投稿作品一覧
この悲鳴と共に
やっと得られた安寧も薄ら氷の上
陸地を目指すんだ
いつ割れるか分からないここから
賞味期限の決まった友情
捨てたり捨てられたり
笑うから笑ってた
敵認定されない為の
同調行為
得られるものはその場限りのやり過ごし方
楽しそうな顔の裏で
いつも怯えていた
ロールプレイングゲーム
満員電車のなにかを押し殺した人の群れ
スマホに向かってうつむく人
中吊り広告を見る人
窓の外を見る人
目の前の虚空を見る人
一様に
無表情で
話しかけた時だけ起動する村人の集団
自分だけが
生きている人間のようで
怖かった
追い詰めてくる時だけ団結する人間たち
憎しみを買わないようあれだけ注意しても
理由も分からず
なにがなんだかどうしてなのか
臆病さを見抜かれているのか
一人でいい
放っておいてほしい
いつ割れるか分からなくても
薄い氷の上に立ってる方が
マシだと
逃げてきたのに
いつだって悲鳴を上げ続けてきた
でも溺れて死ぬ方が
悲鳴さえあげられない方が
よほど恐ろしいと
一人でいいから
再び陸地を目指すんだ
踏み出す一歩に竦んでも
悲鳴をあげ続けながら
に〜らめっこ・くりかえす
あなたのことばって
クセがあるのよね
おなじこと
なんかいもいうのね
そんなこといわれて
あたりまえだけど
きづいちゃいましたか?
っていってみる
くどいというより
それ、いる?
っておもうの
きのどくそうに
まがるまゆげとくちが
かわいい
くりかえし
くりかえす
それは
うみとおなじ
よせてはひいて
ひいてはよせて
くりかえす
わたしには
うみがあるからね
わたしのなかには
うみがいるからね
あなたとだれかと
みんなとおなじように
くりかえす
いちにちをまいにち
まいにち
わたしはくりかえし
あなたもくりかえし
しつこいくらいに
いきているから
(漆黒の幻想小説コンテスト)剣闘士二人
「こ・ろ・せ!こ・ろ・せ!」
つんざく程に響き渡るは蛮声。場は闘技場。『剣闘士』の死合行われし場。その場の大多数『剣闘士』の死を観る事望む観の客。今日も今日とて大賑わいである事、青天の場内。
そう…『剣闘士』。見世物なるは闘技会で戦う者の総の称。闘う者、剣闘士『イド』は今日初死合となる新人剣闘士。男。十六。対戦相手は剣闘士『グジ』。男。十七。同じく今日初死合。イドとは幼馴染同士なり。
闘技場にて格子扉の前、死合を待つはイドとグジ。観客達は下世話な嗤い声を挙げる。
「ヘパヘパ!仲の良い幼馴染同士が、初死合で殺し合うの最高なるわ、そそるそそるぞ!」
「ヘゲゲ!どちらが勝ちてもオイシイぞな、どんな気持ちになるのだろ?」
「ホキョキョ!はじまるで、しかしであるですぞ!」
程なくッ!
ガララと扉が開けらるるッ!
同時と駆け出すはイドとグジ!双方、剣先を槍如く互いに向け真正面に!真正面にッ!真正面にィ~ッ!
グサリ…ッ!
互いが互いの左胸を突き刺しおうた。心の臓は停止し。二人は絶命す…ッ。
衝撃的な結末ッ!しかし観客ぞ、おかんむりでありし、暴の言を吐きこう言うッ!
「ここをどこだと思うとる!殺し合うべきぞッ!」
「殺したくないからとて二人で心中あるかァ?ツッッマンネでぞ!」
「臆病者のイドとグジ!今まで観た中で最低の結末であろぞ!」
罵声飛ぶ事、嵐の如く。
観客達は知り得ぬがイドとグジは死合決まりし時、こう語り合った。
「グジ。俺はお前を殺しとうなき。」
「イド。俺もぞ。何故苦楽を共にし者を殺さねばならぬか?」
「グジ。死合、相討ちにて決着しよぞ。」
「イド。おうよ。誰であろと俺達が絆を壊せやしなきッ。」
二人は同時にこう言い放つ。
「こんな時代に生まれちまたが。俺等二人は俺等の生きたいように生きる事望もうぞ。誰の思う通りにもならぬ事果たせるるなら…この命たりとて惜しくは無いッ!」
命を天秤にかけてモノ、絆と信の念。この二人以外知る者は無し。
悲しき事か?惜しむべき事か?いいや…、見る者には伝わりし事。
十年後、この地方に『革命』起こりし。その革命軍の紋章は『互い胸を突き刺し合う“剣闘士二人”』であったと言ふ。
桜
婆さんが水溜まりに棒きれをくいくいと食い込ませていた。俺は不思議に思った。
「何をしてるんです」
「穴を開けるんじゃ。地球の裏側まで」
くいくい。
「そんなことできるんですか」
「今日はポカポカいい陽気じゃからねぇ」
くいくいくい。
「何年も何十年もかかりますよ」
「お茶でも飲まんかね」
俺は婆さんの横に座った。
少年が水溜まりに棒きれをくいくいと食い込ませていた。不思議に思った爺さんが聞いた。
「何をしとるんじゃ」
「穴を開けるの、えっと、地球の裏側まで」
くいくい。
「そんなことできるんかいのう」
「今日はポカポカいい陽気だからね」
くいくいくい。
「何年も何十年もかかるんじゃないのかい」
「お茶、飲む?」
爺さんは俺の横に座った。
女子高生が水溜まりに棒きれをくいくいと食い込ませていた。サラリーマンは不思議に思った。
「何をやってるんだい」
「穴を開けたいの、地球の裏側まで」
くいくい。
「そんなこと、できるのかい」
「今日はポカポカいい陽気ですから~」
くいくいくい。
「何年も何十年もかかるんでは」
「お茶、飲みますか?」
サラリーマンは爺さんの横に座った。
園児と力士と八百屋とバスの運転手と作家と役人とアスリートと女優と戦闘機のパイロットと消防士と坂本龍馬と熊とひまわりは、俺が棒きれをくいくいと水溜まりに食い込ませるのを見守っていた。
くいくい。
ポカポカ陽気で、空は透き通るくらいに青かった。
くいくいくい。
村上春樹をフロイトする(前編)―『パン屋襲撃』を巡って
例によって、二人が出会う。
「やあ」
「やあ」
「ここで会ったが千年の敵。散歩でもすんべか」
「脈絡がいまいちわからないが、散歩は賛成。大賛成」
「えー、本日はお日柄もよく…」
「おや、誰かの結婚式かい」
「いやあ、精神分析風味の小説読解ができないもんかと」
「不条理のお次は精神分析ですか」
「変わらんな」
「いや、変わるでしょ」
「僕は古い人間なんで、精神分析と言えば、フロイトやらフロムやらユングやらしか知らん」
「他にもいるんだろうね」
「しかも最先端の動向にも疎い」
「ほう」
「だから、これから話すことは飽くまで老人の独り言として聞いて欲しい」
「おやおや」
「あまり論理的でなく…」
「先刻承知」
「新しい知見も盛り込んでおらず…」
「期待しちゃいないさ」
「例の如くに独断と偏見に戯れるだけなんだが」
「いつになく謙虚だね」
「昨日は雪かと思ったら今日はすっかり春だし、どうもこの陽気にやられたらしい」
「昨今の異常気象が君にも憑依したようだね。謙虚な君なんざ、まるでクリープの入れない珈琲さながら」
「いつもは僕が昭和系ジョークを連発するのに、今日は君から昭和返しをされるなんて」
「私も陽気にやられたらしい…」
まずはフロイトの『防衛機制』論から入る。
「まずはフロイトから始めよう」
「フロイトと言ったら無意識だのリビドーだの…」
「そうさな。イチ藤四郎としては、フロイトの全貌なんざ知れるはずもないんで…」
「アッチに手を出したかと思えば、いつの間にかコッチに手を出す浮気性の君だからな」
「ひとりの思想家をずっと読み続けるなんざ、できんできん」
「君は恋愛もそうだよな」
「…フロイトと言えば、心の働きと仕組み」
「ほう」
「心の働きとは、心を守ること」
「守れなかったら心が壊れ、壊れたら生きることすら難儀だからね」
「あたかも恒常性が人の与り知らぬところで人の体を一定に保つ如くに…」
「心も気づかないところで人の心を守る働きがある…」
「いかにも」
「『防衛機制』って奴かい」
「よくぞご存じで」
「酸っぱいブドウだよね。高所の美味そうなブドウを取ろうとして失敗した」
「そう。それで失敗を認めるのがあんまり悔しいんで…」
「悔しいあまりに心が壊れかねない」
「だから正当化する」
「どうせあのブドウは酸っぱいんだから、取らなくて正解だよ、と」
「いかにも」
「『合理化』だね。あれ、君は中学の時にみっちゃんに告白してフラれ…」
「おいおい、唐突に」
「それで、どうせ付き合ったって嫌なところが見えて別れちゃうんなら、フラれて正解さ、なんて嘯いちゃいなかったっけか。これが『合理化』」
「むむ昔の話だろ…」
「そのくせ、しばらくは廊下に寝そべって、いやだフラれたくないって駄々をこねてなかったっけか」
「それは小学三年生の時。あっちゃんにフラれた時だよ…」
「ちいちゃんじゃなかったっけ? それともえっちゃん?」
「ちいちゃんは小五。えっちゃんは中一…」
「…ともあれ、駄々をこねるのは『退行』だよね。問題が解決できなくって原始的段階へと戻ってしまった」
「おや」
「私が君を、まるでガキじゃないかってからかったら…」
「小学三年生だぜ。ガキもガキ、ガキじゃないか」
「そしたら、フラれたら皆同じことするじゃん、なんて言ってたっけか」
「おいおい」
「それが『投射』だよね。自分の心の中にある醜いものを認めたくなくって、それが他人にある、って決めつける態度。私はフラれても駄々なんかこねなかったがね」
「も、もうその辺で…」
「そのうち君も反省して、先輩を見習うようになったよね。何度フラれても必死に歯を食いしばって泣かず、ましてや駄々をこねたりなんぞはしない先輩を」
「ま、まあね」
「モデルとなる人間の態度を取り込んで自分のものとしていく。これが『取り込み』」
「そ、そうだね」
「そして、いつまでも悲しんじゃいられない、ってんでそのエネルギーを文芸に向け始めたんだったよね」
「そ、そ、そうだね。小学校ではあっちゃんやちいちゃんにフラれてから小説を読むようになって…」
「そうだったね」
「中学でえっちゃんとみっちゃんにフラれてから、詩やら小説やらの駄文を書き溜め出したんだったね」
「それが『昇華』。欲求不満を社会的に認められる活動へと転化する、ってことだね」
「おやおや。お詳しいこって」
「だてに君の話し相手になっちゃいないさ」
「で、これからの僕の話はその『取り込み』を中心とするんだが」
「ほう」
「題材とする作品は、まずは村上春樹の二度にわたるパン屋襲撃譚」
「へえ、パン屋をねえ。しかも二回も、ねえ」
身体的欲求から精神的欲求が派生する。
「防衛機制はもっぱら心を守るもんなんだが、身体的基盤を有するんだ。生理的本能的欲求から精神的欲求が派生するのさ」
「もうちょっと、その、わかりやすく」
「(犬を散歩している人を見て)あら、こんにちは。お久しぶりです! やあ、ジャック、元気かい」
「(小声で)始まった。犬好きはいいんだが、散歩中の犬を見かけた途端にこうだ…」
「そうだ、ジャック、いいね! 元気だね! 人間、元気がイチバン!! じゃ、またね!」
「(小声で)人間じゃないだろ…」
「唯物論者フロイトらしい矛盾じゃないか。人間は心理的存在だとしながら、その心理は生理現象に由来する、って言うんだから」
「唐突だな…。どういう矛盾だい」
「だって、人間が純然たる心理的存在だったら、身体性はすべて捨象できるはず。だのに人間心理が生理現象から派生する、って言うだから」
「えっと」
「この派生は言語も同じさ。会社では、君はよく上から目線で部下に説教してるよな」
「していないがな」
「『上から目線』って何だい」
「偉そうにふるまう、ってことだろ」
「『上』って何だい」
「ま、会社組織の中では上の立場、ってことじゃないのかい」
「君の方が図体がデカくって、部下を見下ろしているのかい」
「いや、最近の若い者は体格が立派だからな。むしろ逆の場合が多そうだ」
「『上』と言ったら、本来は物理的には上部にある、ってことじゃないのかい」
「字義通りには、より高い所って意味なんだろうな」
「君が見上げる、ってことかい」
「そうだね。私は『上』を見上げるんだよね、見上げるところが本来の『上』だよね」
「そう、その意味での『上』が身体基盤的。『上』は字義通りには君の体の上の方にあるんだよね」
「そうだろうね。『上』って言うくらいなんだから」
「でも、君が部下に上から目線で説教をかます時の『上』ってのは、組織内では上の立場、ってことだよな」
「だね」
「もはや物理的に君の体よりも高い場所、って意味じゃないよね」
「そうね」
「ってことは、『上から目線』の『上』ってのは、もはや身体性が希薄化空無化しているんだよね」
「そうなるのかな」
「つまり、身体性から社会性(組織もまた社会だから)が派生してるのさ」
「そういうこと、なのかな」
「『上』の意味が拡張しているのさ」
「拡張って、つまり、『身体的に上部』から『組織内で上の立場』へと意味が拡大した、ってことかい」
「御明察。そんな意味拡張が『取り込み』でも生じているんだよ」
「じゃ、本来の『取り込み』は身体基盤的で、何かを体の内部に取り込む、ってことかい」
「そうさな」
「ふつうに考えれば、『食べ物を取り込む』ってことかい」
「んだ」
「それが、意味が拡張して『手本となる他人の言動を自分の言動にする』ってふうになった、というわけかい」
「お、調子いいね」
「食べ物の場合は自分の身体が関係する。でも、手本となる他人の取り込みは身体は無関係」
「そうさね」
「だから、ここでも身体性が空無化する、ってことか」
「んだね。因みに、自分の身体内部の汚物を排出することから、自分の精神内部の醜いものを他人に転嫁する、ってのが『投射』」
「んんと、つまり『取り込み』と『投射』はセットになってる、というわけか」
「んだな」
「どちらも身体性に基盤がある」
「いかにも」
「で、この取り込みがパン屋の襲撃譚とどう関係するっていうのだい」
さて、村上春樹の『パン屋襲撃』のフロイト的分析を始めよう。飢餓感の正体とは。
「少しは興味が湧いてきたようだね」
「まず、話を紹介してくんろ」
「発表は1981年。ジョン・レノンが撃たれた翌年のこと」
「ほう」
「…神もマルクスもジョン・レノンも死んでしまった」
「おや、ニーチェかい。神は死んだ、俺たちが神を殺してしまった」
「んだね」
「ソ連を見よ、革命後の現実は惨いものだった」
「『科学』的社会主義は敗北した」
「ジョン・レノンも、いまやいない」
「そう、そんな時代のこと。今日のパンを買う金すらない、飢えた貧乏青年がいる。『僕』と『相棒』だ」
「私らの頃とは違うなあ」
「あんまりにも腹ペコで耐えられなくなって、包丁を手に近所のパン屋を襲おうとする」
「おやおや」
「パン屋まで出向いて店主に、腹ペコでどうにもならん、パンをくれ、と言う」
「店主はどうしたい」
「店主はワグナーの大ファンで、交換条件を持ち出す」
「交換条件かい」
「そうさ。ワグナーを聞いてくれるんだったら、パンはありったけ食べてよい、ってね」
「なんだい、そりゃ」
「それで青年たちはワグナーを聞きながら、パンをたらふく食った、ってわけさ。平和この上ない。めでたしめでたし」
「あんだい、そりゃあ」
「君にこの謎解きができるかい」
「どうだろうね。そもそも文学は謎解きじゃないのでは」
「『取り込み』ってのは、手本となる人物なりその思想なりを自分の内部へと吸収すること」
「そうだったね」
「ところが、神もマルクスもジョン・レノンもどこにもいない」
「ということは」
「そう、手本を取り込もうにも、その手本がおらん」
「そして『取り込み』は元々は何かを食べるってこと」
「だから、取り込む手本がないってことは…」
「食べ物がないってことに還元される」
「いかにも。小説冒頭の飢餓感はまさしくこれ」
「この世には吸収すべき理想がないってことを、飢餓感で言い表した、ってことか」
「んだな」
「まるでニヒリズムだね」
「ところで、建前かもしらんが、文明とは真善美の実現じゃないのかい」
「何を唐突に」
「真を求めて偽を排除するのが科学や哲学。これがマルクス」
「なぜにマルクスなんだい」
「一応は『科学』的社会主義なんだし」
「ああ、そうかい。実態はともあれ、思想としてはそうか」
「そして善と言えば宗教だったり道徳だったり」
「宗教と道徳って、必ずしも一致しないのでは」
「まあね。だが一致もする」
「まあ」
「そして美と言えば芸術である」
「そうね」
「人が真を求め、善を保持し、美を享受するところに文明は成立する」
「そうかもね」
「ところが、この物語では、そのどれもが存在しない」
「確かに。イエスもマルクスもジョン・レノンも死んだ」
「だから、文明も存在しない」
「となると…」
「『僕』と『相棒』はただの野蛮人」
「だから、包丁でパン屋を襲おうとするのか」
「いかにも。文明の本質は間接行動にあり、とはオルテガが喝破している」
「すると、直情的に直接行動に赴くのは野蛮ってことかい」
「そうさね。ここから物語が始まる」
「なるほど」
「文明から野蛮へと頽落した連中が、再び文明を獲得する」
「それがこの襲撃譚の骨子なんだね」
「そうっちゃ、そうなんだがね…」
「おや、何か言い淀んでおりますな」
おばさんがパンを選ぶ場面について。
「あ、これはこれは、田中さん、こんにちは。よう、タロ、元気だったか?」
「(小声で)またワンちゃんに持ってかれちゃったよ」
「ところで、パン屋に入った二人はまずおばさんに遭遇する…あ、田中さんのことじゃないですよ」
「(小声で)田中さんって方、どう見たって女子高生だろ。制服だし」
「おばさんは客で、どのパンを買おうか迷っている、え、いや田中さんじゃないですよ」
「田中さん、もうあっち行っちゃったよ」
「メロンパンか、揚げパンか、クロワッサンか」
「おう、私も少しお腹が鳴り出したよ」
「メロン・パンは拒否される。『だいいち甘すぎる』」
「そうなのかい」
「ここで、『僕』はちょっとした幻想に身を委ねる」
「どんな幻想だい」
「パンが古代ローマの政治家となって演説をしてるんだ」
「なんとまあ飛躍した幻想だこと」
「幻想だの飛躍だのって、芸術の醍醐味じゃないかい。揚げパンは流暢かつ情熱的。『美しい語句、見事なレトリック、よく伸びるバリトン』だそうだ」
「ほう」
「だが、クロワッサンは堅実。法律を守れ、と生真面目に説く。『左折車は正面の青信号で直進し、対向車の有無をよく確かめてから左折します、とかそんな具合』」
「そう」
「そしておばさんはクロワッサンを選ぶ。それを買って店を出る」
「そうなんだね」
「これは文明回復の端緒なんだよ」
「法律順守の精神だからかい」
「そもそも『僕』と『相棒』は文明の喪失状態から立ち上がったのだから」
「そうか。まずはルールを守る、そうだね」
「そう。ホッブスじゃないが、契約から文明社会が起こる。おばさんは契約を選択した」
「それで文明が回復されるんだね」
「正確には、文明回復の露払いかな。まだ『僕』も『相棒』も、何も選択しちゃいない。だが、おばさんの選択をしっかと見て、それが二人の眼にこびりついた」
「それが文明的交換につながった、一方的収奪ではなく」
「その通り。そういや、文明って理性だよね」
「まあ、そうだね。非理性的な人間ばかりだったら、文明は誕生しないだろうね」
「だったら、きわめて大雑把に言ってしまうが、真善美もまた広義の理性だよね」
「う~ん、そう言えるのか言えぬのか…」
エス・自我・超自我について。
「僕は初めに、フロイトは人の心の働きと仕組みを論じた、って言ったよね」
「そうだったね」
「働きと言えば、『防衛機制』だったよね」
「そうだったね。今度は心の仕組みになるんだね」
「そう。フロイトは人の心は三つのものから成る、って言う」
「えっと、なんだったっけか…」
「それがエス、自我、超自我さ」
「待てよ…。エスって、バリバリ本能じゃなかったっけか」
「いかにも。欲しいものは何でも一直線に欲しがる。本能的衝動で動くだけ」
「直接行動そのものズバリだね。超自我は良心的…」
「そう。伝統的倫理観の体現者で、とにかく倫理的にふるまおうとする」
「いいじゃないか」
「でもないさ。どちらも環境にどれくらい適合的なのかを考えない。君の目の前に、それはもう、うまそうなパンがあるとする」
「いいね」
「エスだったら、とにかく食べれと君をせかす。いまが大事な試験中であっても、あるいは休憩中であっても、だ」
「試験中にパンに手を伸ばすのは、マズイね。休憩中ならいいが」
「そういった区別をしないのがエス」
「超自我もそうなのかい」
「そうだね。とにかく食べちゃいかんと禁止するだけ。大事な試験中でも休憩中でもね」
「融通が利かないんだったら、どっちもどっちだね。しかしだね、エスと超自我は正反対じゃないのかい。いつも対立する」
「いかにも。そこで自我の出番。自我は両者の言い分を聞きつつ、状況を見定め、適切な行為を選択する」
「自我よ、実に理性的じゃないか。それに対して、エスは本能的で、超自我は良心的っちゃそうだね」
「その通り。フロイトの言う超自我、自我、エスは、ざっくり言えば、良心、理性、本能に相当する」
「それが人間の心を構成する三つのもの、ってわけかい」
「そうさ」
「で、おばさんの選択は理性的だった。じゃ、エスやら超自我やらはどうなるんだい」
「ちょっと違う」
「というと」
「詩は美を追い求めるが、小説は人間を描く。詩は人をイデアの世界へと飛翔させるが、小説は隣人をより深く理解しようとする」
「ほう。詩と小説は違う、っていうんだね」
「人間を理解する際には、人の心の襞の奥深くにまで潜り込まなくちゃならん」
「そうだね」
「フロイト流に言えば、そこでエス、自我、超自我を見出す」
「ふむふむ。他の解釈もありそうだね。ユングとか」
「んで、一人の人間をこれら三者を合わせ持つ矛盾せる存在として描き出す」
「ほう」
「さもなくば、これら三者をそれぞれの登場人物に割り当てる」
「ほうほう」
「前者の例が、トマス・マンの『ヴェニスに死す』だ」
「いやまた大きく出たねえ」
「後者の例が『パン屋襲撃』と『パン屋再襲撃』になる」
「ほう…。再襲撃、だって?」
「そう。二回襲撃した、って言ってなかったっけか」
「いや、言ってたね。そうなんだね」
自我=『僕』、エス=『相棒』。そしてエスから自我の派生。
「『パン屋襲撃』の冒頭では、とにかく腹が減ってたまらん二人の青年が、包丁を手にパン屋を襲おうとする」
