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文ノ心得 其ノ壱
文章で人を感動させたいなら、まず、その文章を感動させないとダメやで。文章を感動させるという心意気が人に伝わるだけや。文章を笑わせたり、悲しませたり、怖がらせたり、驚かせたりしないとあかんねん。これが分かるようになれば、なんでも書ける。断言する。まじで。
無表情
明日死ぬかどうかも分からない
たくさんの涙を零した
どれだけの血を流しただろう
幸せってやつを考えてみる
平和はいつ訪れるのだろう
憐れみなどいらない
騙されたくないから
温かなスープを入れてくれ
夢でもいい
青い空と白い雲
少女のワンピースが揺れている
あの子の顔は笑っていない
論考:ネット詩投稿サイトはどのような夢をみてきたか
本稿では、インターネット詩投稿サイトの歴史を整理し、その変遷を論じる。対象とするのは、文学極道、B-REVIEW、Creative Writing Spaceの3サイトである。他にも現代詩フォーラムなど著名なサイトは存在するが、本稿では単なるアクセス数や投稿数の多寡ではなく、場としての理念を明確に打ち出し、ネット詩文化の方向性に影響を与えたサイトに焦点を当てる。上述の3つを論じることで、オンライン詩投稿サイトの歴史を大まかに俯瞰することができるだろう。
まず、筆者自身の立場を明らかにしておく。2017年頃、文学極道において創作活動を開始し、同年、新人賞を受賞した。また、B-REVIEWでは創設メンバーの一人として、ガイドラインの策定を含むサイトのコンセプトや制度設計に関与した。現在はCreative Writing SpaceのFounderとして運営を統括している。
文学極道の最盛期をリアルタイムで経験したわけではないが、オンライン詩投稿サイトの変遷について一定の知見を持っている。本稿は、詩に関心を持つ読者のみならず、小説や戯曲など詩界隈以外の創作に携わる者にも届くことを目指している。ネット詩の興亡を整理し、今後の展望を示すことで、オンライン上の文芸創作に携わる人々の議論の材料となることを願う。
【文学極道──ネット詩投稿サイトの象徴】
文学極道は、2005年に創設された硬派な詩投稿サイトである。私は2017年頃に半年ほど活動したのみで、最盛期をリアルタイムで体験したわけではない。しかし、このサイトがネット詩文化に与えた影響は計り知れず、文学極道の成功こそが、その後のネット詩投稿サイトの方向性を決定づけたと断言できる。
文学極道は、最果タヒ、三角みづ紀といった広く読まれるようになった詩人が投稿していたことでも知られる。特に、初期の投稿作品の質の高さと、コメント欄で交わされた鋭い批評の応酬は特筆に値する。
サイトのトップページには、次のような一節が掲げられていた。
>芸術としての詩を発表する場、文極(ブンゴク)です。
>つまらないポエムを貼りつけて馴れ合うための場ではありません。
>あまりにもレベルが低い作品や荒しまがいの書き込みは削除されることがあります。
>ここは芸術家たらんとする者の修錬の場でありますので、厳しい酷評を受ける場合があります。
>酷評に耐えられない方はご遠慮ください。
この言葉が示す通り、文学極道は単なる創作発表の場ではなく、詩を芸術として追求する者のための修練の場を標榜していた。馴れ合いを排し、批評によって切磋琢磨する文化を築くことが、この場の理念である。文学極道は、インターネットがまだ黎明期から拡大期へと移行する中で誕生し、必然的に2ちゃんねる的な匿名性の高いネット文化の影響を受けていた。その結果、サイト内では低レベルな作品には容赦なく酷評することが許容され、むしろ推奨されるような雰囲気すらあった。罵倒や激しい批評が日常的に行われる場となったのである。
では、文学極道が夢見たものとは何だったのか。
文学極道が目指したのは、詩壇では評価され難い、真に新しい詩文学の創造の場、そして活発な批評の場であった。そのため、実験的な作品が評価され、罵倒を伴う荒れた議論も場の活力と捉えられていた。しかし、この批評文化の攻撃性は、やがて場そのものを揺るがすことになる。
【文学極道からB-REVIEWへ──批評文化の変質と転換】
文学極道における厳しい批評文化は、当初は場の水準を維持するための手段として機能していた。しかし、次第にそれ自体がサイトの荒廃を招く要因となっていく。過度な罵倒が横行し、サイト内の風紀が悪化することで、真剣に詩を議論しようとする者が次々と離れ、罵詈雑言ばかりが横行する傾向が生じた。そして、この状況に対するカウンターとして、2017年にB-REVIEWが創設される。
B-REVIEWは、以下の三つの原則を掲げた。
1. マナーを重視し、まともな議論ができる場をつくること
2. オープンな運営を心がけること
3. 常に新しい取り組みを行い、サイトを進化させること
文学極道が「酷評・罵倒の自由」を強調したのに対し、B-REVIEWは「罵倒の禁止を強調し、投稿者が安心して作品を発表できる環境」を作ることを重視した。一見すると、両者は対極的なサイトポリシーを持つように思える。しかし、本質的にはどちらも「オンラインならではの創作の場とレベルの高い批評の場を作る」ことを目的としており、その方法論が異なるに過ぎなかった。すなわち、似た夢を見ていたのである。
文学極道が2ちゃんねる的な文化の影響を受けていたのに対し、B-REVIEWはソーシャルメディアの時代に適応した開かれた場を志向していた。文学極道が罵倒と酷評による場の引き締めと活性化を狙ったのに対し、B-REVIEWはガイドラインとオープンな運営によって場を整え、活発な批評空間を形成しようとした。この方針のもと、B-REVIEWには文学極道の文化に馴染めなかったネット詩人たちが流入し、活況を呈するようになった。
また、B-REVIEWの運営スタイルは、文学極道とは根本的に異なっていた。文学極道が管理者主導の運営を行い、選評制度によって場の権威性を保っていたのに対し、B-REVIEWはオープンな運営体制を取り、投稿者の主体性を重視した。選評のプロセスにおいても、投稿者と運営者の垣根を超えた対話が行われ、投稿者が主導するリアルイベントの開催等の新たな試みが積極的に導入された。
では、B-REVIEWが夢見たものとは何だったのか。
それは、ハイレベルかつ安心して参加できる詩文学の投稿・批評の場の創造であった。従来のネット詩投稿サイトの問題点を克服し、新たな時代に適応した批評空間を作ることこそが、B-REVIEWの掲げた理想だった。
【文学極道の終焉──自由な批評の場から単なる停滞と崩壊へ】
B-REVIEWの台頭により、文学極道の状況はさらに悪化していった。B-REVIEWのマナーガイドラインに馴染めない投稿者が文学極道に集中し、サイトの荒廃を加速させたのである。かつて、文学極道は「自由な批評の場」であった。しかし、その自由は次第に「無秩序な荒らしの場」へと変質し、本来の機能を果たさなくなっていった。もはや、詩作品への鋭い批評ではなく、ただの罵詈雑言や無意味な言い争いが繰り広げられるだけの場となってしまった。
この状況に対し、運営の方針も迷走を続けた。荒廃を食い止めるために運営の介入が求められる一方、介入を強化すれば「文学極道の自由な批評文化が損なわれる」という批判が巻き起こる。しかし、介入を抑えれば無秩序が進行するという悪循環に陥った。
さらに、運営者自身が文学極道の理念を十分に共有していなかったことも、混乱を深める要因となったと考える。たとえば、終末期の運営者には、もともとB-REVIEWの評者として招聘されていたが、運営内部の諍いを経て文学極道へと移行した者も含まれていた。また、最終期の文学極道では運営主導の朗読イベント/ツイキャス配信が行われるようになったが、和気藹々としたオンライン交流は、「罵倒上等」の文学極道の風土とはそもそも相容れないものであった。
もともと文学極道が持っていた「罵倒を許容してまで議論を重視する場」としてのコンセプトと、後期運営が試みた「サイトの健全化」は、よほど緻密に進めないと両立しない類のものだっただろう。サイトコンセプトにそぐわない志向性を持つ運営者たちが運営方針を弄ったことで運営内外の揉め事が拡大し2020年、文学極道は閉鎖された。かつてネット詩投稿サイトの象徴であった場は、その幕を閉じたのである。
【B-REVIEWの凋落──運営の乗っ取り】
文学極道が終焉を迎えたことで、かつてその場に馴染んでいた投稿者たちがB-REVIEWへと流入した。しかし、これがB-REVIEWに大きな問題を引き起こすことになる。文学極道的な「罵倒・酷評上等」の文化、不規則な放言や誹謗的な発言を含め、マナーガイドラインに縛られず自由に発言できる場を復活させたいと考える者たちと、B-REVIEWの掲げる「マナーを重視した批評空間」を維持したいと考える者たちの間で、次第に齟齬が拡大していったのである。
B-REVIEWは「ガイドラインに合意した人間であれば、手を挙げれば誰でも運営になれる」という極端にオープンな運営体制を採用していた。この方針は理念としては美しかったが、現実には大きな問題を孕んでいた。すなわち、サイトポリシーに共感しない者であっても運営の中核に入り込むことが可能な脆弱な仕組みとなってしまっていたのである。
B-REVIEWは2017年の創設以来、複数の運営者によって引き継がれてきた。そして、B-REVIEWの運営は、文学極道を出自とする第八期運営者らに引き継がれたことによって2023年に大きな転換点を迎えることになる。かつて何度もB-REVIEWから出禁処分を受けていた人物が、運営側に招聘されたのである。この新たな運営体制のもとで、サイトのルールは事実上反故にされることとなった。従来であれば「マナー違反」として取り締まられていた行為が放置されるようになり、むしろ運営自らが批判者を中傷するような状況すら生まれた。これにより、B-REVIEWの運営方針は大きく変質し、従来の批評文化の維持を求めていた投稿者たちとの対立が激化することとなった。
また、サイト内の意思決定の透明性も失われた。それまでオープンな場で行われていた議論はディスコードへと移行し、投稿者全員の目に触れる形での意見交換は意図的に避けられるようになった。これに対し、「もはや本来のB-REVIEWではない」として数十名の投稿者が抗議し、これまでのすべての投稿を削除しサイトを去ることとなった。
現在、B-REVIEWは存続しているものの、創設当初に掲げられた理念はすでに形骸化している。本来の姿を知る者からすれば、屋号とサイトデザインが引き継がれているだけで、もはや別のサイトに見えるほどである。
また、本来のあり方を否定したために、かつて開発を支援したプログラマーや、資金援助を行った者からのサポートも失われており、今後の大きな変革はほぼ不可能な状況にある。ここで、B-REVIEWを乗っ取った者たちの行為を具体的に断罪するつもりはない。
しかし、強調しておくべきなのは、文学極道の最終期と非常によく似た現象が、再びB-REVIEWにおいても発生しているということである。つまり、「サイトの理念に共鳴しない者が運営の座につき、方針を変更することで場が混乱し、迷走し、凋落していく」という構造が、またしても繰り返されたのである。
【文学極道の亡霊にしがみつく人々】
B-REVIEWが創設されて以降、ネット詩壇には文学極道的な「罵倒カルチャー」を復活させたい、適度に荒れた雰囲気の場をつくりたいと考える人々が常に存在していた。そして最終的に、そうした投稿者たちがB-REVIEWを乗っ取る形になった。
本来、罵倒や荒れた議論は、創作に真剣に向き合うための「手段」であった。しかし、それが次第に変質し、「無秩序な放言や支離滅裂な発言、癇癪を起こすこと、誹謗的な発言をすること」すら、詩人としての特質であり、詩に対する純粋な姿勢であるかのように誤認する者たちが現れた。
不思議なことに、サイトを乗っ取った彼らは自分たちが何を目指しているのかについて、殆ど議論も説明もせず、批判には無視か排斥で応えるばかりである。議論すること自体を忌避するような性格の人々が、本来のサイトポリシーを反故にすることだけに妙に固執しているようにも見える。彼らが本当に求めているものは何なのか。
私の見立てでは、彼らが求めていたのは、文学極道というサイトが生み出してしまった「間違った幻想」である。
まともなことがほとんど何もできないような人々、すなわち、一貫性のある態度や振る舞い、社会的な態度、感情のコントロールが一切できないような人たちが、自己正当化の手段として、放言や支離滅裂な発言を許容しているかのように見える文学極道の文化にすがりつくようになったのかもしれない。彼らにとって重要なのは、創造することでも、議論を深めることでも、場を発展させることでもない。ただ、自分を肯定してくれる空気に浸り続けることに他ならない。
もともとは停滞する人々を排除するために存在していたはずの「罵倒文化」が、いつの間にか停滞する人々の拠り所となってしまった。ここまで読んでもらえればわかるように、私は文学極道というサイトが成し遂げた功績についてはリスペクトしている。また、最盛期の文学極道のような場を取り戻したいと思う人々の気持ちもとてもよく理解できる。
しかし、このサイトの残滓のような人々、場を乗っ取り、まともな説明を忌避し続けている人たちは、文学極道を含めて、これまでネット詩サイトが積み重ねてきた活動に対して、実質的に「悪口」を言う機能しか果たしていない。彼らはそんなつもりはないと反発するかもしれないが、しかし結局ところ、なんのつもりで場を変質させたかったのか、明確な説明も主張もない中にあっては、場を壊し、停滞させ、しかしそうした結果に無頓着な様子以外に読み取れるものがない。
【そしてCreative Writing Spaceへ】
B-REVIEWの混乱と凋落を目の当たりにした元運営者たちは、新たな文芸投稿サイトの必要性を痛感し、新しいサイトを立ち上げた。これがCreative Writing Spaceである。これまでのネット詩投稿サイトの歴史を踏まえ、サイトのコンセプトや運営方針を再設計し、新たな創作の場を築こうと試みたのである。
このサイトは、もはや「詩投稿サイト」ですらない。そもそも、詩の枠組みを超えた作品を生み出すことこそが、ネット詩投稿サイトの夢だったのだから、「詩サイト」を名乗る必要もないという急進的な考えに基づいている。また、詩の場である以上、不規則に振る舞って構わないはずだと考える人々が一部に蔓延る中にあっては、特定のジャンルを特権化せず、開かれた場をつくることが詩界隈にとっても利益になると考えた。特に、旧来の詩投稿サイトにまつわる過去の遺物──すなわち文学極道の「罵倒文化」やその残滓──を一切引き継ぎたくないという意識が強かった。
B-REVIEWの最大の問題点は、「オープンな運営体制が仇となり、乗っ取りが容易なシステムとなってしまったこと」にあった。この失敗を踏まえ、Creative Writing Spaceでは、クローズな管理体制を持ちながらも、分散的な自治が可能なシステムを設計することにした。
その一環として、サイト内通貨「スペースコイン」を導入し、単なる作品投稿の場にとどまらず、各ユーザーが自律的に活動できる仕組みを取り入れている。また、各ユーザーが気に入らない相手をブロック・通報できるシステムを整備し、運営が過度に介入せずとも各自が自身の環境を管理できるようにした。
さらに、詩だけでなく小説、幻想文学、戯曲など、多様なジャンルが交差する場を目指し、文学極道やB-REVIEWとは異なる新たな可能性を模索している。名興文庫との提携を通じて、小説界隈との連携を強化し、これまでのネット詩メディアにはなかった展開を示している。
サイトの立ち上げからまだ間もないが、月間の投稿数はB-REVIEWの最盛期と同程度に達しており、順調に成長を続けている。しかし、これはまだ始まりにすぎない。Creative Writing Spaceはどのような夢を見ているのか──それは、かつての文学極道やB-REVIEWが見た夢の続きであり、それらとは異なる、新しい何かでもある。
【言い訳としての結語】
Creative Writing Spaceは、特定のジャンルに依拠しない文芸投稿サイトである。あたらしく進めていくことをテーマに掲げている。したがって、本稿のように、詩投稿サイトの系譜を振り返ること自体が本来の方針にそぐわないかもしれない。
名興文庫との提携を通じて小説界隈とも接点を持つ中で、特にアンチ活動に勤しむ人たちを目にするにつけ、小説の世界にもまた、特定のジャンルに閉ざされることで停滞が生じていることが理解できた。他方で、特定のジャンルに囚われることなく、純粋に創作を研ぎ澄ませたいと考える書き手が一定数存在し、Creative Writing Spaceに参画くださっていることも確かである。
特定のジャンルに閉じないことは、詩に限らず、創作全般において重要な課題なのではないか。内輪の論争に拘泥するのではなく、異なる背景を持つ書き手たちが交わり、互いに刺激を受けるような場を築くことこそが、今後の文芸創作の発展にとって必要なのではないか。Creative Writing Spaceは、まさにそのような場を目指しており、現状にとどまるつもりがないからこそ、この論考を投稿している。
魔導機巧のマインテナ 短編2:ミシェルの話 置時計の依頼・Ⅴ
一つの結論を得たその日から、作業室に音がやむことはなく。
朝も昼も夜も、その場では加工機型の魔導機巧(※マギテクス)が稼働を続け、ミシェルの仮説と要望に応じた物品を作り続ける。
彼は、ひたすらに自身の為したいと考えている物を形にしていった。
そうして完成したのは、精霊の理に寄り添いながらも、その定着を否定する部品の数々。
それは、全ての魔導機巧が抱えている共通の欠陥である、「『霊核(※コア)』を心臓部とすることによる濃密な魔力への依存」と「濃度の高い魔力へ依存するがゆえの精霊との親和性」を、後付けで補完することで、不幸な事故が起こらないようにするためのものだ。
(本来、『霊核』への防護処理を完徹していれば必要のない代物だけど、そうも言っていられない物理的な、或いは経済的な事情がある。哀しい事に)
出来上がった部品たちを見つめながら、ミシェルは軽く溜め息を吐く。
マインテナ達の仕事と言うのは専門性が非常に高く、また彼らが扱う魔導機巧も大変に高価な代物であり、ある程度まで世界に普及したとはいえ、その管理も含めて慎重に慎重を重ねるのが常識だ。つまり、それらを維持していくには常に莫大な費用が必要になるという事である。
だが、その高い性能やブランド性に魅せられた需要と言うものが絶えることはなく。それゆえに、可能な限り細部を省き、価格を抑えた廉価版のようなものが出回るのも、ある意味では仕方のないところではあった。
(とある国には「安物買いの銭失い」なんて言葉があるそうだけど、とは言え、なかなか辛いところだなぁ)
そう言うことを考えながら、ミシェルは部品たちを専用の容器へと収納して、次々に鞄に詰めていく。
着々と仕事の準備が整っていく。
それからも、彼は仕事に必要な作業を次々と完了していく。
工具類を始めとして、事前に予約しておいた飛行船の乗船券や出立後の着替え、作業時に食べる栄養補給用の間食品などなどである。
そうして、全ては整った。
時間にして、契約締結から三日目。
「ふぅ……。少しバタバタしていたけど、荷物検査も問題なし。優雅なフライトが楽しめそうで安心した」
その三日目の朝。ミシェルは、航空魔法使い達に護衛された飛行船に乗船し、船上の人になっていた。
そのまま数時間を掛けて、依頼主の居る町ウェスタシアへと向かう。
ウェスタシアの町。旧帝国の時代より農産業の町として発展し、国の食糧自給の一翼を担ってきた実績のある町である。
それは今も変わっておらず、広大な農耕地帯と果樹園を有し、幾つかの農業機械型の魔導機巧を用いて運営されている。
(見えてきた。牧歌的な風景と魔導機巧の取り合わせが奇妙ではあるけど、だからこそ、と言う話でもある。精霊が動いたのもきっと……)
眼下に見えてきたレンガと木造建築を合わせたような町並みと、その郊外に存在する農耕地帯と、そこで活躍している農業機械型魔導機巧をそれぞれに見つつ、ミシェルは短く息を吐いた。
「まあ、それも後で考えていこう。今は仕事に集中っと」
彼は、機内食として二本提供されたナッツバーをかじりながら、下船の準備を進めていく。持ち込んだ手荷物を纏めて、すぐに必要となる書類を即座に取り出せる場所に移して、最後に、残ったナッツバーを口に放り込んで──。
そのまま、飛行船が滞りなく着陸した後。
彼は町の散策をする間もなく、住人に道を尋ねて、急いで町役場へと足を運んだ。
「おお、ミシェルさん。ようこそ! ちょうど良かった。今、図書館の館長も来ていましてね」
「貴方がミシェル殿ですか。初めまして。私、町立図書館の館長を務めております、アルノー・バイヨと申します。町議オーバンより、お話は伺っております。この度は宜しくお願いします」
「初めまして。ミシェルと申します。こちらこそ宜しくお願いします」
そんな彼を出迎えたのは、オーバン本人と、ちょうど業務の報告に来ていたらしい図書館の館長である男性、アルノーだった。
アルノーとミシェルは、互いに自己紹介を済ませて握手を交わす。それと同時にミシェルは、仕事で共有しておきたい情報もここで話すことにした。端的に言えば、置時計の故障の原因について彼が立てた、あの仮説についてである。
三人は、オーバンの案内で応接室へと入り、話し合いへと突入していった。
「──。つまり、あの時計の故障は、『霊核』に癒着した精霊体が、周辺を循環している魔力の流れに干渉しているせいだと、そう仰るんですね?」
「まだ仮説の域を出ない話ではありますが、ね。とある依頼を遂行した際に珍しい事例に出会いまして。きちんと修理しても異常が出るという事は、その可能性も有り得ると考えた次第でして」
「ふぅむ……。しかし、その精霊体の癒着と言うのは、何故発生するのですか?」
「同属固着現象、と僕たちは呼んでいるのですが、簡単に言えば、魔力の属性が極めて近いもの同士が接触した際に、互いの魔力の安定性が増すことで一体化してしまう、と言う現象で──。」
そう言いながら、ミシェルは鞄から幾つかの資料を取り出してテーブル上に並べていく。それらには、「同属固着現象」についてや、今回の置時計に発生している可能性のある現象についての解説も記載されている。
それらを見つつ、ミシェルは二人に説明を行っていく。
「精霊の場合、帯びている魔力の量や偏った属性の力を持つので、それが非常に起こりやすいのです。大抵は『霊核』に防護処理が施されているので、まず起きないですけども」
「なるほど」
「問題は、何故、置時計の『霊核』付近に精霊が近付いたか、なのですが。そこはまだ何とも言えません。仮に置時計不調の原因が「同属固着現象」であれば、まずその対策が先となります。そのための部品も持参しましたので」
