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2021/01/01 12:00:00

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新幹線太宰

 太宰治は人間失格になったので、新幹線になっていました。
 
 ヒューンヒュヒュンヒューーン

 速いぞ、速いぞ、新幹線だぞ、わーい、わーい

 太宰治は人間には適合できなかったが、新幹線には適合できたので、楽しい日々を送っていました。
 しかし、そんな太宰を嫌う乗り物たちもいました。ある日、年老いた電車が話しかけて来ました。

「太宰くん、若造のくせにすごい速さだ。無事故で人間にも大人気だね。しかし、世間の乗り物たちの嫉妬は怖いぞ。ちょっとは自重した方がいいんじゃないかね。」

 これは、人間時代に気づいたこの世の真理の使いどきだぞ。太宰治はわくわくしました。

「世間とは、あなたなのです、あなたが嫉妬しているのです、ビビビビビービビ、ビビビビビーーッ!!」

 太宰治は新幹線になって自己肯定感が高まっていたので、堂々と言い放てました。

 年老いた電車は完全に言い負かされてしまい、プライドがひどく傷つきました。

 ドッカーーーーン

 ショックのあまり自爆してしまいました。

 太宰治はこの件に関し強い罪悪感を覚えました。

 年老いた電車が自爆してしまったのは完全に私のせいだ。私は間違ったことを言った覚えはないが、彼を酷く傷つけてしまったのは事実だ。真理は時に人を傷つけるのだ。なぜあんなにはっきりと言ってしまったのか。それに、なぜ私は新幹線なのだ。なぜあの老電車は電車なのに、私は新幹線なのだ。私なんかが新幹線になってよかったのだろうか。なにか努力したわけでもないのに。申し訳ない、申し訳ない。

 太宰治は新幹線であることに罪悪感を感じるようになり、以前のように速く走れなくなってしまいました。そして、ある日、全く走れなくなりました。

 新幹線、失格。 

 もはや、自分は、完全に、新幹線でなくなりました。

 太宰治は新幹線失格になったので、飛行機になりました。

 フラーイフライフラーイ

 飛行機すごいぞ、空飛べる、楽しい、楽しい、わーいわい

 完

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政治家だけが間違う国(いやそんなわけないでしょ)

みんな色々言うけどさ
(政治が悪いって言うけどさ) 
みんな言う事ばらばらで 
(何が悪いかはみんなバラバラ) 
今間違いがあるとして 
(政治の失策があったとして) 
違うやり方の正しさは? 
(あなたの言う事の正しさの根拠は)

少子化何時から五十年から 
(まだ経済成長期だよ) 
いったい今まで何してた 
(バブル弾ける迄でも二十年あったよ) 
産んでと言った大臣を 
(森元総理の時の大臣だね)
首を取らんと血祭りに
(結局総理が正論で辞職に追い込まれた)

足らぬ足らぬは出生率
(工夫じゃないよ、赤ちゃんだよ)
産めよ増やせよ政治家が
(宗教家なら経典にあるのに)
言ったが最後血祭りに
(分かっている危機を言ったらもう最後)
足りぬ足りぬは流す血か
(大臣辞めさせて気分は晴れても事態は変わらないよ)

(カッコ内が本音だね)

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政治家だけが間違う国

みんな色々言うけどさ
みんな言う事ばらばらで
今間違いがあるとして
違うやり方の正しさは?

少子化何時から五十年前から
いったい今まで何してた
産んでと言った大臣を
首を取らんと血祭りに

足らぬ足らぬは出生率
産めよ増やせよ政治家が
言ったが最後血祭りに
足りぬ足りぬは流す血か

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謝るよ

500ml入り

幻になったこの国で
キミは大人に向かっている

キミが大人になった頃
500ml入り

標準に戻っているといいのにね

すでに大人の我々が
真面目に国民をこなすことなく
ただ
ぼんやりと
存在してきたものだから

500ml入り

幻にしてしまったね

未来は常に

だけどね

500mlの重さを知れるといいね

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あだネ村

氷の橋、氷の橋、魂は密航する、銀竜草、傾いでいる秋の七草、光る星が何万年前の現象なら、光の中にある私の死体は、すでに、星々の冷めた遠景、氷の橋、氷の橋、猫の舌、竜舌蘭、傾いでいる冬の小路、太陽系を縦走する小惑星の発見は愛と等価の重量、氷の橋、氷の橋、暗渠の上に構築された偽の都市


さきぶれのようなもの
そして 言祝ぐひと
多孔質の花茎をもつ肉は
空虚のなかで開花する
死の痛みを隠喩におしこめ
散華の刻さえ言祝ぐ
歌はうたの形をして
いつも彼岸で歌われることを希求している
 
撰ばれてあることの恍惚と不安、モカ珈琲は口に苦い、青森空港十二時四十五分着、午後快晴、寺山修司記念館館長と太宰治、寺山をめぐる旅、非日常の土地で魂は融合し、揺り動き、意識下に密航する、ブナ、トドマツ切り分け、雪の壁、雪の壁、ラッセル深く、
   (鹿湯、転じて酸ヶ湯)
 (貞享元年開湯、生類憐れみの令)
タヌキノヨクシヌ
此岸にて館長とうたう

春の蕊、春の蕊、祝祭を謳う、オオカメノキ、ユキヤナギ、タマサキサクラソウ、コヒガンザクラ、ツペの舌、通行不能の詩碑、『陽コあだネ村』、起こらなかったことも歴史のうちなら、村のはずれは燦々と輝く、夢の果てに、氷と春を繋ぐ橋、彼岸と此岸をともに言祝ぐ、コトバより生成する世界をひとり旅する、同行のやわらかな聲を耳朶に受けて。



 












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陽炎

ながい沙漠くだるゆめでした
金と銀のおくらをつけて
はるばる意識の 記憶の 羊水の
幼少を過ごした家の廊下には足踏みミシンがあって
カッタン カッタン カッタン カ
死んだはずの婆さまが
むすめである母のモンペを縫って笑ってる

あれはみな
陽炎でした
母は台所で
活きた鯛をさばき
夕刻のどろりとした鈍色が
お気に入りの三毛の瞳を
早くも閉じさせました
正月のべーゴマは
家の前のアスファルトでくるくる回り続け
父の顔した武者凧が
とおい境で
風を呼んでいます
一人で食べるお節は
妙にあかいのです
裏返った小指の先で
みるみる陽が翳っていきます

逢うべくして出逢った人びとが
戴いた名前をかざして
儀式に興じています
巨きな岩が割れ
ことごとくが砂です

幾重もの貌をもち
最後尾にいるのは
あれはわたしでしょうか





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冷蔵庫                  (詩)

あけたらガラン洞
一本のビールだけ

あの娘と二人で飲むはずだった
一本のビールだけ







※社会人になって月休二日の多忙な毎日を送っていた頃に、ふと書き留めた詩。多忙ゆえに満足な推敲もできず、短詩になりがちだった。月月火水木金金の日々だったので、それはもう充実しているっちゃそうだったけど、同時に心のどこかに虚しさを抱いていたので、その心情が「ガラン洞」という言葉に籠められているかも。

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胸痛

きょう
いたかった
このむねのいみ
しっているのは
わたしだけで

けっしてけして
あなたでも
それいがいでも
ないのです

胸痛とかいて
きょうつうと
よむなんて
きょうのきょうに
しったのです

いくついきてみても
あたらしいことは
いくらでもあって
それなのに
ひとつもひとつも
ほんとのいみでは
わけあえなくて

きょうつう
わたしのいたみは
わたしのからだと
こころがしっかと
うけとめて

それでもいい
きょうがある
それがいい

わたしであったという
あかしなのかもしれないから

きょう、つう

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世界樹 (漆黒の幻想小説コンテスト)

 路は途切れていた。陸が終わり、水の始まる場所。霧の匂いが鼻腔をくすぐった。斜め上方にぼんやりとした光源が見えた。水滴が絶え間なく、ハープの調べのように響く。途方もない昔から続いている音だ。
 対岸にはトネリコの巨木がそびえていた。幹は天を衝き、枝葉は空を覆い尽くしている。 沼地であり、汽水域でもあるそこは、巨樹からの滴りが無数の波紋を作り出している。( 行ってみない?)とエルフはいった。彼女の瞳は蒼い光を帯びている。
 僕たちは小舟に乗り込んでいた。怖かったが、近づいていきたいという思いに勝てない。櫂が水を掻き、光と影が幾何学的な模様をつくる。樹木は大きさを増していった。距離感が狂い、感覚が曖昧になった。(大きすぎて何も見えない)とエルフは呟く。
 息の音、風の音、光線が崩れる音が混じり合う。滴りは絶え間なく続き、水面から音が立ち上がる。樹木の枝葉は複雑に絡み合い、空は完全に隠されていた。
 大昔の神々たちも、この雨音を聞いていたのだろうか。広大な平原で戦った神々は、この水滴の音に耳を傾けたのだろうか。 (何を考えているの? ぼんやりして)
 蒼い翅を持つ蝶が、僕たちを招くかのように現れる。舟は世界樹の核心部に近づいている。水の匂いは濃くなり、光は水面をおぼろげに漂う。ポロン、ポロン、タリラン、とハープの音。
 (わからない)(何が?)(忘れてしまう) エルフの声が、微かに震える。思考がぼやけていく。遠くから聞こえる何か。マントラの響き。
 …彼らはさっき、夜明け前の鈍い光の中をさまよっていた。霞が濃くなり、枯れ葉が音をたてた。夜は開けているはずなのに薄暗い。歩きながら夢を見ているらしい。風がひんやりとし、青い縞が見えた。路はそこで尽きていた…
 舟はゆっくりと進む。青い蝶は舞い、枝葉の影から途切れることなくマントラが聞こえる。櫂を漕ぐたびに、水面に波紋が広がる。
 エルフの瞳が水色に染まっていることに気づく。覗き込むと、瞳が呼吸をしているように見えた。水の音がする。ポタ、ポタ、ポタ。瞳の中にも水があり、幾重にも波紋が広がる。
 青い蝶は巨木のうろの中に消えていった。遠い昔の雨水が落ちてくる。樹木の中心に近づいていた。うろは蒼い光にみち、もうひとつの世界に吸い込まれていくようだった。
 僕はエルフの瞳の中にいた。あのマントラが、すぐ傍で響いていた。

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不眠症の時代


水晶のような  
陽のさざ波  
そのなかで  
わたしは夢をみる  

   帰還兵のいる国の空は  
   紫色に染まることがあるという  

その夢の中で  
戦いの記憶がしずかに消える  
劈く爆音が
ただ耳を塞いだように
戦さ場の狂気は
一滴の水さえ
支配下におこうとする

   時折  悲しみの叫び声が  
   風に乗って聞こえる  
   心の鼓膜を破らんばかりに

空を見上れば  
この星たちは 呼び名を変えて
同じ星間図に印されている
だが地上では
一杯のミルクにさえ
国籍名が必要だ

夜明けが来る  
だが世界は不眠症だ
実態のない影だけが
汎用AIに操られ
戦さ場に
腐ったミルクを置いていく

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 6

高原にて (漆黒の幻想小説コンテスト)

高原にて、黒龍と翼虎は相対した。大陸の命運を賭けた根源的な力の激突は避けられず、周囲の空間は張り詰めた静寂に満たされたと伝えられている。
先に攻勢を仕掛けたのは、翼虎であった。その爪痕は、触れた山々を瞬時に砂塵と化し、河川を涸らす混沌の刃と化す。しかし、黒龍の鱗は天地万物の力を弾き返す絶対の防御として立ちはだかり、虎の爪は阻まれ、ただ大地に深い溝を刻むに過ぎなかった。
黒龍の反撃は、虎の想像を遥かに超越していた。その吐息は、天を焦がし地を穿つ凝縮された星辰の熱源であり、摂氏数百万度のプラズマ流に匹敵すると記されている。触れた瞬間、万物を灰燼と化す業火が翼虎を襲った。虎は辛うじて防いだものの、その衝撃は巨体を揺るがし、周囲の山々を溶岩の奔流に変え、生態系を数万年巻き戻すほどの甚大な変貌を遂げさせたのだ。
攻防は刻一刻と激しさを増していった。翼虎は大地に亀裂を生じさせ、黒龍を地の底へと引きずり込もうとするが、黒龍は強靭な意志をもってこれを退ける。龍の尾が薙ぎ払われた時、数千里の平野は裂け、新たな山脈が隆起するほどの破壊の奔流を生み出した。翼虎は辛うじてこれを回避したものの、その衝撃波は大陸全土に激震を走らせ、マグニチュード10を超える巨大地震を誘発し、無数の湖沼を生み出したと伝えられている。戦いは、数多の山々を崩し、河川の流路を変えるほどの時間の中で繰り広げられ、両者の力は拮抗し、中央平原の均衡そのものが崩壊寸前であった。
黒龍は、全身に大陸の命脈たる力を凝縮させ、最後の咆哮を放つ。それは単なる音ではない。大地と天空、そして人々の魂の深奥に響き渡る秩序と創造の律動そのものであった。この咆哮を受けた翼虎の身体は、内側から徐々に崩壊し始める。いかに強大な混沌の力も、絶対なる秩序の奔流の前には、無力であった。
翼虎は、断末魔の叫びをあげることもなく、その強大なる存在を大陸の記憶から消滅させた。最後に中原に残されしは、深き静寂と、消えゆく混沌の残滓のみ。
黒龍は、再び深淵なる眼を閉じ、大陸の均衡が取り戻されたことを確認した後、その巨体は静かに天空へと還っていった。その強大なる力は、中央平原の理を守護し続け、再び大陸の安寧が乱れる時まで、静かに眠り続けるであろう。三千世界無敵と謳われし黒龍の伝説は、かくして、また一つの時代を彩った。

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ランドスケープ・コロナ -- 俳句八十句 ーー

ランドスケープ・コロナ ―― 俳句八十句 ――

笛地静恵

【ノート】主に二〇二〇年から二〇二二年の三年間に、SNSへ投稿した俳句から、八十句を選びました。コロナの時期と重なります。直接的な「時事ネタ」は割愛しましたが、それでも句の背後に吹いている冷たい時代の風を、いまだに肌身に感じることができます。マスクをつけないと外出できない。SF小説のような世界を生きることになるとは、考えもしませんでした。季語をタイムマシンとして、昭和の時代へのノスタルジーを加速する契機として作用していることも、時間という距離をおいたことで、より明瞭に見て取れるだろうと思います。



古釘の折れ曲がりつつ秋冷へ



玄関にひとさらいくる風邪の夜



三組の廊下のバケツ薄氷



新緑や鳥の一句へ耳澄ます



甘藍や死は常に上書きされる



麦秋や海苔の二段のお弁当



トレモロの指禁じられホトトギス



おひさまのみどりを溶かすラムネビン





笛地静恵


二〇二五年六月一日






初秋の荷物を届け七階へ



白障子長き廊下に虫しぐれ



ピーマンの空を蔵して只管打坐



好きなのか紫苑の風に揺れるまま



古釘の折れ曲がりつつ秋冷へ



青空へ赤き林檎の登りけり



きりたんぽ姉のうしろへかくれんぼ



冬近し昭和を遠くにぎりめし



タマネギのスライス水へ行く秋よ



立冬のおふとんの国でられない







教室のペットボトルの帰り花



お銚子を二本のあとの蕎麦湯かな



本局へチッキのリンゴ取りに行く



ドブ川にドッジボールと冬の暮



神無月竹の箒の引き締まる



切干しのみそ汁とたくあん三切れ



寄せ鍋の黒き五徳の畏まり



ひとりきり名前を呼べり冬木立



堀ごたつ去年の灰の指輪かな



玄関にひとさらいくる風邪の夜







焼き鳥屋皮一本を買い食いし



ビネガーのサラダ冷たき白ワイン



おひさまの力を知りぬ冬至四時



荒星やつっかい棒を雨戸へと



なにをした思い出もなく暦果つ



人日や吾(あ)を見失う歩道橋



猿曳を人マネをしてのぞきこみ



初空へゴム動力の機を放つ



教室のヤカンの湯気を雪礫



天狼のカザルス弓を弦に当て







裸木やパーカッションのにぎやかに



校庭の蛇口小さく垂氷 出す



焼酎の残る寒さをお湯割りし



三組の廊下のバケツ薄氷



春スキー春の眠りをさまさずに



あっかんべけんかのあとのあさり汁



ヒトダマのあわてててらう雨水の夜



あやまちを白梅にのみゆるしけり



畦道へ泥を盛り上げ春動く



渓谷をはるか見下ろす鮎の膳







凡俗や白鳥還る構想を



樟脳の香のあらたまる雛納



春景色春の切符を買いに行こ



晩節を汚してみせう落椿



方針は定まらぬまま春の雷



清明や朝の稽古の狂言師



ポタージュをパンで拭えば鐘霞む



春荒のダットサンをば横倒し



ひとすじの遺伝子の川若鮎よ



貝の舌の手足をひろげ海女の小屋







ふたりしかわからないよね別れ霜



伊勢参り前の人との距離を取り



残る蚊や地球最後の古本屋



思春期の四方八方棘薊



春時雨あなたの声のしたほうへ



炬燵塞正方形の畳踏む



麦秋や成長の身をやわらか



春筍のころがしてみるあのころを



引き潮の河口の犬へ春の暮



過疎の村高速道路のみ立夏







新緑や鳥の一句へ耳澄ます



薫風や屋根の大工の手を休め



おはようは予言のごとし虞美人草



筑波山卯月朧の帆掛け船



契約をせぬまま神の鵜を使う



甘藍や死は常に上書きされる



出口なし夫婦げんかのキャベツ切る



麦秋や海苔の二段のお弁当



青嶺へいつか帰ろう登山靴







土踏まず素足の深き剣道部



トレモロの指禁じられホトトギス



毛先まで山河の水を通し鴨



おひさまのみどりを溶かすラムネビン



紅白の帽子へ隠れ若葉雨



苗代へヒジャブの黒く俯けり



キャンバスの下絵の色の梅雨曇




恐ろしき人里へゆく秋の熊



穴四つ噴き出す牛の鼻合わせ



生き恥を天日に晒す衣更え




(了)



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少女と名付ける

その私を仮に少女と名付けます 

私を搾った時 
搾り切る最後の一滴が 
その少女です 

ありきたりなイメージの断片で構成された少女 
潔癖症でいつも何かしらに怯えている少女 
人見知りで愛されたがりで高慢な少女 

そのあどけない厄介な少女が 
私を搾った時に現れなければ 
私はまたその少女を核にして 
再生します 
何度でも幾通りにも再生します 

その私の核を仮に少女と名付けます 

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メリージェーン

閉店1時間前のショッピングセンター。エスカレーターの奥から異様なオーラとシルエットが近づいてくる。黒髪ボブのウィッグ、くすみピンクのカーディガン、デニムの膝丈のスカートをお召しになった、女装男がうちのショップにご来店した。