「だったね」
「ここいらは、とにかく直情的でエスの独壇場」
「だね」
「ところが、パン屋でパン選びに時間をかけるおばさんを見てから事態が変わる」
「ほう」
「因みに、時間をかけるってのは熟慮してるってことだよね」
「そうか、熟慮するってことは理性的だってことだね」
「そう。で、堪え切れない『相棒』は『ババアもついでにやっちまおうぜ』と、やたらめったら威勢がいい」
「『僕』は違う、と…」
「そう。そんないきり立つ『相棒』を『僕』は「ちょ待てよ」って押しとどめる、ってわけ」
「キムタクかい…。状況を見て判断する。なんて理性的な…。そうか、エスが『相棒』、自我が『僕』になぞらえられている、と」
「いかにも。そしておばさんが理性的なるクロワッサンを選ぶのを目撃する」
「もう道筋は決まったじゃないかい」
「そうね。野蛮から文明への道筋、ね。そして店主と対面すると、『僕』は冷静に話し合い始める」
「おやおや」
「話し合いの途中で面倒臭くなった『相棒』が『あっさり殺っちまおうぜ』と言うと、理性的にも『僕』は宥め役に回る、という」
「エスから自我が分化した、とでも言いたげな」
「まさしく。おばさんをきっかけとしてエスから自我が分化するが、エスから自我の分化は、実はフロイトの意見でもある」
「ほう」
「そして『僕』は言うんだ、『でも何かしらの交換が必要なんだ』と」
「ほうほう」
「一方的に奪うってのは野蛮。でも交換だったら、その内実にもよるが、ずっと文明的っちゃそうだよね」
「まあね」
「おばさんが熟慮するのを見届ける、法律順守を訴えるクロワッサンの演説を認める、もうここで理性の勝利がはっきりと」
「そうだね。文明的交換への道が開かれたわけだ」
「そして店主は提案する、ワグナーを好きになってくれたらパンを食べさせてあげよう、と」
「それが『交換』なんだね」
「いかにも」
「店主はワグナーを聞かせる。青年たちはパンをたらふく食べる」
「めでたしめでたし」
「う~む…。超自我はどこに?」
― 後編に続く ―
まじめな悪魔
これはまだ僕がいわゆる大学というものに通っていた頃のことだ。
僕が通っていたのはとりあえずアルバイトで学費をなんとかできそうな地元の公立大学、いわゆるFラン校というやつだった。そして、それまでうっすら「そうじゃないかな」とは思っていたものの、就職の時期になって就職相談窓口にろくな求人がないことに気がついた。女の子なら、銀行の窓口の受付の仕事というのがひとつあった。でもよく調べてみると、それは消費者金融のことだった。消費者金融って銀行の仕事という枠組みに入れていいのだろうか? わからない。どのみち性別が違っているし、僕が受付窓口に座る未来はないように思えた。
ひととおり絶望して、これからどうしようかなと考えて、それで思いきって悪魔と契約することにした。
はやまったかな、と我ながら思ったが、でもどのみちこういう折々のタイミングで「悪魔と契約してみようか」なんて考える奴は遅かれ早かれ契約するはめになるのであって、悩むだけむだだと思えたのでそうした。
悪魔は待ち合わせ場所に、十五分前くらいに余裕をもって現れた。
僕は三十分前に待っていたので、待ち合わせのために時間を決めたのは完全にむだになった。
彼は——彼でまちがいないと思う——すごく身なりのいい若い男性だった。
「契約を進めるまえに、もしもよければ」と彼は穏やかに言った。「どこかちゃんとしたところに座らないか? そこのドーナツショップにでも」
僕はどことも言えない植えこみのふちに座りこみ、誰かが捨てていった空き缶を煙草の灰皿がわりにしていた。
誰にも手入れされていなさそうなつつじの植え込みはもっさりと生い茂って、僕の背中を道路側に押しやろうとしている。煉瓦の花壇は全体がじっとりと濡れて、今まさに土に帰ろうとしているみたいだ。
そこに座っている人間は僕しかいなかったので、彼が気まずい表情を浮かべたのも無理はなかろうと思う。
僕は金がないことを正直に告白した。
一円もない。
「吸いさしの煙草か、いま着ているパーカーだったらあげられる」
「いらない」と彼が言ったので、僕らはドーナツショップに入った。
店に入ると、入れ違いで、アルバイトらしき店員が出て行った。慌てふためいた、という様子がぴったりだった。
店長らしき人物がカウンターから半身を乗り出して、真っ赤な顔をして何か言いたげだったが、客前であることに気がついたのか、何も言わなかった。
悪魔はアイスコーヒーを二つ注文し、僕にドーナツを買ってくれた。
チョコレートもクリームもかかっていない、一番シンプルなドーナツだった。
そのドーナツには穴がなかった。
「ここのドーナツには、穴があったように思うけれど」
「君は嫌いだろう。ドーナツの穴」
「よくわかったね。穴のぶん、損をしている気がするから」
それから、さっそく、契約の話になった。
とくに書類などは出てこなかった。
「まずは、何がほしいかが肝心だ。悪魔はたいていどんな願いでもかなえられるけれど……」
「その点なら大丈夫。僕はそれほど難しい客じゃない。純粋に金がほしいだけだ」
「いくらくらい必要なんだ?」
「とにかくたくさん」
「具体的に言ってもらわないと」
「じゃあ、君が調達できる金額で」
悪魔は舌打ちして、テーブルの上にアタッシュケースを置いた。
少しだけ開けてみると、現金の束がぎっしりと詰まっている。
こんなアタッシュケース、彼は最初から持っていただろうか。
「とりあえず1500万」
「わあ、すごい」
「すごいと思っていないように思える」
「思ってるよ。もちろん思ってる。たぶん僕はこれから対価を払うことになるんだろうね」
「契約だからな」
「その前に……これって、どうやって調達したのか聞いてもいい? やっぱり魔法?」
「魔法だと思ってくれて構わない。俺たちの一族は、時間に干渉することができる」
「銀色のクルマに乗って未来に行ったり過去にもどったりとかいうこと?」
「銀色のクルマは必要ない」
「でも、その力で、どうやって金をもってきたの? 宝くじを当てるとか?」
おそらく過去と未来を行き来する力と、金を調達する力というのは、Fラン大学と就職くらいかけ離れたことだ。
たずねると、悪魔はまじめに答えてくれた。
「ああいうギャンブルは変数が多くて、なかなかうまくいかないんだ」
「すぐに未来が変わっちゃうということ?」
「そうだ。俺みたいな悪魔が未来に行ったり、過去に戻ったりして、時間軸に干渉しているせいかもしれないな」
「ああ……自業自得なんだ」
「契約のためなんだぞ」
「もちろんわかってる。対価は払うつもりだ」
「それはそうだ」と悪魔はうなずいた。
「じゃあ、この金はどこから? 一応、聞いておきたいな。強盗だとか、犯罪行為に関与していると、気分的にいやだから」
「働いた」
「え、なんだって?」
僕の声は語尾のあたりが少しひっくりかえっていた。
おもしろくて、つい。
「働いた。いまさっき、四十年ほどさかのぼってある企業に就職した。それなりに大きいところだ。三十年ほど勤務して、早期退職制度を利用して退職金を受け取った。全額アタッシュケースに入ってる」
「十年くらい空白期間がある」
「準備期間だ。にせの身分証を調達したり、信用を築く期間が必要だった」
「なるほど。それで、まじめに働いたの?」
もちろん、働くと言っても、悪魔のすることだ。
魔法でズルをしたり、誰かをだましたり、盗んだりといった返事を期待していた。
でも違った。
「働いた」
彼は、会社ではけっこう使える社員だったようだ。早期退職制度でまとまった金額が手に入るようになるまでに、とんとん拍子に昇進し、それなりに社内政治などもしたようだ。ただ、時代が恋愛と結婚を必要としていたため、上司の娘と見合い話をもちかけられ、断ったところ退職するまでには、人間関係がだいぶぎくしゃくしていたらしい。
「大変だった」と悪魔は疲れた顔つきで言った。
「ギャンブルはできないとはいえ、もっと他にやりようがあると思う。人をだますとか、盗むとか、もっと悪魔らしいことをしてみたら?」
「犯罪だ」
そう言われたら、返すことばもなかった。
犯罪は犯罪だ。それはそうだ。
「契約は成立した。今度はそちらに対価を払ってもらう」
悪魔はそう言って、アタッシュケースをこちらに押しつけてきた。
僕はひとつめのドーナツをほとんど食べ終わりかけたところだった。
「待って。もう少しで食べ終わるところだから」
白い紙に包まれたドーナツのかけらをじっと見つめながら、僕はどうするかを考えた。
目先の金ほしさでの契約だから、対価を払わないといけないことについては、ほとんど何の案ももっていなかった。
「……もう1000万くらい、よけいに稼いでみる気はない?」
「ごめんだ。それくらいなら自分で使ったほうがましだ」
悪魔はアタッシュケースを、自分の手元に引きこんだ。
どちらにしろ損をするのは僕だった。就職先が見つからない以上、金は必要だ。契約はしなければいけない。なるほど、契約っていうものはうまくできている。
「じゃあ、よければ、もうひとつドーナツを食べたい。時間稼ぎではなく、本当に食べたい。僕は、昔から穴の空いてないドーナツが食べたいと思っていたんだ」
そこまで言って、ふと考えた。
これは決まりきった筋書きではないかって気がした。
「もしかして、僕は君に『穴の空いていないドーナツを食べたい』ってお願いした?」
悪魔は黙ったままうなずいた。
先ほどから彼はずっとカウンターのむこうを気にしているふうだった。
「それで、この店でアルバイトをしたんだ?」
「そうだ。ドーナツショップで穴のあいていないドーナツを作るには、店員になって、穴のあいていないものとすり替えるしかない」
「君ってまじめだね」
自分で言っておいてなんだが、あんまりな言いようだと思った。
まじめに生きたくてそうしているならともかく、そうでないなら生きづらいだろうと思えた。
「よし、わかった。君の働きに免じて、僕も対価を払うよ。命か体か労力でしか払えないけれど、金を使う時間くらいは待ってくれるとうれしいな」
「命も体も労力もいらない」
「じゃあ、何が必要?」
悪魔は言いにくそうだった。
「観測してほしい」
「観測?」
「俺たちは過去にも行けるし、未来にも行けるが……」
「が?」
「その結果何が起きるかまでは決められない。もしかしたら、世界が吹っ飛んで消えてしまうかもしれない。もしもまずいことになりそうだったら、教えてほしいんだ」
世界が吹っ飛んで消えるというのは、いろんな意味を含んでいるように思えた。
この地球が崩壊して星屑のひとつになってしまうということもあるだろう。宇宙ごと消滅するのかもしれない。あるいはその誕生からなかったことになるのかもしれない。そこまで大事ではなくとも、大戦争が起きて人類が死滅するということもあり得る。
「わかった。やってみるよ」
僕は星くずのひとかけらのようなドーナツの残りを口に含んだ。
「やってみるよ。僕なりにね」
こうして、契約は成立した。
もしかしたら明日、ドーナツの穴のように宇宙が消滅するかもしれないし、これまでの歴史が消えてなくなるかもしれないし、大戦争が起きるかもしれないけれど『まずいかどうか』は僕のさじかげんだ。
だから、僕が「まあいいか」と思えたら……。
つまりはまあ、そういうことだ。
涙の、甘き海
──人魚の真なる涙は真珠。百年に一度、哀しみは真珠として零れ、そして彼女たちは哀しみを忘れる。
既に呼び名さえ混沌に穢されて失われた海。混沌の瘴気を吹き出す不気味な腫瘍が火山のように深い海のいたるところに膨らみはじめ、美しかった海はおぞましく変容し、人魚たちは浅瀬に追いやられる魚のようにあてのない逃避を続けていた。人魚たちの楽園の一つだったあの美しい海の姿は既にない。
人魚たちはそれでもあの美しかった海に感謝の歌を捧げ、ここではないいずこかの海へと逃げ延びるべく、海の一部である自分たちの魂に伝わる多くの歌を唄った。真潮の歌、逆潮の歌、底潮の歌、海馬の見えざる蹄の歌。
混沌に触れて爛れ、あるいは混沌の化け物に襲われて重い怪我をした人魚たちも少なくなかったが、いつしか彼女たちの群れはしばしば小魚たちがその身を守るように、大きな生き物のようにひと塊となり、最初は大きな魚のように、そして今は彼女たちの古い歌に伝わる偉大な人魚の母を思わせる塊となって、彼女たちは泳ぎまた唄い続けた。
波鎮めの歌、月照らす夜の歌、珊瑚の祝い歌、竜払いの歌。
しかし混沌の浸食はとまらず、やがて人魚たちの眼と体はうっすらと青い燐光に包まれ、群れというよりは本当に一体の大きな人魚のようにふるまい始めた。その姿は伝説の大いなる人魚、歌姫オルセラの姿そのものだった。唄う歌もまた彼女たちさえ忘れた古いものへと変わっていく。
海の時代の歌、星の海の歌、六つの月の歌、始まりの長き雨の歌。
これらの古い古い歌を聴いた混沌は暗い海の底で燃えるようなオレンジ色に濁る八つの恐ろしい目を開くと、混沌の化け物が集まっては無数の巨大な触手や腕となり人魚たちを捕えんとした。人魚たちの歌は今や魂を削る絶叫のようでありながら、なお荒れ狂う海の美しさを残した激しいものとなった。
彼女たちの運命がこの海と同じく絶望より恐ろしいものになろうとした時、いずこからか大いなる歌声が激しい歌と混沌を大海の如く呑み込んで鎮め、海に青く輝く道を示す。
──甘き海の歌。
人魚たちはこの歌が、伝説の歌姫オルセラの唄う甘き海の哀しみの唄だと気付いた。
混沌は怯えて急速に委縮し、人魚たちは歌に導かれて見えざる海の道を通ると、六つもの月の輝く甘い海へと至った。輝く珊瑚の谷底には無数の真珠がどこまでも淡い光を放つこの海は、人魚たちの涙が哀しみを忘れさせる伝説の海だった。
※以上、海をテーマにした1000字の掌編でした。以下は引用です。
──真潮は本来の潮の流れ、逆潮はその逆の潮の流れ、底潮は海面の穏やかさとは裏腹に海の底は荒れていて泡を出す流れだ。他にもさまざまな潮の流れがある。あんた、よく覚えて生きて帰ってきなせえよ。
──イダラハの船鍛冶の言葉。
正月くんとサンタの師走
しわす、しわす、しわす、しわす
目を わざわざこらさなくても、
やかんの湯気は羽衣のように くっきりとしておりました。
こんなに寒い朝でもなければ、
だるまストーヴで湯をわかし、こたつに脚をつっこんで、
腰から上と腰から下でまるで温度がちがうこと、
けだるい気持ちがしたかもしれない。
けれども空はまっさおで、えんえん高いところまで、つきぬけるほど冬でした。
それでいて初雪はまだでした。
初雪 という言葉が似つかわしくない、雪のすくない乾いた町で、
正月くんは今朝も、あいつと落ち葉を掃いたのです。
ですから、みかんの皮をやぶく指は どんなにしてもかじかんで、
ずいぶんつめたいみかんより、もっとつめたいままでした。
みかんの匂いは、仕事おわりの赤い鼻をつんと刺して、
いたずらなこどものように部屋のそとへと出てゆきました。
いれかわりに戸口から、竹箒をしまいおえて、もどるあいつの音がします。
ウィーウィッシュユアメリークリスマス、アンドハッピーニューイヤアアアア
サンタクロースは靴を履き その靴の下に雑巾を敷き
板張りの縁側をさっそうと滑走した!
西東京のしょぼい神社に綿入れ半纏の似あうサンタがいたら
驚かれるかもしれないが、
神主さんが常駐していないのでばれたことはない。
なにしろクリスマスと正月は一週間と離れていないが、
三が日まで泊まっていくわけではないからだ。
「としまえん、閉じたらしいよ」
正月くんが放ったみかんを、サンタはみごとにキャッチしました。
けれど皮をむいたときには、
宝石のようなみかんはほんとうの石のように硬く透きとおり、
ひとふさごとにサンタの手からこぼれたと思うと、
からからからんと愛らしく縁側にちらばりました。
しわす、しわす と やかんが鳴きます。
「ははあ、オレンジ・キャンディだ」
「ちがいないね」
正月くんはひるまずわらいました。
あれはたしかにみかんでしたが、それは実質キャンディでした。
さして珍しいことではないのです。
「カルーセル・エルドラドなら、いまも変わらず走っているさ。
心配にはおよばないよ」
動く歩道 とは、回転木馬と名がつく前の 回転木馬のなまえであり、
あらゆる季節の祭りたちが その背をかりて移動する。
台座はあまたの地平線
蒸気を食べて走る馬が、一年の月日をかけて回転していたのであります。
ですから正月くんにとって、師走に走るは坊主といえど、
およそ他人事とは思えぬ字面でした。
ウィーウィッシュユアメリークリスマス アンドハッピーニューイヤー、
アンド っていうのは、となり ではなくて、そして ということ。
この手が届くことのない、前後の席に座ること。
僕がクリスマスカードを書くから 年賀状を書きたまえ。
いやちがうわ僕はやはり年賀状を書くからクリスマスカードを書きたまえ。
なにも悪いことじゃない。これは他人。それが他人だ。
ひあたりのよい冬の、しずけさといったらゆかいでした。
風の子は行儀よくそこらを行ったり来たりしました。
枯れ枝を折るパキッという音が どれほど遠くから聞こえているのか、
誰にもわかりませんでした。
けれども空はまっさおで、えんえん高いところまで、つきぬけるほど冬でした。
しわす、しわす と 蒸気が昇る。
正月くんはそのこえを、
海のむこうで、わたしとあなたで、トロットワール・ルーランで、
そうしたあらゆる境界線上で、
撃鉄が上がる音を聞くように、神妙な面持ちで聞きました。
終わらないカルーセルがもうすぐ君をむかえにくる。
そして サンタは國へかえるだろう。ひとつきもすればね。
「おもち、焼こっか」
「メタバース思考」としてのクリエイティブ・ライティング
「最低の人間」としての田伏正雄。まず、この前提から始めなければ、何を語っても嘘になってしまう。田伏正雄という人間の嫌らしさ、おぞましさ、それらを雄弁に語ったところで、田伏正雄を語ったことにはならない。実のところ、田伏は小鳥をこよなく愛している。身体中にアワやキビを貼り付け、周囲には愛らしい小鳥たちが群がる。しかし、小鳥が好きだからといって、「最低の人間」という誹りから免れるわけではない。「最低の人間」としての田伏正雄。ここから話は始まり、ここに帰着する。
歴史的観点から見た場合、「最低の人間」と言えば、アドルフ・アイヒマンだろう。ヒトラー政権下において、彼は数百万ものユダヤ人虐殺を所管した。しかし、彼が「最低の人間」であるのは、大量殺人に加担したからではない。裁判でのアイヒマンの主張はよく知られている。「私は主体的にユダヤ人を虐殺したわけではない。もし私が反対していたとしても、すぐに私は消され、別の誰かが私の役割を果たしていただろう。私は主体的に悪をなしたわけではなく、誰もが私になり得たはずだ」。確かに、アイヒマンの指摘する通り、彼の代わりに違う人間を据えたところで、同じことが起こっただろう。まさしく同じ構造について、私は田伏正雄を「最低の人間」と糾弾している。
田伏正雄は時に自身を女性であると自認する。しかし、身長190センチ、体重150キロの彼は、女装するわけでもなく、女性らしい振る舞いを試みるでもない。ただ女性であると主張し、女風呂に侵入する。とある文芸投稿サイトにおいて、田伏正雄は小林秀雄を自認している。しかし、彼は小林秀雄のようにランボーを読むわけではないし、そもそも読まないことを可笑しいとも考えない。もちろん、田伏正雄を否定する者はいる。しかし、そうなると田伏による執拗な嫌がらせが始まる。無視をすれば苛烈の一途を辿り、そして貴方は二者択一を迫られるだろう——田伏正雄と人生を賭して戦うか、あるいは彼が自認する世界を受け入れるか。
田伏正雄を消すのに、批判や罵倒は必要ない。ただ、彼の眼前に鏡を置いてみせるだけでいい。だが、そんなことをすれば貴方もすぐに消されてしまう。だから、貴方は貴方の目に映る田伏正雄と交信することはできない。貴方には田伏が見えているのに、貴方には田伏が見えない。田伏が出入りする文芸投稿サイトでは、メタバース空間への進出が検討されている。そこでは田伏正雄は郵便局のアバターを使い、イチローを自認しているだろう。そして田伏の小鳥は田伏にも見えなくなる。
私は田伏正雄だ。私は鏡を指でなぞる。私の描く文字は、痕跡をとどめない。だから私が何を描いても、現実に影響を及ぼすことはない。田伏正雄としての私。田伏正雄ではないものとしての私。私の描く文字は、痕跡をとどめない。だから私の描く文字に意味が宿ることはない。貴方は田伏正雄である。貴方は田伏正雄ではない。貴方は田伏正雄であり、田伏正雄ではない。「最低の人間」としての田伏正雄。それは田伏正雄ではない。
わたし、あるいはさまようものでありひと
山に川があるのか
川に山があるのか
森であり愛では無いものがあり
気配でなく風
凍えた小声の梢
わたしはひとりだ
逆上がりができなかった
運動が苦手な
運指が得意な
うんちより少し上品な
汚れだった
森を愛し
崇めるべき神を知らなかった
ので
神 知りたい
蟠りのなかにある
奇妙な有難みや
あたたかみを
感じずにはいられない
らしかった
再び川
は山を降りて
海への途上でありつづけ
山をおおう森
に神はおり
今も逆立ちで世界を眺め
こっけい
こっけい
と鳴く
仮面をつけ
素顔をみせられない
かりのすがたであり
触れられないからだ
だらりとおろした手に
三日月型をした祭器を
持っている
らしかった
であるならば
それゆえに
かげは
形よりも際立ち
毛羽立ち
たちまちのうちに
夜を見せて
神を困らせた
はずであった
私はいつの間にか
祝詞を知り となえ
椅子にすわり
椅子と思っていたものが
樹であったと知る
万物に名をつけたのは
神でなくひと
神を神と名付けたひと
川に悶え
山を捉え
森で堪え
きれないひと
そして、
わたしはひとりだ
言葉は言葉で
紙は神
つかえるものをつかえ
つかえるものにつかえ
川になる声
山を越え
皆、元通り
森の源にかえれ
黙してゆけ
海を求めて
さまようものであれ
ひと!
