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いいの いいの
なくても いいの
あなたが なくても
生きていける

いいの? いいの?
本当に いいの?
なんだか ちょっぴり
ものたりない

あなたが いなかった としても
わたしは 死ぬことは ないけれど

あなたが いる世界の ほうが
わたしも おいしくなる のかも

いいな いいな わたしも だれかの
スパイスみたいに なれたら いいな

 0

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 6

 3

灰色の毛布

どんより天気
太陽も隠れてる
雨でもない
暗いだけ

なんだか寂しくなるね

でも安心するね

毎日毎日
生きることに必死だけど

こんな日は
のんびり深呼吸

いつもとは違う空気に
またひとつ
心に静寂が訪れた

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 2

 1

シーシュポスの神話

深夜のコインランドリーは、僕たちが漂着した最後の中州のようだった。
湿った空気の中に、安価な洗剤の人工的なフローラルと、さっきまでシーツの上で貪り合っていた僕たちの、微かな汗の匂いが混じり合っている。
まなみは、回転を止めた乾燥機の前で立ち尽くしていた。
彼女の細い肩には、脱ぎ捨てたばかりのラルフローレンのオックスフォードシャツが、アイロンを失ったまま無防備に羽織られている。その下から覗く胸元、ヴィクトリアズ・システマティックの黒いレースが、湿った熱を帯びた肌に食い込んでいた。
「熱も、言葉も、すべてが均一に混ざり合って、何も動かなくなる状態……それがこの世界の理で、いちばん平穏な死のはずでしょう?」
彼女の言葉は、薄氷を割るような静けさで響いた。まなみは、バスケットから取り出した僕のシャツを手に取ると、その袖を愛おしそうに指先でなぞった。指先にはまだ、僕の体温を求めて彷徨った時の強欲な力強さが、仄かな赤みとなって残っている。
「……でも、この世界はそれを許してくれないみたい」
まなみはシャツをバスケットに戻した。
そして、唐突に歌い始めた。
彼女の唇からこぼれたのは、昔のアニメソングだったが、それは高揚感とは無縁の、ただ事実を淡々と確認するような音調だった。
彼女は踊り始めた。
右手を上げ、左手を腰に当て、リズミカルにステップを踏む。その動きは、何千回、何万回と繰り返されたはずの「正解」のトレースだった。
けれど、まなみのそれは、決定的に何かが欠落していた。
シャツの下の黒いレースが、ステップのたびに湿った肌の上で揺れる。僕の背中に爪を立てた、剥き出しの身体性はそこにある。なのに、その動作はどこか機械的で、まるで動かなくなった乾燥機のドラムが、慣性だけで回り続けているかのようだった。
「……魔法以上ノ愉快ガ……」
その声には、魔法も愉快さも存在しなかった。ただ言葉が、彼女の気管を通過して、深夜のコインランドリーの静寂に、無機質な振動として放たれていくだけだ。
僕たちの、あの終わらない熱が、この安っぽいアイドルソングによって完全に濾過され、ただの「運動」へと成り下がっていく。
それは、彼女が先ほど口にした「平穏な死」への抵抗のようでいて、その実、最も残酷な形で死を体現しているようにも見えた。かつての熱狂の、抜け殻のようなダンス。
まなみは、一通りのサビのパートを踊りきると、項垂れる様に笑って唐突に抱きついてきた。店内を照らす蛍光灯が、彼女の無防備な横顔と、少し乱れた髪、そして胸元の黒いレースを、執拗なまでの鮮明さで焼きつけている。
その静止を破ったのは、店内の隅で色褪せたクレーンゲームが散らす電子音だった。
僕は100円玉を数枚投じ、磨耗したジョイスティックで銀色の爪を操作した。煤けたペンギンのぬいぐるみを狙う。機械的な駆動音が、静寂を一定の周期で刻む。爪がぬいぐるみの首筋をかすめ、空しく宙を掴んだ。
「取れないね」
僕は言った。彼女のダンスが残した、決定的な何かの喪失感を、クレーンゲームの無残な空振りに重ねるように。
「いいよ。執着だけが形に残れば」
まなみは力なく笑い、今度は埃を被ったガンシューティングの筐体の前に立った。
画面の中ではゾンビの群れが、生物学的死を超越した「非平衡」の足取りで押し寄せてくる。彼女は使い古されたプラスチックの銃を両手で構え、狂ったようにトリガーを弾き続けた。銃声が店内のタイルに反射し、マズルフラッシュの青白い光が、再び彼女の横顔を鋭く焼きつける。
それは、未来を使い果たした僕たちが許された、暴力的なまでの生の横溢だった。さっきまで僕の背中に深く爪を立て、もっと奥へと、もっと永遠に近い場所へと求めてきた彼女の、あの剥き出しの貪欲さが、いまは火花となって虚空を貫いている。さっきの、魂の抜けたダンスとは、対極にある烈しさで。
「死なないものを、何度も殺すのって、祈りに似てると思わない?」
まなみが銃口を下ろすと、画面には『GAME OVER』の文字が、血管の破裂したような鮮やかな赤で点滅した。まなみの唇が、かすかに震えた。
「時間の結晶——外部の誰にも理解されない周期を刻みながら、熱力学の終焉を拒み続ける。たとえ、それがただの、終わらない『慣性』だとしても。私たちはこの静止を許さないの」
彼女が洗い立てのシャツを抱きしめた瞬間、乾燥機の排気口から吐き出された熱風が、二人の間を通り過ぎていった。
それは、エントロピーが増大し続ける宇宙の中で、肉体を重ねてもなお埋まらない欠落を抱えた僕たちという異物が、唯一許された「不変」の証明だった。
そしてその不変は、今しがた彼女が演じた、あのあまりにアンニュイで、あまりに空虚な眼差しによって、より深く、僕の中に刻み込まれていた。

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 11

だれのために咲いた花

紫陽花が雨に濡れていた。
おそらく庭だった場所に咲いていた。
淡い色なのに、裸の土が鮮やかに目立っている。

おそらく庭…そう書いたのは、壁や門柱がそのままになっていながら、その土地にあるはずの家がなかったからだ。
まだ建物を壊したばかりなのだろう。
均されていないのが土の波打ちと洗面台に使われていたのか、陶器のかけらが無造作に転がっている。

人が作ったものは、いつか人が壊す。
そこにつながりはなく、ただ裸の土と持ち主に消えた紫陽花が咲いているだけだ。

ここに私は思い出を持たない。
だからただ高級住宅地の一角の空いた土地としか思わない。

他にも樹木があったような雰囲気はある、それだけ広い土地だった。
しかしその姿はない。
少し季節外れの紫陽花を雨が揺らしていた。
ただ、そんな思いに関係なく、紫陽花は沈黙してそこに咲いている。

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 6

米珠薪桂 ーー 俳句百句 ーー

米珠薪桂 ―― 俳句百句 ――


笛地静恵


【ノート】冬の百句です。次のような句をおさめております。


一月の指紋を彫りぬ液晶へ   


水鳥の通知オフから死後の日か 

 
名の木枯る肉体という密室よ   


竹馬に血を流さねば愛されず   


枯葉散るアスファルトにもハッシュタグ 
  

寒菊や百人百の首吟味   


聖書へとレシート挟むクリスマス   


短日のミサイルの火の美しき 
  

冬ざれや書架の邦雄の匂い立ち  
 

ちゃんちゃんこあしたはすでにきのうへと



想像の句が中心です。よろしければ読んでみてください。


笛地静恵

二〇二六年五月二十二日(日)





Ⅰ.電子と氷河期



一月の指紋を彫りぬ液晶へ


AIへ告げぬ遺言年の市


雑炊の検索履歴消し忘れ


青天井スマホを玻璃の近松忌


冬眠のため我の血を電脳へ


クラウドの幽閉までの日向ぼこ


注連飾りパスワードこそ命とし


樹氷へも言葉を飾りスマホの絵


水鳥の通知オフから死後の日か


アルゴリズム狂いて冬の霧を焼く




Ⅱ.肉体牢獄吏譚



名の木枯る肉体という密室よ


寒垢離の僧に翡翠の耳飾り


冬の鷺ついに羽化せぬ詩の卵


喉仏氷を齧るたびの咳


寒肥や少年の髭のびやすし


竹馬に血を流さねば愛されず


鮟鱇のその骨のみがうたう歌


霜柱踏むや少年神のごと


冬の草枯るこころざしは捨てぬ


寒雷や老いゆく麒麟火傷して




Ⅲ.都市の口腔へ



地下鉄へエスカレーター年惜しむ


厳寒の監視カメラのレンズの目


毛糸編む高層ビルの墓標街


忘年会だれの仮面の剥がれるか


冬帽を深く被りて都市を消し


冬の霧高架の下の素浪人


空っ風無人のレジの呪文して


流氷のスクランブルの交差点


鱈船のまず包丁を精巣へ


枯葉散るアスファルトにもハッシュタグ




Ⅳ.古典への逆襲



定家忌や花もこぼさぬ紙一重


業平の死後へ歌えよ都鳥


寒菊や百人百の首吟味


葛の葉のきつね見るなの座敷から


スケートの小町の裔の浮き沈み


廃屋の火事のあとへと雪きらら


冬至より貫之編のアンソロジー


式部の深なさけインク瓶涸れ


龍の玉実朝の船寄港せん


雪女わがソネットの佇めり




Ⅴ.旧神の流刑地



降誕祭十字架の薪信徒らへ


聖歌隊少年の首凍るまで


寒施行十四のまなこ澄みゆけり


盗難の賽銭箱の神の留守


除夜の鐘百と八つの首を打ち


クリスマス少女の靴の血の滲み


枯木にはラドンのむくろ吊るすべし


聖書へとレシート挟むクリスマス


冬雲雀インゲの零すパンの屑


かまいたちドローンどもの鎌の足




Ⅵ.滅亡への寓話



氷河期を御用納めと永田町


寒風やアイドルたちへ紙吹雪


毛皮売り絞める権利の札を買う


柊を挿して戦火の北の国


報告は蟻の斥候冬の虹


霜強きこうべをひねる百句かな


短日のミサイルの火の美しき


枯芙蓉条約破られしあとの


凍港に難民たちの爪あかり


社会鍋暴君は夜作られる




Ⅶ.眼球の博物館



寒鮒や泥の底なる悔いを食い


山眠る眼に映るわが最期


冬の蜂抜かざる剣を誇りとし


不死鳥の眼の巣食う枯木灘


寒鴉鳴く街路を黒く塗り潰す


毛糸編むデジタルより緻密


冬の馬いくさを知らぬ哀しみよ


寒牡蠣の殻のみが知るわが秘密


風花の狐の変じたる女


勇魚とり剥製とする記録あり




Ⅷ.密室の美学者



冬ごもり孤高を愛すひきこもり


掃き納め万年筆へ青インキ


冬の星ランボー詩集火を放ち


綿入れの下町のみを領土とし


年忘れラブ・レターから灰にして


冬ざれや書架の邦雄の匂い立ち


オルゴールカバンの底の冬紅葉


初雪を標本とする指冷えて


冬の月媚薬のごとき蒼さかな


枯野から手紙のとどく芭蕉より




Ⅸ.時間迷宮地図



冬至きて時間の円の円周へ


ちゃんちゃんこあしたはすでにきのうへと


冬の波昭和というを唱和せん


時代とはつねに古傷冬旱


枯園に時計の針の止まりけり


寒雷や歴史のページ鉄の指


外套を脱げば抜け毛の畳へと


除夜の鐘ついにきかれぬ未来かな


雪しまく世界を肯定する言葉


冬の靄渋谷の白きホテル街




Ⅹ.絶対を拒絶し



玉子酒わがふるさとの酔い心地


人波をまつ毛のつぶす冬休み


鰭酒の未来ゆるせぬ酔いもあり


雪女だれにも言えぬ恋のあり


弟と行きつもどりつ枯野原


寒波来る夜行の盃を片手にし


バタフライ効果とするかすきま風


降る雪や何も残せぬ骨白し


春を待つ百年間のわが呼吸


春近し終末の子ら走りゆく





(了)

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かくしごと

わたしのお父さんはかくしごとを持っています。

お母さんやおばあちゃんはとてもよろこんでいますが、

おじいちゃんやわたしの友達に言うとすごく不思議がられます。

お母さんが二人いるんじゃないかとか、

わたしの見ていないところでものすごいことをしてるんじゃないかとか、

じつはお母さんにいじめられているんじゃないかとか、

いろんないやなことやこわいことを聞かれます。

でも一人の女の子が、

「何をかくしているの?」と、

あかるくやさしく聞いてくれたので、

わたしも持ってきた絵本を出して、

しょうじきにはなしました。

「お父さん、ライターだったんだ。」

わたしが言うとみんなの顔もあかるくなりました。

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残酷な正しさ

人の死に立ち向かう
決して簡単なことなんかじゃない

​気持ちを強く持って
毅然と振る舞うことが
故人を安心させる「正しさ」だとしても。

​私の心は そんなに強くはない
​張り裂けそうな胸を抱えて
それでも笑って送り出さなければいけないのなら…

​その正しさは
あまりにも残酷だ

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だれかのこども

神様 神様
世界は残酷
不平等という言葉があるんだ
げし!げし!
あの子になりたかった
あの子になりたかった
お父さん お母さん 私にガッカリしなかった?
いちばんの子供になりたいな
げし!げし!