うちも、向かいのショップもノーゲス。女装男はカウンターで値札の集計作業中の私におずおずと近づく。

「この服に合わせる靴が欲しくて」

目は合わない。声は普通に、見た目と相違なくアラサーの男性って感じ。
デザイナーズブランドのロゴが入ったキャンバス地のトートバッグを漁り、女装男が紙を手渡してくる。手の甲は脱毛済みらしい。

四つ折りにされた紙を開くと、大手靴メーカーの、機械で足のサイズを測ってくれるサービスでの測定結果が印刷されている。足長25.3cm、足囲E。男性にしては小さめだろう。

レディースシューズ専門店の中では大きめのサイズも展開しているうちを狙ってきたなら、本当に買いに来た客か。いや、スタッフも客も少ない時間帯を狙って来たのも配慮か変質者かまだ分からない。
この程度のクオリティの女装でネットじゃなくて実店舗に買い物に来られる辺り、感覚が違うのは確かだ。


向かいのショップのスタッフが、あたふたしながら斜め前のショップのスタッフに声をかける。ごめんね、新入社員って先週紹介された子な気がする。対応分かんないよね。
こちらを覗く斜め前のショップのベテランスタッフに「一旦大丈夫」と伝わるか伝わらないか分からない目配せをする。伝わらなそうだな。

「いくつかお出ししてみましょうか。店内気になるものございますか?」

女装男もとい25.3cm氏は、店内をキョロキョロと見渡す。明るい照明の下だと、青髭隠しだろうオレンジのチークが浮いて見える。まぶたに載ったピンクのラメがチラチラ瞬く。アイシャドウの前に眉毛どうにかすれば良いのに。

「こんなの、で、履けるのありますか?」

ピンクのエナメルのバレエシューズ。25.3cm氏が指したポインテッドは24.5cmまでの展開だけど、ラウンドなら25.5cmまである。

「つま先の形が、丸いものなら25.5cmまで展開ございます。そちらお持ちしてみますね」

おかけになってお待ちください、と25.3cm氏を店頭に残し、バックルームに入る。
まだ油断はできないが、受け答えは丁寧。測定結果の用紙もシワひとつなく畳まれて、何というか、満を持して買いに来た感は伝わってくる。

25.3cm氏が指したピンクと、あの服に合わせるならとネイビーのスムース、紳士靴に感覚が近そうなメリージェーンを持って、店頭に戻る。
25.3cm氏は背筋を伸ばして正面のピンクのパンプスを見つめている。25.3cm氏が背を向けているショップの外の通路から、部活帰りだろうか、制服を着た女の子達がキャッキャと騒ぎながら通り、25.3cm氏は一瞬肩を震わせた。


「大変お待たせいたしました。こちら先ほどの25.5cmです」

25.3cm氏は履いていた赤いオールスターのローカットと、デザイナーズブランドのロゴ入りの白い靴下を脱ぎ、差し出された使い捨てフットカバーに履き替える。
男性のむわっとした足の臭いも上がってこない。ここを目的に家から直行して来たのだろう。
足もしっかり脱毛済み。指先には水色のペディキュア。ジェルじゃなくてマニキュアだろうけど、綺麗に仕上がっている。

「失礼します」

指先を靴に入れながら「失礼します」は初めて聞いたな。
かかとまでしっかり入った。が、バレエシューズの薄い素材だと足の幅に沿ってゴツゴツと形が出てしまう。

「…….ちょっと、小さいかもです」

残念そうな声色で25.3cm氏がつぶやく。

「もしよろしければ、そのお洋服であればこちらも合うかもとお持ちしてみたのですが」

メリージェーンを出してみる。
25.3cm氏はメリージェーンを手に取って、じっと見つめる。

「金具がハートなんですね」

25.3cm氏の声色がちょっと明るくなる。刺さりそうだと思ったポイントが刺さった。25.3cm氏はいかにも“女の子”な物が好きなようだ。女装するくらいだからそりゃそうか。
足を入れてみても、特に見た目に違和感は無い。

「ちょっと失礼しますね」

上から触って確かめる。指も伸びている。幅はジャスト。ストラップも座っている分にはキツくない。

「あちらの鏡まで歩いてみてください。気になるところございますか?」

「いや、大丈夫そうです」

25.3cm氏は鏡に近づいたり、離れたり、横から見てみたり。
こげ茶のメリージェーン。服にも趣味にも合うだろう。合わないのは、25.3cm氏だけ。

25.3cm氏にはスカートを履いただけでぶりっ子と揶揄われた小学校時代も、眉毛が人より濃くて泣いた中学校時代も、イエベだからと青みピンクのリップを諦めた高校時代も無い。“なかったかも知れない”ではない。確実に“無い”。
だって“あった”なら、その歳のその骨格のその顔で、その丈のスカートもその化粧もそのカーディガンも、選べるはずがないから。25.3cm氏が異様なのは“女装男”だからではない。選ばれた者しか身につけられない物を、選ばれてもないのに身につけているから。

そしてそれができる図々しさは、あのデカくて臭くて強い、レディースのショップに買いもしないのに現れて痴漢まがいのことをして去っていく、やつらと同じものだ。


25.3cm氏は鏡から顔を上げ、

「あの、他にも大きいサイズの靴ってあるんですか?これからの時期履きやすいのとか、」

と尋ねてくる。口数が増えてきた。メリージェーンが気に入らなかったわけではないだろう。

「あちらに25.0cm以上の展開があるお品物のコーナーがございます。気になるものお手に取ってみてください」

あまり多くはないが、ローファーも、パンプスも、サンダルもある。その真新しいデニムのスカートは夏物だろう。水色のペディキュアと、サンダルと、合わせたいんじゃないか。


25.3cm氏は履いたままのメリージェーンを傷つけないように慎重に、大きいサイズコーナーのラックに足を進める。

まあ、25.3cm氏には、ヒゲの青さを隠すために仕込んだオレンジのチークと、脱毛済みのツルツルの膝と手と足先と、丁寧に揃えられた爪先に塗られた水色のペディキュアがある。
25.3cm氏の性自認だか何だかが女であったとしても、趣味だとしても、いつもの男らと同じようにただの変質者であったとしても、そのメイクとシェービングと日々の指先のケアに充てた時間には敬意を払おう。
それはデカくて臭くて強いやつらではなく、小さくて綺麗で貧弱な我々だけが経験せざるを得ない、脆くて美しい努力の時間と相違無いものだ。


25.3cm氏は狙い通りジュートサンダルを手に取り振り返る。が、すぐにそれをラックに戻す。

私の背後、エスカレーターの奥から、向かいのショップのスタッフとデベロッパーの男性社員がこちらを伺っている。半年前まで来ていたストーカー男を出禁にしてくれた社員だ。

25.3cm氏は足早にもといた椅子に戻り、自分の白い靴下とオールスターに履き替えながら、

「色々見せてくださり、ありがとうございました」

「これ、ください」とメリージェーンを指す。

「ありがとうございます」

ショップの外で待つデベロッパーの社員に「問題ない」とまた伝わるか伝わらないか分からない目配せをして、メリージェーンを包む。
25.3cm氏が財布をしまうのに手こずっている間に、さっきのジュートサンダルの品番をショップカードにメモする。

「ここのQRコードからECサイトにアクセスできます。ここに書かれたコードを入力いただけると送料無料クーポンが受け取れるので、是非ご活用ください」

「はい。ありがとうございます」

「あと、もしよろしければ、先ほどお手に取っていたサンダルの品番、こちらにメモしてありますので、検索欄に打ち込んでみてください」

25.3cm氏のふるえる指先がショップカードを受け取る。爪は深爪で、縦皺が目立った。
25.3cm氏は財布の免許証の裏に丁寧にショップカードを差し込む。生まれ年が私と一緒だ。やはりアラサーか。
25.3cm氏はもう一度「ありがとうございました」と会釈をして、ショップ出口までショッパーお持ちしますという私の申し出を断る。
お見送りの挨拶を「ありがとうございます」にするか「またお待ちしております」にするか躊躇う私に25.3cm氏は、

「あの、買い物、楽しかったです。ありがとうございました。」

と、この十数分間で一番小さな声でつぶやく。そらよかった。

デベロッパー社員も向かいのショップの新人ちゃんも、安心したのかもうエスカレーター前にはいない。
25.3cm氏の背中が足早に遠くなる。分からないけれど、もう来ることはない気がする。

25.3cm氏は遠くから見るとかなりのO脚だ。学生時代はサッカーか何かをやっていたのかもしれないなと思った。

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 3

 4

機械仕掛けのブルー

粛々と綴じたあと
積もる閉塞感と
諦念を
背負うかわりに
呼んでみようか
ダムウェーター

儘ならぬことを
嘆くより

(ゆっくりとあずける)

憂鬱をのせて
上ってゆく
ダムウェーター

 82

 1

 2

ネット詩人の墓

告白するけど、ワイは詩書きとしてはカスの部類ですよ。え、知ってたって?まあまあ、そうは言わんと偶にはネット詩人の一人語りでも聞いてやって下さい。ワイは詩書きとしてはとうに諦めとるんです。なんせ、どれだけの力作を投稿したところで、推薦も展示もされへん、酷評、罵倒の嵐ですからねえ。まあ、いくら自分でカスと分かってはいても、顔の見えない馬の骨どもに大事な作品を貶された日にゃあ、そりゃあ腹も立ちますよ、ワイも生身の人間ですから。それでやり返したろうか思うて、来る日も来る日もインターネットに投稿される作品どもをね、罵倒して酷評して荒らし尽くす日々になったんですわ。そりゃあ、ワイは精神障害やゆうて障害者向け支援金を不正受給して晴耕雨読の日々に興じとる身ですから、時間はたんとあります。ネット上にある、ありとあらゆる詩作品をですねえ、罵倒して、酷評して、嫌がらせするのが日課になってしもうたんですわ。



ワイのことを悪う思わんで下さいよ。どちらかといえば、ワイは被害者の部類なんです。だってね、誰からも思うように褒められへんかったワイの人生。ほんまのところ、ワイは文学的高みに立っとるんやないか、だから世の中で上手いこといかへんのやないか、そう思うことだけが心の支えやったんですよ。それをね、カスのように貶してくる奴らに、なんでワイが配慮せなあきませんか。まあ、ネット詩サイトなんて、どっちにしたって大した才能もないボンクラばっかりやからねえ。ポンカスにポンカスやと思い知らしたるくらい悪いことやないし、どっちかゆうたら人助けみたいなもんですわねえ。ワイがやってるのはゴミ掃除みたいなもんです。ワイがあんまりにも荒らすから、軟弱な後輩がマナー重視のサイトをAI使うて立ち上げて随分盛況らしいですけどね、ワイの荒らし活動が新しいサイトを作ったみたいなモンですわなあ〜。ワイの功績を評価して銅像くらい作ってくれてもええんとちゃいますかいねえ〜ニャハハ。



この前ね、どうも身体の調子が可笑しいゆうて、身体の節々がちょいと痛いゆうて、病院行ってみたんですわ。ワイ、基本的には身体ピンピンしとるけど、障害者手帳使うたら、医療費タダやし、ワイ無敵の人やし、暇つぶしに頭おかしなったふりして看護婦のケツでも触ったろうか思うて、若い看護婦がいそうな病院行ってみたったんです。ほんまやったら景気付けに風俗でも一発行きたいところなんやけども、先週ピンサロ行って、ゆうこちゃんのシミ付きパンティお持ち帰りコースでハッスルしすぎよったからね〜。今日はしょうがないわ、ケツデカの看護婦で我慢しといたろうか思うて大学病院行ったら、医者のやつがね、いきなり怖い顔なって、別室に来てくださいゆうて、末期ガンで余命三ヶ月ですゆうて。まあいつかは死ぬんやろうと思ってましたけど、いざ死ぬとなってみたら、案外怖いもんですね。自分の人生振り返ってみてこれで良かったんやろうか思うてね、荒らしコメントのログ以外、この世に残すことないんかな思うたら、急に怖なってしもうたんですわ。それで柄にもなく、キリスト教のね、教会ゆうとこに行ってみたんです。ほんでね、田伏神父さんゆう方に、告解させて下さいゆうて、お願いしたったんですわ。



                神父さん、ワイはね、あと三ヶ月で死ぬ身なんです。いやあ
                同情なんかいりませんよ。人間いつかは死ぬやないですか。
                ワイみたいなゴミカスがおらんくなった方が、世のため人の
                ためやゆうてね。いや、構いませんよ。ワイは好きな詩を思
                う存分やって生きてきたんです。詩ですわ、詩。ワイはねえ、
                詩が好きなんですよ。ずっと詩をね、誰にも見せず、一人で
                こっそりコツコツ書いてきたんです。詩を見せてくれって?
                いや全部破いて棄ててまいましたわ。何万編とあったんやけ
                どね。物心ついた時からずーっと書いてきましたさかい。詩
                というもんはね、誰かに見せるためのもんやないんです。自
                分の心の世界なんですよ。神様にしか見せませんね。神父さ
                ん。ワイはね、詩を書くためだけに、世界の片隅でひっそり
                生きてきたんですわ。詩を書く時間を確保するためにね、あ
                ばら家に住んで、たまにスキマバイドしながらただひたすら
                に詩を書いてきたんです。余ったお金は寄付しながら、貧し
                い生活を数十年以上、続けてきたからそれで体があかんよう
                になってしもうたんやろうけど、神父さん、不思議な話、死
                ぬと分かった今になっても何の後悔もないんですわ。むしろ
                あの時のあの詩が良かったなあとかね、詩のことばっかり思
                い出すんです。詩に打ち込み倒したワイの人生、これで良か
                ったなあと、死ぬ時に財産とか名誉とかはあの世に持ってい
                けませんからね。でも、死ぬ時にも、心の中にある詩は持っ
                ていけるってそれが分かったんですよ、神父さん。こんなあ
                りがたいことはあらへん。ワイはね、自分の人生には何の悔
                いもありません。ただね、唯一この世から去る前に心残りで
                しゃーないことがあるんですわ。ワイのもとにね、新しい詩
                のウェブサイトゆうのをAIで作りたいゆうてきた後輩がおる
                んですわ。後輩のね、熱い話聞いてたら、ワイも居ても立っ
                てもいられへんようになってね、それで、ワイが持ってた全
                財産の10万円をね、全額、後輩にやったったんですわ。後
                輩は喜んでね。でもね、神父さん。ワイは間違ったことをや
                ってしもうたんです。詩というもんはね、AIメディアでやる
                もんやないんですよ、自分の心の中だけで書くもんなんです。
                ワイはね、詩というものに全人生を賭けたんです。そりゃね、
                詩を発表したら、中原中也賞でも何でも取れちゃんちゃうか
                なあとは思いますよ。でもね、神父さん、そんなことしてし
                もうたら、何のための詩かわからんようになってまうやない
                ですか。誰かの評価のために詩を書くなんて、そんな不純な
                気持ちをね、ほんの少しでもワイは持ちたくなかったんです。
                ワイはね、詩の神様に賭けたんですわ。もし神様がおるんや
                ったら、芥ほどの負い目も持たず、対峙したい思うてね、詩
                の神様以外、誰からの評価も求めへん、自分のものとしてだ
                けの詩にね、全人生を捧げてきたんです。それがね、最後の
                最後になって、詩に不誠実なことをしてしもうた。ほんまは
                詩っちゅうもんはお金なんか使うて、インターネットなんか
                でやるもんやないんですよ。ましてやAIで詩なんてとんでも
                ないですよ。ワイは間違ったことを後輩らに教えてしもうた。
                詩の神様に申し訳が立たへんやないですか。ワイはもうこれ
                が辛うて辛うて、これでは死んでも死に切れへんのですわ。



ワイのクソみたいに長っがい長っがい告解を聞かされた田伏神父さん、涙を流して感動されましてね。「ワイは詩というものはさっぱりよう分からん。しかし詩というもんにこれほどまで真摯に己の人生を捧げ切った人間には必ずや神のご加護があります」ゆうてね。ワイが死んだあと、ワイの墓を特別に作ってくらはったんですよ。これが伝説になってね、今でも、AIウェブサイトで詩を書く新参者は、必ずワイの墓に祈りを捧げなあかんらしいですよ。ただ、新参者が祈りよるたびに、ワイの背中がむず痒うなってしもうてね。まあ、あの世に行ってもうたら、名誉も何も関係あらへんから、全部告白させてもらいますわ。どうでっか、詩になってまっか。


オンラインAI詩メディアの創設に多大なる貢献をしたネット詩の神様、ここに眠る。R.I.P

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ひかる蜜

ある晴れた日
朝起きると誰もいない
そんなことは大抵突然起こるにも関わらず
テーブルの上の瓶の中のアカシアの蜜は
かすかに発光をしている

いなくなるのはいつも誰かであり
僕そのものではない
誰もがそれほど間違っていないのだとしても
できることなど何もない

ふと、怒りばかりを覚えた
せめて
パンを焼いても蜜を塗らなかった
それでも蜜は
かすかに発光を続けている

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囚われたくない

寝る前に、強い言葉を読んだ
悪夢を抱えたまま、朝が来た

だって、知ることは大切でしょ
ほらね、だから嫌なのよ、また

人の心配まで、すぐに溜め込む
それで、潰れたくせに、未だに

わたしの脳め

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ハルカ(23才)  「沈むクラゲの螺旋階段」(番外編)

