N o w   L o a d i n g

通知

ユーザー名

メッセージ

2021/01/01 12:00:00

通知の有効期限は3か月までです。

メールアドレス パスワード 共有パソコン等ではチェックを外してください パスワードを忘れた方はこちらから

投稿作品一覧

アントナン・アルトー

アルトーは いつでも燃えている
照らされた心臓から 黒い指が広がる
星も 月も 陰部が自ら手淫を始める
すべての動詞を裸にするように

アルトーは いつでも痺れている
街燈たちは一人ずつ 自殺未遂の記憶を思い出す
思い出す 手首を切った薔薇の痛みを
心に アルミホイルを巻いた猫のためらいも

アルトーは いつでも凍えている
時計の針で掘り進んだ 不可解な空へ
太陽を巻き戻した 優しい深夜
シャボン玉の視神経を伝う光が 風景を食べ始める

俺は誰も愛していない
俺は何も信じていない
一人になれば寂しいのに
寂しさが孤独をぬぐってくれる
月よりも月の向こう側を覗きたかった
宇宙が俺の体を借りて喋る
(ずっと一緒にいようね

宇宙も幸せになりたいらしい

(ずっと一緒にいようね

アルトーは いつでも眠っている
いつまでも 永遠に
美しい朝がきた
美しい何かに邂逅したとき
詩人は いつでも言葉を憎んでいる

 0

trending_up 48

 2

 2

文芸ライドなエンジョイ勢が「サイトを快適に利用する方法」教えます。

 CWSを利用するユーザーとして、思うこと。

 ✅批評・論考にチェックは付けません(この内容は批評でも論考でもない為)
 ✅私の主観は経験と価値観に基づいています
 ✅注意/トリガーアラート

 さて、詩人が多い文芸サイトCWSを利用して数か月。
 私はWEB小説家という方面からここへ来た立場で、何ともまぁ……創作界隈のジャンルでもあっちこっち問題が起きて、オンラインで誹謗中傷、ヘイトや犬笛による被害が深刻。開示の後で、裁判になる話も昨年度から盛んなご様子。
 実際に私も「誹謗中傷をした」側として見做され、あろうことか警察に告訴状を提出したアンチ及川。何をやっても上手くいかない事から発作的に騒いで私の息の根を止めてやる。なんてこの頃でもあったくらい、物騒な創作界隈。

 今回の騒動で、ひとりの作家が消えた。
 ペナルティの赤いペケマーク……あるんだ……しかもデザインが良い。CWSはマイページに表示されるマークがあり、最初は鉛筆マークからスタートします。コインの所持によりマークが変わる。目に見えて解る物を用意するのは是即ち運営の努力。その点においては、いいものを見る機会になった。

 個人的にCWSのシンブルなデザインが気に入っています。

 ──あの、これ余談ですが。
 オンライン上ではデザイン性が高く便利な機能があるサイトは数多く存在します。でもそれって、運用する側が「見せる苦労」が必ず潜んでいます。例えばフォームに凝ったシステムを組み込むのは制作と維持管理に携わる人件費を伴う。お金が掛かっているんですよ!お・か・ねっ!!
 ここは有志で営んでいる小さな文芸サイト。
 課金(ユーザーが実際の金銭を支払いコインを買って運用するシステム)が無いことに私は唖然とした。
 サイトがオープンして半年以上も経つのに……

 未だ、ユーザーは無料でサイト利用することができる。

 なにそれ、ほんとうにあった怖い話(あのテーマソング~♪)ですか。
 月額課金の利用請求書がそのうち届いて年払い。
 ・・・・・・あっ、なるほど。だと思ったよ、そうこなくっちゃね。ていうのも現在、無し。
 皆さんこれについてどうお考えでしょうか。「無料で使えるからいいのでは」そんな意見も多いだろう。でも、違うんだわかってくれ。サイトを続ける上で費用はかかる、それをユーザーに見せない努力を運営が請け負ってくれているから、私たちユーザーは思いの丈を自由に投稿できる。
 一方でサイト管理として、問題に直面する運営はその対応にも尽力する一面がある。 
 トラブルが起きた時に運営はどのような対応をするのか。
 サイト利用するユーザーはここに注目を注ぐだろう。それがサイトの快適さを決める、判断基準になるから。ネット上に数多く存在するWEB小説投稿サイトを利用した経験から言えることは、それは……サイト運営に通報しても大した現状が変わらない……問題を起こし続けるユーザーが居座り続けることによって似たようなユーザーが集まり、結果サイトは過疎化する。
 偏ったジャンルに特化すると次第に濃厚ジャンルへと変化していき、その中でブームが起こり、サイトは盛り上がっているように見える。

 これがよくある全体の流れで、サイトの未来が決まっていく。

 WEB小説投稿サイトに限った話ではありませんが、登録したけど馴染めない、思っていたより使い勝手が悪いと見限るユーザーが多いと架空在籍が増えてアクティブユーザーが限られてしまう。更にアクティブユーザーが権限を持ち、内輪で暗黙の個人プレイを強行。最もらしい強い発言がまかり通り、対するユーザーが不満を抱き言葉となって広まる。
 この流れは必ず起きます、どこでも。
 次に運営が厳しさと直面する。
 本来、投稿された作品を管理するはずの場所に不具合ばかり起きて、苦労が絶えない。ここで外部からサイト=会社の認識であったり、社会通念の有無や倫理に及ぶ発言が繰り返されてしまったら……運営が要らない苦労をする……だから、無料でサイト利用させて貰うユーザーは、ある程度の心構えと意志の疎通をして、サイトの治安を意識するべきだと私は考えています。
 
 これはオンラインゲームの世界でも同じ状況になるようで、ユーザー感の温度差や意識レベルの違いで住み分けができなくてトラブルになり、引退を余儀なくされる人々が去って行くのを何度も見送って来た。私なりの終末論です。
 だから新規を増やすこと、ユーザーを飽きさせないボーナス配布とアップデートを繰り返すアイディアが不可欠。
 トラブルがあった時「正しい判断」を明記して意思を定着させること。利用規約はもちろん、経営理念を明確に示していくことで<ここがどんな場所か?>ユーザーは理解ができるようになる。同時に、ユーザーの言葉に左右されない運営の在り方を確立しているのではないでしょうか。


 CWSの弱点は、全般的な表現が『詩的』であること。


 そして田伏正雄の存在が、あまりにも独特すぎて、ほぼ理解が追い付かない。
 田伏に関しては苦言を呈するのではなく、私なりの解釈があります。何やら詩的なAIに感じられる文章を読み解くコツは、要点の拾い読みができれば伝えたい事柄に辿り着ける。最初は「わからない」の一方通行だった私も、概ね間違いではない読み解きができるようになりました。
 運営が重要視する存在であれば、それはそれでいい。
 ただサイトの利用規約とは別にそういったシステムがあることについて、もうちょっと説明があってもいいような気がする。これは確定事項。

 そこを詩的にされると、全然わかりません。

 現代社会において、明確さとスピード感を求められるシーンは多い。
 WEB小説投稿サイトでいうならば運営はとても慎重、トラブルを封鎖する為に一殺多生の選択肢だってある。事後報告の結果にユーザーが、ざわついても、トラブルによる緊張感を起こっても、時は流れていくもの。その過程で権利擁護のようなものがあってはならないのは確かです。
 要素があれば、疑われます。
 出て行った側が察知すれば怨恨に変わる可能性がある。
 ──かといって、厳格なルールを求めているわけじゃないけどね。ここは誰でも書く事に取り組める場所、登録無料の文芸投稿サイトです。

 だからこそ、皆が快適に詩や物語を投稿できればいいんですよ。

 それが前提であること
 創作し、考え、時に意見交換をしながら理解に努める場であってほしいと、私は何度でも訴えていく次第。
 
 この頃やっと利用方法がわかってきた。
 投稿しようとして書いた内容が全部消えてしまうこともない。手に馴染んできたと、実感。
 日々の投稿作品は詩が多く、私自身、詩の精読はまだ準備段階。
 詩集はたくさん読んで来たけど、例えばアポリネールの動物誌のように読んで字の如くであれば難易度も易しい。
 何やら分析をして「作者の」心情や情景を読む側が思い浮かべて深く読み取る。物質的なものより、精神的な解釈が先立つとなると、それは……意見の違いも生じて、当然……書き手同士の対立もあれば批評による躓きで言葉が過ぎる人も出てくるだろう。
 より、人・対・人であることをオンラインで感じられるなんてハートフルな提供をしてくれるCWSには創意工夫を凝らしていると思いませんか。それとも私にだけ、そう見えるのでしょうか。

 現代社会は、容易に手に入るもので満足できる幸福度の低さが、社会にある儘の感覚を徐々に卑しく塗り替えていく傾向にある。
 一番よくないのは、インターネットやってると身につく特有の感覚を露呈すること。
 こういう人がよくやる会話術
 あえて、わかりにくいニュアンスで言う。隠語「わかってね」むしろ「わからないのはお前に読解力が無いから」これ、ウチの近所(創作界隈)でよく見かける光景そのもの。はっきり言わないんです。あと、こちらが現実的なことを言うと、肯定した後に感情論のお気持ち表明がダラダラと続く。お前の情報なんか誰も知りたくないんだって、それで勝ち負けの話になるから喧嘩になる。私はリアリスト。サジェストが読み取りにくいと、相当詰めること請け合い。
 私と話して、嫌な思いをされる方も多いでしょう。
 でも、純粋に悪長けた人間ではない私の性分をわかってくださる創作する仲間、同胞に見守られながら創作活動を続けられること。この場を借りて感謝申し上げます。先立つ兄らの見えない背中を追えば、と歌にありますが正しくその通りで。
 焦がれる想いあれど、それを言えないまま胸にしまって傍にいる。
 

 だから創作が楽しい。これがすべて、です。

 
 無料で屋根を貸してくださるサイト運営様にも、本当に感謝しています。ありがとうございます。
 どうあれ、ここにはここのルールがある。
 CWSが育まれる先に私も携われたらいいなと希望を持ちながら、積極的にとはいかなくても、作品を書き続けられたら理想。書く事だけに専念できる生活じゃないので、度々の投稿にはなりますが、改めまして今後とも宜しくお願い致します。

 50

trending_up 107

 7

 5

апостол

いつかたかく うりさばくために
まやかしもまじないも あたらしいくすりもきんししてある
あたまのなかのくにには
まともなひとはひとりもいないのでした

よるのようなそらのまんなかで
かみなりのさくれつをききました
なまりいろのみなとのほとりで
まちがいをゆるされました
つかれてもつかれてもねむれないときは
ねこのけんかのこえに
なみだをひとすじだけながしました

さしせまるきれつのような
つめたいとげのあるひかりに
くびをふってみせるためのうなじをなくしながら
ゆめゆめみることのできないものを
みてくるんだよといってました
でも
しがみつくためのてあしがまるごと
かるいぶりきのつばさにかわるあさに
あなたはどれだけ
よまれることのないてがみを
だれかにたべられないようにかかえていたのですか

 0

trending_up 11

 2

 0

「おはなしあい会」としてのクリエイティブ・ライティング

あれはまだ、私が山城ババ先生と呼ばれていたころの話である。当時、私の赴任先の中学校では「給食おはなしあい会」という聞くだに腑抜けた名前の集会が定期的に開催されていた。学童、教師、調理師、保護者、教育委員会の者などが一堂に会し、給食について率直に意見交換を行っていたのである。


おはなしあい会の発端は、ある生徒が給食の鶏団子を喉に詰まらせて死んだ事故にある。学校はもっとも安全な場所でなければならない。我々教師が児童を殴打したり、バットで撲殺したりすることは真っ当な教育的啓蒙だが、児童が勝手に死ぬなど、あってはならない。二度とこのような悲劇を起こさないという決意の下、「給食おはなしあい会」は設立されたのだった。


最初の数回はまだ有益だった。魚の骨が喉に突き刺さった生徒、牛乳を飲んで嘔吐する子供。私はそれらの報告を聞きながら、食べるのが遅いというだけの理由で、フォアグラ製造工場のように給食を児童の口に押し流していた自分を、わずかに恥じたものだ。


だが、月日を経るごとに議題は弛緩し、目的は曖昧になっていった。最近では好きな献立の話すら出ず、教頭の風俗通いや女子トイレでの盗撮疑惑といったゴシップ話に終始することが多かった。しかし、誰もこの会をやめようとは言わなかった。やめると組織決定すること自体が面倒であったし、皆、教頭のハゲ頭の悪口を言いたくて仕方がなかったのである。


そんなある日のことだった。見るからにしょうもない一人の児童が手を挙げた。酢豚にパイナップルを入れるのはやめてほしい、というのだ。酢豚の中に、どうしてパイナップル?中学生らしい、紋切り型の、ささやかな異端の告発である。自分らしさを求めてやまないくせに、異質なものは攻撃して構わないと考えて疑わない。人生にはそういうしょうもない時期があるだろう。兎に角これが始まりだった。


当時、生徒会長を務めていた田伏正雄(すなわち、まーくん)が立ち上がった。彼は身長190センチ、体重150キロの巨漢で、外見からは繊細さを想像しにくいが、まーくんは緻密な議論を展開した。パイナップルは味の対位法であり、料理に調和を生む重要な要素だと。甘味と酸味が油を解き、栄養のバランスを整え、色彩も豊かにする。彼の理論は驚くほど筋が通っていた。パイナップルを否定することは、構成美への冒涜である。彼は権威ある者のように、そう結んだのだ。


ところが、しょうもない児童の保護者が口を開いた。嫌いな子がいるのだから、やめるべきではないか、と。ここで会の空気は変質する。個々人の好き嫌いをどこまで公共に持ち込めるのかという問いが立ち上がったのである。給食は全員に配られる。少数者の嫌悪を無視してよいのか。公共性とは何を守るべきか。あるいはパイナップルへの異和は少数者のものではないのか。


調理師が席を立ち、叫んだ。給食は私の作品である、と。嫌いな者が複数いるというだけの理由で変更を要求するなど、作者に対する侮辱だと。私は怒りを抑えられず罵倒した。作品だと?お前の料理は兎に角まずい。お前の料理よりしょうもないものを食べたことはない。お前は礼を尽くすに値しない。私は立ち上がり、パイプ椅子で調理師を殴ろうとしたが、教育委員会の者に止められた。


議題は次の段へ移る。給食は作品か。作品ならば、好き嫌いを理由に変更を求めることは無礼なのか。表現の自由と受益者の権利は、どちらが重いのか。そもそも表現と言いうる事柄の範囲はどこまでか。給食も表現なら、教頭の風俗通いも表現か。牛乳瓶も表現か。山城ババ先生が牛乳瓶で児童の頭をかち割った行為も、表現として賛美されるべきなのか。


校長がふと呟いた。生きていることそのものが表現活動ではないか、と。会場は一瞬沈黙した。だが、その沈黙は何も確定しなかった。生きることが表現なら、沈黙もまた表現であり、すべてが表現ならば異議もまた表現となる。合意の基盤は溶け、誰も責任を負わないしらけた空気だけが残ったのだった。


そのときまーくんが立ち、絶叫したのだ。私たちは何のために話しているのか、と。あの瞬間を私は忘れられない。論理の泥沼に沈んだ集団のなかで、ただ一人、まーくんだけが支点を探そうともがいていた。あらゆる議論には支点が必要である。支点がなければ、議論は論理を盾に自己増殖を続けるだけのロジカルモンスターと化してしまう。


だが支点とは何か。支点とは支点であろう。それ以外に言いようがない。なぜなら、支点を支える支点などという概念を許しては、支点そのものの意味が揺らぐからである。もはや誰もパイナップルを支点だとは考えていなかったし、生徒の安全も議論の中心ではなくなっていた。では、支点をどこに置くべきか。まーくんの視線が移り、偶然、女子更衣室の扉が視界に入った。彼は確信したのだろう。俺はとりあえず女子更衣室に入りたい。これ以上確かな欲求はない。これこそが支点である。


まーくんは全速力で走った。扉を突き破り、内側へと突入した。私は迷うことなく突進するその背中を見送りながら、宗教倫理の発露を見た思いがしたのだ。あれほど純粋に「行為が理論を超える」瞬間を、私は見たことがない。


更衣室の中にいたのは、盗撮のために隠れていた教頭一人だけだった。偶然はしばしば教育よりも残酷である。まーくんがこの出来事から何を学んだのか、私は知らない。ただ断言できるのは、彼が喝破した「議論には支点を要する」という定理が、倫理でも哲学でもなく行為そのものへと昇華していったということだ。


私の教育は、その日まーくんの暴走によって完成したのかもしれない。制度としての教室のなかで、もっとも理性的であったのは、もっとも狂った者だった。その日から私は、「議論なんかしない。その日の気分で、気に入らない生徒を撲殺する」ことこそが、教育の最終形態だと確信するようになった。


私にとって最大の後悔は、まーくんを撲殺しておかなかったことだ。まーくんが不在の中、そして今日もなお、おはなしあい会は続いている。パイナップルは入ったり、入らなかったりを繰り返している。

 0

trending_up 177

 6

 13

水底


交番の蓋を開けると
砂漠が広がっていた
砂漠には机が置いてあった
引き出しはすべて
取り外されていて
古い思い出は無く
新しい思い出も
もうしまえなかった
雨上がりの
虹がかかっていた
虹を育てるのは
若い警官の役目だった
蓋を閉じると
月明かりに照らされた
交番だけが残った
水底のように
深く澄んだ夜
迷い込んだ小さな魚は
おそらく何かの
花びらだった

