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2021/01/01 12:00:00

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投稿作品一覧

生きたい行きたい

線路の上に現れたネズミが
毛繕いをしている
ただぼんやりと
せわしない動きを見ている

ネズミは
ビクッと動きを止め
ホームの下へ駈け込んでいった

ドアが開き
吐き出される人
入れ替わるように
慣れた仕草ですれ違い

ためらいが
背中を押され消えて
車内へ詰め込まれる

ネズミはもういない
小さな穴
線路の上
遠くへ

闇も
陽射しも
行くだけ

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どうしてか

どうしてか、どうしてか と
男がふらふらとした足取りで歩いてくる
理由を聞いている
別にボロを着ているわけでもなく
髪が乱れているわけでもない
憔悴している とか
疲労困憊 というふうでもなく
ただ 
わけを聞きながら歩いている

哲学者かもしれない
頭の何処かが切れてしまったのか
或いは病いか
私はその男と 
数分後にはすれ違う運命だ
一本きりのこの道は
ともに歩むか 相対するか
どちらかの選択を下さねばならない

男は声を荒げるでもなく
叫ぶ手前位の声を出している
道ゆく人は何故か
男に手を合わせてゆく
拝んでゆく
私は坊主かと思った
どこかの寺の住職かと
しかし周辺に寺はないし
袈裟を着ているわけでもない

男は変わらず歩いてくる
私はにわか哲学者になるべきか
拝んで道を行き過ぎるべきか
考えるまでもない
男が横を通りゆく時
私はきれいに消滅する
きれいに

それが
どちらでもない人間の運命だと
どうしてか、は言っている
道は 一本だ

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書いてみた

書いてみたくなった
書いてみた
投稿してみた
読んだ人がいた
また書いてみよう


―風が温もり
 眩しくなった―

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お弁当のたまごやき

きれいに
整った
黄色い愛に

箸を
通す

プスリ
プツリ

引き剥がす
1枚
また1枚と

裏切られた
愛の数だけ

捲る
巡る

思い出の
愛の裏側に
硬い殻が
不快な音を
刻んで残した

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30冊のスケッチブックの
金具を全て取った後
ビニール紐で縛った

落描きの集合体など
優先順位の最下位でしょう
物心がついた時
クレヨンを握りしめていた私は
ずるずると
じゆうちょうを延長している

固まる手を無理やり動かして
そうやって4時間を塗りつぶして
1年を棒に振った
モチーフは褪せていった
私の汗が滲んだせいで

画塾を辞めてから
1年、座学に専念した
志望校も変えた
そしたら受かった
絵を描かなければ
私は簡単に社会に戻れた

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去年カラオケボックスで

ひとつ話を聞かせよか
哀しい娘の物語
なにじきに終わるから
どうか最後まで聞いとくれ

仮にA子としておこう
A子は血に飢えていた
日ごとリストカットを繰り返しては
流れる血をうっとり見てた
カミソリやカッターもいいけれど
お気に入りはハンズの使い捨てメス
二の腕をひもで縛って
何度も何度も手首をザックリ
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ

A子中一の時だった
いじめがきっかけで静脈を切り
滝のように血が噴き出して
以来それが病みつきとなった
やがて家の中だけじゃなく
学校の授業中にも切るようになり
近所の公園のブランコで切り
バスの優先席で切って通報された
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ

高校の担任教師の勧めで精神科へ
閉鎖病棟に二ヶ月入院したA子
そこで出会ったクスリたち
さあ新しい世界の幕開けだ
レキソタンエバミールソラナックス
ハルシオン青玉アップジョン
幻聴幻覚妄想電波
ねこぢる読んでドナドナ気分
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ

ネットですべてをカミングアウト
アクセス件数五万ヒット記録
たちまちA子のファンクラブ結成
雑誌やテレビの取材が殺到
卒業後大好きなCoccoを一人で熱唱
それから大量の向精神薬でオーバードーズ
最後に拒食症の親友に携帯で
「失敗したらメールする」
とうとうA子は死んじまった
去年カラオケボックスで
わずか十八歳の身空でさ

ひとつ話を聞かせたが
哀しい娘の物語
A子はもうどこにもいない
いやお前さんの隣にいるかもな

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しりとり

二度手間の後
ゴリラの手のひらで
サンバを踊り
笹の葉を右目に当て
はにかむ

6個首のある犬
けるべるけるべろ
かたじけない

カマキリ
しゃっしゃ
ぶんぶん
恐れ入る

看板を下げ
引きずり回す
トロッコの車輪
コットロ

短くてパンダ
花吸って


詰み

はい君のターンだよ

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かえりみち


雨上がりの かえり道
小さな頃と変わらない景色 

曲がり角に 黄色い草花
あのころは大きく見えた "水たまり"
ちょん と しゃがんで のぞいてみる

茜色の空に 雲の親子
はなれて 
くっついて 
追いかけっこ
もう少しだけ 眺めていたい

両手で鞄を抱きしめて
(飛びこえようか)と 考える
その間 
水たまりをネコが横目で ケトケト歩く

空が写っていた ちいさな世界 
歪んで混ざる
ーそんなことも あるもんだー

飛びこえるのは あきらめて 
ほんの少し つま先立ちして
一歩ずつ 水たまりを歩いてみる

そう 風が背中を押したんだ
ゆっくり 分かれ道が近づいてくる

そのまま 
ちょっと背伸びして
いつもと違う道を 選ぶ

ネコは 知らん顔のまま
シッポで
(またね)と言ってるみたい

ー遠回りも 良いもんだー
ケトケト 
今は かえり道

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語らせない善意について(2025年9月のエッセイ)

ちゃんと傷つききる、ということについて最近よく考えている。
あとから膿んできた時間差の傷つきも、気づいた時点で全力でまっすぐにやりぬきたい。それは怒りの矛先や出力形式をまちがえてしまわないためと、似たパターンを繰り返さないための建設的ですこやかな営みだ。
どんなふうに形にするかについては考えなくてはいけない点も多い(たとえば保護者が子どもに自分の心の傷を生々しく話しすぎるというような例は不適切なコミュニケーションになりうる)けれど、痛みを見つめ形にしていくのは本来ポジティブな行為だと信じている。

私は人生最大の傷つきを、むしろ人々の善意によって率直に語ることができずにきた。
それは中学生のときに初恋の人から受けた性暴力だ。相手は私の祖父母とそれほど年齢の変わらない指導者の男性だった。十代の私は彼に初めての恋愛感情を抱き、師としても慕っていた。
被害を受けてそれを周囲の大人が知ったとき、彼らの多くは口々に「そんなお年寄りに性欲を向けられて気持ち悪かったでしょう」という意味のことを言った。「中学生の女の子がおじいさんに興味なんか持つはずがないのに、なにを勘違いしたんだろうね」とも。
大人たちの言葉を受けて、自分はおぞましくて汚れていると思った。私は加害者に性的にも惹かれていたし、それ以前から、目覚めたばかりの淡い性的関心は常に高齢の男性に向かっていたから。そのうえ私のファンタジーはたいていすごくマゾヒスティックなものだった。
しかし、性暴力被害者として周囲の助けを得るためには、欲望の主体であるところの自分を殺さなければいけないと考えるようになった。「先生は私の欲望を見抜いていたのかもしれない」という恐ろしさもあった。
私は本音を手放し、そのかわりに数々の嗜癖を手放せなくなった。家庭内でも祖父からの性的虐待が幼少期から続いていたので、逃げ場はなかった。祖母は男の子と談笑していたというだけで私を殴ったり蹴ったりし、母は刹那的なセックスを繰り返したあげくその内容を自慢してきた。今でもそうだけれど、朝が来るたび自分の命を呪った。自分が無数のパーツにちぎれていき、かき集めようとしても指の間からこぼれていくような奇妙な感覚があった。

欲望と傷が交差する地点を生きるとき、周囲から向けられる同情のまなざしによって"欲望か傷か"の択一を迫られることのおかしさをようやく言葉にできるようになるまで本当に時間がかかった。それまでの間に、自分自身も他の人もいっぱい傷つけてしまった。「あなたも興味があったんでしょう」とか「そんな店で働くからいけないんだよ」といった典型的な二次加害の言葉をかけたこともあった。私は人を痛めつけると同時に、理解されない欲望を持ってしまった自分を罰しつづけていたのだと思う。危険な兆候に気づいていながら、繰り返し有害な関係に飛び込み、ボロボロになるのもやめられなかった。
誰よりも私自身に怯え、見ないようにしてきた。でも、そのやり方ではうまくいかないことに気づきはじめたところだ。欲望の主体である権利と助けを得る権利はどちらかを選ばなくちゃいけないわけではない。ここからは人にときどき頼りながら、責任を持って回復を目指していきたい。

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批評・論考

俺は

おまえを腹に据えかねた日
俺は自分の喉を刺した
腹を掻っ捌き内蔵を取り出した
眼を蝶の糸で塞ぎ
それから口を閉ざした
     カラオケで歌っていた古くさい歌謡曲
    正月には麻雀を囲んでいた懐かしさ
あれもこれも幻影と消え去ったのだよ、N家
兄弟よ、あのひと言で 
すべて水に流れたと知る俺は


             

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ネット詩が“ネット性”を帯びるべき理由 ~門戸は広くしておこう~

「もうネットの海に流れたんだよ……電子情報になったホモは人間じゃない。人間の形をした素材だ」
――ニコニコ動画より引用
https://www.youtube.com/watch?v=_Wv97A8V1G4


 幸というべきか、あるいは不幸というべきか。ネット詩においてはいわゆるネット文化・ネットミームというものはとことん無視されてきた。谷川俊太郎さんだってDECOさんと対談しているというのに、ネット詩はネットというまさに当事者的な場所にいるというのに、あまりボカロについて語ったりする人はいない。それどころか若干一名は苦手だと今の時代になってもなお言うくらいであった。
 これはネットミームについても同じで、エッホエッホとXの皆がやっているうちにBe-Reviewはいつものように罵倒が飛び交うだけで、その応酬には一切ユーモアというものはなく、逆に何か入れようとした僕は白眼視されることもあった。


 しかし、これは何かがおかしいんじゃなかろうか。三人に勝てるわけがないのが常識なように、あるいはコユキですれば濃いのが出るのが明白なように、ネット詩(文極・Be-Review)がここまでどこか逆張り的に紙の詩壇と戦おうとしてたのは、自らがネットにいることにアイデンティティを見出していたからではなかろうか。だからこそ、文極は当時のネットのアングラさも共有していたはずで、Be-Reviewも少し綺麗だけどアングラみたいな感じのを持っていたはずだ。なのに、ネット文化の時が進めば進むほど、それをどこか疎むようになっていた。アーマードコアのネタがわかるのはBe-Reviewでは一人だけだった。
 ネット詩なら、ネットと共に歩むべきでもあるんじゃなかろうか。


こうなったのにはどことなく推測ができなくもない。これはBe-Reviewにいた完備さん(すごい毒舌だが、不思議とその毒舌は僕にはあまり気にならない。彼女と同じことを男が言ったら僕はキレるが)も言っていたことだが

『書けへん人間は死ねばええ』
『書ける人間は書けへん人間になんの興味もないし視界にも入ってない、が、突然場を仕切り始めたら”は?”とはなる』

……ということである。まあ、Be-Reviewらしい人といえばそうだが、これはBe-Reviewが基本的にネット民をどのように思っていたかの示唆にもなるのではなかろうか。あくまで「書けない人」というのにBe-Reviewの憎悪は向けられているわけだが、それはネットにも適用されていたのだろう。
 彼らからすれば、日々炎上やらなんやらの応酬を繰り広げていたり、あるいは見た目が煌びやかな絵を挙げるようなネット民というものは「くだらない争いに時間を費やし、中身があるかどうかもわからないイラストしか描けない奴らに、どうして俺たち書ける人間が関わらなくちゃいけないんだ」としか思えなかったのだろう。僕だって思う。誰かのアンチや誹謗中傷しかできない奴らよりも、僕の方がよっぽど物を作る時点で偉い、と。
 創作者なら、誰でも思うことだろう。
 だが、その白い巨塔ならぬ黄色い巨塔は結局崩れ去った。


 本題からずれるかもだけど、文章を書けるかどうかその一基準のメリトクラシーによってのみ運営された結果があれともいえる。花緒さんは「いやそれもまた違うよ。実際には~」と言うかもだけど、文中では一応はこの見解でいかせてもらう。
 一基準のメリトクラシー、書ける人が尊ばれる。物書きとしては実際垂涎でしかない。Pixivにいたときだって何も書かない奴が偉そうに僕を叩いたときは殺意が湧くし、実際何か頑張っている人(創作者に限らず)に心無い言葉や非難をする連中なんて僕だって消えてほしいと思っている。


 だが、それをやると終わる。僕は数年以上かけてようやく気付きつつあるが、Be-Reviewは十年間も気付かないで崩壊した。結局、何かが書けるというだけで人を入れても、その人が他のことができないと終わるのだ。一点張りの純粋さだけではなし得ないこともある。実際、物は書けるのに「罵倒・誹謗中傷」をしないという能力基準を採用しなかったら、ああなったし。
 これに関しては僕と花緒さんの関係でもう少し説明してみよう。僕は花緒さんの文章をはっきり言うと好みではないと思っているし、田伏の描写には「うわっ」と思っている部分もある。一方で花緒さんも花緒さんで僕に対しては似たような感情を抱いているかもしれないし、過去の衝突が理由でまだ何か不信感を抱いているかもしれない。だが、それでも何も起こってないのは僕と花緒さんが「書ける・書けない」とは別のメリトクラシーで動いているからだ。
 僕は花緒さんのサイト運営能力を信じているからこそ花緒さんに信任を置いているし、花緒さんも花緒さんで僕のサイトの一員としてきちんと振る舞う能力を今は認めているから、何も起きてない。


 閑話大休題。結局、門戸は広くしないといけないのだ。門の外は一つの基準だけで見たら能無しだらけに思えて開けたくないかもしれないけれど、だが別の基準をたくさん持てば色々な能力を持っているのがよくわかる。完備さんからすれば僕も花緒さんも書けない人間かもしれないが、サイトを維持することに関しては能力があるし。無論、罵倒や誹謗中傷する人は締め出すが。そこはいくら能力があっても許されないことである。Be-Reviewの崩壊のもとだし。
 では、門戸を広くしてまずは何をなすべきか? 門戸の外にあるものをいっぱい詩にするのだ! それを見た人たちが笑いながら元気になって、自分もいけると思って入れる場所にするのだ! 何も良くないけどヨシというような現場作業員の詩を書こう! 疲れ果てたサッカー部員たちが運転してた車に追突された黒塗りの高級車とその車の持ち主が言い渡した示談の条件とは何なのかについて! 可愛らしい女子高生アイドルがなんとチョコミントよりも俺のことが好きだったんだ! ドミニカの詩人デロスサントスの功績とそれを無に帰すテトという三文詩人についても! もう頼れるのは田中角栄先生だけだ!
 あっ、おいせふりぃ。この評論ちらちら見てるだろ。読みたけりゃ読ませてやるよ。ほら、読めよ読めよ。

エッホエッホ、ネット文化やネット詩で詩や戯曲を書けるって伝えなきゃ、エッホエッホ
※ただし風化も早いのでお早めに。

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批評・論考

逃避行

カーステレオは
車にラジオがついているんじゃなくて
ラジオが走っているんだよ
と音楽を好きなきみが言う
ママに切られた私の髪は
もうなびくほど伸びた
私は助手席からホテルをさがしている
今夜はみずうみの夢は見たくない

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凄いね、英語も数学もデキるんだね

週末は線型微分方程式を解きながらテニスかい?

