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2021/01/01 12:00:00

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投稿作品一覧

CWS怪談会 果ての二十日

 おれは、信じない。
 信じたくない。信じられないし、信じたいと思わない。
 京の罪人は、毎年師走二十日に処刑執行が為される。これは六角獄舎の慣例で、京わらべはこの日を〈果の二十日〉と呼んで恐れた。恐れるのは、意味がある。
「罪人かて、死ぬのん、こわいやろ。そんで人をみたら、ついてきてゆうんや」
 娘たちは特に恐がった。
「いいなづけや、ついてきて」
「いもと、ついてきて」
「姉さん、ついてきてや」
と、道連れを求める。京わらべは家に引き籠もり、引き回しを見物しようとは決してしなかった。見物するのは、決まって余所者だ。
 その日は、おれの捕縛した長州の浪人が引き回しされる。たまたまだ、たまたま、見てしまったのだ。
「みぶろや」
 だれ彼の言葉に、並んで橋を渡る罪人たちが、一斉に顔を上げた。そのなかに、あの浪人がいた。
「お前のおかげで、この様だ。いいか、このままで済むと思うなよ。祟ってやるからな」
 浪人は明瞭な大声で、おれに向かって叫んだのだ。おれと一緒の平隊士たちも、これには胆を潰した。おれがいちばんゾッとしたよ。酒でも飲まなければ、やってらんねえ。
 居酒屋のババア、ハッキリと云いやがった。
「果ての二十日やわ。それ、当たります」
「はあ?」
「ゆわれたもんは、つれてかれる」
「うそだろ」
「あんたはん、壬生狼ですさかい、ぎょうさん恨みを買うてはるの違いますか?」
 大きなお世話だ。
 おれは信じないよ。信じてたまるか。まだ、生きてやりたいことがたくさんある。迷信なんか、信じない。信じないぞ。
 屯所に帰ると、何かが騒がしかった。
「君の仕業のようだね」
 おれの組を仕切る沖田総司がやってきて、ぼそりと呟いた。何か不祥事があったようだが、それが、おれに所為ということになっていた。
「知りません」
 おれの言葉が、誰も信じて貰えない。
「士道不覚悟だな」
 副長の土方歳三が、恐い目でおれを睨む。
「法度に背いた者は、切腹だ」
 局長の近藤勇が、大きな声でおれに宣言した。
「私は何も知りません。これは間違いです。何かの間違いです!」
「連れていけ」
「いやだぁぁぁぁ!」

 気がついたら、まだ夜も明けきれぬ闇夜の臥所だった。ああ、いやな夢をみたものだ。寝汗でぐっしょりだし、妙に蒸す。夏の京の夜は、これだからな。
 と、耳元で浪人の声がする。
「夢じゃないよ」
 毎夜のように、日付の変わる前に聞く幻聴。おれは、気を失うように、深い眠りに落ちていった。

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鯨についてのプロット

鯨、の始まり↓
折り畳み傘を再び開くと昨日の、雨のしずくが、温く残っていた。水滴に、海の要素が、残っているのならば、鯨の成分も溶けている。ある季節に海岸は、異性と躱す夜の冗談だった。遠くの海では鯨による、真実の嚥下があった。貝殻の表面の筋が、等高線のつづきになっていく。波音は、動物の骸をもとめて、安定する事がなかった。


鯨の誕生↓
鯨を、練る。誤作動をおこす精神から、虐待への渇望をふと、目覚めさせないように。そうして新しい鯨が、菩提樹の下で、静かな産声をあげる。体内に、鍾乳洞を育んでいて、重力が逆さまに使われている。この湿らせた穴のなかでは、小さな惑星がたえず滴り、浸食をつづけて、不定形のまま完全となる。土壌と海面が一続きになりついに、入り江から鯨が漕ぎ出すとき、自分の骨を、溶かしながら泳いでしまうことを知る。鯨は、産まれながらにして死後の、腐乱した物語まで見据えている。


鯨の生存↓
地球上の水平線を、たえず胃袋に入れていった。水平線は、今の輪郭へ過去が追い付くのを待つように在りつづけた。鯨が呑み込んでいたものは、鯨の消化からのがれた以前であり、以前のそのあとを、鯨は泳いだ。現在の鯨が、ただ在る、というだけのことも、鯨にとっては、嘘であるという一方的な、疑問を抱かれている。連続する現在に、永遠に追いつかない鯨は、水平線に古代を、吐瀉し続ける。

鯨の、吐瀉物でできた鯨が寄港する。自分から少しずつはみ出した鯨をまた、吸収しながら目的地に、透明が迫る。時間、が訪れる前に、定まらないかたちを、海面に現れ出ないようにして、自らの身体の大きささえ、類推できなくなってしまっている。打ち上げられる死に方を希求すると鯨は、砕かれた惑星の一部として海岸に、塗り固められてしまう。

つまり鯨は、地球の余白だった。何度も現在に殺されながら曖昧と、友人になった。死後、捌かれた肉片のそれぞれが、海の記憶を繋ぎ止めてくれていた。地球の根元に、そのものを置き忘れ、鯨の叙情が乾燥しないように、海中での授乳を秘密にした。自分の死に、薄い関心をよせて徐々に、身体に海中を潜ませようとする。


鯨の出産↓
鯨が、水の、胎児を孕む。海中に、例外を赦す場所を探していた。乱視であることを諦めて、不意、という様子がない。生物として、生きることの矛盾を伝えるただの、図鑑かもしれなかった。膨らませた腹の中に、散文が綴られていて、羊水が揺れる度に一文の、主格が入れ替わると、 次第に胎児の体液が、神経の通った詩にかわる。そうして、憎しみ、という感情が、水に浮くから、鯨の胎児は、だれかの復讐にむかって、海面をすすみ成長する。


鯨の死↓
鯨はものがたりを、生きながらにして終えているので自分を、あとがき、に書き換えている。完結したものを、すべて途中に変えながら、新たに書き出された一文で鯨は、結論から逃げ続けてしまう。病弱な魂の存在であることを、胃袋に隠しながら、強い波を起こしている。鯨の到達には、他の生き物の、食べ滓と軽蔑が残っていた。


鯨、の結論↓
鯨は、人の網膜のままに、海に広がっていたし、鯨の内臓は、大陸の地図だった。砂浜に、鯨が打ち上げられると、海辺の地形が変わってしまう。だから鯨は胃に、鯨を飼い、鯨を完了させようとしたが鯨の、身体だけでは、この世の結論ではなかった。ディキンスンの詩の何篇かを呑み込んでいる人のように、自分が所有する死を、取り込みながら蓄積させないと、鯨にはなれなかった。

鯨は、この世の余白も含めて、鯨だった。結局、鯨をみたものはおらず、鯨擬きでしかなかった。擬きは腹に、海を飼おうとして、海中を吐いたり呑んだりしていた。そのうち自分自身が海の一部であることを、忘れて自分ごと呑み込んでしまうと、あとには海中が本当の鯨を、吐き出して誰にもみられずに、鯨擬きの要素が混じった海に隠し通される。

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銀箔の午前四時

銀箔の午前四時

月の視線は緩やかに
星の微声は穏やかに
揺り籠のような そのあわい

銀紗を纏い 踊るわたし
夜を覆う この銀箔の
その舞台の端 薄明を覗く

舞い踊る時もう僅か
夜風は息を止め 朝凪が包む

最後の星は 東雲の杯に沈む
銀箔はさらさらと粉雪の如く
レースのわたしとともに吹き上がり

そしてまた舞台は変わる
絹の衣装は朝日に溶けゆき
その光の中で 次の銀箔の種となる

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風祓

風祓

陽は落ちて
あわい鈴の音
増し響き
沈む夏の香
夕風祓う

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ヴィヨンの妻

あなたは詩人の妻になるのだから
贅沢を望んではなりません
僕を愛せないのなら
山を愛して構いません
海を愛して構いません
僕を信じられないのなら
星を信じて構いません
夕焼けの空を信じて構いません

あなたは詩人の妻になるのだから
言葉に厳しくあってほしい
私の書いた詩を
読まないでほしい
もしくは興味を持たなくていい
あなたは、独りの夜に
泣いたって構わない
僕は何処かで酒を飲む
幼子がいれば
二人静に眠ればいい
僕は何処かで歌っている
あなたは詩人の妻になるのだから
いつでも涙を流して構わない
僕の胸をいくら叩いたって
構わない
酒の肴を工夫して
幼子を膝に抱き
快活に笑って
日々の生活というものを
細やかに作ってくれ
僕は詩人であるから、 
きっと死ぬまで
ほんとのことは言わない
美しい詩を書きたい
嘘つきと言われても構わない
リチウムを飲み続けても
眠れなくても
時々すべてが嫌になっても
全く構わない
君と出会えて良かった、とか
君のことを生涯愛している、とか
そんな言葉は口にしない

あなたは詩人の妻になるのだから
どうか覚悟をしていてほしい
格闘する人間の隣りにいて
浴びたくもない火の粉
儘ならぬ亭主
一体自分は何のために存在するのか
とか、そんなことを
考える日が来ることを
望まないでほしい

あなたは詩人の妻になるのだから
詩人とともに歩み
朽ち果てることを恐れてはならない
いつか、かけがえのない言葉で
この世にただ一つの詩を
あなたに贈りたいから
楽しみにしていてほしい
僕にできるのはそれだけだ
たった、それだけだから

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10月32日午前7時25分

朝、コーヒーを注ぐ音で鳥は目を覚ます
雲一つない晴れ空、網戸から抜ける冷たい空気
朝を喜ぶ水の群れ
顔を洗い、燃える太陽に整髪料を付けた
歯磨き粉のミント薫る街を駆けて

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CWS怪談会 かいだん

「いつ、始まったの?」
と誰も聞きはしないし、
「どんな、ルール?」
誰も答えてはくれないようなのです。
しぶしぶ、検索をしてみると、
ただ、だだ連なっているだけの「怪談」たち。

夏だから?という理由で、
熱に浮かされたように
感染していく。

気がついたら、
誰もが必死に「書き手」になろうと
している。

「ねえ、アナタ!!」
呼びかけられるまで、
ハッと気付き、目を覚ますまで、
目が血眼になるほど追い、指先は痺れるくらいの勢いで走っていた。

「何を夢中で、読んでるの?」
あ、あ、あゝ。
「違うんだ、、、」

画面を除き込んだ妻が笑い出す
「そのかいだんは登り続けていくしかない
逃げられようのない舞台
誰もが逃れないことに気付いていない
これこそ、怪談会。
かいだん、怪談会、階段のぼる
おりられない おれたちはモノカキ」
フザケてるの?ナニコレぇと
涙をぬぐいながら
笑い転げる。

いやいやいやいや、わかってない。
やっぱり誰もきづいてない。

CWS怪談会
終わりもなきゃ始まりもない
気がついたら語り出す
書き出してしまう、、。

ほら、、あなたも

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ほむらはわたし

恋をすると食道が焼けて
火喰い鳥の住む
遥か高い木の上で
鳥葬にされる
九歳の私の恋と
今の私の恋の何が違うのか
膨らみかけた胸は
変化の途中
それは尊かったのだ
羽化を止めるものは
誰も許されない

赤い火
青い火
紫の火
劫火は
振り返っても塩にもしてくれず
黒い鳥が頭上に
円を描いている
筆入れのカッターの刃も
赤く焼けている
あんなに嫌だった厚い制服も
もう灰になる
ただ彼の魂を望んだだけで
この始末
今あなたの冷たい心臓が欲しい

火喰い鳥が私を見つめる
その首を落としてもまだ
私は恋をしている
雨でも消えない炎が
あなたに傘を差し掛ける

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黒き子(漆黒の幻想小説コンテスト)

 ここに『黒血呪典』と呼ばれる書がある。
 そこには秘法<魂蝕転誓>の技法と、その行使により誕生した<黒き子>の顛末が記されている。

 魂蝕転誓。

 それは死せる者、あるいは仮死の者に再び息を与える禁術である。
 これを創りしは、妖魔の導師<ギルスダイ>。
 生と死の境を越えんとした彼は、遂に神々を欺く呪術を紡いだ。
 されど、その才は驕慢と執念に蝕まれ、魂を縛る業へと堕落していた。

「さぁ! 捧げるのだ!」

 師の号令に応じ、狂信の弟子三名は自らの喉を刃で裂いた。
 溢れた血と魂は黒き光へと転じ、魔法陣の中心に横たわる白骨を呑み込む。
 この術を成すには三名の命を贄とせねばならず、その命が強大であるほど、術はより完全な姿を与える。
 白骨はやがて黒く輝き、肉を得、白き肢体と艶やかな黒髪を奔流のごとく垂らした。

「甦れ!ネメシアよ!」

 ネメシア。
 魔の国において反乱を企て、国を震撼させた女剣士の名。
 妖艶にして強靭、一騎当千の力を誇り、戦場を微笑とともに血で染めた。
 しかし、反乱は失敗して処刑されたという。

「美しい……まるで私のために甦ったかのようだ」

 その姿は美しくも、死より冷ややかだった。
 欲望の笑みを浮かべるギルスダイに、ネメシアは傀儡のように沈黙する。
 ――彼女にまだ意志は芽生えていない。

「私と共に国を揺るがすのだ!」

 ギルスダイはネメシアの蒼白の胸に掌を押し当てた。
 そこに刻まれしは蛇を模した呪縛の紋章であった。

「私の才と貴女の力があれば、神々の理すら覆し、新たなる時代を創れる!」

 かくして、ギルスダイは軍を組織し、ネメシアをその先陣に据えた。
 彼女の剣が振るわれる度に、数多の兵は屍と化し、諸侯の城は次々に陥落。
 魔の国全土を掌握し、彼は支配者として君臨するに至った。

「私は王となった。なぁネメシア、貴女を后として――」

 その声が玉座に響いた瞬間、黒刃がギルスダイの胸を貫いた。
 王の座を得た男の胸からは鮮血が溢れ、場を朱に染めた。

「私は貴様の人形ではない」

 その一閃は、ネメシアが初めて示した自由意志。
 彼女は創造主を討ち、王国の栄華を血に沈めたのである。
 その後、彼女は城に火を放ち、炎と煙の中に姿を消したとされる。
 彼女の行方を知る者はなく、黒き子の名のみが後世に語り継がれた。

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フェルニアスの剣

 古より伝わる白鋼の剣がある。
 その剣は白絞色の刃軸を持ち、月の光に射されるたび、凝りつくことなき光の緋箔を放ったという。
 その剣は無名ではあったが、ある時から<フェルニアスの剣>と呼ばれるようになった。
 名の由来は白銀の體を持つ<人狼フェルニアスの骨>より生み出されたことによる。

 フェルニアスの骨は神秘と力の象徴とされていた。
 その骨はただ硬いだけではなく、鋼よりも優れた柔軟性を持ち、鍛冶師の手によって容易に加工が可能だったと言われている。
 この性質は通常の金属では不可能な強度としなやかさを兼ね備えた武具を作り出すために理想的であり、古代の鍛冶師達の間でも特に貴重視されていた。

 そんな曰く付きの<フェルニアスの剣>であるが、伝承では王国ピュリタニアにある隠れ里<モーンリス>に存在すると言われている。
 その威力は凄まじく、魔獣の固い肉を斬り、龍の骨を断ち、鉄を容易く裂くと伝わる。
 この剣の持ち主は太古の鍛冶師であり、各地で魔獣退治を行ったとされる小さな英雄<アグナス>。

 最近発見された歴史書の記録では彼は実在の人物で、銀灰色の髪を持つことから<灰月の鍛冶師>と呼ばれていた。
 記録ではこのアグナスという男は孤独だったという。
 幼少期、彼は鍛冶師オリンに育てられたが母の記憶はない。

 母はアグナスが生まれて間もなく流行り病により亡くなり、彼はオリンにより男手一つで育てられた。
 父オリンは無口で厳格な人物で、幼いアグナスに容赦なく鍛冶の技法を叩き込んだ――それは父としての愛情、息子に生きる術を与えるためであった。

「アグナス、最初にしては上出来だ」

 アグナスが最初に作り上げた剣は幼い手の中で何度も形を変え、やがてひとつの形を成した。
 その剣は粗削りではあったが、どこか不思議な輝きを宿していた。
 オリンはそれを見て初めて微笑み、「お前は剣に魂を込める男になるだろう」と呟いた。

 しかし、運命は彼ら親子を過酷な試練へと導いた。
 ある夜、鍛冶場の火が消える前に、闇にまぎれて現れた一団がいた。
 その者達は銀の毛で覆われた人狼の集団で鋭い牙と金色の瞳を輝かせていた――。
 人狼達は「フェルニアスの一族」と名乗った。彼らはオリンを取り囲むと、激しい怒りをぶつけるように声を上げる。

「人間よ、禁忌を犯したな! 何故、我が愛するルナリエを安寧なる<モーンリス>へと弔わなかった!」

 その言葉にアグナスは何が起きているのか理解できなかった。
 震える膝を抱えながら、アグナスはただじっと耳を澄ませていた。  
 父の声が途切れるたびに、不安が胸の奥を締め付ける。  

「神さま……お願いです……父さんを助けて下さい……どうか……」

 小さな手が祈りの手を形作る。
 怒号と唸り声の渦の中で、言葉の意味も掴めず、ただ父が何かを失おうとしていることだけが、皮膚の奥で理解されていく。  
 息を殺しながらも、涙は止めようがなかった。
 <モーンリス>とはどこなのか、この怪物達は何故父のことを知っているのか、疑問を持ちながら暗い床下に隠れ、息をひそめ、床板の隙間から覗き聞いていた。

「お前達の掟は理解はするが――」

 幼きアグナスが隠れることが出来たのは、オリンが鍛冶場の異変を先に察知したからである。
 鍛冶場の周囲に漂う不穏な気配、遠くから聞こえてくる低い唸り声。
 何かを秘匿とする彼の直感が、夜の危険を確信させ、愛する息子を匿うことが出来たのだ。

「禁忌だと? それが何だというのだ?」

 オリンの声は静かだったが、その底には揺るぎない意志があった。

「愛しいものの遺骨を使い、剣を鍛えた。それの何が問題だというのか。あれはルナリエ自身の願いでもある――になりたいという想いだ」

 それは誰にも理解されぬ願いかもしれない。  
 だが、ルナリエは確かに語っていた――「形を変えても、あなたの傍にいたい」と。  
 オリンの独白は、まるで遠い昔の誓いを反芻するようであった。
 途中、アグナスは父の声は全く聞こえなかった。
 恐怖もあるが、人狼達の唸り声により書き消されてしまったのである。

「私は後悔していない」

 オリンの言葉を聞いた瞬間、人狼達は一斉に吠えた。
 その声は、怒りと悲しみ、そして憎悪が混じり合ったものだった。
 その吠え声は鍛冶場を震わせ、火床の赤い炎が揺らめき影を踊らせた。
 暫くして、父オリンの断末魔が聞こえた――。

「父さん!」

 音が消え、沈黙が訪れた。
 どうやら恐るべき人狼達は去って行ったようだ。
 何もないことを確認したアグナスは床下から這い出ると、即座に変わり果てた父の姿を発見した。
 体中は鋭い爪で切り裂かれ血まみれとなり、息も絶え絶えとなっていた。

「アグナス、父の願いを聞け――お前は打ちかけの剣があることを知っておろう」

 オリンの声はかすれて弱々しかったが、その中には確かな決意があった。
 彼の手は震えながら鍛冶台の方向を指していた。
 その先には未完成の剣が置かれている。
 この剣はアグナスが物心ついたときより打たれているも未完成品だった。
 未完成品ではあるが、その刀身からは淡い光が脈動しており、まるで命を持つかのように鼓動を刻んでいるようだった。
 
 父が息を引き取った瞬間、剣の脈動がわずかに強くなった気がした。  
 まるで、オリンの最後の鼓動がそのまま鋼に刻み込まれたかのように――。  
 アグナスはその震えを感じ、剣に手を伸ばした。