「それは、とても助かりますね。しかし、そうなりますと費用も相応に高くなりそうですが……」
「そうですね。希少な素材を使った部品であるとか、技術料もありますから、その辺りはどうしても高額になってしまいますね」
「ふーむ。となると予算は──。」
アルノーがそう言いかけた時、ここまで静かに耳を傾けるだけだったオーバンが反応し、真剣な雰囲気はそのままに、柔らかい笑みを浮かべる。
「ご安心を。そこについては私から町議会に話を通して、補正予算も承認済みです。相場の倍程度までは余裕をもって保証できますので、大丈夫かと思います。存分に腕を揮って頂ければと」
「……と、いう事らしいので、私からの疑問や異論は、特にありません。オーバンさんは如何ですか?」
「私からも特にはありませんな。むしろ、事前にここまでの研究と考察を頂けた事に感謝を申し上げたいくらいです」
そう言うとオーバンは軽く頭を下げて見せる。もちろんアルノーも同様に。
そんな二人に、ミシェルは優しく微笑する。
「いえいえ、お気になさらず。僕も勉強になりますので。さて、そう言えば、こちらの町近くに居を構えておられるマインテナさんの話なんですけど……」
「ええ。そちらも、私から話を通してありますので、連絡一つですぐにでも動ける態勢ができていますよ」
「有難う御座います、オーバンさん。僕の方からもお話しておきたいことがありますので、この後すぐに、連絡をお願いしても良いですか?」
「もちろんです。すぐに伝令を送りましょう」
「助かります。アルノーさん、図書館の方は、今日は?」
「今日と明日は、全日休館としておりますね。作業の必要があれば、開館日にも置時計の周辺を立ち入り禁止にできますよ」
「有難いですね。作業が長引く可能性もあるので、大変助かります。では、そちらは宜しくお願いします」
そうして、三人の間で共有しておくべき情報が次々に公開、提供され、着々と仕事本番の準備が整っていく。
ミシェルから見ても、仕事の円滑な成功を確信できる程度には、スムーズに事が運んでいくのだった。
ゼロの地点
眩ゆい星々の歌声
清らかな清流の富有
凍てつく風の声色
ここは還るべき場所
生まれる前の
命を吹き込み
永遠に続く
始まりの終わり
私である意味を与え
終わりなき始まり
聖なる大地に
深く根を張り
揺らぎの中で
満たされ続けて
高揚の純潔を抱き
眠れるままに
ルーシー詩編 ワーズワース
ルーシー⑴
身に覚えがある 奇怪な発作
かつて私を襲った事件
愛する人の耳にだけ
敢えて告白しよう
私の愛する乙女が 日々艶やかに
六月の薔薇さながらに 匂い立った頃
夕べの月の光を浴びつつ
彼女の小屋へと寄り道をした
見渡す限りの草原の上
月に 私の眼は釘付けになった
愛しい私の小道の上を
いつしか 馬は足早になって近づく
ついに果樹園に着く
丘を登っていく
沈みゆく月が ルーシーのあばら家へと
近づき なおも近づく
いつの間にか 私を眠りに捕えた甘い夢は
優しい自然の 情け深い恩恵だった
その間じゅう 私の両の目はずっと
落ちてゆく月を じっと見つめていた
蹄の音も高らかに
馬は動きを止めず
すると 小屋の屋根の向こうへと
すぐに 輝く月は消えていった
何と 定めなく 気まぐれな思いが
愛する男の胸へと 滑り込んだことか
「ああ お慈悲を!」と私は知らず叫んだのだ
「ルーシーよ 万一にも死なないでくれ」と
ルーシー⑵
彼女は暮らす 人も通わぬ小道のそばに
ドウブの泉の脇の小屋
ほめたたえる者はなく
愛する者とて
苔むす岩の 隅にひっそり
隠れては咲く スミレの花よ
その健気さは 空に輝く
一番星かと
ひっそりと生き 知る者もなく
ひっそりと逝く
いまや彼女は 奥つ城に ああ
いまは彼女は 何処にも
ルーシー⑶
私の旅路に 知る顔もなく
海の彼方の 諸々の土地
英国よ! それまで私は知らなんだ
かくも愛しき祖国だったと
もう過ぎ去った 憂鬱な夢
もう去りはせぬ お前の岸辺
二度と離れぬ いまも思うが
いっそうお前が 愛しいのだよ
山から山へ お前を巡れば
望み満たされ 喜びは湧く
お前の囲炉裏 火に暖まり
糸を紡ぐは 私の愛する乙女であるよ
英国よ 朝な夕なに見え隠れする
ルーシーの 遊んだ木蔭
英国よ あの早緑の草原もまた
ルーシーの 見納めたもの
ルーシー⑷
三年 彼女は日と雨を浴び
すると自然はこう言った「愛しい花よ
地上に撒いた種から伸びた 最善の花
このいとし子を わたしはもらう
わたしのものだ 我が相応しき
淑女としよう
「わたしは 我がいとし子の
規範とも衝動ともなろう わたしと共に
少女は 岩場にいても草地にいても
湿地であれ木蔭であれ 天地のどこにいようとも
自分の思いを 燃え立たせるにせよ 鎮めるにせよ
見守る力を感じるだろう
「小鹿のように 喜びに
狂おしく 野原を走り回り
山中の泉へと 駆け上がり
漂う芳香を 身に帯びるだろう 少女は
黙す無情の物さながらに
静かに落ち着くだろう 少女よ
「流れる雲にも似る少女
柳さえ その身を屈め
嵐どよめく 最中であろうと
人知れぬ 共感により
乙女子を成す 優美な資質を
少女はその身に 着けぬはずもなく
「真夜中の星々に 少女は親しみ
思い思いに 踊るが如き細流沿いに
秘められた 幾多の場所に
少女は耳を傾ける
水のささやき 美を生じ少女の顔に 浸み込んでいく
「生き生きとした 歓喜の情は
乙女の胸を 高鳴らせ
少女の姿を 気高くしよう
この草深く 幸多き谷間にて
少女とわたしが 共に暮らす世
わたしの思いを 捧げよう」
自然はかく語りき——その業は成就せり——
ルーシーの世はうたかたの如し
いまやおらず わたしはひとり
この荒れ地 冷淡にして物音一つせぬ土地は
それまで生きてきた者の
そしてもう 二度と見られぬ者の 思い出
ルーシー⑸
眠りが封した私の心
私は怖れの心を失くした
彼女は非情の物に見え
寄る年波の感触も知らぬ
いまや彼女は動きも力も見せず
聞くことも見ることもない
今日も一日大地は回り
彼女も回る 岩石と樹々と共
ワーズワースは、人々が毎日使うような言葉を用いて、思いもよらぬ美しさを醸し出そうとした詩人である。これに倣って、私もできるだけわかりやすい言葉を用いて訳してみた次第である(奏功したかどうかは定かでないが)。それにしても、言葉は易しくとも内容は時に難しいし、時に余りに意表を突く。
⑴は、恋する乙女の元へ通う男を詠むが、第五連では男は半ば夢遊病者となりながらも、目だけはしっかりと月を見つめている。何とも不可思議な情景である。そして最終連で突如男は乙女が死んだらどうしようと思うのだが、その連想の急に驚く。
⑵は、どこかしらわびさびの美意識と通じる。人里離れた暮らしはわびであり、貧しい家はさびであるのだが、するとこの作品では、乙女が人里離れてひとり粗末な家に暮らしており、それがいつの間にか亡くなっているのだから、ここにはわびがあり、さびがあり、無常がある。いかにも日本人好みの美意識である。枕草子には「女の一人住む所は」から始まる文がある。女が荒れた貧しい家に一人暮らしているのは何とも奥ゆかしいというのだが、それと通じるものがある。
⑶は、詩人の祖国愛と乙女への愛が重なり合った作品である。詩人は英国を愛するが、それは愛するルーシーの暮らしていたところだからでもある。もっとも、ルーシーはとうに亡くなっており、詩人が飽くまでルーシーとつながるのは思い出によってだけなのであり、英国はルーシーの記憶をとどめる土地なのである。
⑷は、まるで自然界がルーシーを愛する余り連れ去ってしまったのではないのか、とも思える内容である。
⑸もまた不可思議千万な作品である。詩人は眠り、そして恐怖心を失くすというが、いったいどういったことだろうか。私には、詩人もついに亡くなってルーシーと同じ場所に土葬に処せられ、土の中で隣にルーシーを見ているようにも思われるのだが。そして地球の自転と共に、ルーシーも詩人も永遠に宇宙を巡り続けるのである。
ルーシーのモデルが何者であるのかは専門家の間では議論が絶えない。恋人である、空想上の人物である、共に暮らした妹である、いやむしろ詩人の解決されていない内面を象徴的に描き出したものである等々、実に様々な解釈があるようだ。当の詩人本人が何とも言っていないので、どれも決め手に欠けるようである。この五つのルーシー詩編はひとまとめに書かれたものではなく、ルーシーの名は詩集のあちこちに思い出したように記されたものであるので、ワーズワースにすら統一的な意味づけがなされていなかったかもしれない(無責任な発言であるが)。モデル探しに齷齪して詩のよさを味わうのを忘れてしまっても、本末転倒であろう。余り深くは考えずに、素直に読んで直感の伝えるままにするのがよかろう。ルーシーは読み手の心の中にいるのである。
香り
異国から来た
キャンドルは箱の中
灯されることなく
眠っている
目覚めさせたら
うっとりするだろう
夢は
いつかさめる
人の夢 儚い
ひとのゆめは叶い、夢を見たけりゃここまで掘りな
祈り
爆散する
流れ星が青いなんて知らなかった
一瞬の朝をもたらすなんて知らなかった
願い事は明るいところでしか叶わないという疑念が
確信に変わってしまった
ある極夜が明けることは
反対側の誰かの気まぐれの祈りが
季節風に乗ってくるからか
夜の中に閉じている人の寂しさは
明け方のキジバトの声に取って代わられる
洞窟の暗がりを照らす松明は
酸素を材料に我々の願いを聞いてくれる
映る影が真実でないとしても
それを信じるしかもう
息は続かない
爆発する
一瞬の閃光
こめられる祈り
届くまもなく熱に飲まれて
偏西風に乗って
反対側の知らない誰かの
灯火になる
なめらかな距離
夜からどのくらい離れて朝があるかな
朝からどのくらい近くに夜があるかな
寒いから
近づきたいのね夜と朝
暑いから
離れたいのね朝と夜
仲は悪くないと思うよ
戦闘、開始
小綺麗なコトバで曖昧にゴマかすのには
もうほとほと 疲れてしまったから
そろそろ 本当の話をはじめませんか
身も蓋もない
本当の話を
伸されて
捻じ曲げられも
押し潰されても
進むローラーに
伸されて沈む
海底まで
あと
どれくらいだろうか
無心で塗り絵に色を
塗り続けていた
園児の頃と同じ質量で
幸せかもしれない
あと少し
海底に着いたら
塗り絵は終わる
みんな帰っていて
出口がない
海底とは
どんなところか
塗り絵で
塗っていたのは何か
わからないまま
伸されている
今日もあさっても
いちねんごも
いつも
満天のファンタジー
偽るほど偽るほど人の為に成れ、癖字
ピジョンと言う名の。
彼女は、万華鏡を覗き込んだような眩暈を誘う色彩の迷宮だった。躍らせれば、肺腑を突くような赤い花が咲き、瑠璃色の海が広がった。彼女が笑うたびに、祝福を授かったかのように新しい色を更新していく。僕はその世界の片隅で、呼吸をすることさえ忘れて、その美しさに毒されていた。
けれど。
残酷なほど鮮やかな夕陽が、この世界の終末を煽るように街を焼いている。
因果律の鎖が千切れる音を立てていた。空を切り裂き、黒い雨が降り注ぐ。人々は彩り豊かな服を着て、「呪い」のような言葉を交わしながら、崩壊する光の中を歩いている。
彼女の呟きは、僕の鼓膜を鋭く削り取った。眩しすぎる世界は、いつしか彼女の網膜を焼き、心を薄く削り取る毒となっていたのだ。誰かがプログラムした暴力から、この灰色の、完璧なデッドエンドへと。
校舎の裏手、忘れ去られた温室の最奥。
隕石が降ったあの日から、灰色の雪に閉ざされた世界で、彼女は「植物研究部」という隠れみのを使い、校舎全体のエネルギーを盗み続けていた。
水銀のように光るシダ、琥珀色のハミングを返す苔、そして、僕の心臓の鼓動に合わせて燐光を放つ青い花。
彼女は、冷徹な数式をなぞるように笑った。
箱入れ原理。
限られた「生存」という名の箱の中に、溢れ出した「感情」を押し込めれば、それらは互いを食い破り、ドロドロの灰色へと濁っていく。世界が均質化したのは、論理的な必然だった。
彼女は、未来の電力を食い潰し、異形の極彩色を育て上げた。
露見したのは、隕石の傷跡のような夕焼けが街を焼いた放課後だった。彼女は物語の悪役になり、僕はその共犯者になった。みんなが手を繋ぎ、不格好に生き延びようとする中で、彼女は、宇宙の深淵よりも深く、燃えるような青を湛えた蕾を抱きしめていた。
屋上のフェンスを背に、彼女がその蕾に口づけをした瞬間、僕の視界は「青」に塗り潰された。
世界の終わりと言われたあの雨は、今、この瞬間も僕の上に降り続いている。
僕という観測者は、彼女が書き換えたアルゴリズムの中で、死ぬことも許されずこの光景を見つめ続けてきた。一度たりとも止むことなく、天から零れ落ちる水滴が地上の記憶を洗い流し、文明を変えていく。
止まない雨に打たれ続け、灰色の絶望が剥がれ落ちたあとに残ったのは、吐き気がするほどに美しい極彩色だった。
[Table: 僕が見つめ続けた幾千年の変遷]
| 観測対象 | 幾千年後の真実 | 僕の心象 |
| :--- | :--- | :--- |
| 銀河苔 | 廃墟を喰らい、星図を投影する | 境界線が溶ける安らぎ |
| 琥珀苔 | 雨音を屈折させ、ハミングを放つ | 静かな発狂 |
| 青い宇宙花 | 彼女のいた場所で、僕を呼んでいる | 永遠の帰依 |
彼女の回答は、あまりに乱暴で、美しかった。
彼女は、かつての彼女によく似た瞳で。
花に触れる。その瞬間、僕の胸の奥で、痛みが走った。
終わりのない、永遠の冠水だ。
不格好で、泥だらけで、けれどどうしようもなく純粋な何かが、雨粒に混じって僕の頬を撫でる。「異物」は、今やこの星の「正解」となった。
降り続く雨の中、僕は肺を湿らせ、魂を溺れさせながら。
空から降ってくるのは、絶望ではなく、書き換えられた世界の数式だ。
僕は泥だらけの足で、水底へと歩き出す。
青い花が、孤独を抱えて、残酷なほど美しく、僕の足元で笑っている。
僕は、その花弁の陰に、彼女の指先の残像を探し続ける。
この止まない雨が、僕という不純な観測者を完全に洗い流し、彼女とひとつにしてくれる、その瞬間まで。
空の瓶に満ちる月の匂い
第一章 出立の鼻
玄関の鍵を回す指に少しだけ力を込めると金属が控えめに鳴り、溜まっていた室内の温みが細い帯になって夜の外へほどけていくのを肩で受け止め、私は靴紐を確かめてから吸う、留める……吐くの拍を胸の奥で静かにそろえ、家と通りのあいだを流れるわずかな空気の段差を鼻先で測る。
門扉の蝶番には昼の名残りの鉄の粉が指先に移る匂いを抱え、路地へ出ると電柱の継ぎ目に染みた古い雨の匂いが上がり、配電盤の熱はもう弱く、代わりに虫の翅が擦れる乾いた音が空気を淡く震わせる。商店街へ抜ける道は日中の熱を失い切らず、アスファルトから立つ匂いは油の薄い膜に似て甘く、自販機の投入口には砂糖の角ばった気配が残り、郵便受けの口金には古い錆が紙の繊維と擦れ合う匂いを貼り付け、排水溝からは藻の湿りと埃の温みがとろりと上がってくる。軒先の鉢土はまだ乾ききらず、指先を近づけると土中の乳のような匂いがゆっくり返ってきて、それに混じってどこかの窓から漂う石鹸の泡立ちがほどけ、さらに路地の角では古いポスターの糊が薄く粉を吹き、舌の奥を少しざらつかせる。
どこかの庭の金木犀が季節の端をつまむように粒の香りをほどき、洗濯物の乾いた繊維は人の肌の名残を湛え、私の鼻腔はその薄さの重なりで静かに満たされる。上着の内ポケットには小さな空の小瓶が一本、そばに薄い手拭い、さらにその隙間には祖母の匂い袋がほどけてこぼれた白檀の欠片が、砂粒のような軽さで入っている。祖母は月見の晩になると香の灰を指腹で撫で、私の鼻先に近づけて「匂いは捕まえるものやない、向こうから通っていく道を整えるんや」と低く笑い、床の間にはすすきが立ち、皿には団子が不揃いに並び、窓の四角に月夜の白が置かれた。月夜という言葉の内側に湿った草と川の鉄と人の体温が層になっていることを、私は祖母の手の匂いから覚えたのだと思う。
吸う、留める……吐くと繰り返しながら、私はいつもより少し迂回してアーケードの影へ入る。閉店後のシャッターは金属の冷えを板一枚で外へ渡し、そこに手の汗の塩が乾く匂いが薄く混じり、古い看板は雨の記憶を木目に抱えて夜気に触れ、その層がしずかに開いていく。パン屋の前を過ぎると窓の隙間から粉と油分の柔らかい甘さが遅れて漏れ、理髪店の切り落とされた髪の微かな獣臭が床の隅で静かに沈み、文具店の奥からはインクの金気めいた匂いが細く伸びる。私は視線を高く上げず、匂いだけで空の明るさを推し量り、電線の上でほとんど動かない風の角度を頬の内側で測る。まだ視界の端にある月は、鼻柱に触れる冷えの鋭さで上がり方が分かる。
広場へ向かう交差点の角で犬が一度だけ鳴き、すぐ黙る。その口の中の温度が遠くの風と広場の石の冷たさの差を伝え、近くの信号機の箱は熱を失ってプラスチックの乾いた匂いを吐息のように漏らす。私は鼻孔の内壁がわずかに広がる感覚を楽しみながら、瓶の口をいまは開かないという約束を自分に言い聞かせ、靴底を少しだけ重くして歩く速度を落とす。月はまだ主旋律ではない。あの膜に触れるには、もう一段階、空気の音を減らさねばならない。
第二章 広場の反響
噴水の止まった広場に入ると沈黙が層になって重なり、石の水盤は日中の熱を手放し切って内側から冷え、縁に残った手の跡の塩気が乾いて苦味をわずかに立てる。ベンチの板は人の坐りあとを木目の奥へ引き込み、樹脂が夜気と出会って甘さを一度薄め、時計台の鐘の音は鳴らず、けれど真鍮の乾いた匂いだけが空気の底で漂う。掲示板の端には月見祭の貼り紙が半分だけ剥がれ、糊の甘さが紙の黄ばみに吸われて粉になり、その粉が空気の波に合わせて舞い、照明の根元からは焼けた埃がほどける。鳩の羽根からは脂がやわらかく抜け、石畳の継ぎ目に溜まって匂いだけを残し、植え込みの土には昼に踏み入った子どもの靴底の跡がまだ湿りのかたちで残っている。
私は広場の中央ではなく、灯りの届かない端に立つ。吸う、留める……吐くの拍に合わせると、鼻の向きが内から外へ反転する瞬間がはっきり訪れ、私が広場を嗅いでいるのではなく、広場と空のあいだから私という空洞のかたちが試されているような感覚が背中を通り過ぎる。忘れていた匂いがまとまった形で胸に降り、消毒薬の清潔な刺し、ミルクの温い皮膜、白いシーツの擦れる音を伴った甘さがいっせいに戻り、祖母の臨終の前夜、病室の天井に月が薄い弧を描き、祖母は目を閉じたまま「今夜はええ月夜や」と小さく言って、私は鼻を持て余し、何も受け取れないまま瞼だけが熱を持った、その遅れが今になって呼吸の下で均されていく。
ベンチの陰から清掃の男がゆっくり歩み出て、私に気づく気配を見せず、腰の袋から小さな刷毛を取り出して掲示板の粉を掃き、「張り紙は明日ぜんぶ替えるんだってさ」と自分に言い聞かせるみたいにつぶやき、角の方へ去っていく。言葉の残骸だけが空気の面を揺らし、糊の匂いがふたたび立つ。私は瓶の蓋をそっと回して外し、風のない隙間を待って瓶口を上へ向けるが、捕まえられるのは紙の粉と石の冷えのきしむ匂いばかりで、月の膜はまだ遠い層のまま揺れている。蓋を戻して指で軽く締め、広場の石畳の最後の列を出る前に、噴水の縁に残った水が一滴だけ落ちて石を打ち、ほとんど無臭の冷たさが鼻へ触れて消える。
靴底にくっつきかけていた小さな葉が折れて鳴り、糊の粉が一瞬立つ。私は背中でその音を受け、川べりへ向かう細い道に鼻を向ける。水の匂いはまだ軽く、葦の青さは遠く、濡れた土の乳は眠っている。途中の橋の欄干に触れれば塗装の下で鉄が乾いていく匂いが手のひらを通して鼻に届き、街の端で眠っているトラックのディーゼルが冷えながら吐く薄い油の面が風に薄まっていく。すべてが原っぱに向けて緩やかに整っていくのを感じ取り、私は呼吸の拍をわずかに長くし、足の置き場を静かに選ぶ。
第三章 原っぱの膜
土手の上に立つと川面から戻ってくる冷えが頬を撫で、斜面を降りる足元で草が水気を押し上げ、靴の縁に触れただけで青い匂いをまっすぐに立ち上げる。踏みしめた土は昼の温みをまだ腹の奥に抱き、湿りと乾きが同じ場所で入れ替わるときの匂いをこつこつ渡し、クローバーの葉は指で挟むと乳の甘さを少し滲ませる。葦の群れは風が弱いせいでささやきだけを続け、遠くのどこかで焚かれた小さな火の煤がときどき極細に運ばれてきて、鼻の内壁を淡い黒で塗り、やがて電車の高架は遠くで一度だけ低い金属音を落としてすぐに沈黙する。川は鉄の薄い匂いを肺の端へ置き、湿った石の面からは苔の冷えがじわりと起き、星より低い場所で月が大きく見える錯視を越えて、胸郭の内側がひそかに拡張する。
私はしゃがみ込み、掌で草の束を少しずつ揺らし、鼻先を地面の高さまで下げる。吸う、留める……吐くをいつもより長く保つと、緑の繊維が切れる甘さと水分が解ける湿りが交互に通り、そこへ自分の体温がゆっくり混じって呼気の端に塩の気配が薄く立つ。瓶の蓋をそっと外し、月の方角へ口を向け、風のない一拍を選んで掲げる。開いているのに何も入らない無の軽さが指へ伝わり、瓶は香りを捕らえる器ではなく、香りどうしの間に生まれる薄い変化を受け止める器なのだと、ここでようやく腑に落ちる。私は瓶を草の上に置き、仰向けになって背を任せ、耳の裏で小さな虫が一度だけ羽音を立てて通り過ぎるのをやり過ごす。
目を閉じると色は消えるが、匂いの輪郭はむしろ濃くなる。空を流れる気体が鼻の穴で私の形を確かめるように出入りし、月の匂いは単独の素材ではなく、草、水、土、体温のあいだに張る透明な膜として現れる。その膜が胸の内側に触れて、ほとんど痛みのない圧を残し、背骨の湾曲を内からゆっくり正す。遠くで獣が一度だけ短く鳴き、すぐに静かになり、川下では水鳥が羽根を打って、湿った羽根の脂が夜気に溶ける。私は寝返りを打ち、草の匂いを衣の繊維へ移し、瓶の口を、自分の吐く息の最後の薄さへほんのわずかだけ触れさせる。息と月の膜が一瞬だけ重なったと感じたところで、私は蓋を静かに戻す。栓が閉まる気配が指先へ伝わり、音にならない音が耳の奥でひとつ跳ね、腹の底がわずかに軽くなる。
腰を起こすと川のほうで一度だけ水音が強まり、葦の根元で細かくほどける。空はさっきよりも一呼吸分だけ高く、月の輪郭は遠のいたのに、鼻の奥の厚みはむしろ増し、舌の根で甘さが薄膜のように張る。原っぱの端に置かれた古いベンチの下で誰かが落とした紙袋が風に弱く鳴り、その中から乾いた小麦の匂いが少しだけ漏れ、足元では蟻が砂を運んで短い黒い線を整える。私は立ち上がり、原っぱの匂いを背にまとい、土手を上り直す。帰り道の途中で振り返らない。匂いは背中で受け取ると形が保たれる。祖母がそう言ったのを、いまは私の鼻がもう一度言っている。
土手の上、空は広く、月見という言葉が風の背骨で音もなくほどける。私は言葉を口にせず、ただ鼻の奥で記憶を並べる。団子の粉のざらつき、湯気の温度、すすきの切り口の青さ、縁側の木が夜露で吸った水の匂い――どれも今夜の膜にそっと接続される。川に沿ってしばらく歩き、街へ戻る道に折れる。足底がアスファルトを踏んだ途端、土の匂いが後ろへ退き、代わりに油の膜と鉄の粉が戻り、コンビニの自動ドアの縁から冷気の直線が足首を撫でる。私は歩幅をもう少しだけ狭め、呼吸の拍を丁寧にたたみ、瓶が上着の内で静かに体温に温められていくのを確かめる。
