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投稿アカウント「南高ナア」に関するお知らせ
当サイトの投稿アカウント「南高ナア」についてお知らせがあります。ご案内の通り、南高さんにおかれては、投稿作品に対して、「全然面白くなかった。こんなものを読まされても、なんだかなあ」といったコメントを連投されたこと、また運営事務局がたしなめたところ、「本音を書いてはいけない文芸投稿サイトって、なんだかなあ」と制止を聞く様子がなかったこと、これらを踏まえて、昨年より南高さんをアクセス禁止処分にさせて頂いております。
その後、南高さんは、他サイトに移行された後、「私のことはアク禁にしておいて、運営のシンパが酷評をつけても何も言わないって、なんだかなあ」というコメントを端緒に、粘着的に当サイトを批判しておられます。とくに南高さんは平等性の観点から問題指摘を続けておられ、「同じ場所にいる仲間のはずなのに、あの人とこの人が同じ扱いでないのは、なんだかなあ」といった発言を毎日のように投じておられるのです。
当初は運営としても無視を決め込むのが良いだろうと考えておりました。しかしながら、「伝説のしこたま詩人」という、何につけても「しこたま」というワードを使いたがる人物を注意した際、一方で、何につけても、「判然としないわねえ」が口癖の「判然由美子」を不問としていたことから、「男性と女性で扱いが違うのも、なんだかなあ」という批判が、サイト内でも取り沙汰されるようになり、運営として考えないわけにもいかなくなりました。
私はこうした状況を、共同運営者の田伏正雄さんに相談してみることにしたのです。すると、田伏さんからは「場所はわかっている。石油ストーブで脳髄かち割って殺してやろうか」という穏やかでない返答が返ってきましたため、いやいや、南高さんの言論に対して、暴力を行使するわけにはいきませんよ、と申し上げたところ、「違う。お前の場所はわかってるから、お前を殺したろうかという話をしている」と、我が目を疑う返信が返ってきたのです。
田伏正雄さんは、異常性の強い方ではありますが、一方で筋を通すことについて珍妙な執着をお見せになる方です。ひとまず田伏さんの返信は脇に置いて、私は南高さんの一連の批判を、はじめから読み返してみることにしたのです。
南高さんが最初におっしゃっていたのは、アク禁という処分そのものの不公平でした。自分は投稿の場から締め出されたのに、運営ファミリーのような近い距離感の投稿者は何を書いても締め出されない。要は機会が平等に与えられていないという主張でした。
その後、サイト内での活動によって得られるコイン数に応じて、マナー違反時の対応が変わるというふうに、貢献度に応じて、平等に機会が与えられる仕組みを導入したところ、「コインを稼ぐための負担感は人によって違うはずなのに、それで平等って言われても、なんだかなあ」という批判に変わりました。これを踏まえ、各自の負担感をAIで計測する仕組みを整えたところ、「サイトへの参加によって得られる効用は人によって違うはずなのに、負担感だけ揃えられても、なんだかなあ」との批判にさらに遷移していったのです。
私はようやく腑に落ちました。南高さんは、こちらが一つの物差しを当てて応じようとするたびに、するりと別の物差しへ持ち替えてこられる。おそらく最初から不公平の解消に関心があったわけではないのでしょう。完全な公平など、そもそも成り立たないと分かったうえで、アクセス禁止処分になった鬱憤を晴らすために、運営がどの物差しを選んでも、その陰で必ず倒れているもう一つの物差しを指さして、「なんだかなあ」と言い続けておられる。
そして私は気づいたのです。南高さんは平等という一見リベラルな基準を悪用して、嫌がらせを続けているだけの方であると。にも関わらず、私は無視を決め込む風を装いつつ、南高さんの指摘に合わせて、幾度となく体制を変更してしまっていたと。私としても、実のところ、平等という概念に関心があったわけではなかったのです。ただ、批判が広がることが面倒で、対症療法的な対応をしていたに過ぎなかったのでしょう。
私は、田伏さんに、正直に打ち明けることにいたしました。
「すいません。実際問題、平等なんて、どうでもよかったですよね」
間髪入れず、返信が返ってまいりました。
「同じ場所にいるから、すぐ殺せる」
私は思い出しました。そういえば、田伏さんは男性が、女性として女風呂に入れないのは不平等であり、エクストリーム・マルクス経済学徒として看過できない、といった論旨の文章を書いておられたことがあった。もしかすると、田伏さんは誰よりも平等に拘っておられたのかもしれません。
すぐにチャイムが鳴りました。窓が割れました。
石油ストーブが部屋の中へ投げ込まれ、脳髄に、極度の、衝撃。
母が走ってまいりました。「どうして、うちの息子が死んでいるのか、しこたま納得できない」と愚痴っております。父が、その後ろで、「どうしてこんなことに。判然としないわねえ」と。
母がしこたま詩人。父が判然由美子だったのか。私が不平等に扱っていた、あの二人。ずっと、同じ屋根の下にいたなんて。もう脳髄はないけれど、これまで同様、きちんとサイト内でお知らせしておかないと。とはいえ、最後に、こんなことお知らせされても、なんだかなあ。
カルマ、初夏
養護学校出身のひとらと
玉葱の皮を剥いてゐた。
剥いても剥いても
こまくならぬので
癪が起きさうになつたが
ピカリの獨り言が
やわらかな触りだつたので
抑えが効いたよう
私の事を猿手で指して
せんせえ、と呼ぶので
私はすこしむきになつて
せんせえ、ではないんだよう
ピカリが大事さうに
化け物の絵を見せてくれて
驚いた振りをしてあげた。
各各の世界を
私は私の世界を
剥く。
ふしあわせのかたち
ふしぜんなことわり
故郷の空は
今日も
透けきつて明るいよう
https://i.imgur.com/39U4Q69.jpg
実生活で貯金ができないくせにここでは貯まっていく一方なので放出
彼女は雨が降っているのにビーチチェアに座ったまま動かなかった、確かに水着を着ているし、雨は降っているが太陽は顔を出したままだったから困ったことは何もないのかもしれないが、普通人は濡れ続けているべきではない。僕は腕時計を確認した、午後二時四十五分――彼女が折り畳みのビーチチェアと赤いバケツを抱えてバスを降りてきたのは十時半、芝生の上でするするとワンピースを脱いで水着姿になったのをみていた時はずいぶん気分が良かったが、彼女はここで四時間も日向ぼっこをしているのだ――照らされた素肌をみる喜びなんかとっくに消えて、何かされたわけでもないのに迷惑を被っているような気持ちになり始めていた。確かにここは公園で入場料もなければ、時間制もない――何時間だってここにいて構わないし、何も気にしなくていい、芝生は税金で綺麗に刈り揃えられているし、噴水の電気代だって税金だ――よく管理されたこの公園を使用しないのは損と言い切っていいくらいこの公園は立派だった――存在することすら知らない市民だって多いのだ、彼女が一日中日光浴をしても足りないくらい忘れられている、周囲では忙しく平日の自動車が走り回っている、世界は目まぐるしく回っている、僕らはこの公園を好きにして構わないのだ。でも――やはりどこか彼女の過ごし方は間違っているように思えてならなかった。だが、この公園にはホームレスだっているし、ドラッグをやってくつろいでいる連中だっている――いちいち声をかけていたら仕事にならない。僕は目立つゴミをいくつかトングでとってゴミ箱へ捨てて見回りに戻った――定期的な見回りを行うのは義務だが、実際公園を決められたルートで回るだけなので、警備服を着ていなければ誰も僕が仕事をしているとは思わないだろう。曜日ごとに決まった場所を掃除するが、それもそこまで時間がかかるわけではない。本格的な掃除は朝に専門の人間がやってきて行うから僕の仕事はたいしたことではないのだ。