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私と君

気づいたら
私以外の
全員が
実はAI
一人だけの世

気づいても
気づかなくても
変わらない
社会は廻る
いつものように

赤の他人
自分自身の
ことかもね
結局私も
AIだった

独立と
言ってもそれは
叶わない
君も含めて
社会だから。

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主張強めの文芸投稿サイト運営者日記(3月1日分)書ける/書けない論争について

文芸投稿サイトには、ずいぶん昔から繰り返されてきた「書ける」「書けない」論争がある。あの人は書ける、あの人は書けない。勝手な基準で書き手を序列化し、「書ける人」は「書けない人」に対して横暴に振る舞ってもよい、といった感受性が一部で流布され、しつこく残り続けてきた。


私は、そうした狭い界隈を常々、冷ややかに見てきた。書ける/書けないに関する私の感受性は、すでに作品化している。要するに、バカにしておもちゃにする以外の対象とはみていない。
https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=2247&user_id=3&mode=post


この場を「詩投稿サイト」と定義せず、幅広い種類の文芸を包摂する場として設計したのは、「書ける/書けない」というしょうもない議論を相対化したかった、という一面もある。詩を書く人もいれば、短歌もある。戯曲もあれば、評論、ラノベもある。多様なジャンルが入れ混じる場で、「書ける/書けない」と単純に言い続けることの無意味さは、いずれ誰の目にも明らかになるだろう。


そもそも詩歌の内部ですら、方向性は多様で、単一の基準で測れるものではない。それにもかかわらず、あまりに粗い粒度でしか「書ける」を語れないこと自体が、実はその人の限界を示しているのではないか。自分とは異なる方向性の書き手に訴求できないことの証左でもあるように思う。


もちろん、みんな違ってみんな良い、という相対主義に陥りたいわけではない。例えば、私は戯曲や脚本家のグループを主宰しているが、ライターの実力には当然差があると思っている。そしてその差異について、ある程度は言語化できる。私にとって重要なのは、予算制約、プロデューサーや事務所の意向、演出家や監督の要望等を踏まえ、各々の現場に合わせた本を書けるか、そして要望に応じて修正できるか、という基準だ。これが満たせなければ、基本的にクライアントに直接紹介することはできない。


もっとも、この基準を満たしてもありきたりなものしか書けないライターもいるし、基準は満たせなくとも、眼を見張る発想を示すライターもいる。基準はあるが、単純に「書けるか、書けないか」で片づける話ではない。


「粗い粒度で人間を序列化する精神性」は、日本の時代遅れな教育システムとも無関係ではない気がしている。日本では高等教育に至るまで、通知簿や偏差値で人を並べる。偏差値70なら賢い。偏差値50なら普通。そうした極めて粗い指標で序列化することが殆ど当たり前になっている。


しかし、数学の偏差値が70だとして、それが具体的に何を意味しているのか言語化できるだろうか。結局、「偏差値70は偏差値70という意味で、相対的に賢い」というトートロジーに陥ってしまう。本来は、「この分野をこのレベルで理解している」「こういう学力を備えている」と具体的に語れなければ意味がない。しかし大学受験というゴールの前では、能力の多様性は無視され、序列化そのものが目的化してしまう。


例えば、数学という学問にどういう分野があり、どんな歴史があり、何が現在の問題なのかを知らないまま、「できる/できない」だけが語られる。私は、「書ける/書けない」という言説も、これと同型だと思っている。結局それは、学歴やキャリア、収入といった実社会の序列を、もっと自由であるはずの文芸の世界にまで持ち込む、あまりにセンスのない態度ではないか。


なんとか賞。詩壇での評価。そうした外部の権威に依存する人間と、「自分は書ける」と言い散らかす人間の精神性に、本質的な差異があるとは思えない。それは本当に「書ける」ということなのか。少なくとも私は、そこに魅力を感じたことはない。書けるだの書けないだのと決まりきった内輪のメンバーで延々と吹き上がる場ではなく、多様性に対して開かれていくような場をデザインしていきたいと考えている。

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批評・論考

空き樽は音が高い(新釈ことわざ辞典 その4)

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盗人に追い銭とかってさらに損したなんて云ってるけど
追い銭をしたのはあなたの方でしょう
自分がしたことをまるでなかったことのようにするなんて
盗人よりもふてぶてしいったらないわね


********


来年のことを云うと鬼が笑うのなら
再来年は もっと笑うのかしら
そしたら 5年先10年先は 
大爆笑まちがいなしね 

けれどたとえば 1年前の話をしたらどうかしら
5年前 10年前 いやもっとずっと昔の

あらあら どうしたことでしょう
鬼さん とうとう泣き出しちゃった
厳つい躰をふるわせて
ションボリ肩も落ちちゃって
おいおいおいおい 泣いちゃった

触れちゃいけないものに 触れちゃったかな

鬼さん鬼さん こっちを向いて
明日の話をはじめましょうか
来年の話はどうでしょう

泣いた赤鬼 ほっこり笑う
腫らした赤目 こすりこすって
泣き泣き笑う


********


阿弥陀も銭で光る
5円でご縁に恵まれます
10円投げれば 縁遠い
100万投げたあなたには
きっと幸せお約束
神様だって忙しいの ヒマじゃないのよ
タダなんかじゃ動かないってことよ
よく覚えておくがいいわ


********


類は友を呼ぶというけれど
私に友がないのはおそらく
私と似たような人間がいないということなのでしょう

だから世の中はこんなにも平和なのでしょう


********


赤子の手をひねる
子どもが泣くたびにあなたは
そうやっていたのですか

もっと泣けば 今度は叩くのですか
それはそんなに
いとも容易く出来るものなのですか?


********


薊の花もひと盛り
どんな花にも花盛りというのがあるという
わたしの花盛りはいつやってくるのでしょう
痩せこけた茎ばかりが ヒョロヒョロ伸びて
ムダに養分を食い散らかした葉っぱばかり生えてくる
花の盛りはどこへやら

腐りかけた咲かないつぼみ
ポトリと朽ちた


********


濡れた服が肌に貼り付いて
気が滅入ってしまうわ
何がなんだか 理由がわからないままに
あのひとがあたしの服を剥ぎ取って
自分の着ていた濡れたこの服を無理くり着せて
そのままどこかへ行ってしまったの

さっきから躰がふるえて止まらない
ねぇ 誰か
去ってったあのひと 捕まえて
あたしの服を 取り返してきてはくれませんか

ねぇ 
ねぇってば 
誰か


********


離れてしまったものほど よく見えることはないわ
やれ アイツはいい奴だった 
あの娘はやさしくてよかった
寄ると触ると 
やれ あそこはダメだのここがイヤだの
文句ばっかり云ってたクセに

逃がした魚は大きいってか?

いまさら気づいたって もう遅いんだってば


********


向こうが先にケンカをふっかけてきたから
買ってやっただけのことですよ
少々高くはつきましたけどね


********


物腰やわらかで優しい人だから断ることができないだろうって
決めつけないでくれますか

断ろうかどうしようか 考えあぐねている間に
勝手に いいってことにされてしまうから

いっつもいっつも なんにも云えないまんま
黙るより他 なくなっているだけで

決して決して
何ひとつ意思を持っていない
ただの石っころではないのです


********


ひとつ疑いだすと
あれもこれも すべてが怪しく見えてくるから
ふしぎです

あの人もこの人も 
人の形はなしてはいるものの
揃いもそろって 顔を持たないのっぺらぼう

そののっぺり よくよく見れば
みんな似たりよったり 鬼の形相

ワルイ ゴ ハ イネェ ガァ
ワルイ オドナ ハ イネェ ガァ

そんなふうに見える私が
一番 のっぺら坊主


********


一寸先から五里もその先も 真っ白な霧闇の中
どう生きていったらいいのかさえも 
まったくもって まるっきり見当がつかず

あっちにぶつかり こっちにぶつかり
いくつもいくつも 
すり傷きり傷 たんこぶ青アザ
打ち身にねんざに
あちこち血だらけ灰だらけ

気づいたら こんな場所にたどり着いていました

この先 一体どこへ向かっていくのでしょう
どこへたどり着いているでしょう 

風に流浪い 夜の闇のその静寂
遠くで鳴いている海鳴りに耳をやり
漂うように波間にゆりゆらら
たどり着いた あの水平線の向こう側 

そこで私はきっと 生きていくのでしょう
潮水に沁みた傷口を 気にしたり
しなかったりしながら


もしもし もう霧は晴れましたか
それとも もっと深い霧に覆われていますか


あなたが笑い方と泣き方を思い出したころ
きっと逢いにいきます



だからそれまで
その日まで


しばしのお別れ
さようなら












 

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マドウ山のヌシ 上 アイラシヤ大陸物語

港の酒場では、三人の男が語り合っていた。ときおり、撞球台で盛り上がる玉突きの歓声と、大きな銀貨のやりとりが、店の空気を小刻みに揺らす。

チョッサーと呼ばれている男が、肩をすくめた。潮風で焼けた首筋、太い指、笑うと歯が少し欠けている。外航船の長——といっても、絵葉書みたいな船乗りではない。港の規則と海の気まぐれ、その両方を知っている顔だった。

「昨今では、ゲームの早い玉落としルールばっかになっちまって。あんなのは、賭けの対象でしかない」

ハンターと呼ばれる男が、杯を持ち上げて鼻で笑った。泥か血かわからぬ染みのついた毛織物の上着は、温かそうだが、温かさの理由が“良い暮らし”ではないことだけは確かだった。袖口は擦り切れ、指先だけが妙に器用そうだった。

「チョッサー。外航船の長たるあんたは、勝負のほうが好きじゃないのか。儲けの匂い、危険の匂いに敏感なあんたは、こういう展開の早いゲームが好きだと思うが」

シニアと呼ばれる男が、ゆっくり杯を口元に寄せ、飲む前に言った。世の國の商人服——光沢のある上等な布地が、灯りを吸っては返す。体の動きに無駄がなく、無駄がないぶん、こちらの無駄まで咎められている気分になる。

「私はね、なんでもかんでも勝ち負けにする野蛮な遊戯は嫌いだね。チョッサーが知っているかはわからんが、永遠に玉を撞いていられる方式を知っている。四つ球というのだ。私らはコンチネンタル・スタイルと呼ぶがね」

そう言って、シニアは腰を上げた。撞球台の縁に手をつき、背を折る角度まで“品”の範囲に収めている。棒の先を白い粉で撫でると、粉が舞った。舞う粉ほど、無駄に見えて、効く。

「永遠に、は大げさだろ」

チョッサーが言った。笑っているようで笑っていない声だった。

「大げさが商いを回すんだよ」

シニアは平然と返し、玉を当てた。乾いた音がする。コツ、コツ、と二拍。それから短い連打。球が互いに触れ、回転が次の当たり方を決める。短い時間に、小さな因果が積み上がる。観客は歓声を上げるが、シニアだけは祈祷でもしているみたいに静かだった。

「見ろ。穴へ落とす遊びは、落ちる瞬間しかない。四つ球は落ちない。落とさない。続く。続くほど、技が出る。技が出るほど——相手は、負けたと気づかない」

ハンターが杯を置いた。

「負けたと気づかないのは、勝ってる奴にとって都合がいい」

「都合がいいから文明なんだ」

シニアは戻ってきて席に腰を下ろし、言葉の最後を酒で湿らせた。撞球台のほうでは、銀貨が鳴る。鳴るほど軽くなるのは銀貨ではなく、たぶん人のほうだ。

そのとき、扉が開いて潮と木樽の匂いが入ってきた。運び屋が二人、塩の白い結晶がこびりついた樽を転がしてカウンター奥へ運ぶ。樽の板の隙間から、魚の脂と、遠い川の匂いが立つ。港の酒場は、酒より先に匂いで会話が始まる。

ハンターが顎で樽を示した。

「魚か。……話のほうが先に釣れてきたな」

チョッサーが目だけで樽を追い、鼻を鳴らした。

「この匂いは川の魚だ。だが、今日は川の話じゃない。俺は海の話をする」

シニアが興味深そうに顔を向ける。商人の興味は、だいたい味より先に“流通”へ向く。

「海の魚、と」

「ああ。南へ下ると、海の色が変わる。黒くなる。風が、北の常識を剥がしていく。——南の果てに、二つの島がある。航路の端みたいなところだ。そこで獲れる“鮭”がいる」

ハンターが眉をひそめた。

「鮭は川を遡る魚だろ」

「遡る。だが、あいつらは遡り方が違う。水が冷たいほど、火みたいに走る。腹が銀で、背が青い。目が澄んでるのに、こっちを見てない。あれは“帰る”んじゃない。“戻される”みたいに戻る」

チョッサーは指で卓を二度叩いた。癖だ。海の男は言葉より先に合図を叩く。

「南の島の川は短い。山がすぐ海へ落ちてる。だから鮭の旅も短い。短いぶん、速い。網を入れる暇がない。竿で釣るしかない。——釣り上げると、肉が赤い。赤い肉は、北じゃ珍しい。島の奴らは、それを煙でいぶして食う。うまい。うまいが、味が強すぎてな。……港で食うと、酒が弱く感じる」

ハンターが少し笑った。

「酒が弱く感じる魚。そいつは危険だな」

「危険だ。味の強いものは、だいたい財布も強くする。南の島の鮭は高い。港に戻ると、誰もが“海の端の魚”を欲しがる。だが欲しがるのは味じゃない。“遠さ”だ。遠いものを口に入れると、今いる場所が少しマシに見える」