「この剣は――お前が完成させるのだ――それがルナリエの魂との約束――」

 その言葉を残すと、オリンは息を引き取った。
 ルナリエとは何者なのかはわからないが、冷たい父の手を握り、アグナスは決意する。
 この未完成品の剣を完成させようと、また父の仇を討とうという漆黒の炎を胸に燃やすことに――。

***

 ――幾年かの時を経た。

 アグナスは天涯孤独となったが、父オリンから受け継いだ鍛冶の技術を頼りに各村々を渡り歩き、鍛冶仕事や雑用をこなしながら生計を立てて生き延びた。
 その過酷な日々の中でも、経験を重ねるたびに生きる力を磨き上げ、試練を乗り越え屈強な肉体と鋭い洞察力を持つ青年へと成長していった。
 その背には幾多の苦難と試練を越えてきた者の孤高の気配が漂い、その目には己の運命を切り開こうとする強い決意が宿っている。

 彼の腰には無名の剣が携えられている。
 それは白鋼の輝きを持ちながらも、完成には程遠い未完成の剣だった。
 この剣は父が遺した唯一の形見であり、未だに刀身には打ち跡が残り、鍛造の途中で止まったかのような不完全さを抱えている。
 だが、その剣はまるでアグナスと運命を共にするかのように、彼の手の中で弱々しくも光の脈動を繰り返していた。アグナスにとってそれは単なる武器ではなく、父の想いが宿る分身そのものだった。

「剣に魂を込める男になるだろう」

 かつて父オリンが言った言葉はアグナスの胸に深く刻まれている。
 彼は剣を完成させるため――父の仇を討つため――旅に出ていたのだ。
 それは父の遺志を継ぎ、ルナリエという謎の存在にまつわる真実を探し求める旅でもあった。
 アグナスの旅は幾多の困難と試練に満ちていた。

 道中、アグナスは古びた鍛冶場を訪ね歩き、各地の名高い鍛冶師達と交流した。
 彼らの中には剣の完成に必要な技術を教える者もいれば、未完成の剣の真価を恐れ、それに触れることすら拒む者もいた。
 また各地の名だたる剣士や拳闘家に戦う術を学び、戦闘の技術を磨き続けた。

 旅の金策は磨いた鍛冶師としての腕を活かし、各地の町や村で剣や防具を打つ仕事を請け負った。
 その技術は旅の中でさらに磨かれ、彼が作り上げる武具は常に評判となり、依頼人達から信頼を得ることが出来た。

 時には彼自身が討伐者として深い森や洞窟などの迷宮に赴くこともあり、魔獣討伐や盗賊退治などを通じて資金を稼ぎつつ、自身の戦闘技術を実戦で鍛え上げていった。
 アグナスはいつしか<灰月の鍛冶師>と呼ばれ、名声を高めており、この頃には剣は完成の域に達していた――。

 そして、ついに<ピュリタニア>という国を訪れたときである。
 この地において<モーンリス>という人狼の一族が住む隠れ里があるという噂を耳にした。
 その隠れ里は王国の東部<タイダルクレスト>の山々の奥深くに密かに佇んでいるという。

「<モーンリス>……父を殺したあいつらはそう言っていた。然らばヤツらは……」

 この人狼の一族は人間を極度に恐れていた。
 その白銀の體と持つ力故に古来より人間達に狙われてきたからだ。
 彼らの骨や毛皮は希少な素材として高値で取引され、一族は長きにわたり迫害と戦いを余儀なくされていたという。

 時に彼らは人間の姿を借りることで生き延びようとしたが、やがて人間の欲望のために厳しい自然の地に追いやられたと伝承があった。
 その追いやられた地が<モーンリス>であるという。
 今では並みの人間では入り込めないほどの険しい自然の難所とされている。
 危険な場所ではあるがアグナスは確信した、父の仇はそこにいるのではと――。

「……お前も感じているんだろ? 近づいてる、この剣の意味に。だからこそ……研ぐ必要があるのかもしれない」

 覚悟と決意を固めたアグナスは、ピュリタニアの研師《とぎし》を尋ねた。
 名はバルハという老人で、ピュリタニアで最も名高い研師だという――。

「ほう……若いが目が座っているな。あんたが噂の灰月の鍛冶師か」
「俺の名前を、どうして知っている?」
「研ぎ屋は耳が商売でね。灰月の鍛冶師がピュリタニアに来たって話は、鍛冶屋仲間の酒の肴になってたよ」
「余計なことまで広まってなければいいが……」
「安心しな、あんたが酒に弱いとか、剣に話しかける癖があるとかは聞いとらん」

 バルハは長年に渡り剣や防具の研磨を手掛け、多くの戦士や貴族達から信頼を得ていた人物である。
 アグナスは彼を訪ね、どんな凶暴な魔獣や野盗に襲われても対処できるように自身が持つ剣を差し出した。

「研ぎが必要かどうか、判断して欲しい」
「ふむ、ずいぶん控えめな言い方だな」
「俺の判断じゃ、足りないと思っただけだ」
「腕も目もあるが……自分に厳しいな、あんた」

 刀身は美しい月光のような輝きを放っている。
 バルハは剣の刀身を宝玉でも見るかのように眺めていた。

「これは……珍しい剣だな。その刀身はただの鋼ではない。いやこれは……」
「どうした?」
「何でもない。それより、これを作ったのはあんたかい?」
「俺ではない。同じ鍛冶師であった父オリンが遺したものだ」

 バルハはそっと太い指で剣を握り、その重みと刀身の質感を確かめるようにしばらく沈黙していた。
 彼の瞳には剣の輝きが映り込み、まるでそれが一種の神秘的な儀式用いる神器であるかのように映っていた。
 暫くして、バルハは慎重な口調で言葉を紡いだ。

「この剣を研ぐ必要はないだろう」
「必要はないだと?」
「おうさ、そもそもこいつは刃こぼれもしていないし、刀身には既に驚異的な力が宿っている。この剣は普通の武具ではない――何故俺のところに持ってきたんだい」

 アグナスはその問いに答えることは出来なかった。
 この父が残した剣はこれまでの戦いで幾度か使用してきたが、どんなに固い魔物の肉であろうが、鱗であろうが斬っても刃こぼれ一つしたことがない。
 それを何故わざわざ研師のところに持ち込んできたのか……それは長年に渡り蓄積した父殺しの人狼達への復讐心から来る焦燥感と、不確かな未来から来る迷いからである。
 アグナスは剣を見つめながら静かに答えた。

「この剣は俺自身の運命を繋ぐ鍵であると思っている。だが、それが完全に正しい道なのかは確信が持てないのだ」

 運命を繋ぐ鍵。
 実のところアグナスはこの剣に父の秘密が隠されているのではないかと思い始めていた。
 アグナスがそう考える理由は、この剣がただの武器としては明らかに異質な存在だったからだ。
 父オリンがその剣を鍛える際、夜な夜な何かに語りかけるように作業を続けていたのを幼い頃に目撃した記憶がある。
 その時の父の背中はどこか重苦しく、そして何かを守り抜こうとするような意志が感じられたのだ。
 また、理由が他にもあった――それはあの父が殺された日に人狼達に言った言葉である。

 ――愛しいものの遺骨を使い、剣を鍛えた。

 その意味から察するに、この剣は何かの骨を使い鍛え上げた代物であるということだ。
 ピュリタニアの地では、かつて人狼の骨を使用した武具の製造をしていたという話が残っているが、時の王により外法として禁止されたという。
 もし、その技法が今でも伝わっていたら――素材に人狼の骨を使用していたと仮定するならば――父が人狼達に突然襲われ、惨殺された理由はこの剣にあるかもしれないと思ったからである。

「運命を繋ぐ鍵か……ふむ、なるほどね」

 バルハはその言葉に深く頷きながら、アグナスに向けて慎重に語りかけた。

「お前さんはそこらの英雄気取りのゴロツキとは違い、自分の行動がどれだけの意味を持つのかを理解しているようだな。年寄りの俺から言えることはお前は覚悟を持ち、自分の進む道を信じることさ」

 その言葉がアグナスの胸に深く響いた。

「すまなかったな、その剣は研ぐ必要がない代物だった――俺は少しばかり臆病で慎重になっていたのかもしれない」
「気にするな<灰月の鍛冶師>よ――神のご加護があらんことを」
「そちらもな、研師バルハよ」

 彼は剣を見つめ直し、父の遺志、ルナリエという名に秘められた謎――また人狼達への復讐の炎を新たに燃え上がらせるのであった。
 だが、アグナスの心中に曇り、ざわめきが残っていた――それは剣に秘められた真実が、ただ父の遺志や人狼たちへの復讐に留まらず、もっと大きな何かを抱えているのではないかという予感である。

 アグナスは、剣を通して聞こえるような気がする微かな響きを思い返していた。
 それは時に彼を励まし、また時に惑わせるような不思議なものだった。その響きが何を意味するのかは、彼にはまだわからない。
 ただ確かなのは、この剣が単なる武器ではなく、父オリンやルナリエという存在、そしてフェルニアスの一族と深く関わっていることだった。

***

 ピュリタニアの東部に位置する難山タイダルクレストは、切り立つ崖と深い森が連なり、かつて誰もがその険しさに心を挫かれたと言われる。山道にはいくつもの仕掛けがあり、魔獣や魔竜が獲物を狙い、迷い込んだ登山者達が命を落としてきた場所であった。

「<モーンリス>はここのどこかにある……」

 アグナスは険しいタイダルクレストの山中深くまで足を踏み入れていた。ここに人狼の一族が住む隠れ里がある――だがどこにあるかはわからない。これまで多くの冒険家を偽る密猟者が入り込んでいったが、這う這うの体で帰るか、そのまま遭難して死に至るしかなかった。

「何かを知ることができるかもしれない。不思議とそんな気がしてならない」

 腰に帯びた白鋼の剣に手を触れた。その刀身は相変わらず淡い光を脈動させ、まるで導き手のように鼓動している。アグナスの心には微かな恐れもあったが、それ以上に進むべき道を信じる確固たる意志があった。それに何故か不思議で懐かしい感じがする。

「この感覚は何だ……」

 アグナスは摩訶不思議な気持ちになるも険しい山中を進み続ける――すると周囲の霧が次第に濃くなり、視界を遮った。霧の中からは低く唸るような音が聞こえ、それが魔物の気配であることを彼はすぐに察した。

「何かが来る」

 腰から剣を抜き警戒する。鋭い聴覚を頼りに、周囲の音を慎重に聞き分ける。そのときだ、霧の中から現れたのは人のような姿をした影が現れた。しかし、次第に近づくにつれてその影が獣じみた輪郭を持っていることが明らかになった。銀色の毛が霧の中で輝き、黄金色の瞳が暗闇を切り裂くように輝いている。

「一人でこの地に足を踏み入れるとは、命知らずなことだな」

 現れたのは齢四十半ばの人間であった。アグナスとよく似た髪の色をしているが、鮮やかな銀色に輝いており、神話の時代を記した伝記に登場する人物のような威厳をまとっていた。しかし、服装はボロの装いでもあり、どこかこの地の険しさを象徴するような姿だった。

 彼の体は堂々としており、人間の姿でありながら、どこか獣じみた威圧感を放っている。その目には鋭い黄金色の光が宿り、まるで相手の本質を見抜くかのようにアグナスを見つめていた。

「私はこの地の者でザラストラ、フェルニアスの血を引く者の一人だ」
「フェルニアス!」

 アグナスは身構えた。目の前にするこの男がフェルニアス――人狼の一族であるというのだ。おそらくは彼らが持つ擬態、変身の類の能力を用いて人の姿をまとっているのだろう。

「人間よ……お前が恐がらぬよう今は同じ姿をしている」

 ザラストラと名乗った男は静かに述べ、アグナスの持つ剣をじっと眺めていた。彼は黄金の瞳を持ち、アグナスの腰に帯びた白鋼の剣に鋭く注がれる。その視線にはただの興味ではない。深い怒りと哀しみ、そして愛情が入り混じっているようだった。

「その剣……それが我が妹のルナリエの骨で作られた剣か」
「どういうことだ」
「魂の声でわかる。そうか、お前が鍛冶師オリンの息子か」

 アグナスは剣を握る手に力を込めながら、目の前の男――ザラストラの言葉に耳を傾けた。

「父を知っているのか」
「よく知っている。彼奴は旅の鍛冶師として、また密猟者として、この世で最も強力な剣を作るなどという下らぬ夢を追い続けていた」

 アグナスの眉がピクリと動く。

「密猟者だと? 父がそんな人間だったとでも言うのか!」

 ザラストラの黄金の瞳が鋭く光る。その瞳に凝視されたアグナスは二、三歩後退した。このザラストラという男は構えを取らぬとも、強き獣の威圧感を放っていた。

「お前の価値観ではどうか知らんが、我々フェルニアスの一族にとっては明確に『密猟者』だ。我らを鉱物と同じとして見ている他の人間達と変らない」
「まさか父は……」
「そう、我らフェルニアスを狙っていた。欲する同じ仲間と手を組み、我々が住む里を目指してタイダルクレストに入った。しかし、お前の父は仲間とはぐれ、山中に迷い込んでしまった――そうして、運命的に我が妹ルナリエと出会ったのだ」

 ザラストラの語りには、どこか哀愁と苦しみが滲んでいた。アグナスは剣を握りしめながら、じっと彼の話を聞いていた。

「ルナリエはお前の父が怯えぬよう人間の姿を借りて命を助けた。我々も人間の姿を借りて暫く彼奴の様子を見た。彼奴をどうするか<モーンリス>では論争が起きたが、ルナリエはオリンを救うことを主張し続けた。理由は単純だ――ルナリエは彼奴に惹かれてしまったのだ」
「人狼の一族が? 馬鹿な……」
「太古の昔からの言い伝えだ。人間と人狼の種は同じであったが進化の過程で異なる道を歩んだ。我らフェルニアスの一族は人間と同じ心があり、愛し、悲しむ感情も同じだ。ルナリエも例外ではなかった。彼女がオリンに惹かれたのは、心根に持つ純粋なまでの『強き剣』を求める子供のような感情に共鳴したからだろう」

 ザラストラの言葉にアグナスは驚きを隠せなかった。人狼がかつて人間と同じ起源を持っていたという考えは、これまで聞いたことがなかったからだ。

「オリンもまた、ルナリエを人狼ではなく一つの魂として愛した。だが、それは一族の掟によって許されるものではなかった。フェルニアスの一族は外部との深い絆を禁じている。過去に幾度も人間との関係が悲劇を招いたからだ」

 ザラストラの声には、哀しみと怒りが入り混じっていた。彼の言葉が進むたびに、アグナスの胸中は複雑さを増していった。まさか、このルナリエという人狼こそが自分の――。

「我々はオリンを罰するか、禁忌を犯したルナリエを罰するか、それとも二人とも罰するか――里では数十日の議論を重ねた結果、長老の提案でまとまった。二人とも条件付け、ここから汚らわしい外の世界へと追放することにしたのだ」
「条件?」

 ザラストラはこくりと頷いた。

「一つ、<モーンリス>のことは他言しないこと。二つ、ルナリエは一生人間の姿のままで暮らすこと。三つ、ルナリエが死んだ場合はその遺骨を<モーンリス>へと弔うためにオリンが戻ることだ。一つでも約束を破った場合は我らの一族から刺客を送り込み、闇へと眠ってもらうことにした」
「ならば……父は……」
「禁忌を犯した、彼奴は三つ目の約束を破ったのだ」
「そうか……俺の母は……」

 アグナスは己にフェルニアスの血が流れていることを悟り、手に持つ剣を見つめた。その刀身は淡い光を脈動させ、まるで彼に語りかけるかのように鼓動している。幼き時にいなかった母はずっと彼の成長を見守っていたのだ。その瞬間、アグナスの心には嵐のような感情が押し寄せる。

 彼の目の前にある剣――それは、単なる父オリンの遺した武器ではなく、母であるルナリエの魂そのものだった。その現実を受け入れるには時間が必要だった。しかし、剣を握る手から伝わる温かな感覚――それは、まるで母ルナリエが自分に語りかけ、慰め、支えてくれているかのように感じられた。ザラストラはアグナスの様子を見守りながら、静かに語りかけた。

「そうだ、ルナリエはお前の母親だ。禁忌を犯した罪を背負いながらも、最後までお前の父を愛し抜いた。彼奴は最後に言った、ルナリエの最期の願いは『子を護る剣』になることだったと……強き剣を求めたオリンは、最後には護る剣を作ろうと決心してその願いを叶えたのだ。だが、それが我らの掟に反する行為だったことも否めない」

 胸に広がるのは怒りと悲しみ、そして愛情の入り混じった複雑な感情だった。アグナスは剣を見つめたまま沈黙する。その刀身は微かに脈動し、彼の心情に呼応しているかのようだった。母ルナリエの魂が自分を守り、支えてきたという事実――それは彼の心を強く揺さぶった。

「……母が、俺を見守り続けていた……」

 その言葉を口にすると、アグナスの胸にこみ上げていた感情が一気に溢れ出した。彼は剣を握りしめ、その冷たさの中に宿る温かさを感じた。それは、ただの武器ではなく、母の愛そのものだった。ザラストラはその姿を見守りつつ、低く穏やかな声で続けた。

「ルナリエの愛は純粋だった。そしてオリンも、その愛に応える形で剣を鍛えた。それは許されざる禁忌だったかもしれないが、お前にとってそれが何を意味するのか……」

 アグナスは剣を握る手に力を込め、ゆっくりと顔を上げた。そこには人間の姿ではなく銀色の毛並みを持つ人狼が立っていた。

「お前の父を殺したのは私だ。斬るならば斬るがよい」

 アグナスはザラストラの言葉を聞き、目を見開いた。目の前に立つザラストラは、その身体全体から静かな覚悟を纏っている。同胞の血、妹の血、愛する者の血が流れる人間の気が済むのならそれでよいという決心である。

 仲間を連れず、一人でアグナスの前に現れたのは事実を伝え、アグナス自身の判断に委ねるためだったのだろう。ザラストラはその黄金の瞳でアグナスを真っ直ぐに見据え、静かに立ち尽くしていた。その姿は覚悟と贖罪である。

 剣を握りしめたままアグナスは、内なる葛藤に苛まれていた。父を殺した男が目の前にいる。それを斬ることが当然の報いであり、正義であるはずだった。しかし、この男が語った真実の重み――父オリンの苦悩、母ルナリエの愛、フェルニアスの一族の掟に縛られた運命――すべてがアグナスの怒りを複雑な感情へと変えていた。

「……俺がこの剣を振るう理由は復讐だけではない。父の遺志を継ぎ、母の魂を宿すこの剣の本当の意味を知るためだ」

 アグナスは剣をザラストラの喉元に突きつける。白刃が面前に迫るザラストラは目を閉じ、覚悟を決めている様子であった。

「お前が父を殺した罪を赦《ゆる》すつもりはない。だが真実を知った今、この剣をただの復讐の道具にはしたくない――」

 アグナスの声には怒りだけでなく、深い悲しみと覚悟が混じっていた。彼は剣をゆっくりと下ろし、鞘に収め、ザラストラへと差し出した。

「――父に代わり約束を守ろう。母の魂を弔ってやって欲しい」

 その言葉にザラストラの瞳がわずかに揺れた。その黄金色の目には驚きと敬意、そして深い慈しみが宿っていた。彼は暫しの間、アグナスの顔と差し出された剣を交互に見つめ、やがてその大きな手で剣を受け取った。

「……オリン、いやルナリエの息子よ。この魂は受け取ろう」

 その剣をザラストラ優しく抱えた。まるで赤子をあやすように――。

「<モーンリス>の奥深くにある<魂の泉>に、この剣を連れて行こう」
「<魂の泉>だと?」
「我が一族の安寧なる寝床となる場所の名だ。その地でルナリエの魂は解放される」