決して大きくはない炎だが、その橙色の光は、雑然と散らかった僕の部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。古びた本が無造作に積まれ、乾いたインクの染みがついた紙切れが散らばり、使い古された鉛筆が転がっている。まるで時の流れから置き去りにされたかのようなその空間は、僕の内面の混沌をそのまま映し出しているようだった。
ふと、画面の砂嵐が揺れる。ブラウン管の古びたテレビから、掠れた声が聞こえてきた。ノイズ混じりのその音声は、遠い昔の物語の始まりを告げる。
僕の視線は、薪の炎からテレビへと移った。画面には、ぼんやりと映る、何かの紋様。白と黒の幾何学的な図形が、ゆっくりと形を変えていく。古びた書物から読み上げられるような抑揚のない語りは、僕の意識の奥底へと染み込んでいく。「…白い大井、七角形の壁。そして一般的な調は黒である床。かように、光と闇の間にある七つの組を意味す…」その声は、かつて心を奪われた艶やかな声に似て、僕の魂を揺さぶり、表現することへの強烈な衝動を掻き立てた。その衝動に駆られて、その声に触れるたびに、僕は自身が狼よりも深く、根源的な孤独に囚われていることを痛感させられた。
テレビの物語は続く。
幾何学的な紋様がゆっくりと回転し、光と闇が混じり合う。僕の愛は、一体どれほどの人の傍を、気づかれることもなく、ただすり抜けてきたのだろう。それは、満たされることのない渇望にも似た、虚しい響きとなって、この部屋のどこかに吸い込まれていった。僕が好む不安定な図形が、まるでテレビの画面の中に具現化されているかのようだった。完成されたものよりも、常に変化し、揺らぐものに惹かれる。まるでカレイドスコープを覗き込んでいるかのように、世界の断片が万華鏡のように組み変わり、定まらない輪郭の中にこそ、真実が隠されているような気がしていた。
「不安定だと誰からにも感じられている」という事実は、ある意味で、僕に微かな安堵を与えていた。自分だけがこの世界の歪みを感じ取っているわけではない、という奇妙な共感。テレビから流れる、理解しがたいがどこか心地よい詠唱が、僕を孤独の淵からわずかに引き上げてくれる、唯一の慰めなのかもしれない。
夜が深まると、僕は本能的に「吠える」衝動に駆られる。それは、喉から絞り出すような物理的な声ではない。僕の内側から溢れ出す、理不尽な街の喧騒から、不可解で神秘的な森へと帰る道を求める魂の叫びだった。闇は僕にとっての安息であり、真の自分へと立ち返る場所だった。
テレビの画面は、いつの間にか砂嵐へと戻っていた。「小さな薪がいつまでも燃えているような調べ」。その音は、僕の心臓の鼓動と重なり、僕が今、誰かを求めて旅をしているのだということを、絶えず僕に思い出させていた。深夜3時。意識の境界が曖昧になるその時間に、かつて見た「きみ」の幻影が、脳裏をよぎる。あのきみとは、いつか、どこかで、再び出会えるのだろうか。世界の果てで、たとえどんなに遠くても、僕はきっと、きみの為に獣を狩り続けるだろう。それは、僕自身の純粋さを捧げる行為であり、きみを守るための、唯一の戦いなのだから。もしかしたら、この「きみ」も、どこかの沼地で僕の構成要素と全く同じように作られたスワンプマンのような存在なのかもしれない。それでも、僕のこの愛は、本物だと信じている。
夜が明け、東の空が白み始めた。微かに燃え続けていた薪の火も、ゆっくりとその役目を終え、白い灰となって崩れていく。幻想的な体験、そして「きみ」との交感が、もしすべて「マボロシ」だったら、どんなによかっただろう。ブラウン管テレビの電源が切れたように、現実の冷徹な光は、眩しすぎて僕の心を抉る。
僕は、折れ曲がったJokerのカードを指に挟み、小さな火をつけた。ジョーカーの道化た顔が、炎の中で歪み、やがて煤となって消えていく。間近に見る現実の輪郭は、昨夜、僕がなぞった御伽話の続きのように、曖昧で不確かだった。

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【にかいめの】鈴木歯車さんの「あらう」を推薦したいと思います(佐藤宏さんの「梅雨 (ソネット)」を添えて)【推薦文】

推薦対象

あらう
by 鈴木歯車

ここ数ヶ月、デイリーに読書し、感想を書くということをやってみて、感想を書きやすい作品と評価したい作品はかならずしもイコールではないのだということを、ちょくちょく考えるようになりました。詩に感想を書くのってほんとうに難しい。もうちょっと掘りさげて考えてみると、わたしがとくに拍手を送りたいと感じる作品は、感想を書きやすい作品とは対照的な要素をもっている場合が多い…のかな…と思います。

きのう佐藤宏さんの「梅雨 (ソネット)」に感想を書いていて、書き終わってから「ああやっぱりこういうことを書けばよかったな」と思ったことがありました。それは、意図と精神性の違いについてです。ここで言う意図は、メッセージ性と置き換えたほうがわかりよいかもしれません。

「梅雨 (ソネット)」は社会的な作品、すくなくとも社会的な意図をもって書かれた作品ですが、そうした意図が表される「しぐさ」が、わたしにとってはとてもすきなポイントでした。前半部分で「行動」を描いたあと、最終連では行動に至らないほんのすこしの「動作」が描かれる。その静的な描写というか、動的な描写がおさまっていくさまによって、わたしの目には佐藤さんが空想したという「薄暗い新宿駅の地下道」が、静かに、しかし際限なくどんどんと広がっていく感覚から逃げられなくなりました。わたしはこの感覚によってこの詩を良作だと思いましたが、しかしこのことは「この詩は社会的なメッセージを巧みに打ち出しているから良作だ」というのとは、共通部分がありつつも(というか一見同じに見えると思うのだけれど)また別の話だと考えます。わたしはこの最終連がもつ表現性の高さを「まなざし」と呼びました。そしてそれを、意図と精神性の違いについて説明するための、よい糸口かもしれないと思い至ったのです。


わたしは、あらゆる表現に関して「メッセージ性の有無は価値に直結しない」という思想の持ち主です。

社会のために発信されたものには社会のために発信されたものとしての価値があり、そうでないものにはそうでないものとしての価値がある。もちろん双方の価値をもつ複合的な作品もある。文化は文明が生み出すものに限らない。その事実が、わたしにとってはなによりたいせつで、どんなに否定されても譲りようのないことです。

作品のメッセージ性をたいせつに作品を評価するひとは、わたしのほかにたくさんいらっしゃると思いますから、わたしはこのサイトで推薦をするにあたり、わたしがわたしだから評価していると感じる作品を、耳をすませて選んでいきたいなと考えます。

…ところでわたしが推薦しようという鈴木歯車さんの詩「あらう」は、メッセージ性を多分に含んでいるのではないかとわたしは考えています。鈴木さんの作品では「きりん」もだいすきなのですが、そちらはより如実だと思う。そして、これは恥ずかしいことですが、わたしはこれらの詩がどのようなメッセージを孕んでいるのか、解釈といえるほどの解釈をもっていません。雰囲気で読んでいる。そう、雰囲気で読んでいると言わざるを得なくて、発信されたものを受信できないのに感想はおろか評価をくだそうだなんてそんなことをしていいわけなくない? と考えていたのですが。でも、佐藤さんの作品から「まなざし」を想起したことで、拙いながらもなんとか書くことができるかもしれないと思ったのです。自分がなにをもって表現を愛しているか、そしてその愛が社会にとって価値になりうるということを。

メッセージ、つまり言いたいこと、伝えたいことは、わたしがキャッチできないだけで明確に提示されているのではないかと思います。それは口ぶりに表れています。鈴木さんの詩は概ねどれもセンテンスが長くて、ひと息のあいだに流れる文脈が多い。わたしは一文が長いということに対してわたしなりの考えをもっています。一文が含む文節や言葉が多いとき、ニュアンスや(発語に際して発生する)リズムのおりまぜかたが重層的になるために、こまやかで豊かなディテールを提示することができるのです。これは水彩画でたくさんの色を紙に乗せてグラデーションを作ったり、あるいはパズルゲームで次々にコンボを決めることで高い得点を出したり、そういうのと似ていると思う。それで、この詩における文体は曲がり角がたくさんあって、あちこちをいったりきたりするのだけれど、かたちにしたいこと、言いたいこと自体に淀みがあるようには感じられません。この詩の語り手が目の前にいるとしたら、もしかすると目線をそらしたまま、斜め下らへんを見てぽつぽつと話しているのかもしれません。しかしその一方で、発語される言葉のひとつひとつはわたしの目を見ていて、わたしが目をそらすことを許さないような、そんな潔さを感じます。

まなざし、しぐさ、口あと、呼吸。

このサイトにアカウント登録をしてなんども思ったことですが、子どものころに出会いたかったです。もちろん、学校の授業でこの詩を習ったとして、この詩に出会った子どもたちが盛り上がったり一斉に詩を始めたりするわけはないでしょう。けれどわたしは子どものころに、感覚的な視野を狭める伏線のようなものがたくさん敷かれていたことを、おとなになって常々ふりかえります。出会う機会の少なさって人生に影響するけど、アクションとしてカウントされないから気づきにくい。文明の利器としてではない言葉の価値を、言葉にすることで守っていきたいと、わたしなりに考えています。

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 推薦文

アニメ劇場 「沈むクラゲの螺旋階段」

あらすじ

産まれた時に双子の姉ユナを失ったハルカ(17才)は、内なる迷宮で悲しみと向き合い、詩集に導かれ自己を確立。家族との哀しみの鎖を断ち切り、大人として再生、成長する物語。


オープニング曲:『セフィロトの螺旋』

(Aメロ)
深海の底 漂うクラゲたち
光の届かない場所で ただ身を任せてた
閉ざされた心の扉 鍵はどこにある?
七角形の迷宮が 僕を呼んでる
(Bメロ)
ざわめく不安の黒 胸を焦がす赤い龍
それでも視界の端 微かな緑が揺れる
失われた半身の記憶 名前なき声が響く
君はどこにいる? 遥かなオレンジの光
(サビ)
セフィロトの螺旋を いま降りてゆく
心の奥深くへ 探求の始まり
黄金の十字架を 見つけ出すために
僕だけの生命の樹を 咲かせたいから
深い悲しみ越えて 夜明けを待つ
(Cメロ)
古びた詩集の言葉が 僕を導く
もう逃げないと誓う 自分と向き合う勇気
(間奏)
(サビ)
セフィロトの螺旋を いま降りてゆく
心の奥深くへ 探求の始まり
黄金の十字架を 見つけ出すために
僕だけの生命の樹を 咲かせたいから
深い悲しみ越えて 夜明けを待つ


第1話:深海のクラゲたち
ハルカの日常は、まるで深海の底に沈んだかのようだった。家の中には、家族それぞれの静けさが漂い、まるで感情を抱えたまま、互いに触れ合うことなく漂う「クラゲ」のようだった。誰かが声を荒げることも、誰かが深く笑うこともない。ハルカ自身もまた、その水流に身を任せる日々を送っていた。彼の心には、漠然とした「七角形の迷宮」の入り口が広がっているように感じられた。それは、深い海の底に広がる、光の届かない場所。しかし、その底には、彼が生まれる時に失った、もう一人の自分、双子の姉・ユナの存在が、微かなオレンジ色の残光のように刻み込まれていることの表れだったのかもしれない。

第2話:迷宮の底に潜む黒と赤
ハルカの心に広がる「七角形の迷宮」は、やがて具体的な形を取り始めた。その床は、どろりとした「黒」に覆われている。それは、彼が抱える漠然とした不安であり、生まれた時に失ったはずの姉の存在が、彼に与える無意識の空虚感の表れだった。時折、その「黒」の中から、ぎらぎらと目を光らせる「赤い龍」が顔を出す。それは、彼自身の存在の「欠落」に対する自己嫌悪であり、誰にも言えない苦しみが形になったものだった。青春期特有の複雑な感情が、迷宮の深い階層へとハルカを沈み込ませていく。どこまでも続く黒い闇の中で、時折視界の端をかすめるのは、生命の息吹のような緑色の閃光だった。

第3話:微かな光の予感
深く沈み続けていたハルカの心に、微かな変化の兆しが現れた。意識の片隅で、まだ見ぬ「ユナ」という名前が、まるで優しい光のように囁きかける。その名前は、ハルカの想像の中で「十二花弁の薔薇」のように美しく輝き、「白い天秤」のように揺るぎない存在として描かれた。それは、彼が失った「半身」への無意識の憧れであり、その存在との再会こそが、自分の心のバランスを取り戻す唯一の希望であるかのように感じられた。希望の光は、淡いオレンジ色を帯びて、ハルカの心の闇を照らし始めた。

第4話:古びた詩集の導き
ある日、学校の図書室で、ハルカは偶然、古びた詩集を手にした。埃を被ったその詩集は、彼の「クラゲ」のような日常に、さざ波のような揺らぎをもたらした。ページをめくるたびに、そこに綴られた「失われた希望と、それでも前に進もうとする人々」の感情が、ハルカの心を震わせた。それは、まるで失われた姉の呼び声のように彼の魂に響き、心の奥底に眠っていた何かが、ゆっくりと目覚め始めるのを感じた。詩集は、彼が自身の喪失と向き合うための、静かな導き手となった。表紙に描かれた古い葉の絵は、乾いた緑色をしていても、確かにそこに存在していた。

第5話:黄金の十字架の言葉
詩集は、ハルカに語りかけた。「心の迷宮の最奥には、自らの意志で選び取る「黄金の十字架」が、失われたバランスを取り戻すため、純白の光を放ち、やがて来る嵐の中でも輝きを増すだろう」と。その言葉は、ハルカの心に深く響き渡った。「黄金の十字架」。それは、彼が失った双子の姉という「半身」を受け入れ、その悲しみを乗り越えることでしか得られない「自己の完成」を意味しているようだった。運命を他者に委ねるのではなく、自らの意志で「生」を選択する。その決意が、ハルカの探求の目的を明確にした。その十字架は、燃えるようなオレンジ色の光を放っているように、ハルカの目には映った。

第6話:セフィロトの目覚め
詩集の言葉を噛みしめるうちに、ハルカは理解した。それは、自分の中にある個々の感情、まるで「セフィロト」の樹を構成する珠のように、それぞれの輝きを呼び覚ます鍵なのだと。悲しみ、不安、そして微かな希望。それらの感情一つ一つが、ユナのイメージと強く重なり合った。ハルカは、自身の感情に少しずつ向き合い始めた。それは、単なる内省ではなく、「失われた存在」との対話の始まりだった。ユナという存在を通して、彼は自身の「内なる豊かさ」に気づき始めた。心の奥で芽吹いた感情の緑色の蕾は、少しずつ膨らんでいった。

第7話:探求の螺旋
ハルカは再び「七角形の迷宮」を降り始めた。しかし、その一歩は、以前のようなただの「沈降」とは明らかに異なっていた。今回は、ユナという「失われた半身」の記憶と、詩集から得た「自己選択の意志」を携えている。彼は、自らの意志で迷宮の奥深くへと「螺旋」を描くように進んでいく。それは、彼が自身の「存在の欠落」と向き合い、それを埋め合わせようとする、明確な「探求」の始まりだった。螺旋の道は、まるで生い茂る蔓のように、鮮やかな緑色を帯びていた。

第8話:白い天秤の均衡
迷宮の奥深くへと進むハルカは、やがて「白い天秤」のような、揺るぎない均衡を感じる場所へと近づいていった。そこは、ユナの存在をより強く感じさせる場所だった。ハルカは、失われた姉の記憶と向き合うことで、少しずつ自身の心のバランスが回復していくのを感じた。この「均衡」は、悲しみを受け入れ、それを乗り越える力が、彼の内側に宿り始めていることを示していた。天秤の皿は、静かに、そして確かな緑色の光を放っていた。

第9話:ユナとの邂逅
迷宮の最奥部にたどり着いたハルカは、ついに「ユナ」と出会った。それは、この世に生きていないはずの、彼の双子の姉だった。この邂逅は、ハルカが自身の内面に深く潜り、「生まれた時に亡くなった双子の姉」の存在と、その喪失が自身に与えた影響を完全に受け入れる、象徴的な出来事だった。ユナの「十二花弁の薔薇」のような輝きがハルカを優しく照らし、彼の「クラゲ」のような受動的な性質に、決定的な変化をもたらすきっかけとなった。ユナは、ハルカが自身の「完成」のために必要な、もう一つの自己として、温かいオレンジ色の光の中で、彼の前に現れたのだ。

第10話:家族という名の鎖
ユナとの出会いを経て、ハルカは自分の家族との関係に改めて目を向けた。これまで、それぞれの感情を「クラゲ」のように「沈ませている」ように見えた家族の姿が、彼の成長を阻む「鎖」のように感じられ始めた。ハルカは、自身の悲しみに向き合い、それを乗り越えようとする中で、家族一人ひとりもまた、それぞれの「喪失」や「未解決な感情」を抱えていることに気づいた。そして、その「鎖」を断ち切る必要性を痛感し始めた。鎖の錆びた色は、ハルカの心に重くのしかかった。

第11話:迷宮からの解放、そして成長
ハルカとユナは協力し、迷宮の「黒い床」に刻まれた「赤い龍」のような絶望、すなわち「双子の姉を喪った悲しみ」と、そこから生じた「自己嫌悪」から解放されるための道を探った。この困難な過程の中で、ハルカは「黄金の十字架」が示す「自らの意志で選び取る」ことの重要性を理解した。彼は、ユナという存在が自分に与えてくれた意味を深く抱きしめ、迷宮からの脱出、そして自己の変革へと一歩を踏み出した。それは、悲しみを受け入れ、それを成長の糧とすることで、真の「自己」を確立する瞬間だった。迷宮の出口から差し込む光は、まぶしいオレンジ色をしていた。

第12話:生命の樹の輝き
迷宮を抜け出したハルカは、真の「自分」という「生命の樹」へと成長した姿が描かれた。それは、ユナという「失われた半身」を内包し、その悲しみを乗り越えたことで得られた、揺るぎない自己の確立を意味していた。彼の成長は、やがて家族の「クラゲ」たちにも微かな光を届け、それぞれが自身の感情に向き合い始める希望が示唆された。生命の樹は、力強い緑色の葉を広げ、その幹は希望のオレンジ色に輝いていた。ハルカは、「失われた絆」を力に変え、新たな旅立ちへと踏み出す。そして、物語は静かに幕を閉じた。


エンディング曲:『双星のゆりかご』

果てしなき迷宮の淵 
ついに辿り着いた安息の地
そこにか細き光 君が佇む 
まるで夜天に咲く一輪の幻(まぼろし)

永き彷徨の果てに 
この目に映るは まばゆき残光
古の天秤が示すは セフィロトの奥底 真実の均衡と幻影(ゆめ)の狭間
この世で我らが出会えた意味を 
解き明かす ただ一人の夜
七角形の闇に揺らめく 君は知恵の光 されど遠き星屑(ほしくず)の十二芒星(デカグラム)

二つの星は静かに揺れる 
温かいゆりかごの中で 過去の記憶はただ漂う
君は我が旅路を照らす遥かなる光 途切れぬと信じる 束の間の絆
大空へ伸びゆく 生命の樹のように されどその根はどこへ向かうのか
すべての悲しみを超え 
新たな扉は開かれる 黎明の空へ

誰もが戸惑い迷った日々 涙枯れし孤独な夜も
隣に君がいたからか 我は立ち尽くし 嵐を眺めた

差し出されたその手の温もりは 
異物(いぶつ)にも似て 
信じることを強いた君の強さ
バラバラだった我の心の欠片 
今、君というピースで仮初(かりそめ)に揃う
アデプトへ誘う 
七つの天球は 
幻想(まぼろし)か真実か

深く刻まれし過去の傷跡も 
君の優しさでかすかに癒える
血縁を超えた「家族」という概念(ことば)に 温かい愛が満ちてゆく
もう二度と未来に迷わぬと 
心に刻む ただの誓い
君と共に歩むこの道は 
我らを導く 幻の道しるべ
下なる闇より かすかに輝く 定められた光の象徴(しるし)

二つの星は静かに揺れる 
温かいゆりかごの中で 
過去の記憶はただ漂う
君は我が旅路を照らす遥かなる光 
途切れぬと信じる 束の間の絆
大空へ伸びゆく 
生命の樹のように 
されどその根はどこへ向かうのか
すべての悲しみを超え 
新たな扉は開かれる 黎明の空へ

たとえ時が流れ 
季節が巡り 
この世の景色がどれほど変わろうとも
この心の奥底には 
君という像が確かに生き続ける
たとえ物理的に遠く隔てられようとも  
この深く温かい残響は消えぬ
我らの間に結ばれし絆は 
まるで遠き星々の定め 永遠に輝くのか
七つのセフィロトが示す 
神聖な愛の階梯(かいてい)は 
人の世の戯れか

二つの星は静かに揺れる 
温かいゆりかごの中で 
過去の記憶はただ漂う
君は我が旅路を照らす遥かなる光 
途切れぬと信じる 束の間の絆
大空へ伸びゆく 
生命の樹のように 
されどその根はどこへ向かうのか
すべての悲しみを超え 
新たな扉は開かれる 黎明の空へ

遥かなる黎明の空へ...
これからもずっと 君という幻想(まぼろし)と歩む未来...
我らの愛を育む 双星のゆりかご...
生命の樹に刻まれし 真実の輝きは ただの幻影(ゆめ)か...