仏様仏様
僕は負け組
勝ち組という言葉があるんだ
げし!げし!
誰かに愛して欲しかった
誰かに愛して欲しかった
お父さん お母さん 私のこと好き?
いちばんの子供にはなれないな
げし!げし!

居場所なんてなくて
限界まで足掻いた人生は想像よりも狂ってるらしい
誰かに認めて欲しかった
愛して欲しかった
愛して欲しいのに孤独になった
あたしのネガティブを蹴り続けてごめんね
おなかのあかちゃん。

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それはまだ、見えているもの

そりゃね
どうしようもなくて
いやな気持ち抱えたこと

あるさ
あるにきまってるでしょ

わたしのどこが
ないように見えるの。

え、それを聞くの。
言うわけないでしょ。



わたしの底は
わたしだけの場所。



まあ、そうね。
もし言うときは、ネットに書くわ。
昔は川か、海に流したんでしょ。

八百の嘘の中に
一つ混ぜ込んで。

気になるなら
探せば。

どこかの澄んだ
青い水底に

沈んでいるかも
ね。

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 2

 2

民生食堂 あじさい 第5話 夜明け前に発つ

 空が白み始める前。
 まんじりともできなかった男はやおら起き上がる。
 腹が決まった。
 ここにいたら、それだけで更にここの何かを壊してしまう。男は胃に重たい不快感を覚えながら、小さなバッグを開いた。
 バッグへ僅かばかりの衣類を静かに、かつ雑に押し込む。
 布団を畳むかどうか、一瞬迷った。が、結局しっかり畳んで押し入れにしまった。

 厨房ではいつもの包丁の音はまだしない。男の頭の中で毎朝聞いていた音が幻聴のように甦る。だが今はただ、時折、蛇口から水滴が滴る音が冷え切った静寂を刻んでいるだけだった。昨日使った湯呑みと皿を静かに洗っていつもの水切り籠に置く。
 床は以前に男が来たばかりの時より少しきれいになっているような気がした。それに皮肉な笑みを浮かべた。

 足音を立てないよう忍び足で、勝手口まで歩いてゆく。

 しかし、うっかり醤油瓶を蹴って転がしてしまう。醤油瓶はごとりと鳴った音と共に転がると他の瓶にぶつかって、かちゃかちゃと小さな音をたてる。ぎょっとする間もなく背後から声が聞こえた。

「どこいくの」

 男は肝を冷やした。うまく言葉にできない。振り返って女の顔を見る勇気もなかった。
 背後から聞こえた女の声は男を責めるものではなかった。

「出てくんだ」

 男はようやっと声を絞り出した。

「……ああ」

「そう」

 あいかわらず感情の見えない平板な声を発する女。

「その、世話になった……」

 女は男の背中にいつも通りの声をかける。

「別に」

「アパートに帰る」

「立ち退きするんでしょ、そこ」

 女は煙草にマッチで火を点ける。マッチ棒を床に放り捨てる。

「あ、ああ、うん」

 女は何も言わなかった。

「じゃあ……」

 男はドアノブに手をかけてゆっくり回す。

「うん」

 女もそれ以上は何も言わなかった。
 男が勝手口から外に出ると、背後ですぐ、突き放すようにぞんざいな金属音を立てて鍵がかかる。

 白み始めた空の下、男はしばらく立ち尽くしたままだった。最初の一歩が鉛のように重い。
 だが、一歩を踏み出したら、あとはいつもより少しゆっくりだが歩みを進められた。

 これでよかったんだろうか。

 煙突と工場と塀に囲まれた迷路を、男は歩き続けた。

▼次回 第6話 無為

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薔薇のバランス

花屋の前で
薔薇を見ていた

ずいぶん危うい

浮かび上がるほど派手なのに
さらにトゲまでついている

美しい
だけでは不安だったのだろうか

でも考えてみると
やさしい人ほど
急に怒ったりすることがある

こころのバランスをとるのだ

薔薇も
美しい
香り豊か
だけでは何かいっぽうに偏りを感じた
のかもしれない

そして薔薇のトゲが
ニュッニュッと生えてくる

薔薇のバランス

花屋は店じまい
少し疲れて顔の白くなった店の人が
水を替えていた

薔薇たちは
ただ揺れていた

美しいものにも努力はある

マイバッグに入れた
2リットルペットボトルの重さを
ズシリ感じながら

自分にもトゲの一本くらい
あった方がいいのかもと

思ったり

そして
そこに少しの生きやすさがあるのではないか
とも

思ったりしたのだった

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野良仕事



はたとくらしてつかれても もうはたらくなそういわぬ
どんどんどんどんしゅうちゃくの くさをぬいてはほうりゆく


よすがとしてののらしごと おれはいつまでつづけるか
わからないままときはたち とおきやまへとひがきえる


とおきやまへとひがきえる とおきやまへとひがきえる
よすがとしてののらしごと おれはいつまでつづけるか



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てん、し

天使に会うためにことばをなくそうとした人がいたとかいないとか
砂漠の砂は何粒あるのか数えようとして砂となった人がいたとかいないとか
海の塩分濃度をあげようとして塩を撒いて溶けた人がいたとかいないとか
、、、
いたとかいないとか
今生の別れを何度も重ね
死屍累々を跨ぎ
傷つけないように傷つき
傷つかないように傷つけなかった
あなたが
いたとかいないとか
てんてんてん


いたとかいないとか
視点をかえれば
宇宙はココのことだって
今はわかるよ
絶望だもんね、ココロの半分は、
サヨウナラヲイウタメノ
ジュンビヲシヨウ
還る場所を求めて
孵る人がいたとかいないとか
いないとかいたとか
いてくれてもよかった
言わなくていい話を
いくつ話そう
これから
ね、
てん、し
し、、、し、てん、、、し

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泥中之蓮 ーー 俳句百句 ーー

泥中之蓮 ―― 俳句百句 ――


笛地静恵


【ノート】

 秋の百句です。次のような句があります。


冷まじやLineいじめの絵文字ども   


曼珠沙華デジタル映える炎上画   


削られてなお土に立つ曼珠沙華   


折られても折られてたまるか糸芒   


天高し敗者の目にはなおさらに   


秋時雨百均のカサ杖として   


秋晴れやカードにされた俺のこと  

 
ちんちろの画面を消せば俺は闇   


時代祭負けっぱなしの旅でなし  
 

雑木紅葉ふみわけ道に先がある   



 よろしければ、読んでみてください。

 ある方から、どのようにして作るのですかという質問を、Xでいただきました。少し説明していきます。三つのつコツがあります。
 一つ目は、季語の力を信じることです。『歳時記』は、日本人の集合的無意識の集合体です。必ず、心に響く季語があります。
 二つ目は、自分の外ではなくて、心の中を探索することです。季語をキーワードにして、記憶を検索していきます。今回は、手元に『合本 俳句歳時記 第三版』角川書店編 を置いていました。引っかかってきた魚を、記憶の川から釣り上げます。想像の句も交じっていますが、ほとんどは記憶の種があります。
 三つ目のコツは、もっとも重要です。浮かんできた作品を、絶対に否定しないことです。だめだと思うと、そこで記憶の川が、シャットダウンしてしまいます。次が出てこなくなります。あとで削除すればいいだけのことです。
 試してみてください。楽しいですよ。今回は、二時間半かかりました。
 なお、AIにできあがった作品を、分析してもらいました。歳時記が搭載されています。言葉遊びにも、対応できるようになってきました。たとえば「新聞紙二十世紀を包みけり」の「二十世紀」が「梨の品種」であり、「百年間」のことでもあるという二重の意味を読み取ってくれます。面白い時代となってきました。もう少し遊ぼうと思っています。

笛地静恵 

二〇二六年五月二十三日(土)第三次世界大戦前夜に


一、 傷痕


天高し敗者の目にはなおさらに


冷まじやLineいじめの絵文字ども


液晶へ秋のちょうちょううつむけば


新聞へ二十世紀を包みけり


うしろ指せなかを刺され女郎花


電子音とだえる声の秋の雨


秘密基地アケビの実から山分けに


自然薯のくちびる痒くおかわりを


晩秋にひとり残され影女


削られてなお土に立つ曼珠沙華


ビル風へ人さらい来る鉦叩き


うそ寒のホテル渋谷のうすい嘘


走りソバのんどすぎれば息をつき


秋時雨百均のカサ杖として


つまずけば靴の底から鰯雲


秋の声信じられぬと夜の声


蘆原のグラビア写真枯れそめし


馬鈴薯のなみだ乾かぬニキビ面


破れはちす倒れた場所が旅のはじまり


西鶴忌覚悟の朝の皿を割る



二、 咆哮


石仏おがむすがたの破れ芭蕉


泥を蹴る黒きズックの体育の日


野分やむ無心の空を熾天使ら


つぶやきは弱さは悪と螻蛄鳴く


落し水泥より深きこころざし


雁渡る新しきペン買い求め


折られても折られてたまるか糸芒


赤とんぼ燃え尽きる日も空にあり


すさまじき時代を這うか轡虫


濁りても鰭を動かす秋出水


旧友と焼き芋の香の落葉焚き


秋の夜の掌の中に降る熱きもの


踏まれても道は平らな蕎麦の花


星月夜人面犬の高笑い


不知火の闇をつんざくミサイルの


露の世の露の底なる菊供養


起き上がれ背筋力のかまどうま


鶏頭の倒れてのちの秋の夕暮れ


新米を噛み締めて泣く老女かな


ななかまどわが名をだれも呼ばねども



三、 時代


芋煮会やつは絵文字の舌を出し


逃れゆく電波の網を鱗雲


良夜よりアルゴリズムの塔の立つ


朝寒が右からひだり廃ビルを


曼珠沙華デジタル映える炎上画


そぞろ寒だれも知らない国の名を


秋晴れやカードにされた俺のこと


告白の視線の先の一位の実


鵙の贄ドローン一機吊るされる


止まれぬかスピードの世に弁慶草


秋闌けるフェイクニュースの泥試合


新大根入れ歯に負けぬ白さかな


ちんちろの画面を消せば俺は闇


露草の小さき鈴の響き合い


爽籟やはやりの歌は須臾に消え


バッシング踏みつぶすまで天高し


秋夕べAI知らぬ涙あり


だまされぬ二度目の恋は檸檬水


無花果の天とつながれ蜘蛛の糸


青蜜柑焦慮の酸いを飲みこめよ



四、 色彩


秋彼岸金の光の金魚消え


高山の寺の邯鄲いつの世か


秋茄子の質素な卓を照らしけり


渡り鳥一列二列三列と


草の花悔いより深き井戸の底


泥に咲くつるべ落としの中二生


後の月ガラスのビルの狭間から


別れたの背中にとまる秋の蠅


蚯蚓鳴くお寺の夜の濃紫


コスモスよ負けた者にも勝者にも


サッカーの負けを讃えよとろろ汁


石垣の上に猫のみ施餓鬼寺


くれないの雲の切れ目の冬近し


蕎麦の花大内宿の昼餉かな


紅葉狩りまず乾きから潤せり


夜なべしてベガのしずくを額に享け


渋鮎の錆びたいのちのしるしかな


秋祭りあとのしじまの青さかな


笑顔のみスマホに写す秋遍路


十六夜の辻の三叉路つきもなし



五、経緯


原爆忌縦横の糸ふるえつつ


新米を研ぐ手に光る指輪かな


秋の虹どこまでゆけばあえるだろ


案山子にも明日があるさ首傾げ


水澄める足を洗いてまた森へ


文化の日生きていく道あきらめず


草雲雀ひじの傷から舐めている


時代祭負けっぱなしの旅でなし


草の舟めぐり逢う日の秋の水


報道よ時代の稲妻に裂けよ


賞状はころんだ膝か運動会


草の市末世に生まれめぐり逢い


青春の青さは消えぬ牛蒡抜き


流れ星わたしを呼ぶはどこの星


満ちるから泣いてもいいさ寝待月


干し柿をポケットへ入れスケッチに


放屁虫だれのため屁をひるか


濁り酒濁りに濁る者同士


雑木紅葉ふみわけ道に先がある


天の川ときの向こうへ漕ぎ出さん




(了)

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 1

 4




影を伸ばすほどに輝く街から、やっと小さくなるまで歩いて来たこの道。

冷たい風が吹き荒み、空は暗いこの時間には少し肌寒いと感じてしまうような薄着の格好をしていた。その姿を照らすのは、暗い空の真ん中でぽっかりと光る月と、屋根の無い、椅子と時刻表だけが置かれたバス停を照らす電燈。照らされた時刻表も、半分が影に覆われている。よく見ると、朝と夕の時間帯に一箇所ずつ程にしか数字の書かれていない、いかにも田舎のバスの時刻表で寂しいものだった。

ふと、電燈の暖色の光が照らすその麓で立ち止まった。見上げてもあの、目が眩むような眩しさではなく、だが久しく感じる灯りに少し赤く腫れた目を細めた。その電燈の背後、実際にはもっとずっと遠い距離にある月が見えた。