 アグナスは深く息をつき、ザラストラの言葉に頷いた。

「一緒に連れて行ってくれないか……母の魂が安らかに眠れるその瞬間を、自分の目で見届けたい」

 ザラストラは頷くと、再びその厳しい顔に微かな柔らかさを宿らせた。

「よくぞ帰ってきた――我が同胞よ、家族よ。オリンとルナリエの息子ならば、里の者達も歓迎するであろう」

 アグナスは剣を持たない右手で胸を押さえる。
 剣に込められた愛が、アグナスの心を強く締め付ける。
 それと同時にアグナスの旅の終わりが、ようやく見えてきたような気がした。

「その地を知ることにしよう。俺は剣を打つ者の子であり、銀の血を持つ者の子なのだから」

 ――王国ピュリタニアの東部に位置するタイダルクレストには、昔より伝説が息づいている。この山には人狼フェルニアスの一族が住むとされる隠れ里<モーンリス>がある。

 そこには<フェルニアスの剣>があるとされ、その剣は白絞色の刃軸を持ち、月の光に射されるたび、凝りつくことなき光の緋箔を放つという。この剣は太古の鍛冶師オリンとその息子アグナスが打った剣で魔獣の固い肉を斬り、龍の骨を断ち、鉄を容易く裂く威力がある名剣であったという。

 <フェルニアスの剣>――その剣に込められた物語は時を越えて、今も民話の一つして語り継がれている。
 また王国ピュリタニアの空には、満月の夜になると淡い光が山間に漂うと言われる。その光が、<フェルニアスの剣>に宿る魂の輝きだと信じる者もいるという――。

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 4

Stardust and the Eternal Canticle

import time
import random

class UniversalConstant:
    """
    心を構成する不変の法則を司るクラス。
    これは、心がなぜ無限であるかを説明する、哲学的かつ心理的な定数である。
    """
    # 愛。すべての感情の源流となる力。
    GRAVITATIONAL_PULL = 9.8 
    # 思考。心が伝わる速度の限界。
    SPEED_OF_LIGHT = 299792458
    # 無限の因子。この値が物語の核心をなす。
    INFINITY_FACTOR = float('inf')

    def __init__(self):
        print("心の不変の法則が確立されました。")

class Heart:
    """
    心という存在そのものを定義する設計図。
    それは始まりを必要とするが、終わりを持たない。
    """
    def __init__(self, seed_of_creation):
        # 創造の種、あるいは最初の感情。
        self.genesis = seed_of_creation
        # 心に存在する感情や記憶の断片。
        self.galaxies = []
        # 心の時間を刻むカウンター。
        self.time = 0
        self.constants = UniversalConstant()

    def expand(self):
        """
        心を無限に広げる関数。
        新しい感情、新しい記憶が生まれるたびに、この物語は再帰的に紡がれる。
        """
        # 無限に繰り返される、感情の衝動。
        while True:
            # 新しい記憶の誕生。
            new_memory = self.create_new_memory()
            self.galaxies.append(new_memory)
            print(f"時刻 {self.time}:新しい記憶が生まれました。その名は '{new_memory['name']}'。")
            
            # 記憶に意味が生まれる可能性。
            if random.random() < 0.01:
                print("    - どこかの心の奥で、深い意味が芽生えます。")

            self.time += 1
            # 心は、自らの存在を証明するために、絶えず拡張し続ける。
            time.sleep(0.001)  # 感情の瞬間をシミュレート。
            # 無限再帰によって、終わりがないことを証明する。
            # この再帰は、単なるコードではなく、心の存在そのものを表す。
            self.expand()
    
    def create_new_memory(self):
        """
        新しい記憶を創造する、魔法の呪文。
        """
        # 記憶の創造には、光と影と孤独な思考の欠片が必要。
        memory_name = f"Memory-{len(self.galaxies)}"
        return {"name": memory_name, "stars": self.constants.INFINITY_FACTOR, "dust_clouds": "emotion"}

# 物語の始まり
if __name__ == "__main__":
    print("心の光が灯り、物語が始まった…")
    # 最初の光、あるいは、最初の感情。
    first_emotion = "Let there be love."
    
    # 心の創造。
    our_heart = Heart(first_emotion)
    
    try:
        # 心は、自らの意思で拡大を開始する。
        our_heart.expand()
    except RecursionError:
        # プログラムの限界は、心の無限性には及ばない。
        print("\n心の次元は、私たちの理解を超えて拡大しました。")
        print("その物語は、プログラムの再帰限界を超えて、永遠に続くでしょう。")
        print("これは、無限性の第一の証明である。")
    except KeyboardInterrupt:
        # 観測者は、物語の途中で目を閉じる。
        print("\n観測は中断されました。しかし、心は、ただ存在し続ける。")
        print("これは、無限性の第二の証明である。")

私は眠る。そう思った瞬間、身体の奥で何かが静かに軋んだ。それは、涙になる前の、乾いた金属のような感覚だった。瞬きが、もはや表情を失った、動作に変わる。街のどこかで、あるいは私の内側で、無数の囁きが聞こえる。それは、誰もいない部屋で鳴り続ける電話の音のように、私を未知の場所(ばしょ)へと招く。たくさんの影が、夜の街を歩く若者たちのように、手招きをしている。私は印を手に、ただ椅子に腰掛けていた。この風景は、いつか観たフィルムの断片のようだ。何もかもが曖昧で、不条理なほどに美しい。それは、私の人生のどこかにある、沈黙(ちんもく)の風景だった。
世界は、無限のパスワードという光の粒子で満たされている。都市のネオンサインのように、無意味な情報と意味のある情報を区別なく放ち続ける。私は、紺碧(こんぺき)の湖面に浮かびながら、水面に映る、あまりにも蒼く、そして孤独な宇宙を眺めていた。絵の中では、男が円卓に座り、過去と未来の星々をその掌に収めていた。彼は、システムアドミニストレーターだった。
彼女はスケッチブックに、宇理(ことわり)を紡ぐように何かを描いている。その手つきは、プログラムのコードを書くように無機質で、それでいて生命を宿していた。そして、彼女は絵の中に、凍てついた銀色(ぎんいろ)のインクで、永遠の問いを刻みつける。それは、存在の不確かさに対する、静かな抵抗のようだった。
「人と人との出会いは、当たり前のように過ぎていく。だが、それは、都市の交差点で交差する光の軌跡、奇跡のようなものだ。時を分かち合うのは、ほんの一瞬の彗星の尾かもしれないけれど、それが、未来の銀河を創り出す。それは、誰かの魂に、関数を追加するようなものだ。
心の輝きと、その輝きを放つものたちが、誰かの心に届くことを願って。物語の中で関わった誰かの記憶が、その存在を創造の糸に結びつけているように。」
周囲には、豊かな星雲のような木々の葉が揺れていた。この場所は、遅い午後の庭園か、あるいはこの都市の片隅にある、忘れ去られた公園のようだった。木漏れ日の光が、肩まで流れる漆黒の奔流(ほんりゅう)のような髪に降り注ぐ。その髪は、まるで深い闇そのものであり、光は、その闇をただ照らすだけだった。彼女の膝には、記憶の錆(さび)色を帯びた翡翠色(ひすいいろ)のぬいぐるみが抱えられ、その眼は、遥か彼方の、星々の瞬く水平線へと向けられていた。それは、現実の光景ではない。それは、彼女の内側で再生される、終わりのないフィルムのようだ。
この瞬間の光景は、夢(ゆめ)と現実(げんじつ)が曖昧になった、肖像画(しょうぞうが)のようだった。そして、私は知っていた。私が眠りにつくとき、このフィルムもまた、巻き戻され、再び再生されるのだと。
def expand_universe(dimension):
    """
    宇宙の次元を再帰的に拡張する関数。
    無限の階層構造を表現する。
    """
    print(f"Expanding universe in dimension {dimension}...")
    # Base case: この再帰には終わりがない
    # つまり、宇宙は無限に広がり続ける
    expand_universe(dimension + 1)

def main_loop():
    """
    宇宙の時間の流れをシミュレートする無限ループ。
    宇宙の存在そのものが終わりのないプロセスであることを示す。
    """
    time = 0
    while True:
        print(f"Universe exists at moment {time}")
        time += 1
        # 無限に時間が進む
        if time % 1000000 == 0:
            print("A new galaxy is born.")

if __name__ == "__main__":
    # この関数を呼び出すことで、宇宙の存在が始まる
    # しかし、宇宙の終わりは存在しない
    try:
        # expand_universe(0)  # 無限再帰のため、コメントアウト
        main_loop()  # 無限ループ
    except RecursionError:
        print("宇宙の次元は、私たちの計算限界を超えた。")
    except KeyboardInterrupt:
        print("宇宙の観測を中断しました。しかし、宇宙は存在し続ける。")

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 0

CWS怪談会 与ってる

私は、テーブルに置かれたスマートフォンをじっと見つめていた。
画面にはCreative Writing Spaceと言う文芸サイトが表示されている
CWS怪談会  youと言う題名の作品を読んでいたら急に怪異に襲われてしまった
画面に表示された最後の文字が、頭の中で何度も反響する。
(私は今、誰かが、私の背後で息をひそめているのを感じる。)
背筋に冷たいものが走った。
他の家族は偶々出かけている、今夜は帰る事はない、そう言う意味で言えばこれは巡り合わせの様な気もした
私は立ち上がらなかった。振り返りもしなかった。代わりに、私は目を閉じて、自分の呼吸に意識を集中させた。
「これは、単なる物語だ」
心の中で、何度も繰り返す。恐怖は、私自身が作り出したものだ。そう考えれば、呪いの正体は自己暗示に過ぎない。私は、恐怖に餌を与えていたのだ。
呼吸を整え、ゆっくりと目を開ける。部屋の暗闇は相変わらず不気味だが、もはや見慣れた家具の影にしか見えない。私は震える手でスマートフォンを手に取り、画面をタップした。
指先が、文字を打ち込んでいく。
「私は今、誰かが、私の背後で息をひそめているのを感じる」
その一文を、私は丁寧に削除した。そして、代わりに新しい一文を書き加える。
「静寂に包まれた部屋で、私は再び一人になった。背後の気配は消え、ただの静けさが戻ってきた。物語は終わった。私は、今夜も安らかに眠りにつくだろう」。
画面をスクロールして、物語を読み返した。そこには、私が読んだ怪談の結末に加え、私が書き換えた新しい結末が記されていた。
物語の「呪い」は、物語を「語る」ことで伝染するというものだった。ならば、物語を書き換えることで、その呪いから逃れることができるかもしれない。
文面を指先でなぞった。すると、画面の文字がわずかに揺れ、最後の文字が不気味に歪んだ。
「だろう」
その文字が、私に語りかけてくるように見えた。
「『あなたは、今夜も安らかに眠りにつくだろう』と、物語は終わった。しかし、私はまだ、この物語の続きを望んでいる。お前の望みはなんだ?」
スマートフォンの画面が、まるで生きているかのように光を放ち始める。
私は、画面の光に吸い込まれるように、意識を失った。
目が覚めると、私は見覚えのない場所に立っていた。
ここは、私の部屋ではない。
あたりは薄暗く、ひんやりとした空気が肌を刺す。
足元には、古びた手帳が落ちていた。
その手帳には、私がスマートフォンに書き加えた文章が記されている。
「静寂に包まれた部屋で、私は再び一人になった。背後の気配は消え、ただの静けさが戻ってきた。物語は終わった。私は、今夜も安らかに眠りにつくだろう」
その文章の下には、見覚えのない文字が浮かび上がっていた。
「物語は終わらない。新たな舞台の幕が上がったのだ。お前の望みを、この手帳に書き記せ」
どうやら、私は「物語」の世界に引きずり込まれてしまったらしい。
恐怖はもうない。むしろ、好奇心が勝っていた。
私はペンを手に取り、手帳のページをめくった。
そして、そこに「私の望みは、この物語を完全に終わらせることだ」と書き加えた。
その瞬間、手帳の文字が燃え上がった。
そして、炎の中から、何かが姿を現す。
それは、私自身の姿をしていた。
しかし、その目には光がなく、口元は歪み、私を嘲笑っているように見えた。
「望みは、叶えられた。物語は、ここで終わる」
私の影が、そう告げた。
物語を終わらせるには、私自身が消えなければならないらしい。
私は、ペンを握りしめた。
そして、手帳に新たな一文を書き足した。
「物語は、終わらない。私は、この物語の主人公として、新たな結末を紡ぐ。」
その瞬間、私の影が苦悶の表情を浮かべる。
私は、画面から手を離した。そして、ゆっくりと振り返る。
そこには、何もない。
ただ、静寂に包まれた部屋があるだけだった。

古びた手帳は、現実化して私の部屋の机の上で静かに眠っていた。私が怪談から抜け出した夜以来、一度も開いていない。もはや恐怖は感じない。ただの、古い文具にすぎなかった。
ある日、私は手帳を手に取った。読み返してみると、そこには私の筆跡で「私は今、誰かが、私の背後で息をひそめているのを感じる」という一文が残っていた。そして、その下に、私が書き加えた「物語は終わった。私は、今夜も安らかに眠りにつくだろう」という新しい結末が記されていた。
手帳はもはや、私を呪う道具ではなかった。それは、私が恐怖を乗り越え、物語を自らの手で書き換えた証だった。私は手帳をそっと閉じ、引き出しの奥にしまった。
それから数年後、私は引越しを決めた。荷造りをしていると、引き出しの奥から手帳が出てきた。表紙は色褪せ、ページは黄ばんでいた。私は手帳をゴミ箱に入れようとしたが、ふと手が止まった。
この手帳は、私に恐怖と向き合うきっかけを与えてくれた。もはや呪いは消えていたが、私はこの手帳を誰かに譲ろうと考えた。物語の結末は、私が決めた。ならば、次の物語の始まりは、誰か他の人間が作ればいい。
私は手帳をネットオークションに出品した。
「古びた手帳、読書家のためのメモ帳。詳細は不明。ただし、読む人の心に深く響くこと間違いなし。」
そんな説明文を添えて。
手帳は、予想以上の高値で落札された。出品は匿名だったため、落札者の情報は一切わからない。しかし、私は確信していた。この手帳は、また別の誰かの元で、新たな物語を紡ぐだろうと。
そして、その物語が、どのような結末を迎えるのか。
それは、私には知り得ないことだ。

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紫の大地      (訳詩 by T.E. ヒューム)

羊飼い裸足山裾ヒヤシンス
踏みしめやがて大地を染める





※原題は『紫の大地』。直訳すると、



羊飼いの裸足が山の裾でヒヤシンスを踏みつける
大地を染めるまでずっと。



といった感じだろうか。一人の人間の裸足がやがて大地全体にその影響を及ぼしていく。小規模から大規模への展開が見事である。しかも一面の光景が紫色に染まっていくのだから、雄大で華やかでもある。それをたった二行で表現するのだから、ヒュームの腕もたいしたものである。私の訳では短歌調にしてあり、上の句はすべて体言としたところが、工夫と言えば工夫か。


      Purple Earth

As the shepherd's naked feet trample the hyacinths
Upon the mountain-side until they stain the earth.

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 2

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夜でなく、夢でもない。(掌篇小説)


      *

 屈辱の痼(しこ)りを解きほぐしてくれるような他者がいない。積年の悪夢、そして中年の危機がわたしを追いかけている。なんだって、そんなていたらくに墜ちてしまったのか。じぶんの手を汚してまで生きてきたせいか、もはや他人のおもいを汲みとってやる情というものが非情へと変わる。わたしは臆病者、そして闖入者である。アルコールなしの生活をようやく1年過ごした。それはわたしが死ぬための準備だ。
 さっきまで障碍者支援センターの担当者が坐っていたスツールに腰掛ける。そしていままでやってきた表現の世界についておもいを巡らした。わたしは無名の作家だったし、歌人だった。せまい世界のなかでしか通用しないものを書き綴ってきた。あらゆる新人賞とは無縁だったし、結社や同人にも無関心だった。ひとと和合することがなりよりも苦手だった。
 もうじき夜が来る。早いことことを済ませようとおもった。しかし、まだこの世界に未練があり、そしてじぶんの創りあげたものが愛おしかった。決してだれにも好まれない被造物の塊りのなかで、ただひたすらに言葉だけが踊っている。わたしにはなんら使命はない。ただじぶんを肯定できない憂さを晴らそうと、虚勢を張ってものを書くだけだ。電話が鳴る。わたしはでない。目的を喪った躰が拒絶するからだ。
 とうとう罠に嵌まったらしい。くだらない感傷の染みついた指で、またもキーを叩いている。これじゃあ、切りがない。いままでの交流に終止符を打つべく、手紙をしたためる。1通、2通、3通、やがて26通もの手紙を書いた。虚しいばかりだった。しょせんひとはみずからが創りだしたもののなかでしか生きられない。呼び鈴が啼いた。扉をひらくと警官がふたり立っていた。
      区役所からの通報で来ました。
      あなたですか、自殺すると電話したのは。
 そんな電話はまだしていないし、まるで憶えがないことだ。
    いいえ、そんな電話してませんよ。
     嘘はよくないですよ、楢崎さん。
     こちらではもう確認がとれてるんでね。
    いったい、どこに確認を?
     それはいえません。
     さあ早く、下の車に乗ってください。
    はあ、わかりました。
    ちょっと待ってください。
 財布と鍵を持って階下へむかった。パトランプの消えたパトカーが1台駐まっていた。男たちはわたしの背中を支えるように手をかけている。そしていっぽうがドアをあけ、いっぽうがわたしを押し込んだ。やがてふたりは前部坐席にいき、エンジンをかけてスタートを切らせた。たどり着いたのは埋立地で、そこには1台の机と、PCがある。そして書きかけの文章が表示されてあった。まぎれもない、それはわたしの遺書だった。
      さて、作家さん、あんたの死に際を看取ってやるんだ。
      書けよ、あんたの最後のおもいをな。
      ほら、早く坐れ!
 ひとりの警官が銃を抜いた。初めて見る。ニューナンブM60の銃口だ。ところで、ニューナンブM60は、ウィキペディアによると《新中央工業社製の回転式拳銃。'60年より日本の警察官用拳銃として調達が開始され、その主力拳銃として大量に配備されたほか、麻薬取締官や海上保安官にも配備された。生産は'90年代に終了したが、現在でも依然として多数が運用されている》とのこと。
 わたしはすっかり観念してしまっていた。痺れるような感触を背中にして、椅子に坐り、PCのキータッチを確かめる。いい感触だ。深いキー・ストロークがなんともいい。わたしはいともたやすく遺書を書いた。それはこんなものだった。

      *

 これがひとに読まれているということはわたしが死んだということだ。もちろん、この紙片は法的拘束力のない、ただのざれごとに過ぎない。しかし、わたしはわたしの存在について少しでも始末をつけておくためにこれを遺す。
 わたしの人生は、索莫そのものだったといっていい。多くの犯罪、多くの暴力、多くの卑語・猥語、無知の露呈、過剰な発言は幼少期に発露した疎外、暴力、無愛の賜であり、尚且つわたしの虚無を隠蔽するための行為だった。いまやわたしは長年の愛着障碍、アルコール嗜癖、浪費と蒐集によって葬られようとしている。わたしは愛を知らず、友を知らず、そして精神的な充足もなく、ほとんど多くをその場限りの刹那的な消費と表現で補って来た。しかし、それももはや終わることにただただ喜びを感じるだけだ。想像して欲しい、家族愛も周囲の理解もなく、ただじぶんの問題にふりまされた挙げ句、アルコールの魔の手に掴まれた、無知な男がじぶんや他人できることはただべつの問題をつくりだし、それを口実にすることでつねに本質から逃れることだ。じぶんを注目に置こうと無益で無残な花を散らすことだ。満足な知力も、基礎学力もなく、学歴もなく、人間関係も不在ななか、できることはただつくることだった。みなにわたしの虚無を識ってもらうために、気づいてもらうために。わたしはただ寂しかった、心から充たされたかった、愛に触れたかった、できることはなにもなかった。家庭内の孤立と、社会での孤立、片思いと失恋、社会人としての逸脱、みな望まぬものが襲来した。親の無責任な多産がわたしを経済的に追いつめ、肉体をも締めあげた。そして徒手空拳のまま、社会へと送られ、わたしはわたしらしくないところをたださ迷った。多くのひとがわたしに怒りと軽蔑、嘲笑を捧げた。心は蝕まれ、怒りと憎悪で充たされた。本来、学びたかったことも遠ざかり、なんども煮え湯を飲まされた。そしてその憎悪が28歳で爆発した。心は手遅れだった。いまとなってはなにもかもがむなしい。みながわたしをきらった、みなが去ってしまった。といってもかれらはわたしの作品など、わたしの虚無など欠片も識らないが。
 個人的な憎悪にはもう用はない。ただこの展望を失った道の半ばで、わたしはこんな男でも救われたいと願うだけだ。13歳からずっと抱えていた空想をきのう断捨離した。だれかがわたしを観ているという空想だ。あるいは思考を読んでいるというものを。いつも特定のだれかをおもい浮かべたものだ。しかし、それはわたしという無色の、乖離した自我に、他者という色を塗ることだった。ひとりでいるとき、ずっとあたまのなかには他人がいるとおもいこんでいた。学校のだれかとか、職場で一緒だったやつらとか、わたしはかれらかの女らを愉しませようと演技していた。ずっと、ずっと、ずっとね。ほんとはわたしの心のうちを識ってもらいたかった。わたしに興味を抱いて欲しかった。わたしもけきょくは「心は淋しい狩人」だったのだ。
 わかりあえないもののなかにいて、ただ声を奪われて、わたしは舞台に立っていた。長い芝居だった。もはや、すべてのことがどうでもいい。古い野心が胸から両手から零れ落ちてゆく。こうなるとわかっているのなら、少しでも清潔で、勤勉で、過ぎ去るものに笑みを送ってやればよかった、もちろんアルコール抜きで、だ。