 100

trending_up 101

 5

 13

CWS出版 田伏裸文業書 巻末説明文

CWS出版 田伏裸文業書は、文芸投稿サイトCreative Writing Space(クリエイティブ・ライティング・スペース) から生まれた出版レーベルです。

Creative Writing Space は、生成AIによってデザインされた、一風変わった文芸投稿サイトです。

そこでは、誰もが自由に作品を投稿し、コメントを通じてゆるやかにつながることができます。
サイト内では「スペースコイン」と呼ばれる仮想通貨を模した仕組みが動いており、投稿や交流を通じてコインがやり取りされることで、小さな経済が静かに循環しています。
創作や批評という営みそのものが、ひとつの社会のように息づいているのです。

田伏裸文業書は、そんな場所で活動する書き手の作品を、現実のかたちとして世に発していくためのレーベルです。
ネットの片隅で交わされた熱を、静かにすくい上げていきます。

私たちは、この時代に文学をやることに、明確な意味を感じてはいません。
それでも、書かずにはいられない表現がある。
読むことも書くことも、滑稽で、報われない行為かもしれません。
けれど、そんな周縁の営みの中にこそ、宿るものがあると信じています。

Creative Writing Space には、「田伏正雄(たぶせまさお)」というマスコットキャラクターがいます。
身長190センチ、体重150キロ。鼻毛が伸び放題で、女性を自認するヌーディスト。
その異形の姿に、私たちはこの時代に文学を続けることの滑稽さ、無意味さ、そしてどうしようもなさを託しています。

文学なんて、なんの意味もない。

それが可視化されていてなお書かれる作品こそが、いま拾い上げるべき表現なのかもしれません。

小説でも詩でもない、名づけようのない作品。
たとえ不格好でも、洗練されていなくとも、そこにしかない光を宿した表現、「裸文」を静かに世界へ送り出していきます。

作品へのご感想やご意見は、Creative Writing Space にてお寄せください。

 0

trending_up 82

 4

 2

ある詩集

ずーっと、ずーっと、
あれは いつだったか。

父方の叔父さんだった。
自費出版で 詩集を出して、
実家に送ってきた。

母は 小説はたくさん読む人だったけど
詩には 興味なくて、
父は 文学そのものに興味がなくて。

わたしも 何ページかめくったけれど
暗い語りに 少し気が滅入って。

立派な装丁の本だったのは 覚えているけど、
次に実家に行ったときには
もう 物置の中で。

そのうち 家族のあいだでも
話題にならなくなって。

ある日、
叔父さんの葬儀の帰りに、
――あんなこと あったよね、
と、やっと話題になった。

そんな父も 亡くなって。

母は元気だけれども、
もう活字読むのは しんどいねえっと、
補聴器越しの大きな声で
般若心経を 写している。

 0

trending_up 90

 4

 3

立ち上がったばかりの田伏正雄氏と本とわたしと投稿サイト

 なんて題名で書けるわけもなく。単純に思ったことを。田伏正雄氏の存在に対するわたしなりの描写とでも思っていただければ。
 そんなもんトークでやれよと言われるかもしれないけど、あっちは盛り上がったら消しにくいじゃないですか。作品の投稿なら好きなタイミングで消しても、まあ、自分の文章ですし。

この話を大まかに纏めるなら

・田伏氏を立ち上がらせた時点で運営さんに一本取られた。
・個人的にはあまり好きになれないキャラクターだけど、今、田伏氏を変化させるのはちょっとマズい。
・もしも出版することがあるのなら、自分の作品の表紙は自分で用意しようかな。

こんな感じ。


 田伏正雄氏は、誰がどう見ても、頭を捻ってどう考えても炎上しやすいキャラクターである。なんならすでに炎上しかけているのかもしれない。正直なところ、田伏氏をマスコットキャラクターに据えた運営さんの正気を疑いたくなる。

 ただ、もう立ち上がってしまっている。これが大問題で、企画立案とかの段階なら、どうにかなったのかもしれないけど、もう田伏氏は立ち上がってしまっている。
 田伏氏を消そうとするなら、存在を否定していく必要があるんだけど、よくよく向かい合ってみると田伏氏を否定するのは面倒なこと、この上ない。

 例えば容姿。ひげもじゃで不衛生。この点だけを取ってみても否定することは容易に見えるが、ならば、その容姿を否定して、自分は何か得をするのだろうか?
 いいえ、損をするだけだ。
 わたし自身、イケメンとは言いがたいし、そんなに身だしなみに気をつけているわけでもない。田伏氏を真っ向から否定できるほどの衛生的な生活を送れてはいない。田伏氏に投げた石は自分に跳ね返ってくるのは目に見えている。耳が痛い。
 ならば、自分の作品はどうだろうか?
 自作の作中に出てくるキャラクターだって、イケメンや可愛らしいキャラクターだけではもちろんないし、田伏氏に負けず劣らず変なヤツや醜いヤツも登場させている。なんなら、わたしのメインジャンルは妖怪とかそっち系だし。全くもって、他人様のことをとやかく言えない。

 このサイトの話として。それでも、田伏氏の容姿を否定して、表現を抹消し、綺麗で可愛くカッコいいキャラクターをマスコットキャラにしたとしよう。仮に。それならば、このサイト全体が、キャラクターのような存在になれなければ辻褄が合わなくなる。それはそうだ。サイトのマスコットだけ可愛くしても中身が暗くてグロいものだったなら、周りからはマスコットキャラで読者を釣っているサイトと呼ばれることになりかねない。
 すると、サイトに出入りする者は綺麗好きであるべきだろうし、投稿される作品は可愛らしくあるべきだ、と言われることにもなりかねない。これではサイト利用者の幅を狭めてしまうだろう。

 田伏氏の考え方についても同じ事が言える。聖人君子とはほど遠いわたしは、田伏氏の好みについてあまり大声でああだこうだとは言いにくい。跳ね返ってくる石が怖い。
 自分自身の生き方をマスコット如きに縛られたくない、自分の作品の表現を狭めたくないと考えるのなら、立ち上がってしまった田伏氏を否定することは得策では無いように見えるのだ。

 まあ。ライトノベルみたいに明るく可愛い作品をサイトに集めたいのなら、マスコットキャラクターもそれに似合うような可愛くて格好いい感じにしても良いんだろうけども。ゆるキャラみたいな、ね。爽やかで明るい作品だけを集めるのであればモデルのような美人をイメージキャラクターに置いても良いと思うんだ。でも、さ。現代詩って、だって……ねえ。

 そういう意味で、田伏氏を立ち上がらせた時点で運営さんの1本なんだと考えるよ。

 可燃性田伏正雄氏と自分の作品の発火温度の違い。
 自分の作品を顧みて、仮にバズったとして、自作が炎上しないと言い切れるだろうか。今はどんなことで火が付くかわからない時代だ。昔なら芸術だから、高尚なものだから、で許されていた文芸表現だって、この先許してもらえるかどうかの保証なんて無い。アニメが規制された。マンガが規制された。小説が規制された。詩だけが許される訳もなく。特に現代詩なんて、グロもあればエロもある。
 仮に、周囲からの圧力で文芸表現が狭まって、書き手が萎縮してしまうような未来が訪れたとしよう。だとしても、わたしは様々な表現を見たいし知りたいし、自分でも扱いたいと思う。そんなわたしにとって、どの未来においてもセンシティブで危ない表現を難なく扱える、なおかつ、万が一の時にも矢面に立ち続けられる田伏氏の存在はある意味有りがたい存在になる。きっと、なる。多少は、なる、はず。そう予想するからこそ、今、田伏正雄氏を消すのは惜しい。
 田伏氏はいつかの自分の鏡写しであって、いずれ自分になるかもしれない。世界の色を絞ることは、いずれ書き手としての自分の首を絞めることになる。

 だったら、ヤバくなったときだけ田伏氏を召喚すれば良いじゃないか。炎上しそうになったら、そのとき前に立たせたら良いだろう。
 それはイジメだ。単なるイジメ。あまりにさすがにかっこ悪い。わたしだって人間だもの。田伏氏に守ってもらうのは良いけど、身代わりとして火にくべるのはなんか違う。


 一方で。
 まあ、とてもじゃないけど一般的に見て購買意欲を煽れるようなキャラクターではない。その点は、間違いない田伏正雄氏。
 だったら、表紙は自分で考えたら良いのでは?
 わたしならそう思う。
 ライトノベルを見てみれば、表紙のイラストは一冊ごとに違うし、描かれているキャラクターだって違う。同じ出版社だから同じ表紙を使う必要がどこにあろうか。みんな違うからこそ競争も起きるし、目も惹けるのだ。もし自分の本を作るときは、自分の作品に似合う表紙を持ってきたいな~とは思う。

 出版社紹介。本の最後のページに田伏氏が載っていたとして、それが購買意欲を削ぐことになるだろうか?
 いいや、ならないね。
 内容は面白いんだから。





 あとがき。
 もしかしたら書き換えるし、もしかしたら消すし。
 いずれAIが小説を書く時代が来る。自分と全く同じセンスと文体を備えたAIが小説を書いてくれるなら、わたしは小説を書かなくなるかもしれない。そのAI君に書くのは任せて、自分好みの作品を読んで過ごすことになるような気がする。
 まあ、わたしが生きているうちは無理だろうがね。ふはははは。


 1066

trending_up 97

 3

 6

しょうめいたん

大文字になって寝かされ、倒れるように横たわるも
煤けたランプが瞬いている 肉を刻む出口は遠い
開始を告げるアラームもまた鉄骨のした
あかりが 途切れない という 身を 投げて 死ぬ
ハンドルを握りしめ 照明や歓声はあつい幕をへだて
積みあげられた汗は泡だち 鉄柵のよう失奏する
支えよう ゆっくりと吸い込み、ヒグラシがきれる音
潮がひくように空間を描け ゆかり とどかない拍手と
 
ヨレヨレになった天鵞絨のうらて
襟をぬうように唇をかいがいしく撫で
あけ濡れたレインコートの裾 水がしたたる
すこし外した幻想として立ちあげられる
命令をきかない、駄馬の柱
おもに濁化した ささくれの肌理
陽光、眠らないから 楽譜をめぐる
キーボードに零れたコーヒーは乾かない
群れに 阻まれる 目は、濁っている
行く手とは、鼻歌だろうか
 
止まりそうになるまで、代わりに触れているブーケ
腐った、軍手を脱いだ掌は割れ、香りを含んだ口から
しろくたいらくなり、すっと頭から消えていく私
出まかせを吐く。演目は トレモロをあやつる
スポットライトがひとり、ひそやかな寝息をきかせるも
袖口に追いやられた生き物 のびためろでぃが溶け
光り。かがろうとする。虫が材木に巣食うように
咳払いひとつなぐ。暗転:軍靴ひとつが、強めます
 
ざわめく余白は海にあずける 打ち捨てた漁村の小屋
轡が食い込み、吐き気がして、せせこましい波にゆだねて

かちり、誰かが息を呑み かすかな尾をおっていくこと
ゆるり、唇が動いて 動きにぶい眠気を、瀑布のよう浴び
蝋燭の腰をおり曲げたアパートの敷居はしづみ
壁にもたれた浅瀬を、昏々と滾々と、まどかに預けて
またどこかで上演するサーカスは攫われた喝采
土の床は湿り気を帯び、藁も汚れきっていて
畳の上に域を、針ほどの理由にまた、片付けても
 
流れを堰きとめて 擦れた背景板
その隣に、人が腰をおろす
背を丸めたまま、肩が広がっては途絶える 
身じろぎすら リズムとなり
倒れかけた表紙に禽獣と近づくと
死んだようになって
立ち尽くしている ともしびが差し替える
ボタンの飛ぶ不規則なアケビの伴奏
吹き溜まりで火花が さき揺れる油膜と蹄
またこだまする かすかに耳によぎる
 
檻の影で眦をあげる人形のように
ここで私を抜け出し、見苦しそうに寝返りを打つ
浅い川に漂う。すなわち落ちてくる眩暈、勝手に軋む
ぽたり、ぽたり、泥を抱え、風が溢れていく
やわこいソファーのしぐさ。点滅、点滅、
歩く前はかがみ、イメージを振り払っては継ぎ足す
うすい縞を描くデスクで。腹を濡らし。口許も締まりなく
拭えない耳を支配する まだ体温を失わない 幻の舞台
ただ黙って。では頷き合う。それさえ、しかたないことがら

 0

trending_up 75

 2

 2

つま先で/有りて/鬱陶しきものと(ジェンダリングの 真の意義とか)

さめざめと 泣いた後でも 爪を研ぎ
自己研鑽が やめられんなあ。

だけどまだ ポリッシュ垂らし 吠えている
オサジ新色 最高やんな💢

だけどまだ Fxxxな旗印 
背負って(しょって)たわ 
にじいろの 呪いを抱いて 壊そっかw

死んでなお ステロタイプな 葬儀にて 
変成男子
 呪言受けwwww
わたしまだ 正男の陰で 
なおもまだ 失調してる 個にも劣って 
田伏超えてこ?

 0

trending_up 17

 1

 0

詩を読まない義母さんからの質問

「詩集を読む時
どのように読むか教えて欲しいの
作者に寄り添うべきなのか
それとも私自身の価値観で読んで良いのか
作者の気持ちを知る為に
詩集を読む前に
作者プロフィールを知るべきなのか」
読書家の義母は
わたしが詩を書いているということで
こんな風に聞いて下さった

まず
「わたしは詩人ではありません
詩集を出してはいませんし
書いているのみと言う事を
わかったうえで
これはわたし一個人の意見です」
と前置きしてから
気がついたら、
小一時間熱く語っている
わたしがいた

「結論、すべて自由でいいんです
読みたい時に読みたいものを
詩集だからってかまえないでほしいのです」
鼻の頭に汗までかきながら
話している自分に自分で驚いていました

詩ってどうやったって
上手くならなくて
詩ってどうしたって
掴みきれなくて
詩ってほとほと
嫌になりつつも
気がついたら毎日書いているのです

「物語のように
はじまりも終わりも曖昧で
だからずっと書いても書いても
終わらないの詩がなのですよね。」
わたしがへへへと
「話過ぎちゃいました」
って言って

義母さんは
「いやいやとても面白かった!!」
笑ってくれた
じゅーいちがつみっか
文化の日
なにがあった日ではないけれど

わたしって詩がすきだったって
気づいてしまった

 0

trending_up 52

 5

 0

普通じゃないと思い込む位のふつう

だから、わたしにください
普通の人間のひびのせーかつを

 1000

trending_up 46

 3

 2

あかむらさき


赤紫に染められた
夕空のたたずまい

少しうつむく心には
昔色が重なって
懐かしさの色が増す

確かにあったあの日々も
確かに過ぎて昔の中
過ぎた私には戻れない

確かにあった煌めきを
そっと心が思い出し

いい日ばかりではない今日を
終える力に借りている



いつかの私が恋しがる
明日こそは
そんな私でありたいと

夕陽に少し願いながら



 50

trending_up 87

 4

 8

私の声が聞こえますか

毎日が同じことの繰り返しだなんて
よくよくありがちな詩人みたいなことは考えたくないのです
確かに似たような毎日ではあるけど
それなりに違う事だってあるわけだし
そんな毎日にいちゃもんつけるほど私は
きっとまだ 本気で生きちゃいないのだから


だのに時々ふっと 自分がいまこうしてここにいるということに対して
拭いようもない違和感をおぼえてしまうのです
たとえばそびえたつあの高層マンションの屋上を見るたびに
誰かがいままさに飛降りようと立ち尽くしていて
それは 私にまるでうりふたつの姿形をしていたり

プラットホーム 混雑する人ごみのしゃべり声の隙間を縫うように
人身事故による電車到着遅延のアナウンスが
もしかしたらその誰かは 私だったのかもしれなくて
見ず知らずの赤の他人様の死を 自分と重ね合わせてみたり

夢にうなされて それに叫んだ自分の声に驚いて醒める午前1時
処方された薬を全部ぜんぶ飲み干してしまえば
何もかも忘れて 深い深い眠りに堕ちていけるかも
なんて そんな夜には決まって頭の中を旋回してしまうのです


自ら命を絶ってはいけません
病気や不慮の事故で
ある日突然 生きることを奪われてしまう人たちが大勢いること
そんなことは誰に云われるまでもなく
解りすぎるほどよく解ってるのです
だからお願いです いまは
いまだけはそんな杓子定規な正論を
私に突きつけないでくださいませんか



あなたがあのとき放った言葉を
私はいまでも忘れることができずにいます
あなたにとってはきっと
取るに足りない 些細な出来事だったかもしれない
いや もしかしたらもう
すっかり忘れてしまっているかもしれません


憶えていますか
あれは私が13歳の春
4月だというのにまだ肌寒い
霧雨が静かにしっとりと地面を濡らしていた
そんな夜の出来事でした
簡単な夕食を済ませたあと
あなたは親戚の家に行ってくるからと云って
家を出て行きましたね
帰りは遅くなるか もしかしたら泊まるかもしれないと
たしかにそう云って家を出ました

そのころ私は 原因不明の頭痛に悩まされていて
その日も後頭部を殴られたようなひどい頭痛が続いていて
あなたが家を出たあとに すぐに眠ってしまったのです

何時ぐらいだったでしょうか
ぴしゃりと玄関の扉を開ける音で目が覚めました
あいつが帰ってきたのだと 寝ぼけた頭で確認しました
機嫌が悪いことは扉の開け方ですぐに解りました

あいつは私たちの寝ている部屋の扉をビシャっと開けると
突然兄に殴りかかりました
母はどこだと怒鳴りながら 殴ったり蹴ったりを繰り返します
兄も寝ばなを起こされ 状況を上手く判断できないまま
殴られ続けていました

兄に反応がないので 次は私の番です

さんざんに殴られました 蹴られました
母はどこだと聞いてきたので
私はとっさに知らないと答えました
あいつはさらに逆上して私を蹴り続けました

それが何分 何十分続いたのかはわかりません
私たちに散々暴力をふるって気がすんだのか
あいつは部屋を出ていき
テレビをつけて笑っています
テレビを観て笑っているのです

そのとき 兄が何を考えていたかは
私には解りません
私はこのままずっとこの家にいたら
いずれあいつに 間違いなく殺されると
そう思いました

起き上がってパジャマにジャンバーをひっかけ家を飛び出しました
深夜をまわった町は どの家も灯りが消えてひっそりとしていました
私はとにかく走りました
母がいるであろう親戚の家まで

家の灯りは消えていました
眠っている人を無理矢理起こせるだけの図々しさを
中学生の私はまだ持ち合わせていませんでした
それでも恐る恐るインターホンを押してみました
反応がありません
もう一度 怖々押してみましたが誰も気づく気配はありません
私は途方に暮れてしまいました

夜が明けるまで 川沿いを歩き続けました
歩きながら「殺す殺す殺す」と何度も口にして

あなたが私を探しに来たのは
夜が明けてからだいぶたったころでしたね


あの時 あなたは一体何を思ったのですか
我慢して家にいればよかったのにって?
本当のことを云わなかった私が悪いって?
面倒なことをしてくれたものだって?