 66

 1

 2

公共の空に名前を放つ

アマチュア無線の免許を取った

大して電波も出さないけれど

そもそもおしゃべり苦手だけど

アマチュア無線界の

オールドマンという

言葉に惹かれた

メカニックやエンジニアにも使われる

経験豊富なベテランを指す

ところがアマチュア無線では

ちょっとだけニュアンスが違う

無線通信技術に精通してなくても

人生経験豊富な、尊敬できる人物

そんなニュアンスがある

だから無線免許取り立てでも

他の分野での経験豊富な人物は

無線界ではいつでもオールドマン

そして謙虚に振る舞い、専門分野で貢献できる所は惜しみなく

まあそんなアマチュアコードとは無援の

傍若無人な人もそりゃあ、いる

けどね

紳士であってこその趣味

公共の電波の一部周波集を使える意味

一人一つのコールサイン

国際条約の下にある名前

責任と義務

その緊張感が

ちょっとだけ嬉しい




-------------

アマチュアコード

 アマチュアは、良き社会人であること

 アマチュアは、健全であること

 アマチュアは、親切であること

 アマチュアは、進歩的であること

 アマチュアは、国際的であること

出典
日本アマチュア無線連盟 JARL


 241

 3

 15

ゆきの

   1     2     3
   たとえば  紫の散弾
   銀の銃口  藍色の月
   たとえば  砂漠の犬
   鳥の死骸  印象の影
   あるいは  空の蒼色
   私の遺体  地平線から
   あるいは  うすい石灰
   鳥の模型  あるいは
   金網の中  工場跡地
   蝶の標本  緑の木陰
   もしくは  白の欠片
   石化した  彼方から
   アルバム  囲いの中
   それから  時間の
   眠れる   外側に
   音のない  流星の速度と
   それから  壊れ物は
   眠れる   失われて
   音はない  昨日
   部屋の中  雨が降って
   虫の這う  それから
   路地裏と  風に
   hospital。  咲く
   夜のきり    花
   海の底に     と
   落ちてゆく   月の裏側
   ゆきの音

 32

 3

 0

延々

火の焚かれる音
その音を、君はこう喩えていた

「まるで拍手みたいだよね」

オノマトペの引き起こした
そんな軽い冗談

そのはずだったのに
それがずっと今も残っているのは
どうしてなだろうか


夜には夜の道しるべがありました
だから僕は延々と歩かなくてはいけないのです
その道しるべにそって

たとえ夜が世界を拒もうとも
あるいは世界そのものが夜だとしても

何の拍手もなかろうと

だから僕は延々と歩かなくてはいけないのです


テントの前で
ただコーヒーがくつくつと
やさしく煮えていた

君がそれを嗅いでいるときの
その笑顔はずっと焼き付いている

焚火に煌々と照らされていた
その笑顔が


だから延々と歩かなくてはいけないのです
この霧の中の路地裏を
あるいは草原という名の惑星的円弧を

醒めた夢の後に残されたのは
冷めたコーヒーの跡だけでしたから

もう一度でもいいから
あの明晰夢に帰りたかったのです
この手から霧のように消え去るとしても

だから延々と歩かなくてはいけないのです

 35

 0

 2

アダルト保育園(後編) ーー 『ホルス・サーガ』シリーズ ーー

アダルト保育園(後編) ―― 『ホルス・サーガ』シリーズ ――

笛地静恵

【ノート】サイトの一度に二万字以内という制限に即して、割愛した部分を原型に戻しました。主に「9 園庭とプールと」の文字数が増えたことになります。笛地静恵 拝 二〇二五年五月三十一日

9 園庭とプールと

 私は、忙しくてほとんど参加できないが、土曜日の午後、日曜日には、もう少し長い授業時間がある。奥のドアが開く。園庭がある。鉄棒やシーソーやジャングル・ジムや雲梯がある。お砂場もある。先生たちは上下ともAHODASのジャージや体操服とブルマに着替える。生徒たちを監視しながらである。教室の中で、無造作に下着姿となる。すばやく着替える。自分の三倍の巨大女性たちの壮大なショーである。園児たちは、口をあけて見上げているしかない。
 やがてノリスケがバク転をし、ダイキチが横転をし、ゴマメが側転をする。コイシカワは、鉄棒で逆上がりの練習をしている。腹がじゃましてできない。先生に補助してもらう。大きな手に背中を押される。回る。ミサキは、ジャングル・ジムの上で、ひとり文庫本を読んでいる。目に見えるようだ。
 私も参加したが、自分たちの一、五倍の幼児たちの器具は、なかなかハードだ。雲梯に幅がある。不養生の内臓脂肪を腹に巻いている。半分までしかいけない。足の下に地面が遠い。地上に落下する。私立青猫山学院付属保育園という名前が書かれた遊具もある。卒業生の大海瑛子は、使った記憶があると語っている。
 シーソーの片方に、川合先生が座っている。園児たちが総出で、もう片方に乗る。持ち上がらない。柏木先生が、園児たちに味方して座る。ようやくつり合う。ぎっこん。ばったん。こぎ始めることができた。
「わたし。そんなに重くないもん」
 川合先生が、頬をからいらしくふくらましている。
 滑り台の階段は、段差がある。膝を曲げて、足を大きく持ち上げないと、登れない。ふうふう。ようやく高みにたどり着く。空気が薄い。息が苦しい。白い体操服の堀越先生が、すぐ脇で見張っている。落ちないか心配している。上の台は、園児ならば三人ほどが楽に立って待てる面積がある。ゆとりはあるのだが、「はやくしろよ」押されて、重心を崩してしまうことがあるから。この高度まで到達しても、彼女の顎の高さに、私の禿げた頭のてっぺんが、ようやく届くぐらいだ。視線の高さに、胸の高い隆起が聳えている。絶景である。ようやく順番が来る。滑り始める。金属の表面は、代々の子供のお尻で、ぴかぴかに磨かれている。上空の天井の仮想の青空の青を映している。体重が加速度をつける。象さんの鼻の形の滑り台。一挙に降りる。下では、大海先生が、大きく手を開いて待っている。その柔らかい胸が、衝撃を吸収する。私を受け止めてくれる。
 相撲の土俵がある。土を盛り上げて固めてある。けっこう本格的なものだ。踏み俵から上がる。四角く角俵。四隅にあげ俵。勝負俵の作る円の直径は、一メートル半程度。俵の高さは二十センチメートル。白いエナメルの仕切り線の長さは三十センチメートル。幅は、二センチメートル。つまり、ここだけは、平均身長六十センチメートル以下の、私たちのために新たに作られている。みなで力と技を競う。先生たちが、土俵際の観客席から声援を送ってくれる。真剣にならざるを得ない。私の好敵手はコイシカワだ。白星と黒星を交換している。五分と五分である。しかし、真の目標は、ノリスケに自力で勝つことだ。下手をすると、私の半分の体重しかない。それなのに、あの粘り腰に勝てない。特俵に足がかかる。追い詰める。だが、瞬間で体をひねられる。上手出し投げ。負けてしまった。番付表もある。東の正横綱がノリスケ。西がダイキチ。二人の結びの一番は、迫力が違う。先生たちも手に汗握る。激闘を繰り広げる。大内刈りでノリタケが勝利した。
 もちろん真剣勝負だけではなくて、遊びもある。青いブルマから伸びた川合先生の足に、右に私。左にコイシカワがぶつかっていく。少しでも動いたら、私たちの勝ちだ。押したり引いたり。足をかけたり。脛にしがみついたりする。しかし、微動だにしない。片方の足だけで私の体重の何倍もある。肉と骨の生きた大木だ。それに、群がる二匹の肥満体の猿である。汗ばんだ女の足の皮膚に鼻を押し当てる。見上げれば、太ももの二本のピンクの塔が、高みへと延びる。二つの合わさったところに、青い神秘の領域がある。青いブルマのさらに上には、体操服の隙間に白い腹がのぞいている。その上には、二つの聖なる山が聳え。たえず揺れ動いている。美しい顔はその陰に隠れて見えない。ずし~ん。巨大なブルマの尻が、地響きを立てて、地面に激突した。ついに倒した。二人の協力に対して与えられた白星である。「よくがんばったわね」川合先生が、白い体操服の胸にぎゅうっと抱きしめてくれる。やわらかくあたたかい。労をねぎらってくれる。そして、見えないご褒美がある。女子大生の健康な汗の香を、二人とも密かに深呼吸している。川合先生は、意識してもいないだろう。八重歯の出た笑みが美しい。汗をかく。園庭の角に水道がある。コイシカワといっしょに蛇口の下に頭をつっこむ。水浴びをする。気持ちがいい。
 園庭を大海瑛子先生に肩車されてミサキが回っている。全世界を睥睨している。裸の王様の笑みを浮かべている。ああ。いいなあ。私もやってみたい。頼んでみよう。
 さらに奥にはプールがある。園庭で土と砂にまみれたからだを、まずシャワーで洗い流す。そして、プールだ。ここまでくると、『アダルト保育園』が、かつてのスパの施設跡に、できたということがわかる。今は、幼児用のプールが使えるだけだ。水深は三十センチメートル。私たちには腰まで来る。楽に泳げる。潜水もできる。先生たちには、足を長く伸ばして、ようやく全身を浸ることができる程度だ。
 もちろん水着に着替える。ここに趣向がある。先生たちを水着に着替えさせるのは、園児たちの仕事となる。先生たちは衣服に手を触れてはならない。園児たちからの命令があれば、からだを動かすことができる。そういうルールだ。一大イヴェントだった。体長五メートルを超える巨大ロボットを、自由に操縦するようなものだ。楽しい。
 先生のだれを、誰が脱がして、水着にするのか。くじ引きで決定する。私が参加したときには、私とコイシカワとゴマメの三人のチームとなった。チーム・リーダーは、くじの先端に赤いしるしのついていたゴマメである。先生もくじで決まる。コイシカワが引いた。
「あたりだ」
 堀江先生だった。彼女が他の先生たちよりも軽装であるのは、すでに有名だった。大海先生は黒のパンティストッキングを愛用している。それを脱がせるだけで、汗だくの大変な騒ぎとなってしまう。
 堀江先生は、パンティでさえ履いてない場合がある。時間が大幅に短縮できた。他のチームとの戦いである。早い方が勝ちだ。優勝したチームには、先生からご褒美が与えられる。
 白いブラウスのボタンは、三人が順番に堀江先生の太ももの上に乗って外していった。先生はくすぐったかりなのだ。全身が地震のように揺れる。肉の台地から振り落とされてしまう。ブラウスにつかまりしがみついた。ブラジャーはフロント・ホックである。
「深呼吸してください」
 ゴマメが指示した。乳房の重量がかかっている。三人がかりでホックを外した。ぱちんと音がした。左右のブラのカップを外した。巨大で美しい純白の乳房が、ぶるんと開陳された。桜色の乳首が立っている。三人で喝采を挙げた。
 そして、先生は両手を挙げて背伸びをした。脇の下にたまっていた若い汗の香が、私たちの努力を祝福した。美しい。順番で白い峰にキスを捧げた。先生は笑って見下ろしている。
「深呼吸してください」
 ゴマメが再び指示をする。ふくよかなお腹が大きくへこむ。
 スカートの左の腰金具を外せた。長い脚を滑り落した。
 ここまではうまくいった。
 今日の堀江先生は、パンティを着用している。白い木綿の生地にかわいい猫の顔のイラストがちりばめられている。しかし、これが難物だった。もちろん直立した状態では、手が届かない。
「腹ばいになってください」
 四つん這いになってもらった。乳房が重く垂れる。太ももの裏側に乗る。
「ごめん。わらっちゃう。くすぐったくて」
 例によって弾き飛ばされる。それでも、パンティにしがみつく。ゴムの力が強い。ウエストの白い肉に生地が食い込んでいる。赤い筋がついている。先生のヒップは、三メートルを超えるだろう。雄大な腰骨と殿筋の構築物である。一筋縄ではいかない。
「三人で、力を合わせましょう」
 背後からお尻の曲面を滑らせる。そういう作戦である。
「せいの!」
 ゴマメの掛け声に力を合わせる。ようやく動いた。
「やったぞ」
 これは、私。
「少しずつだな」
 これは、コイシカワ。ずり下げていく。時間はかかる。が、着実に成果が上がっていた。尻の谷間が現れた。肥満体の私とコイシカワは、すでに汗だくである。やせ型のゴマメだけが涼しい顔をしている。
「さあ。もう少し。休まないで」
 私たちを無慈悲に駆り立てる。
「ふたりとも、負けるのは嫌いでしょ」
 その通り。負けるのはいやである。
 臀部がもっとも左右に広がった稜線を越えてからは、作業がやや楽になった。滑らかな太ももを生地が滑る。
「きゃあ」
 堀江先生が、悲鳴を上げた。コイシカワが、尻の深い谷間に顔を入れた。青い菊の花を舐めたのだ。三人とも放り出された。
「このバカ!」
 ゴマメに頭を殴られていた。
「立ってください」
 直立してもらう。パンティが太ももをくだってくる。ゴマメが飛び上がる。手が届いた。パンティを自分の体重を使って揺らす。膝から下に下りた。うまい。堀江先生は、陰毛をハート型に剃毛されている。流行なのだろうか。かわいらしい。
「右足を上げて。そうそう。次は左足。そうです」
 パンティの二つの穴から、左右の足を抜いてもらった。作戦は成功した。裂け目が形を変える。おもしろい。見えること。見せられることになれている。作業に高揚したゴマメは、さっきから立ちっぱなしである。そのことを隠そうともしない。そんなことよりも、もっと重要な任務があるのだ。ここは、不思議な世界だった。現世の常識を逸脱している。
 そして、白いビキニのブラを上半身に、パンティを堀江先生の下半身につけた。女性というものは、曲線でできていることが、よくわかった。
 二位ではあったが、達成感はあった。三人でハイタッチをかわした。
 「今晩は、飲みに行きましょう」
 ゴマメが提案した。他の二名に異存はなかった。汗まみれで、疲労困憊していたが、プールの水に入ると体力が回復した。
 堀江先生という肉の大陸の上で自由に遊んだ。コイシカワは、ビキニの間の白い腹のビーチに寝そべって、いびきをかいている。寝かしておいた。
 あれも、もう何か月も前のことだ。私にはひどく昔のことに思える。

