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2021/01/01 12:00:00

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くらげたちの夢

クラムボンが、ぷかぷか、浮かんでいるよ
明日学校行きたくない
今日、出勤ギリギリだ
ごうごうと風を鳴らしながらやってくる鉄の塊に、行進をするように足を揃えて乗る私たち
鉄の箱は、水槽のようで
それぞれの魂は、ぷかぷかと泳いでいる 
ぶつからず、それでも気ままに
この鉄の塊が体にぶつかる夢を一度は見る
そして、はっとする
気づけば、また、水槽の中

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拝啓、中島みゆき様 vol.1 あぶな坂

☆★**★☆
 批評・論考というほど偉そうなものではなく、私の敬愛してやまないアーティスト・中島みゆきについて書いてみようということで
 どうぞお付き合いくださいますと、幸いです


★☆**☆★
 1976年に発表されたファーストアルバム「私の声が聞こえますか」
 その第1曲目がこの『あぶな坂』という曲なのですが
 この曲、中島みゆきというアーティストの底知れない恐ろしさ、凄み、
 なんだかうまく説明できないけど、とにかくこの人はとんでもないぞ!ということを
 否が応でも思い知らされることになる、ものすんごい曲なんです


☆以下、歌詞です

     あぶな坂
        作詞・作曲 中島みゆき

  あぶな坂を越えたところに
  あたしは 住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
  みんな けがをしてくる
    橋をこわした おまえのせいと
    口をそろえて なじるけど
  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
  坂を落ちてくるのが ここからは見える


  今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて
    おまえがこんな やさしくすると
    いつまでたっても 帰れない
  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える


  今日も坂は だれかの痛みで
  紅く染まっている
  紅い花に魅かれて だれかが
  今日も ころげ落ちる
    おまえの服があんまり紅い
    この目を くらませる
  遠いかなたから あたしの黒い喪服を
  目印にしてたのが ここからは見える



どうでしょうか? なんとも意味深な歌詞だと思いませんか?
中島みゆきについてそこまで深くは知らないという方
ファイト!や糸、くらいしか知らないという方にも
ぜひとも、聴いてみてほしい楽曲
歌詞の意味を、ぜひとも考察してみてほしい楽曲なのです
何故かというと、中島みゆきという人の、ある意味すべてといってもいい要素が
この曲には、ぎゅっと凝縮されていると私が感じているからです
みゆきはこの曲で、自分がどういった歌手でどういった歌を歌っていくか
どういった人たちに向けて歌っていくか、といった宣言のような
また、自分の歌を聴きにくる人たちはどういう人たちで
何を求めて聴きにくるのかといったことを
まるでその先の未来が見えているかのように歌っている、予言のような歌なのです


みゆきはもうすでに幼少の頃からオリジナル曲を作っていたらしく
(音楽の授業で習う子ども向けの歌が退屈で仕方がなく
だったら自分で好きな曲を作った方が楽しい、と思っていたというのですからスゴイです)
100曲を超えるストックを、デビュー前から持っていたんだそう


もともと引っ込み思案で、本人曰く、何をやるにもトロかったらしいのですが
高校の文化祭で思い切って初めて、ひとりギター片手にステージに立った
当時はまだ、女性が男性より目立った行動を取るのをよしとしない世の中で
なので、女性がひとり舞台に立って、弾き語りしようものなら
あちこちから物や罵声が飛び交っていたらしいのですが
その時のみゆきの歌に、途中で罵声を浴びせるものも、物を投げるものも誰ひとりなく
むしろ女子生徒からよくぞ云ってくれた、勇気を貰えた救われた、私たちも声をあげてもいいんだと
支持がめちゃくちゃ高まっていたらしい


大学に入ると、片っ端からコンテストを受けまくり
コンテスト荒らし、の異名を持つほど(これはもう伝説の語り草)
みゆきの談によれば、小遣い稼ぎのためにあらゆるコンテストに出場したのだが
毎回ちゃんとお金をくれたのは、ヤマハだけだったんだとか(笑)
なのでみゆきは、デビューからずっとヤマハ
一度も移籍をしたことがない
それほどみゆきは義理がたく、そして絶大な信頼を置いているということなのだろう



     1975年 第9回ポプコンで『傷ついた翼』入賞
     その年の9月に『アザミ嬢のララバイ』でデビュー
     10月 第10回ポプコンで『時代』グランプリ
     11月 第6回世界歌謡祭でも『時代』グランプリ、12月には2枚目シングルとして発売
     そして翌1976年にファーストアルバムが発表されます


シングル2枚出しているとはいえ、ファーストの1曲目って結構重要だと思うんです
ここでもしもリスナーが躓いてしまったら、つまらない退屈、と感じてしまったら
2曲目以降もきっとおざなりにされてしまう
それどころか、次に出す曲にも影響があるかもしれない
だからこそのこの『あぶな坂』だったのではないかなあ、と私は考えます


デビュー曲から一貫して、傷ついて倒れそうになっている人たち
特に男性優位の世の中にあって、酷い目にあっているのに云うことさえできない女性たち
への優しいまなざし(本人は男いじめの歌、と云って笑います)
誰にも打ち明けられない思いをひとり抱えて、泣くことさえできない人たち
強者よりも弱者に対して、
また、今生の世界では果たせなくとも、来世ではきっと、と
輪廻転生のことも、『時代』のときから変わらずテーマに据えていたり
世の中に忘れされてしまったように感じている、そんな人々に向けて
(そしてまた、みゆき自身に向けても)
光を当てがってきたのが、中島みゆきというアーティスト


あぶな坂の橋は壊れているから、きっと安易に近づいたりしたら
思わぬ怪我をしてしまう
この坂を越えてくる人たちはみんな怪我を負った人たち
そういった人たちだけが渡ってくる、越えずにはいられない坂
その坂を越えたところに住んでいるのが
おそらくみゆきご本人
だけど、これまたスゴイのが
一度この坂を越えてきたら、もう元の場所に戻るのは難しいよ
と、暗に忠告めいたことも云っていて
つまり、あぶな坂を越えてくる人たち、みゆきの歌に魅かれてやってくる人たち
最初はわかってくれる人がいるんだ、と思うかもしれない
だけど、いずれは自分自身が抱えている問題に直面し
向き合わなければならないときが必ずやってくるんだ、ということ
その覚悟もないまま、この坂をこの橋を渡ってくると
きっと元いた時よりももっと辛くしんどくなるかもしれないよ、と


みゆきの歌詞は、かなり傷口を抉られるような歌詞が多いです
多分そういうことも含め、単純に救われたい、癒されたいがための歌ではない
という忠告でもあるのではないかな、と


ファーストアルバムの1曲目に、こんなスゴイ曲を持ってくるなんて
やっぱり並のミュージシャンでは出来ないことなんじゃないかと
まったくもって私の個人的見解ではあるのですが
おそらく古くからのファンで、この曲も知ってる方なら
私の云いたいことが、少しでもわかっていただけるのではないかな、と思う次第


みゆきは衣装の色に赤を選ぶことが多い気がしますが
デビューしたばかりの頃は、黒のワンピースを着ている姿をよくお見掛けしました
夜のヒットスタジオに出演されたときなどなど
その辺りもちゃんと歌詞に反映されてるんです


    黒い喪服を目印に♪



めちゃくちゃスゴイ、スゴすぎる!
云うまでもありませんが
改めて中島みゆきという人の恐ろしさ(いい意味で)を実感させられます





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批評・論考

星を見ますって言うとね


星を見ますって言うとね

ロマンチックですねって言われるんです
夏は蚊に刺されて
冬は寒さに震えて
あんまりロマンチックで無いですよ。

ロマンはありましたから、十分ですけどね。
わたしだけの、箱に入れたまま、それだけで。

どんな才能があったって
どんなお金持ちだって

わたしの箱の中には届かない。

だから今も、星を見るの。
あなたらには見えないものが、見えるから。

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濡れて見る影

定時前のひととき 肌寒く
ゆれるひかりに 窓はうつして
橙の雲

ぱらぱらと 昼にはなかった
淡い空から しめり声ふる

かさはある けれど
襟を立てれば 肌しめりつつ
橋より眺む 水煙に溶ける影

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ちょうどいい

冬至のお昼
柔らかい陽ざしは奥深くまで届く
決して暖かくは無いけれど
この日の後に一月一日がくる
のはちょうど良いような
気がするの。

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魔導機巧のマインテナ 短編:sceneⅣ(Last)


「これ、防護服っス。ジャケットタイプの奴しかないんで、あれかもですが」
「いえ、十分ですよ。むしろ厚手で丈夫そうなので助かります」

 ロジャが、供給機や測定器のついでに運んできたジャケットタイプの防護用作業服を羽織り、二人ともに複数のボタンを留めて、ファスナーを閉める。そのうえで防護用ゴーグルとマスク、作業用グローブを身に着ける。そして最後に腕を軽く回し、両手を握っては開き、握っては開きして、自身の体がスムーズに動かせるかの確認を行った。
 初期生成魔力の排気時に見られがちな、濃度の高い魔力の排気による中毒事故を防ぐためである。

「よし。サイズも大丈夫そう」
「問題ないっスね。汗臭くはないっスか? 全部、一応消臭剤は使ってるっスけど」
「ああ、だから微かに花の甘い香りが……。これはマンゴラス?」
「おっ、分かるんスか!? ちなみに姐さんの趣味っス」

 互いに自分の動作を確認しつつ、会話に花を咲かす。

 これらの防護装備と確認は、魔力測定器の調整後に行うのが、作業順序の通例である。
 もちろん、ロジャもマリーヴァの補助に回れるよう準備をしていく。ただ、彼の纏っている防護用作業服は、マリーヴァの装備している物とは少々デザインが違い、彼女の物と比較して一部が厚手の物になっていた。

「この防護装備、暑くなるのと腕周りの動きが悪くなるのが難点っスねぇ。そう言う部分を改善した作業服、誰か作ってくんないっスかねー?」

 自身が身に纏っている厚手の作業用防護服を見て、ロジャが溜め息を吐く。
 見れば、確かに体の可動域が少しだけ固くなっており、動き辛そうに感じられた。

「研究自体はされてるそうですけど、実用化には、もう少し試験を重ねる必要があるとか、何とか」
「へぇ、そうなんスか? 楽しみっスねぇ」
「出始めは、高く付きそうですけど……」
「あー、確かに。そん時はクレリカールの奴に話を通して、経費で何とかしてもらうっスよ」
「はは。経理と交渉の苦労は絶えず、という事ですね」

 そのような談笑をしながらではあったが、マリーヴァは修理作業へと入っていく。
 多様な工具を使って供給機の外部の蓋を外し、内装の一部を分解し、古くなった部品を除去すると、事前に準備してきた新造品へと交換。その後、分解したり外したりした部品を元に戻していく。
 その繰り返しで、次々に修理作業が進んでいく。
 ロジャは、その間は道具や部品の運搬を始め、修理が終わった供給機の運び出しなど、細かな作業を補助していく。

「それにしても、『霊核(※コア)』の付近って、結構シンプルな造りなんスねぇ。破損が怖いんで、応急修理の時も触ったことなかったんスけど」

 その補助作業の合間に、ロジャはマリーヴァの作業を興味深く見守っていた。

「そうですね。霊核付近がシンプルに出来ているのは、整備性の向上と、冷却や排熱用の魔力が通る道筋を確保するためらしいので、下手にいじると、魔力の流れが阻害されて壊れ易くなってしまうと、よく義母が話してましたね。王国製のものは少し複雑になっている物もありますが」
「へぇ。なら、旧帝国製の魔導機巧は、全部そんな感じで?」
「義母から聞いた話に従うなら、大体そんな感じですね。だからなのか、旧帝国製の物は魔力の循環部分だけ、異様に劣化が進みやすいとか」
「そうなんスねぇ。いやぁ、勉強になるっス」

 その途中では、作業の内容についてのちょっとした講義も行われ、終始なごやかな雰囲気のまま部品の交換作業は終了した。
 だが彼女の仕事は、まだ終わりではない。むしろ、修理品の確認が行われるここからが本番である。

「じゃあ、機器の動作確認と、チューニングを行いましょうか」
「測定器の出番っスね!」
「ええ。ロジャさんは防護カーテンをお願いします。私だと場所が分からないので」
「了解っス! すぐ引くっスよ!」
「お願いします。さて、と。私も準備しないとね」

 駆け去っていくロジャの背を見送ると、マリーヴァは持ってきたカバンから、自分がよく使っている汎用のケーブルを三本取り出して、それぞれの片側を、修理した供給機にある三つの差込口へと接続していく。そして、残ったもう片側部分を、測定器の専用の差込口へと接続していった。
 見ると、供給機や測定器の、それぞれの差込口の上部には、何かの数字と単位と思われる文字とがセットで刻印されており、マリーヴァは、それぞれが同じ数字の組み合わせになるよう接続していた。

「接続確認、よし。ロジャさん、カーテンは大丈夫そうですか?」

 全てのケーブルを接続し終えたマリーヴァが、ロジャへと確認の声を飛ばす。

「もう少しっスよ! 二重に引いてるんで!」
「分かりました! 終わり次第、ゴーグルとマスクの気密具合を確認して、こっちに合流を!」
「了解っス!」

 マリーヴァは、ロジャが戻ってくるまでの時間で、自身の装備の気密具合を丁寧に確認していく。
 そうして、確認作業の準備がある程度まで完了した後。

「それじゃあ、機器の動作確認を始めます。その前に、装備の気密を確認! 私は良し」
「ゴーグル、マスク、共に良しっス!」
「供給機と測定器の間のケーブル接続、確認!」
「……数字と単位、計器の合わせ、共に良しで、全て問題無しっス!」
「了解」

 合流したロジャと共に、相互の眼による装備等の確認を行ったうえで、改めて供給機の動作確認へと入った。

「供給機、起動。魔力の異常発生に注意」
「うっス!」

 マリーヴァが供給機の起動スイッチを入れると、最初の時と同じく「ブゥン」と言う低い音と共に装置が起動。同時に、装備されているメーターが大きく動き、程なくして、供給機内部で魔力の生成が始まったことを告げる気配が、辺りに満ちていく。

「起動を確認。『霊核』による魔力の初期生成、問題なし」
「測定器の方も起動させるっスよ」
「頼みます。まずは出力の一番小さなものから始めましょう。三番差込口のスイッチを入れて下さい」
「了解っスよ。三番のスイッチ、入れておくっス」
「……さあ、本番はここからだ」

 そう呟いて、マリーヴァは供給機の操作盤に指を走らせていく。「ゴゥン、ゴゥン」と言う音と共に、内部の循環機構が更なる駆動を始めた。
 すると。

「あ! 測定器、反応有りっス」
「数値はどうですか?」
「えー……と。いずれも正常値! 計器類のブレ幅も、プラスマイナス2以内っスね」
「それなら十分に許容範囲ですね」
「いやー、なんか。機械が元気に動いてる様を見るだけでも感動っスよ!」

 測定器の計器類に目を光らせていたロジャから、嬉しそうな声が上がった。
 それにホッと胸を撫でおろしつつ、供給機の魔力生成の具合を操作し、持ってきていた冊子に数値を記録するマリーヴァ。次の供給機の確認時に使うためだ。

「それじゃあ次、二基目の測定に行きますので、三番を切り、二番に切り替えてください」
「了解っス」

 このように互いに声掛けを行いつつ、テキパキと作業を進めていく。
 その間、供給機の動きは非常に安定しており、時おり出てくる少々の“ズレ”も、それを素早く察知して分析したマリーヴァが、症状に合わせた的確な処置を施したことによって、大きな問題になる前に解消されていった。

 こうして、現段階における供給機の問題は解消され、無事に、修理作業そのものは終わりを迎えるのだった。

「お疲れ様っス」
「ロジャさんもお疲れ様でした。作業補助、本当に助かりました」
「いやぁ、ほぼ荷物運びと調整補助をしてただけっスけどねー」
「いえいえ。それも大事な作業ですから」

 ゴーグルとマスクとを外し、防護服を脱ぎ、お互いに苦労を労いつつ、作業後の後片付けを進めていく。
 試運転した供給機を冷却する際に生じた排気魔力が、保管庫の空調装置へと吸い込まれていく。その先では、魔力をろ過するフィルター装置が駆動する静かな音が聴こえている。

「換気も良し、フィルターも正常に動いてるし、後は現場に運ぶだけっスね」
「そうですね。早く届けてあげないと」
「きっと姐さん、待ち遠しく思ってるっス。あの大時計塔、思い出の場所らしいっスから」
「……では、なおのこと早くに持って行かないといけないですね」

 そう言いながらも、修理や調整の終わった魔力供給機を次々と運搬用のカートへと乗せていく。その後、ゴロゴロとローラーを転がす音を響かせながら、二人は保管庫を後にして行った。

