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2021/01/01 12:00:00

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投稿作品一覧

どうしても

木漏れ日の中
葉が全部揺れている
だんだんと葉の間が曖昧に
くっつき始め、溶け出していく

僕はいつかあなたに
――どうして?
と聞いた

あなたは黙っていた
そして口を開いた

――どうしても

風が吹いている
コンクリートビルの螺旋階段を登りながら
たくさんの理屈が僕の頭の中で渦巻いていた

――どうしても

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凄いね、英語も数学もデキるんだね

週末は線形微分方程式を解きながらテニスかい?

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コミュニティという重力圏と系内天体の軌道

 コミュニティとは何か。

 ひとつの答えを出すとすれば、「共通の実践を持つ集団」ということになる。文藝において言えば、何かを書き、読み、差し出す——その反復の中で人は引き寄せられ、場が生まれる。価値観は最初から共有されているのではなく、実践を通じて少しずつ輪郭を持ち始める。観念が人を集めるのではなく、行為が先にある。

 

 では、そのコミュニティが存続するための条件は何か。
 逆説的に聞こえるかもしれないが、「その実践の範囲で揺らぎを持つこと」だと考える。硬直した均一性は外部の変化に対応できず、やがて崩壊する。一方、揺らぎが大きすぎれば共通の基盤を失い、集団は散逸する。生きたコミュニティとは、その振れ幅を内側から吸収できる場のことだ。

 

 ここで思想的な補助線として老荘を引きたい。
 「道可道、非常道」——言語化できる道は、永続する道ではない。明文化されたルールとはまさに「可道」であり、それに依存した瞬間、場の本質からは遠ざかっていく。ルールは逐一言語化を要求し、解釈を生み、対立を呼ぶ。穴を塞ぐたびに新たな穴が開く。

 老荘が示す「無為而治」——介入せずして治まる——は、ユートピア的な理想論ではなく、場の重力への信頼である。実践を共にする集団には、明文化しなくても「ここではこうある」という引力が自然に働く。逸脱はルール違反として裁かれるのではなく、重力の相互作用の結果として、自然にその系との距離が変わっていくプロセスにすぎない。系に留まるか、あるいは遠ざかるかは、善悪の判断ではなく、実践への共鳴の度合いによって決まる。

 

 この重力の比喩を押し進めると、コミュニティの姿はひとつの軌道系として見えてくる。
 文藝という実践が、恒星として中心にある。その重力圏の周りを、書き手たちが惑星のように周回している。軌道の大きさも形も速度もそれぞれ異なる——それが多様性だ。しかし全員が同じ重力に捉えられている。誰も命令されてはいない。引力があるだけで、軌道は自然に生まれる。

 楕円軌道の離心率が「揺らぎ」に相当する。恒星に近づいたり遠ざかったりしながら、それでも系の外には出ない。コミュニティからの逸脱とは、いわば第二宇宙速度を超えて系を脱することだ。それは集団への反逆ではなく、その場の中心にある実践への関心が、系を維持する引力を上回ったという状態を指す。

 

 惑星同士もまた、互いに引力を持つ。書き手が読み手になり、触発し合い、軌道を微妙に変化させていく。それがコミュニティの発展性だ。そして恒星自身も、惑星の質量にわずかに揺れる。場は運営者だけが育てるのではなく、実践する者全員によって育てられる。

 

 そして、系のさらに外縁には、彗星のような存在もいる。
 長い周期でふらりと戻ってきては場に波紋を起こす者もいれば、一度だけ強烈に接触して去っていく者もいる。彼らは恒星の重力圏に捉えられているわけではなく、ただその軌道がそうであるだけだ。近づく理由も、離れる理由も、本人の内側で明確に言語化されているとは限らない。
 しかし、その接触はときに惑星の軌道を揺らし、恒星の位置をわずかに震わせる。外縁からの揺らぎを吸収できる柔らかさこそが、コミュニティの生命力である。

 

 一点、誠実に認めておくべき逆説がある。
 「設計されていない場」は、しかし設計されなければ生まれない。老子が無為を説いたとき、それはすでに有為の行為だった。後世の人間がその言葉を経典にし、注釈をつけ、宗派に分かれていったことを思えば、概念を打ち出すこと自体の危うさは自覚的でなければならない。

 

 最後に、この矛盾は解消できない。ただ、解消しないままに保持することが、おそらく誠実な態度だ。概念を手渡しながら、その概念に縛られるなと言い続けること——それが、明文化されないルールの、唯一可能な形なのかもしれない。



​【補講:ロシュ限界と侵襲的接近について】

 系内における「衝突」について補足しておきたい。

 天体物理学には「ロシュ限界」という言葉がある。ある天体が他天体近づきすぎた際、互いの及ぼす潮汐力によって、その天体自身の重力(自己をまとめようとする力)が耐えきれなくなり、崩壊し始める距離のことだ。

 天体同士が接近し、連星なり衛星なり、または同一軌道であってもラグランジュポイントにその位置を占める場合は新たな安定した系を生む。しかしながら他者の作品や、その背後にあるパーソナリティに対し、批評や対話という名目で過度に侵襲的な接近を試みる行為——それは、相手の「書くことの根拠(重力)」を内側から引き裂き、崩壊させてしまう。

​ コミュニティにおける「明確なNo」とは、特定の個人の排除を目的とするものではない。むしろ、それぞれの惑星がその形を保ち、自律的な軌道を維持し続けるための「安全距離(ロシュ限界)」を再定義する行為である。

 この斥力こそが、結果として系の多様性と、天体ひとつひとつの輝きを守ることにつながるのである。
また老荘思想や天文学はあくまで比喩に用いている。そちらの専門的な意味合いと異なる点はご容赦頂きたい。

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批評・論考

#1 田伏正雄のMASAO TABUSE

私は文芸投稿サイトを運営している。運営方針は恐ろしく単純だ。荒らしはさくっとアク禁にする。謝罪や釈明があれば許す。ただそれだけのことだが、この方針によって、ほとんどの投稿者は荒らしの存在を意識せずに済む。書いて発表したい人間は常に一定数、存在する。荒らしが変に掻き混ぜなければ、文芸投稿サイトはそれなりの賑わいを見せるものだ。すなわち、サイト運営においては、迷惑投稿者に毅然と対応することが何より肝要なのである。


私は常々それを正しい方針だと思っていた。そう反芻していた夜に、田伏正雄のツイキャスを聞いた。田伏正雄というのは、私がアク禁にした連中の間で「精神的支柱」とされている人物らしい。過去に文芸投稿サイトを乗っ取り投げ捨てた者、出禁を食らった者、行き場をなくした者たちが、田伏正雄のツイキャスに集まり、意見交換をしているのだそうだ。意見交換?私はこれを聞いて、まず笑った。次に、参考のために聞いてみようと思った。


田伏正雄について事前に得られた情報は少なかった。身長190センチ、体重150キロ、女性を自認している。鼻毛が伸び散らかしている。これだけだった。荒らしたちの精神的支柱の鼻毛が異常に伸びている、という情報を私はどう処理すればいいかわからなかった。わからないまま、ツイキャスに参加した。


ツイキャスのタイトルは「田伏正雄のMASAO TABUSE」だった。タイトルの意味は判然としないが、始まってすぐに、番組の構造は理解できた。田伏正雄が、荒らし投稿者を一人ずつ呼び出し、行為を確認し、ただ一つの問いを投げる。それだけだった。


最初に呼ばれたのは「しこたま詩人」という投稿者だった。田伏がやったことを読み上げた。複数の文芸投稿サイトで、特定の投稿者に対して執拗な罵倒コメントを繰り返した。相手がブロックすれば別アカウントを作り、時には対象となる投稿者を騙り、相手がサイトを去るまで迷惑行為を継続した。田伏は淡々と読み上げた。
「あなたは悔い改めますか。」


しこたま詩人は言った。「私が迷惑行為に手を染めたのは、以前、件の投稿者から被害を受けたからです。それについて、仔細に説明する必要はありません。極私的な復讐に、他人が介入すべきではないからです。聖書にも、目には目を、とあります。私はただ、しこたまやり返しただけです。」田伏は言った。「それが答えですか。」しこたま詩人は言った。「そうです。」田伏は言った。「では、次の方。Bye。」


次に呼ばれたのは「○山○三(まるやままるぞう)」だった。田伏がやったことを読み上げた。複数のサイト運営者に対して、コンプライアンス上の問題があると主張し、外部機関への通報をちらつかせながら文書を送り続けた。開示請求を予告し、法的措置を示唆し、サイト運営者が疲弊するまで継続した。田伏は淡々と読み上げた。
「あなたは悔い改めますか。」


○山○三は言った。「私は一度も法律を破っていません。開示請求は法律が認めた権利です。コンプライアンス上の問題を指摘することは市民の義務でもあります。サイト運営者が疲弊したとすれば、それは運営者自身に問題があったからで、私に問題はありません。聖書にも、あなたたちの中で罪のないものから石を投げなさい、とあります。」田伏は言った。「それが答えですか」。○山○三は言った。「そうです。」田伏は言った。「では、次の方。Bye。」


次に呼ばれたのは「凡才奇人」だった。田伏がやったことを読み上げた。ある文芸投稿サイトに参加し、運営を乗っ取り、サイト方針を大幅に変更したあげく、半年ほどで興味を失い、投稿者たちを置き去りにしたまま去った。サイトは荒れ果て、閉鎖されるに至っている。田伏は淡々と読み上げた。
「あなたは悔い改めますか。」


凡才奇人は言った。「あのサイトは創業者の人格に問題があり、投稿者はルールに縛られて覇気がなく、場として停滞していました。私が実権を握ったのは、誰かがやらなければならなかったからです。元々の創業者らの反発で疲弊し、ストレスが募り、去るしかなかったのです。あのサイトは元から腐っていました。聖書にもあるとおり、放蕩息子の悔い改めを、放蕩していない者に求めるのは筋違いです。」田伏は言った。「それが答えですか。」凡才奇人は言った。「そうです。」田伏は言った。「では、次の方。Bye。」


沈黙があった。
次の者が呼ばれる気配がなかった。
それから田伏は言った。「今夜聞いていらっしゃる運営者の花緒さんにも、一つだけ聞かせてください。あなたは悔い改めますか」。


私は画面を見た。謝罪や釈明があれば許す、と常々、私は言ってきた。しかし謝罪や釈明があったためしがなかった。私の提唱する赦しの構造は、実のところ機能していない。しかし、だからなんだというのか。悔い改める気のない迷惑者を場から排斥することは、運営者として当然の責務ではないだろうか。


そもそもどうして私が視聴していたことが田伏に分かったのかも不明である。しかも、田伏の問いは、正しさの外側から来ているように感じられ、どう反応していいか戸惑うしかなかった。正しいかどうかではなく、悔い改めるかどうか、が問いである。その二つの問いの間にある距離を、私はうまく測れなかった。
私はコメント欄に何も書かなかった。田伏は私の沈黙を待ってから、言った。「それがあなたの答えです。Bye」。


配信が終了した。
田伏からメッセージが届いた。
「本日の配信のテーマは、人はなぜ謝らないか、でした。次の配信のテーマは、人はなぜ謝るか、です。」


チャイムが鳴った。ドアを開けると、銀縁メガネの紳士が立っていた。三つ揃えのスーツに革靴、手には菓子折りを持っている。「このたびは深く陳謝いたします」と紳士は言った。誰なのかわからなかった。次の瞬間、紳士の背後に舞妓がいることに気づいた。白塗りの顔で深々と頭を下げている。「堪忍しておくれやす」と舞妓は言った。舞妓の隣には、チョンマゲを結った男性が直立していた。「それがしの不調法、誠に申し訳ござらぬ」とチョンマゲ男性は言った。


私は三者を見渡した。全員見覚えがなかった。しかし全員が深く頭を下げ、後悔で体を震わしているようにみえた。私は言った。「どちら様ですか。」
銀縁メガネの紳士が言った。「悔い改めた者です。」舞妓が言った。「悔い改めた者どす。」チョンマゲ男性が言った。「悔い改めた者でござる。」


私はしばらく三者を眺めた。謝罪や釈明があれば許す、というのが私の方針だった。紛れもなく、目の前には心からの謝罪があった。しかし私にはまだ、この三者が誰なのか、何を謝罪しているのか、何を赦せばいいのかがわからなかった。


私はドアを開けたまま、廊下の先を見た。廊下は人で埋まっていた。階段にも人がいた。窓の外にも人がいた。全員がそれぞれの様式で頭を下げていた。白人、黒人、アラブ人、猫の着ぐるみ姿の人物。全裸の人間も交じっていた。全員が涙を流し、顔をしかめ、地団駄を踏み、体全体で謝罪を表現していた。