10 放課後に告白し

 放課後という時間帯が『アダルト保育園』にやってきた。主に個人指導の時間だ。宿泊施設もある。普通サイズの人間のための宿泊施設である。終電を気にせずにプレイに集中するためだ。
 なんというのだろう。私の「下降願望」論とは、矛盾するかもしれないが、自分は、三倍の巨女を相手にしても、まだまだできるということを、アピールしてみたいのだ。
 ある日。男子便所で用を足していた。女子便所の方から木の壁を通しても、なお明瞭な柏木先生の喜びの声をきいた。ミサキのうめき声がそれに和した。教師に戻ってからも、柏木先生の、いつもは透き通るように白い頬が、うっすらと紅色に染まっていた。これも、一人を好む冷静なミサキが、妙に活動的になり、遊びにも参加してきた。なんだ。できるのではないか。そう思えた。疑似恋愛。あくまでも疑似だが。恋愛が。
 私たちは、近所のレストランから、夜食を部屋まで配達してもらった。大海英子は、血の滴るような人造牛のステーキを食った。私の体重の何分の一かの量の肉塊を、赤いワインを飲みながら、たちまちに平らげた。テーブルの上の皿は、九十センチの直径がある。わずかな赤い血の染みがついているだけだった。私は全裸のままで、そのわきにあぐらをかいて座っている。
 大海瑛子は、私の要求のままに、薄く化粧をした。青い豪奢なパーティドレスに着替えて席についていた。デコルテに金剛石のネックレスが光った。胸元の深い谷間から香水が匂った。
 「大学院の実験が忙しくて、昼食をとる暇がなかったの」
 空腹だったようだ。私は、いろいろなストレスで食欲がなかった。サラダを少し摘まんだ。それだけで、胸がいっぱいになってしまった。残りは、彼女にあげた。それも、残すことがなかった。
 「おいしかったわ。ごちそうさま」
 赤い唇を赤い舌が舐めた。
 「さあ、いいわ」
 準備ができたようだ。大海瑛子は、ホテルのバスルームで、熱いシャワーを浴びた。私も足元で、彼女の肉体を流れ落ちて来る滝を浴びた。
 大海に竿を挿すことになるのではないか。不安はあった。だが、長い時間、前戯をした。二つの乳房の山を手と口で、これほどに愛したことがないというほどに、攻めた。揉んだ。丸める。乳房の山の裾野から山頂に向かって舌で円を描きながら登っていく。乳首をつまむ。舐める。しゃぶる。すする。胸の谷間の汗を吸う。塩味がうまい。入念に。時間をかける。右の山も左の山も踏破する。その甲斐があったのだろうか。
 無礼で乱暴なイラマチオを受け入れてくれた。もっとも彼女の口腔は、私の完全に勃起した一物を、根元まで簡単に飲み込むことができる。オプションの中でも、特別に高価なコースだが、それでもいいのだ。今夜が最後の夜になるかもしれない。すべてを捧げた。
 私は黒髪の頭部を両手で抱いた。黒髪の根元の頭皮に鼻をつけた。そこに、こもった濃密な女の分泌物の香りを深呼吸した。自分を高めていった。必死に腰を動かした。大海瑛子の巨大な頭蓋骨の内部の鋭敏な大脳は、私の内部に蠢く凶暴な衝動を理解してくれている。男性の欲望を黙って受け止めている。舌の動きも止まらない。ねっとりと。絡みついてくる。強い力で吸い込んでくる。じゅぼじゅぼ。濡れた音がしている。私はついに果てた。彼女の名前を呼んだ。白く長い喉が、ごくりと動いた。大海瑛子は私の熱い情熱のたぎりを、口で受け止めてくれた。すべてを飲んだ。唇のよだれを手の甲で拭った。
 「おいしかったわ」
 私の精子が大海瑛子の体内を泳いでいる。私はみるみる回復していった。一回、射精しても、ほとんど容積が変化しなかった。
 大海瑛子の協力があった。彼女は、精いっぱいの大股開きをしてくれた。水泳部である。平泳ぎも得意だ。関節が柔らかい。陰毛はつつましく剃毛されている。一部は、私も手伝ったのだ。手先は器用な方である。間違うことはない。
 大海瑛子は二本の指で、大きな陰唇の赤く濡れた唇を開いてくれた。女性性器は私の顔よりも大きく口を開いている。内部の赤黒い粘膜が濡れて愛液の糸を引いている。メデューサの黒髪の蛇が蠢いている。最後の最後で挫けそうになった。
 「イワシくんなら、できるわ。来て」
 優しいフェラチオがあった。「これはサービスよ」無料だという。挿入できた。内部は濡れて熱かった。そして、入口の締りは強かった。これなら長くも持ちそうだ。少し安心していた。
 自分に合うミニサイズのコンドームはない。大海瑛子と安全日を調節した。そのために、今回は、時間が空いてしまった。そのうえで、念のために、ピルを服用してもらった。中出しできた。第一回戦は、無事に完了した。
 そして、第二回戦では、大海瑛子を喜ばすため、口から手から使えるものは、すべてを動員した。生まれて初めてフィスト・ファックなるものを実践した。拳骨にした腕は、肘まで飲み込まれた。拳骨が出したり入れたりするたびに粘膜を刺激した。膣の筋肉も、雄大な臀筋や、腹筋、体感を維持する内部の筋肉の複雑な束と同様に、鍛えられている。私は奥を何度も殴った。瑛子の子宮が感じた。いろいろと試してみた。
 第三回戦。右を下にした松葉崩しの体位が、どうやらもっとも感じるようである。膣に吸い込まれる。快感の高まりに連れて、吸引力が強まった。しごかれる。熱かった。肘の関節が抜けるかと思った。しかし、私は戦い抜いた。大海瑛子が春の噴水によって、私を祝福し清めてくれた。
 元来は、終電に乗り遅れた客が泊まるための個室である。ベッドもシングルだ。内風呂も膝を曲げて入る小さな浴槽だ。しかし、十分に二人で湯に浸かれた。私は大海瑛子の曲げた足の間に立っていた。水深は私の背丈ぐらいある。膝小僧の島に、手を置いて浮いていた。胸に抱かれた。最高の人間の椅子だった。「あなたは、わたしのために全力を出してくれた。ほんとうの男よ」大海瑛子は、キスをしてくれた。顔の半分を口内に飲み込まれた。瑛子は掌にシャンプーを泡立てた。全身を洗ってくれた。私も同じようにした。巨女の全身を隅々まで洗った。洗いがいがあった。楽しかった。
 深夜のベッドで、私は大海瑛子の胸の谷間に抱かれていた。自分の会社が苦境にあること。このままでは倒産が近いこと。私だけではなくて、三百人の従業員が路頭に迷うこと。苦境のすべてを告白した。彼女の乳房の谷間を涙で濡らした。大海瑛子は、私の髪の薄い頭をいつまでも撫でてくれていた。
 
11 仲間たちの再生

 それからの日々。事態が急速に展開した。井戸堀隼雄博士が、自身の発明品の特許の使用を許可してくださったのである。縮小率十二分の一の壁を越えても、なお意識と記憶を保持できる。新たなホルス薬の製法だった。人体実験もなされていた。限界が突破された。人体縮小の世界は、新たな展開を見せることとなる。たとえば、マッチ箱に入る軍隊一個師団を、秘密裏に敵国へ送り込むことができる。人類の歴史を変えるかもしれない。画期的な発明品だった。
 新商品を開発する資金は、投資家のコイシカワが、低利で出資した。二世政治家のダイキチは、財界と官界との複雑な交渉のパイプ役となった。広告業界のゴマメは、宣伝に貢献した。情報の漏洩を防ぐ情報戦は、その道の専門家であるノリスケが、陣頭指揮をした。ミサキは、軍隊に内密なコネがあった。他の仲間たちの影になり日向になっての協力があった。ホルス新薬によって、わが社の業績は、V字回復していった。長期の不況の時代に稀なことだ。苦境を脱することができた。
 以上、私が『アダルト保育園』について思い出す事柄について、まさに思い出すままにつづってきた。時系列が、どうもはっきりしない部分がある。すべてが、団子状になってしまっている。混乱している。私の大人としての意識が機能していない場合がある。幼児の精神に退行しているのかもしれない。備忘録である。自分のためだけに書いた。
 あくまでもうわさだが、『アダルト保育園』には、五十分の一のスナック菓子サイズまでに縮小して、丸呑みにされるという秘密のコースも、あるという。遺体も残らない。胃の中で消化される。あとになって体外に排出される。水洗便所で流してしまえばよい。あとくされない。重病の先輩が、その道を選択したという都市伝説がある。彼は行方不明のままで、一年後に葬儀が執り行われた。
 ホルス薬の時代だ。人間の蒸発事件は頻繁に発生している。珍しいことではない。そういえば、井戸堀隼雄博士の姿をしばらく見ていない。本来ならば、一身に栄誉を浴びるべき存在である。彼はどこに行ったのだろうか。誰も知らなかった。
 大海瑛子の瞳は、夜目にも光る。眼底に光がある。人肉を食うと、夜に目が光るという話は、どこで知ったのだろう。彼女の男を男とも思わない、神殿の神託を受けた巫女のような、自在にして自信に満ちた優雅な振る舞い。あれは、どこからきているのだろう。やがて生きることに飽きたら。そんな最期も悪くないかもしれない。私は、選択肢の一つとして、今でも考える夜がある。大海瑛子は、ホルス薬の研究のために海外へ留学した。当分の間、帰国する予定がない。
 しかし、まだ何はともあれ、もう少しだけ、私は生きるであろう。生には絶望の夜も希望の夜もある。『アダルト保育園』と仲間たちは、もう一度、人生をやりなおす再生の機会を私に与えてくれた。まだまだ足を洗えそうにない。

(後編 終わり)

(了)




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アダルト保育園(前編) ーー 『ホルス・サーガ』シリーズ ーー

アダルト保育園(前編) ―― 『ホルス・サーガ』シリーズ ――

笛地静恵

【ノート】R-18です。申し訳ありませんが、成人したら読みに来てください。段ボールの底から、書きかけの黄ばんだ『アダルト保育園』の原稿用紙とメモがでてきました。今回、大幅に加筆し、修正を施しました。四百字詰め原稿用紙で十二枚以上は増量しています(当社比)。二十年以上前の文章となります。さすがに違和感があります。あちこち推敲はしましたが、基本的なストーリーはいじらずに、もとのままとしました。ゲーム『SAEKO』の発売を記念する意味もあります。最後の『ホルス・サーガ』シリーズとなります。ご愛読をいただきありがとうございました。笛地静恵 拝 二〇二五年五月三十一日

1 アダルト保育園

 荒廃は、山の手の住宅地まで侵攻していた。最寄り駅から徒歩十五分ほどの距離にある。商業地区と住宅地区の境界に位置する。かつては一等地だった場所だ。下町の大半は巨大津波の下に沈んだ。海の底にある。ここは、相対的に高台にある。標高が高い土地だった。ビルは古い。今にも倒壊しそうだ。四階建ての上から下まで壁に大きな罅が入っている。先の震災の傷跡が、修復されていない。しかし、ともあれ建っている。解体されてもいない。可能な限りゆるい耐震基準の検査を、ともかくも通過したのだ。居住許可の張り紙が、黄ばんでいる。ちょっとした地盤の相違で、断層の上で壊滅した地域もあれば、液状化現象で沈んだ場所もあれば、浮島のように生き残っている区画がある。明日のことなど誰にも分らない。証明でもあるだろう。この国という船には、大きな穴が開いている。修理は不可能だ。
 私はかび臭い湿った階段をジグザグに下りていく。緑の染みがコンクリートの壁一面に広がっている。魚の目のように見える。暗証番号を押す。鉄の扉が開く。長い廊下がある。明かりの漏れた小さな窓に会員証を出す。瞳孔による認証。受付を済ませる。奥への扉が開く。
 会員制の秘密倶楽部。『アダルト保育園』。会員二名以上の推薦がないと入会できない。私もコイシカワとミサキという大学時代からの悪友二名の紹介があった。入会金は高額である。一か月の基本料金は低額だが、それは撒き餌だ。オプションで様々な魅力的なコースがある。二人だけの一夜も可能だ。それらを積み重ねると、かなりの金額となる。ある程度の収入がないと気軽には使えない。
 客層は奇人・変人が多い。ホルス薬の店に多い、一対一の関係ではない。先生一人に対して、最大四名の園児がいる。悪ガキに戻って遊び、若くてきれいな先生たちと戯れる場所である。『アダルト保育園』は小さな社会である。それを楽しめる者でないと、入会の意味がない。高年齢・高学歴・高収入の者が中心である。政治家、投資家、起業家、医師、教師、軍人等々。日常生活では重圧に喘いでいる者たちが。非日常に逃げ場所を求めているのである。一定の客種を維持している。どの世界にも、嫌な奴はいるが、まあ一般的に信頼できる連中だ。少なくとも個人の秘密は厳守する。口外しない。会員資格を剥奪されるからだ。それは耐えられない。
 ホルス薬の風俗業界への活用は、急速に浸透した。軍用と医療専用から民間への転用。許可されてから三十年も経過していない。初期は雨後の筍のように店舗が生まれた。二十年以上の現役は数少ない。例外的だ。
 全国的に見ても、ホルス薬をめぐる猟奇的な犯罪は、なお増加傾向にある。もともと治安の悪化から性的な犯罪が急速に増加した。主に女性が自らの身を守るための護身用のスプレー薬として、民間の利用が許可されたのだ。皮肉な結果である。
 ホルス薬は、人類の半分の男性にしか縮小効果がない。この謎も解明されていない。かつて会友だった井戸堀隼雄博士が、ふとつぶやいていたことがある。「まだまだホルスは変身しますぞ」彼はホルス学の有名な研究家だ。私でも顔と名前を知っていた。その言には、説得力がある。頬に痙攣があった。
 ともあれ、『アダルト保育園』への入会に際しては、「プレイ中に命を落としても、いっさい文句を言わない」という趣旨の誓約書に署名させられる。危険な火遊びだ。プレイ中に踏みつぶされた。ヒップの下敷きとなった。乳房に押しつぶされた。いろいろと業界のうわさを聞く。私にとっては、いずれもうらやましい最期だ。追い詰められている。希死念慮がある。

2 ホルス薬の進化

 広い更衣室に入る。ロッカーが二十ほど並んでいる。完全予約制。一回の予約者の数は制限される。最大で二十名ということなのだろう。瞳孔と指紋認証の鍵。我々は不信の時代を生きている。セキュリティは二重三重に実行されている。荷物を置く。服を脱ぐ。全裸となる。どうせ市販の衣服は、合わなくなる。利用者は、まだ私一人だ。少し早く来すぎた。気が焦っている。
 壁に小さな不思議の国へのドアが開いている。縦も横も普通の三分の一。ドアのノブもその高さ。縮小しないと、通り抜けることはできない。
 低い寝台に身を横たえた。ホルス薬の錠剤がある。コップの水で飲んだ。改良が進んでいる。初期のころにあった「からだの中心に落下していくような」という眩暈の感覚はない。自分の周囲の世界が、徐々に拡大していくだけだ。天井とロッカーが高くなる。四方の壁が遠ざかる。無為の十五分間。何度も体験している。寝ていなければならない。そういう決まりだ。
 ホルス薬は、投与される量によって、持続時間が正確に計測できる。麻酔薬と同じだ。あれも、なぜ人体に効果があるのか、わかっていない。しかし、効果があるから使われている。それと同じだ。私は、明日の朝、午前九時まで、このからだでいる。副作用はない。再び無策の十五分間。それで元の身体に戻る。
 『アダルト保育園』は、三分の一の縮小率である。以前の店は、二分の一だった。性的な刺激は酒と同じで慣れてしまう。新しい店に挑戦しようと思っていた。数年前から利用していた旧友から、タイミングよく勧められた。
 私は、あえて楽しいことを考えようとしている。たとえば、今夜の相手となる大海瑛子のことを。こちらが要求しないのに、私立青猫山学院大学大学院の学生証を自分から提示してくれた。女子大生という看板に、嘘いつわりのないことを、自ら証明した。率直さに好感がもてた。店では古参の方だという。
 彼女でなくとも、他の先生たちも、縮小人間のあつかい方を、こころがけている。やさしい性格で、子ども好きで、細やかな配慮ができるものでないと務まらない。保育士や看護師の資格を持っている子もいる。『アダルト保育園』は先生たちの質が高い。巨乳の美女たちが選抜されている。ノイエ・シブヤの青猫山学院大学の女子大生が主力らしい。先輩たちが、ここでアルバイトをしていた。学部・学科は限定されない。性格的に「先生」となる適性のある後輩か。経験者の目によって厳しい絞り込みがなされる。会員と同じく、二名以上によって推薦される。一定の水準が維持されている理由のようだ。四葉のクローバーよりも希少だろう。しかし、中でも大海瑛子だ。馬が合った。切れ長の瞳に光がある。地方の古い神社の娘だという話だ。神秘的な雰囲気がある。巫女の衣装が似合うだろう。
 彼女が出勤している日を、職員室(事務室をこう呼ぶ)へ問い合わせた。なかなか予定が合わない。二か月ぶりである。待ち遠しかった。ようやく再会できる。この日を楽しみに生きてきた。これをしよう。あれをしよう。いろいろと想像をたくましくしてきた。
 小さな時計が鳴った。十五分間が経過したのだ。私には妄想癖がある。その世界に入り込むと、現世の時間はたちまちに周囲を流れ過ぎている。私は、小さなドアを開いた。長い廊下がある。ここはもう『アダルト保育園』の世界である。壁の黄色い模造紙に、色とりどりの色紙の花が貼り付けられている。手書きの文字で園の名前が掻かれている。絵心のある「先生」方の作成である。「廊下を走るな」という張り紙がきいている。雰囲気が出ている。空気は、全裸であっても寒くない。温度が調節されている。ただし廊下は、普通の人間の寸法で、作られている。実際に、少子化によって廃棄された、都心の保育園を移築している。本物だ。作り物ではこうはいかない。対比によって、小ささが実感できる仕組みだ。ぞくぞくする。フルチンは、解放感はあるが、男を小さく無防備にして孤独にする。
 廊下の端に便所がある。プレイの前に、用を足しておこうと思った。最近、近いのである。男子用と女子用がある。女子用は、職員も使用することがある。男子用に入る。朝顔が高く大きい。木の壁の高いところに、子どもの落書きがある。原始人の太陽だ。私たちよりも長身の子の作品である。あそこまでは手が届かない。
 
3 教室のおもちゃ

 ガラスの扉も、縦横三倍の大きさ。横開きである。私たちの力でも、簡単に開閉できる。教室に入る。普通の教室が、私たちには体育館大の空間となる。無人だ。先生も園児もまだ来ない。壁の鳩時計が、午後六時半を指している。七時の開園だ。床には、弾力性のある若草色のマットが敷き詰められている。転んでもけがをしないようになっている。水色の天井が高い。照明は明るすぎず暗すぎずというところだ。
  空気には、乳幼児特有の乳臭さと、甘ったるい菓子の臭いがいりまじっている。すっぱいようなかすかな腐敗臭もある。掃除はされているが、しみついているのだろう。かすかな湯垢の香もる。
 無数のおもちゃがある。これらも保育園廃業時に、そっくりそのまま譲りうけたもの。つまり、使用済みである。痕跡がある。幼児たちの鼻水や涙や汗や嘔吐やオシッコの跡だ。ゾウさんの花の形をしたすべり台がある。シーソーがある。直方体や、立方体のプラスチックのブロック群がある。幼児の手形が残っている。私の手と比較すると、野球のグローブ大はある。安全のために、プラスチックのブロックは、角が丸くなっている。私の腰までの直径の軟らかいボールがある。サイコロ型のクッションもある。
「なんだ。子どものおもちゃか」
 甘く見る向きがあるかもしれない。しかし、いざ使ってみると、けっこう大きくて重いのだ。三分の一の私たちよりも、大きな巨人族の子供たちの使用していたものだと、すぐにわかる。持ち運びは容易ではない。
 彼らは、私よりも大きくて強い人種だ。小柄な者でも、一倍半の背丈がある。体力もあるだろう。床の一画に相撲の土俵をかたどった輪がある。彼らのひとりと、相撲をとったとする。勝つことはできないだろう。力負けをする。体重も何倍もある。浴びせ倒しで、押しつぶされるかもしれない。幼児は、相手が縮小人間だということで、手加減などしてくれない。全力でかかってくる。自分より弱いとわかれば、力まかせに圧倒して来る。子どもの世界は、弱肉強食の世界だ。大人の世界と同じである。食うか食われるかだ。幸いにして、もちろん、ここまでは、そんな乱暴者の幼児は侵入して来ない。物だけが置き去りにされている。
 たとえば、ボールの直径は、私の背丈と同じぐらいある。ジャンボサイズのボーリングのびんも、同じようなものだ。おもちゃの森の中をさまよう。自分が、さらに小さくなったように感じる。大きさというのは、相対的なものだ。比較するものがないと実感できない。ここには、大きな物が豊富にある。子どもの思い出のように重い。
 私は、プラスチックのブロックを移動していた。自分だけの秘密基地を作り始めた。一個でも重い。両手に力をこめないと運搬できない。重ねて積み上げる。壁にする。それとも、先生が来るのを待って、かくれんぼをしようか。隠れる場所は、いくつもある。おもしろいかもしれない。
 私の次にコイシカワが、教室に入ってきた。小柄なノリスケが大柄なダイキチに肩を抱かれるようにして入ってきた。ミサキは前髪を指で梳いている。ゴマメは、口元に皮肉な笑みを浮かべている。他にも次々とやってくる。あまり目を合わせない。恥ずかしいのである。