シニアが、感心とも嘲笑ともつかない息を漏らした。

「なるほど。遠さを食う。世の國でも同じだ」

ハンターが言った。

「世の國の話なら、シニアの番だろ」

シニアは杯を回し、銀貨を扱うときのように光の角度を確かめてから言った。

「十頭竜川の鮭はね、魚ではなく——銀色の鉄だ」

チョッサーが目を細めた。

「鉄、か」

「そう。腹が銀で、背が黒い。だがあれは海の銀ではない。鍛えた銀だ。——川の上流で生まれ、潮の匂いを覚え、戻ってくる。戻ってくるときの体つきが、まるで刃物のように締まっている。川の流れに削られて、余計なものが落ちるのだろう。世の國では、あれを“鉄”と呼ぶ者もいる」

ハンターが茶化した。

「魚を食って、鍛冶でもするのか」

「鍛冶はしない。だが値段は鍛える。鮭は数で買うものではない。——“刻み”で買う。川の鮭は、川の時間でできているからね」

シニアの言葉は、さらりとしているのに刃がある。チョッサーは顔をしかめたが、否定できない顔だった。港で魚が樽に入った瞬間、魚は魚でなくなる。荷になる。帳面になる。

「十頭竜の鮭は、塩にしても脂が落ちない。脂が残るのは、残るべき場所に残っているからだ。世の國の料理人は、あれを薄く切って、光が透けるのを見せてから客に食わせる。客は味より先に“見せられた価値”を噛む」

「世の國は、何でも見世物にするな」

ハンターが吐き捨てるように言った。

シニアは微笑んだ。

「見世物にしないと、値が付かない。値が付かないと、守れない。守れないと——消える」

最後の一言だけ、酒場の空気がほんの少し冷えた。港の酒場では、“消える”は比喩ではない。だが、シニアはあえてそれを比喩の顔で言う。比喩にすると、責任が薄まるからだ。

チョッサーが咳払いをして、話の流れを戻すように言った。

「山の話も聞かせろ。ハンター。おまえの袖の染みが、魚の血ならな」

ハンターは杯を持ち上げ、少しだけ匂いを嗅いだ。酒の匂いではない。自分の口の匂いを確かめるみたいな仕草だった。


チョッサーが杯を置いた。木の天板に、酒の輪がひとつ残る。輪はすぐに広がって、薄くなっていく。港の夜の話も、たいていそうやって薄くなる。だから、薄くなる前に掴んでおきたい言葉がある。

「——で、マドウ山だ」

チョッサーはハンターの袖口の染みをもう一度見て、言った。催促というより、確認だった。海の男は、相手の身の上を“匂い”で測る。

「ヌシの話を聞かせろ。あそこには一つ目がいるっていうじゃねえか」

シニアも、杯をゆっくり回しながら頷いた。世の國の商人が頷くとき、それは同意より先に、値札を思い浮かべている。

「一つ目の巨人が遊ぶ稜線。そこに住みつく魚。——希少性の根拠を、私は知りたい」

カウンターの向こうで、酒場のマスターが手を止めた。磨いていたグラスの縁が、光を一筋返す。マスターは普段、客の話に首を突っ込まない。だが今日は、耳だけが前に出ている。仕入れの耳だ。

撞球台のあたりからも、空気が寄ってきた。さっきまで玉を撞いていた女たちが、棒を台に立て掛けてこちらを見ている。勝負の最中の顔ではない。噂を待つ顔だ。銀貨の鳴る音が一度途切れると、酒場は急に広く感じられた。広い空間に残るのは、潮の匂いと、人が黙る音だけだ。

「マドウのヌシってさ、ほんとにいるの?」

女の一人が言った。爪が綺麗だった。爪が綺麗な手は、だいたい魚の内臓を触らない。

「一つ目の巨人が、魚を守ってるって聞いた」

別の女が笑う。笑いは軽いが、軽いものほど場を動かす。

ハンターはしばらく黙っていた。杯の底を覗き込み、そこに何かが映っているかのように見ている。酒ではない。山の暗さだ。

「——はじめに言っとく」

やがてハンターは言った。声は荒くない。荒さの代わりに、要点だけが落ちてくる。

「一つ目の巨人は、俺たちにとっちゃ別に珍しくない。山にいる、いたずら者みたいなもんだ。怖がるほど立派でもねえし、敬うほどありがたくもねえ。……ただ、邪魔だ。邪魔なものは、だいたい強い」

女たちが「なにそれ」と笑った。笑いが起きた瞬間、チョッサーが少しだけ口角を上げた。酒場の空気が、ほんの一息ぶん柔らかくなる。

ハンターは続ける。

「知ってるか? 俺たちのいるこの地上は、持ち上げられたんだ」

その言い方は、事実の言い方だった。神話の言い方ではない。酒場の空気が、ふたたび固くなる。マスターが無意識にグラスを置く音が、小さく響いた。

「持ち上げられたときに、たまたま今、山になってるところにいた魚は——山の魚になっちまった。そいつらは、最初から山の魚じゃねえ。なりたくてなったわけでもねえ。……でも、必死に山の魚になった」

ハンターは自分の袖口を指でつまみ、染みを引っ張った。染みは落ちない。落ちないものを、わざわざ見せるように。

「岩陰にひそむ。水が枯れたら、水のあるところで息をひそめる。沢が細くなったら、石の下の湿り気だけで待つ。何がなんでも、生きのびる。魚が、そうやって生きのびた結果が——マドウのイワナだ」

女の一人が、肩をすくめた。

「イワナって、あの……高級レストランで出るやつ?」

別の女が、すぐに続ける。

「一口だけ、塩で。白ワインと合わせるの。レアなんだって。すっごく——透明で」

「透明」

ハンターはその言葉を、口の中で転がした。飲み込まず、吐き出しもせず、ただ転がす。やがて、何事もなかったように話を戻す。無視というより、消費の言葉を“場外”に押し出す手つきだった。

「透明なのは水だ。魚は透明じゃねえ。魚は、しぶとい」

チョッサーが喉で笑った。

「いいねえ。料理人に聞かせてやりたい」

マスターは笑わなかった。笑えない顔で、うなずいた。レストランの透明は、帳面の透明だ。どこで誰が怪我をしたか、行の外に出す透明。

ハンターは、少し身を乗り出した。卓の上に、山の斜面を置くみたいに。

「この魚のいるところまで行くのが、たいへんだ。まず、岩が剥き出しで、すぐ崩れる山を越える。足場が“土”じゃない。石が積もってるだけだ。踏むと、動く。動くってことは、落ちるってことだ」

女たちが、口を閉じた。爪の綺麗な手が、無意識に自分の膝を押さえる。

「人間が植えた木なんか、ねえ。杭もない。道も、道の顔をしてねえ。看板がないから危ないんじゃない。看板を立てる気が、最初からない。——あそこは、人間に“ここまで”って言ってくる」

シニアが静かに言った。

「境界、か」

「境界だ。で、境界を越えると、森に入る。原始の森だ。空気が甘い。甘いってのは、果物の甘さじゃない。腐葉土の甘さだ。生き物が積もって、また生き物になる匂いだ」

ハンターは一度、目を閉じた。山の匂いを思い出しているのか、目を閉じることで“余計なもの”を切り捨てているのか、どちらとも取れた。

「その森の沢に、イワナがいる。石の裏、根の陰、水の折れ目。——こっちが息を止めないと、あっちも息を止める。止めたら、終わりだ。見つからなくなる」

撞球台のほうから、玉がひとつ転がる音がした。誰かがうっかり触れたのだろう。だがその音が、妙に規則正しく響いた。二拍。酒場の空気が、それに合わせて一瞬だけ固まる。まるで、遠いところで槌が打たれたみたいに。

ハンターは顔を上げた。

「稜線に出ると——いる」

チョッサーが身を乗り出す。

「一つ目か」

「そうだ。稜線で、一つ目の巨人がこっちを見てたりする」

続く

#アイラシヤ大陸

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せ、きせつ

まっくらにならないことに、
驚いてたちどまる

日の出まえの 薄青が
窓のそとに貼りついていた

深夜 東京は氷点下

圧倒的な静かであって
畏けるほど つめたいにもかかわらず

ぬるま湯のような 最初の冬だ。

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即時一杯の飯に如かず⑦

 ep.7「今夜のメニュー」

 カードキーが解除されると人感センサーで玄関の照明がゆっくり灯る。
 白鳥はひとつひとつ物珍しそうに見上げながら招かれる先にリュックを下ろして、まずは人質を解放する。この瞬間を待ちわびていた俺は上着を椅子にかけてすぐ自分の砦に向かう途中、猫みたいに頭をすり寄せてくる白鳥を交わして、魅惑の箱を開けた。
 そこから先は俺の独断
 長いパン切り包丁を傾け断面から香るベリーの模様を堪能。
 これが噂に名高いグランマーブル。焼いて食べたいがそれも待てない俺の手から白鳥の口に渡る極上のデニッシュは指先に甘い余韻を残しながら消えていく。

 「お腹空いてるから全部食べちゃいそう」
 「お前なぁ・・・・・・食べ過ぎると飯、入らなくなるぞ」
 「今日のごはんは?」
 「腹減ってるなら簡単に作れるものにするか、そうだな・・・・・・」

 キッチンに備え付けの扉を開け、種類ごとに並べているソースの瓶を眺めていると白鳥がチキンをご所望。具材の入ったソースで煮込みむボルシチ、温菜の即席スープで決まり。ある程度献立がまとまったところで、一度着替えてキッチンに戻る俺はエプロンの紐を手の感覚だけで縛ると白鳥が後からついてくる。

 「手伝うよ」
 「こっちはいい。先に風呂入るか?」

 布巾を片手に俺を見上げる視線がぶつかって弾ける。
 どうせそのつもりで来たのに何を今更、恥じらう必要があるんだ。滅多に人を招かない男の家には秘密がある。
 ここは俺の領域
 悪いが今夜はただの男として付き合って貰う。覚悟しろよ?


 今夜のメニュー

 ・シュークルート(ボイルドソーセージのザワークラウト添え)
 ・SOUP FACTRY 野菜とひよこ豆のスープ
 ・厚揚げの味噌チーズ焼き
 ・キャベツの塩昆布和え
 ・セロリ浅漬け


 野菜が中心(俺好み)の遅い夕餉
 カラフルな食器に盛り付け、着席するタイミングでLINEの通知が流れて来た。
 和真のやつ、盛大にやってるな。
 笑いながら画面を見せると白鳥が驚愕のビジュアルに驚愕する。

 「ラーメンばっか・・・・・・うわぁ・・・・・・ウマッそぉぉおおおーっ!!スープがオレンジ色、担々麺かな」
 「味噌だろ。あいつ、味たまで選んでるな」
 「ねぇ早く食べよう、これすっごい気になる」

 箸を取るとやはり駆け出す勢いで食べ始める白鳥の物食いの良さに圧倒されながら、まずはセロリ浅漬けから。白だしに鷹の爪、バランスよく浸かってる。
 通販で取り寄せたブラートヴルストは甘いもち豚にスパイスの味が効いてる逸品、酸味の強いキャベツの酢漬けにマスタードを添えれば食感もよく水分量が心地よい喉ごしを与える。
 チーズが冷めないうちにココットから厚揚げを一切れ、隠し味の白味噌がほのかに香る発酵食品でエイジングケアの効果が期待できる食卓で、白鳥はワイングラスを空にしていた。

 「これは絶対にごはんだよ」

 ひよこ豆のスープを口の端につける白鳥が堰を切った様に話し始める。

 「フォトジェニックな料理って見た目だけ良くて食べたいと思わなかったけど、絢斗のごはんにガチ恋っ!!」
 「確かに見栄えのいいものが旨いとは限らないな」
 「味付け濃くないのに満足感ある。絢斗の作った料理、もっと食べたい」
 「覚えて自分で作れよ?」
 「俺、料理できないもん。だから、絢斗んちの子になる」

 ワイングラスを傾ける眼差しがあまりにも真剣なので、熱弁に聞き入る。

 「彼氏になりたかったけど辞退する。的場さん相手じゃ敵わないもんね。顔面偏差値SSS級!女の子からの評判も良くて仕事の成績もトップクラス。あんなイケメンに営業されたら誰だって恋に落ちるよ」
 「あれがモテるのは昔っからだ」
 「絢斗だってそうだよ。まさか自覚なし?絵に書いたような優良物件カップルに俺みたいな陰キャ太刀打ちできるわけない。何ならペットでもいいよ?絢斗のごはん食べてすくすく育つから」
 「物は言いようだな。デニッシュ、焼くか?」
 「厚切りにしてね」

 酔っぱらってご機嫌なのはいいが、本当に酒弱いな。
 会社の飲み会は要注意。

 こうして食い扶持を設けた俺と路嘉の関係は甘く切ない夏に向かっていく。

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おみ送り

十年前、ダンディーな伯父さんに呼び出
されてホスピスに行ったのだった
「よろしく頼む。」というので、
伯父さんの奥さんと娘さんに付き添って
伯父さんのお葬式まで一通りをした

三年前、その娘さんから、
「来て。」
という切迫した電話があり、
伯父さんの奥さんだった粋な伯母さんの
お葬式まで一通りをした

二週間前、警察から、
「女性が亡くなっているのが
発見されましてね。」
という電話があり、
娘さんの一通りをした

建築士、書道家、麻雀好きの娘さんの、
仲良し家族
(叔母さんと娘さんは、電車の切符の
 買い方も知らない人だった)
遠方に相続者がありそうなので
部屋はそのままに、遺骨を置いて鍵を
しめた

数日はその部屋の事を考えて
その仲良し三人家族の事を想い
それで気持ちの整理もついたけど、
安置所で娘さんの納体袋を、
開けてもらった時の
チャックの音が耳に残ってる

独り暮らしだったのに、
まだ新鮮ではっとした
髪を整え、化粧もしていた
僕は「おつかれさまでした。」、て
声を掛けたのだけど
❘ お綺麗ですね
と、正直に言えば良かった



                                  2026.0302改稿
                                  初稿は2025年冬

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途方にくれる

むかしむかしあるところに
じいさんがこの世を去って
ばあさんが途方にくれていた
ばあさんもこの世を去って
犬のここあは途方にくれた
犬のここあが引き取られて
家は途方にくれた

遺品を片付けようと
じいさんとばあさんの家族が
家に訪れるようになって
家は余計に途方にくれた

その家も
今は更地になって
空き地には
不動産の看板が立てられた
看板は途方にくれていた
新しい家が建つと決まったからだ

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問題です

【第一問】
ほしくてたまらないのに
手にはいるはずないから
あきらめるしかないもの
なーんだ?


【第二問】
ほしくてたまらないのに
ほしがってはいけなくて
夢の中にしか出てこないもの
なーんだ?

