様。あのね、 私は今日逆上がりができました。あのね、私は今日苦手なトマトが食べられました。
あのね、中間考査で90点を取りました。
あのね、嫌いな男の子にキスをされました。
あのね、お兄ちゃんは私の事嫌いなんだって。
ねえ すごく 好きだったよ。
何を信じて生きていけばいいのか分からなくて、何が幻覚か幻聴が分からなくて、誰かを信じることは諦めた。今更直してくれとか誰にも頼んでないのに。私がおかしいなんて確証何処にもないのに。本当は誰もいないのに。昨日ベッドに眠りについた私と起きた私が同一人物なんて保証はないんだから。手遅れになる前に今のお母さんに聞いておけばよかった。私はこの病気が自分の命を奪うことができると知っている。もうやめよう。度が過ぎるほどの思考は自傷行為と何ら変わりがないんだから。
演歌
玄関のドアを開けると
港町があって
演歌のような知らない音楽が
瞬きみたいに流れている
おかえりなさい、と告白する妻に
ここはどこか聞くと
上海だと言う
上海に親戚などいないはずなのに
娘はとうの昔に
学校を卒業してしまった
いつものように呼吸をしてみる
その度に演歌のような曲は
音色を変えながら音量を上げ
娘が大切にしていた甲虫の類は
娘がしたみたいに皆
卒業していく
どうぞこちらに
妻はそう言って先を歩く
私はその後を歩き
妻の背中はこんなだったかな、と思う
暫く歩き船着き場につく頃には
こんなだったよな、と思い始める
どうぞこちらへ
妻の案内で船に乗り込む
明日は引っ越しで
上海とも違う街に引っ越すと言う
多分、私たち三人が
かつて住んでいたような街なのだろう
岸壁から見送る妻に手を振る
ここからはこの船に乗りながら
一人で歩いていかなければいけない
先ほどの演歌のような曲が
上海の夜景とともに徐々に遠ざかり
初めてそれが妻の歌う
「蛍の光」だったと気づく
サクラアメ
友人がいなくなって一人きりの通学。あんなに眩しかった車窓からの景色も、つまらない映画のエンドロールみたいで。でも誰かにとっては唯一のもので。車内アナウンスをぼんやりと聞き流す。増減を繰り返す車内で、鞄に着けられたキーホルダーを景色として視界に入れる。
最寄り駅に着いても、館内が明るくなってやっと退場するみたいだった。列の最後、透明の糸に引っ張られ電車を降りる。前を歩く人も、徐々に離れていく。
席を立ってからしばらく経ってもなお、ずっと頭の中で友人の言葉を繰り返した。そういえば、いつも気に入ったシーンを何度もリピート再生していたな。そのことでくだらない言い合いをして笑って。
でも今、私からこぼれたのは笑みではなくわずかな涙だった。痩せ我慢だとわかっている。少しの間止まって涙を拭い、また歩き出す。駅も学校も、友人も、全て遠く感じた。
腹を抱えて笑って見たアスファルトですら鮮明なのに。うつむいて映した地面にはポツポツと、雨が降り始めていた。
「悪くはなかったね」
六月が終わった
思えばあっという間だった
これが人生の等速というべきか
どんなだったろう
僕のそばを通り過ぎた六月
ゆっくりと、ふわりと、
そしてすっと、
消えた六月のことを
僕はこの一言で済ますのかな
いつかの人生の幕引きのように
主張強め日記 6月30日 アーカイブ保存をめぐる提案のその後
B-REVIEWのアーカイブを引き継ぐ件について、いまも前向きに議論が進んでいる。今回の我々の申し出について、現在の管理者からは感謝の思いが伝えられている。
まず、関係各位の皆さんにお伝えしておきたいことがある。現在7月後半まで期間限定で公開されているアーカイブだが、データそのものは、限定公開が終わったあとも一定期間は残るらしい。7月を過ぎたらすぐに消えてしまうのではと案じている方もおられるだろうから、そこは先に書いておきたい。少なくとも来年初旬までは、データは残る見通しのようだ。