詰所に戻る前に屋台で果物を買って、バス停の裏でタバコを吸った。学生たちがぞろぞろと降りてきた――近所の大学から街の中心部へ行くには、この公園の横にあるバス停で降りて別のバスへ乗り換えなくてはならないのだ。あと、映画館へ行く学生たちもみんなこのバス停で降りる。でも誰も平日の昼過ぎに公園にはこない。
タバコを吸い終えて詰所に戻り、裏の小さな池を眺めていた――雨は降り続けていた。女はまだ水着で日向ぼっこをしているのだろうか――それにしても眩しかった。大きな水音に顔をあげると大きなトカゲが水の中に飛び込んだ音だった――まだ三時にもなっていないが、僕はもう日がだんだんと暮れていくことを考えていた。それから水着の女のことを考えた。よく熟れたパパイヤを楊枝で突いて一個ずつ食べながら考えていたのは、彼女はずっとどんなことを考えながらあそこにいるのだろうか、ということだった。サングラスの中で目は瞑っているのだろうか、それとも何かを眺めているのだろうか――いつこの公園で水着で日光浴をすると決めたのだろうか――彼女はまた定期的にここに来るつもりなのだろうか、それともいつも違った公園で似たようなことをしているのだろうか、それとも気まぐれでおかしなことをしてみただけでもう二度とここには来ないのだろうか――庭師と清掃員と僕のような警備員がもっとしっかりした仕事をすれば彼女はまたここにくるだろうか。定時が近づいていた――夜番の警備員がやってきたので僕は荷物を片付けて彼と少しだけ与太話をした。少額だが宝くじに当たったと彼は僕に報告をした。自慢じみていない言い方で、これからもしかしたら僕らの周りに幸せなことがたくさん起き始めるかもしれない、といったような、どこか楽天的で希望的なニュアンスだった――君も運には気をつけた方がいい、と彼は言った――そう言われて俺は水着の女のことを考えていた――彼が着替えて出てきたのを見て僕は最後の見回りにでた。そして、運に気をつけるとはどういうことなのかを考えた。コンクリートの石橋を渡って、遊歩道は池を離れ芝生の中を通る。大きなやしの木を回って回り込んで角の向こうが見えると、もうそこに女はいなかった。彼女も、ビーチチェアも、バケツも、僕は彼女がいたあたりの地面を注意深く観察したが、芝生も綺麗で最初からビーチチェアなどなかったような気になって、自分が残念がっていることを発見しただけだった。
彼女は雨が降っているのにビーチチェアに座ったまま動かなかった、確かに水着を着ているし、雨は降っているが太陽は顔を出したままだったから困ったことは何もないのかもしれないが、普通人は濡れ続けているべきではない。僕は腕時計を確認した、午後二時四十五分――彼女が折り畳みのビーチチェアと赤いバケツを抱えてバスを降りてきたのは十時半、芝生の上でするするとワンピースを脱いで水着姿になったのをみていた時はずいぶん気分が良かったが、彼女はここで四時間も日向ぼっこをしているのだ――照らされた素肌をみる喜びなんかとっくに消えて、何かされたわけでもないのに迷惑を被っているような気持ちになり始めていた。確かにここは公園で入場料もなければ、時間制もない――何時間だってここにいて構わないし、何も気にしなくていい、芝生は税金で綺麗に刈り揃えられているし、噴水の電気代だって税金だ――よく管理されたこの公園を使用しないのは損と言い切っていいくらいこの公園は立派だった――存在することすら知らない市民だって多いのだ、彼女が一日中日光浴をしても足りないくらい忘れられている、周囲では忙しく平日の自動車が走り回っている、世界は目まぐるしく回っている、僕らはこの公園を好きにして構わないのだ。でも――やはりどこか彼女の過ごし方は間違っているように思えてならなかった。だが、この公園にはホームレスだっているし、ドラッグをやってくつろいでいる連中だっている――いちいち声をかけていたら仕事にならない。僕は目立つゴミをいくつかトングでとってゴミ箱へ捨てて見回りに戻った――定期的な見回りを行うのは義務だが、実際公園を決められたルートで回るだけなので、警備服を着ていなければ誰も僕が仕事をしているとは思わないだろう。曜日ごとに決まった場所を掃除するが、それもそこまで時間がかかるわけではない。本格的な掃除は朝に専門の人間がやってきて行うから僕の仕事はたいしたことではないのだ。
詰所に戻る前に屋台で果物を買って、バス停の裏でタバコを吸った。学生たちがぞろぞろと降りてきた――近所の大学から街の中心部へ行くには、この公園の横にあるバス停で降りて別のバスへ乗り換えなくてはならないのだ。あと、映画館へ行く学生たちもみんなこのバス停で降りる。でも誰も平日の昼過ぎに公園にはこない。
タバコを吸い終えて詰所に戻り、裏の小さな池を眺めていた――雨は降り続けていた。女はまだ水着で日向ぼっこをしているのだろうか――それにしても眩しかった。大きな水音に顔をあげると大きなトカゲが水の中に飛び込んだ音だった――まだ三時にもなっていないが、僕はもう日がだんだんと暮れていくことを考えていた。それから水着の女のことを考えた。よく熟れたパパイヤを楊枝で突いて一個ずつ食べながら考えていたのは、彼女はずっとどんなことを考えながらあそこにいるのだろうか、ということだった。サングラスの中で目は瞑っているのだろうか、それとも何かを眺めているのだろうか――いつこの公園で水着で日光浴をすると決めたのだろうか――彼女はまた定期的にここに来るつもりなのだろうか、それともいつも違った公園で似たようなことをしているのだろうか、それとも気まぐれでおかしなことをしてみただけでもう二度とここには来ないのだろうか――庭師と清掃員と僕のような警備員がもっとしっかりした仕事をすれば彼女はまたここにくるだろうか。定時が近づいていた――夜番の警備員がやってきたので僕は荷物を片付けて彼と少しだけ与太話をした。少額だが宝くじに当たったと彼は僕に報告をした。自慢じみていない言い方で、これからもしかしたら僕らの周りに幸せなことがたくさん起き始めるかもしれない、といったような、どこか楽天的で希望的なニュアンスだった――君も運には気をつけた方がいい、と彼は言った――そう言われて俺は水着の女のことを考えていた――彼が着替えて出てきたのを見て僕は最後の見回りにでた。そして、運に気をつけるとはどういうことなのかを考えた。コンクリートの石橋を渡って、遊歩道は池を離れ芝生の中を通る。大きなやしの木を回って回り込んで角の向こうが見えると、もうそこに女はいなかった。彼女も、ビーチチェアも、バケツも、僕は彼女がいたあたりの地面を注意深く観察したが、芝生も綺麗で最初からビーチチェアなどなかったような気になって、自分が残念がっていることを発見しただけだった。
君は
錆び付いた毎日が過ぎていく
暗い空の向こう側
下弦の月と僕を置いて
twitter動画ランキング
エロ漫画の割れサイト
中文字幕が付いたアニメの無断転載
錆び付いた毎日が過ぎていく
暗い空の向こう側
下弦の月と僕を置いて
片腕のないフィギュア
散乱した牛丼のパック
Playstation2とアーケードコントローラー
錆び付いた毎日が過ぎていく
暗い空の向こう側
下弦の月と僕を置いて
何気ない後悔を見過ごした後悔が
今日と明日を置き去りにする
僕は今日、どんな顔をしていた?
君は今日、どんな顔をしていた?