そして、田伏正雄からもう一通メッセージが届いた。
「ところで花緒さん、あなたも悔い改めますか?」

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境界

はい止まって待ってそこで止まって
それ以上はダメです
土足厳禁領土侵犯
親しき仲にも礼儀あり
というのは過去の話で
まず親しくない前提から始めなければならない
何事も超えてはならぬ一線がある

――境界線だ――

善意の顔して踏み越えない
正義の笠着て踏み越えない
理由をつけたところで侵犯は侵犯
触れるな超えるな狼煙だ
専守防衛戦争反対
おい聞いているのか
そこで止まれ。

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問わず語り、新章。「情報の正確さと、自分を消す方法について。」

 今夜はトレーニングの後の栄養補給。
 ドライカレーのバターライスに、赤身の牛肉ソテー。トマトは八女産はなひめ、湯剥きにしていただきました。

 さて、関東では夏日で毎日暑いとか。
 今年の北海道はいつまでも寒くて、数日前に雪が降りました。
 単語の節句で『べこ餅』木の葉の形をした茶色と白の餅、何らかの粉を練ったもの/すあまに近いもっちり感のある郷土料理を食べる習慣があるんだけど、こどもの日って・・・・・・女子も男子もこども、大雑把じゃね? 女子は春の弥生にひな祭りで健やかに育つようにお祝い。桃の節句でやたらピンク、特別感があるのに対して、こどもの日/男子感満載というものが欠けていた私の実家は女帝。
 末っ子長男の私が特別扱いなどされる筈もない女だらけの家庭環境では、小さな飾車のついた鯉のぼりを背伸びして空に向け、振ってはためかせる私の幼気な姿を忌々しく眺める獄卒に相応しい姉様たちは、反べこ餅のかしわ餅過激派。みそ餡こし餡の好き嫌いで喧嘩が始まる。当然だが、きのこたけのこ戦争で物が飛んでくるのは日常茶飯事。
 上から、
 負けず嫌いの美女ヤンキー
 おっとり爆ボディのふんわり美少女
 天上天下唯我独尊が極まる総天然の色女
 三人三様というけれど、染色体どうかしてる御三方(本人たちはキャッツアイのような三姉妹だと言い張っているけど冗談じゃない)今でも立派にそのスタイルを変えず、健全に生きてるから世の男は余程賢くめぐり合わせって上手くできているものだと感心に至る。

 まぁそんな身の上話がしたいのではなく、今日のテーマは「情報の正確さ」について。

 あるポストの内容
 抜粋しますと「知ってはいる」だけで実践が伴わない場合、実体験を語れる人の話の方が、その分野での正確性は高い。
 これに続き、ネット上では経験に基づかない情報がそのまま受け取られてしまう場面もあり、解像度の差を感じることがある。というポストを見て、私は実際に経験したある感覚を心に滲ませた。

 私の引用は、こうだ。
 
 経験に基づかない情報
 →追体験ばかりで実際の体験や経験に基づくものではない「読む知識」を参考に筆を進める作家も、いよいよ怪しい。かつ自分の理想や意見を語らう心の内容が作品に込められていると物語が見えなくなるので、メッセージ性に変えて作家自身は控えめでいてほしいと願ってる。

 これに関する話をふたつ、今から話します。

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 ①ある新聞を買わなくなった理由

 最初に言っておきますが、これは政治色の強い話ではありません。
 ただ、現状にある事実の一部を書き出していきます。ご了承ください。

 北海道は「赤い大地」と呼ばれる、皆さまご存じあの党が昔っから根付いてる土地柄。
 赤旗は馴染みのあるワードで、財界さっぽろ"タブーに挑戦"ここら辺もカジュアルで、選挙になると北海道の地図は真っ赤になる・・・・・・ですよね・・・・・・それでもいいけど、新聞という読み物あくまでも文章になると、その読みにくさは明確。という私の経験談。

 10年以上前、北海道新聞を1年だけ購入した。
 新聞は管轄の営業所・個人店が販売しており、従業員が深夜帯に出勤してから作業・配達の流れで朝刊が渡る。
 しかし営業所が閉店、配達できる区域に他の営業所がないため新たに購入を考えた結果「情報量の多さ」から北海道新聞を選びました。当時はテレビが生活の主力だったので裏面のテレビ欄が重要。デパートの催事、映画館の上映、雑誌や本の特集、応募された詩や川柳などが掲載されているのも大変に魅力的でした。
 
 ただ、道新を読むといつも違和感がある。

 新聞は出来事を知るためのツールで、流し読みの対象。文字を読み慣れている私にとって、よくよく考えながら一言一句、読み落とさずに拾い上げて自分なりに考えを以て結果を出すのは読書の役目であり新聞は情報を読み流すもの。何があったのかだけを知りたいんです。それがどうでしょう。記者の見識が文章に見える。こういう文章を読み続けてあたかもそれが事実だと思い込めば、情報操作されたことになります。記者の取材も見識も全て実際の経験で、そこから書き手として取り組むにあたり、報道の公平性があって欲しいと思う。
 例えば事実をまげない。
 内容により、多角的視点から論点を明らかにするべきで、これは民間放送において守られる事項とされているのに対して、毎度毎度、記者の激アツな見識が表れる。とどめに記者のフルネーム。いい加減にしろよと北海道新聞に名指しでクレームを入れたとて「貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。」また繰り返される日々にピリオドを打つと今度は販売所と揉める。
 昔の販売場は契約時に何かしらプレゼントをくれる。
 それは会社負担なのかも知れないけど、当時で、1年という安定した契約が取れる客でなおかつ集金は現金払い/釣銭無しは大変珍しいケースなのでやめないで欲しいと頭を下げられた。販売所と配達員には何の不手際も不満もないのに、新聞の内容だけで判断されるのは不服だと。それから電話が数回、また自宅に来て玄関先でのご意見。それでも道新は続けられない意向を示すと、販売所まで話をつけに来いと言われたところで相談所を通して解決に至る。
 新聞を買っただけで、ここまでトラブルになるのは北海道新聞の一社だけ。
 売買の関係において消費者が痛み分けなんかする筋合いはありません。

 そんな道新、過去に記者が逮捕されました。

 詳細は検索すると出てきますので興味のある方だけ、どうぞ。
 巨大な組織のために犠牲になる個人の姿という言葉が、私には印象的でした。

 Xのような場所では、文章の読みにくさが起こるとそれは「読み手の力不足」とする書き手・作家の意見がアホほど湧いて出てくるけど、読み書きにおける解像度の差は大概、書いてる側は話の全容がわかる前提知識があり、読者はその真意に辿り着けないことがよくある。そこを埋められなかった事実を書き手が手放すから決着がつきにくい。
 加えて、想像力が「足りない」言語化できない「頭の悪さ」の指摘と揚げ足取りの末に「無能と話すだけ時間の無駄。もういいです。さようなら」ブロックした思考が止まらず吠え続け、答え合わせを求め、共感を呼び込んでは自分を正当化する。それまで至らずとも、話の手放し方が、例えば言論の自由による自分の思想であったり、他者の意見は認めない風情であると「ああ、この人は自分のやることに責任が持てない類か」と判断する材料になります。

 私は正義感が強い方ではないけど、リアライズな視点の持ち主。これを踏まえて、次。
 

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 ②「自分」が要らない覚悟

 一概に文章といっても、本はジャンルで決まり事が違う。
 それぞれにルールや攻略法があるから、ここでいう文章は小説・物語のことで、他ジャンルとの撹拌・話の調合はしないこと。純粋に文章を読む目をもつことで誤解は生じない筈です。約束はできないけど、続けます。

 いつだったか、五大文芸誌の受賞で審査員になった作家が残した言葉。

 小説には書き方があり、基本的な文書ルールや高度なテクニックはもちろん、審査員は何を見ているのかという話で「作家の存在を文章に見せない」作家の差別と偏見がなるべく含まれない小説が求められるというメッセージに打たれた。
 物語であること。それは虚構の中にしか存在しないものを書き出す行為でもある。
 創作界隈でよく目にするファンタジー論争もここにあって、皆さんとても設定を大切にしながら書いています。現実的に説明がつかないことを曖昧にする人、できない人、論じて勝ちたい人など様々ですが先に申しました『解像度の差』がここで明確に現れる。
 ネットに親しみを以て生活をしている、実際の経験は無いけれどネットで情報収集をしたり、本を読んで追体験することに慣れている人が書いた小説を読む場合、書き手目線ではなく読者として読むことに努める。失念したらそれはそれで、作家に何が悪かったのかは言わないようにしています。それは感想ではなく、私自身に起きた"失意の念"だから。要らないでしょう、そんなもの。
 頑張って書いたのにさ。
 プロット作って、調べものしながらここぞという語彙を決まり格好よく置いてみたりしてさ。
 伏線やトリックに読者は気が付くだろうか、手品みたいに読者の驚く顔がみたい。
 物語を通してメッセージを伝えたい。突き詰めて、苦悩して、情熱と途方もない時間を賭して物語は書き上がるんだよ。書いてる途中の人だっている。
 誰かのなかにあって見えないもの、それを無視して、あまり失礼なことは言わない方がいいと相手を尊重する心はあって当然だが、しかし。
 
 経験に基づかない情報
 →追体験ばかりで実際の体験や経験に基づくものではない「読む知識」を参考に筆を進める作家も、いよいよ怪しい。かつ自分の理想や意見を語らう心の内容が作品に込められていると物語が見えなくなるので、メッセージ性に変えて作家自身は控えめでいてほしいと願ってる。

 なまらしょっぱいことを引用した次第。
 
 具体的に言った方が、おわかりいただけるだろうか。

 ・物語に何視点かわからない、書き手の意見や見解が紛れ込む/客観性の無さ
 ・自分語りで終わりなく繰り返されるメロディーが徐々に小さくなる昭和のヒットソング的な結末/迷惑行為
 ・ほぼ作家の空想/「知っている」ほのめかす属性の可能性
 ・性的な表現が低俗/女性は感じると失禁する、感じやすく男性に乱暴にされても悦んで受け入れる、やたら主人公の男性がモテる(母性欲求)
 ・会話で進行する

 最近気が付いてしまった自分の残念ポイントを追加するとしたら、戦闘シーンでやたらと会話するのって、あれアニメとか漫画の影響ですよね。
 生物学的にオタクが無理。という悲しい性分がある私にとって、世のオタク共は崇高すぎて手に負えない。
 メタ認知が低いのも散見される。

 メタ認知は、自己分析がどのくらいできているか

 高い人:客観性で、行動をする前に具体的に考え、適切な行動ができる。設定や目標に向けて達成できる。
 低い人:感情的で、自分を俯瞰できない。安定性がなく明確な指針のない行動で信用を損ねても修正できず、思い込みが強いのが特徴。

 思考力
 判断力
 表現力

 そして感情の安定が文章を書く上で、重要性をもつ。
 性的な表現が低俗というのも、セックスの前後に恋愛/交際・結婚/妊娠と出産があることに一切触れず性行為だけに焦点をあてた小説は「それだけ」の価値観しかない。そこに何かしらの要素を含めてジャンルを細分化した結果、脳が壊れる・インターネットポルノ依存症という過剰摂取による弊害に気が付かない始末。それを「自分のやりたい表現方法」として実行することの危うさは何度でも指定したい所存。もっと真面目に性的搾取を考えて、セックスという現場に直面したらいい。

 そこにある概念は、差別は、あなただけのもの。
 あなたが居ない世界に
 いずる筆の過ちなど、どこにもない。
 自分さえよければいい
 楽しければいい
 その殻を破って抜け落ちた自分をちゃんとしまって、小説を書くと、あなたが目指す「読まれる作品」に届くのかも知れません。
 
 ────まぁ、取り留めもない話になりましたが。
 解像度の高さ/純度と硬質が確かな小説が読みたい私にとって、大切にしたいものを並べてみました。
 今回のポストの内容について、取り上げることがNGとされた場合、削除します。
 それまでのご歓談を・・・・・・何卒よろしくお願い申し上げます。

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批評・論考

かつて と いま

はるか遠くの坂の上 爽やかな風の向こうに君の顔

駆け寄る僕は幼子で 何気なく笑った君に恋をした

更に多くの時が経ち 乗り越えた僕は大人になった

それでも君の横顔は 爽やかな風の向こうにあった

かなた遠くの坂の上 今の君に駆け寄れるだろうか

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#じんたま 15 Rendering the Answer