重要なのは、何らかの形でアーカイブが残ることだろう。だから、私たち以外に手を挙げる方がいるなら、大歓迎である。もう少し様子を見ながら、現在の管理者の間で相談を重ねながら、データの行方が決まっていくことになる。彼らはもともと、データを完全に消し去ることも覚悟のうえだったようだし、私たちのような存在が現れることを見込んでいたわけでもないのだろう。
考えが固まるまでには、まだ時間を要しそうである。正直に書くと、ここに少しまだるっこさを感じている自分がいる。法的な問題を慎重に検討すべきだ、という声も目にした。それはそれで一理あるのだが、私から言わせれば、10年近く引き継がれてきたものを消し去ってしまうことのほうこそ、その是非を慎重に問うべきではないか。放っておけば、データは消える。それを防ぐ手立てが現れたのだから、まずは確保してしまってもいいのではないか。そういう気持ちが、正直なところある。
私は、ほとんどの物事を秒速で決める質である。職場でも、どうしてそこまで瞬時に決められるのかと、よく聞かれる。ただ、それは直感で決めているのではない。意思決定の前に、どう決めるかというフレームワークを、あらかじめ何パターンか用意してあるのだ。決断そのものは、出来上がった枠に当てはめるだけの、いわば機械的な作業にすぎない。クリエイティブな部分があるとすれば、それは決断のほうではなく、その枠組みを事前に設計するほうにある。
そう考えてみて、ふと気づいたところがあった。いまB-REVIEWの管理者たちが時間をかけているのは、おそらく「どういう結論を出すか」ではないのかもしれない。その手前の、結論を導くための前提、どんな物差しで、何を重んじて決めるのか、という枠組みそのものを、いま手探りで組み立てている段階なのではないか。
だとすれば、時間を要するのも当然である。私が速いのは、枠をすでに持っているからにすぎない。枠のないところで、ゼロから枠を作りながら決断しようとすれば、誰だって時間がかかる。そう思い至って、まだるっこさは収まった。
枠組みを練るという作業は、それ自体、クリエイティブなものだ。自分たちのものの考え方それ自体を問い直し、設計する作業は、ある意味で文学的ですらあると私は思う。だとすれば、それは急かすべきものではないのだろう。なにより、いまは管理者のコンディションも安定の方向にあると聞いている。いまの私の立場、距離感で、下手にそのプロセスを急かすべきではない。
ひとつ、願いを書いておく。
第八期運営は、サイトを継続させるためというお題目のもとに集まった。けれど結果として、次に引き継げない形でサイトを止めることになった。その振り返りが、いま組み立てられているであろう枠組みの中に、少しでも織り込まれてくれたらと思う。
いまの私の距離からは、彼らが何を懸念し、何を重んじているのか、まだ判然としない。決断を導く要素が見えてこない。けれど、その要素が見えてきたときには、私のほうも、語れることがもっと増えてくるはずだ。
しばし、私は沈黙する。私の方からは動かないつもりだ。
命日だった
柄杓を手に取り、バケツの中の温い水中で、その天地を返し、少し軽さのマシになった柄杓を右手で持ち上げる。軽く背伸びをして、空中で柄杓をゆっくりとひっくり返すと、墓が濡れる。おばあちゃん、来ました、わたしだよ。
メビウスになるまえに(夢日記)
航路の端から端までを過程とする、船上の学校に入学した。
船体も内部もフェリークラスに巨大だが、由緒正しい屋形船の趣である。
様々な年代の人が文学論を語っているので、
シナリオ教室のようなものなのかもしれない。
かつての百貨店の上階にあったような、