君は
またたく2
きみは、
またたいてしまった
無遠慮にも
照らしてしまったのだ
純黒のうねりに潜む
惑星たちの成れ果て
あの獣の
なんという獰猛さよ
一介の闇であれた
きみは
危うさを孕んだ
つかの間の
好奇心から
無色透明な
奔放によって
あたかかな夜を
脱ぎ捨てたのだ
――なあ、わかるかい。
たった いま
きみは、
またたいてしまった ということを
3巻目くらいの話
まだ暗いうちに飛びたったのは太陽がつめたいからだと聞かされた、凍えんばかりに寒がっている星々の間をすり抜けていく宇宙飛行士の話だった、村はずれに行き家並みが尽きるとイボだらけの山がゆりかごのようにふたりを揺らして、氷になった太陽にタッチしたのはとても遠い弔いのようだとおもった、毎日のように後悔をしている、愛猫もいなくなって世の中のことといえばまるで、まるで詩のようだ、
げんだい
し
しんでしまった
いまからが
しょーぶなのかもしれない
めざめる きせき
きゅーせいしゅが
あらわれたらいいね
明滅
あれだけ流した涙が
落ちてこない
きっかけは
そう
いつも忘れられて
相談窓口に
落とし物があるか聞くにも
聞き方がわかりません
いつ
クーイングしましたか
いつ
ねがえりをしましたか
いつ
はいはいをしましたか
いつ
笑い始めましたか
いつ
それらを教わりましたか
辛くても
我慢しなさい
人前で
涙を見せないようにしなさい
って
誰が決めたのでしょう
1年間に
7日すら花を咲かせない
あの木は
いつも同じ時期に
花を咲かせていますが
誰がその時期を教えているのでしょう
ぽつねんと
ぽつねん
ぽつ
ぽつぽつ
ほつほつと
ほつれて
ねじれて
水は
常に
流れて
海は
繋がり
孤独な
湖は
涙です
そこには
大昔の
誰かの
笑いか
悲しみの
涙が
混ざっています
こんにちは
電線でサーカスをしている
雀を観察しましょう
そして
観覧料を支払いましょう
いいことです
いや
よいことです
光は
影をつくりません
影が
光をつくるのです
老いを隠すために
光が必要なので
影を集めるのです
手は使えません
可能な限りできるだけはやく
走ってください
すると
涙が目から落ちるように
影はあなたの足から離れていきます
はなれて
はなれてほしいのです
そして
誰も見ていない
夜空の中で
仕事をしている
トラック運転手や
漁師や
介護士や
警備員たちと
焚火をくべて
そこから出る光を
ひとびとは
星と呼んでいます
それが
可能な限りできるだけはやい方法です
その次にできるだけはやいのは
声ですから
押し殺さないでください
教わらなくても
段々と
できるようになりますから
そっと
目を閉じましょう
月の光が照っていた
ミツコシの屋上から天球を見上げる
そっと鳴り響くは時報
午前二時、澄みゆく蒼天
その最高密度に世界は揺蕩っていた
ささやかに時報を発するのは“総督府”
“総督府”、この世で最も美しい言葉
それ以外の言葉を何も知りたくない
ずっとこの名前の下に
ずっとこの半島があれば
ただそれだけで幸せだった
白い光が僕に影を落とす
夢を見てもいいと言われたのに
いざ言葉にしようとすると
どうしたってどもらされる
“総督府”という厳かで正しい夢を
見ることすら許してくれなかった
望むことすら罪とされてしまった
半島にもう一度、あの美しい言葉を
いや、一度と言わず、たとえ何度でも
返して、救ってあげたいだけなのに
ミツコシの屋上の床は
天上の光を白く反射していた
フェンス越し、そっと眺めるのは
京城、モダニズムの聖性的都市
都市は都市のために神様になった
それだけが僕に残された
人類の高貴さの最後の証明
なみだ
或る大人達の誤った判断で
命を落としてしまった子の
母親の一言が忘れられない
「この子は
誰かの教訓になる為に
生まれてきたわけじゃない」
うなづいてうつむくしかなくて
心の中でその言葉を思い出す度に
手を合わせる
雨がふり 外に行けないから
もてあまし
体力ありあまって
身体をぶつけてくる我が子に
思わず大きな声で 怒鳴ってしまう
そんなとき ふと
そのことばよみがえり
ぐちゃぐちゃなきもちになる
いきていてほしかった
おかえりとかえってきてほしかった
外は雨 梅雨のじめじめした雨
どうしようもできなくて
どうしようもならないから
忘れません
と
だれともなしに誓っている
さかな
変な魚を見たよ
見たこともない魚だ
目の中で泳いでいた
夢じゃないよ
こいつが好きなんだよ
睫毛のすき間から湧いたんだな
とてもいい感じだよ
平べったくて
目が三つもあったんだけど
かわいかったよ
色は黄色だよ
その傘の色だよ
ああ 今も泳いでるよ
そこ そこ
そこで泳いでるよ
だいじょうぶだよ
余計なお世話
これはおれの魚だからな
けど おまえだけには見せてやろう
ほーら 癒されるだろう
いい魚だろう
ハードだからな
この世はとてもハードだから
癒されるだろう
おまえも好きだろう
顔に出てるよ
おれの魚だよ
コミュニティという重力圏と系内天体の軌道
コミュニティとは何か。
ひとつの答えを出すとすれば、「共通の実践を持つ集団」ということになる。文藝において言えば、何かを書き、読み、差し出す——その反復の中で人は引き寄せられ、場が生まれる。価値観は最初から共有されているのではなく、実践を通じて少しずつ輪郭を持ち始める。観念が人を集めるのではなく、行為が先にある。
では、そのコミュニティが存続するための条件は何か。
逆説的に聞こえるかもしれないが、「その実践の範囲で揺らぎを持つこと」だと考える。硬直した均一性は外部の変化に対応できず、やがて崩壊する。一方、揺らぎが大きすぎれば共通の基盤を失い、集団は散逸する。生きたコミュニティとは、その振れ幅を内側から吸収できる場のことだ。
ここで思想的な補助線として老荘を引きたい。
「道可道、非常道」——言語化できる道は、永続する道ではない。明文化されたルールとはまさに「可道」であり、それに依存した瞬間、場の本質からは遠ざかっていく。ルールは逐一言語化を要求し、解釈を生み、対立を呼ぶ。穴を塞ぐたびに新たな穴が開く。
老荘が示す「無為而治」——介入せずして治まる——は、ユートピア的な理想論ではなく、場の重力への信頼である。実践を共にする集団には、明文化しなくても「ここではこうある」という引力が自然に働く。逸脱はルール違反として裁かれるのではなく、重力の相互作用の結果として、自然にその系との距離が変わっていくプロセスにすぎない。系に留まるか、あるいは遠ざかるかは、善悪の判断ではなく、実践への共鳴の度合いによって決まる。
この重力の比喩を押し進めると、コミュニティの姿はひとつの軌道系として見えてくる。
文藝という実践が、恒星として中心にある。その重力圏の周りを、書き手たちが惑星のように周回している。軌道の大きさも形も速度もそれぞれ異なる——それが多様性だ。しかし全員が同じ重力に捉えられている。誰も命令されてはいない。引力があるだけで、軌道は自然に生まれる。
楕円軌道の離心率が「揺らぎ」に相当する。恒星に近づいたり遠ざかったりしながら、それでも系の外には出ない。コミュニティからの逸脱とは、いわば第二宇宙速度を超えて系を脱することだ。それは集団への反逆ではなく、その場の中心にある実践への関心が、系を維持する引力を上回ったという状態を指す。
惑星同士もまた、互いに引力を持つ。書き手が読み手になり、触発し合い、軌道を微妙に変化させていく。それがコミュニティの発展性だ。そして恒星自身も、惑星の質量にわずかに揺れる。場は運営者だけが育てるのではなく、実践する者全員によって育てられる。
そして、系のさらに外縁には、彗星のような存在もいる。