第四章 空の収穫
家の鍵は行きより軽く回る。室内の基音である紙と木と埃の乾いた匂いがまとめて立ち上がり、そこへ靴底に連れてきた湿った土と草の青さが混ざる。混じり方には段差があり、その段差が棚に置かれた器と器の隙間のように鼻の中で響き、天井の隅で乾いた蜘蛛の糸が夜気を一筋受け、夜気に金気の匂いがまじり、糸はうっすら光る。私は窓を開け、カーテンを少しだけ引き、夜の最後の冷えを布目で分配させる。机の上に瓶を置き、祖母の真似をして小さな調合を試みる。茶葉を指先でほぐし、乾いた柚子皮の欠片を細く裂き、白檀を爪の先でほんの少し削り、原っぱから摘んだ草を乾かさずに指で潰し、香りを順に重ねる。しかし重ねるほどに鈍さが出て、夜に吊られていた膜がどこかへ退き、香りは名を名のままに主張して互いの隙間を埋めてしまう。
私は混ぜる手を止め、瓶を窓辺へ移す。瓶は空のまま立っている。中を嗅ぎ返すことはしない。確かめないままでいい。風が瓶の口を掠めるが、音は残らず、匂いも残らない。空であることが、今夜の収穫だと胸の奥が静かに頷き、祖母の匂い袋の欠片を掌に乗せ、温度を少し与えると粉の甘さが指の腹に薄く移る。私はそれを瓶に触れさせず、ただ近くに置く。空の瓶が甘さと乾きと青さのあいだに生まれる細いトンネルを抱え持っている気配が鼻の裏側に通り、机の木目の溝に溜まった古い蝋の匂いが静かに浮く。
台所からは皿の縁が触れ合う金属の小さな音が一度だけ届き、水道の蛇口の先に残った滴の冷えが鼻の中に細い線を引く。私はその線をたどり、名を付けられない甘さがほの暗く灯っている場所に触れ、吸う、留める……吐くをやさしく短くする。呼吸が拍を数える必要を失い、数えないことで初めて数えられるものがあると静かにわかる。冷蔵庫の背から出る微かな熱が壁に沿って上がり、夜の最後の冷えとぶつかって薄い層をつくる。その合わさり目に鼻先を差し入れると、さっきの原っぱの膜がわずかに反応して胸の奥でふくらむ。
机の引き出しの奥から古い封筒が見つかる。祖母の字で「秋の月に」とだけ書かれた無地の封が、糊の甘さをほとんど失ってから何年もここに眠っていた。中には何も入っていない。空洞の軽さが指に移り、私は封を戻し、引き出しを静かに閉じる。音はほとんど生まれない。その無音が瓶の無臭と共鳴し、部屋の四角は夜の白でわずかに形を変える。
私は椅子を窓の四角い影に合わせ、背を伸ばす。外では夜の最後の風が低く巡回し、遠くの通りで誰かが「今夜はいい月夜だった」と笑い声に混ぜて言い、その言葉はここまで届かないが、届かないという事実が鼻の内側でやさしい膜になって残る。私は団子の粉のざらつきを思い出し、舌先でその記憶を確かめ、甘さの輪郭が薄くにじんで胸の内側に丸い灯がともるのを見ずに知る。
祖母の死の夜、病室の窓辺で私は匂いを何一つ拾えなかったが、翌朝、廊下の消毒薬と結露した窓の水と朝の布団の冷えが一度に鼻へ戻ってきて膝が抜けた。あの遅れて届くものが今日も私のなかで形を変え、月という名の膜になって立ち上がり、名前を呼ばず、ただ向こうから通っていく道を整える。私は戸棚の隅から祖母の小さな湯呑みを取り出し、水を指先で一滴落として香りのない冷えを確かめ、湯呑みをまた静かに戻す。
私は瓶の口を掌で包み、しばらくその温度を保つ。何も起こらない。何も起こらないことが今夜の中心だと理解し、窓の外では鳥が短く羽音を立て、東の暗さがわずかに薄くなる。私は目を閉じ、吸う、留める……吐くの最後の息が少しだけ甘いことを確かめ、そこに名を与えず、ただその甘さを夜から朝へ渡す。
机の上の瓶は空のまま、しかし空であることによって満ちている。月の匂いは私の内に残り、外に残り、瓶の口元に残り、それらが同時に同じ膜であり続けることを、私は肩の軽さとして受け取り、静かに立ち上がる。カーテンが小さく揺れ、紙の上の影が少し移動し、台所のほうで流しの底の金属が夜明け前の冷えを一度だけ短く鳴らす。私は指先でその移ろいを追い、息を整え、今日の最初の一歩を床へ置く。
挨拶
鴉麻俳兎、といいます。
「からすま はいと」
音楽をやっていたときの名前、好きな物を混ぜたペンネームです。
六歳の頃、歴史の本を読み耽っていました。世の中の出来事にはすべて「理由」があるのだと、子供心に気づいてしまったのが始まりです。
十代は、とにかく尖ったものに惹かれました。ヒップホップの鋭いリズム、本格ミステリの冷徹なロジック、そして裏社会を生きる男たちのヒリつくような体温。それらを混ぜ合わせて、二十代はラッパーとして言葉を吐き出す日々を送りました。ネットの片隅で自分の名前が勝手にまとめられているのを見たとき、言葉が自分を離れて独り歩きする面白さを知った気がします。
大人になり、一度は小説から離れました。そんな私を再びペンへと向かわせたのは、意外にもパチスロ雑誌のコラムでした。木村魚拓さん、沖ヒカルさん、中武一日二膳さん。彼らが綴る、人間の格好悪さも滑稽さもすべて曝け出したような文章に打ちのめされ、ブログで日記やコラムを書き始めました。
その後、俳句の世界に出会い、十七音という極限まで削ぎ落とされた言葉の深さに触れたことで、ようやく今の自分のスタイルが見えてきたように思います。
「面白い」が先、「伝えたいこと」はその後。よくある言葉ですが、私もそうあるべきだと思い、日々執筆しております。
これからは、歴史の因果と、人間の生々しい体温を、物語に込めてお届けします。
鴉麻俳兎としての歩み、ここから始めます。
全ての
さらに、さらに より深くを目指すのは
眩しさに耐えられぬ自身の脆さゆえか
背徳から得る安らぎは
麻薬のような悦と怠惰を教えてくれた
現実が奏でる旋律は
流した汗と涙の数だけ歪むんだ
理想を求めた代償は
名もなき者に必要ない名を与えた
偶像崇拝の行く末は
真実と混沌をも翻弄した
ほんの束の間の一服は
千里眼と地獄耳をひととき貸してくれた
泣けば思い通りになると知った赤子は
生後数ヶ月にして人を操る術を身に付けた
誰からも見向きされない自称天才は
凡人だと気付くまでに自ら命をたった
平和について語り合える平和な時代
本音を言えば誰もが感じてる格差社会
民主主義という名のカースト制
ソ連崩壊と同時に開戦する第二次世界冷戦
底辺から眺める頂き
皮肉まじりに煽る肩書きある方達
風上から風下に巻く細菌
大化の改心と何ら変わりない
クーデターは成功すれば革命となりえるが
そのほとんどは国家反逆で終わるんだ
力のない者達 ペンは剣よりも強し
インクが切れれば武器に早変わり
聞こえ過ぎた耳を削ぎ落とした
画家は耳と引き換えに死後の評価を得た
ダーウィンの進化論が認知された今も
人の心に神が必要なのは何故だろう
捏造という錬金術
根も葉も茎もないものが花に変身する
伝わる数が多いほど変化する
噂話は姿形に添加物をくわえ伝達される
不平が多い悲惨な現状でも
一日24時間というものは平等だ
良薬 口に苦し
今では静脈に針を入れれば解決する
流れる血こそが人を動かすガソリン
ならば爆発を起こすほどの刺激が欲しい
化粧をしても大人になれない女の子
経験という意味を履き違える思春期
ショウケース越しに宝石を見定めるくらいなら
自分の功績を鉱石に換え研磨するべきだ
引きこもるくらいなら自分を人質に立てこもれ
笑い話になるその日がくるまで
ありがとう 同士たちよ 今こそ飛び立とう
蝋の翼溶けて死ぬならば本望だろう
ライト兄弟やリンドバーグはあの世できっと
イカロスの機嫌を取りながら死んでいるだろう
全ての表現者 並びに 全ての芸術家
全ての挑戦者 全ての音楽家 全ての人間
全てのオリジネイター 全ての発明家
全ての小説家 全ての情熱はけして無駄ではない
きゅって、ふわ
第一章 輪っかの朝
朝の光は、カーテンのすきまから四角になって床に落ちる。四角は静かで、牛乳みたいに白い。
椿はその中に指を入れて、光がつめたいのか、あたたかいのか、たしかめる。つめたいようで、すぐにあたたかくなる。指先の中で、小さな風船がふわっとふくらむ。
ママが台所でカップを置く音がする。カップは食器棚から出て、それからテーブルに来て、コトンと止まる。甘い洗剤と牛乳のにおい。
椿はソファから立ち上がり、廊下をぺたぺた歩いていく。ママの髪の毛は夜のあとで少し波がついていて、黒い輪ゴムで結ばれている。
椿は手をのばして、その輪ゴムをそっと引っぱる。ママが笑って、しゃがむ。
「おはよう、つばき」
輪ゴムはママの手から椿の人さし指に移る。輪は小さくて、指にはめると、ぴたっとする。くすぐったい。
椿は輪ゴムを見せ、胸の近くで言う。
「けっこんゆびわ」
「まあ。だれと?」
「ママ」
ママは少しだけ首をかしげて、それからいつもの顔で言う。
「おおきくなったらね」
その「ね」は、砂糖みたいにやわらかい。
椿の胸の風船は、もうひとつ増える。輪ゴムは光をうけて小さく光る。指先で輪を回すと、朝の四角の光が輪の中で揺れる。
パパが洗面所から出てくる。シャツにまだ水のしずくが残っている。石けんのにおい。
パパは連絡帳が見当たらず、テーブルの下までのぞき、くしゃっと笑う。
「あ、ここだ」
椿はパパを見上げる。パパは背が高い。高いものは、空と近い。空と近い人は、つよい。椿はそう思う。
食パンが飛び出す音。バターが光る。
椿は半分を食べて、牛乳を飲む。ママの指の長さ、カップの丸さ、台所のタイルの冷たさ。世界は丸いものと四角いものが交代で出てくる。
椿はママの手をにぎる。手はやわらかくて、あたたかくて、においがする。洗剤と、ママの肌のにおい。手は「結ぶ」っていうことばに似ている。
椿はまだ「結ぶ」をうまく言えないけれど、手ならわかる。
登園の道。アスファルトのつなぎ目は黒い線で、線は川で、川は飛びこえたくなる。
椿は線をまたがないように跳ぶ。跳ぶと、ママの手が引っぱられて、笑いが小さく転がる。保育園の前には、すりガラスの四角。下駄箱の木は、朝の水分を少しだけ吸っている。靴を入れると、木がほっと息をする。
「つばき、いってらっしゃい」
「いってくる」
先生が玄関でしゃがむ。エプロンのひもを結ぶ音。先生は椿の名札を見て「おはよう、つばきくん」と言い、小さくうなずく。
椿はママの手をぎゅっとしてから、手をはなす。手をはなすと、少しさびしい。
だけど、そのさびしさは、ポケットにビスケットがひとつ入っているみたいな甘さを持っている。
夕方、帰るとき、四角い光は長くなって床を横切る。パパは早く帰ってきて、ママの肩に顔を寄せ、ほんの少しキスをする。
椿は見ている。光の四角の外で見る。胸の中の風船が、きゅっと小さくなる。空気は抜けないけれど、音だけがした気がする。
夜、布団の中で椿は輪ゴムを指にはめ、両手を胸の上で組む。暗い部屋の四角い窓は、外の街灯を小さく入れている。輪は指であたためられて、少しやわらかくなる。
椿は目を閉じ、声のない声で言う。
「ぼく、パパに、けっとうする」
ことばは丸くなって、布団の中に転がる。転がる音はしない。でも、転がったことはわかる。
第二章 決闘の準備
保育園の工作の時間。色紙の箱から銀色の紙を選ぶ。先生がホチキスで「パチン」と音を出し、紙の端と端を結んで輪にしてくれる。
椿はそれを頭にのせる。王冠。はるとが横からのぞいて、「おうさまだ」と言う。
椿は胸をはる。おうさまは、だれとでもけっこんできる。そう思う。王冠に指で触れると、紙の角が小さく痛い。痛いのにうれしい。
段ボールをもらって、剣の形に切ってもらう。先生は切るところをペンで描き、椿はその線の上を目で追いかける。段ボールのにおいは、雨のあとの押し入れみたいだ。剣の柄をテープでぐるぐる巻きにして、強そうにする。はるとはクレヨンで星を描く。椿は何も描かない。描かないほうが、もっとつよい気がするから。
「けっとうって、なに?」とはるとが聞く。
椿は胸の中のことばを集める。ことばは集めると、つるんと逃げる。
「パパと、たたかうの」
「ふーん。けっこんのため?」
「うん」
「ゆびわいるよ。あと、けっこんはひとりとだけだよ」
ひとり。だけ。ことばは小さくて、とても重い。
椿はうなずくふりをして、そのことばをいったんポケットにしまう。ポケットの中は暗いが、こっそり温かい。今は見ない。まだ見ない。
夜、おふろで、パパが笑う。
「騎馬だ、のれ」
肩にのぼると、世界は高くて明るい。天井の電球が近くなる。
椿は段ボールの剣を持って、パパの頭を軽くたたく。パパは大げさに「うわっ、やられた!」と言って、浴槽の中でコテンと倒れる練習をする。ママが扉の外から「ふたりともー」と笑っている。泡が肩から落ちて、床で丸くはじける。丸いものはやさしい音がする。
寝る前、椿はクレヨンで白い紙に四角いリングを描く。四角の角はまるくしておく。枕は盾の形に見えるから、枕の絵も描く。ルールを書くことはできないから、しるしを描く。開始のしるしは三つの点。終わりのしるしは小さな星。星は勝った人の上に置く。ママは隣で椿の頭をなで、「あしたじゃなくて、にちようにしよ」と言う。
椿はうなずく。日曜日は、光が長い。長い光で、勝つところを見せたい。
目を閉じると、銀色の王冠が月のほうへ少しずつ近づいていく。輪は空の中でも輪のままで、ほどけない。ほどけないものがあると、眠りはすぐに来る。
第三章 日曜の決闘
日曜日。ラグの上にガムテープで四角をつくる。四角はリング。ママは首にタオルを巻いて、レフェリーの顔をつくる。「正々堂々ごっこ、はじめます」と言って、指で三つの点を空に打つ。
「いち、にい、さん!」
パパは黄色いクッションを盾にして構える。
椿は段ボールの剣を持って、低くかまえる。足ははだしで、ラグの毛が指のあいだをくすぐる。ママが笑いを飲みこむのがわかる。笑いは甘いにおいがする。
最初の一撃。パパは大げさにのけぞって、ソファに背中を当てる。
椿は追いかける。剣が盾に当たる音は、紙の中で小さくひらく花みたいな音だ。二撃目、三撃目。パパは「うわ、つよい」と言いながら、リングの四角の線に足をひっかけ、コテンと倒れる。ママの拍手が、ひとつ、ふたつ、みっつ、と重なる。
椿は胸の真ん中が熱くなり、目が少しにじむ。にじむのは涙ではなく、光のせいだ。
「しょうしゃ、つばきくん!」
ママの声は砂糖ですこし固めたゼリーみたいにきらきらする。
椿は剣を高く持ち上げ、リングの外へ出てから、ママにだきつく。ママは折り紙を取り出して、小さな輪をつくる。両端をテープでとめて、椿の薬指にはめる。
「しょうりのゆびわ」
紙の角が少しとがっていて、そこが生きているみたいに感じる。
昼はホットケーキ。丸い輪のかたち。焼けるにおいが部屋中にふくらんで、はちみつが上からとろりと降りる。パパは悔しそうな顔をして見せ、椿のほっぺを指でつつく。
「強かったな、勇者」
椿はうんとうなずき、ゆびわを光の四角にかざす。輪の中に光の四角がはまる。四角と輪が仲よくする。
午後。公園の砂場。はるとがバケツに水を入れて持ってくる。
「みて、ケーキ」
椿はゆびわを見せる。はるとは「すごい」と言ってから、砂のケーキの上にビー玉をのせる。「でもさ」と言い、スコップを砂にさして、空を見あげる。
「ママとはけっこんできないよ。だって、もうパパとけっこんしてるもん。けっこんはひとりとだけだよ」
椿はスコップの柄に手を置く。手は少し湿っていて、砂が指にくっつく。風が止まる。遠くのすべり台がキイと鳴る。ゆびわが、薬指のところで、きゅっときつくなる。勝ったのに。勝ったら、もらえるはずのもの。
椿は口をあけ、何かが出る前に口をとじる。胸の風船に、小さな穴が開いて、声が細く漏れる。
「……でも、ぼく、かった」
「うん。すごいね。ぼくはきのう、たいそうでころんだ」
はるとは悪気がない。ビー玉が光る。椿はうなずく。うなずくと、首の後ろに太陽の光が当たって、汗がすこし出る。汗はしょっぱい。はちみつとはちがうしょっぱさ。
椿は砂をにぎって、そのままほどく。指の間から砂がするすると落ちる。落ちる音はしないけれど、落ちたあとが見える。
夕方、道に四角い窓の光が落ちる。その四角を踏まないように歩くと、うまく歩けない。紙のゆびわは、汗で少しふやけて、指からするりと抜け、アスファルトの小さな凹みに落ちる。
椿はしゃがんで拾いあげる。角がやわらかくなっていて、紙は息をしているみたいだ。
家に入る前、椿は空を見上げる。雲がゆっくり動く。動くけれど、空は動かないふりをしている。胸の中で、小さなことばが生まれる。
「しつれん」
どこで聞いたのか、どこかで見たのか、舌にのせる。味はしない。けれど、においがする。はちみつとも、汗とも、紙とも違うにおい。
椿はそのにおいをポケットに入れて、玄関の四角をまたぐ。
第四章 新しい約束
夜。布団の山はやわらかい。ママが隣に来る。暗い部屋で、ママの顔は見えないけれど、息は見えないままそこにいる。
椿は紙のゆびわをにぎった手を胸に当てる。手は少し冷たい。
「ママ」
「なあに」
「ぼく、かったのに」
ママは少し黙って、それから椿の手を包む。
「うん。つばき、すごくがんばった」
「でも、けっこんできないって、はるとが」
「そうだね」
布団は、話を聞く生き物みたいに静かにふくらむ。ママはことばを探す手つきをするように、椿の髪をすいてから話す。
「パパとママは、ずっと前に約束を結んだの。結婚っていう約束。ほどけないように、かたく結ぶの。勝っても、そこは変わらないの。でもね、つばきのいちばんは、ここにあるよ」
ママは自分の胸をとんとんとたたき、それから椿の胸も、とんとんとたたく。とん、とん。音は小さいけれど、胸の中まで入る。
「ここは、つばきの席。だれにも取られない席」
「ぼくの席」
「そう。ずっと空いてる席」
しゅるしゅると、椿の胸の中で、穴のふちがまあるくなる。そこへ温かさがゆっくり入ってくる。
椿は声のない声で「うん」と言い、ゆびわをにぎった手をひらく。紙の輪は少しゆがんでいる。ママがそれをそっと直す。角がまだある。角があるから、輪は輪でいられる。
「しつれんって、なに?」
椿の口からことばがこぼれる。ママは少し笑う。笑いは、暗い中でも明るい。
「胸がきゅってすること。でもね、甘いものを食べると、ふわってなる魔法もついてる」
「ふわ」
「ふわ」
次の日の朝。台所の光の四角は、きのうと同じ場所に落ちるけれど、すこしだけちがう角度で明るい。
椿は輪ゴムを一本、指にはめ、もう一本をママのマグカップの耳にかける。
「ふたつのわ」
パパが起きてきて、マグを見て笑う。
「三人で輪になろうか」
パパの手がのび、椿の手、ママの手、三つが結ばれる。手は輪よりもやわらかい。ぎゅっとすると、輪は少し楕円になって、でも輪のままだ。
保育園で、はるとがどんぐりを見せる。丸くて、少し帽子がついている。「ゆびわつくる?」とはるとが言い、糸を通して小さな輪をつくってくれる。
椿はそれを小指にはめる。
「ともだちけっこん」
はるとはうなずいて、「あしたはべつのどんぐり」と言う。
椿は笑う。笑うと、胸の中に空気が入って、風船がふわふわする。「ぼく、しつれんした」と言ってみる。はるとは「へえ」と言い、すべり台に走っていく。
椿はその背中を見てから、砂場にしゃがむ。砂は今日も上が乾いて、下が湿っている。
夕方、家へ帰る道に水たまりがいくつもできている。空の四角が水に落ちて、丸く揺れる。
椿は紙のゆびわを胸ポケットから出して、水たまりにそっと浮かべる。輪は水を吸って、すこしずつほどけて、舟みたいになってゆっくり動く。ほどけることは、なくなることじゃない。形を変えることだと、
椿は思う。舟は小さな石に触れて止まり、やがてまた動く。
家の前。ママが両手を広げる。
椿は走りこむ。抱っこされると、洗剤とママの肌のにおいが鼻の奥で丸くなる。丸いにおいは、あたたかい。パパが玄関のドアを足でおさえ、靴を脱ぐ椿を待ってくれる。三人の影が廊下に重なり、ほどけて、また重なる。
夜。カーテンの向こうの四角は暗くて、部屋の四角はやわらかい。
椿は布団の中で、今日のどんぐりの輪を指に転がす。ころころ、ころころ。転がる音はしない。音をしないものは、長く続く。目を閉じると、胸の中に席がひとつ光っている。そこには椿の名前が書いてある。ひらがなはきれいに読めないけれど、名前の形は知っている。そこは、だれにも取られない。
結べないひもは、手で持てばいい。手で持てば、落ちない。三つの手は輪になって、輪よりもあたたかい。
椿はゆっくり息をして、明日の足音を胸で聞く。甘い息は、胸の中の砂糖をちょうどよく溶かしていく。溶けるあいだに、椿は眠る。眠りの中で、負けなかった日と、届かなかった約束と、ほどけた輪の舟が、静かに並ぶ。朝になったら、きっとまた新しい形になる。
椿は、まだ見ぬ形に向かって、ちいさな手を開く。
シェーグレンと山女魚
ある国に、魚たちが集う学園があった。その学舎は、水界の中でも特異な場所として知られており、その名を耳にするだけで、遠くの魚たちの心に憧れと畏敬の念を呼び起こした。建築は深い水底にあり、透明な流れに囲まれた静かな場所だった。その静けさには緊張感が漂い、まるで水そのものがこの場所の記憶を重く蓄えているかのようだった。校舎は古い石でできており、長い年月の中で削られた無数の痕跡が、ここで繰り返されてきた出来事を語らぬ形で物語っていた。
ここに集う魚たちは、さまざまな水域からやってきた。彼らは、表向きには知識や技術を学びに来ているように見えたが、この場所で学ぶという行為そのものが、彼らの生涯をどこか不可逆的に変える力を持っていた。学舎を去った者たちの名が直接語られることはなかったが、その存在は水の中に微かに漂い、ここに集う魚たちに何かを告げているようだった。それが何であるのかは誰にも分からない。ただ、この場所の時間が、通常の水域のそれとは異なるという確信だけが、学生たちをこの場に縛り付けていた。
学園には、長い伝統を持つ奇妙な儀式があった。その儀式が何と呼ばれていたのかは、記録に残されていない。ただ、その内容だけは変わることなく受け継がれていた。儀式において、魚たちは自らの首を斬る相手を指名する。その行為は斬る側にとって最高の名誉とされ、斬られる側にとってもまた、自らの価値を示す象徴的な行動とされていた。この儀式は学園そのものを特徴付ける存在であり、指名されることも指名することも、ここで学ぶ者にとって避けられない問いを突き付けるものだった。
この行為には特異な緊張感が伴っていた。魚たちは儀式が近づくたび、言葉には出さずとも心の中でその行為の意味を反芻していた。選ぶ者と選ばれる者の間に生じる関係性は、単なる名誉や役割を超えて、どこか取り返しのつかないものを含んでいた。それゆえに、この儀式は学園における時間そのものを凝縮したような出来事だった。
一角に、シェーグレンという魚がいた。彼はくすんだ色をした不格好な体つきで、表情にはどこか間の抜けた印象があった。その醜さゆえに、周囲から疎まれ、目を逸らされる存在だったが、それでも彼はどこか快活なところがあった。彼は必要以上に動き回り、他の魚に馴染もうと話しかけることもあった。しかし、その振る舞いが彼の醜さをさらに際立たせ、周囲との溝を深める結果になることに、彼自身は気づいていなかった。