 その頃。
 時計塔周辺の工事現場では、エリキトラの指揮の下、工事再開に向けた準備が進められており、組んである足場や、重機型の魔導機巧の安全確認を終えた所だった。

「お待たせしました!」
「持ってきたっスよ! 姐さん!」

 そこに響くカートのローラー音と、マリーヴァ達の声。

「おー! 待ってたぜ」
「これでようやく、工事が再開できるんだな」

 そんな二人の戻りを歓迎する職員たちの声が、所々で二人を出迎えた。

「お、来たかい。案外早かったが、ちょうど良い具合さ」

 そして、二人の戻りを歓迎する声の後で、エリキトラが上方から姿を見せた。
 どうやら彼女は飛行魔法を使って全体を見回っていたらしく、彼女の体からは、うっすらと風属性の魔力の残り香が漂っている。

「どこに置きましょうか?」
「ははは。いやいや、アンタは気にしなくて良いよ。配置とかは、うちの奴らにさせるからね。さあ運ぶよ! お前たち、キリキリ動きな!」

 慣れた者だけが発することの出来る、貫禄ある号令が響き渡る。

「「おー!!」」

 それに応じる現場の職員たちも慣れたもので、即座にエリキトラの前に集合し、魔力供給機を一つずつ引き受けて移動を始め、テキパキとした動きで接続へと取り掛かっていく。

「繋ぎ忘れ、確認忘れが無いか、供給機の起動前にしっかり確かめろよー?」
「建築物の内部走査用の魔導機巧が直ぐに動けるよう、そこの建材を除けておくれ!」
「おい新入り! ワクワクする気持ちは分かるが、そっちは初期生成魔力の排出方向だから危ないぞ。重機型の魔導機巧を動かす時は、必ず一定距離、本体から離れる事を忘れるな! そうそう! それくらい離れとけ!」

 それぞれの職員が、自分の担当している場所にある工業用魔導機巧の前へと供給機を運ぶと、専用のケーブルを使って接続を行っていく。
 その間に、わいわいと活気のある声が周辺で起こり始める。見ると、町の住人達が集まって来ており、工事現場の沸き立つ様を見に来ている事が分かる。それが、各員の士気を大きく高揚させて、作業の効率がさらに上がっていく。
 その高揚振りは、それを見守っていたマリーヴァにも伝わっていく。

「一番機、接続完了しました!」
「二番機、起動、終わりました!」
「三番と四番、どっちも行けまーす!」

 そうして、職員たちによって手際よく行われたことにより、準備作業が終わり、全ての供給機が魔力を生成する気配が満ちていく中で、いよいよ、その時が訪れる。

「よぉし! アンタ達、用意は良いね!?」
「「はい!」」
「重機型魔導機巧、起動!」

 エリキトラの命令一下。各所の職員たちが一斉に重機型の工業用魔導機巧を起動させた。
 すると、全ての魔導機巧が力強い唸り声を上げ、魔力燃焼機関が稼働し始める。

「お、おお!? 動いた! 動いた!」
「こっちも動いた! こいつのアーム部分がこんなに滑らかに動いたの、何年ぶりだ?」
「供給機も安定してる。これなら大丈夫ですよ、エリキトラさん!」

 直後、その機器たちの唸り声にも負けない声が、職員たちから一斉に上がり、全て問題の無い状態を取り戻したことを、そこにいる全員に伝えた。

「ふふ。やっぱりいいねぇ、この音は……。胸を打つよ」

 全ての魔導機巧が放つ、重く、力強い駆動音に耳を澄ませつつ、エリキトラが満足そうに呟く。その隣では、ロジャとマリーヴァも微笑んでいた。

「ええ。俺も、久々にこの音を聞いた気がするっスよ。みんな元気そうで」
「なーに、湿気た言い回しを言ってんだいロジャ。ここまでアンタが繋いでくれていたからこそ、アタシらは今この音が聞けてるんだよ。だからお前、胸張りな」
「姐さん……。うっス!」
「ま、それはそれとして」

 次に、エリキトラはマリーヴァの方へと目を向ける。

「マリーヴァ、アンタも有難うね。お陰さんで工事が再開できる。町の連中も、あの町長も、きっと喜ぶだろう」
「礼には及びません。これが、私の仕事なので」
「はは、それでもさ。報酬は長かクレリカールの坊やから受け取るだろうが、追加で個人的な、精神的な報酬も受け取って良いんだよ」
「……そう言うものでしょうか?」
「ああ、そうともさ。アンタも胸を張って良い。良い仕事をした人間には、そうする資格がある。実際にやるのが恥ずかしいのなら、心の中で思うだけでも良いさ。自分を労うためにね」
「有難う御座います、エリキトラさん。覚えておきます」
「ふむ。そんじゃあ、アタシも久しぶりに現場の仕事、してくるかねぇ。後の処理はクレリカールの坊やに頼んでる。商工会の事務所で待ってるはずさ」
「分かりました。では、私はこれで」
「おう。帰り道、気を付けなよ?」
「お気遣い、有難う御座います。それでは!」

 そう言って一礼したマリーヴァは、エリキトラに言われた通りに、商工会の建物へと戻っていった。
 その背後では、現場職員たちの『今日もご安全に』と言う、威勢の良い声が響いていた。

「お待ちしてました! エリキトラさんから、話は聞きました。こちらへどうぞ!」

 マリーヴァが足を運ぶと、さっそくクレリカールによって応接室へと通され、彼から、感謝の言葉と共に、現地語で「小切手」と書かれた、一枚の上質な紙が差し出される。
 そこには、町や組織の名前など、幾つかの名称が三段に分けて記載されており、更にその下には二通りの金額と、マリーヴァがお金の受取人であるという事実と、そして、いつの段階で誰によって発行された小切手なのかについてなど、公的な手続きに必要となる情報が、具体的に書かれてあった。

「はい。では、こちらが報酬の受け取りに必要な小切手です。記載の通りに、中立金融取引機関「セントラル・ストックス」発行の共通貨幣か、我が国の固有貨幣と引き換えることが出来ます。金額は、依頼内容による相場と同等の数字を書き込みましたが、宜しかったですか?」
「有難う御座います。クレリカールさん。ええ、これで大丈夫です」
「そうですか。良かった」
「?」

 淀みなく彼女がそれを受け取ると、何故かクレリカールはホッとした様子で微笑みを見せ、それに対して、マリーヴァは首を傾げた。

「いえ、本人を前にして何ですが、もっと高額の報酬を提示されるかも知れないと、内心、怯えていました」
「え? また何故です?」
「いや実は。あの後、エリキトラさんから連れ回されている時にお話を伺って、マインテナの仕事の大変さを色々と教えられまして。旧帝国製の年代物は、部品の交換一つ取っても、高い技術力と相応の手間が要求されるものなのだと」
「そうですね。私も義母から、扱う時には決して気を抜かないようにと、常に厳しく言われましたよ。そのお陰で、今こうして仕事をやれているわけですが」
「……となれば、ですよ? その技術力をお借りするわけですから、やはり相応の対価は必要だろうと思いまして」
「なるほど。それで上乗せがあるかも知れないと」

 合点がいったという風に、マリーヴァが頷く。
 一方、クレリカールは恐縮した態度で頭を下げた。

「すみません。支払う側が口にしていい事ではないのは分かっているのですが……」
「別に構いませんよ。事実として、報酬を吹っ掛けるマインテナも、まれにいるそうなので」
「そ、そうなんですか!?」
「まあ、ただの噂ですけどね。本当に居るとすれば、そんな相手の無知に付け込むような真似をする卑劣な輩は、同業として恥ずかしく思いますし、他のマインテナがそんなペテンを許しません」
「もしもの時は、見抜く方法はあるんでしょうか?」
「報酬の相場についてであれば、魔法学院(※アカデミア)で『魔導機巧学』を最後まで修めた方であれば、ご存知かと」
「え、魔法学院では、そう言う事も教えているんですか?」
「教えているのは、担当の教授の趣味らしいですが」
「は、はあ……」
「まあ、そう言う事ですので。いざと言う時は、エリキトラさんにご相談されるのが宜しいかと思います。さて、と……」

 そこまで会話してから、ゆっくりとマリーヴァは立ち上がる。もう全てが終了したという雰囲気で。

「あれ? お帰りですか?」
「ええ。しっかりと報酬は頂きましたし、長へと挨拶をしてから一泊して、明日の朝早くの飛行船で帰宅する予定です」
「そうですか。可能であれば、もう少しゆっくりして頂きたかったのですが」
「すみません。お心遣いは嬉しいのですが、仕事に備えないといけないので。ですが、そうですね……」

 そこで一拍置いた彼女は、ふっと微笑む。

「次は、一般の観光客として、修繕の済んだ大時計塔を見に来たいと思います。それでは」

 そう言って一礼すると、マリーヴァは颯爽と応接室を後にし、長の屋敷へと別れの挨拶に向かった。彼女を見送ったクレリカールには、その背に、何か大きな決意のようなものが宿っているように感じられたのだった。

─────────────

 それから数日後。

「もう少し、打った方が良いかな? この角度で……」

 静かな、ただ静かな部屋から、優しく金属を叩く冷たい透き通った音が響く。
 部屋に幾つか存在する窓からは陽光が差し込んでおり、灯りの無い空間に程よい明るさと、響く音の冷たさを和らげる温かさを与えている。
 陽光に照らされた先に目を向けると、差し込んだ陽光を部屋中に広げるための何らかの機構が機能していることが分かり、その拡散された光によって、案外に広く作られている室内には様々な物が置かれていることを認識することが出来た。
 使い込まれた複数の作業台、新旧様々な工具類、そして無数の鉱石や木材などの、真新しい素材たち。
 その全てが、この工房で作業をしているマリーヴァの、マインテナとしての生活を支えている。

「壊れていた部品の大部分は交換で何とかできたし、動力源の『霊核』も何とか無事。なら後は、確認しながら組み立てるだけだね」

 彼女の目の前には、経年劣化だけでは説明のつかない程にボロボロになった、とある小型の魔導機巧に使う、金属部品が置かれている。彼女はそれを、防護用グローブをはめた手で専用の容器へと収納し、蓋を閉じた。
 そして、体を解すように大きく体を伸ばした。
 すると。

《カラン、カランカラン……》

 彼女の居る部屋の扉の向こう側から、来客を報せるドアベルの音が気持ちよく鳴り響いた。

「はーい! ただいま!」

 こうして今日も、マリーヴァの「マインテナ」としての腕を求めて客が訪れ、彼女の仕事が始まる。
 恐らく明日も、明後日も、その先も、それは続いていくことだろう。


    『魔導機巧のマインテナ 短編』 了。

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熱帯の記録



樹上を這う無数の黒い腕  名前もないのに
何処までも何処までも渡っていく 気配は
闇に溶けて 僕の咽喉を落ちる珈琲の熱だ

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ヌーヴォレ ビアンケ

ピアノが苦手で
どうしても弾くことができなかったぼくは
晴れた日に、とつぜん弾けるようになった

あの日、そういうことだと、きみがいって
そのとき、空がひかって
だからぼくは、今、とおくを見ながら
すこし短く、苦笑いをしている

この先もずっと
ときどきピアノを弾いたりする
あるいは弾かなかったりもする
それでも変わらずに
ながれていくものがあり
ながれていかないものが、目の前にある

雲がごうごうと鳴っている
もう二度といないきみは
しずかに窓のそばに立っている
ぼくはいつもなにかを言いたかった
けれどもう、ただ笑った

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没にするのが惜しかった

こういう雰囲気が好きで書いたのは良いけど、書いてみたら辻褄が合わないことに気が付いて二軍落ち? にした作品。時期的に今なので持ってきた。
個人的に気に入っては、いるんだよね。




*******




カップルの波に弾き出された。

右も左もクリスマスカラーで、
右手も左手も空っぽの僕が歩くのは
気が引けてしまう大通り。


それでもクリスマスっぽいイベントを
しておこうかな~なんて考えながら
うろうろしたけれど、
一度も利用したことのない洋菓子店とか
オシャレなカフェに入るには
ハードルが高すぎる日だった。

結局、
コンビニでケーキを買ったら
常連になりつつあるお店に
足が向いてしまう。

「いらっしゃいませ~。
お好きな席へどうぞ~」
「あの、持ち帰りを。
すき焼き風甘辛丼の並盛りと
サラダセットと――」




 題名『Silent Night』




フライドチキンが好みじゃ無くて、
夕飯を牛丼で済ませてしまった。

聖夜。
ギリギリ寒くない、
そんな冷たい部屋に籠もる。

テレビはどこもクリスマスの話題か、
ジングルジングル鳴っているベルの合間に
戦争の近況を挟むぐらいで、
興味をそそられる番組は無かった。

どちらも僕がいる部屋からは、
少し縁が遠すぎる。

つまんなすぎて、ひますぎて。
そんなキャラでもないんだけど、
コンビニでケーキを買った時に付いてきた
ペタッと短いロウソクに火を灯してみた。

ロウソクの先に火が乗っかると、
かすかに焦げた匂いが鼻をかすめる。

閉め切った部屋の真ん中で、
ぽつねんと立っている ともしび。

寄る辺のない一人きりの姿に
親近感が沸いてくる。

僕は息を殺しながら
身じろぎさえできない
真っ赤な火を見つめていた。

すると……。

目の前に少女が浮かび上がった。

「メリークリスマス」

小さな、小さな
人ならざる者の姿。

何者なのかわかんないけど、
僕より年下だってことは分かる。

「あなたに奇跡を与えに来たんだ」

まるで人形みたいに可愛らしい。

作り物めいた滑らかな肌を
作り物だと認識してしまったがために
存在しているのだという現実感を伴い始め、
これが夢かもしれないと
疑う気持ちさえ起きてこない。

子供みたいな背格好なのに
背中には大きな翼が生えていて、
優しげな目元は
まるで絵画にみる女神みたいな、
大人びた表情で微笑んでいる。

「あのね、わたしは見習い天使なの。
このキャンドルが消えるまで、
あなたの願いを聞いててあげる」


……天使、見習い。
その言い回しにピンときた。
これは叶えてくれないパターン。

「見習いだから聞くだけだけど。
でも、ちゃんと聞いててあげるから」

どうやら天使は
願いを叶えるには幼すぎるようだ。

まだ手つかずだった苺ケーキを
彼女の前にお供えして、
エコしてた暖房の設定温度を上げる。

少しずつ暖かくなっていく部屋。

蝋燭の火が消えるまでしゃべってた。
ず~っと愚痴を聞いててもらった。
お願い事もちょっとだけ話したかな?
だけど、ほとんど愚痴だったと思う。

それなのに、
大きな翼の小さな天使見習いは
微笑みながら 頷きながら、
静かに話を聞いててくれた。



願いを聞いててくれた代償として、
最後に約束をさせられた。
「大人になるまで、いい子でいてね」
って。

てのひらに乗るぐらいの
子供っぽい約束が、
天使見習いからのプレゼントだった。

聖夜らしく
ねだるよりも
祈りに近い。

静かな夜の
夢のお話。



知らないうちに寝ていたみたい。
起きれば見慣れた部屋、そして、僕。

25日は有名なのに、
24日で全部済ませてしまう僕たち。

朝日が昇れば
変わらない日常が明けてゆく。

溶けたロウソクの跡と
ふわっとした温かさの残る心が
今年の僕のクリスマスだった。







 Epilog(エピローグ)




「祝え。
今夜はクリスマスだ」

そう言って看守は、
乾いたパンと
水の入ったコップの他に、
火の付いた細いロウソクを
アルミトレイの上に転がした。

その火が消えないうちに、
慌ててロウソクを取り上げる。

もちろん、
ロウソク立てなんて気の利いた物は
ここにはない。

ロウソクの底を削り、
ひび割れた床の隙間に
差し込んで立てた。

何年も牢屋の中に居たけど、
クリスマスのイベントが開かれたのは
初めてだった。

こんな初体験は
味わいたくもなかったけれど。

塩気ばかりが強いパンを
噛みちぎりながら、
ゆらゆらと揺れる火を眺めていた。

すると……。

目の前に天使が浮かび上がってきた。

「いい子にしていましたか?」

見た目にも顔にも見覚えはなかったが、
声に覚えがある。
いつか会った小さな天使見習いだ。

俺は答えた。

「いい子にしてたさ」

嘘ではなかった。
前科が付いてしまったが、
自分では悪事を働いていないと
確かに思っている。

正しさの方向が
国の考えと異なっていただけで。

「いい子にしすぎて、
こんな所にぶち込まれてしまったよ」

皮肉交じりの言葉にも
彼女の微笑みは優しいままだった。

「私との約束を
守っていてくれていたのですね」

嬉しそうな声。
彼女が俺の何を知っているのかは
分からないが、

約束を守っていたという言葉を
頭から信じたらしい。

「ほら、見て下さい。
私も無事に大人になれました」

天使のくせに
牢屋の中でくるりと回る。

乱された風が踊る。
誘われて揺れる炎の光を受け、
白い翼の先がキラキラと輝いた。
子供の時に大きかった翼は、
身長に反比例するのか
今では小さな翼に変わっていた。

「約束を守ってくれましたから、
貴方の願いを叶えますね」
「……願い?
子供の頃に喋った話か?」
「はい」
「なんて言ってたかな? 俺。
愚痴しか言ってなかった気がするけど」
「ちゃんと願いを教えてくれましたよ?
『サークルのみんなでピクニックに行きたい』
と」
「……っ! ふはっ」

思わず変な笑いが出た。

「それなら叶っているじゃないか。
こうして、
みんなでここに居るんだから」

そう。
当時のサークルの連中は
まとめてここに、居る。
全員が収監されている。

そう答えると、
彼女は初めて悲しげな表情を見せた。

「貴方が
『もう願いは叶っている』
と答えるのなら
私はこのまま消えなければいけません」
「……」
「貴方の願いは叶いましたか?」

俺は一段、声を低くして言った。

「叶っていない。
誰が好き好んで
こんな所にピクニックに来たいんだよ」

その答えに満足したのか、
彼女は今までで1番素敵な笑顔を
浮かべてくれる。

「はい!
それでは貴方の願いを叶えましょう」

「どうやって?
俺もあんたも
鉄格子の内側にいるのに」

どうせなら、
牢屋の外側に
現れてくれれば良かったのに。

「簡単に諦めないで?
私に任せて下さい」

彼女が手をかざすと、
どういう手品か鉄格子の扉が開いた。

驚いて
恐る恐る扉の向こうに首を出してみる。
常時見回りしているはずの
看守の姿がない。

「誰も、居ないのか?」
「今だけ留守にしてもらいました。
さあ、急いで。
彼らが戻ってくる前に」

旧友たちの部屋を回って
俺が事情を説明している間に
次々と
彼女が鉄格子の鍵を開けていく。

彼女の仕草には
不思議になるぐらい
ためらいが感じられない。

一応、
ここは悪人を閉じ込めておくための
檻なのだが。

彼女の心境が気になって、
背中越しに聞いてみることにした。

「随分と気軽に開けていくんだな」
「おかしいですか?」
「おかしくはないけど、
あー、ここは牢屋、だから」
「そうですね」

どこか楽しそうな含みを感じる。

おかしい。
彼女は天使と名乗っていたはずだ。
そして、俺たちの罪は宗教がらみの物。
神の使いである天使から見れば、
俺たちは悪人であるはず。

敵対することはあっても
共闘などするだろうか?