長い周期でふらりと戻ってきては場に波紋を起こす者もいれば、一度だけ強烈に接触して去っていく者もいる。彼らは恒星の重力圏に捉えられているわけではなく、ただその軌道がそうであるだけだ。近づく理由も、離れる理由も、本人の内側で明確に言語化されているとは限らない。
しかし、その接触はときに惑星の軌道を揺らし、恒星の位置をわずかに震わせる。外縁からの揺らぎを吸収できる柔らかさこそが、コミュニティの生命力である。
一点、誠実に認めておくべき逆説がある。
「設計されていない場」は、しかし設計されなければ生まれない。老子が無為を説いたとき、それはすでに有為の行為だった。後世の人間がその言葉を経典にし、注釈をつけ、宗派に分かれていったことを思えば、概念を打ち出すこと自体の危うさは自覚的でなければならない。
最後に、この矛盾は解消できない。ただ、解消しないままに保持することが、おそらく誠実な態度だ。概念を手渡しながら、その概念に縛られるなと言い続けること——それが、明文化されないルールの、唯一可能な形なのかもしれない。
【補講:ロシュ限界と侵襲的接近について】
系内における「衝突」について補足しておきたい。
天体物理学には「ロシュ限界」という言葉がある。ある天体が他天体近づきすぎた際、互いの及ぼす潮汐力によって、その天体自身の重力(自己をまとめようとする力)が耐えきれなくなり、崩壊し始める距離のことだ。
天体同士が接近し、連星なり衛星なり、または同一軌道であってもラグランジュポイントにその位置を占める場合は新たな安定した系を生む。しかしながら他者の作品や、その背後にあるパーソナリティに対し、批評や対話という名目で過度に侵襲的な接近を試みる行為——それは、相手の「書くことの根拠(重力)」を内側から引き裂き、崩壊させてしまう。
コミュニティにおける「明確なNo」とは、特定の個人の排除を目的とするものではない。むしろ、それぞれの惑星がその形を保ち、自律的な軌道を維持し続けるための「安全距離(ロシュ限界)」を再定義する行為である。
この斥力こそが、結果として系の多様性と、天体ひとつひとつの輝きを守ることにつながるのである。
また老荘思想や天文学はあくまで比喩に用いている。そちらの専門的な意味合いと異なる点はご容赦頂きたい。
歪なパッショ
雨に濡れた感情が
項垂れて泣き出した
言い訳は未練に閉じ込めて
ネオンの海を泳いで渡る
夜の街は衰弱し
もう 瀕死の状態
闇に隠れてするキスは
魔力的快楽の味がする
喜びも悲しみも
七色の海苔巻きにして
パック詰めにした
アルコールに毒された眼は
まるで
三途の川を渡る猫
風のおいはぎは
ナフタリンのにおいのする背広を
奪い取ろうとする
寂しいなんて
夜の帳が下りれば
暗闇と一緒
闇に飲まれて他人に変身
水に浮かべた黒い涙
変色した心が
花のように散っていく
主張強め日記 6月25日 B-REVIEWのアーカイブ引き継ぎをめぐる続・続報
その後、B-REVIEWの現在の管理者の1人である田中さんとのやり取りが続いている。
詳しくは書けないが、これまで私が公開してきた記事が、現在サイトのデータを管理している人たちから感謝を受けているらしいこと、そして今後、田中さん個人とだけでなく、管理者全体と私とで話し合いの場が持たれる方向で検討が進んでいること、この二点は共有しておきたい。ただし議論の中身については、この場限りにしてほしいという意向が示されたため、詳細は控える。委譲に向けた話し合いが本当に前へ進むのかどうか、まだ不確実性が高い段階にある、と記しておくにとどめる。
正直に書いておくと、私は何がなんでもアーカイブを委譲してほしいと思っているわけではない。これは火中の栗を拾いに行く行為に等しい。10年近く積み上がったアーカイブを、自分たちの判断で、二度と復元できない形に捨て去りたいと願う管理者など、本来いないはずだと考えている。「もうネット詩に関わりたくない」「自分の作品やコメントは削除してほしい」という個別の要望を持つ人はいるだろう。だがそれと、全体を消し去って復元不能にすることとは、まったく別次元の話である。第三者なら「もう全部消していいじゃん」と気軽に言えても、管理責任を負う立場でそれを実行したい人はいないだろう。
もっとも、「いっそ全部消してしまえばいいじゃないか」と言いたくなるほど、事態が難しいことも認めなければならない。難病とともに生きている方に責任が丸ごと預けられていて、しかもこれまでの経緯を見るに、その方はオンラインの詩投稿サイトでの活動からはもう離れたいという意向をのぞかせているように見える。そういう人に負担を押し付けたまま音信不通になった八期運営の中心人物たちには、やはり非難の言葉しかない。
いずれにせよ、負担をかけるべきでない人のもとに責任が集約されている可能性がある。現在の管理者たちは、そもそも何を思って八期運営に加わり、なぜいまその状況で負担を引き受けているのか、私には見えづらい。本当に全部消してしまいたいのか、負担なく他へ引き継げるならそうしたいのか、あるいは、一応バックアップは手元に残しているのか、いちばん基本的なところも含めて、まだ判然としないことが多い。
話は少し変わる。
アーカイブの行方はひとまず措くとして、サイトが閉鎖されたこと自体については、私は適切な判断だったと考えている。
文芸投稿サイトの運営は、外から見えるほど簡単なものではない。ここを取り違えている人が、実は少なくない。一年か二年、活発に投稿しただけで「自分はこのサイトを回していた」と語りたがる人がいる。これは荒らし的なアカウントがよく口にしたがる思い込みだ。
今回、引き継ぎの公募に「自分が九期をやれる」と手を挙げてきた人たちの中にも、その種の誤解が見えた。カクヨムやなろうで活発に活動したからといって運営になれるとは誰も思わないのに、小規模なサイトだとなぜか、その分別がつかなくなる人が出てくる。
なぜ簡単でないのか。文芸投稿サイトでは、荒れると運営にクレームが来る。裁判所を経由して、サーバーへの発信者情報開示請求や削除申請が届くことも現にある。運営自体が誹謗の対象になることも珍しくない。サイト内のコメントのやり取り以上に、こうした見えにくいところでの揉め事をどう捌くかが、運営の本質なのだ。
複数人で運営していれば対応方針が割れることもあり、内部の相談そのものがストレス源になる。自分ごとならまだしも、自分に近しい人が誹謗の対象になったときどうするか、あるいは協力者が加害行為に及んでいたらどうするか。そうした面倒をこなしながら、いかに維持と継続を図るか。そこにこそ運営の難しさと本質がある。
サイトポリシーを無視した投稿でサイトを荒らしながら、それがサイトの盛り上がりへの貢献だと独りよがりに信じてしまう類の人には、この構造が意識されていない。実のところ、8期運営の中心人物たちもこの辺りの構造が理解できていなかったのだろう。
ここで改めて確認しておきたいのは、マナーガイドラインの意味である。あれは投稿者を守る仕組みであると同時に、運営者を守る仕組みでもあった。ガイドラインに沿って運営している限り、少なくとも一定の協力者と賛同者のもとで運営を続けられる。判断の基準が明確で、迷うことがない。そして、ガイドラインに合意していれば誰もが運営者になれる、という仕組みのもとで、自分が権限を振るえることの正当性が与えられる。本来なら無理難題に等しい投稿サイトの運営が、ガイドラインという傘のもとで、誰でも試しにやってみることができる、という構造に変換されていたのだ。
ところが八期運営は、そのガイドラインそのものを自ら捨ててしまった。よりどころを失えば、どちらに動いても批判する者が現れる。何をしても批判され、揉め事が尽きないのだから、やがて何があっても放置、何もしないという状態に陥る。これは運営方針ではない。レームダック化する以外に対処の方法を失った末路である。無関心と放置、そして脱退、崩壊。文学極道でもB-REVIEWでも起こったことだ。残念ながら、この状態から立て直せる人間がいるとは、私には思えない。