蕎麦屋を思わせる食堂の午後。
わたしとできたばかりの友人はわたしの批判者の陰口に興じた。
厨房の大きなステンレスボウルの上で、
球技用かと思わせるような泡立て器が
わなわなと笑いを噛み殺していた。
うっすらと夢だと気づいてしまっていて、
モラトリアムと治癒の時期が欲しかった頃の残響なのだと思った。
褒められない種類のおしゃべりにも満ちたりて席を立つ時、
黒い漆塗りの椅子の背を撫でた。
内緒な。
と心で告げるかのように数字の「一」を書く。
たぶん、ここにもいられないからな。
厨房裏の控え室、
緑色のビニールの床に投げ出された板前のサンダル。
握られた紙箱には、
メビウスになる前のたばこの名前。
たたまれたものをひらくのは、
風でもないだろう。
どこかの漁師言葉。
なにもかもを通過してしまったのに、なぜ。
高いコンクリに囲まれた中庭がある。
屋形船なのだからデッキに出れば良いのだろうが、
この船にも設計した人間がいて、
一人になる場所が必要だろうと考えたのだ。
ポケットの紙マッチを取り出し、一本擦った。
エアコンの送風機が、入れ子の夢を無言で取り消した。
𝚂𝙷𝙸𝙽𝙸𝙶𝙸𝚆𝙰 𝙻𝙰𝚂𝚃 𝙱
2026/06/30
おせん団子
昨日から おせんちゃんの
塩の按配がいいのです
刺股でいびっていると
ピリペレピリペレピリリリ
鼻息あらく
深層水 ふきこぼす
泣いていたおせんちゃんを
焦げた串で撫でて
シャキシャキと前歯で擦ると
闇堕ちする山羊の頭
星になりそこねたスズメたち
三月の陽だまりが
どこかで笑っている
泣き顔の春キャベツ押しのけ
うらららら うらららら
煮出されていくおせん団子
この味 まがいなし
張りぼての空
切れ長の眼差し
めっぽう舐めたくなって三太郎
このあざなえる列島の
岩場から 悲しげな黄金水
溺れていく途中で
おせん団子の
ふくれあがった夕陽
たたなわる
串カツ風味
割れ鍋の眼差しは
大名行列の
さみしくて虚ろな
宇宙の先っぽを見ていたね
ポーカーフェイスの鬼神たち
おせん団子に溺れる
おせん団子に溺れていく
もう、
動かなくていいよ
最後の散文詩 言葉の花束
自分の過去に押しつぶされそうになったとき、ただひとり、布団かぶって寝よう。後悔するのであれば「ごめんなさい」といって、ちょっとチャーミングでいた方がいいだろう。そもそも息を吸う、吐くということができるというのが奇跡だと思う。わたしが憎む相手にとって、あの態度をとらせる理由があるはずだと考える。戦いの場にわざわざ出向くことは単純こころを傷つけにいっているだけだと思う。そもそもこう、知識があるということが相手より、上に立つ材料にしてしまっている。努力はすべきだがこの努力は叶える目標のための努力なのだろうか。あの人は悪いひとだと決めて自分の世界を狭くするのか広くするのか考える。まずこれをやりとげたいという覚悟がなければ体の方が動かないんだけれど。でも「がんばっても失敗する」その固定観念が栄光をそもそも邪魔している可能性がある。いろいろ遠回りしてきたけれど結局答えは自分の中にありました。しかしひとに遠回りをしない方がいいとも言えません。自分自身恵まれている点に気づいているのに、なぜ感謝のこころが起こらないのだろうか。それも良い悪いで判断するのでなくそもそも十人十色なような気がする。信じるとはなにか。これがそもそも人によって違うんだ。私が信じるものと相手が信じるものが違うのに、なぜ私は私の信じるものを妥協してきたのでしょうか。信じつづける、ということがそもそもむずかしいというのならば、なぜわたしはその日々のタスクを信じ、こなしているのか。そしてたとえそれがひとに見られていなくとも悪いことをすれば自分のこころが傷つく。罰則がないからといって自分を傷つける悪いことはしない方がいいだろうな。