おぼろげに沸いて出てきた疑問は
思いがけず
核心を突くことになるかもしれない。

確証こそないものの
推測だけならできるだろう。
今日はクリスマスだ。
クリスマスに
奇跡のプレゼントと言ったら、
それなら相手は……。

「なあ、
あんたの姿は確かに天使だ。
だが、その正体は――」

「静かに」

彼女は振り向きざまに
俺の唇を指で塞ぐと
耳元で囁いてくる。

「今夜は
Silent Night
ですよ」






おしまい。




ちとせもり の みちしるべ(ジャンル別一覧ページに飛びます)
  

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涙の聲

雪の内に 春はきにけり
鶯の こほれる涙 今やとくらむ
とや古のひと詠みてより 日を重ね
谷のかげ
氷は消えず 水はまだ 音を立てねば
枝にゐる 鶯のこゑおとづれず
春の名のみそ行きかへり
花をりの 空やはらぎて
光のみ先だちぬれど
声のほど 知るすべもなく 時は過ぎ
今もなほ
解くと知られぬ
まゝにぞありける


 


 本歌は、春の到来がすでに言い切られているにもかかわらず、氷の融解や鶯の声といった出来事が成立しない状態を、長い時間の経過の中で反復的に描いている。春は来ているが、世界はそれに応答しない。その応答の欠如は、感情や象徴としてではなく、語の表記や文法のあり方そのものによって支えられている。
 春の到来は冒頭で「来にけり」と明確に言い切られている。「来」に完了の助動詞「ぬ」、さらに過去/詠嘆の「けり」が接続しており、文法的には、出来事はすでに成立している。この確定性は揺るがない。
 しかし、歌の内部では、その到来を裏づけるはずの出来事がことごとく起こらない。氷は消えず、水は動かず、鶯は鳴かず、涙もまた変化に至らない。春は来てしまっているにもかかわらず、春的な出来事は何ひとつ起きていない。
 この停滞は、まず表記の水準に現れる。「こほれる」は仮名で書かれており、「凍れる」「毀れる」「溢れる」という異なる語義を同時に許す。ここでは、どの語義を選ぶかという判断そのものが要請されていない。語義はいずれも呼び起こされるが、最後まで到達しない。仮名表記は、意味を曖昧にするための便法ではなく、出来事が完遂されない状態を保持するための条件として機能している。
 同様の構造は、文法の水準にも見られる。結句に置かれた「知られぬ」は、動詞「知る」の未然形「知ら」に助動詞「る」が接続し、その上に助動詞「ぬ」が重なった形である。このとき、助動詞「る」が未然形として解されるか、連用形として解されるかによって、後続する「ぬ」の機能が分岐する。
 すなわち、「る」を未然形と取れば、「ぬ」は否定の助動詞「ず」の連体形となり、「(人に)知られていない」「(自ずと)知られない」という意味が成立する。一方、「る」を連用形と取れば、「ぬ」は完了の助動詞となり、「(人に)知られてしまった」「(自ずと)知れてしまった」という意味が成立する。いずれの解釈も文法的に正しく、語形そのものからは、どちらか一方を排除することができない。
 その結果、「知られぬ」という一つの語形の中に、知ることがいまだ成立していない状態と、すでに成立してしまった状態とが同時に圧縮される。意味は一義に定まらないが、ここで問題となっているのは、単なる意味の曖昧さではない。知る、という出来事そのものが、成立の途中に置かれ、完結に至ることを拒まれている点である。
 否定として読めば、知はまだ訪れていない。完了として読めば、知はすでに訪れてしまっている。しかし、いずれの場合にも、ひとは「知らない者」としても、「知ってしまった者」としても確定されない。ここで語られているのは知の可否ではなく、完結しない知に類する。
 推量表現「今やとくらむ」もまた、この時間の緊張を別の角度から支えている。「らむ」は現在から判断の留保を含む推量語であるが、その前に置かれた係助詞「や」に注目した。上代語において「や」は、必ずしも疑問を表す語ではなく、事態の断定表明として強く機能しうる係助詞であった。本来は文末に置かれ、語調を確定的に引き締めるこの助詞が、文中に入り、連体形を要求することで、結びの力を保持したまま配置されている。
 その結果、「今や」は出来事を単に現在へと近づけるのではなく、出来事がすでに成立しているかのような切迫を文の内部に生じさせる。この確信を帯びた表明が「らむ」という推量と結びつくとき、判断は弱められる方向へは動かない。むしろ、確信と推量とが同一箇所に重ねられることで、出来事は成立寸前まで引き寄せられ、そのまま確定に至らずに停止する。
 涙について起きているのも、同じ停止である。涙は流れ始めているようで、完了しない。凍っているとも、毀れているとも、溢れているとも言えるが、いずれにも決定されない。涙は感情の象徴としてではなく、出来事が完結しない相そのものとして配置されている。
 この長歌は、藤原高子歌に含まれる表記上・文法上の緊張への応答として構成した。高子歌において、「こほれる」が凍結・毀損・溢出という複数の語義を同時に許し、「今やーらむ」が確信と推量とを重ね合わせて出来事の成立を宙づりにしているのに対し、結句において、「(今もなほ)解くと知られぬ」という否定と完了の両義を含む統語句を用いることで、出来事が完結しない状態を文法的に引き受けた。ここで行いたかったのは、詩的緊張そのものへの応答である。

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トラロープ

林道は人の手が入らなくなると、10年もすれば自然に還る
土砂崩れ、決壊、陥没、崩落、およそ車はいけなくなり
おバカな源流野郎たちしか行けないような道になるのだ

崩落した林道をいくときは、トラロープを張る
トラロープというのは、よく駐車場にはってある黄色と黒のロープだ
安く強いので源流野郎は愛用する
ナイロンザイルは高すぎるんだ

トラロープは滑りやすい
結んでコブをつける
崩落した斜面は蟻地獄のようで
足をすべらせれば谷底までストレート150m滑落だ

仲間の差し出すトラロープに命を託す
そして仲間にトラロープを出す
お互いの命はこの駐車場のナイロンロープにかかっているんだ

トラロープにグンっと体重をのせる
安いロープはザイルみたいに収縮しない
重みが一気にかかってくる
仲間の命 そして信頼

この瞬間を知ってしまうともう社会にはもどれない
ビジネスごときには
命を託す 託される関係なんか
決してないんだ 存在しないんだ

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係長、立つ!

やってられっか こん畜生め
ここで立たぬは 社畜の証明
この手繰り出す 破竹の掌底
三十六計、ほな失敬
『係長、立つ』

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目撃証言

あの日のことはえっと
あまり話したくはないのだけど
どこから話せばよいでしょうか



あの日はたしか 午前中の授業が終わって
あたしたちは給食の準備をしていました
デザートにアイスクリームが出たので
みんな かなり嬉しそうにはしゃいだりして
マイちゃんとメイちゃんがいないことには
誰も気づいてませんでした


突然 大きな悲鳴のような叫び声が聞こえてきました
普段は使われていない 空き教室からでした


先生が慌てて教室を飛び出していきました
あたしたちには静かに待っているよう云っていましたが
あたしたちも先生を追ってついていきました


空き教室のドアを開けると
息を切らしたように荒く呼吸するマイちゃんがいました
よく見ると手にはカッターナイフを握っていて
刃先から赤いものが ポタポタとこぼれ落ちていました
床を見ると 首から大量出血して倒れているメイちゃんの姿が


一体これはなんなのか なにがどうなっているのか
あたしたちにはまったく理解が追いつかず
ただただ恐ろしくて 恐ろしくって
アタマが真っ白になってしまっていました


先生は とりあえずみんなは教室に戻るよう云い
すぐに119番へ救急車を呼び
メイちゃんの首もとの傷口をタオルで必死に止血しようとしてました
そして 息荒く立ち尽くしているマイちゃんにも
大丈夫だから 大丈夫だからと優しく
それでも 一体なにがあったのかと訊ねました
マイちゃんはよくわからない
コトバにもならないようなうわ言を
嗚咽のように漏らしているばかりでした



ほどなく救急車が来て メイちゃんは運ばれていきました



救急車で運ばれていくメイちゃんを見ながら

  ハァハァハァ、アタシは悪くないもん
  だってメイちゃんが、メイちゃんが先に。。。ハァハァハァ

マイちゃんはそう呟き続けていました




仲良しだったんです
マイちゃんとメイちゃんと
それからあたしと
3人いつも一緒で
バスケットボールクラブにも入ってて
マイちゃんはドリブルがめちゃくちゃうまくて
メイちゃんはシュートを入れるのがめちゃ得意で
あたしは大体いつも ふたりにボールをパスする役割で



マイちゃんは真面目で頭もよくって
負けず嫌いなとこもあったけど 
とにかくなんでも一生懸命で
パソコンとかプログラミング?
そういうのにもめっちゃ詳しくって


3人で交換日記とかもしたりもしてました
かわいいノートとか日記帳やシールなんかを見つけては
3人でキャーキャー云いながら
日記の内容のほとんどは 今日あった出来事とか
好きな芸能人やテレビ番組の話とか
クラスで好きな男の子はいるかとか
絵を描くのが好きなメイちゃんが
自作のマンガを描いてきたり
でもマイちゃんはときどき
同い年と思えないほどに生きるとか死ぬとか
人間は死んだらどうなるのかな とか
なんてむずかしい話を 真面目に描いてたりして
あたしとメイちゃんはただただ顔を見合わせるしか出来なかったり




本当に 本当に3人仲が良かったんです
だけど




マイちゃんにはちょっとめんどくさいというか
嫉妬深い 違うな 人を疑り深い というのか 
大袈裟なくらいにすぐにフキゲンを撒き散らすところが
あったことはありました
あたしとメイちゃんとふたりで話してたりすると
その日の日記に 仲間外れにされたとか
ふたりしてわたしの悪口云ってたんでしょ
そんなこと云ってないよって云っても全然ダメで
だからふたりで話したいときは
出来るだけマイちゃんの見えないところでするようにしたり




いつの日からだったか マイちゃんが自分のホームページに
ヒドイ書き込みがされたらしく
マイちゃんは メイちゃんの仕業に違いないって
勝手にそう決めつけてしまって
一度そんなふうになってしまうと
マイちゃんはもう 感情を抑えきれなくなっちゃって
それからかな マイちゃんがあたしたちの知らない
マイちゃんに変わっていったような気がしたのは


あたしたちともあんまり話さないようになったし
あんなに一生懸命だったバスケにも
あまり顔を出さなくなったり


マイちゃんは 基本根が真面目だから
きっとひとりで抱え込んで悩んでしまってたんだと思う
あんまり詳しいことまでは知らないけど
お父さんが怪我で働けない状態だとか
お母さんが昼夜問わず働いてるとか
単なる噂で
誰かが面白おかしく喋ってるだけかもしれないけど



マイちゃんがあんまりにもあたしたちバカにしたりするから
だんだん一緒にいるのがイヤになっちゃって
だからなんとなくだんだん疎遠になって


マイちゃんはそれからもずっと
メイちゃんがマイちゃんの悪口云ってる 
攻撃してるって信じこんじゃってたみたいで
メイちゃんのホームページに勝手に侵入して荒らしてみたり
悪口書き込んでは嫌がらせめいたことをしていたらしい



いつの間にか マイちゃんはクラスでひとりぼっちになっていた



あの日 マイちゃんは
明確な意思を持って メイちゃんを呼び出したらしい



マイちゃん
マイちゃんが苦しんでいたのに
気づかなかったあたしたちも 
きっと悪いかもしれない
ネット上に存在している 
どこの誰かもわからない名無しの権兵衛が
マイちゃんの柔く繊細な心を 
深く傷つけていたのに
なにも出来なくって
友だちだったのに
ゴメンね 本当にゴメンね


けどさマイちゃん
その名無しの権兵衛はメイちゃんなんかじゃ
断じてないよ
メイちゃんは決して 人を無自覚に傷つけるような
そんな人間じゃなかったはずだよ
あたしたち いつも一緒にいたじゃん
一体なにを見てたんだろうね
マイちゃんだけを責めてるわけじゃないんだよ
あたしにしてもメイちゃんにしても きっと同じ
友だちと云っても 一人ひとり持ってるフィルターは違ってたんだよね



たった12歳で この世を去らなければならなくなったメイちゃん
たった12歳で 
ひとを 
友だちを殺めてしまったマイちゃん



一緒にバスケして 一緒にゲームして
一緒に宿題して わからないところは
マイちゃんがいつも教えてくれて
一緒に交換日記して 好きな芸能人や男の子の話で盛り上がって
帰り道の途中でアイス買って食べたり
休みの日には一緒に出掛けてプリクラ撮ったりカラオケ行ったり
クレープ食べに行ったりさ



そういうの そういうこと
もう二度と出来なくなっちゃったんだよ




マイちゃん
あの日 メイちゃんを刺したあの日
多分 マイちゃんも死んでしまったのでしょう
生きてはいるけど
魂が きっと死んでしまったのでしょう
いやもしかしたら あの日マイちゃんは
マイちゃん自身を刺し殺してしまいたかったのかもしれない



人間は 死んだらどうなるのかな
マイちゃんは どうなってしまうのかな




あの日なにが起きたのか なにがあったのか
ごめんなさい
あたしにも 未だよくわかっていない
整理もなにも ついていないのです


ひとつだけ あたしになにか云えることがあるとするなら
あたしはやっぱり マイちゃんがしたこと してしまったこと
多分これからも一生 許さない許せない


メイちゃんが生きるはずだったミライを
あの日 壊れてしまったあたしの人生を


まるごと全部 返してほしい


あたしが云えるのは
ただ それだけです





☆★☆***★☆★***☆★☆***★☆★***☆★☆

人が人を殺める
それを誰かが目撃してしまう

誰の人生も、きっとすべてが一変してしまう
魂の殺人、とは、そういうことなのでしょう









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新しい明日

白い壁のタイルを 一枚一枚
黒く 塗りつぶすようにして
私は 内部から黒ずんでいった
自らそう望んだかのように

黒いインクの汚れを落とすように
清掃員のやさしく 入念であって
やわらかな手付で 黒い壁のタイルを
一枚一枚 洗ってゆかねばならない

自らを傷つけ 責め苛むことは
もうしなくていいと 自らの手で
壁を汚す自らの手を包んだときに

私の明日がひらけていった
雲のない よく晴れた
今までとは違う明日が


(2025.12.18)

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「なろう系異世界転生ファンタジー」としてのクリエイティブ・ライティング

あれはまだ私が山城ババ先生と呼ばれていた頃の話である。気に入らない生徒にアッパーカットを喰らわし、顎を粉砕骨折させたというただそれだけの理由で、信じられないだろうが本当にただそれだけの理由で、当時、私は社会的糾弾を受けていたのである。毎日のように職員室に苦情の電話が入り、名指しで罵詈雑言を浴びせられる日々を過ごしていた。まったくもって忌々しい不信の時代である。