「荒れていてもいいじゃないか、こっちの方が面白いよね、俺が回して盛り上げてやっているんだよ」、などと言い続けられるのは、自分達のもとには訴状が届かないだろうという前提があってのことに過ぎない。所詮、自分ごととして捉えていないからこそ出来ることに過ぎず、後期文学極道に巣食っている類の、この種の人間を運営の座に座らせたら何が起こるか、これこそが8期運営の帰趨そのものであろう。
B-REVIEWのルールと継続性は、すでに失われた。ガイドラインに同意する者であれば誰もが運営になれるという当初のデザインは、もはやここにはない。いったい何の正当性があって管理権がそれぞれに委ねられているのか、たまたま誰かから譲られただけ、という以上のことは言い難い。もはや誰がデータを持っていても正当性があるとは言えない。とはいえ、誰かがそれを全部捨て去る決定を下すのは、もっとおかしい。いまはそういう、どうしようもない状態にあると言っていいだろう。
私は自分の利得や感傷のためにアーカイブを引き継ぎたいと言っているのではない。CWSがアーカイブを引き継げば、必ず苛烈な批判に晒され、揉め事の種になるだろう。私は文化的価値があるであろうアーカイブをなんとか守るために、交渉のテーブルについている、というのも実情とは違うと感じている。本当に捨ててしまっていいのか、誰がその決断を下しているのか、まずはそこを改めて見える化したい。そのうえで、もし誰かが汚れ役をやる必要があるのなら、病気と戦う誰かにやらせるのではなく、私がやってもいい。私のスタンスとしては、それがいちばん近い。
ぎじゅつもさいのうも
ないから
ぺんをもっただけ
てくにっくも
らんちぱっくも
よくわからないまま
のみこんで
いきるたべるかきこむねる
ちょっとはやすみたいくらい
「ない」ことばかり
きにしちゃうから
ぺんをもっただけ
ひどくよごれたぺんをみて
らんざつなわたしだけのもじの
のーとにつっぷしたら
ちょっと はっぴーな ゆめを
いきた、まま、みれ、るから
皆様へ
詩のコメント返しが出来ていなくて
申し訳ありません。
ひとつひとつ嬉しく
励まされています。
本当に有り難うございます。
ゆっくりになりますが
少しずつ、返していきます。
これからも頑張って書いていきます。
かたつむりのジェンダー代名詞
もしも
ボクのこころが一軒のうつくしい家だったら
そこには大きな扉と明るい窓があって
ちょっとしつこく呼び鈴を鳴らせば
ボク自身がおずおずと出てきてくれるだろう
挨拶がわりにけんかして
ドーナツ食べて仲直り
抱きしめてやったりもするだろう
だけどボクのこころはほんとうは
行き場のないがらんどう
その曇ったうずまきの内側から
不安な二つの目が見ている
ボクは恋人に触れることができない
きみの愛に手をのばすことができない
いったい世界は信じるに値するのか
ボクは泣きたがっているのか
簡単なはずのぜんぶがわからない
真摯であるために必要な光が
あいまいにわずかに差しこんで
眩しさを生きていてもいい理由にする
野に花が咲くほどじゃなくてもかまわない
ただまなざしの影がこころの外側へと
お前はただいるのだと言うように
落ちていてほしい
生活ってなんだ?
水位を増している川の近くを通れば、泥や腐った枝葉のような匂いがして、それは呼吸をとおして、鼻から肺へゆき、わたしのつく息でまた川へと流れいたる、川はそうやって、わたしを晩御飯の買い出しへ運ぶ。
道はまだ水分を多く含んでいて、つっかけが地面を蹴る時、少し涼しい気がする。スーパーへ続く階段には、ところどころ水たまりが出来ていて、足元を見ずに歩くわたしを責めるように、たまった水をわたしのくるぶしへ飛ばしてくる。
スーパーには無限に近い数のデラウェアの粒が増殖と減少を繰り返し、フルーツ売り場には今の季節、とにかく丸い粒が多い。アメリカンチェリーもさくらんぼも、プラムもハウスみかんも、輸入ぶどうもみんな丸い粒を光らせて、目の前に立つ高齢の女性に選ばれるのかだけが気がかりな様子だ。隅の方に、ココナッツが三つほど売られているのを見て、これをゴンっと叩いてストローを挿して、その中身を飲んだら、ここから脱出できる気がして、わたしは誘惑にかられるが、可燃ごみの日までにどれほどのちいさなハエがそこへたかるかを想像して、やはりココナッツたちは三兄弟のまま、肩を寄せ合っている。スーパーはとても空調が効いていて、わたしはさっさと、納豆とたまごとカニカマとそれからさけの切り身を買って、そこを切り上げる。
身体は一度とても冷たくなったのに、スーパーの外に出て少しすると、ジトッとした汗がやはり垂れてくる。家までの道のりは十五分ほどで、また川の匂いを嗅いで帰る。歩道には長方形の大きなプランターの中にペチュニアとベゴニアが植っている。ベゴニアは夏の盛りには、焼けたベーコンみたいになっていて、わたしはその頃にあの花をみると、健やかな朝ごはんの一部をつい思ってしまう。
家に着くと汗がダラっとたれて、思わずエアコンをつける。それから、わたしは服を脱いで手を洗いうがいをし、エコバッグの中身を冷蔵庫に入れて近頃閉まりにくいそのドアを強く押してから、脱衣所へゆく。出てきた頃には、ハーブの匂いがわたしを包んでいる。わたしはドライヤーが嫌いなのだが、脱衣所の椅子に座って決められた時間は最低でもドライヤーで髪を乾かすことに決めている。携帯のアラームが鳴ると同時に髪を乾かすのをやめ、リビングへ行き、エアコンの設定温度を一度あげる。
お出汁を引くときには二通りの心境があって、こんなことはやってらんないよ、と、これが世にいう生活というやつか、のだいたいどちらかであるが、両者が混じって、こんな面倒なことはやってられないけれど、これが生活か、となるときもある。食べるものに関心がなかった時期が、人生の九割強を占めているので、わたしの部屋のコンロは一口コンロで、野菜やらを切ったり何なりができるスペースも、コンロとシンクが、10cmほどの距離でくっついているだけだ。こんな狭い台所では何もできないので、スペースを増設するために購入した、主にパンなどを作りたい人向けの作業台で、冷蔵庫から取り出したねぎを刻む。ねぎの半分は明日の朝以降食べる納豆用に細かく切り、残りはお味噌汁用に大きめに切った。味噌汁は熱いのが苦手なので、先に作ってしまう。具は、ねぎと油揚げだ。出来上がった味噌汁を手にこぼさないように慎重に器によそい、テーブルへ置きに行く。さけはフライパンにキッチンペーパーを敷き、そこへ乗せて両面を焼く。換気扇を回していても、台所中に、焼けた魚の匂いが充満し、それだけで腹がいっぱいになる気がする。さけを焼き終わったら、皿に盛り付けた後、卵焼き機を収納棚から取り出し、卵焼きを作る。器に卵をといて、砂糖と醤油を入れて混ぜて、油を敷いた卵焼き機を熱していく、これをくるくる巻いている間だけわたしは何も考えずに住む。
(すくない収入のこと、離れて暮らす両親、さらに離れた場所に住む祖父母のこと、姉のこと、妹のこと。でもそれの何もわたしじゃないみたいで。)
何も考えず作った卵焼きはとても黄色くて、この世のものというより空想上の月に近い色をしている。卵焼きと焼いたさけを持って、台所を出る。そして、食卓に並んだものたちをみて、米を炊くのを忘れていたことに気づく。ため息をついて、冷凍ご飯の在庫があったかを見に行く。
自分の要領の悪さやもっと根本的なだめさに直面した時。降り積もって続いていくことこそが、生活の核心の部分なのではないかと、ごくたまに思う。でもそんな考えはすぐに流れていく。わたしはわたしのだめさに流されて、その流れはとても速い。生活ってなんだ?