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ランプレイ

ランプレイ   北岡伸之

 ハイウェイ101は、かつて西海岸を縦断する幹線だった。今はインターステート5にその役を奪われ、沿線の港町は時代の外縁に取り残されている。その港町の入り江の奥へ、自分は向かった。シアトルの大学で新入生向けの夏の集中コースの仕事を終え、先に帰省していたガールフレンドを追って、オレゴン州沿岸の小さな町へ車を走らせた。シアトルには居場所がなく、彼女の故郷が唯一の居場所だったのだ。
小山の中腹にある彼女の実家の庭には、古びた車が何台も錆びついたまま放置されていた。ペンキの剥げた厚い木の板を貼り重ねたような家は、いつものように鍵がかかっていない。中に入ると奥から物音がした。妹のコートニーの部屋だ。ノックして妹の部屋に踏み込むと、裸の男女がベッドに横たわり、天井を見上げていた。代謝のいい若い男女特有の、学校のロッカーの臭いが部屋に充満していたが、コートニーの白い肌は透き通るように色が抜け、赤いできものでいっぱいで、小柄なヒスパニック系の男の瞳孔は開いたまま宙を向いている。
「やあ、コートニー。お姉ちゃんいるかい?」
彼女はヘーゼルナッツ色の瞳をひらき、自分を見て、ベッドサイドに散らばったものを見て、また自分を見た。何かを言いかけ、何かを考え、また自分を見る。それを短い時間に五回ほど繰り返した。これはどうもあの青臭い朗らかなものではない。CNS stimulants(ルビ 興奮剤)か。まったく、なんというものを。コートニーの、まだハイスクールを出たばかりの娘の表情は、恐怖に支配された。
「シン、おねがい、おねがい、おねがいだからお姉ちゃんにはいわないで! これはなんでもないの、なんでもないのだから」
青年は、取り乱すコートニーにまったく関心がないようだった。胸だけがものすごい速度で上下している。ベッドサイドの机には、小指の先ほどの、どす黒い粘液で覆われたガラスのパイプ、無数のビニール袋、フォーティーと呼ばれるモルトリカーの瓶が転がっていた。一ドルで買える酩酊。
「なあ、コートニー。酒ならいくらでも買ってやるから、それはやるなよ」
「お姉ちゃんにいわないでくれる?」
「うん、いわないよ。フォーティーじゃなくて、オークリーフを買ってやる。だからそれはやるな」
コートニーはこくっと頷く。小学校の生徒みたいに。射的や小動物の屋台をやってフェスティバルに出ることを生業としているブリトニーの両親は、いつものように家をあけているようだった。
 
 勝手知ったる居間で休む。コートニーのことは衝撃だったが、不純物の多い悪質な結晶を汚い金属で砕いて汚いパイプで吸うか、南米産の精製されたコカインを限度額のないクレジットカードで刻んでフィナンシャル・タイムズを細く丸めて鼻から吸うのも本質的には同じだ。愚行の自覚があるだけまだコートニーのほうがマシ。かすかに空冷エンジンのやかましい音が聞こえてきた。デレクの車だ。ポートランドの日本文化フェスタで知り合ったガールフレンドのブリトニーは、いつも幼馴染のデレクの車に乗って二十マイル先の港町まで買い物にいく。デレクは、ブリトニーの3つ上で、TVゲーム(この国ではビデオゲームという)が大好きな自称銃砲工だ。
やかましい音がすぐ近くまできて、小型で格子柄のシャツを着た白人の若い男が家の中に入ってきた。デレクは言う。
「おいこのダーカー、お前またフォントノー家の娘の純潔を奪いにきたのかよ」
この乱雑な一言に、黒尽くめのゴシックロリータの格好をしたガールフレンドのブリトニーが口を開いて、くわっと威嚇するそぶりをみせる。デレクは次の口汚い言葉をひっこめたが、自分は同じような調子でデレクに言った。
「ようデレク、ニーファイ人の子孫。熱い杖を創造する男」
デレクはニヤニヤわらって頷いた。そして言った。
「シン、アリサカライフルの弾に火薬をつめておいてやったぞ。こんどまた撃ちにいこう。だがなんでお前の国は、6.5ミリなんて中途半端なサイズの弾を使ったんだ?」
「資材節約のためさ。だからお前らとの戦争に負けたんだよ。タイプ99はようやく7.7ミリ弾を使うようになったけどな」
そして自分たちは銃器の話にのめりこむ。このあたりの男たちは銃火器が大好きだから、デレクは腕よりも仕事のはやいガンスミス(ルビ 銃砲工)としてそれなりに仕事がある。でもデレクは金が入ると港町に行ってすぐ使ってしまう。
ブリトニーは少しあきれたように、ビニール袋につめられた肉を持ってキッチンに向かいながら自分に教師のような声で告げた。
「デレクが鹿を持ってきてくれたの。ベリーのソースを添えたいからちょっと採ってきてくれる。あと、庭のローズマリーも何枝か」
自分は裏山にいってくると彼女に言って、コートニーの部屋に半歩入って目配せした。ブリトニーより大柄のコートニーはまだのびている彼氏を横目に起き上がって、ベッドサイトのテーブルの上をきれいにした。そして彼氏と港町のタコス屋に行くといって、家を出た。
ブリトニーの家は小山の中腹にある。山と言っても小さな木と灌木、そしてベリーのツタが生い茂っている丘のようなものだ。彼女がベリーといったのは、ブラックベリーといわれる濃い紫の木苺のようなもので、日当たりのよいところの酸味と甘味のバランスのいいものを選んで自分は実を集めた。

 食卓には鹿肉が並ぶ。デレクが撃った鹿をローズマリーの枝をのせてローストしたもの。鹿肉はピンク色で、それにかけられたベリーの紫色のソースが鮮やかだ。
「大学はどうなんだ?シェイクスピアとかを習うのか?」
デレクが興味いっぱいという顔でブリトニーに尋ねる
「ううん、それは高校でやったでしょ。あなた覚えてないの? シェイクスピアよりもう少し古い話よ。ホメーロスとか、そういうの。でも私の興味があるのは日本のゲンジモノガタリで」
デレクは目を丸くして、ナイフとフォークを卓上に置いた。そしてつぶやく。
「俺はミセス・ハロルドのイングリッシュのことは記憶にねえ。しかしすげえな。このあたりで本物の神話を習ったやつなんかいねえぞ。だいたいが、ニーファイ人がどうしたとか、部族の王の首をはねたとか、そういう血なまぐさいのだ」
「でも集落にはちゃんとした教会あるじゃないか。そこで君らの民の物語を教わるんだろ。約束の地がどこにあるかとか。前に自分がブリトニーに自分の携帯番号だって嘘ついたコミュニティチャーチ」
ブリトニーはわりと本気で自分をつねった。
「あそこの牧師はまえからおかしかったが、最近もっとおかしくなってね、お前が行けば、有色人種は業火で焼かれるって本気でいいだすね」
「この時代にか?」
「ああこの時代に」
デレクは真顔で言った。鹿肉にそえられたベリーのソースは、甘みよりも酸味が勝った味で、厚く切られた鹿肉がいくらでも食べられる。
デレクはブリトニーをほめた。高校で先生の間違いを指摘することもざらだった才女で集落の誇りだと。上院議員の推薦をもらって、ウエストポイント陸軍士官学校にいくことだってできたのではないかとからかう。そして付け加えた。
「なのに、こんな呪われた有色人種と関わりをもっちまって」
「なあ、デレクお前ほんとそういう言葉普通に出るよな。その高校、白人と有色人種でトイレが違ったのか?」
それはない、とブリトニーとデレクが同時に声をだした。さすがにそれは違法である。だけど、廃業した映画館には、今も有色人種用の入口の表示が残っているかもしれないと、ブリトニーは真顔でいった。つねられたところが本当に痛い。ゴシックロリータの服を着ているくせに、彼女の腕は筋肉がしっかりついている。デレク愛用の44マグナムの、自分の細い腕をもっていくような反動も、彼女の腕はしっかり受け止める。
「しかし、シンも変わっているよなあ、なんでこんなところにわざわざ好んで来る?」
デレクはカモシカのように自分の目を覗き込んで聞いた。
「都会のリベラルなやつらは、差別はいけないとかいってるくせに、内心では俺たち黄色人種のことをカインの末裔だとかマジで思っていやがるからな。だから俺はここが好き。ここに来ると自分の居場所があると思えるよ」
ブリトニーは頷いた。そして目を輝かせて、これを聞けといって彼女の物語を時代がかった調子ではじめた。

 ”Once Upon a Time…
町の者どもは、みなジャック・ラッセル・テリアを飼うておりました。その犬どもは、飼い主たちよりもずっと血が濃うございました。週末になると、高校の生徒たちはオーチャーズ(果樹園)へ罷り出て、裸になって水に入りますの。私めも誘われました。されど、あの御方たちの裸だけは、身罷るとも見とうございませんでした。
店は五つに閉まります。
公園のほとりには、大きな池がございました。魚は数多く棲んでおりました。されど、いずれも養殖場より運ばれてきたニジマスにて、味はよくございませんでした。それを釣るのが、みなの慰みでございますの。
あるとき、友人たちと、出会いのネット掲示板にて町の保安官の写影を見つけましたの。彼は素っ裸にて、ただ股間のみをカウボーイハットにて隠しておりました。私どもはそれを摺りて、町じゅうに貼ってやりました。保安官はいたく恥じ入り、別の町へ去っていきました。高校には廊下が一筋しかございませんでした。師たちは、たいてい二つか三つの科目を受け持っておりました。私めの代数の師は、スペイン語の師でもございましたの。

 デレクは大笑いをした。彼もその高校の生徒であり、裸になって果樹園で水に入り、保安官の恥ずかしい写真を町じゅうに貼ったのだろう。そして、だいたいの男女がその果樹園で出会った相手と結ばれるのだと、デレクは付け加えた。
「それでますます血が濃くなるのよ」
しれっとブリトニーが付け加えた。デレクが頷く。筋骨隆々とした男女が果樹園で裸になるのだろうか、それとも高校生のうちから、腹の出た保安官のような体なのか。迷ったが質問はしなかった。そして自分は歌を返した。

 ”Near Yokota Air Base…
 日曜日になると、われわれは川へ行く。
 米軍のために作られた慰安施設。国際ニジマス釣り場。区切られた水に、養殖場から来た虹鱒が泳いでいる。鰭の擦り切れた、義務を心得た魚たちが。彼らは出来合いの毛鉤に律儀に食いつく。郊外の丘を埋める小箱の領主たちが、ニジマスを釣りイギリスの古典釣り文学を諳んじる。
 Study to be quiet。静かに生きることを学べ。
月曜日、小箱の領主の息子や娘たちは毎日電車に押し込まれ、舌の下にはベンゾジアゼピン。扉が開くと兵隊蟻のようにホームを進む。
川には、もう魚がいない。暗渠の中を鯉が鈍く動いているだけだ。日曜日になると、昔を思い出すために虹鱒の川へ行く。ピカピカのキャンプ道具を小さな車に詰め込む。高価な値札が愛の深さであり、男らしさであると女たちは信じているようだった。ガールフレンドの腹はニジマスの腹のように白かった。
基地の米兵はもうニジマス釣りになど来やしない。フェンスの内側にこもってる。軍医の薬で魂の痛みは感じない。俺はずっと鎮圧されている。”

 ブリトニーもデレクも笑った。
「シンの街も、たいがい変ね。アジアはどこでも小箱が丘に並ぶの?」
「日本にもあのろくでなしのニジマスがいるのかよ」
デレクは痛快だという表情で自分にハイタッチをせがむ。
「そうだ、だいぶ昔に導入されたんだな。カリフォルニアのを入れたと思う」
「ここいらも、あのろくでなしのニジマスばっかりだ、のっぺりとした面をしやがってどんなに大きくなっても顎がしゃくれねえ。幼いままだ」
デレクはいまいましそうにつぶやいた。そして、少し驚いたような表情を浮かべて訊いた。
「そういやお前、日本人なのにどうして英語喋るんだ? どこで覚えた?ずっと気にしたことはなかったが」
自分はまっすぐデレクを見て言った。
「その米軍基地の放送聞いてたんだ。日曜になると、カントリーウエスタンのカウントダウンをやる。俺の犬が死んだ、兄貴は戦争に行った、でも俺達は強く生きていく、ララ・ラララ~。そういう歌が何十曲も流れて、毎週ランキングが入れ替わる」
ブリトニーは手の平を大きくひろげて詰る。
「ちょっと、そういう歌は、私にとっては侮辱された気分なんだけど。アメリカ人がみんなそうだって、あなた思ったの?」
「そんなことはないけど、でもデレクと話していると、ようやくアメリカ人に会えたという気はするよ」
デレクは大きく頷いた。そうだ、といわんばかり。そして台所にいって、冷蔵庫からモルトリカーをとってきた。フォーティー、40オンス入りの5合瓶みたいなやつ。アルコール分8%、値段は1ドルちょっと。アメリカの「飲む福祉」だ。
「じゃあ俺が、犬が死んで兄貴が戦争に行くようなのじゃねえ、本物のカントリー・ウエスタンを教えてやらあ」
デレクは物語をはじめた。