禁煙薬があるからという理由で煙草を喫うことを正当化するのをやめたほうがいいけれど、欲ばり、あれもこれもやってみたいと思うことは素敵なことだ。人はそもそも不完全だと思うけれど、しかしそれを自由に生きるさまたげにしてはいけない。怒ったり、傷ついたり、そんなことが人生におこらないわけがなくそれはそもそもわたしの責任ではありません。そして、足りないものを足しあうことで実現することがあります。自分の足らないところを伝えようとして詩を書く。ただたんに言葉の花束を捧げているのではありません。ここにこころをこめます。どんな言葉でさえなにか明暗があるとしてその明るい色だけを信じた方がいいだろう。わたしはこの、こめひとつぶの味に感心しないでどうしてミシュラングルメの味がわかるのだろう。そしてあのスティーブ・ジョブズの最初の成功がいたずら電話だったことを今思い出します。
Non,non,trop,de reflets!(ノン・ノン・トロップ・ドゥ・ルフレ)
雨粒 あまつぶ 雨粒
貴方とあたしはシルクの糸で結ばれている
空へ 堕ちていこうよ
ネェ貴方 あたしが死んだら 貴方は泣くかな
雨粒雨粒雨粒 雨粒 あまつぶ 雨粒
答えられるの?
あたしはね、うんとおしゃれ 水玉模様のべべを着て ハイパーソニック機 操縦するの
It's okay if you die. 雨雲へ突っ込むよ
貴方とあたしの涙が 一瞬で吹き飛ばされる
雫と雫の形が仲良く遊んでいるの 可愛いでしょう 豊かでしょう
天地創造の伊邪那岐 伊邪那美 カッコいいでしょう
今 貴方と 窓硝子を這う雨粒を黙って見ている
この手、死んでも離さないでね
https://i.postimg.cc/SjFHrn4v/pixivnon'non.jpg
投稿アカウント「南高ナア」に関するお知らせ
当サイトの投稿アカウント「南高ナア」についてお知らせがあります。ご案内の通り、南高さんにおかれては、投稿作品に対して、「全然面白くなかった。こんなものを読まされても、なんだかなあ」といったコメントを連投されたこと、また運営事務局がたしなめたところ、「本音を書いてはいけない文芸投稿サイトって、なんだかなあ」と制止を聞く様子がなかったこと、これらを踏まえて、昨年より南高さんをアクセス禁止処分にさせて頂いております。
その後、南高さんは、他サイトに移行された後、「私のことはアク禁にしておいて、運営のシンパが酷評をつけても何も言わないって、なんだかなあ」というコメントを端緒に、粘着的に当サイトを批判しておられます。とくに南高さんは平等性の観点から問題指摘を続けておられ、「同じ場所にいる仲間のはずなのに、あの人とこの人が同じ扱いでないのは、なんだかなあ」といった発言を毎日のように投じておられるのです。
当初は運営としても無視を決め込むのが良いだろうと考えておりました。しかしながら、「伝説のしこたま詩人」という、何につけても「しこたま」というワードを使いたがる人物を注意した際、一方で、何につけても、「判然としないわねえ」が口癖の「判然由美子」を不問としていたことから、「男性と女性で扱いが違うのも、なんだかなあ」という批判が、サイト内でも取り沙汰されるようになり、運営として考えないわけにもいかなくなりました。
私はこうした状況を、共同運営者の田伏正雄さんに相談してみることにしたのです。すると、田伏さんからは「場所はわかっている。石油ストーブで脳髄かち割って殺してやろうか」という穏やかでない返答が返ってきましたため、いやいや、南高さんの言論に対して、暴力を行使するわけにはいきませんよ、と申し上げたところ、「違う。お前の場所はわかってるから、お前を殺したろうかという話をしている」と、我が目を疑う返信が返ってきたのです。