4 先生たちの足元

 先生たちが、七時の鳩時計と同時に、どやどやと教室に入ってくる。三倍体の巨女たちのご入場だ。古い床が振動する。
 パンパン。大きな両手を鳴らしている。
 「はあい、よいこのみなさん、おはようございます」
 「おはようございます」
 『アダルト保育園』では何時であっても、出会いのあいさつは「おはようございます」である。異世界の朝が始まるのだ。
 「きょうも、元気に、仲良く、遊びましょうね」
 「はあい」
 全員が、明るく声を合わせる。いつもの儀式である。
 今日は、堀江、柏木、川合の三名である。彼女たちは本当に大きい。三倍体の巨人。二階建ての家の屋根以上の高さに顔がある。目線を合わすためには、首を痛いほどに後ろに曲げる必要がある。そうでないと、膝小僧と会話する羽目になる。
 堀江と柏木は白のブラウスに紺のスカートである。川合は体操服に紺色のブルマだった。長く延びた生足がまぶしい。誰かのリクエストがあったのかもしれない。先生の衣装は、セーラー服や看護師やメイド服等々と、リクエストができる。三人とも、もちろん巨乳である。それが、『アダルト保育園』の売りのひとつだから。
 園児たちが、先生の足元に群がっていく。順番に列を作る。だっこされるのを待つ。コイシカワのように、両足の間を敏捷に潜り抜ける奴もいる。本当は禁止されている。危ないからだ。踏まれたら大けがをしてしまう。
 「履いてないぜ」
 堀江先生を指さした。一番早く来たのに、列の後方に並ぶ私に、耳打ちしてくれた。
 大海瑛子の姿がない。彼女は、電車の遅延のために、少し遅れるという連絡がはいったという。ノイエ・シブヤにある青猫山学院の大学院からやってくることを、私は知っている。
 抱擁の儀式をすませた仲間たちが、教室に散らばっていく。
 私は川合先生の体操服の大きな胸に抱かれていた。体操服をスポーツブラに包まれた乳房が高く盛り上げている。体温が熱い。八重歯の出る笑顔が美しい。
 「もうすぐ、大海先生が来るから、待っていてね」
 魂胆がばれていた。
 「川合先生、キスして」
 「は~い」
 軟らかい唇が、私の頬に触れた。
 「さみしいでしょうけど、もうすこし、がまんよ」
 耳元でささやかれた。うなずいた。甘い吐息が、耳の穴の毛を震わせたのか。くすぐったい。首をすくめた。
 下界では、ノリスケとダイキチが、さっそく取っ組み合いの相撲を取り始めている。
 どしンどし~ン、大きな足音が教室に入ってきた。
 大海瑛子先生が、ようやく顔を見せた。
「おはようございま~す」
 息を切らしている。黒い長髪が額に乱れている。鳩時計の長針は、指定時間を十五分以上、回っている。
「ごめんなさい。電車が、遅延してしまって。待たせたわ。わたしの時間は、その分、延長しますからね」
「大海先生、だっこ」
 私は両手を広げた。今度は、先陣を切って突進した。待ちきれない。教室の入り口の近くで待っていた。全力でぶつかっていった。もちろん大海先生は、びくともしない。生身では、九十キログラムを超える私の肉体を、がっしりと白いブラウスの厚くてやわらかい胸に受け止めてくれる。
 背丈が三分の一の私の体重は、その三十分の一である。九十キログラムの肥満体が、わずか三キログラムとなる。犬か猫の一匹分しかない。大きな胸に抱きとめてくれた。うれしいのは、大海先生から汗の香が匂ったことだ。始めての体験だ。駅から焦って走ってきたのだろう。私はブラウスの胸に顔を押し当てた。匂いをかいだ。ああ、この時を待っていたのだ。
 「今夜のイワシくんは、甘えんぼさんね」
 立ち上がっていた。頭を撫でられていた。そのままにしていてくれる。
 しかし、そう長くは独占できない。他の園児たちが待っている。私は、床におろされる。
 「さあ、遊んでいらっしゃい」
 お尻を軽くたたかれた。大海先生の掌は、私の裸の臀部を覆い隠す。今夜は、放課後の個人授業が待っている。それを楽しみとする。(またあとでね)切れ長の目と二人だけの会話をした。秘密がある。
 彼女も、十二名の園児たち全員と、だっこの儀式を荘重にかわした。女神に拝謁する信者になった気分となる。長身というだけではない。大海瑛子には、独特の威厳があるのだ。
 大海先生は、園児のひとりひとりに、優しく対応していく。その行為のひとつひとつに胸が痛む。私は嫉妬しているのだろうか。恋する若者のように。この割り切れない感情の熱湯は悪くない。若さのあかしだ。
 
5 悪友のちんちん

 いかにも会社の重役クラスだという恰幅の男がいる。私と同じような肥満した腹をかかえている。自分で自分の股間が見えない、こいつがコイシカワだ。出世のために、他者を踏み台にしてきた者の傲慢さが、態度から滲み出ている。目元に卑しさを示す隈がある。わたしも他人から見れば、きっと同じ穴のムジナなのだろう。
 こいつは、大学時代、私に「お前なんか嫌いだ」と、面と向かって毒ずいたやつである。『アダルト保育園』でも喧嘩仲間だった。ボーリング型のクッションをもって、互いに殴り合う。肉弾戦なんて、ここでしかできない。裸のつきあいだ。何も隠せない。欲求不満の解消になる。
 あまりにも、エキサイトしすぎると、大海先生の足がにょきんと介入してくる。「こらこら、その程度にしなさい」互いに、スカートから伸びた先生の黒のパンティストッキングの長い脚の影に隠れる。黒い大木である。水泳で発達したふくらはぎの筋肉を繊維の光沢が滑る。隙を伺う。攻撃の機会を狙っている。
 今夜は、先生四人に、園児が十二名。三人に一人。目が届く。みなが遊び始める。
 各自が遊びに集中し始めると、先生たちにも暇ができる。スキンシップの時間が、取れるようになる。コイシカワに先手を取られた。彼は、床にあおむけの態勢になった。休戦のサインである。こうなると、攻撃することは許されていない。負け犬の態勢だ。彼は、白髪の混じった陰毛の中から、短小のみじめなあれを立てている。かまってほしいというサインである。
 「はいはい、しょうがないわねえ、またなの」
 文句をいいつつ、大海先生が、相手をすることになる。大海先生は薄いゴムの手袋を手首まではめる。ぴチンと音を立てる。医療用である。手術に使う極薄の、しかし破れにくい素材である。素肌につけているのと、ほとんど変わらない触覚が、指にあるという。
 大海先生の長い五本の指にもてあそばれる。力加減が絶妙なのだ。中指でも、完全に勃起したコイシカワのみじめな男性自身よりも、長くて太い。
 私は、嫉妬にもだえ苦しみながら、その光景を眺めている。ボーリングのクッションを胸に抱きしめている。手淫はオプションである。別料金となる。投資家のコイシカワには、何ほどのこともない金額だが。コイシカワは、私の方を横目でちらりと見て、にやりと笑った。してやったりという、ゆとりの笑みだった。私の恋敵でもある。
 けれども、大海先生は、右手の五本指でコイシカワの息子を、わやわやと喜ばせてやりながらも、そこだけに集中しているのではない。目とからだは、滑り台の方を向いている。みなが順番を守り、きちんと安全に使っているか。監視している。台の上に立っても、園児の顔は、大海先生の鋭い視線の高さを、それほど超えることはない。
 早漏のコイシカワが、長くもつはずはない。コイシカワは、どんどん高まっていく。溜めていたのだろ。大海先生の目が光った。
 「さあ、出して、いいのよ」
 たちまち射精した。
 「はい、いっぱいだしたわね、いいこ、いいこ」
 コイシカワは、大海先生のゴムの手袋の指を舐める。自分で出したものは、自分で処理する。そういう決まりだ。アルコール・ティッシュを持ってくる。自分のものを自分で拭く。
 大海先生が、すっと立ち上がった。巨体の動きに周囲で風が動く。女子便所に汚れた手袋を捨てに行く。
 私は、唇に気持ちの悪い笑みを浮かべたままで、放心状態にあるコイシカワを床に残して、大海瑛子先生のあとを追った。
 
6 先生たちの工夫

 大海瑛子先生は、専用のサニタリーの容器に手袋を捨てた。消毒薬で手を洗った。
 二人で個室に入った。オプションである。別料金となる。それで、かまわない。
 「夜まで、待てないのね、かわいいひと」
 笑われた。蓋をしめた水洗トイレの便器の上に、私は乗せられた。何をしたいのか。以心伝心でわかっている。大海先生が、スカートの前の厚い緞帳を持ち上げた。
 私は大海先生のスカートの帳の作る薄闇の中にいた。高温多湿の世界だ。空気は彼女の匂いに染まっている。濡れた紅い唇に口をつけた。スカートの生地越しに後頭部を抑えられている。どうして欲しいか。手に取るように分かった。
 やがて、私は女子便所の水を溜めた洗面台に、頭部をつっこんでいた。潜水したように、びっしょりと濡れていた。口を濯いだ。私の歯の隙間に、縮れた黒い毛が一本、挟み込まれていた。大海瑛子が、指先で摘まんだ。するすると引き抜いた。
 「はげしかったわね。イワシくん」
 奮闘に頭を撫でられていた。
 「こんなときなのに、少し、いったかも」
 二人で手をつないで教室に戻った。先生の指の先端を私の手が握る。ちょうどよい握手となる。
 他の三人の先生たちも、われわれを喜ばすために、それぞれに工夫をこらしている。中でも、今春、高校を卒業したばかりの堀江先生は、その大胆なファッションで、ホルス人間たちの度肝を抜いた。
 別に規則はないようだが、歴史と伝統のある『アダルト保育園』で、昔から先生がたの制服の基本となっているのが、上半身は白いブラウス、下半身が紺のスカートである。
 堀江先生は、ブラウスの下がノーブラだった。
 乳房の隆起の先端の乳首が、高く生地を押し上げていた。真下から見上げている。頂きの先端部分が、ピンク色に透けている。高く宙を挿していた。
 また紺色のスカートの下に、割れ目に食い込むような最小限度の面積しかないパンティを履いていることがあった。このときは、教室の中央に仁王像のように直立する彼女の足の間を、みんなが順番に見上げるために、巡礼の列ができた。評判がよかった。調子に乗ったらしい。次第に、エスカレートしていった。
 ミニのスカートで、園児たちの頭上をまたいでいく。薄闇の中に、神聖なパンティが見える。そう思って覗くと、ピンク色の裂け目と暗い茂みがあるだけだ。ノーパンだったのだ。
 堀江先生は、両手を腰に当てていた。ふっくらとした頬が笑いによって、さらに盛り上がっている。堀江先生は、どこもかしこも、丸いのだ。ぴちぴちした皮膚が張り切っている。健康そのものである。勃起した男性性器を直視できるもの。女性性器を至近距離から観察されて平気なもの。さすがに数が少ない。さらにいえば、めったにいない。時給はいいのに、先生のスカウトに先輩たちが苦労する理由だ。彼女は、こころもからだも開かれている。逸材だった。
 仏像のように拝む者まで出た。熱烈な信者を集めている。堀江先生に参拝するために『アダルト保育園』に来る者もいるときいた。
 「みんなかわいい。くせになっちゃいそう」
 彼女も受け入れている。
 みんながノリスケというあだ名で呼んでいる男もそうだった。色黒で胸板が薄い。骨と皮だけぐらいに痩せている。あばら骨が浮き出ている。弱弱しく見える。しかし、彼の最小限度の筋肉が、どんなにしなやかで柔軟で強靭なのかということは、みなが知っている。若いころは体操部だったそうだ。鍛えられていた。人は自分にないものを求める。この場合は、体脂肪だろうか。堀江先生を崇拝していた。
 私もノリスケと相撲を取ったが、五回に一回しか勝てない。それも、人の好い彼が、勝ちを譲ってくれているような気がする。まあ、それでも負けるよりましだ。コイシカワのように、偽善者と呼ぶつもりはない。
 先生たちは、だれもが周囲に目を配る。みんなが仲良くしているか。注意をする。仁王立ちになっている。上空から見下ろす。すべてを一望にできる。何も隠せない。勃起していると、必ず笑いかけてくれる。「元気ね」その一言だけで、足元に立つ我々は、さらに奮い立つのだ。生きる意義をみいだせる。彼女たちは、我々ひねた悪ガキどもの扱い方を知っている。つねに恵みを与えてくれる。祖国の落日の時代。滅亡の日を少しでも遅らせようとして。負けを定められている戦いをしている。我々の世代を力強く応援してくれている。崇拝しないではいられない。
 
7 せっかんの肉圧

 しかし、あまりにもいうことをきかないと、たくましい二本の膝の上に乗せられる。せっかんされる。柏木先生は、特に厳しいので有名だ。手加減しない。お姫様のような上品な顔立ちをしている。濃い眉をしかめる。テニス・コートで鍛えた太ももには、筋肉がしっかりついている。見た目よりも固い。
 今日はダイキチがやられた。いつもは陽気な大男なのだが、力を奮うのが楽しくて仕方がないというところがある。乱暴者だった。
 「困ったわねえ。言葉で言っても、わかってくれないなんて」
 三回目までは、注意されるだけだ。しかし、それを超えると、お尻をたたかれる。
 ダイキチはノリスケとグレコ・ローマン・スタイルのレスリングをしていた。「やりすぎないでね」注意を受けていた。「もうそれぐらいにしなさい」けれども、やめなかった。エキサイトしたダイキチの腕がノリスケの股間に激突した。ノリスケは白目をむいてひっくり返った。泡を吹いている。医師と看護師が常駐している。すぐに保健室に運ばれていった。
 柏木先生の手首は、しなやかにしなる。力がある。ほんとうに「ごめんなさい」と反省するまでやめてくれない。
 ダイキチも、背中に軽く手を乗せられただけだ。それだけで、偉丈夫が身動きできなくなる。抜け出すことができない。ウソ泣きは柏木先生には、通用しない。お尻が真っ赤に腫れ上がるまで、やめない。
 ブラウスの胸が、高く前方に突き出ている。その陰になって柏木先生の表情を読むこともできないだろう。されるがままだ。「ごめんなさい」大の男のダイキチが、泣いてあやまる。今回は自責の念があったのだろう。号泣した。
 みなも、その痛みを知っている。あえて、へっぴり腰のダイキチと、目を合わせないようにする。あとには、冷たい軟膏を塗ってくれる。だが、ダイキチは、痛みに眠れぬ長い夜をすごさなければならないだろう。自業自得だ。『アダルト保育園』に来る以上は、それも覚悟の上だ。『アダルト保育園』の支配と服従のゲームは、貫徹されなければならない。みなが綱渡りを演じる芸人なのだ。
 川合先生は、他の先生と比較すると、足が太くてたくましい。皮下脂肪の率は、堀江先生に次ぐだろう。母性のあふれる巨乳は『アダルト保育園』の先生たちの特徴だが、川合先生も例外ではない。代表者かもしれない。それにお尻も大きい。川合先生は、片足だけでも、大変な重量がある。
 ミサキは、ふくらはぎを軽く乗せられている。それだけで、脱出できない。平目筋が、たくましく発達している。いろいろと試してみる。身をくねらせる。だが重圧を跳ね返せない。ナルシストのミサキの顔が、汗ばんだ川合先生の白いむっちりとした無毛の皮膚の下で歪んでいる。肌色の大蛇だ。男子便所で前髪の位置を微妙に調節しているミサキを、何度も見た。本人が、この時間をたまらないと感じていることは、下半身の状態から明瞭である。
 長髪の男が、先生たちの中でも、随一の長身の大海先生によって、空中に持ち上げられている。ゴマメだった。細身の美男子である。ゴマメのぶらぶさせた足の下には、その背丈の二倍の高さの虚空がある。しかし、怖くはない。左右の脇の下にいれられた、大海先生の手に、全幅の信頼を置いている。
 「高い、高い」
 周囲の世界を見下ろしている。教室を一周する。
 「わあ、すげえ」
 つかの間の飛行の快感を楽しんでいる。両手と両足を広げる。先生の笑顔が、すぐ下にある。ゴマメは腕を左右に伸ばしている。飛行機の翼だ。
 大海先生の白いきれいな額の上で、彼の性器が揺れる。黒い前髪に触れそうになる。それもまた解放感につながっている。
 大海先生は、今度は床に長い両足を伸ばして座っている。コイシカワは、長く伸ばした大海先生の足の裏を舐めている。そこだけで、六十センチ以上の長さがある。
 大海瑛子の全肉体からは、男性に服従を誓わせるオーラが発している。それは、私も認める。何か底知れないところがある。足の幅も広い。小学校二年生から水泳で鍛えてきた。土踏まずが深い。コイシカワは、その足の裏を舐めている。足の指の股も舐める。
 大海先生もくすぐったそうだ。が、彼は、毎回。このプレイが好きだ。足を洗ってはならない。その日、一日の活動と汗に蒸れていなければならない。そういうリクエストなのだ。どういう臭いがするのだろう。
 私にも、わからない。コイシカワの悪相の顔は、大海瑛子の美しい足の下になっている。押しつぶさないように。あくまでも、力は微妙に加減されている。大海瑛子は、運動神経がいいのだ。コイシカワ自身では、いくら苦しくとも動かせない。どかすことができない重荷だ。大海瑛子の足の裏の空気を、かろうじて呼吸している。もう少し、力が入ったら、コイシカワの命はないだろう。いっそのこと、踏みつぶされてしまえばいいのだ。私の内部で、叫ぶ者がある。コイシカワは、大海先生を愛している。同類だからわかる。