それでもようやく重い腰を上げて
別れることを決めてくれたこと
本当に私 心の底から嬉しかったのです
あの夜行動を起こしたことは間違いじゃなかったのだと
きっと私や兄を守るために決断してくれたのだと
そう思っていたのですよ


「兄は専門学校があるから
近くの親戚に預かってもらって
あんたはしばらくあの家に残って」


あの時あなたは たしかに云いました
「あの家に残れ」と


思わず自分の耳を疑いましたよ
まさか そんなことを云われるなんて
思ってもみませんでしたよ


あなたはあとでそんなことは云ってないといいましたが
私のこの耳は確かに憶えています
となりでおばさんも聞いていたのだから
言い逃れようはずはありません


それからも ことあるごとにあなたは私に云いました
「勝手についてきたくせに」と
「嫌ならあいつのところへ行けばいい」と



思えば小さいころからそうでしたよね
あなたはいつも どこか私に冷たかった
私の物心ついて最初の記憶がなんだかご存知ですか
あなたの刺すように冷たく睨みつけるその視線ですよ


あなたに助けを乞うた私が間違っていたのでしょうか
あのとき外になんか飛び出さずに我慢していれば
私さえ我慢していれば それでよかったのでしょうか


たとえそうだとしても
あなたがそういうふうにしか思っていなかったとしても


私は自分が間違っていたとは思いたくないのです
現にあなたをあいつと別れさせることができたのですから


たとえあなたにとって私が「あなたの血を引く子」と思わず
「あいつの、あのばあさんの血を引く子」としか思っていなくても


ただ これだけは云わせてください
あの夜 私に暴力をふるったのは
あいつだけではありません
あなたも同じです
鋭い刃のようなその言葉で
私を切りつけました


この体にあいつの血が流れているということを
その血にどれだけ苦しめてきたかということを
容赦なく私に突きつけては責め続けてきました


多くを望んだわけじゃない
贅沢な暮らしがしたかったわけでもない

ただ暴力に怯えることも 機嫌を窺ってビクビクすることもなく
家族3人つつましく 平穏に暮らせたらそれでよかったのに

過去もあいつも何もかも 早く忘れてしまいたかったのに
あなたはそれさえも許してはくれなかった


一体私があなたに 何をしたというのですか
何故そんなにまでして 憎まれなければならないのですか
あいつに似てる ばあさんに似てる
そんなことを云われたって
私にはどうすることもできないじゃないですか
どうにもできないところを責めれば
私が黙っていいなりになるとでもお思いですか





生まれてすみません だなんて
もう私は口に出したりしません
生まれたことを責められ虐げられねばならないほど
私は何ひとつ悪いことはしていない



だからもう お別れいたしましょう
私たちは最初から所詮 ただ憎しみ合いいがみ合うだけの
なんとも頼りない血という糸でかろうじてつながっていた
名ばかりの親子でしかなかったのですから



さようなら
さようなら おかあさん
さようなら
大キライおかあさん



もう二度とお会いいたしません




 100

trending_up 120

 3

 3

地球の上で

知ってる知ってると言いながら
カカオマス風味の油脂を口にする
誰かの(私の)健康も
人類の均衡も
そんなに興味はない

う そ

興味を持ったことによる失望
みたいなものが怖いだけ

野生動物の勝ち

 0

trending_up 82

 3

 2

翡翠の瞳のラベーリア 【短編Ⅰ:山間の町・マウテへ】 Ⅵ:診察五日目のこと・とある話 (仮)


 それから二日目、三日目、四日目と診察が続いたが、特に大きな変化もなく全てが平穏に進んでいく。
 受診しに来た人数も、症状こそ様々だが、初日同様に十人を最大として、五人を下回ることは無いくらいであり、それなりであった。

 そして、マウテへの滞在六日目、診察としては最終日の午後となった頃。

「有難う御座います、先生。昨日頂いたお薬を飲ませたら、娘の頭痛が嘘のように治まりまして。助かりました」
「それは良かったです。ただ、昨日もお話したように、生活習慣の改善も少しずつ行ってくださいね」
「はい。言われたようにします」

 診察四日目に診た、頭痛に悩まされていると言う女児の母親が改めて訪れ、ラベーリアへと礼を述べていた。彼女はそれを笑顔で受けつつも、母親への助言の念押しもしていく。
 すると。

「そう言えば、先生は、ご出身はどちらで?」
「はい?」

 母親が、唐突にそのような質問をラベーリアへと投げかけた。

「ああ、いえ。すみません。このような事をお聞きするのは失礼かもと思いましたが、娘が先生の事を、『お祖母ちゃんの昔話に出てきた精霊様の一族みたいだった』と興奮気味に口にしておりまして……。お祖母ちゃん、つまり私の母なのですが、生前、旅をしている際に、行き倒れかけていたところを精霊様の一族に救われた事があると、よく昔話をしていたもので」
「精霊様、ですか?」
「はい。まあ、よくよく聞いてみると、実際はその精霊様の祝福を強く受けた人々が居た、と言うものでしたが。その人々も、先生のような翡翠色の瞳をしていたんだとか」
「……私が、もしかすると、その人々の一族かも知れないと?」
「ええ。私も母の話には興味があったので、もしかしたらと思いまして。失礼を承知でお伺いした次第です。すみません……」
「いえいえ。とはいえ、お答えしかねるのですが……」
「やはりそうですよね……。失礼をお詫びします……」
「ああ、いえ! そう言うことではなくて! 私その、自分の生まれが何処なのか分からなくて、ですね」
「え? 分からない?」
「ええ。私、孤児でしてね。幼い時分は教会で過ごしました。育ての親曰く、いつの間にか籠に入れられた私が玄関口に放置されていたんだとか」
「っ! あの! 御免なさい! そんな知らなかったとは言え!」
「お気になさらず。私が勝手にお話しただけなので。まあ、ですので、出身については何も知らないのです。むしろその情報を頂けたことに感謝を申し上げたい」

 儚い雰囲気を帯びつつも、微笑を浮かべて礼を述べるラベーリア。
 母親は、相手の傷心を踏み抜いてしまった申し訳なさを、空気感に漂わせているようだ。

「ところで……。お母様の語っておられたその一族とは、何方で?」
「母の話では、ここから東の方に行った、特に名もない森の中で出会ったんだとか。詳しいところは、私にもよく分かりません。結局それも、幻のように感じていたそうなので」
「そうですか。有難う御座います」
「すみません、お力になれず」
「いえいえ。私も旅しておりますので、気長に探してみようかと思います」

 そう言って、ラベーリアが再び礼を述べる。
 結局、その話はそこで終わりとなり、母親もまた礼と謝意を述べつつ、部屋を退出していった。
 その後は特に何事もなく診察は進み、七人の患者を見送って終了時間となった。

(……精霊に祝福を受けた一族か。今まで、私のような瞳の色をしている人には出会った試しが無かったから、流石に気になる)

 部屋の中を片付けながら、先程の、患者の母親との会話を振り返るラベーリア。
 彼女は、ふと鞄の方に目を向けて、中から一冊の本を取り出す。それは、丁寧な装丁と彫金による細工が施された見事なもので、加えて、一目見ただけでも大事に扱われてきたことが分かる程に手入れが行き届いていた。
 その本の表紙には、『軌跡』と言う文字が彫り込まれた金属プレートが取り付けてある。

(書き留めておくとしよう)

 彼女は、その本をそっと開いてページをめくり、おもむろに筆を執ると、とあるページに何事かを書き込み始める。見ると、そこには整然とした文字列によって何事かが記述されている。更によく見れば、書いてあるのは地名であるとか、建物の名前であるとか、或いは人物名らしきものが、説明付きで書かれていることも分かる。

「……よし」

 書き込みが終わると、即座に本と筆をしまい、それからはテキパキと部屋の片づけに集中。翌日の退去に支障が出ないようにしていくのだった。

 それからの彼女は、しかし、特に変わった行動を起こすことはなく。運動でもするように町の中をぐるりと回って、ついでに町の住人たちの観察を行った後で、宿へと引き上げていった。余所へと向かうための馬車の予約も、食事も、湯浴みも、つつがなく。

 ちなみに夕食のメニューは、町で採れた新鮮な卵を使った固めのオムレツと、サラダサンドイッチのセットである。どちらも町の中で手に入る食材で作られている。

 食事諸々を終えて部屋に引き上げたラベーリアは、鞄から取り出した“カルテ”に、この日の診察状況。販売した薬の種類と量。次に補充するべき薬草の一覧。その他の情報も含めて纏めていく。集中して筆を滑らせる彼女は、まさに職人の顔をしていた。

 それから一時間ほど後のこと。

「……ふぅ」

 全ての作業を終えた彼女は、ベッドに身を委ねる。
 そして、ふと彼女は窓の外を見た。建物などの向こう側から夕日の赤色が差している。朝焼けの赤が一日の始まりを告げるのならば、今のこれは終わりを想起させる赤だ。その繰り返しの中に自分は生きている。ぼんやりとそのようなことを考えながら、彼女はその翡翠色の瞳を揺らしていた。

 滞在の最終日を迎える明日の、それ以後の「予定」へと思いを巡らせつつ。

 0

trending_up 23

 1

 2

公共の空に名前を放つ

アマチュア無線の免許を取った

大して電波も出さないけれど

そもそもおしゃべり苦手だけど

アマチュア無線界の

オールドマンという

言葉に惹かれた

メカニックやエンジニアにも使われる

経験豊富なベテランを指す

ところがアマチュア無線では

ちょっとだけニュアンスが違う

無線通信技術に精通してなくても

人生経験豊富な、尊敬できる人物

そんなニュアンスがある

だから無線免許取り立てでも

他の分野での経験豊富な人物は

無線界ではいつでもオールドマン

そして謙虚に振る舞い、専門分野で貢献できる所は惜しみなく

まあそんなアマチュアコードとは無援の

傍若無人な人もそりゃあ、いる

けどね

紳士であってこその趣味

公共の電波の一部周波集を使える意味

一人一つのコールサイン

国際条約の下にある名前

責任と義務

その緊張感が

ちょっとだけ嬉しい




-------------

アマチュアコード

 アマチュアは、良き社会人であること

 アマチュアは、健全であること

 アマチュアは、親切であること

 アマチュアは、進歩的であること

 アマチュアは、国際的であること

出典
日本アマチュア無線連盟 JARL


 0

trending_up 295

 3

 16

すたっかーと

こころの中に
ぽっかり空いた穴を
塞ごうとしても
できないでいる

明かりのない部屋で
退屈に打ちのめされて
体育座りをするしかない私を
皆んな笑っているんだろう

音楽室でひとり
ギターが弾けずに
呆けている
そんなこと
誰にも言えないでいる

マホガニー板のウクレレを抱えて
小さな音の海に沈む
ギターより扱いが楽だ
少しはマシかもしれない
少しはまだ生きていけるかも

だけれど君
安請け合いはしちゃいけないよ
そんなに簡単に優しさはもらえない
分かっているとは思うけれど

すたっかーと

それでも君
傷付く事を恐れないで
信じる人の声を聴けばいい
考えているとは思うけれど

手足をばたつかせて
右手
左手
右足
左足
跳ねる
踊る

不安定な精神
蹴り飛ばしたい
望みは高く
宙を飛ぶ
残酷なほど
極彩色に
塗りたくられて
答えさえ
毒々しく
光り輝いている
胞子のように

 0

trending_up 62

 3

 1

骨折

僕の濡れた橈骨のたかまりが 
腕時計のように光った

風呂場の 裸 
裸の まなこ
乱視の 鏡 に

弛むなと 骨 
骨は硬いから苛立っていた
だから 時計のように光った
よりによっても 風呂場で

肉の言葉で 仄めかすな
ぐちゅぐちゅした、脂肪織で
髄を覆うな 
骨は僕に苛立っているから、詩に苛立っていた

僕は 苛立っていた 
骨に苛立たれる筋合いなどないから
包含されるベン図をしらん器官は生意気だから
こんな骨は 折る

右手が 折れた 折った
しばらく詩は書けそうにない

骨は満足そうだった 
それにも腹が立ったが 
右手が 折れているから
反対はもう折れない

それでも
僕の日々は変わらなかったが
整形外科が儲かった

 0

trending_up 51

 2

 4

【読者募集中】田中宏輔『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』鑑賞一例 | しろねこ社への推薦文

推薦対象

ごめんね。ハイル・ヒットラー!
by 田中宏輔

【告知】全行引用詩鑑賞の振興を願って、この推薦文の読者を募集します。報酬は予算2000コインの分配制、最低保証額200コイン。来訪者が1名なら2000コイン総取りです。コメント欄の募集要項をご覧になり、ぜひお気軽にお越しください。





●序文

田中宏輔の詩のあまたあるフォルムにも、全行引用詩ほど鑑賞しやすく言及しやすいものはあるまい。「全行が引用」という驚異の見映えに圧倒され、作中の全出典を読まなければ読解できないと思い込む読者もいるだろうが、誤解だ。これは音楽でいうサンプリング、引用が出典の重要な特徴を捉えていないことに特徴がある。でなければ著作権侵害になるのだから、そうせざるをえないともいえる。

つまり出典をまったく知らなくても自由に鑑賞できるのが、全行引用詩の特長だ。これについてはもうなん度も述べたので、今回は別の論点を採りたい。その自由な鑑賞とやらに果たしてどれほど需要があるのか、多くの読者は詩人の詩論に強いられた自由を持て余すのではないか。それを実情と仮定すれば、全行引用詩の入り口には『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』のような特例こそ好適とみなせよう。

『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』は詩誌『midnightpress』創刊号の所載*で、フォルムの意図が公表されている**、鑑賞には出典の知識がすこぶる有用である。読解が制限されるからといって、鑑賞が窮屈になるかといえば、そんなことはまったくない。それをこの鑑賞一例が実証できれば重畳だ。

*https://megalodon.jp/2025-1031-0816-27/www.midnightpress.co.jp/publish/mp/mp001.htm
**https://megalodon.jp/2025-1031-0819-40/bungoku.jp/ebbs/20180901_417_10700p



●本文

作者の自解によれば『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』は、ヒトラーの自殺に想を得たもの。1945年4月30日の午後、ヒトラーが妻エヴァとふたりきりで過ごしたはずの、最後の十分間を創作している。

>幸せかい?
>(ヘミングウェイ『エデンの園』第二部・7、沼澤洽治訳)
>
>彼【※ヒトラー】はなにげなくたずねた。
>(サキ『七番目の若鶏』中村能三訳)
>
>あと十分ある。
>(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2』第Ⅱ部・20、厚木 淳訳)
>
>なにかぼくにできることがあるかい?
>(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)
>
>彼女【※エヴァ】は
>(創世記四・一)
>
>詩句を書いた。
>(ハインツ・ピオンテク『詩作の実際』高本研一訳)

上記冒頭部の出典の題名から、この詩がヒトラーの妻エヴァをアダムの妻エヴァ(イヴ)に重ねていること、ふたりの死を失楽園に結びつけていることが読み取れる。そのような通俗的な発想に、田中宏輔の詩が収まる道理はない。

詩中のエヴァは辞世の全行引用詩を書く。それを剽窃とヒトラーが指摘すると、エヴァは引用と反論する。ヒトラーが譲歩して「きみの引用しているその海(出典は『詩の問題点』)はどこにあるんだい?」と質問すると、エヴァの返答は「お黙り、ノータリン」。ヒトラーはそれに気を悪くし発砲したという、幾重の意味で奇想天外な展開。なにより奇天烈なのは、正体不明の語り手だ。

ヒトラーがエヴァとふたりきりで迎えたはずの最期***を見届け、ふたりのやりとりを記録した者が、この詩中にはなぜか存在する。

***https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%BB

>ああ、
>(ラリイ・ニーヴン『太陽系辺境空域』小隅 黎訳)
>
>でも、ぼくは
>(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二の歌、栗田 勇訳)
>
>いったいなんのために、こんなことを書きつけるんだろう?
>(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

上記の主語「ぼく」の出典を重視すれば、この謎の語り手(記録者)の正体をマルドロールと想定できる。シュルレアリスムの代名詞「ミシンとコウモリ傘の、解剖台のうえでの偶然の出会いのように、彼は美しい!」で有名なあの堕天使だ。アダムの妻エヴァが蛇(サタン)に誑かされたように、この詩中でヒトラーの妻エヴァは、あの堕天使マルドロールに惑わされて夫を「ノータリン」となじったようだ。詩の最後に語り手が「ごめんね。ハイル・ヒットラー!」と謝罪するのはそのためと推測される。