配信「#じんたま」はクヮン・アイ・ユウさんの個人的事情があって、夏季はできない可能性がある。掌編「#じんたま」は、あくまで配信「#じんたま」の影を成す存在だと思っている。
私がCWSに参加した理由はシンプルに、花緒氏と関わりをもってみたかったからだ。
B-REVIEWの所謂Discord(ディスコード)では、花緒氏に対する不信感と憎悪で溢れていた。原因は色々あるだろう。しかし、何故花緒氏がそこまでB-REVIEWに対して敵性行動をとるのか、よく分からないと思っているメンバーも何人かいた。
B-REVIEWの事に詳しくない私でも、花緒氏の怒りの意味は理解していた。B-REVIEWのサイト方針を反故にし、それに反発した投稿者を結果的に追放に等しい行為で退会処理を行った事だろう。しかし誰にでもわかるのはそこまでで、分からないのは「何故そこまでの怒りを伴った敵性行動を取るのか」という点だった。
私には文学極道時代の花緒氏のイメージがあった。私は運営内で「私に花緒氏と対話をさせてくれないか」との旨を伝えたが、その時点で運営内も混乱しており、外部窓口の統一ということで、私の提案は厳しく却下された。
しかし、運営内部でもサイト内ルールに抵触している可能性がある人物が何名か指摘されていた。私はその時まだ外部に向けてのアクションは起こしておらず、暫定的に私を代表にしてもらい、運営の何名かを対外的に整合性を期すために暫くの間アクセス禁止にするなどの処置を取った上で、代表として花緒氏と今後のB-REVIEWの方向性について話をさせてもらえないかと提案した。
だが、その提案は激しい叱責と共に却下されてしまった。「私が代表になることを誰も望んでいない」「何故お前が勝手なことをやるのか」「能天気な奴だな」といった罵倒を受け、私も黙らざるを得なかった。私はその夜に決断し、Discordのアプリそのものを削除した。
掲示板上で運営を辞めた旨を伝え、花緒氏や他数人と、炎上している件について言葉を交わした。私の行動が影響を与えたかどうかは分からないが、一時的には落ち着きを得た。けれど結局、8期運営は花緒氏をアクセス禁止処分にし、独自ルールも交えながら、結果的に数十人のアカウント削除を実行するに至った。
こうして文字に起こすと、全てが正確に記されているかは自信が無い。ここの部分は様々な関係者の検証が必要であると思う。掌編の進行上、ここではこのように書き記すことにした。
運営をおりてからも、私はB-REVIEWには顔を出していた。運営のメンバーは、私がディスコードのアカウントを削除したかどうか分かっていたのかは分からない。私は誰にも何も言わずに削除したので、困惑させていたかもしれない。一年後、二歩氏をB-REVIEWの運営に推薦するために再インストールした時、多くのメッセージが届いていた。
私が8期運営を勝手に辞めてから暫くして、花緒氏がCWSの宣伝にやってきていた。その時点でどれだけの人間が反応したか分からないが、私は個人的に花緒氏を応援したい気持ちがあった。皆は花緒氏のことをよく思っていなかったが、私はやはり文学極道時代の彼の、コントラ氏の作品上で新参者ながら果敢にコメントした心意気みたいなものを買っていた。
彼のコメントは素晴らしく、その作品上では文極の当時の旬の詩人が挙ってコメントを入れていた。私も激しくやり合っていたが、コントラ氏の作品を良しとする人間の方が少なかった中で、彼はそちらの方向性の意見を述べて注目を浴びていた。山田太郎氏が激しく憤慨していた記憶がある。その記憶を元に、私は花緒氏の成すことを応援したかった。
彼が新しく作ったサイトなら、安定するまでは作品を書くことで応援できたらと感じていた。私は「femme fatale」という題名の作品を、謂わば「はなむけ」として投稿した。その想いが通じたのか、その月の代表作品として展示してもらった。花緒氏の心情はよく分からなかったが、文極、B-REVIEWを通じてそのような栄誉を受けたことがなかったので、恥ずかしいような嬉しいような気分だった。そのことがあって、結局今現在まで投稿活動を継続している。
私は今、三浦氏のYouTubeの中の配信の一つを聴いている。今から七年前の「B-REVIEW閉鎖の危機から新生スタートまで5時間30分の会議」というものだ。
内容は、初代運営が引退して第二期の運営が誕生する部分のツイキャス放送を纏めたものだ。参加している面々も錚々たるものだ。三浦氏が場を仕切っていて、その放送内の花緒氏は何となく元気が無い。やはり未練があるのかもしれない。
花緒氏は迷いながらも託そうとしているのだ。その心情は痛々しくもある。三浦氏は仕切りに徹している風で、感情は読み取れない。しかしながら三浦氏はやはりこの頃からビーレビを一旦閉じる選択肢も提示している。
彼の一貫性には疑問はあったがこの放送を聴いて三浦氏の人間性を見直す事になっている。百均氏はいないようだ。花緒氏は百均氏のことを頻りに気にかけている風にも見える。冷静に話しているようで声に覇気はなく、感傷的で、いつものクレバーな感じも鳴りを潜めている。
やはり海外拠点の事もあって花緒氏は限界を迎えている感じだ。
ここまで書いてきて、そろそろ核心に迫りたいと思う。
つまり、この掌編『#じんたま』は、本来は花緒氏が書き記すべきであり、私は図らずも花緒氏のghost(ゴースト)として、彼に成り代わって筆を取っているということなのだと思う。
三浦氏と花緒氏が百均氏を伴ってやりたかった事。三浦氏が配信「#じんたま」でなそうとしている事。花緒氏がクリエイティブ・ライティングに未練があり、この場の立ち上げた理由。それらが、この一連の中に潜んでいるのではないかという答えに辿り着いている。
クヮン・アイ・ユウ氏という人格者を据えての、配信とクリエイティブ・ライティングとの融合。その答えが「#じんたま」にあるのではないかと思っている。花緒氏はB-REVIEWに対しての無念さ、未練をもっと語っていいと思う。花緒氏なりの語らないという美学もあるのだろう。しかし語ってそのことで笑われたりしてもそれは仕方がない。しかしユウさんや三浦さん、つつみさんはそれを笑わないはずだ。
花緒氏も三浦氏も、「#じんたま」に何かを見出しているのではないだろうか。B-REVIEWの投稿者が望んでいたもの、私達はいつかその地平に辿り着かなければならない。それは何かを守ることなのか、それとも何かの追求なのか。
まだ分からない。しかし、それは分かり始めてはいる気がする。

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星を旅する人

暗黒の大海原 満天の大星海

遠望なる水平線 その先の光追い

夢も希望も携えて いざ行けよ星の船

いつかの未来に 故郷に戻るとも

軌跡の地図に 思いを留めて 

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日常

どろどろと身体が沈みます

吐いた息は床に転がります

それを踏みつけて私は歩きます

足がもつれて地面は私を呼びつけます

それを享受するしかありません

せめて、せめて

抵抗します

四肢は縫い付けられたように丸くなります
宛先はなく私は謝るのです

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 3

 2

晴れたらいいな

履き潰した黒いパンプスが異物となる朝

よそよそしい 君も私も

頭上には鉄塔の窪みが残っている
撓んだ髪の毛には
今日も高圧の電気が絡まっている

無線イヤホンが語るとき 
時折 言葉は咽せて咳をする

改札はへどろを飲み込む速度で息をする

黒い人間 黒い人間たち 止まらない
後頭部の渦巻きは規則正しく流れていく

ぎょろりと見下ろす信号機は混色を起こす

ふと怖くなって首筋を触る
削れたピンヒールでアスファルトを叩く

眼鏡の鼻当てがなんだかやけに痛い朝
おはようございます、今日も早いねと
背骨が喋る慣用句

たぶん明日も曇天で
バスは雨垂れで汚れてて

砂埃でざらつく唾を吐き出す
歯の隙間には
今朝噛み潰したおはようが挟まっている

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 2

 2

雲をなぞる

ショートケーキみたいに
愛を切り分ける
 
ひとところに留まれない私の
足跡代わりに残していく
 
日が暮れれば影は濃くなる
私は私の後ろ姿を決して見ることは出来ない
 
捨てた郷里の影法師
夕方五時
畦道を走る子供の声と
防災無線のエーデルワイス
 
微笑む花よ
悲しい心 慰める花よ
この歩みに美しい旋律を添えてくれ
 
背負った荷物で蹌踉ける足取りを
優雅なワルツに変えてくれ
 
草臥れた服の上に吊るした窶れ顔に
鮮やかな紅を差してくれ
 
この胸の上で輝くのは
どんな宝石より一層澄んだ
得体の知れない不吉な塊のペンダント
 
この心を押さえつけて離さないのは
私がそれを望むから
 
ごきげんに鼻をかみ
ごきげんに咳をして
ごきげんに熱を出し
ごきげんに床に臥す
 
ごきげんに淀んだたましいが
ホップステップで跳ね回る
 
つかまえて
ねえ つかまえてみて
この世界を使い倒して
上手に逃げてみせるから
 
空と海には道がない
なら、カントリーロードは歌えない
 
とうの昔に馬鹿になった方位磁針が
気まぐれで示した方角へ
飛んで、走って、泳いでゆけば
 
いつかきっと
あの街とやらに辿り着く
 
坂道が多い街がいい
海が見えればもっといい
 
真っ白な画用紙に筆を下ろす
23.5センチのスタンプは
白い切り取り線の隙間を埋める
 
透明な地図を描く
私は
愛に満ちた放浪者

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そうゆうことか

人生100年時代 あと半分以上あるのに
老眼で読めない字ばかりだ

おしゃれな化粧品はどう使うのか読めないし
メニューのケーキの味は写真だのみ

そういえば 視覚障害を持った友人は
やたらと店員さんに味を聞いてたな

そうか そうか そうゆうことか

i see

そうゆうことかって場面が
これから増えそうだな

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水脈の往還―26歳の遥

 ドアが閉まると、空気がひとつ薄くなる。押し込まれるようにして座席の端に収まり、遥は小さく息を吸った。吸った分だけ、どこかに余白ができると思っていたのに、胸の奥でつかえて、そのまま細くほどけていく。

 両隣の体温が近い。肩は下げる場所を失って、わずかに浮いている。首の後ろに、見えない糸がかかっているみたいに、前にも後ろにも寄れない。腹は、何かを守るように薄く引き込まれていて、呼吸は短く区切られる。

 急ぐ理由は、もうない。会議も、返信も、終わっている。それでも体だけが、まだ少し急いでいる。誰にも急かされていないのに、どこかが先へ行こうとする。その残りが、うまく抜けない。

 ガタン、ゴトン。

 レールの継ぎ目を越えるたび、座面がわずかに震える。背もたれが、遅れて応える。遥はそれを聞こうとするのをやめて、ただ受ける。音ではなく、重さの移動として、体の内側に通す。

 ガタン。  ゴトン。

 くすみのさくら色をしたタッセルローファー。けれども今は、靴底から上がってくる細い振動すら持て余していた。骨盤に触れる。触れたところで止まらず、形を変えて、上へ抜けていく。背中にあたる布地が、ほんの少しだけ押し返してくる。その往復を、追わない。

 ドクン。

 自分の鼓動が、ひとつ遅れて返る。レールの刻みと、胸の内側の拍が、別々に続いている。合わせようとはしないまま、二つの線が並ぶ。

 ドクン、ガタン。  ドクン、ゴトン。

 合いそうで、合わない。たまに先に来て、すぐ遅れる。どちらが先なのか、決まらないまま、短い一致がほどけていく。そのたびに、胸の奥で小さな応答が起きる。反響でもない、触れて離れるだけの、かすかなやり取り。

 遥は、思い出す。水のある場所ではなく、水が通っている場所のことを。

 静かな面の下で、見えない流れが続いている。どこから来て、どこへ行くのかは分からない。ただ、途切れずにあるもの。押し出すでも、引き込むでもなく、同じ形を保ちながら、位置だけが移っていく。

 座面の微かな震えが、骨盤をかすめる。そこから上がってきたものが、胸のあたりで少し広がり、また細くなる。背中に返り、肩を通らずに、脇を抜ける。流れは途切れないが、どこにも溜まらない。

 外の揺れと、内側の動きが、干渉せずに並ぶ。重なったと思うと離れ、離れたと思うと、また近づく。合わせていないのに、外れきらない。そのあいだで、呼吸が少しだけ深くなる。

 吸う。  留まる。  吐く。

 どこかで区切られていたはずの呼吸が、ひとつの弧になる。胸に残っていた細い速さが、形を変えてほどける。ほどけたものは外に出ず、そのまま内側に残って、別の流れに混ざる。