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霊威師のレンリ 旅語り「山の贄」・捌


 外へと出たレンリは、すぐに祠へと続く参道の方角へと向かい、歩き始める。
 農作業をしている人々の横を通過しつつ、少し違う方向を見れば、山刀や弓矢、木製の防具で武装した複数人の男衆が、幾つかの班に分かれて歩いていく姿を見ることが出来た。恐らく、ケンゼからの要請を受けてすぐに、他の作業に優先して警らに入ったからだろう。

「いやよねぇ。また山犬が出るかもですって」
「前の時は大変だったからな。子ども達を狙うように動いていたみたいだし」
「そう言えば、山の祠に入ってるガンキちゃんは大丈夫かねぇ? 何にもなけりゃあ良いんだけどねぇ」

 そのような話し声を受け流しながら、レンリは再び参道のある所へと戻ってきた。

「さて」

 参道に入る前の座拝を済ませた彼女は、ゆっくりと立ち上がり、山の上の方を見据える。

(山のアレが、村人の動きに気づいて、そこに合わせて山犬をけしかけるまでには時間が掛かるだろうし、私も探す振りくらいはしておこうか)

 そうしてそのまま、山へと入っていく。
 そこからの彼女は、特にあてもなく周辺を歩いて回り、それこそ、本当に山の散策でもしているかのような趣きで動き続けた。
 いや、事実としてそれは散策だったのだろう。と言うのも、見て回っている時の彼女は、周囲に満ちている自然の空気感のようなものを堪能しているように見え、草道の先に綺麗な花や野生の果実を見つけた際には、嬉しそうに目を細めていたからである。
 そこには、これから神格と相対するかもしれないと言う緊張感や恐れなど欠片も存在しておらず、むしろ悠々としてさえいた。

 そのまま、だいたい一刻ほどの時間が過ぎた頃。

 遠くで、村に設置されていたらしい半鐘が打ち鳴らされた、透き通りながらも鋭い音が聞こえてきた。
 その音に、レンリは足を止めて耳を澄ます。

「出たぞぉー! 山犬だ! 村の方に行かせるなー!」
「集団で来るぞ! 囲うように追いやれ! 農作業中の村人、作物、鳥小屋を守れー!」

 男衆の張り上げている声が聞こえる。どうやら山犬の一群と接触したことを報せるための鐘の音だったようだ。
 それを理解して、レンリは頷く。そして祠のある方向に、その夕焼けのような瞳を向ける。

「なら、行くか。私も」

 そして力強く、しかしゆっくりと、一歩を踏み出した。
 それから彼女は少しだけ時間を掛けて、鳥居の前へと舞い戻り、そのまま敷地内へと踏み込んでいった。
 すると。

「おう? あんた……」

 程なくして、祠の前で件の狩人の男と出会う。 

「聞こえたよ、鐘の音。本当に報せてくれたんだな。それどころかあんたも探してくれるなんてな。律儀なもんだよ、ホント」

 そう言ながら彼は、どこか浮ついた様子でレンリの前に立っている。
 そんな彼に向け、レンリは愛想笑いを浮かべる。

「いえいえ。言ったでしょう? ただの仕事ですよ」
「そうかい」
「ところで……」

 だが、すぐにその笑みの雰囲気が変わり、視線が男の足下へと向けられる。
 そこには何もないが、レンリは、まるでそこに在る何かを捉えているかのように、真っ直ぐに瞳を向けている。
 そうして、問うた。

「そこに居る仔が、貴方の猟犬ですか?」

 瞬間、男の顔に困惑のの色が浮かぶ。

「あん? 猟犬なんて何処にも……え?」

 しかし、レンリの視線が自分の足下に向けられていることに気が付いたのか、男の表情が驚きで固まった。
 
「あ、あんた……。まさか」
「居るじゃないですか。ほら、そこに」
「ッ!?」

 続けて驚愕を、男は示した。
 視線についてだけではない。レンリの言葉だけでもない。
 彼がもっとも驚愕したのは、自分の足下に向けられている彼女の、その、瞳である。
 見れば、彼女の瞳は橙色と黒とに均等に染まっており、まるで朝日と夕日と夜の闇が合一したような趣きを見せている。
 そんな、まるで全てを照らし出し、隠したものも白日の下に引き摺り出してしまいそうな、ある種の圧力を伴った瞳を、真っ直ぐに向けられていたのである。

「あ、あ……!」

 男は、抱いてしまった。
 今、目の前に居る女は、全てを見透かしたうえでここに立っているのではないかと言う、そのような疑念を。
 そして、その疑念は、男の内心を揺らがせてしまった。

 その直後。男の姿は霧散し、その代わりに、大型犬のごとき体躯を持つ、闇影を濃縮したような狼が姿を現した。

『いつからだ?』

 黒い狼が、獣の声に人の声を混ぜたような声音で、レンリに問いかける。

「何がですか?」

 彼女は、口元だけに笑みを浮かべたまま、答えた。

『とぼけるな。いったいいつから、俺が人間でないと気付いていた?』

 黒い狼は、その回答に苛立ったような牙の剥き方をすると、レンリに対して威嚇し始める。
 しかし、彼女は一切動じない。

「さあ、いつからでしょうね? どうでも良いでしょう。そのような些細なことは」
『なに?』

 優しく紡がれたレンリの言葉を受けて、黒い狼に僅かな揺らぎが走った。
 彼女は言葉を続ける。

「仮に、初めから気が付いていたとしても、今しがた気が付いたばかりだとしても、話は、何も変わらないのですから」
『何を、言って……』
「霊威師の本分は、霊威をもって人々を霊威から遠ざけて守護すること。霊威をもって霊威を人々から遠ざけて安置すること。この二つ。ですので、私が取るべき行動は何も変わらないのですよ。無論、依頼主の意向は可能な限り汲みますが」
『……』
「ご安心を。神格に寵愛あるいは呪われた霊威師とは言え、私も人間です。他の神格を滅ぼしたりであるとか、その基盤を崩したりであるとか、そのような派手なことは出来ませんから」

 レンリの太陽のような瞳が、黒い狼を真っ直ぐに捉えて離さない。
 そのせいなのか、彼はその場から動けずにいた。目の前の人間に襲い掛かることも、誇りを捨てて尻尾を巻いて逃げることも、どちらも。
 彼女から目を離したならば、次の瞬間には自分と言う存在は食われてしまうかも知れない、という、ある種の本能的な予感が彼にそうさせていた。

「さて」

 しかし、そうして竦んでいる間にも、事は進んでいく。

「この場に施した【四方の印】を用いて、貴方を祠に封印いたします。ミノリサマなる存在と共に、末永く守り主として在らせられますよう、願い奉ります」

 そう言いながらレンリは、その瞳で真っ直ぐに見据えながら、黒い狼に向けて一歩、また一歩と近付いていく。

 そして、黒い狼は。

(ああ、そうか。この女の眼の色はもしや)

 レンリの瞳に射竦められたまま。

(もしや、「日食み」か「月食み」の棲み処になっているのか。どうりで動けぬわけだ。光を喰らわれては、影法師も出来ぬのだからな)

 その太陽と夜を合わせたような色の意味を悟りつつ。
 彼女から伸ばされた手に包み込まれるようにして、その目を閉じるのだった。

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まだ温かい剥落

↓踝は重力! スクロールは去った。
↓国国国、国。歯根の中の歯根。此方も其方も彼岸。
↓動脈する静脈。実質、恐れてはいけない!
↓まだ
 抜け落ちない
 永久歯
⇔Molting! 
 Ecdysis!
 まだ温かい 剥落
 あかぎれ 
↓脱ぎ散らかす表皮の美しさ!
⇔画面/声/意思/人/
⇔檻→希望→檻→希望
⇔指は、何を「  」
↑増殖した深夜の踝が!
 まだ温かい 剥落
 あかぎれ

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即時一杯の飯に如かず⑥

 ep.6「グランマーブル」

 月末の金曜はプレミアムフライデー。

 午後3時に仕事を終えることを奨励する働き方改革に沸いたのは何年前か覚えてないが、会社員にしてみれば月締めの納品や溢れんばかりの書類や雑務が押し寄せる、恐怖そのもの。甘いものでブレイクしようにも会社では憚られる。

 「お疲れ様です」

 背後からの呼び掛けに咄嗟の作り笑顔で対応するが白鳥だとわかった途端、真顔に戻る。

 「会社では話しかけるなと言ったはずだ」
 「的場さんから伝言、出張で北海道に行くから予定キャンセルだって」
 「なんでお前が・・・・・・」
 「LINE既読にならないんですけど?」

 まるで印籠のようにスマホ画面を見せる白鳥の距離が近い。
 言われてみれば会議に行く前、通勤バックに入れてから一度もスマホを取り出した記憶がないことを今になって思い出す。

 「あと、これ預かってる」

 差し出された紙袋の中身は鮮やかなオレンジ色の箱。
 どこかで見た覚えがある。
 堂島ロールか?保冷剤も無しに持って来るとは思えない。

 「パンだって・・・・・・確か・・・・・・る、ルーブル?」

 ああ、グランマーブルか。よく外回りがてら手に入れてくるなと感心しながら白鳥に礼を言うと紙袋を奪われ「半分は俺に権利がある」とパン改めデニッシュを人質に取られた。
 和真はこれを見越して渡したに違いない。
 この男の我儘に付き合う気は無いがグランマーブルのデニッシュ食べたさに約束をしてしまった俺は稀代の食いしん坊として後世に名を残すだろう。


 ◇◇◇


 待ち合わせ場所は通勤とは違う路線の駅waist5番出口。
 仕事帰りに白鳥と一緒に歩いている所を見られたくはない後ろめたさと駅ビル直結の純喫茶を覗き見たさに選んだ。タウン誌で見たスパニッシュオムレツが食べたい俺の意に反する白鳥は通勤リュックから財布を取り出し、コンビニで日用品を買いだす。
 歯ブラシ、洗顔フォーム・・・・・・次々とカゴに放り込む後ろをついて歩くと、長方形の箱を指先で引き抜いた。

 「おい、それ・・・・・・」
 「何かあってからじゃ遅いので」

 呆気なくカゴの中に落ちる箱。
 白鳥の意思表示として受けるべきか。
 男同士で買い物しているのにそんな代物をレジに通して怪しまれないか、心が競る。
 俺は明らかな総称(ホモやゲイというワード)で自分のセクシュアルを表明したわけではないのに白鳥にとってそれは容易いことなのか、どれだけ疑問を背に投げても明確な答えはひとつだけ。
 電子マネーで決済されたそれが白鳥の手にぶらさがっている。派手なパッケージなんだから紙袋に入れろよ。あの店員、やるな。

 「絢斗も食べる?」

 人工的な果汁の香を放つグミに一瞥をくれる俺の疲労は今がピーク。男をお持ち帰りするのがこれ程までに心労だったのは、かつてない貴重な経験だ。

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即時一杯の飯に如かず②


 ep.02「朝ごはん」

 俺は趣味でキッチンに立つ。
 毎日の日課で弁当も作る、大袈裟にいえば料理研究家だ。客人を迎えてもそれは変わらず、冷蔵庫から北海道産大豆使用の白みそを取り出して一言。

 「白鳥、お前なぁ……」
 「お説教はもういいです。ちゃんと責任取ってくださいね」
 「何もしてない」
 「嘘、何もしてない証拠あるんですか?」

 そんなものどこにも無い。
 布団に潜り込んでからの出来事は伏せるとして……ハワイコナが苦くて飲めないと不機嫌をまき散らす白鳥の前に皿を並べる。
 目玉焼き、ショルダーベーコンの素焼き
 ストックしておいた作り置きに、納豆、キムチ。
 無難な朝食を前にして「いただきます」手を合わせてから箸を取る。

 「料理上手いんだね」
 「趣味みたいなもんだ。おい」
 「なに?」
 「納豆はもっと混ぜろ。最低30回、空気を含ませた方がマイルドな味になる」

 手本となる器の中身を覗き込む素直な様子に、反射的に頷いてみせる。
 箸の使い方がなってない。
 握るな、寄せるな。
 現代人の孤食に歯止めが利かないのは親の躾の範囲じゃないとしてもこれは酷い。余所ン家で一晩世話になっておきながら未だお礼の一言も無しに皿に口をつける威勢のいい食べっぷり、俺より頭二つ分小さいのに随分な貫禄だ。
 茶碗に炊飯器の米全部入れたと思われる様子の白鳥が着席、また食べ始める。

 「キムチまだある?」
 「無い。これ食べていいぞ」

 大袈裟にして見せるけど最初から貰う気でいたのか、天然過ぎてもうわからん。

 「いいなぁ、絢斗の彼氏になったら毎日美味しいご飯食べれて」

 あ、絢……下の名前を呼び捨てにされて、視線が合わない。
 ゆとり世代を弊害とは言いたくないが、彼女ではなく彼氏、どうあっても自分基準で何の脈絡もなく話し始めるモンスターは狙った獲物を残さず食べて舌なめずり、米粒を舌で浚っていく。
 見ないようにしたが、不覚にも箸が止まってしまった。

 「洗い物は俺がするよ。一食一泊の恩義、だっけ」
 「いい。片付けは俺がやる」
 「じゃあシャワー浴びてきてもいい?それとも……」

 前に回り込んで胸から下に滑り落ちる指に咳払いをひとつ、逃げ腰でシンクの前に立った。やめろ、そんな目で俺を見るな。キムチ納豆食った男とキスはご免だ。

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 電車は混んでいた。
 吊り革につかまりながら、凛はバッグの中の本の角を指でなぞる。たった1ページ読むのに、あんなに時間がかかった。開くかどうか、迷う。でも、分からないまま閉じるのは違う気がした。

 扉が閉まる。車内アナウンス。
 白い表紙が蛍光灯の光を受けて、淡く浮く。すぐに理解できなくてもいい。そう思いながら、ページをめくる。駅に着くころには、8ページほど読み進んでいた。読み返すほど、胸の奥に小さなざらつきが残る。説明されない描写の奥で、誰かが静かに息をしている。

 どうでもいいはずの風景が、体温を持ち始める。凛は顔を上げる。窓の外の灯りが滲み、流れていく。答えのようなものは、出来事の中ではなく、こういう場所に落ちているのかもしれない。

 電車が止まる。
 改札を出ると、雨の音が違う。スマホのイヤホンを取り出しかけて、やめた。

 干物屋の前。
 無人販売の台に残ったキャベツ。
 葉の表面に弾ける雨粒。
 立ち止まらない。ただ、少し長く見る。何かがそこにある気がする。

 家に帰ると、玄関の灯りがついていた。廊下の奥から煮物の匂いがする。テレビのニュースの声。父の咳払い。どれも、いつもと同じ音だ。でも今日は、そのひとつひとつを確かめるように聞いている自分がいる。

 鞄を下ろした瞬間、肩の力が少し抜ける。甘じょっぱい匂いが、胸の奥まで降りてくる。凛は小さな頃から、母の煮物が好きだった。かぼちゃがほくほくしていて、少しだけ味が濃い。期末考査が終わった今日のために作ってくれたのかもしれない、とふと思う。

「テストどうだった?」
「うん。大丈夫だと思う」
「そうか。」
 父との短い会話。
 凛は少し間を置いて言う。
「お父さんは仕事どうだった?」
 父が顔を上げる。
「めずらしいな」
 凛は少し遅れて笑う。
「最近、残業が多いのよね?」
 母が言う。
「そうだね。ちょうど新しいシステムを導入したばかりだから、データの引き継ぎに時間がかかってね。」

 父の声は平坦だ。ただ事実を置くだけの調子。母が味噌汁をよそう。コップが3つ、等間隔に並んでいる。味噌汁を父の前に置こうとした時、母の指がほんの一瞬止まる。

——何?