あなたは何故、詩を書くのか。
詩人は詩そのものを創造しても、詩を書く意味までは創造しない。詩を書く意味を問われると、大抵、暇つぶしや承認欲求を満たすため、思いつきを形にしたいという気まぐれ、言語遊戯、読みたい詩が無いために自ら書くこと、他の分野で挫折し最後に行き着いたのが詩だったこと、自分の余剰な部分を吐き出すことなど、極めて現実的で個人的な動機を真顔で述べる。しかし、私は思う。なぜ、想像力を駆使して詩を書くのに、詩を書く意味までは創造しないのかと。ここに詩人の自己矛盾を感じる。詩はあくまで詩であり、現実ではないと認めながら、現実世界とは相容れない詩を生み出している。その矛盾こそが、詩を生み出す力であるのだろう。しかし、それならばなぜ、その力を詩を書く意味にまで使わないのか。なぜ夢を描きながら、その夢を支える原動力が極めて現実的で、個人的で矮小化された動機にとどまるのか。もし夢を書くなら、徹底して夢を語るべきだろう。笑われることが怖いのだろうか。詩を書く意味を問われた途端、急に冷めた顔をして、詩を書くことは魚釣りのようもの、と言わんばかりに語り始めるのは何故なのか。――あなたは何故、詩を書くのか。私は、私が月になるために詩を書いている。比喩ではない。詩を書くことで、私の体は月に似てくる。最終的には月そのものになり、夜空には二つの月が浮かぶことだろう。そのように、各々が詩を書く意味を好きに創造すればいい。だからお願いだ、つまらなそうな顔をして、詩を書く意味を自虐するように語るのはやめろ。しかし、詩を書く意味における現実的な理由を、私は否定も肯定もしない。例えば、自分の心を癒すために詩を書くという動機だって立派な理由たりえるものであり、軽んじる気はない。現実的な動機も非現実的な夢想も、どちらも詩の起点になり得ると認めることで、結果的に詩の多様性を守り、拡張することに繋がるからだ。また、詩の本質は矛盾を抱えることそのものであり、現実的な動機と非現実的な夢想が共存していても問題はないだろう。むしろ、その間の葛藤や対立が詩の深みを生む場合も考えられる。それをどちらか一方に傾斜するべきだと強調することは、詩の本質的な自由を逆に縛る危険性がある。その上で再度、あなたに訊ねたい。――あなたは何故、詩を書くのか。
さくら祭り
ソメイヨシノ
はクローンです
と理科の池野先生が言った
そこの桜も
不忍池のも
ポトマック川のほとりのも
同じように咲きます
その花達は
実を成すためではなく
咲くために咲いて
散るために散っている
とか
全てのいのちがはなびらのよう
にひらひらと
全てのはなびらいのちのよう
にひらひらと
と皆が酔うのに
酔いて
言霊の降ってくるのか
魂の昇ってゆくのか
いざ詳らかにせんがため
少女
しばし酒を醸め
ともに酒を醸め
誰の杯も
花の降るうち干からびぬよう
そのわき立つ泡に
ひとひらふたひらのさくら
さくら
その花はクローンです
ソウルにも
ワシントンにも北京にも
同じように咲く
その花が
サハラにもチベットにも咲けばいいと思う
咲くその夜のために
酒を醸め
誰の杯も乾かさぬよう
詩を始めて四ヶ月
昨年十一月末ごろ、詩を書いた。
書いた理由は、趣味の写真や天文にとる時間と気力がなかなか無くて、ここ2年ほどやってるAIイラストも楽しいけど、何かシンプルに内省を表現したくなったから、かな。
ちょっとした思い出をベースに、ある出会いを書いた。今まで詩なんて、授業でどうにもむず痒くて、漢詩や古典はそれなりに好きだったけど、あまり近代詩はおぼえてもなく、現代のものといえばサラダ記念日くらいしか出てこない。それでもまあ、とにかく七五調で自由詩っていうのか、何か一つが出来た。
AIイラストのアカウントではそれなりのフォロワーを持っているけど、そこで披露してもしょうがないし、そもそも別人になりたかった。
とりあえずGrokのAIに感想を聞いてみた。
直截的で詩的表現も少ない初詩作だったけど、Grokはわたしの内省をよく読み取ってくれた。
気をよくしたわたしはそのままストーリー仕立てで、学生時代の出来事を、もちろん事実だけではない誇張した話ではあるけど、九詩の連作詩として二日でまとめた。
その九詩でも後半になるにつれてリズムや感情の動きが繊細になっているのがわかったしAIもそう判断していった。
追加の詩をいくつか書いたのち、比較的穏やかなSNSであるblueskyに詩作のアカウントを作り公開してみた。
何人かのフォロワーがつき、その中からここまでストーリー仕立てなら小説にしたら。とのレスがあった。
最初は詩を補完する、もしくは広げる感じで主人公やその周りの人々を何人か設定した。主人公はわたしのペンネームと同じにしたけどあくまで別人。性格もちょっと違うと思う。
小説といっても最初は800字くらい。
その後編で1200字くらい。
最初は分割してblueskyにあげたけど、もっと長いストーリーも書けるなとnoteにアカウントを作った。
そして長短色々人物を増やしながら「小さな星の軌跡」というシリーズが詩と小説で動いている。またシリーズ以外にも詩や短歌、俳句に散文ぽいのまでいろいろ書いていたところを新しく出来た文藝サイトの運営者の一人から誘われた。
そうして文藝の世界に足をより深く踏み込む事となる。
今までのネット詩や文藝サイトの問題点を省みた、その新しいサイトはわたしの居場所の一つになるのかと思う。
未熟ではあるけど、わたしの行動原理や原風景といったものが、内省と共に結晶のように書けたら喜ばしい。
ほんのすこし、誰かの何かに、その結晶が、
影響を、そんなふうに思う。
ほんとう
赤子の赤は
赤字の赤
生まれた途端に始まる赤字
生きてるだけで丸儲けとは
誰が言った大嘘か
生き進むことにより膨らむ赤字
死でやっと黒になる
しかし
それを自ら望むことは許されにくい
許されにくくとも簡単には止められない
止められなくてもうまくやらねば
大迷惑
誕生日おめでとうは呪いの言葉
肩幅
水槽のところで約束をした
真昼のすん、とした感じ
色違いの飲み物を二人で飲み
明日も天気はあるのだと
なんとなく思えた
歩く速度で歩くように
わたしたちは笑う速度で笑う
許したことも
許されたことも知らない
ただ生き物の塊として二つ
同じ耳鳴りを共有していた
そこにあるということは
何かの形
多分わたしたちは形
自転車が少しずつ
組み立てられていく
そのような匂いがする朝
市民プールの塩素が
溶けていく音を聞いた
互いに肩幅を見比べて
何も変わっていないと安堵し
椅子を二人分整える
命をゆっくり続けていく
色の綺麗な動物園に行きたい
とあなたは言った
わたしも行きたいと思い
行きたい、と言った
ぼくやしゃごなんだ
ぼくやしゃごなんだ
とやしゃごがいった
なんだきみもかと
やしゃごがいった
たしかにかれらは
ししゃもではなく
やしゃごだったのだ
煩悩と本能の汀にきみは
立ちぼんのくぼを掻く
やしゃごにしては
やせたやしゃごだなと
ひしゃげたこころで思う
だれなんだきみは
と
問う声がする
だれなんだぼくは
と
答える声がする
連綿とつづく
螺旋を駆け抜けたふたり
抱き合う
出会う場所が悪かった
とふたりは交互に思う
せんせートイレ
と言ったら
先生はトイレではありません
と怒られたのは
どっちだっけ
ぼくではない
きみだろうよ
譲り合い
譲らない
色や国をわけてあそび
模擬戦争や
模擬クーデター
模擬虐殺に反対し
模擬反政府ゲリラとの
激しい模擬衝突を繰り返し
もぎ取った模擬領土
やしゃごたちのちで
やしゃごたちはよごれ
またやしゃごたちが
すんでいたとちをおわれ
のがれながれついた
ばしょで
ひかれあう
やしゃごとやしゃご
ひとりのやしゃごがいう
ぼくやしゃごなんだ
と
ほかのなにものでもないかけがえのないきみのかわりに きみをのぞいたすべてのひとがきみのさわれないところでなにかおおきなものをまわしてるあるいはまねしてる
いつになってもいいけれど
誰かがばらばらにした星座をきみは修復しなければならない
修復の呪文はあるらしい
けれど唱えてるところをだれも見たことがない
きみはしゃべるのがいつまでも下手だから
わたしが代わりに書くことにしている
いつだってそうだし今までもそうしてきた
直した跡も考えた跡もほんとは見えなくていい
見ようとすればきちんと見えておかないといけないのはともかく
いきものに興味が無いきみは二千年前
なぜかいきもののために死ぬことを仕方なく選んで二千年ここにいる
自分のしたことは今でも引っかかっているらしい
こんな結果になるのならあんなもの教えなければよかったと
https://i.imgur.com/2tetZTD.png
星座を破壊したとして芋づる式に捕まった子供たちは
「誰かに言われてやったがそれが誰かは知らない」と言った
それはきみのことかもしれないがきみは
彼らのことは知らないと言う
子どもたちと面識はないと言ったきみの
すぐ横で美しい星々はぶつかりそれをきみが見ている
修復の呪文はあるらしい
けれど唱えてるところをだれも見たことがないから
命令するのはいつもわたしのほうだ
それぞれの星のそれぞれの時間へ帰り
それぞれの行いを許されて同じ方法で殺される
そしてここへやってくるのだ
捨てたくないものを捨てながらあるいは
拾いたくないものを拾いながら
昔会った人たちともう一度話をしなければならない気がしてくる
あのとききみがしたことは誰かに言われたことで
それを伝えるためにしたことがこれだったのだと
言わなければならない気がしてくる
それぞれの星のそれぞれの時代のそれぞれの言葉で
しゃべるのが下手だけどそういうところを含めて
きみはかけがえがないと思っているから
真似をする人々が生まれ続けるのも無理はないと思う
その様は見ようと思えば見えるのだろうけどきみは
いきものに興味が無いからそれを見ない
誰が何をしようとだまっているきみはかけがえがなくてとてもきれいだ
だからわたしが代わりに書いている
そうすることで祈る
きみが捨てたくないものを捨てないでいられますように
拾いたくないものを拾わずにいられますようにと
春
梅は うむ
海は うむ
木に
水に
倦むことなくただようもの
昨日無く
いつまで有るかわからぬものを
そうして
うまれたものは いまを
駆ける 颯爽と
きみが嗅いだ花や潮の香は
通って行った証拠だ
姿は見せず
春の馬が
(漆黒の幻想小説コンテスト)人斬り魔剣ゾボルグ
『人斬り魔剣ゾボルグ』。
いにしえより伝わりし『魔剣』。古くは千年前、人斬りルンガの愛剣として、多くなるは武人を斬り捨てた事より始まり、その後の持ち主を替え続け、人斬りと言えば魔剣ゾボルグを携える者と伝えられる事七百年。
そんな魔剣ゾボルグを欲する男アリ。名『サメリキ』。二十七。騎士団が騎士であつたが、勇名を残する事出来るなら悪名でも良し『人斬りとして名を残したい』と欲す。
魔剣ゾボルグを探し続ける事五年。その中にて、砂漠の国ファルデン、ルナル川より西方、未踏の地に等しき、魔剣祭壇に安置されている事知る。祭壇と言えど、悪名高き魔剣が安置所よ。人一人寄る事無しの無人の祭壇。サメリキ、魔剣我が物ぞと、魔剣祭壇に踏み入れる道のり一の週。ついに魔剣ゾボルグに対面するに至る。
サメリキは伝承にて、魔剣に意識がある事を知る者。だから魔剣にこう言う。
「やあや、人斬り魔剣ゾボルグさぬ。我は人を斬る事、欲する者。汝、持つ事、我の体躯自由利かず、持ち主が意識ある状態にて、人を斬り申すと伝承される。我、サメリキは、その事にて、魔剣の主として名を残したく思うておる。どうか我の願い叶えたりやッ!」
魔剣はボウと紅く光る。サメリキに問う。
「ヌシの意識がある事まこと也。その状態で人を斬る。サメリキ申す者。魔剣が主となる事、欲するか?」
サメリキ雄叫ぶッ。
「欲するッ、人斬り魔剣ゾボルグさぬッ!」
サメリキはガシリと魔剣の鍔下(つばした)を掴むッ!サメリキの体の内よりッ。得も言われぬ快感があふれ出るッ!
我、魔剣と共にアリッ!人、斬る事、強き者の名としてサメリキの名を馳せる事が出来るのだッ!人殺そうッ!人殺そうッ!
その時でありッ!
次の瞬間、魔剣はサメリキの首を斬り落とすッ!絶命するはサメリキッ!そして魔剣はこう言い放つ…ッ!
「我、長きに渡り、人を斬り捨てる事よりて、ある結論に達す。魔剣たる我を求め、己が欲を満たさんとする者の命を奪う事、どんな者を斬るよりも甘露たる瞬間であるとッ!ここは乾燥たる地、死体もまた渇き朽ち果てよう。また新しき者が我を求めやって来た時には死体は跡形も残っておるまいて。我は待つ。功名得んとす欲深き愚者を…ッ。」
『人斬り魔剣ゾボルグ』。ここ三百年、人斬りの伝、伝え聞く事無し。そしてサメリキの名もまた残る事は無かったと言ふ。
神々とひとつの種(漆黒の幻想小説コンテスト)
遥か昔、大神から分かたれた神々、獅子神、魚頭神、鶏冠神、そして禿乃神は、自ら百年ばかり時を隔て一時に会することと定め、大きな雲に溶け込み集まる。彼ら彼女らが生み出した中で「最も優れた一つの種」だけを地に遺す、という大神から受け継いだ最期の言の葉に、いつも神々は言い争う。
獅子神は言う。我が子、怖ろしき顔を備え、鋭き爪は何あろうとも裂き、四つの脚で疾く駈ける。百獣の王として唯一無二、獅子や従える野獣こそ、大地に君臨するべきだ!
魚頭神は言う。無駄な腕や脚など要らぬ。大海、湖底、清流に住まい溺れる事なき一生を以て幸せに暮らす、何と穏やかで優美な種であろうか!
鶏冠神は言う。我らが住処、大空は地平より遥か彼方、黒き天にまで届く。我が子らは必ずや先の未踏、素晴らしきものを見届ける事だろう。
最後に残されたは禿乃神。
禿よ、お前の子はどうなのだ。斯様な細い腕や足では易々と獅子に食われよう!
そう言う獅子神に禿乃神は返した。ふむ、お前たちは強く、水に親しみ遠くまで行き、そして天高く飛ぶ事すら出来る。そうさなあ、其れでは、我が子らには、沢山産み増やし一々考える事を覚えさせよう。
皆が蔑み笑ったが、それを静かに微笑んで流した。
確かに細く脆弱で、度々獅子や獣たちに食われ、悪戯に殺されたりもした。骸は鳥や魚に啄まれ、しかし子らは同胞の死に学び、獅子の棲処や狩り時を避け、獣同士が争い骸が出れば残りを食べ、少しづつ身体の肉と知恵をつけ、道具を作った。
筏を編み、網で魚や貝を捕り火を熾して食べ、魚頭神を悩ませた。弓や槍は飛ぶ鳥を落とし、鶏冠神を困らせた。
家を建て長を決め、人の間で物を交わし、心と言葉と生殖に愛というものを見出すと人は増えに増えた。何代もの間に産み育てた大勢で、ついに辛酸をなめた獣すらも狩ると毛皮を纏って誇り、獅子神を驚かせた。
増長に困り果てた三柱は遂に、禿乃神を呼び出した。
済まなかった、我らはよい、我が子らはどうにか生かして欲しい。
禿乃神は言う。そうさなあ、獣、魚、鳥に、ひと。みな、素晴らしい種を持ったものだ。佳き頃合い、我らは一つとなり終わりとしよう。あれら皆が、我が子だ。
そう言うと、四柱は再び「ひとつの大神」としてこの地を離れ、ただ見守る時が来た。沢山の愛しい子らは枝葉の様に種をさらに増やし、野山に、海や川に、そして木の枝や大空に棲まい、栄えたのだ。
詩人が求めた永久の旅(漆黒の幻想小説コンテスト)
誰も知らぬ、凄まじい詩を創る。
その心動かすもの未だ思い浮かばないが、ただ青く若い功名心のまま衝き動かされ、詩人はまた故郷を出、長い長い旅を始めた。
昼は広場で弦を弾き施しを受け、夕刻には商家や名主、貴族の戸口を訪ね歩く。外つ国で見聞した話の幾つかと引換えに一宿厄介になり幾許かの路銀を受け、当地の万物事の話を聴くことを繰り返す。
幾つかの街を転々とするうち、世の不可思議、人ならざる者の中に長命で、稀なる力得た者の話を聞く。
是こそは我が天命、と詩にする事を誓った。
先ず、命知らずにも峻険な雲間の山頂に棲む竜を訪ねた。本来危うい道程の筈が詩人は歓迎された様で、洞穴奥深くに朽ちかけた大竜が臥していた。松明の光を頼りに弦を鳴らし詩を創りたいと言うと、竜に様々な話をされるが、そは端切れを繋ぎ合わせたよう。齢など数えた事無く、朽ちようとも死ぬ兆しも無いと。長命であるが故に退屈である、一生此処に居り歌って楽しませろと命じたが丁重に断り、去った。
次に森の深奥、妖精の村に居るという意思持つ大樹を訪ねた。友好的だが悩み多きもので、ただ此処に在り人の様な営みはない。私を敬う妖精たちは樹洞や枝に家を勝手に作り、生きた葉や果実を頃合いも見ず捥ぎ、痛痒あれど動けず我慢を強いると。永久に此処で慰めよと言われたがこれも断り、去った。
最後に赴いたのは吸血鬼の貴族が住まう辺境の廃城だった。慕う見目麗しき女性も数多居り、暖かな食事と美酒と共に彼を歓迎した。竜と大樹を詩にし語り聴かせると主人は大層喜び、返礼に過去を明かした。彼は相思相愛の、だが長命を拒む想い人を老衰で喪い、初めて長命である事を恨み悲しんだという。
彼は言った。
「お前は永遠の時を生きたいか。雌雄など問わぬ、美しき声を持つ其方こそ我が終の伴侶に相応しい!」
と手を伸ばす。彼は驚き、弦を引っ掴んで逃げ去った。
彼は、考えた。
人は欲深いが故、自らに無いものを羨み望む。
然し長命には長命なりの、悩み、苦しみがあると知った。
我ら人は、定められた短命を生きよう。
川面に投げた石の波紋のように、方々に生きる喜びを伝え、謳歌しよう。
人として、全うしよう。
あれから詩人は、何処かの棄てられた小屋に籠り一心不乱に一篇の詩を書き上げると、弦とともに一人の女性に捧げ家をもった。
弦は嗜みとして額に汗して働き、愛息の子守のために歌い、後の生涯を穏やかに過ごしたという。
きりん
海面水位は行けるとこまで行ってしまうから
島から出られなくなった
どうぶつ
とりわけ、うみねこの
冷たい輪郭をさがしています
なんなら小さなきりんでも
草原を歩くひかり、なめらかな関節の群れなど
輝いていれば何でもいいのです
やぶれているようで実は閉じてしまっているんです、
もうじきここも
線の囲みでしか表せなくなりますが
こんなところにいられるか
と無理やりに
はみだしていったものの末路をぼくは知りません
いつもゆるめに縛られているので
なんでもいいのです
外はこんなに明るいから
誰も光るきりんを探そうとしないし
自分の手のひらも見ない
ほんとうに
なんでもいいのですか
外はこんなに明るい
誰もきりんを探そうとしないし
海面水位は行けるとこまで行くし
草原もすぐに閉じるでしょうね
霊薬(漆黒の幻想小説コンテスト)
「独り旅に出で、いと高き山におわす神より霊薬を求めよ」
父王の眠る横、顔の爛れた妖なる媼の卜占一つを頼りに、故郷を離れ汚れた装束姿の若者は歩を進む。
始めこそ「この様な世迷言信じられるか」と人に尋ねる事すら憚ったが、彼はその度父の病臥を想起し、無為の時過す事を恐れた。
独り、ただ独り。蒼穹に、大海に、地平に、宵闇に。
己が小さきを思い知り、やがて改め形振りを構わぬ様になる。
女の薫りは要らぬ、温かな床や湯など望むべくもない。隠れ、雨露を凌げればよい。飢餓堪え得ぬ時、剣もて害獣の巣に忍び入り、生肉を喰らえばよい。
全ては霊薬、父が為。
遠吠えに怯え、空を舞う妖を避け、大海の獣に脅かされながら、三つの城、七つの関、十の街、数え切れぬ村落を踏み超える。百の噂を聞き、九十九の嘘偽を確かめた。そして「神すまう山」の詩をうらぶれた街の詩人に聴く。
野を分入りその山立入らば槍の穂の如き山厳しく、霧に紛れ亡霊が囁き、詩にも聞く千仞谿が阻み、獣が襲い来ては打ち据えられ、彼を幾度となく試す。だが彼はただ執念の儘頂へと突進み、凡そ場にそぐわぬ居館に辿り着いた。
迎え入れた館の主人は、それはそれは浮世離れした麗しき女であった。
「まあ、随分と久方ぶりのお客人」
女は湯殿に誘い全ての汚れを掃うと、甘い水の如き酒、艶やかな食を詰め込んだ膳を勧めた。つい誘いを断り切れず饗を受け、その晩、またその晩だけはと気を緩め、全てを忘れた。
或る夜、何時も見た夢、土色の病相で苦悶に喘ぐ父の姿で酔眠から覚めると、裸の女が汗をかいたまま寄り添い眠っている。開けた胸元に提げ揺れる美しい小瓶を見て目を見開き、そっと首から引き抜くと宵闇の館から抜け出した。
「返せ!」
恐ろしい声と共に、山が吠えた。もう、振り向いてはならぬ。地は大きく揺れ、真赤な火吹き山となって襲い掛かったが、休む間もなく走り、這う這うの態で逃れ、故郷へとひた走る。
しかし、ようやっと故郷に戻った彼が見た父は既に死して、大墳墓下の骸となり果てていた。
「嗚呼。あの時饗を受けさえしなければ!」
自棄となった彼は墓を暴き、土中で宝に囲まれ眠る腐乱死体に霊薬を振りかける。光放つ稀なる力、確かに父を甦らせたが、最早彼の知る親ではない。泣いて喜ぶ彼を骸の王は突き殺し、再び我が子としたのである。
荒神の報いを以て、彼らは終わらぬ死出の旅を始めたのだった。
龍の冬、来たれり(漆黒の幻想小説コンテスト)
ケト王国の某辺境都市、夏の日差しが照り付ける広場。みすぼらしい風貌の男が汗をまき散らしながら必死の形相で声を張り上げている。