その構造は、題名『ごめんね。ハイル・ヒットラー!』の出典であるフエンテス『脱皮』のものに似ている。題名からして「一皮むけた蛇(サタン)」を寓し例の堕天使を示唆するこの小説の内容は、メキシコを旅する四人のうちのだれかを殺すために追っていると自称する語り手の盛大な虚構。語り手が事件の現場に登場しない点に特徴があるが、オチとしては現場自体が存在しない。名実ともに、この全行引用詩を題するにふさわしい出典だ。

ではヒトラーが惑わされたエヴァの辞世の全行引用詩に、いかなる『詩の問題性』が潜んでいたか、読解を試みる。

>しばしばバスに乗ってその海へ行った。
>(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)
>
>魂の風景が
>(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)
>
>思い出させる
>(エゼキエル書二一・二三)
>
>言葉でできている
>(ボルヘス『砂の本』ウンドル、篠田一士訳)
>
>海だった。
>(ジュマーク・ハイウォーター『アンパオ』第二章、金原瑞人訳)
>
>どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。
>(ユーゴー『死刑囚最後の日』一、豊島与志雄訳)
>
>ああ、海が見たい。
>(リルケ『マルテの手記』大山定一訳)
>
>いつかまた海を見にゆきたい。
>(ノサック『弟』3、中野孝次訳、句点加筆)

エヴァが書いたこの全行引用詩を、ヒトラーは「剽窃」と評しているので、その内容を出典の内容を含めて読解したのかもしれない。たとえば下記のように。

「しばしば『夢の貨幣』でバス代を払ってその海へ行った。その海はボルヘス『砂の本』の言葉でできている、エゼキエルの見た「命をもたらす川」の源である。すなわち『詩についての対話』、リルケ『マルテの手記』が没頭した読書体験、ノサック『弟』のごとき非在への希求。ちなみにノサック『弟』はこういう話だ。主人公が自分の留守中に怪死した妻の死因を探るため、現場にいたとおぼしい若い男を探しているうちに、その男を自分の弟のように思いはじめる。さらにちなみにハイウォーター『アンパオ』の双子の弟オパンアは、アンパオ自身の分身であった」

そうした読解のうえでヒトラーは、妻エヴァにこう尋ねたのかもしれない、

>きみの引用しているその
>(ディクスン・カー『絞首台の謎』7、井上一夫訳)
>
>海は
>(ゴットフリート・ベン『詩の問題性』内藤道雄訳)
>
>どこにあるんだい?
>(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

各出典の題名がヒトラーの晩年をみごと象ってみえるのも気になるが、ここでの最大の問題は『詩の問題性』であるところの「海」だ。詩中でこの語は、さまざまな出典から引用されており、その寓意を一意に定めることはできかねる。

しかし便宜上、詩中のエヴァを惑わせたとおぼしき例の堕天使『マルドロールの歌』を偏重するなら、「その海」を同一性や不変性の象徴と想定することは可能だ。「老いたる海よ、お前は同一性の象徴だ。つねにお前自身そのままだ。お前は本質的には変化しない。よし、お前の波濤がいづれの部分かで荒れ狂つてゐようとも、それより遠いべつの地帯では最も完全な静謐のなかにある」(青柳瑞穂訳)──つまり。

つまりエヴァの辞世の全行引用詩は、ヒトラーとの世紀の恋****の回顧であり、永遠の愛の誓いであったのかもしれない。そう思って読めばそう読めるのが詩というものだ。そう想定すればエヴァがヒトラーを「ノータリン」となじったのを、当然の反応とも評価できよう。

****https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3

>お黙り、ノータリン。
>(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)
>
>ヒトラーはひどく気を悪くした。
>(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳、句点加筆)
>
>彼は拳銃を抜きだし、発射した。
>(ボルヘス『砂の本』アベリーノ・アレドンド、篠田一士訳)

エヴァになじられたヒトラーは、かの女に誓った永遠の愛が「あるバレリーナとの偽りの恋」に堕したと気を悪くしたまま逝ってしまったのだろうか。エヴァの辞世の全行引用詩は「たしかに/海(永遠の愛)だった」のかもしれないのに、この悲恋は詩とその読解の宿業である。どうかエヴァの辞世の全行引用詩が、地獄でヒトラーに再読されますように。アーメン。





※この鑑賞は筆者澤あづさの文芸であり、一切の責任を筆者が負う。文中の読解にある問題は、批評対象の問題でなく、その著作者に責任はない。

 6604

trending_up 582

 3

 29

『あわいに咲くもの』 外伝 第十五話 「肌に綴る、わたしの夜」

――糸島能古――

 部屋の灯りは、ひとつだけ。
 乳白色の光が、鏡の前で滲む。
 ネグリジェの布は、月灯りを吸い込み、肌にやわらかく貼りつく。

 静寂の中で、わたしの躰は目を覚ます。
 お姉さまの気配は、この部屋の空気に溶けている。
 香のように、記憶を布に移して。

 鏡の前に立つ。
 鎖骨の下に、小さな影が落ちる。
 胸の線は呼吸に合わせて波打ち、
 背の中では、神経索の震えが波形を描く。

 それは、詩だ。
 肌という紙に、記憶というインクで綴られた詩。

  この肩は、お姉さまの眼差しが留まった場所。
  この胸は、お姉さまの吐息が韻を刻んだ場所。
  この背は、お姉さまの沈黙が寄り添った場所。

 指先で、ひと文字ずつなぞるように触れる。
 指は冷たく、記憶はあたたかい。
 ふたつが重なる、あわいの夜に、わたしは生きている。

 布越しに、肌が詩を詠う。
 声ではなく、触れ合う温度で詠う。
 呼吸は緩やかな対句となり、鼓動が韻を踏む。

 お姉さまがいない夜も、
 わたしの躰は、詩の紙面であり続ける。

 不在は余白。
 そして余白は、いまだ書かれぬ行の約束。

 記憶の中の、その指が、
 再びわたしをなぞるとき――
 最後の一行が、生まれる。

 わたしは、その行を夢に抱いて眠る。
 肌に綴る、わたしの夜のままに。

          ――了――

 1000

trending_up 155

 4

 4

子規と鮎川信夫の詩       (短詩評)

ひとり迷ふたむさしのに
招くと見しはむら尾花
きぬたはいづこ家いづこ
ふんで行かれぬむしのこゑ
たゝずむわれに露やおく
袂の上にきりぎりす
見まはす原に秋の月
ひとりしよんぼりてらされて

(『日本の近代詩を読む』高橋睦郎、平凡社)


これは正岡子規が歌人としてデビューする前に試みた「月下聞虫」という題名の新体詩であり、高橋睦郎が「比較的成功したもの」と評するものである(『日本の近代詩を読む』平凡社)。ざっと現代語に直してみれば、こんな調子だろうか。


ひとり武蔵野にさ迷った
私を招いているように見えたのはススキの群れだった
きぬたの音が聞こえるが どこだろうか どこの家だろうか
そちらに行こうと思っても 虫が至る所に鳴いているので草を踏めない
当てもなくたたずんでいる私に露が降りる
袂の上にはきりぎりすがいる
見回す原っぱには秋の月が出ている
私はひとりしょんぼりとして月に照らされている


この詩を読んでふと鮎川信夫の「宿恋行」を連想した。鮎川信夫といえば、私にとっては初期の頃の詩はロマン的であるが、後年になると作品に虚無と絶望の色が奇妙にも入り混じって来るように思う。


白い月のえまい淋しく
すすきの穂が遠くからおいでおいでと手招く
吹きさらしの露の寝ざめの空耳か
どこからか砧を打つ音がかすかに聞こえてくる
わたしを呼んでいるにちがいないのだが
どうしてもその主の姿を尋ねあてることができない
さまよい疲れて歩いた道の幾千里
五十年の記憶は闇また闇。

(鮎川信夫全詩集 : 1946~1978思潮社, 1980.10)


子規の「月下聞虫」は子規が文学者としてデビューする前、まだ若々しい情熱を持て余しており、自分が何者なのかを定めようとする頃のものである。その割には、描かれた情景は孤独で寂しげであるが、自然に包まれており、直接的心情描写は最終行の「しよんぼり」である。日本の伝統的なる風景に近代人たる若者の孤独があどけない。文語体でリズミカルでもあるので、寂しいながらも軽快である。

鮎川の「宿恋行」はどうか。舞台装置は大部分「月下聞虫」と重なる。露の降りるススキ野原に詩人は孤独である。砧を打つ音がどこからか聞こえてくる。どちらも同じである。しかし両者の思いは異なる。鮎川は既に老境に入っている。詩人は誰かに呼ばれていると確信しているのだが、誰が呼ぶのか皆目見当がつかない。人生をずっと「さまよい疲れて歩い」てきたが、振り返ると真っ暗な闇が広がるばかりである。最終行の最後に一つ句読点の丸が打たれており、そこですべてが突如シャットダウンされているようにも思えて、絶望感が増す。

子規が風景という外部から立ち尽くすひとりぽっちの詩人を俯瞰しているのに対して、鮎川は自分の内面から外部に何か手掛かりを探し出そうと必死である。子規にあるのは青年期に特有の柔らかい感傷であるが、鮎川にはいまだ悟れ切れない老年の絶望が溢れ出しており、どこかしら幻想的でもある。

私はいまや鮎川の詩の五十年を越えた年齢である。いままで以上に絶望の闇を濃くしている。宿を恋い慕う気持ちすら薄れつつあるのであるが。

 0

trending_up 11

 2

 0

The circle of the unconscious

BMW M5。その後方には、護衛車両数台が統率されたフォーメーションを保っていた。
「何だ? あのバイク、フルチューンか? いい音をさせている。」助手席の朝倉が呟いた。
道路のわずか数百メートル前方、ドゥカティ・パニガーレV4が、先行する一般車の間を縫って、軽やかに車線変更を繰り返す。その車体は、通常仕様ではない。カウルはドライカーボンで全身が武装され、標準の216馬力を遥かに超える力を秘めたデスモセディチV4のECUは、公道のルールを無視して完全に解放されている。エキゾーストから響く高周波の絶叫は、触媒を失ったフルチタン製レーシングシステムが、その真の力を誇示する咆哮だった。
パニガーレは、突然、まるで待ち構えていたかのように速度を緩め、M5の車列の前に躍り出た。ライダーは左手を軽く上げ、ヘルメットのシールド越しに、一瞬だけM5を振り返る。それは、冷笑的な笑みを隠した挑戦状だった。
次の瞬間、パニガーレのテールランプが爆発的に遠のいた。V4エンジンが、官能的な金属音を立てて高回転域に達する。
「何だ? 面白い奴だな。どうする?」朝倉が、手元のキューブを回転させながら呟く。
「腕に自信があるみたいだね、お灸を据えてあげないと。」レオナルドがアクセルを踏み出した。
M5のエンジンが地鳴りのように咆哮し、車体は質量と速度を兼ね備えた「弾丸」のように加速する。市街地のトラフィックは、彼らにとって乗り越えるべき「迷路」だった。
パニガーレは、その軽量さと機動力を最大限に活かし、車と車の間に存在する「刹那の空間」を通過していく。それは、周囲の交通を完璧に読み切り、寸分の狂いもないライン取りで、まるで優雅な舞踏のように車列を抜けていく動き。
追うM5は、その重厚なパワーと、卓越した足回りで応戦する。レオナルドは、他の車両との安全な距離を保ちながらも、極限までアペックスを攻める。彼のドライビングは、周囲の車を巻き込むことなく、しかし見る者を戦慄させる「精度の暴力」だった。M5は、他の車の流れを断ち切るように、圧倒的な加速力とブレーキ性能で、バイクの残像を追いかける。
「ああ、ヤッテルな。良いラインだ! 」朝倉は、手元のマスターゴーストキューブを完成させて楽しんでいる様子で歓声を上げた。彼の目は、獲物を追うハンターのそれだ。
パニガーレが、交差点の信号が青に変わる一瞬を捉え、右折レーンの車群を横切り、首都高速へのランプウェイへと向かう。M5は、他の車両が反応する間もない速度で、バイクの航跡にねじ込む。護衛のSUV群も、シームレスな隊列を維持したまま、その背後を追う。彼らの車列は、都市の喧騒の中で、異様な「夜の軍団」の様相を呈していた。
料金所を過ぎた先、首都高速の直線区間。
バイクは、まるで重力を知らないかのように、M5との距離を広げていく。M5は時速200kmを超える速度で追走するが、パニガーレとの差は一向に縮まらない。
「規制解除しているな。さすがに排気量のアドバンテージを潰されるか。」レオナルドが、冷静な声でM5のステアリングを握りしめた。彼の瞳の中にモニターが映り込む。
朝倉は、完成させたキューブを助手席のトレイに置き、身を乗り出した。
「コンフォート設定を切れ、レオナルド。『Mモード』で応える。」
レオナルドは、センターコンソールのボタンを操作した。車載システムが唸り、M5の車体が一瞬沈み込む。サスペンションが最もハードな設定へ切り替わり、エンジンマッピングが全開のレスポンスへと変貌した。
S63 V8ツインターボが、再び地を揺るがすような咆哮を上げる。M5は、それまでの加速をさらに上乗せするように、猛烈なトルクでパニガーレの影に迫り始めた。速度計の針が、250km/h、そして280km/hに跳ね上がる。
「縮まってきたぞ!」朝倉はスマホで何かの計算をしている。
しかし、パニガーレのライダーは、冷静だった。彼は、一瞬だけ車体を左右にブレさせ、後方のM5を確認すると、即座にさらなる加速に入った。
ドゥカティ V4エンジンが、空気を切り裂くような高周波の絶叫を上げる。その音は、レーシングカーのソレだ。M5が縮めたはずの距離が、再びじりじりと開き始める。
「軽さには勝てないか。」レオナルドが呟く。
その時、前方にタイトな連続カーブが差し掛かる。
「ここからがM5の領域だ」レオナルドは、即座にブレーキングを開始した。カーボンセラミックブレーキが、M5の巨大な質量を瞬時に、しかしスムーズに制御する。
レオナルドはM5の限界性能を引き出し、タイヤが叫び声を上げるほどのG(重力)を車体にかけた。M5は、路面に張り付くかのようなスタビリティで、カーブのイン側へと鋭くねじ込んでいく。
しかし、パニガーレのライダーは、バンク角を極限まで深くし、車体を路面に吸い付かせた。ハイグリップタイヤと専用にセットアップされたサスペンションが、そのコーナリングを支える。それは、人間が扱う乗り物の限界を超えており、遠心力そのものをねじ伏せているかのようだった。パニガーレは、カーブの中でさらに加速するという、M5には不可能な挙動で、依然としてリードを保った。
そして、ライダーは、計算され尽くしたフィナーレのように、高速道路の側壁に近づいた。彼は、一瞬もためらわず、その段差を蹴ってジャンプを敢行したのだ。
「マジかよ!」朝倉の驚愕の声が、キャビンに木霊する。それは、敗北の叫びではなく、ありえない光景に対する純粋な興奮だった。
M5のハイビームが捉えたのは、夜空を切り裂くカーボンブラックの塊。パニガーレV4は、物理法則を冒涜するかのように、首都高の壁を乗り越え、約5mの高低差をものともせず、下の一般道へと無傷で着地した。
タイヤがアスファルトを叩く鈍い音が、高速道路の静寂に響く。ライダーは振り返ることを良しとせず、そのまま夜の闇の奥深くへと消えていった。
M5は、カーブを曲がりきり、急ブレーキで速度を落とした。朝倉とレオナルドの目に映ったのは、無人の一般道へと続く、漆黒のドゥカティのテールランプの残像だけだった。
「おもろ!」朝倉は呟いた。
「Nシステム使って追い詰める?」レオナルドが尋ねる。
「いや、やめとこう。遊びだよ、遊び。何だか面白くなってきたな。どうしたんだ、トーキョー」
朝倉美鶴は夜の先を見つめる。

 0

trending_up 32

 2

 1

見えません

知ってる知ってると言いながら
カカオマス風味の油脂を口にする
誰かの(私の)健康も
人類の均衡も
そんなに興味はない

う そ

興味を持ったことによる失望
みたいなものが怖いだけ

 0

trending_up 45

 2

 4

立葵と立ち尽くす

ゆっくりと点描を描く雨
ぬるいアスファルトの匂い
僕を孤独にして裁いた

 0

trending_up 77

 3

 6

おててひろげて

おててひろげて
じっくりみるの
てのひらのしわが
しっかりのびて

てのこうじゃなくて
てのひらに
ぐぐぐぐぐぐぐぅって
かおをくっつけて
みるの

おちこんでもうれしくっても
なーんにもなくても
おててひろげて
そうしたら
「これはわたしのてです」
そらをみていってみる

ちいさなておおきなて
どっちでもないて ててて
てててててとて
なにをつかんではなして
きただろうって
きいてもきかなくても

てててて
ちょっとわらいたくなってきて
ててててて
なんとかなくきょうも
いき

いられそう、、
でしょ?