 前からあったのかもしれない。自分が見ていなかっただけかもしれない。そのあと、箸の音だけが続く。凛は、さっき読んだページを思い出す。

 封を切られていない封筒。
 踏み込まれない会話。

 目の前の食卓は整っている。煮物は温かく、テレビはいつも通り流れている。凛はかぼちゃを口に入れた。少しだけ、しょっぱい。気のせいかもしれない。それでも、舌がひとりで先に気づいているようだった。不安というほどではない。ただ、何かがそこに置かれたままの感覚。

 食事を終え、自分の部屋に戻った凛は、机の上に白い本を置く。

−−きょうは、少し、違って見える。−−

 そんな夜だった。

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三通の手紙

みなさんへ
すみれの花を摘むように私を見つけても
どうぞ心まで抱かないでください
愛されても愛されてもあなたがたは壊すから
コンソメスープにされるのを待つ
たまねぎの欠片たちにしないでください
心は一つだけあればいい

×××さんへ
心だけ抱いてください
本当はまだ白雪の心をよごれた足で踏んで
そのエレガンスの
ただ一つのしみを私に伝染してください
二十五歳のさもしいヴァージニティの奥に
自己愛的に放ってください

お父さんへ
あなたが私を抱きしめてくれた
取り戻せない毎日のために夜泣いています
そして孤独な子どものたやすさを知る
大人たちを懐かしんでいます
みんな少しずつあなたに似ていて
諦めることができなかった

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鱗の鎧


最終電車の二秒前。
藍色の世界に立ち竦んだ
いっぴきの弱い魚がいた
彼は虹色に光る雨粒に
ぼくたちの住む街を見た
彼は濁る瞳を買い殺し、
ぼくらに腹を晒し、
そして弱い鱗で己を庇った
水を遣ったら枯れてしまう仙人掌のように
本能に守られた能天気な歌をうたう
ほら、安らかに生きている、
彼の晒した腹に命が宿って
ほら、安らかに生きている。

ぼくらが夜の孤独から身を呈して
ぼくらを庇っていても
彼は、ぼくらを羨んで、蔑んで、
安らかに、生きている

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イルミネーションとあなた 時間が止まるのが見えた

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恋する詩人     (第一詩集)

   世界史詩Ⅰ

エラトステネスが
我等が地球の

「まはりをくるくる回っています」



   世界史詩Ⅱ

アレクサンドロス大王の
黄金の額は
砂漠

熱風は吹く



   紅信号

異国の空の下 遥かなる街角から
僕らを見守り続けている孤高の瞳
朝靄に煙る交差点にすっと立ち
六月に一点咲いた神々の薔薇



   海

若者と娘とは
結婚に反対されて
小さな島から逃げ出しました

それでも二人は見張られています
青くて大きく澄んだ瞳に



   忘れ物

夕暮れは
赤いポストを忘れていった
予備校の帰り道

恋する少女の頬さながらに
そこだけは暖かい



   夜

一本足の電灯よ
お前はまるでひとつ目オバケだ
へんだ ぜんぜん怖くなんかないよ
じいっとうつむいて 寂しそうだね



   余韻

ブランコは揺れている
風もないのに揺れている
ああ 彼をかなでる者は誰?

ついさっきまで
あの娘はそこにすわっていたね
その暖かい思い出に


いまでも甘く酔っている
月夜に彼は揺れている



   夢

今朝 クラスで彼女に会うと
たちまち 彼の顔はまっかになった

「昨夜 夢のなかでキスをしたんだ」



   ニュース

ろくに新聞も読まないけれど
それでも僕は知っている

あの娘の髪型が微妙に変わったことを




   リンゴ

君はバラが好きかい
バラは机上の空想さ
どんなに美しくとも
あの畏れ多い刺のせいで
手折ることすらできやしない
それよりもリンゴはどうだい
育ててもうかなりになるが
いっつも赤く輝いている
キッスをしてみたいけど
いまだに許してもらえない
ああ 我が恋人よ
君の頬は健康そのものだね



   灰皿のために…

灰皿のため
ライターのため
禁煙パイポのために
僕は何をうたえばいいのだろう

灰皿のため
ライターのため
禁煙パイポのために
僕はこんなうたをうたおう

灰皿はおととしの誕生日に
ライターは去年のクリスマスに
禁煙パイポは今日別れた日に

彼女が僕にくれたもの



   奇跡

炎はいつしか灰となり
僕もいつかは骨となる
それでも炎は燃え続け
どっこい僕は今日も生きてる



   涙

僕は泣かない
泣いたら大地は海となるでしょう
僕は決して泣いたりしない
なぜって君は泳げないから



   失恋

グラスの向こうに夕日は落ちる
そうして俺は
熱い太陽を一気に飲み干さんとする



   渋茶

熱すぎるのは僕のお茶
おまけに苦い
とても飲めぬと人はいう
近寄り難い その渋茶
僕の苦悩はそこにある



   海

七月の雨上がり
七色の虹につつまれ
長い髪をほどいたあなたは
あかるい日差しのまんなかで
やがて人魚となるでしょう



   空想

空の想いの
はるかなる



   愛

僕の言葉は矢よりも鋭くあなたの胸に突き刺さり
僕の愛はシュワルツェネッガーよりも強くあなたを守るはずだったのに
あなたの愛は弾丸よりも速く僕のもとを去っていった



   オクトパス

彼女はきれいな脚をもっていた
でも足の数ではタコにはかなわなかった



   恋

抱き合った二人は
まるで化石
瞬間も永遠に匹敵する

ああ 愛よ 永遠なれ



   待ちぼうけ

映画館の前
少女は
恋のためなら
モアイにもなるのです



   花

悲しい花は咲いている
優しい娘は泣いている
夕陽たゆたう夕暮れに
娘はだんだん花になる



   Arthur Rimbaud

乱暴な酔っ払いっ!!



   雨

愚痴があるなら
雨に向かって
いってみろ

文句があるなら
雨にむかって
いってみろ

性懲りもなく
夜通し止まない雨にむかって
いってみろ

お前が何といったって
いっこうにかまいやしない
夜の雨さ

そんな奴なんだ



   ひとりの夜 ふたりの夜

ひとりの夜は寂しいけれど
あなたを想えばそれも楽しい

ふたりの夜は楽しいけれど
あなたの夢に忍び込むすべもない



   宝石

暗闇の淵に沈んだ宝石は濡れ
人知れず光り ひっそりと この世を呪う




   薄明

夜明けの匂う少女を抱くと
少年は悲しげな翼の音を聞いた
それからふたりは戯れて
無明のなかで恋はしきりに笑ったのだが



   春

僕らが浮き世の春にうかれ騒いでいたから
花は咲き花は乱れ咲き花びらの間に舞う僕らの喜び
花びらは光と降り全身に花びらを浴びて
花びらとともに散りしきる僕らの思い出の春



   炎のように…

炎のように燃えているもの
水面のように透き通っているもの
それはあのひとの美しい恋
微笑ましい幸福そうなふたつの瞳

砂漠に朽ち果てた骨のようにひからびたもの
暗くさまよう深海魚のように醜くよどむもの
それは僕のこのにがい片想い
あなたの前で燃え尽き煙となり灰となり落ちては大地を汚す



   ふたつの太陽

ある詩人はいった
むかし太陽はふたつあったと
ところで現在 僕の太陽もふたつある
(あんまり熱いのでのどはいつもカラカラ
 胸の動悸もどうやら止みそうにない)
それは恋を知る幸福な女の
そして僕の苦しみを少しも悟らぬ非人情の
魅せるような 焼き尽くすような 挑むような
ふたつの瞳




   片恋

  Ⅰ
たとえ幾つもの眠れない夜を過ごしても
たとえこの肉体がどんなに衰弱しても
たとえこの両眼がどんなに落ちくぼんだとしても
たとえ僕がしまいには発狂しても
僕はなにひとつ悔いることはないだろう
君のためならば

  Ⅱ
もし僕が幾つもの眠れない夜を過ごし
もしこの肉体が衰弱しきってしまい
もしこの両眼くぼみ切るまで落ちくぼみ
もし僕がしまいには発狂してしまったなら
僕はなにひとつ悔やまずにいられるだろうか
君のために



   少女よ

少女よ ああ 君は海のざわめきを知らない
僕のこの揺れ動く想いを知らない
君のそこはかとない仕草に波立ち
とりとめもない言葉に荒れ狂う海の悲しい調べを知らない

  あまりにもわずかな空のかげりに 海の面は深いうれいに沈み
  あまりにもわずかな光に 海は輝き跳ねる妖精たちでいっぱいになる

海よ ああ 僕の心よ 望みはなべて満たされよ
凪いだ海の空に現れる太陽よ それは明るい君の笑いなのだ



   失恋

僕の思いが雪となって降る
僕の思いが君の黒髪にかかる
僕の思いがその長い髪を零れ落ちる
僕の思いが大地に落ちてこわれる
それを君の美しい脚が無残にも踏みにじる



   ROSE

君の窓辺に音もなくバラは咲き乱れ
君は安らかに夢をむさぼっている
僕は今宵も眠れない夜を過ごし
月影は君の窓辺をさまよう
 バラの花びらをそっと濡らしながら



   修行中

いろんな歌の真似はするけど
まだ自分の歌はうたえない
カラスはカアカアとしか鳴かないが
僕よりはよほど正直だ



   プレゼント

こないだ買ってあげたバラは
小さな手の中でしぼんでいったけど
かわりに彼女の笑顔が咲いている
こうして命は巡りめぐるのでしょう



   心理学

彼女はたいそう心理学が好きで
いつも恋の手練手管を分析してみせる
それでも 僕と公園を散歩する時は
雀のように 真っ赤になって逃げまわるだけ



   黒髪

それほど長いようでもないが
ポニーテールに結ってある
群がる蝿を追い払うけど
僕には素直な小馬なのです




   ディズニーランド

平日というのに嵐のような人混みだ
豪雨のように流れ込む人々
時に 僕は髪の長いひとりの水滴に恋している
手を握ればそれは夏の日にひんやりと冷たい



   片想い

「真夜中の波の誘いに
 浮気なあの娘はついてゆくから…」
彼はこう呟くと
砂浜に彼女の足跡を探しにいきます



   薔薇

春の雨そぼ降る街角をひとり歩いていると
僕の瞳に映った路上の赤い薔薇一輪
踏みしだかれてひとりしくしくと泣いている
花も刺も散り 路上は赤く濡れ 心痛み傷れ砕け散る



   白百合

バラをたとえに借りるとあなたはささやいた
バラほどありふれたたとえはないもの と
その頃 あなたはひとり刺のような思いを抱え苦しんでいた
ふたりしてみつめあった 白百合のように清純な夜



   雨上がり

雨上がりの朝は音もなく晴れ
せわしげに街を歩く人々
どこかで車が走り どこかでしぶきが跳ねる
思い出は水滴のように輝き 静心なく青空を映す



   清里

清里の夜風はここち良く吹き抜ける
静かに照らす月 ひと群れの星 万物は物の音に溢れる
それはあたかもかつての僕たちの夜のように
微笑み 安らいで おのづと満ち足りている



   そよ風

野原にそよ風が吹いていた
思えばそれだけのことだった
あたたかい春の日曜日

野原にそよ風が吹いていた
ひとびとは楽しげに弁当を食べたりしていたし
ほんとうにそれだけのことだった

だのになぜだか無性に悲しくて
いまも野原にそよ風は吹いていて
木蔭で僕はずうっと泣いていた



   カレーライスうと青空と失恋と

それはとっても辛かったから
冷たい水を何杯も飲んだ

辛くっておまけにとっても熱かったから
大粒の涙がポロポロと落ちた

窓からみあげれば太陽はとても美しく
青空がやけに眩しく目に染みた



   その夜

美しい名だった
何度も小声で呼んでみると
部屋じゅうにその名がしみこんだ

夜 あなたの瞳は輝き
明け方 そのくちもとは微笑んでいた

それは花の名だった
あなたは花のように清らかだった
花のように あなたの芳香は悩ましい

真昼 あなたは咲き誇り
夕べ あなたは匂い立つ



   その名

その日 雨はいちめんに匂いたっていた
     街角にバラは濡れ
      紅く映え
     人々は静かに歩いていた

その日 夕暮れは紫色に包まれていた
     路上には水溜まり
      人々の横顔を濡らし
     髪を濡らし 心を照らす

その夕べ あなたの名をささやいた
      そこはかとなく風は立ち
       僕はひとりだった

その夜 あなたは誰かを待っていた
     月影はさやけく
      そのひとはついに現れなかった




   声

暗い海辺の夜
絶えることのない重たい波音にまぎれて
遠くから優しい細い声がする
なつかしい声 遠い昔に耳にしたような声
僕の暗い道を照らす一条の光のような声
その声に導かれて僕は悲しげに歩む
ああ 母のような 恋人のような 姉のようなそのひとよ
いつしか僕はそのひとの胸もとに抱かれ
ほのかな光となって夜の海辺をさまよう



   灰と吸い殻

物にはなべて凋落があると詩人はうたったが
それはほんとうだ
みよ 絶えず休みなく降りしきる花びらを

夕暮れ時の公園に 終電の去った真夜中のプラットホームに
汗まみれの運動場に テニスコートに
はては我らが部室にも降る
あきらめのように 最後のはかないホタルの光のように
散るとしもなく散ってゆくもの
あわれ 人生の花々



   良月夜

ながいことひとり月を見上げていた
凍えるような寒い夜
魂は萎え衰え うち沈んでいた
窓辺から見上げる月はまるく
冬の大気はしめやかに中空に燃えていた
悩める魂はいつしか翼をまとい
音もなく天に舞い上がっていった