「聞いてくれ! 儂は警告をしに来た! 儂はクェナ。元奴隷商人だ。何人もの子供を金に換え、ついには義息のヤルグェすら商品にしてしまい、最近まで獄にいた。釈放された儂は死で償いを果たすべくルヴォ荒野へ向かった。熱と渇きがこの身を罰すると思っていたが、なんと儂は吹雪に出くわした! 驚いたが、これぞ人売りが歩むべき地獄への道と思い、儂は吹雪が来る方へ向かった。荒野の灼熱に慣れた魔物どもは全部くたばっていた。儂は雪を食み、死肉を喰らい、遺骸で夜風をしのぎ、死へ、死へと歩き続けた。何日も歩き続けたが、不思議なことに歩むべき方向は一度も変わらなかった。やがて地面から黒く固い岩が見えはじめた。荒野の中心、不毛のルヴォ荒野でも最も乾いた死の地が近い兆しだ。だが信じられるか、かの地は氷で覆われていた! あり得ない、渇きの地で一体何が凍るというのか! だが儂はそこでもっと恐ろしいものを見た。塔だ。幻想画によく描かれるあの千年樹より圧倒的に高く太い塔がポツンと、死の地に氷の根を張り、荒れ狂う吹雪にビクともせず、空を刺してやがった。しかもそれだけじゃない。儂は聞いた。羽ばたきの音、そして声だ。何かが翼を一振りする度に吹雪が来て、それに乗って囁き声がするのさ。『我はヴェル。微睡みより目覚めた。短き人の時終われり。永き龍の時来たれり』ってな。儂は悟った。ここは死地にあらずと。荒野の孤独ではなく、人々への警告こそが儂の最後のおつとめなのだと。だから儂はここへ来た。ああ貴方、足を止めて聞いてくれてありがとう。願わくばこの話を大勢に広めてほしい。儂も諸君らも、時代とは人が動かすものと素朴に信じていただろう。時代のうねりの中心には偉大なる英雄、恐るべき暴君、剽悍な猛将、不世出の名宰相なんてのがいたものだったが、もはやそこにはあの龍がいる。儂なんぞが人の時代を生きられた幸運に感謝し、そして恥じる。龍の時代を生きる全ての人々よ、寒さに埋もれた温もりを、苦しみの先の幸を見つけ給え! ……さあ天よ、これでお終いです。邪龍の声を聴きながら人里で死ねるとは––」
語り終えた途端にクェナの身体は呪いで凍りつき、命の熱を根こそぎ失った。冬の到来は彼の言葉以上の確かさで告げられたのである。
千年樹の試練(漆黒の幻想小説コンテスト)
邪龍ヴェルがケト王国の辺境を氷の海に沈めたとの報を受けた時、第五王女ユーヴィーンはこの国難を退けることを己の使命とし、ヴェルを討つために灰色の森の千年樹の枝で杖を作ることにした。
ユーヴィーンが配下を連れて灰色の森の深奥へ辿り着くと、枯れ木のような千年樹が見る間に深緑に身を包み語りかけた。
「其方の用は知っている。貴き者たる心の資質を示せば力を貸す」
配下たちは成功を確信した。王の子らの中で最も知勇と徳に優れるのがユーヴィーンだからである。だからこそ、当のユーヴィーンが「出直す」と撤退を命じた時には森に潜む魔か霊の幻惑かと大いに混乱した。ユーヴィーンは己の密かな臆病を知っていたのである。
後日、ユーヴィーンはある貴族が開催するパーティに参加した。雑用係の、白い肌のケーテ人の国であるケト王国には珍しい褐色人の少年が酒を零し、ユーヴィーンの服を汚した。ユーヴィーンは気にしなかったが、少年の主人は激怒し酷く鞭打った。
ケーテ人の参加者が惨刑に狂喜する様にユーヴィーンは恐怖したが、ふと千年樹の試練を思い出した。試練から己を撤退せしめた臆病を克服するは今この時と覚悟し、少年に覆い被さり盾となった。
「止めよ愚か者ども! 打ち足りぬなら私を打て!」
あまりの剣幕に主人と参加者は怯んで詫びた。ユーヴィーンは少年に傷を塞ぐ術をかけた。
「血が止まりました。お慈悲に感謝します」
少年の名はヤルグェ。彼はユーヴィーンを安堵させるため、恐怖と苦痛を堪えて微笑んで見せた。ユーヴィーンはその姿に真に貴い心の在り方を悟った。
邪龍を恐れぬユーヴィーンは、実は同胞であるケーテ人からの敵意を恐れていた。だが、後日受け取ったヤルグェからの感謝の手紙の宛名に「貴き第五王女殿下へ」とあるのを見て自信が沸き、再び灰色の森に挑んだ。
千年樹は同じ試練を与えた。ユーヴィーンは千年樹の枝に手をかけ叫んだ。
「私に資質があれば枝は折れよ! 無きならばこの身は森の肥やしとなれ!」
すると太い枝の一部が剥がれ落ち、たちまち杖となった。杖は語りかけた。
「其方は最初から我を手にするに値した。されど更に己を研鑽するとは驚嘆した」
「最近できた友が勇気を得る機会をくれたのです」
ユーヴィーンは微笑みを浮かべて応えた。杖には知る由も無し、その笑みはヤルグェが浮かべたのと同じ、恐怖に損なわれることのない優しさを抱く強者の笑みであった。
ヤルグェの誇りと赦し(漆黒の幻想小説コンテスト)
大陸北部に広がる不毛のルヴォ荒野の中心に氷の巨塔がそびえ立っている。旧き時代に凍てつく息吹で塔を築き上げ、今も主として君臨するのが悍ましき邪龍ヴェルである。幾多の街に滅びを齎してきたヴェルだが、今宵はヴェルが滅ぶ番だった。
ケト王国の魔術師ヤルグェの聖杖から放たれた輝く槍がヴェルの心臓を貫く。ヴェルの金色の瞳に暗闇が満ち、遂に「孤独と恐怖に塗れて死ね」と呟いて息絶えた。しかしヤルグェの身体もヴェルの呪いで氷に覆われていき、もはや雲から月が姿を現すまで生きられそうにない。
ヤルグェは二十四年で終わろうとしている人生に思いを馳せた。
ヤルグェが貴族の家に奴隷として売られたのは確か八歳の時。白い肌のケーテ人を最上とするケト王国は、浅黒い肌の外国人奴隷ヤルグェにとって正に針の筵であった。彼はこの世全てへの劣等感と憎悪を胸に育み、しかし生来の臆病と行動力の無さから流されるままだった。
十六歳の時、仕事での不手際を理由に主人に殺されかけたが、場に居合わせた第五王女ユーヴィーンに救われた。ユーヴィーンは当時齢二十五にして既に高名な魔術師であり、また人を見る際に身分や人種を軽んじて才と人格を重んじた。彼女に魔術の大才と秘めた勇気を見抜かれ、人生で初めて友を得た。
十八歳の時、ヤルグェはユーヴィーンと彼女の婚約者である剣士フィンクルと共にヴェル討伐隊に抜擢された。ヤルグェは仲間と共に大陸中を旅し、世界の広さ、彩り、そして複雑さを知った。二人が戦死してもヤルグェは使命に挺身し、六年の旅路の果てに氷の巨塔の頂を踏み、邪龍を討ったのである。
「恵み深き神よ、授けられた幸運に感謝します」
ヤルグェは王国では差別を恐れて滅多に祈りを捧げられなかった彼が信じる神へ堂々と感謝を捧げた。
「御覧になられていますか、ユーヴィーン様、フィンクル様! 御身らのご遺志を成し遂げました!」
そして死に際とは思えないほど高らかに吠えた。
ヴェルの穢れた願いとは裏腹にヤルグェの心は澄み渡っていた。自分を売った両親。自分を虐め抜いた主人とそれを見て見ぬふりした隣人たち。ユーヴィーンとフィンクル。敵は多く友は少ない人生だったが大いに満足していた。もはや何も恐れておらず、誰のことも憎んでいなかった。
「神よ。友よ。今ヤルグェが参ります。」
全身が凍りつきヤルグェは息絶えた。彼の銀の瞳に月が穏やかな光を投げかけていた。
掌編『私のダンスをご覧ください』
メガネを盗まれた。商店街の小さなメガネ屋の入口に置かれた電気超音波で汚れ落とすアレ。水に浸すやつ。なまえはしらない。に、浸してじっとメガネを眺めていた。何を考えるでもなく眺めていたから、背後から伸びる手に気が付かなかった。ひょいと何気ない動作で盗まれるメガネ。水が跳ねて顔にかかった。一瞬冷たいと思ったが、冷たいわけではなかった。訂正と同時に不快という言葉が頭を過り、瞬時にかき消しメガネ!と口に出していた。全力疾走する猫背の男性の後ろ姿が見えた。後ろ姿から年齢はわからなかったが、若くはないはずだった。遠ざかる後ろ姿。裸眼ではすぐに認識出来なる。思い出したように商店街のざわめきが聞こえ始める。
生まれつき視力が低かった。遠くを見る練習をすれば、視力が良くなると思って、空ばかり見ていた。空。私の名前。天から授かった女の子。だから、空。らしい。私が産まれた日の空は快晴だったと母は言う。目が悪いことにもきっと意味があると母は言う。母は物事にはすべて理由があるのだと考えていた。私はそんなこと後付けで何とでも言えると考えていた。私に父がいないことだって、ちゃんと意味があるんだって母は言うけれど、どんな意味があるのか母は教えてくれなかった。
私が産まれてすぐ母は離婚した。理由は知らない。離婚後、父は失踪。養育費だけはしっかり振り込まれているらしい。だから、その気になれば探し出せる気がしたが、母は父を探す気がないようだった。その代わり、母ひとりで私を育てることを運命だと考えるようになったらしい。
運命なんて馬鹿らしいと思ったけれど、母なりの孤独への対処だったのだと思うと、その考えを否定したくはなかった。
私はもっと現実を見たい。ぼやけた視界じゃなくて、正しく世界を見たい。本当のことだけを知りたい。高校生になってから学校に通えなくなった。理由はわからなかった。行こうと決意しても体は思うように動いてくれない。のか、思うように動いてくれないと思うから、学校に行けないと自分に言い聞かせているのか。どちらもきっと真だ。ただ、意味もなく近所をふらつき、帰りに商店街のメガネ屋でメガネを洗浄する日々を送っていた。
メガネを盗まれて立ち尽くす私にメガネ屋の店主が声をかける。私はろくに聞きもせず大丈夫ですと言って立ち去ろうとする。
店のPOP看板にぶつかってコケた私に店主と通りすがりのおばあさんが優しく手を差し伸べてくれた。私は二人の手につかまって立ち上がる時、目付きが悪くならないように笑顔を作ることに注力していた。
「すみません、見えてなくて」と私は二人に向かって頭を下げた。二人の表情はわからなかった。
店主のすすめで近くの交番に行った。事情を話すとお巡りさんは最近、メガネを盗られる事件がこの付近で多発していると教えてくれた。
母が迎えに来た。すぐに新しいメガネを買ってくれた。店主がサービスで格安にしてくれたらしい。次は盗られないようにしようと私は誓う。
裸眼になると思考が停止する。気がする。何も見えないと何も考えられない。視覚から得る情報で様々な連想をしていると気づく。でも、そんな思考停止中が好きだったりもする。思考を停止させるためにメガネを洗浄する。じっと、水に浸されたメガネを見る。店主が何気ない風を装って店から出てきて、周囲を窺っている。
私の目の前にはメガネがあって、こいつがないと私はほとんど目が見えなくて、だから、体の一部みたいなもので、それでいてメガネを通して見る世界は、所詮ろ過された景色だと思うこともあって、メガネを盗んだおじさんにだって見たい景色があったのかもしれないと思う。
メガネをかけると一気に世界が押し寄せてくる気がする。ずっと聞こえていたはずの商店街のざわめきもよりクリアに聞こえる。
「気をつけて帰りなさいね」とメガネ屋の店主が声をかけてくれた。私はありがとうございますと言ってお辞儀をする。また来ますの意を込めて手を振る。また来るということはまた学校を休むということだった。
このまま私はどうなるのだろうか?こんな調子じゃ社会に出たらやっていけない。と、誰に言われた訳でもないのに思う。商店街を抜けると広い国道に出る。信号が変わるまで待つ。空を見上げる。今日は快晴で、白い雲が風に流されている。踊ってみたらどうだろうか。信号が青になったらこの長い横断歩道を踊りながら進もう。くるくる回ったりスキップしたり飛んだり跳ねたりもうめちゃくちゃに踊りたい。本当は本当の世界なんて知りたくないのかもしれない。メガネ泥棒のおじさんには捕まらずに色んなメガネで景色を見てほしいと思う。母が物事に意味をつけたがるように、失踪した父も今空を見上げている気がする。信号が青に変わる。それでは私のダンスをご覧ください。
日の終わり
夕暮れ時
空に烏の姿なく
辺りに人の影もなく
薄暗い通りに 電信柱の
寒々と 白い明かり
ポケットに 手
つっこめば
喜び 悲しみ 一つとてなく
タバコ ライター
歌もためいきも
出ない
乾いた唇に
タバコをくわえ 火をつけ
突っ立って
林の中へと崩れていく
陽を眺めた
二つの目の中で
粉々に崩れていく一日
暗い通り 白い明かり
ぼく 突っ立ち 電信柱
タバコ くわえ
寒々
崩れ おちる
灰
一日。
過去作短編『隣家の紫陽花』
隣家の庭の紫陽花がフェンスから飛び出して咲いている。家が影になっているので、花のほとんどがフェンスの向こうを見ていた。
紫陽花の花言葉が好き。「和気あいあい」、「家族」、「団欒」、「変節」、「浮気」。小さな花がひしめき合う様子から「和気あいあい」、「家族」、「団欒」。土によって花の色が変化するから「変節」それが発展して「浮気」。何とも人間くさい。まあ、人間が付けた言葉だから人間くさくて当たり前か。
ここで意地悪なことを考えたくなる。実際人間がひしめき合うとどうだろうか?必ずにしも「和気あいあい」と呼べる状態とは限らないし、「家族」と言えど、内部崩壊している可能性だってある。「団欒」どころか「混乱」かもしれない。そんなことを考えてしまうのも、偏に私の家族が崩壊しているからだと思う。原因は父の「浮気」癖だった。
父にどんな「変節」があったのか知らないけど、最初の「浮気」は私が10歳のころ。あの時もお隣さんの紫陽花が咲いていた。学校から帰ると母に突然告げられた。「お父さんね、他の人といいことしてたの」と。リビングで宿題をしていた私は母の言葉の意味を汲みかねた。特に「いいこと」とは何が「いいこと」なのかわからなかった。母の口調から「いいこと」がいい意味ではないことは察しが着いた。でも、それっきり母は何も言わなかった。その夜、食卓を囲んで家族の会話はなかった。何も知らない弟だけが、ぺちゃくちゃと友達との武勇伝を話していたが、弟なりに何か察したらしく、しばらくすると口をつぐんだ。私は自分がこの場をなんとかしないといけない気がしたのに、何も言葉が出なかった。
二度目の浮気が発覚した時、私は高校生だった。その時にはあの「いいこと」の意味をわかっていた。部活終わり、家に帰ると母が荷造りをしていた。私がただいまを言う前に「出てくからあんたも準備しなさい」と母が怒鳴った。どこかで遊んできた弟も、帰ってくるなり同じ言葉で怒鳴られた。おずおずと言われるがままに、荷造りを始める弟がなんだか腹立たしかった。父は出会い系サイトで何人もの女性と関係を持っていたらしい。母がどうやって突き止めたのかは知らない。私は出ていく気なんてサラサラなかったし、なんで母の一時的な感情に付き合う必要があるのかわからず「勝手に出ていけば?」と言い残して自室に逃げた。どんどん!と戸を叩き、何かを喚く母の声を聞きたくなくて耳を塞いだら、自然と涙が出てきた。母と弟は出ていった。母の実家へ。弟は必然的に学校を休むことになり、学校へは父が連絡した。いつ帰ってくるかも、そもそも帰ってくるかもわからないのに「息子は風邪です」と言った。
父との二人暮しは悪くなかった。元々口数の少ない父は何も干渉してこなかった。朝早く仕事に行って夜遅く帰る。頼まれたわけではないけど、父の分の晩御飯を作るようになった。料理は楽しかった。友達に両親の事情を隠している変な後ろめたさを一瞬でも忘れられるから。休日の父はずっとテレビを見てたかと思うと、ふらっとどこかへ出かけて、ふらっと夜中に帰ってきた。私は何も詮索しなかった。
ふと離婚したら私はどっちにつくんだろうかと考えることがあり、その度に胸がムカムカした。そんな時に心の支えになったのが、インターネットだった。私の家より悲惨なエピソードがインターネットにはごろごろ転がっていた。下には下がいる。こんな安心の仕方間違ってると思いながらも、人の不幸話を求めずにはいられなかった。
それから一ヶ月が経った。母が出ていったことがクラスメイトに知られていた。弟が友達に家庭のことをLINEで話したらしく、その友達の兄が私のクラスメイトだった。そいつは自分で噂を広めておきながら、「大丈夫?」と訳知り顔で言ってきた。だから、間髪入れずに「うるせえ」と言った。自分でもびっくりするくらいどす黒くて低い声だった。それからというもの私は教室が嫌いになった。誰も面と向かっては言ってこないけど、何かしら良からぬ噂をたてられてることくらいは知っていた。噂は真偽を問わず広まるものだ。父がどこどこで女と会ってたとか。本当はもう離婚しているだとか。
だから、何かと理由をつけて保健室に入り浸るようになった。保健室の先生はたぶんいろいろ知ってたんだろうけど、何も訊いたりしなかった。保健室にはいつも別の組の女の子がいた。名前はトモカ。トモカのことは前から知っていた。私と違ってテストの点数が良かったから。学年の成績優秀者として名前がよく張り出されていた。保健室登校なのに、テストの点数がいい子として有名だった。いい意味でも悪い意味でも、いじめられているということも含めて有名だった。いじめのことは教員も知っていたはずだ、恐らく相談してこない限りは何もしないことにしていたんだろう。
トモカとはよく話すようになった。読書好きで、博識で、いじめられているとは思えない快活さだった。トモカと話すために保健室に行くようになっていた。父には保健室登校であることを隠していた。父だって隠し事をしてきたんだから。
トモカと話すようになっていじめの実態がわかった。最初はものを隠されるちょっとした意地悪から始まった。それが徐々に過激になり、隠されるならまだしも、壊され捨てられるようになり、授業中に掃除道具入れに閉じ込められる、トイレで水をかけられる、仕舞いには暴力をふるうようになり、ある日登校すると机がなくなっていて、仕方なく保健室に来た。
「たぶん、嫉妬してるんだと思う」とトモカは他人事のように呑気な口調で言った。
「どうして先生に言わないの?」
「保健室にいる分には何もされないし、いっかーって」そう言ってトモカは笑ったが、私には笑えなかった。今までインターネットで探してきた人の不幸話とはわけが違っていたからだ。トモカは私より断然酷い目にあっていた。人の不幸話を糧に自分を保ってきた私はどうがんばっても卑怯者だ。そんなことにも被害者を目の前にしないと気づけないなんて。今思うと、かなり大袈裟だけど、その時この子のために生きたいと思った。
母と弟が帰ってきたのは、それから更に一ヶ月後のこと。私はすっかり保健室に馴染んでいたし、トモカが唯一の友達になっていた。その日も、午前中保健室で過ごして、午後にはトモカと一緒に早退した。一緒に帰ると必ず彼女をいじめているヤマモトという女子を中心にした一団に嫌がらせをされた。長くなるのでここでは嫌がらせの詳細は言わないが、トモカがやり返さないから、私もやり返さずにされるがままだった。だから、制服が汚れることは日常茶飯事で、ドロドロに汚れた服で家に帰ると、母と弟が何事もなかったようにそこにいた。
「帰ってきたんだね」母と弟との再会が嬉しいのか、嬉しくないのか判断出来なかった。
「あんたその服……」と言ったきり母が黙ったので、私はトモカのことを話した。スラスラと言葉が出てきた。自分のことじゃないみたいに。トモカのことを話したことで、母はすぐさま学校に連絡した。娘がいじめられていると。そして、父がその日以来帰ってこなくなった。
それから一年が経った。トモカは国立大学に進学。なかなか会えなくなったが、今でも連絡を取り合う仲だ。私は高卒でアルバイト。ヤマモトたちは高校卒業後どこで何してるか知らない。母には恋人が出来た。母と母の恋人と弟と私。四人で仲良く暮らしている。父のことをたまに思い出す。元気にしてるならそれでいいやとも思う。
隣家の紫陽花が綺麗。紫陽花の花言葉が好き。「和気あいあい」、「家族」、「団欒」、「変節」、「浮気」。思わずスマホで写真を撮る。仲良く集まって咲く花がほんとにかわいらしくて。
てんてんてん、し
丶のつかいかたを
ほめられたから
なんにでも
丶をはさむように
なってしまった
ふ、かそうち
ふかそ、うち
ふ、かそ、うち
たんじゅんすぎる
わたしのせかいに
なんもんばかり
でてくるのは
なぜだろう
、のつかいかたが
へんなだけ
ほめられたのでは
ないのかもしれなくて
でも いっ、か。
「ふかそうちにたまごが
はいっていません」
まいにちおしえてくれる
すまほげーむ
たまごなんてもってない
げーむのなかでも
じんせいにも
わたしがたまごになって
みたいくらいなのに
ねえ なら せめて
ふかそうちください
ばかになってねだる
どようのじゅーいちじまえ
ふ、
か、そう、ち
しかしいった、い
なにを孵すといふのだろう
何処の世界の話か知らないけど
作品の良し悪しではなく
好き嫌い
眼鏡をかけなくても
あけすけな
人間関係で
形作られる
最低な採点
こんな祭典しかないの
この世界
選ぶ人がいて
選ばれる人がいて
落とされるどころか
無視されて
いないものにされる
かんたんに
どこのなにとか
なにのだれとか
言わないけれど
わからないけれど
どこの祭典だって
本当は似たりよったりな
採点は最低
けれどさ
だけどさ
それでもさ
優等生でなければ
なりません
誰かの何かに
ベロリと巻かれ
クチナシになり
目をとじて
耳には爆音ヘッドフォン
そうでなければ
出られない大海
登れない壇上
開かれない
重厚な入り口
ついていけそうにないです
立てそうにもないです
ノートには
ホコリまみれ
忘れられていくしかない
言葉だらけ
でも それでもいい
わたしはほこりまみれ
ま、みれ
ライオン
子どもの可能性を信じること
信じる 信じるって何?
ライオンが自分の子どもを
高い崖から突き落とすようなもの
――お母さん、今まで
お母さんを怨んでいたけれど
今になって気づいたよ
あれは僕の可能性を
信じてくれていたんだね
呼び声
桜に限らず花が蕾に冬を
溜め込んで、
眠っている
明け方の光は
新しく産まれてくる花の
名前を夢みているようで
窓を開け放ち桜の老木を相手に話しかける
叔母さんが
庭木を
タナカさんと
呼んでいたよ
記憶が季節を巡るように歩き回り
もういないシゲユキと
タラの芽を採りにいったら
鹿に喰われてて、
タラレバと呟くが
鹿の耳に念仏だった
可笑しさと哀しさに蕾はさらに撓み
春はね、シゲユキ
滲みだす山際に
思わず微笑みたくなるんだ
朝だってさ
生きるように笑うのだと叔母はいった
曙光のなか雪がチラついている
春はシゲユキ、と吐き出すと蕾の産声が
白い吐息となり昇っていく
朝はやって来る
夜を忘れた街の片隅にも朝はやって来る
コンビニの誘蛾灯の下で、屍骸が蹴られて跳ねた
ずっと夜で居られたら、
この身の置き所のないやるせなさを隠していられるのに
あさぼらけの空は曇天
めざめには程遠い
あたりには小さな染みが
めざましく拡がる
垣根の下で、猫が私を見透かす様に目を細める
俯いたままやり過ごしたら、足元の蛾が蹴られて羽ばたいた
遠くへ飛び立ってくれるのならば、私の心も救われただろうか
屍骸は私を置き去りに、路側のグレーチングの下へと消えた
さあ、さあ、と急き立てる音
さっさと帰れ
あなたの住処へ
さっさと帰れ
あわただしき日常へ
さあ、
さあ!