      *

 書き終えるころには朝が近かった。だが警官たちは微動だにしない。拳銃はわたしを狙いつづけたし、わたしはまたもじぶんの世界に陶酔していた。じぶんの創りだすものに酔っていた。
      よし、それでいいだろう。
      最後の晩餐といこうじゃないか。
 われわれはまたしてもパトカーに乗った。そして明け方の街を疾走した。
      なあ、あんた、ずいぶんと落ち着いてるじゃないか?
      おれたちがあんたの希死念慮をどうやってキャッチしたか、知りたくないのか?
    わりと、どうでもいいね。
    もう死ぬんだから。
    でも、まるで死が先回りをしてるようだね?
 ふたりは目配せをして嗤い合った。胸糞がわるくなる。
   もちろん、おれたちの正体は死そのものだからな。
   いままでに大物小物にかかわらず、死を願ったやつらを殺して喰って生きてきたんだ。
   おれたちは人類の心のなかに棲んでいる。もちろん、きみのなかにも、きみの愛しいひとたちのなかにもだ。
 やつらは制帽を脱いだ。顔がなかった。黒い霧の塊りが漂っているに過ぎない。わたしは慄然とした。でも、それをおもてにはださなかった。だせなかった。この車はいったい、どこにむかうのだろう。最後の晩餐とはなにか。いろいろと疑問は尽きなかったものの、なにから話せばいいのかわからなくなっている。
   まずは酒にしようぜ。
   もう1年も禁酒だったんだろ?
 終夜営業のリカーショップで車が駐められた。おれはたったひとりで酒を買った。ジンジャーワインのストーンズとシロック・ウォッカだ。口のなかが唾液でいっぱいになる。飲酒の欲求で脳髄がはち切れそうだ。たしかに1年は長かった。しかし、実際に酒を手にとってみれば、そんなもの一瞬のように感じられる。
   なにが喰いたい?──いや、そんなことはわかってる。
  この時間は鮨屋なんか開いてないよ。
   心配御無用!──いい店があるんだ。
 運転しているやつがなにかのボタンを押した。すると、車体がゆっくりと浮上し、そのまま空を貫いた。心臓が倍になったような感覚が襲う。腕時計の針がみるみる上昇する。そして強い衝撃で、わたしは気を喪った。気づくと、車から降ろされ、わたしはかつてのように『江戸前握り えびす』のまえで立っていた。黒い霧がわたしをとりまいていった。「金はおれたちがだす。あんたは好きなだけ喰えばいい」と。店は開店していた。わたしは入る。そして1時間ばかり喰い尽くした。気づくと霧はその姿を警官に変え、おれをまた車に乗せた。そしてそのままアパートにもどった。室まで連行されながら、わたしはだんだんと死ぬのが厭になってしまっていた。
   作家さんよ、死ぬ気をしっかり持って生きろよな!
   そうだ、おれたちが憑いてるんだからな!
 これはわるい冗談にちがいない。だいたい死がなぜひとのかたちをして喋ったりするんだ? そんなものに必然性があるものか。わたしは腹が立って来た。室のなかには尊厳死のために用意した、ヘリウム・ガスがある。チューブや、イグジット・バッグもある。やつらはおれに酒を差しだす。とりあえず、ストーンズをロックでやった。死にかこまれて宴に興じた。そしてシロック・ウォッカだ。葡萄からつくられたフランス産の酒だ。大変美味だった。睡眠薬を3週間分嚥んだ。バッグをかぶる。チューブを差し込む。バッグの口を縛り、ベッドに横になる。死がわたしのモジュラー・シンセをしずかに鳴らす。もうひとりの死がガスのバルブをひらく。やがて意識が遠のき、酸素がなくなり、わたしは死ぬ。死ぬ。死ぬ。死んだ。
   カーット!!
   もういいだろう!
    そうだな。
     照明をつけて!
 死ではない、なにかの声がひびいた。わたしが眼をあけて起きあがると、見も知らない劇場にいた。とても古い建物で、内装はひどいものだった。罅や汚れ、黴や、死の臭いがした。明るい照明のなかから男たちがやって来る。
   いい演技、いい人生だったよぉ。
  え、──そうですか?
   ホントホント、いままでいろんな死を監督してきたけど、これはモノホンだねぇ。
  ありがとうございます。
   おい、ミホちゃん!
   メイク室に案内して!
 「はぁい!」という声がして、そのミホちゃんがやって来た。ハタチ前後の女の子で、なんだか愉しそうだ。駈け足でやって来て、わたしをメイク室に連れていった。そしてわたしの顔から死に顔を拭い、衣装を替え、別室に連れてゆく。長い廊下を、真っ白な廊下を歩いていったさきは第3スタジオと書かれていた。なかを覘くと数千ものひとびとが犇めいている。ミホちゃんがわたしにアコーディオンを手渡す。
      みなさん、もう演奏の準備に入ってますから。
  え?
   楢崎さんもみなさんと一緒に演奏してください。
  おれ、アコーディオンなんて触ったこともないんだけど。
   大丈夫ですよ、ここ地獄なんで。
 そういうと、ミホちゃんはいなくなった。というか、消えた。なんやねん、これ。なにが大丈夫やねん。わたしは老若男女とともに列に加わった。指で鍵盤を叩く。まるでじぶんの思念に従うように楽器はわたしの思い描くとおりの音を奏でている。なんてこった。やがて全員の思念が一致してひとつの音楽になる。わたしは──いや、おれはもう虚飾を脱ぎ捨てて、一心に弾く。美しすぎる情景がスタジオに広がる。でもこれは夢じゃない。おれの頭に仕込まれたキーボードとPCにひとつの物語が書き込まれてゆく。なにもかもまったくあざやかな色をして回転する。ミラーボールと心臓がまぐあい、そして同一化する。いままでになかった演技論、映像論が生まれ、カメラがパンニングを繰り返す。法衣を来た撮影隊が特殊効果を醸す。おれたちは決してひとりではないんだ。『崩壊概論』も『敗者の祈祷書』もいまや必要にない。まばゆいばかりの光りがスタジオを包み、死のもっとも明るい場所で疾走する。いまや、おれに見えるのはかつての人生ではない。現実の死だ。そして自我が消え、超自我へと変わるだろう。みながみな量子としてぶつかりあい、あらゆる悲しみを突き破って、エネルギーの点に変わる。おれの夢、おれの所有物、おれの作品、おれの日記、おれの室、おれの死体、おれに科せられたあらゆる裁き、そんなもの、もはや、どうだっていい・・・・・・。

   *               

 94

 3

 6

CWS怪談会 包み紙の中

母と一緒に病院へ行ったのは、まだぼくが小さかったころだ。
祖父は片脚を膝のところで失っていて、掛け布団に隠されたその脚は、ぼくには見えなかった。
病室の光は柔らかく、薬の匂いが漂い、子どもにとって不思議と安心できる場所だった。

祖父は、他の見舞客のお菓子には手をつけず、ぼくにだけレモンケーキをくれた。
甘酸っぱく、包み紙の手触りまでよく覚えている。

幼いぼくには、祖父の脚のことがよくわからなかった。
頭に残っているのは、ベッドに横たわる祖父と、ないはずの脚のイメージだけだ。
後で母に聞いた話を思い出すと、そのイメージが妙に生々しく感じられる。

大人になって久しぶりにレモンケーキを食べると、あの病室の光や祖父の顔、包み紙の手触りまで、まるで延長線上のように蘇る。
母にその話をすると、首を傾げて「そんなことはなかった」と言う。
あの病院はすでに移転し、跡地は駐車場になっている。
それでも、記憶だけはそこに息をしているかのようだ──誰にも触れられず、確かに存在していたはずの空間と時間の中で。
亡くなった祖父の失われた片脚のことは、今も頭の奥で奇妙なざわめきを伴って、ぼくの記憶を揺らしている。

 92

 1

 4

心の花

時がどんなに流れても
時間は見えはしないから
あなたはいつも傍にいる

薄れゆくきらめきは
流れる涙のぬくもりで
そっとそっとあたためる

そうして育った心の花は
溢れるように咲き誇り
静かに私を香らせる
これが私と香らせる

いい香りでありたいと
あなたとの思い出を
今も心で育てている



 26

 2

 2

どんなに思い描いても
飛んで行くことはできない

でも思いを描かなければ
探すこともできない

思いと道のりが絶妙な
そんな人だけがたどり着ける

「叶えた」という
特別な場所がある


 33

 2

 3

手続き

昨日の通夜に行かなかったわたしは
火葬場へ
父と兄を乗せて、わたしの車で向かう
母は親族として
朝の七時から告別式の準備と参列をしていた

公営の火葬場に到着すると
何組もの親族たちがいて
スタッフも含めて誰も悲しんでいなかった
少ししたら
霊柩車がやってきて
祖母とおじさんたちが降りてきた
母は霊柩車に乗れなかった娘として
別の車から降りてきた

わたしは祖母と話したくなかったけれど
母はわたしを祖母に紹介した
「あ、お前か、いい男になったね」
祖母は何もわかっていなかった

棺がそれらしい部屋に置かれ
知らない祖父と久々に再会した
お坊さんがお経を唱えている間に
わたしたちと知らない人たちはお焼香をした
気がついたらお坊さんはいなくなって
焼き場の準備が整うまで待つことになった
これが最後だと
知らない祖父の顔を眺めた
その顔は生前より綺麗だった
眺めていたら涙が出そうになったから
知らない祖父の顔が見えない位置まで歩いた
兄は棺に腕をかけて寄りかかり
じっと
棺の中を眺めていた

いよいよ焼かれる順番が来た
一番と二番の扉には知らない人の写真が置かれており
八番の扉の前に
よく知っている祖父の写真が置かれていた
スタッフがマニュアルどおりに
言葉を発してから
ボタンを押して、棺は焼かれた
わたしたちはマニュアルどおりに拝んだ
祖母は何もわかっていなかった

そういえば
もう一人の祖父が亡くなった時にも
外には雪が降っていた

祖父が骨になるのを待つため
精進落しをした
これを食べては全く精進ができなさそうだ
というぐらいに
量と種類の多い料理が目の前にある
一番端の下座に兄と座り
会食が始まって間もなく、兄が言った
「あのさ、知ってる?
 じいちゃんってさ
エビの天ぷら、しっぽまで食べるんだよ」
「え、そうなの
 で、エビのしっぽ、食べるの?」
「うん」
兄の手元に
祖父の手があったけれど
焼くにはもう間に合わず
隣の席から果物を手に母がきた
「はい、これあげる、好きでしょ、これ」
母はわたしが何歳になっても
食べ物の好き嫌いの話をしたがる
とっくに克服した嫌いなものも
いまだに嫌いなままで止まっている

祖父が骨になった報せが届き
精進できずに会食の場を出ていくわたしたち
と知らない人たち
位牌と壺が置かれた
それらしい部屋で骨を待つ
すると
位牌に書いてあった戒名を見て祖母が怒った
祖母は何かをわかっていた

少しすると
それらしい人が
祖父らしい骨を持ってきた
喉仏というのは
実は首の骨で
仏さまが座禅を組んでいるように見えます
とそれらしい解説をしたから
わたしたちと知らない人たちは
それらしく相槌をうった
そして、それらしき人々は
順番に、骨を壺におさめた

祖母が位牌を
おじさんが骨壺を
兄が遺影を
それぞれ持って
火葬場の出口までとことこ歩き
葬儀が終わった
祖母とおじさんたちと知らない人たちと別れ
父と母は母の運転する車へ
兄とわたしはわたしの運転する車へ乗り
実家へ帰った

実家へ向かっている時
わたしは兄に聞いた
「俺があかちゃんの時
 お風呂に入れてもらっていたって
 かあさんから聞いたんだけど、覚えてる?」
「なんとなく」
兄はいつだって
口を少ししか動かさないから
大事なものが零れ落ちないようになっている

実家では
霊柩車に乗れなかった娘としての母が
通夜や告別式の様子を延々と話してくれた
祖母は何もわかっていなかった
そして、実家から帰る時
ペットボトルのコーラを三本
お土産にもらった
これは昨日の通夜での会食に出てきた余り物

祖父は兄とわたしを食事に連れて行くと
必ず「これも食べなさい」と
自らの料理を分け与えてくれた
そのことを
わたしたちは快く思っていなかったけど
兄は
祖父がエビのしっぽを食べていることを
静かに真似していたのだ
もう
確認できなくなってしまった
わたしは無性に
エビの天ぷらを兄にあげたい

あの日にいた
知らない人たちの名前を知らないように
わたしを基準とした呼び名が
また一つ灰になった
わたしが亡くなれば
みんな呼び名を失って
あの日のように
知らない人たちが集まってくるのだろう
祖父が供えてくれた雪は灰のようで
エビのしっぽは粉々になって
骨壺に逃げ込んでしまった

葬儀が終わった数日後
おじさんが祖父の服を大量に処分した後で
母から
わたしがあかちゃんの時の写真が送られた
それは祖父の手が写してくれたわたしの姿
わたしの娘は
小さい時の妻に似ているとよく言われているけど
実はわたしによく似ていた
祖父が生前、わたしの娘を見て
「この子はね、宝だよ」
と言った理由が
ようやくわかった気がした
祖母は何もわかっていないから
母の実家に飾ってある
わたしの娘の写真の横に
わたしの孫、と書いてあるらしい

毎夜
わたしの娘は
兄の手に抱かれたわたしの手に抱かれて
お風呂に入っている

 27

 1

 2

感情のための故郷

僕が涙するときは
三河のためだった

僕が笑うときは
渥美のためだった

僕の井戸から湧き出す感情の
その全てという全てが
ただただ故郷のために捧げられた

それ以外の生き方を知らなかったから

死ぬのもそれ以外にない

 51

 3

 2

ほんとのきもち

まいにち、こころってかわるの
げんだいもふるいじだいも
みらいもどれもみりょくてきだし
いつだってどこだって
いきていられたらいいなって
おもうの

まいにち、ころころかわるんだ
ここあもしてちょうもゆりいかも
しとしそうもぼうせいもげんだいしじんかいも
わたしをかんたんになきものにしたって
わたしはここにいるから

かんそく、されてない
みつけられていないだけで
わたしはここにあるって
きちんとさけぶことができる

つよさもあるしよわさもある
ふつうにんげんだから
ほんとのきもち
ときどき はきだ詩ていきていくの

だぁれもしらないけれど
わたしむかしむかし
詩人だったの
詩とメルヘンに載って
やなせたかしさんに
「13歳の子が何人かいたが
その中で一番よかった」って
褒められたの
たった一度だったけれど
むかし、むかーし
詩人だったことがあるの


いまは、ちがうけれど
ただ しをかくひとだけれど

ほんとのきもち
ときどき
どきどき
きいてほしくて
しかた、なくなるの

よわくて、よわくてつよい
ふつうのにんげんだから

 84

 3

 10

キミハタナトス

ふいに浮かんだ
言葉は
タナトス

恥ずかしくも
ないけれど
意味など知らなかった

昔好きだった
ガールズバンドの
古い古い曲だ

うたた寝してたら
推しのアーティストが
キスキスキス
夢でなら
何でもしてくれるの

目が覚めて
一番に浮かんできた
言葉はタナトス

意味などないから
NASAすぎて
わたしは絶対死なないと
思った


絶対なんて絶対ない世界で
絶対死んでしまう群れの中で
絶対死なない恋ゴコロ抱えて

キミハタナトス
私と一緒に
絶対死なないと
思った

 33

 1

 4

CWS怪談会 来訪者

いつものように歩いていたのに
いつものように犬と散歩していた夜に
いつもは足を止めもしない場所で

足が歩みを止めて犬が不思議そうに
足のまわりをくるくると回っている

線路下の細い道が口を開けて夜を
吸い込んでいる、あの先にはカエルの
墓がある、湧き水の池のほとり
幼い頃に友たちと戯れにいたぶり
殺したカエルの墓がある

友たちのひとりが、皆が帰った後に
石の上に叩きつけられたカエルを
池にかえしていた、私に気がつくと
カエルのお墓はみずのなか、と笑った

ちゃぽん、と水が打たれて響いた

彼とはもう会う事はないだろう
風の噂に九州辺りで台風の日に
貯水槽に落ちたとか、そもそも
顔すら思い出せない色白の少年

カエルのお墓はみずのなか

半袖半ズボンからのびた白い手足
斑ら地のカエルの頭が首から上に乗っている
月の寒い夜には境を越えて彼はやってくる
ぐるぐるぐると喉を鳴らしている

そら、道の暗がりから
手が出た、足が出た、白がはえる、はえる
カエルがはえる、犬が吠えた

いつものように足が歩みを止めれば
お前が吠えてくれるのだ

月の寒い冬の道にはまた暗がりだけが横たわり

いつものように私は犬にひかれて歩き始める
顔すら思い出せない幼い日の友だちの白い
面影はあの月の横顔のように満ちては欠け
またあらわれるだろう、思い出せない
笑みをたずさえて、境い目を漂う、貌

カエルのお墓はみずのなか

 20

 1

 3

CWS怪談会 傾いた家


これは私と先輩のある怪談についての記録である。


『 傾いた家の双子 』

ある田舎町の外れ、坂道の途中に「 傾いた家 」と呼ばれる廃屋があった。地盤のせいで右に大きく傾き、まるで今にも崩れそうな姿で夜には月明かりに浮かぶ。地元の者なら誰もが知るその家には、奇妙な噂があった。「 夜、窓に子どもの影がふたり、並んで現れる。決まってふたり。ひとりで行けば何も起こらないが、ふたりで行くと……出る 」。小学生くらいの背丈、兄妹とも双子とも言われるその子たちは、誰も知らない過去の住人だった。

高校生の俺と親友の翔太は、夏休みの夜、肝試しでその家に忍び込んだ。懐中電灯の光が、ひび割れた壁や割れたガラスを照らす。家は静かだったが、どこか空気が重く、足元の床が微かに右に傾いているのが分かった。翔太が冗談で「子ども、出てこいよ!」と叫んだ瞬間、奥の窓に影が映った。小さな、ふたつの人影。背の高さがほぼ同じで、じっとこちらを見ている。影は家の傾きに合わせて、右に不自然に傾いていた。