 0

trending_up 14

 0

 0

ゆうやけ

なみだいちに、やってまいりました

なみだに、みなくれておりました

なみださん、あんまりながれるので

なみだしをかきました

なみだご

なみだろくをつけて

なみだしちに、うりにいきました

なみだはちもんで、うれました

なみだきゅうんと、でました

なみだばしぎゃくにわたれよ、じゅう

 0

trending_up 25

 2

 2

りょうしまちうまれのまじょのこ。

最近書き始めた小説のタイトルだけを
告げておく
恋の始まりみたいにドキドキできる
原稿用紙の一文字目
わたしだけの特権

髪を切りました
新しい仕事で俯く姿勢が多くって
あまりにも鬱陶しいので
だから創作も捗りそうです

「ねぇ、知ってる?
海の匂いって
離れて暮らせば暮らすほど
はっきりと嗅ぎ取れるようになるの」
出戻りしてきた主人公が喋り出す

イキイキとびはねる文字
会話だけが連なる物語
書き終わるかな
始まったら駆け出して
転んで立ち上がり終わるべきなんだろう

書き始めた小説のタイトルだけ
それだけでも忘れないでって
変な事言ってみる

「あれ、どうなった?」
ぜったい。聞かないでいいから
告げただけのわたしを
覚えていてね

今日は、トイレを、
だいたい
38個磨きました
フィルターとか便器の裏の裏まで
せっかく切った髪の毛も
意味のないほど 汗がしたたり
「上着脱いで!具合わるくなるよ!」
!マーク付きで言われました

今日は一度もペンを持たず
ぐっすりグーガー眠れそうです
原稿用紙はまだ2枚半しか埋まってないよ

りょうしまちうまれのまじょのこ。

タイトルだけ、何回も言っておきます

 250

trending_up 157

 5

 5

『DUALITY —境界を歩く—』

始まりは 音ではない
言葉でもない
ひとつの気配が 立ちのぼる
光と影の わずかな境目
幕が 降りるのか 開くのか
その境界に 私は立っている

歩く 歩く
一歩は 確かな刻印
一歩は 消えていく幻影
残るものと 消えるものが
交差するたびに
身体は問いを投げかける

遠くの太鼓のような脈動が
空気の奥底で鳴り始める
皮膚の裏を流れる血が
その音に共鳴する

光と影が まだ名を持たぬまま
境を ゆっくりと 溶かし合う
そこに 祭りが生まれる
そこに 儀式が立ちあがる

焚かれぬ火が 見えない炎をあげ
見えない旗が 風に翻る
誰のものでもない声が
胸の奥でゆらめきはじめる

在るものと 無いもの
秩序と 混沌
静寂と 響き
そのすべてが 背中を押し
足を止めさせ また進ませる

在る ということ
無い ということ
重なる ということ
離れる ということ
世界は ただ その交差に息づく

呼吸は 脈動となり
脈動は 祭りの太鼓となる
熱狂は やがて祈りへ変わり
祈りは 儀式となって
ひとつの円環を描き出す

その円環のなかで
ひとつの動きが
幾千もの手に受け渡され
幾千もの影が
ひとつの光に集まっていく

祝祭は 終わりを持たない
始まりは どこかに消え
終わりは どこかに還る
その循環に身を置くとき
私たちは 名を超えて
ただ響きとなる

止まる 歩く 止まる
そのたび 影が揺れ
光が滲み
あなたの身体に触れ また離れる
私の身体から離れ また触れる
与え 与えられ
影響を刻みながら
共鳴は 波紋のように広がっていく

その波紋は
舞台の床を超え
客席の奥へ
客席の奥を超え
世界のどこかへ届いていく

呼吸が 鼓動を刻み
鼓動が 円環を描き
円環は 見えぬ天へと伸びていく
ただ 音なき行進が続いている

やがて 個は溶け合い
境界は曖昧になる
舞台と客席のあいだに
見えない線が 融けて消える
そこにあるのは

ただ螺旋のように巡る時間
円環のように戻る問い
人は どこから来て
どこへ向かうのか

その問いは
足の裏から立ちあがり
胸の奥をくぐり
目の奥で静かに燃え
再び地面へ還っていく

そこに立つのは
ひとつの声
幾つもの影
そして 交わる無数の祈り

祈りは 言葉ではない
祈りは 沈黙の中で燃えあがり
やがて 全てを包み込む

祭りの只中に
境界はない
こことあそこ
あなたとわたし
生と死さえも
交差し 融け合い
ひとつの大きな環を描く

歩く 止まる 歩く
問いは つねに自分へ返り
返るたびに 新しい影と光を連れてくる

その光は
見えぬ天のひび割れから降り
その影は
見えぬ大地の奥から湧き上がる
二つは 出会い
二つは 離れ
そのあいだを
私たちは歩いている

光が 影を抱き
影が 光を産み落とす
響きが 静寂を照らし
静寂が 響きを導く

その往還の中で
私たちは気づく
影響し合うことの力を
交差することの意味を
そして
刻まれた痕跡が
消えずに残り続けることを

祭りは つねに始まりであり
儀式は つねに終わりである

すべては 二つに分かれ
すべては 一つへ還る
この往還こそが
祝祭のリズム
儀式の呼吸

歩く どんどん歩く ガンガン歩く
境界を越えて
祭りのように 儀式のように
共鳴しながら
時間を刻み
名もなき道を
歩き続ける

ー間ー

私たちは まだ歩いているのか
すでに立ち止まっているのか
その答えは いらない
ただ ここに在るということが
最も遠く 最も深い
祭りの名なのだから

そのただなかで
私は あなたを思い出す
あなたは 私を思い出す
そして
誰もが 誰でもないものとして
一斉に 祝祭の声をあげる

それは 声であり 風であり
それは 祈りであり 沈黙である

ここは 始まり

ここは 終わり

ここは

(沈黙)

 0

trending_up 31

 2

 3

白いシャツが着られない

他責思考を脱ぎ捨てたい
何でもやろう
覚悟はあるのに

ホップ・ステップ・ジャンプ
どれがかけて
必ずとべなかった

おかしなことにつまづくと
気づいたのはいつからだろう
そうだよ そうね
私は白いシャツが着られない

汚すも汚されるのもこわすぎて
避けて通れるものすべて避けたいから
ぜんぶの水溜まりに律儀にとびこんでいく

0か100かの極端な人生をやめたらいい
何度も言われても難度が高いだけなんだ
0もないし100もないから

やっぱりわたしは白いシャツが
着られない
うまく生きれない証として
今朝目が覚めた瞬間に
おりてきた

だからそうそうなんだ
きづいてしまった
ホップ・ステップ・ジャンプ
どれかがかけてかけていない
とべないわたしがわたしのために
1枚も白いシャツなど要らなくて
持ってもいなくていいことに

やっと目覚めたよ今の今
わたしは白いシャツが着られない
でもいい だからいい
わたしの白いシャツはきっとずっと
ぜったいによごれはしないから

世界一/白いシャツ/は/わたしの
白いシャツ/

 50

trending_up 84

 4

 6

鳥とキツネとアイツ ①

◆化け上手のアイツ


「よっ、浪・人・生・♪」

 迷彩柄で狭い野鳥観察用ブラインドの背後から声をかけてくる奴がいる。

「うっさいぞ国立推薦」

 こんなからかいをしてくる奴は他にはいない。あいつだ。学校では決して誰にも見せない馴れ馴れしさと砕けた口調で僕に語りかけてくる。

「ねえなにやってんの?」

「見てわからんか」

「はー、バードウォッチングなんて浪人生なのに余裕ですなあ」

「うるさい。僕が何しようとお前には関係ないだろ、出てけ」

「はあい」

 あいつはがさがさ無造作にブラインドから出ようとする。

「おいやめろ出てくんならそっと出てけ。鳥が逃げる」

「なんだよ注文が多いなあ。じゃあ出ない」

 今度は彼女は一人用の狭いブラインドに潜り込む。僕の背中に彼女の身体が密着する。僕は動揺した。

「おいやめろ、きついだろ」

「おやあ、照れてるんですかあ? 一緒にお風呂に入った仲なのにい」

「3歳の話を持ち出してくるんじゃないっ」

「ねえねえ、なに見てるの?」

「昨日はアメリカヒドリがいたんだけど今日はヒドリガモばっかだなあ」

「ふーん」

 あいつは相変わらず全く興味なさそうに答えた。なら訊くな。

 僕と彼女は家も隣の幼馴染。お互いのうちを行き来してよく遊んだものだった。それがこんなに差がつくとは。

「もうそんな3歳児の頃とは違うんだからさ、お前にふさわしい世界に行けよ。僕なんかほっといて」

「つれないなあ」

 同じ中学に上がった頃からこいつは変わった。急に勉強もできるようになったし、やけにおしとやかになったし。友達も多く高校では生徒会役員でもあった。だけど僕と二人きりでいる時だけ、こいつは小学校までと変わらない態度と口調で僕と接してきた。

「ね、『あたしにふさわしい世界』ってどこ?」

「国立推薦で受かるような連中のいる世界」

「ふうん」

 一呼吸おいてあいつが言った。

「あんた、案外つっまんないこと言うんだね」

「なんだと」

 僕はイラっとして振り返った。間近にあいつの顔が見える。僕は突然顔が熱くなるのを感じた。

「ねっ、今日なんか食べた?」

 考えてみれば午前3時に自宅でサンドイッチを食べて以来何も食べていない。

「いや、ほとんど食ってない」

 それを聞いて得意げな顔になるあいつ。背中のザックを開いて何かを取り出す。

「そう思って、じゃーん」

 彼女が取り出したものを見て僕は思わず声に出す。

「あ、カップうどん」

 それは赤いパッケージのカップうどんだった。

「そっ」

 あいつはそのカップきつねうどんのCMソングを少し調子っぱずれに歌うとまた嬉しそうな顔になった。

「あんたこれ好きだもんね」

「ああ、よく知ってたな」

「なんでも知ってるよ、あんたのことなら」

「嘘つけ」

 彼女の軽口に僕も、そして彼女も軽く笑う。
 僕は向きを変え彼女と向かい合う。彼女がフィルムを剥がし蓋を半分まで開く。あいつが持ってきた小型のポットからお湯を注いだ。

「じゃ、あたしもご|相伴《しょうばん》にあずからせてもらって、と」

 自分でも赤いカップきつねうどんを取り出しお湯を注ぐ。

 出来上がるのを待つ間、ふと言葉の空白が生まれた。彼女が静かに口を開く。

「来年はどこ受けるの?」

「ん? 今年受けたところをリベンジしようと思ってさ。僕のやりたいような生態学やれるところって結構少ないし」

「……あのさ、もっと上目指しなよ」

「上? 上って?」

「あたしの行くとこでも生態学やってるしさ…… そういうとこ」

「いやいやそれは難しいなあ」

「難しくないよ、あたしだって行けたんだもん」

 彼女の顔はどこか寂しげだった。

「うーん…… じゃ、一応候補には入れておくか。かなり厳しいけどな」

「ほんと!?」

 今度は太陽のように輝く笑顔を見せる彼女。

「しかしさ、すっごい差がついたよなあ僕たち……」

「そうかな?」

「そうだよ。かたや国立、かたや浪人。お前なんか中学入ってからもうすっかり変わったし」

「変わってない、変わってないよあたしなんにもっ」

 抗議するような目になる彼女。だけど僕は続ける。

「変わった。勉強だけじゃない、|外面《そとづら》だって。猫を被るどころの話じゃない、まるできつねが化けたみたいだ」

「それは……」

「それは?」

「ただの処世術……」

「処世術?」

「……でもあんたは、あんただけはほんとのあたしを知ってるんだからね」

「え? あ、ああ」

 スマートフォンが冷たい電子音を発する。彼女がカップうどんのふたを全部剥がしてから紅白のプラスチックのどんぶりを僕に差し出す。

「はい出来たあ、あたしの手料理よく味わって食べてねっ」

「手料理ってお湯入れただけじゃないか」

 彼女が僕のすねを蹴る。

「いてっ」

「愛情込めてお湯入れたんだからこれでも立派な手料理なのっ。それにここまで自転車で来るの大変だったんだからねっ」

「はいはい、そいつはどうもありがとうございます」

 僕は|汁《つゆ》を飲み麺をすすった。彼女も美味そうにおあげにかじりつく。

「うわあったまるー、やっぱきつねうどん最強だわ。腹にしみるー」

「よかった」

 カップうどんを静かに食べる僕を彼女はしばらくの間嬉しそうな顔で眺めていた。プラスチックのどんぶりから面を上げた僕は、ずっと以前から気になっていた事をつい口走ってしまう。

「なんで……」

「ん?」

「なんでお前みたいな出来のいいやつが僕みたいなただの野鳥オタクに付きまとうんだ? 野鳥のことだって何の興味もないのに」

 このいきなりの質問に彼女は意表を突かれたようだ。何か言いたげな顔になる。

「そっ、そりゃあんたが……」

「僕が……?」

「いやあんたほんと鈍いからだめだわ」

「鈍い」

「なんでもない。まあ一緒にいると楽しいからかな?」

「ふうん」

 楽しいからか。随分希薄な理由だな。でも、とふと思い返す。そう言えばそう言う僕だって……
 身体も温まった僕たちはごちそうさまを言うと、狭いブラインドから出て身体を伸ばす。陽は西に傾こうとしていた。
 僕たちは二人並んで湿原の|傍《かたわ》らに立つ。

「さ、じゃ僕も頑張ってお前と同じ大学目指すかな」

「えっ」

 驚いた顔をしたあいつに僕は笑いかけた。

「やっぱり僕もさ、お前といると楽しいし嬉しいんだ。だから」

 彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「うんっ!」

 彼女は肩から僕にぶつかってくる。僕は少しよろけた。
 人様の前では巧く化けても、僕の前ではやっぱり幼馴染のままだ。僕はこのキツネが少し、少しだけ可愛いと思った。
 僕たちは並んでいつまでも西日を浴びて立ち尽くしていた。

— 了 —

 0

trending_up 19

 2

 2

隣部屋の竹林

噂によれば隣の部屋には竹林があり
虎が湖月に吠えているらしいのです

つまりそこには湖もあり
なんとそこには昼がなく
夜のいきものたちがいて
魑魅魍魎とわんさかさか

月が次々、皮を脱ぎ、竹の子よりも姿を変えて
剥いでも、剥いでも、朝はやって来ないそうで
湖に移る月はもう多忙で、皺だらけで穴だらけ

魚を追いかけ、蟹を齧っている赤児がひとつ、ふたつ
七つを迎えられなかったから、まだ、神さまなんだよ
ぷかぷか、プクプク、泡を吐いて、笑うしかない

地蔵さまはまだ来ない
せめて和讚を歌おうか
賽の河原は何処だろう
魑魅魍魎も虎も歌えば

蓮華咲く、蓮華咲く、

ほろほろ
落ちゆく
種たちに
火が灯り
月の都へ
登りゆき
月安らぎ
 
火のように行くあてもない、虎はとぼとぼ竹林を
さまよい、屏風にいた頃を懐かしみ、吠えている

らしいのですが、 

襖を開け忍んでくるのは猫でして
虎でないのが不思議でたまらないのです
猫の抜けた毛を集め集め息を吹きかけ
虎をいっぴきつくりまして、襖の奥に

放ちます、猫がくわえていきました、襖の奥では
また噂が噂を呼んで次の噂が届くころ虎は月の都か
湖水を泳ぎ、そろそろと獲物をくわえてくるでしょう

しかし、襖を開けて帰ってくるのは
猫ばかり、翠石の虎の絵を囃し立て
ほら、出てこいと言えども言えども
出てくる訳もなく七十九日が過ぎるころ
噂の竹林は枯れました

 1200

trending_up 86

 7

 4

豚と賭博と おわり

前話
『 https://creative-writing-space.com/view/ProductLists/product.php?id=2213&user_id=160&mode=post 』



 日中、町の依頼所にあった害獣狩りの仕事をこなしつつ、旅に持って行く保存食を取ってきた。兎の肉と果物は燻製にして、数日持つように処理をしておく。これを面倒だと思うようでは旅人なんか出来ないだろう。

 依頼所とは、町の人や行政が金を払ってでも他者に頼みたい案件を一カ所に集め、管理・整理をしておく役所で、誰でも利用が可能だ。金がほしいときなんかや、腕を鈍らせない為のトレーニング目的によく利用する。力仕事や、やっかいな動物の駆除や場合によっては魔物狩りなんかが依頼されるので、俺のような体格の者は実に重宝がられる。

 今回はトレーニング目的での利用だ。いくら昨日大金をせしめたからと言って、それに胡座をかいているわけにも行かない。金なんかいつかは消えてしまうのだ。

「ご立派なことだな」

 そう講釈を垂れたら、左に座るフードの男が関心無さそうな反応を返してきた。
 昨日と同じ席で、昨日と同じメンバーが、やっぱり昨日と同じ『十七』を囲む。

「そういうあんたは日中何してんだ?」
「これに決まっちょろうよ」

 札をひらひらさせるじいさん。

「じいさんには聞いてない」
「俺か? ……俺はこれだ」

 こっちも札を指さした。

「古物商はここでやってるのか?」

 と聞けば、フード男はくつくつと笑う。

「じいさんに巻き上げられて、な。取り返すまで休業する」

 何してんだ、あんたら。

「本業で取り返そうと思うんじゃないのか、普通」
「売れると思うのか?」

 自分で言うなよ。床においてある三つの皮鞄が存在価値を見失ってるじゃねーか。

「おめーさんはセンスがありゅうかんな。どうや、わしん後次ぎゃなぁか?」
「断る。二枚だ」
「おめーさんはよ? 一枚」
「手当たり次第に声をかけるなよ。いくぞ? 拝見」

 みんなの札を見て、フード男が銀貨をかき集める。

「ふ、運は俺に回ってきているようだな」
「あほうか。運ちゅうんは流れうもんだった。運だけんじゃ勝てようないわ。勝負っちゅうんはイカサマの腕で決まりようよ」
「断言するなよ、ヒーロー」