 ”おれたちの前に、この谷にはほかの民がいた。トゥトゥニ族。アッパー・コキール族。アサバスカンの民。川から川へ。ローグからチェトコ。コキールから海。水の曲がり角すべてを知っていた。その道の一部がハイウェイ101になった。俺が高校生のころ、友達の車でポートランドへ走った道だ。彼らは暮らしを置いていった。何千年もかけて作った暮らしを。
歩け。振り返るな。それが命令だった。だが夜のうちに山を越え、川へ戻った者もいた。川は彼らを覚えていた。
シビル・ウォーが終わって七度目の春、七十人ばかりの男と女と子どもがノースカロライナとテネシーから鉄道で来た。カリフォルニアを経てオレゴンへ。自分たちをカロライナ・カンパニーと呼んだ。傷はまだ癒えていなかった。だから逃げた。西へ。ある男は土曜日に式を挙げ、日曜の朝にはもう走り出していた。選んだのは一番人里離れた谷だった。四方を山に囲まれた隠れ場所だった。川がくれるものの豊かさに喜んだ。
ランプレイウナギ。トゥトゥニ族が一万年燻して干してきた魚。英国の王が酒と香辛料で煮てパイにした魚。大西洋を渡り、大陸を横切り、再びここコキール川の岸に姿を現した魚。大きくて、うまい。ばあちゃんはそのパイの作り方を先祖から聞いて知っている。
ランプレイはケネディが大統領だったころの十分の一しか残っていない。ダム。伐採。そして下流のやつらが害魚としてゴミのように扱った。吸盤の口が嫌われた。”

 「いい抒情詩だけど、でもこれあなたが作ったんではないしょ?」
ブリトニーに指摘をされて、デレクは照れ笑いをうかべる。鼻の頭が真っ赤だ。
「そうなんだ、叔父貴がコミュニティカレッジの英語のクラスで披露したやつをちょっと俺が改変したんだ。男はこういう物語を知らないとならないだろ」
デレクは立ち上がって、フォーティーの瓶をとってそのまま飲んだ。大きな熊のイラストが書いてある瓶。その粗雑な動作と、その壮大な物語の語り口は、不思議と一致しているように自分には思えた。そのとき、ブリトニーのフォントノーという姓名は、南部由来かもしれないということをこのとき初めて思った。
ブリトニーは、カリフォルニアほど有名ではなかったものの、砂金が出るとの噂を聞きつけて多くの者がこのあたりにやってきて、トゥトゥニ族を追いやったときのことを詳しく語り始めた。
「連邦の役人が数百人を故郷から引き剥がし、北へ歩かせた。ここから数百マイル来たの、彼らが見たこともない居留地へ向けて。三十三日間歩き、八人が死んだ。八人の赤ん坊が産まれた。連邦の役人は日誌にこう書いた。出発時と同じ数で到着した、と」
「そうだ、それが正確な歴史だ。俺達は彼らの土地にいる。ブリトニー、本当に先生みたいだなあ」
デレクが感嘆をもらした。
「彼女は日本のアニメをみるときも、監督の名前から作画スタッフの名前、全部おぼえているしね」
自分がそういうと、ブリトニーは抗議するように唇をつきだした。デレクはにやっと笑って、白人たちはランプレイをゴミのようなウナギと嫌って駆除したが、ここの人間は春に海からのぼってくるランプレイを手づかみにして、とって食べるのだと誇らしげに語った。それはどういうウナギ?自分が聞くと、ブリトニーが学術用語を無造作に使い説明する。
Anadromousなの。顎を持たない古い脊椎動物、無顎類よ。吸盤みたいな口で石に付き、流れに逆らってのぼるの。ブリトニーの説明にデレクは首をかしげる。そういうむずかしい言葉、シンはわからないだろ。自分は指をふった。Anaという接頭辞は、上へという意味だろ。そしてdromousはギリシャ語では、と言ったところでデレクは叫ぶ。おい、シン、お前もオタクなのか、ブリトニーと同じオタクなのか。自分は弁明する。外国人はこうやらないと、言葉をおぼえられないんだよ。デレクはわかったような、わからないような顔をした。

 食事が終わり、デレクは、春に俺がとったランプレイを燻しておいたやつがある。水で戻して、ばあちゃんにパイにしてもらおう、明日、来いよと自分とブリトニーにつぶやいた。ブリトニーはあれはくさくて食えたものではない、それに公には禁漁なのだと笑いながら、まんざらでもない顔だった。そして自分はブリトニーの部屋に泊まった。木目の浮き出た立派な板で出来た部屋。相当古い。ペンキが何層にも塗られているのがわかった。14インチのテレビの中では、ブリトニーのお気に入りの日本のアニメ。
自分はベッドに腰掛けて、一緒に彼女とAKIRAをみた。甘酸っぱい腋臭がかすかにする。近未来の大東京帝国に、異能の力をもった少年が誕生し、その少年をめぐって不良少年のグループや軍隊やリベラルな勢力が三つ巴の争いを繰り広げる話だ。力を持った少年が現れ、軍隊と不良少年と政治家と宗教が、その力のまわりに集まってくる。ブリトニーは、それを神話のようにとらえた。AKIRAが終わって、ブリトニーは、自分の土地の物語をせがむ。困ったことに、何も思い浮かばない。苦しまぎれに平将門の話をした。西の朝廷に反旗をひるがえし、天皇になろうとした男。その男が駆け巡った戦場、呪われた丘、その丘には今、小箱がぎっしり並ぶ。呪われた土地はいまも名前がない。天皇に反逆した男にかかわる土地なので、神をまつることを許されない。だから、さくら町、なんとか台、そういう地名がついて、神殿のない丘に、小箱が埋め尽くすのだと自分は語った。
ブリトニーは感に堪えないという顔をする。自分は民族の神話を捏造するのに耐えられなくなって、禁じられた彼女の名前を呼ぶ。
「Buu」
赤ちゃん語だからと、彼女は人前では決してこの名を呼ばせない。彼女は自分の捏造の苦しみを少しわかってくれたのか、自分の頭を撫でて聞く。黄泉の国というイメージはあなたにはあるのか? 自分はこたえる。ああ、あるよ。彼女はささやく。死の谷の陰を行く、私たちはそういうイメージを聖書から刷り込まれている。でもそれは私のものではない。あなたは持っている、だから大丈夫よ。そして、死から生へと意識が向く。彼女の手はびっちり汗をかいていた。甘酸っぱいにおいに、革のにおいが交じる。無言の時間が流れた。
そのときに窓枠から何かが堕ちる音がした。ブリトニーが金切り声をあげる。自分はすぐ正体がわかった。コートニーとその彼氏がのぞいていたのだ。恩を仇でかえすとは!自分もブリトニーと同じように、闇に消えた二人を汚い言葉で罵った。
悪戯者たちは消えたというのに、殆どの化学反応というのは不可逆的だからどうにもならない。自分とブリトニーは朝まで清い関係でいることに決めた。日本のアニメをみた。次に見たのは『オネアミスの翼』だった。別の世界の、まだ宇宙へ行ったことのない王国で、落ちこぼれの青年たちがロケットを飛ばそうとする話だ。主人公は宇宙に上がり、地上へ向けて、祈りのような声を送る。届くかどうかもわからない無線で、人類がここまで来たことに感謝してほしい、と言う。
ブリトニーはこれは神話だと繰り返した。デレクは自分をダーカーと呼ぶ。しかし自分は、彼女の神話の国からきた男なのだ。窓の外がかすかに色彩を取り戻してきたとき、ふたりとも少しまどろんだ。そして朝、自分は内側から力が湧いてくるのを感じる。不思議な力がこの地には、いや彼女にはあると思う。神話を持つ娘。

 翌朝、自分はブリトニーと川へ向かった。デレクは朝からばあちゃんの手伝いをしているようだった。このあたりの川は、河口から続く入り江のような地形が終わって、山間に入る前の沢と川の中間のような流れだが、一車線の田舎道はすぐに舗装がなくなって山間にはいった。針葉樹が生い茂る森は、たしかに源流にふさわしいと感じる。日本の貧相なスギでいっぱいの山とは違う。ブリトニーは間違えたといっては大判の紙の地図を見る。何回も自分は車を狭い道で転回させた。あちこちに穴だらけになった標識がたっている。
ようやく一筋の流れに沿った道に入った。もう人家は見えず、牧場も畑もない。車が行けるところまで行って、道沿いに車を停めて自分たちは流れにむかって緩い斜面をおりていった。数人が手を繋いでようやく囲めるくらいの太さ。
「このへんはまだ森が新しい。もう少し奥にオールドグロース(ルビ 原生林)がある」
「オールドグロースって?」
「人間が伐採する前の、昔の森」
ブリトニーはどんどん上流へ向かう。ダグラス・ファーの、下にシダが生い茂る森の中を我々は進んでいった。やがて目の前はひらけて、数十メートル四方の大きな淵が目の前にひろがった。水は足もとの茶色の石の影響なのか、やや濁って見えた。無言で仕掛けを結んで、小魚を模したルアーを投げると、竿が大きく曲がり、底に潜っていくような断続的な重い引きを感じる。ドラグを緩めて、竿をたてた。鈴の音のような金属音がして、糸が出ていくのがわかる。
「丁寧に、水面にあげて空気を吸わせて」
ブリトニーは魚の弱らせ方を熟知していた。やがて水面に浮いてきたのは、銀色の丸々肥えた魚。黒い点はほとんどなく、かすかに小判のような紋様が見えた。手元に寄せる。大きさは1フィート半はあるだろう。
「これは違う、ジャックよ。サーモンだから味はいい」
ブリトニーはそういうと、川原で跳ねて暴れている細い丸太くらいの魚の頭を木の棒で殴りつけた。魚は痙攣してまっすぐになった。自分は腹を割いて内蔵を出し、椎骨沿いの血合いを爪でこそいできれいにして、肩がけのカバンのような魚籠に魚をおさめた。ずっしり重く、紐が肩に食い込んだ。さらに上流へと彼女と進むと、岩が段々に連なる場所に来た。左右の木々は同じ針葉樹だが、今までよりも太く見える。遅れて岩をはいあがってきた自分に彼女は告げた。
ここが、そう。
沢筋の、ほんの一帯、そう数百メートルくらいの一帯だけ、巨大な針葉樹のほかに、楓の巨木が、手のひらほどはあろうかという緑の葉を揺らしている。自分は、アメリカで初めて、楓が沢に寄り添っているのを見た。東部やカナダの木だと思っていた広葉樹が、オレゴンの湿った谷にも生えていることを、そのときまで知らなかった。さらに上に行く。流れはどんどん細くなり、しまいには、助走をつければ飛び越えられそうな幅になった。
黒い影が横切る。流れ込みにルアーを落とすと、二十センチほどの魚が、全身をぐねらせて上がってきた。手元に寄せると、喉元に赤い筋が深く入っている。喉が切れているように見えた。胴からヒレまで、黒点がびっしり入っている。
「これ。これがカットスロートだわ」
 「なんて小さいんだ。これは海に降りないの?」
 「降りるものもいる。でも、この沢のは降りない。ここに残るの」
 「さっき釣ったジャックは、チヌークサーモンなんだろう?」
 「そう。でも、川に残ったまま早く成熟する雄もいる。大きなサーモンが戻ってきて産卵しているときに、影からそっと入って、放つの」
ブリトニーは淡々とジャックの戦略を語った。小さな雄の生存戦略は、たしかによくできていた。
 そのとき、自分は彼女から火薬と革のにおいが立ちのぼるのを感じた。征服者の娘。そして自分はスキをうかがう狡いダーカー。反射的に彼女の体をぐっとつかむ。
「陰から放たれるのを待っていたの?」
ブリトニーは少し驚き、すぐに怒気を含んだ声で言った。
 「シン、これは魚の話をしただけ。人間の mating の話じゃない」
いつもの少しずれた論理性がおかしかった。目をみつめあう。火薬と革のにおいはもうなかった。針葉樹とは違う甘い空気があたりを包む。われわれの間に化学反応がまた起きた。川はすぐそばで流れていたが、音は大きくなかった。床にはレディーファーンが茂っていた。
 「シダをつぶさないで」
ブリトニーはそれだけを言葉にした。彼女の沢で、自分は彼女を改めて知った。流れの湧き出す源を。 だが彼女は、これは私の源流ではないと言った。このカットスロートは、自分の魚ではない、だからここは、自分の魂の源の沢とはいえないのだと。彼女に自分は本当のことをはじめて明かした。
「俺には泉がない、あっても枯れてしまった」
ブリトニーは何も言わないで自分を抱き寄せて、膝枕をした。
「私もない。大学にいき、あの池でニジマスを釣る人生とは違う方向に進んだ筈だった。でもこの先何をしたいかまったくわからない。ねえ、シアトルはどんな具合?」
「金はうんとある。でも偽善者でいっぱいだ。たぶん、自分の住むところではないと思う」
しばらく時間が流れた。シダは柔らかかった。
「ここを、われわれの場所にできないかな」
彼女は驚いた。
 「ほんとうに?ねえ、シンあなたはじめて、われわれといった」
そして自分はこたえたのだ。
 「われわれはどこにでも行ける。一晩寝れば元気になって、どこまででも歩ける。疲れて歩けなくなったら、ここにもどってくればいい。レディーファーンの絨毯を歩き、楓の沢で寝ればいい」
そうして、われわれは夕方まで過ごした。