儀式が近づくたびに、シェーグレンは他の魚たちに声をかけ、「どうか私を選んでほしい」と頼み込んだ。彼の頼みは時に滑稽にさえ見えたが、本人は至って真剣だった。選ばれること、それはシェーグレンにとって、この場での唯一の希望であり、自分の存在を証明するための切実な願いだった。しかし、魚たちは彼を無視し、嘲笑し、その願いを真剣に受け取ることは決してなかった。それでも彼は諦めなかった。彼の姿には、滑稽さと痛ましさが同居していた。
そんなある日、一匹の魚がやってきた。その転入生の名はヤマメと言った。山間の冷たい流れからこの学舎まで泳ぎ着いたとされる彼は、他の魚たちとは明らかに異なる雰囲気を持っていた。銀色に輝く体に浮かぶ斑点模様は控えめでありながら鮮烈な印象を与え、彼が遠い世界から来たことを静かに物語っていた。ヤマメは多くを語ることはなく、目立つ行動もしなかったが、その存在感は他の魚たちに自然と意識されるものだった。周囲の魚たちは、彼に距離を保ちながらも、どこか尊重するような態度をとっていた。その目は深い水底を思わせる静けさを湛えており、何かを見透かすようでありながらも、特定の感情を表すことはなかった。
ヤマメが現れたことで、学舎の空気がわずかに変わった。彼の存在そのものが場に新しい緊張感をもたらし、魚たちの間に微妙な動揺を生じさせた。ヤマメの動きは穏やかで、一挙手一投足が周囲に静かな影響を与えるようだった。その影響を、シェーグレンは誰よりも早く感じ取ったのかもしれない。彼はヤマメに興味を抱き、それまで他の魚たちにしてきたように、ヤマメにも「どうか祭りの日に私を選んでほしい」と頼み込むようになった。
シェーグレンの言葉に対して、ヤマメは何も答えなかった。ただ一度だけ、静かに彼を見つめた。その目には拒絶も嘲笑もなかったが、かといって優しさや同情の色も見えなかった。ただ透明な静けさがそこにあり、その奥に何かを含んでいるようでありながら、それが何なのかを読み取ることはできなかった。シェーグレンはその視線に何かを感じ取ったようだったが、それが何であるのかを理解するには至らなかった。それでも彼は、他の魚たちから完全に無視されるよりも、その視線に何かしらの意味を見出したかったのだろう。その後も彼はヤマメに付きまとい続けたが、ヤマメは二度と彼に視線を向けることはなかった。
祭りの日、学舎全体は張り詰めた静けさに包まれていた。水底に設えられた石の祭壇は、長い年月の中で無数の記憶を刻み込み、それをただ黙して伝えるように静かに佇んでいた。周囲には魚たちが円を描き、互いに言葉を交わすことなく、儀式の進行を見守っていた。指名の声が響くたび、場の空気がわずかに揺らぎ、水中の光がその緊張を反射するように揺れ動いた。魚たちはそれぞれの内心に問いを抱えながら、その場の出来事を受け止めていた。
そのとき、ヤマメが静かに祭壇の前に進み出た。彼は何も言わず、祭壇に身を横たえた。その動きには迷いも誇示もなく、ただ必要な行為として受け入れているような落ち着きがあった。魚たちは一斉に息を詰め、次に告げられる名を待った。そして、ヤマメは静かに目を伏せると、一言だけ名前を告げた。
「シェーグレン。」
その名が響いた瞬間、場の空気が震えるように揺れた。魚たちは一斉にその名を耳にし、驚きと戸惑いが広間を満たした。シェーグレン自身も最初は動けなかったが、次の瞬間、歓喜の声を上げて前に進み出た。これまで嘲笑され続けてきた彼が、ついに名前を呼ばれ、学舎の記憶にその存在を刻む瞬間を迎えたのだ。
祭壇に立ったシェーグレンの手には、細い刃が握られていた。その刃は長い歴史の中で何度も使われてきたものであり、その重みが彼の手にじわじわと伝わってくるようだった。ヤマメは目を閉じ、静かに横たわっていた。その姿には抵抗の素振りも、恐れの影もなく、ただ受け入れる静けさだけが漂っていた。その静けさは、場にいる全ての魚たちの胸に何かを訴えかけていたが、それが何を意味しているのかを理解できる者はいなかった。
シェーグレンは深く息をつくと、震える手で刃をヤマメの首に当てた。そして、一瞬の躊躇の後、一気にそれを断ち切った。切り離されたヤマメの首は静かに横たわり、その目は最後まで何も語らず、ただ遠くを見つめているようだった。その静けさは場全体を包み込み、何かを語りかけているようでありながら、その意味を読み取れる者は誰一人としていなかった。その後、首と胴体は丁寧に扱われ、学園の解剖学教室へと運ばれた。それが蘇生を試みるためだったのか、あるいは標本として保存するためだったのか、誰にも分からなかった。
儀式が終わり、魚たちは静かに散っていった。水は普段の透明さを取り戻し、広間には再び静寂が広がった。しかし、その日が残した出来事は大学の水底に確かな痕跡を刻んでいた。シェーグレンにとってこの日は名誉の瞬間でありながらも、決して解けない問いを残すものでもあった。ヤマメがなぜ自分を選んだのか、その理由を知ることは永遠になかった。ただ、その名前と光景だけが、この時間の中に深く刻まれ、誰にも触れられることのない形で漂い続けていた。
ふつう
なげてなげられて
のつもりが
そうでもなかったりして
わたし、ふつう
そのとおりすぎて
ひとりでわらうことしかできなくて
ひとりでわらってばかりで
じちょーじちょーじちょじちょー
せみになって ないてみようかな
どのきなら わたしを とどまらせて
くれるかな
ひかりのはしご
雲と雲の間
ひかりのはしごが 降りるとき
僕は
にこりと 立ち上がる
そうか
今なら 行けるかもしれないな
古びた 革の鞄を手に
あの詩 この詩と レコード入れて
木漏れ日の写真を 栞に
雲と雲の間
ひかりのはしごが 降りたとき
君は
ほろりと 涙する
そうだ
ごめん ごめんね
こだわった 縦書きに
好きだった 焦げたパンも
丘のてっぺんで 待ってるから
ふつつかなふつう
もてあましたものを
ぶつけるだけぶつけて
おしまい
秘すれば花?
はなにつくだけじゃ
ふつつかなふつうすぎて
ただのぼうりょくで
こうげきめいて
はんろんはさくひんでする
きみのことばは いつだって
かっこよかった
ふつつかなふつう
わたしがしをかかなければなあ
きみをまっすぐにみつめられたかな
いや、かかなければ
であわなかったか
しずかにとじてゆく
おいればさるのではなく
きえていくのみ
たつとりあとをにごさずって
なかなかむずかしいはなし
ふつつかなふつう
きみにただただしっとしただけなのか
あーだーこーだいって
うらやましいだけだったのか
ばからしい
もうやめてにげてしまいたいはずかしさ
尾崎世界観に死ぬほど会いたい
彼ならば寂しさの濃度と狂おしい怒りの色が
とても似ているから
ただし、いまのかれはどうだろうか
みんなイッテしまうからなあ さきにうえにそらに
ふつつかなふつう
ぶつけてもだめなだめーじ
けっきょくなげたものは
こっちにもどる
きょうほどしにたいひはなかったかもしれない
いきるいるいるいるいるいきの、こる
連作詩 歩こう
連作詩 歩こう
―――
春に歩こう
もう少し
暖かくなったら
膝まである
シャツを着て
袖を
まくり
風に
吹かれて
街を
歩こう
ショーウィンドウの服
ハンドメイドの出店
ドリンクにキッチンカー
ポップな看板
街路樹の木漏れ日
寄植えの草花
誰かに見せたい
わたしの足どり
少しの変化を
探して歩こう
―――
夏に歩こう
もう少し
日差しが
やわらいだら
コットンワンピースで
帽子を深くかぶり
堤防を 降りて
河川敷を 歩こう
昼間の
残り香
二つの
空気が
重なる
境い目
探して
歩こう
遠くの 警笛
鉄橋の 響き
空気が伝える
夜の境い目
探して歩こう
―――
秋に歩こう
先週迄は
汗ばんでいたのに
空が 高いので
タータンチェックの巻きスカートを揺らし
バックスキンのショートブーツで
フィルムのニコンを肩にかけ
裏山の公園を
登るよ
風が
肩に
なにかを置いて 囁いてゆく
木のベンチ
少し錆びたジャングルジム
少しだけ 茶色くなった
影が 長くなった
カシャ ちゃ カシャ ちゃ カシャ ちゃ
フィルムが
夏との違いを 掬い取ってゆく
シャッターの間に
わたしの鼓動も
1/1000秒
三十六枚の秋を巻戻す
歩きながら ポケットに仕舞う
残りの秋、七十二枚を歩こう
―――
冬に歩こう
昨夜の雨は止み 冷え込む寝室
今朝はダウンのジャケットに
デニムのサロペットスカート
ベッドの中で
まだ 寝ている わんこを起こす
さあ いっしょに
ゆっくり 歩こう
ザクザク
さくさく
わたしと わんことで
霜柱が鳴る
はく息は白く
声より先に
空へ 地へと
ほどけてゆく
雨に洗い流された後の
寒さの中で
音だけが
足あとを残す
今日が始まる音を
聞きながら
ただ
ゆっくり 歩こう
―了―
シクラメン
今年もまた
生き直す事に成功したシクラメンの花が
赤紫色に誇らしげに咲いた
育てたのは私だが
シクラメンには自らの生命力が
貪欲にあったのだろう
冬のつめたい日の中で
まばゆく色づいたその花びらを
やさしく撫でる
お前のように
私ももっと貪欲にしたたかに
沈黙を保っていれば良かったのかもしれない
「もしも」を考え出すと止まらない
選択肢はたくさんあったのだ
その中から選んだ結果だった
私は自由だった
自由に選べた
だからこその悲哀に沈みそうになる
指先で体温のない花びらを撫でて
ため息ひとつ
私が選んだ結果だ
かなしいくらいに
私は自由だった
小説 れでぃ・冥土はくたばらない
序章
私の上に馬乗りで跨ったみちちゃんが、大きく拳を振り上げて、私の顔面に振り下ろした。ああ、気が狂いそうだ。容赦のない暴力が私を優しく包み込む。私は叫ぶ。
「殺して。一気に殺して」
みちちゃんはもう一度、拳を振り上げた。けれど、待っていた一撃は来なかった。拳を振り上げたままみちちゃんは泣いていた。
「殺さない。あんたなんか殺してあげない。こんなところで、れでぃ・冥土を死なせたりしない。あんたはどうあがいても生きるの」みちちゃんの涙が私の頬に落ちた。涙は頬を伝って口の中へ。血と涙の味は同じだと思った。
1話
れでぃ・冥土の投稿が途絶えてから約二年が経った。私はようやく人間になろうとしていた。これから始まる大学生活を充実したものにするためには、越えなくてはならないハードルが三つある。私は床にぶちまけたゲロを掃除しながら、両腕にあるぼこぼことしたリスカ痕を隠すべきか、隠さずに行くかを考えていた。予報では四月初旬にしては暑くなるらしかった。髪の毛を引っこ抜いて作ってしまった十円ハゲは帽子で隠そう。朝から吐いたくせに、体調は良かった。
最近は処方通りに薬を飲んでいるし、リスカもレグカもしていない。吐くまで酒を飲む癖はまだ治らないけれど、それだって頻度が減ってきている気がする。
私は壁に飾ってあるれでぃ・冥土の最後の作品を見上げる。晴れ渡る草原に浮かんだ扉の絵。この未発表作を最後にれでぃ・冥土は姿を消した。私にはこの作品の続きがある気がしてならない。しかし、れでぃ・冥土はもう絵筆をとることはない。そう願う。
鏡台のライトをつける。青白い自分の顔がそこにはあって、笑顔を作ると、鏡の中も死にそうな顔で笑う。今度は両手で口を引っ張って無理やり笑顔にしてみる。目だけがずっと笑っていない。生き返れと思いながらメイクをする。下地が済むと顔色が良くなってかえって眼の光がないことが浮き彫りになった。まあ、いいさ。これからこれからと思った。いやだめだろ。目が死んでちゃ。
私は何とかして目を生き返らせようとした。鏡に向かって怒ってみたり、笑ってみたり、困って、泣いて、悲しんで、思いつく限りの表情を試して目を復活させようとした。鏡とにらめっこすること約一時間。大学最初の登校日、遅刻が確定した。
2話
遅刻が確定するとかえって落ち着いてくる。大学までは自転車に乗って五分で着く。しかし、私は呑気に歩いて行くことにした。ちゃっかりマンションの一階にあるコンビニでペットボトルのカフェオレを買った。レジで店員がぎょっとしたので、その時になってリスカ痕を隠すためのアームカバーをしていないことに気づいた。何なら帽子も被ってない。一瞬、家に取りに帰るか迷ったがそのまま行くことにした。人の視線に怯えない。越えるべきハードルその一だ。ハゲは髪が長いから誤魔化せるはず。
今日から三日間、大学生活の説明と学生の交流を兼ねたオリエンテーションの期間だった。出席義務はないが、履修登録の方法や、大学の規則はちゃんと確認しておきたい。大学は山を切り開いた斜面に沿って建っているので、階段が多い。正面入口が最上階の四階で、そこから階段を下って各階に行けるようになっている。オリエンテーションをやっているⅭ棟に行くまでに新歓のビラを配る人たちが通路に列をなしていた。私は海を割るモーセの気分で歩いて行く。掛け声とともにビラを配る腕が両サイドから伸びてきて、ゾンビ映画みたいだと思った。
新歓ゾンビたちの群れをくぐり抜けた時には両手がビラでいっぱいだった。教室の前に着いてから、背負っていたリュックにビラを無造作に入れた。教室の扉を開けるには勇気がいると思った。入った瞬間に知らない目がいっせいにこちらを見る想像をして怯んだ。深呼吸、深呼吸と言いながらニ、三回深呼吸すると、逆に息が荒くなって、動悸がして、意識が遠のいた。やばい。このままじゃ立っていられなくなる。私は急いで頓服薬を買ってきたカフェオレで流し込む。そして、その場にへたり込んでしまう。過呼吸まではいかないが、肩で息をしていた。不安時特有の心臓の辺りがキリキリする感覚があって、苦しい。
「え、大丈夫?」と女性の声がした。声のした方を見る余裕がない。私はちゃんとしなきゃと思って、大丈夫と言おうとしたが、うまく声が出なかった。
「わかった。大丈夫じゃないのね」女性が私の隣にしゃがみ込んで背中をさすってくれた。私はもう一度大丈夫と言おうとして言えなかった。声の主はきりっとした一重まぶたが印象的な瞳の大きなボブヘアの女の子で、ばっちり化粧をしていたが、表情にどこか幼さがあって、多分一年生だと思った。かがんでいても私よりだいぶ背が高いことがわかった。170はありそうだ。私より20センチくらい高い。
「って、あなたその腕どうしたの? ボロボロじゃん」リスカ痕についていきなり訊いてくる子は初めてだった。私は恐らくさっきのコンビニ店員みたいにぎょっとしていたに違いない。私はもうリスカはしてないと言おうとしてやめた。そんな言い訳をこの子にしても仕方ない。
「大丈夫。さっき頓服飲んだから、そのうち効いてくるはず」となんとか私は言葉を絞り出した。
「ならいいんだけど、とりあえず薬効いてくるまでいてあげる」
私はもう大丈夫と言おうとして「ありがとう」と言った。
3話
私を助けてくれた女の子は浜辺満穂という名前だった。みちほなので、私はみちちゃんと呼ぶことにした。私と同じ国文学科の一年生だった。みちちゃんは私のことをハナちゃんと呼んだ。野山ハナだから、そのままハナちゃん。
「遅刻したと思ったらなんかしんどそうな人がいて、ビビったわよ」
「ホントごめん。マジで助かった」
あの後、なんとか落ち着いてきて、二人で教室に入った。何人かがちらっとこちらを見たけれど、すぐに興味なさそうに視線を前に戻した。怯えるほどじゃなかった。今日のオリエンテーションは午前までだった。私はみちちゃんにお礼として学食を奢ることにしたのだ。当たり前だけど、昼時の食堂は混んでいた。人の多さにまたしんどくなる気がして少し後悔した。
「あなたホントに大丈夫なの? 家まで送るよ」みちちゃんは熱そうな湯気が揺らめいているカツ丼のカツにふうふうと息を吹きかける。
「大丈夫。家近いから。ホントにもう平気なの」
「わかった」とみちちゃんが言ってから、私たちは無言で学食を食べた。私が頼んだわかめうどんは味が薄くておいしくなかった。無言の時間が続くと、何か喋らいないといけない気がして嫌だ。みちちゃんはそんなこと気にしていないはずなのだが、私は勝手に気にしてしまうのだ。
「部活決めた?」ふいにみちちゃんが訊いてきた。
「いや、何にも決めてない。みちちゃんは?」
「わたしも。明日一緒に部活棟周ってみない?」
「いいよ」
私たちは連絡先を交換し合った。みちちゃんは猫舌なのかカツを小さく一口食べては、ふうふうしていた。私は味の薄いうどんをとっくに食べ終えていた。手持ち無沙汰でスマホをいじってはやめ、いじってはやめ、コンパクトミラーでメイクを確認して、まだ目はちゃんと死んでいて、とにかく私は落ち着かなかった。周囲から聞こえる談笑が、どれも言葉として聞き取れず、しかし、音にしては意味を纏っているように聞こえてきて耳を塞ぎたくなった。聞き取れない意味を纏った音の洪水に襲われて私は逃げ出したかった。超えるべきハードルその二。人混み。
「ね、やっぱ家まで送るよ」ようやくカツ丼を食べ終えたみちちゃんが言った。
「え、なんで?」
「あなた、死にそうな顔してる」
「そうかなあ」と渾身の作り笑いをしてみる。
「そうだよ」とこちらを鋭い一重の目で見つめてみちちゃんは言った。
4話
「殺風景な部屋ね」と私の家につくなり、みちちゃんは言った。
「まあね」認めるしかない。六畳一間に冷蔵庫と鏡台くらいしか家具がないから。私は食堂でみるみるうちに体調を崩した。みちちゃんに支えられながら、何とか家まで帰った。みちちゃんの家は私の家の反対方向だった。申し訳なさから、せっかくだし、家で休んでいけばと私は誘ったのだ。今日は彼女にお世話になりっぱなしだ。
「この絵はあなたの絵?」とみちちゃんが壁に飾ってあるれでぃ・冥土の絵を指して言った。私は頷く。ホントはれでぃ・冥土の作品だけど、と脳内で付け加える。
「え、あなたがれでぃ・冥土なの?」とみちちゃんが驚いた様子で大きな声で言った。私はそれまでの落ち着いた話し方だった彼女から大きな声が出たことよりも、思わぬところでれでぃ・冥土の名前が出たことに動揺した。
「え、レディメイドってなに?」私は白を切ることにした。れでぃ・冥土の正体を知っているのは私しかいないのだが、そのことを知り合って間もない相手に話す気はなかった。
「知らないの? ホントに?」
「うん」この手の嘘はつきなれている。
「この絵のタッチは絶対れでぃ・冥土だと思ったのに」みちちゃんは残念そうに言った。
「そうなんだね」
「ハナちゃん、絵が上手いね」
「ありがとう。でも今は描いてないよ。この絵が最後に描いた絵」
「ふーん、辞めちゃったのね。もったいない」みちちゃんが怪訝な表情で言う。ま、座ってと私は床に座るように勧めてから、冷蔵庫で飲み物を探す。みちちゃんはわざわざ部屋の隅に三角座りで小さく収まった。その様子が少し可笑しかった。
「ごめん、お酒しかないや、飲み物」
「お酒? あなたお酒飲むの? え、同い年だよね?」
「たぶん、私の方が上だよ。私二年ダブってるから」
「そうだったのね、じゃあ、敬語で話さなきゃ」
「いいよ、今更」
「それもそうね」と言ってみちちゃんは私からチューハイを受け取る。一応一番アルコール度数の低いやつ。私はいつもの9%のレモンチューハイ。私も彼女の隣に座って、二人して部屋の隅で乾杯した。
「長いこと絵を描いてたんだよね? こんなに上手いんだから」
「描き始めたのは中学から。英語でね、最初にThis is a pen.って例文習うでしょ? これはペンです。そりゃ見たらわかるよって思ったわけ。でも、This is a pen.って英文を訳した時、私はペンの本質を見てる気がしたの。これは一度英語というフィルターを通して世界を捉えなおしているんじゃないかって気がしてきて、その場でペンの絵をノートに描いた。授業もそっちのけでずっとペンばかり描いてた。ペンの本質に絵で辿り着きたいと思った。バカげてるでしょ? でも、楽しかった」
「何で辞めちゃったの? あなたの絵素敵だと思うよ」
「だってつかれちゃったんだもん。描いてた時は死ぬ気でやったよ。ホントに死ぬ気で。もの本質には美が宿ると思ってたの。最初はへたくそだったのに、だんだんペンのデッサンが上手くなってきて、でも、ペンの本質はどんどん遠ざかってる感覚があって悔しかった。描けば描くほど美しさからは遠いところに自分の絵がある気がして……それで辞めちゃった」
みちちゃんは私をじっと見ていた。鋭い眼光でじっと。私は数秒で目を逸らしてチューハイを啜った。
「ハナちゃん、れでぃ・冥土みたいだね」
「だから、誰なのよその人」と私はすかさず笑って誤魔化す。
「私彼女に救われたの」相変わらず私をじっと見据えてみちちゃんは語り始めた。それはれでぃ・冥土も知らない物語だった。
5話
今から四年前のこと、とあるSNSにて、一枚の絵が投稿された。投稿したのはれでぃ・冥土と名乗るアカウントだった。何の説明文もなしに投稿されたその絵は水の張ったバスタブに沈んだ髑髏の絵だった。浴室の窓から入る光に、髑髏は照らされていた。れでぃ・冥土はその後、淡々と絵だけを投稿し続けた。退廃的で、死を思わせるモチーフが描かれた絵は次第に支持を集めていく。
ある時かられでぃ・冥土は絵だけではなく、詩歌や小説の投稿を始める。その内容もまた死をテーマにしていて、生と死の水際を漂うような内容だった。れでぃ・冥土のフォロワー数は二年で6000人を超えた。しかし、れでぃ・冥土の投稿は突如途切れて現在に至る。という説明をみちちゃんが話している間、私はなんだか自分の家なのに居心地が悪くて、帰りたいなあと思っていた。なぜなら、れでぃ・冥土の正体は私だからだ。私の中でれでぃ・冥土は死んだのだ。けれど、みちちゃんの中にはれでぃ・冥土が生きていた。
「性別なんてどっちでもいいんだけど、れでぃ・冥土は女性だと思うの。なんとなくだけど。彼女の作品にはいつも死があって、でも、その死は決してネガティブな意味合いだけじゃなかったと思う。彼女にとっての死は新たな始まりを意味していたと思う」みちちゃんはチューハイの缶を見ながら話していた。私はれでぃ・冥土の作品に込めた意味なんて考えたことがなかったので、少し恥ずかしい。そんこと知る由もないみちちゃんは話を続ける。
「私ね、幼い頃からやってたピアノを、中二で諦めたの。ピアノを弾くには手が小さかったのね。ちっさい頃はピアニストになるって信じてて、それだけを目標に頑張って来たんだけど、諦めちゃったら私には何も残ってなかった。何もない私には不安しかなくて、でも、その不安を話せる気の置ける友達もいなかった。とはいえ、いじめられてたわけでもなかったから、ホントに空気よね。いてもいなくても誰も気にしない存在。私は精一杯、一人でも平気って言い聞かせてたんだけど、毎日夜が来ると猛烈にむなしくなってこのまま永遠に夜だったらいいのにと思ってた。そんな時にれでぃ・冥土を知ったの。さっき彼女の描く死はネガティブじゃないって言ったでしょ。あなたのこの扉の絵もそうだけど、彼女の絵にも光があった。廃墟を描いた絵でもそこに光が射していて新しい生命の予感があった。その当時彼女の絵を引用して詩や物語を書く人がたくさんいてね、私も彼女の絵で詩を書いたの。自分の不安な気持ちを書いたへたくそな詩。そしたら、れでぃ・冥土からすぐにいいねが来て、それだけで私は自分の生を肯定された気がしたの。私は寝れない夜にはれでぃ・冥土の絵に詩を書くようになった。いつも彼女はその詩にいいねをしてくれた。そのうち詩を書くこと自体を楽しめるようになっていってクラスでひとりぼっちでも、どこの誰とも知らないれでぃ・冥土のおかげで頑張れる気がしたのよ」みちちゃんはそこまで言うと黙った。私も黙っていた。というより、れでぃ・冥土が自分の知らないところで人の役に立っていたことに驚いて、何も言えなかった。