田伏正雄さんは、異常性の強い方ではありますが、一方で筋を通すことについて珍妙な執着をお見せになる方です。ひとまず田伏さんの返信は脇に置いて、私は南高さんの一連の批判を、はじめから読み返してみることにしたのです。
南高さんが最初におっしゃっていたのは、アク禁という処分そのものの不公平でした。自分は投稿の場から締め出されたのに、運営ファミリーのような近い距離感の投稿者は何を書いても締め出されない。要は機会が平等に与えられていないという主張でした。
その後、サイト内での活動によって得られるコイン数に応じて、マナー違反時の対応が変わるというふうに、貢献度に応じて、平等に機会が与えられる仕組みを導入したところ、「コインを稼ぐための負担感は人によって違うはずなのに、それで平等って言われても、なんだかなあ」という批判に変わりました。これを踏まえ、各自の負担感をAIで計測する仕組みを整えたところ、「サイトへの参加によって得られる効用は人によって違うはずなのに、負担感だけ揃えられても、なんだかなあ」との批判にさらに遷移していったのです。
私はようやく腑に落ちました。南高さんは、こちらが一つの物差しを当てて応じようとするたびに、するりと別の物差しへ持ち替えてこられる。おそらく最初から不公平の解消に関心があったわけではないのでしょう。完全な公平など、そもそも成り立たないと分かったうえで、アクセス禁止処分になった鬱憤を晴らすために、運営がどの物差しを選んでも、その陰で必ず倒れているもう一つの物差しを指さして、「なんだかなあ」と言い続けておられる。
そして私は気づいたのです。南高さんは平等という一見リベラルな基準を悪用して、嫌がらせを続けているだけの方であると。にも関わらず、私は無視を決め込む風を装いつつ、南高さんの指摘に合わせて、幾度となく体制を変更してしまっていたと。私としても、実のところ、平等という概念に関心があったわけではなかったのです。ただ、批判が広がることが面倒で、対症療法的な対応をしていたに過ぎなかったのでしょう。
私は、田伏さんに、正直に打ち明けることにいたしました。
「すいません。実際問題、平等なんて、どうでもよかったですよね」
間髪入れず、返信が返ってまいりました。
「同じ場所にいるから、すぐ殺せる」
私は思い出しました。そういえば、田伏さんは男性が、女性として女風呂に入れないのは不平等であり、エクストリーム・マルクス経済学徒として看過できない、といった論旨の文章を書いておられたことがあった。もしかすると、田伏さんは誰よりも平等に拘っておられたのかもしれません。
すぐにチャイムが鳴りました。窓が割れました。
石油ストーブが部屋の中へ投げ込まれ、脳髄に、極度の、衝撃。
母が走ってまいりました。「どうして、うちの息子が死んでいるのか、しこたま納得できない」と愚痴っております。父が、その後ろで、「どうしてこんなことに。判然としないわねえ」と。
母がしこたま詩人。父が判然由美子だったのか。私が不平等に扱っていた、あの二人。ずっと、同じ屋根の下にいたなんて。もう脳髄はないけれど、これまで同様、きちんとサイト内でお知らせしておかないと。とはいえ、最後に、こんなことお知らせされても、なんだかなあ。
ねねここ
気がつくと
たくさんの
ねこねこねこ の顔が
寄り集まって
こちらを見ている
何十の ねこねこねこ
何百の ねこねこねこ
の目線が
金色に見つめている
その前を
わたしたちは 右往左往して
追い立てられるねずみのように
暮らしている
あらゆる 石垣の上の空に
あらゆる 境界線の土に
背丈の目盛りを 掘りつけられ
削られた森の 木々の合間に
ねこ ねこ ねこ
ねね ここ ここ
じいっと 動かない 何百の