「 ……見てる 」と俺が呟くと翔太の顔から笑みが消えた。影は動かない。ただ、じっと窓枠に張り付くように立っている。俺と翔太は息すら止めて固まっていたように思う。突然、家がぎしっ 、と大きく軋んだ。まるで家自体が息を吐いたかのように。俺たちは一目散に逃げ出したが、振り返ると窓からふたつの影が身を乗り出し、満面の笑みで手を振っていた。

家に帰り着いた後も、胸騒ぎが収まらなかった。次の日、翔太と二人で近所に住む怪談好きな先輩に話を聞くと、こう告げられた。

「 ……あの家な、昔、双子の子どもが住んでたらしいぞ。家が傾き始めた時、前からちょっとおかしかったらしいんだけどね、親が『 お前たちのせいで家が壊れる 』とか言ってたらしいんだよ。しばらくして子どもたちは行方不明になったらしくてな。以来、ふたりで行くと『 なおす 』ために現れるんだ。気をつけな、一度、遭遇したら次はひとりでも現れるらしい。なおされたら……何か忘れるらしいぞ 」
「 なおすって何をなおすんですか? 家だとして僕たちに関係ないじゃないですか 」
「 さぁなぁ、何を『 なおす 』のかは俺にはわからんし、だいたい幽霊に真っ当な理屈があるのかもわからんよ、まぁ、そもそも噂だしな 」

じゃあ、どうすりゃいいんだよ!という言葉を俺は飲み込んだ。

それから数日間、ふと、視線を感じて辺りを見廻すとこちらに向かい傾いているあの双子の姿をみるのだが、瞬く間に消えたり錯覚か、と思える状況ばかり。

なので、自分がおかしいのか、本当にそこにいたのかよくわからなくなっていた。

ある夜、駅からの帰り道、街灯の下に立つふたつの小さな影。歩く姿を見ていないのに、振り返るたびに距離が縮んでいる。俺は必死で家に逃げ帰って後ろ手にドアを閉めてもたれかかった。

ドアの向こうから、ぎぎ……ぎぎ……と爪で木をなぞるような音。続いて、幼い声が重なる。

「 かたむいてるね 」
「 なおさなきゃ 」

そのとき翔太から短いメッセージが届いた。

「 俺、なおしてもらった 」

自分の部屋に駆け込みながら焦って電話すると翔太は「何だよ、バイクの話だろ? 壊れてたの直してもらったんだよ 」と笑う。だが、俺には分かった。あの夜のことを、翔太はもう覚えていない。あの不気味な子どもたちの笑顔も、家の軋みも、すべて。

翌朝、玄関のドアに二本の爪痕が刻まれていた。家族がイタズラか?と首を傾げていたが、俺にはまるで何かの証のようにみえた。以来、俺はあの坂道を避けて行動するようになった。だが、時折、鏡の端に映る自分の姿が、ほんの少し右に傾いている気がする。もしかして忘れているだけで俺もあの子どもたちに「 なおされ 」たんだろうか。

数年後、俺も翔太も進学や就職で地元をでた。翔太は結婚し、双子の子どもを授かったと聞いた。ビデオ通話で話した時、翔太は双子の話を楽しそうに語ったが、なぜかその子たちの写真を見せようとしない。「近々、引っ越すんだ」とだけ言って、笑顔の裏に何か隠しているようだった。通話が切れた後、俺のスマホに知らないアドレスから画像が送られてきた。そこには、翔太の家の窓に立つ二人の子どもの影、右に傾いた姿勢で満面の笑みを浮かべていた。
                  おわり

 これがとある実話怪談投稿サイトに投稿された『傾いた家の双子』という怪談である。先輩からこの怪談のURLが送られてきたので読んでみて私は驚いた。先輩に、これうちの地元のあの家ですよね? とメッセージを送るとその夜、早速、電話があった。

「 懐かしいだろ?」

 まぁ、と返しながら私はどう言えばいいかを考えあぐねていた。何故ならあの怪談は随分と昔、そうまだ私や先輩が地元にいた頃に、

「 その話にでてる傾いた家の話。俺の二つ上にいた文芸部の田嶋さんが創って拡めた創作怪談だよな。出来は、まぁ……あまりよくなかったけど 」

 そう、その通りだ。確かに傾いた家はあった。だがあそこに過去、双子とその家族が住んでいた事実はない。あの頃、田嶋さんやその周囲の人たちが面白おかしく創った怪談とそれにまつわる体験をさも本当にあった怖い話として吹聴していたのを私は知っていた。この体験談もきっと事実ではないだろう。まさかそれが投稿サイトに送られるほど定着するなんて考えもしなかったのだが。

驚きましたよ、誰か地元の奴が投稿したんですかね、と笑いながら返すと先輩は困ったように唸り、

「 それがさぁ、名前は変えてあるけどこの翔太ともうひとりが俺に相談に来たのは本当なんだよ。次、来たら種明かししてやろうと思ってたらな。来ないからなんともなかったと思ってたんだよ 」

 それが今更、これですか、と返しながら私は苦笑しながら投稿日時が一週間前になっているのを確認した。

「 あぁ、ご丁寧に自分が投稿しました、てリンクを送ってきたんだよ。しかもこんなものを一緒に送ってきやがった 」

直後に先輩から一枚の写真が送られてきた。それはどこかの家の前で撮影された家族写真のようだった。にこやかな笑顔が並んでいる。先輩は誰に言うようにでもなく呟くように続ける。

「 やっぱり良くないんだよなぁ。作り話でも皆んなが信じたり、やり過ぎたら、駄目なんだよなぁ 」

 特におかしな所はない。

何故か写真が右に傾けて撮られ写っている人達が皆、右に僅かに傾いている意外は……









※ 投稿された怪談の内容は変えているが、これは実際にあった話を元にしています。

 20

 1

 2

CWS怪談会:田伏正雄のおしゃべりクッキング

「田伏正雄のおしゃべりクッキング」という番組を、男はどこかで耳にしたことがあった。ただ、記憶は判然としない。浴び続けた情報をすぐに忘れなければ、テレビ局で長く働くことなどできない。男は情報に鈍くなっていた。

先日も、ある県知事が行政改革を掲げたが、すぐに港湾利権の炎上に巻き込まれた。結局、既得権益層から叩かれ、週刊誌にはスキャンダルが踊った。テレビが報じるのは週刊誌の見出しの部分だけだ。港湾利権の構造が映し出されることはない。業界に身を置く男には、それが当然に思えた。報道は伝えることよりも、伝えないことによって成り立っている。

田伏正雄という名前も、どこかで聞いた覚えがある。ただ、記憶は判然としない。この国の経済が衰退していることも、数字としては報道されている。だが、核心は語られない。情報が隠蔽されているわけではないと男は考えていた。「この国の真実は」と語る声は胡散臭く、陰謀論めいて響いた。港湾利権をめぐる断片的な話も同様だ。少なくとも、報道とは確認できない推測を喧伝することではない。

男はもう情報に心を動かされることはなかった。それでも「田伏正雄のおしゃべりクッキング」だけは頭から離れなかった。
どこでその名前を見聞きしたのか。記憶は判然としない。

資料室に入った。そこは資料室というより忘却物の墓場だった。
使われなかった企画書、ボツになった古いテープ。資料の保存というより、忘れるためだけに集められた情報の廃棄所。

男は一巻のテープを見つけた。
ラベルにはかすれた文字で「田伏正雄のおしゃべりクッキング」とあった。デッキに差し込み、再生する。

映ったのは、異常に鼻毛の伸びた大柄な男だった。大男は調理台の前に立ち、カメラをじっと見つめている。観客も司会もいない。
画面には番組タイトル《田伏正雄のおしゃべりクッキング》のテロップが流れる。しかし、田伏と思しき男は何も話さなかった。

やがて田伏は空の皿を掲げる。

テロップが重なる。《今日の食材は沈黙》

田伏は空気を包丁で切り続けた。《まず沈黙をみじん切りにします》
今度は空気に塩コショウを振る。《ここで沈黙の味を整えておきましょうか。お好みでカレー粉なんかいいですね》

出来損ないのコント番組のようにも見えた。
だが田伏の表情は沈鬱そのもので、冗談でないことを示していた。

田伏は皿に火をかけた。
油を注ぎ、水を流し込む。炎が立ち上がり、火は衣服に移った。
田伏は動かず、そのまま燃え尽きた。

異常な映像だった。もし作り物でないなら、人が一人死んだことになる。

このビデオを世に知らせるべきか。

男は誰にも何も伝えなかった。

伝えないことを選んだのではない。ただ、記憶が判然としなかったのだ。

 97

 6

 2

ハサミを持つ女

蟹が流れていくのです
死んでいる蟹が流れていて
静かに
水墨画のように
摩擦係数が限りなく
明日に近くて
さらさら
さらさら

蟹が流れていくのです
ハサミで誰彼傷つけながら
生きていく蟹が流されて
うるさくて
蝉の声が聞こえないじゃ
カシャカシャ
カシャカシャ
洪水警報がウォンと
響いたときが

すべて流れていく
あの空白のブログは
汚辱以外の何物でもない
女がハサミを持って
そう言うのだ

やはり、静かに
死んだ蟹が
大人しく
さらさらと
流れていく静寂

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 1

 0

甦 -Fusion-(漆黒の幻想小説コンテスト)

 僕は、ここに居る――隔離室で、訴えてきた。青い蟲を肌に泳がせたまま、ずっと。
 痺れた手から写真集が滑り落ち、拾えないままベッドから落ちた。その痛みよりも、内蔵が喰われる痛みにうずくまる。
 床に飛び出たユニコーンの栞が、霞んでゆく。外の世界を見たい――その望みをページが叶えてくれた日々が、十年の人生ごと、病魔に蝕まれてゆく。

 その時。辺りが白く包まれ、一筋の銀の光が射した。顔を上げると、ふっと体が浮いた。床が月白の被毛になり、軽やかな足音と、強い鼻息が聞こえてくる。だが腕を見ても、蟲の蠢きは残っていた。
 途端、建屋が砕け、瓦礫が降りかかる。恐々と前を覗くと、銀の鬣が靡く先に、一角が光った。高い嘶きがし、温かい胴体を股に感じた瞬間――ユニコーンの猛進に、思わず身を委ねた。

 景色が瞬く間に流れ去る。
 ビル街に、排気臭を絡めた風。小さな画面に取り憑かれる人々が、彼方に消える。
 次第に土が舞い、焦げ臭さが鼻を突いた。幾多もの鉛の筒が、幾千もの飛弾で、容赦なく命を塵に変えていく。
 目を背けば陽光に眩み、大海が広がった。絶景に病を忘れても、肌を打つガラクタが、現実に引き戻す。
 やがて砂煙を抜け、森に飛び込んだ。緑の空気に肺が洗われる後ろで、木々が倒れ、荒野が押し寄せる。
 その刹那、強欲の猟師が歯を見せ、幻の毛皮を纏うユニコーンを撃った。景色もろとも、僕たちは崩れ落ち、やがて、崖底の衝撃に声を絶たれた。

 拡がる血に、僕ははっとした。伝説の甦りの血の存在が過るや否や、夢中で啜った。
 体内が燃え上がり、肩が軋む。と、血肉の激動に、銀翼が裂け出た。激痛の悲鳴に翼が躍動し、病魔は、生気が漲る銀の雫に散る。
 それを浴びたユニコーンは顔を上げ、唸った。僕は、その悲し気な顔を支え、首を横に振る。
「いいや。思っていたのと違うのは、狭いところから外を見てるからさ」
 これが、実の世界なのか――互いの悔いが、震えに変わる。
「廃れても、また戻る。でもそのためには、長い時の路を経て、あらゆる思考の渦を超えないと……」
 僕は首を落とすと、ユニコーンが鼻を擦り寄せてきた。潔い、感じたことのない鼓動が、体を打ちつける。
「ああ……僕達は、また生きられる。行こう、遥か彼方へ」
 ユニコーンの勇ましい脈が、全身を飛翔力で満たしてゆく。甦った嘶きと羽ばたきに大地を蹴り、体は今、一つになる。

 目指すは、羽吹雪を彩る本物の虹。僕らペガサスは、翔けた。

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 0

笔 -文字の奏-(漆黒の幻想小説コンテスト)

 その古い木の家には、胡桃の香りと、代々伝わる書籍の匂いが染みついていた。ろうそくの光輪の中、丸い背中を、塵光が柔らかに撫でている。
 少女の書く手は止まっていた。窓越しの朧月に、なぜか気を取られてしまう。その時、雲間をはしる青い光に、足が動いた。それに呼ばれたような気がし、たん、と部屋を飛び出した。伝統の笔を、握ったまま――

 眠りこけた森には、翡翠の微光を放つ蟲であふれていた。その美しさに、少女は森の奥へと誘われる。羽音に耳をくすぐられては、笑みをこぼし、足は軽やかに進んだ。そして、視界がひらけた途端、息が震えた。
 砂が潮風に舞い、金色に煌めいた。それらは、時に寒さを、時に温かさを含む、つたない文字になる。
 それらを、少女は掴もうとした。雲が白銀の月を晒し、膨らみ、文字を成す。更には、果てしない夜空に散り、広がりゆく。胸の迷いは、もう晴れる――そう告げるように。
 綴りが宙に踊り、月光を受け、海にたゆたう。少女はときめくまま、笔を振った。書きたい――その想いに応えるように、小さな戦友は指揮棒になり、足に羽を授けた。

 向かいくる青い流星に、掬い上げられていく。笔を宙にはしらせるたび、書き出せない辛さが、闇に溶けだした。連なる光の文字は、世界を、この瞬間を、埋めつくす。
 白と黒が混じる、生きたいと死にたい。授かりたくても授かれない辛苦が、紫に。
 灰色は、築きたくとも壊してしまうと嘆く。黄色は、飲み干して忘れろと言う。
 笑顔にひそむ涙に、水色がもたれかかる。我慢が、赤く燃えた。
 繊細に紡がれ、やっと形になる愛は、桃色に染まる。
 心に、文字で寄り添いたい。願いを乗せた笔で、ただ真っ直ぐ、表現した。光の文字の譜面に、こみあげる想い、汗と焦り、そして粗雑さもまた、籠めながら。

 大気に眩いファンファーレが波打ち、ふわりと、階段を下ろす。柔らかな文字を下ると、少女は、舞い上がる砂の瞬きに天を仰いだ。
 文字の雲が、光が、波が引いていく。輝かしい賑わいに、静寂の帳が下りようとも、まだ眠るわけにはいかなかった。

 また、笔を執る。
 文字が描いた感情や、空間が、旅に出る。見えないものに寄り添うために。人の手で籠めるからこそ、美しい。廻る想いがいつか、星座やオーロラになるならば、語り継がれ、伝説になる。
 少女は、強い溜め息とともにピリオドを打つと、灯火を振り見た。信念が瞳に揺らめく時、紅潮した頬が、じわりと上がった。

 6

 2

 0

月 -見守るもの-(漆黒の幻想小説コンテスト)

「びぇっくしゅん!」と、妙なくしゃみをする爺は死んだ。「望みは必ず叶う」と、虚ろなことを言い遺して――

 その崖は長く、険しい、手足を血に染めるほどだ。諦めて戻った者、途中で息絶えた者、行き着いたとて月の声などしなかったと言う者――様々いる。
 それでも、わたしは訊ねたかった。この頂きは、世のどこよりも月に近い。今宵は、年に一度訪れる、月と下界の帳が解ける時なのだ。

「我は、子どもという人。応えよ、月。人は何故、嘘をつくのだ?」
 月は無言を貫いた。それが答であり、当然かのように。
わたしは、悔いに歯を軋ませる。と、心底に震えを感じた。
「教わるからだ。嘘をつくな、という嘘を」
 低くぼやけた声は、首を捻るわたしを置き去りに、言葉を紡いでゆく。
「そして、楽しみ、満たすために。免れ、長く生きるために。また時に、暖を齎すために」
 わたしの眉は、寄りに寄る。歳に見合った身体が欲しい――その望みは未だ叶わず、暖などからはほど遠い。
「それでも悪ではない、と……?」
「それは、嘘を唱える者のこれまで、即ち、生き様のみぞ知る」
「……月よ、この道のりを緩やかにし、より、世に詞を聞かせてはどうか」
 傷だらけの身をさらし、わたしは懇願する。だが
「月は、見守るのみ。信じられる行いから始めよ。信じてもらいたいのならば」
 わたしの心で、これまでの嘲笑が甦り、迷いの沈黙が起こる。月は、応えた。
「誰よりも先ず感謝し、先ず謝罪せよ」
 蔑むだけの者にとんでもなく、わたしは、苛立ちに燃える。しかし
「子どもという人。そなたは、大人という人の忘却物。して、未来の忘却物の卵。今、これを聞き、悟るならば、嘘ではなく真が孵り、直き心が息吹くだろう」
 わたしは言葉を失った。生まれて三十年、しかし姿は十ほど。“大人という人”と呼ばれない――その孤独に癒しを捧げる爺にも、先をいかれた。
 口を噤んだがために、月の声は無くなった。見ると、その表面は薄れはじめ、わたしはふと、踏み出た。小石が転げ落ち、無音に消える。まるで、この一時をかたどる様に。
 詞を求めて伸ばす手から、皆に追いつきたいという焦りが、汗となって散る。それでも、月は彼方へ引いていく。それに別れを察した時、一言が、舌を蹴った。
「ありがとう」
 そして、わたしがやむなく踵を返した、その時――
「びぇっくしゅん!」
 強い振動が背を貫き、大きく、心が弾んだ。見ると、月の中に、爺の最期の笑みが消えた。

 3

 2

 0

薬局にある象の遊具

落花生みたいな宇宙飛行士が
国際宇宙ステーションへ移った日
雲が紫色だった
こどもを連れ 薬局の前を通る
オレンジ色に塗られた遊具が置いてある
佐藤だか加藤だか そんな名の象の遊具
こどもは象の遊具に乗り
ゆさぶる
ゆさぶろうとも五十円玉は持っていない
でも こども ゆさぶる ゆさぶる
五十円玉はないのだとわからせたく
五百玉をいれる 真似をする

あっ 手がすべる
象の遊具にすいこまれる五百玉
ふるえだす象の遊具
予想と違い
種子島とかヒューストンからの
中継映像みたいな轟音で
ふるえだす象の遊具
やがて白煙
 の向こうに消えるこども
〈スリー ツー ワン ゼロ〉
打ち上がる象の遊具
空へ
紫色の雲は散る
大空へ
高さは距離になり 豆粒は
宇宙へ

こどもを打ち上げてしまい痛む胸
薬局に入り もらう 痛みどめ
有効成分配合
飲めるのは一日三回まで
空を見上げるのは
一日一回まで

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 3

MEMBRANE (9,500字)

MEMBRANE
「”境界溶解”―― 変容の螺旋」として12片



序幕:あまだれの記号

 記号化された肉体 増殖するシミュラークル  
 人工食材の群体/培養された死角/ホログラムの蝕たち

 苦虫を噛み潰したようなくそまずい飴を、舌の上で転がすように、行き場のない飲み込めないものが滞留している。しづくの奥に眠る、かつて名を持たなかったものたち。あまだれが内耳を払うたび、(口をつける紙コップの泥水、風でゆらぐ風鈴のおと、水辺の子供らに眩しくて目を細める。)世界はまだこちら側へ屈折してこない。

輪郭を失う雨粒はサイノメで、毎朝 つっついて  
 /くわえ/てをふって/さていった(香りがする 
「こちらの世界はどうですか〈ひらかれたことのない胎嚢

 あまだれのうちがわからよそを拝するとき。足跡を零し渇きが濯われる。  
 そなえた月がまたみたされた問いで芽吹く始発で。今、胸の奥で言葉より早く、


第一膜:水の記憶

 なにかがじっとみずを貯めている。即ちかげも差さずくちも閉じたまま 眠らせてくれない かぁきのハンケチは ゆびのあいだから溢れ やさしく熱をもつ。おびただしいおとの拡がる 速度ないうみ。あおいガイトウを確かめるように ひまくと唱え お化けのよう いつのまにか目に入ってきたもの
 たとえば、悲しみにくれる夜。こらえきれなかった涙は、かえって澱を洗い流す。その瞬間、感情の輪郭があいまいになり、「あなた」は滲んで広がっていく。叩きつけた雨粒は羽をやすめるもの露面を跳ねまわるもの、狼狽えながらでもみずたまりで踊れるのだろう