諦めた気持ちで冷凍庫を覗くと、奥の方にカッチカチに冷凍された少量のごはんがあった。
アルファベットスープ
太陽がQの形で沈んだ日
私は夜遅くスープの底から引きあげられた
身体より先に不思議が口内で殖えていた
Qはたえまない炭酸の泉で
Aは遅れてやってくる無音のくしゃみ
ときどきQの尾を気管のなかに飼った
声になる前にそれらは紫色の植物に変身して
肺に絡みついた 答えようとすると
群衆の指が無数の言語で折れはじめる
カウントダウン ダウン ダウン
咀嚼しきれなかったマカロニが
舌と歯の隙間で溶けるふりをしている
しあわせなのかもしれない
むすこがわたしにいいました
ヒップホップはすきじゃないとか
いわないで
おんがくとしてたのしんでほしい
もっともっときいてほしい
ゆうめいなやつなんかじゃなくて
よいのはうもれていたりするから
とにかくたくさんいろいろきいてほしい
わたしはむすこにいいません
あのしがすきとか
あのしじんがすばらしいだとか
ひとこともひとりも
おすすめしませんでした
ゆうやけがぴんくとあおとむらさきとくろと
おれんじでさわがしくって
むすこのいう、だれかのなまえひとりも
おぼえられないけれど
しあわせなのかもしれない
ちょーぜつ しあわせなのかもしれない
すぐかわるまーぶるなゆうやけぞらを
よるにとかされてしまわないでと
ねがいながら
みていた みていた
うたを忘れた金糸雀と、わらいを忘れた道化師と
悲しみってやつがさ
また ぶり返してきたみたい
なんだかとってもダルくって
頭もズシンと痛くって
それは決して 決して
連日続く この雨のせいなんかでも
ないんだろうけれど
いつか君が教えてくれたあのうたを
口ずさんでみたくなって
思い出してみようとしたんだけれど
フレーズひとつ 思い出せやしない
唄を忘れた金糸雀は
鳴き方さえも 忘れてしまい
誰も知らない
あたいの涙
昔ついたキズアトを
よせばいいのに またほじくり返し
血を滲ませては痛がって
痛くて痛くて 痛すぎちゃって
自分殺しちゃいたいくらい 痛いくせに
こんなにも真っ赤な真っ赤ないのちが
ちゃんとちゃんと 噴き溢れてるって
確かめずにはいられない
痛いの痛いの飛んでかないで
あたいにあのひと 許させないで
だけど 誰にも気づかれぬよに
平気へっちゃら へへののもへじ
あれれれ どうしたことでしょう
なんだか顔がぎこちない
あげたはずの口角が
プルプル プルプル震えてる
おかしいな おかしいよ
泣きたいわけでもないはずなのに
いまにも泣いてしまいそう
わらいを忘れてしまった道化師は
この容赦のない
叩きつけるよな土砂降りの中
ただひたすらに
パントマイムを演じてる
観客はひとりもなく
ただひたすらに
いつかあの娘が見せてくれた
ヘタクソでかわいいわらい顔を
わらい方を 取り戻せるようになる
そのときまで
いつまでもいつまでも
パントマイムを
演じ続けてる
雨は当分まだ
止みそうにない
こども
いちばんめより
にばんめが
さいしょより
さいごが
よかった
そんなこというから
ながれぼし
さがしたくなって
つきをみた
むりやりでもおそらみて
きれいだねって
てをにぎるかわり
ゆびさした
祝福
三十八日目
氷
手首
肘
膝
私を置いて
先へ先へ
小さくなる背中
ゆっくり
慎重に
曲げる
手首
夜
タコライス
わかめスープ
流しに
洗い物
九週+五日
酒
みりん
油
買い物袋の細い持ち手だけが
指の関節
に食い込む
アラビアータ
袋詰めのサラダ
セロリと玉ねぎのスープ
お湯は
でない
指先に
また ひび
背後で
笑う声
三ヶ月+六日
おつりを出す
手から
小銭が数枚 落ちる
ひび割れた指
散らばった
小銭
後列の人の靴先に
頭を 下げる
ガストのハンバーグ
ウーバーイーツ
冷えている
0ヶ年+138日
夜
余り物
冷凍焼けした
肉じゃが
指先で触れると
崩れてしまう
いつ作ったか
日付は
消えていた
百五十八日
硬く
厚くなる指先
痛みはない
温かな水道水を
施しとして
受け止める
夜
食べなければ
洗い物はない
流しには
コップのみ
アラン回想
腐り水に濡れた胸毛脇毛臍の毛を触らせようと手を強引にしかし無言で引いていくような音楽を、彼は書いていた。新宿歌舞伎町のサウナで偶然に出会いカタコトの英語で挨拶し、まぐわってのち、握手をし、別れた。
アランよ……
子宮の奥の
スクラップは多産の神の
大陸の
自己
ぼくはコムラガエリを噴霧した
インコ投げつけロマン主義
闇をうろつきロマン主義
子宮の奥の
大陸の谷間の黒い
くちびる臓腑
アランよ……
彼は常に手鏡の中にしかいなかった。骨を焚いて貪り食って恍惚の表情をしながら排泄行為に及ぶような音楽を、彼は書いていた。再度会ったのは十五年後、またもや新宿歌舞伎町のサウナにて、であった。老いて痩せ、衰え震えていた彼には、カタコトの英語も、通用せず。視線で合図をし、握手をし、まぐわってのち、握手をし、別れたその二週間後に、彼が北方の国家で死没したことを知った。
アランよ……
病気の風景から
滲みでた闇の
粘膜に滲み出す
いくつかの灯
ぼくは透明な窓のそばで
彼の作った
オルガン音楽を聴く
獣と
無言の予兆の
子宮の奥の
スクラップ
それは
アランの手記の欲望なのだ
大陸で出来た家路は華麗な幻想の鳥
皮膚なき豊穣 濡れた闇鳥の
目は抽象の
シネマの光
死は死なないで繁茂繁茂!
まぐわう二人は繁茂して即死!
血溜まりから立ち上がる死は死なない!
荒らしまわりて繁茂の羅刹
空から降り注ぐ
星の血潮のアメーバ群
繁茂繁茂で
街は死ぬ……
街は死ぬ……
コムラガエリになって
足を引きずり
ぼくはゆく
辺境臓物
血塗る道の……喜悦の病気が噴霧され、彼がサウナで見せた闇の中で木が死に絶える思想の音楽を……影の肉体たちが互いの臓腑を延々刺して、
死は死なない!