「ごめん、いきなりこんな話されても困るよね。でも、あなたの絵はどうしてもれでぃ・冥土を思い出すから」と彼女は困ったように笑った。私は何か言うべきだったけれど、何も言えなかった。私がれでぃ・冥土を始めた理由は一つ。それは死ぬためだった。当時の私には光なんてなくて、どす黒い闇しか見えていなかった。
6話
中学生の私は絵を描くことを純粋に楽しんでいた。美術部に入り、絵に没頭した。顧問の熊倉先生は、名前の通り熊みたいに体の大きなおじさんだった。その巨体からは想像もつかない繊細な絵を描く先生だった。彼の的確な指導によって私の絵はメキメキ上達した。美術部が存続の危機レベルで部員が少なかったため、先生も気合を入れて教えてくれたのだ。一年は私一人。二年の先輩は三人いて、うち二人が幽霊部員だった。三年は早田先輩という物静かな男の先輩が一人。美術室は広い割に、人が少ないので、静寂という言葉がよく似合った。グランドから響く体育会系の威勢のいい掛け声や先生の怒鳴り声、窓から射す日の光にきらめく埃。どれも透き通っていた。私は美術室という空間が大好きだった。
二年の先輩たちは優しかった。峯沢先輩はおっとりとした物腰の柔らかい女の先輩。先輩のイラストはカラフルで、かっこいいとかわいいが同居していて、素敵だった。いつも私のことを「かわいいおハナちゃん」と呼んで、かわいがってくれた。幽霊部員の二人は男子。奥先輩と榎田先輩。二人はいつも熊倉先生がいないタイミングを察知して現れた。なぜか二人は幽霊部員であることを誇りに思っているらしかった。奥先輩は餌付けと称して私によく購買のパンを買ってくれた。榎田先輩は私の絵を黙って眺めて俺よりうまいとボソッとつぶやいて去っていくのが常だった。
三年の早田先輩。彼のことが私はどうしても好きになれなかった。普段は物静かで黙々と自分の作品に打ち込んでいるのだが、一度話しだすと結構饒舌だった。運動部みたいに日焼けした肌と一重の細い目、口角がいつも片方あがっていて、意地悪く笑っているように見えた。先輩は私の絵が嫌いだとはっきりと言った。
「お前の絵は新しくないんだよ。いいか。今のアートってのは価値を求められてるんだよ。それも新しい価値。お前のは誰かの引用でしかない。どっかで見たことある絵なんて描いても何の価値もない」
誰かの引用でしかない。この言葉は後々まで続く、私にとっていや、れでぃ・冥土にとって呪いの言葉となった。早田先輩はいつも『価値』という言葉を口にした。どんな絵を描いても私の絵は彼にとって無価値だった。当時の私は生意気だったから言い返した。
「じゃあ、先輩の作品には価値があるんですか」
「お前そんなこと訊いてるからダメなんだよ。お前が自分の作品に価値を見出してない証拠。作品って自分との対話だろ? お前は想像力で描いてない。技術で描いてるだけ。もうちょっと自分を見つめた方がいいよ」
今思えば何の実績のない中学三年生に何がわかると言い返せただろうけど、当時私の中で先輩というのは絶対的な存在で、間違ったことを言うなんて考えたことがなかった。間違っているとしたら生意気なことを言った私の方だと考えてしまった。早田先輩は卒業するまで私の絵を認めてくれなかった。それでも、私はいくつかのコンクールで賞を取って、自分の絵に自信をつけて中学を卒業した。
7話
その自信をボキボキにへし折ったのもまた、早田先輩だった。
私は地元の公立高校に進学した。高校でも美術部に入った。そこで早田先輩と遭遇した。先輩はてっきり美術系の学校に行ったと思い込んでいた。先輩は絵を描くことをやめていた。帰宅部なのに、美術部の部室に居座っていた。
こんなにうれしくない再会は珍しいと思った。また無価値と言われると身構えたけれど、早田先輩は優しく声をかけてきた。
「彩乃から聞いたよ。中学で賞取りまくってたらしいな。よく頑張ったな」
「あ、ありがとうございます」と答えてから、彩乃って誰だと思った。数秒考えた。峯沢先輩だ。峯沢先輩は進学校に行ったので、彼女の名前が出てくると思っていなかった。後になってわかったことだが、二人は中学時代から付き合っていたのだ。
「ま、お前の絵は無価値だけどな」やっぱり優しくなかった。その頃には先輩は絶対という考えはなく、一、二年早く生まれただけで偉そうなやつと思うようになっていた。それに私は中学三年間を通して生意気に磨きをかけていたので、簡単に言い返せた。
「じゃあ、何も描いてすらいないのに口だけの先輩はカスです」美術室の空気が凍ったのがわかった。それだけは言っちゃダメだろと周りの目が言っていた。先輩は例の片方だけ上がった口角をさらに歪めて「わかった。お前に何の価値もないと教えてやる、俺のうちでな」と言った。俺のうちでな、という予想外の言葉にたじろぎながら、負けたくなかった私はいいですよと答えてしまった。
早田先輩の家は新築と思われるきれいな二階建ての一軒家で、入ると玄関は暗かった。暗い廊下の奥はおそらくリビングだ。扉が閉まっていたが灯がついていて、テレビや生活音が聞こえた。私がリビングに向かって「お邪魔します」と言うと、先輩が「いないようなもんだから言っても意味ないよ」と言った。
先輩が廊下の脇の階段を上がったので、私もついて行った。彼の部屋につくなり私は突き倒された。受け身もできずに尻もちをついた私は、あっけにとられて動けなくなった。部屋は先輩が描いたと思われる絵で壁が埋め尽くされていた。どの絵も気味の悪い生き物が人間を襲い、寄生して食い破っていた。私は絵の不快さよりも、絵に込められているであろう憎悪に震えた。
早田先輩は私を見下ろして言った。
「お前みたいな中途半端な覚悟で、それっぽいものを作って満足する奴が一番嫌いだ」
私はごくりと唾を飲んだ。先輩の口元にはいつもの歪んだ笑みがなかった。こちらを見ているはずの細い目もどこか見当違いな場所を見ているように感じた。
「死ぬ気でやれよ」と先輩は静かな声で言った。先輩の足が私の腹を強かに蹴った。私は声も出せずに呻いた。痛がる前に二発目が入った。殺されると思った。気味の悪い絵が一斉にこちらを見ている気がした。逃げようと這って部屋の扉を目指したが、髪を鷲掴みされて振り回された。私は悲鳴をあげた。死にたくないと思った。意味もなく嫌だと叫んだ。
「お前は死ぬ気で描かなきゃダメなんだよ。死ねよ。死んでみせろよ。才能がある癖に死ぬ気で描いてない絵が一番嫌いなんだよ」そう言いながら、先輩は私の髪を掴んで顔面に平手打ちを何発も入れた。狂っている。この人は狂っている。私は泣きじゃくって暴れた。生きてここから出ることだけを考えていた。
散々暴れても誰も助けに来なかった。先輩の暴力も止まることがなかった。死ね、死ねと言われ、蹴られているうちに、私は次第に死ななくてはいけないと思うようになっていった。もう死ぬしかない。死ねばきっと許される。早く殺して。そう思った。私は抵抗をやめた。
すると、先輩も蹴るのをやめた。「お前にも目指してるものがあるんだろ。死ぬ気でやれよ」と言った。早田先輩は泣いていた。「何で泣いてるの?」と私は思わず呟いた。先輩はその場に立ち尽くして静かに泣き続けた。
痣だらけで帰宅した私に驚き、両親は私を問い詰めた。私は何も答えず、部屋に籠った。翌日から登校を拒否。部屋で一人絵を描き続けた。月日が流れても、先輩の暴力と、死んでみせろという言葉が耳元にあって、私に絵を描かせていた。私は死にたくない、死にたくない、死ね。死にたくない、死にたくない、死ね。死にたくないが、いつの間にか知りたくないに変わっていた。知りたくない、なにを? だれが? どこで? なぜ? 知りたくない何も知りたくない。私は何を求めて絵を描いていたんだっけ。ものの本質を描く。ものの本質にはきっと美があって、私は知りたくない。死にたくない。
そして、死んだ。早田先輩は卒業式の日の夜に死んだ。知りたくなかったのに、久しぶりに連絡をしてきた峯沢先輩から彼が自殺したと告げられた。こうして、れでぃ・冥土は誕生した。私が死ぬまでの記録を残す目的で。
8話
みちちゃんは文芸部に入った。これもれでぃ・冥土のおかげらしい。彼女はひたすら、れでぃ・冥土に心酔していた。部活探しを終えた私たちはキャンパス内の人気のない喫煙所で、ベンチに座って話していた。私がタバコを吸うと、みちちゃんがハナちゃんタバコ吸うのねと、驚いていた。部活探しだからと、謎に気合を入れてお気に入りの白の花柄のワンピースを着てきたけれど、あんまり意味がなかった。部活に入らなかったから。
「れでぃ・冥土の小説に『先輩の手』という作品があって、私はそれが一番好きだった。女子高を舞台にしたレズビアン小説で、先輩の手に惚れた主人公が、その手で体中を触れてもらおうとするって話。とても悲しい終わり方をする物語なんだけど、そこで描かれてる手の美しさに、ピアノの先生を思い出して切ない気持ちになった。私がピアノをやっていたのも先生の手が美しかったから。ずっと見ていたかった。『先輩の手』には世界のままならなさが詰まってたわ。でも、そのままならない世界を愛そうとする努力をれでぃ・冥土は怠らなかった。ピアノはやめてしまったけど、私は文学で人の心を響かせたい」
私はみちちゃんの素直な感性を羨ましく思った。れでぃ・冥土となった私は世界を呪い続けていた。何を描いても早田先輩の言葉が脳裏にあった。お前の作品は誰かの引用でしかない。私は死ぬために描き続けた、そして、先輩の暴力を思い出したくて、腕や足を切り続けた。血が流れると、先輩が涙を流していると思った。この感情はいったい何なのだろう、私にとって早田先輩とは何だったのだろう。いくら考えても答えが出なくて、傷ばかり増えていった。
『先輩の手』という作品を覚えている。絵だけでは表現しきれない世界があると思って書いた、初めての小説だった。この物語に出てくる先輩のモデルは早田先輩だった。彼に平手打ちされた頬の痛みを思って書いた話だった。
私が描いた世界をみちちゃんはことごとく希望に捉えていた。当時の何も希望を抱いていなかった私が聞いたら、きっとみちちゃんの正気を疑っただろう。
「みちちゃんは偉いね。私、やりたいことが一つもないってわかっちゃった」私は吸いかけのタバコを灰皿に捨てた。
「絵を描いたらいいのに」
「何かを作ったりするのはつかれちゃったんだもん」
「じゃあ、なんで大学に入ったの? 勉強?」
確かにそうだ。れでぃ・冥土が死んで、創作をやめた私は何に期待して大学に進んだのだろう。大卒という経歴のためだろうか。大学デビューだろうか。大学で文学を学ぶためか。どれも納得のいく答えに思えなかった。
「わかんない」と私はなるべく冗談めかして言った。
「そう」とだけみちちゃんは答えた。
その時、ふと思った。切りたい。そう過った時点で、もう止められなかった。私は立ち上がり「ごめん、用事思い出した」と言って、みちちゃんの返事も聞かずにその場から歩き出す。背後で、「ちょっと」とみちちゃんの声がしたから、速足で歩いた。追われている気がして振り向かずに歩いた。駐輪場まで来ると、両耳にワイヤレスイヤホンを入れて、大音量で音楽をかけた。世界の音を聞きたくなかった。そのまま自転車に乗り、猛スピードで走った。家に着くまでに二回車とぶつかりかけた。その度に運転席を睨みつけた。
家につくとリュックを放り投げ、着の身着のまま、冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、一気に喉に流し込む。そのまま缶チューハイ片手に鏡台から顔そり用の剃刀を持ち出して、両腕に線を引いていく。なぜか均等に線を入れないといけない気がして、でも、どうしても均等にならなくて赤い線が増えていった。
両耳から聞こえる音楽が鬱陶しくてイヤホンを投げ捨てる。その瞬間、部屋の静けさが一気に耳に響いた。傷口から無言で血が流れだす。どうしてこんなに私は。私は怖かった。みちちゃんと親しくなっていくことが、みちちゃんの話すれでぃ・冥土の話が、どうしても怖かった。本当のことを言いたかった。三つ目の越えなくてならないハードル。それは誰かに助けを求めることだった。
9話
今から約二年前。れでぃ・冥土は死ぬことに失敗した。そして、何者でもない私が蘇った。
れでぃ・冥土はいくら作品を投稿しても、それがネットの誰かに評価されても、一向に自分は価値のある作品を作れていない気がしていた。新しい価値を提示し、かつ引用ではない作品。そんなものは存在しないのではないか。だとしたら、れでぃ・冥土が求めていたものは幻だったということになってしまう。ものの本質なんてどこにもなくて、私が追い求めていた美はただの影だった。という不安がれでぃ・冥土を苦しめていた。
ただ彼女はその日、死ぬつもりで手首を切り刻んだわけではなかった。いつものように痛みを欲していただけだった。いつもよりほんの少し深く。
私が病院のベッドで目を覚ました時、世界は何も変わっていなかったのに、私の中で何かが死に向かっている気がした。後に、精神病院で四か月過ごすことになるのだが、その間に私は自分の中で何が死にゆくのかを自覚した。
だから、私は描き残した。れでぃ・冥土の最後の作品を。晴れ渡る草原に浮かんだ扉の絵。この絵だけは投稿しなかった。これはれでぃ・冥土の墓標だと思った。
創作をやめた私は何者でもなくて、ただの精神障害者だった。死なずにいることだけが私に与えられたタスクだった。両親は口をそろえて自分のペースで生きなさいと言った。私は、一日一日を生きることに必死だった。気を抜くとすぐに死んでみせろと聞こえてきて、私はその声にがむしゃらに抵抗した。退院後は心療内科やその他支援機関の力を借りて何とか大学進学まで進むことができた。
そして、私は今も死なずにいる。生きていることが少しだけ苦にならなくなって、それだけで人間に戻れた気がしていた。れでぃ・冥土は早田先輩の亡霊に取り憑かれた、私とは別の存在だったのだと思うようになっていた。けれど、死なずにいることと、生きることは違うのかもしれないと思った。
私の腕は血まみれで、お気に入りの白のワンピースも赤黒く染まっていて、こんな私のどこが生きていると言えるのだろうか。鏡に映る私の目はやっぱり光がないように見えた。でも、どうすればいいの。もういっそのこと誰かに殺してもらいたい。
唐突にスマホが震え出した。着信だ。投げ捨てたリュックからスマホを取り出す。みちちゃんだった。出ないことにした。こんな状態の私を受け入れてくれる人なんていない。それでもスマホは震え続けていた。仕方なく私は電話に出ることにした。何事もなかったかのように、言い訳をしてすぐに切ろう。この手の噓は慣れっこだ。
「ごめんね、みちちゃん。ホントに急用だったの。置いてってごめん。まだちょっと立て込んでて」できる限りの明るい声で言ったつもりだったが、声は震えていた。鏡の中の私が死にそうな顔で笑っていた。
「ハナちゃん」みちちゃんが何か言いかけた瞬間、私は電話を切った。
10話
いくつ昼と夜が過ぎたのだろうか。産まれてからずっとこの床に横たわったまま、生きてきたような錯覚に陥る。果たして本当に錯覚だろうか。長い夢を見ていただけかもしれない。
私は思い出す。初めてペンの絵を描いた日のことを。それから、それから何があったんだっけ。大学に合格した時、母が涙を流して喜んでいた。そして、みちちゃんと出会った。そうだ、れでぃ・冥土。私はれでぃ・冥土。あの頃の私はイカれていたと、人類がまだ農耕を始める前の時代に、思いを馳せるように、私はもう二十歳だった。選択も決断も私には残されていて、そのどちらもせずに、今、床に横たえた体を起こすことすらできない。
インターホンが鳴って、どんどんと扉をたたく乾いた音がする。誰かが呼んでいる。
「ハナちゃんいる? いるなら開けて。大丈夫。あなたの顔見たらすぐ帰るから」ああ、みちちゃんか。何しに来たのだろうか。私はみちちゃんが思い描くようなれでぃ・冥土ではなくて、ただのメンヘラ女なのに。私に何の用があるのだろうか。しばらくするとまた静寂が戻ってきた。気のせいだったのかもしれない。
気のせい? 気のせいだったとして、私は何を望んでいたの? 知りたくない、なにを? 知りたくない何も知りたくないよ。どうして、どうすればよかったの?
その時、玄関の扉が開いたような気がした。そういえば鍵を閉めたっけ。思い出せない。誰かが近づいてくる。逃げないと。そう思うと体が自然に動いた。自然に命を絶つ方向へと突き動かされる。
「ハナちゃん、何してるの?」
「あ、」私は包丁を持った手を止めた。いや、止められた。喉に切っ先を向けた包丁は止まっていた。包丁を握ったみちちゃんの手から血が滴っていた。そして、みちちゃんはもう一方の手で私をぶん殴った。顔面が吹っ飛んだかと思った。実際は身体ごと床に崩れ落ち、大の字で倒れていた。手に持っていたはずの包丁は部屋の隅に落ちていた。
「みちちゃん、何しに来たの?」私は天井を見ながら言った。天井はやたらと遠く見えた。
「あんた自分が何してたかわかってないの?」みちちゃんが私を睨んでいた。わからないと答えようとした。でも、わかりたいと思った。
「でもね、私みちちゃんが望むようなれでぃ・冥土じゃなかったよ。ずっと死にたいもん。死なずにいるなんて無理。れでぃ・冥土は死んだんだよ。私も……」
「黙れ」床で伸びている私に跨って、みちちゃんは拳を振り下ろした。口なのか鼻なのかわからないけれど、血の匂いと味がした。早田先輩に殴られた時は血の味なんてしなかった。
「殺して。一気に殺して」と私は叫んだ。このまま死ねたらどんなに幸せだろう。
けれど、みちちゃんの拳は振り上げたまま止まっていた。みちちゃんは泣いていた。拳の代わりに涙が降ってきた。
「殺さない。あんたなんか殺してあげない。こんなところで、れでぃ・冥土を死なせたりしない。あんたはどうあがいても生きるの」
「私、どうすればよかったの?」こんなこと訊いたって仕方ないのに、そんなことわかっているはずなのに。
「ハナちゃんのばか」みちちゃんは震える声で言った。私の目からも涙が流れている気がした。
「ハナちゃんがどんな人生を歩んできたかなんてこれっぽっちも知らないわよ。ハナちゃんにとってのれでぃ・冥土なんてもっと知らない。知りたくもない。だけどね、ハナちゃん。あなたはちゃんと知るべきなの。れでぃ・冥土はあなたが思っている以上に多くの人に求められていたってことを」
「そんなこと……」
「そんなこと私のエゴだってことくらいわかってるよ。ハナちゃんの傷や痛みを私は引き受けることなんてできない。でも、誰だってそうでしょ? 誰だって一人なんだよ。一人だから、誰かと繋がっていたい、一人だから、誰かに何かを届けたい。私は受け取ったんだよ。あなたにとっては大したものではなかったのかもしれないけど、れでぃ・冥土はちゃんと私に届いていたんだよ。だから、生きてよ!」みちちゃんの涙の雨に打たれて、私は透き通っていった。中学校の美術室のあの静寂の中にいる気がしていた。
「私、」その後に続くはずの言葉が出てこなかった。子供みたいに大声で泣いてしまったからだ。生きたい、でも、どうしたらいいかわからない。どうすれば……。
みちちゃんが私の頬にそっとキスをした。違った。私の涙を舐めていた。舌先が頬を撫でる感触がこそばゆくて、顔を動かした。あ、あった。目が合ったのだ。壁に飾ってあるれでぃ・冥土の最後の作品と。私はずっと忘れていた。この作品を部屋に飾った意味から目を逸らし続けていた。でも、この絵はずっとここにいたんだ。私とともに。
晴れ渡る草原に浮かんだ扉の絵。私は、れでぃ・冥土は、まだ死んでいなかった。この扉の奥にはきっと、私は、今やっと生きていると思った。
終章
大学生活を充実したものにするために、乗り越えなければならないハードルが三つある。一つは人の視線、もう一つは人混み、最後は助けを求めること。私は相変わらず、人の視線が苦手で、人混みを避け、素直に人を頼れなかった。けれど、意外と他の人も視線を気にしていて、人混みは嫌で、人を頼れず、不器用に生きているのだと気づいた。それだけでも、私にとっては大きな収穫だ。
今日も私は鏡台でにらめっこしていた。どうしても目に生気が宿っていない気がしてならない。ただ、もともとこんな目だった気もする。そう考えると、一つの可能性が浮上する。もとから元気のない目をしているのなら、メイクの仕方次第で何とでもなるのではないか。これからはアイメイクを磨こう。
鏡に向かって笑ってみると、やっぱりどこかぎこちなくて、苦しそう。でも、もういい。それより、腫れは引いてきたとはいえ、みちちゃんに殴られた頬がまだ痛い。笑顔がぎこちないのもそのせいだ。まあ、それも何でもよかった。みちちゃんも私のせいで右の掌を縫った。お互い傷だらけ。そろそろ、行かないと遅刻する。みちちゃんに怒られる。
そうそう、れでぃ・冥土は約二年の沈黙を破って二つの絵を投稿した。一つは晴れ渡る草原に浮かんだ扉の絵、もう一つはその扉が開いていて、何も置かれていない部屋があるという絵。れでぃ・冥土はこの投稿で初めて文章を添えた。それは一言。
『れでぃ・冥土はくたばらない』
即興詩『舌・えんじょー』
舌・えんじょーにございまする
泡の
I wanna know
淡の
あ、あわノ
ア輪のようにあリたいノ
にゅーとらるなし
にゅーとらるであるからこそのしを
書き描き殴る かき混ぜる
とうきょオというところの
ひとビトかきあつめたル
Metal
イトヤンゴトナキ場所にテ
アタクシの泡
口からいでにけり
きのオ いただいた
舌・えんじょー
いたくこころゆれうごされ
に候
そぉろぉほどに
まれびとたれ
ひとよひとよねがいたまいし
はぶらしの
はぶらせの
はぶらすことの
はぶらさればこそ
はぶらそう
だと思いますが
アタクシには
まぁだてんでけんとぉもつかねども
ひぐらしの
ひぐらせの
ひぐらすことの
ひぐらさればこそ
ひぐらそうとして
またしても
見
る
あたた
あたたた
あたたたためますか
いえそれほどのことではござらん
でござある
エェもおにどとしません
舌・えんじょーデゴザイマスから
えんじょおを
えんじょいしもの
えんじょえずまた
えんじょあいに
えんじょうへ
えんじょるノ
泡の
淡いちきゅー
そらにうかべまして
うべなうことをうべないし
がえんずることがえんずらずに
I wanna know
あなたのきもち
手荷物手に持ち
満ちていく
泡ノ
にゅーとらる
それほどまでに
して
アタクシを
あなたのきもち
近すぎてミエナイのよ
近づかないでミエナイのよ
舌・えんじょーの
酔いや宵闇愈々みだれ
誰何の光でございますか
尋ね人と戯れた
割れた
タワレ
でアレ
I wanna know.