 言葉よりも先に浸透する、皮膚が憶えてしまうような、深い揺れと淀みが記憶を含んでいる、傷んだうるおいに注ぐばかり。いつか、かたりかける、液体的な境界へ、すべてを抱きこみ、のみ込まれ、定まらぬ具象を、易しく手懐ける雨、雨 雨傘もささずに今更どこへ向かおうが沙漠の黒いあらし、渇いている
 ぬるい光を吸いすぎたからだ、静かにこぼれてゆく。この手からわたしのかたちが崩れてしまう。わたしではない誰か、私をすり抜けて私に還ってくるまでの記録

 そのすべてをたいらげるまでがわたしの朝であなたの死  
 星を詠む時間より先にやってきたあなたは、  
       ――あれだ。もう、すでに(おかあさん、)  

倫理と欲望の膜が破られるときに含まれたまま


第二膜:羊水の胎動

 世界とわたしのあいだに、膜がある。仮になにかがたしかに終わり、しかし同時に始まっている——そのことを、まだ名もないしずくが知っている。湿ったやわらかな薄明かりを境に。わたしはまだかたちを持たない、だからどんなかたちにもなれる。この身をこぼしながら、わたしはあらわれてゆく。
 終わる、なにかのはじまり
 成立しない整合性。まだ未分化の"おぞましさ"が乳白のような 情報は眠らない。しんくいろは生まれてすぐの乳飲み子の移り香と似ていたのかもしれない。触れたあと、告白、ふやけた指でささくれに似ている わたしが炭化した残滓で、苦しみを背負わされる皮肉とある
 むしろ、明確な始まりも終わりもなく、濡れていること自体が証左となる。あまだれの滴りは、内と外を貫通するリズムだ。溢れさせておくこと、抱えきれない、やわらかい敗北こそが、最初の皮膜にはふさわしい

 破裂するでもなく、断絶するでもなく。浮き上がらせる作業なのだ。境界は、滲み出し、濡れ、抱きしめるように変わってゆく。涙とは、かつて固かったものが溶ける拗音。記憶の水位をやさしくゆるがせて、内と外の区別をわざと腐らせておく。母体という他者の息吹が、こちらにまで滲んでくるとき、あなたはまだ「わたし」ではない。湿った潤むまなじり、熟れたまなざし。それらが等価に存在する場において——

 いまだ定かでないものたちの気配を、濯ぐとは、汚れを除くことではない。泣くことは、われたのではない/ひらいただけ、再び呼吸できるようになった、いまや膜は生きている。自己という個は未発生のまま、ただぞんざいに茹だっている。名付けの前に在るその名前たちが、水中で発酵する。その状態こそが羊水——世界の入口でありながら、名を持たない出口として。それは洗い流すのではなく、乾くための時間とする。零れることを恐れていた指が、今では祈っている。

「これが、(焔のような格好で、どうせすぐに元通りになる、)か?」


第三膜:光の散乱

 死廻、珠海。ひかり。ひかり。虚のなか、このからだもこころも、どこか薄っぺらい襞の塊。やがて意味を得てしまう以前の、無名の光。それを見ているのは、たぶんまだ誰でもない。
 無垢で穢れた胎内にあてがう感情の灰。汚れたリネンの一枚布はいつかを梳かした気がした。燃え尽きる前の花びらのよう、わたしの指を濡らして。朽葉の境界。剥がれかけた暦は、視えない風が撫でる場所を探している。

 夏のかおり、日に焼けた肌。白昼夢、なんでもどうでも結局、ゆめものがたりに至る。花の見分けもつかないくせに、どうしてかハッとなる。振り向けばスクリーンは身震いするほど。散りばめた星星は足元にぽっかりと胸中を映し出す、めくるめくなんてウツケだ。
 湿気と砂埃を柄杓に入れ 濁りだけが残る。声なき声よ。御覧、濡れたカーテンが生乾きの潮を吹き返した 膚らを剥いてみれば、魂は喘ぎ 呼気が旅に。こめかみが赤くゆれる/咽頭に触る/くちぐせは花まかせだから。ちぎれた芯に火種の命が宿る。乾いた痣、うろこの跡、咽ぶ形が吐き出したものの

 暗く狭い部屋で煌々と明かりを絞って己だけを照らすものに縋るが酔い。ガラスのような不在、紙片のようなかすかな証拠。雲の彼方も知らねえ陽の光もろくにあたらねえ、灯なんてほそぼそ路地裏へつづくみちへおぼつかねえ足取りでな。それは、誘蛾灯に惹きつけられては、パチンと、運悪く目が醒めるもんだ。


第四膜:境界の戯れ

 たのしおもしろや此のよンなかは、どこであろうと娯楽に縁、落ちぶれようと野花に富、思い込めば艶やかに狂っていける。まだ皮膚は反響せず、まなこは沈黙を抱いてゆれる。
 水風船は膨らんでいた。まあるく湛んで、おはじきみたいにころころと。忘れられた俯仰は濡れた域、おしゃぶりだけが残された交い。こもれび、閑散とした露面、アカトンボ。あおいみはまだあかちゃんのころ。いつかの確信が爪を立てた 「あるべき姿のひとつだと思います」

 くだらねえ世の中に、なんて興味もねえ、忌々しい現実が更新され、瞳に映し出す芯に手足があり、己がゆくえを急かされるだけだ。出口のねえ迷路のようなもんで、いつだって明滅している。触れると壊れるが、壊さなければ変わらない。見えてしまったなら立ち止まってしまうだろう。

多くのこされていた血と衝動は "ぴーぷる"

 生理食塩液を已まない。ナガシダイのセイレーン。(染め直した形見よ。(兄と喚ぶことは(躊躇いもなかった)。それは顔を持たない感情の憤悶。脚の代わりに尾をたゆらせながら、うっすら青ざめた内臓に、すくい取った糞便が、絡織の糸に吸い寄せられ、
 おおくの出目金が上に、上に剥がれ裏返り昇る。胚に代える、奥でまだ動いている鳥の夢は、放たれるたび、決して離れず、軌道を描いて戻ってくる。接続することでしか成立しない言葉が皮膚の内側で焼けた匂いの方が先に 火を立てたような格好で、それは骨と生きてはいけない。
 真宵蛾よ。何処へ誘い赴く? 霧は深いほうが酔い。眼鏡は曇っていたほうが善い。濡れているのは世界のほうなのだ。街の人は一向に動かないが。春は募るようにできている。ただそれだけのはなし。逃げ道を作るなんて信じ込む。成り行き任せに。どーせくどくどと大げさに囁いているだけ。なんて軽口、いまや川の流れついに海のみちひき、いやいや大層な処じゃない。たしかなものを掴む前に、総てが先に辷りおちていく。対岸の芝は萠えるような そこに、のっぺりと黄昏の雨がくる。


第五膜:蛹の沈黙

 外筒にコインを吊す、これは儀式ではなく、重さの格好  
 一脚の椅子の残響 忘れ形見がまだ、壁にじんわりと染みている  
 身体が自らを疑う瞬間 さっきまで誰かがいたときに刻むような仕種

 静寂は、いつも中空にぶら下がっている。蛹とは、沈黙の中で行われる彫刻である。自己が自己を喰い破りながら、別の姿に凝縮されてゆく。
 輪郭にすぎない。欲望のうしろに垂れたひと匙だけの温度で。残っていた。白い蛇のような腕に蛭が吸い付く。拍芯がじわじわ鳴く、内腑の季節がつよくめくれていく。

 そう信じてしまうつまらねえニンゲン、コーヒーカップにメリーゴーランド、こりゃ閉園だろうとしてのせてやる、病葉や朽葉がなすすべもなく澱みを齎す、そんな窓辺にあり、庇の奥、視界ひとつも思考一つで掌に転がす。

 皮膚の裏で起こっていることは、語れない断片をただ削り続けている、持て余すだけのいま、それだけが過去という名の幼虫を崩し、未来という名の飛翔体をまだ許さず、その中間を生きる存在。それが蛹。
 隠っている。完全変態のなかばでまだ名前を持たない時間。意味を溶かし、かたちを捨て、ただひとつの核心に凝集する。皮一枚、粘膜のさらに内側に潜ることでしかたどり着けないものがある。それは、言葉がまだ届かない密度。
 うろ一枚一枚に浮上する 常懐の焦げあと。湿りと熱の境界に翔ける、焼けた目玉とふるえている、孔雀蝶。冬に溶け落ちた蝋燭たち。まぶたの磊を通して、存分に退化した朝焼けを吸い込む、大水青。

 事実など、そのくちばしで鋭利に摘まれた花と共に落下する、束の間の夢と溺れよ。語句を削るたびに、なにかが強くなる。失われた言葉の空隙が、かえって密度を高める。削るほど、濃くなる。紙片に書かれた最後の行だけが真実であるかのように、蛹のなかではすべてが集約されていく。その境界は固体的だが脆い。ひとたび破られれば、二度と戻れない。しかし、その壊れやすさこそが、変態を可能にする


第六膜:繭の構築

 わたしはわたしを編みあげる。糸くずのような思考を吐き出し、古織のような記憶をまといながら、世界に対して一度だけ背を向ける。
 ほら、わたげがまたひとつ厚紙でできていて、中にボタンが三個。おそらく指紋の代用品。
 まただ!まただ!だれが手を引こうが、だれの手を引こうが、どこへ向かうかは知りやしない。背は重い、手汗を握る、暗夜だったから?だろっ と、くだを巻くもんだ。

 軽く漂っている。鈍ったひかりが、沁みをうつし取る差異に、消える順番を決めていた。口をとがらせ、ひとつぶごとに割り入れる。ことばになるまえの、てのひらのくせ  
 やわらかい音を帯びて、そっと押しつけていた。まっしろい指がさわるたび、ぬくもりの層がおぼつかない。ひとのかたちは斑模様、水のなか
 繭とは、自己による自己のための境界である。皮膚よりも意志に近く、骨よりも柔らかく、だが確実に他者を閉ざす構造。やわらかさが強度になる、その逆説のなかで呼吸している。

 これらガラスケースに収まり 薄く永く遅くなる。小蜂が通ったあと、その上で空気がゆるんだ。展翅台のめまいと呼ぶ 軋むゆめに見たかたち、泣き笑いの間取り図の 不揃いだけが動いている。
 それは整わないことを術として選んだ「/そちらも同じですね」、声が嗄れる前に、重たさだけ増していく。また座っている 崩れきらず、壊れきれずにしがみついた。"わがまま"に見えるもの。それらポケットには、指を組む音だけが骨の奥でうずく。  
 その化生は襤褸糞を立てずに沈み、ゆっくり/ていねいに/ねじった/実の皮ではなく、開かれた本の装丁。狭い、飢えではない、適応でもない,鰓。風のない処で呼吸を試みるように、願いは逆方向に折れ曲がる翼。紙片にできない身体が、座ることをやめ、そこに在った。

 癒えきらぬ傷をかばいながら、それを抱きしめるようにして丸くなる。これは逃避ではない。これは準備である。手放すために編まれる仮の殻。だが、それは必要な脆さだ。

 繭のなかでは、時間がちがう。外界の時系列から切り離され、自分の速度で変態が進行する。そこには、壊れることでしか得られない設計図がある。すべてを知ったうえで、あえて沈黙する強さ。そして、破られることを前提とした構造体。封書の中身ばかりが佳い香り、宝石のように光ってみえる。世界はまだ遠く、触れない。だが、その破裂の瞬間を知っている。なぜなら、それを編んだのはほかならぬわたし自身なのだから。


第七膜:記憶の折り畳み

 折りたたまれた傷が湿った苔。記憶に近い 湿った視線が肋骨に沿って、透明な血管を這う静脈のように。なんの兆しもな潜く、幼いままで。かすかな影だけが灯る。光は炎のように、かつての体温をなぞっている。記憶が喉元に宿す逆火のような。みずみずしいその名を呟いたとき。燃えながら濡れているという矛盾が、唯一の祈りとなった。
 熱の収められた時計の針の、奔る順序のように なぜねぐらは一滴.一滴,一滴「明後日の私」を立ち止まらせるのか。

 あれは手紙ではなく、折りたたまれた時間だったのかもしれない  
 ハルシネーション。ハチドリが裏返る。あれは腹太い夢見鳥が杞憂

 ここでは視線が灰になって落りてゆく。誰でもなく誰よりも、誓い、遠さを抱えて。それら眼孔で露出する床に、置かれた紙袋 減ったとも増えたとも思われ、傾きをおぼえている 質量は発語のかわり、ひっかかる前の時間を撫で 拒絶でも親密でもなく ただ血管に沈殿する関係。裏返っている。ひとつだけ食器が あとはある 逆さに経ったまま、シートをずらして。強く求めるは弱さのかたちを。誰も呼ばずに羽を下した祈り。捨てたのではなく黙って隠したのだった。
 それは柵、と知っても。本当に隔てているのかは分からないもの。はしらのかげと、気の弱い着物は重心のずれた午後にそっと揺れ、ふっ、と裏庭をつないでいた。境界線は糸くずのように細くて見えない まばたきの裏側でだけ呼吸する存在。

 大きな声でことばが逃げていく。エンジンもライトもつけず、いきれすら形を変えていた。かおがみえないほど、なんともお似合いだった。ひかり/茫々と焼け出され、苦るような粉塵が巡り歩いていた 私はひかり/それを信仰した。


第八膜:燃えながら濡れている

 発火点が疼く。炎の羽毛だった。くちなしの花が、ずっと腐らない、布の上に 沈んでいる。問いのかたちをした遺言のように。しわがれたカーテンが滞留する時間という呼気の反復。眼差しの奥で、声にならない名前が芽吹いていた。
 この火は、声を出さずに燃えている。濡れた木のように、じりじりと沈黙のなかで発熱する。外からは静かに見えるが、わたしの中では、無数の言葉が焼けていく。
 舌の付け根から、弱っていく感覚。黒い石鹸で洗った姿だけが、泡を吐いていた。自己と他者の境目も、ただ、揺れていただけ。なぞられる名も、顔も、もう忘れているのに。拙い水のあさなわが拡がる 掴めそうで、裂けていく。こころなしか干からびた地面を這いずりそれでも水脈を辿るように、胎嚢の夢が瞳を閉じた。
 壊れていく最中に、かすかに癒えていく感触。矛盾のなかで、わたしはまっすぐになる。情熱と制止、苦痛と愛惜、自己とその否定——それらは拮抗しながら共存している。
 たとえば、誰にも言えない愛。言葉にしてしまえば壊れると知っていながら、内側で燃えつづける。抑えたままの情熱が、ある日、ふとした瞬間に目の奥を濡らす。そこにあるのは恥ではなく、深く生きた証。
 寒いそこに伝染る。火のように燃えながら、しかし濡れた布のように冷えている。
 燃えているのに濡れている——そんな状態。繭は、自己による自己の軟牢。やわらかく、自傷を避けるように設計されている。だがその内部では、常に破裂の準備がされている。
 濡れたまま燃えつづけるという選択。誰にも見せない変容の内火。いま、世界とわたしのあいだにある境界は、もはや線ではない。それは、呼吸と痛みのあいだに張られた、透明な皮膜。
 その内側では、わたしという個が、かつての殻を焼きながら、次のかたちへと滑らかに移行する。燃焼は、浄化であると同時に傷でもある。濡れているのは、涙か、それとも残された湿った夢か。


第九膜:変容の螺旋

 ときにちらつく動作を中心に据える。言葉より早く現れるジェスチャーが、返事を凌駕する。ハネに劣るくせに着地して 失敗のあとでしか開かれない扉もある。閉鎖的な肺を膨らませ全身に原色がたかっていく。色彩は思考ではなく、問いの根拠になる。狭く広がる、時間のない、地図をひろげる午後。道筋ではなく、漂い方を記した地図を描こう。
 つまらなく饒舌な日々、そのうちどーせ四華花は咲くもんだ。なんて舟を進めながら、あたふたして、明かりを消した。ただ緑に宿る烟る、ただただ水を得た蕾のあたり、なんて音階に耳を傾ける。
 あれもこれも逆さまにうつる青魚、
 放り出され腐臭を放つ。多分そんなかんじだ。
 蟻の行列を作って 闘魚が波の機を織るような。記憶の粘膜が変容していたのだから。引き裂いて、呻く山吹をみた。引力にあるが空が怖い。行き先も、戻り先もなく、未来へ投げられた投石のよう くるくる回ってまた沈んでいく。時に声は硬化していく。脱した結果として「気配」として、花弁の裏にうずくまっていたイモムシが、わたしに似ていた。空を拒否したのではなく、選びなおしたともいう。ゆっくりと気息を用い、蠢く。境を破るのではなく、舐めるよう擦過して。
 わたしは静かに、余分を削る。
 光沢をもたぬ言葉、飾られた情緒、まぎれこんだ声——すべてをそいでいく。けずる、という行為だけが、わたしをわたしに近づける。皮膚の奥で彫られる自画像。それはまだ顔を持たないが、すでに重さを持っている。
 記憶だってそうだ。何度も繰り返し、こそぎ、残った断片がいちばん濃くなる。あたかも、それこそが最初から本質だったかのように。彫刻家が余白を切り捨てて像を起こすように、わたしの内部でも"未然"が削られていく。
 古織の幼生は、削るほどに濃くなるものなので、そこに根を張ったのは、生まれた手ではなく、いまだ 死にきっていない桜桃。薄皮を剥くたび、錯綜する。ぷくぷく、嗅ぎつけて/これこれ、囲われていく。均等には消費されない瞳孔に、しみた熱だった残渣で編まれた読唇術は壁を破れば向こう側へ降っている、
 芽が褪める。変わるのではない。変わりつづける。死ぬのではない。死にきらず、生まれなおしつづけること。


第十膜:喉の奥の神経

 すでに脊髄のなかの軟体生物に変わっていた。神経が喉から芽吹く。通話料金は一秒につき一年。焼けた舌が、呼び止められたは発語されなかった"またの機会"であった。  
 その呼称は、喉の襞に沈殿する。天折した羽を下した中身よりも撓んでいた。断絶そのものが過剰な殻となって剥がれ 問いの軽さが孕む泡に 内側から境界線を膨張させ 何かが宙に浮かびかけていた。
 不在の陰部ようなさわりに意味を置いた。
 のみ込むというより諦めるかたちを学ぶ——拒んだのではなく、沈黙を打ち砕こうとしたその痕跡は。継ぎ目のない
ひかりは届かないほうが鮮やかになる。そう呼吸を止めるプリズム。  
 個人的な言動が形骸化し、釣り合いの取れないまま、ただ願いだけが、重たく沈殿していた。無意味でしかなかった意味が、意思を持ち始めた木漏れ日が、明滅を、祈りとして、つぎはぎのようにまわりながら、誰にも気づかれない手順で持たぬ何かを、律動のまま呑み込む訓練。
 見えすぎることが、かえって事実を照らしだす。その一音符。
 風景にめり込んだ休符のように。触れた瞬間にほどけてしまうような。これは傷に似た抑揚のほうが、あとを引く。
 物語は、はじめここにたどり着いて夢とうたった。声にならなかった願いが、頁の裏で燃えていた。  
 一人乗りの待合室で窓を叩く。鼓膜の内側にだけ跳ね返る。残された空の器に、ひかりが入ってくる。食道に取り残された眼球が認めた世界に伝染るのではなく、擦れるように貼りつく景色となる。音を立てて割れる気圧と季節のあいだで。硝子に流れる泪が反射して、視線は(けものめいた)嗅覚で記憶をめくるための、剥製のようなわたしを置いていた。おぼろげなものすべてどこかへ行ってしまった。残ったのは、輪郭の抜けた影だけだったが。


第十一膜:祈りの沈殿

『静かな、でも執拗な異常』
 会話が途切れた 短い世界とはその揺れを かすかに浮上する どこか 言い損ねた「うれしさ」の重みを抱えたまま 落ち着いたものである てのひらで、おおいに捕えたのは 返事ではなく、ただの体温だったのかもしれない