 やがて、行き先がなくなる。

 外の振動は続いている。人の気配も、密度も、変わらない。肩の行き場のなさも、そのままだ。それでも、内側にひとつ、基準のようなものができる。

 胸の奥でも、腹のあたりでもない、どこかの深さに、水位が定まる。増えているわけでも、減っているわけでもない。触れれば分かる、というほどはっきりしていないのに、確かにそこにある高さ。

 そこから外のものを測ると、圧迫は圧迫のまま、ただの重さになる。雑音は雑音のまま、遠くに置かれる。何かを押し返しているわけではない。ただ、入ってこない。

 ガタン、ゴトン。

 揺れは同じように続く。内側の流れも、同じ形で巡る。どちらも変えずに、そのまま並んでいる。

 ブレーキの音が混ざり、速度が落ちる。体が前へ少し傾き、すぐに戻った。人の気配が、降りる方向へわずかに動く。

 体の中の、水位が、ほんのひととき、揺れた。

 「ん、」
 小さく、溢れた気がして、また溜まる。

 遥は立ち上がる。肩は相変わらず近く、足元も狭い。つり革を掴み、重さを預ける。

 ホームに降り、足の裏に残る振動はすぐに消える。代わりに、ローファーの房が揺れた。視線を戻した遥は、幾らか減った人の流れに合わせ歩き出す。改札へ向かう列の中で、歩幅が自然に決まる。

 同じようには、もう起きないかもしれない。思い出せばいい、というほど単純でもない。それでも、どこかでまた、辿り直せる気がしていた。

 外がどうであっても、内なる水路は、いつでも開けられる。その確信の浮き子に、遥はそっと指で触れ、改札を通り抜けた。

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カミサマへ

扉なら
叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて
名前なら
呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで呼んで

かみならば
書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて
疑いを差し込まなければ

ナニゴトも叶えられますよね
とどかないこえはわたしのじゅんすいさの
しんけんさの
ふそくですよね

信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて

ただいきていきますねいきてるかぎりは

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[は]ハグ あ ユー

「一緒に居て楽しいから友達に戻ろう」
君の言葉を呪う 私は弱い人間だ
居るときよりも居ないときのほうが
自分を証明できない気がするんだよ

鈍行は夕暮れの中を走りゆく
夕闇に君の影がくっきりと分離する
二駅先の目的地から外れたスニーカー
はなしたくないなんて言わさない

さよならを言わせない背伸び
重ねたシルエットの行方を教えてほしい
夢覚めるような秋風
君の唇の温度

How a you...?
Hag you...

楽しい思い出も鮮明に透ける水面
掬っても指間の端から溢れていく 
光るものもあれば苦々しいものもあった
だけどね、余すことなく留めておきたいの

少し肌寒くて強い突風で乱れる髪が
視界を奪って見上げる顔が見えない
頬に張り付いて滲む 切ない...
なんて思っていても君には言わない

ごめんねと言いたくても言えない表情
困った情けない顔も好きなんだよ
手を握った熱の在り処
消えない涙の果て



二人きりで足並み揃える閑静な帰路
俯く、熱い目頭の端を見られたくない
ゆっくり歩くのに過ぎ去る残酷な時間
どうしょうもないくらい好き、私

ありがとうと今、伝えたい君へ
優しく抱き寄せる嘘が温かい
最大限の強がりを
「大丈夫」と「またね」

How a you...?
Hag you...

I love you...

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 1

 1

プロローグ

うまれたときから
ずっと
だれかと
かくれんぼ
してる。

あなたは だれ?
どちらが おに?
どちらが 子?
それも、しらない。

おしまいは いつ?
あいずは くる?
もう いいかい?
それも、しらない。

みつけたら 勝ち?
みつかったら 負け?
なにがおきるの?
それも、しらない。

みつけたら、みつかったなら
わかるかな?

げたばこに ろじうらに
こうえんに しごとばに
ほどうきょうに ちかてつに
いるかもね、いないかも。

ことのはに おんがくに
ふであとに ぽわんとに
ぴくちゃーに ぱふゅーむに
いるかもね、いないかも。

あのそらに あのうみに
あのつちに あのかぜに
あのあめに あのはなに
いるかもね、いないかも。

ずっと ずっと、さがしています。

これからもきっと、さがします。



ねぇ、あなた。

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 3

 1

それだけ (0.0.3)


母が
救急車に 
乗せられ
待合室は
がらんどう

父親も
十五年前に
精神病院へ
入院した
 
こんな時に
あなたの
優しさに

わたしは
苛立つ
卑しいね
それだけ

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 1

 3

どろだんご

せかいは
おおきな
おおきな
おすなばあそび
くりかえされているだけ

きづいたから
だれかのてあかに
まみれるものかと
いそいであわてて
ちまなこひっしに
つくりあげる

わたしのどろだんご
わたしもどろだんご
だとして も

こわすときもこわされるときも
わたしのたいみんぐだとしんじつづけて  



   きらり   なでまわしみがきあげて



せめてきれいでいたいどろだんごすこしだけでも

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 5

 4

かたちをください

かんじょうにかたちが
ことばにもかたちが
しっかりあればいいのに

みえてつかめてさわれて
だきしめてなげてけとばして
おいつけてだんすしてキスできたら

わたしたち もっと
ちきゅうじょうで
しあわせにちかづけたのかも
しれない

こころだって そう
かんじんなものには
かみさまは
かたちをあげない
いじわる

ね、かみさま
あなたも すがたかたち
あらわさず
すぐにげられるように

ね、かみさま
かたちをくれたらよかったのに
どうせこわれるわたしたちの
かたときのしあわせのためにくらい

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 4

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同じ色

集まって集まって
向こうからも
こちらからも
よくよく見て

同じ色
違う色
似たような色
混ぜたくなる色

散らかって散らかって
一緒にやるにも
一人でやるにも
どんどん行って

同じ色
反対の色
隣同士の色
混ざりたくなる色

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trending_up 24

 1

 1

処女の迷宮

 外出すると
 冷たい風が吹いている
 かの淋しき初恋が
 ゆらゆら
 空に揺れている

 私の処女膜が薄紫色の舗道に
 深く放り投げ出されて
 闇夜に染まった校舎が
 今は亡きあの人の
 セレナーデとなる

 耽美に染めん乙女心に
 蜘蛛の巣が
 ファーッ
 と張り巡らされて
 私は深遠の肌に
 破られた処女膜がある

 初夏の緑色に彩られたひまわりが
 私の周囲で
 わさわさと
 笑顔の凶器を投げかける

 最終列車に飛び込む人の顔面が
 私のスクールバッグに
 スポッと
 入り込む

 ひらひらとなびく処女膜の
 痛切なる五月の漆黒に
 私は喉で
 噛みちぎる

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 2

 2

花曇り

あたたかく降り積もった雪の下に埋めた 
女になってしまう前の、 
何でも言葉に出来ていた少女のわたしを 

女になるというのは 
自分が一番遠い他人のように感じる生き物に 
なることなのだ 
女になったわたしは 
薄暗いさみだれを落としながら 
それを拾い上げてくれる誰かを 
いつも求めていた 
呟きでも、言葉に出来るなら救われるのに 

落とした思いを重苦しく引きずりながら 
歩む道程で出会ったあなたには影があった 
あなたは光の真下にいた 
影の出来ないわたしの空模様を面白がって 
わたしの背後にあなたはしゃがみこんだ 
何の種だろう、と容易く拾い上げて 
掌に転がしてわたしに見せてくれた 
わたしにも分からなかった 

つないだ手の熱で 
自分がどれだけ凍えていたかを知った 
それもまた、女であるという証だった 

あなたの真上には青空が 
わたしの真上には曇天が 
それでも、つないだその手のあたたかさが 
あたたかさだけで 

あなたは幾つもの種をいじったり埋めたり 

朽ちた空色の下でも、 
花は言葉もなく咲く 

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 13

 10

箱入り

 このままふくれ続けたらきっと指がちぎれるから、切ろう。
 わたしは告げ、かの女の錆びた指輪へ鉈を振りおろしたが、折れたのは刃だった。思えばこれも、きのうたたき割った夫の脳髄で錆びている。刻みこまれた誓いのぶんだけ指輪に分があったのだろう、はみ出しかける脳の片隅でわたしは思考する。折れた刃は飛びすさり、わたしの眉間を貫いて、脳漿の漏れに栓をしている。
 長雨を飲み、かの女はふくれている。絹のようだった肌理が、渇いた綿より欲深くひらいて雨季を貪る。飢えていた腕がなん倍にも太る。きのう焼かれた顔の焦げ目が、腐りゆく水に白々しく薄れながらどこまでも広がる。粥に似ながら煮くずれることを知らない、若さが、左手のちぎれそうな薬指にだけ血を焚いて、食いこむ指輪に誓われた名前と同じいろに錆びる。

 かの女はかつて、わたしの娘だった。
 女衒に売ったのが九日前、思いがけず帰ってきた。性病に肌を食い破られ、ごみ溜めに捨てられたので、這い出してきたと娘は言った。死なないと埋めてもらえないの、と娘は言い終えた。
 八日前、夫が木箱に娘を転がし裏庭へ投げたのはそのためだ。雨季に蓋され長雨に漬けられ、きのうまで、娘の肌は溺れながら若い皮脂を吹きあげて、あらゆる水気をはじき飛ばしていた。わたしが塩水で炊いた粥も、その例に漏れない。
 七日間、娘の転がる箱で粥を食ったのは蟻だけだったが、わたしの薄い塩味に飽きたらずきのう、蟻どもの群れが美味な脂を掘ろうと、娘の耳に口に臍に、膣にもぐりはじめたので、穢された箱へ夫が油を撒き火を放ち、泣いた、まだ清かった刃の火照る影で。

 その膣を掘ったのが翅をもつ女王だったら、別の物語が飛んだのかもしれない。きょう、油に焼かれたかの女の脂が、地の潮を覆う。降り溜まり蒸発する地の体液の循環を、焦げ落ちた皮脂の油膜で食い止めている。
 このために地表が海を失っても、たとえば涙の降る限り、血のしたたる限りかの女は飲み、新しい海を生むために溜めるだろう。眉間の栓を抜き放ち、噴きあがる脳漿の虹でわたしは感傷する。わたしの箱のこの穴を、いつかちぎれたらあの左手薬指が貫いてくれるだろう。

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 15

 48

サッカーボール

ラフカディオ・ハーンの右眼が
お椀をのぞく
片眼はオリオン座を見ている

しじみ汁に浮かんだ
日々の稼ぎの糸くず
砂まみれの網膜から
サッカーボールが飛んでくる 急速に

(のびていく地平線が 真っ赤だ)

純度100%の貝殻が
宇宙を構成する砂礫の
一粒 ひとつぶ 一即多
であるのかな
(バンバンと黒板を) 叩く

…おんぶおばけの闇 舌舐めずりの雀

コップに浮くのは
シジミの脂だけで 十分です
アテネフランセ ジャポネーゼフラッセ
るんるんるんと 海の彼方から
砂礫が吹いている 文法教育の裂け
目を
サッカーボール
が ぼこ ぼこ ぽこり

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 0

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o.s.n.f.

朧な朝が
パン粥に浮かんでゐる
縁者は片手で足りる数となり
録音帯の波打つ息使いが
仇となり取り返しのつかぬまで
投薬しませうよプラス蒸留酒
意識飛び出るのを目蓋で抑え込み
泣き顔のおかしい男女児童が
茱萸の実を奪い合う熱気!