言語システム
朝の公園で白い犬が赤い首輪をつけて走っていた。
↓
朝の公園で白い犬が赤いものをつけて走っていた。
↓
朝の広場で犬が赤い物体を追いかけていた。
↓
朝に犬と赤いものが走っていたらしい。
↓
朝に赤い犬が走っていた。
↓
朝に赤い動物が暴れていた。
↓
朝に危険な生物が出たという話になった。
↓
朝に事件が起きたらしい。
↓
朝に警察沙汰があったと聞いた。
↓
朝に公園が封鎖されたという噂になった。
↓
朝に街が騒然とした。
↓
朝に避難指示が出たらしい。
↓
朝に世界が少し終わりかけたらしい。
↓
朝に終末が来たという話になった。
↓
朝に神が降りてきたとも言われた。
↓
朝に奇跡が起きたらしい。
↓
朝に犬が神だったという説が有力になった。
↓
朝に神は赤い首輪をしていた。
↓
朝に赤い首輪の神が走っていた。
↓
朝に首輪だけが神として崇拝された。
↓
朝に首輪様が街を救った。
↓
朝に首輪様まんじゅうが売り出された。
↓
朝に首輪様まんじゅうがうまいという話で町内で噂になった。
↓
朝にXのトレンド入りし世界中に拡散された。
https://note.com/userunknown/n/n248719fae1e8
サンディのこと
サンディの煙草は誰にも止められない
と、誰もが思っていることを
サンディはなんとなく知っている
黒く長い髪
茶色のひとみ
その他の身体的特徴
にもかかわらず
サンディといえば
誰もが煙草を吸っている姿を思い出す
サンディはなんとなく知っている
サンディは煙草を吸う
煙草を吸うことができるいたるところで
サンディは煙草が好きというわけではない
習慣でもない
癖でもない
思想でも哲学でもないし
ましてや「そこに煙草があるから」
なんて決して思わない
なぜ煙草を吸うのか
サンディにはどうでもいいことだ
もし聞かれたら答えるだろう
「そこに煙草があるから」と
サンディの周りにはいつも
どうでもいいことが満ち溢れている
サンディが今まで吸った煙草の本数を
誰かが計算しようとした
一日に吸う本数の計算はたやすかったが
サンディの年齢を知らない
誰も知らない
本当の名前を知らないのと同様に
今まで吸った煙草の本数を知ったところで
何も語ることはできない
誰もサンディを語れはしない
ただ「煙草ばかり吸っているコ」として
それはメインストリートから何本か外れた
細い路地の突き当たりにある
看板がずっこけた酒場の
脂でべたつくカウンターの
隅の一番
隅で
どうでもいいこととして
サンディもいつかはこの世からいなくなる
いなくなってもサンディといえば
皆、煙草を思い出すだろう
けれども
その銘柄を思い出すほど
誰もがサンディを愛しているわけではない
サンディは知っている
サンディを知るものもやがていなくなり
どこかの役所の冷たい電子データのみが
サンディの記憶となりつづける
たとえ誰かがそれを閲覧しても
煙草を吸っているサンディの姿を
思い出さない
鼠の素材
清潔な病気で、身体をひたす。生命の単位が、潤っている。鼠は身体に、不安な沼を身籠る。無数の鼠が、沼を出産すると次に沼は、水中に子どもを産むようになる。その子どもは童話を使い、窒息の仕方を次の子鼠に教える。いたるところにその肺を隠されながら、鼠が生きることはすでに、溺れることにちかい。
風邪をひいたとき、身体が敏感になるが、そのとき時間は、皮膚である。常に鼠の皮膚は、時間に直に触れていて、未来が訪れないうちに鼠は、時間のすぐ先を通り越していた。時間が、多くの子どもを産むなら、鼠は先に身体を、用意しておかなければならない。鼠は、既に生きながら、時間が用意した物語を、その皮膚に包んでいる。
産まれた瞬間から、生き過ぎている。死んでようやく、過去が身体から芽生えることがゆるされた。鼠は、時間が訪れるより以前に、作りあげられているから、身体にまとわりつく自分が薄い。そして時間から、はみ出そうとする身体へ、言葉が追いつかないから、未来の記憶で、今をうごいている。時間から、孤独になると鼠は、地球とはかけ離れた子宮から子どもを、次々と産み落とす。
地平線は、夕方の味がする。鼠は、遠く、を食べたことがある祖先から、記憶まで引き継がれているから、鼠の胃袋には、世界中の地平線が埋もれている。地平線をほじり、その地下を水道管が通ると、鼠の夢は、世界中の家の蛇口に繋がる。栓をきつく閉めなければ、容赦なく蛇口から鼠が滴り、この街の鼠が、完成してしまう。鼠は地平線から、世界中の鼠になる。そうして鼠は骨になると、地平線の素材になる。
未来の背骨が、身体から抜け出さないように鼠は、時間のはじまりを駆けることがあった。それそのものを言葉で、一致させて指し示すことが、不可能なところが、鼠の通り道だった。言葉で、あらわすことができるところに触れると鼠は、人の視線におびえはじめ、時間に締め付けられて、永久に死に続ける。
多分、あの人の影響受けた世界線の最果タヒの詩
十代女子に同情してるって
いうやつなんて
たいてい
気持ち悪いもんさ
だって、それが男の子だから
たひ
浮気、独白
この部屋でしか会えない色に魅せられていた。
まるで、何度も会っているのに知らない振りをする少年から誘われているかのよう。
愛しの彼が帰ってこない間、私はこの空色に恋をしているんだろう。
一方的に。
太陽と風、雨に私。
もしかしたら、私は生まれる命を間違えたのかも知れない。
そんなことを言ったら彼に怒られそうだけど。
***
ベッドから身を起こしたものの、目に映る色は未だ霞みに覆われていた。
現実感の乏しいこの街に独りきり。目覚めたばかりのほわほわと、泡のように浮かんでは、無へと消えてく思考の連鎖。
ぺたんこの枕、壁に掛けてる煤けた絨毯、ガラスの割れたオイルランプ。
五感を通じて伝わってくる代わり映えのない形たちも、寝起きの脳では処理しきれずにホコリのように積まれていくだけ。
とうとう、睡魔に瞼が堕とされた。スリッパ探しもこれじゃできない。
起きなきゃ、起きなきゃ。
唇に乗せてみたけど、責任のない義務感が首を前後に揺らすだけ。次第に現実が遠ざかっていく。
ただ。
日に焼けた手で握りしめるタオルケットの、どうしようもない柔らかさだけは、夢でも今でも、正しく認識できてる気がする。
起きなきゃ。
結局、裸足で部屋を出た。スリッパがなぜか片方しか見つからなかったから。寝る時どこかへ蹴飛ばしちゃった?
覚醒しきっていない頭を乗せた身体は、シャワーを求めて階段を上がっていく。
欠伸にまとわりつかれながら、ペタペタ。
目をしっかり開けてないと段差を蹴飛ばしちゃう。
想像しただけで目が覚めそう?
嘘、きっと醒めないから。
***
水に逢いに行くの。
光の浸食を、この身に許すため――。
階段を上がった先、最上階の三階には広すぎるシャワールームが備わっている。ううん、ここにはそれしか無い。三階全てを使った水浴び場。
部屋の真ん中まで来ると、タイルの温かさに素足が喜んだ。日光に温められた床。石なのに、冷たさを持たないだけで大分印象が変わる。
太陽の高さを見るに、もうお昼に近いのかも。初夏の日差しで溢れる部屋の中を、生育旺盛な植物たちが放つ、緑の匂いが駆け抜けていく。
命の瑞々しさが、軽やかに、けど美味しく無さそうな匂い。
くすんだ白いタイル張りの壁は、四面とも見事に崩れ落ちていた。一周に渡り、膝の高さほどで朽ちていて、巨大化した植物に侵食された廃墟町がよく見える。朝であれば遠く、シャルイゥエ連峰からの日の出を浴びることが出来るぐらい、開放的。
じゃあ、天井も高い空まで続くかって言えば、そうじゃないの。
貝殻の天井があるから。
部屋の中に突っ立っている三本の石柱に乗っかった半透明で巨大な、二枚貝の片割れ。
笑っちゃうぐらい大きな貝の器が、私と空とを隔てていた。誰が作ったのかは知らないし、どうやって作ったのかも見当さえ付かないけれど、どうして作ったのかは正しく想像が付いた。
ここは、お伽話に出てきた部屋。
ここは、遠い空への嫉妬から生まれた部屋。
ここは、太陽の眩しさと、空の広さを愛した証の部屋。
そして、私のお気に入りの部屋。
昔。神様が世界を見放した。
神様が見ていない隙に、動植物たちは秩序を見失い、好き勝手に巨大化していったんだって。私が生まれる前のことだからよくわかんないけど。数年のうちに、人間が絶対的優位を誇っていた食物連鎖ピラミッドは、根底から崩壊した。こわれた。
ゆらゆら雲は、ぽぅぽぅと押されていく。
ひとりぼっちで見上げる空には、雲が番で泳いでた。
貝の器は、毎晩降る雨を、今日もたっぷりと溜め込んでる。愛くるしい水溜まりの空。
透けている天井と、水面を越して見上げる群青は淡く滲み、そのくせ、太陽の煌めきばかりが乱反射して目映く、空は、現実から乖離した海の色に変わっていた。毎日見上げている青空なのに、知らない惑星を満たす海のようで、そこへ連れて行ってと手を伸ばしたくなっちゃう。
私の背丈じゃ、貝殻にだって届かないけど。
「んん~」
背伸び。
胸の奥、寝ぼけてる心を揺り起こしながら重たい息を絞り出す。
替わりに、とっくに目覚めて活動を始めてる昼の空気を、肺いっぱい吸い込んでいく。全身に陽を浴びる清涼感、自由に駆ける風の中に立つ開放感は、一度癖になっちゃうと、もう抜け出せない。
夜ごと幻惑の夢を見せてくれる寝間着を、無造作にくるくる丸めて、部屋の隅、階段の入り口に放った。
手首や足首を丁寧にほぐして、指先から脳へと目覚めを促す――
ちょっとふらついた。ごめんね、影法師ちゃん。まだ覚醒し切れてないの。
貝殻を支えている抱えきれないほどの太さの石柱に手を突いたら、胸を沈めて背中を猫のように反らせた。
はっふっと息を零せば、自然、声帯が震えてしまう。もっと深くまで、沈ませて……。
抱きつかれているかのように焼かれる背中。
存在感のある温もり。
寝ぼけた子猫の声みたいに解読できない風の囁きが、耳朶に触れては離れていった。
ふふっ。
見えない誰かと居るみたい。
気配が私を抱いている。
紛れもない光の浸食だった。
小麦色にやけた肌を突き抜ける光の波が、私の心まで迫ってくる。
ああ、熱い。
肌を越して、熱い。
ねえ、誰かさん
わたしに何を伝えたいのかな?
ねえ、誰かさん
わたしに何をさせたいのかな?
ねえ、誰かさん
わたしの何を知りたいのかな?
ねえ、
誰かさん
ふふふ、あは、あはははは!
あー、無理無理無理!
もう~だめ。
浴びたくてしょうがなくなってきた。
貝殻の一番深くなっている真ん中にはシャワーヘッドが取り付けられていて、シャワーのハンドルには輪っかに繋いだチェーンが絡まり、床まで垂れている。体重をかけてチェーンの片側を引っ張った。気を抜いてたらしいチェーンは、慌てた様子でビシッと直立。重い抵抗がふいに緩むと、一拍遅れて、日光に温められた雨がパシャパシャと降ってきた。
汗ばんだ素肌に水を浴びる。
浅く目を瞑ったまま。
視界を閉ざすことで、盲目的に信じ込まされていた水の姿が嘘だったことを悟るの。
重さがあるのに、繊細。
無味無臭なのに、どんな物質よりも存在を明確に認識出来る。留め置くことの出来ない永遠の旅人。
水の本質は無色透明だなんていう人は、きっと水に抱かれたことがないんだろう。
そんな、ちっぽけなモノ達じゃないんだ、この子達は。
そんな、浅い感情じゃないんだ、大きな塊となったこの子達が生み出す心は。
肌にぶつかっては、散り続ける水たちの一粒一粒が、同じく淡い感情を叩き付けてくる。
感情の名前は、原初のけがれ、恋慕。
一晩中、貝の器に掲げられ、月の明かりの子守歌で眠り続けた雨の子達は、甘く切ない夜の夢を見る。
流されやすい感情と、緩やかに変わる体温が、小さな小さな彼らの全て。
透き通る心を水面に揺らめかせながら、無垢な夜を過ごしたみんなに、目映い朝を連れた太陽なんて、どうしたって憧れちゃう。
側に寄ることを拒むくせに服従を求める絶対神は、身体を持って生きる者、全てに自分の光を射したがるんだ。
水が相手だって例外じゃない。憧れの君から浴びせかけられる力強い熱で、不定形の心を象った身体を貫かれ、果てのない恋の成就を悦んでいる。ひとかたまりになって、はしゃいでいた。
パチャパチャと音を立てて、想いを歌にする雨たち。恋、堕ちた雫は太陽を波紋に変えて描き出す。やがて、個々の雫が形なく混ざり合ったら、輪廻の流れに溶けていくの。
あのね?
私は火遊びをしたいわけじゃなくて。
この遠く離れた惑星から彼を想っているだけでいいから。
恋をしたいわけじゃないの。
でも。清らかな身体に、熱を孕んで悦ぶみんなの、切ない想いを浴び続けていたら、私も共鳴してしまう。
共感する刺激。
共鳴する快感。
嬉しさは伝播する。
悦びで通じ合える。
私も。
広げていた手を伸ばして合わせた。
シャワーから降る雨を抱えるように腕を回す。そして、その輪をゆっくり狭めていくの。
腕に。
胸に。
みんなの感情を受け止める気持ちで。
かれらの温度を感じたら、この手を空へと広げる。
指先で虹を描く。
高く、伸びやかに。
もっと広くーー
――胸を膨らませた。
大空に向かって
叫ぶ
「目を覚まし触れた うつし世は
記憶の欠片と 重ならず
澄み渡る青に 奔る雨
狐の嫁入りの 嗚呼 美しい」
背中を弓に反らせて、柔らかな胸にお日様を受けた。熱を帯びた水の心地よさと強引な陽射しに、心まで抱かれる。
満たされることで目覚めていく身体。
ほころんでいく。
見上げながら床に敷かれた色違いのタイルをピチャピチャ。
音を鳴らしながら交互に踏んで躍る。
雨と一緒に
私も
歌い上げる。
「熱く抱いてと 空を仰いだ
せせらぎ 雪代に身を浸し
狂い 灯る 紅一輪の
心は溶けて 高く 浮かぶ」
***
貝殻に溜まった雨水が無くなった。
膝の高さで崩れたコンクリートに腰を掛けて、身体を乾かしながら彼の帰りを待ってみる。時折、登ってこようとする蛇や昆虫にボウガンの矢をくれてやりながら。一階は虫除けの火を焚くぐらいで何も置いていないし、二階へ上がる階段も塞いでる。地上から登る時は縄ばしごを使うの。それでも、常に警戒していないと、壁を伝って登ってこようとする輩が居るから気が抜けない。
都まで、この廃墟から片道二日。今日の午後に帰ってくるって言ってたけど、道程は長いから日が前後するのは当たり前になっていた。近くまで来れば、虫や獣相手の鉄砲の音がするだろうから、すぐに気がつける。
いつ帰ってきても良いように、ガチョウの卵も拾っておいたし、ジャムも沢山瓶詰めにした。彼はこっちで何日か休んだら、私の作った物を持って、また都へ向かうんだ。
今回はどんなお土産を持ってきてくれるのかな?
誰も居ない街に、一人。
風とお話ししながら、彼の帰りを待っている。
二人の住み処を守りながら。
*****
あとがき
他の投稿サイトに上げたとき、神様の説明と歌詞が要らないってコメントを頂いたので、神様の説明を省いて歌詞を半分にしてみました。と、ここで書いても違いはわからないのですけども。
ちとせもり の みちしるべ(ジャンル別一覧ページに飛びます)
眠り薬をください、わたしにも(連詩その1)
*****************************
心の奥に隠している 云えない謂れがあるんです
*****************************
たとえばわたしが空気だったら
きっと誰もが吸い込んだ途端にむせ返るだろう
たとえばわたしが水だったら
きっと誰もが口に含んだ瞬間に吐き出すだろう
*****************************
みーんな嘘つき
*****************************
なんで皆そんなにおしゃべりなの
なんでそんなに自分のことばっかりしゃべってられるの
ねぇちょっと わたしの話聞いてるの
*****************************
笑ったら 何故だかとめどもなく
涙があふれてきた
*****************************
好きになるのは簡単 でも好きでい続けるのは難しいって
愛はどうだで緒形拳さんが云ってた
ほんとそれ
*****************************
愛とは喩えば水
水を飲まなけりゃ人は死ぬ
愛とは喩えば炊きたてのご飯
食べなけりゃ人は死ぬ
ただ水だけでは ただご飯だけでは栄養が足りない
塩気が欲しくなる 甘味が欲しくなる
辛味が欲しくなる 酸味が欲しくなる
時には苦味さえも
愛とはつまり そういうこと
*****************************
恋とか恋愛とか みんなよくあんなこと
頑張ってしてるなって思うよ
*****************************
生きるために無理やり胃に流し込むごはんほど
美味しくないものはない
*****************************
人間用のクレ556ってないものかしら
*****************************
気がつけばいつもひとりぼっち
*****************************
思い当たる節がないっていうのは重症なんだろうか
みんな去ってく
何か気に食わないことしたのかな
思い当たることなんてないはずなんだけどな
黙っていなくならなくたっていいじゃないか
*****************************
解ってるよ 知ってる
誰もわたしのことなんか好きにならないって
ずっとそうだもん
生まれたときからそうだもん
そんなガッカリした顏しなくていいよ
別にあなたが悪いって云ってるわけじゃないし
*****************************
ただ生きてるだけで ひとに嫌われる
わたしの存在そのものがきっと
ひとを苛つかせているのだろう
仕方ない 仕方がないよ
最初からいらない子どもだったんだから
*****************************
悪いのは本当はぜんぶ わたしのほうだったのかもしれない
*****************************
お前なんか死んでしまえ、って云いたかったのは
本当は自分自身にだった
*****************************
嘘でもいいから たった一度だけでいいから
好きだと言って
*****************************
多分いまギュってされたら 迷わず泣いちゃう自信あるよ
*****************************
いっそのこともう終わりにしてしまえたら
どんなに楽かしれやしない
*****************************
ゴミ箱にさえ入れなかった思い
*****************************
誰の記憶の中にも存在していないなら
それはもう死んでるのと同じことよね
*****************************
ツライって口に出したら 余計にツラくなりそうで
だから何でもないようなふりをして
こんなのどうってことないってふりをして
今日もひとり 部屋の中
*****************************
あんたがいままでされてきたこと 未だに忘れられないように
わたしもあんたらにされてきたこと 多分一生忘れないから
そのつもりで
*****************************
子どもが不安がっているのに
大丈夫だから心配しないでって言ってくれる大人
ひとりもいなかった
異常なうちだよ
*****************************
生まれた町には海が近くにあったけど
そう云えば一度も連れて行ってもらった記憶がない
*****************************
考え方を変えてみては?とか
見方を変えてみては?とか
もうそういうのいらないんだ
考え方を変えてみたって
見方を変えてみたって
明日も明後日も1年先も
笑ってる自分を想像できやしないのだから
*****************************
わたしたち いつになったら笑えるようになるかしら
過ぎたことと思えるようになるかしら
*****************************
時間なんか いつまで経ったって解決なんかしてくれないわ
*****************************
何をどうすればしあわせと云えるのか
わたしにはよくわからない
大層なことは望まないよ
災いが降ってこさえしなければ
ふしあわせでさえなければ
それで十分
*****************************
わたしは大勢いるとしゃべれなくなります
3人でもギリ無理です
必ず2対1になるからです
そして必ずわたしが1の役になるからです
2人ならまあまあしゃべれます
詩の中でだけ 一番おしゃべりになります
*****************************
人間が好きですか わたしはキライでした
人間は平気で嘘をつきます 簡単に人を陥れます
自分が損することはしません
ひとによってコロコロと態度を変えます
わたしはそんなわたしが超キライでした
*****************************
わたしの感情はわたしのものであって
貴方のものではありません
わたしが笑うと何故怒るんですか
憎まないと許さないのは何故ですか
*****************************
わたしって自分で思う以上にひどい人間なのかもしれない
*****************************
わたしの躰は原因不明が多い
原因不明の頭痛
原因不明の微熱
原因不明の吐血
原因不明の倦怠感
わたしという存在自体が原因不明なのかも
*****************************
何かしらの名前がつけば 少しは安心できるのに
*****************************
心って目に見えないと思うでしょ
でも違うんだよ
その頭も目も鼻も口も手も足も胸も背中も
全部が心なんだ
心が痛いと色々痛くなるのは
つまり そういうこと
*****************************
言葉だけじゃなく 態度で示してよ
*****************************
ヘタクソって云ったら 傷つくかな
*****************************
人生の折り返し地点なんて言葉があるけど
人生に折り返しなんてあるわけないだろ
*****************************
あなたの人生とわたしの人生とは
こうやって詩を通して出会うまで
決して交わることのない線上だった
*****************************
☆★☆★☆★☆★
もともとは一行詩だったものに、加筆修正を加え
ツギハギみたいに、つなぎ合わせたものです
時計の針が一秒進んだ、明けまして
昨夜は一睡もできなかったの
大みそかだからって興奮してたわけじゃなくってね
お腹が苦しくって 背中が痛くって
いつものクスリも ちゃんと飲めなくって
ヨーグルト食べたら 楽になるかしら?
牛乳的なものをと ミルクティを飲んでみたら?