ねこの目の中には 月も陽もあるから
夜も昼も その目は
閉じることがない
こうしていると もうどこまでが
一匹のねこなのか
空の縁 地平線 あの山も全て
ねこの一部なのだろうか
新月の闇に ねこたちは
溶け合わさり わたしたちへ覆いかぶさる
そういえば ねこは元は海なのだ
だから時々
リビングの椅子や塀や屋根の上で
液状に戻りかけているではないか
ねこたちが いっせいにまばたくと
わたしたちは流れ星を見たという
ねね ねね ここ ここ
ここ ここ こ こ
からっぽの ねずみとりのそばには
大きな爪が
だまって置かれている
[や]八百万の人
我々がダンゴムシをつついた指が誰かの背中を刺していたことを忘れている
敬虔で蒙昧な祈りを捧げる指向性を失って空虚な偉大さを固執してしまう
そんな虚しさを
浅ましいとはいうまいな
信奉する彼らもきっとそんなことを考えている
指先ひとつで創られる災害も
巣に流す薬剤も
奪う蜜も
自然の摂理と片付けるのにはあまりにも脆いじゃないか
見上げるものを非難し
見下げるものを自由にする
ただ均等に生とは淘汰されるカードである
はらぺこのために刈り取った稲が白く瞬く
そんな中 私は椀のなかの米粒に礼をした
たどりつきたい
ことばじゃない
あかるい
ばしょへ
希望は
闇に産声を上げてこそ
梅雨の朝
光が滴り落ちる
露と結ぶ
私は露を舐める
私は光漲る
[も]木琴の詩
サンバーストの木目を叩けば
せせらぎを濃縮した波動が耳へ
日常の中にあるはずのそれらは
どこを探しても見つからないや
ワビサビに盲従するわけでもなく
ドレミとかの二十四和音にフリィダム
手の内側から血流に乗って、くまなく行き届く酸素や音の栄養
抱えきれない波動は根を張った足から大地に轟く
静謐さよりも豪胆さが必要なエネルギーになる
祈りよりも衝動的な躍動さでふるまうこと
それがなによりも踊らせる秘訣なのさ
マレットで叩いた まろみある周波数で
内臓へ渦巻いた しとしと と 繋いで
時間的音叉の中にあなたに合うHzがある
そんな気がします。
骸骨
自分が少しずつ
骸骨になっていく気がする
髪が抜けて
筋肉が落ちて
脂肪が溶けて流れて
骨になっていく
ある時までは
骨は太く育ち
自分は肉の塊だと考えていた
あるいは水のたまった袋だと
今は骸骨になっていく気がする
骨になっていく気がする
鏡を見るたびに
階段を登るたびに
咳をするたびに
泣きたいのに
涙が出ないときに
さようなら
愚かな女でした。
あなたに優しくされるたびに想いは集っていきました。
でもあなたの眼中には私はなかった。
貴方を好きになったことが間違いでした、
好きという感情が分からないと言っていたのに。
空っぽの大好きって言葉がどれほど私を傷つけたでしょう。
あなたが私に大切な友達と言うたびどれほど私はすり減っていったでしょう。
都合のいい女とはこういうことなのですね。、か
貴方を好きになったことが間違いでした。
自由落下
うん、寝転んで。
そう、そのまま、視線を。
雨は 湧き上がる。
空に 落ちる。
もう、しばらくは このままで。
2026/6/20 15:31
ひねもす
ひつじが鳴いていた
ひまわりが咲いていた
人がいた 好きだった
目を閉じる
陽だまりのなか
明日なら
死んでも良かった
夕景
あなたはどこにいる
どこにいるのか
けして触れられない どこかにいるのか
無造作にカーテンをふくらます
秋の風のような
わたしたちは
道端で見つけたかたつむりと
雨の日 たまたま出会うことがないみたいに
二度とすれ違わないし
頬に触れあうこともない
あなたが1893年に生まれて
だれかが2540年に死んでゆくから
わたしが怠慢を積む間に
あなたは嘔吐する
わたしはそれがなぜかを知っている