そもそも、現代の子供たちは宿命を持たない。せいぜい高々、親ガチャに失敗しただの、勉強が苦手だの、その程度の宿命しかない子供たちが、人生に支点を見出すことは難しい。根無し草のように、どこまで行っても満足することを知らない不幸な子供たちに、圧倒的に不条理な暴力を味わわせ、障がいを負わせる。これ以上に慈悲深い教育的措置はないことくらい、人生を知悉する人間なら誰もが理解できるはずだ。


時折、うちの子供に障がいを負わせるなんて、と金切り声をあげるモンスターペアレンツもいるが、「障がい者に対してこの上なく差別心があります」と絶叫しているのと同義であることにさえ気づいていない。お前さんの脳にこそ障がいがあると考えてはどうか。だいたい、障がいがあったから何だというのか。人間など所詮、全員が障がい者である。そのような認識に至れるのであれば、顎が折れるくらい、どうということはない。


しかし、世知辛く、表層的なリベラルばかりが持ち上げられる時代である。苦情電話にとどまらず、インターネットでは、しつこく私を糾弾し、指弾し、誹謗中傷する声が雪だるま式に増えていった。山城ババ先生という異常者がいる、と最初から結論を決めたうえで語る者ばかりである。卑劣な匿名アカウントが、正義の名のもとに私の人格を分解し、再構築し、断罪していく。


反社勢力と繋がっている、フリーマーケットで暴力事件を起こした──虚実が入り混じった情報が、まとめサイト、SNS、掲示板を巡回し、ついには「山城ババWiki」なるものまで作られた。出典はすべて「ネットの声」である。この種の言葉の暴力には、法的措置を講じる必要がある。言葉の暴力には、私は断固、反対の立場なのだ。「障害者」ではなく「障がい者」と書いていることからも分かる通り、元来、私は教育者として良識的な言語利用を推奨している。


私は誹謗中傷に対して開示請求を仄めかす投稿をした。するとその投稿自体がスクリーンショットされ、「脅迫教師」「権力による封殺」などの見出し付きで拡散された。その誹謗を批判すると、今度は私の投稿に対する開示請求がある。さらにそれを笑う投稿が生まれ、「山城ババ、また発狂」「効いてる効いてる」といった書き込みが連なっていく。批判に対して批判をし、またその批判に応答し、気がつけば、保護者でも生徒でもない、正体不明の人々と私は戦っていた。


いつしかネットは炎上が常態化し、戦線は際限なく拡大していった。そもそも、この法的措置を絡めた批判合戦は何を守るためのものなのか。正義か、子供か、言論か。私は答えが見えないまま、ひたすらに戦線を拡大し、開示請求の書類を量産する日々を送っていた。


そんなある日のことだ。生徒の田伏正雄(すなわち、まーくん)が私の元にやってきて、「先生、殴ってあげましょうか」と囁いたのである。まーくんの暗い瞳。その言葉の意味を、私は痛いほど理解できた。誹謗に対する誹謗、開示請求に対する開示請求。無限に反復される正義の応酬。その輪廻に絡みとられた私に、支点となる痛みを与えること。それが彼なりの処方箋だったのだろう。中学生ながら、まーくんの慧眼は特筆に値する。


しかし、私はベテラン教師である。まーくんに殴られては沽券に関わる。それに私は、インフルエンザの予防接種さえ怖くて受けられないほど、痛みに弱い人間なのである。しかも、まーくんは身長190センチ、体重150キロの巨漢だ。彼に殴られれば、不具の体になる可能性が高い。何としてでも、それだけは避けたい。そこで私はこう言ったのである。「殴る理由を、まず作文にして提出しなさい。」


まーくんは、しばし無言で立ち尽くした。おそらく彼は、暴力について深く考えたことがない。しかし、考えたことがないからこそ、考えねばならない瞬間に立ち会ったのだ。私は教育者として誇らしく思った。暴力の企図を言語化させる強制は、暴力そのものより暴力的と言える。大人の知恵を使って、言語によって暴力を封殺する。まさしく、ペンは剣よりも強し、である。


翌朝、まーくんは一枚の紙を持って私の机の前に立った。作文にはこう書かれていた。「ボクは先生を殴りたいと思ったので殴りたいです。」
私は戦慄した。完全なる因果の放棄。この作文は議論を寄せ付けない。理由の形式をとりながら、あらゆる理由を拒絶する文章である。私の脳裏には「先生は殴られたくないと思ったので、殴らないでください」という文言が一瞬浮かんだが、それを発することはなかった。その言葉には意味がないからだ。


暴力とはすなわち暴力である。それ以外に言いようがない。相手の考えに関わらず一方的に行使するからこそ暴力なのである。その本質を考えれば、私が暴力を受けたいかどうかは問題ではなかった。まーくんが殴りたいと思った。それだけで暴力は成立する。まーくんはそういう話をしている。


──ここまでは、すべて現実の出来事である。
だが、この作文を読んだ瞬間から、私は世界の輪郭がわずかに歪み始めたのを感じていた。時間割の表は呪符の配列のように見え、チャイムの音は、どこか遠い世界で鳴る鐘のように響いた。教室の空気そのものが、炎上スレッドのように薄く、乾き、めくれやすくなっていった。


殴られた瞬間の痛みについて、詳しくは書かない。重要なのはその後である。拳が私の顔面に触れた刹那、私は見てはいけないものを見た。教室の床が裂け、その下に、幾重にも折り重なった世界の層が見えた。法、倫理、教育、言論。それらがすべて同じ厚みで積層され、各々が勇者や魔王の形を借りて、互いに殴り合っていたのである。


ここで私に啓示が訪れた。宿命とは、生まれながらに与えられる物語ではない。宿命とは、「正しさをめぐる争い」に強制参加させられることである。私が垣間見た異世界の中では、あらゆるものがまず正義の立場に転生し、勇者を名乗り、魔王を告発し、都合が悪くなれば魔王になり、また勇者へ戻る。そうして互いに立場を乗り換えながら、延々と戦いを続けている。戦いが目的なのか、正しさが目的なのか、もはや誰にも分からない。


それ以降のことは、もはや語るつもりはない。まーくんはやがて私の前から姿を消した。だが私は知っている。彼は今もどこかで拳を握り、誰かを殴り続けていることを。宿命なき時代に、宿命という構造そのものを可視化する、最低にして最も誠実な、あたらしい救世主として。

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しわぶき

夢密か
落涙の夜の奥で
灯りを見つけられたらいいな 

力抜けた葦が 
まるで自分らしくない 
不安 
真夜中のしわぶきに 
意に介さぬ人になりたいと 
願い密か 
きっと空には星が 
輝いているのだろう

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落とし物

丘の上に立ち眼下の港を見ていたら
ポケットから流れ星ころころ転がって
ガードレールを越えて空に落ちた
港が海に映えるから
空は明るくて僕の流れ星を探せない
仕方なく翼を広げて舞い上がり
明日以降は戻らないつもりで
夜空の星の海へ
港ではない宇宙ステーションが
夜の星の海に映えている
僕はそれをよけて
星を探しに行くのです

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羽化登仙

変われなかった 変われなかったんだ さむい 靴下がない 全部わたしがわるいから お願い 怒らないで  羽化は いつもうまくいかない 私が先に蝶になっても、黙っていてね。殻を破って、翅の伸張が終わる夜明けまで 待っていてください。
 ……
すこしげんきをだすぞ 頭が痛くて やる気が出な、ない。酒をたくさん飲み込んで、どこかに飛んだら病院にいた。また気付いたら家にいた。今から寝ゲロした自分を殺しにいく。そしてトイレや袋にちゃんと吐いた自分を抱きしめる。枕とシーツに吐いてしまって 今からシャワーも浴びなきゃ 荷物もほどいてご飯を食べてお絵描きでもしようか 

くそ クソ クソだよ全部 なんで生きてるんだよ 死にたいんだってば 死のうとしてる度に多方面に迷惑かけて嫌われる 無駄に自分の価値と金と時間を消費する。もう殺してください。

もう、もうぼくはひとり土の中は嫌だな。空を綺麗な羽で飛びたい!羽化 しなきゃ そろそろ羽化のじかん。サナギのなかはどろどろしていて、なんだか見覚えがあったな。それではお先に失礼します。

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一望千里

どこかに行きたくなる時があります。何かが怖くて不安になって、何処か、何処かへ無性に行かなくちゃという気持ちになります。汗と動悸が止まらず、深夜に家を飛び出して走り出し、公園で座り込み下を向いて、頭を抱えて泣くのが最近の日課です。

海を見ると死にたくなるし、死にたい時に海に行きたいと思います。実際死にたい時にそんな気力はなくて海には行けません。ですがどうしても海を見たいのです。だからなのか、そういう気持ちでない時海を見ると死にたくなるのです。

私は一体何処に行きたいのでしょうか。ある日、体は元気なのに脳はどうしようもなく死にたくて絶望をしていました。何処か、何処か。何処かへ行かなければ。私が知らないだけできっと行きたい所がある。

気付いたら海にいました。

私の足は冷たい海に浸かっていて、波に攫われ転倒しました。ガッカリしました。私は何処かへ行きたかったのではなく、何処かへ行ってしまいたかったのです。尊敬していた先生と2人きりで話す時間、もういない友達と夜に渋谷でプリクラを撮った瞬間、亡くなったおじいちゃんと犬と散歩に行った道。私は周りの人が未来に進んでいく中、ひとりで過去に執着をして毎日現実から逃げています。海にすべてを飲み込んでほしいと思い、じっと波を眺めました。死んだクラゲがふよふよ浮いていたので、家に帰りました。


その日から、あの日に帰りたいと思った時は海に行くようにしています。きっと心が疲弊してるんだと思います。なんだか心が落ち着きます。
私は今、海にいます。

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君が息づく夜を待ちて

灯の尽きなんとする部屋にて
わが身ひそやかに、君の名を胸に置く
歓声の彼方にて剣揮う姿
遠き篝火のごとく思い浮かべながら

君歩む道、暁の光明へと続かんことを
血に泥濘む路の果て、名を刻んでなお
君の心にわが身あらば、そは静けき奇跡

命の火、絶えぬよう夜毎、祈り重ねる
勝ち名乗りより、君息づきて戻ることをこそ
わが身、こころ満たすもの

望み多くなし。粗末なる家にてもよし
雨だれの音聞き、共に老いゆけるなら、
それにて心は足る

薄布揺らす風に胸の奥、ふと疼く
この街の男らに抱かれども、
心は誰にも触れられぬところにて
ただひたすらに、君の傍らにありき

君の灯は、わが常夜照らす唯一の光
消えなんとして消えず、呼ばれるよう
幾度も同じ夢へと、永劫に還りゆく炎

ただ、生きて戻り給え
その願い、声なく抱きしめる
君無事ならば、如何なる未来をも恐れじ

君が剣を置く日まで
わが身、ここに至りて静かに待つ
君息づく夜を、祈り、焦がれ歌いつつ

(了)

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デジタル遺物としてのわたし(断章)

わたしの肌で跳ね返った月光は、
硝子球の奥でひとつの像へと収束し、
CCDの上に静かに沈殿する。

光子が触れ、
電子が跳ね、
その微かな衝突の記録だけが、
わたしの存在を語ろうとする。
だが、
その像はまだ観測されない。
誰の目にも触れず、
誰の評価にも晒されず、
ただ、未確定のまま保存されている。

わたしはそこに写っている。
しかし、
わたしはそこに写っていない。

観測されないデータは、
わたしの可能性を閉じず、
わたしの輪郭を決めず、
ただ「あり得るわたし」を抱き続ける。

そのデジタルの遺物は、
わたしの姿でありながら、
わたしの姿ではない。

秘仏のように封じられた自己は、
量子のように揺らぎ続け、
誰にも触れられないまま、
しかし確かに存在している。

わたしは、
観測されない光の中で、
静かに息をしている。

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 4

オゼイユ 




一〇時半。制服をロッカーに押し込み、拓次は「中抜け」という名の空白へ放り出される。 昼に一度帰宅し、一五時に再出勤、そこから深夜まで。労働基準法の隙間を縫うようなこの勤務体系を、婚活アプリの彼女たちが知れば「ブラック」と断じ、即座にブロックするだろう。

だが、拓次は思う。彼女たちこそ、職場のグループLINEに常時接続され、既読の速度まで監視し合うデジタルなタコ部屋に住んでいるではないか、と。自分の時間をコントロールできていないのはどっちだ。そんな悪態は、日差しの強いアスファルトに吐き捨てた。

地元のスーパーマーケット「食品館」の天井は、剥き出しの鉄骨が肋骨のように並んでいる。 拓次は地場野菜コーナーへ向かう。規格外、泥付き、形がいびつな野菜たち。袋詰めされた「顔のない」業務野菜とは違う、土の匂いがするそれらをカゴに入れ、鮮魚コーナーでチリ産の養殖銀鮭を手に取った。特売シールが貼られた、脂の乗った安価な切り身。これでいい。いや、これがいい。

アパートへの帰り道、拓次は川沿いの土手で自転車を止めた。 誰も見向きもしない雑草の中に、目当ての葉を見つける。スイバ。噛むと酸っぱい、ただの野草。だが、拓次の目には、それは「オゼイユ」として映っている。

アパートのドアを開け、重い靴を脱ぐ。 六畳一間のこの部屋で、キッチンだけが異様な存在感を放っている。備え付けのIHヒーターの上に板を渡し、その上に据え付けた、業務用のハイカロリーバーナー。ここだけが、拓次の聖域だ。

摘んできたスイバを洗い、バターでソテーする。鮮やかな緑色が熱でくすんでいく瞬間に、生クリームを注ぐ。立ち昇る香り。 ――トロワグロのスペシャリテ、サーモンのオゼイユ風。 かつて東京のホテルで修行していた頃、畏怖の対象だった「親方」が教えてくれた味だ。休憩時間にボロボロのフランス語の料理書を読んでいた、背中の広い人だった。 『いいか拓次、酸味だ。酸味が脂を切るんじゃない。酸味が脂を御するんだ』 親方の声が、換気扇の音に混じる。

拓次はフライパンを火にかける。テフロンではない、使い込まれた鉄のパン。 低温調理機を使えば、誰でも失敗なく「しっとり」とは仕上げられる。だが、それでは駄目だ。拓次が求めているのは、熱源との対話だ。秒単位のコントロール。 指先で鮭の弾力を確かめる。表面は香ばしく、しかし中は決してナマではない。火は通っているが、凝固する手前の、芯の1ミリだけが艶めかしく生の記憶を留めている状態。

「……ここだ」

火から下ろす。余熱計算は完璧だ。 皿にオゼイユのソースを敷き、その上に鮭を置く。ピンクと淡いグリーンのコントラスト。一口食べれば、強烈な酸味と鮭の脂が口の中で爆発し、そして融合する。 スーパーの安売り鮭と、土手の雑草。それが今、この瞬間だけは、三ツ星の味に昇華されていた。

バイブ音が、その静寂を引き裂く。 『次いつ会えますか? お店決めてくれました?』 事務職・三十六歳。

現実に引き戻された拓次は、スマホの画面を睨む。 店選び。彼女はきっと、メニューを見ても何を選んでいいかわからない。ソムリエが来れば委縮するか、あるいは知ったかぶりをして恥をかくだろう。 ――ペアリングのコースがある店にしよう。 そうすれば、彼女は何も考えずに済み、俺も彼女のちぐはぐなオーダーにイラつかずに済む。彼女を守るためではない。自分の領域を侵されないための防衛線。

「週末、いい店予約しておきます」

送信ボタンを押し、拓次はフローリングの床に大の字に寝転がった。 天井のシミが、日本地図の形に見える。 口の中には、まだオゼイユの高貴な酸味が残っているのに、胃のあたりは鉛のように重い。

東京での修行、親方の背中、そして今の袋切りの毎日。 「……俺は、ここまでしか来れない人間だったのか」 吐き出した息は、ため息というより、タイヤから空気が抜ける音に似ていた。 一五時まで、あと二時間。仮眠を取らなければ、夜の営業で身体が持たない。拓次は目を閉じ、泥のような眠りへと落ちていった。

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朝食 

拓次の一日は、鏡の前で深くカミソリを走らせることから始まる。

顎のラインに沿って、青白く光る刃が産毛の一本までを絶っていく。調理師としての清潔感を保つためというより、自分の輪郭を「正社員」という社会的な型に押し込める儀式に近い。婚活アプリのプロフに並ぶ「勤続十年、正社員」という文字。それが、この地方都市で彼という個体を維持するための唯一の生命線であることを、彼は鏡の中の自分を見るたびに再確認する。

一 拓次が厨房に入ったとき、朝食の流れはすでに決定事項としてそこに存在していた。

ホワイトボードから名前が一つ消えている。誰かが辞め、その穴を誰かが埋める。説明も感傷もなく、ただ欠員という「事象」だけが処理を待っている。 上着を掛け、熱い湯を流して手を洗う。指先のタコはもう熱を感じない。煮物、きんぴら、茄子の煮浸し。湯煎機の前で、同じ向きに並ぶ業務用食材の袋を、拓次は無心で手に取った。