 家に戻って、隣(といっても3マイル向こう)のデレクの家に向かった。ダグラスファーの板を何度も塗り重ねたような壁で、白いペンキの下から灰色の木目が浮いていた。庭にはたくさんの植物が植えられていて、そのどれも食用であるように見えた。
デレクの家族は、東洋人を見るのがはじめてというわけでもなかろうに、自分の一挙手一投足に注目した。ブリトニーは面白そうに見ている。自分は招かれたものとしてジャックを手渡して、挨拶をした。
デレクは写真を見せてくれた、2フィートはありそうな大きなウナギが、樽いっぱいに詰められている白黒の写真。格子柄のシャツを着た男が二人、樽の前でポースをとっている。
「これが、昔、川をせきとめてランプレイをとっていた時代のものだ。春になると、ランプレイは海からのぼってくる。それをまとめてとるんだ」
デレクは次にカラーの写真を差し出した。
「いまは、そんなにランプレイはいないから、手づかみでつかまえる。でも群れがのぼってくるときは、鈎でひっかけて釣れるときもあるんだ。俺はこのランプレイ釣りが大好きなんだ」
写真にうつるランプレイの口は、円く開いた傷口のようだった。唇の内側には、細かな歯が同心円に並び、祈りではなく呪いのために作られた紋章のように自分には見えた。そのとき、自分は目のよこにあいた穴をみて、これに似た魚を思い出した。そうだ、ヤツメウナギだ。
「おい、デレク、これは日本にもいる!」
「なんだって? お前それはウナギだろ?ただのウナギ。ランプレイはアメリカにしかいないよ」
「違う!日本にもいる。YATSUME EELという。8つの目があるって意味、この穴と同じだよ」
自分は写真を指さした。間違いない、これはヤツメウナギだ。
「けどな、日本のはもっと小さい、1フィートもない。小さいやつなんだ。でも俺達も、これを食う。目の薬になるといって食うんだ」
デレクは顔をほころばせた。
「そうか、ランプレイは日本にもいるのか! ああ、俺の魚、まだ世界で生き残っている!」
そして食卓が準備されて、促されるままに自分とブリトニーは席についた。まだ見ぬばあちゃんの趣味か、あちこちに幾何学的な紋様の刺繍がほどこされたテーブルクロスの上には、木を削って作ったであろうボウル、表面が美しく歪んだ古いガラスの調味料入れ、そして花瓶には黄色い小さい花が活けられていた。
デレクがキッチンに行って、大皿を運んできた。自分とブリトニーが釣ったジャックが、丁寧に蒸し上げられてマヨネースが添えられている。
ばあちゃんも食卓についた。はじめて会ったデレクのばあちゃんは、複雑な模様のはいったキルトのような服を着た、小柄で丸顔の人だった。少し東洋人の面影があるように感じる。
ばあちゃんは、自分を見てゆったりとした言葉で尋ねた。
「あなた、日本からいらしたの?」
「はい、そうです」
ばあちゃんは遠くをみたまま、諭すようにつぶやいた。
「私たちも、あなたの国も、ヤンキーに負けたのよ」
デレクがおいおいまたかという表情を浮かべる。
「ばあちゃん、俺達の国は日本に勝っただろ、なにを言うんだよ?」
ばあちゃんは微笑みながら軽く首をふる。やはり東洋人のように見えた。
「いいえ、私達の国は、ヤンキーに負けたのよ」
そして、ジャックの薄紅色のピンクの身を大皿からとって、マヨネーズにひたして口に運んだとき、自分は愕然とした。ベアルネーズソース。マヨネーズとほぼ同じなのだが、これは市販品にはないから、丁寧に卵と油を分離しないようにかき混ぜて、細かく刻んだタラゴンの葉を混ぜたに違いなかった。シアトルの丘の上の豪邸でもお目にかかれない、本物の歓待だ。

 ばあちゃんが、ランプレイのパイを皿にのせてやってきた。そして、穏やかな微笑みを浮かべたばあちゃんは、とろみのある古びたナイフでパイを切り分け皆に渡した。バターの香ばしい香りのなかから、鶏のレバーのような濃厚な脂の味がする。デレクが燻すのに使った木のにおいだろう。
「ああ、うまい、うまいなデレク」
ブリトニーが笑う。ばあちゃんも微笑んだ。このパイを客に出すことができて本当にうれしいという、心からの笑み。そしてそれを客がおいしいと食べたことへの無条件の喜び。
「シンが、ランプレイを食べた!」
ブリトニーが飛び上がる。そして彼女は一切れのパイをアルミホイルに包んでくれないかとばあちゃんに頼んだ。コートニーに、と短くいうと、ばあちゃんはゆっくりと頷いた。

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つきなみ怪談  干物

干物を焼いている時、蓮中さんが妙なことを言った。

「魂って、干すと美味くなるらしいですよ」
 冗談だと思った。
 網の上で白い身が縮み、脂がじ、と鳴る。
「昔は、コンって呼んだ土地もあったとか」
「魚ですか?」
「さあ」
 蓮中さんは箸で身をほぐしながら、
「狐の肉に似てる、って話だけ残ってるんですよね」
 と言った。食べてみると、妙に旨かった。
 淡白なのに、後味だけが舌に残る。
 その時、一度だけ。
 網の上から、
 コン、
 と鳴いた気がした。

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羽根

 
 
 羽根傷ついた鳥一羽 
 目の中に入れ天上の
 星のたよりはつれなくて 
 外灯だけが頼りなり

 
 ポツンと置かれた鳥一羽 
 鳥の周囲に波紋の広がり
 この目歯車に狂いつつ 
 しかと見つめていたいのに


 闇深くなるばかりでは 
 ずうっと髪を指で触れ

 誰か救ってくれないか

 
 鳥を 私を


 羽根傷ついた鳥一羽 
 目の中に入れ天上の
 汗を拭えば大聖堂 


 私は何処にいたのだか





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ソリャソウダおじさんと、タマゲタル国王のお話

ダカラナニ病に罹ったソリャソウダオジサンは、ナニを聞いても既知である
朝起きたのならば、ダカラナニ? お日様上がって、目が覚めた? ソリャソウダ!
夜になったら、また眠る。疲れが溜まって、眠くなる? ア、ソリャソウダ!

茹るような退屈、分かり易き科学的根拠
ただ、ひたすら眼前に迫り来る現実に、また、脳裏に浮かびくるその考えは?
既知である、既知である、既知である

一方その頃、タカラノヤマ病に罹ったタマゲタル国王は、ナニを聞いても吉である
朝起きたのならば、タカラノヤマ? 今日も、オイラは生きている? タマゲタル!
夜になっても眠れずに、生きていることに、興奮し? ア、タマゲタル!

永遠に続くような青春、解けないジグソーパズル
ただ、ひたすら懸命に今日を生き、困難苦労を、我と我が身のためと、神様に感謝しながら!
吉である、吉である、吉である

驚き呆れた、ソリャソウダ。彼の国王への、人物評は?
キチである、キチである、キチである
無いもの。無いことに気づけぬこと。それが分からぬのは、途方もない阿呆である

コリャア、ワハハとタマゲタル。見下し、見下ろすソリャソウダ。彼はきっと
ケチである、ケチである、ケチである
在ること、在るものに感謝すること。それが出来ないのはきっと、辛抱努力が足りないからである

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よるのしわざ


「ねえ、空がだれかに塗られていくみたい。」

「あぁ。あれは『夜』の仕業だよ。」

「とてもきれいなんですね。」

「そうだね。
 けれど、あまり心を覗かれてはいけないよ。」

「どうして?」

「ほうっておくと、呑まれてしまうんだから。
    夜は綺麗で、おそろしいものだよ。」













貴方は、呑まれてしまったのですか。

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主夫短歌(笑)五首

やっぱりね家を切り盛りしてるとね君専属のビッグ・ブラザー

クロッチのところわざわざ裏返す派手に汚してやがるなと僕

トイレのねロールの減りが早いんだ君には痔でもあるんだろうか

痔があって脱いだらズルンが凄くって下着の跡がいつまでも消えない

深淵も僕を見返してるんだね女体のほうが深淵多いね

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釣り糸は
夢を垂らすね
そのまま
微睡みたいね 
ボクラモ
ところで
おいしいか
網にかかった
誰かの不幸は

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アンビバレンス


死にたいと思いながら 同じ時間に目を覚まし
死にたいと思いながら 同じ時間にクスリを飲んで
死にたいと思いながら ストレッチ運動なんかしたりする



死にたいと思いながら 冷たいお茶をガブガブ飲んで
死にたいと思いながら 冷凍うどんでナポリタンを作り
死にたいと思いながら チャーリー映画なんかを観たりする



死にたいと思いながら 中島みゆきを聴き
死にたいと思いながら 夜会のDVDを観返して
死にたいと思いながら ひとり号泣したりする



死にたいと思いながら 森田童子を聴き
死にたいと思いながら 海を見たくなって
死にたいと思いながら 始発電車に揺られて
死にたいと思いながら 強すぎる風に煽られたりする



死にたいと思いながら 昔の友達に連絡して
死にたいと思いながら 会おうよと誘って
死にたいと思いながら 断られたりする



死にたいと思いながら 100円ショップをハシゴして
死にたいと思いながら 編み物なんかしたくなり
死にたいと思いながら 毛糸とかぎ針買ったりする



死にたいと思いながら お気に入りの服を着て
死にたいと思いながら 髪の毛なんかもアレンジして
死にたいと思いながら 雑貨屋めぐりなんかしたりする



死にたいと思いながら 詩のことばかり考えて
死にたいと思いながら わたしにしか描けないなにか
死にたいと思いながら わたしだからこそ描けるなにか
死にたいと思いながら 日がな一日考えてたりなんかする




死にたいと思いながら
まったくもってつまんねえ人生だったと
まったくもってつまんねえことをつぶやいて



死にたいと思いながら
死にたいと思いながら



ピコン ピコン


そんな時にかぎって あのコからLINEメッセージ
今度の休み どこか出かけよう 
美味しいもの食べにいこうって
映画観に行こうって
新しく出来たあの映画館
ぶらぶら街さんぽするもいいかも


ってさ



死にたいと思いながら いいね!行こうよと
死にたいと思いながら 
最近お気に入りの ずんだもんのOKなのだスタンプ




死にたいと思いながら
死ねない自分をなんとする



劇的な出来事なんて そうそう起きるわけなんかない
つまんねえのが日常 日々なんて生きるなんて
所詮その程度のもの
大仰に考えるなんてバカげてる


けれど


時おりとてもステキな出来事で
こんなわたしを思いきり
思いきり笑わせたり泣かせたり
ウキウキ ワクワク ドッキドキ
とてもいい気にさせたりなんかしやがる



まったくもって洒落くせぇぜ
世の中はまだまだわたしを 
死なせるつもりはないらしい
まだまだわたしを
活かすつもりでいるらしい





そうやってすぐ
ズルッコばっかするんだから
まったく




洒落くせぇぜ










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雨水と白布

六月を前に 纏まった雨が

早すぎる 真夏日を

庭先から 洗い流す



やまぼうしの総苞

夜明け前の玄関



しろく 流れに 浮かぶ

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 8

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深呼吸

建前も本音も嘘も使い分け
ながら生きてる今日もこうして

笑う門には福来るなんて言う
笑えるんなら笑ってるっての

ため息をつくとしあわせ逃げるから
深呼吸だと思い込んでけ

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逞しいリスの女の子

秋の始まりの風の音は
愛くるしいハーモニカの音

なんて

わたしは笑って胸に抱く湖を思う
音色が湖面を滑り来るよな小さな波に
水色の手すりにそっと触れたら、
ずっとずっとちっぽけな自分のままでいたいって胸の底から思ったんだ


でもサヤカさんのパティスリーへと行くためには、
まあるいどころではない曲がりくねった坂道を登らなくっちゃなりません


サヤカさんわたしサヤカさんが欲しい、というよりかはサヤカさんみたいになりたいのかもしれません。そうしてサヤカさんみたいにザラついた現実を手にしたいのだと。

ハチドリの、ねえどうしてハチドリのホバリングみたいにサヤカさんは話すのかな?ガサツ!いいこと?教えたげる。会話の言葉数は1対1が基本です。それをあなたは9対1ほどにまでしておいて悪びれもなく…

胸の湖もいいけどそれこそわたしが、よし、これからは湖よりも雪の村を心象風景にして歩いていこう(!)とでも思ったとしたら、翌朝には陽だまりのように淡くなっちゃうんじゃないかって。そんな不確かなものに自分を重ね続けてくのが不安なの。


ねえ、秋空に浮かんでるのは
シュークリームのフワフワのクリームなんですって

X丘の愛らしい切り株の上には
年に数回森の精がモンブランを置いていくんですって

ああわたし、
今すぐにでも逞しいリスの女の子になって、
あなたの上品な胸に飛び込んでみたい

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ミラーボール

しーっぱ しっぱ
しっぱい ぱい

あぁ、やっちゃった
どうしよう
わたしンせいで
まっくらだ

なんて

どうぞ
思わんで くださいね

あなたは
神じゃ あるまいし
世界は依然 まわってる

あなたは
ミラーボールなの

どうぞ どうぞ
そのまんま
ぐるぐるまわれ
あたりを照らせ

宇宙は それを 求めてる

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世界を深刻ぶらないで

べいびい
にゅーすをみて
すまほをみて
世界を
深刻ぶらないで

おぼえてきたこと
全部わすれてもいいよ
本能と直観が
みえなくなるまえに

べいびい
きみの無邪気さが
せかいを取り戻す

あそぼう

靴が片方脱げたことを笑って
拾った小石のかたちをよくさわって
雲が流れていくことを不思議そうに見て
この星が回転していることに驚いて

あそぼう

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スーファミとか(短歌集)