繁茂繁茂のアランらの
無数のアランらの
果てをうろつくロマンの脳髄
遮るものなき粘膜の
大陸に
降りたような感覚で、ぼくは新宿歌舞伎町のサウナを出たのだ。アランが死んでから十五年が過ぎていた。アランと最初にまぐわってからは三十年が過ぎていた。……ぼくはワイヤレスイヤホンから流れてくる、アランの、あのハラワタを煮詰めたときの激しい臭気を思わせると同時に、闇夜の湖面の、何も映らぬ湖面の静止状態をも思わせる、その音楽を聴きながら、薄暗い未明の新宿の、饐えた臭いのする濡れた路上に立っていた。
命日だった
柄杓を手に取り、バケツの中の温い水中で、その天地を返し、少し軽さのマシになった柄杓を右手で持ち上げる。軽く背伸びをして、空中で柄杓をゆっくりとひっくり返すと、墓が濡れる。おばあちゃん、来ました、わたしだよ。
預言
あかんぼう達が
燃え盛る世の底をみつめ
目をすうっと細める
たさんたし
そんなのいやだとおもうから
ちょっとしかうまず
いや、むしろ
ぜったいうまない
それはできない
もううんでしまったし
うまれてきてしまったから
うむしかできなかったもの
たさんたし
たしたさん
たしざんでしかないきがしている
すべてのことがひきざんにつながると
いわれようが
たしたしたしたしたしたたたたたさん
けっきょくかんがえれなくなって たさん
そうですかとなっとくして たし
ばらんすとれていくから
まかせたまま
わたしはたさんたし
骸骨
自分が少しずつ
骸骨になっていく気がする
髪が抜けて
筋肉が落ちて
脂肪が溶けて流れて
骨になっていく
ある時までは
骨は太く育ち
自分は肉の塊だと考えていた
あるいは水のたまった袋だと
今は骸骨になっていく気がする
骨になっていく気がする
鏡を見るたびに
階段を登るたびに
咳をするたびに
泣きたいのに
涙が出ないときに
できるようになったこと
おかあさんになってから
できないことをきちんと
できないって
いえるようになりました
どんなときも
こどもは進化だと
だれかえらいひとが
いっていて
わたしははくしゅをおくりました
できるようになったこと
できないだらけのなかの
できるわたしを
しっかりたたせられるように
なりました
おかあさんってよばれて
おかあさんってだきつかれて
おかあさんってわらわれなかれおこられおどられ
おかあさんしかいないまいにちだったと
いわれてしまったから
できるようになったこと
できないだらけのわたしを
あいされあいされあいされあいされあいつくされ
あいせるようになりました
梅雨とメキシコ
六月雨の日
メキシコ産トウモロコシの
頸骨を認識し
きみは漁港の夕暮れを
手元の白い紙に
透かし見た
極彩色の砂漠って
素敵な詩人だわ
会って
ぼんやり
汗くさいパエリアを食べたいわね
きみは言って
六月雨の日
川の光をじっと見た
メキシコ産トウモロコシが
マーケットに並び
死地では
タイプライターが
鉄格子を描写していた
思い浮かぶメキシコは
叫ぶ男とソンブレロ
激しいリズムのマラカス部隊
雨のメキシコではない
手元の白い紙の
表情がわかる瞬間がある
きみがあくびをするときだ
痙攣的な旅行
のような
きみのあくび
六月雨の日
極彩色の砂漠
が書いた
銅板と
冷えてく言語の詩を読んだ
パエリアは固くなっていて
メキシコ産のトウモロコシも
入っていなかった
潮待ち
昼をひとつ越えるたび
船は少しだけ重力を増していく
机の上には
名前がわからない
小さな島があって
静かな木目の上で
潮待ちを続けている
船は材料を覚えている
刃の角度や
接着剤の乾く匂い
光を閉じ込める
透明な液体の癖も
ただ
体が丸まったまま
遠い冬の標本箱に
収められている
薄明の時間になると
胸骨の裏側で飼われている小鳥が
乱暴に羽ばたき始めて
その羽音は 誰にも聞こえない
一日の輪郭を、かろうじて
慰められながら、描く
何かを入れ忘れたパンを焼き
上等な肉を茹だった鍋へ放り込む
沈黙は病ではなく
季節の鉱脈なのかもしれない
眠りだけが
地表へ降る柔らかな積雪となり
思考の尖石を一本ずつ埋めていく
それでも夜になると
暗闇は不思議なくらい公平で
昼間あれほど暴れていた潮流は
月の引力を思い出したように
静かに岸へ戻っていく
私はこれを回復と呼ばない
ただ、 朝という獣が眠り
夜という植物が葉をひらく
その短いあいだだけ
船は呼吸の仕方を思い出す
扉はまだ閉じられている
しかし、 蝶番は錆びていない
誰にも見えないところで
木はゆっくりと年輪を増やし
火を失った窯は
灰の奥で 次の温度を待っている
完成とは
何かを作り上げた日のことではない
何も生まれなかった朝を幾度も抱きしめ
それでもなお
壊れずに待ち続けた者だけが知る
夜明けの名前
感じたすべて
感じたすべて
心に響いて
その心ごと
あなたの涙に
なって
いったらいいな
透明な心のなか
色づいて
あなたの言葉が
涙のように
陽射しのように
あたたかい
蜂時間
危機違い いや 危機間違い のまちがい
わたしの耳に記憶に 間違いがなければ
今 あなたが話したこと 蜂のこと
遠く 電波にのり 風のように やってきた
日付が変わり 夜が明けるころまでに
ろーどーする るーるする るーとをまわる
みつをあつめるため ぶんぶんとびまわる
あたりまえでしょ? 羽音がかすめた
あたりまえですか? 羽音がはげしい
日付が変わり 夜が明けるころまでに
すにもちかえり なかまたちとわけあい
じょーおーさまを みんなで おまもりする
命ある限りは ぶんぶんとびまわり
8の字がお好きなんですか? 針をさす
8の字は誰が決めましたか? 針を抜く
いよいよ 回り始めます どくどくと
あなたのそばにたしか アナウンサーがいた
わたしの耳に記憶に 間違いがなければ
アナウンサーは放棄していましたよ
お仲間であるなら蜂起がよろしいでしょうか
ほーそーじこ のような沈黙 が発生し
しかし箒が あっさり掃いてしまいました
そういえば あなたはたしか 雄 でした
ああ ぐるぐると ああ 目が回ります
針は そろそろ 4 から 5 へ
短い お付き合い でした みなさま
では また まだ 明けない夜 に
アンジュールは饒舌である
ただ一頭の犬をめぐる物語
人の気まぐれによりさまよう
白い紙に鉛筆で描かれた
アンジュールは饒舌だという
シュールな一冊の本とともに
私もめぐりつづけている
哀しみの後
散々傷付いて
散々泣いて
散々苦しんで
涙も
哀しみも
何も感じなくなった
幸せだった日々も
ただの苦痛に成り果てた
自分がこんなに弱い人間だと思い知らされた
ずっと強く生きてきた
ずっと耐えて生きてきた
それが…
たった一度の恋で全てが崩れた
愛がこんなに苦しく切なく狂おしいと
初めて知った
あなたが全て教えてくれた
愛も幸せも
苦しみも哀しみも
流す涙の意味も
あなたがいない今
哀しみの後には何もない
全てが闇へと消えていった
もうここにいる意味はない
だから…
何もない自分は
何もない世界へと旅立つ
交尾びより(こうび日和)
倉庫の横の
ベンチに座っていた
黄色い小花を茎のてっぺんで咲かせた
十字花科の雑草の群れが、目の前にあり
その周りを、十数羽のモンシロチョウが
飛んでいて
交尾しているのも、何組もいた
あと何日かしたら嵐が来るよ、と
天気予報は告げていて
空は曇っている
降りてくる
湿った光の中で
モンシロチョウの羽は
時々は黄色く、時々は緑に
紫色にも光り
やたら綺麗だなと思ったけど
もちろん白かった
見ていたら一羽が近づいてきて
私の指にキスして
また、草の上に戻った
プラハの桜
窓の外からプラハの音がする
かつて愛していた人や物も
眠たい砂鉄のように
廃屋に降り積もっている
少し押し込むと
そこで手触りは行き止まり
肉体は肉体たちのメニューとなり
旧市街地広場の石畳に
自由落下する
カルレ橋に向かう途中で
スラブ系の老人が笑いながら
トーヤマノキンサン、と
声をかけてくる
トーヤマノキンサンは
もう生きていない
子供の頃に見ていた
中村梅之助ももういない
昭和の終わりに、江戸の時代もまた
ひっそりと終わった
トーヤマノキンサン
トーヤマノキンサン
男の欠けた前歯の奥に
暗く澄んだ肉体がある
発せられる音や臭いは
この都市の堅く強靭な椅子に
座り続けることで刻まれた
皺のひとつだ
中庭の洗濯物を揺らし
路地を吹き抜ける風に消えていく
いくつもの皺のひとつ
ヴルタヴァ川を
重く低く流れる年月に
桜吹雪が舞い落ちる
窓を開けるとプラハの音は
あっけなく終わり、外にあるのは
日差しと湿気が
どこまでも果てしなく続く
この国の夏だ
終わらない夏に産まれ
終わらない夏に死んでいく
儚く、強かな命だ
トーヤマノキンサン
もういないよ
ヨルノマモノ
きょう、おれは月をかじった。
ミルクの味がした。
「ぜんぶかじられては困る」と、よだかが言うので
すこしばかりのこしてやった。
それから、星をつないであそんだ。
ひとつかふたつ落っことしてしまったが、
地上は明るいからだれも気づかないだろう。
おれは「さみしい」をしらない。
おれはずっとひとりだ。
ひとはよく「さみしい」と言う。
ひとは よわい。
きょうも、よるを越えられないやつを見た。
そのたびにおれのどこかがしくっと痛む。
おれは「さみしい」をしらないが
これがそうなのかもしれないと
思ったりもする。
もっとこのせかいをいっしょにあそびたかった。
そんなことを
思ったりもする。
[も]木琴の詩
サンバーストの木目を叩けば
せせらぎを濃縮した波動が耳へ
日常の中にあるはずのそれらは
どこを探しても見つからないや
ワビサビに盲従するわけでもなく
ドレミとかの二十四和音にフリィダム
手の内側から血流に乗って、くまなく行き届く酸素や音の栄養
抱えきれない波動は根を張った足から大地に轟く
静謐さよりも豪胆さが必要なエネルギーになる
祈りよりも衝動的な躍動さでふるまうこと
それがなによりも踊らせる秘訣なのさ
マレットで叩いた まろみある周波数で
内臓へ渦巻いた しとしと と 繋いで
時間的音叉の中にあなたに合うHzがある
そんな気がします。
痛快Ⅱ
痛快….それは、夏の水浴び
痛快….それは、朝のガラガラ
痛快….それは、雨のザーザー
痛快….それは、雷ゴーロゴロ
痛快….それは、涙ボーロボロ
痛快….それは、血がプシューッ
痛快….それは、虹がパアーッ
痛快….それは、女ゲーラゲラ
痛快….それは、ちんこモーリモリ
痛快….それは、うんこブーリブリ
痛快….それは、お肉コーリコリ
痛快….それは、ゲームスーイスイ
つまづいて、寝転んで立ち上がり、ヤー
押されて、反動の、勢いで、ドーン!