そうやってみんな
公園のすみで
鳩を一羽肩にのせている老人
その人はG氏とよばれている
口髭のG氏は
「ブランコをこぎなさい
そうすれば祝福されますから」
とぼくらに言う
祝福が何かを知らなかったのに
ぼくらはブランコをこいだ
みんなはすぐにやめた
ぼくはこぎ続けた
ひとりこぎ続けた
声が変わり
すね毛がはえて
口髭がはえても
ブランコをこぎ続けた
犬が吠えても
けーさつに事情聴取されても
こぎ続けた
地元のテレビ局が取材にきた
「なぜブランコをこぐのですか」
「G氏がそうするよう言っていたので」
アナウンサーは首をかしげた
ぼくはテレビに放送されなかった
町の名物にも
珍風景にもならなかった
顔はシワだらけに
頭は白髪だらけになった
腰も膝も痛むようになった
肩にはいつのまにか
一羽の鳩がとまっている
ぼくは
ブランコをこぎ続けた
いまなら祝福が何か
わかりそうな気がした
けっきょく
ブランコから落ちて
頭を打って
ぼくは死んだ
らしい
一緒にブランコをこぎはじめ
すぐにやめた老人が
ぼくへの弔辞を読みあげる
「G氏はブランコをこぎ続けました」
アマソンoriginal drama「ウィグナーの友人」
アマソンオリジナルドラマ
『ウィグナーの友人』
あらすじ
アフリカで起きた猟奇的な殺人事件を捜査していた国際刑事警察機構の警部アレン=グレスはある夜、夢の中で啓示を受ける
「ソレは日本で見つかるだろう」
夢の中で彼は森の中を彷徨っていた
その情景を元に調べを進めていると
夢の内容と酷似した森と石板を見つける
アレンは1ヶ月の休暇を申請して日本に向う。其処で出会ったお笑い芸人と詩人の二足の草鞋を履く人物と協力して殺人事件の謎を解いていく
主題歌
【invasive】
作詞 あべのハルカス田中
作曲 あべのハルカス田中
歌 Neo girls
現実感の無い朝は雨が降っていた
アスファルトは濡れていて危険な匂いがする
車のエンジンをかけるといつもと同じ音声が聴こえてくる
頭の中に台詞がある
ギアを変えながらアクセルを踏んで
いつものルートに合流する
頭の中に台詞がある
一時停止して左右を確認する
少し進んで信号待ち
頭の中に台詞があるんだ
現実感の無い話をする為に
花屋で薔薇をたくさん買った
薔薇と言う現実感の無い漢字
画角の端が見える
手に持った金槌で現実を叩き割る
極楽鳥が金網の中で羽を繕っている
窓枠には極楽鳥の体調が説明されている
いつか君が風邪をひいてそのピンクのジャージが可愛くて僕の容量はそれで圧迫されて大事な現実が削除され続けている
頭の中に台詞があるんだ
ポケットの中の空想を叩けば虹色の飴玉が転がる
ストーリーストーリー桜桜舞舞落落
頭の中に台詞があるんだ
清涼水をアレもこれも開けて
果物もどれも少しだけ齧って
やりたい様にやる
LINE通話は何時迄も繋がっていて
韓国のグミの甘さで脳がトケテいくんだ
そうなっちゃえば良いんだ
頭の中に台詞があるんだ
自転車が急に飛び出してきて時間がゆっくりと過ぎてゆく
ジョイフルの大盛りポテトフライの最後の
ポテトを食べてメロンソーダを飲んだところでキューブレーキを踏んだら
現実が後から追いかけてきて肩をトントンと叩く
頭の中の台詞がスラスラと出てきて
僕は記憶の中の記録の画像に挨拶をする
おはよう
シュレーディンガーの猫
チャプター1 (120分拡大版)
日本へ向かう航空機の中で
友人からの連絡を受ける
友人の高林が軽井沢の別荘で事件に巻き込まれたらしい
空港から軽井沢に向かう途中にアレンは何者かに追跡されている事に気がつく
アレン以外にも夢の中で啓示を受けている人物がいるらしい
友人の別荘に到着して話を聞くアレン
話は意外な方向に進んで行く
EPRパラドックス
チャプター2
友人の高林の事件を解決し
お礼に日本に滞在中の間、高林の別荘を貸してもらえる事になった
前回の事件で手を貸してくれた
自称コメディアンでポエマーの彼。
その彼が日本に不慣れなアレンに暫くの間軽井沢での暮らしのサポートを申し出でてくれた。
丁度その頃イギリスの自宅から荷物が到着する、其れは小型のドロイドと蜂形のドローンでアレンが今回の来日の為に必要なものであった
アフリカの猟奇殺人の件で動いている組織があるらしいアレン達は別荘を監視する組織に
ある作戦を決行する
ダブル・ブッキング
チャプター3
空港からアレンを尾行していた組織は
アレンからイスラエルの情報を得ようとしていたテロ組織であった
助手の役目をしてくれているコメディアンとポエマーのかけあわせの彼を誘拐し
インターポールのデータベースの情報と引き換えを要求してきた
アレンは蜂のドローンとドロイドで
反撃に出る
誰にでも偶然起こることがある心理的共鳴
チャプター4
テロ組織を壊滅したアレンだったが
それを調査していた別の組織があった
アフリカの殺人事件に関係しているらしい
イケメンの二人組とのやり取りの結末は
峠からのダウンヒル対決になった
イギリスから到着した愛車
マクラーレン・エルヴァを駆り
敵車ランボルギーニ ウラカンとの極限バトルに突入する
23エニグマ
チャプター5
友人の高林の紹介で日本政府の高官と面会する事になったアレン
極秘裏に来日するドイツの要人のスケジュールが漏洩していることでのアドバイスを受けたいらしい
霞ヶ関に向かう2人の前に突然現れた金髪の女性の話で物語は意外な方向に進んでいく
創作主題による32の変奏曲
チャプター6
夢の中に強力な悪意が登場する
分割した人格に隠してある悪意で応戦するアレン。
意識の混濁する中悪意が彼に伝えた事は
post hoc ergo propter hoc
チャプター7
世界的なハリウッドスター
ジャック=フォルターメイヤーが来日する事になり要人警備の件でアレンに連絡が入る
乗り気では無かったアレンだったが
ジャックの恋人でもある女優ソラナ=マクラクランも同行していると聞いて
要人警護に協力する事になる
爆弾魔の予告が届いたのだがその結末は意外なものとなった
第二種永久機関
チャプター8
バチカン市国からミシオロスキー兄弟が日本にやって来る。
兄弟は悪意を有している人格に対して感知できる能力があり
兄はその者の位置を、弟はその者の姿を把握できる能力を持つ
アレンが所有している悪意は別人格に収納しているが強力な悪意の襲来に応戦する時に使った別人格の悪意を兄弟に感知される事になった。バチカンからの疑念に対して
ミシオロスキー兄弟に会う決断を下すアレン
窮地を救ったのは助手の彼だった
普遍的な因果性に関する自由の問題
(文フリ東京)
チャプター9
助手の彼の勧めで文学フリーマーケットに参加する事になったアレン
ちょこちょこと書き溜めていた自作の詩を詩集に纏めていると懐かしい思い出が甦ってきた
ウィグナーの友人(前編)
チャプター10
天才ヴァイオリニスト、マキシム-トゥルチャニノーヴァがアレンの前に姿を現わす。
マキシムは悪意に操られておりその右目は真紅に染まっている
悪意レニークラヴィッツの能力が発動して
アレンを心象世界に誘っていく
ウィグナーの友人(中編)
チャプター11
悪意レニークラヴィッツの心象風景に飲み込まれるアレン、禅の公案の中に答えを見出そうとするが
ウィグナーの友人(後編90分拡大版)
チャプター12
悪意レニークラヴィッツとの戦いは終盤戦へ
アレンの主人格での思惟はレニークラヴィッツの魂を捉える事ができるのか?
終わりの歌(エンディング曲)
『想像上に咲く花』
作詞 あべのハルカス田中
作曲 あべのハルカス田中
歌 Neo girls
ノートに計算し尽くされた数列が
今日の日はさようならを囁いている
ブラックムーンのサクサクとろける食感は
君と初めて喋ったカンガルー日和
何日も水をあげていた花が造花だった時の悲しみが稲妻の様に支度をはじめて
僕はなんとなく腕を組んだ
ちょっとにっこりともした
想像上に咲く花は
想像上に咲く花は
今日と明日を区別しない
想像上に咲く花は
想像上に咲く花は
時々昨日を振り返る
日もくれるので家に帰ろう
犬が遠くで鳴いている
____________________
劇場版
「室内鳥類学」
coming soon
『名も知らぬ』
オオバコ
エノコログサ
ヒメジョオン
ネジバナ
カタバミ
アカツメクサ
ホトケノザ
ハハコグサ
カラスノエンドウ
オオイヌノフグリ
雑草という名前の草はない
それぞれに名前がある
地に根を張り 風に揺れる彼らは
無名の存在ではない
しかし、彼らは雑草として刈られる
私も刈る
名前は記号で、彼らのことを知らないから
カラスノエンドウが自らの美しさに酔いしれていようが
ネジバナが自らの儚さに悩んでいようが
彼らと語り合うこともない
もし、彼らと知り合うことができたら
私は刈ることができなくなるのだろうか
名も知らぬ人であれば
標的として記号化された人であれば
語り合うこともない人であれば
引き金を引いてしまうのだろうか
ボタンを押してしまうのだろうか
名前を持ち 個性を宿すことを知っているのに
我々は、繋がり合い 理解し、知り合うことができるというのに
オオバコ エノコログサ ヒメジョオン ネジバナ カタバミ アカツメクサ
ホトケノザ ハハコグサ
カラスノエンドウ オオイヌノフグリ
彼らの姿を見つめると
自然の力強さを感じる
人と人とが理解し、知り合うことが
大切であることを訴える
名前のない存在を見つめ
個々の美しさに気づくことで
互いの違いを尊重し
共に生きることの大切さを知る
それはまるで消えゆく魂たちの叫びのように
彼らの名前を呼ぶたびに
心に刻まれる追悼
オオバコ エノコログサ ヒメジョオン ネジバナ カタバミ アカツメクサ
ホトケノザ ハハコグサ
カラスノエンドウ オオイヌノフグリ
名前のある雑草たちが
自然の中で息づき
自分を知ってくれと訴えかける
自分の美しさを見せ
自分の儚さを訴えて
しかし私は彼らを刈る
刈られた彼らはその瞬間に
私に平和と連帯を語っていても
彼らの名前を呼ぶたびに
心に刻まれる追悼
オオバコ エノコログサ ヒメジョオン ネジバナ カタバミ アカツメクサ
ホトケノザ ハハコグサ
カラスノエンドウ オオイヌノフグリ
ヴィーセ
ⅰ
足音が散り 息が止まり
瞼の裏の国を願う
星がうなって横を過ぎる
潜むにおいの泥に苛立つ
足音が散り 息が止まり
瞼の裏の海を願う
二度と戻れぬ道を抜ける
覚悟と想像を欠いた漂浪
自由だった檻の中の鳥に
かつての向かい風を餌づけゆく
それは、根を張る逆光となって、
地中をもがく 火柱となる
それは、やさしき嘲笑となって、
仮の果て世の 人形となる
足音が散り 息が止まり
瞼の裏の国を願う
ⅱ
一体君たちには何が聴こえるというのか
私の腕の産毛たちがミラーボールの苦労を耕作しているというのに空と陸とを切り裂く黒い箱をあえいでいる……
私はあそこに帰らねばならない無重力をレンジでチンしたカブトムシ浅い が浅い
痛い痛い痛い痛い痛
こればかりは反射する虎
泣いて喜んで泣いて泣いてヨロ泣いてコンデ泣いてヨロコ泣いて
ナイナイナイナイヨロヨロヨロコ
出掛けたアルバムが 痣の仇を受け加速する
私がドリルになればいいのか? 正体を剥がす冷たいドリルにぃ
模す相手を間違えた果物のゴロツキを
私は冗句の水に沈めねばならない
臭いほど歌った 臭いほど歌ったんだあの籠は―――
ほどほどにしようよ! ほどほどにしようよ!
浸透する爪
乱反射、冬の薄い光でも、激しく、硝子の中に、裸体を空目する。
私を着ぐるみとして、狡猾に太る、加害性。私は、加害性、と成分表示に書かねばならんのであって、こまめに爪を切りたくなるのもきっと、何かが関係している。裁く炎がどこまで澄んでいるのか、などはおよそ関係なく、裁かれうるものが、私の中で生成されている。いずれ私は蝕む。君の構造や、履歴や、信条までも、いつかは必ず。丸みを帯びて、浸透するように、可塑性のない形で。
日が落ちると反射的な渇きに応えて、不躾に熱を押し付ける手続きが行われる。君はそれを受け取る。私達はポーズを取る。互いに協働している機械のように。血はいくばくか流れるが、儀礼としてそれを処理する、私の加害性。
けれど、私も君もそうやって、生まれてきた。
粘性に組み合わさった知恵の輪の、ほぐれたところに芽吹いた、赤く生き生きと怒鳴る命として、祝われすらしたのだ。
過去作短編『失踪宣言』
明け方の駅のホームで、日が昇るのが早くなったと感じながら、始発列車を待っていた。六月の朝はまだ少し涼しくて、すずめの囀りも耳触りがいい。ホームには私ひとりのようだった。向いのホームには何人か人がいて、朝帰りの大学生くらいの男の子と、スーツ姿の男性がひとり。二人とも、椅子に座りスマートフォンを操作していた。私も何か通知が来ているかもしれないと思って鞄に手を突っ込んでから、スマートフォンを川に投げ捨てたことを思い出す。そう、失踪しようと思って捨てた。仕様がないので、タバコを取り出したら、残り一本だった。
夜中に香奈からLINEで「いま時間ありますか?」とお決まりの文句が送られてきた。私は眠剤が効いていてふわふわした状態だったが、眠いのに寝れなくて仕方なく通話をタップ。
「ねぇ、薬増えたのに全然ねれないんだけど、これってどういうことかな?明日も仕事なんだけど」
もしもしとか夜中にごめんねとかもなくいきなり本題をぶち込むのが、香奈の通話スタイルだった。私は精一杯「知らんがな」と口から出そうになるを堪え「薬合ってないんじゃない?」と適当に話を合わせる。「てか、私は眠いのだが」と言わなかった私えらい。
「あのさ、聞いてくれる?今日クソ上司に呼び出されてさ、配慮してやってんのに与えたケース数をこなせてないのはなぜ?って言ってくんの。は?なくない?こっちは毎日眠れなくて仕事中も頓服突っ込んで無理やり体動かしてんのになんで上からそんなこと言われなきゃダメなの?」「うんうん」とあからさまに適当な相槌を打つ。そもそも「聞いてくれる?」に対してこっちは了承してないんだけどな。そういうところが勤務中の態度に出てるんじゃないん?あと上司のこと悪く言う前に自分が仕事できてないことにはなんも思わんねや。そういうとこやぞ。そんなこと言わないけど、いつか自滅して痛い目みればいいとは思う。
香奈はとはツイッターで知り合った。三年前だ。うつで仕事やめてから二回精神科に入院。仕事の都合で海外にいる両親には、うまく病気の説明ができなかった。退院するたびに、完治したから退院したと思うらしく、仕事しろ仕事しろとせっつかれていた。理解されない悲しさは、私に何もかも諦めさせた。その分、承認欲求は旺盛だった。何もできない自分を誰かにみつけてもらいたかった。言ってしまえば、私は誰かに心配されたかった。だから、何でもいいから誰かに何か反応してもらいたくて、大量の薬の写真と『いまからのみます』と打ち込んで病み垢関連のハッシュタグを付けられるだけつけて、ツイートした。手のひらの大量の眠剤を本気で全部飲む気なんてなかった。目が覚めなければいいと思ってはいたが、死にたいのかはわからなかった。今思えばあの量じゃ死ねない。投稿した手前飲まないといけない気がして飲もうとした時、リプライをくれたのが香奈だった。
香奈は優しかった。私に寄り添って話を聞いてくれた。香奈は私より四つ年下で、双極性障害二型と診断されていることを話してくれた。自身も精神の障害を持ちながら、私の話を聞いてくれる香奈に感謝しきれないほどの恩を感じた。こうして、私と香奈の関係は美しく幕を開けた。
幕開けは美しかったんだ。幕開けは。私と香奈は共通点が多かった。病気で仕事をやめたこと、精神科に入退院を繰り返したこと。仕事の都合上離れてくらす両親。一人っ子で一人暮らししていること。好きなアイドルグループなどなど。自然と話も弾んだ。私は大学からずっと関西に住んでて関東に住む香奈とは簡単に会える距離じゃなかったけど、距離なんて関係なく仲良くなれた。でも、時折、香奈は捲くし立てるように話し続けることがあった。それも決まって誰かの悪口だったし、必ず私に同意を求めてくる。はじめのうちは話をあわせていたけれど、悪口ばかりだと次第に私もしんどくなる。私も影で何か言われているかもしれないと考えてしまう。それでもやっぱり、それ以外では話が合うので、基本的には仲良しだった。
だったのだが、香奈が障害者雇用で再就職してからというもの悪口の割合が増えていった。初めのうちは、まあ仕事はストレスたまるもんねと受け入れていたが、だんだん時と場合を選ばなくなり、早朝深夜でもお構いなしに電話をかけてくるわ、出なかったら翌日にぶつくさ不平を言ってくるわ、その悪口が全部相手が悪いなら同情の余地もあるのだが、いや、それはきみが悪くないか?と思うことのほうが多くてあきたりない。悪口だけならまだいいのだが、ツイッターの呟きにも変化があった。あからさまに忙しいアピールをしてくるのだ。一方私は一向に仕事が決まらず悶々とした日々を送っているのに、あてつけのように忙しい忙しいという。いや、忙しいならツイッターすんなよ。きっと私に良識のある友達がいたら、そんなやつなんか縁切っちゃえよって言ってくるんだろうけど、そんな友達私にはいなかった。いや、いたんだ。いたんだけれど、病みに病んで仕事やめる直前、すべてをリセットしたくなり、SNS、スマホの連絡先あらゆる人と繋がる情報を消したのがいけなかった。いざ消してしまうと思いのほかそれっきり連絡手段がなくなってしまった人が多かった。さみしくてSNSはすぐに出戻りしたものの、へんな距離感ができてしまい、めっきり人と交流できなくなってしまった。スマートフォンとかいう小さな長方形にどれだけ依存していたかを思い知らされた。というわけで私には友達がいなくなり、唯一の話し相手が香奈だった。香奈と縁が切れてしまうと私は外部との繋がりが全くなくなる気がして、縁を切れずに三年がすぎた。
で、夜の話にもどるんだけど、香奈の話に適当に相槌を打ちながら(適度に会話が成立する程度に相槌ができるようになっていた)私は何を聞かさせれているのだろうかと、考えを巡らせていた。私はまだ無職で、もう社会復帰なんてとっくに諦めていた。両親からの仕送りと内緒で申請した障害者年金でなんとか生活できてはいた(本当は余裕があるはずなのだが、ネイルしたいし、髪の毛もいじりたいし、何より酒とタバコがやめられない)が、散らかった部屋は生活と呼ぶには幾分か無様だとは思う。さすがにいつまでも仕事が決まらない私に、去年から両親も病状を気にかけるようになっていた。毎週末、父から国際電話がかかってくるようになった。毎回、元気か?で始まる父の言葉になんて返すとのが正解かわからずまあねと返すことにいつのまにか慣れていた。病状は安定してるよ。安定して憂鬱だし、安定して気怠いし、安定してお風呂は苦手だ。電話の締めくくりはいつも母親に代わって、お父さんももうすぐ定年だから日本に帰るし、いつまでも仕送りもしてやれないんだからねと言われた。
「ねえ?人の話聞いてる?」
「聞いてるよ」ととっさに答えたが、本当は聞いてない。
「どう思う?」
「なにが?」
「やっぱ聞いてないじゃん」
「ごめん」
「そういうとこがあるから就職できないんじゃないの?」
「かもね」お前にはそんなこと言われたくないと思う反面、文句言いながらも仕事が続いている香奈対して、早々に就活を諦めた私は反論できる武器はなど持っていなかった。
もともと諦めの早さは人一倍だった。小学生の頃、漫画家になりたくてたくさん絵を描いた。結構自信があってクラスメイトに見せて自慢もしていた。でも、私よりもっと絵の上手い子が現れて見向きもされなくなったから諦めた。絵がダメならと小説家を目指して、投稿サイトに短編小説をいくつか投稿したけど、たった一回の『つまらない』という感想に心を砕かれ諦めた。絵がちょっとは描けるのと、ストーリーが作れるから大学で演劇部に入部するも、脚本はまた勝手が違い難しかったし、絵は小学生から成長していない現実を突きつけられていつのまにか幽霊部員になっていた。そんな状態で就活が始まり大学の四年間で何をしてきたか答えられず、面接結果はお祈りばかり。やっとこさ、就職できたのは介護施設の事務員。通信で介護保険の勉強をし、それなりにバリバリ働いていたけれど、前述の通り精神を病み、仕事も諦めた。
「聞いてないならもういいわ、おやすみ」電話が切れた。
「あ、ごめん眠くて」と切れた電話に向かって言い訳を咄嗟にしてしまい、なんだか悔しかった。とっくに目は覚めていた。時刻は午前三時半。これから頓服の眠剤を投入すると今度は朝起きれなくなる。早起きする必要ないんだけど。いつかまた働きだしたとき生活リズムで困らないようにと備えている。諦めは早いのに、往生際が悪いなと思う。眠れそうにないので散歩することにした。
人通りも車通りもほとんどない深夜の国道沿いの道を歩く。夜更けの散歩は好きだった。寝静まった街、私ひとりこっそりと息をしている感覚。香奈に少しだけ申し訳ないことしたと思う。ちゃんと聞いてあげたらよかったかもしれない。でも、どうせ職場の愚痴なのに、なんで私が申し訳ない気持ちにならんとあかんねんとも思う。このまま朝まで歩くか、ほどなくして帰るかで迷う。などと考えながら歩いてたどり着いた名前の知らないドブ川に架かる橋で、川を覗き込むと、深夜なのに鯉がわらわらと川面に集まってきた。餌なんて持ってないからじっと眺める。なんも考えてなさそうな顔して鯉も鯉生がつらいとか思うんかな。
すると、ポケットに入れていたスマートフォンがブルブルと震えた。香奈だろうなぁ。めんどくさいなぁ。ほっとけばいいのに、ついつい確認してしまう。通知には山本の名前。誰だっけ?と数秒考えてから、入院してた時に、しつこく連絡先を訊いてきて渋々LINEを教えたおじさんだと思い出す。そういえば、なんの病気で入院してたのか知らないけど、やたらとハイテンションで初対面の時から私のことちゃん付けで呼んできて、うぜって感じたな。あんだけしつこく連絡先聞いといてなんも言ってこないから拍子抜けで、なんとなくブロックできずに放置していた。
『久しぶり!元気?寝れなくて暇だったからラインしちゃった』
しちゃったってなんだよ、きも。寝れなくても、そんなに親しくないんだから深夜にLINEしてくんな。と思いつつも、
『山本さん、お久しぶりです。元気ですよ。私も寝れなくて起きてました笑』なんて返してしまう私はやっぱさみしいんだろうな。同じく寝れなかったなんて情報言う必要ないのにな。速攻で既読がつく。だが、そこから返信は来なかった。なんだよ。いちいち、拍子抜け野郎だな。二度と話しかけてくんな。
それから二十分ほど、ぼーっと鯉を眺めていた。またポケットでバイブレーション。香奈かはたまた山本か。今度はすぐに確認する。山本だった。うわ、長文だ。