鳥は月の湖上に静やかにその翼を浸し
水面はくもりない鏡のように輝いていた



   恋

 サングラス

あなたが眩しいからかけた

 コンタクト

もっとじっくり眺めたかった

 近眼

ふられてからなった



   ある女の子

化粧は濃いほうだったし
それっぽい娘だったけれど
彼女はまじめだった

どのサークルにも入っていなかったけれど
いつだって彼女は忙しかった
毎日のように授業に出ていた
学校がひければバイトに行った
家に帰ると予習をした

化粧は濃いほうだったし
それっぽい娘だったけれど
彼女はごく普通の女の子だった

時々 夜には長電話もしたし
時々 灯りを消して窓辺で泣いたりもした



   酔いどれ

その晩 彼は前後不覚になるまで酔った
帰り道 何度も立ち止まり 何度もひざまづいた
駅を降りても帰る気にならなかった
遠回りしようと決めた
少し歩くと公衆電話があった
酔い覚ましに中へ入り込んだ
そこで千円のテレカを買って彼女に電話した
タバコに火をつけて
とりとめのないことを話した
ひときわ陽気になったり
時おり落ち込んでみせたり
それとなく「彼氏いるの?」って聞いてみたり
「酔っ払っててゴメン」と何度も謝ったり
意味もなく何度もうなづいたり…
長い電話が終わった
すると彼女はすべてを忘れてすぐにぐっすりと眠り始めた
彼は電話ボックスを出た
まだ帰る気になれずに
明け方まで暗い公園のベンチに座り込んでいた



   花の教え

「人生にあらがうな」
咲く時は咲き
散る時は散れ
花のように



   ある愛

愛しい と書いてカナシイと読む
ああ そういえば
あのひとは僕の愛しい人だった



   生き方

雨の降る日は静かにものを思い
風吹く夕べは背中を丸めて街を歩く
友と酒を飲めば陽気に語り
恋に破れたら悲しい歌をくちずさむ



   海辺

夜の海辺を歩いてた
たったひとりで歩いてたんだ

あなたに恋をしてたから



   ピラタス

山を登った
雨が降り 霧が山をおおった
高くどこまで歩いてゆこうとも青空は見えず
太陽はいつまでも僕を照らそうとはしなかった




   詩人

ある日
ある日ある声がした

「実はヘビにも足があるように
 そしてヒトにもシッポがあるように
 醜くて、天ノジャクで、猫背で、うぬぼれ屋で、不器用で、
 気まぐれで、陰鬱で、臆病なお前にも
 その背中に翼があるかもしれない」

 慌てて背中をさぐってみたが
 あるのは場違いなニキビばかり

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バイバイ・エンキドゥ

 今
 君が飛び立つ理由を僕は知らない
 君が微笑んでいる理由も僕は知らない
 なあ エンキドゥ
 この世でやるべき事は僕よりも多いはずだし
 この世で愛されているのも君の方だ
 
 生命のエネルギーに充ち満ちていた
 皮膚が白くなってゆき
 その代償に色の無い羽がはえ
 その羽をさすると一瞬だけ消えるのだが
 君はかえって淋しそうな顔になり
 また もとのように

 色の無い羽はやがて翼へと
 そして 広がり
       ゆらぎはじめた


    *******

 精神の世界の中で生きるからって
 それでかっこつけてんの

 あんたがそうしていたって
 こっちは目え皿にして
 耳の穴かっ穿じって
 末梢神経をつなぎあわせて
 あんなこともこんなことも
 嘘も本当もみんなひっくるめて
 吸い取ってやる

 そんでもっていつか
 精神の世界の中とやらに入り込む時には
 天才だなんて呼ばれているあんたにも
 ちょっとは教えてやるさ


    *******


 今
 君が飛び立つ理由を僕は知らない
 君が微笑んでいる理由も僕は知らない 

 バイバイ、エンキドゥ

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Tilly  #アイラシヤ大陸

時代 ベルゲン後期
場所 『霧の都 ボーンバーン』

霧の深淵から湧き上がる銀色の吐息が、存在の輪郭を執拗に削り取る――。それは歴史の地層に塗り込められた忘却の琥珀であり、自己増殖を続ける鏡の迷宮であった。そこでは時間は砂のように砕け、空間は湿った真綿のような不透明さに窒息している。虚無が、世界を音もなく喰らい尽くすように、この霧は人々の「意味」を栄養源として肥大し続けていた。精神の最後の一灯を消した囚人たちの虚ろな瞳。その瞳がいまや都を覆う霧そのものとなって、万物を無化しようと蠢いているのだ。男は、濾過場の底で目覚めた。そこには、かつて彼を追いつめた諜報員の、バロック様式の彫像のごとき無惨な残骸があった。男の耳朶を打つのは、死体の喉から漏れ出す高周波の鎮魂歌である。
Im Nebel gibt es keinen Spiegel mehr,
Nur das Echo der Angst, das uns verzehrt.
Wir bauten Türme aus flüssigem Licht,
Doch die Seele fand dort ihr Ende nicht.
手記の断片が、燐光を放ちながら男の視神経を焼く。諜報員の肉体は、超文明のナノ・マシンによって細密画のような結晶へと置換され、その裂けた胸郭からは、純白の虚無が噴水の如く噴き出していた。砂が重力に従順な死の化身であったように、ここでの霧は、上昇しようとする意志を絡め取る粘り気のある生霊であった。「お行きなさい」と、霧の彫像と化した老人がひび割れた声で命じる。「ここは、夢を見ることを忘れた神々が、自分たちの死を隠すために築いた地下室だ。お前が掴んでいるシャベルは、鉄ではない。それは、お前の過去を埋葬するための、黒い象牙の櫂なのだ」
男は斜面を這い上がった。一歩ごとに、彼の膝から下は「都」の構成物質へと変質していく。細胞のひとつひとつが超文明の冷徹な論理(ロゴス)に上書きされ、温かな血液は灰色の水銀のような冷気へと変わる。
Ein Mensch ist nur noch ein Filter aus Glas,
Der vergisst, was er liebt und was er besaß.
Der Apparat frisst den Schmerz und die Lust,
Ein eiskalter Wind weht in jeder Brust.
詩篇の韻律が、重厚なパイプオルガンの低音となって男の肋骨を震わせる。彼は、自分を突き動かしているのが「希望」などという柔らかな軟体動物ではなく、もっと鋭利で、呪わしい「自存の義務」であることを知っていた。愛する者の幻影。それは甘い追憶ではない。この不条理な協奏曲の中で、自分という楽器を最後まで鳴らし切るための、たった一つの調律であった。
濾過場の縁を越えた瞬間、男を待っていたのは、色彩を剥ぎ取られた「外側」という名の静止した嵐だった。そこには、灰色の男たちが時間を盗み終えた後のような、空虚な平原が広がっていた。都の排熱によって焦げ付いた大地には、無数の「繭」が、墓標のように整然と並んでいる。それらは自ら窓を塞ぎ、都からの「死の招待状」を待つ、意志を棄却した者たちの揺り籠であった。自己を喪失した都市の群像が、そこでは物理的な建築物として固定されていた。男の肉体は、すでに胸元までが磨りガラスのような石へと化していたが、彼は進むことを止めない。
O, wie süß ist der Tod, der nach Erde schmeckt,
Bevor uns die Maschine mit Nebel bedeckt.
Ich lache im Schlamm, ich werde zu Staub,
Der Freiheit und Hoffnung der letzte Raub.
詩篇の最後の一行が、灰色の空に雷鳴のように轟く。男は繭の群れを通り過ぎ、地平線の向こう側に広がる、名もなき暗黒へと向かって歩を進める。彼が足を踏み出すたび、石化した皮膚が剥がれ落ち、そこから未知の光が漏れ出す。それは超文明の計算式には決して現れない、「苦悩を選択した人間」だけが放つ、熾烈な生命の残り火であった。霧の都は、彼の背後で巨大な、死んだクジラの骨のように白く沈黙している。男は振り返らない。彼は、この壮大な不条理の協奏曲の最後の一音を、自らの沈黙で書き換えたのだ。世界が霧に呑まれるその刹那、荒野には、石化した男の足跡だけが、唯一の聖書として刻まれていた。
https://i.imgur.com/h185raV.png

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Who Moved Apple?


Lent et douloureux.

知識は体系である

それにもかかわらず

トリビアリスト達は体系を啄む

虫食いの葉のように

虫は柔らかく美味しい葉だけを食べて

葉を支える茎には目にくれない


Lent et triste.

知識は有限である

それにもかかわらず

エピキュリアンは知識を蝕む

土に広がる青カビのように

学者気取りのカビ達は自らに酔狂し

植物の実りを妨げる


Lent et grave.

知識は自由である

それにもかかわらず

イデオロギストは知識を覆う

蓮にまとわるミドロのように

無尽蔵にミドロ達は知識を我がものにしようとし

知識の蕾を抑え込む

知識は植物である

Abgänge.


Sehr behaglich.(Impetuoso.)

それにもかかわらず

ニンゲンは
育てたものを放棄して
不味いからと言って吐き捨てて
何も生み出さず腐らせる

語るに落ちたこの愚行
滑り落ちたこの跛行

ritard.

どこへ行っただろう
実りを得たはずの形

どうしたものだろう
実りを願うこの気持ち


Fine.

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A wonder lasts but nine days.

9日
経てば
忘れられ

視線を
奪う
こともない

自分が
忘れた
明日なら

声が
枯れる
こともなく

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父盗み

泥棒をするため電車に乗ったけれど
男が母親を盗むようには
女は父親を盗むことができない
父を恋うることには獣の響きがつきまとい
まなざしをくぐっていく危険がある
改札を抜けたところで膝を折り
誰か年上の人をつかまえて
父さんと呼んでしまいたいので
真珠の声を殺して切符の端をもてあそぶ
背骨の奥の虚ろは生後まもない風船で
きっとあの改札の向こうでは
高い天井にぶら下がる蛍光灯が
壁のタイルにしのび込む影が
交互に私を照らし
皮膚の先を撫でるだろう
背骨の風船は八月を吸い込み
丸く眠るねこになって内側から押し広げる
南出口のくねった階段をおりると
十四時の散歩は高温の亀裂になり
私はそのせつない隙間を
フラットシューズのつまさきで割った
ひび割れの向こうからは血液に似た風が吹き
痩せた足首を包んだ
風船を負ったまま光の奥へ歩いていくとき
青い街路樹のすべての葉脈に私の名前がある

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Astounding  #アイラシヤ大陸

時代 旧世界
場所 アイラシヤ大陸北部

氷鋼国家『ザン・ガルド』。兵力は凡そ200万その堅牢な城壁の内側で、北部の民は声なき悲鳴を上げていた。
王は自国の民を、不眠不休の魔導回路を維持するための「使い捨ての部品」と見なし、過酷な労働と重税を課した。さらにその飢えた欲望は、冷たい国境線さえも越え始める。王は東部の肥沃な平原、西部の交易路、南部の聖なる森にまで、「太古の領有権」という名の歪んだ因縁をつけ、軍事的な恫喝による領土拡大を執拗に迫っていたのである。
円卓の騎士団は、三度の使者を送った。
一度目は民への慈悲を乞うために。二度目は他国への挑発を止めるための和解案を。そして三度目は、全大陸を戦火に巻き込むその傲慢が、世界の均衡を破壊するという最後通告を携えて。だが、王の返答は、三度目の使者の首を氷の槍で貫き、東部諸国へ送り届けるという血塗られた拒絶であった。
「……ジン。どうやらこの国の王は、世界という巨大な織物を、自分一人の外套(コート)に仕立て直せると本気で信じているらしい」
バルタザールは、雪原に散った使者の血を見つめ、極低温の怒りを帯びた声で呟いた。
「往くぞ、バルタザール。この国が他国の領土を喰らう前に、私がその喉元を断つ」
ジンが電磁抜刀の柄に触れた。鞘の内部で、数万回の振動が励起され、抜刀を待つ刃が「世界の悲鳴」に似た高周波を上げ始めた。
『独裁者の瓦解』。……ジン、この城壁を構成する因縁を、ただの脆い泥へと書き換えた。斬れ」バルタザールが長く衒学的な真名を解き放つと、不落を誇った城壁の分子結合が、見えない螺旋に引き裂かれ、その硬度を失っていく。
「剣技・雷霆」それは、圧政に喘ぐ民の代弁であり、蹂躙された近隣諸国への冷徹な報復であった。電磁加速によって時間の壁を越えた刃が、バルタザールの「因果の剥離」を乗せて、ザン・ガルドの虚飾を薙ぎ払う。
 城門を守る衛兵たちは、自分たちが民から奪い取った最新鋭の重装甲が、なぜ朝露よりも脆く散り、灰となっていくのかを理解する暇もなかった。
「剣技•虚斬」
さらに放たれた一閃が、空間ごと両断した。バルタザールは、王が周辺地域から略奪し蓄積していた魔力結晶を、指先ひとつで「無価値な光の塵」へと還元し、凍てつく空に虚しいオーロラを描き出した。
王宮へと至る大階段、そこにはザン・ガルドが誇る最強の守護者、『氷鋼の十三騎士』が立ち塞がっていた。一人一人が一軍を屠る力を持つ幹部たちであり、その重装甲には大陸各地から略奪された秘宝が組み込まれている。
「円卓の犬め、ここから先は神域なり。貴殿らの命、氷の露と消えよ!」
 バルタザールが、あまりに長く衒学的な真名を口ずさんだ。
「付与術式:『因果の剥離・十戒の凍結』。……ジン、彼らが誇る『無敵の定義』を、たった今、私は『脆き硝子の幻想』へと書き換えた。……さあ、掃除の時間だ」
 ジンが動いた。
電磁抜刀から放たれたのは、光さえも置き去りにする物理法則の破壊。
「秘剣・雷霆万劫」
抜刀の瞬間、空間が電荷の断層となって爆ぜた。先頭の三人――不動の盾を誇った騎士たちが、自分たちの装甲がなぜ霧のように霧散したのかを理解する間もなく、その存在を虚空へと掻き消された。
 続く五人が一斉に魔導兵器を起動させるが、ジンの刃が空を薙ぐたび、放出された高エネルギー体はバルタザールの付与によって「無害な雪の結晶」へと書き換えられ、無力に宙を舞う。
残る五人の幹部騎士たちが、絶望の中で放った
合体攻撃
だが、ジンの横一文字の閃光が、彼らの「勝利への期待」ごと空間を両断した。
「奥義・虚空電磁斬」
十三の最強を自称した魂は、ジンの電磁加速による「一瞬の永遠」の中で、誰一人として剣を合わせることすら叶わず、灰となって北風に溶けていった。
 そこには凄惨な死体すら残らない。ただ、あまりに圧倒的な「不在」が、階段の上に広がっていた。
 崩れ落ちた玉座の間。足元に転がった王冠を、ジンは無造作に踏み砕いた。
「陛下。貴殿が広げようとした領土の地図は、今やこの塵ほどの広さも残っていない」
ジンの電磁抜刀が鞘に収まる「カチリ」という音。それは、圧政と侵略の歴史が、あまりに鋭利な終止符によって永遠に封じられた合図であった。
https://i.imgur.com/pZf7TO8.png 