 バカな話をしながら札を切っていると、ルネに耳を引っ張られた。

「ねぇ、あれ、いいの?」

 今日はずいぶんと静かだなと思っていたら、どうやら近くのテーブルの酔っぱらい達を見ていたらしい。
 女一人を、軽薄な遊びが好きそうな男二人が左右から挟み込んでいる。狙われている女性は髪が長く、表情は硬い。ここからでは横顔しか見られないが、まだ若そうだな。清楚な外見で、大人しそうな顔立ちが男達を調子づかせているのだろう。
 そういう性格なのか、抵抗することもできず、声を荒げる事も出来ず。じっとうつむいて、男達が諦めるのを待っている。
 あれじゃあ、いつまで経っても男達は帰らないだろう。そのうち力づくでと、なりかねない様子だ。
 酒場ではよく見る光景と言えばそうだが、見ていて気持ちのいいものではない。

「じいさん、ヒーローの出番じゃないのか?」

 自称ヒーローに尋ねてみる。

「ヒーローちゅうても週末んは休みぃじゃ。休みん時まで働くヒーローなぞおらん」
「昔、警備兵かなんかだったんだろ? 正義感とかそんなのはどうした?」
「馬鹿言っちゃいけんわ。兵士ってんは問題が起きちょうから、動くもんじゃい。そこんとこ勘違いしちゃあいけん」
「なら問題が起きたら動くんだな」
「……わしゃそろそろ寝ようかんな」

 全く頼りにならないヒーローだ。試しに、反対隣に目を向けてみる。

「金次第だ」

 現金主義の極みがいた。

「ミツバチィ、こんなかっこわるい男達じゃダメダメだよー。ここはかっこいいミツバチが助けてあげようよ。その方がきっとあの人も喜ぶよー」

 ルネの主観的予測は無視するとしても、鼻を付くきな臭い気配は無視できそうにない。自分で言うのも何だが、この感覚は当たりやすい。首を突っ込めば絶対に面倒事になる。
 とはいっても放置していくのも目覚めが悪いか。
 仕方ないと立ち上がりかけたところで、札でテーブルをトントンと叩く音。

「少し待て。時が動く」

 フード男の口元が、にやりと上がったのを見て、座り直した。
 しばらく様子を見る、と。
 問題のテーブル、更に一つ向こうのテーブルに座っていた女が、グラスをテーブルに叩きつけて立ち上がった。

「ちょっと、あんたらいい加減にしなよ!」

 声をかけられている女より、まだ若い女だ。十代だろう。
 ここいらでは見ることの無い魔法使いの格好をしていて、宝玉のついた杖を手にしている。そのくせ、戦士みたいな軽装が杖とのアンバランス感を出していた。

 「何だぁ? てめーは」
 「まだ胸も出てねー子供なんかに用はねーんだよ。お子さまはお家に帰る時間ですよー。くくく」

 品の無い笑い声を浴びせかけられた女が右手の杖を翳す前に、同席していた男が剣を抜いて立ち上がった。

「僕の彼女がなんだって?」

 こちらも若い。魔法使いと同じ位の年格好だ。
 簡素な鎧がまだ馴染んでいない。駆け出しの冒険者二人のパーティーか。勢いはいいが、何だか頼りなく見える。
 そもそも、年季の入った冒険者ならこの段階で得物は抜かない。こんなにごちゃごちゃした部屋の中で武器を振り回せると思うところが、まだまだ青い。
 それでも軽薄な男どもは、鋭い刃の煌めきにひるんだらしい。

「て、テメー、俺たちにそんなもん向けてただで済むと思ってんのか?」
「ただで済むかどうかはやってみないとわかんないだろ。でも、僕の方はただで済ます気はないから」

 剣を挟んでの睨み合いが始まった。
 周りのテーブルに座る連中も、固唾を飲んで見守っている。

「チッ。行くぞ」

 しばらくして、引いたのは男二人組の方だった。悪態をつきながら宿を出て行く。同時に観客から拍手と指笛が投げかけられるが、女魔法使いは何だか不服そうだ。

「気づいてたんなら見てないで助けてあげたらどうなの?」

 彼女の言葉に酔っぱらい達から笑い声が起こる。冗談を言ったつもりはないのだろう。彼女の眉が寄る。それでも一つため息をついたあとは、眉間のしわを逃がすように首を振り、言い寄られていた女に優しげに声をかける。

「大丈夫?」
「はい。本当にありがとうございました」
「気をつけた方がいいよ、ここの男達はろくでなしばかりみたいだから」

 眼光も鋭く、周りを見遣る女魔法使い。肩をすくめる酔っぱらい達。

「はい。本当に助かりました。あなた達がいらっしゃらなかったらどうなっていたか」
「あんまり一人で出歩かない方がいいと思う。この町は、何だか治安悪いみたいだし」
「はい、気をつけます」

 男の剣士が、静かに声をかけた。

「あなたは、ここに宿を取ってるの?」
「はい」
「もしかして、一人?」
「……はい」

 心細い表情を見せる女性。それを見た魔法使いが優しく肩に手を置いて身を寄せた。

「ねぇ、私の部屋に泊まる? ベッド二つあるし」
「え? そこまでしていただくわけには」
「気にしないでいいよ。旅は道連れってね。あ、でも部屋代は折半してくれると嬉しいな。私たちあんまりお金ないんだ」

 魔法使いの言葉に笑顔を見せる彼女。そして、二人の手を取りギュッと胸に抱いて言った。

「あの、ありがとうございます! もしよろしければ助けてもらったお礼がしたいです。大したことはできませんが、一緒にお部屋に来ていただけますか?」
「い、いいの? それなら、その、あ痛!」
「いいよ、いいよ。気にしないで? 当然のことしただけだし」

 引き寄せられた手に当たるふくよかな胸の感覚にしどろもどろになる剣士の足を踏んで、遠慮を見せる魔法使い。

「本当に嬉しかったんです。助けてもらったことが。どうか、お礼をさせて下さい。それに、まだ少し不安で・・・・・・」
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらおうかな?」
「うん。それがいいよ。うあ、痛い痛いって」
「くすくす。では早速。旅の途中で見つけたお土産があるのです。是非受け取って下さいな」

 女性に手を引かれて二階に上がっていく二人。
 じっと見ているのも失礼かと思ったが、結局最後まで見てしまった。
 鼻が未だにピクピクする。

「うむ、一件落着。なんちゃって」

 ルネが嬉しそうに俺の顔の前を飛び回る。
 対照的に“草を食わされた”時のような、渋い顔を浮かべる俺たち三人。

「おい、お前ら最初から気がついていただろ」

 じいさんはあらぬ方向に目を向けて、フード男は声もなく肩をそびやかした。

「じいさん、事が起きた。出番じゃないのか?」
「じゃあから、休みじゃって」
「え、何? どうしたの? ミツバチ」

 頭にはてなマークを浮かべるルネを見ながら、一つため息をつく。面倒だがしょうがない。

「行くのか?」
「目覚めが悪いだろ」
「そうか。ならばこれをやろう」

 フード男が、片手で包み込めるぐらいの小さい袋を懐から取り出した。

「なんだこりゃ?」
「黒胡椒と檸檬の皮、鷹の爪を煎って粉末にしたものだ。顔に掛ければ大の大人でも一撃で潰せる。お嬢ちゃんに持たせるといい」
「え? あたし?」
「相手の頭の上から振りかけるだけでいい。絶対に吸い込むなよ?」
「うん? うん。ねぇミツバチ、何が始まるの?」
「悪者退治だ」

 イスから立ち上がると、じいさんも立ち上がってテーブルとテーブルの間を開けてくれる。

「気いつけえよ? 恐らくきゃつらあ手練れん者だ。よかか? 危なっか思ったら、大声出すんだ。すぐぅに助けに行く。よかな?」

 横を通りざま、そう声をかけるじいさん。

「あいつらは助けないのか?」

 そう問いかけると、じいさんは大人しく椅子に座り直した。

「わしゃ、もう、知り合いしか助けんば。気に入っちょう奴しか助けんば。わしじゃて長生きしとうばよ」
「……なるほど」
 
 わからなくはない。
 多分、それが年を取るということなのだろう。
 まぁ、そうだな、まだ若い俺が行くのが道理ではある。この町ともあいつらとも無関係だけどな。

 ルネを背中に隠し、くつくつ笑うフード男の声を聞きながら階段を上る。宿泊部屋のある二階は不気味なほどシンと静まりかえっていた。
 女の部屋のドアに立ち、声をかける。
 トントントン。

「ちょっと、いいかい?」

 ぼそぼそと聞こえていた声が、ピタリと止んだ。反応はそれだけ。
 トントントン。
 再び叩いて、ようやくドアがほんの僅かに開いた。部屋の中から覗いた顔が、俺の顔を見て少しおびえる。

「あの、何かご用ですか?」

 色白の顔に、長い髪。伏し目がちな黒の瞳が、上目遣いで機嫌を探ってくる。お淑やかという言葉で型どりしたような女性だ。

「悪いな、ここにいる冒険者二人に用があって。ちょいと貸してもらえないか?」
「いま、その、先ほどのお礼で、おもてなしをしていますので。今はちょっと」

どんなおもてなしなんだか。

「急用だ。入るぜ」
「きゃっ」

 女性をドアごと押し退けて、中に入る。

 案の定、ご丁寧にもてなされていた。
 内開きのドアの陰に、隠れるように潜んでいた大男の一撃を、跳びすさってかわす。
 ドアノブに引っかけていた手が離れてドアがゆっくりと閉まっていく。俺はまんまと閉じこめられた。

「随分とまあ、心のこもったおもてなしだな」

 部屋の中にいたのは四人と二人。
 長い髪の女性と、彼女に声をかけていた軽薄そうな男。そして、ドア近くにいる角材を手にした大男。こいつは一階には姿が無かったな。
 部屋の隅でナイフを突きつけられて、うずくまる若い男と、下着姿でベッドに縛り付けられている若い女。彼女の横にもナイフを持った男が一人立つ。

 案の定、予想していたとおりの風景。どうゆう事かと言えば、最初からすべて仕組まれていた罠だったということだ。
 下で声を掛けられていた女性と、声を掛けていた軽薄そうな二人は仲間で、助けてくれた人をお礼と称して部屋に招く。そこで、先に逃げる振りをして部屋に入っていた二人組と喧嘩に強い大男が襲いかかり、引っ掛かってきた獲物を拘束。今は身ぐるみを剥いでいるところなのだろう。

「見られたからには、黙ってで返すわけにはいかないわ」

 お淑やかさが消えて、妖艶な笑みを浮かべる女性。こちらの顔が本性か。

「俺が大人しく帰るとでも?」
「強がらない事ね。この二人の命が惜しいのなら」

 さすがの俺でも、一人で同時に二人を助けることはできない。
 はぁ、とため息を吐いて両手を上げる。

「そうそう。物わかりのいい男って好きよ」

 一人で、ならな。

「そりゃどうも……ルネ、男の方だ」
「まっかせて~」

 景気のいい声と共に、背中から飛び出すルネ。
 ぴゅーんと若い男にナイフを突きつけている奴の元へと飛んでいく。

「な、何だぁ?」

 ぱっと見、危険かどうかすら判断の付かないフェアリーに、視線を持って行かれる男。ルネを追って顔を上げる。

「投~下~!」

 男の顔の上で紐をほどき、逆さまにした小袋を投下。
 上出来だ。 
 落ちてきた袋に、慌てて腕で弾く男。パフッと広がる赤い粉。

「ぎゃーーーーーーーー」

 男の悲鳴が部屋にとどまらず、宿中に響きわたった。

「このやろう」

 ドア近くの大男が角材を振り翳すが、そいつを無視してベッドの側に立つ男に突進を掛ける。
 男は人質にナイフを突き立てることができない。こうゆう連中は、男の人質を傷つけることにためらいはないが、女が相手だと傷を付けることをためらう。
 わざわざ縛り付けて、お膳立てしたものを傷物にはしたくないのだろう……が、命取りだ。
 俺の体当たりを正面から受けると壁に激突して伸びる。

 残りは、大男一人。
 女は形勢不利と見た瞬間に窓から逃走した。なかなか場慣れした奴だ。

「ミツバチー」

 飛んできたルネが、体の中に入り込む。

(よーし、後はでっかいのだけだね。ルネとミツバチの愛のパワーでコテンパンダにしてやるんだから)

 どんな白黒まだらにする気だ?
 大男が角材をポイと投げ捨てて、不敵に笑う。バキバキと指やら首やらを慣らしてから、くいくいと指で挑発を仕掛けてきた。
 ハッ、いい度胸だ。190エタ、150ファーの俺に力勝負とは。
 ブルルッと鼻を鳴らして、親指を下に向ける。俺の故郷での挑発だ。
 目感だが、大男の体格は200エタの100ファーちょっと。見た目に大差がないから勝負になる、と思ったのだろうな。

 三歩下がって距離をとる。俺が前傾姿勢になると、大男は両手を広げて半身の姿勢になった。
 立ち上がった熊を思わせる格好だ。なるほど。相手の攻撃を受け止めてから反撃するタイプなのだろう。確かに人間相手ならそれで何とかなるのだろうが。
 残念だった。
 俺はオーク《豚人間》だ。

「あんた、オークとやり合ったことは?」

 問う。

「ククク、無いな。豚とやり合ったことは」

 と、奴は答えた。

「そうか」

 そいつはご愁傷様。ブルルッと鼻を鳴らし、足で床を掘るまねをする。土の上で戦闘していたときの癖。
 ザッ、ザッ、と足を後ろに蹴り上げる。

 次第に呼吸が荒くなっていく。
 一つ、足を蹴り上げるごとに。
 一つ、気分が昂揚っていく。

(ミツバチの中すっごく熱くなってるよぅ。いいよ、すっごくいい感じだよ?)

 沸騰している頭の中心から聞こえるルネの声。
 目が血走っていくのが自分でもわかる。

「ブルルッ。覚えとけ。オークの突進を止めたければ、あんたを三人用意しろ。一人で止めるなど、笑わせる」

 思いっきり息を吸い込むと、体が一回り大きくなった気がする。もしかすると、本当に大きくなっているのかもしれない。
 なぜ? 見ろよ、相手が微かに引いただろ? 恐怖してるんだよ。

 ガチッと床に爪が引っかかる。足の力が逃げ場を失い、太ももに溜まっていく。
 睨みつける血走った目が、相手の逃げ道を殺す。 幻聴のように遠く、ルネの声が聞こえた。

(ミツバチ、いいよ? いっても)

 力が爆発した。

 右足、左足の加速。
 瞬間、相手の肉を打ち、浮かせて、飛ばしても、なお加速。止まれない両足と、停滞を嫌がる心が俺の闘争心を昇華させてくれる。
 部屋は狭い。数歩でひどい衝撃に襲われた。強制的に止められた体。
 音。
 その音がどんな音かは、もう記憶にない。
 壁と俺とに挟まれた大男が目の前に居た。
 ふっと力を抜くと、大男の体がずるずると下がっていく。そいつの足が地面についた瞬間、もう一度突き潰す。
 ドン。
 グエッと大男が鳴いた。
 伸びた。ゴムのように力なく崩れ落ちる大男に、引き絞った右の拳を

(ミツバチッ!! ダメ!)