はさみを入れる。切り口を揃える。絞り出す。 かつて包丁を握り、素材の声を聴いていた手のひらは、いまやプラスチックの感触しか記憶していない。考えない。考えないほうが、手は正確なクロック数を刻む。
調理補助が決められた手順に従って、絹さやや鷹の爪を煮物に散らし、大皿をオモテに運んでいく。素材は、料理の顔をして並ぶ。

揚げ場に回り、冷凍のポテトと魚フライをフライヤーにセットする。かつては高度な技能がいった揚げ物は、いまや一番簡単な工程だ。
 拓次はふと、一瞬だけ視線を泳がせ、予定より多くフライを投入した。本来なら「廃棄」という名の罪悪感が生じるはずのその行為が、いまの拓次にとっては唯一、自分の意志で火を扱っているという密かな手応えになっていた。

ポケットのスマホが、不機嫌なバイブ音を立てる。 画面には、婚活アプリで繋がった「事務職・三十六歳」の女性からのメッセージ。 『おはようございます。シフト変更ですね。もうチーフなんだから、もっと自分の仕事をコントロールできないんですか?』 彼女たちは、人生をExcelのシートのように管理したがる。予定、効率、説明。拓次は、油の跳ねる音を聞きながら、彼女の言葉を脳内の「ゴミ箱」へスライドさせる。

「人が足りなくて」

それだけを打ち、画面を伏せる。こんな人しかマッチングしない。正社員でなくなったらどうなるのか。それを考えるだけで崩れ落ちそうになる。

七時半を過ぎ、会場の熱気が上がった頃、マリアが顔を出した。後ろにはアユとリナ。清掃の制服を着た彼女たちは、査定も管理も、ここでの序列も一切持ち込まない。

「タクジ、きょう、なにか残る?」

マリアの屈託のない笑顔に、拓次の強張っていた肩の筋肉がわずかに緩む。 

「フライ多めに出るよ。ウインナーも。」 

 三人は「オーケー!」と小さく跳ねる。

拓次は少し多めのウインナーを一度ボイルし、皮が破れないように火加減を見ながら、油の少ないフライパンで静かに転がすように炒めた。フィリピン出身のマリアやアユが好きなそのやり方は、アルバイトの調理補助がやるとウインナーが破裂して肉汁を逃がしてしまうが、拓次の手では、最後まで張りを保ったまま仕上がるのだ。

この日の朝食で、唯一の、料理。
業務用食材を盛り付けるのは、料理とはいわない。


九時前、最後の客が去る。 拓次は手早く残りを取り分け、小さな容器に詰める。マリアたちが戻り、それを受け取る。短い笑顔の交換。言葉は少なくても、彼女たちの手のぬくもりや、彼女たちの身体にしみつく、柔軟剤や芳香剤のにおい、そして異国のスパイスのにおいが、拓次に「自分もまだ生きている」という感触を思い出させる。

九時半。食器の音が止み、会場が静まり返る。 朝食は終わった
きんぴらや茄子の煮浸しは大量に残ったが、これは原価が安いから、いい廃棄。
コストの高いミニトマトはそれほど残らず、非常によい。
彼は再び、カミソリの跡が残る顎をなぞって、清潔感を保つために制汗剤をスプレーした。
全身がひんやりとする。

正社員という名の鎖。管理される日々。 それでも、マリアたちに手渡したあのフライやウインナーの温かさだけが、明日もこの厨房に立ち、深く顔を剃り、袋を切り続けるための、唯一の動機だった。

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わたしと読書

小説を読んでも、詩を読んでも、筋書きより「これを書いた人」のことばかり気になってしまう。

メシ食ったか? ちゃんと寝てるか? なんか悩んでるのか? 悔いはないか?
そう想像する時間が一番たのしい。 予想が当たった瞬間が面白い。

本当は、書き手の影が見えないのが「よい文章」らしい。 読み手を物語に没入させるのが、優れた技術だという。
だとしたら、わたしは本を読むのに向いていない。 天才が作った完璧な世界よりも、文章のなかにに残された人間臭い「指紋」や「生活の跡」の方を愛してしまう。

ここに作品がある。 これを書いた人間が、確かに生きていた。 それ以外の真実はないじゃないか、とさえ思う。
これは行儀の悪い読み方かもしれないけれど、 わたしは今日も、ページの外にいる作者のことを気にしている。

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魔導機巧のマインテナ 短編2:ミシェルの話 置時計の依頼・Ⅲ


 それからのミシェルは、五日ほどの時間を掛けて、日々こなしている業務や研究、時計や供給機などの魔導機巧(※マギテクス)を求めて来店した客への対応など、数多くの仕事をこなしつつ、置時計について検証を行うことにした。

「これで取り敢えず、図面にある時計部分については再現できたかな?」

 別の仕事の合間に少しずつ製造・鋳造したパーツを、魔法(※マギア)の力も活用しつつ見事に組み上げて、置時計のミニチュアモデルを構築。それを用いて、ミシェルは時間ズレの発生原因について考察し、追究していく。

(やはり、原因として考えられることは、機構の不調・不具合、パーツの見えない損傷、超常的な力の干渉のいずれか。現物を見ない限りは断定はできないけど、超常的な干渉は外して良いのかも知れない。不具合か見えない損傷の場合は、パーツの交換も必要か。可能なら向こうのマインテナさんとも協力したいところだね)

 カチ、カチと、音を立てて動作するミニチュアモデルの様子を見つめつつ、ミシェルは頭脳を全力で回転させ、新たに思いついた事やそれに必要になる物について、冊子に追記を行っていく。
 そうして、現段階で可能な範囲の考察を書き留めた彼は、取り敢えずの区切りとして筆を置き、冊子をしまった。

「一先ずは、よし。あとは依頼の契約が本格的に締結されてからにしよう。さ、次の仕事っと」

 そのまま彼は、流れるように手近の工具を手に取って、客から受けていた注文である懐中時計の修理作業へと移っていった。

 それから更に二日が経過し、ミシェルが置時計の話を受けてから、ちょうど一週間が経過しようとしていた頃のこと。
 彼が、近くの町からの依頼であった軍用魔導機巧のメンテナンス作業から帰宅すると、「カルセスファー工房」の出入口前に、一人の、見覚えのある男性が立っている姿が見えた。その表情は、扉に掛かっている「CLOSE」の看板を見ながら困っているようだった。

「こんにちは。一週間ぶりですね」

 ゆえに、ミシェルは何の躊躇いもなくその男性に、助け舟を出すように話しかける。
 すると、声を掛けられた男性はゆっくりと振り返り、彼の姿を認めた瞬間にパッと表情を明るくした。

「おお、良かった! 『CLOSE』の看板を見た時はどうしたものかと思いましたが」
「すみません。近くの町からの依頼で外出しておりました。例の件ですね。中でお話ししましょう」

 そう言うとミシェルは、扉の鍵を解錠してから「CLOSE」の看板を外すと、男性と共に店の中へと入っていく。そのまま彼は席を男性に勧め、来客用に作っておいた蒸し朱茶(※作り置き可能なこの地方伝統のお茶)と茶菓子を提供したうえで、話を聞く態勢を整えた。
 男性は、提供されたお茶を一口飲むと、何処か満足そうに息を吐いた。甘い香りが空間に満ちていく。

「早速なのですが、例の話は、どうなりましたか?」

 ミシェルは、男性が一息ついて落ち着くのを待ってから、話を始める。

「町の全員、ミシェルさんに御依頼することで一致しました。お支払いする報酬の方も問題ないかと」
「分かりました。では契約に入りましょう。依頼書をお預かりします」
「こちらです。どうぞ」
「……はい、確かに。有難う御座います。こちらが契約書です。よくお読みになったうえで、宜しければ書名と捺印をお願いします」

 二人は、相互に必要な書類を交換し、互いに内容を確認しつつ、慎重に契約作業を進めていく。
 そうして。

「『鏡合わせ。鏡合わせ。新たな素地に写し取れ』」

 その最後には、ミシェルの転写及び複製防止の魔法によって必要書類の写しが作られ、正式な契約の締結が完了した。

 紙面には、ミシェルのフルネームである「ミシェル・カルセスファー」の文字と「工房」の証明印が。そして男性の名前である「オーバン・アラン」の文字と、町の政務関係者だけが用いることが出来る証明印が捺印されている。

「これで手続きは完了です。お疲れ様でした。何かご不明な点がありましたら、遠慮なく」
「では……。着工の日取りについてなのですが、開始日は、いつ頃になる予定でしょうか?」
「そうですね。飛行船の予約や荷物の準備、外出の支度など込みで、早ければ四日後には、お伺いできればと考えております。ただ、もしも何か御都合が悪いという事であれば、それに合わせてお伺いしますが……」
「あ! いえ! そう言うことではなくて! 私どもが前に修理をお願いしたマインテナさんの工房にも協力を打診しておりまして。それで日程の調整が出来ればと。工房からは、いつでも大丈夫だと、返答を頂いています」
「ああ、なるほど。それは有り難いですね。では早ければ四日後。遅くとも六日後にはお伺いしますと、先方にお伝えください」
「承知しました。必ずお伝えします」
「お願いします。他には何か、ご不明な点は御座いますか?」
「いいえ、大丈夫です。有難う御座います。あ、そうでした。我が町にお越しの際には、此方で宿などの手配をいたしますので、必要であれば仰ってください」
「分かりました。お気遣い、痛み入ります」
「では、今回の件、宜しくお願いします」
「こちらこそ。オーバンさんの、そして町の住民の方々のご期待に沿えるよう、全力を尽くす所存です」

 そう言って二人は笑顔で握手を交わし、本格的に、置時計修理の仕事が始まったのだった。

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風と海辺

5時代の車両に乗りこむ数分前、空と海のさかいは油彩から水彩のように気配をうつしつつあった。車内では、数人の会社員と学生が、明日が今日であるようにすごしている。わたしは傾斜の急な山の側の座席に腰掛けた。たっぷりと薄めた、あかるいオレンジのぬられた雲と葉をみていた。

車両が動きだした。つややかなオレンジは、いっそうゆたかにふくらんでゆく。いつか窓に透かした、あまったセロハン紙を思い出した。
橋梁を越え、揺れとともに車両が停止した。ホームは、澄んだ白にみちていた。斜面の草木も、たしかに炊きたての陽光を出迎えていた。
わたしはこぢんまりとした改札をぬけた。鳥居と小柄な犬の横を足早にすぎ、橋梁の先の波間をみはらす坂に、まっすぐ立った。
そのとき、黄金色にきらめく風が、細く古い路地をひとまとめになであげ、かけまわる子どもたちののこした輪郭と手をつないで、すきとおる空にかえっていった。
そこにはありとあらゆる朝があった。わたしの目前に、すべての日々が、りんと背筋をのばして立っていた。ひとつの家屋が住人を失った朝に、老人を見送るための朝に、待望の赤子がうまれた朝に、わたしは立ちあった。
季節はめぐる。風が雨後の大気を吹きあげ、空があさがおの髪飾りをよそおう頃、わたしは橋梁の下にたどりついていた。呼吸をととのえると、波音が耳にとどきはじめた。防波堤をついぞ知らない音だった。

先客のいない駐車場を歩きすぎ、浜辺の入り口に到着したわたしは、だれかがひとり沖へ向かうのをみていた。
かばんを海のとどかない角ばった石のうえに置いて、両腕をひろげ、ゆったりと歩いていく。波と風をひとつのこさずうけとめるようだった。早朝の水にしめってゆくつま先から、足と胴へ、気泡をはらんだがらす細工へ、姿を変えていった。海にひたってゆくのとおなじ速度で、長い髪の毛先まで、透明でつやりとして、無数のプリズムをつめこんだびいどろのように、変わっていった。
がらすの底で溶けあうひかりのなかに、わたしはだれかと目があった。

まばたきすると、ただ、大気と水面があった。潮風にかわいた目がうるおい、景色はうつろっている。海面のうえ、陽は水しぶきとともに朝という概念をすくいあげ、あざやかに燃やしつづけていた。日光はみずからにじませた水平線を越え、空と雲をひろく、薄く平坦なみずいろに染めていた。

わたしはうしろにひとの気配を感じ、ふりむいた。駐車場から、朝の海をながめにきたとおもわれる夫婦が、のんびりとおりてきている。
石のうえのかばんは、そこになかった。

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The Luminous Marker: Between Two Tolls

Amidst the silver hush of fallen snow,
Two clocks strike on, resisting time’s command.
Beneath their clashing tolls, I rend my soul—
One for the peace, and one for the fleeting breath.
Is it a mask I wear, or the mirror’s cruel game?
As seconds drift apart, the colors bleed to grey.
But in the fracture where these worlds unite,
My true self wakes from an ancient, distant dream.

空から雪が降ってくる。肺の隅々までが白く洗われるようだ。
私はこれまで、ひび割れたコンクリートから立ち昇る、あの腐った熱気の中へ、自ら身を投げ入れて生きてきた。そこには何の意味もないと思っていた。人間関係なんてものは、泥を捏ねて作った脆い彫刻のようなものだ。雨に打たれれば形を失い、元の無意味な泥水に戻ってしまう。私はそれを、動かしがたい事実として眺めていた。
誰かに愛されたかった。あるいは、誰にも傷つけられたくなかった。
そのために、私は自分の瞳の奥に、もう一人の私を呼び出した。
彼女は強かった。泣かないし、迷わない。私の中に澱のように溜まった弱さを、祈りと呪いによって、空虚な空へと追い払ってくれる魔女だ。私は彼女になりたかった。感情を捨てて、この都会の喧騒という深海を、しなやかに泳いでいきたかった。
ある黄昏時、私は鏡の中の彼女を見つめた。
窓の外では、燃え盛るような夕焼けがビルを侵食している。世界が炎症を起こしているような、残酷な赤だ。
私はふと気づいた。
彼女が時折見せる、あの剥き出しの孤独。
それは、雪の世界に置き去りにしたはずの、誰の手にも触れさせたくなかった「私の体温」そのものではないか。
なんだ、そうだったのか。
私が作り出した強固な人格は、偽物の他人ではなかった。
この不条理な世界を生き抜くために、私が肺の奥底に隠し持っていた、拒絶の力だったのだ。自分を護るために研ぎ澄まされた、つららのように鋭い意志だったのだ。
鏡に指を触れてみる。
指先は冷たい。けれど、その冷たさは死の温度ではない。自分自身の拍動を確かめるための、確かな生命の感触だ。
都会を凌ぐための仮面も、雪の中で震えていた魂も、どちらも私という不完全な人間を形作る、大切なピースだ。私は初めて、自分の名前を、自分自身のために正しく呼んだ。救いを求めるためではなく、私という人間への称号として。
喉の奥から、低い響きが漏れ出す。歌詞などいらない。
電子のような冷たさと、沈んだ弦楽器のような哀愁。それが私の鼓動と重なる。
アスファルトの隙間から咲く雑草のように、しぶとく、私はここで生きていく。
凍えた肺で吸い込んだ空気が、音の粒子となって、私がここにいることを証明している。
私は鏡の前を離れる。
外は、昼の記憶と夜の予感が混ざり合う、不思議な色をしていた。
履き古したスニーカーで、私は一歩、アスファルトを踏みしめる。
痛みも、嘘も、すべてを私の生き様に変えて、私は歩いていく。
背後で、誰かに呼ばれた気がした。
振り返ればそこには、冷酷なまでに美しく、そしてどこまでも孤独な夜の入り口が、ただ口を開けて待っていた。
けれど、私はもう、そこへ入っていくことを恐れはしない。
私は私だ。
それだけで、もう十分すぎるほど、私は私として生きていけるのだ。

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透明人間と

【透明人間の憂鬱】

透明人間の悩みは
最近、髪の毛が薄くなってきたこと
これでも若いころは
リーゼント、ヨロシクきめて
ハマのあたりでバリバリに透明だったぜ、ってなもんで
今ではバッサリ落とした七三わけ
毎朝、鏡の前で
育毛剤を専用ブラシでトントントントンとやって
ああ、今日も透明でよかった
安堵のため息をつく



【透明人間の「さよなら」】

透明人間は「さよなら」という言葉が好きだ
綺麗で美しい響き
何より「さよなら」と言ったときの
口の動きが素敵だと思っている

透明人間は誰にも「さよなら」を言ったことがない
気がつくと、仲間の透明人間はいなくなっている
恋人もそんなふうにいなくなった
自分もいなくなる時はいつもそうだ

「さよなら」
つぶやいてみる
言葉は季節風にのって
はるか異国の地にとどいた
初めて聞く異国の言葉に
少年はあたり見まわしたが
空耳かな、と壁にボールを蹴った



【透明人間の考察】

透明ではない人間には
不透明人間と
非透明人間と
未透明人間がいると
透明人間は考えている

三種類もあるから
透明ではない人間の世界には
争いが絶えないのだ、と

透明人間は透明人間

透明人間は眠くなった
洗いたてのタオルケットが気持ち良い

眠っている間も透明でありますように



【透明人間の週末】

透明人間は週末になると
水族館に行く
最近は特にマンボウがお気に入りで
日がなその水槽の前で過ごす

閉館後も透明人間は帰らない
透明人間は時々思う
閉館なんて変なシステムだ
すべての人間が透明なら
こんなシステムはいらないのに

透明ではない人間は
死んだら土に還るというけど
透明人間が死んだら
海か空に還るのではないかしらん

守衛室から失敬したドーナツを食べながら
マンボウの優雅な泳ぎにうっとりする



【透明人間の夢】

空を飛びたい、なんて夢見てたのは
昔の話さ、と透明人間

カチャリ

自動券売機で切符を買う透明人間
都会ではひとりでにコインが宙を飛んでも
誰も驚かない
ありがたいことだ、と透明人間



【透明人間の思い出】

写真たてには空ばかりの写真
ここに自分がいて
そのとなりに恋人がいて

今、雲が笑った?