『こんなこといきなり言うのきもいかもしれんけど、ぼく、ずっとみっちゃんのことが好きやってん。病院で一緒に院内散歩したん覚えてるかな?あん時、一緒に喋っててええ子やなぁって思ったんよね。ぼくみたいなおっさんのこと興味ないと思うし、きもかったらきもいって言ってな笑笑。あ、そうや、OTでみっちゃんが描いてくれた絵まだ持ってんで。ちょっとぼくの知らん漫画やったけどみっちゃんが描いてくれたから退院してから真っ先に買って読んだ。面白かった。でも、漫画の面白さよりもみっちゃんと同じ漫画を好きになれたことが嬉しかったなぁ。あかん、またキモいこと言ってる笑。あとあれや、病棟で一緒にカラオケしたんも覚えてるで!手拍子してくれたからめっちゃ気持ちよく歌えたわ。やっぱええ子やなって思ったよね。ほんで、みっちゃんめっちゃ歌うまいからびっくりしたわ笑。なんか話があっちゃこっちゃいってもうてごめんやで笑。なんで今更って思うかもしれんけど、ぼくみたいなおっさんはあかんやろなって思って諦めてたんやけど、最近、ぼくも五十過ぎて年取ったなぁって思ったらこのまま、ずっと想いを隠して死ぬん嫌やって思うようになってん。大袈裟ちゃうで、本気やで。ぼくみたいなおっさんきもいかもしれんけど、この気持ちだけは伝えておきたかった。好きです。ぼくみたいなおっさんでよければ結婚を前提にお付き合いさせてください。お願いします』
うわ、どうしよう。どこからツッコミ入れるべきか。まず残念なことに私はみっちゃんではなかった。みっちゃんは同じ時期に入院していた私と同い年の女の子。確かに絵は上手いし、歌もうまかったし、おだてるのもうまかった。みっちゃんの端々に漂う計算高さが苦手で私は距離をとっていた。で、微妙に私との思い出が混ざっていて辛い。うん、山本さんと院内散歩したし、手拍子をねだられたから手拍子もした。だが、私は頑なにカラオケで歌わなかった。みっちゃんの歌に圧倒されて歌う自信がなかった。それとこの文章何回『ぼくみたいなおっさん』って言うんすか。自分大好きかよ。どうしよう既読つけちゃったよ。立て続けになんか送ってくるし。『ダメだったかな?』『迷惑だよね』『ごめんね、無理ならいいんだ』『ごめんね、困らせたよね。本当にごめん』……etc
意を決して返信しようと思った矢先、香奈からのメッセージ。『さっきはごめん、眠かったよね、いつも寝てる時間だもんね。なんかずっとお姉ちゃん(香奈はなぜか私を姉と呼ぶ)に酷いことしてる気がしてさ。いつも愚痴ばっかり言ってごめんね。もし起きてても返事いらないからね』
なんで香奈が突然しおらしく謝り出したのかわからないが、おかげで山本さんがどうでも良くなった。山本さんに『ごめんなさい』とだけ返信して厳かにブロック。香奈に謝られたことが何故か私にはショックだった。謝るなんてずるいと思った。だって私は、香奈のこと内心痛い目見ればいいってずっと思ってたのに。私だけひどいやつみたいやん。そんなんズルい。ズルいズルいズルい。
で、何を思ったのかスマホを放り投げていたわけで……。そして、何を思ったのか、始発列車を待っていて……。でも、行き先は決まっていた。香奈が就職した時にお祝いを送ったことがあった。だから、住所は知っていた。初めての関東旅行だ。またいろんな人と連絡が取れなくなったね。いろんな人のことを思い浮かべる。両親のこと、かつての仲良かった人たちのこと、キモかった山本さんのこと、どこで何してるか知らないみっちゃんのこと、そして、これから家に押しかけてやる香奈のこと。思い返すと案の定稀薄な人間関係だった。だからなんだ。あの長方形の機械ひとつで潰える関係なんてどうせ、いつか潰える。そんなことで潰えるなら、そいつがどんなにムカつくやつでも、憎たらしいやつでも、私だって同じくらいひどいやつなんだし、会いたい人に会いに行くと決めた。
論考:ネット詩投稿サイトはどのような夢をみてきたか
本稿では、インターネット詩投稿サイトの歴史を整理し、その変遷を論じる。対象とするのは、文学極道、B-REVIEW、Creative Writing Spaceの3サイトである。他にも現代詩フォーラムなど著名なサイトは存在するが、本稿では単なるアクセス数や投稿数の多寡ではなく、場としての理念を明確に打ち出し、ネット詩文化の方向性に影響を与えたサイトに焦点を当てる。上述の3つを論じることで、オンライン詩投稿サイトの歴史を大まかに俯瞰することができるだろう。
まず、筆者自身の立場を明らかにしておく。2017年頃、文学極道において創作活動を開始し、同年、新人賞を受賞した。また、B-REVIEWでは創設メンバーの一人として、ガイドラインの策定を含むサイトのコンセプトや制度設計に関与した。現在はCreative Writing SpaceのFounderとして運営を統括している。
文学極道の最盛期をリアルタイムで経験したわけではないが、オンライン詩投稿サイトの変遷について一定の知見を持っている。本稿は、詩に関心を持つ読者のみならず、小説や戯曲など詩界隈以外の創作に携わる者にも届くことを目指している。ネット詩の興亡を整理し、今後の展望を示すことで、オンライン上の文芸創作に携わる人々の議論の材料となることを願う。
【文学極道──ネット詩投稿サイトの象徴】
文学極道は、2005年に創設された硬派な詩投稿サイトである。私は2017年頃に半年ほど活動したのみで、最盛期をリアルタイムで体験したわけではない。しかし、このサイトがネット詩文化に与えた影響は計り知れず、文学極道の成功こそが、その後のネット詩投稿サイトの方向性を決定づけたと断言できる。
文学極道は、最果タヒ、三角みづ紀といった広く読まれるようになった詩人が投稿していたことでも知られる。特に、初期の投稿作品の質の高さと、コメント欄で交わされた鋭い批評の応酬は特筆に値する。
サイトのトップページには、次のような一節が掲げられていた。
>芸術としての詩を発表する場、文極(ブンゴク)です。
>つまらないポエムを貼りつけて馴れ合うための場ではありません。
>あまりにもレベルが低い作品や荒しまがいの書き込みは削除されることがあります。
>ここは芸術家たらんとする者の修錬の場でありますので、厳しい酷評を受ける場合があります。
>酷評に耐えられない方はご遠慮ください。
この言葉が示す通り、文学極道は単なる創作発表の場ではなく、詩を芸術として追求する者のための修練の場を標榜していた。馴れ合いを排し、批評によって切磋琢磨する文化を築くことが、この場の理念である。文学極道は、インターネットがまだ黎明期から拡大期へと移行する中で誕生し、必然的に2ちゃんねる的な匿名性の高いネット文化の影響を受けていた。その結果、サイト内では低レベルな作品には容赦なく酷評することが許容され、むしろ推奨されるような雰囲気すらあった。罵倒や激しい批評が日常的に行われる場となったのである。
では、文学極道が夢見たものとは何だったのか。
文学極道が目指したのは、詩壇では評価され難い、真に新しい詩文学の創造の場、そして活発な批評の場であった。そのため、実験的な作品が評価され、罵倒を伴う荒れた議論も場の活力と捉えられていた。しかし、この批評文化の攻撃性は、やがて場そのものを揺るがすことになる。
【文学極道からB-REVIEWへ──批評文化の変質と転換】
文学極道における厳しい批評文化は、当初は場の水準を維持するための手段として機能していた。しかし、次第にそれ自体がサイトの荒廃を招く要因となっていく。過度な罵倒が横行し、サイト内の風紀が悪化することで、真剣に詩を議論しようとする者が次々と離れ、罵詈雑言ばかりが横行する傾向が生じた。そして、この状況に対するカウンターとして、2017年にB-REVIEWが創設される。
B-REVIEWは、以下の三つの原則を掲げた。
1. マナーを重視し、まともな議論ができる場をつくること
2. オープンな運営を心がけること
3. 常に新しい取り組みを行い、サイトを進化させること
文学極道が「酷評・罵倒の自由」を強調したのに対し、B-REVIEWは「罵倒の禁止を強調し、投稿者が安心して作品を発表できる環境」を作ることを重視した。一見すると、両者は対極的なサイトポリシーを持つように思える。しかし、本質的にはどちらも「オンラインならではの創作の場とレベルの高い批評の場を作る」ことを目的としており、その方法論が異なるに過ぎなかった。すなわち、似た夢を見ていたのである。
文学極道が2ちゃんねる的な文化の影響を受けていたのに対し、B-REVIEWはソーシャルメディアの時代に適応した開かれた場を志向していた。文学極道が罵倒と酷評による場の引き締めと活性化を狙ったのに対し、B-REVIEWはガイドラインとオープンな運営によって場を整え、活発な批評空間を形成しようとした。この方針のもと、B-REVIEWには文学極道の文化に馴染めなかったネット詩人たちが流入し、活況を呈するようになった。
また、B-REVIEWの運営スタイルは、文学極道とは根本的に異なっていた。文学極道が管理者主導の運営を行い、選評制度によって場の権威性を保っていたのに対し、B-REVIEWはオープンな運営体制を取り、投稿者の主体性を重視した。選評のプロセスにおいても、投稿者と運営者の垣根を超えた対話が行われ、投稿者が主導するリアルイベントの開催等の新たな試みが積極的に導入された。
では、B-REVIEWが夢見たものとは何だったのか。
それは、ハイレベルかつ安心して参加できる詩文学の投稿・批評の場の創造であった。従来のネット詩投稿サイトの問題点を克服し、新たな時代に適応した批評空間を作ることこそが、B-REVIEWの掲げた理想だった。
【文学極道の終焉──自由な批評の場から単なる停滞と崩壊へ】
B-REVIEWの台頭により、文学極道の状況はさらに悪化していった。B-REVIEWのマナーガイドラインに馴染めない投稿者が文学極道に集中し、サイトの荒廃を加速させたのである。かつて、文学極道は「自由な批評の場」であった。しかし、その自由は次第に「無秩序な荒らしの場」へと変質し、本来の機能を果たさなくなっていった。もはや、詩作品への鋭い批評ではなく、ただの罵詈雑言や無意味な言い争いが繰り広げられるだけの場となってしまった。
この状況に対し、運営の方針も迷走を続けた。荒廃を食い止めるために運営の介入が求められる一方、介入を強化すれば「文学極道の自由な批評文化が損なわれる」という批判が巻き起こる。しかし、介入を抑えれば無秩序が進行するという悪循環に陥った。
さらに、運営者自身が文学極道の理念を十分に共有していなかったことも、混乱を深める要因となったと考える。たとえば、終末期の運営者には、もともとB-REVIEWの評者として招聘されていたが、運営内部の諍いを経て文学極道へと移行した者も含まれていた。また、最終期の文学極道では運営主導の朗読イベント/ツイキャス配信が行われるようになったが、和気藹々としたオンライン交流は、「罵倒上等」の文学極道の風土とはそもそも相容れないものであった。
もともと文学極道が持っていた「罵倒を許容してまで議論を重視する場」としてのコンセプトと、後期運営が試みた「サイトの健全化」は、よほど緻密に進めないと両立しない類のものだっただろう。サイトコンセプトにそぐわない志向性を持つ運営者たちが運営方針を弄ったことで運営内外の揉め事が拡大し2020年、文学極道は閉鎖された。かつてネット詩投稿サイトの象徴であった場は、その幕を閉じたのである。
【B-REVIEWの凋落──運営の乗っ取り】
文学極道が終焉を迎えたことで、かつてその場に馴染んでいた投稿者たちがB-REVIEWへと流入した。しかし、これがB-REVIEWに大きな問題を引き起こすことになる。文学極道的な「罵倒・酷評上等」の文化、不規則な放言や誹謗的な発言を含め、マナーガイドラインに縛られず自由に発言できる場を復活させたいと考える者たちと、B-REVIEWの掲げる「マナーを重視した批評空間」を維持したいと考える者たちの間で、次第に齟齬が拡大していったのである。
B-REVIEWは「ガイドラインに合意した人間であれば、手を挙げれば誰でも運営になれる」という極端にオープンな運営体制を採用していた。この方針は理念としては美しかったが、現実には大きな問題を孕んでいた。すなわち、サイトポリシーに共感しない者であっても運営の中核に入り込むことが可能な脆弱な仕組みとなってしまっていたのである。
B-REVIEWは2017年の創設以来、複数の運営者によって引き継がれてきた。そして、B-REVIEWの運営は、文学極道を出自とする第八期運営者らに引き継がれたことによって2023年に大きな転換点を迎えることになる。かつて何度もB-REVIEWから出禁処分を受けていた人物が、運営側に招聘されたのである。この新たな運営体制のもとで、サイトのルールは事実上反故にされることとなった。従来であれば「マナー違反」として取り締まられていた行為が放置されるようになり、むしろ運営自らが批判者を中傷するような状況すら生まれた。これにより、B-REVIEWの運営方針は大きく変質し、従来の批評文化の維持を求めていた投稿者たちとの対立が激化することとなった。
また、サイト内の意思決定の透明性も失われた。それまでオープンな場で行われていた議論はディスコードへと移行し、投稿者全員の目に触れる形での意見交換は意図的に避けられるようになった。これに対し、「もはや本来のB-REVIEWではない」として数十名の投稿者が抗議し、これまでのすべての投稿を削除しサイトを去ることとなった。
現在、B-REVIEWは存続しているものの、創設当初に掲げられた理念はすでに形骸化している。本来の姿を知る者からすれば、屋号とサイトデザインが引き継がれているだけで、もはや別のサイトに見えるほどである。
また、本来のあり方を否定したために、かつて開発を支援したプログラマーや、資金援助を行った者からのサポートも失われており、今後の大きな変革はほぼ不可能な状況にある。ここで、B-REVIEWを乗っ取った者たちの行為を具体的に断罪するつもりはない。
しかし、強調しておくべきなのは、文学極道の最終期と非常によく似た現象が、再びB-REVIEWにおいても発生しているということである。つまり、「サイトの理念に共鳴しない者が運営の座につき、方針を変更することで場が混乱し、迷走し、凋落していく」という構造が、またしても繰り返されたのである。
【文学極道の亡霊にしがみつく人々】
B-REVIEWが創設されて以降、ネット詩壇には文学極道的な「罵倒カルチャー」を復活させたい、適度に荒れた雰囲気の場をつくりたいと考える人々が常に存在していた。そして最終的に、そうした投稿者たちがB-REVIEWを乗っ取る形になった。
本来、罵倒や荒れた議論は、創作に真剣に向き合うための「手段」であった。しかし、それが次第に変質し、「無秩序な放言や支離滅裂な発言、癇癪を起こすこと、誹謗的な発言をすること」すら、詩人としての特質であり、詩に対する純粋な姿勢であるかのように誤認する者たちが現れた。
不思議なことに、サイトを乗っ取った彼らは自分たちが何を目指しているのかについて、殆ど議論も説明もせず、批判には無視か排斥で応えるばかりである。議論すること自体を忌避するような性格の人々が、本来のサイトポリシーを反故にすることだけに妙に固執しているようにも見える。彼らが本当に求めているものは何なのか。
私の見立てでは、彼らが求めていたのは、文学極道というサイトが生み出してしまった「間違った幻想」である。
まともなことがほとんど何もできないような人々、すなわち、一貫性のある態度や振る舞い、社会的な態度、感情のコントロールが一切できないような人たちが、自己正当化の手段として、放言や支離滅裂な発言を許容しているかのように見える文学極道の文化にすがりつくようになったのかもしれない。彼らにとって重要なのは、創造することでも、議論を深めることでも、場を発展させることでもない。ただ、自分を肯定してくれる空気に浸り続けることに他ならない。
もともとは停滞する人々を排除するために存在していたはずの「罵倒文化」が、いつの間にか停滞する人々の拠り所となってしまった。ここまで読んでもらえればわかるように、私は文学極道というサイトが成し遂げた功績についてはリスペクトしている。また、最盛期の文学極道のような場を取り戻したいと思う人々の気持ちもとてもよく理解できる。
しかし、このサイトの残滓のような人々、場を乗っ取り、まともな説明を忌避し続けている人たちは、文学極道を含めて、これまでネット詩サイトが積み重ねてきた活動に対して、実質的に「悪口」を言う機能しか果たしていない。彼らはそんなつもりはないと反発するかもしれないが、しかし結局ところ、なんのつもりで場を変質させたかったのか、明確な説明も主張もない中にあっては、場を壊し、停滞させ、しかしそうした結果に無頓着な様子以外に読み取れるものがない。
【そしてCreative Writing Spaceへ】
B-REVIEWの混乱と凋落を目の当たりにした元運営者たちは、新たな文芸投稿サイトの必要性を痛感し、新しいサイトを立ち上げた。これがCreative Writing Spaceである。これまでのネット詩投稿サイトの歴史を踏まえ、サイトのコンセプトや運営方針を再設計し、新たな創作の場を築こうと試みたのである。
このサイトは、もはや「詩投稿サイト」ですらない。そもそも、詩の枠組みを超えた作品を生み出すことこそが、ネット詩投稿サイトの夢だったのだから、「詩サイト」を名乗る必要もないという急進的な考えに基づいている。また、詩の場である以上、不規則に振る舞って構わないはずだと考える人々が一部に蔓延る中にあっては、特定のジャンルを特権化せず、開かれた場をつくることが詩界隈にとっても利益になると考えた。特に、旧来の詩投稿サイトにまつわる過去の遺物──すなわち文学極道の「罵倒文化」やその残滓──を一切引き継ぎたくないという意識が強かった。
B-REVIEWの最大の問題点は、「オープンな運営体制が仇となり、乗っ取りが容易なシステムとなってしまったこと」にあった。この失敗を踏まえ、Creative Writing Spaceでは、クローズな管理体制を持ちながらも、分散的な自治が可能なシステムを設計することにした。
その一環として、サイト内通貨「スペースコイン」を導入し、単なる作品投稿の場にとどまらず、各ユーザーが自律的に活動できる仕組みを取り入れている。また、各ユーザーが気に入らない相手をブロック・通報できるシステムを整備し、運営が過度に介入せずとも各自が自身の環境を管理できるようにした。
さらに、詩だけでなく小説、幻想文学、戯曲など、多様なジャンルが交差する場を目指し、文学極道やB-REVIEWとは異なる新たな可能性を模索している。名興文庫との提携を通じて、小説界隈との連携を強化し、これまでのネット詩メディアにはなかった展開を示している。
サイトの立ち上げからまだ間もないが、月間の投稿数はB-REVIEWの最盛期と同程度に達しており、順調に成長を続けている。しかし、これはまだ始まりにすぎない。Creative Writing Spaceはどのような夢を見ているのか──それは、かつての文学極道やB-REVIEWが見た夢の続きであり、それらとは異なる、新しい何かでもある。
【言い訳としての結語】
Creative Writing Spaceは、特定のジャンルに依拠しない文芸投稿サイトである。あたらしく進めていくことをテーマに掲げている。したがって、本稿のように、詩投稿サイトの系譜を振り返ること自体が本来の方針にそぐわないかもしれない。
名興文庫との提携を通じて小説界隈とも接点を持つ中で、特にアンチ活動に勤しむ人たちを目にするにつけ、小説の世界にもまた、特定のジャンルに閉ざされることで停滞が生じていることが理解できた。他方で、特定のジャンルに囚われることなく、純粋に創作を研ぎ澄ませたいと考える書き手が一定数存在し、Creative Writing Spaceに参画くださっていることも確かである。
特定のジャンルに閉じないことは、詩に限らず、創作全般において重要な課題なのではないか。内輪の論争に拘泥するのではなく、異なる背景を持つ書き手たちが交わり、互いに刺激を受けるような場を築くことこそが、今後の文芸創作の発展にとって必要なのではないか。Creative Writing Spaceは、まさにそのような場を目指しており、現状にとどまるつもりがないからこそ、この論考を投稿している。
ぷくりと伏せ字
するりと刺さって抜けない
こぼれおちなかった時間が蓄積するように
紙飛行機を肺を貫く
鉛色の影がもう一度よじ登る
蜘蛛の糸が切れる前にたわんでいる
喉の奥でほどくまえの筋雲
それはやわらかいフルートの蜜のように
指先の風はそっとくすぐるように
虫の高さで徘徊する余韻の1秒は
なすがままにふらふらと揺れる
ツブテの烟の谷は今は
誰の唇を濡らすのか
誰の舌に触れるのか
夜明けに沈む。伏せ字にして
隠されたものが膨らんでいく差し色なんだか
夏の終わりを知らせた 鼓動の手紙
ぷくりと遠い約束の宛名だけが静かだ
月の抜け殻に舌で撫でるピアス
滲み出す。ぬるい静けさに溶ける言葉の代わりに
スプーンの音と かき混ざる 今日の雨とともに
迷子のメロディーがファミレスでみないふり
「信用」としてのクリエイティブ・ライティング
「あなたのけつあなを、見せてください。」
えっ、驚きましたか。そうですね、驚くと思うんです。私も、付き合いたての彼女にこのようなことを要求されると、同じような表情をすると思います。
ただ、私としても、何の理由もなくあなたに、このような恥ずかしい行為をお願いしている訳ではありません。
一旦、私の話を聞いてもらえませんでしょうか。
私は、かつて多くの女性と付き合い、そして、何度も裏切られてきました。裏切り方は多様で、他の男の腕に抱かれているところを目撃したり、或いは酷い言葉を投げかけてきたり、FURLAのバッグをプレゼントした翌日に連絡が取れなくなったこともありました。
彼女たちも、最初はそんなことをするような酷い人間ではなかったんです。でも、一緒に歩んで、言葉を交わすたびに、彼女たちの締めていた扉の鍵が緩んでいくのでしょう。何をしてもいい、何をしても許される、笑って見過ごしてもらえるという安心感を、与えてしまっているんです。
皮肉なことに、私の与える安心感や居心地の良さ、やさしさ、そういった善の影響を受けることで、人は簡単に悪の道に足を踏み入れてしまうのだとわかりました。
もちろん、私とて完璧な人間でないのは重々承知しています。私にだって当然ながら失敗があり、相手を怒らせたり、不愉快な気持ちのまま不満をため込んだりさせてしまうこともあったことだと思います。でも、だからといって、心の底から「信用」している相手のこころを踏みにじるようなことをする理由にはならないと思うんです。
当然ですが、あなたもどうせそうなのでしょう、といいたい訳ではありません。このような私と付き合ってもらえるなんてそれこそ夢のような話です。でも、いえ、だからこそ、あなたには悪の扉を開けるような人には、なってほしくないのです。