8 孤独の下行願望

 性癖というのは、不思議なものだ。簡単に常識の壁を越えている。私にしても同じようなものだが。
 別料金になるが、オムツ・プレイをする。新生児用の最小のサイズ。それのなおベルトの長さなどを短く調節してあるものだ。我々のサイズに合うようにしてあるが、実際は、なおぶかぶかである。ただウンチなどが漏れることはない。プレイしながら排尿したり、排便したりする。
 私はすでに準備完了の状態だった。ストレスで腹の調子が悪い。他の園児たちに、嫌がられないかと思うかもしれないが、堀江先生は、すぐ気が付いてくれた。「イワシくん、くちゃいわね」空中に一瞬で拉致される。教室の外の女子用の便所に連れていかれる。オムツ替えのための台がある。
 ぺりり。オムツのテープが取られる。
 「まあ、いっぱい出たわね。おりこうさん」
 肛門からお尻の谷間。睾丸から汚れたおちんちんまで。きれいに吹かれる。新しいものをつける。「はい、また遊んでいらっしゃい」新しいオシメのお尻を元気よく叩かれる。すぐ第二回戦に挑戦する猛者もいる。オムツ替えの最中に、噴水を顔に向かって発射し、キャッと悲鳴を上げさせた猛者もいる。例によってコイシカワである。しっかりと絞られた。あとで血尿が出たと自慢していた。
 井戸堀隼雄先生は、先生からのせっかんを待ちわびていた。癖になっていた。卑猥な言葉を発する。天才の頭脳の内蔵する語彙の豊富さには、私もびっくりさせられた。「やめなさい」三回注意されても止めない。おしおきは、からだに不調を及ぼすまでになってしまった。やむをえない。三分の一のクラスからは、ついに追放処分となった。風紀を害するという理由だ。井戸堀隼雄博士は、十分の一以下というクラスに転校になったそうだ。生徒は彼一人。そこで女体という巨大で神秘な世界を孤独に彷徨しているらしい。乳房の重みに耐えて背負う。命がけの洞窟探検もあるという。
 縮小率が、十二分の一を超えると、大脳が記憶を保持できなくなる。プレイの最中の記憶がない。抜け落ちてしまう。これではつまらない。中には、いわゆる正常と呼ばれている世界に、帰ってこないものさえいる。副作用が生じることがある。一般への使用が、禁止されている領域だ。井戸堀隼雄博士は、ぎりぎり限界のところで、理性の世界に踏みとどまっているのだ。有名なホルス学者。尊敬に値する。
 私にも「下降願望」と名づけられるような、秘めた欲望がある。下位の存在に下りていく。小さくなって、この世から消えてしまいたい。もともと自己肯定感が低い人間である。小さな世界への郷愁が心の底にある。『アダルト保育園』は、そうした私の願望を、都心にいて容易に充足してくれる場所である。しかし、まだ博士の境地にまでは至れない。
 『アダルト保育園』で同窓生だった時代に、旧世界のある好事家の遺産のコレクションを、お渡したことがある。ソマリさんや灯夜我舞さんのイラスト、二代目さんのコラージュ等々。今では貴重品となった作品集である。骨董屋から入手した。井戸堀隼雄博士の猥談の奔流が一瞬、停止したのが忘れられない。喜んでくださったのであろう。
「はい、みんな時間よ」
 教室の壁の鳩時計が、夜の九時の時報を打つ。先生たちが「パンパン」と大きな手を打ち鳴らす。遊び時間の終了を告げる合図だ。楽しい時間は、いつもあっという間に過ぎてしまう。大海瑛子が十五分間、熱心にサービスしたことはいうまでもない。各自が遊んでいたおもちゃを、もとの場所に片づけ始める。

(つづく)

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詩はあるく(Ⅱ)

雨がふる
傘をさして 詩はあるく
だれかの声を 思い出し
ぬれた道を 静かに辿る

たどりつく先を 知らないけれど
ことばは 小さな足あとはつづく

まっすぐじゃなくても
ときどき立ち止まっても
それでも詩は
見つけたものを 拾ってあるく

ノートのページに しずくが落ちても
それは今日の 詩のかたち

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酒部朔日『金色こぼして』酣賞一例 | しろねこ社への推薦文

推薦対象

金色こぼして
by 酒部朔日

認知症の姑にもそれを介護する嫁にも、こぼしたい愚痴の千や二千はあるだろうが。この詩の嫁姑がこぼし合う「金色」は、浄土と仏相の象徴、仏の肌の色だ。仏心の鍍金が剥がれてふたりの本地がむき出しになり、剥がれた鍍金の積もった部屋が極楽を装い生き地獄を呈するイメージ。この詩境は、痛烈に両義的で凄惨に美しい。

>あああんたと天国には行けないなあ
>あああんたと地獄に行きたいなあ
>そんな歌を歌うね最近
>私とも歌おうお義母さん
>私の手のひらからもざりざりと音がする
>部屋は金色の砂塵で満ちている

詩は認知症の義母とそれを介護する嫁の状況を「胡蝶の夢」になぞらえる。夢とうつつが、あるいは理想と現実が交互に現れ、やがて区別がつかなくなる構造。虚実も安否も愛憎も、すべて不分別の不可分となる。

>孫も産まない私を責めないでいてくれたあなた
>なら私は何にだってなったっていいんだよ

姑の孫を生むのは嫁の責務と、語り手は信じているらしい。現行法においては出産も介護も嫁の仕事ではありえないはずが、現実はいまだ旧民法下に等しく、嫁が婚家での立場なしに自尊心を保つのは難しいらしい。そのような夢も希望もない、まったき現実の受け容れがたさが、下記の叙述にもきっと反映している。

>泥棒が入ってくるの
>お財布がないの
>お茶のお手前を忘れたの
>いない姉から電話が来るの
>だれが生きているのかわからないの

わたしは祖母の認知症を間近で見ているので、この語り手がどれほど義母に憚り、その実態を隠蔽しているか想像せずにいられない。たとえばわたしの祖母は、財布を盗まれたと思い込んだとき「泥棒」など疑わない、同居の息子やたまたま訪問した妹の犯行を疑うのだ。かつては社交的で面倒見のよい、憧れの女性だったのに、あれが本性だったのかとわたしの母は嘆いている。愛情のぶんだけ深まらざるをえない失望が、この詩境を浄土に装う「金色」にも顕著にみえる。

>あなたが指の隙間からこぼす金の砂が
>奈落に消えることがどうしても許せなくて
>一掴み喰む
>骨の味がする

認知症の義母から、黄金期の記憶が脱け落ちる、仏心の鍍金が剥がれて剥き出しの煩悩が露顕する。それを許せない「私の手のひらからもざりざりと音がする/部屋は金色の砂塵で満ちている」。戻らない記憶の剥がれた鍍金に穢れながら浄土を装う、正真の穢土が現前して生き地獄を呈する。「あああんたと天国には行けないなあ/あああんたと地獄に行きたいなあ」。

「銀シャリ」が仏の遺骨の比喩であることを初めて知ったときおぼえた、言いしれない感慨にこの詩は似ている。語り手は義母の骨肉を受け継ぎ、かつて義母から受けた恩を噛み締めて介護に当たるのだろうが、世も人も諸行無常だ。認知症が象徴するように、いつまでも同じ人間ではいられない、認知症がなくとも唯一の意志を保ってなどいられない。「本当の自分」など実在しないので、愛着はつねに虚しいが、この遣る瀬なき詩境が美しいことはたしかだ。

>橋の欄干
>夏の着物の若い義母が夕焼けをただ見ている
>ぼろぼろの黒い蝶(=私)がやってくる
>義母は細い指で掬って肩口に乗せた
>あなたは男の子と女の子を産んで
>私たちまた会うよと蝶は言う
>そうなの忘れないわと義母は言う
>忘れないわと

仏教において愛着は、煩悩の最たるもの。愛は悪意で穢れている、悪意もまた愛に深々と穢されている。この現実に対峙しない夢見がちを、抒情詩とわたしは呼びたくない。





※この鑑賞は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解にある問題は、推薦作の問題でなく、その著作者に責任はない。

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 推薦文

磊『幽き孔、あるいは指先の裏返り』一考 | しろねこ社への推薦文

推薦対象

幽き孔、あるいは指先の裏返り
by 磊

このメタ詩は「作品」として完成し閉ざされることを拒んでいる。だれの意図にもどこの歴史にも回収されないまま、刹那的な生成と消滅の過程であり続けるだろう。それをわざわざ一つの読解に固定したがるこの一考には、当然なんの意味もない。意味などあろうがあるまいが関係なく書かれるのが、詩だけの特権でないことの証明として。

どう見たところでこの詩はメタ詩。文脈を築けず断片化した痕跡(デリダ)への自己言及。この読解は本来、これで終わりだ。メタ詩がメタ詩であることなど、「この詩はメタ詩」と思って読めばだれでもわかる。評など読むより作品を読むほうがずっと早いし、みずから読まねば意義もないのだから。



それでも得心できないかもしれない架空の読者を想定していちおう述べると、わたしの思うこの詩の核心は、締めの一行に集約されている。

>これは記録されない天機の標本たち

「天機」は
「天地の秘密、天賦の才、天子の機嫌、天気」
などなどの辞書的な意味をすべてひっくるめて
「天の川の機織り」
すなわち織姫の乞巧奠を象り、バルトのアレを匂わせるアクロバティックな修辞。
「テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である」(バルト『物語の構造分析』)

なぜ作者の話も聞かず勝手にそこまで断言するのかといえば、わたしがそのような詩を書いたことがあり、かつここまでは書けなかったため妬ましいからだ。

>夢の後遺症である星の言い訳

織姫は琴座にいる。すなわちこの織物は「琴線」で織りなされている。「星座」は「身勝手な読解」の比喩だ。夜空なる無窮の背景に、卑小な人間が恣意的な物語を独善的に投影する行為の、どうしようもない厚かましさを「星座」の比喩で訴える(とわたしに読解された)詩を、投稿サイトでなん本読んだか知れないしわたしも書いた。かくのあさましき読解の一切は、そのテクストがその読者の「琴線に触れた」がゆえの余響なのだ。「夢の後遺症である星の言い訳」とは(わたしにとっては)そういうことだ。

>銀色の証明は三秒前の誤読が何かを撫でていた
> (中略)
>夜空は破裂する前に沈黙を選んだという

「沈黙は金、雄弁は銀」(カーライル)。満を持して書き上げたえらそうな評が単なる誤読であったことに三秒で気づいてしまうなんてことは、わたしほどの読解ガチ勢には日常茶飯事である。もういい加減「つまり澤あづさの与太話を聞くより、作品を読むほうが早い」ことを証明できたろう。

メタ詩はみずから読まねば、すなわちみずから創らねば、おもしろくもなんともない。他人の見た夢の話をただ聞かされるのはただの苦痛、それとまったく同じ理由。したがっておそらく、詩書きにしか楽しみようのないのが、メタ詩の重大な弱みだが、これは言ってもしかたないな。メタ詩に限らず現代詩は、現代詩人にしか読まれていないというじゃないか。それでも現代詩の書かれているのが、なぜなのかなど言うまでもない。





※この鑑賞は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解と私見にある問題は、推薦作の問題でなく、その著作者に責任はない。

 29

 1

 0

 推薦文

眠れぬ週末の夜語り


昔はね
十円玉で、明日の夜を、約束したんだって。
家の電話だと、お話しにくい。
だから十円玉を、何枚か。
 公園にある、公衆電話。
そこから、あの人に。

三分間の、夜。 
それが十円玉、一枚。

金曜日の夜に、土曜の夜を。
 約束するの。

一週間に、一度きりの夜。

そのための、十円玉。



―――ある、古い歌を聞きながらの夜に

 77

 1

 5

あなたの雨は私の涙

窓を打つ雨 出番を待つ傘 私を誘わないで

 14

 0

 2

詩はあるく

嬉しいことがあったから
嬉しい気持ちを詩にする

辛いことがあったから
辛い気持ちを詩にする

風を感じたから
その風を詩にする

温かさを感じたから
その温かさを詩にする

その時感じなくても
思い出した時に詩にする

ノートに書いたままでも
良いと思う

心に残したままでも
良いと思う

きっと何処かで
誰かに向かって
歩いているよ

 210

 3

 16

祈りの残骸


雑木林の奥の崖まで行く癖がある
そんな時に偶然見つけたのがこの教会だった
天井近くには鳥の巣まであるほど廃れていて
キリストは取り外されたのか
薄汚れた大きな十字架があるだけだった

軋む長椅子にぼんやり座っていると
ここには息苦しいくらい密度の濃い
叶わなかった祈りが充満しているのを感じる
かつてこの場で救いを求めた人々の想いで
窒息しそうなのに
それがやけに心地良い
私にも、なにかに縋ってでも
叶えたくて、叶えられなかった願いがある
かつてここを訪れた人々も
そうした願いを抱えてやって来たのだろう

全ての祈りの根底には
かなしみがある

だからここは寂れてしまったのではないか
祈ることは
かなしみを直視することだから

鳥の巣はカラだった
無事に巣立ったのだろう
来年またここへ帰ってきたら
この場に満ちた祈りの残骸を
餌と一緒にわずかでも飲み込んで
また飛び立ってくれるといい
私の遣る瀬ない想いも含めて
人々が祈って届かなかった先の
天へーーー

割れたステンドグラスから西日が射して
埃のつもった床に
ゆらぎのうつくしい模様が落ちている
それはまるで
祈りのかたちのようだった

 184

 5

 14

流砂

展覧会に来ていた、時間があったので。こつこつ音のする靴はマナーに反していると知っているけれど申し訳ない、そっと歩く。薄暗い展示室に入ると眠りの空気が満ちていて、よく見ると監視員の女性が船を漕いでいた。恋人宛の詩のメモ帳を広げている。宗教画の展示のようだった。あらゆる時代の受胎告知。聖母子像。ゆっくり見て回る。同じモチーフでも、構図も画材も違っている。ひとつ、その聖母子像の中にわたしの生まれなかった子供を見つけた。監視員を見た、眠っている。わたしはもっと近くに寄った。
綺麗な臍をしている。
わたしの子は臍の緒を切る前にいなくなった。
小さな爪が生えている。
わたしの子は指すら分かれていなかった。
その絵が欲しくて欲しくてたまらなくなった。その絵が見える椅子に腰掛けた。わたしの愛しい子。いとしいこ。その子がいた頃わたしは月と繋がっていて、波が引くたびにお腹ごと持っていかれそうな痛みを感じた。いなくなったのは、いつだったろう。父親は、誰だった?
椅子が砂になっていく。
わたしから切り離されたものは、足の付け根から流れたものはなんだ?血の塊の記憶はなんだろう。わたしの愛しい子はそこにいる。眠りの空気が頭を霞ませる。
沈んでゆく。
監視員に助けてと言った。手を伸ばした。監視員は立ち上がったがこちらに来る様子もなく歩いて行った。お腹が光っていた。ああ、あの人は妊娠しているんだわ。思った時、全ての受胎告知のガブリエルがいっせいにこちらを向いた。
流砂の中で靴が脱げる。圧迫される。まるで産道を降りていくような。それは淡い期待。

 181

 7

 6

梅雨        (ソネット)

うれしかったから
幸次は口笛を吹いていた
ノドが渇いてもいないのに
自販機でジュースを買って飲んだ

うれしかったから
幸子は足取りも軽かった
買う気もないのにウィンドウ・ショッピング
ウェディング・ドレスを眺めてた

そこを雨が
雨が降り始めた
容赦なく雨が降り始めた

薄暗い新宿駅の地下道で
身寄りのない老人はむくりと起き上がり
やがて来る雨の季節に憂いを感じた





※おそらくは十代後半に書いた詩。どういう事情でこのようなものを書いたのかは少しも覚えていない。十数行の中で複数の人生が交差する様を描きたかったのだろうか。第三連で同じ言葉を繰り返し使っているが、これが望ましい効果を生み出しているのかは不明である。最終連の新宿駅云々の箇所はまったくの空想で、当時新宿には行ったこともなかった。当時の自分は、この詩を書き終えてある種の満足を覚えたものである。というのも、何でも空想的に美化することが多かった中で、この作品にはそういった軽薄でロマンチックな要素がないからであり、拙いながらも少しは人生の真実に肉薄できたのでは、と感じたからである。

 72

 2

 7

君と歩く翡翠の道

風が髪をさらっていく
柔らかなタッチは甘い花の薫りを含んで

風が頬を撫でていく
涼やかな瞬間は目に鮮やかな青葉が奏でる音色とともに

風が私たちを包み込んで二人の距離をゼロにする

待ちかねた季節を風が運んできた
目に映る全ての光が翡翠色に輝く季節

それは二人の新しい道の始まり

 57

 2

 4

谷間[断章]                    (詩)

神々の吐息にしっとりと濡れた谷間を
私は長い間さまよい歩いた
いつしか 私は四体が朧な陽炎に移ろうのではと危ぶんだが
手も足も ついに泡のように輝いていた

私は尽きない夢の路を歩み
苦悩と悲哀とに疲れ果て 何度も歩みを止めた
私の溜息は 大気に触れると 皆薔薇色となり
大地に落ちると 七色に光るのだった

 31

 2

 2

あなたへ

 静かに降り注ぐ 柔い真冬の陽
 希薄な光の中 ふと歩みを止めれば 冬枯れの木立を花が彩っています
 寒風に揺れる枝先を高く高く伸ばし 澄み渡る空に色をひらめかせる冬の桜

 どれだけ見ていたことでしょう
 そよぐ花びらを
 揺らめく梢を
 目に痛い冴えた冬空を
 ただただ上を ずっと見ていました

 そうして私は気づきました
 思い出しました
 芽吹きの春に爛漫と咲き誇る桜を あなたが笑顔で愛でていたことを
 寒風をものともせずに花開く冬桜のあるここは あなたと歩いた道でもあることを
 あの頃の私は俯くことなど知らずに 隣を歩くあなたを見ていたことを

 ですから また歩き始めました
 消えない喪失感は埋めようがないけれど ひとりで歩んでゆくのです

 つらい時は立ち止まって 凛と咲く桜花を思い出しましょう
 泣きたい時は痛む心を隠さなくていい
 じっと俯いて名を呼べばいい
 たくさんたくさん呼べばいい
 声の記憶が蘇る 優しい約束がそこにある
 温もりをくれる
 力をくれる
 涙を拭って まっすぐに前を向くことができる

 ぴんっと背すじを伸ばし 迷いなく足を踏み出す私の影は
 生命を繋いでくれたあなたへ届ける 想いの結晶

 138

 2

 8

そして近づいてくる

地図のめくれた場所から
近づいてくる人がいて
いつもこぼしている
服はだいたいシミだらけで
口元にケチャップが付いていて
かんできたのだと
渇いてきたのだと
やがて結石のように生えるだろう街には
イワシのぶら下がる電線
逆光のさかり場
そんな場所から近づいてくる人がいて

支流でいっぱいになるように
深いシミを作っている
「あんたは消えたがり屋だね
 そして 増えたがり屋だ
ケチャップをまたこぼし
「新しい川が見つかったね
 あんたの胸を源流にしようか」
水面に顔は希釈されて 近づいてくる

堤防を溢れてしまいそうなかたちは
わたしたちの
いつもいちばんのかたち
ずっと一緒のお友達
まだまだもっとも
仲良し どうぞ
傷つけ合わせてください
印刷部屋には
たくさんの栄養で
耳のどんどん大きなわたしが
力のない川を掘りつづける

映りこんだ雲も川むこうには行かない
蝉が降り ほんのりと泡が立っていた
シミのほとりをなぞる
まぶたの無い生きものが
モリオンの表面張力を
舐めては揮発する そして
その分だけ地面から独立していた
「いちばんのかたちは?」
口元に薄羽が付いていて
渇いている
「いちばんのかたちは?」
そして近づいてくる
もっともっと希釈していく