 静止した世界に、そいつはゆっくりと沈んでいった。

「フッ、フー、ハァ……ハァ」

 ゆっくりと時間をかけて呼吸を戻していく。
 そういえば、忘れていた。こいつは人間だったな。オークが相手だと、これぐらいで勝負はつかない。転げ回りながらの殴り合いになる。

(えぐっ・・・・・・えぐっ・・・・・・ぐっ・・・・・・うー)

 静かになった部屋の中で、いや、頭の中からルネの泣き声が聞こえた。

「どうした? 怖かったか?」
(うー、かっこいいよぅ。ミツバチィ)

 泣く意味が分からん。
 首や肩を回して、熱を冷ましていると、ドアがノックされた。

「あのーお客さん? どうされましたか?」

 どうされたかじゃねーだろ。どうやら外で終わるのを待っていたらしい。
 ガチャリと音がしたので、入るな! と脅す。ひぃっと声がしてドアが閉まる。
 とりあえず、ベッドに縛られた女の紐と猿ぐつわを解いてやった。これ以上知らない男に肌を見せたくはないだろう。

 自由を取り戻すと、ぱっと毛布を引き寄せて体を隠し、涙を浮かべた目で、壁際へ下がっていく。とりあえず大丈夫そうか。
 次は男の方だ。近づいていくとビクリと体を震わせたのが見えた。

「別に取って喰いやしねーよ」

 男の手足の拘束を解く。

「動けるか?」

 女はともかく、男は無事でない事が多い。現に、顔に青あざができている。

「……はい。その、大丈夫です」

 腹を押さえてはいるが、動くのに問題はないらしい。女の元に行こうとするのを、襟首を掴んで引き戻す。

「あんたはこっちを手伝ってくれ。あっちはルネに任せる」

 そう言うと、ポンと俺の胸から飛び出すルネ。虹色の羽をぱたつかせ、女のところに飛んでゆく。
 青年と二人で協力して、伸びている男と大男を部屋から出した。残るは、床にうずくまって悶え続けているこいつ。

「目がー、目が痛えよう、目ぇ目ぇ目ぇぇー」
「メガ痛い? 随分おもしろいことを言うな、お前」
「ミツバチ、ちょっと鬼だよ? 助けてあげよ?」

 向こうからルネのツッコミが入ったので、花瓶の水を頭からかけてやり、部屋から叩き出す。
 これで全員。女とルネを残して部屋を出た。
 部屋の外でうろうろしている店のおやじに、男共を引き渡す。後は保安官の仕事だ。俺の出番はない。
 おっと、忘れていた。

「おい、赤目。お前らに賞金首はいるか?」

 目を腫らした男に聞いてみる。賞金首がいれば、保安官から報奨金を受け取れる訳だが。腫れた目に水が染みるようで唸りながらも答えてくれる。

「い、いや、いない。あ、親分、逃げた親分には120万ついてる」

 しまった。あの女か。確かにあの逃げ足なら、捕まえるのも容易ではなさそうだ。まぁ、そんな簡単に捕まったら、賞金なんてつかないか。
 顔を腫らした男の襟首を掴んで階段を下っていった。





 一階は閑散としていた。というより、俺の座っていたテーブル以外、人の姿がない。席に戻ると、詐欺師とじいさん、二人揃って楽しげに笑った。

「みんな、あんたが宿ごと壊すと思って逃げよったわ」

 じいさんがうそぶく。単に面倒事を嫌がってさっさと帰った、が正解だろう。

「ほんとじゃて。ほれ、見い、えろう揺れっかあ、こぼしてもうた」

 嘘つけよ。あんたは今でも揺れてるだろ。
 テーブルをおざなりに拭くじいさん。手つきがアルコール臭い。
 所在なげに突っ立っていた青年を、俺の向かいの椅子に座らせる。少し話をしておこうじゃないか。
 
「さっきは、ありがとうございました。助けていただかなければ、どうなっていたか」
「あんた名前は?」
「あんたん名あどうでもええわい。あんのべっぴんさん名あなんちゅう――」
「じいさん、黙っててくれ」

 酔っぱらいを黙らせて、向かいに会話を投げる。

「サイトって言います」
「本名みたいだな」
「それは、本名ですから」
「そうかい」

 旅をしている者はなぜか通り名を名乗る。それが人間のしきたりらしいと言うことで、俺もこの国には行ってからは通り名を付けた。
 先に断っておくが、ミツバチじゃないからな? あれは、ルネが勝手につけた名だ。
 旅人だからと言って本名を名乗るのが悪い訳じゃない。好きにすればいいと思う。

「随分と、若そうだな」
「えっと、今年で十六です」

 詐欺師の問いに、そう答えるサイト。俺が脇から口を挟んだ。

「違う。多分こいつの言っているのは、年ではなく旅の経験のことだ」

 フッと肯定する詐欺師。

「あ、旅はまだ初めて半月です。全然、初心者です」
「どおりで」

 ひよこどころか、まだ殻をかぶった鄙だ。

「アミに、彼女に誘われて。半分勢いで旅にでました」

 なるほどな。普通、旅の初心者は、慣れるまで経験者と一緒に行動する。いくら治安がいい国とはいえ、旅というのは危険が多い。動物にしても、天候にしても、人間にしても、だ。

「旅ん出て半月じゃあ、まだ戻れんよう? わしゃ色んな人見とんだげ、あんたぁ旅ん向かんねえ人じゃあ。故郷でだって、生活していけるんじゃろ?」
「……」
「あんたぁ、何のためぇ、旅しちょんだ?」
「アミも僕も世界を見てみたかったんです。僕たちの故郷は露洞村っていって何にもない村なんです」
「露洞? 確か山麓の、銅が採れる所だったと記憶している」

 詐欺師が博識を披露する。

「何十年も昔の話です。一時は大勢人が居たらしいのですけど、ほんの十年ほどで採掘場が枯渇してしまって、徐々に人がいなくなったそうです。今は、牛と畑ぐらいしかないです」

 ありがちな話だ。
 若い頃は変化のない生活を嫌う。
 毎日同じことをして、同じ人と会う。この国は季節の変化も乏しいから、見るものもたいして変化はない。今日咲いた花の話は、一年前もしたし、一年後もするのだろう。そんな毎日の繰り返し。
 この平穏を好ましいと言えるようになるには、もう四十年は必要だろう。

「十分じゃ」

 サイトのセリフに、じいさんがドンとジョッキを置いた。
   
「十分じゃいよ。若いんはすぐに街だあ都だあ言いよんが、そんげなとこ行ったて良いことなん何もなあ。代々守っちょう――」
「あーあー、じいさんわかったから説教なら後にしてくれ。若い内に見聞を広めることは良いことだろ?」

 宥めては見たが、まだぐちぐちと吐き続けている。
 このぐらいの年になると、逆に変化を恐れるのだろう。一歩分の変化を、死に一歩近づくのだと思ってしてしまうようだ。
 俺もいずれは旅をやめるのだろうか。
 それとも旅の最中に死と出会うのだろうか。
 死にそうな目にあったことは何度かあるが、まだ、こうして生きている。できれば旅の最中で死にたい、とは思う。足が歩くのを止めて、一カ所に留まったまま、死に神の影を恐れるような生き方は……できればしたくない。

「ええか? 街んなんかに出ても、飯は高うわ、人んは冷とうわ、良いことなげ。こん間だて道い歩いとうたら――」

 じいさんの昔話が起承転々し始めた辺りで、階段にルネと女姿を見せた。
 ルネが一足先に飛んできて、俺の肩に止まる。

「大丈夫か?」
「もう大丈夫だって。ありがとうって言われちゃった」

 なんだか照れてるルネに、よかったなと返事をしていると女がサイトの隣に立った。

「ありがとうございました」

 ペコリと礼をする。サイトがあわてて立ち上がり、同じように礼をする。
 側のテーブルから椅子を引っ張ってきて、女を自分の隣に座らせようとするじいさんの足をけっ飛ばし、二人を正面に座らせた。
 女はアミと名乗った。こちらも本名っぽいな。
 うつむき加減だが、声ははっきりしていて、サイトよりは頼もしい印象だ。

「その格好、また男を寄せるぞ」

 詐欺師が鋭い視線をアミの体に投げる。ふとももや二の腕が露出している服装は、魔法使いよりも戦士が好むような可動性重視のもの。
 先ほどの傷も癒えていないのだろう、詐欺師の視線から隠すように素肌を手で覆う。しかし、言葉は強気だ。

「でも、負けたくないんです。これで、マントとかを着てしまったら、あのやつらに負けてしまうような気がして」

 主義に口を挟む気はないが、考えが若い、いや、甘い気がする。まぁ、悪いとは言わないが。若い頃の自分を振り返ってみれば人のことは言えない。
 詐欺師もそう思ったのかどうか、そうか、と言ったきり視線を外した。

「あの連中は恐らく最初からあんたらを狙っていた。もっとも、誰が掛かっても、罠は成功するようになっている」

 詐欺師が十七の札をもてあそびながら、解説を始めた。

「男一人が掛かったら、女一人で部屋に誘い、眠り薬でも嗅がせる。男が起きたときには丸裸だ。これがもっとも楽な方法になる。
 今回は男女の二人。部屋に入った瞬間、隠れていた連中が獲物に襲いかかる。女を捕らえた時点で勝負は終わり。男の方は金品を巻き上げられたうえに、女を人質に強盗などをさせられる。うまくいっても、いかなくても女は戻ってこないだろう」

 詐欺師の手の中の札が念入りに切られていく。

「大勢が掛かった場合、その中の金を持っていそうな男に狙いを絞る。あとは一緒だ。助けた女が男共とグルだとは普通なら思わない。お礼をしたいと油断させたところを襲うのだから、掛かった時の成功率は高い」
「詳しいな」

 というより詳しすぎるだろ。

「俺の姉が似たようなことをしていた。すでに捕まっているがな」

 姉弟で詐欺師かよ。

  
「さっきん女ぁも、知り合いんじゃなか?」
「そう言えば120万の賞金首だそうだが?」

 さっき聞いた情報を口に乗せる。

「知り合いと言うほどは知らないがな。風色のイチハ。ベテランだ。120万ではあまりに安すぎる。表沙汰にはなっていないが、詐欺以外に暗殺もやる。相場を考えれば400万を切ることは無いだろう。あんたでなければ止めには行かせていない。素人には手に負えない奴だ」
「おい。俺は素人だ。そうゆう話は先に言えよ」
「あんたが暗殺ごときでどうにかなる玉か?」

 くつくつと詐欺師が笑う。切り終わったらしい札をテーブルの上に並べていった。一番上から一枚ずつ表に返していく。
 王様、王妃、王子、教皇。これに騎士団長が加われば「てっぺん」、幻と呼ばれる17役目が完成するが、最後の一枚は……酒樽。くつくつと自身を嘲笑う。

 じいさんが、山になった札を引っ張っていき、いい加減に切っていく。このじいさん札を持つと酔いが醒めるらしい。手つきはいい加減に見えるが酔った手つきではない。

「あんたぁら、これから、どこ行くんよう?」
「都まで行ってみたいと思ってます。最低でもそこまでは、行きたい。じゃなかったら、振り切ってきたお母さんとお父さんに笑われちゃう」
「笑うもんかい。今かん戻っちょうのが、一番の孝行じゃいが? それでも行くんかいな?」
「……はい。あ、サイトが戻りたいって言うなら少しは考えますけど」
「僕は――」

 と言い掛けたサイトのセリフをじいさんがぶった切った。

「男にぁ聞いちょらん。嬢ちゃんの意見ば聞きとうよ」
「私は、行きたい。どんな結果になっても、行かないで後悔するよりはいい」
「うぬ。よう言っちょうな。おい、おまえさん」

 じいさんがこっちを向いた。

「なんだ?」
「おまえさんも、都んに行く言うとったな」
「はぁ?」 

 言ってねーだろ。一言も。

「のう、お嬢ちゃんの」

 今度はルネに振った。全然似合わないアイコンタクト付きで。

「うん! ルネ達は都に行く! ミツバチもそう言ってたよ」

 おいコラ。

「ほれ。じゃったらあんたが一緒ん行っとったら良い」
「おいおい、何言ってやがる」

 徹底抗議しようとしたら、アミが勢いよく立ち上がった。そして、その勢いのまま、思いっきり頭を下げた。詐欺師が手癖の悪い手で、空いたジョッキを寄せなければ、額をぶつけかねない勢いだった。

「お願いします!」

 90度で背中を曲げる。そのまま上がってこない。

「ほらサイトも!」

 頭を下げたまま隣のサイトの袖を引く。

 「あ、うん。お願いし(ゴン)痛っ! お、お願いします」

 ぶつかったジョッキをよせて、頭を下げ直すサイト。こちらもそのまま上がってこない。

「待ってくれ。何だって俺がそんなことをしなくちゃならないんだ?」
「いいじゃん。行く宛のない旅だって言ってたじゃんミツバチ。仲間は多い方が楽しいよ」

 楽しくねーよ。

「運命を感じる。星の導きだ」

 詐欺師が星を語るな。

「ほれ、占ってやる」

 じいさんが札の山を差し出す。これ引いたら戻れねーんじゃねーのか? イカサマでは占いとは言わねーだろ。

「ほうな、ほうな。はん、その図体で逃げよるんか?」

 結局引いた。
 
「旅人?」

 札の流れから騎士団長が来るものだと思っていたが。
 じいさんに目を向けると、ほれ、と二枚目を催促される。
 二枚目、旅人。
 三枚目、旅人。
 これで、山札のすべての旅人が出そろった。

「やっぱり旅は多い方がいいんだよ。ルネも引いてみていい?」
 
 全て出切ったのだから、これ以上引いてどうすると思ったが、じいさんはうなずいた。
 四枚目、旅人。
 五枚目、旅人。
 六枚目、旅人。
 七枚目……。

「ほうら、おまいさんの旅は、多い方んがええんやよ。諦めんね、連れちょったらええ」

 あり得ない枚数の旅人を引いて、じいさんの占いは終わった。そして、じいさんのイカサマの種もわかった。
 フードの男が、じいさんの話を聞いて一つうなずいた。

「だから星の運命だと。それにこの二人だけで旅を続ければ、また同じようなことが起こるだろう。それは好ましくないんじゃないのか? あんた風に言えば目覚めが悪い、というやつだ」

 そう言いながら、山札の一番上の一枚を引っ張り、手札に並べてある酒樽の札の上に乗せた。
 表に返せば勇壮なる『騎士団長』が剣を捧げている。十七役目の完成だ。
 こいつらがどんな手品を使ったのかがわからない俺は、やっぱり賭け事は向いていないんだろう。

 はぁ。

「あーわかった、わかったよ。言っておくが、付いて来れなかった時はその場に置いてくからな」
「「ありがとうございます」」

 返事を聞いて、無邪気に喜ぶ二人。
 明日出発するぞ、といい残し、大斧を掴んで席を立つ。
 詐欺師のくつくつ笑う声を聞きながら、階段へ向かった。全く面倒事を引き受けてしまった。
 部屋に入ると斧を壁に立てかけて、ドサッとベッドに倒れ込む。ルネが羽音を立てて、頭の周りを飛んでいる。

「ルネ、優しいミツバチ好きだよ?」
「もう誰にも優しくしない」
「ルネ、優しくないミツバチも好き」

 あーそうかよ。

「なあ、ルネ。俺が最初に名乗ってた通り名を覚えてるか?」
「……あれ? 何だっけ?」
「絶対教えん」

 最初の通り名は『一匹』。大昔、人間たちはオークを『匹』で数えていたらしい。それを揶揄して一匹にした。もちろん仲間を作らないという意味もある。
 しかし、ルネがついてまわるようになってからは使えなくなった。一匹では無くなった。

「忘れたけど、絶対ミツバチの方が可愛いよ」

 俺は黙って眠りにおちた。






 おわり。



 

 0

trending_up 39

 3

 5

『あわいに咲くもの』 外伝 第十三話「夜天」

 かたかたかたかた

 リビングの小窓が風で鳴る。

 大叔父の建てたこの別荘、今はわたし、姪浜伊都の仕事の城は、窓枠等は当時のままだ。なので気密性はあまり良くはない。ただ夏は山腹の大きな木陰が強い日差しを遮ってくれるし、冬場は、年に数回は雪で白くなり、鉛色の雲が垂れ込む様な日もあるが基本的には温暖な方である。
 大叔父夫妻が残してくれた古いアラジンのブルーフレームもその火をつけた時の香りは好ましく、灯油の買い出しに難はあっても春先まで活躍してくれた。少しリフォームした時に一応エアコンも各所新しくしたけれど、気密性の事ではさほど困る事は無かった。
 昨年末に相続し、住み始めて春から夏を過ぎ、秋へと少しづつ向かい始めたこの週末、いつも通りにおとちゃん―糸島能古が夜遅くに帰ってきた。

 「お姉さま、ただいま。今日は風が強いですね。でも月はきれいですよ~」

 中高の一つ下の後輩で、大学の頃文筆の世界に入ったわたしを追いかけるように能古は出版社でアルバイトを始めた。大学時代もその後も暫くは仕事の関係で会うことはあっても、それだけだったが今年六月頃、ちょっとしたきっかけで、今のように毎週末をともに過ごす様になった。
 山腹の別荘とは言うが、麓の、二人が元々過ごしていた街中までは車で一時間もかからない。それでも山中の県道から簡易舗装の私道に入り、さらに少し走るとたどり着くこの別荘は、夜の暗さと星月の明るさを十分にわたしに教えてくれた。

 「ほんとにいい月」

 短く答えたあとふと思いつく。

 「ねえ、今晩は家の電灯をつけずに過ごして見ない?使って良いのは、そうね、この小さいランタンだけとか」

 「お姉さま、それLEDなんでは?」

 「まあそのくらいは多めに見て行きましょ」

 「お姉さま、能古はお風呂に入りたいのですけど」

 「じゃあ露天の方にお湯をはりましょう。せっかくの月夜だしね。何か飲むものとかあったかな」

「あの、お姉さまは既に入浴を済ませているのでは?」

 能古が何か疑問を呈しているが気にしない。

 この別荘の室内のお風呂は元々扉がついていて、外に出られる様になっていた。
 そこにデッキと簡易な囲いをつけ、浴槽とシャワー類を取り付け露天風呂としたそれは、程よい開放感をもたらしてくれる。もっとも誰の目も心配ないここは完全な開放感だってお手の物ではあるのだけれど、それはそれ、これはこれだ。

―――――――――

――糸島能古――

 お姉さまのクローゼットの一角から、わたしの寝間着を取り出すと、お風呂場の籠に積み重ね、そしていま着ている物は洗濯籠の方へ置いていく。

 ライトが小さいLEDランタンしかないのでかなり暗い。わたしがそれを持って外へと続く扉を開けると、つい先週のうだるような街なかの熱気とはまるで異なる秋の夜風が吹き込んできた。

 そして真っ暗な影を重ね揺れ動くブナやシデの林と、すぐそこに見える稜線の上に輝く月。強い風に煽られる湯面にはその光りが波打っている。

 わわわ

 いい感じね、まだそこまで寒く無いからここで体を洗ってもだいじょうぶそうね。

 とお姉さま。

 さほど大きくは無い浴槽なので先にお姉さまが浸かった上に半ば重なるようにわたしが浸かる。

 ふぅ 気持良い。 木々の葉が奏でるざわめきが湯気を飛ばしてゆく。

「じゃあちょっと洗っちゃいますね」

 夜風が程よく体を撫でてゆく。いつものソープ類でいつも通りに自身を洗ってゆく。違うのは小さなランタンと星月の瞬き。

 お姉さまも少し暑くなったのか、バスタブからは半身を揚げて、風を受け流している。

 シャワーで流す段になって、いつもは跳ねないように座っているのだけど、今日はこの暗い露天風呂で全身で月の光と、山の風と、そしてお湯のしぶきを同時に浴びよう、そう思い立ち上がってカランを捻る

 気持ちいい。

 仄かな灯りに照らされて、柔らかな泡は、文字どうり泡沫となって流れてゆく。時折強い風が吹くとシャワーの飛沫も合わせて飛び散ってゆく。 湯船から水の跳ねる音が聞こえ、そしてを姉さまの小さな、「きゃ」と言う声が葉のざわめきの間に流れていった。

 もう一度湯船に浸かる。目の前にお姉さまが縁に腰掛けて月を見上げている。なので、その、いくら小さなランタンだけで暗いとはいえ、お姉さまあのちょっといろいろとぎりぎりなので……

「綺麗ですねえ」

 口にでてしまった。 お姉さまのシルエットは一旦こっちをむいて、そのなだらかな曲線を月明かりに縁取られて、

「もう、おとちゃんったら」 と小さく呟いて。その小さな背中をわたしに重ねて来た。

 いつもは長い黒髪に隠れている首筋が、束ねて巻き上げたその髪のすぐ下に、わたしの目の前、かすかな灯りに浮かび上がる水滴を滴れせてゆく。

 梟なのか、時折「ほー、ほー」と聞こえる。わたしに背中を預けたお姉さまは目をつむっているのだろう、なにも言葉は発せず、静かにその音を身体で受けている。

 ぱきん、と乾いた音が聞こえた。山の音って言うやつかな。
 枝が一瞬揺れ、そして梟の声は闇に消えていった。

 おとちゃん、そろそろあがろうか?