済州島の
軟らかな浜を
しなやかに滑りゆく
蜻蛉、さう昔蜻蛉だ
延延と釣針形に絡まつて
無闇を八枚の翅で掴みとらう

脳を洗うわたし
驚くほど恢達となり
添加してゆく晶や曇や


operating system not found
・・・・・
o    p    e    r    a    t    i    n    g 

s    y    s    t    e    m        n    o    t 

f    o    u    n    d


不具合である。
落とされた右五本指である。
薄ら笑ひの小芥子頭である。
なまくら刃物である。
暖冬である。


暖冬である。

https://i.imgur.com/zjqMPpw.jpg

 0

trending_up 92

 5

 4

春の影

伸びる影
踏み踏み歩く
幼女かと
見まごうほどに
ちいさな老婆

その姿
目で追いかけて
立ちすくむ
ちいさな母の
影に重ねて

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 4

 8

言動と創作について、その場と距離

 「親しき仲にも礼儀ありではあるけど」


まあなんていうか、親しき仲にも礼儀ありではあるけど。友達との信頼と、家族への繋がりと、公共のルールは、ちがうと思うんだな。  
  
だから公共の「場」で、友達同士で罵り合うとか、恋人同士で性的な話をするとか、家族の話題を赤裸々に談義するとか、夕飯の献立で揉めるとか。これは極端ないいかたではあるけど、ようは内輪の話をここでする必要があるのか、でしかなくて、別の「場」に移してやれよな、と思うね。  
まあ、みなけりゃいい。それが可能だから、みないだけなんだが。降り掛かってくるでしょ、それが。おかしいんだわ。  

と、ここまではSNS上の話として考えている。  
こうして語ることもまた、総て、誰かには刺さる。肯定でも否定でも。こうして、わたしみたいに自然と、道徳なんかを持ち出してね。だから他人にたいし、指摘でも暴力になりうるわけで。そうするとやはり、個人として相手との関係性が重要になってくる。  
  
そうするとやはり、場に対し柔軟に、というか、あたりまえにモードを切り替えられるか、って問題だけど、やはりそれ以前に、場に対しての自分なりの解釈があって、それに基づいているから、確実にズレていくわけでね。  
  
じゃあどうするかっていうのは、場の裁量でもあるし、自分らの意識でしかない。そこで持ち出されるのはやはり、道徳的な観点だろうね。人それぞれ、その場を何として理解しているか。果たして、すり合わせてまで語る必要があるのか。それとも喧嘩してまでわかり合う必要があるのか。そういうことを考える必要がある。  
  
この人は自分にとってどんな関係なのか。相手は自分をどう見ているのか、どう感じているのか。そこを考えないといけない。じゃないと、無意味だよね。  
まあ、ネット上では、かかわらないという選択が簡単にできる時点で、道徳も誠実さも愛着も、全部ふくめて、最後はある種の損得に回収される。  
  
そう考えると、ネット上は駆け引きが簡単に行える場所。匿名であるがゆえに、いくらでも暴走できる。箍が簡単に外れる。内輪の話も攻撃も正しさも、押し留めるものがない。それだけでしょうね。  
  
その意味で、場のルールだけが正しさという方向を生む。でも、実際はネット上では、道徳そのものがルールを決めるというより、道徳を含むさまざまな手段を使って場を握った側が、結果としてルールを決めてしまう。  
  
場・関係性・正しさ
  
荒らしは荒らしで、楽しんでいるだけですからね。彼らだって、他の楽しみ方があったらそんなことはしないでしょう。たしかに他者の気持ちなんて考えていない。それは問題でもあるけど、彼らなりの生き場所でもある。  
  
ことにネット上は、自分が誰かを排除してまで、何かをする必要がない場所だ。場所自体はいくらでも移せる。簡単に。そういった一般的な思考があればなんの問題もないわけだから、軽く場を捨てる選択肢は、奴らから言わせりゃ逃げと罵られますけど、それに対し怒ったり苦しんだりする必要はない。場に拘る理由もなくなる。そんなかんじですね。  
  


  
  「好きだったから、離れた」


ここまでは、SNSやネット上の「場」を広く見た話。じゃあ、自分が実際にいた創作掲示板ではどうだったか。  

自分は、B-REVIEWという投稿掲示板を4年かな、5期の終わりから使っていたんだけど。  
そもそもあの場は、きちんとした礼節を持って切磋琢磨する場所として、ルールにもそう書かれていたし、少なくともわたしはそういう場だと思っていた。けれど誹謗中傷や謎の正義感を振りかざされるようになって、合わないなと思ったし、学べるようなことも、語れるような人もいなくなったから、やめたわけでね。  いつの間にかルールも変わってたし……
だから、創始者から見れば、もう打ち切って当然の場所になっていたんだと思う。末期は、場を収めるべき管理者が現れないような状況で、声のでかい人たちが、自分の正義で動いていたような状態だったから。しょうがないんだよね。  
こうやって、閉鎖三か月前に、あの場を離れたわけだけど。いまだに、アーカイブ化されるのかなとか、何かしら進展するのかなとか、観察しているから、結局好きだったんですよね、あの場が。だから、ビーレビについてみなさん色々書かれていて、全体が悪かったみたいに見えるのかもしれないけど、わたしの中ではそうじゃない。好きだったからこそ、離れられた、というだけなんだと思う。  
  
で、場を離れてみて、結局自分は何を求めていたのかと考えると、話は自分の創作の仕方に戻ってくる。  
  
ことに、自分の楽しませ方を知っていれば、他者に頼る必要はない。自分を切り開いていければ、他者に期待することもない。自分の中で完結すること。他者からいただく評価や価値は、ありがたいけれど、それとこれとは別なんだと、いま詩誌や公募にチャレンジしてみて納得している感じです。  
  
世の中って、普通に影響を受けて行動を決めていくものだけど、ことネット上の文面になると、ただ「こう思った」というだけの思考が、反論や攻撃に見えてしまうことがある。あるいは、そう見えてしまうのではないか、という懸念が先に立つ。そこがまず、ややこしい。  
  
わたしとしては、荒らすつもりなんてない。けれど、自分の視座自体がたぶん突飛なんだろうとも思う。一般的な枠組みからは逸脱していて、理解しづらいものなんだろう。だから、その違いが苦痛にもなるし、批判したくもなるんだと思う。そういう反応が立ち上がるのは、ある意味では当たり前なんだろうね。でも、それって結局、相手を見ていないということでもある。  
  
今って、一見解がそのまま主張として力を持ってしまう時代でしょう。何の因果か偶然か、自制が効かなくなる。簡単に、楽に、気持ちよくなれてしまう。そこに対する恐怖も薄れている気がする。  
  
それぞれにテリトリーがある。でも、それはわざわざ侵す必要がないんですよね。あんたの正義は、わたしの正義じゃない。ただ、本当に常識外れた人もいるし、そういう人ほど声が大きい。そうやって間違った「当たり前」が作られていく。だからこそ、自分の身の丈とか、わきまえることは大事なんだと思う。  
  
その逆に、どこか外れた人に対し許容できる人ではなく、逸脱を許容できない人が勝手に枠組みをこしらえて、それに当てはまらないからと騒いでいる。そういうことも、あるよなとも思うし。  
  
ぶっちゃけ、世の中って誤読ばかりでね。でも、正解に擦り寄せる必要なんてない。もちろん道徳的なものは前提にあるけど、語り合ったり考えることが身になるだけ、方向が決まっていくんだと思う。ただネット上を見ていると、簡単な共感のほうが楽しいらしいなとは思う。まあ、軽いものでいい、楽しむことが大事、それぞれだからさ。  
  
わたしの中では、こういうのは悪口じゃない。ただ、そう思っただけ。いいも悪いもない。言葉足らずだし汚いから、こうして思考整理して表に出せるように整形したりするけど、どんなに気を使っても、難癖みたいなものは見える人には見えるし、勝手に見えてしまうこともある。だから、わたしは合わないなと思ったら接触したくない。距離を取るだけなんだ。嫌いたくないから。  
  
みんな違ってみんないい、とはまったく思わない。けれど、悪意を向けられて傷まない人種もいないだろう。ことネット上では、さまざまな考えや思いが、出会うことなく表立って主張しているように見えて、刺さってしまう。実際、悪意を持って牙を向くのは、匿名に笠を着た承認欲求モンスター、被害妄想の寂しがり屋さんだったりするんでしょうね。近づかないに越したことはない。  
  
群れの中には、その中での自分の場があって、生きていることを確認する人もいる。それだけの話なんだろう。でも、わたしはそうじゃない。場の生存競争にも、勝ち負けにも、違いを排除する傾向にも、寄る必要がない。  
  
そもそも、他者とバトっていいものが書けるとは思わない。たしかに自分の考えとは違う視座が立ち上がることはある。でも、その場限りなら、結局は「わかり合って、影響されて、よかったね」と気持ちよく認めてもらえるだけじゃないかとも思う。  
  
実際、創作者としてある程度自分を持ってしまうと、そういう群れにいること自体が窮屈になるし、群れからもハブられたり、いじられたりするでしょう。それって何かを得るというより、ただの時間つぶしになってしまう。いい影響も受けないし、成長も止まるし、自分もつまらないし、ストレスも溜まる。だったら自然と抜けるのが当たり前なんだ。  
  
だから、場が面白ければ見る。場が使いやすければ使う。ただそれだけだよ。  




  「わたしはそういう距離を取る」
  

自分の中から出てくるものなんて、しょぼい。だから、そんな自分に満足したくないんですよね。だからこそ、すごく自分のことも、まわりのことも考える。ただ、接触しなくてもいくらでも考えられるからね。それはたしかに一般的な正解にはたどり着かないかもしれないけど。まあ、本ってやつは静かだから、他者の見解をいくらでも咀嚼できるもので。役に立ってないかもしれないけどね。  
  
何かのためにやってないので。ほしいな、いいな、たのしいから。これはどうだろうって、立ち止まったり振り返ったりしながら、楽しめるように模索していくだけ。  
  
とにかく、場の方向や雰囲気ってやつを嗅ぎ取れずに逸脱する人を、どうにかすることは難しい。場が変わるか、相手が消えるか、自分が消えるか。ただそれだけのことだから、そんなにこだわることでもない。そう思います。  
  
群れにいる人は、ひとりでは寂しくて、自分が不安な人だけだよ、とまでは言い切れないけれど、そういう不安をどうにかするために、大きな声を上げたり、正論として掲げてみたりする人はいる。あるいは、声も上げられずに震えている人もいる。そういう人たちからすれば、大きな声も、一つの意見も、一つの解釈も、信じる価値があるものになる。そうやって仲間がいれば、自分が正当化され、自分がいてもいい場になっていく。コミュニティって、そうやって漠然と作られていくんだろうな。

 まあこの投稿サイトのように、好きなものを好きな形にして、それを咎めるものはなく、諌めることもなく、といったかたちが自然と行われるように、一つのコミュニティーとして場を運営し管理していただけることをありがたく感じています
  
さてどれもこれも、きっと勝手な偏見で塗れていて、わたしの勝手な見解だけど。  
  
ここから先は、さらに創作の場、とくに詩のまわりの文化の話になる。  
  
今の詩書きって、ネット上で承認欲求を満たそうとしている人たちより、もっと真面目に創作物を見てほしい人のほうが目立っている気がする。わたしがそういう場所にいるからなのかな。気兼ねなく言葉をおいておくことができる場所としては、今はnoteが一番盛んな気がします。
Twitter上であれこれ交流としてお題やタグなんかが盛んだった時代があって。詩人の本懐 創造百科 アトリエ部 詩コン もっともっとありましたけど。毎日書いていた時期が懐かしいですが。今そういったものはあまり見かけないだけなのかなー

どこもガン見しているわけではないからどうなんでしょうね
  
じゃあ詩壇はというと、社交的な部分、若くて、詩人になりたいと声を上げていて、謙虚で素直で、詩人に敬意を持って積極的に行動する人であれば、意欲が実績を生むような、自然と詩人と名乗れるようになるような。そういった職人気質、年功序列みたいなものがあるのかなと、思って見ています。 勝手な偏見ですけど

それがいいとか悪いとかは、あまり考えない。それぞれ、そういう文化なのかな、でしかない。自分はきっとどこも馴染めないなと思うだけなので。そもそも自分で切り開いていくか、単に運みたいなものか、偶然も必然も、どう受け取るかは自分次第みたいなところがあるからね。まあ結果はまた別ですけど
  
思い出補正っていうか、今の自分が好きだから、振り返ればネット詩がハチャメチャで一番楽しかったかなとは思います。ぶっちゃけ。でもそれは、群れが心地よかったわけではなくて、たくさんの人が集まり、創作物を読み、切磋琢磨する空間が心地よかっただけで。声がでかいやつが正義を掲げ、たくさんの人が去っていって、それでもうつまらないなと思って、わたしは場を引いたわけで。  
  
今は自分でこうして考えることができるようになったから。場にこだわらず、さほど交流も求めていないんだなともわかっていますけど。この先もどうなるかわからない。わからないからおもしろい。考えることに価値がある。そんな気がしています。