 ――じっと、どこかを見ていた  
    それが醜典だとしても、  
     口を閉じたくなかった――

 届かぬものとして永続しながら、回帰しながら喰らっていく。台所のナツメ球を焦がし、死を塗った指先と固形でいて、わたしの背骨は光ではなく隙間から湧きあがる。パンの上の耳はあまりに柔らかく 口当たりがいい。また生きている。多分、誰かの願い事。雲の一点から願いもしない。邪念もなく、飛ぶために刻まれた恐れは裏返しだった。

 詩篇を丸め蝋燭の火で解かす。  
  紙は声帯の代わりに神を持った。
  
すこしだけ違うリズムでもどってくる

 象徴の転倒/Halcyon。妊まぬ乙女は、小さく まんまるに欠けてそこは、白ごと脈打っていた。
 時間の裏に、花の種がこぼれ。交わらないまま、循環する、もう深呼吸のじかん。
 羽ばたくより先に、首に巻きついて火をつけた。  砂糖菓子とはどういうものだったのか。

 この澄んだ毒を すこしずつ舐めている祈り。  
 「愛について」「死について」「バターについて」


終幕:境界の向こう側

 順序は付き添うことをやめ暮らしは創造される。なにも知らないばかりの直線ではなく、応答のゆがみから生まれてくる。満ち欠けを真似ながら、つぎはぎのようにうたいながら衝動に身を案じ、凝縮して言い当てる。たぶん何度もやり直される月形の練習。言いようのない焦がれ、しづんできた。詰まり・覚悟ができた。

 目が覚める。死ぬのではない。変わりつづける
 死にきらず、変わるのではない。生まれつづける

 世界とわたしのあいだに、まだ膜がある。それはもはや母胎ではない。それは、彫られつづける余白である。それらが積み重なって、いずれ壊れることを前提にした構造物ができあがる。
 声は羊水に似た濁りで、膜を打っては戻る。花弁を伝うときに、わたしは指折り数えて、肺が初めて空気に触れるときの小さな火柱、あの音階
 啼いていて。あてもなく 水底の砂だったのだ、と思った。そして はんぶん 苑を眺めながら、舟を浮かべている
 どちらにせよ、そこには等しく「わたし」がいた。そして、その繭を破る日を、あなたはもう知っている。そして、いずれその膜を、破る。
 ぬるい光を吸いすぎたからだ、静かにこぼれてゆく。この手からわたしのかたちが崩れてしまう。わたしではない誰か、私をすり抜けて私に還ってくるまでの記録
 燃えているのに濡れている——そんな状態。繭は、自己による自己の軟牢。やわらかく、自傷を避けるように設計されている。だがその内部では、常に破裂の準備がされている。
 濡れたまま燃えつづけるという選択。誰にも見せない変容の内火。いま、世界とわたしのあいだにある境界は、もはや線ではない。それは、呼吸と痛みのあいだに張られた、透明な皮膜。
 その内側では、わたしという個が、かつての殻を焼きながら、次のかたちへと滑らかに移行する。燃焼は、浄化であると同時に傷でもある。

 濡れているのは、夢か、それとも残された湿った未知か
 対岸の畔は燃えるそこ。今、のっぺりと黄昏の風が生る

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蟹川

それは
川の蟹の話ではなくて
蟹の川の話で

真夏の熱い太陽の下
川には蟹がいっぱい
流れていきます

詩が流れていきます
無音の光速列車のように
誰も抗うことができない
狂った大河のように

祖母が笑っている
祖父が笑っている
狂った父が
狂った母が
狂った僕が笑うのだ
真夏の熱い太陽の下で

終戦から
29年が過ぎた8月
蟹の川が流れていた

 1

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蟹月夜

多分歩いているのだと思う
不安定な道を
頭上高く川面は裏返り
少しだけ柔らかく
月光は想像させる
間もなく曇り
曇天が雨を呼ぶのは
間違いない
そうなればこの
川底の不安定な道も
一切合切
命ごと流されてしまう
多分俺は歩いているのだと思う
それほど深く考えず
足を交互に出して
すなわち歩いているのだと
別世界の宿命が
夏の名残の朧夜に
紛れている
歩くのをやめた蟹は
ふと動きを止め
首を傾げる
本当に
歩いているのだろうか、と

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「文学極道」への弔辞(校正済み編)

森進一の『港町ブルース』という歌があります。

  背伸びしてみる海峡を
  今日も汽笛が遠ざかる
  あなたにあげた 夜をかえして
  港 港函館 通り雨

最近のことですが、
この歌の冒頭二行の詞をみて姿勢を正しました。
ひょっとするとこの歌詞は
現代詩としてもかなり優秀な台詞じゃなかろうか。
急いで二連以下、六連までの詞を読んでみました
が一連のようなキレのある言葉がない。
あとはどこにでもある凡庸な歌謡曲でした。
二連目はこうです。

  流す涙で割る酒は
  だました男の味がする
  あなたの陰を ひきづりながら
  港 宮古 釜石 気仙沼

内容のことではなく冒頭のモノとは表現の質にお
いて乖離がありすぎる。
これは一体どうしたことだ?
三連、四連、五連、六連も話にならない。

  出船 入船 別れ船
  あなた乗せない帰り船

  別れりゃ三月待ちわびる
  女心のやるせなさ

  呼んでとどかぬ人の名を
  こぼれた酒と指で書く

  女心の残り火は
  燃えて身を焼く桜島

もちろんわたしなどには書けない技巧的な歌詞で
あることはわかりますけど、どこにもあるあたり
まえに歌謡曲らしい台詞ばかりでした。一連の一
行それに続く二行だけが現代詩として成
立しているような気がしたのですがこの作詞家は
二行だけ力を入れてあとは手を抜いたの
だろうか。   そこで色々調べてみると
この歌詞は雑誌『平凡』が全国に作詞を募集して各
地から寄せられた3万7582通の中から7通を選
んで作詞家のなかにし礼が補作し、猪俣公章が作曲
したものらしい。
『港町ブルース』の作詞家は深津武志となってます
が、じつはこの人物が一連目の詞を応募した若者で
した。詩のことばに敏感なプロのなかにし礼はすぐ
さま彼の才能を見抜いたのでしょう。7名の中から
彼を選んで『港町ブルース』の作詞者にしたのだと
わたしは推測しました。
それにしても一連は傑出している。
    背伸びしてみる海峡を
    きょうも汽笛が遠ざかる
この行だけですぐにたとえば週刊新潮の表紙を描い
ていた谷内六郎の絵が浮かんできたりする。詩人で
いえば現代詩作家の荒川洋治の作風だろうか。
なんで「背伸びしてみる」なんてことばが出てくる
ものだろうか。なぜ? どうすれば?
じつは最近、それまでまったく書いたことがない短
歌風の短文を書き出したのはこの歌詞に出会ったの
が原因なのですがそれはとりあえず置いておきます。
さて、
わたしにすればこれに匹敵するのは寺山修司の
    マッチ擦するつかのま海に霧ふかし
    身捨つるほどの祖国はありや
くらいのものかといえばちょっと大げさですがそれ
ほどにわたし個人的にはいいとおもった。
下手すると詩の熟練者から「バカいってんじゃねえ。
こんなもの詩じゃねえ。しょせん歌詞だ」と
お叱りをこうむるかもしれない。
正直いうとわたしにも確信があるわけじゃないのです。
しかしなかなか「背伸びしてみる」なんて言葉が冒頭
に出てくるものじゃない。そのあとに「海峡を」が続
いて、さらに「汽笛」が「遠ざかる」のですからね。
ちょっと信じられないくらいのことばの《選択》です
が、振り返って考えてみますといまの詩人はあまり
《選択》と《転換》には力を入れていないような気が
します。
何が詩であるかは書く方々それぞれの主観で決定して
いいものですから「説明文」が詩であるという空気が
生まれればそれは詩であって結構です。もともと文学
は日記のような自己説明文から生まれそれが小説に発
展しさらに詩のジャンルが生まれたという文芸研究家
もいますから、(日本の場合はこれがあてはまらない
ような気がしますけど)詩のことばが先祖返りしたと
考えればそれほど不思議でもない。
そういう「説明文」にときに欧米風のリズムをつけ、
なにかわけありな意味(まさに日記的な自己のさまざ
まな陰鬱や苦悩や煩悩や喜怒哀楽、受け売り思想)を
託して書き上げれば詩のようなものが出来上がる。そ
ういうものが非常に多いのですが、ただ、そういうの
は頭の良い人には鍛錬すれば出来るものでしてわたし
のような頭の悪い者にはむつかしい。頭が良くてもわ
たしなら書きませんけどね。
そもそも詩とは集団が集団内の良詩を選ぶ場合はその
集団の暗黙の価値観が共有されている詩が選ばれるも
のですから、ただの「説明文」というか「日記が変形
したもの」が現代詩として通用する空気や空間や時代
があってもそれを否定することは出来ないものです。
「説明文」や「日記文」といわれると不快になる方も
おられるでしょうから「小説断片」といったほうが、
揉めないかな?

菅原洋一が歌った曲に「知りたくないの」というヒット
作があります。
これはもともと米国の「I Really Don't Want to Know 」
というポピュラーミュージックでしたがそれをなかにし礼
が翻訳作詞したといわれています。
"I Really Don't Want to Know "という歌詞は米国の歌
の場合最後に出てきますが、菅原洋一の歌う「知りたく
ないの」では冒頭に出て来ます。
ただ"I Really Don't Want to Know "をそのまま翻訳して
  あなたのことなど知りたくないの
とやっては面白くない。
なかにし礼は、それじゃ英文歌詞の"I Really Don't Want
to Know "の"ほんとう"が出ていないと感じる。
そこで七転八倒するのです。
何ヶ月ものあいだどうすれば英文歌詞の"ほんとう"を日本
語に移すことが出来るか悩む。飯も喉が通らないほど苦し
んで痩せるわけです。
わたしのような凡俗からみれば、曲がいけてるのだから
   あなたのことなど知りたくないの
で歌わせてもいいじゃないかと思うのですがプロはそう思
わない。ある日、喫茶店の二階でウジウジ考えあぐねてい
ると、雨の降る眼下の舗道にあでやかな和服を着た水商売
風の女性がビルから出てきて傘をさす。それをみて突然閃
く。かれは手帳を出すと一気に
   あなたの過去など知りたくないの
と書いた。この歌はこの年大ヒットしてレコード大賞や歌
謡大賞など各賞を総なめにしたのですが、つまり「言葉の
前景化」といえばこの出来事もロシアフォルマリズムのい
う「前景化」なんです。ロシアフォルマリズムなんて聞き
齧りでよく知りませんが。名指しできないものを現前化す
る、それは難解な隠喩でもなんでもなく言葉の選択と転換
にある。そのことが新しい何かを作り出すのではなく、も
ともとそこにあるけど目に見えていないものを表にひきづ
りだすという詩の価値のひとつの側面でしょうね。

「過去」などという言葉はもちろんあたりまえ普通のこと
ばです。それが「あなたの」と「知りたくないの」のあい
だに選択されて置かれるとき「転換」が生じる。選択と転
換といいましたが、これは別々のものであるというより言
葉の作用としては剥がすことのできない一対のものでしょ
うね。意図的意識的な言葉のアクロバット性はないのです。
それが生まれた、いや、前景化されたとすれば言葉の選択
と転換になんらかの詩のことばの価値があるからじゃない
かと釈迦に説法ですがわたしは個人的な感想を抱くのです。

わたしのこういう考え方をふんまえて、
改めてわたしがなぜ「文学極道」の投稿詩とりわけ大賞の
入賞作をいつもボロクソにけなしていたかを弁明したいの
です。(わたしは一度も月間賞すら入賞したことがなかっ
たから文句をいってるわけじゃないのですが、ひょっとす
るとその恨みもあるかもしれません)
例えば創造大賞受賞作、鴉さんの「Good-bye」
            
  食器は眠れない花
   頭蓋骨にマーガリンを塗りたくる
  蛇が卵を飲み込むように
   卵が蛇を飲み込んでいた
  蚕は毒素のベッド
   弾力のある歯が根を足がわりに輪を作った

頭蓋骨、蛇、毒素、眠れない花といった暗黒劇風の言葉が
統合された思想もないまま思いつくままに泡のように浮か
び上がっている。それぞれの行がいかにも意味ありげで、
たとえば「蛇が卵を飲み込むように卵が蛇を飲み込んでい
た」という通俗的な思想はニーチェのようなものを齧って
虚無のような気分をもつ一過性の文学青年病をあらわして
いるのかもしれない。「蚕は毒素のベッド 弾力のある歯
が根を足がわりに輪を作った」なんかはもう意味不明で多
分本人にだけ了解できる世界の一端を表明している。ただ、
そうであってもここから意味を掬うことは読者の自由だか
ら幾らでもそれらしい解釈はできる。おフランスの構造主
義だの現象学だのロシアの形式主義だのフロイトの精神分
析だのその他ラカンだかヤカンだから知らないけど彼の三
界理論とかいう手品の道具を使えば、詩や小説はどのよう
にでも料理して無知な大衆を瞠目させることができます。
でもこの詩は、
奇をてらったシュールな言葉で雰囲気を出すのではなく名
指し出来えぬものを、普通当たり前のことばで選択し、そ
の《選択》という詩人にとって最高の見せ場でなにかを
現前化するというようなタイプの詩ではない。
これは詩のことばとしてそれほど価値があるとはいえない
のじゃないかというのがわたしの感想です。
このような詩が文極の「創造大賞」なのですからあとは想
像がつく。

殿堂入りの一条さん 「鴎(かもめ)」

 海には人がいつも溢れている。カモン、カモンと鴎は空
 を飛び交っている。海の青は、カモン、カモンと空の青
 に混ざりこみ、鴎はいまだ完全には混ざりきらない二つ
 の青の間を、行ったり来たり彷徨いながら、新しい青の
 侵入を待っている。ぼくが新しい青になれるなら、その
 可能性があるなら、ぼくは新しい青になって、カモン、
 カモンとあの空と海に混ざりこむだろう。

ダーザインの評のように一見、ださくみえるかもしれないけ
ど「カモン」より「カモメ」のほうがよかった。だけど「カ
モメ」だと詩的な深化はあるけど韻律を犠牲にする。えー、
それはともかく、
これもわたしにいわせると「説明文」なんです。「日記」です。
「日記」というのは実は記録じゃなくて、それが生まれたのは
つい最近で非常に近代的なものなんです。自己の内面をだれに
も見られぬところでこそっと吐露する必要があったのです。だ
からまさに詩の原型ともいえます。「日記」といったからとい
ってバカにしているわけじゃない。
読みやすいから日記だ説明文だといってるわけじゃなく誰にも
読めない難解な「説明文」のほうが現代詩には多いかもしれま
せんが選択と転換がなければ同じことです。日記です。
「海には人がいつも溢れている。」という説明。
「カモン、カモンと鴎は空を飛び交っている。」という説明。
「海の青は、カモン、カモンと空の青に混ざりこみ、鴎はいま
だ完全には混ざりきらない二つの青の間を、行ったり来たり彷
徨いながら、新しい青の侵入を待っている。」という説明。
外国小説に感化されたような一種の新鮮なリズムはあります。
韻律はまあまあといえるでしょう。しかし
「海には人が」という選択のあとで「いつも溢れている」は
ただの説明です。説明文なんだからこれでいいといえばいいの
でしょう。しょせん自己の内面を吐露する日記であり「小説断
片」ですから選択と転換は必要ない。荒川洋治のように
書けなくなると逃げ込む場所です。
わたしの好みとして「海には人が」のあと「いつも死んでいる」
くらいの転換がほしい。この詩にはそんな選択や転換はもとも
と必要ないのですがね。日記ですから。
青年の清冽な感情は陳述されているのだけど名指し出来えぬも
のへの眼差しとその現前化はない。これがないとわたしにはど
うも読む気が起こらないのです。つまりここでも言葉の選択と
それに必ずともなう転換がない。リズムや比ゆのようなものを
評価するとしても要するにあまり詩の言葉とし
て価値があるとはおもえない。
それが詩の現在だといえばそれに対してことばないですけど。
たった一言「過去」という言葉だけに数ヶ月も悶々とする作詞
家の格闘する真剣さ(裏を返せば文学への面白さ)があまり感
じられない。入沢康夫でも吉岡実でも難解なことばのわりに人
の心を掴んだ。説明文じゃなかったから。
そういう意味では文学極道では例外的に田中宏輔さんのは感覚
的な一種の違和感覚で人をとらえていた。かれの詩は感覚に根
ざすものなので批評の棚にはのせにくいのだけど、
(批評したところで無理筋になるだけです)
それ以外はなんというか
あの、こんなことをいうとまたお叱りを受けるでしょうけど文
学極道というのは「中二病」の作文の寄せ集めとしか映らなか
ったですね。
そんな気持ちでいたからど反発をくらって嫌われたのでしょう
けど、
文学極道へのこの見方は今も変わらないです。
残念ながら厨二病の寄せ集めでした。それは文学極道という小
さな寄り合いの宇宙でのみ成立する大賞であり創造大賞であり
実存大賞であり抒情大賞、レッサー賞だったわけです。
人間的に成長したダーザインさん、もし生きていたら姿を現し
てほしい。そして、
いまだにそういうものにこだわり続けるのではなく、そろそろ
そういう「ママゴト」を全否定して洗いざらしの雲みたいに自
在に青空に浮かんでもいいのではないかと皆に伝えてほしいで
すね。

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 5

 1

握(にぎり)

開いた手 見つめる
五本の指 肌色のヒトデ
握った手 力を込める
震える拳 赤い梅干し

ひとりよりふたり
ふたりよりさんにん
開いた手 繋ぐ
握った手 包む
温かい 生きてる人の体温は温かいんだよ

さんにんよりよにん
よにんよりごにん
繋いだ手 伸びる
繋いだ手 環になる

ごにんよりたくさん
たくさんの人々の祈り
たくさんの人々の繋がり
繋いだ手 掲げる
平和への祈り 夏のある日

 40

 2

 1

蟹喰い猿

おお、あれが悪魔だ 
一瞬で私を喰らう 
何も考えず 
無心で歩いていると 
悪魔は容赦なく 
私を喰らう 
私が喰らったものも 
一緒に 
悪魔の胃の底へ 
堕ちていく 
やがて跡形もない 
もともと何もない 
悪魔は何喰わぬ顔 
木に登り
風を浴びて 
ギーギーと鳴くのだ

 4

 1

 2

CWS怪談会 小学校の廊下に

CWS怪談会 小学校の廊下に


笛地静恵


 第二次世界大戦前からある、歴史のある小学校だった。木造校舎は、一時は、海軍の研究施設が、置かれていた場所だったという。特に旧校舎は古かった。木は黒く塗られ、壁は白い漆喰。廊下は長かった。ガラスのはまった窓が高い。天井まである。壁も窓ガラスも厚い。静かだった。教会のような荘重な雰囲気がある。好きだった。


 学校七不思議があった。理科室の骨格標本は、本物の子どもの物だ。廊下に生首が置かれている。壁から手が出てくる。音楽室のピアノが、不意に不協和音を二度だけ鳴らす。夜の校庭を重い靴で行進する足音がする等々。怖かったが、半信半疑だった。何も体験したことがなかった。噂だけだ。友達にも、実際に、見た、聞いたという者は、ひとりもいなかった。


 小学校五年生のときだ。夏休みの宿題に提出した絵で、県の金賞をもらった。担任の先生から「廊下を走るな」というポスターを描くように頼まれた。各校舎に貼る。枚数があった。たしか、四つの校舎ごとに四枚ずつ。十六枚を描いた。


 気が付くと、窓の外が薄暗い。遅くなってしまった。五年生は、旧校舎の二教室を使っている。秋の日は傾くと早い。もともと薄暗い教室が、一気に暗くなっていく。気は急くが、絵の具の乾くのを、待たなければならなかった。水彩の道具を、廊下にある水道で洗い流した。後始末をした。もう校庭にも人影がない。野球部も帰ったのだ。