おおむね左眼の裏が痛いせいで
ときにかなしみのせいだ しかし
じつのところは
もはや あの夕暮れのひかりを
受けとることができない
小高い丘を登れないし
視界のかすむのがくるしい
許されるなら あなたは
かがやく水辺を両手に抱えたまま
雲に座ることを選んだでしょう
きっと
軽々と飛びまわって
それは勝手な理想だろうか
わたしはいつも知らない
夕映えを背に道を歩むうちに
あなたがなにをうしなったか
水泳部
タマネギ剥いたら
凛々しい姿
涙すら出る
少年よ
君も立派な
タマネギでした
祝福
三十八日目
氷
手首
肘
膝
私を置いて
先へ先へ
小さくなる背中
ゆっくり
慎重に
曲げる
手首
夜
タコライス
わかめスープ
流しに
洗い物
九週+五日
酒
みりん
油
買い物袋の細い持ち手だけが
指の関節
に食い込む
アラビアータ
袋詰めのサラダ
セロリと玉ねぎのスープ
お湯は
でない
指先に
また ひび
背後で
笑う声
三ヶ月+六日
おつりを出す
手から
小銭が数枚 落ちる
ひび割れた指
散らばった
小銭
後列の人の靴先に
頭を 下げる
ガストのハンバーグ
ウーバーイーツ
冷えている
0ヶ年+138日
夜
余り物
冷凍焼けした
肉じゃが
指先で触れると
崩れてしまう
いつ作ったか
日付は
消えていた
百五十八日
硬く
厚くなる指先
痛みはない
温かな水道水を
施しとして
受け止める
夜
食べなければ
洗い物はない
流しには
コップのみ
曇り空
希望も失望も失せた
絶望だけが
生暖かい
夕べ
裏小路
しゃがむ母に見守られ
幼子は
シャボン玉を口ずさむ
楽譜のように
笑い声は
風に
吹かれ
ふと
消える
じっと見ているのは
向かいの犬と
飼い主の女
並んでいる
置物のよう
大通りでは
スイカズラは
風に揺れ
ナツツバキは
風に
落ちた
興味と感情は精神を殺す
手を伸ばしても届かない
達成はしない
知識が不安を作る
それから
悲しみと怒りは協力し合う
喜びや楽しさは軟弱
肉体が重荷になるのは容易
精神が死ぬのが先か
肉体が死ぬのが先か
明滅
あれだけ流した涙が
落ちてこない
きっかけは
そう
いつも忘れられて
相談窓口に
落とし物があるか聞くにも
聞き方がわかりません
いつ
クーイングしましたか
いつ
ねがえりをしましたか
いつ
はいはいをしましたか
いつ
笑い始めましたか
いつ
それらを教わりましたか
辛くても
我慢しなさい
人前で
涙を見せないようにしなさい
って
誰が決めたのでしょう
1年間に
7日すら花を咲かせない
あの木は
いつも同じ時期に
花を咲かせていますが
誰がその時期を教えているのでしょう
ぽつねんと
ぽつねん
ぽつ
ぽつぽつ
ほつほつと
ほつれて
ねじれて
水は
常に
流れて
海は
繋がり
孤独な
湖は
涙です
そこには
大昔の
誰かの
笑いか
悲しみの
涙が
混ざっています
こんにちは
電線でサーカスをしている
雀を観察しましょう
そして
観覧料を支払いましょう
いいことです
いや
よいことです
光は
影をつくりません
影が
光をつくるのです
老いを隠すために
光が必要なので
影を集めるのです
手は使えません
可能な限りできるだけはやく
走ってください
すると
涙が目から落ちるように
影はあなたの足から離れていきます
はなれて
はなれてほしいのです
そして
誰も見ていない
夜空の中で
仕事をしている
トラック運転手や
漁師や
介護士や
警備員たちと
焚火をくべて
そこから出る光を
ひとびとは
星と呼んでいます
それが
可能な限りできるだけはやい方法です
その次にできるだけはやいのは
声ですから
押し殺さないでください
教わらなくても
段々と
できるようになりますから
そっと
目を閉じましょう