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批評・論考

#じんたま 14 「蔦」の力学

B-REVIEWの8期運営が成立する前後は、様々な人物とのやり取りもあった。
元々はつつみさんが6期運営を引き継ぐという話があって、それとは別に私が、6期運営がスペースでの目も当てられない指弾を受けている場面を見て、勝手に次期運営についてのスレッドを上げていた。そのスレッドにつつみさんが合流して運営との話を進めていたのだが、つつみさんがそのやり取りの中で体調を崩してしまっていた。
6期運営と私自身もつつみさんの身を案じ、それから暫くは私が主軸として6期運営とやり取りすることになった。つつみさんのことは心配であったが、つつみさんの意思もあって、何としてもB-REVIEWの今後の安定化のために動こうとの決意を改めて固めていた。しかし6期運営の選択肢は、B-REVIEWの存続に対して難しい部分を提示していた。
結果的に、とにかく現運営は期限を以て退任するという旨であった。その期間に運営を引き継がない場合は、結果的にB-REVIEWの機能を停止する選択肢を予感させるものだった。
私もスレッドを立てたものの、B-REVIEWに知り合いというものは居なかった。
文学極道時代の知り合いは、その当時、殆ど掲示板には現れていなくて、居たとしても私にとってはどこまでもテキストを通じての面識で、それ以外の繋がりは無かった。
私は掲示板上でしか次期運営の募集をかける以外に選択肢は無く、ここから1ヶ月程は正念場だなと感じていた。私にも生活があるので、夜の22時以降から4時間程の時間をB-REVIEWの批評と次期運営の募集スレッドの更新に充てようとしていた。
その時点で三浦氏はよく分からない行動を起こしていた。B-REVIEWを爆破すると触れ回っていたかと思えば、存続の道を探しているとのツイートもしていた。
私はその時点では三浦氏のことも、文学極道時代のテキストのやり取りしか繋がりはなかった。テキストの繋がりといっても、私が三浦氏に対してキツめの批評を行っていただけに過ぎない。
知り合いは誰もいない。私は次期運営募集スレッドに何らかの反応をするアカウント全てに募集をかけると宣言した。
今考えると、完全に逸脱した行為だと感じる。文章に起こしてみると、「何をしてるの部外者が」という感想だ。
正直、三浦氏も私というイレギュラーの存在に困惑していたのかもしれない。三浦氏には三浦氏なりの落とし所を考えていた筈だった。三浦氏とは一切繋がってなかったので本当の動きはわからないが、B-REVIEWの見える部分でも数ヶ月前からちょくちょく次期運営の呼びかけはやっていた気がする。
しかし様々な要因が絡んで事態は急を要していた。私も何故か期限を切っていた。
結果的にスレッドは5000前後の閲覧数を記録していたと思う。
私は独自の条件として11人制を上げていた。これは多人数で事にあたる事によって1人の作業量を軽減する狙いがあったが、この案は頗る不評であった。そもそも6期運営は次期運営には参加しないと宣言していたので、私は短期間の間にあと10人を集めなければならない事なっていた。「いやいや」と、悪意でなく普通に心配する発言が相次いだ。しかし私もその時は既に掛かり気味になっていたので、少人数の運営の負担を嫌って頑なにこの条件を連呼していた。
B-REVIEWのメディアそのものでもある投稿掲示板での次期運営の募集スレッド更新だったので、私なりにB-REVIEWに敬意を示す意味でも、最初に投稿作品に批評をつけることを自分自身に課していた。使える時間に対して、その半分は批評に費やすことを決めていた。よくわからない気持ちにはなっていた。どうなるのかもよくわからなかった。
色んなやり取りを経ながら、最初に田中教平さんが賛同してくれて立候補してくれたと記憶している。ありがたいと思った記憶がある。いすきさんはスレッドにはちょくちょく書き込みはあったが、明言は避けていた。まぁその心情ももちろんわかる、これは完全に面倒なことだと誰もが理解していた。
私は文学極道時代に知っている人物の名前を思いつく限り書き込んでいた。B-REVIEWのことは全然分からない。B-REVIEWでもその頃はぽぽ批評しかしてなくて、人間関係を構築する気もなかったので、やはり知り合いは誰もいない。SNSも詩関連には連携していないので知り合いもいない。文学極道時代の自分が尊敬する人物の名前をスレッドに書き続けていた。
結局、根負けする感じでゼンメツさんがスレッドに現れて立候補してくれた。彼はその頃はもうB-REVIEWでは活動していなかった。少なくとも自分がB-REVIEWに来てからはゼンメツさんが新たに作品を投稿したことはなかった。入れ違いのようになっていたと記憶している。
ゼンメツ氏とも勿論テキスト上での付き合いしかなかったが、彼は私に旧知の仲であるかのように振る舞ってくれた。文学極道時代はゼンメツ氏の作品には必ず批評を入れていたし、そのことを彼も覚えていてくれたのだと思う。結果的にゼンメツさんがシリュウさんと、もう1人を連れてきてくれた。その2人もその当時はもうB-REVIEWでは活動していなかった。私は現在活動中の投稿者ではない人物を呼び込んだことになる。
そのことがどのような結果を産むことになったかは、その当時は予測はできなかった。只々ありがたかった記憶しかない。
私を入れて5名集まったところで、三浦氏が正式に参戦してくれた気がする。三浦氏のお眼鏡にかなった、私の中ではそんな認識があった。彼が行動で示す人物だとは噂では知っていた。私の覚悟を見ていたのだろう。
三浦氏が正式に参戦してくれてからは、全てが速度を上げて進んでいった。三浦氏を入れた6名で次期運営をやるということを宣言し、予定より一週間早く次期運営の移行作業を進めることを確認して、その期限ギリギリにいすき氏がシステム担当として参戦を表明してくれた。そのギリギリの決断はとても嬉しく思った記憶がある。
私の認識では7名が次期運営を担うという認識があったが、結局は三浦氏は7期を1人で担当し、形式的な移行作業を終えてからすぐに8期運営を6名で引き継いで……ということになった。私の当初の案である11人制は勿論念頭にあったが、そのことに固執するあまり運営の移行作業全体の遅延を招くことは、その時点では意味がないことは明白だった。11人制に関しては、8期運営が落ち着き次第、必要に応じて新たに募集する旨も了解してもらっていた。
その後、私は黒髪氏ともう1人、高校生の投稿者を招き入れ、その時点で8名。その後、他のメンバーもそれぞれが独自の権限で招き、結果、11人制は叶うことになった。
その頃にはつつみさんも掲示板上に姿を見せていた気がする。私がつつみさんに対して、運営以外でも例えば「この一連の騒動の記録者として何かそんな役割をしてもらえれば」と発言した記憶がある。その書き込みに対して何故かB-REVIEWに現れた渡辺八畳氏が「いや、その役目はむしろ吸収さんがやるべきだ。人に言うのではなくて貴方自身がやってみれば」みたいなことを言われた気がする。
期せずして、そのようなことになっていることに驚きは隠せない。その時は適当に受け流していたが、運命の歯車はゆっくりと回転を始めていたのかもしれない。
私がB-REVIEWについて語れることは少ない。前回も書いたが、参加した時には6期運営の時期であり、B-REVIEWが開設されてからその歴史の大半が過ぎていた。私はその最後の数年を私なりに過ごしたに過ぎない。8期運営は結成直後に最高点を記録して、そこから凋落の一途を辿ることになる。
私は結局1ヶ月も経たずに運営を降りるというか、逃亡することになる。内部から運営を支えることが困難だとの判断だったが、逃亡と思われても仕方ない。言い訳だが私は私なりの正義を貫きたかった。
花緒氏はその頃のB-REVIEWでは頗る評判が悪かった。私には花緒氏の記憶は文学極道時代のものしかない。クレバーでそれなりに胆力のある人物だと記憶していた。しかし8期時代の花緒氏はそう受け止められてはいなかった。
私は正直言って花緒氏と対話したかった。文学極道時代の花緒氏の作品には恐らく評は入れていない。彼は所謂スタイルのある作品を書いていた。スタイルが保たれている作品には批評との相性は良くないと当時の私は認識していた。スタイルそのものを批評することは、ある程度遡っての知識が必要になる。彼なりの理論武装だったのかもしれないが、批評の通り辛さを考え批評をしなかった記憶がある。
それでも彼は文学極道では新参者の1人だった人物だ。三浦氏に関してもそうだ。それが今では共にネット詩の重鎮となっている。
昨日のクヮン・アイ・ユウさんの放送(5月5日のもの)も、前日の放送の余韻を多く残していた。最終的に花緒氏の登場を期待していた部分が見受けられた。CWSでも動きはあった。私の投稿する掌編『#じんたま』に花緒氏からコメントがあった。花緒氏名義でコメントをもらったのは随分久しぶりな気がする。彼なりに思うことがあるのだろう。機運、タイミングみたいなものも勿論ある。CWSは名実ともに彼の肩にかかっている、その重圧もあるだろう。三浦氏もそのことについての配慮は勿論ある。
細々としたことを語ればアレだが、配信「#じんたま」とCWSは奇妙な関係性にある。そういう意味での問題に、私の掌編『#じんたま』が蔓のように絡まっているのも理解できる。しかし私は私なりに掌編『#じんたま』を紡ぐだけだ。
結果的にクヮンさんやつつみさん、その他の関わる人に対してどのような影響を及ぼすか予測ができない。しかし私は私なりに真っ直ぐ行くしかないと思っている。
何かが動き出していることは勿論わかっている。だが前を向いて歩くしかない、それだけだと思っている。

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2023年末法隆寺吟行より

求ればみな凍てたまふ夢殿よ

https://i.postimg.cc/g2djHdJh/rectangle-large-type-2-f4b2dc93ef1e24c31d7bb2512e6fe8e0.jpg

※法隆寺前の食堂の、斑鳩グルメ竜田揚げ定食。

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主張強め日記 5月5日 迷惑ユーザーについて再考など

文芸投稿サイトにおいて迷惑行為との向き合い方がコミュニティの性質を決定する、とこれまで私は主張してきた。しかしCWSにおいては、その図式が静かに終わって久しいのかもしれない。今でも迷惑行為をするユーザーがいないわけではないが、さくっとアク禁にしていることもあってか、ほとんどの投稿者は無関心でいられている。荒らしと荒らし対応のせめぎ合い、そこから生まれるカルチャーに、大多数の投稿者はもはや関与しないし、関心もないだろう。それはそれで素晴らしいことだ。私としても、文芸投稿サイトの負の側面を俎上に載せながら自分の見解を述べるこのアプローチ自体を、そろそろ手放さなければいけないとも感じている。


ただ、一点だけ観察を記しておきたい。迷惑ユーザーが主体となって他人の場を間借りし、「活発に意見交換」しているらしい場がいくつかある。そうした場では、例外なく新しい人が流入しない。盛り上がっていると感じているご本人たちに水を差す気はないが、投稿サイトを運営するものとしては、これが答えだと認識している。迷惑ユーザーと積極的に共存したいと思っている人間が極めて少ないという現実は、そうした場が静かに証明している。


迷惑ユーザーには共通するパターンがある。やらかした後に謝罪ができず、攻撃に転じるというものだ。親切にされるともっと甘やかしてくれと要求し、やらかした後には誹謗中傷を始める。親切を受けたら返す、迷惑をかけたら謝る、そういうごく初歩的な人間としてのプロトコルが機能しなければ、社会的な孤立へ向かうほかない。自覚はないのだろうが、まったく同じパターンを飽きるほど見てきた。


CWSではアク禁にするが、謝罪や反省があれば解く。運営への悪口を撒き散らしながら通報や開示請求をちらつかせ、寛容さを求めることの矛盾に、本人たちは気づかないのかもしれない。ルールを破ってしまうのは人間らしさの表れだから許すべきだ、という考え自体には賛同したい。しかし迷惑をかけた相手への謝罪を求めることもまた、人間的な発想だ。謝罪する気のない人間を無理に許して場を与えることは人間社会のあり方に適っていないし、悪い結果しか生まないのはもう十分見てきた。


CWSにはマナーガイドラインに類するルールブックをあえて作っていない。ルールに基づくガバナンスから先に進むつもりだからだ。他サイトで散々人を追い出すことに加担した人間が誹謗中傷を続けた後にしれっと投稿していればブロックする。以前から誹謗を書き散らかした人間が運営アカウントに悪意を丸出しにした質問攻めをしかけてくればブロックする。いずれもルールに照らした判断というよりは、攻撃をベースに近づく人間を受け入れる必要はないという、人間としての感覚に基づいている。逆に謝罪や釈明があれば受け入れる。当たり前の人間としての対応をやりたい、ということだ。


私個人はバランス感覚のある人間ではなく、創作をやる人間が概ねそうであるように偏りがある。しかしAIが隆盛を極める時代だからこそ、当たり前の人間としての反応を重んじていきたいと感じている。そして私たちはといえば、荒らし対応とは違う角度からコミュニティを語る切り口を、そろそろ本気で模索しなければいけない。

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批評・論考

ありきたりな日々に生きる

ありきたりな言葉で詩を書く
あちらこちらで散見されるほど
ありきたりな言葉で
きらりと光る詩を書きたい

目に耳に、頭にそして心に
すっと馴染むありきたりな言葉こそが
ありきたりな日々に生きる私を支えるように
ありきたりな日々に生きる人々の
心を照らすと信じているから

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♥らぶりぃ♥どんきぃ♥ぱらのいあ♥

さでぃすてぃっくおまんこ
地上はもう終わりです。
痴情に縺れたので。
犬以外は早く死ね。
(こんなんばっかっしょ)
(みーとぅー)

ぺれあすとめりざんど。 ししりえんぬ。
あたしの凡てを千切って精神からそれを滴らせたい。赤と青の混合物。あめじすとの切っ先。それを。
それを、それをそれをそれを。

朽ちていく巨大なものは、微生物達によって分解される。顕微鏡を覗いた時、その蠢く小さなもの達は、私達の顔をして居た?双眼鏡を覗き見える朽ちていく巨大なもの、その顔は私達の顔をして居た?ねぇ、だーりん、すきぞふれにっく・ぱらのいあから私を救い出してよ、体を繋ぎ止めて、舌とちんこを侵入させて、その柔らかな杭で、私を正気という檻に閉じ込めて欲しい。ちじょうに繋いで欲しい。永遠に。

流出する魂が、今、蛍になって、私の舌にのる!