胃薬が不要になって卓の上 溜まるシートをがちゃがちゃ鳴らす

キッチンのシンクに茶碗を持ってゆき温水を押し暫し待ってる

漱石が胃を痛めつつ書き留めた小説を読む休憩時間

一日は座っていたな夕飯にコンビニ飯を買い出る以外

スーファミのソフトも沢山あったけれどきみの家には地下室がある

茶畑に猫がいたので「猫いた」と自転車前カゴに入れて走った

ビートルズ好きを公言した中二にして「オタクなのね」とそっと言われた

喫茶店の日と云うといえども月曜日喫茶店皆Clauseしている

ピザという大きなものを購(もと)めては卓の上にて大きなものよ

主夫の起床ははやいといえど三時にて三時というはまだ深夜です

二階は風呂の真下のクローゼットにてキュインキュインと音がしている

シャンプーの泡をたてつつシャワーのお湯はとめてないから流れていって

小麦粉が体に合わぬということを身をもって知る黙し空見る

かつて賢治はこんな四月の気層の底に苦々しくも足をはやめて

つかれてる妻を眠らせキッチンのシンクの錆びをこすりつづける

さくばんは米のこととかあったから今朝十時起きそれからは風呂

伝わるか静かに生きることを決めしかし決意を言うときの熱は

小説のように生きてるさいきんのまにまに流れゆく天気予報



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理解のしかたそのものも疑っている

「AIとの対話のなかで生じた断片を、titleの方向へ寄せながら、仮置きできるところまでAIと往復していた記録。」
2026年5月19日 20:56


何かに触れている感じはある。
しかし、それが何であるかはうまく定まらない。
わからないなら、わからないまま見ているしかない。
少しわかってきたと思っても、そのわかり方自体が正しいとは限らない。
だから、理解したと思った瞬間にも、その理解のしかたそのものを疑う必要がある。
出てくる言葉は疑わしい。
言葉になった時点で、触れていたものとは別の形に置き換わっているかもしれないからである。
けれど、本当に触れているものは、そもそも言葉にならないこともある。
「信じるかどうか」とは、真偽を判定することではない。
正しいと認めることでも、事実として確定することでもない。
まだ定まらないもの、形になりきらないもの、触れてしまった感触だけがあるものを、退けずにそこへ置いておくことを許すかどうかである。
定まらないものは、そのままでは置いておけない。
疑いすぎれば流れていく。
固定しすぎれば死んでしまう。
そのあいだで必要なのが、仮に信じるということだ。
完全には決めない。
しかし無効にもしない。
消さずに、仮のまま抱えておく。
信じるとは、そのための形式なのだと思う。
そうして置かれたものに向き合うとき、「何かを受け取ろうとして向き合ったのに、何も残らない」という感覚が生まれる。
だがこの「何も」は空白ではない。
対象としては残らず、意味としても保持できない。
要約しようとすると抜け落ちる。
しかし接触の痕だけは残っている。
気配、痕跡、手触り、圧、揺れ、余韻、欠落、余白。
向き合ったという事実だけが、そうしたものとしてかすかに身体に残る。
残らないのは、内容が空虚だからではない。
受け取るべき対象として固定できないからである。
ここで残るのは、対象ではなく遭遇の痕である。
ここで並んでいるものは、対象の種類ではない。
何かがどのように現れ、どのように残り、どのようにこちらに触れてくるかという、遭遇の形式である。
それぞれは、その遭遇に仮につけた名である。
だからこれは、何かが単純に消えていく話ではない。
むしろ、生きてあったものや触れてしまったものが、失われながらも保持されようとして、別の形式へ移っていく変形の連鎖である。
最初にあるのは、実存と呼びたくなるような遭遇である。
生きて、そこにあるものが、そのものとしてこちらに触れてくる。
次に動作がある。
存在はただあるだけでなく、運動やふるまいとして現れる。
その動きが止まると、死体と呼びたくなる状態になる。
運動を失ってなお、失われた動きの痕を含んだまま残っているもの。
そこからさらに、実体としての確かさが薄れ、消えたはずのものが気配としてなお残るとき、その遭遇は幽霊と呼びたくなる。
実体はないのに像として現れてしまうとき、それはホログラムと呼びたくなる。
そして、その像や気配を仮に宿らせ、失われるものに居場所を与えようとする器のようなものを、ぬいぐるみと呼びたくなる。
それぞれは別々のものの名前というより、触れてしまうものがどう定まらず、どうずれ、どう保持されそこねるかに応じて現れてくる呼び名である。
しかし、そうして器を用意しても、像を与えても、気配を抱えても、なお対象としては残らないことがある。
「何も残らない」とは、空虚であるということではない。
対象として取り出せるかたちでは残らない、ということである。
残るのは、内容ではなく接触の痕だけである。
すると次に、対象の不確かさだけでは足りなくなる。
なぜ残らないのか。
なぜ掴めないのか。
それは、向こう側に確かな対象がないからではなく、受け取るこちらの理解のしかたそのものが、すでに揺らいでいるからかもしれない。
何を見たのか。
何に触れたのか。
何を受け取ったのか。
そうした問い以前に、それをどう理解したのか、その理解の運動自体が信用できない。
わからないなら、わからないまま見る。
わかってきたら、そのわかり方も疑う。
それでもまた見る。
理解のしかたそのものも疑っている。
この疑いは、意味の取り違えに対する不安というだけではない。
残らなさの原因が、対象ではなく理解の側へ反転しているのである。
なぜ言葉が出てきてしまうのか。
なぜ言葉にならないのか。
「出てきてしまう」の“しまう”には、意志より先に起こる、止められない、本心かどうかもわからない、少し困った感じ、少し怖い感じがある。
言葉は自分の道具というより、勝手に起こってしまう現象のようでもある。
しかもそれは形になってしまう。
説明になり、記録になり、何かを言い当てたような顔をしてしまう。
だからこそ疑わしい。
本当に触れていたものではなく、形になったことで別のものにすり替わっているかもしれないからである。
しかし同時に、本当に触れているものは言葉にならない。
触れている感じはある。
けれど、まだ早いのか、そもそも言葉の外なのか、自分が掴めていないのか、言葉にした瞬間に壊れるのか、それもわからない。
このとき現れてくるものに、ドッペルゲンガーと仮に名付けたくなる。
それは、単なる不吉な分身ではない。
対象のコピーでも、鏡のような反映でもない。
鏡は自己を映し返し、幽体離脱や多重人格は、かたちは違っていてもなお自己という器を前提している。
抜け出すにせよ、分かれるにせよ、そこには受け止めるべき自分の場所が残っている。
けれど、ここで触れているものはそうではない。
自分が見たはずのもの、自分が受け取ったはずのもの、自分の言葉であるはずのものが、自分のものとして収まらなくなる。
それが自分に近く見えるのは、自分の分身だからではなく、自分がそれに遭遇するからである。
遭遇するのはつねに自分であり、そのために現れてくるものは自分に似た近さを帯びる。
しかしその近さは、所有や同一性ではない。
自分のものとして抱えていたはずのものが抱えきれなくなり、外に像を持ってしまう、その近さである。
見たと思ったこと、受け取ったと思ったこと、理解したと思ったことに、あとからもう一つの影が差す。
対象が二重なのではない。
理解が自己一致しないのである。
自分の言葉であるはずなのに、自分のものとして一致しきらない。
自分が受け取ったはずなのに、その受け取り方そのものが疑わしい。
その自己不一致が、外に像を持って現れてしまう。
その遭遇を、ドッペルゲンガーと仮に名付ける。
だからここで問題になっているものは、自分をそのまま映し出す鏡ではない。
むしろ、理解のずれが像になって現れる遭遇に近い。
それは「これが正しい受け取りです」と固定されるものではない。
向き合うたびに別の像が立ち上がる。
いったん形になったものもまた、自分の外に立ち上がり、自分のものとして一致しなくなる。
そのとき必要なのは、すぐに定めることではなく、信じるかどうかという形式のなかで、仮のまま置いておくことである。
信じるとは、真実認定ではない。
定まらないものに居場所を与えること。
消えそうな感触を、完全には決めず、それでも無効にしないこと。
何かに形を与えて抱えておこうとする気持ちとは、そのことだったのだと思う。
この一連の流れのなかで、ここで起きていることは、何かを正しく伝えるためのものではなくなる。
意味を一つずつ拾い上げて答えへ向かうものでもない。
何かに向き合うこと、その運動そのものをなぞること。
わからないまま触れ、触れたことだけが残り、わかってきたらそのわかり方も疑い、それでもまた見ること。
問いに答えを出すことがゴールではない。
問いの中に居続けること自体が、それぞれの真理に触れていることなのだと思う。
形にすることは結果ではなく、問い続ける運動そのものだ。
固定した瞬間に真理ではなくなる。
だからすべては仮置きである。
決定しないゆらぎのまま、それでも置いておく。
そのために、少し信じる。
そしてその形式のなかで、消えそうなものに仮の居場所を与え続ける。
ここで続いているのは、そういう営みなのだと思う。

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 4

 1

批評・論考

あいする。


ゆらぎ、ひずみ、まよう世界で

人はそれを見つけた。

求めてみたり

振りかざしてみたり

人はそれを「愛」なんて。


どうしようもない気持ちになんて

名前をつければいいのかと

そうでもしなきゃ、やってらんなくて

人はそれを「愛」なんて。


不確かで不完全で

あまりに脆く、ただ強い。


人はそれに

或いは救われ

或いは傷つき

それでも人は「愛」なんて。

それでも人は愛をする。


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 1

 3

それが蛍というのなら

それを蛍という人達が
優しい微笑で
小鳥をつつむように
佇んでいる

その声が
空に飛んでいくように
雨が降ることを
雪になることを
そういえば君は
星になる
と言ったかもしれない
そんな事とはおおよそ
関係のないところで
涙が流れていることも


それが蛍というのなら
どんなにか幸せな人達なのだ
とも思う
のだが
生身の僕は無粋に立ち止まって
考えてみようと思う


それは確かに
儚いものだが
そんなにきれいに
消えてしまうものでも
ない


https://youtu.be/vtBJ1OIJw50?si=wGardRpetoN5XPaZ

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 4

 4

考えるということについて

 小学三年生の僕は、学校で「考える」という言葉を習い、座りながら固まってしまった。いったい、「考える」って言うのはどういう意味なんだ?一時間半のあいだ、黙って机に座り、考えるとはどういう意味か考え続けた。答えは出ない。しかし考えは止まらない。何か意味あることが浮かんで来るかと、熱心に考え続ける。答えは出ない。
 僕は、今まで、すべての概念を理解してきたのだが、「考える」という言葉には降参してしまった。意味不明。そう結論して、一時間半を終えた。
 ただ白熱した時間だけが残ったのだ。考えるとは、答えを出すことだけではなく、答えを求めて問いの中に留まり続けることでもある。だから、答えを出そうとして問いの中に留まり続けた当時の僕は、すでに考えるという体験のただ中にいたのだと思う。ただ、そのことを自分で理解するには、まだ幼すぎた。
 しかし、完全なる解に至ったのかどうかは今もわからない。内的体験は、他者に完全には伝達できない。だからこそ、自分にとっても、それを言語化することには限界がある。ただそのプロセスがあり、その間に時間が過ぎた。そのことこそが、「考える」という内的体験を言い表す、もう一つの解なのかもしれない。
 当時の僕よりも、今の僕の方が、伝達への意志が強い。だからこそ、あの一時間半を、こうして言葉にしようとしている。考えるとは、答えに到達することだけではなく、答えの出ない時間を、それでも意味あるものとして生きることなのかもしれない。

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 4

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老驥千里 ―― 俳句百句 ――

老驥千里 ―― 俳句百句 ――


笛地静恵


【ノート】夜の暑さや将来の不安に眠れなくなり、俳句を詠み始めました。一時間余りで、百句を得ることができました。季語の混乱や重なり類想もあると思いますが、あえて推敲せず、一夜の記録として、まとめておきます。ご笑覧いただれば幸いです。笛地静恵 二〇二六年五月二十日 