余計なものを入れてしまったために
却って 苦しくなってしまったの
窓の外 向かいの自販機の明かりだけが
やけにまぶしい
もの云わぬ 真っくらくらの闇の中
誰かいますか
誰かいますか
と 呼びかけてみる
今夜話せる誰かも
そばで笑い合える誰かもなく
もしもこの世界のどこかで
あなたもひとりっきり
こんな淋しい夜を過ごしているのなら
どうぞ返事をください
どうぞ返事をください
なんのもてなしも出来ないけれど
雨音陽炎特製トマトスープと
すりおろししょうがをよく揉みこんだチキンソテー
そして 少しばかりのお酒も用意して
あなたをお待ちしています
年が明けたからって
何かが変わるなんて幻想は
もうとっくに
どこかへ置いてきてしまったけれど
1月1日
今日くらいは
昨日までの ついてない
しょぼくれた人生のすべてを忘れて
昼日中から呑んだくれたって
きっと
バチはあてられないはず
というか
もう十分すぎるくらいのバチ
あてられてきたはずだから
身ひとつ
ただ あなたの淋しいと
泣き忘れて クセのように笑っている
その笑顔だけ持参で
わたし 心よりずっと
お待ち申し上げております
。。。その前にちょっとだけ味見を
うん
これならきっとあなたも
美味しいと 云ってくれるはず
☆★***★☆***☆★***★☆
大みそかから元日にかけてを
詩にしたためてみました
ダイヤは茹だるほどダイヤルを回し鼠径部に住む小鳥
道がここにひとつあり、この道をひたすらに真っ直ぐ進み、また元の場所にもどる(地球が球体であれば)。そのようにして詩もまた、言葉が連れてきた言葉に釣られて、次の言葉が拐われていくように、本来終わりというものがない。終わらないものをどう終わらせるか。それは断念である。
そもそもぐるぐると言葉を連ね、円を描いたところで、中心には決して行き着かず、常に周縁でありつづける。
ところが、私の鼠径部には小鳥が住み着き
みたところ虎鶫と思われる
なるべく、目立たないように気をつけているけれど
たまに鳴くから困っている
という、話をある日友人が聞かせてくれて
私はまたそれを私の話として
別の友人に話した。
タイトルは
『ダイヤは茹だるほどダイヤルを回し鼠径部に住む小鳥』
きっと悲劇に違いない
が、私は悲劇にこそ美しさを求める。
虎落笛、
さまざまないろのかたち、
未来という完了、
私たちがまだ見たことの無いものを
見た時の反応を集めたカタログ、
それら本来あるべき場所にあったものどものの
本当らしさを
私たちは手放した。
改札を通るとき
私の前を行く人が詰まった
私は思わずしまった!といいそうになった
しかし、そう思った時には
既に改札をくぐり抜けていた。
その時確かに虎鶫の声を聞いた
あれはきみだったのか
と、十月に死んだ友を思った。
彼女は確かに戦っていた
またねと言って別れた時に
彼女は彼女の道を決然として歩み
えいえんになることをえらんだ。
私は生きている限りどこへも行くことができない
なんて思い込みを棄てたくて
つけたてれび
えびでんすについてのえびでんす
殻から空へのえびでんす
私が脱ぎ捨てた一昨年の私という細胞の塊
みごと
はなのようだ
きみょう
みみょう
瀑布のよう
じかんが大量の生き死にをあたえた
私がそちらへ行こう
詩を終わらせるのが断念ならば
私がそちらへ行こう
ダイヤルを回せ
ダイヤは茹だるほどダイヤルを回せ
鼠径部に住む小鳥よ
彼女の声で鳴いてくれ
私はまだここにいる
道、
真っ直ぐに進む
ずっとそこにいろ
あわいに咲くもの 「いつもの風景と」
元日の朝は、しん、としていた。
伊都お姉さまは、まだ毛布の奥で小さく呼息をしている。大晦日とはいっても、いつもの様に食事をして、おしゃべりをして、それぞれ本を読んで、お風呂に入って、ベッドにもぐりこんだ。違ったのは遠くで聴こえる鐘の音。山の中腹だからか、いろんな鐘の音が聴こえていたのを聴きながら眠りについた。
冷えたリビングに向かい古いブルーフレームの胴を倒す。芯の高さを合わせてマッチで火をつける。ガスライターでも良いのだけど、お姉さまはわざわざマッチを買ってきて置いてある。ので、わたしもそれにならって同じ様に火をつける。マッチの燃える香り、灯油の炎が広がる音。胴を立ててロックをかけると窓のなかの炎はすぐに青いフレームにかわり、かすかな灯油の匂いとともにふわりと暖気が立ち上ってゆく。
やかんの水を入れ替えてストーブにかけておこう。
玄関の脇に国旗を掲げた。
お姉さまの大叔父様。かつてはここの主(あるじ)だった方。古い箱を開けると綺麗にたたまれた日の丸とポール。それをおそらくはかつてと変わらぬ様に掲げる。
リビングに戻ったわたしは、ほんのり暖かくなった空気と、カーテンの隙間から差す光を手のひらで受けとめて――
なんとなく、今年の抱負なんてものを考えてみる。
――たとえば、
“日曜の朝は、伊都お姉さまを起こしてしまわないように生きること”
そんなの抱負と言えるのかどうかわからないけれど、わたしの一年は、ほんとうはそれで十分なのだ。
お姉さまの寝息をひとつ壊すだけで、調和がちょっとだけ違ってしまう気がするから。
あとは……
“お姉さまが書く言葉に、わたしの影が映っていても驚かないこと”
それはつまり、わたし自身がもう少し丁寧に、
日々の細かい感情を見つめて、
きれいに散らかしてゆく覚悟を持つということで。
あと、これは小さな決意だけど――
“お姉さまが淹れてくれる朝のコーヒーに、文句を言わない”
(もちろん今までも言ったことはないんだけど、わたしのほうが上手だよ)
書き出してみると、どれもこれも、なんというか、他の人が読んだら笑うような薄い抱負だ。
でも伊都お姉さまのとなりで、呼吸して、
話すでもなく、黙るでもなく、
ただそうして一年が経ってゆくのなら、
わたしはそれで充分に満ちている。
やかんが、しゅん、と鳴いた。
寝室の方でかたんと音が聞こえた。
お姉さまがもうすぐ着替えて出てくるだろう。
今年も多分、
世界はとりたてて良くもならないし、
悪くもならないのだろう。
けれど、わたしたちの小さな部屋は、きっと大丈夫だ。
そんな気がして、
わたしはそっと、
寝室の方を振り返り、小さく呟いた。
月蝕の森
わたしの躰は、
夜の森の奥で 、
ひとつの湿った葉となり、
静かに開いていた。
胸は胸としてではなく、
月の光を受ける 、
小さな水面。
その震えは 、
わたしがわたしを解き放つ 、
最初の波。
茂みは茂みとしてではなく、
森の呼吸が集まる 、
柔らかな影。
その影は 、
わたしの奥に沈んでいた 、
古い境界。
そこへ、
わたしではない、
もう一つの、
閉じた月。
その胸は、
ただの胸でなく、
森に押され寄せてくる
もうひとつの波。
その息は、
ただの息ではなく、
わたしの水面に触れて
形を変える
小さな風。
わたしは、
その月に触れられることで
開かれるのではない。
わたしがわたしを開いた場所に、
その波が触れ、
その触れた部分だけ、
わたしの形が変わる。
それもまた、
わたしの波に触れられることで
自分の形を変える。
二つの躰は、
二つの現象として、
互いの輪郭を揺らし合い、
触れたところから
新しい波紋が生まれる。
胸と胸が触れるとき
それは、
躰と躰の接触ではなく、
二つの月が、
互いの光を、
分け合う瞬間。
茂みと息が触れるとき
それは、
羞恥ではなく、
森の奥で
風が草を揺らす
あの静かな音。
わたしたちは
躰を重ねたのではない。
躰が持つ
湿度と光と影が
互いの中へ
流れ込み、
溶け合い、
波となり、
また離れ、
また重なる
その循環の中で
――蝕を迎える――
「足りない身体」ではない。
「満たす身体」ではない。
わたしたちは
ただ
二つの波。
解放し、
その重なりの中で、
新しい波を
月に放ち、
新しい風を
森に返し、
新しい雫を
土に解かすのだ。
時間がピアスになる
短針と長針を
きみの腕から
ひきぬいて
針を耳朶に差し込んで、あそぶ。
人に知られたら
ちょっとまずい
この頃一分があまくて
苦しいの
火急の欲望に駆られて
わたしは喉を生む
少女の頃
うなじに刻んだ傷より
深くさりげない
白い蚯蚓ばれのような
あそばれてみたい
あなたに
秒針の針に
ちくり、と
やわらかく痛く
時間がピアスになる。
月婚
第一章 帰潮
帰ってきた匂いは、塩よりも静かだった。
港を離れて伸びる石畳は、潮に磨かれて平たく、昼の残り火のような熱を薄く抱いている。伯母の家に間借りしている小さな修理小屋の戸を押すと、埃が長く息を吐き、工具の金属音がどこかで乾いた。壁際には分解した潮汐計が三台、歯車と棒と錘にまで分かれて、私の気配を測るように沈んでいる。片隅には携行用の小さな潮汐計が一台、覆いの小窓を備えたまま眠っていた。
私は一台を机に引き寄せ、支点の摩耗を指先で確かめた。
心拍の速さで細い振れが重なる。都会で身についた急ぎ足が、まだ内側にかすか残っている。ここは海の町、潮の拍で暮らす場所。伯母は言う。見ない。覗かない。返す道だけ覚えよ。私はうなずき、言葉を口にのせずに、胸の奥へ立てかける。
夕方、月見台の東屋に上がる。
板を拭うと、木目に沿って白い粉の線が立った。手すりは潮で渋く、指先の塩が乾いて軽い。湾は椀のように静まり、沖の方で波が一度だけ崩れて、すぐ面に戻った。水平線近くに淡い月が出て、薄いムーンロードが敷かれる。銀の道は広がりかけて、私の足の裏でふっと途切れた。見上げない。足の裏でその断ち切れを受ける。
背後で足音が止まり、幼なじみの迅が手ぬぐいで額を拭きながら立つ。
「戻ったね、と言っておく」
私は笑い、手すりの粉を指で集めた。
「しばらくここにいる。修理がたまっている」
「また向こうへ行くのか」
「先送りにする」
迅はそれ以上は何も言わない。海の町での会話は、事実だけを並べて終える。名を付けず、形だけ置く。
伯母の家へ戻る路地、無地の提灯が店先に吊られはじめていた。白は名を吸い、余白を増やす。伯母は台所で小さな煮干しをほぐしていて、私の靴音を聞くと、鍋の火を弱めた。
「潮が落ち着いた。今夜は静かだよ」
「東屋の板を拭いた。粉がよく立つ」
「粉は路の名残。目で追わないほうがいい」
伯母はいつも、見ないと言う。見ないと忘れるのではない。見ずに置くことで、路は曲がらない。
風がひとたび止まり、台所の窓越しに潮の匂いが甘く変わった。
舌の奥で一瞬、乳の気配がする。私は手を止め、左の薬指に視線が落ちる。細い円の痕が光をかすめ、皮膚だけが少し冷たい。持ち出す言葉はない。道具箱の隅から薄いガラス片が一枚、指先に触れた。潮汐計から外した古い保護板、縁は磨いてある。
夜、枕元で呼吸を数える。
吸う、留める……吐く。
壁の向こうで海が低く撫でられ、町が返事を控えて眠る。ムーンロードは見ない。眠りの下で、足もとに途切れた銀の線が、まだ薄く温かいままでいる。
翌朝、修理小屋で一台目の組み直しに取りかかる。
錘の重さを合わせ、振り子の長さを調節し、目盛りの裏を布で磨く。午前の光が薄く差して、歯車に白が乗る。指先の拍と振り子が一瞬重なり、また離れる。私は目盛りに針を合わせ、誤差を記す欄は空のままにした。空欄は礼儀だ。そこに名を置けば、路は曲がる。
昼下がり、港で迅と出会う。彼は網の修繕をしていて、目だけで挨拶をする。
「潮汐計は直る」
「直る。誤差が揺れるときはある」
「揺れは、どこから来る」
「今はまだ、決めない」
迅はうなずき、視線を海に返した。海は返事をしない。返事の外側で、町は暮れる準備を始める。
日が落ちる前、私はもう一度東屋に上がった。
板の粉は薄くなり、手すりの渋みだけが残る。月は昨日より高く、ムーンロードの幅が増している。銀の道は揺れず、私の足もとから数寸離れたところで途切れた。その寸法は、指の幅と同じくらいだと思う。私は足を引かない。足もとの途切れが、持ち物のように感じられた。
月は名を呼ばない。私は名を持ったまま黙る。東屋から戻ると、伯母が白い前掛けを畳んでいた。
「明日は白を出す。提灯は無地でいい」
「文字は吸うからね、と昔から言う」
「見ない。覗かない。返す道だけ覚えよ」
伯母の言葉は短い。それで充分だ。
夜の底、潮の甘さは薄れ、塩が戻ってくる。私は眠る前に、机の引き出しから薄いガラス片を取り出し、布で包んでポケットに移した。持ち歩くためではない。重さを知るためだ。
第二章 招待
朝の潮汐計はよく動く。
私は組み直した二台を並べ、針の揺れを見比べた。二台とも、午前の間は素直に揺れ、正午を過ぎるとかすかにずれ始める。針先の狂いが私の心拍と同じ周期で揺れているのに気づく。無視するのが礼だが、記さないのは仕事に反する。私は欄外に小さく印を入れた。印は文字ではない。
買い出しの帰り、無地の提灯の白が通りに並んでいた。
風がときどき提灯の底を押し上げ、空気の形が丸く透ける。白は名を吸い込み、通りは余白を増やす。提灯が連なる下を抜けると、干潟への小道に入る。砂は湿り、足裏に冷たく貼りつく。貝殻がいくつか口を閉じて並び、ひとつ、指輪のような輪が砂の上に置かれていた。左の薬指を近づけると、サイズはぴたりと合っていた。私は触れずに、指の代わりに影を重ね、光が輪をくぐるのを見ないで通り過ぎた。
港の角で迅とすれ違う。彼は網から目を上げずに言う。
「通りが白い」
「白は名を吸う。今夜は静かになる」
「見えないものに答えるのか」
「まだ呼吸を合わせているだけ」
迅の肩が小さく上下し、糸が指で結ばれる。会話はそこで終わる。町のやり取りは、置くか戻すかの二択だけで充分だ。
夕方、月暈が出た。
薄い輪が月を囲み、その輪の外にもうひとつ、淡い輪が重なる。二重の円は遠い婚礼のようで、しかし音を持たない。東屋に上がると、板の粉は消え、手すりの渋みも薄い。私は腰を下ろし、靴の砂を払った。海は呼ばないが、呼ばれている気配が路の上に薄く立つ。
伯母が上がってきて、手ぬぐいで手すりを一度だけ撫でた。
「白は増えた。今夜は吊るしておく」
「文字は置かない」
「置かないから、路は曲がらない」
伯母はそう言って、視線を私ではなく板に落とす。町の作法はいつでも同じ方向を向いている。
私はポケットの薄いガラス片の縁を指先でなぞる。
冷えは薄く、重さはないに等しい。これを掲げることはない。掲げた途端、名に近づく。私はただ、置くことができる。置くことは返照で、受け取りではない。
夜半に近づくにつれ、潮汐計の針のずれは小さくなり、私の呼吸の揺れと重なってはほどける。私は机に手を置き、額の位置を低くする。
吸う、留める……吐く。
小屋の壁がわずかに鳴り、窓の外の白い提灯が風の形にふくらみ、また細くなる。潮の甘さは薄れ、舌に塩の粒の気配だけが残った。
翌朝、誤差の欄は夜明けにいったん零へ近づき、日の出とともにふたたび開いていく。
私は印の数を数えず、欄外の白さを眺めた。白は書かれないことを受け入れる。書けば、呼ぶ。呼べば、曲がる。小屋を出ると、通りの提灯は真昼の白に鈍り、影だけが明るかった。
夕方、干潟で昨日の貝殻の輪を探すと、砂が新しく積もり、輪は浅く埋まっている。
指を伸ばせば掘り出せたけれど、私は砂の上に手のひらを置いて、輪の下の冷えを受け取った。名を与えない。輪は輪でいて、私の側へ来ない。
月はやがて満ちる位置へ移る。
町は騒がない。白い提灯だけが増え、通りは無音の明るさに包まれた。伯母は短く言う。見ない。覗かない。返す道だけ覚えよ。私はうなずく。うなずきは声より深く、長い。
第三章 式
満ちる夜、東屋の柱に白い紙紐が結ばれ、無地の提灯が等間隔に吊られた。
文字はない。書けば、呼ぶ。呼べば、曲がる。伯母は東屋の入口に立ち、通る者の視線を板へ導く。町の人は集まるが、誰も見上げない。子らは膝に額を置き、男たちは手の甲で板を撫で、女たちは白い布を手のひらの上に畳んでいる。
海は呼ばない。呼ばれない。
けれど路の上に薄い信号が立ち上がる。沖から風が来て、陸に着く前に一度だけ向きを変える。私の足首の周りでムーンロードがほどけ、また集まり、円に閉じた。砂の上の光は音を持たない。私は立った。伯母の手のひらが背に当たり、一度だけ押して離れる。重さは強くない。承認だけがある。
私は掲げない。受け取らない。
ポケットから薄いガラス片を取り出し、足もとの円の縁へそっと置く。置くと、光は少しだけ静かになり、海が息を飲むみたいに丸くなる。言葉はない。町は静かに呼吸を揃えている。
東屋の脇に据えた携行潮汐計の針を見張れるよう、覆いの小窓を開けておいた。
針は夜のあいだ揺れ続け、今、この瞬間、目盛りの中心で動かなくなった。誤差は零。わずかな間、時間が海面と同じ高さで止まり、風の向きが一秒だけ逆になった。
私は目を上げない。
月は名を呼ばず、私は名を持ったまま黙る。白い提灯の内側で空気が薄くふくらみ、誰かの手首が一度だけ衣の内側で緩む。伯母の声が低く通る。見ない。覗かない。返す道だけ覚えよ。私はうなずく。うなずきは路の角へ置かれる。角は曲がらない。
円の縁に置いたガラス片が、潮を吸って冷えた。
私は指の腹で縁を確かめ、すぐ手を離す。受け取らない。返す。返すことは、持たないことと同じではない。ガラス片はそこで乾くのを待ち、光は私の足首の少し外側でほどけ、まっすぐ沖へ伸びた。ムーンロードはふたたび道になり、海と空の間で長く平らに続く。
私は両の手を胸の高さへ上げかけて、止める。
止まることが返事に近づくなら、私はその手前で立っている。伯母が私の片肩に軽く触れ、すぐ離した。町はそのまま板の上に座り、誰も顔を上げないまま、式は終わった。
吸う、留める……吐く。
呼吸は礼で、礼は呼吸より短く、長い。私は東屋から下り、石畳の端で海を背にして立つ。背に当たる風は静かで、重さを持たない。ただ、これから先の路が今夜だけ一瞬まっすぐに立ち上がったのを、皮膚が覚えている。
第四章 余白
朝、鳥が一声だけ鳴いて、黙った。
湾の端は紙で擦られたように白く、東屋の板は夜露を飲んで冷たい。私は石段を下り、昨夜の円が閉じた辺りを探す。石の面に薄い白い輪の痕が残っていた。指を当てると、冷えが皮膚の内側へゆっくり沈む。輪は輪のまま、名を待たない。
東屋に戻り、円の縁に置いたガラス片を拾う。
乾いて軽い。指先の温度だけが薄く移り、すぐ消える。修理小屋へ持ち帰ると、潮汐計の針は平らに揺れ、誤差の欄に印はいらなかった。私は欄外の空白をそのまま残し、日付だけを細く記した。
通りでは無地の提灯が畳まれている。伯母は前掛けを洗って紐を絞り、竿にかけた。
「礼、滞りなく」
伯母は短く言い、提灯を箱に収める。白は箱の中でも白のまま、名を吸い続ける。私はうなずく。うなずきは音にならず、箱の蓋に薄く残る。
港で迅に会う。彼は網を畳んで、肩にかけた。
「針は落ち着いた」
「落ち着いた。欄は空のままだ」
「返事は」
「まだ」
迅はそれ以上は言わなかった。
大きな手で網の端を押さえ、海の方を見ずに立っている。彼の存在は重しで、私の足首を地面に留める。その重さは邪魔ではない。重さがなければ、風に攫われる。
昼、潮が引く。干潟に昨日の貝殻の輪はもう見えない。
砂が新しい皺をつくり、そこに水の薄い鏡が残っていた。私は屈み、左の薬指を海水で濡らし、布で拭った。古い円痕は消えない。消えないが、濡れると色が浅くなる。色が浅くなることは、忘れることではない。忘れたぶん、別のものが浮かび上がる。
修理小屋の机にガラス片を置く。
光を通すが、意味は通さない。意味はガラスの外にあり、路の上にある。伯母は戸口で一度だけ咳をし、台所へ戻っていった。私は工具を拭き、歯車に布を通し、机の隅の紙片を揃えた。紙は白いまま、軽く震えて、すぐ止まる。震えの跡は残らない。残らないから、長くいる。
日が傾く。私は早い月見に東屋へ上がった。
空はまだ明るく、薄い月は白い傷のように西へ傾いている。ムーンロードは出ない。私の足もとには石の輪痕だけがあり、風は髪を一度だけ撫でて通った。私は胸の高さで手を上げかけ、止める。止めている手は返事に似ているが、返事ではない。返事の外側に、所作だけが立っている。
通りの角、箱に収められた無地の提灯が積まれている。伯母の短い文句が、箱の隙間から外へこぼれた。見ない。覗かない。返す道だけ覚えよ。私は東屋の板へ視線を落とし、うなずく。うなずきは板に吸われ、やがて風の縁でほどける。
夜になる前、修理小屋の窓を少しだけ開ける。
外の空気が線になって入ってきて、すぐ面になる。潮の匂いは甘くない。塩が舌に薄く残り、喉の奥で静かに冷える。私は椅子に腰を下ろし、欄外の白をもう一度眺めた。そこには何も書かれていない。何も書かれていないから、路はまっすぐ立っている。
吸う、留める……吐く。
返事はまだ置かない。置かないが、置けないわけでもない。私は窓の鍵に手をかけ、閉めずに戻す。鍵はかけない。夜の気配は室内で薄く広がり、道具の影が長く伸びる。私は背筋を伸ばし、手を膝に置く。返事の外側に、私の呼吸だけを置いておく。
良き会社に恵まれて
仕事始め。休み明け。
行きたくない、ベッドから出たくない、と思うけれど、
いざスーツに着替え、電車に揺られてからの出社。
既に出社している人たちの
「あけましておめでとう」が響く。
昔、いろいろあってから、弱小メンタルの私には、
皆の心からの優しさとあいさつと
仕事上の「ありがとう」が身に染みる。
これからも大事にして過ごしていきたい今の会社。
私からも心からの「ありがとう」
ゆうた!!
ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆつた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆうた ゆう ゆうたああああああああああああああああああああああ!! 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理
1
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○○○○○○
○○○○○○
○○○○○○
○○○○○○
2
○○○○ ●
○○○○○
○○○ ○○○○ ○○
○○○○ ○○○
3
○○○○○○○○●○○○○○○
4
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● ○
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掌編噺『フォレスト』
「ねえ、一緒に向こうへ行きましょ?」
後ろから優しい声が聞こえる。
僕が振り返ると黒髪の女性がこちらを見ていた。
彼女が指差すのは、向こうに生い茂る黒い森。
僕はいつもこの道で彼女から声をかけられる。
『……知らない人にはついていっちゃいけないって
母さんから言われてるから行かない。
それに……あの森には魔女がいるって話を聞いたよ。』
僕は、相手を見つめながら早口で言った。
「そっか、わかった。」
彼女は微笑むと、森の中へとゆっくり歩いていく。
僕の事は諦めたようだ。
その姿を見送ってから僕は森の横道を歩いて、学校へ向かった。
******
僕は母さんとふたり暮らしだ。
昔は父さんも一緒に住んでいたけれど五年前に出かけたっきり、それから帰ってこなかった。
それから母さんは僕に辛く当たるようになった。ブツブツと文句を言うだけならまだ可愛いもので、時には暴力を僕に振るった。
でも、学校から帰ってきた僕を見るなり母さんはいつも泣くんだ。
『ごめんね、ごめんね。
さっきは叩いたりしてごめんね。
嫌いにならないで、ねえ嫌いにならないで。
私にはあなただけしかいないの。
どうか、どうか許してちょうだい。』
そう言いながら僕をぎゅっと抱きしめては、いつも涙を流して泣く。
だから、僕も母さんを優しく抱きしめて言うんだ。
『分かってるよ、大丈夫。もうお腹が空いたから、はやくご飯にしよう。』
けれど、また別の日に母さんは同じように大騒ぎをする。そんな日々が繰り返された。
******
ある日、帰宅すると僕を見て母さんが呟いた。
『あなた、あの黒髪の女に会ったの?』
僕は何も言わず頷いた。
次の瞬間、頬に痛みが走った。
熱い、また叩かれたんだ。
『あの女は魔女なの!悪い魔女なのよ!