爆発candy部隊が、鋏王子の城を取り囲む!



なぁんて。

凡ては

あたしの

ぱらのいあに過ぎ無いよ、だーりん



道は途絶え森に続いて居た

朽ちて腐った木の、その脇に、まだ弱々しく瑞々しい蘖があって。

から類の混群が、忙しないお喋りを木立ちの合間に響かせながら、頭上を飛び回る

雨に濡れた木々と土の匂い

熊が残した爪痕が巨大な赤松に刻まれて居る

気配を殺す鹿達がふいに腐った落ち葉の上を滑るように走ってく

白樺の肌は君のそれに似てる

何処かで野犬か、狼か。遠吠えが聴こえた

行かなくちゃ

あたしは森で朽ちて果てて腐った死体になるだろう
微生物達があたしの腐乱死体でぱーてぃーするだろう
狸や狐はまだ食べられる肉や骨を一片ずつくすねて行くだろう、巣穴で待つ彼らの幼獣達のために
やがて、土の上に散乱した、僅かな骨だけがあたしになる
黴びた肋骨は小さなきのこや苔に覆われて
やがて私は土になるだろう

森の中で
あなたの声を聴いた
私はあなたの声を聴いた
正確にはその歌を聴いた

その歌にはあなたが受けた凡ての傷と愛があった

耳を澄ませて
口を噤み
目を光らせて

1匹の犬になる
私達は犬に過ぎ無いと言っても過言では無い
透明な犬が森を駆けていく
巨大なものが分解される時、私達は蛆虫で
腐敗した肉の甘さをその口に知る
透明な犬は駆ける
どんな物語にも汚され無い朝を
どんな物語にも汚され無い夜を
追跡する
その鼻で暴き出す
白日に暴露される
その未来を

幽霊の犬よ
精神の犬よ
精霊の犬よ

未来を
私は光と呼んだのか?



そんなことより
だぁりん、早く抱いて。
さでぃすてぃっくおまんこから産み落とされる赤子はみんな鳴いて居る泣いて居る
優しい舌が額に触れる

森の中には私のように破壊された遺跡があった けれど美しくさえあった その光景は君の左手の骨に似ていると私は思った

遺跡の中の、黒く穢れ、錆つき、割れた鏡に反射する光は、分かたれた私達で、
あたしは、
自由に生きたかったし、
自由に生きるしか無かったの
そうでしょ♥



早く、だぁりん。
私達、せっくすしよ♥
この土塊の上で♥



♥らぶりぃ♥どんきぃ♥ぱらのいあ♥

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たぶん

たぶん
玄関を開けると
外側があるとは
かぎらないなあ

春と
春へと
収斂すると
情動量に比例して
避けがたい
クレパス
祭りの
準備

「たぶん
詩人を一人
虐殺するのに
コストはいらないさあ」※

裂け目から発芽する奴
と発芽しない奴の差
花を咲かせるもの
花を摘むものの
耐え難き差を
鞣していく

存在の
存在による
存在の存続
引用を繰り返す
書き言葉話し言葉 

内側へ
春の内側へ
収縮と再生の連鎖
夥しい数の語彙
クリシェの使い方に
慣れた山師や山伏
辛夷の花がちり
潤いをもたらす頃
詩人たちの死を
詩はしたたかに
確からしくふるまう
蜥蜴


※は藤井貞和『全部引用、たぶん』より引用

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スーパーノヴァ

「アイドルの快楽及びその憂鬱」という作品は排泄をしない という解説文があり、
それはその聖性を物語るためのおおげさな演出のようなものだろうと思っていた
たしかに、
他の絵画はもちろん排泄もするしセックスもするし敵愾心はあるし家に帰るのだが、
この作品は浮世を離れた作りをしているので
太陽なのではないか?
と地質学、天文学の分野で今、
波紋をよんでいる
そして
それにふさわしい人たちが
この周辺を惑星さながら公転しようと躍起になっている
つきつめていくと究極の無駄のない宗教的な勤め、というのは太陽系の惑星になる事なのだろうか と
オオウチュウドクギツネに
化かされた気分になりそうなんだぜ
と、ジョニーがまた盗んだアルカディア号で
走り出しそうになってしまうのだが、
いかんせん 惑星になる という事は難しく、 公転する、自転する という事は
惑星運動であるから完全な無酸素運動となる

みな、その無茶さの加減から途中で
逆ギレして「惑星なわけないだろ」
とか言って家に帰っていく
もしくは無酸素運動に耐え、殉教する
破裂してデブリになった殉教者たち、
もしくは逃げる前に酸素不足になったものたちの涅槃処
森羅万象が結局、茶店のようなものならば
砂糖だらけの地球を
メロンソーダに浮かべよう

だいじょうぶさ
プロジェクト 「しあわせになろうよ。」
お金を払おうが祓うまいが、
どちらでもこの宇宙では好きにすればいい

とどのつまりなんて、
この画布に
ただ、あなただけがおいしそうに
たべられる餅を書けばいいだけの
話ではないか。

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茶の味

腕まくりをしたのは
蚊に血を吸わせようとしたわけでも
君を抱き寄せるためでもなく
一週間ぶりの欲望をカスタマイズした
ど根性ラーメンを食べるためだった

僕の人生の最後は
小豆島あたりで
根性庵というのをあんで
頑固に暮らそうと思っている
もちろん、ひとりで。

君がどうしてもというのなら
隣にど根性庵というのを
建ててもいいよ
そして、
君が頑固に暮らすかどうかは
君に任せるのだ。

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寝覚めの悪い日曜日、午前6時


窓を開けると 
外はさめざめと
雨降り
灰色の空と 灰色の空気が
僕の部屋の中に充満していく


僕は なんだかまた
例の不安の波が押し寄せてきているらしく
なんだかまた 泣きべそかきそうになって
たまらなくなって目をそらす



視線の先



昨夜 食べ残したままの
ブルーベリージャムが染みこんだトーストと
飲みかけたままのオレンジジュースが
素っ気なくつぶやく
やれやれ またそうやって
いつものように
そんな気分に耽っているの と


部屋干しされたまんま 乾かない洗濯物と
投げつけるように書いたいくつもの
詩にもならない感情が
哀れむようにほくそ笑む
やれやれ またそうやって
いつものように
自堕落に安心してしまうの と



耳鳴りのように
繰り返し繰り返し
何度も何回も云ってくるので
またもや僕は たまらなくなって
いっそ なにもかも
自分のせいにでもしてしまわないと
とても今日一日 やり過ごせそうもなく



思いついた先



     ヨワムシ ケムシ ノ ホトトギス
          イツマデ タッテモ コエ モ ダセナイ


     ナカナカ ナカナイ カラス ガ ナイタ
          ナゼナゼ ナクノ ト キキカエス


     サミシイ ミシン ヲ カタカタ ナラシ
          ツギハギ ダラケ ノ ココロ ツクロウ


     コドク ドクドク コキュウ ガ ナッテ
          ドコニモ イケナイ タダ ヒトリボッチ



ゴロゴロ 語呂を弄くりまわす



何もしないでいるより少しは
気が紛れるような気がして


こんな読みづらい片仮名だらけの文字に
意味なんてないけど


意味 ナド 無インダ 最初 カラ
無意味 モ 意味 モ 意味 ノ ウチ



・・・・・・なーんちゃって
 



無意味ついでに 呟いてみる 




  ド ウ カ ボ ク ヲ ユ ル サ ナ イ デ







寝醒めの悪い日曜日、午前6時
外は 
さめざめと
雨降り


さめざめと
雨降り







☆★*〜*★☆*〜*☆★*〜*★☆

 さめざめ、は、泣く、を表現するのに用いるコトバで
 使い方としては間違いなのかもですが
 降り止まぬ雨が、なんだか泣いているように思えたので
 このような表現を用いました




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窓の月

いつ何の待ち時間だっただろうか
何気なく広げた雑誌に描かれていた月が
眠れぬ夜の瞼の裏に浮かび昇る
何を照らすでもなく沈まずに薄れ消えてゆく
瞼に昇る窓の月を観て欲しくてさ



窓の月は窮屈そうで
私の目を盗んでは
窓枠から外れようとしている
眠れぬ夜は
逃げる月を逃がさぬよう
漫ろに円をえがく月を称え
詩を綴り続けようか
でも皐月の夜は短すぎて
早朝の空に白け顔の月を
引き留める引力は私には無く
睡魔の熱で溶けゆく
飴細工の思考の中で
薄れゆく月に手を振るばかり




などと紙上に昇る窓の月を文字にするから
読んだなら窮屈そうな月をどうか
感性の海へと解放してはくれないか
薄れ消えゆく窓の月に手を振るだけの私に代わってさ

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しきゅう。

私の具合は大抵悪いです。
何故なら子宮があるからです。
だから、わたしは、遠慮せず
家でも、職場でも、知人にも、ネットにすらも
「生理痛がたまらない」と書いたりする。

そしたら大半の人は顔を歪ませ
気の毒がるか、鬱陶しそうか
全くわからないなあと言ったりする。
反応などあまり関係なく
痛いから痛いし
具合が悪いから悪いのです。
わたしがオンナで子宮があるからです。
紛れもないかえようもない事実で
現実で真実なのですが

いつからか「子宮」や「性別」が
口に出すことも書き表わすことすらも
歓迎されなくなって


だから余計にわたしのぐあいも
持つ人は勿論持たない人も
どっちでも良い人ですら
それに振り回されていくように
なってしまったのです。

はっきりいう。
他は知りません。
私は大抵毎日具合が悪いです。
子宮があってオンナというもので
にんげんってやつだからなのかもしれませんが


まあまあまあ
いちお、「母」であり
「社会」というもの
「家族」というもの
意識して
なんとなく普段は口を噤んでいます。


偉いでしょう
しきゅうのためにふりまされながら
しきゅうのためにいきていくときめて
うんざりしながら
しきゅうをきょうも
よく蓄えた脂肪のうえからなでなでしてます

たぶん こんかいは いっしょう いっしょに
いなくてはならないので
(あくまですべてわたしのはなしで
ございます)

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#じんたま 13 quiescence-inducing neurons; Q neurons