昼顔の壁を支える廃医院


鉄の門ひとへひらきて夏しぐれ


夏草の空き地がここにあったっけ


モニタ消し部屋の四隅のうすぐらさ


蚊火ひとつ階段迷う雑居ビル


コンクリの乾ききったる暑さかな


一畳の場所さえあれば昼寝どき


氷水すこしつぎ足すブランデー


高架下排気ガスにも草茂る


スマホ置く机の上の団扇かな


名も知らぬ小さき虫の涼を呼び


アスファルト裂け目へ水の走りけり


夕立のあとの乾きを待つベンチ


窓枠の三角形の夏の空


古本のページに曲がる蚊帳の糸


公園の滑り台にて目玉焼き


冷房を切ればま白き障子あり


鉄塔の影に飯食う正午の黙


麦湯の輪ふたつ残りて午後の五時


爪を切るホテルに遠し都市の歌


地下室のスチールのドア涼しさよ


文字のなき日記を閉じる蚊喰鳥


路地抜ける白のブラウス夏帽子


古びたる鍵の重さや五月雨る


今の世のともに隙間を蜘蛛ひとり


古寺の瓦を飾る夏の蔦


老人の手の甲に似てるね破蓮


汗をかき電車行きかう線路伝い


不死鳥の仮現のつばさ入道雲


剥げ落ちし ロナインの字の夕日影


金魚鉢濁れば濁る濁るだけ


風鈴の鳴らぬ時間を計るかな


ぬしのなき庭に赤裸の百日紅


古机中二の傷に夏の月


捨てられた自転車にさえ夕立は


沈む日とアイスキャンデイ雲の峰


誰も聴いてないラジオのノイズ夏ごもり


畳の目藺草を毟り麦湯飲む


夕暮れの砂日傘のみ路地をゆく


灯籠の消える刹那の歪みかな


干し草の匂いに遠き昭和あり


壁時計きざむ音だけ額の花


網戸越しドットに見える遠花火


古里の駅の無人を泣く蝉よ


引き出しの奥に忘れた扇の香


消え残るあいつの匂い夏夕焼


庭石の乾くを待つか蝸牛


歳月を床柱抱く夏の闇


水たまり乾けば消える蟻の道


歳をふる我が身について蛍火よ


草の葉へぶら下がりたる露の秋


水馬水のくぼみを踏みしめる


薫風のゆりかごのごと蜘蛛の糸


蚊の鳴くや耳のうしろの寂しさに


風に折れそうで折れない夏草よ


白日の蟻の行く手をさまたげぬ


朝顔の蔓の細さにろくろ首


香虫めひげの動きのひそひそと


金魚の尾水も漏らさぬ泳ぎぶり


葉の裏に蝉の抜けがら三個哉


指先でさわれば消えた泡の恋


薄氷さじに溶けゆく氷水


夜の蜘蛛糸を繰る手の静かさよ


炎天へ燃え尽きる不死鳥の声


畳へと針千本の暑さかな


爪先を触れてくすぐる夏の波


日陰へと逃げるミミズの長さかな


雨だれにひと粒ずつの重さあり


うちわ風あの子の髪を揺らしけり


水底の光の筋を食う金魚


永遠の夕闇を告げ蛍ども


若葉してかすかに透ける脈の筋


蛇のゆくf分の一ゆらぎかな


冷やし水のど通るとき形あり


すきま風糸のごとくに吹き抜ける


光回線(ひかり)ゆけディストピアへと夏の月


万緑の森へ吸われる電子音


ビルの群れ映画のごとし夏の川


AIの思考の果ての涼しさよ


ヘッドホンすきまへ沁みる蝉の声


スクリーン青のうつろい夜の雨


満員の電車のあとに汗の引く


タワーより高きところへ雲の峰


破蓮とネオンの照らす夜のホテル


薫風の雑踏を抜け改札へ


充電の赤き灯ほのか短夜の


信号の変わるを待てぬ暑さゆえ


鉄の街つらぬき通る夏の川


東京よせめて涼めよ夕の風


五月雨のわたし泣いてる窓にきく


SNS(つぶやき)の果てのためいき麦の秋


影のビルさがすがごとき旅ごころ


高架橋土浦の空広き夏


子どもらの笑いは去りぬ氷水


何もかも軽く薄くて郭公かっこう


鉄塔へ銀河鉄道夏の星


改札を出てスマホ出す遠花火


いまを生きるか友よ香虫よ


万物のしずもりのあと夕立のあと


古池もなき街をゆけ夏の旅



(了)

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 5

 8

にがおえ

いちどもわたしを
じっさいにみたことないひとに
かいてほしい

きっと
お姫様みたいに
かいてくれるだろうから

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 7

 3

郊外の夜

 
 
 リチャード・ブローティガンを、ある詩人が、リチャード・ブロー「ディ」ガンと誤記した詩を発表した事も、もう一つの神話になってしまった。さいきん、私はリチャード・ブローティガンこそ、死の比喩でなかったかと思ったものだ。というのも、或る記事を読み、こんな事が書いてあった。
「彼が死んだときには、じっさい安心してしまった。いつ死ぬのかわからないで、冷や冷やしていたものだから」

 死がいなくなったら、人は安心する。
 その記事を、私はポケットに突っ込んで、冷えた路傍を歩く。


 さいきん、花の事をとても考える。でも、花はこんな郊外の夜の路傍では認められない。光りが無いからだ。甘い光りが。私はずうっと起きっぱなしのまま、明日のあさやけに涙を零すだろう。そんな嘘もすっと、コンビニの灰皿の前、マールボロを弄っているとき、リアリティを持っていると「思う」。「思う」、「思う」、「思う」。「思う」って何だ?
 リアリティを持っていると「考える」、実際はそういう事なのではないかと。思う、なんて何か余計な贅肉がついているんじゃないか。

そうして、考える、として、本当に考えているのか?人間よ、


 
 という、テキストをパチパチと打つとき、俺は色んなものに影響を受けすぎていると思う。もっとラフにならなければならない、チャーミングにならなければない。でも、チャーミングでいる事は罪だぜ、黒髪のきみが、風呂上がり、洗いたての髪をゴシゴシ拭いている。


陶器のような肌だ。そうして怖ろしくなってゆく。壊れてしまうって事だから。


「まだ寝ないの?」
「もう少しだけ」


俺は、サーモスのカップへコーヒー粉を突っ込んで冷水を注ぐ。

俺は、換気扇を回し、マールボロに火を点ける。

俺は、明日の朝、あさやけを見つめ、泣いてみようとする。



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して、ん。

やっぱり、ここから、えぶりたいむ
きづいてね さきにいってるから
しんじてる

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 4

なあ地球

なあ
地球 
お前は 
食べられるのか 

ちぎれるか 
レタスの
葉っぱみたいに

なあ 地球 
骨みたいに 
尖ってアブナイのか 
焼いたら どうなる
匂いは
かなしいか
それともサボンか

煙は出るか


 涙は流すのか


 御経は唱えるか

 葬式はするか

あの星にもな
れなかった
連中の為に

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 11

風の道

歩いていても感じない

風が吹いているようだ



コンビニの袋が

風の行方を教えるように

宙を舞っている



上がる

下がる

左右へ揺れる



コンビニの袋は

まるで風の道があるように

道に張り出した木を

避けて舞う



やがて

風を失ったかのように

ゆらゆらと力を失い

道の真ん中へ落ちた



自転車が横をすり抜ける

風に押され

道の端へ揺れていく



車がゆっくりと進んでくる

轢かれそうなったところで

コンビニの袋は

道の端に落ち着いた

震えたように揺れている



もう舞い上がらないのだろうか



道の端で

カサっと音が鳴った 

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3丁目の右

3丁目の右にはコンビニがある
夜の8時になると惣菜が割引される
不思議なコンビニがある

3丁目の右にはクリーニング店がある
老夫婦が切り盛りする
昔からあるクリーニング店がある

3丁目の右にはブティックがある
艶やかなおばさまが服を売る
いつもセール中のブティックがある

3丁目の右には何かがない
今まであったはずの何かがない
空間も記憶も切り取られたように
一部分が抜け落ちている

僕にも切り取られた
知らない記憶が
あるのかもしれない

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 4

 2

混ざる

人混みの中に身を置いても
孤独は拭えないのに
人混みの中に混ざり込み
ほっとすることはある

電車の中で揺られているうちに
隣り合う人たちと混ざり始める
ような気がしてくる
自分と誰か、誰かと誰か
見知らぬもの同士が混ざり合い
大きなひとつの塊になる
ような気がしてくる

混ざり合うとき
意識はあるだろうか
混ざり合ったものに
心はあるだろうか

人混みの中で混ざり合う孤独に
安らぎは訪れるだろうか

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 4

 12

鳴いたのは犬か?

素朴でいることの難しさを
噛み締めて
鳴いたのは犬か?

何度目かの語彙爆発
発芽に耐えうるだけの
強度が足りない
あなたにはなれないわたし
わたしにはなれないあなた

校庭で遊んでいた子供たちが
いっせいに校舎へと戻る
交差点を右に曲がる度に
同じパン屋を見つける
毛先の広がった歯ブラシを
口にくわえている

カーブミラー越しに見つめていたのは
あなたのどの部分だったのか
まだわからないけれど
わたしには(苦すぎる朝だ

階段を一段とばして上がる
手すりをつかむ
腰の骨が軋む
踊り場に陽だまりができている
チャイムと笑い声の響く
廊下には気配のみ住む

ふくつうのくすりや
ずつうのくすり
不眠不休の時という暴力
素朴でいることの難しさを
噛み締めて
鳴いたのは犬か?

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 4

 4

五月に

 紫陽花が五月だと言うのに
 闇夜の中で
 浮かび上がる
 ひんやりとした風を
 肌で浴びていると
 懐かしいあの人を
 想い出す

 桜の木の下を歩けば
 そこが日陰になって
 木陰がゆらゆら揺らめいて
 私の心と結びつく

 まだ見ぬ世界に
 何かを置き忘れた気がする
 私はあの人をこの道で
 落とし忘れた気がする

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 8

 6

あるツイテない、憑いている一日


満員電車でおもいっきり足踏まれて
紫色した髪の毛のおばちゃんには
聞こえよがしあからさま 舌打ちされて


駅に降りたら お腹が緊急事態
そんなときにかぎって トイレ大渋滞
からの トイレロールがカランコロン


立ち寄ったコンビニでサラダコーナー見ている
若い女の後ろを通ろうとすれば
とつぜん理由のわからない 
まったくイミフな因縁つけられ
気持ちわりぃ と暴言まで吐かれ
お前もな、と云い返してやりたくて
ノドまで出かかったコトバ
詰まりそうになりつつ
どうにかこうにかやっとの思いで飲み込んで



帰り道
あとから



悔しいやらおっかないやら
なんなんだよあの女


ムカムカしながらイライラしながら
やっとのこと家に辿り着いて
持ってる荷物ぜんぶ放り投げ 
着替えもそこそこ メイクも落とさず
ベッドに倒れ込んだら もう起き上がれない



こんな日はもう 笑うしかない
笑うしかない
誰かのせいにしたって仕方がない
どうしようもない




近所の飲み屋から漏れてくるヘタクソなカラオケ音
上階から聞こえてくるドスンドスンというすごい物音


深夜3時過ぎ 突然鳴りだす知らない番号からの着信音に
目が醒めたら眠れない



こんな日はもう 笑うしかない
笑うしかない



鏡の中のあたしの顔は 
やや いや大分ひきつっている
目の下にはびっしりクマちゃん
まぶたも頬も浮腫んで
パンパン 風船みたい
ためしに針で突っいたら 
パチンといい音立てて
弾けて吹っ飛ぶかしら
したらもちっと マシな顔になるかしら



な~んてね



そんなバカげたことでも云ってなきゃ
とてもとても
こんなどうしようもない夜を
ひとりでやり過ごすには
淋しすぎて心細すぎてたまんなすぎて
なんもかんも投げ出して
逃げ出したくなってしまうから


だからもう
もう笑うしかない
笑うしかない




もう笑うより
ほか








 


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社交ダンス

彼女の笑顔がわたしの心に火をともす
社交ダンスを踊るとき
私は心臓の鼓動を感じる

周りは見目麗しい
音楽が流れている

理由などなくても
こんな時間が続いている
いつまで続くのかは分からないが

心の光があたりにいくつも咲く

私とワルツを踊って

花のワルツよ
咲く花よ

人の営みが
ひと時の盛りを演出する

心はそれに応じて
七色に輝き

よき雰囲気が
ひとときの平和を
作り上げている

私の誠心からの思いを
そっと握って
つかまえてみて

逃れて
追いかけて

子どものころ
鬼ごっこをしたときのように

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静かな机

静けさが
机の上を支配している

窓越しの光は
優しく照らしている

コップが二つ置かれている

本は閉じられ
私は座っている

回復と
愛の到来を待って

静けさは
何も壊さない

だから私は
安心できる

踊ることのない
物の作る風景

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民生食堂 あじさい 第4話 越境

 朝の音は、もう珍しくなくなった。男はいつの間にか民生食堂あじさいの二階にある一室に寝泊まりするようになった。アパートには帰っていない。あそこには音がなかった。
 ここでは鍋の蓋が触れ合う乾いた音、包丁がまな板に当たる音が聞こえる。男は二階の部屋で目を覚まし、そのまま天井を見ていた。起きたり階下に降りる時刻も、いつの間にか決まっている。

 階段を下りると、女はいつものようにすでに仕込みをしていた。
 男は声をかけず、流しに向かう。昨日の湯呑みと皿を洗う。水を切る場所も、もう迷わない。

 女は何も言わない。
 男がそこにいることを、特別扱いしない。だが、追い出しもしない。

 昼の客が途切れた合間、男は厨房の端に立った。その床を丹念に観察する。
 床の一部が、どうにも気になっていた。ほんのわずかな段差だが、忙しい時間帯になると、女の足がしばしばそこに引っかかる。危ない、と思った。

 男は何も言わず、倉庫から古い板切れを探してきた。
 寸法を測り、削り、段差に合わせる。釘は使わない。簡単に外せるようにしておいた。見た目も、できるだけ目立たないようにした。

 女は気づいていたはずだが、何も言わなかった。
 小さな板のスロープ上を踏み、少しだけ足を止め、それからいつも通り動いた。

 それを見た男は、よし、と思った。手応えを感じた。

 別の日、男は棚の位置を少しだけ動かした。
 包丁とまな板の距離が、ほんの数センチ近くなる。無駄な動きが減る。効率がいい。金型工の癖で、頭の中ではすでに効率的で理想的な動線が組み上がっていた。