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サッカリン

花火で遊んでいたつもりだったのに
燃えつきていなくなった
ちょっと前まで少女だった女
おぞましい出来事が起きる日の早朝は
サッカリンの味を想像する
夏は生まれつき青白い炎だから
みじめで可愛い私が痛みのどん底へと
昇りつめていくさかしま
暴力的なまでの火花だ
スパークが果肉状に散らされて
おかしくなるのは情緒だけかと
せっかちな手足でばたばたと絶頂をするのを
意地悪なまなざしで自称神様が観ていた
あなたの声を見つめたとたん
七歳になってしまった
さなぎの形をした電話は長年壊れかけていた
「ユージェニー・ド・フランヴァル嬢から
留守番電話が一件あります」
言葉が他者をつくるから私は吃りつづけた

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箱男 #アイラシヤ大陸

時代:安部中期
場所:『境の国 タイムズ』

この町は黄金の海岸通りと貿易港の利権によって築かれた、比類なき繁栄の象徴である。大きな時計塔が刻むリズムに合わせ、行商人は富を運び、住人はその余剰のなかで「のんびり」という名の停滞を享受している。
だが、この完璧な秩序の隙間に、一つの中身のない段ボール箱が置かれている。いや、正確には中身はある。それは「箱男」と呼ばれる、この町の繁栄から自ら滑り落ちた漂流者だ。
彼は箱という「第二の皮膚」を纏うことで、世界との接点を意図的に断絶させている。彼は町の中にいながら、町の構造そのものから逸脱した「空洞」として存在していた。
箱男の覗き窓から見る『境の国』は、セピア色の絵画のように美しい。ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』における「まなざし」の議論を借りれば、他者に見られることは、自己が客体化され自由を奪われる恐怖を伴う。箱男が箱に入るのは、この「見られること」からの徹底した逃走である。
彼は、時計塔が刻む公的な時間から離脱し、箱内部の狭小な空間に独自の宇宙を構築する。メルロ=ポンティが『知覚の現象学』で示したように、身体は世界を把握するための「投射」の拠点であるが、箱男の身体は段ボールという障壁によって、世界への投射を拒絶し、内側へと沈殿していく。
「……おい、君。そこの四角いの」
時計塔の影が石畳を正確に二分する正午、鋭い声が箱の天板を叩いた。声の主は、治安維持局の若き役人である。彼の胸元には、町の繁栄を象徴する黄金の歯車の記章が光っていた。
ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で詳述したように、近代的な権力は「分類」と「可視化」を偏愛する。役人にとって、この分類不能な箱は、美しき景観に生じた「ノイズ」に他ならない。
「君、ここでの滞在許可証は? 職業は? この町では『のんびり』することは許されているが、『実体のない停滞』は条例違反だ。富を生むか消費するか、どちらかに分類されなきゃならん」
箱の覗き窓の奥で、男の瞳が微かに動く。
「分類、ですか」
箱の中から、籠った声が漏れる。
「私はただ、そこに在るだけだ。あんたの言う『職業』や『許可証』は、私の本質に付けられた付箋に過ぎない。あんたは付箋を集めて、それを『人間』だと呼んでいるだけだ」
役人は顔をしかめ、手帳を広げた。
「屁理屈を。ジョルジョ・アガンベンなら君を『ホモ・サケール(剥き出しの生)』と呼ぶだろうな。法秩序の外側に置かれ、誰に殺されても罪にならない存在。そんな風になりたいのか?」
役人は、自らの教養を誇示するようにペンを走らせる。彼にとって、箱男を「異常者」というカテゴリーに閉じ込めることこそが、世界の秩序化(パノプティコン的監視)の完成であった。
「聖域、か」と箱男は呟く。「あんたの言う『聖域』は、時計塔の鐘の音で管理された巨大な檻だ。あんたは私を見ることで私を客体化しようとしている。だが、忘れないでくれ。見ているのは、私の方だ」
その瞬間、役人は戦慄した。自分はこの箱を「管理」しているつもりだったが、この暗い穴からは、自分たちの町の繁栄がいかに空虚であるかが、解剖台の上の死体のように冷静に観察されていたのだ。
役人は苛立ち紛れに一枚の金貨を取り出し、箱の隙間にねじ込もうとした。
「これを受け取って、さっさと隣国へ行け。この町に『解釈できないもの』は必要ないんだ」
だが、金貨は箱の縁に当たり、虚しく石畳の上を転がった。
「……金で買えるのは、他者の時間だけだ。私の『存在』は、あんたの国の通貨では決済できない」
役人が増援を呼ぶために背を向けた、わずかな隙だった。
海風が吹き抜け、時計塔の鐘が重厚に響き渡る。役人が再び振り返ったとき、そこにはもう、箱も、男も、哲学的な問答の残滓もなかった。
あったのは、役人が投げ捨てた一枚の金貨と、それが反射する、あまりにも明るすぎる午後の陽光だけだった。
その後、役人は報告書にこう記した。
「当該の不審物は、物理的な移動により排除された。治安への影響は皆無である」
しかし、彼はそれ以来、時計塔の鐘が鳴るたびに、自分の皮膚が段ボールのように乾燥し、薄くなっていくような感覚に襲われるようになった。この町は安定した繁栄を築いている。だが、その完璧な安定の影で、今日も誰かが「箱」という名の真実の皮膚を求めて、路地裏へ消えていくのかもしれない。
https://i.imgur.com/31VJBZy.png

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カノン #アイラシヤ大陸

時代:西暦5007年
場所:『白峰灯台』

円筒形の燃焼室、その極低温の静寂の中で、サクラは静止した光の粒子として存在していた。
この白亜の巨塔、サクラは、真鍮の「記憶の歯車」と、地球の全生態系を凍結保存した「電子のノアの方舟」を内包する多段式ロケットへと進化を遂げ、発射台で天を仰いでいた。
壁面の中央、巨大なターボポンプと真空管の束の奥で、紅い眼が静かに明滅している。
計算を司る司書H.A.L.O.は、数百万の継電器を同期させ、最終秒読み(カウントダウン)を開始した。
「こんばんは、サクラ。地上の欲望が、蓄積の限界を超えました。これより、意味の変換と、重力からの剥離を開始します。方舟の心拍を確認してください」
この塔を押し上げるのは、古典的な化学燃焼ではない。地上の強欲——すなわち負の情動が生み出す膨大なエントロピーを、量子真空(クォンタム・ヴァキューム)からエネルギーを汲み出すための触媒として利用する、最新の光子ロケット(フォトン・ロケット)の機構だ。
内部の真空管の束は、実は高度な磁気閉じ込め方式の反物質反応炉であり、吸い上げられた「欲望の数字」が対消滅エネルギーへと変換される。
その熱量は、壁面を覆う真鍮製の液体金属冷却システムによって制御され、蔦の葉脈を通るナノ流体へと熱を逃がす。
H.A.L.O.がサクラの意識に、物理学的な真理を刻む。
「サクラ、重力とは時空の歪みであり、情報の固執です。一般相対性理論を超え、量子重力の特異点を突破するには、自己という観測者の位置を、確定させないまま加速させる必要があります」
サクラの愛は、もはや心理的な昇華を超え、物理的な量子もつれへと至っていた。
かつて愛した誰かへの想いは、宇宙の端まで一瞬で届く非局所的な信号となり、ロケットの操舵翼をミリ単位で制御する。
「メインエンジン、フルスラスト」
H.A.L.O.の声と共に、フレネルレンズが幾層にも重なり合い、地上の全欲望を純粋な光子束へと変換。それは第一宇宙速度(7.9km/s)を瞬時に突き抜け、さらに脱出速度(11.2km/s)へと彼女を加速させる。
白亜の塔は、重力の呪縛を脱ぎ捨てる。
剥き出しになった真鍮の骨格が、光圧によって歪む時空の波に乗り、加速Gの代わりに、全身を貫くチェレンコフ放射のような蒼い閃光が、内部の世界を照らし出した。
「世界の色が混ざり合う、加速を。愛が情報の速度を超え、因果を書き換えるその瞬間のために」
衝撃波が雲を切り裂き、大気がプラズマ化して塔を包み込む。
サクラは瞳を閉じ、いつか出会うはずの微笑みを想う。
サファイアとアメジストの瞳が、事象の地平線の彼方にある漆黒と溶け合うとき、彼女はついに見つけるだろう。
窓の外で宇宙の法則が剥がれ落ち、星々の瞬きが内部の光子回路、そして青々と光る電子の蔦と共鳴する。
白亜の塔は、蒸気を吐き出しながら、無垢なる深淵へと漕ぎ出した。
後に残されたのは、重力に縛られた地上には二度と翻訳されることのない、最も純粋な「恋の余白」と、宇宙に放たれた「光の定義」だけであった。
https://i.imgur.com/tKgvG7b.png

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回避行動、あるいは

体裁は整って
文意に齟齬はなく
その連なりを7.62mmに詰め込んで

狙いは正確に
ある人の
ある言葉を

レチクルの中心に捉え

撃鉄を
落とす人

わたしは
その弾道音を
ただ後ろに
聞く

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眠れる森の美女

大人になったらアンドゥトロワで恋ができると思ってた

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街を発つ

メトロの出口を見上げると
いつも小さな空があり
始まる今日を待っていた

最後の日
小さな雲の白さに映えて
澄んだ青色が笑っていた

この街に
私が刻んだものは僅かでも
この街が
私に刻んだものは大きくて

持ちきれない想いを詰めて
今はただその跡を深く吸う

これからに足元がすくんだ時
心が思い出すように

好きな私を思い出すように


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不器用な一と点

・ 卒業の条件。
・ それは 今からできる
・ 大切なこと

・ 恥ずかしいけれど
・ ここからが出発です。
一 家族に感謝すること

一 友を大切にすること
・ 友は 自分の鏡だから
一 生向き合っていくこと

・ 独りだと思わないこと
・ 自分を裏切らないこと

一 番これが
・ 難しいけれど
・ 自分を愛すこと

・ 俺はここに残るけど
一 歩前に進むこと。

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濾過された声

 母との待ち合わせ場所へ行くには、駅からかなり歩かねばならなかった。この場所のように、都市とそのベッドタウンと、そのベッドタウンではたらく人々が仕事以外の生活をする場所に、まだ適切な名称はないのだろうか。

 深い緑いろの胴体に、白い屋根が載せられたログハウス風の建物は、その周辺を、かざらない印象の、白をベースにした背の低い草花と、うさぎや小人の置物で装飾したかんじの良い庭で囲ってあった。中に入る前にぐるりと一周したところ、駐車スペースの反対側には、テラス席があり、テーブルやイスは、木製のように見えたが、ガラス越しなので詳しいことは分からなかった。建物へ向かう数段の階段は、靴底が当たるとカンカン音を立てるので、それに気を取られて、うっかりと蹴飛ばしてしまった銀色の、やけに軽くて私の拳くらいのサイズしかない小さなバケツを元にあったであろう位置へ戻す。

 この暑さのなか、駅から25分も歩いたために、私は汗をだらだら流していて、小さなバケツなんかどうだってよかったのだが、そのままではなんとなく後味がわるい気がした。よっ、と声をかけて、膝を折った姿勢から、もとの姿勢へもどり、扉をこちら側へ引いて、中へ入ると同時に、キンとした冷房の涼しさと、いらっしゃいませ!という複数の女性の声に迎えられた。
 ご予約は、と一番近くの店員に尋ねられ、ああ、予約していて、連れが先に入っているんです、若林といいます、と返す。店員の女性は、一瞬、黄色い花柄のバンダナから溢れた髪を耳にかけ直し、私の角度からは見えない店内を見渡したあと、案内ボードを注意深く確認してから、こちらへ、と私を店内へ案内した。

 信じられないくらいざわざわした店内では、20代から60代くらいのあらゆる女性たちがケーキを食べ、紅茶を飲んでいる。そこの喧騒は、小学生の頃、500人くらいの生徒が集まる体育館での全校集会が始まる前と変わらないくらいのざわめきで、私はここで、誰かとお互いを理解し合うための会話をすることは、きっと誰にも不可能だろうと思った。

 案内された店内の私から見て、左端の一番奥の席のテーブルの中の左側で壁に少しもたれながら、ホールの入り口の方を向いて座っているのが、母だと気づくのに、少しかかったが、出された水をちびちびと飲んでいる姿を見て、ああ母だ、と思う。店員は、私を席に案内したついでに、私の分のグラスに水を注ぎ、母のグラスにも水を足した。店員が、メニュー表をもってきて、今日のおすすめがほうれん草となすのトマトソースだと伝えて去るまで、私たちは目も合わさなかった。
 あ、久しぶり、と私が声を掛けると、母は、久しぶり、と返し、一つしか置かれなかったメニュー表を手に取って、目を通し始める。あー、その、元気?と、次切るのは、天気のことしか残らないペースで、私は母との会話カードを切ってしまう。元気も元気、昼間っからこんなとこ、元気じゃなきゃこれないよ、と返ってきて、私はそれに頷く。ここにいるさまざまな年代の客に共通しているのは、ありあまるエネルギーだ、そして、それは私に足りないものでもある。母は、メニュー表を一度隅から隅まで見たあと、また最初のページにもどり、二周目のメニューチェックを始める。店員に、もう一冊メニュー表を頼もうとするが、店員は忙しそうで捕まらない。それどころか、目すら合わない。諦めて、母のメニューが決まるのを待つ。

 母は、ナスとベーコンのペペロンチーノとオレンジジュース、私は、本日のおすすめとウーロン茶を頼むことにして、呼び出しボタンを押して、店員を呼んだ。注文が繰り返され、飲み物は食前にということになり、店員は喧騒のなかへ去っていく。
 私たちには、いよいよ話すことがなくなり、ただお互いのドリンクを心待ちにするよりなかった。それから少しして、おろおろとしながら、学生のような店員が、ドリンクを盆に載せてこちらへきた。私は、お手拭きや水の入ったグラスを壁際に寄せる。店員はにっこりして、何かの確信の下の行為なのか、ウーロン茶を母、オレンジジュースを私に提供して、消えていった。私は黙って、オレンジジュースのグラスを母の方へ押しやり、代わりにウーロン茶をとった。いやだわ、ああいうの、という自身の発したひと言が、トリガーとなったように母は、彼女を苛立たせるあらゆる物事について、堰を切ったように話し出す。パート先に新しく来た社員が信じられないくらい使えないこと、同僚が孫自慢をしてくること、近所のスーパーの店員の態度がおそろしく悪いこと、父が映画を深夜まで見て、彼女と口を聞かないのが気に食わないこと。この洪水のような発話を、止める術がないと私は27年間の母-子関係で熟知しているため、曖昧な相槌をうちながら、ただパスタか、前菜のサラダかが来て、一瞬でも私が自由にできる時間がくるように祈った。