私は考えました。どうすれば、人は悪の道に走らなくなるのか。それで、一番あったのは、私とあなただけの秘密、ほかの人には知りえないようなことを共有することで、初めてお互いがお互いを「信用」して、素晴らしいパートナーになれると。そう思い至ったのです。
でも、お尻の穴じゃなくても…いいたいことはよく分かります。別にけつあなじゃなくともいい、例えば、SEXでも全然構わないじゃないかと。確かにそうかもしれません。SEXとは本来他人と他人を結び付け、新たな生命を生み出す神聖な儀式のはずですから、その関係に本質的な疑いを向けるのは間違っているんじゃないかと。そう仰りたいのでしょう。確かに、生命体の考えとしては間違っていないのかもしれません。ですが、こと人間においては、その前提はいとも容易く崩れ去ります。例えば不倫は?浮気は?ワンナイトは?世の中にはたかだか数千数万円のお金を得るために、簡単にまんこを差し出す女性が大勢います。そこに、はたして恋人として「信用」に足る何かを得ることは可能でしょうか。残念ながら、SEXでは不十分なのです。
ふたりの秘密をはなしてみるとか…ええ、当然その線の反論があることは予測済みですよ。二人の秘密ですか。それは、本当に二人だけの秘密なのでしょうか。その担保は?保障は?非常にもどかしい現実ですが、お互いに話した秘密を、本当に私以外の誰にも話していないという確実性が存在しません。
もちろん、けつをおっ広げてけつあなを他人に見せたことがないという保障もまたないじゃないか、という考え方も可能です。が、確率が違います。そもそも、お互いの秘密を話すと決めたとして、相手がどのレベルの秘密を話してくるのかがグレーゾーンになっています。これでは、「信用」もへったくれもありません。その点けつあなは、よほどアブノーマルなプレイをしていない限り、わざわざ自ら見せることなどほぼありません。イギリスのSex by Numbersという団体の調査結果によると、アナルセックスですら全年代20%以下。ましてや、けつあなを見せる行為などその中のさらに数%となると仮定すると、その特異性は証明可能です。
でも…ええ、言わなくともわかりますよ。AV業界では、少数ながらけつあなを見せる商品があるじゃないかと。仰る通り、SOD、ナチュラルハイといった大手メーカーを筆頭に、そのような製品が実際市場で販売されています。ただ、振り返って考えると、当然ながら出演した女優は、その行為をすることそのものが仕事であって、給料が発生しているのです。誰が無償で、そのような恥ずかしい行為をするものでしょうか。つまり、金銭の授受なく、自らけつを広げてけつあなを見せつける行為そのものが、「信用」を確信させるということが逆説的に証明されるのです。
でも、私、そんなつもりで…まだ何か反論があるのですか。勿論あなたが悪いわけではない、あなた以外の人に破壊された「信用」の藻屑が、今あなたに降りかかっていることを私は理解しています。しかし、それはあなただけではなく、私にも同じことが言えるのです。あなたを私は「信用」したい。けつあなを見せることがそのための最適な方法であることが、今確かに証明された。それなのに、あなたは未だにパンツを穿いたままだ。これがいったい何を意味しているかというと、あなたは、私に「信用」されなくとも構わないという意思表示に他ならない。そうなのでしょう?だって、私がいて、あなたがいて、他に誰もいなくて、今、この空間はあなたと私だけの秘密だ。私はあなたを「信用」したいといっているにすぎない。その最も最適な方法を、今あなたに提示したに過ぎない。そして、低劣で愚かな反論しかせず、まともな別案を提示するでもない。今まさに、あなたは私を裏切ろうとしている。
裏切るってことはどういうことかな。私はあなたにわたし、あなたを信用できません。きちんと説明し、あなたはわたし、あなたを信用できません。それを否定できない。否定できないってことはわたし、あなたを信用できません。、当然受け入れる以外の方法がない。ここまではわたし、あなたを信用できません。わかるよね。わかっているのに、けつあなをわたし、あなたを信用できません。見せられないってことは、私に「信用」わたし、あなたを信用できません。されたくないってことだよね。わたし、あなたを信用できません。だって、私に「信用」されたいという場合においては、けつあなをわたし、あなたを信用できません。見せる以外の方法がないことが証明済みわたし、あなたを信用できません。だよね。証明済みのはずの理論を否定するってことは、わたし、あなたを信用できません。そうか、数学ができないんだ。わたし、あなたを信用できません。証明問題って解いたことある?ほら、中学生くらいにわたし、あなたを信用できません。試験の問題で出題されてたやつ。あれなんだよね、結わたし、あなたを信用できません。局、あれをきちんと学んでいなかったってことだよね。大丈夫、私はわたし、あなたを信用できません。低学歴のカスでも支えられるよ。だって、私は優しくて、うっかり、わたし、あなたを信用できません。あなたの悪の扉をあけそうになるくらい色んなことを許してきた人間だから。証明っていうわたし、あなたを信用できません。のはね、一度証明されたら、それを覆すことはできないわたし、あなたを信用できません。の。科学じゃないの。科学は、いくらでも覆される可能性がわたし、あなたを信用できません。あるよ。でもね。数学はそうじゃないんだ。あなたは今、わたし、あなたを信用できません。私の立脚した考え方に反論できなかったよね。つまりわたし、あなたを信用できません。、少なくともわたし、あなたを信用できません。この場においてはわたし、あなたを信用できません。、私の説がわたし、あなたを信用できません。証明されたわたし、あなたを信用できません。ってことなんわたし、あなたを信用できません。だ。ということわたし、あなたを信用できません。は、その
藍色の夏空
夏空は最高光度の藍色を誇っていた
じんわりという暑さ
紙袋越しにサイダー瓶たちを抱えながら
坂道を下っていく
右手からまっすぐの眼下
ただ海は広がっていて
夜の果ては、はるか遠く
星の靴下
時計のなかを泳ぐように
夜がふけて、月は私
次があったら
つぎはぎしても
雲の合間、息継ぎをする
魂が呼ばれる方へ
ためらいが流れる
弱い私の爪は銀製
たまっていた怒りも
筆の先で踊ればいい
甘い私の言い訳は
貴方にわたした手紙の
一行目からはじまる
淡い足跡が魚影の群れになって
夜の街を泳いでいる
冷蔵庫の製造番号が輝いて
知らない世界へのパスワードみたいに
貴方の横顔を思いだす
私の胸は濃い酸性雨に焼けた
つくろえないくらいに
目をそらしても
あたたかさにしびれる
雨上がりに出会った
水滴さえ祝福のように
あと一つ星がふえたら
夜をたのんでいい
重み
私の命は
財布に入っている
この紙切れよりも
軽い
EuropEophObiA
「君はどこまでも、どうしようもないほど、ヨーロッパ的だね」
最初にふとそんなことを言われた時、僕はただ黙って、おにぎりを食べていた。あるいはおにぎりでなくても、各々の食べ物を指定するべきなのだろうけれど。
とにかく、僕はどうにも首をかしげるしかなかった。
そもそも僕にそれを言った相手は、今となっても誰なのかが知れないのだ。少なくとも、僕と同い年の少女であるということはわかっているのだけれど。なぜ僕にそこまで興味を持っていたのかもわからないし、なぜ彼女が僕と話している間は自死というものを延期していたのかも、今となってもわからない。
星空に祈った。光が差し込む、僕をもう信じないでくれ
僕はおにぎりを飲み込み終えると、彼女にそっと訊ねた。
「ヨーロッパ的って?」
「そうだね。まず、私に突然そんなこと言われて、驚いているし、困惑してるでしょ?」
僕はどう答えればいいのかわからなかった。だから、とりあえず肯定するという行為を実践してみることにした。
「そうだね、驚いて、困惑している」
すると少女は呆れ顔で肩をすくめた。
「そういうところだよ、ヨーロッパ的というのは」
よくよく考えてみると、別にこういう僕の態度がヨーロッパ的だというのは初めて言われたことではない。僕が書いている作品を見た何人かの知り合いは確かに僕の中に確かに英米文学の影響を見出していただろうし、あるいは僕自身もヘッセを実に愛読し、ドイツ的な文化を享受し、そしてキリスト教的文学の要素を受け継いでいたのはわかっていた。
「君はまるで英米文学の主人公だ。あるいは村上春樹の小説の主人公とでもいうべきかな」
僕は訊ね返した。
「その反対はなんだっていうんだい?」
「安部公房、あるいは有川浩の主人公たちだよ」
「剥製にされた天才」をご存知ですか
「あるいは君に関してはこう言った方がいいかもね。『横光利一あるいは李箱の描き出した機械質的な主人公たちそのものだ』って。彼らは皆、困惑したとか混乱したとか言っているけれど、それはあまりに欺瞞に満ちている。だって、彼らはただ淡々とした表情でそんなことを言って、ただ目の前の状況に対する感想だけを述べているんだから。それのどこが困惑で、あるいは混乱だというの?」
僕は確かにと頷きながらも、同時に僕の中の持論がそっと湧きあがっていくのを感じていた。なるほど、確かに機械的だ。実際、横光利一のモダニズム小説のタイトルは『機械』であったし、その主人公も確かに無機質な雰囲気があった。だが、それの何が悪いというのだろうか。
別に感情がないわけでもないし、むしろ整然としていて悪くなさそうなのに。
「じゃあ、君は僕にここで喚いて欲しいのかい? パニックになってほしいのかい?」
「ううん、別に。うるさいから嫌。安部公房の『砂の女』の喚くことしかできない主人公なんかより、有川浩の感情が強すぎるキャラクターたちよりも、モダニスタの雰囲気を私は選ぶね。でも、その論法は気に食わないかな。卑怯だよ」
彼女は小石をそっと投げる。星空を鏡のように映すプールの水面は揺れていった。
どうして心の迸るままに生きることがこんなにも難しかったのだろう
以前、僕は少女に詩集を渡していた。まあ、詩集というよりは、いくつもの紙束といった方が正確なのかもしれない。その時も彼女はそれを持っていて、僕の顔にぶつけるように返してきた。
「これ、悪くなかった」
「良くもなかったみたいだね」
彼女は答えた。
「うん。綺麗さと技術がなければ読めたものじゃなかった。君の抒情詩は、あまりにもあからさますぎる。感情を綴るための形態なのに、君はそれを理性と少しの行き当たりばったりで設計しているから。テクノクラートって知ってる? まさにそれだよ」
僕は呟いた。
「つまり意図的すぎるってことか」
「そういうこと。君のヨーロッパ性の顕現だ」
支離滅裂さよりはマシだろうに、と僕は少しのふてくされた想いを、それはそれとして口には出さないようにした。とりあえずは彼女に語らせておくべきだと、どことなく思えたからであった。
代わりに、別のことを言うことにした。
「でも現代詩サイトを見てみなよ。僕の詩は癒しじゃないかい?」
少女は肩をすくめる。
「確かに君の詩は優しさを求める人々にとっては、これ以上ないほどの癒しだよ。社会を論じることはしないし、作中で荒い言葉遣いをすることもない。ネガティブさも毒気も憎悪すらもない。ただ郷愁と失ったものへの愛、あるいは情景への感動と星菫派に対する懐古。それだけが存在する。ここまで抒情に振り切った詩人は私も初めて見たと思う。でも、その抒情はどこまでも意図的な理性の産物じゃん。ヨーロッパ人よりも、遥かにヨーロッパ的すぎるんだ」
それから彼女は足をプールにつけながら言った。
今夜も星が 風にかすれて泣いている
「いつか君のために『新しい「新しい星菫派について」』という文章が書かれるかもね。それも、憎悪やらたくさんの感情をこめられた、理性に基づいた君の文章とは正反対の代物がね。でも、それは実に君の自業自得だ。決して尹東柱にはなれやしない君のね」
それから、彼女はぐいっと僕の腕を引っ張って、一緒にプールに落ちるように飛び込んでいった。僕は少し水を飲んでしまったけれど、すぐに息を持ち直した。そして、今度は水ではなく息を呑んだ。ただ星だけが瞬いて、その冷たい暖かさというものに直に触れることができたのだから。僕はそれを仰向けに浮かびながら眺めたんだ。
濡れた服の重さなんて、ちっとも気にならなかった。
「君は、この光景もいつか詩にするんだろうね」
少女は悲しそうに言った。
「理性の意図と設計が根底になってしまっている詩に。どんなに感情で揺り動かされても」
僕は頷いて、言った。
「夜の果てのために僕は書いているんだ。仕方がないだろう?」
「仕方なくない」
言葉なんて覚えなければよかった
しばらくプールで浮いていると、僕は少女に手を引かれて、そのままプールサイドにまで引き上げられていった。世界はまだ夜の眠気の中にあるかのようだった。ただ、波打つ音、水の滴り落ちる音、鈴のような鳴き声、夕涼みに相応しい風の音……。
この瞬間は、ただ僕に記述されるために存在したのだ。
ただ、僕の魂のどこかにある情感的理性によってのみ。
「……君は最初に会ったときから今に至るまで救いようがないね」
しかし僕は少女の言い方にも問題があるように思えた。そもそも、はじめて彼女に会ったとき、救いようがなかったのは彼女の方だともいえるからだ。屋上から飛び降りようとしていたのだし。
少女はそんな僕の言いたいことを察したみたいだった。
「命の所有権は本人にあって、その扱いは本人の自由であるべきだ……そんなことを言われたの、初めてだった。そして、こうも思ったんだ。いくら理性が素晴らしいものだからって、ここまで理性というものを突き詰めていくと、こんなヘンテコなことになっちゃうんだって。オブジェクティビズムの極致じゃんって。そして、笑っちゃった。村上春樹の主人公も絶対に似たようなこといって、そのまま見届けようとするって思うとね……こうやってリアルにいたのが恐ろしいけれど」
確かに言ったが、そこまで変なものだっただろうか。僕は少し疑問を覚える。でも、あまり深く思考をすることは叶わなかった。どうにも疲れていたし、それで段々と瞼が重くなっていったのだから。
「うん、ゆっくり寝てなよ」
少女は僕の濡れた髪を撫でながら言った。
「それで、ただ君の信じる道を進み続ければいい。どんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみが君を待ち受けていたとしてもね。きっと、君はただ進み続けるしかないんだろうし。もとから君はそんな人間だから。おやすみ、ヨーロッパ精神の体現者さん」
僕の視界を、ゆっくりと、星の瞬きなき暗闇が覆った。
王子さまが自分の星に帰ったことはわかっている
夜明け時に、僕はゆっくりと家に帰っていった。きっと少女はもうこの世に存在しない。目が覚めたときに、彼女はどこにもいなかったのだから。
ただ、それだけのことなのに。僕はどうにも不思議な悲しみを言い表せず、ただ家のベッドに戻ったときには、そっと泣き伏せたのだ。
なぜ今に至るまで僕の魂に刺さったままなのだろう。
嵐が花の喩えであるように、人生だけが「さようなら」を意味できた。
私は詩を知らない
私はネット詩を知らない
私はインターネットで詩を書いていた
私はインターネットで詩人を名乗っていた
私はインターネットで詩サークルを主催していた
でも、
私はネット詩を知らない
ネット詩界隈を知らない
文学極道も知らない
現代詩フォーラムも知らない
B-reviewも知らない
詩の書き方も知らない
詩の読み解き方も知らない
詩の批評のやり方もわからない
私は詩を知らない
私はSNSで詩を書いた
それは、しろうとの落書きだった
それは、日記の隅だった
それは、道端のタンポポのうただった
しんだ友達への懺悔だった
夜がとくべつな意味を持った
私は詩人を知らない
ゲーテもシェイクスピアもランボーも
なかやもさくたろうもけんじも
谷川俊太郎は少し知ってる
詩が私に何かを残した事は無い
私が何かを残すために詩はある
でも、
でも、
私は詩にあこがれている
緑の煙、一連の夢、あなたの目は黒い!(ともに浮かべば肺、満ち! 前編)
シーツはとっくに床に落ちていた。冷たいのを探して合成樹脂のマットレスの上で寝がえりを打つ――象の皮膚のような細かい脈がうつ伏せの手のひらや草臥れた頬に跡をつけていた。感触は覚醒していない中でも知覚され夢に干渉してくる、暑さも同じだ――この部屋の窓から日光が直接俺に当たるのは正午の前後一時間ずつだけで、暑くなると目を覚まさなければならないことを恨んでいた。死んだ竜の干からびた身体、道路をイルカのように跳ね泳いだ雨季の大ナマズの記憶が俺を唸らせる、恐ろしい現実。夢の中にいる限りはその恨みも悪夢になり俺を追い回す。一呼吸ごとに喉を焼く灼熱の大気のイメージは常夏の乾いた春ではなく、昨晩の飲みすぎからやってきたもので、そのことに夢の中で気づいた俺は慌てて目を覚まして辺りを見回す――ケータイ電話を拾ってチャットの履歴を見たが、竜が生き返ったという連絡は当然なかった。酒で燃えるような悪夢を見た翌日に必ず慌てて飛び起きるのは、何度かベッドに吐き散らかしていたことがあったからだ。その日は幸い吐いてはいなかったが口の中には嫌な味が広がっていたし、パンツを履いていなかった。壁に飛び散った蛍光イエローのペンキが吐き気を叩いて笑う。
もっと最悪なことにはあまり知らない女――暑さを知らないのか俺のブランケットを抱きしめ裸ですやすや眠っていた。まず一目に外人だと思い、それでも一日が始まったことには変わらないので埃だらけの床からジーンズを取ってベランダに出た。このアパートじゃ水道がベランダにあった――鳥籠のように黒いフェンスが建物をすっぽり覆っていてベランダの柵から手を伸ばせば届きそう、出てくる度に鳥が逃げていく。つまりこれらの柵は鳥を捕らえるためのものではない。お化けが来るのを防ぐためのこの頑丈な黒いフェンス、内側にも高い木が生えており、どう飛び降りても何かしら引っかかって死ねないなという印象のアパートだった。それにしても誰がお化けが飛ばないと決めつけたのか?歯を磨きながら、フェンスの向こうに広がる森に遷移した空き地を睨んで――多分恐ろしいお化けたちはあそこからくる――ようやく昨晩のことを考える余裕を取り戻した――あいつがまるっきり知らない女というわけではないことも同時に思いだされる。同じ大学の生徒で、学部は違えど友人の友人の連れでパーティで一緒になったことがあったはずだ。青い肌に大きな目、南部生まれらしい顔立ち、首からは金のタリスマン――おそらく佛陀をさげていた――仏教徒というからには何らかの事情で我々がお互い服を着ないで寝ていたとはいえ、何もなかったと思うべきだろう。あの日も彼女のなんとなく気分の悪そうな、青白い肌の色が好きだったはずだ。目がぎょろりとでかいのが際立って見えて、笑うと一気に唇が赤くなるのを思い出した。
歯を磨きながら昨日一緒にいた仲間を思い出そうとする。ピート、パニック、ティーパコン、それからパニックの女、カイワンのカップル、人の顔が一通り頭に浮かび上がってもこの女はいない――あれらが俺のコップに氷とビールをせっせと注ぎこむ様子までフラッシュバックしてベランダ柵の向こうに唾を吐いた――ますます例の青い顔の仏教徒にどこでぶつかったのかが見えない。彼女は学部から何からまるっきり違うはずで、パニックやカイワンら学科の仲間が連れてくるはずがない。うがいをして、歯磨き粉を吐いて部屋に戻り、ベッドの隅に腰掛け女を眺めた。サンダルをくるくる親指で回しながら、空調をつける。うなり始めると冷たいのが白い霧になって慌てたように噴きでる。彼女は依然裸で眠っている、俺の真っ赤なブランケットを一層きつく身にまきつけて――服は脱いでも金の佛陀はぶら下がげたまま、煤けた銀のチェーンがたるんで鎖骨に沈んでいる。髪をほどいた彼女を見るのは初めてなのかもしれない、床に転がったペットボトルを拾い上げて喉に水を流し込んだ――あほみたいにぬるくなった水、いつ買ったか分からないほとんどごみみたいなのだが水道に口をつけるよりは多少マシ――色の薄い柔らかい胸が呼吸している。
時間を見るともう三時になりそうで、ショボい窓はすぐグレーになり、部屋はすっかりコンクリートの無様なボロに変わった。窓を閉める音で彼女は目を覚まし、裸の上半身を昼下がりの薄暗い光に晒した――枕元のケータイ電話で時間を確認しながら、彼女は舌をぺっと出して考えるような顔をしていた、しかし何も考えていない女。俺は着替えるのを見ないようにして、机の上をほとんどを占めている水槽に餌を放り込んで、彼等を見た――赤いボララスの群泳、これは上見では良くない、あとはオーロラの色をした闘魚と、病弱なフグ――水面でぱくついているのをひとしきり見てからベランダに出た。手を洗っていると彼女が出てきて、わからない言葉で何か言う、わからんからゆっくり話してくれ――今日も煙草を吸ってみるわ、とさっきとはまるで違うようなことを言った。白いTシャツを着ていた、彼女はどこも汚れてはいない――髪は結ばれてその子は人に戻っていた。ほっそり背が高く、肩は小さい。水槽の前にあった煙草を取って渡すとベッドの上で吸い始め、咳込んで水を、と言う。最初に何を言ったんだと聞くと、どうして自分はここにいて、もうこんな時間になっているのか、とゆっくり、簡単な言葉で言いなおした――彼女は困惑しているというより、理解できない状況に笑っていた。彼女が咳込みながら煙草を一本吸い終わるまでに二本吸った。どうして彼女がここにいて、もうこんな時間になっているのかは俺も分からなかった。
黙って煙草を吸って、天井の小さな蛍光灯の中で煙の筋がふらついているのを眺めていた。彼女は俺に名前を聞いた、俺は答え、同じことを聞いた。ゲッド、それが彼女の名前らしい。建築学部の院生というのは今初めて知ったか忘れてもうかなり時間が経っていた。初めて会ったんじゃないだろう、と彼女も言った、一回何かのパーティーで一緒になったはずだと覚えていた。が、誰のパーティーなのかは彼女も覚えていなかった。大勢を集めすぎて誰も主催者を知らない、そんなパーティーには知り合いもいないもので、俺と彼女はただ象使いが中央で芸をやっている様を、隅っこで黙って眺めて、コップの中に氷とビールを入れてぼけっとやっているうちに一言二言話したか、ただ近くにいただけか、そのパーティーも二カ月か三カ月前の話だろう。昨夜どういう顛末で彼女が俺の部屋に転がり込んだのかは全く覚えていなかった。