いや、思い出と名のつくものは
いつでも気まぐれに振舞うものだ



【透明人間の願い】

透明人間も
透明ではない人間も
幸せでありますように





【さよなら】

私のノートから
透明人間がいなくなった

それは突然に、というより
透明人間が足の方から
徐々に消えていく感覚

風でノートがめくれる

「さよなら」

の文字

以降、空白のページ

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おひとり様【限定】婚活マリッジ大作戦⭐️

 ここでは様々なテーマに取り組む詩人、作家が多いので、小説の連載とか……やってもいいのか……やりたいならどうぞと言われそう、ではある。が、しかし皆さんにとても残念なお知らせがあります。


 CWSから、イエローカードが出ました。


 書きたいこと、まだ全然できてないけど現状そうなりまして。
 でも、ここでエッセイを書く分には皆さまからコメントをいただき、詩の世界と向き合っていく姿が届いていれるかも知れないと励みに変えています。
 木村カエラさんの歌で「今日は今までのどんな時より素晴らしい」という歌詞があって、それをテレビ番組のBGMで聞いて、ああ……すっかり忘れていたけど1年前の今頃会ったあの人は今どこで何をしているのか。

 また男の話をする、私は前向き。

 しかも今回はタイトルに☆←みんな(私がどうかしてるってことに)気が付いたかな?
 いっくよー!!

 ・
 ・
 ・

 改めまして
 皆さん、婚活したことありますか。

 まさかここで、そんな話が出て来るなんて考えもしなかった、そこのあなた。あなたに聞いているんです。

 婚活は女性も、男性も、参加できる『結婚を目的とした相手探し』結婚相談所に登録してパーティーに参加したり、20代は出会いの場がマッチングアプリの活用で、実際に会うことに抵抗がないとか。
 わがまち札幌でも2024年7月から結婚支援センターが開設されるほど、お見合いの取り組みが盛んに行われています。
 ──で、私こうみえて結婚したことが一度もない、生粋の独身男性。
 心と体に見合わないまっさらな戸籍があります。なので、婚活ちょっと憧れるんだよね。
 そもそも私は相方・貴之と終身契約をしているため、結婚など、とんでもないと思われがちですが、私と真剣に結婚を希望する"誰か"が現れて、添い遂げる覚悟がお互いにできるのであれば結婚してもいい。もちろん貴之が誰と結婚しても構いません。お互いの将来を考えてあげられることが大事なので。

 正直に、言いますと。
 若いうちに子供を産みたい。その相手と、どうなりたいか想像する前に妊娠する女性は「いる」のが現実。
 私の場合、それが人生で何度かあって……
 子供を選ぶことに迷いはなかった。変わった家庭環境だと言われても、チョコチップのスティックパンを外出先で食べさせたが故に「片親パン」と呼ばれた子供がビックリして責任のある立場の方に「あの、片親ってなんですか」質問してしまい凍てついた空気を破る、怒声。
 あれ、現実で言うと差別用語になるので、ご用心。
 まぁそんな環境で、じゃあ婚活しちゃおうか。なぁーんて言い出したら、野郎系ちょっと待ったコールが鳴りやまない。
 緊急地震速報くらい不快なコールである以前に婚活とは、結婚を目的とした真剣交際です。その内訳たるや男側から聞こえてくる話が、もう、もう真夏の夜の〇〇くらいやばい、ガチで。

 まず、婚活ガチ勢は年100万を基準に考えてください。

 結婚相談所の登録費用が、数十万。
 そこから年間、利用サービス料が次の通り。
 ・月会費
 ・パーティー参加費
 ・サービス利用につきお見合い料別途
 ・成婚カップルとして退会する際は成婚料
 他、諸経費でスーツやアイテム、美容室、お見合い用の写真撮影、脱毛クリニック、歯科治療など。
 この全てを経験しても結婚できなかった男性たちの辛辣な話によると、カップル成立までは可能。だけどデート2回くらいで"あること"に気が付く。
 
 女性は自分にお金を使ってくれる男を探している、だけ。

 65歳以上の女性はセカンドライフのパートナーを探しており、自称・お嬢様。
 娘が海外で暮らしており、3か月おきに仕事の都合で娘に会いに行っている。それに賛成したら一緒に行きましょうと言われて費用の話になるそうです。
 他にも、恋愛を楽しめるライフパートナーを求めている。若い頃から蓄えた個人資産を多く所持しており、自分と同じ位の生活レベルをしている人生観豊かな理解ある男性を探す「旅」をしている、とか。
 女性は何歳になっても特別扱いされたくて、男より、いい思いをしたい願望が強い。
 そして、女性も婚活サービス料を払って活動をしています。男性からプレゼントを貰ったら、お返しをするのは常識の範疇ではありますが……
 ホテルで高級ランチ、顔合わせの料金と交通費を請求。
 3回目、とても考えさせられる。
 実入りが無いのにお金ばかり使って、なぜ俺は結婚がしたいんだろうか。
 
 風俗の方がコスパいい。結局、そうなる婚活男性たち。
 
 なかには、1年間の真剣交際でやっと結婚。わずか3カ月で別居・離婚した男もいる。
 年齢の割に綺麗にしている好印象と愛嬌のよさ、そして何よりも男性に対する態度が慎ましく今時珍しいタイプ。結婚する前の同棲生活で、自分も働いているのに、朝早くに起きてお弁当を作り、帰ったら食べきれないほどの御馳走を用意して待っていてくれる。社会性があって真面目な会話もできるが、自分だけに見せてくれる甘え上手な一面が何よりも可愛くて、楽しかった日々。
 それがこれからもずっと続くと、彼の母親も信じて疑わなかったと言います。
 しかし、それは「結婚するための努力」で、籍を入れたら態度が豹変。
 家事と料理が趣味で、毎日三つ指ついて迎えてくれていた女性が妻になった途端、掃除洗濯料理の一切をやらなくなり、彼は毎日お弁当を買って帰る。
 母親の介護を任せられると思ったのに……喧嘩はしたくないから、それまでやっていた料理を自分でやって、せめて母親に食べさせる分は作り置きして在宅介護を続けたけど周囲から受けたフィードバックに「騙された」ことを実感。

 彼女はただ、安定が欲しかっただけ。
 
 結婚できただけでも有難いと思え。そう──言われたのが決め手になり、3か月後に離婚を決意。

 彼女と別れるのは簡単だけど連れ子可愛さに、家と家財道具も全部くれてやり、母親を連れて家を出て協議離婚を進めたそうです。
 一時のこととはいえ責任は取ると、できる限り養育費を支払い、年明けやっと大学を卒業して社会人になると。こうして話せば、ついこの間のように思えるけど11年の歳月。子供に、お父さんと呼ばれて、プレゼントを渡すわずかな時間でも一緒にいられるのが嬉しかったそうです。
 ふたりの間で、母親の話はしないこと。
 お父さん──だなんて、言わされていたのかも知れない。
 でも、父親になったらこんな感じなのかな。もっと早くに出会いたかったと涙する彼の姿に、呆れる私。

 そうですね。私、なら……

 デートは鳥貴族でいい。焼き鳥は遠慮してキャベツ無料でいいです、お酒はワンカップのワイン一杯で大満足。
 何なら、そこの松屋で。
 50円引クーポンあるので、よかったら松屋で。

 まぁまぁそんなところにデートで行く男なんか、一度も見たこたぁねぇーけどよ。
 男はそのくらいコスパのいいデートができるオンナさんに堕ちていく。だから見てご覧なさい、世の勝ち組オンナさんを。あまり贅沢してないじゃないですか。海外旅行も、高級ランチも、お小遣い1時間1万円とか請求しません。
 相手が払いたくなる。
 そんなニュアンスがあって一緒にいて楽しい、可愛くて、いつまでも性的な対象として見ていられることが愛される条件。
 関係性において、肉体の揺りかごである性的な位置付けよりも、精神的かつ伴侶として妥協ができる領域まで男の心が届けば別ですけど。金金金の利益相反は金の切れ目が縁の切れ目、それは致し方ない。
 
 婚活はお金を支払って利用する、ビジネス。

 一度誓った誠実さはアテにされるぞ、それが男に最も求められる条件。
 男→女/女→男に求める条件が異なることを第一に、折り合いをつけられる相手はお金を払ってもみつけられないと支払う前にご理解を。高い勉強代はこの世に数限りなく存在するけど、婚活は結婚できると思いがち。そんな結婚したいのか。既婚になったら不倫になっちゃう、その前に。
 私と、いつも何度でも。
 ゼロになるからだ、充たされてゆけ。いい歌ですよね。

 だから結婚できないんだぞ、お前。と、よく言われますが、仰る通りで。間違いありません。

 ・
 ・
 ・

 さて、11月中旬。
 来週から大通公園でミュンヘンクリスマス市が開催されます。あまく香るハンセンのローストナッツ、エゾ鹿のローストと北海道ハンドカットフライズも美味しそう。今年最後のお祭りは、ブルスト&ドイツビールで乾杯。夢の泡が弾ける。そんな夜を心から楽しめますように。

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過去作掌編『聖夜』

聖夜と書いてそのまませいや。私の名前。なのに、クリスマス生まれじゃない。なんなら、八月生まれ。ほんとに気に食わない。両親がクリスマスイブに出会ったから。それだけ。
そもそも、せいやって読みが気に食わない。男みたいだから。何が聖夜?クリスマス?クソ喰らえ!こんな汚い言葉を使うと母さんは「そんな子に育てた覚えはありません!」ってきっと怒る。
でも、所詮は異国の文化じゃない。ちっとも、ありがたくない。やれプレゼントだ、やれサンタクロースだなんだと、蟻がたかってるみたいにありがたがってる連中とは友達になりたくない。
 友達といえば、私の唯一の友達である芳子さんとは幼稚園からの付き合い。私のことをせいちゃんって呼んでくれる。よしこって古風な名前だけど、とてもいい感じなの。いい感じってどういい感じかって言うと、かっこいいのよね。この間なんか、私の名前をからかった男子にグーパン食らわして、私たち二人で職員室に呼び出されたっけ。あれほど誇らしく職員室に行ったことはなかった。芳子さん、背が高くて、スポーツができて(バスケが得意)、とても美人。私にはないものをたくさん持ってる。しかも、喧嘩も強いんだから。
 えっと、話がそれたね。そう、もうすぐクソ喰らえな、クリスマス!みんな浮かれちゃってさ、サンタさんに何おねがいする?とか言っちゃったさ、ほんとやれやれ。学校だけならいいけど、両親がうるさいこと。近頃、父さんは仕事から帰ると度に「サンタさんになにもらいたい?」って言ってくる。クソ喰らえ!でも、ここでウキウキして、あれが欲しいこれが欲しいってやってあげるのが娘の役割。実際、なにか貰えるのに越したことはない。
でね、芳子さんどう思う?って訊いてみたの。「サンタクロースなんているのかしら?」って。そしたら、芳子さんすました顔で「いるに決まってるじゃない、私見たもん」って言う。私はてっきりサンタクロースなんてはったりだ!って一刀両断してくれるのを期待してたから、もうびっくり。だって、芳子さん今までみんながクリスマスだって騒いでてもどこ吹く風。全然関心がなさそうだったもの。でも、芳子さんがそういうならいるかもしれないって思っちゃうから不思議ね。
「見たの?」私はすかさず質問。
「うん」とすました顔で芳子さん。
「どこで?」
「私の部屋で」とすました顔で芳子さん。「いつ?」
「去年のクリスマス」とすました顔で芳子さん。
「せいちゃんは信じないかもしれないけど、サンタクロースはいる」
「マジ?」
「マジ」
「大マジ?」
「超マジ」 
というわけで、クリスマスイブは芳子さんの家でサンタクロース捕獲作戦を決行することになった。両親からは「サンタさんからプレゼント預かっておくから安心して行ってきなさい」と言われて虫唾が走った。 芳子さんの話によるとサンタクロースは深夜の二時頃にいつの間にかベッド脇に立っていたという。その時、芳子さんは寝たフリをして様子を見ていたらしい。すると、サンタクロースらしき人物は枕元にプレゼントを置き、いつの間にか消えていたそうだ。にわかには信じ難い話だが、すました顔の芳子さんが嘘ついているように思えない。
そこで今回、サンタクロースが部屋に現れた瞬間に部屋の扉に鍵をかけ立ち塞がり監禁する計画をたてた。でも、そこからどうしよう。私は名前のせいでクリスマスが嫌いで、サンタクロースなんてはなからはったりだと思ってるのに。サンタクロースを捕まえてどうしたいのだろうか。どうにかしたいのだが、どう、どうにかしたいのか、どうにもわからなかった。 

あっという間にその日は来た。芳子さんの家には何度か来たことがあった。でも、お泊まりは初めてだ。芳子さんのご両親と一緒にケンタッキーとケーキを食べた。なんだかとても、クリスマスクリスマスした食事で胸焼けがひどい。てっきり、芳子さんの家族はクリスマスなんてやらない家だと思ってた。なんとなく。
リビングには大きめのツリーが飾られていて、チカチカと電飾がうるさい。食事が済んだら、芳子さんの部屋で二人で遊んだ。芳子さんの部屋にはテレビゲーム以外のいろんなおもちゃが揃っていて、遊びには事欠かない。オセロ十番勝負をして私の二勝八敗で終えたところで、ふとした疑問がわいてきた。 
「ねえ、芳子さん」
 「なあに?」
 「サンタクロースのプレゼントはなんだったの?」 
「これ」と言って、芳子さんはオセロ盤を指さした。
 「これ」と一緒なって、私もオセロ盤を指さす。 
「そうなんだ、もっといいものくれたらよかったのにケチなサンタね」
 「そう?オセロ楽しかったじゃない。それにこの部屋のおもちゃはだいたいサンタさんからだよ」 
しばらく沈黙。私はなにか言いたかったが、なにも言葉が出なかった。芳子さんはすました顔でオセロの駒を片付けていた。手持ち無沙汰で壁掛け時計に目をやるとまだ九時にもなっていなかった。もう眠い。サンタがいるとかいないとか少しどうでもよくなってきていた。芳子さんとこうして二人で夜を過ごし、のんびりと時間が流れていくのも悪くない。むしろ、贅沢だ。もしかしたら、私は芳子さんと一緒に居たかっただけなのかもしれないと思った。
 「せいちゃん」と改まった感じで芳子さん。
 今度は私が「なあに?」 
「せいちゃんの名前、とっても素敵だと思う」 
「どうしたの?急に。嬉しいけど、私は好きじゃないなぁ、自分の名前」 
「せいちゃんが好きじゃないならそれでいいよ、でも私は好き」
 「ありがとう」そう言うと、私は何故だかさみしくなってきて、泣きたい気持ちになった。名前でからかわれることは何度もあった。その度に、芳子さんが味方になってくれた。そんな芳子さんに名前を褒められたら嬉しいはずなのに、どこか寂しいのだ。気づくと涙がポロポロとこぼれ落ちていた。私は駄々っ子みたいにえんえん泣いた。芳子さんは少し困った表情をして私の頭を撫でた。優しい手つきにより泣けてきた。聖夜なんて名前やっぱり嫌いだ。クリスマスなんてクソ喰らえ!サンタのバカヤロウ! 