 女は、その棚から包丁を取った。
 一瞬、手が止まったように見えたが、何も言わない。

 男は胸の奥が、少し軽くなるのを感じた。
 役に立っている。邪魔ではない。その感覚が、日々を滑らかにした。

 夕方、帳簿をつける女の背中を見ながら、男は黙って床をモップで拭いた。
 言われたわけではない。だが、言われなくてもやることがある。それが、居場所なのだと思った。

「今日は、客が多かったね」

 男が言うと、女は短く答えた。

「そうだね」

 それだけだった。

 夜、二人は別々に風呂に入り、別々の部屋へ戻る。
 同じ家にいるが、一切交わらない。だが、孤独ではない。男はそう思っていた。

 布団に入る前、男は一度だけ階下を振り返った。
 何も変わっていない。
 そう思えたことに、なぜか安堵した。

 その夜、女は一人で厨房に立ち、動かされた棚を元に戻さなかった。
 戻す理由も、戻さない理由も、口にはしなかった。

 ただ、帳簿を眺めていた時に少し長い吐息を吐いた。


 翌日。
 暖簾を出す前から、男は店にいた。
 女がやる前に、男は水を汲み、鍋に足す。火にかけた鍋の水位を目で測り、足りないと思えばためらわず足した。包丁の音が響く前に、床を丁寧にモップで拭く。まだ湿り気の残る板の感触が、足裏に伝わる。きれいにモップをかけた床を見て、男はひとり満足した。
 どれも頼まれたわけではない。だが、やらないことには気が収まらなかった。自分の居場所なのだから、手をかけるのは当然だと思っていた。

 昼は忙しかった。
 雨上がりで、客足が早い。鍋の湯が足りなくなり、女は何度も水を足した。男は言われなくても厨房でも食堂でも帳場でも動いた。皿を下げ、床を拭き、灰皿の吸い殻を捨て、空いた卓を整える。段差に当てた板は、女はもう気に留めない。つまずくことはなかった。

「兄ちゃん、手際いいね」

 勘定のついでに、常連の一人が咥え楊枝でそう言った。

 男は曖昧に笑った。女の方は見なかった。聞こえていないはずだと思った。それで十分だった。

 昼、混み合う時間帯に事故は起きなかった。
 湯は切れず、皿も滞らず、客は流れた。それが男には何よりの証拠だった。やってよかった、と思った。

 客が引いたあと、女は一息つき、包丁を置いた。
 男は流しの前で手を洗っていた。水の音が止まる。

 洗った手を拭きながら、男は言った。
 声は少し弾んでいたかもしれない。

「雨、上がったな」

 女は包丁を置かずに答えた。

「そうだね」

 沈黙が流れた。
 それ自体はよくあることだった。
 だが今日のそれは、どこか違う匂いを帯びていたことに、男は気づかなかった。

「……あのさ」

 女の声だった。
 低く、いつもと同じ調子である。

 男は振り返った。

「勝手なことしないで」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 男は口を開いたが、声が出ない。何と言えばいいのか、分からなかった。

「棚の場所。床の板」

 女はエプロンのポケットからチェリーとマッチを取り出し、火を点けながら続けた。責める口調ではない。ただ、事実を並べているだけだ。

「便利かどうかじゃなくてさ、ここはあたしの仕事場」

 男は、ようやく言葉を探した。

「危ないと思ったんだ。足、引っかけてたから」

「そう」

 女は頷かない。

「でも、決めるのは私」

 男は、それをどう受け取ればいいのか分からなかった。
 胸の奥に、重たいものが溜まる。怒りではない。屈辱でもない。ただ、理解できなかった。

「……元に戻す」

 男はすぐに言った。理解できずとも、彼女にとって良くないことをしたのだとは分かっていた。

「すまなかった。悪気はなかった」

「分かってる」

 女は即座に返した。

「それは分かってる」

 女は帳簿に目を向け、煙を吐きながら淡々と繰り返した。
 それでも、やってはいけないことだった。
 そう言われているのと同じだった。

 男は板を外し、棚を元に戻した。
 寸法も測らず、ただ元あった場所へ戻す。手が少し震えていた。

 女は見ていなかった。
 煙草を指に挟んだまま帳簿を開き、数字を追っている。

 夕方の客が、ぽつぽつ現れ始めた。
 男は動くべきか迷い、結局ひとり二階に上がった。
 だが彼がいなくとも食堂の仕事は何事もなく回ったようだ。それが男には堪えた。

 夜、男は一階に降りた。何か言うべきだと思ったが、何を言えばいいのか分からない。

 女は何も言わなかった。

 結局黙って二階の部屋に戻ると、男は畳の上に座った。
 夕べから夜にかけての|忙《せわ》しい物音が嘘のように、階下から何の音もしない。

 いつもと同じように布団を敷く。
 それに気づいた男は手を止めた。
 ここに長くいるつもりはなかったはずだったのに、いつの間にか当たり前のように布団を敷くようになっていた。
 だが男には、改めてそれを畳む気にはなれなかった。

 目を閉じても、いつもの包丁の音が頭の中で鳴っていた。
 それを明日の朝、聞くかどうかは、まだ分からない。

 布団の中で男は考えた。やはり仕事を探すべきなのだろう。
 仕事があって家賃でも支払えれば、ここにいてもこんなに気詰まりはしない。仕事もなく、食堂のものに余計な手出しができないのであれば、ただ朝が来て、夜になるのを待っているだけだ。

 階下で、女が戸締まりをする音がした。
 鍵がかかる、乾いた音。

 男はその音を聞きながら、
 初めて、ここに自分の居場所はないのかもしれない、と思った。

 同じ屋根の下にいる。
 だが立っている場所は、もう違っていた。いや、初めから違うところに立っていたことに、気づいていなかっただけかもしれない。
 床の段差も、棚の位置も、当たり前のものとして。きっとそれに身体が馴染んでいたんだと思う。それを自分が壊した。そう思うと、胸の奥が重たくなった。

 荷物は、ないに等しい。
 畳んでしまえば、すぐに出られる。そう思って、男は手を伸ばしかけて、やめた。

 男は寝返りを打った。
 布団の感触が、ひどくよそよそしい。

▼次回 第5話 夜明け前に発つ

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民生食堂 あじさい 第3話 六畳一間

 夕方になって、空が急に暗くなった。
 朝の晴れ間が嘘のようだった。雲が低く垂れ込み、風が湿り気を帯びている。男は仕事を探して歩いたが、何の手応えもなかった。工場の門は閉じたまま、張り紙の募集はすでに古い。声をかけても、返事はつれなかった。

 気づけば、あの民生食堂の前に立っていた。
 用事があったわけではない。帰る場所へ向かう途中で、足が止まっただけだ。  
 暖簾をくぐると、女が一人で後片付けをしていた。
 客はもういない。鍋は火を落とされ、湯気も消えている。

「今日は遅いね」

 女はそう言って、手を止めなかった。

「……仕事が、なかった」

 男はそれだけ言った。
 女は頷かない。

「そう」

 それで終わりだった。

 外で雷が鳴った。
 間を置いて、大粒の雨が降り出す。音はすぐに大きくなり、店の屋根を激しく叩いた。

 男は時計を見た。
 いつもなら、もう帰宅している時間だ。だが、この雨の中を、あの部屋へ戻る気にはならなかった。考えないようにしていたことが、急に現実味を帯びる。

 女が言った。

「帰れる?」

 男は一瞬、答えに詰まった。

「……帰れなくはない」

「そう」

 女は布巾を絞り、吊るした。

 雨脚がさらに強まる。雷が近くなった。

 男は、何かを観念したかのように口を開いた。

「……アパートを出ろって言われてる」

 女は、初めてこちらを見た。

「いつ」

「今月いっぱい」

「なんで?」

「……取り壊すらしい」

「引っ越さないの?」

「仕事を探すうちに金が底をついた」

「そう」

 それ以上は訊かれなかった。
 女は少し考えるように黙り、それから言った。

「ここ、空いてるよ」

 男は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。

「……ここ?」

「二階。使ってない部屋がある」

 淡泊な一言。
 勧めるでもなく、説得するでもない。

 男は、反射的に首を振った。

「いや、それは……」

「嫌なら別にいい」

 女は淡々と言った。

「この雨だ。何も濡れてまで帰るほどのことじゃないでしょ。そう思っただけ」

 男は言葉を探した。
 世話になる理由も、断る理由も、頭の中で絡まった。

「……一晩だけ」

 そう言ったとき、自分の声が思ったより小さいことに気づいた。
 二階の空き部屋は、六畳ほどだった。
 畳は古いが、きれいに掃かれている。布団は押し入れにきちんと畳まれていた。

「風呂、先に使う?」

「……いや、後でいい」

「そう」

 女はそれ以上、構わなかった。
 男は布団を敷き、腰を下ろした。畳の匂いがした。自分の部屋とは違う。少し湿っているが、嫌な匂いではない。

 夜になっても、大雨は止まなかった。
 下から、食器を洗う音が聞こえる。

 男は天井を見ていた。
 一晩だけ。その言葉を、何度か頭の中で繰り返す。

 やがて音が止み、鍵をかける音がすると、女が階段を上がってくる。

「電気、消すよ」

「ああ」

 男が慌てて布団に潜り込むと灯りが消される。

「それじゃ」

 女は部屋を出ていった。
 暗闇の中で、男は目を閉じた。


 男は物音で目を覚ました。
 朝は、すでに始まっていた。
 階下から包丁の音が聞こえてきた。規則正しい、迷いのない音。男はしばらく布団の中でそれを聞いていた。自分の部屋ではない、という実感だけが、徐々に湧いてくる。
 起き上がると、体が少し重い。だが、不思議と嫌ではなかった。畳んだ布団を押し入れに戻す。畳の縁が少し擦り切れている。意味もなく指で軽くなぞった。

 階段を下りると、女がすでに仕込みをしている。

「おはよ」

 男は一瞬、返事を迷い、それから言った。

「……おはよう」

 女はちらりと男を見る。

「どうする。今日も泊まる?」

 男は、答えなかった。先のことは決められなかった。
 暖簾が揺れ、朝日が差し込む。男は、エプロンもつけずに、流しの前に立っていた。

「……何か、やることあるか」

 男が言うと、女は包丁を置いた。

「洗ってないのあったら洗って」

「わかった」

 ごく短いやり取り。

 男は流しに立ち、昨夜使った湯呑みと皿を洗った。水は冷たく、指先が少し赤くなる。女は横目で見ることもなく、黙々と野菜を刻み続けている。

 朝飯は簡素だった。
 余った豚汁に飯。茄子の漬物が少し。

「食べる?」

「ああ」

 向かい合って座ることはなかった。
 男は台所の端で丸椅子に座って飯を食い、女は立ったままで、鍋の様子を見ながら食べる。

 客が来る前に、男は外へ出た。仕事を探すため。

 夕刻前、男は戻った。
 成果はなかった。だが、何も言わず暖簾をくぐると、女はいつもどおり配膳をしていた。
 何か言おうと思って、喉まで出かかったが、やめた。「おかえり」とも言われなかった。
 ただ、男の分の飯が、自然に用意された。余りものの総菜と飯と味噌汁。
 夜間の混雑を男はただ黙って眺めていた。
 それも終わって客が引けると、男は手伝おうとした。

「何か、やるか」

「じゃあ、床」

 男はモップを取り、床を拭いた。
 力を入れすぎて、端の方の壁まで濡らしてしまう。

「……そこまでやらなくていい」

「すまん」

 謝ったが、女はそれ以上は何も言わなかった。
 夜、二階に上がる前、男は一瞬だけ立ち止まった。

「すまん…… 世話になる」

 女は帳簿を閉じながら言った。

「あたしは別に、構わない」

 責める調子ではなかった。事実を確認しただけだ。

「……そうか」

「布団、湿気るから。明日晴れるみたいだし、朝、干しといて」

「ああ」

 言われたのはそれだけだった。

 二階の部屋で、男は布団に横になった。
 階下からは、もう音がしない。
 同じ家にいるのに、距離ははっきりしていた。たった二日とは言え、居候の身には、その距離がありがたいことなのか、それとも突き放されているだけなのか、男には判断がつかなかった。
 男は目を閉じた。今日一日を思い返そうとして、やめた。
 何も起きなかった。何もなかった。それだけは、確かだった。

▼次回 第4話 越境

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リノリウムジゴク

一組のあなたが
短靴下を捲り上げると
白い足首の内側に
筋彫りの六芒星や✕印
いたいいたいいたづらなので
その筋線はところどころ震えて
いいたいいいたいすきといいたい
いいたいだけですきではない

日除けの無い理科準備室で
──────見せて貰つて、

床板の矧がれた視聴覚室で
──────見せて貰つて、

ヤンマガやBOMBで覚えた事で
やれる事は精精これぐらい
あそこで待つ先には、
到底ゆきつけないジゴク
三組の私は三組に戻つて
黒板を消してゐる
気配を、不実を、消してゐる
一組のあなたは、
別の校舎の防火扉の重みの前で
また色目を使つてゐるのだらう

体育館のリノリウムの上で
孤立無援となる五時限目ジゴク

バスケ部の男女が性能順に
入れ替わり立ち替わりジゴク

──────見せて貰つた、のだけど

カピカピに黄ばんだ慾暴は
ポリエステルの制服生地の表を
緩慢に滑落してゆくジゴク

https://i.imgur.com/6LTZ0Wt.jpg

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古本屋の女主人は
若くて
美しくて
両の目の間が
人より少し離れている

本をめくりながら
チラリとその方を見たりすると
何故自分が生きているのか
時々わからなくなる

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