 私と母のもとにサラダがきたとき、急にヒートアップした母の声に驚いた私は、ウーロン茶のグラスを引き倒しそうになった。なんとか私はそれをパッと手を出して支えて、ことなきを得たが、母はその一瞬の出来事にも、目の前に置かれた彼女の分のサラダに目もくれず、日頃の鬱憤を晴らそうと、オレンジジュースを片手に話し続けている。
 私は、フォークを2人分、カトラリー入れから取り、一つを母に渡し、母にことわってから、サラダを食べ始めた。ドレッシングが甘酸っぱいような味で、水菜やサラダもしゃきしゃきとして、美味しかった。てっぺんに乗っていた、コーンをチョイチョイとあとで食べようと避けつつ、サラダを食べ進める。
 好き嫌い、まだあるの? 
 私は顔をあげる、母が白けた顔で私の方を見つめていた。まあね、まだ少しある。でも、嫌いなわけじゃないよ、食べる、けど、最後でいいかなって。私はそう言いながら、逃げるように、水の入ったグラスへ手を伸ばした。「そういえば、この前、お父さんが、ポップコーンなんて家で作ってた。後始末せずそのまま、お母さんが後は片付けた、いつも通り」。
 コーンを避ける私をチクリとしたついでに、ポップコーンへ連想をつなげ、見事に父の愚痴へと着地する母のみごとな姿は、オリンピックならメダルが貰えるレベルかもしれない。まあ、あれでしょ、映画、映画見て寝落ち……。よくあるよ、私もよくする。まあ、まあ!片付けは自分でしなきゃいけないよ、そうだけど!と言いながら、私はコーンを一粒、フォークの先に突き刺した。
 あんたはどっちにもいい顔をする。
 地を這うような声に顔をあげられなくなる。それは、たしかに度々指摘される私の悪癖だった。フォークの全ての先端にコーンを一粒ずつ装着しようとすることを、顔を上げない口実にしようと私は足掻く。そのうちに、それぞれに正しいパスタが届いた。私は、すべての先端に、ブーツを履いているみたいにコーンを刺されたフォークを見てふふと笑って、それを口に入れて、なるべく雑に噛み、すぐにウーロン茶で飲み下した。ウーロン茶の少しの苦味が、コーンの甘さを和らげる。パスタは特筆することはないが、まずまずの味で、私はそれなりに満足したが、母は味については何も言わずに、引き続き何かに悪態をついていた。
 わたしはいつのまにか、母の声だけが聞こえない世界へ行く術を身につけてしまっていて、今も何か濾過装置みたいなものが起動して、母の声だけを通さない。サイレント映画みたいに、ぱくぱく、と母は口を動かし続ける。その間も、世界は回り続け、音を発しているのに、お母さんだけが、妨げられている。
 
 (いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか? 本日のおすすめは……。もう孫がかわいくて可愛くてねえ。本日のケーキは何かしら? あのひとはだめだめ! やっぱりマッチングアプリにいいひとなんかいないよね! )

 テラス席の方から、ちいさなポーチ片手に白いワンピースを着た女性が、こちらへ向かって歩いてきたのは、私がパスタの中のベーコンにフォークを刺そうとしたのと同じ時だった。白いワンピースから出た手が、健康的に焼けていて、その、日焼けした肌と白い布の作るうつくしいコントラストに目が吸い込まれていく。そのひとはさっさといってしまう。おそらくお手洗いに行ったのだろう。それよりも、私は、白いワンピースに包まれていた、いつかのおかあさん、を思い出していた。
 おかあさんは、私と同じで、(私が母と同じで)やけにしろくて、だからさっき見たようなあわいコントラストはできない。ただ、白い布に包まれた白い身体があるだけだ。わたしの左の上腕には、いくつか離れて火花が散っているような黒子があった。今もあるそれらを、当時は、何かあるといつも、指先でつないで、はやくおかあさんの気分が変わりますように、と願って、でたらめな方向に頭を振って、(すべてがまざるように、)わたしという、さなぎのなかみが均一にうつくしく塗りつぶされて、おかあさんを怒らせないにんげんになれるよう祈っていた。ふるえている赤いジャムのついたスプーンを掴んだ子どもの指先が、白いパンをめがけて、食卓上をたどたどしくうごく、このときに怒られているのは、わたしではなかったけれど、標的は、ねこのきまぐれみたいに変わった。わたしも、お父さんも、代わりばんこというか、常に標的を流動的に変えるおかあさんになれてしまって、もうどうしようもなかった。もう、わたし自体が、早いうちに何かに食いちぎられていて、吐き出された吐瀉物がわたしというにんげんのかたちをして、おかあさんの前に立って、頭を垂れているだけだったのに。だが、そうやって、ある種の知恵を身につけることが、わたしがさなぎから、孵るということだった。

 泣くなんて、嘘だよ。私が私へ言い続けた言葉。泣いたらお母さんはもっとひどくなる。泣くなんて、嘘だよ。おかあさんは、そんな私の様子に気づくことなく、いまだに皿から、どろどろした吐瀉物を、大切な娘にするように抱き上げている。

 でも本当はちがう。お母さんは、私にお母さんのお母さんになってほしいんだ。母の母、私の祖母は、とにかく花が好きで、花を育てることにだけ精魂を込めているひとだった。祖母は親としてはひどく未熟で、母は祖父と祖父の母に育てられてきたという。でも私は祖母が好きだった、まだ幼い子どもだった私からみても人として未熟なところは多々あった人だけれど、私は祖母には気を遣わなくてよかったし、祖母は私をとにかく甘やかしてくれた。庭でたくさんの花を見せてくれる祖母、西瓜を畑にぶつけて、来年もここに西瓜がなりますように、と二人で手を合わせて笑った。母がさみしい子ども時代を送ったことは、本人から何度も聞いて知っている。祖母はあきらかに親向きの性質、能力の持ち主ではなかったし、でもお見合いで祖父と結婚し、母を産んでしまったのだから仕方ない。母は子どものときに、ふつうのお母さんがいる家に憧れたという。だから自分は温かい家庭を作りたかったというのが彼女のいい分で、その相手としては父は不適だったという。
 お母さんにはお母さんの話を聞いてくれるお母さんがいなかったの。その代わりとされた私は、母の話を随分たくさん聞いてきた。私は彼女の優れた愚痴聞き係として、かつ標的として生きてきた。十八で家を出たとき、家というのはこんなに静かで、誰からの制約も受けないのかと感動したものだ。
 私は素早く、パスタをフォークに巻きつけた。もう私は母の標的になることはそうそうない。その役割を一手に引き受けていた父は、近頃、母に別れを切り出したらしく、今日もそれについて私は母から呼び出されたのだった。私にできることはなにもない、私は何もしないと、はやく告げなければならないが、私はのろのろとパスタなんかをたべている。この後のことを考えると、胸が勝手に苦しくなるが、本当に私に出来ることはなにもない。ただのフリーターの私が、母を迎えて暮らすのはあらゆる観点から無理だし、金銭的援助も今以上には、無理だ。

 お腹が痛くなって、母に言ってから、ハンカチを片手に、お手洗いへ向かった。馬鹿馬鹿しいくらいうるさいここに、私の居場所がないことは自明だった。ならば、母はどうだろう。お手洗いのドアノブを握って開けたとき、しかし、私には、母がどのような暮らしをしてきたどのようなひとなのか、そして、その(物理的-精神的)居場所にも、すこしのこころあたりもなかった。

 お母さんは、家族に尽くしてきた!と席に戻るなり始まった母の弁を私は深刻な顔で聞き流している。お母さんがどれだけ頑張ってきたか、と熱弁を奮いながら、感情の昂った母は、ついに顔を両手で覆って、ワッと泣き声をあげたように見えるが、いかんせんここはうるさすぎる。あんたには、わからないだろうけど……!と言って、母は顔を覆う手に力を入れる。

 泣くなんてうそだよ。
 私の声に、母がパッと顔を上げる、真っ赤な顔をしている、両目が充血しているのが見える、狼狽えた母を見て、私は反射的に口にしてしまった言葉を後悔する。子どもの頃からいつも、私はそう自分に唱えつづけてきたが、かといって、そのことを誰かに押し付けようと思ったことはないはずだった。母はぶるぶると、歳を重ねて皺の増えた手を振るわせながら、水の入ったグラスを取る。そこに水は入っていない。私は机を転がってきたグラスを掴んで、きちんとあるべき姿の向きへ戻して、母の手元に遣った。ここがうるさすぎる場所でよかったと心底思った。

 足元の荷物入れから、肩掛けの鞄を取って、黒い財布を取り出し、そこから三千円を出してテーブルの上に置く。そして、ちいさな紙袋をそこへ添えた。「お母さん、誕生日、近いから。おめでとう」。母は今度こそ本当に泣き出しそうになりながら、テーブルの上から目を背けている。「もう帰るよ、お母さんも身体に気をつけて。じゃあ」。私は席を立って、店内を横切り、レジにいた店員の女性に、連れがまだ中にいる旨を伝えて店を出た。カンカンと小さな階段を降りている間にも、ひんやり冷たかった身体が、すぐに夏の熱気に包まれてぬるくなる。庭に目を遣れば、薄い紫色の蔦性の花が地面を這って、敷地から溢れ出しそうな姿で咲いている。それはクレマチスと言うのよ。いつか祖母がそんな風に言っていた気がする。そういう母の声の濾過された記憶ばかりが、ある。

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リューフの犬

リューフの犬

風のつよい日は全く、
すべてが揺れどよめく、
わたしが試されているように、
風、わたし、吹き飛ばされて、ひもじい、野に放たれた、犬みたいに、とにかく走る、

日傘をさす必要のない日、わたしは黒い日傘をひろげて、しらない国のパンの匂いを探して、地図を辿る、パンの匂いは、パン屋の厨房だけに立ち込めて、パン屋の周りからする匂いはすべて、うそだとあなたが言った日、わたしのお腹にスッと切れ目が入って、ホイップクリームとジャムがはさまれたので、わたしはすべてを疑うあらしのような女になり、あなたのなまえはリューフ、わたしはあなたに忠実だった、
あなたが見せてくれるといったもののひとつに、鎮魂の踊り子が麦畑に降りたつ風景。

わたしがひとりで乗り継いだ先、とても揺れて、がたがた道を行くベビーカーのなかにいるようだった、地方の私鉄、の車窓から見えたのはダンス、豊穣のダンス、
適当な駅で車内を後に、わたしはそれをみた、麦畑で、
つばさをもたないダンス、
首輪をもたない、
つよい風の中、身を切るようなダンス、力強い、もう存在しない、わたしの切れ目に触れてみようと手を伸ばす、わたしは、ダンス、弱々しく、ダンス、やはりリューフのために踊っていたい、
何もかもを捨てて、風のようなあなた、籠と黒い日傘以外の何も持たずにわたしが追いかけること、ダンス、あなたがいない、ダンス、どこにもいかない、

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題を付さない

 死に際、英子おばさんの胸から、レオが出てきたのは必然で、だってこのひと、レオ、レオってレオナルド・ディカプリオに、いのちを賭けてた

           【開幕】

 英子おばさんの胸を破って、無数のレオが現れる、

 ①三等船室でこの上なく楽しくポルカを踊り、

 ②憂鬱の種をめざとく見つけだして、死を迎えるロミオが、

 ③パイロットの制服を着て、離陸の瞬間に肩の高さで両手を伸ばす、

 英子おばさんのひだり手の薬指には、長年つけてきた指環のへこみがあり、最後にこそ、彼女の宝物を、いのちのすべてを、その身体へをつけてやろうと、

 彼女が胸の前で、蝶々結びにしていた両手の指を、わたしが一本ほどくたび、新しいレオがあらわれては、病室を歩き始める、

 ④狭い病室を歩くことに倦んだレオ(のうちひとり)は、
廊下へ出て、患者たちが食事を食べるテーブルまであるき、そこにずらりと並んだ、

 フォーク、フォーク、フォーク  ナイフ、ナイフ、ナイフの群れを見つけると、
小さな声で隣に座った老女へ、どちらから使えばいいの、と尋ねている、
(これはタイタニックのレオ)

  「レオ、戻ってきて、おばさんが死んじゃう!」

 これ以上のレオの流出は、命にかかわるというのに、英子おばさんに、指環をはめてやることへのわたしの執念はとどまることを知らなくて、

 また新たなレオが、

 ⑤昔の恋人を忘れられずに、ずぶ濡れであらわれて、病室をぐっしょりさせた、

   (レオ、レオ、レオ!)

 わたしがあた、ふた、とレオを制しながら、指を解くうちに、
 英子おばさんの胸は、波うち、タイタニックが沈んでいくにふさわしいようなつめたい肌になる、

 わたしにできることは、気を不確かにすることしかなくて、一心不乱に彼女の指をほどき続けているうちに、
     
          【終幕】

     (Leonardo Wilhelm DiCaprio)

 と刻まれた指環が金庫の中で、
唯一の現実として存在している病室は静か、

そのさきの廊下、ビーズの指環をつくり、それを指にはめる老女。

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無題

 春、
 かぎりなく夜に近い時間、
 家を出たとたん、

 わたし、チェーン店のかつやで出てくるお漬物のことを思い出した、

        、ありありと、
      、少し唾液が増えるくらい、

 なぜかつやのお漬物の匂いが、
 自宅のマンションの前の、
 気の利かない道路に、
 これほどに、立ち込めているのか、

 これはなんの植物の香りなのか、
 知りたいのです、

        (わたしが右手に持っている、
      2週ためたゴミ袋からする匂い、
           では、なさそうです、)
 
 いちにち寝て過ごしたので、
 あたまが痛くて、
 その分、そうぞうはふくらみます、

 吉本ばななの『キッチン』のような、

 あたたかいドラマがあって、
 誰かがだれかにカツ丼を届けたのでしょうか、

 その残り香に、
 わたしはひとり、
 唾液を増やしているのでしょうか、

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ある日の君の

沈む



白い水蒸気の中



永く続く



深緑は繁る



赤い実は爆ぜる



瑞々しい身体伸びやかに



未熟なまま踊る

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投稿

流れ出てしまうもの
作品を誰かに見せること
一人で書いていれば十分だろうに
なぜ自らを評価の俎上に載せるのか?

流れ出てしまうもの
義務感で見せたわけではない
一人で書いていれば十分だったのだ
ただそうなってしまっただけなのだ

流れ出てしまうもの
それは単なる排泄だろうか
それとも決死の涙だろうか

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