昨夜のクヮン・アイ・ユウさんのツイキャスは、当初「配信#じんたま」ではないはずだった。
最初は「時間が空いたから」といった説明だったと思う。私は彼の昼間の配信のアーカイブを聴いていたが、21時から急にXに告知が入り、そのままリアルタイムの配信に切り替わった。
前半は、三浦さんのYouTubeチャンネルで公開されているショート動画の話で盛り上がった。ユウさんの世代的には、かつての『ガチンコ・ファイトクラブ』を想起させる構成がツボに刺さっているようだった。確かに、私もリアルタイムで観ていた記憶があるが、先の展開を知りたいと思わせるあの作りは、当時かなりの衝撃だった。
その後、色々ありゼンメツさんが浮上したことで、配信は大きく転調する。内容はアーカイブを聴いていただければわかると思うが、結果的に4時間を使い切る長丁場となった。
今回の掌編の副題は最初「Missing Link」とするつもりだった。
そう感じたのは、三浦氏のYouTubeチャンネルで一つの過去放送を聴いたからだ。
それは9年前、三浦氏と花緒氏、そして百均氏がB-REVIEWの今後について語っているものだった。三人はとても幸せそうに未来を語っており、まだ彼らが運営に留まっていた時期のものだろう。その放送の中でも、三浦氏は頻繁にユウ氏の名前を出していた。
私はB-REVIEWの歴史を詳しく知らない。
関わり始めたのは運営が6期の頃だったが、その頃には既に多くの問題が発生していたように思う。放送の中で幸せそうに語っていた花緒氏も百均氏も、そこにはもう居なかった。
6期運営は投稿作品の削除問題を追及されており、新参の私にはそこまでの経緯が何もわからなかった。しかし「#じんたま」を書き進めるにあたって、その空白の期間を知らないことは致命的であると気づき始めている。当時の運営が2名だったことにも衝撃を受けたが、投稿者とのやり取りを見る限り、既にオーバーワークである事が見てとれた。
入りたての私に何ができるわけでもなく、私はただ文極時代の記憶を辿りながら、ゼンメツ氏の投稿に批評を入れようとしていた。しかし、作品の批評期間は既に過ぎており、それは叶わなかった。
仕方がなく、作品の体をなした「ゼンメツ氏への批評」という形の作品を投稿した。その時、私の中で何かのスイッチが切り替わった。止まっていた時間が、動き出した感覚があった。
文極時代、私は彼のすべての作品に評を入れていた。彼が創造大賞を取ったときは素直に嬉しかったし、私は彼のファンでもあった。CWSには、彼に捧げる作品も投稿している。
昨夜の配信の後、ゼンメツ氏は「ネット詩から消える」という旨の宣言を別所でしていた。私はそこで、彼を世に出せなかったことは詩界隈全体の喪失だとコメントした。
彼もまた、自分の中の時間軸が激しく切り替わっていたのかもしれない。最終的に、詩に関わった時間の少なさを呟いていたが、そこには確かに才能があったと思う。ただ、日々の生活を営むことが、彼の時間を切り刻み、ある部分を凍結させていたのではないだろうか。
ユウ氏が、放送に参加した私に労いの声をかけてくれたとき、「このことは書きます」と返した。
今、私自身の凍結していた部分が解けていく感覚がある。配信「#じんたま」に関わることで、多くの人の時間が切り替わり、動き出している。
今朝、奇妙な夢を見た。「#じんたま」が途轍もなく有名になり、ゲストにMrs. GREEN APPLEが出演している夢だ。
私は一視聴者としてその光景をモニターから眺めている感じ。
目覚めてこの文章を書いている今、この世界は本当によくわからないと感じる。
けれど、この瞬間そのものが既に「#じんたま」なのだと、私は思っている。

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夜は何のためにあるか

夜があった
夜がいつも僕を追いかけては
そっと首筋をつつんで締め付けた


その度に思い浮かぶのは


記憶にもないこと
あるいは君がいなくなった日々の
その憧憬のための追悼


夜はそのためにあった

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過日の香り―影追の遥

 休日、駅前に隣接する百貨店で用事を済ませた遥は外に出て、少し驚いた。午前中の巻雲は厚い雲に消え、ひやりと湿った風が辺りを走り始めている。秋の入り口の、急な冷え込みだった。

 本降りはまだ――ただ単にまだなだけなのは、ペトリコールが教えてくれていた。
 バッグから傘を取り出す。生成りの風合いに、端へ蔓草が這うデザイン。日傘兼用の、遥のお気に入り。まだ広げずに手に持ったまま、古い木製の天蓋が続くアーケードへ入った。

 裏通りへの路地が見えたとき、遥の足が少し遅くなった。
 十年前、クラスメイトと初めて入った装身具と――肌着の専門店。

 傘を広げ、路地へ折れる。雨の香りが強くなった。隣に、いないはずの影が並んで歩いていた。遥はそちらを見なかった。ただ、歩幅が自然に、二人分になっていた。
店は変わっていなかった。

 ドアベルが鳴った。からん――からん、と二回。

 奥でミシンをかけていたのは、あの頃大学の服飾科にいると言っていたお姉さんだった。手つきが、落ち着いた職人のそれになっていた。二言三言、昔よく来ていたことを話した。鈴蘭の刺繍がある、柔らかな風合いの揃いを、二つ求めた。

 外に出ると、またドアベルが二回鳴った。
傘を差して歩く。傘に当たる雨の音が、二種類聞こえた。

 小さな公園の東屋に、遥は座った。
左の方から、雨の匂いに重なって、シトラスの香りがした。

 遥は前を向いたまま、動かなかった。香りが強くなる。唇と、胸に、冷えた手のひらの記憶が戻ってくる。

 「ん、」
 ふっと、吐息が絡みあい混じった気がした。

 傘に当たる雨の音は、一つだけだった。

 遥は包みを一つ、東屋のベンチに置いた。それから立ち上がり、傘を持ち直して、公園を出た。

 ただ胸に手を当てて、何かを抱くように。

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「正しさ100%」

あなたは正しい。

正しいけれども、
それで私を殺す気だ。

私はきっと、正しくはないけど
それを間違いというのだろうか。

疑問を持った頭を置いて、
口から出るのは謝罪の言葉。

私の全てが悪いのですか。

疑問は溢れど、口は重く。

正しい言葉に救われるけれど
正しい言葉で殺される。

善意で正義で、真っ当で。
それら全てに殺されて。

いつまで経っても正しくなれずに
いつでもどこでも刺されてる。

私の正しさ、いったいいつから?
いつからいなくなったのだっけ。

どこかの誰かの尺度で生きて、
どこかの誰かの引用してる。

それが正義で、正しさで。

あ、私の正しさ、首を吊ってる。
あなたは気にも留めないまま

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優しくなんかなれやしない

チョコレートが世界で一番好きなのに
なかなか食べられなくなりました

それでこの世を憎むのは
まっとうなことだとおもうのに
うまく言えません
だから誰にも会えなくて

優しくなんかなれやしない
自分にすらチョコレートひとつ
買ってあげれないのに

悲しみは汚れでしかないといいきれば
誰よりも高級な白い布が纏えて
崇高な神様に出会える気がした

それでもさあ
わたしはやっぱり
チョコレートひとつがほしくって


それだけで世界を憎めるのです

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Don't look back.

I cut my long hair—
you brushed it once
and said you liked it.

I’ll leave it behind,
even our memories.

I wish I could.

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理科の思い出

かわるがわる あの日あの時
彼とわたしの 手が教室で
解剖した 気の毒な
蛙のように俎板の上 こんなふうに
金縛り ギロチン待つ日 いつか来ようとは
肝心要のところ 理科の時間では
カミサマ 何も 教えてはくれなかったのです ところで
彼はその後 どうしたことでしょう
考え深い 立派な 大人になっている のでしょうか それとも
完全なる ぶよぶよの 宦官にでもなっている のでしょうか それとも
蛙のように道の上 すてきな ワッペンにでもなっている のでしょうか
カカカカカと
呵々大笑するあれは ああ あの日あの時
彼とわたしの 少年が 破裂させ てしまった
蛙に ちがいありませんね きっと


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風に吹かれゆく無名花

雪が解け 種が芽吹き

花が咲いては風に舞い

葉が茂っては風に揺れ

葉が枯れては風に落つ

雨に降られつ風受けつ

今日も明日も明後日も

幾時が過ぎても我々は

風に吹かれゆく無名花

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【詩】本音

会いたい
  って
毎回 ねだってくるのも
大概に してくんない?

だいたい こっちは
短大 休んで
大枚 はたいて
再会 しないと
なんない ってのに



わたしの事情を 知ってるのか
分からぬフリを しているのか

解読不能な君は 二歳児みたく
泣き喚きながら

愛してるから
大好きだから
さびしいから
  って
浅い主張を 乱射する



君がわたしに 向け続ける
好意のウラに 装填された
するどく光る 実弾みたく
重くて強くて 真っ直ぐな
想いにいつか 撃ち抜かれたい

君はそういう タマだと願って
わたしの勘よ 当たれと祈って
会いたい
  って
送り返して しまうんだよね

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【詩】再会

待ち合わせの 十三時に
間に合わせて 乗った電車

空いた席を 空けたままで
ドアの側で 外を眺む

空の青は
はやる気持ち 落ち着かせて

山の緑は
はしゃぐ気持ち 迎え入れて

僕は 深く深く 座る
ドアの側の 紅のシート



背に伝わる 淡い揺れに
薄く閉じた 瞼と耳

ガタンゴトの 三連符が
徐々に 遠ざかって消えた

目を開けたら
目的地は とうに過ぎて

聞こえたのは
終を告げる 車掌の声

僕は 恐る恐る 開く
二人だけの トーク画面



開き始めた ドアの隙間
目がけ投げる 細い身体

ありったけの 「ごめんなさい」
投げたスマホ 汗ばむ手に

跨線橋を
猛ダッシュで 渡り切って

滑り込むは
十三時発の 急行 

僕は 破れかぶれ 齧る
ミント味の ガムを一つ



待ち合わせの 饂飩屋から
ストレートに 伸びる列に

一人きりで 待ち続ける
長い髪の 君を探す

「どのあたり?」と
訊くとすぐに 浮かぶ既読

「あたま」と聞き
店の暖簾 目指し走る

僕は 一人ひとり 覗く
二年前と 照らしながら



先頭から 三番目の
瞳と 今 空で触れた

杉の椅子に もたれかかる
君の髪は ショートカット

「大丈夫?」と
尋ねられて マスクを取り

「大丈夫」と
矯正した 前歯を出す

僕は 重ね重ね 下げる
丸い頭 悪い自分



飛んだ刻を カバンに詰め
二十二時に 乗った電車

空いた盤を 埋めるように
角の席に 腰を下ろす

空も山も
水墨画の 夜の町が

昼と同じ
色が香る 街に見えて

僕は じわりじわり 気付く
君に 歩み寄る想いに

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主張強め日記 5月3日 通報とか暴力とか

とある企業の代表取締役CEOに就任した。外部からいきなりCEOになるという経緯から察せられるとおり、当該企業は外資系の投資ファンドに買収されている。経営を改善すれば企業価値が上がる、バリューアップできると判断されたがゆえの買収だ。数週間観察して分かったのは、ガバナンスもマネジメントも十分機能していないにもかかわらず、自分たちに問題があるかもしれないという発想がそもそも存在しないという、幹部のズレた認識だった。ドバイやシンガポールのプロの投資集団にバリューアップ余地ありと見なされた企業が、である。


各企業にはそれぞれの「普通」がある。外資系ファンドやグローバルユニコーンと日本的企業とでは、常識も速度感も、標準とされるものが根本から異なる。問題は能力ではなく、違う常識を持つ人間がいるという事実を認識できるかどうかだ。認識できなければ、変わることもできない。代表権を持つ者の仕事は、その認識を強制的に更新させながら組織をトランスフォームしていくことにある。これはCEOという権限を傘にきた、本質的に暴力に近い作業だと思っている。私は見た目は穏やかで論理的な思考を展開できるが、本質的には暴力的な人間なので、割合向いている仕事だと捉えている。


文芸投稿サイトも似た構造を持っている。積み重なった履歴の中で「これが普通」という規範が出来上がり、その規範を疑わない人間が支配的になっていく。かつては誹謗中傷も厭わないレベルでお互いボロクソに書き合うのが文学だというサイトもあった。詩人だから奇天烈な言動も不規則な振る舞いも許されてしかるべきで、ほぼ放置プレーを維持するサイト運営もあった。それを文学の常識と呼ぶことも、非常識と呼ぶことも、どちらも簡単にできる。重要なのは、特定の常識が誰かを無駄に排斥していないかどうかだ。


言論の場においては、言論には言論で応じるのが筋だと思っている。誹謗中傷、粘着、通報、怒鳴り込み——こうした言論以外の手段で相手を変えようとする行為は、構造的に失敗を余儀なくされる。残念ながら、ほとんどの場合、言論で人は変わらない。だからこそ荒らしは強引で攻撃的な手法に向かう。最近、サーバー会社から「名誉侵害を理由とした通報があった」という連絡が2件続いた。係争や通報をちらつかせて他者の表現を黙らせようとする。そういうやり方に容易に手が伸びてしまう人間だから迷惑者なのだと、あらためて思う。軽蔑はするが、驚きはない。


CWSで何をやろうとしているかといえば、作品を発表し意見を交わす場を作ること、そしてその場における常識を育てていくことだ。違う常識を持ち込んで既存の場を変えていく——CEOとして今やろうとしていることと、文芸投稿サイト界隈でやってきたことは、実は同じ構造を持っている。どちらも権限を駆使した暴力的なトランスフォーメーションだ。だとすれば、運営に対する批判的な言説には寛容でなければならない。直接的な言論を拒まないことと、権限を行使することはセットであるべきだと思う。


暴力的な手法で他者を変えようとしてアク禁を食らった人間などに思うことだが、自分たちは直接的な言論に対して開かれていたかどうか、そこは問われてしかるべきだろう。ただし、答えを期待しているわけではない。言論で人は変わらないと、すでに書いたとおりである。


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批評・論考

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