 254

 10

 10

お魚をくわえない猫

我が家では

いただきますの後
ニャー と号く

あの日から
そうしてる



魚屋さんには夕陽がさす。それは、雨が降っ
ていても、モールの中でもかまわずに。その
匂いの中に射してくるのだ。と俯いたり。

それじゃ、見えるものも見えなくなってしま
うっ て、そう言ってた君を思い出しては、
明日のほうへ顔を向けたり。


明日は
来るのだろうか


いつもの夕陽が優しすぎるから、明日は来る
のだろうか。君の夕陽は、そして、君の明日
は。あいかわらずの僕は、俯いたり、顔あげ
たりの魚屋さんで。






我が家では、いただきますの後、ニャーと号
く。あの日からそうしてる。ただいまもおか
えりも言わない、君がないた日から。


おやすみの後
おはようの後
お茶の一服の後
ニャー と号く


ごちそうさまの後
ニャー と号く



君がないた日から、我が家は少しずつ、少し
ずつ穏やかになって、それが夢見てた世界で
はなくても、我が家の幸せなのだろう。




あの町にもやがて、君と同じ声の、ただいま
も、おかえりも言わずなく子が玄関や軒先に
現れて、そんな風におだやかな、


朝に、昼に、夜に

ニャー 
  って号く家族が増えてゆけばいい


少しずつ、少しずつでいい。穏やかであくび
が出てしまうぐらいでいい。おかずはおかか
でいい。いなくなってもないている。いなく
なったわけじゃないよ って。




どこかおしゃれな店舗で売れ残ってしまった
ネコ用の缶を、少しさびれた街角の100円
ショップの棚に並べる。並べ終えたら案外、
それなりにかわいらしい一角になっている。
あまり目にしない柄の缶を手にとる人の家に
は、けっこうなんでも受け入れる猫がいるの
だろう。うちの子もそうだった。

たぶん、そうだった。
いくつも受け入れてくれて、そのまま。




なんてことない味噌汁の味で泣いてしまうよ
うに。ひと並のくしゃみの後に、しょっぱい
ってないている。味噌汁の塩分は、はなみず
となみだと同じ濃度だよ って。



我が家では

いただきますの後
ニャー と号く


あの日から
そうしてる


  

 89

 2

 4

h2O『ひかり』一考(参考:全布団上『染色』)| しろねこ社への推薦文

推薦対象

ひかり
by h2O

つまるところ「目にうつる全てのことはメッセージ」(荒井由実)だ。わたしがここで推したい詩情は、むしろ漱石や川端の描く情景にこそ顕著なので、詩に先立って小説を解く。さいわいCWS事務局の展示スペースに、うってつけの作例がある。

●全布団上『染色』(2月間展示作品)
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=387

この掌編小説のストーリーは「性風俗店で働く夏ちゃんが、待機室で同僚のめいちゃんから辞職を意嚮を聞いた」これだけだ。その他のなにも説明せず、その状況を夏ちゃんの視座からただ淡々と見せ続ける。言葉にならない夏ちゃんの思いは、すべて情景に含められ描写で匂わされている。

>めいちゃんのヤニか日焼けか、薄黄色に染まったコピー用紙。日光で白く焼けた赤い文字。このコピー用紙の不毛な長い戦いも、めいちゃんのさっきの一言が本当なら、今月で終わるのだそうだ。

タバコの黄ばみ、日焼けの褪色、もう若くない自分たち、世間の色眼鏡を免れない生業、割り切れず「好きな子」には渡せない穢れ──そういった負の感情が、めいちゃんの辞職という一種の開放感を伴って、いわば「セピアの思い出」に昇華している。夏ちゃんはめいちゃんと、別れを惜しむほど親しくない、ここに郷愁をおぼえるほどの愛着などあろうはずもない。それでもなにも考えずになどいられない、そのような感傷と人格が、特に下記の一文に顕著だ。

>そういえば「キラッ」みたいな模様が入った曇りガラスは建て直す前のおばあちゃん家とここでしか見たことないな、

夏ちゃんにとって性風俗店の待機室は「建て直す前のおばあちゃん家」のように、親しんでいないのに懐かしいらしい。めいちゃんが吐いたタバコの煙の充満するそこは、不透明だが「キラッ」と光っているらしい。闇深き苦界にも光は射す、めいちゃんの行く末には光明があると、どうやら夏ちゃんは信じたいらしい。

情景を彩る女性たちの名が、その複雑な心境を象っている。推定24、5歳の「May」ちゃんより、おそらく年上の「夏」ちゃん。青春の末期にある「May」ちゃんは、これから June Bride になるのかもしれない。五月雨の候を過ぎ越した「夏」ちゃんにも、かつては空も涸れるほど泣いた時期があったのかもしれない。この小説の抒情は「クールな朱夏」のように逆説的で、詩的にすぎて言葉にならない。





本題のh2O『ひかり』はより顕著に、まさに詩であるがゆえに、思いが決して言葉にならない。「なにかをいいたい」からなにも言い当てないという痛切な自家撞着を、文体の全身で表している。断片的で一方的な、見るも不穏に言いよどんだ聯想、機能不全家族の歪んだ認知を象るむごい比喩の連鎖。奥行きのない虚像を見つめ厚みのない讒言を吐露する、白黒思考の異様なコントラスト。

詩境は共依存の心傷を深々と抉る。事情はなにも説明されていないが、すべて情景に含められ描写で匂わされている。一言一句に救いようもないほど鞏固な必然性があるが、語り手のありもしない真意は一片たりとて暗示されない。

>あなたの27.5cmのニューバランスの後ろのロゴは、/一瞬ぴかっとひかりを放って、/なんだかそれが小学校の子みたいだったから、/わたし、すぐにわらってしまって、//何/をすればいいかわからなくなった、

>うさぎをたべたとき、/お供えの代わりに、/添えられていたにんじんのグラッセが/つやつやぴかんとして、/かんぜんにひかりのお手本で、

>あなたが去るまえに、/わたし、/ほんとうは、/うさぎをたべた話がしたかった、/にんじんのグラッセが、あなたにとても似ていたこと、/だって、そうしないと、だめになる、

「わたし」が食い物にした「うさぎ」の食い物であった「にんじん」が「あなた」に見えた。詩句にはきっぱりそう書かれているが、文脈はとてもそうとは読めない。「わたし」が「あなた」との関係に見出した「ニューバランスのひかり」は反射であり、投影であって、どれがどちらのなにを反映しているのか、光明なのか闇中なのか知れたものでない。

互いを犠牲にし合わなければ「だめになる」という歪んだ認知から、語り手は脱却できなかった。幼い娘が転んでもホームビデオの撮影をやめないような親のもとで、生きるために歪まざるをえなかったからだろう。父とおそらく自殺した亡母の、おそらくおそろしく歪んでいた関係を、自分と同じように歪んでいる「あなた」と繰り返さずにいられなかった。脱却したいはずの不幸に依存してしまう心境が、下記のもはや美しいほど悲惨な比喩に特に顕著だ。

>さなぎのなかみが均一にうつくしく塗りつぶされて、わたしたち、ひとつの異形として、生きていたの、

この自他不分別を前提として、正しい結論を導けるわけがない。「なにかをいいたい」が言いたいなにかがだれのものなのかわからない、共依存とはそういう抑圧だ。

恋はふたりだからできることなのに、なぜ人は恋しい人と「ひとつ」になりたいなどと願うのだろう。その自家撞着に、この詩はひとつの結論をくだしている。抱えきれない感情を投影する「ひかり」がほしいだけなら、「あなた」を求める理由はなかった。「あなた」は「わたし」が亡母のように「だめになる」前に立ち去ってくれた。皮肉にもこの結末は、いまこの語り手に想定しうるなかでは、おそらく最高のハッピーエンドだろう。この詩『ひかり』はこの語り手という一個の人格そのもので、だれの人生も他人と共有するための物語ではありえないことを証している。





※この一考は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解にある問題は、推薦作の問題でなく、その著作者に責任はない。

 235

 5

 4

 推薦文

僕を置く

間もなく風が通過いたします
お乗り遅れのありませんように
と、老いた車掌が云うのだが

僕はぼんやりと岩に腰掛けたまま

化石になるか石仏になるか
いずれにせよ、飛んでいく綿毛とは
違っていたいと思って
夜になってもまだ座ったままで

星が身の上に降って
さらに黄砂や花粉が風に運ばれ
身体に付着して酷く痒くても
まだまだまだまだ座ったままで

いつの間にか
僕が老いて車掌になり
間もなく風が通過いたします
お乗り遅れのありませんように
と、皆に云うのだ

まだまだまだまだまだまだ
遠い先に僕は僕を置いてくる
この場所からあの場所に
地層のなか樹の根元、それから
星と星を繋げて、あれが

僕の星座ですが誰にもそれはいいません

岩の上で正座をして
風に挨拶する雲にさよなら、を
云う、僕をここに置いていきます
たまにはお寄りください、と

伝えてから僕も歩いていく
僕は僕をそこら中に置いていく
化石になり石仏になり
コロボックルや小豆洗いになれたら
なんて幸せだろうか

 119

 3

 3

恋文                    (詩)

待てど暮らせど来ないので
ついに僕から出しました
番地を二つ間違えたので
誰のところへ着いたやら







※若い頃の作品で、まだケータイもメールもパソコンすら存在しなかった頃のこと。深い意味なんぞございませぬ。ただ読んで笑える短い詩。こんな詩を量産した20代でした。懐かしいやら面はゆいやら。

 63

 1

 10

雨音に誘われて


静かに響く雨音が
時の足音のようで
心がふっと誘われて
時々を懐かしむ

悲しみが寂しさになって
懐かしさになっていく

楽しみが切なくなって
懐かしさになっていく

流れる時は
私に私を重ねていく
だから失うことはない

時の流れに
感情はやさしくなっていく
だから失うことはない

好きな笑顔を思い出した頃
そろそろ雨もあがる頃





 27

 2

 2

序破急転直下型地震 ーー 川柳十二句 ーー

序破急転直下型地震 ―― 川柳十二句 ――


笛地静恵


「序」


関東の平野を逃げる黒き群れ



青梅雨の木乃伊の薫る上野駅



ツバメの巣ショートケーキのショートへと



つイッピーツつイッピーとはロックオン




「破」


ガンダムとゴキブリの来る誕生日



大丈夫大丈夫だよ偉丈夫め



冷蔵庫裏の王国歌忘れ



蟷螂のトライアングルバンジーす




「急」


箱舟へゴキブリすでに卵産み



しみじみとシジミがみそ汁すすりけり



一食触発のポテト



あたりき車力はかく語りき。




(了)

 21

 1

 2

夕暮れを肩にかけて
およいでいく
顔をみた
しゅ、と転がって

月よりも表情豊かだが
沈んだり浮かれたりする
理由が見えず
皆が顔を曇らせたので

顔は隠れてしまった
ヒソヒソヒソヒソそと
音だけが

人がいる限り絶え間なく聞こえる

 48

 2

 2

「   ・  ・          」

大きな空を見上げた==すべての水蒸気や煙の塊(   )の不透明な裂け目を貫いてナーガの巨大な頭が覗いている、   色に光る目とハート色に燃える舌が震えている、欠伸をするだけで象がひっくり返るような―――――――――――僕は目をそむけた、ナーガの角の先が輝いていて美しかったからだ、だがここは淋しかった、高架で世界から十数メートル地上から底上げされたハイウェイは何か得体の知れないとてつもなく僕らから遠い存在のようにとぐろを巻いて空の天辺を目指しており、文字通り渦巻きながら高く高くなっていくハイウェイはやがて我々の手の届きようのない   の中へ消えていく、彼女は言った、アヌサワリー(戦勝記念塔)と違って良い、アヌサワリーもオベリスクもリンガもファラスもまっすぐ聳り立つ下品な塔だが、これは二重にうねり、渦巻きながら天上を目指す、螺旋は私たちのなかにある渦を思い出すね?―――――――――――首が痛くなるくらい俺らは見上げていて挙句の果てにはひっくり帰ってグルンと世界が一周してしまうんじゃないかって気がして―――――――――――俺らは酷くみじめな脊椎動物で、まるで自分たちの進化が重力に逆らっているみたいだった、霊長類という名前はとても馬鹿げて居て、これは単なる始まりなのに、プライムな生命だなんて、私たちは他の動物と何も変わらない、争って、殺して、生き延びて、複製されるのみに過ぎないのに、じゃあこのフローはいつ上向きになるの? 俺らが錘から解放される日は来るんだろうか? ねえ、それは来るの? いつ? 地球が太陽の周りを、バカ―――――――――――ファック! ただ複製していてはダメだ!==俺たちはバカもバカで、いつしか   に覆われて一キロ先も見渡せなくなったこの渋滞した街で何か新しい世界を見ようと躍起になっている―――――――――――運転手の男は僕らをここまで乗せてきた壊れた車をサンダルばきの汚れた足で蹴って、彼の額には大粒の汗が浮かんでいるだろう、彼は男根的スカイスクレイパーに見下されて見窄らしい男、格の違いらしいものを見せつけられ、自分の無力感に怒り、足元ばかり睨んでやがて大きな声で泣きながら叫んでいた、そのようにして人を殴るのだ、馬鹿にしやがってなどと口走って、彼は挙句の果てに、大きな鎖を車のバンパーに結んで、汚れたタンクトップを脱いで手に巻いて―――――――――――大粒の涙を流しながら鎖を背負って、ゆっくりじりじりとどんな高いビルよりも全ての戦勝記念塔よりも高いところへ続いていく高速道路を上へ上へ上っていく―――――――――――   の中へ消えていこうとするコンクリートの踊ろ踊ろしい曲線はやがて一角のナーガに成るだろう、その首、それは雲と言えるくらい濃くなった   の間からぬっと突き垂れる巨大なアタマ―――――――――――メッキのように金ピカの、それからエメラルドのように深い緑の鱗に覆われて、アタマは月より大きく、目があり口があり、空な眼球(全てを見つめる)いまにも解け落ちそうなハート色に光るダガーのような鋭い舌、それは俺らを炎のように笑って―――――――――――これがハイウェイの成れの果てで、悟りの全ての粒の記した   色の世界の現し身であるならば、   色のベッタリした空が意味しているのもこの朦朧とした世界そのものでありそれらを構成する全ての粒、を構成する全ての無数の粒に違いない、はぁ―――――――――――垂れ落ちてくる、一滴、一滴と、僕らを濡らしていくそれは、ダガーのような舌の先から一滴ずつ、一滴ずつ、まっ透明の水、ナーガの唾液―――――――――――数字を数える、好きなのは? あぁ=、=が好きなのね、しかし降ってくるうちに空気を巻き込んで、俺たち全員の脳天から吹き上がった全ての悲しみを搦めとって―――――――――――だから僕らはそれを雨とは呼ばなかった、これは空気中の全ての苦悶を呑んで鮮やかなハート色になっているから、ナーガの舌も、その唾液も全ての悲しみを救ってハート色、彼女は言った、下腹部が痙攣しはじめた、と―――――――――――僕は振り向いて、あぁ――――――――――― そう小さく漏らした、彼女は俺の表情に驚いた、だが俺が何かに恐れているのを察して静かに笑って見せて、安心させるよう、そのままゆっくり裸の背中を僕に見せて―――――――――――無数のみみず腫れが   くなって、一千の真っ赤なハート色のナーガの唾液が濡れ、傷の画が一本ずつ染まり上がり、交わり合い、滲み、文字を成していく様を息を呑んで眺めていた―――――――――――かつて僕らはそこに書かれている文字を読むことのできる人間であった―――――――――――その詩を声に出そうとすればできたのに―――――――――――静かに静かに1文字ずつ、口を開いたのに、だが、声は肺へぎゅっと押し戻されていってしまう、吐きそうになって、眼球の足元に水を溜めながら―――――――――――彼女が刑務所でナイフで刻みこんだ詩文が俺の目の中に望遠鏡越しの太陽のように、背中の詩文は身体中に刻まれた全ての文字の中でも特別だ、知っている―――――――――――それはだって昨日見たばっかりの世界だったから、でも、背中にまで彫っただなんて聞いていなかった、ただ臍を重心に渦を巻いて前面も細かい左利きの神経衰弱的な筆記とは少しだけ違っていて―――――――――――だが、背中をひとりでどのように彫ったのだろうか―――――――――――あぁ、皺になった肌に小さい文字が無数に並んでいる、歌っている―――――――――――1文字ずつ読んでいく、1文字ずつ―――――――――――その詩の掲げるタイトルは≒≒

 158

 5

 5

日差しのぬるい日に見た悪い夢の欲動について

桃色なのか脳髄は本当にけれど未来には微粒子花が咲いて夜薬を飲み下す時の大腸のような長さで声を聞かされる原体験のような桃色のビルの影が答え合わせをするように風になってたちまち通り過ぎ吹き抜けに粗末な緩徐法を置く扉のような魔法を使える庭に燃えおちたような太陽の黒点より艶やかにダムは決壊し代替桃色海岸において蹴躓く栄螺のような法螺がマテバシイの実を落とす速さで駆け抜ける不実の故意を素早く翻して幸い桃色列車にはまだ空席がありホームに佇む虚無的空虚な青空支店には迷惑メールのように深々と頭を垂れ牡蠣殻を植える嘘さえ許してしまう桃色遡及汗ばんだ部屋着のような淡い幼さでどしゃぶりと目眩を引き受けて心を閉ざした鳥のはしゃぐ様子はバレなかった秘密のように素直でさらさらと流れ去る夢を見ずに眠る涸れた川を埋め立てる

 118

 3

 4

別離

大地を蓄えていた
土地の言葉で話す馬は
やや右寄りに傾き
左脳ばかり使っていた

千年後もまた
帰り道を忘れていられたら
バス停まで歩いて行けるのに
来ないバスが来ない
空席が目立つ
ほど満ち満ちている

かつて
鬼と恐れられていた
やまびこは鏡としての
機能を失い
純粋を汚していた
今では首だけが
片仮名の手足を探している

食物の小屋に
鼠たちは暮らす
烏語を話す
わからず屋の亭主は
必ずならず者を引き連れ
彼らの言葉足らずを責める

万年の時を経て
扉は開く
時という時を数え終えた人たちが
和となり
輪となり
崩れゆくバベルの塔に
喝采をおくり
嘶きがひびき
血は太古へと遡る
燃えかすだらけの街から
人は絶え
鬼が栄え
あるじ不在のよるをたのしむ

また会えたなら
そう手を振って別れ
人々は次々に消えた

雑草が繁茂する
はたけには
風だけが集まり
せいいっぱい背をのばし
遠近にとけおちていく
それは

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おひさま ーー 「彫刻を詠む」への詩 ーー

おひさま ―― 「彫刻を詠む」への詩 ――

笛地静恵

わたしは神さまを見たことはありません
でもおひさまのことはよく知っています
毎日を空に見ていました
たまには雲にかくれることもありました
おひさまも夏休みの練習を見ていましたよね
体温をこえる炎天でした
わたしはこれからレースにいどみます
力をかしてくれとはいいません
でも練習の成果をすべて出させてください
わたしは手をあわせます
はじめておひさまにいのります
わたしにはとてもたいせつな戦いです
プールの波にまぶしく光っています
ピストルが鳴ります
手をのばしおひさまへとびこんでいきます

(了)

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