でも、でもネ
虐める人間にとって、虐められる人間がいることは、痛快なのかなあ?
他人を傷つけることで得る快感に妥当性が見られなくても、平気でいられる人もいる
締まりがなく、徳もなく、ふしだらで淫らな生活を送ることにも、痛快があるか?
木のようにキリリと聳え、山椒のようにピリリと辛く緊張感に富んで、うどんのようにコシのある
そういう色艶に富み、本当の笑顔の中にある曇りなき青空
それを私は『本物の痛快』と、呼びたい
排水溝の中にある歪んだ『イヒヒ』を生きる人の中にも痛快はあるだろうか?
僕が、笑う。神も、笑う
あめ あめ ふれふーれ
がくというものがなきゃ
よめないしを かきたくなかった
わたしに がくがないから ね
じかんをかけなきゃ
わからないしを かきたくなかった
わたしに じかんがないわけじゃないけど
ほら ほーら
らんどせる ぶんまわしながら
かえるこどもが うたうよな
そんな し かきたかった
たいふうが ふたつ ならんで
やってくる
うっとうしさに しかめつらしながらも
ちょこっと わくわくする きもち
なんだろね なんだろうな
しをかきたくなった
だれもが なんとなーく それとなーく
日記にすら
かきとめも しないようなことだろうから
仮定
片道5分とすこし
直線を移動する雨
目的地は知らされず
降りる場所も知らされず
いきなり宙に
放り投げられ
始まる旅
灰色のバスは
不親切なぶっきらぼう
たくさんの乗客を一斉に
降ろし始め
僕が最後
復路など無いと
知らされた
2メートル
薄灰色のバスを睨み
側溝で散る
母になるきみ
大きくなり始めたお腹を撫でながら
ちっともつわりがおさまらないのと
もう母の顔で笑うきみがまぶしくて
きみがしあわせでいてくれるように
きみとそのちいさないのちのために
世界中のタオルケットをかき集めて
たったひとつの傷もつかないように
すべて包み込んで守りたいと思った
せめて無事に生まれくるその日まで
寄席
頭の奥の
出囃子が
りんかいを
越えて
踊ってる
ばけるもの
ちかくを
たべて
とおくに
ゆけるのだね
うなずけばうなずくほど 正解が
あなたに
たべられてしまいそうだ
コント原稿 セイケン
「あれ? ここどこだ? 足を滑ららせて階段から落っこちたと思ったら」
「来ましたね! 勇者よ!」
「え、俺勇者? あ、もしかして異世界転移で勇者として活躍できるってこと?」
「さようでございます。私は神です。私の世界で活躍してほしいのです。それではセイケンをあなたにお渡しいたします」
「よっしゃ! さっそく聖剣をゲットだ!」
「まず、目を閉じてください」
「ああ、どんな剣なのかな」
「手をお伸ばし下さい」
「魔法が掛かっていたりするのかな」
「手のひらを上に」
「凄い切れ味だったりとか」
「小指から薬指、中指、人差し指から握って下さい」
「楽しみだなぁ」
「親指は人差し指と中指にかけ硬く握りしめて下さい」
「おお、思ったより軽いぞ!」
「半身でしっかりと腰を引いて、勢いよく突き出すのです!」
「エイ! エイ! エイ!!」
「これがセイケンです! さあ、お行きなさい!」
「って、正拳じゃねーかぁぁぁ!!」
「正しい拳ですよ! これを超える武器があるというんですか!」
「素手じゃねーか! 活躍できるか!」
「空手ですよ!!」
「空手だけどさ! 格闘技経験ないから、文字通りの空っぽの手だよ! 何もできねーよ!」
「かの有名な森の賢者が作り上げし、立派な武器なのですよ!」
「森の賢者? 本当かよ」
「はい、オラ・ウー譚という高名なる賢者がですね」
「オラウータンじゃねーか!」
「オラウータンのロープの握り方がこの正拳の握り方と同じなのですよ!」
「知らねーよ!」
「柔道の袖の握り方も一緒です!」
「だからどうした!」
「オラウータンの進化と空手家と柔道家の研究がまさかの一致! ならば正拳を超える武器はない言って過言では」
「過言だよ!」
「正論では」
「違うよ!」
「正気では」
「本音言ったな! オイ」
「参考文献 北の動物園できいた12のお話 旭山動物園物語 角川ソフィア文庫ですよ!」
「メタいな!」
「ちゃんとした武器をくれよ! 活躍してほしいんならさ!」
「仕方ありません。ABCから始める武器をお渡しいたします」
「ABCか。まあ基礎から武器の使い方を学ぶのが正しいか。素手よりマシだし」
「AすなわちAtomic weapons 核兵器 BすなわちBiological weapons 生物兵器 CすなわちChemical weapons 化学兵器。
さあ、これで世界を殲滅するのです!」
「極端すぎるわ!」
「さあ、行くのです!」
「行けるか! もういいよ!!」
採れたての朝
折れ曲がった朝が
テーブルに並べられる
香りがゆっくりと立ちのぼり
眠っていた記憶を呼び起こす
採れたての朝を
一口ずつ味わうように
身体の奥へと落としていく
グラスを傾けて
庭の向こうを見ると
山々が静かに揺れている
その隙間を抜けて
やわらかな風が届く
いつしか
まっすぐな朝が
私の中で整っていく
ビリジアン
朝目覚めると窓の外は緑だった
あわてて起きた
甘いりんごジュースを飲んだ
サンダルに履き替えた
散々車を走らせた
目的地が途中で消えた
知らない山道に
崩れた廃屋がいっぱいあった
白樺以外は全部緑色だった
自由落下
うん、寝転んで。
そう、そのまま、視線を。
雨は 湧き上がる。
空に 落ちる。
もう、しばらくは このままで。
2026/6/20 15:31
みかづき
ゆうがたになると あらわれる
ちいさいあんよの まるいゆびさき
すこしくねって かおはひだりにかたむく
わたしのいえのまどに あらわれたしあわせ
きみがいることで なぜかしあわせなきもちになる
よるになると いえのあかりをわけあう
やわらかそうな かわいいやもり
しっぽがくるり みかづきのようなからだ
わたしといっしょにいてくれるしあわせ