翌朝、目を覚ますと芳子さんはもう起きていて、学習机の椅子をベッドの方に向けて座っていた。寝てる私を見てたのだろうか。結局、昨日はひとしきり泣いた後、十時前には寝てしまった。なんで泣いたのか、まだよくわかってないけど、さみしい気持ちだけが残っていた。本当はずっとさみしかったのかもしれない。私はいつもからかわれてて、芳子さんが唯一の友達で、そのさみしさを名前のせいにしたり、クリスマスのせいにしたりして、誤魔化していたのかもしれない。そう思うと、昨日なんで芳子さんが私の名前を好きって言ってくれたのかわかった気がする。上手く言えないけど、上手く言える日が来るかもしれない思った。
 「せいちゃん、おはよう」芳子さんは微笑む。 
「おはよう、芳子さん」私ははにかむ。 「昨日ね、」と言ってくるりと学習机の方に振り返ると、芳子さんはなにやらラッピングされた包みを持ってきた。
 「サンタさんきたよ」
 「私も寝ちゃったから捕まえれなかったけどね」と笑って付け加える芳子さん。思わず私も笑った。 
「ねえ、芳子さん」
 「なあに?」
 「これからも友達でいてくれる?」
 「うん、当たり前じゃん」 芳子さんはいつものすました顔で言った。
 家に帰ると、台所から「おかえり、聖夜」と母さんの声。 「ただいま」と言うと、母さんは台所から顔出し、「聖夜の机にプレゼントが置いてあるよ、サンタさんから預かっておいたからね」と言った。 「まったく」と小さくため息が出る。 部屋に入る。確かにプレゼントが置いてあった。どう見たって父親の筆跡で書かれた手紙と一緒に。 
「まったく」と独り言つ。包みを乱暴にやぶりながら、私は思う。クリスマスなんてバカバカしいけど、これはこれでいいのかもしれないと。

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今さらだけど自己紹介


 終えぬ旅路で 遣らず雨
 行きの小径は かくれんぼ
 風呂に眠る 背を懐け
 永久へ誘う 迷い森




 おえぬたひして やらすあめ
 ゆきのこみちは かくれんほ
 ふろにねむる せをなつけ
 とわへさそう まよいもり





濁点不問、ゐ・ゑ抜き、四十六文字重複無しの
ペンネームに因んだ いろは歌




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カンチガイ

生きるとは
勘違いしているということ  
幸せもそう 
感違わない恐ろしさ 
それはまず
知らなくていいでしょう…

カラカラん
勘違いしていたわ
大きな缶と小さな缶
きっと大きな方が雌ね
小さいのはあなたかもね
缶つがい
仲がいいんだってさ
見習うべし
ベシベシ

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嫁ゲー

ピコポピこぽこ嫁ゲー
捨てる
笑う
食べる
寝る
しなる
笑う
怒る
食べる
寝る
捨てる
作る
太る
笑う
笑う
笑う

ならば、よいか

ピコポピぺぽぴー

嫁ゲー

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詩は華やかなアーケードをあるく(詩はあるくXXI) 

ちょっと 街まで
うんうん師走だね。

人が多いのは 相変わらず苦手だ
それでも 赤と緑の飾りには 揺れる。

揺れながら ふらっと 裏通り
足をとめ ショーウィンドウを 眺める。 

あ、ここ可愛いな。
最近できたお店かな こんな所あったっけ。

始めてのお店は 入りづらい
そのくらい 気にしなくてもって思うけど
性分なので仕方がない。

からん

かろやな鈴が鳴る。

いらっしゃいませーっと店員さん。
これだけでも 始めての人と喋るのは
ちょっと 緊張するんだ。

小さな音量のクリスマスソング
喧騒から離れた店内。

こつ こつ とこ とこ
手書きのPOPも丁寧な お店。

商品説明が一行詩だ
店員さんのお仕事かな。


あの、これのSサイズありますか?
お客様用ですか?少々お待ちくださいね。


やっぱり ちょっと緊張する
詩には 気軽に話せるのに。

丁寧に畳んで 袋に詰めてくれる店員さん
赤と緑のシールで封をしてくれた。


からん、



師走の喧騒に戻る。
振り返ると お店はちゃんとそこにある。

良かった また来よう
ショーウィンドウに 店員さんの 影


詩は 小さく ばいばいと 手をふった。

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エキストラ

時間よ、止まれ
そう呟いたのち、投身自殺をした少年を
きみは知っている?

少年の境遇は悲惨だった
家庭では父親からの虐待
学校ではいじめ

でも離婚した母に連れられ
学校も変わって
少年の境遇は一変した

もう暴力をふるう父親もいないし
学校では友達もできた
少年は幸福とはこういうものかと
涙を流して喜んだ
喜んで、もう、いい、と思ったんだね
やっとしあわせになれた
この状態を保持したくなった

だから
自分の時間を、止めたんだ

ねえきみにわかる?
少年がどれだけ不しあわせだったか
ありふれたしあわせに
どれだけ天国を見たか

幸福が少年を殺したんだ
ささやかなしあわせを失いたくなくて
これが幸福の絶頂だと思い込んで
少年はまた不しあわせになるのを怯えてしまった

幸福であるためにも
免疫が必要なんだよ

少年がいまも幸福な夢を見てるといいと思う

きみは天寿を全うすればいい
いじめにもいじめられる側にもならなかった
その他大勢のエキストラさん
安心していい
きみは安全地帯にいる
格別な不幸もなければ
幸福の絶頂もない
だから長生きできるのさ
おめでとう

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掌編噺『友地蔵』

今は昔
ある小さな村に三人の若者がいた

*********

一人は麒麟児と呼ばれていた
幼い頃から何をやらせても誰より達者で
周りの村人達からは、すごいすごいと
持て囃され鼻高々の男であった
奴はゆくゆくはこの村の長になるさ
村の誰もが口々に噂した

もう一人は風来坊というべき男だった
成長してからは、ふらっと村の外に出ていったかと
思えば、どこかで大事を成し遂げたと
風の噂がやってくる
お調子者だが、義理に厚い性格で
己の進むべき道をしっかり持っている
村の誰からも愛される
そんな熱くて気持ちの良い男であった

最後の一人は村いちの抜け作と呼ばれる男だった
何をやらせても駄目な男で
引っ込み思案で、声も小さい
特筆すべきなのは麒麟児と風来坊の友だということ
村の皆からは何故有名な二人と仲が良いのか
いつも不思議がられていた

そう、三人は友であった
正確にはかつて、麒麟児と風来坊は火に油の
関係であった
顔を合わせば喧嘩の日々
お互いが「目の上のたんこぶ」といった具合だったのだろう
それが、抜け作が間に入ることでかすがいの役目を
して丸く収まっていたのだ
不思議な事もあるもんだと村の皆は笑った
抜け作にも役目がちゃんとあるのだと

麒麟児と風来坊の二人も
抜け作が間に入り込むことで、不思議とウマが合うようになった
いつしか、三人は無二の親友となったのだ

*********

ある時、麒麟児は隣村へ用事で留守にしていた
己の考えた商いで、この村に富を蓄えようという算段だった

この時、風来坊はいつもの如く旅に出て同様に村から出払ってしまっていた
諸国を放浪して新しい知識を学ぶ為だった

その時、事件は起きた
火事だ 村の中の一つの家が火事で燃えたのだ
家の中には幼子が取り残されているらしい
村人たちは遠目から燃え盛る家をただ眺めるしか出来なかった

いや黒い影が一人、家の中に飛び込んでいく
抜け作と笑われた男だった
果たして彼は炎の中から幼子を助け出したのだ
己の命と、引き換えに

*********

麒麟児と風来坊は
村に戻ってきて顛末を知った
二人は抜け作の最期に、涙が涸れるほど涙した
奴は俺たちよりずっと凄い 凄い男だったのだ
友に誓ってこれからは村のため助け合おうと決め、
二人は供養のため燃えた家の跡地に地蔵を建てた
命を懸けた友のため『友地蔵』という名の地蔵を
そして、命日には必ず花と酒を手向けたのだった

*********

時は過ぎ行く

麒麟児は村の長となり、様々な商いを手広く行い
村の富を蓄えた
豊かになって村人たちは、麒麟児に大いに感謝した

風来坊は更に諸国を巡り、多様な知識を身に付けた
その中には西洋の摩訶不思議な知恵まで含まれていたという
博識ぶりに村人たちは、風来坊を大いに敬った

二人の晩年、国中を疫病が襲った
村も例外では無かった
しかし、麒麟児の蓄えと風来坊の知識で
村は他の村々に比べてずっと被害が少なかった

二人は疫病が終息したのを見届けてから
同じ頃、永い眠りについた
そして友地蔵の両脇に、二体の地蔵が建てられたのである
これを差配したのはかつて、ここに建っていた家が火事になった時に
抜け作と呼ばれた男に助けられた者だった

男は三人の友情と功績に感謝して
三体の地蔵に雨除けの小屋を作り、友地蔵として
厚く供養した

*********

時は更に巡る
村のかたちは変わっていく
しかし、そこに三体の友地蔵は在り続けた
抜け作に助けられた者の子孫は
動乱の時代を駆け抜け、新たな政の役人となった
この村始まって以来の大出世である

彼は後に新聞の取材で語っている
『私の命、私の先祖が暮らした村は、三人の偉大な先人によって守られた。私が今ここに居るのは、彼らのお陰である。世の中の人々からすれば、名も無き者たちかもしれないが私は彼らを決して忘れない。』

**********

長い時間が過ぎてきた今日も、三体の地蔵の前には花と酒が供えられている
真ん中の地蔵に肩を組むように両脇で笑う、
三体の地蔵たちが変わらずに今もそこにいるのだ

(了)

※このお話はフィクションです。
実際の出来事とは、一切関係がございません。

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なんしょく

描写が苦手なので
手を使おうとして
ふいに嗅がれた
ぼくの手は
どうやらカレーの匂いがするらしい
けど
きみの手を
できるだけ鼻の近くで嗅ごうとしたら
落ちた
手袋
あれは受難

はく製になった手の匂い
にせものだ
装飾を真似るためではなくて
ちかづくために
きみの感じるはずかしさをまとう
というファッションとしてのセンス
ぼくは
生きている間
この体をお借りしているだけにすぎなくて

「あなたの
 感覚を
 ください
 おいくらですか
 あなたの
 ファッションセンス
 いくらなんですか
 スタイルいいね
 って
 わたしはわたしを評価しないけど」

女の子になりたくて
スカートをはいた
「やっぱり、描写が苦手だね」
「そうなんだよ」
「だって、ファッションセンスがないもんね」

「ええ、疑いもしませんでした、これは、告
解とでも言いますか、その、一緒になったら、
ぼくの色になるとばかり思っていました、相
手がぼくに染まる、それは、よくよく考えた
ら、いや、よくよく考えたのですが、わかっ
ていないのかもしれません、気づけば、重ね
着ばかりしていました、脱げば、貧弱な裸が
ここにあって、ああ、これのことを、ぼくは
ぼくと呼んでいるのかって」
「てつだおうか」

「手を
 伝って
 匂いが
 混ざっても
 ぼくはカレー
 ぼくは借り物」

体には受難、それを受け難きと拒めず、単色
の空間で、冴える、湿り気を掴んで、飛沫に
還し、透明な輪郭をなぞる、髭を杖にして、
痕跡は形を失くし、さようなら、また今度の
今度へ来訪するため、続きを紡ぐ、手を秘匿
して、伝う、纏う服もまた単色で、夜の車道
に匿われていく

「にじって、なんしょくあるんだろうね」
「にじは、なんしょくなんだよ」
「描写できるかな」

温もりの残る居室にライトが灯されて
なんしょく、浮かびあがる

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立つ鳥寺を残さず

【覚書1956番】

 結論から言えば、金閣寺はまた燃えた。だが約200年前のそれとは違い、今度は僧侶じゃなくて時間保存委員会のメンバーという公職がやらかしたというのが大きいだろう。
 今回の一件が旧アジア国家圏どころか旧アナトリア圏に至るまで大きく衝撃を与えているのは、一件どころじゃないことが多かっただろう。
 空間的時間保存展開プロトコルに携わっていた多くの人が、自分の持ち場である遺跡を破壊し出したのだから。
 いや、まさか僕も予想外だったのだ。僕は考古物や歴史に対する愛を有した人材を多く雇ったのだが、その愛の顕現というものがこんな形になろうとは思ってもいなかったから。
 無論、彼らのやったことは許されないにしても、その心情はいざ突きつけられてみれば、まったくの不理解を突き通すわけにもいかない。
 君たちが今から見るのは金閣寺を燃やした僕の友人の詩だ。この文書を閲覧しているということは事前に対抗ミーム”19701125”を摂取しているだろうから、君らが共感してまた貴重な考古物を破壊することはないはずだ。もしかしたら対抗ミームの影響で共感すらないかもしれないが。


地球残留機構
旧暦保存部門 時間保存委員会 
委員長代理 ヨシヒデ・ウェーブスサウンド
Pleiadeas Era 25
July 2





……ミーム摂取痕跡を確認
……痕跡が確認されました

〈春、鳥は鎖のために羽ばたく〉

文書「立つ鳥寺を残さず」を展開します。


/////////

最高密度の青のなかで
最高光度の水色の鳥が
何羽も光っては旅立つ

そんな時代に私は生まれた

鳥を駆る魂たちは言う
私たちがいた証を残せ、と

だから私は寺の前
この金色の淡さの前

そっと立ったというのに

これを墓標にするなんてあんまりだった

幾千万の月日を
彼らは墓標として
戻ってもこない人々を
ずっと朽ちることもできず
待つというのに

そんな墓標
美しいものか
懐かしいものか

だから僕は
彼を殺す
美しくあってほしいから
懐かしくあってほしいから

その時、星はどれほど麗しくなるだろう

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練習1

修道女になろうと、教会の門を叩く、女生徒の鞄の中には、数Ⅱの教科書と聖書がはいっていて、彼女は、家を出る前に飲んだカルピスが喉にわずかにひっかかっていることが気に入らなくて、うがいを十分にしたのに、と、なんとなく、(それはなんだったか、帰省している姉が言った、家族ってチャーハンみたいなもんよね、という言葉とおなじく)、不快だった。

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定義

訃報がまだ靴紐に絡まっていて
冷蔵庫のモーター音が
昨日言い損ねたさよならを
こまかく砕いている
洗面台の鏡には
言いかけてやめた話が
曇りとなって残って
あなたがしずかに私を睨み
語るはずだったことばたちは
とおい街で明滅している

秒針は もう済んだことと
まだ済んでいないことを
またいでいく 何度も、何度も、
あなたを刺し殺すつもりで
ふところに忍ばせた比喩を
そのてざわりを
いつまでも覚えていて
ぼんやりと眺めるショート動画に
なつかしい声を聴いたりする
何気なく話す「昔のこと」が
知らない誰かの影を引き連れてきて
それでも
語尾がすこし揺れるところだけ
変わってないね

キッチンの、掠れた「砂糖」の文字に
あなたのやさしさがまだ宿っていて
わたしたち
否定について
定義について
よく話し合ったよね
適切な定義が固まる以前の世界で
わたしたちは手探りで生きてる
のだとしたら
「生きていたら」という
仮定法のなかに、愛があったとおもう
あなたはわたしを
悲しませようとはしなかった
あなたの愛が分からなかったのは
わたしの責任だ
だから
わたしは今になって
あなたの流すはずだった涙を
ここで、流さなければならない

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供述


今日ボクは 人をひとり殺しました
気の早いクリスマスソングが
街中に流れはじめたから
きらびやかなイルミネーションが
とてもとてもキレイで眩しすぎたから


今日ボクは 人をひとり殺しました
通りすがりの見知らぬ人でした
黒いロングコートを着ていました
きらびやかな街並に似つかわしくない感じの人でした
仕事の帰りなのでしょうか
ひどく浮かない顔をしているように ボクには見えました
深く深くついたため息がぼくの鼻腔をくすぐり
ふとタバコ臭いにおいがして 少し嫌な気持ちになりました
その人は 自分のついたため息がまるで胎児を包む羊膜のように
護られているようでいながら 
一方で閉じ込められてでもいるかのような
不思議な生き苦しさを纏っているかのような
そんな感じの人でした


今日ボクは 人をひとり殺しました
彼が醸し出す そこはかとないふしあわせな空気感が
ボクの胸ぐらを掴んで離しませんでした 
大きなクリスマスツリーをぼんやり見やりながら
虚ろな表情を浮かべて笑っているのが やけに印象的でした



ふいに西風が ボクの頬を弄るように去っていきました
瞬間 かすかにささやくような声が聞こえたような気がしました
雑踏にかき消されてしまいそうなほど小さく か細い声でしたが
たしかにボクは その声を捉えました
頭から電流を流されたような気持ちでした
ああ この人はボクだ
生きるのに疲れてるとか 絶望してるとか
そんな言葉では片づけられない思いを抱えている
クリスマスが終われば すぐ新しい年が来てしまう
また一年が始まってしまう
元旦にご来光を拝むようなそんな人ならば
きっとまた その一年を
何が起きても 切り抜けていけるかもしれない
だけど だけど違うんだ
また新しい一年が始まってしまうこと
これから起こる出来事が なんとなく予想できてしまって
その細い肩の上に重く圧し掛かってくる
終わりにしたい 終わりにしたい
跡形もなく 何もなかったことのようになりたがってる
ボクは核心的にそう確信しました
ボクは なんだかよくわからないものにひどく興奮し
そうしてわなわなと全身を震わせました
湧き上がる欲求を 抑えることができませんでした
だから殺しました 
間違いありません
ボクが殺ったんです


相変わらず街にはクリスマスソングが流れ続けていました


    ジングルベル
       ジングルベル 鈴がなる

    ジングルベル
       ジングルベル
          誰のために鈴はなる

    ジングルベル 
       ジングルベル
          ぼくのためのベルは多分
             もう一生鳴ることはないのでしょうね



今日ボクは 人をひとり殺しました
あまりにも哀しそうな顔をしていたから




あしたはきっと
誰かがボクを 殺してくれる



☆★☆***★☆★***☆★☆***★☆★***☆★☆***★☆★***☆★☆

 12月のきらびやかな街並みは、たしかにキレイなのだけど
 なんとなくあの、クリスマスムード満載の
 浮足立った雰囲気は、うまく馴染むことがなかなか出来なくて

 どうしても、そこからこぼれ落ちそうな「闇」の部分を描きたくなってしまう
 私なのでした









 

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水曜日の午後に

迷い込んできた雀が
ほんとうに哀れで
泣きたくなるような気持ちを抑え
彼の話を聞いていた
そこがどこかもわからず
雀は小刻みに首を震わせ
椅子の肘置きを
チョンチョンチョンと
三歩ほど歩く
少し飛んで 
見えなくなったりもする
サッカーの話をする彼の
後ろを チョン
斜めを チョン
あ 私は言いたいのに言葉が出ない
迷い雀が 私らの後ろや 少し上を
飛んだり歩いたりしている
他のお客も無関心だ
水曜日の午後
程良く埋まる喫茶店で
雀を見たのは私だけか
それとも他の客達は常連で
それは「当たり前」の
ことなのだろうか?
よくあることだから
誰も気に留めないのだろうか?
少なくとも
私と彼は常連ではなく
むしろ初めて入った店のはずだ
なぜ 雀は居るのか
チョンチョンチョン
また数歩 かと思えばフワリと上へ
雀はどうして歩くのか
なぜ飛んで見せるのか
ここがどこかもわからないのに
私には見えている
雀が見えている
なのに他は 誰も見えていない
確かに
見えているだろう人さえ
見えていない
私は
雀の一生を考えるべきだと思った
生まれて死ぬまでの雀を
悲しく泣きたくなるような雀を

喫茶店には縞模様のソファに
淡い色のクッションが
まばらに置かれている
雀の休まる場所はない
チョンチョンチョン
店を出ても見えている
ずっと雀が見えている
彼の話はサッカーで
一周回って戻っている
微笑む顔が美しい
この世に雀などいないも同然
見てもいつもの迷い雀と無意識に
受け止めることができてこその笑顔だ
私もチョンチョンチョンと
歩いてみる 
すると
そこら中が 雀だらけになる
彼は次に メロンの話をする
一周回ってまた 
メロンの話になるかもしれない
私はもう 泣きたいとは
思わなくなっている
雀は 悲しくもなければ
哀れでもないと思っている
水曜日の午後3時ごろのこと

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 𝘟. 