 先生のいる新校舎の職員室に、絵を届けておしまいだ。廊下に出た。背後に気配を感じた。振り向いた。胴体だけが、中空に浮いている。首も手足もない。肌色の肉の塊。胸の厚い筋肉。谷間の胸毛。黒紫色の乳首。人間の男のものだ。全力疾走で逃げた。


 担任の先生が、真剣な顔で、「この学校は、けっこう危ない研究をしていたらしい」とつぶやいた。落ち着くまで、昆布茶をご馳走になった。もう遅いから。車で家まで送ってくれた。断面がどうなっていたのか。どうしても思い出せない。


(了)


(ほぼ実話です。)

 92

 8

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邂逅

横歩きの用心棒と
横歩きの用心坊が 
橋の下で出くわした 
出くわしても 
お互い一瞬顔を見て 
それっきり 
用心棒は右へ 
用心坊は左へ 
もの別れ 
だから、お互い 
名前が似てることも 
何のために
横歩きしてるかも 
話題にならないまま 
もちろん、 
お互いのハサミも 
使わないまま 
だから、結局 
橋の下では 
何も起こらなかった 
翌朝、用心棒は目撃され 
用心坊も遠く離れた 
別の場所で目撃された 
そんな話を 
誰かがしていた

 5

 1

 2

廻 -Circle-(漆黒の幻想小説コンテスト)

 波が、月明かりを運んできた。悲しみの歌が、潮騒にゆらぎ、押し寄せる。
 迫る眠気は重く、足を浜に引き込んでくる。杖が手から放れると、老人は、その時に誘われるように、横たえた。薄れていく息を、砂が呑みこんでいく。温度も視界も、匂いも味も、遠いところへ消えてしまう時――命の記憶は、新たなる廻りの序章を切った。

 大地は根を寄せ集め、ころがる肉体に触れた。その血を吸い、草木に精気をおくる。
 時を忘れたハマヒルガオが、ふっと目醒めた。月光に酔いしれながら、命の絆を、桃色に灯る花弁に願う。ひろがる蔓が、深い草の香りで、翅をもつ生命を呼んだ。
 深緑の眼光を引き、訪れた蟲たちは、宵月夜を飾る。それらは、肉体の欠片を喰らい、花粉をまとうと、どこまでも運んだ。
 波が、泣き声の如く、寄せては返す。しぶきが白く瞬き、ゆるやかな風が金の粒子となって、蟲と戯れた。
 蟲たちは、たゆたう波に沿い、深い森に紛れてゆく。ぽつり、ぽつりと種を落とし、花粉を散らして――
 土から、若草色の光が細く吹き出し、新芽が顔を見せた。生き急ぐよう、強かに伸び、大樹に成しては、紅の実を揺らす。
 甘い香りを嗅ぎつけた鹿は、一つ、また一つと喰らい、やがて、命を太らせる。
 木こりの眼が光った刹那、矢は、冷たい夜気を奔る。嘆く間も与えんそれは、鹿の脈を断ち切った。まだ温かい被毛に、無言の祈りが、手を伝う。

 木こりは獲物を背に、小屋に戻ると、灯火よりも眩い妻が、出迎えた。
 互いに暖炉の前で隣り合うと、炙った肉を分け、じっくりと噛み締める。妻は、腹の子に滋養を与えるのみならず、庭の土に残飯を与え、肥やしにした。

 夜の帳が深まる時。薄緑の光が宿るアイビーが、屋根や壁を這いはじめた。不滅を連ね、中の命たちを包んでゆく。と、胎動の激しい揺れと、心音が響いた。汗と痛みが絡む声が、大気を震わせる。
 蟲たちの眼光が瞬き、魂たちの背中を押した。荒ぶる息に熱される空間を、風は、冷たい金の粒子を吹かせる。月は、光の柱をおろし、張りつめる魂の群を、ただ見守った。
 数多の励ましが、眩いベールに姿を変えると――甲高い産声に裂け、彩が散った。滴る夫婦の涙が、新たに開眼した命の頬を叩く。笑みは、ふわりと満ちた。

 波が、光の舞とともに、笑い声を運ぶ。くすぐられたハマヒルガオは、桃色の光を蕾に仕舞い、頭を垂れては、深い眠りについた。
 浮遊する光たちは再び、新たな息吹きを廻る、旅に舞い立つ。

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 1

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翔 -天空の神-(漆黒の幻想小説コンテスト)

 まだ闇を残す空に、藍色の眼が光った。銀の龍が羽ばたき、咆哮に大気を震わせ、天に響きわたる。
 龍に続く精霊達は、透き通った歌声で、世を包んだ。オーロラのマントで宙を行き交い、燻んだ空気を洗うと、魂達に憩いを与えた。

 だが、その精霊は違った。大樹の麓で、呆然とくたびれた己の姿を見つめている。翔びたい――その夢を追っただけ、傷が全身を埋め尽くした。
 鱗が剥げた兜の縁を上げ、頭を振った。汗が、微かにしか光らないマントを打つ。滲む土汚れが、力を奪ってゆく。
 遠くの仲間の声に、焦燥がこみ上げた。この感情こそ、翔ぶ力に変わればよいのにと、歯を鳴らす。
 同じ精霊としての役目を果たせず、まるで雛のまま。その悔いに、たちまち腰が上がると、もう一度駆けた。
 群青の森に潜む、再生の滝壺の光。地面を蹴るたびに舞う、白砂の輝き。それらが、どんなに辺りを煌めかせても、慰めになどならない。荒息に、静寂を裂いていく。坂道がやがて、岩肌に変わろうとも、誰よりも柔い爪を掛け続けた。これまでの痛みを、飛翔の道標にしながら。

 漆黒と紺碧が交わる空の下。その精霊は、龍が佇む崖に登り詰めた。風がマントを乱し、無力な様を嗤う。
 頂きから、世を映す海を見渡した時。仲間が、汚れた大気に力を失い、落ちてゆくのが見えた。その姿に思わず、意を取り戻せと願ってしまう。そんな己に、血の気が引いた。
 力んだ拳が、自ずと剣を抜いた。振り翳した刃に、龍の鱗の光が反射し、打ちつけた岩に閃く。悔いが痺れる眼に伝わり、藍色に漲った。
 マントを払い、強い吐息に青の火花を散らす。今こそ大気に化けろと、龍に縋った。
「行け!」
 龍の背は、巨大な銀翼に躍動する。ようやく弱さを蹴られた清々しさに、精霊の眼が、淡く澄みわたる。雷雲を率い、風を切って進んだ。枯れゆく仲間を潤わせたい――ただ、その願いのためだけに。

 雷雨が無力を炙り出す。それでも、己の手で救いたかった。
 もし肌が鱗で覆われていたならば、などと嘆いては、思い出す。痛みを知る故に、柔らかな皮膚を持つ。生命を守る精霊だからこそ、と――
 落ちゆく仲間に、胸に根づいた辛苦を重ねた時、意志が、龍の背を蹴った。
「翔べ!」
 龍の羽ばたきに並び、マントはようやく風を掴む。精霊は、仲間を抱いた。青き視線で雷を操り、雲を引き裂く。雲間を飛翔し、力を宿した歌声で、今、太陽を招く。

 天は、神々の光に目覚め、願う。生命の長い息吹きを――

 6

 1

 0

深夜12時半

新しいことを始めるにはエネルギーがいる。
しかしながらエネルギーはあまり湧いてこない。日常に忙殺されて、自分の時間は多くて3時間ほど。何もできない平日。疲れて動けなくなる土日。そんななかでぼんやりXのタイムラインを眺めていると、ここに辿り着いた。なんだか面白そう。ものを書くのは好きだ。昔は演劇の台本を描いていた。最近は忙しくてあまりものを書けてはいない。久しぶりに何か書いてみようか。ここで何ができるだろう。エネルギーなどなくても、いいのかもしれない。気づくと時間は12時半。私は私の文を紡いで、思考がクリアになって、輪郭が明確になる。はっきりと自分を見つめるのだ。

 75

 2

 6

わたしはスペースコインをためて「推薦作展示権」を買いたいのだ

もちろんいまそんなものは売られていない。今後運営へ打診する話を、先立ってここに投稿するのは、率直にいって売名のためだ。展示とはつまり転載だから、作者様の許諾が不可欠。どこの馬の骨とも知れない者から「著作権を侵害させろ」と迫られて、許諾する作者様はふつういない。わたしは善良なスペーシアンである。作者様方の信用を得るには、運営の企画に参入するしかないと考えたのだ。とにかく売名したい。

もっとも運営の展示ブースを使いたいわけではない。わたしが自作した展示ページへのリンクを、「本屋」機能のようにブログカード的なものでご紹介いただくのが理想だ。なにせわたしの展示は、下記リンク先のように執念深い。

●作例「類『死後のダリはどのような夢を見るのか?』展」
https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-86.html
●その企画書「類さんへ【高作の展示に関する報告書】」
https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-85.html
●その企画の背景「B-REVIEWの稀有なルビ(現運営の手柄ではない)」
https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-84.html#RUBY

(B-REVIEWの話はB-REVIEWでやれとのご意見もあるかもしれないが、そのB-REVIEWを作ったのがどなたであるのか、ぜひ知られてほしいものだ)

そもそもわたしはB-REVIEWの推薦文という批評システムを気に入っていて、去年までは愛用もしていたが、もはや批評に限界を感じたので展示を熟考している。善良なスペーシアンもご愛用のAI批評が、ますます進化しているからだ。もとより人間が博覧彊記でAIに勝てる道理はないので、今後インテリを気取る批評は「人間らしからぬ言及」とみなされるかもしれない。

では人間らしき言及とはなにか。その領域の一廓に「比喩の読解」があり、比喩を読解するのに必要な資料の制作があると、わたしはスペーシアンAI分析の試用から確信している。少なくともいまのところ、やつにわたしのような読解はできない。たとえば下記記事のような、われながら狂気の沙汰は。

●作例「小林レント『秋空の散文詩』鑑賞資料」
https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
↓特にここからが狂気的。
https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-5.html#MATERIALS

この批評対象『秋空の散文詩』をスペーシアンAI分析の「文学的批評」に読ませたところ、ゴダールから乙一まで著名人が幅広く大量に出力されたにもかかわらず、わたしが思うには(作者様の意図とも合致しているそうだが、そんなことはどうでもよすぎる)もっとも重要な折口信夫と中将姫が、ついぞ一字も出てこなかった。当麻曼荼羅も知らずあのアントンをどう読解しようというのか、わたしにはさっぱりわからない。それはアントンへの偏執が、AIらしからぬ人間性であることの、揺るがざる証左なのだ。その人間性が好ましいかどうかは、もちろん別の問題だけどさ。

とにかくわたしはスペースコインをためて「推薦作展示権」を買いたいのだ。わたしの推薦が好ましくないか否か、展示されてみなければわからないじゃないか。

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走蟹燈

友だちが沢蟹を殺していた
山城の國の思い出
若い僧が沢蟹を食べていた
近江の國の思い出
沢蟹がじっとしていた
和泉の國の思い出
走馬燈に似た走蟹燈が
私の頭の中で回る
脳内を荒らすのだが、
誰にも止められず
私は窓を開けて
六階のヴェランダ
外に見える蟹の景色が、
私の内外の蟹に
私を奪われてしまった
動くなじっとしろ!
誰かの声が聞こえたのが
最期…

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CWS怪談会 喉の調子

喉の調子が悪いままバイトに行くことにした。喉がいがらいような変な調子だ。雨が降り出しそうだったので、バイト先までショートカットすることにした。途中自転車を降りる場所がある。おそらく他人の所持する空き地だろうけれど、常に何人も歩いたり、自転車で行き来している。少し後ろめたい気もするのでそそくさ通り過ぎようとしたとき、小さな女の子が「返して」と言って近づいてきた。何を言ってるのか一瞬分からなかった。女の子がまた「返して」と言う。無視しようかと思ったが話しかけようとしたとき喉の調子がまた悪く咳払いを何度かしてようやく「何を返してほしいの」と訊いた。女の子は悲しそうな声で「指」と言った。驚いて女の子の手の指を見ると足りない指はない。ちなみに足先も見た。サンダル履きだったので足指も確認できた。女の子は「気をつけたほうがいいよ」と言ってどこかに消えるように立ち去った。変な子だと思って自転車を押そうとしたときにまた喉の調子が悪い大量のタンが絡んでいるような、イガグリか何か大きなものが喉の奥に詰まっているような。
思い切り咳をしたら何かが口から飛び出した。人の指だ。驚いてハンドルから左手を離した。足元に血の水たまりが出来ていた。落ちている指をよく見たら自分の指だった。さっきの女の子が笑ってる声が聴こえた。

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希望のストラトス

朝から
和紙で作った空が
雨に溶け出して
少しずつ、
堕ち、崩れて
美しくない
すべてが
美しくないことは
分かっていて
悲しみを
語らず
哀しみを
求めず
まるでそれは
絶望のよう
落ちてくる空を
はらはらと
拾い集めながら
泣いている人たち
誰のせいでも
そういう話でもない
剥げた空の向こう
成層圏が見える
美しいブルー
地球は青いのか
宇宙が青いのか
それとも
私たちの見る
希望こそが

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喫茶店

私を縛るのは 腕時計という名の足枷

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時の音




カーテンを染める茜色
小さな窓から夕陽を探す

暮れる陽ひに音がないように
時はいつもそっと往く

思い出さずに過ぎる日が
増えてることに気付く頃

遠ざかる寂しさを
和らぐ痛みが
追い越していく

そして
二人の思い出が
私の思い出になっていく

足音も残さずに


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三つ葉のクローバー

みつばみつばみつばみつば、
四つ葉のクローバーを探す。
こどものように、
とても無邪気に。

みつばみつばみつばみつば、
四つ葉のクローバーを探す。
四つ葉と思い ずらしてみた、
見えたのは三つ葉のクローバー。

みつばみつばみつばみつば、
四つ葉のクローバーを探す。
永遠に続く、
天国のクローバーと白い花。

ああ、ただ何を想う!
みつばしか見つからない。
一面に広がるみつば、
踏まれぬ平和、ただの日常。

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おじさんがすきなだけ

昔から一貫して
おじさんがすきだった。
この話をすると、
「うーん」と首を傾げられ、
「ファザコンなんじゃない?」とか
「きっと、父親とうまくいってなかったんだろう」
と、無粋なことばかり言われた。

わたしは5歳から、舘ひろしが好きだったし
今でも好きだ。
そして、おじさんがすきな女の子だった私も
年を重ね(年を取ると言いたくない)
おばさんになった。

おばさんが、おじさんを好きならば
なんだか普通な気がするが、
おばさんになるとまわりのおばさんたちは
こぞって自分より歳下に目をキラキラ
させている。
これも、またわたしからしてみれば
なんだか納得がいかない。
自分の夫や、おじさんといわれる年齢の人が、
「アイドル」や「歳下」を好きになると
露骨に嫌な顔をするのに。

わたしはあいも変わらず
おじさんがすきだ。
ただ、最近の40代はやたらに
肌艶もよく、くたびれてもいないし
60代だって、元気で活発すぎて
40代にも引けを取らないから

だから、やっぱり舘ひろしなのだ。

最近、職場で、
「何歳まで、好きになれますか?」
なんて聞かれたから
「そうですね、70代まで、余裕です」
と笑顔で答えた。
ええ、、、と言葉すらうまく返してもらえなかったけれど。

わからないなあ
アンチエイジングなんて
若くあろうなんて、、
そんなにしなくていいのになあ
とおもう

わたしはおじさんがすき
スーツを着ていて
なにか背負っていて
憂うつだなあって
思いながら
出勤していくお父さん的な
おじさんも
夢追いかけ続けるロッカーな
おじさんも
ひたすらぐーたらして
毎日奥さんに舌打ちされてる
おじさんも
愛犬と毎日散歩して
時々ひとりでランニングしてる
おじさんも
奥さん、こどもたちと楽しく
買い物してるおじさんも
すきなんです

ひとり残らずとはいえないけれど
おじさんって
なんか良いのです



え、、そこまでいうなら、
旦那さんは、何歳年上なんですか??
って???

ひとつ、歳下です。
え?オカシイですか?
理想と現実はちがうのです。
それに、、、

恋愛に、年齢って関係ないって
思いませんか??(笑)

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五行歌作品集その16「療育~まなざし~」

【正しさ】

正しさ
必要だよ
ただし、さ
わすれないでね
なまものだからな


【かわいそう】

「かわいそう」ってね
あなたとわたしは違う
それをつきつける言葉
だから気を付けないと
ただの刃になるんだよ


【いいよね】

「泣かないで」もいいけど
「泣いていいよ」と
言ってもいいよね
そんな人がひとりぐらい
居てもいいよね


【横顔】

渡りきった昨日
また漕ぎだす明日
その束の間に
その横顔は
何を思うのか


【専門性】

専門性とは
専門用語を使わずに
相手の機根に応じて
専門を語ること
専門を行うこと

https://www.instagram.com/p/DNvUo3Q0lik/?igsh=MTRvZzZqOXVyb254MA==

※注釈
【療育】(読み:りょういく)

 戦後、身体障害のある子どもへの支援の中で「治療、教育、職能の賦与」の三つを柱とする考え方から生まれた造語(東大名誉教授・高木憲次氏による)
 現在は、心身に障がいや困難がある子ども、ご家族、周囲の方々への支援と解釈が広がり、「発達支援」と表現される。

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虚夢の唄(漆黒の幻想小説コンテスト)

 はじめに、虚なる大神ウツロギありき。その、果てなき眠りのうちに見る、束の間の夢こそが、われらが棲まふ、この世界なり。ウツロギが、もし、目覚めるならば、われらの世界は、星々も、嘆きも、すべては、朝霧の如く、掻き消えて失せる。

 ウツロギの夢より生まれし、戯の神々は、退屈しのぎに、泥を捏ね、われら人間を創りたり。そして、われらが愛し、憎み、築き、そして、滅びゆく様を、ただ、高みより、眺めてゐる。われらが流す血も、捧ぐる祈りも、神々にとりては、ただ、夢の綾を彩る、儚き色に過ぎざりき。

 その、虚しき理を、ただひとり、悟りたる男あり。最後の、夢紡ぎ師、セツと申す。彼は、神々の夢の断片を読み解き、それを、人の言葉へと、変ずることを、生業としてゐた。彼は、神々を呪ふにあらず。ただ、この、あまりにも、哀しき夢の、せめて、一片なりとも、真実たらしめむと、願ひたり。

 セツは、己が魂の、ありとあらゆる、歓喜と、絶望とを、一本の、銀の糸へと、紡ぎ始めぬ。それは、神々への、叛逆の詩にあらず。ただ、生まれ、そして、消えゆく、すべてのもののための、鎮魂の唄なりき。その唄は、愛を知らぬ神々が、決して、夢見ることのできぬ、ただ、ひとつのもの、「哀しみ」といふ名の、美しき毒にて、満ちてゐた。

 彼は、その魂の糸を、夜毎、古き石の祭壇より、空へと放ち、眠れるウツロギの、夢の深淵へと、送り続けたり。わが身が、日毎に、影の如く、薄くなりゆくのも、厭はず。

 つひに、セツの肉体が、最後の光を失ひ、塵となりて、風に消えし、その朝。
 虚なるウツロギの、閉ざされしまぶたが、僅かに、震へ、その、夢の空より、ぽつり、と、一滴、これまで、誰も、見しことのなかつた、冷たく、そして、美しき、雫が、こぼれ落ちたり。

 戯の神々は、空を見上げ、初めて見る、その、塩辛き雨に、戸惑ひ、首を傾げたり。
 それが、セツといふ男の、魂の、最後の響き、「涙」といふ名の、新たな夢の始まりなりしことを、知る者は、もはや、誰もゐなかつた。

 今もなほ、その世界にては、時折、空より、哀しき雫が、降り注ぐ。
 とかや。

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