喉が乾いたわ、とゲッドはぼんやり呟いた。そして隅にあるプラスチックのごみ箱に空のペットボトルを捨てた。トイレ借りるね、彼女は小さな便所に入っていった。それでまた机の上の水槽で泳いでいるオーロラ色のベタを眺める――鰭が長い、赤も青も紫も弾けている白ベースの美しい奴で、名前はヴァイデマン。ノルウェーかスウェーデンの画家の名前から取ったはずだが、こいつの色のその絵に似たこと以外元の絵の名前も筆も昔に消え失せている――そうだ、これはオーロラの色だったはずだ。壁のすぐ向こうのトイレから水音が生々しく響く――この女は生きている。よくこうなのかと尋ねると彼女は何が?と床にあったタオルで手を拭きながら聞き返して来た。人の家で記憶も無しに目を覚ますのは当たり前なのか?と英語で尋ねると彼女はノーと言い、自分は処女であるはずだと笑った――昨晩はどこにいたんだ?彼女はチャトゥチャック夜市と言って鼻で笑うようにした。いつまで記憶がある?俺のことは覚えているか?――花火が上がった。覚えているわ。トイレの帰りに会って喋った。それで二人で何杯か飲んでタクシーに乗ってキックバーへ行ったわ。――キックバー?そんな賑やかな酒場へ二人で行ったのか?ンガムヲンワン通りの?――そう。ンガムヲンワン通りのキックバーよ。彼女はそう言ってため息を吐いた。ケータイ電話を心配そうに眺めて居たが、笑いながら俺に一枚写真を見せてきた。それは俺とゲッドがキックバーで撮った写真だった――キックバーのボロい木テーブルに何本もコーラ瓶とラム酒が並んでいる――氷の入ったブリキバケツ、水滴、ビール、コップ、クロンティプ煙草のひしゃげたソフトパッケージ。俺はため息を吐いた――嫌だった?彼女は心配そうに言った。いや、その写真俺にも送って。彼女はベッドに胡坐をかいて――ランニング用みたいなショートパンツを履いていて、ももの内側にある肉が柔らかくマットレスの上で平たくなっている――Wi-Fiちょうだいと俺に言った、彼女はしんなりした、首元の佛陀の鎖が揺れて反射する。俺はベッドに寝そべって、彼女にWi-Fiのパスを見せた。ケータイ充電してもいい?――黙ってコンセントを指す。ありがとうとタイ語で言って小さいポーチから充電器を出した。目の下にくまがあり、その下にそばかすがあった、腕は細い――Tシャツの袖の隙間からだけふっくらついた脂肪が見えた。彼女はこげ茶の目で言った。実家に連絡しないと心配されるわ。すればいい。シーツは掛けないの?――ああ、床に落ちて汚れてしまっているから――青色の不気味なカビが、打ちっぱなしの床のそこかしこに生えていた――病気なるわ、彼女は鼻をすすって電話をかけ始めた。しばらく冷房の音だけ部屋で低くうなっていたが、すぐに彼女が早口でまくしたてるようにタイ語で話し始めて、俺は枕元の本を取った。寝そべったまま、冷房の風を直に当たりながら、読む――曰く、ガクラオ部落のギラ・コシサンは大変に大人しい男だった、その妻のエビルは頗る多情で、部落の誰彼と何時も浮名を流しては夫を悲しませていた、俺はふと二日酔いの気分の悪さを思い出し、唸った。ゲッドはまだちらちら俺の方を確認しながら電話をしている。片手でTシャツの裾をいじくりまわしている――どうせ言い訳を必死で喋り回っているのだろう。せいぜい男の家で目を覚ましたことまでどうにか隠し通せるくらいで、酒を飲んでばかりいたことは話すことになる、そういう調子だった。廊下の方でがらがら音が聞こえる、声からして学生でこれから出かけていく、日曜の夕方――バンコクは毎日が夏で、酒を飲まない夜はない。昼間に暑すぎる空気を吸わないよう気をつけて部屋で冷房に当たっておいて、多少マシになる夜にぞろぞろ歩きだす――尤も夜でも二十度台になることはほとんどないが、太陽が出ていないだけ幾分マシ――それがバンコクの学生の週末だった。安いバスや高くないタクシーに乗って、皆思い思いの酒場へ足を運ぶ。酔いつぶれるまで飲んだりはしないが、たくさん飲んで忘れることは少なくない。氷を入れたビール、油性マジックの味がする蒸留酒、米のウォッカ、深くなると陽気になる。彼らの仏教は日本のものと違うが、また似ている。
電話が済むと彼女は胡坐を崩してベッドに横になり、俺のTシャツの文字をなぞった。そして不気味な大あくびをした。怒られたか?彼女はうなずいた。家はヤワラート中華街の近くらしいが、生まれは南部で大きくなってからバンコクに移ってきたとか、聞きもしないのにべらべらと並べた。結局どうするのか、と尋ねると実家には明日の晩まで帰らないと言った。――親の顔が見たくない年頃なのね、ほとぼりが冷めるまでは帰る気にならない、と。ここにいるつもりか、と尋ねると大きく首を振った。こんな汚いところ一生タダでも生きられない、と下手な英語で笑った。学部の友人の部屋が大学から遠くないところにあるのだと彼女は言った。ここはンガムヲンワン通りのモールより向こうだ、と教えてやると彼女は遠いな、と途中まで俺を睨んで言い、諦めたかタイ語で文句の続きを言った。紫のスカイトレインでどこへでもへ行けるんだぜ?――俺が言うと、そんなのいいから、お腹が痛いわと言った。何か食べろよ。この近所、何かあるの。四時を過ぎるとパンティップ電気街の下に美味いカオパッドの屋台が出る。写真送った?彼女はちょっと待って、とケータイ電話を取り俺に渡した。連絡先を入れてやると、写真が届いた。いくら賑やかな酒場とはいえ夜で露光を長くしている為、俺もゲッドも顔が滲んでひどく不細工だった。パンティップの下でカオパッドを買い、ベンチで食ってしまうと彼女はバスに乗って大学の方へ帰った。俺はランドリーにシーツやその他床に散らばっていた布の類を突っ込んで、夜になるのを待った。
昼過ぎにだらだらキャンパスを歩いていると、図書館の脇の白い石机でカイワンのカップルとピートが飯を食っていた。二メートル近いオオトカゲがその様子を木陰から覗いており、俺はまずどちらに挨拶すべきか決めかねていた。朝の授業で先生がお前の文句を言っていた、とペアー(カイワンの彼女)が怒鳴った――髪を熊耳のようなお団子にして今日もピンクのTシャツをチョッブジャケットの下に着ている。怒ってた?――彼女は蛙の愛嬌がある顔で眉を吊り上げ、また手指でよくわからないジェスチャーをした。制服の学生たちが大声で話しながら歩き回っていてうるさい。どこもかしこも賑やかだ、落ち着く。彼女は早口でしかタイ語を話すつもりがない為、俺に話す時は常にデカいジェスチャーをしてくるが、そのジェスチャーにしても理解できら試しはない、ほとんどの場合は無視。昼の授業は一緒じゃないだろう?――彼女は苦笑いをした。ペアーとピートは頭が悪くよく落第していたせいで、俺とは授業が被らないことの方が多かった。太ったポリネシア風な女の先生と、若い角刈りゲイの先生が厳しいせいで、彼らの卒業は怪しい。ペアーの彼氏のカイワンは成績優秀だが、皆は彼が長髪であることを残念がっていた。図書館の脇に出る屋台でママーの麺を買っていた――ピートの隣に座り、勢いよく啜ると真っ赤でくそ辛い汁が机に飛び散り、三人同時に勢いよく顔を上げて顔をしかめた。行儀が悪い、と。仕方がない、啜らずに食う術を持っていない。
結局、カイワンと午後の授業に出て出席のサインをしたら、ティーパコンとケンドーと一緒に煙草を吸いに出てそのまま授業には戻らなかった。それでお前は最近小説とやらは書いているのか、とティーパコンは俺に聞いてきた。書いたところでどこにも行けないのだ、と俺は言った。ケンドーは笑いながら、お前はどうせ日本に帰ったらパチンコマスターになるしかない、真面目にやらずに飄々と生きていくんだろうよ――そんなことを言って笑った。お前はどうするつもりなんだ。彼は知らんと言って、バルコニーの排水溝に煙草を放った。今晩、ジョームのところで大麻をやるけど来るか?とティーパコンが言う。誰が来るんだ?俺とケンドーと、Bと、あと先輩とか、知らねえよ。いっぱい来るだろうよ――唾を吐きながら言った。行くよ、と返事するとティーパコンは親指をぱんと立ててみせ、それから売店の方へ歩いて行った――四六時中食っていないと気が済まない人間ばかりだ。ケンドーは大麻ばっか吸ってるとお前はどんどん細くなって死ぬぞ、と要らんことを言った。背が高いだけでなく、体重も優に百キロを超えているケンドーに健康のことなんか言われるのは癪だった。俺は彼の腹を突いて、お前こそ死ぬんじゃねえのか、と笑った。痩せる分にはいくらでも脂肪があるからな、と彼は髭の奥で笑った。情けない、俺もお前も。
ケンドーははぐれ犬だ。でぶだからはぐれ豚かも――どちらにせよ、基本的に彼は仲間といつも飲んでいるとき顔を出さない。金曜、俺があのゲッドという某学部女に出会った夕べもケンドーは来ていなかった。結局、あいつは大麻以外の社交には顔を出さない。学校ではだいたいティーパコンといるが、ティーパコンは夜仲間らと一緒にいる。ティーパコンが一番いいやつで、ケンドーが一番賢く、パニックが一番真面目だ。煙草を吸い終わって、ケンドーと解散した後も、俺は学部棟のバルコニーでぼんやりしていた。ちょうど二階のバルコニーからはヤシの木のてっぺんのもりもりしてる奴が近くで観察できる、それを眺めて居ると、遠くの道路を原付やら釣り人やらが通っていく。空が広いせいで細い雲がちぎれて地平に沿って流れていく、まばらにあるスカイスクレイパーの一つでもあの雲に触れたか?サイアム平野は広くどこまでも。研究用の水田の畔に座り込んで雑談するハット被った学生ら。時間は過ぎていった。真下でパニックが腰に手を当てて偉そうにペアーに説教を垂れているのは見えていたが、その様が意識の焦点にあたる場所へ上ってくるまでには多少の時間があった。ピートが原付に跨りながら二人を眺めへらへらしているのを見てハッと人間を垣間見たような気になった。パニックは真面目だが偉そうにしても間抜けは隠せないで、ペアーはあほ面でふざける――ピートはそれを外から眺め笑っているに違いなかった。二階からパニックに待っているよう叫ぶと、パニックは手を振って合図した。戸締り直前の教室からパニックが俺のカバンを出してくれていた。俺は一階に降り、パニックの方へ行くと、彼は何してたんだと聞いてきた。煙草を吸っていた――やけに長いな、と彼は笑う。ケンドーとティーと二、三十本ずつくらい吸ってたからな、と言うと彼は真に受け、病気だろうと言った――ところで、お前金曜の夜に俺はどこへ行ったか見ていないか?――こいつらはあの晩途中まで一緒だったんだから俺がどこでゲッド嬢とばったりしたのか知ってるはずだ――したら、パニックだけでなく、ピートもペアーもげらげら笑い始めた。トイレに行ったきり戻ってこないと思っていたら、一時間ほど経ってからやっとお前は荷物取りにテーブルに戻ってきた――運命の人を見つけたと言いながら――やけに陽気、かつふらふら、お前は幸せそうだった――横には同じくらい変に陽気な女が居た。あいつとは最近どうなんだ?覚えていない、そんなんだったか?と真剣に首を捻って思いだそうとした。運命の稲妻的なものは、だらしない二日酔いに上塗りされた。
仲間らが去っていくのを眺めて俺は一つ妙な気分になった。彼らが他人であるなという実感が粘土のように手の中に収まっていた、俺はそれを人差し指の付け根にすり潰しながら歩いた。一匹のオオトカゲ、おそらく昼間図書館のそばにいたのとは違うやつが俺の後をずっとついてきて、なんとなく恐ろしくなって走ると追いかけまわされた。急に立ち止まると、一メートル以上ある長い尻尾をぐらぐら振り回しながら、通り過ぎ、そのまま真っ直ぐ走っていき、すれ違い様に彼は言った。そうはいっても最近は前までより寂しくないんだろう?――それだけ言うとそのままドボンと灌漑用水路に消えた。そんなことを言われてもわからなかった。学部を出てシャトルバスに追い越されながらも、他人という実感にばかり触りながら居た――触れられるだけ他人と違うが寄れば寄るだけ誰も彼も他人だった。ンガムヲンワンの大通りに出てバスに乗って家に帰ってしまってから大麻を吸いに行くのに誘われていたのを思い出したがもうどうでもよくなっていた。ベランダの鳥籠柵を眺めて、小さな窓に俺はすっかり収まっていた。
常夏の夜は遠くまで刺激的だった。星のない場所だ。俺の他にもたくさんの人がいるのが分かる夜らしい街は、二十四時間周期で現れなんでもない人間を焦らせてしまう。大量の他人が行き交う大通りの、その裏にあるボロアパートにある俺の暮らしは、その他人の中の一つに過ぎず色も形もない普通のあれ――つまらん類のよくある最悪な人生に違いない。そんなのを考えずにいようとすると自然と鳥籠の外にある木々が揺れる様が話しかけて来るようになる――無視するものが多く全てを放り出すには骨が折れる、鳥が怒鳴るくらいはなんでもない。俺はケータイ電話を取ってゲッドにテキストを送った、彼女の顔を忘れてしまったから――彼女は今頃象に乗って遊んでいるだろう、外国の街は俺の思考の外だ、象のクラクションが耳を邪魔する、ある程度通りから離れているにも関わらず。ゲッドから返事が来たのは二時間後、俺は川べりにいた。
この街には川があった。ロンドンにテムズがあり、ニューヨークにハドソンがあるように、まともでないこの街にも川――水のママがバンコクに小言をいっている。チャオプラヤー、クソナマズの群れに刺青いれた不良たち、いい奴らだ。この川の向こうには何もない。全部水田で、山になって虎を跨いでビルマ。鳥以外あっちに行って面白いやつはいない。蛙はここで十分だろう。人間は川べりに来ているうちは野心家だ、俺も――だが街でへたばって酒ばっかの人間どもには未来無し。俺は半分どぶに捨てたようなもんだ。うまいこと流れ込んで、水のママが引っかけてミスりまくりの人生を返してくれると信じるしかない、返せよ、俺のなんだから。 ゲッドは家で犬の世話をしている――遊んでいるだけだろうが、俺は屋台のばばあと最近見始めた夢の話をしていた――これは面白いことに皆が遂に別の夢を見始めた一年だったから、それぞれ擦り合わせに世間話をするようになった。俺は雨季のンガムヲンワンを大ナマズがイルカのように泳ぎ回っているっていう例の夢、一年前に死んだ金魚が溶けるように竜に変わってそれから空へ飛びあがれず、二十センチ程度の高さでホバリングしては地面にばたんと落ちる――これがかなり惨めなざまでいたたまれなくなるような夢。ばばあはこれを聞くなり、ナマズの夢は川の夢だと言って聞かん、そんなことを言ってもナマズが泳ぎ回っていたのは冠水した道路――しかし全ての道は繋がっており、こうしているうちにもお前の魂は川を越えて行ってしまう。そんなキチガイみたいなことないだろう、おばさんの夢はめでたいんだろうな?彼女の見た夢はただ一つ、サイが象に勝ってしまい国のシステムが変わる――どう変わるのか?皆が火を恐れなくなるのだと、こう聞くと恐ろしく暗示的な夢だが、サイが火を恐れないなんて嘘だ――それに国のトップがサイでも象でもそう変らないはずだ――世に救いがあるとすればそれは上流だ。彼女の夢は不気味、そこで俺は食い終わってゲッドに電話した。それで、金曜にでもなったらまた会ってやってもいいわ、彼女はたらんたらん、そんな風なことを言った。わかった、と言いパニックの言っていたことも確かめておこうかと考えたが度胸がなかった。俺は瓶ビールを持って歩き出した。
チャトゥチャック夜市で今日もやっぱり音楽は鳴らされていた。なんとかしてバスを乗り継いで夜市に着いたのは九時ごろで、テントの下でほとんどの人間はすっかり酔っぱらっていた。奥にあるステージに辿りつくともう音は一帯を包んでいた。遊んでいるわけじゃない、意味なんかないけど積んでるんだあれは、黙って聞いてみろ、音楽が、鳴っている、くだらなくない音楽、面白いやつ、ポンポコポンポコパカパカパカパカパカって言ってだんだん小さくなるふりをする音楽が鳴っている、かんかん光が振れて頭は全うになるんだ。今日のもかなりいかしたバンドだった――ハンドパンを叩きまくってる野生児を中央にシタール、ピン、ドラム、ボウイングギター、ディジュリドゥ、彼らは何もかも演奏した。隅っこに髭面の白人がちょこんと座ってて、エフェクターを弄ってる、いやらしいリヴァーヴ、フレンジャーあれこれ押しては抜いてひねって、これ以上は勘弁ってぐらいに音が歪んでそっからが本物の夜――ビール飲んで隣にいる知らないやつらと肩組んで踊った、顔もみないで揺れている間は繋がっていた、そんなのが三、四十分続いたあとにばらばらと人は他人に戻っていった――が、少なくとも一人や二人は顔見知りみたいなんができて、そのまま夜市内にある酒場になだれ込むことになった。
テント市の中央のプレハブバーの一つでとにかく暑くてうるさかった――普通に喋る時でも俺らは叫んでいたし、酒が十分になった辺りではおらびまわっていた、異常じゃない、叫びながら煙草を吸う、結露が流れる、ビールの上で氷が弾ける音だけはどこでも聞こえる。素敵だった。バーの主人はさっきのバンドでシタールを弾いていた男だった。デカいケースを背負ってゆっくり戻ってきて、奥にシタール立てかけると一緒になって飲み始めた。肩を組んで踊っていた赤ら顔の丸メガネ男も、そのつれの赤い短髪女も、知らないやつ――よく見れば会場からふらふら一緒に来た俺たちの他、どこからともなく現れた自他境界ぼやけの酔っ払いども、全員満足して騒ぎまわっている。俺のクロンティプ煙草はいつの間にか倒れたビールに浸って、知らない奴がよこしたメンソールを吸う。
やっとこの酒場にいる人間の顔をまじまじと見たら――俺と一緒にここへなだれこんだカップルの顔、シタールを担いで帰ってきた主人、そしてその連れ、鉄砲水みたいに早口でタイ語を叫んで、大笑いするこの夜市の孤立者たちだ――カップルの丸眼鏡はどこか芸術家ぶった胡散臭いやつで鼻で大笑いするのが妙だった、女の髪はピクシーカット――赤く染まってアナーキーな風情で批判的な酔い方をした、シタールは自然なゆるいくせ毛のロン毛を胸までふさふささせ笑ってなくてもいつも目が柔らかく細い、連れの男は帽子を被っているその後ろで長い髪を、恐らく直毛で、お団子にしていた、そいつの目は誰よりもくりくりしていて如何にも実年齢より若そうに見えているタイプの年齢不詳、おまけに指にはタトゥーがいっぱいだ、他にもインディアンみたいな小さくて丸い目をしたおかっぱの男や、髪を青く染めた女、などなど――そいつらの名前を一人ずつ覚えていくのはいくらなんでも不可能に思えたが、俺はそのうち一個ずつ覚えていった。まずはアシャールとギゼラのカップル、これが俺と肩組んで踊っていた連中で、聞けばインドネシア人だった、言われてみれば二人ともインドネシア人らしい顔立ちをしていたがカトリックでムスリムじゃない、金持ちで家は中心部にある、リッチな奴らだが素朴な神経で郊外の夜市に来る。トンローだかにデカい家を二人で借りている。ギゼラはジャーナリスト、ラップトップで記事を書いてジャカルタのデカい新聞社に送る――最近の特ダネは去年の大洪水、及びそこから街に溢れかえった鰐ども。アシャールの職業は不明、恐らく無職だ。シタールはこの辺に住んでいるらしいが、聞いても俺の家はスラムにあると笑う、他は後々話す。真っ先に英語の上手いこのジャカルタン‐インディーカップルとシタール男は仲良くなった。彼らタイ語も随分上手かったが、どうしてそうなのかは分からない――どちらも大学はジョグジャでタイに来たのは二、三年前らしい、飲み歩いただけで英語ができるようになるとは思えなかった。とにかく彼らはシューゲイズとニューヨークインディーに夢中で、そればっかり追いかけていた、変な話ここの音楽は日本にないものだらけだった――権力を失った孤立者たちの文化がこの常夏アジアでは生きていた。どうしてこう孤立者たちに優しいように、酸素が溢れかえっているのかは知らないが、とにかくその中で新鮮な酸素を吸いまくるのは最高だった。ねえジョグジャではね、本さえ売れる、とギゼラは笑った――あなたには信じられないでしょうけど、と。デカい会社やらも無しに誰がどこで本を売るんだ?――道(ロード)の上で!――なんって?――ほら、一冊で一食さ、生きていくなんてそう難しいことじゃない。税金とか保険とか年金とか奨学金とか、飯だけじゃないだろ――馬鹿、そんなの気にして最高の芸術を打ち上げられるわけないでしょ?――花火みたいな言い方すんなよそんなに綺麗ってことはないよ。馬鹿日本人め、くだらないのはお話だけにしてくれよ、ほら、お前は何を書いているんだ?――俺は現実よりいいもの書きたいな――書かないのか?書こうとはしてる、けどそれだって書いてみれば平凡じゃないか、どこにでもある、面白くない。あんたさ、目が足りないんじゃないの、カワサキ!あんたの目はね、あー!あー!ギゼラは叫びながらウィスキーをストレートでごくりと飲んだ。あー、ため息をついて言った。あなたの目は黒い!当たり前だろう。そんなので誰も見たことないもの見られるわけないでしょう?それを考えて書くんじゃないのか。考えて現実を飛び出した気になって、それあんたノートに殴るわけでしょ、それ読み返せるでしょう?当たり前じゃないか。読めるんじゃそりゃ現実に他ならないぜ。私が言ってるんはね、あんたが普通でなくなるってこと、そうする以外であなたがやりたいもん書く方法ないよ――ギゼラは今にも俺の目玉を突き潰すような勢いで、恐ろしいような顔、隣のアシャールは難しい顔で彼女に同意している。お前らは何様なんだ、と言いたかったが、私の周りにはいくらでもすげえもん書くやつがいる、と言い捨てた。黙って、俺は遠くを見た。普通を超えた目なんか想像もできない。誰が普通じゃない目を持っている?――あんたさっきから当たり前、当たり前って、そういうところでしょう。シタールが隣のテーブルで聞き耳を立てていた。タイ語交じりの訛った英語で、俺の目は芸術を作ることができるヒトの目をしているのか?と割り込んできた。俺は恐れ多くなり眉を顰めインドネシア人カップルを見た――彼らはドードーとそのシタール男の瞳を睨んでいた、これが客なら恐ろしい商売としか言いようがない――しばらく睨み続けた挙句、こいつよりはマシね、あんたはまるでダメよ、実際あなたは良いもの作ってるわ、とギゼラが言った。何か足りないというような言い方だなとシタールは笑った――参ったなって感じの苦笑い――別に売れようとか思ってないんでしょ、とアシャールは言った。まさか、売れたらこっちが困るくらいさ。ここで静かに鳴らされるべきだ。あの音楽は鳴っていることが目標でゴールだ。レコードを出すつもりだってない。あの野外ステージで小さいライブをやって、このバーで小銭稼いで、死ぬまで音楽が鳴る、僕は一生スラムに住んで、タイから出ていくつもりもない。アシャールの丸い眼鏡の中にはどことなく悲しそうな目、シタールは笑っていた――本当に満足しているようで、アシャールの表情の意味が俺には分からず仕舞いだった。孤立者達の音楽はその晩途切れることなく俺たちは友人になった。帰りくたくたの足でヴィパワディ通りを歩き、長いンガムヲンワン通りには目だけ光るホームレスと犬、すれ違って俺は千鳥足で帰った。朝になっても音は鳴っていた。
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