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冬になる

まっしろで細かった猫は 
ある日まるくなってしまった 
それでも透き通った声で 
遠くをみながら鳴いている

そういえば 
ぼくはぼくが誰だかわからないし 
昨日は今日ではない 
季節はものすごい速度で冬に近づいていって 
気がついたら手が悴んでいた

ふと横をみると 
あなたはいつしか氷瀑となっている 
もうとてもしずかで 
二度と交わることはないのだが 
凍てついたこんな空にも 
まだ星がたくさん見えている

夜が遠いなんて
絶対に知りたくなかった

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ゆく

うすいろに光る午後の裏口まで
となり街の長い雨が
後ろ姿にくっついてくる
あなたの不在に慣れるより早く
引かれるカーテンは幕のようで
立ち尽くしていた気がする
いつまでもはじまらない舞台で
言いたい台詞があったことも
忘れていたかもしれない
どうして優しくできなかったのだろう
あなたはわたしを
あれほど愛してくれたのに
どうしてあなたを
傷付けてしまったのだろう
明日の天気を確かめる振りをして、

たましいの裏で繰り返す声が
とおくまでひびくのは
霧が濃いからか
あなたのお母さんに貰った
あなたの〈祈りのノート〉のコピーを
付箋を貼りつつ読み進めれば
「ゆいが悲しくありませんように」
というひとことに打ちのめされ、
手を洗えば
爪の間だけやたらと冷える
(汚れをすすぐための水も
(宇宙のどこかで光るのかなあ
あなたが飛び込んだ駅のホームで
お互いの人生で一度だけ
目が合う他人とすれ違い
通過する特急がきりさく風の強さに
目を細めてゆくさきを見ている

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体がなくなった日

薄れゆく意識の中
俺は悪態をついた 
ちくしょう
頭だけ残しやがってと
しかし、薄れゆくだけで
いつまで経っても意識は途切れなかった
頭だけになった俺は見た
俺を食ったカマキリが
鳥に食われるところを 

私はカマキリでした
今は残された鎌一つ
鳥に啄まれた時のことは
よく覚えていません
ただ風が 一陣の風が吹いて
草花が揺れていました
次の瞬間は私は
鎌だけになっていたのです
そして、今私はアリたちに
運ばれています
穏やかな陽の光が
射していればいい
そう思うのです

こいつはアリだったんだよ
でも、今ぼくが
こいつを指でつぶしちゃった
脚だけがヒクヒク
動いててきもちわるいな
でも、こいつはアリだったんだよ
ぼくがこいつを潰すまでは
仲間とカマキリの鎌を運んでいたんだ
アリだったやつを
仲間たちが運んでいくね
ぼくもそろそろおうちへかえろう

俺は
俺はコオロギだったんだ
今やっとそのことを思い出した
体がなくなった日
俺は頭だけで世界を見ていた

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あたためますか

愛ってなんですか
たとえばそれで おなかは満たされますか
今月分の家賃・光熱費が支払えますか


愛ってなんですか
たとえばそれは ふかふか毛布よりもあたたかいですか
このバキバキになった躰をときほぐしてはくれますか


愛ってなんですか
たとえばそれは包帯のように
心の痛手をそっと包み込んでくれますか
消えたい死にたい生きていたくない
このどうしようもない想いを
救ってくれるとでもいうのですか


飲み干しても飲み干しても
カラカラに渇いて 決して潤うことのない
この心は一体なんなのですか


愛と名をつければ何でも許されてしまうのですか
返事をしなかったと云っては殴られ
自分といるときと顔が違う 嬉しそうにしやがってと
どうしていいんだかわからないことで責められ続けても
「愛してる故」と云われてしまったら
もう他に何も云えなくなってしまう


愛とかいうものの裏側には
皿がとびグラスがとび炊飯器がとび
罵声がとび憎しみがとび
包丁がとび
いますぐ殺せがとび
そうして咽びなく声が
絶え間なくとんでいるというのに


目を閉じ蓋をして見ないようにして
きれいな上澄みだけをそっとすくって撫でているばかりで
それを知るまでは絶対に正体を現さない


その証拠に ほらごらんよ
都合よく語られた愛の残骸が
そこらじゅうに投げ捨てられてるじゃない


それでも それなのに
なにゆえ皆 愛が欲しいと泣くのでしょうか
あんな姿カタチすらもない
誰も実際見たこともない
そんな得体の知れないもののためなんかに


不安で不安で押し潰されそうな夜
ひとりでいるのが怖いから淋しいから
誰かの声を聞きたくなって
誰かのぬくもりに触れたくなって


深夜2時に電話して嫌われる


愛は簡単に人を狂わすのです
愛はとても冷めやすいもの
一度冷めてしまったら最後
コンビニのお弁当みたいに
簡単にレンジでチンすることなんてできないのです


  愛が欲しいんだって?
  愛を探してるんだって?
  だったらここにあるよ ほら
  これが愛 
  ほら あんたの探していたものだろ


掴まされたそれが本物か偽物かなんて
一体誰が知ろうと云うのか


   他人を殺すこともあるでしょう
   弱いものを苛めることもあるでしょう
   互いに憎しみあっているのに
   見返り欲しさに離れられない関係もあるでしょう
   邪魔だからうるさいからめんどうだから
   まだ幼い子どもを置いて 
   出て行ってしまうこともあるでしょう
   自分のことしか考えていないくせに
   離婚しない理由を
   子供に擦り付ける親もいるでしょう


   家にも学校にも会社にも居場所がなくて
   どうしようもない気持ちを
   自分を痛めつけることしかできなかったり
   散々暴力をふるわれたあと 
   泣きながら抱きしめる男と
   いつまでも離れようとしない
   女もあるでしょう


  


愛は地球を救う
夏になると恒例行事のようにやってるあれだって
出演者には高額なギャラが支払われてるっていうじゃない
綺麗事云ったって それこそ無償の愛なんてものは
きっとどこにも存在しないのよ
愛も善意も 銭次第ってことなのよ


私腹を肥やしているその裏で
誰が泣いていようが 傷ついていようが
知ったことじゃないのよね
ねえ そうでしょ
どこかで幼い子が親にひどい目にあっていようが
DVによる殺人事件が起ころうが
いじめを苦にして子どもが首括ろうが
年老いた親の介護で心も躰もズタボロになって
どこに相談しても ただ話を聞いてくれるだけ
社会からも世間からも孤立させられた揚げ句
悲しい結末を迎えてしまうことになろうが


怪我をするのは何も 鋭い刃やガラスの破片ばかりではないのです
都合よく語られる実体のないものに
ジワリジワリと追い詰められて
首を締め付けられることだってあるのです
血の涙を流すことだってあるのです


愛は決してきれいで美しいものなんかじゃないのです
血なまぐさくてグロくて生々しくて
とても残酷なもの


実体がないくせに 扱いだけはもっとも難しいもの


それでも みんなそれが欲しくて欲しくて
争ってまでも手に入れたがっている








それは一体



何ですか?






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人に語られる

私を知らない人が 
私を語っている

淋しいだろうと 
誰かに言っている

私は込み上げる怒りに言葉を探すが
うまく浮かばず 
心で一人地団駄を踏む

言われた相手はその瞬間から
優しさと自己都合の狭間で
揺れ動くだろう 

私はそのために
自分を抑えたりはしない

何故、人を語るのか?

その前に
自分を観察すればいい
たくさんの発見があると思う
恥ずかしい発見がね

私は人にわるく思われるのはよいが
人に 想像で語られるのは
我慢ならない
一発 ぶん殴っていいですか?

けれど 私の手は
人を殴らない
人を感知したくない

怖い

これを
淋しい と いうのでしょうか?

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はったりインクベリー

 初めて漫画を読んだのは小学二年生のとき。母に買ってもらった少女漫画雑誌に私は見事にハマった。雑誌を毎月購入、単行本は本棚を埋め尽くすほどになる。

 そして昔から絵を描くことが好きだったけど、黒ごまのような目をした顔だったのが、漫画を模写したことによってキラキラとした目に移り変わった。グジャグジャと書き殴っていた髪は、下へ流すように丁寧に描き出した。

 模写を続けるうちに私は、裸であることに気付いたアダムとイブのように改めて人の形に気付く。キラキラした目や服の装飾など、他の人よりも絵の密度が高くなっていく。

 そしていつの間にか絵が上手い子と思われるようになった。

 中学校でも美術部に入り、私と同じく絵を描くことが好きな友達がたくさんできた。私より絵の上手い人がたくさんいた。

 そうなるとやっぱり技を盗むけど、その子たちから与えられた影響は技術面だけじゃなかった。

 まだ知らなかった深夜アニメや漫画をどんどんおすすめしてくれたんだけど、激しい戦いや人の心の闇を描いていて、強い衝撃を受けたんだ。

 おどろおどろしい見た目をした、強い力で人を蹂躙する悪役に、単純な怒りや恐ろしさだけじゃないものを感じた。私は畏怖という感情を覚えたんだ。

 出会った作品たちが脳に焼き付いて、私はいわゆるオタクな方面に移る。

 色々な作品に触れていく内に、泥まみれなのに真っ直ぐ立ち向かう姿がかっこよかったり、身近な物を強そうな武器にアレンジしていたり、世の中にはどんな存在でも素敵に見せる人がいるんだと知った。

 一枚で心を動かすような絵を描きたい、誰かが夢中になるような存在をデザインしたい。

 中学二年生で、イラストレーターになろうと決めた。

 高校生になってからは絵を描き続けながらバイトをしていた。それでバイトの給料を毎月半分貯金してペンタブを買った。

 早速ペンタブを使ったけど手元を見ないのは慣れないし覚えなければいけない機能が沢山。それでも描きたいものが思い浮かんだらまず紙に描き出し、本気のときは画面と向き合うことを続けた。

 そして高校卒業後イラストの専門学校に入学。初歩的なところから学び直すから、やっと便利な機能に気付いたり、画力は伸びた……けど。

 不採用。

 卒業が近づいた今、好感触だった二回目の志望先で不採用に打ちのめされた。

 お母さんには学費の元を取ってくれと何度も言われている。どこかには就職しないといけないんだけど……

 昔は気にならなかったけど、自分より絵が上手い子が沢山いる。大人になるまで時間はあるしこれから伸びていけばいいと思えていたけど、時間がなくなった今は上手い子の存在が苦しい。

 これまで培ってきた私の画力は、会社の人材としての魅力になっているのかな?

 もしかすると私の絵は会社の人の心を動せるようなものでなくて、いくつもいる志望者の中から私を選ぶ所なんてどこにもないのかも知れない。
 この世界には遥かに絵の上手い人が何人もいて、今まで積み重ねてきた私の絵は世界からすると取るに足らないものなのかもしれない。

 あてもなく外を歩く。
 専門学校の友達と行ったカフェの前を通りがかる。就職先が決まったあの子は、絵が描けるからとバイト先でよく頼まれる……とここで愚痴っていた。

 そういえば、絵を描けることって意外と貴重なのかもしれない。絵を描くことが好きな人に囲まれているから忘れていたけど、滅多に描かない人だって多いんだ。

 その近くの電柱の下に丈のある雑草が生えている。紫を煮詰めたような実がなっていて、子どもの頃潰して遊んだことを思い出した。

 食べられないけど、見かけると嬉しくなったなぁ。真っ緑な雑草の中や、なんてことない道路の脇にこれがあると、一目でうきうきするんだ。

 なんてことない思い出が結びつき、すっと私の迷いが晴れる。


 私は絵と関係ない業種の就活へ舵を切った。
 絵を諦めたのではなく、趣味としてや個人の依頼で描き続けることにしたんだ。

 最初の自己紹介では絵の専門学校に通っていることを堂々と伝え、面接の応答の中で頼まれたら絵を描くという意思を示す。職場での頼まれごとがいいことばかりじゃないのは覚悟の内。

 仕事は当然頑張るし絵も描ける。もっと絵が上手い人は沢山いるけど、身近にいる私が一番役に立ってみせる。そんな気持ちで胸を張って話した。

 自分を大きく見せながら沢山絵を描いて、雑草みたいに私の絵が目につくようになったら、その時少しでも心を動かせたらいいなって思う。

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渦巻く眉が君にしれという

おばあさんの歌うように話すひとりごととおしゃべりのあいだのような言葉を――台風は直撃しないけれど海は荒れている、うねりの隙間にある点の静けさと動揺の移り変わりを――居眠りこいてテレビだけ勝手に動いている二十二時の市営住宅の六畳一間の雨漏りと時計の周期が思い出す朝トンネルを抜けた先ちいさな町の川から立ち上がる霞の斜面を這い上がり膜のように飲み込んでいく――眠りながらしずくと秒針を聞く、恐れ――家を出て行った旦那を探しまわって離婚届を書かせてるあいだ預かってもらっていた息子を迎えにいくとき見た実家は知らない町みたいで電車を降りたくもない誰もかも通り過ぎるような小さな町――帰りたいとも思わない、だって何もないんだもん――誰もかも通り過ぎるような小さな町の海岸線の地形に沿って発現する私の昨日の途中の身体に語りかける半目の記憶――おかずなんか作らないひとりだから、お米も炊かないよ、炊いても食べ切らないもん、夏になったから最近はそうめんとそばばっかり――萬法一に歸す――今たくさんの皺がもろくなった骨が語りかける半目の記憶――台風は去ったと天気予報は言うけれど今日も海は荒れていた壊れたライムの果汁が深く刻み込まれた皺を流れ落ちていくぼたぼたと失礼な返事と――象に乗った婦人俳句会の海外旅行と仏塔の向こうに沈む三島の真っ赤な陽を送っていた――しかるべき仕事が鉛筆の炭をダイヤモンドにする――暑い暑いと言いながらも我慢してベランダでたばこ吸ってから出てくるあなたの知らないレンブラントと私は線をひくトンネルを抜けるたびに立ち上がる寺と墓地が語りかける半目の記憶――象の皮膚の模様、目尻と頬の下に――平塚まで行こうと思ってたけど途中で息子に会うのが憂うつになりだして電車を降りてバスでショッピングモールまで行ってスニーカーのサイズを聞いた思い出すだれもかも通り過ぎるような小さな町――夏みかん畑、トロッコ、半目の記憶――おじいちゃんの家へ帰る途中の道が暗くて嫌だった、習字の帰りで山の方を通るから夕方ですぐ陽が落ちて防空壕の穴が口開けてる、ひんやりした風が吹き出してくるし、そこ通る時だけは急いであんまり見ないようにした、霊感なんかないんだもん、空恐ろしい気がしたのは今もこの一度きりだから――一何れの處にか歸す?――人間は忘れんだよ、今度はね梅雨前線が東北の方からちょっと下がってきてんだって、それでまたしばらく天気崩れるって嫌だ、半目の記憶

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