あの……あの女が父さんも連れていったのよ!』
母さんは狂ったように叫びながら、僕に暴力を振るった。
それは永遠に覚めない悪夢のようだった。
******
気がつくと朝になっていた。
母さんはもう出かけてしまったようだ。
ヒリヒリと痛む頬を擦りながら、僕は学校へ行くために森の横道を歩いていく。
「ねえ、一緒に向こうへ行きましょう?」
まただ。後ろからまた優しい声がする。
振り返ると、今日も黒髪の女性が佇んでいた。
彼女の細長い指が差す方向には、魔女が住むという黒い森が━━━。
━━━━僕は考える。
母さんと黒髪の女性、魔女なのはどちらだろう?
僕はしばらく何も言わず彼女を見つめていた。
それから、微かに笑ってゆっくり手を差し出した。
それを見た女性も、笑って僕の手を握った。
それからふたりは何も喋らず歩いていく。
木々生い茂る森へ。黒い森の中へ。
ふたりは歩いていく。
周りでは、森の木々たちがザワザワと恐ろしげな音を立てていた。
吹き付ける風が沢山の枝を揺らしていた。
その音はまるで僕のことを、森の奥深くへ呼んでいるようだった。
そのままふたりは手を繋いで、深く暗い森の中へ消えていった。
その日から通学路を歩く少年の姿を見かけた人はいない。そして黒髪の女性もそれきり消えてしまった。
少年がそれからどうなったのか黒髪の女性はいったい誰だったのか……
もう誰も知ることはできない。
******
後日談としての話である。
少年が消え去った後、この森の周辺では独り言を呟いて彷徨う女性が現れるようになったという。
彼女は道を子供がひとりだけで歩いていると、けたたましい奇声を上げながら追いかけてくるらしい。
やがて人々は噂するようになった。
その女は黒い森に住んでいる恐ろしい魔女なのだ、と。
言語システム
言語システム
言語は地域ごとに異なるものとして互換性のないまま領域化し別の領域へと接している。それぞれはエンコードされデコードを経て解釈され個人の良心や知性という濾過層を一度通過してから次の場所へと伝播される。濾過は完全ではなく不純物も熱も残ったまま移動する。それが誤解というバグへと変態する。誰も全体図を持たないままそれらはいつのまにか地表直上の電界域を世界が余さず覆う。
調整は自己責任とされ善意は密度を上げすぎ理想は雑音として検出された。雑音はリダクションを拒否され背景として定着し清音だけが過剰な振幅とともに残った。雑音は層を越えまた層に重なり干渉し熱や振動とともに媒質を揺らした。残響は原因を忘れたまま循環し波形は変形されつつ再生されることもあった。それでもその発想が誤りだったとはだれにも断定できない。
破綻したのは構想ではなく耐えきれなかった周囲の触媒だった。触媒は交換されず疲労だけが蓄積した。言語も同じだ。本来は誰もが渡れるはずの網だった。網目は均一ではなくそのポイントは場所ごとに異なる。だが張力が増しすぎて意味は堕落し沈黙だけが安寧だと誤認される。沈黙もまた信号として扱われ解釈から逃れられない。それでも送信を試みた者を嘲る理由はない。試みは常に未完成で失敗を再生し劣化再生産される。
それでも言語システムは稼働している。
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言語システム
「聞こえる?」
「うーん、半分だけ」
「どっちの半分?」
「風に揺れた方」
「じゃあもう一度言うよ」
「うん…でも目が合わなかった」
「笑った?」
「多分、違う意味で受け取った」
「手を差し伸べるよ」
「届かない…視線が逸れた」
「文字で送るね」
「行間で折れた」
「返事は?」
「遅れた。もう内容を忘れてる」
「感情は伝わった?」
「断片だけ」
「じゃあ次は?」
「また跳ねる粒子みたいに散らばると思う」
「そんなに細かく散らばるの?」
「うん、でもそれでも話すしかないよ」
https://note.com/userunknown/n/n248719fae1e8
涙の聲
雪の内に 春はきにけり
鶯の こほれる涙 今やとくらむ
とや古のひと詠みてより 日を重ね
谷のかげ
氷は消えず 水はまだ 音を立てねば
枝にゐる 鶯のこゑおとづれず
春の名のみそ行きかへり
花をりの 空やはらぎて
光のみ先だちぬれど
声のほど 知るすべもなく 時は過ぎ
今もなほ
解くと知られぬ
まゝにぞありける
本歌は、春の到来がすでに言い切られているにもかかわらず、氷の融解や鶯の声といった出来事が成立しない状態を、長い時間の経過の中で反復的に描いている。春は来ているが、世界はそれに応答しない。その応答の欠如は、感情や象徴としてではなく、語の表記や文法のあり方そのものによって支えられている。
春の到来は冒頭で「来にけり」と明確に言い切られている。「来」に完了の助動詞「ぬ」、さらに過去/詠嘆の「けり」が接続しており、文法的には、出来事はすでに成立している。この確定性は揺るがない。
しかし、歌の内部では、その到来を裏づけるはずの出来事がことごとく起こらない。氷は消えず、水は動かず、鶯は鳴かず、涙もまた変化に至らない。春は来てしまっているにもかかわらず、春的な出来事は何ひとつ起きていない。
この停滞は、まず表記の水準に現れる。「こほれる」は仮名で書かれており、「凍れる」「毀れる」「溢れる」という異なる語義を同時に許す。ここでは、どの語義を選ぶかという判断そのものが要請されていない。語義はいずれも呼び起こされるが、最後まで到達しない。仮名表記は、意味を曖昧にするための便法ではなく、出来事が完遂されない状態を保持するための条件として機能している。
同様の構造は、文法の水準にも見られる。結句に置かれた「知られぬ」は、動詞「知る」の未然形「知ら」に助動詞「る」が接続し、その上に助動詞「ぬ」が重なった形である。このとき、助動詞「る」が未然形として解されるか、連用形として解されるかによって、後続する「ぬ」の機能が分岐する。
すなわち、「る」を未然形と取れば、「ぬ」は否定の助動詞「ず」の連体形となり、「(人に)知られていない」「(自ずと)知られない」という意味が成立する。一方、「る」を連用形と取れば、「ぬ」は完了の助動詞となり、「(人に)知られてしまった」「(自ずと)知れてしまった」という意味が成立する。いずれの解釈も文法的に正しく、語形そのものからは、どちらか一方を排除することができない。
その結果、「知られぬ」という一つの語形の中に、知ることがいまだ成立していない状態と、すでに成立してしまった状態とが同時に圧縮される。意味は一義に定まらないが、ここで問題となっているのは、単なる意味の曖昧さではない。知る、という出来事そのものが、成立の途中に置かれ、完結に至ることを拒まれている点である。
否定として読めば、知はまだ訪れていない。完了として読めば、知はすでに訪れてしまっている。しかし、いずれの場合にも、ひとは「知らない者」としても、「知ってしまった者」としても確定されない。ここで語られているのは知の可否ではなく、完結しない知に類する。
推量表現「今やとくらむ」もまた、この時間の緊張を別の角度から支えている。「らむ」は現在から判断の留保を含む推量語であるが、その前に置かれた係助詞「や」に注目した。上代語において「や」は、必ずしも疑問を表す語ではなく、事態の断定表明として強く機能しうる係助詞であった。本来は文末に置かれ、語調を確定的に引き締めるこの助詞が、文中に入り、連体形を要求することで、結びの力を保持したまま配置されている。
その結果、「今や」は出来事を単に現在へと近づけるのではなく、出来事がすでに成立しているかのような切迫を文の内部に生じさせる。この確信を帯びた表明が「らむ」という推量と結びつくとき、判断は弱められる方向へは動かない。むしろ、確信と推量とが同一箇所に重ねられることで、出来事は成立寸前まで引き寄せられ、そのまま確定に至らずに停止する。
涙について起きているのも、同じ停止である。涙は流れ始めているようで、完了しない。凍っているとも、毀れているとも、溢れているとも言えるが、いずれにも決定されない。涙は感情の象徴としてではなく、出来事が完結しない相そのものとして配置されている。
この長歌は、藤原高子歌に含まれる表記上・文法上の緊張への応答として構成した。高子歌において、「こほれる」が凍結・毀損・溢出という複数の語義を同時に許し、「今やーらむ」が確信と推量とを重ね合わせて出来事の成立を宙づりにしているのに対し、結句において、「(今もなほ)解くと知られぬ」という否定と完了の両義を含む統語句を用いることで、出来事が完結しない状態を文法的に引き受けた。ここで行いたかったのは、詩的緊張そのものへの応答である。
三島由紀夫に傾倒した世界線の最果タヒの詩
ねえ、卑怯だよ。そういうの。
生きるのは素晴らしい、尊厳があるっていうの。
死ぬのは最低ってことになるのが
ずっとずっと吐き気がしてならなかったんだ。
屋上から飛び降りる人は、全員悪人で、
そうしなかった人は無条件で善人で、
おかしいと思う私は何よりの悪人って
そうやって生は尊ばれてしまう。
ううん、死こそ、澄みきった尊厳だよ。
人生だけがさようならを意味できる。
だから、この御國に犬死になんて存在しない。
むしろ、させてたまるもんか。
掌編噺『友地蔵』
今は昔
ある小さな村に三人の若者がいた
*********
一人は麒麟児と呼ばれていた
幼い頃から何をやらせても誰より達者で
周りの村人達からは、すごいすごいと
持て囃され鼻高々の男であった
奴はゆくゆくはこの村の長になるさ
村の誰もが口々に噂した
もう一人は風来坊というべき男だった
成長してからは、ふらっと村の外に出ていったかと
思えば、どこかで大事を成し遂げたと
風の噂がやってくる
お調子者だが、義理に厚い性格で
己の進むべき道をしっかり持っている
村の誰からも愛される
そんな熱くて気持ちの良い男であった
最後の一人は村いちの抜け作と呼ばれる男だった
何をやらせても駄目な男で
引っ込み思案で、声も小さい
特筆すべきなのは麒麟児と風来坊の友だということ
村の皆からは何故有名な二人と仲が良いのか
いつも不思議がられていた
そう、三人は友であった
正確にはかつて、麒麟児と風来坊は火に油の
関係であった
顔を合わせば喧嘩の日々
お互いが「目の上のたんこぶ」といった具合だったのだろう
それが、抜け作が間に入ることでかすがいの役目を
して丸く収まっていたのだ
不思議な事もあるもんだと村の皆は笑った
抜け作にも役目がちゃんとあるのだと
麒麟児と風来坊の二人も
抜け作が間に入り込むことで、不思議とウマが合うようになった
いつしか、三人は無二の親友となったのだ
*********
ある時、麒麟児は隣村へ用事で留守にしていた
己の考えた商いで、この村に富を蓄えようという算段だった
この時、風来坊はいつもの如く旅に出て同様に村から出払ってしまっていた
諸国を放浪して新しい知識を学ぶ為だった
その時、事件は起きた
火事だ 村の中の一つの家が火事で燃えたのだ
家の中には幼子が取り残されているらしい
村人たちは遠目から燃え盛る家をただ眺めるしか出来なかった
いや黒い影が一人、家の中に飛び込んでいく
抜け作と笑われた男だった
果たして彼は炎の中から幼子を助け出したのだ
己の命と、引き換えに
*********
麒麟児と風来坊は
村に戻ってきて顛末を知った
二人は抜け作の最期に、涙が涸れるほど涙した
奴は俺たちよりずっと凄い 凄い男だったのだ
友に誓ってこれからは村のため助け合おうと決め、
二人は供養のため燃えた家の跡地に地蔵を建てた
命を懸けた友のため『友地蔵』という名の地蔵を
そして、命日には必ず花と酒を手向けたのだった
*********
時は過ぎ行く
麒麟児は村の長となり、様々な商いを手広く行い
村の富を蓄えた
豊かになって村人たちは、麒麟児に大いに感謝した
風来坊は更に諸国を巡り、多様な知識を身に付けた
その中には西洋の摩訶不思議な知恵まで含まれていたという
博識ぶりに村人たちは、風来坊を大いに敬った
二人の晩年、国中を疫病が襲った
村も例外では無かった
しかし、麒麟児の蓄えと風来坊の知識で
村は他の村々に比べてずっと被害が少なかった
二人は疫病が終息したのを見届けてから
同じ頃、永い眠りについた
そして友地蔵の両脇に、二体の地蔵が建てられたのである
これを差配したのはかつて、ここに建っていた家が火事になった時に
抜け作と呼ばれた男に助けられた者だった
男は三人の友情と功績に感謝して
三体の地蔵に雨除けの小屋を作り、友地蔵として
厚く供養した
*********
時は更に巡る
村のかたちは変わっていく
しかし、そこに三体の友地蔵は在り続けた
抜け作に助けられた者の子孫は
動乱の時代を駆け抜け、新たな政の役人となった
この村始まって以来の大出世である
彼は後に新聞の取材で語っている
『私の命、私の先祖が暮らした村は、三人の偉大な先人によって守られた。私が今ここに居るのは、彼らのお陰である。世の中の人々からすれば、名も無き者たちかもしれないが私は彼らを決して忘れない。』
**********
長い時間が過ぎてきた今日も、三体の地蔵の前には花と酒が供えられている
真ん中の地蔵に肩を組むように両脇で笑う、
三体の地蔵たちが変わらずに今もそこにいるのだ
(了)
※このお話はフィクションです。
実際の出来事とは、一切関係がございません。
たとえばボクが死んだら
たとえばボクが死んだとしても
きっと君は泣かないことを
ボクは知っている
それでいい それがいい
それよりも 一緒に行ったエレカシやみゆきのライブのことや
一緒に観た映画のこと
神保町でカレー屋さんを探して道に迷ったこと
お目当てのスープカレー屋さんが定休日で
ちょっとガッカリしたこと
銀座のサンドイッチが有名な喫茶店
たまごサンドのボリューミーさと
やたらと気さくに話しかけてきたマスターのこと
中野の路地裏で 真っ白な灰になってたあしたのジョー
目黒川や井の頭公園や小金井公園や
上野恩賜公園で見た桜がきれいだったこと
東京タワーの展望台 ガラス張りんとこでいい歳した女ふたり
キャーキャー云いながら度胸試ししたこと
豊洲で足湯に浸かり
東京に現存する唯一の銭湯・鳩の湯
あったまって家に帰って
あとでLINEしあったら
ふたりともぐったり寝ちゃってたこと
池袋サンシャインにあるプラネタリウム
あんなにぐるぐる回転するなんてね
思いもしなかったよね
ムーミンバレーパーク
リトルミィのアンブレラが天井一面を覆って
ちょっと幻想的だったよね
広い湖に緑豊かで
5月だったから 風が心地よくって
ニョロニョロは電気でなにも考えてないとか
ムーミンパパが実は結構ヤバい奴だったり
リトルミィに負けず劣らずな
毒舌家で自由な吟遊詩人・スナフキン
三鷹の森美術館
入口で巨大トトロがお出迎え
人生でトトロを一度も観てないって云ったら
君が驚いたようにケタケタ笑った
ずっと行ってみたいと思ってた深大寺
東京のはずなのに なぜか小旅行に来てるみたいで
きれいな湧水で作られたお蕎麦 美味しかったね
調布と云ったら水木しげる
鬼太郎茶屋
ところ狭しとある鬼太郎グッズ
目玉おやじやネズミ男がかわいい
君はソフトクリームを
ボクは抹茶かき氷を食べたんだったよね
味はフツーに美味しいかき氷だった
弥生美術館
ヨコハマ・赤レンガ倉庫
浅草・浅草寺
下北沢で飲んだ 飲むわらび餅
歌声喫茶なんておかしな喫茶店に迷い込んで
ふたりでゲラゲラ笑ったこと
ドトールやベローチェでお茶しながら
他愛のない会話を ただただ楽しんだり
地図の読めないボクに代わって
いつも行き先を調べてくれたり
もしも君に出会えなかったら
ボクは東京のどこも知らなかった
行けなかったような
そんな気がするよ
たとえばボクが死んでも
きっと君は泣かないことを
ボクは知っている
君は今日もきっと 忙しない日々を
送っていることだろうね
だからさ だから
ひとつだけ ボクからの
最期のワガママを訊いて
君がご飯を食べてるとき
スマホいじってるとき
なんにも なぁんにもすることもなく
ヒマでヒマで たまらないとき
時々そっと思い出してくれたら
そういえば バカな奴がいたよなぁって
笑って思い出してはくれたなら
君の記憶の ほんのほんのすみっコにでも
置いといて貰えたら
ボクはもう それだけで
それだけで 生きた証になれます
この上なく しあわせです
ボクもきっとそうするから
ユビキリ
ミヤくん、ミヤくん
“この世というものは、儚い夢だと
そう、言い聞かされていたというのに
過ぎ去ってみればどうだろう
なんという歳月の間
なんという嘘を
つかれていたことやら“
――Tokugawa Yoshinobu(あるいは最高密度の青色、夜の果てに位置する)
「ミヤくん、ミヤくん」
木の根を枕にしていた僕の
その少し上で響いた優しさ
「神社にお参りにいく日でしょ、今日。一緒に行こうよ」
差し伸べられた手の温度は
その日、残り日、そのまま
そうして引き起こされて
引き歩かされて
だんだんとぼんやりが消える景色の
その桜並木の温度は君の微笑み
その中にほのかに赤く、金に
星を燃やすがごとく煌く旗があって
それがいったい何なのか
ずっとずっと思い出せなくて
ずっと泣き出そうともしていた僕の頬を撫でた君は
「ミヤくん、ミヤくん
知らないの?
あれはね……」
石鳥居の前、そっと得意気に語り出し
欅
イルミネーションとあなた 時間が止まるのが見えた
人間はコップか
私は教師として、毎日のように教壇に立っていた。
ある日私は、生徒たちに、「人間の体内の約60%は水分である。」ということを教えた。私は鼻高々だった。なぜならほとんどの生徒が知らなかったことを知らせてあげたのだから。
授業後、ある生徒から質問を受けた。その生徒はこういった。
「先生、体内の約60%が水分である人間。そんなにたくさんの水分を溜めているなら、人間はコップではないでしょうか。」
衝撃が走った。私はこの問いに答えることが出来なかった。なぜなら、わからなかった、ためだ。私は、平静を装い、
「後日、回答する。」
とだけ述べた。
私は焦った。常にこの問いを頭に置き生活した。歩きながら、食事をしながら、排泄しながら、常に考えた。「人間はコップである。」という仮説。もし正しければ、今までの私の常識は完全に崩れ去る。しかし、いくらなんでもこの考えは短絡的すぎないだろうか・・・。とりあえず私は、自己紹介において「私はコップです。」などという人間に出会ったことはない。いや仮に自分がコップであると認識している人物がいたとしても自己紹介においてそんなことは言わないか。なぜなら、自分がコップであると認識している人間は、恐らく全ての人間がコップであると認識しているはずである。つまり、自分がコップであると認識している人物が、自分がコップであると自己紹介することは、自分が人間であると認識している人物が、自分が人間であると自己紹介することと変わらないのである。とすると、自己紹介においてコップであると自らを紹介しなくても、自分がコップであると認識している可能性は十分に考えられるのだ。もしかすると、人間がコップであるということは周囲の人間にとっては常識なのかもしれない。コップである私たちは、コップを使って水を飲んでいる。コップがコップを使っている・・・・・。
駄目だ、らちが明かない。続いて別の視点、行動的観点から、人間とコップについて考えてみよう。まずコップ。コップは水を取り入れ、貯蔵し、放出する。多くの場合人間に操作されることによって。さあ、人間はどうであろう。私たちは水を取り入れ、貯蔵し、放出しているだろうか・・・。している。確かに私たちも水を取り入れ、貯蔵し、放出している。水を口から飲むことによって取り入れ、体内に貯蔵し、排尿、呼吸などによって放出している・・・。
何も、変わらない。コップと、何も。本当にそうか。私たちはコップと変わらないのか。いや、しゃべったり、歩いたり、考えたり、従来のコップにはできないことが、私たちにはできるではないか。なんだ、明らかに私たちはコップではないじゃないか。なぜこんな簡単なことに気付けなかったのだろう。私は安堵した。便秘が解消したように、安堵した。すぐにこの答えを例の生徒に伝えてやろう。私はその生徒の家の電話番号を調べるため、足早に職員室へ向かった。しかし、職員室の扉を開けた瞬間、新たな考えが浮かんできた。それらの、従来のコップに出来ない行動は、コップに付随された機能でしかないのでは、ないだろうか・・・。つまり、私たちはコップに新機能を加えた存在―進化形コップ―ではないだろうか・・・。
人間はコップの進化形。こんなことを認めてしまったら、先人たちが作り上げてきた進化論が崩れ去ってしまう。いくらなんでも、結論付けるには早すぎる。もう少しコップと人間の相違点を考えることにしよう。私は再び職員室を離れた。
と、瞬間、ビビビビビ、私の頭に電流が走った。そう。コップと人間の相違点を、見つけたのだ・・・。嬉しいような、悲しいような、長年一緒に暮らしてきた息子が、独り立ちして家を出ていくときは、きっとこんな気持ちになるのだろう。コップと人間、水を取り入れ、貯蔵し、放出する。そこに違いはない、が・・・。まず、人間についてだ。人間は自発的に、水を取り入れ、放出する。自分が取り入れたいときに取り入れ、放出したいときに放出する。続いて、コップについてだ。人間が自発的にこれらの行動をとるのに対し、コップは強制的にこれらの行動をとらされているのだ。コップは、強制的に水を取り入れられ、放出させられる。これは人間とコップの違いといえるだろう。よって人間はコップではない。よし、今度こそ答えが出た。再び職員室へ・・・。
いや待て。人間もたまには強制的にこれらの行動をとらされているではないか。例えば拷問における水責め。人は自分の意思に反し強制的に水を取り入れられさせられる。また、何らかの理由で長時間トイレに行けないとき、人は自分の意に反して失禁する。これも自発的に水を放出しているとは言えないだろう。つまり、人間はときにコップになっているのだ。
結論。人間は、人間、時々、コップ。
待て。何かがおかしい。なぜ私は、人間がしゃべったり、歩いたりすることはコップの新機能、コップから進化した結果、と捉えたのに、自発的に水を取り入れ放出することは、そのように捉えなかったのだ。自発的に行動することが出来るようになったこともまた、コップからの進化の結果と、捉えられないだろうか・・・・。
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない・・・。私は人間がコップであるかどうかさえ、わからないのだ。コップが、頭から離れない・・・。苦しい、苦しい、苦しい、苦しい・・・。
翌日私は、辞表を提出した。これにより私はもうこの問いと向き合う必要がなくなったのだ。なぜなら私はもう教師ではないのだから。例の生徒の質問に回答する必要はないのだ。晴れ晴れした気持ちで、帰宅する。しかしもうコップとは関わりたくないな。今日は我が家の全てのコップを処分しよう。―いや、待て、『コップ』、とは、なんだ・・・。
完