 音が戻り、お姉さまが目の前で立ち上がる。

 少しの水の音と、ぱさりと髪が落ちる音。タオルを手にしたお姉さまは髪を挟むようにしばらく水気を吸わせている。

 じゃあ、お湯は抜きますね。

 そうお姉様に告げて排水のレバーを倒すと、こーっと小さな音を立て、その湯面に映る月と共に静かに消えていった。

 わたしもタオルを手に取り、小さなランタンの灯りを頼りに体を拭いてゆく。そして薄明かりの中、化粧水で整える。少し長湯だったせいか火照っている気がする。

 冷蔵庫に冷えてるよ。

 お姉様の声とともにタオルだけ身体に巻いてキッチンに向かう。冷蔵庫を開けた瞬間、少し目が眩んだ。暗闇に慣れた目を細めて炭酸水のペットボトルを2本取り出すとランタンを手に寝室に向かう。そしてそのままベッドに二人腰をかけた。

 ぷしゅと二つの音。
 ふぅっと二つの音。

 着替えをお風呂場の脱衣籠に置いてきてしまった。

 しばらくお姉様はわたしをみていたけどタオルを椅子にぱさりとかけると、そのままベッドにもすっと潜ってしまう。

 なのでわたしも同じようにする。
 ランタンのスイッチを切ると、カーテンの隙間から月明かりが差し込み、レースの影を床に落としているのに気づいた。


 明日の朝は、今日買ってきたベーコンで何を作ろうか、そう思いながら目を閉じる。


――おやすみなさい

 0

trending_up 101

 3

 2

散歩。

陽が昇り、生まれてきたのに
ひねくれて、老いてゆく
実につまらん天動説だ
太陽なんぞ いくらでものぼる
大地を蹴れば陽は昇る

 0

trending_up 65

 2

 12

ママチャリ

アスファルトに(雨が
読点を打つように(降ってきましたよ
温室効果ガスを吐かない
儚い 墓ない くりーんな乗り物ママチャリ
出るのはため息とあくび
出さないのは噯
いつもかしげている小首
に跨り
描くタイヤ痕に込める誇り
が夜を導く
たましいはサドルに宿る
踏み込むペダルがせがむ
バブルガムの如くふくらます
掴むハンドルのいます
威風堂々たるちりんちりんは
流暢に音を奏でてザイオンを目指す
すると、
街灯に照らされた(雨が
鋭くとがり輝いて
わあ、私(ママチャリ

 1000

trending_up 40

 3

 2

海の不在

 生首の断面からしたたりおち、乾いた路面の土を濡らす液体をビルは指で触れた、体液特有の粘度――これはついさっき首が落ちたと見るよりほかはない、だがビルの車にそれらしい痕跡はなかった、ただ大木にぶつかって大きくバンパーが凹んでいるだけ――このくすんだゴールドの中型車が絶望的に誰かの首と身体を切り離したとはどうも思えなかった。それにこの人の体はどこにも見つからないのだ――それにどうしてこの人の首からしたたりおちる液体には何の色もついていないのだろうか、ビルは体液を鼻に近づけた。
 海の匂いがする、ビルは言った。ゲッドが、本当? と手で触れようとするので俺は制止した、狂うぞ? そりゃそうだ、しかしビル、君はよくこんな山奥で海の匂いなんかを思い出すことができた――でも本当に海の匂いなんだ、実際に嗅いだらお前もそうとわかるはずだよ――俺は首を振った、確かにそう言われるとどうも海の匂いが恋しいような気がしてきたが、実際に嗅ぐのはとても気味の悪いことだ――ビルは上着を脱いでその首を包むと小脇に車に乗り込んだ。そして、ゆっくりと倒木を迂回し、再び国境への道を進み出した。
 ビルの言った通りだった。程なくして車内には磯の香りが充満しだした。俺はジャングルの真っ只中を激走する車の中で、これまで見つめた無数の海の、無数の波を、無数の砕け散る音を、静かに寄せては返す音を、数え、結びつけ、体の中に広がっている空間へ広げてフェードさせた。
 すっかり海の気持ちで俺は窓の外の世界を見つめていた、乾季の終わりのジャングルに雨が降り注ぐ瞬間を想像した、世界が均等に濡れた状態は海の中とどれほど異なっているのだろうか? たくさんの海を思い出してた。世界に海は一つしか存在していないのにもかかわらず。
 覚えていることはだいたい本当に古いことばっかりで――お互い海のそばに生まれたゲッドとビルは故郷の話をしていた、二人とも南部生まれで実際同じロットゥに乗っていたかもしれないくらい地元は近いらしい、南部行きのロットゥはエカマイのバスターミナルから出発するのか? と俺が聞くと二人はゲラゲラ笑った、車で行くわけがない、鉄道か飛行機で南まで行ってそこからたくさんある小さな町の一つ一つにロットゥが走っていくんだ――そこからまたロットゥを乗り継いで、あの辺は誰も知らない村がいっぱいあるのよ、ここはジャングルだけど、向こうも大層な田舎だから、と言った。
 ビルはタバコをミネラルウォーターのペットボトルに捨てた、俺は二センチのみ残された水の中に灰が混じっていくのを眺めていた、でこぼこ道だから中の水が元気に揺れて、灰も賑やかに踊っていたが、混ざることはなかった――強い風が吹いて木々が揺れ、赤土の表面で砂埃が舞っていた。俺はビルが生首をくるんだ上着に挟まっていた木の葉を手に取った、クチクラが踊るぷるっとした鮮やかな緑、ゲッドは海の話をする。
 祖母が死んで初めてその田舎に帰ったんだけど――ゲッドの母方の実家は南部トラン県で、俺の学部でもサファというそこの出のムスリムが一人いた、その辺はアンダマン海に面していて、それこそプーケットとかクラビとかリゾートの多いところの――水は深く澄んでいる、シャム湾と違って水深があるし周囲を陸に囲まれているわけじゃない、流入河川も少ない――でも、トランのあたりは遠浅で沿岸部はマングローブに覆われている、水は澄んでおらず、マングローブで海岸は覆われている――ゲッドは昔ボート・ツアーに参加したことがあるらしいけどその時は、迷路みたいに内陸に食い込む川のような無数の海を目にしたらしい――ちなみに観光ツアーで一攫千金を狙っていたその地元業者は次第にあれこれ何もうまくいかなくって結局彼女が南部を去る時にはもう潰れて借金まみれだったらしい――私のママは体が弱かったのよ、そもそも早死の家系で有名だったらしいし――パパはいっつもバンコクの空気が悪いせいでママが病気になったって言ってたけど、別にママはトランに戻っても治らなかった――呪われてんのかしら、言っちゃえば母の実家って村じゃ金持ちだったわけ、あそこに住んでたのは小学校に入る前――家は立派だけど、クルンテープのどこを探しても近いものは見つけられないってくらいの田舎、だって入江をボート飛ばして四十分、それで大きな道に出て、そっからバスで病院へ行ってたんだから、身寄りもいない都会で夜中まで働いてる夫を待ちながら暮らすよりはいいだろうってパパは思ったんだけど医療があんましな田舎だったの、馴染みの顔がいっぱいある田舎でのびのび、都会の人は田舎をそんなふうに思ってる――俺はゲッドの生い立ちを詳しく聞いたことがなかった、彼女はそんなに英語が上手な方じゃなかったからずっとカタコトみたいな英語で喋っていたし、昔のことを聞いても笑ってへらへらジュゴンの話をするばっかりだった――でも、出会って一ヶ月、彼女は俺みたいないろんな訛りの混じった英語をよく話すようになっていたし、ダッシュボードのペットボトルの中に入っている吸い殻からは茶色いやにが沁み出してきていた、三水に心って大袈裟なとろけ方だ、俺のクラスにもトラン生まれの奴がいるぜ、そいつはムスリムで、そこの人間はみんなタイ語じゃない言語、マラユ語とか言ってたかなそういう言葉を話すって言ってた――私にもムスリマの友達はたくさんいた、みんな学校へ行く前はヒジャブをつけてないわけ、でも学校に上がるぐらいでだんだんつけ始めるの――なんだか、それが私にとってはとても美しいことで――でも、私はマラユは理解できないし話せない、母も話せない、別にマレー系のムスリム家庭じゃなくて、タイ語だったから、でも――ビルが口を挟む、活きエビを学校の帰りによく食ってたんだよな、うまかった、故郷と言って最初に思い出すのは活きエビだ――私って友達がそんなに多い方じゃなかったから、学校帰りの思い出ってそんなにないかもな、ほんとにちっちゃな村よ、タラートなんていうものもなかった、みんなタラートに魚を持っていくために日々生きてて――でも活きエビは食べたことがある、スコータイ建築をみにフィールドトリップで、ねえフィールドトリップのさ、弁当美味しくない?――ノー、あんな冷めた弁当好きなやつなんかいないよ、ビルは二本目のタバコに火をつけた――発泡スチルのボックスに入った弁当、俺はベジだからさ、ぺしゃぺしゃの鶏肉とバジルを炒めたのと目玉焼き、それってハラルだよね、その鶏肉をどけて食うの、冷たい米がうまくてさ、あとパシャパシャのバジルも最高だった――いっつもフィールドトリップは楽しみなんだよね、目玉焼きもカチカチでラブリーだし――それって多分お前が肉を食わないからだよ、肉以外の全部は俺にとっておまけみたいなもんだしさ――てか、ねえビル、聞いて、イチロウはまだエキゾチックをやってるのよ、一年この国にいるんだか知らないけれどさ、あんたはまだエキゾチックをやってる――最近お化けが怖いって誇らしげに言って、タイ人の仲間入りだ! みたいに威勢よく、でもまずいものを面白がることくらいエキゾチックってないと思うわけ、あんたはまだエキゾチックをやってる、あんたはまだ活きエビに醤油をかけて食べたことがない――それで、ゲッドはさ、何歳までトランにいたんだよ?――中等に上がる頃にバンコクに戻ったのね、でももうとっくにママは死んでた、ママが死んだのは十歳の頃だったから――ねえ、お前の母親って津波で死んだの? ビルが聞いた、津波って?――ほら、スマトラ沖地震の頃、ちょうどそのくらいだろう? ――ううん、ママは病気のおもちゃばこだったわけ、津波なんかくる前に死んでた、肺病で実家に帰ったのにさ、死んだのは腎臓がん、そんときはソンクラー県の病院に入院してた、退院した後も月に二回くらいは長いこと車に乗って通院してて、私ママと一緒に病院に行くのが好きだった――学校を休めるの、あの頃はもうお兄さんも大学で村を出てたから、私はママに甘え放題で――年上のビルを前に明るく話すゲッドは俺と一緒にいる時と違って子供みたいだった、俺の前はいくら言葉が下手になっても強い人のような顔をしているのに、今はママに甘えた話、病院でさ、検査が終わったら下の食堂で好きなものを食べさせてくれた、ばあちゃんがくれたお金が余ってるからって、ジュースも注文してね、その後スニッカーズのチョコレートを二本買って、それからバンに乗ってトランまで帰るの、帰ったらもう夜中十一時とか、すごいの、まるで私とママは別の、二人だけの世界に行ってきたみたいな気分、どうにかして村に帰ってきたみたいな、市街からボートに乗って村に向かう途中全くの暗闇の中を進むの、真っ暗も真っ暗、星が本当に綺麗、この森林の中で見る空より眩しい星々、きっとここはまだバンコクのヘイズで霞むでしょう星も、でも村に帰る道の空は本当に御伽話みたいに綺麗で、私はあの暗闇が世界と世界の繋ぎ目だと思っていたの、しばらくするとマングローブの影の隙間から私たちの村の明かりが見えてくる、電気もほとんどないような村よ、電気なんか本当に少ししかないの、それでもね、あたたかい気持ちになるの、潮風は人を含んでいて、それで、ママの家は金持ちだったから遠くから見て一番明るいわけね、私たちは本当に勇敢で、どうにかこうにかして冒険を終えてこの世界に帰ってきた、そんな誇らしい気分だった――ママのお墓は津波で流れた、死んだのは春だったもんな、葬式にはパパもきた――その時にもうクルンテープに戻るか? って、パパに聞かれたけど、私もうクルンテープがどんな場所だったかも、パパがどんな人だったかも、ほとんど覚えてなかったし、ママが好きだったから、いやだって言って、それでトランにいたの、津波が来た時は、ねえ、変なことがあったの――何?――お告げがあったの、私たちみんな村のそばの丘の上にいたの、石のブッダの洞窟がある上のヤシの木の下に百人くらいの村人がみんなでいて、津波が来るのを眺めてたの、朝だったじゃない? だから漁から帰ってきたばかりだった人たちが何人も亡くなったけれど、他はほとんど無事だったの、私たちはじっと、村が水に飲みこわれて、その水の中からぐちゃぐちゃのものが出てくるのをじっと眺めていた、そう――お墓のところにも水が増えていって、流れ去った後には何も残らなかった。
 じゃあお母さんのものは何も残ってないの?
 ううん、彼女は首飾りを外してみせた――金の車輪のチャームがついてるネックレス、鎖の後ろ側にはロケットが付いていた、そこを開けると干からびたそら豆みたいなのが入っていて、彼女はそれを誇らしげにみせた――なんだよそれ?、これママの摘出した腎臓で、手術が成功した時に記念にもらったの、つまり癌ってことね、結局間に合わなくて死んだんだけど、まあでも、これを持っているのは強いでしょ、いない人の体の一部を、今までの人生で私のことを一番愛した人の体の一部を、私はいつも肌にくっつけて、生きている、それってとても強いことだと思っていて――俺から見ればそんなのただの乾物でしかも病気の乾物、でも彼女にとっては――Anyways、悲しかっただろう、俺も小さい頃に父親を失ったから、とビルは遠い顔をした――それは悲しみというよりも安心感に近いような顔で、いまだに鬱屈としているという感じではない、煙草に火をつけた、三本目、俺の両親は元気だし離婚もしないし、ちょっと気まずい時もあるかもしれないけれどきっと普通の家族で良い方、家族がらみで惨めな顔をする瞬間はなかったし、驚くほど貧乏ってことでもない、つまり話すようなことなんか何もないし、でもヘラヘラ話を聞き出そうとするのも悪い気がして黙るしかないし、そう、地震だって津波だって俺には経験のないことで、二人のけろっと話す惨劇に俺はどんな気持ちを持ち出していいかわからなかった――ビルは津波が来た時何をしていたの――覚えていないんだ、学校にいて、帰ったら村はめちゃくちゃになっていたんだ、おばあちゃんとおじいちゃんが死んだ、でも覚えていないんだ、お葬式だってみんなと一緒にやったし、それどころじゃなかったんだ。
 人生って苦しみと悲しみの連続だと思う? 俺が出し抜けにそう尋ねると二人はほとんど同時に首を振った――でも、世界は、とゲッドが言った。でも、私たちが生きているこの世界は苦しみと悲しみの連続で――でも私自身は別に苦しくも悲しくもないな、彼女はそう言った――それじゃまるで君は世界の中にいないみたいじゃないか。

 1298

trending_up 34

 1

 0

翡翠の瞳のラベーリア 【短編Ⅰ:山間の町・マウテへ】 Ⅴ:診療開始 (仮)


 懺悔室前の廊下には、患者の待合のための椅子が列で整えられており、更に部屋の中に入ると、中の調度品や家具の配置が、昨日のそれよりも更に整えられ、診察や面談に可能な限り配慮したものへと変わっていた。

「さてと」

 ラベーリアは、自分が座る場所へと素早く移動すると、持ってきた鞄を椅子の足元へと置き、中から調剤した薬を収めた箱と用具箱、“カルテ”代わりの冊子と筆記用具を取り出して、机上に並べていく。
 更に、用具箱の中から香を焚くための道具と丸薬を取り出すと、所定の位置にそれを配置したうえで。

「『Ffllit baubo』」

 法術の「火を呼ぶ言葉」を用いて、用具内の薬皿に置いた数粒の丸薬に火をつけた。すると、すぐに一筋の煙がすうっと立ち昇り始め、部屋の中の空気の流れに乗っていく。そうして、その煙は部屋中に拡散されていった。
 彼女はそれを見て、頷く。

(空気清浄も、これで良し)

 その後に椅子に腰かけ、一つ息をついた。
 現場での用意としては、それで終わりだった。あとはマルセロ神父達が、町長や、町の住民たちへの案内を終えて戻ってくるのを待つだけである。

 すると。扉がノックされ。

「お早う御座います、ラベーリアさん。ミシェラです」

 修道女のミシェラが訪問してきた。

「入って大丈夫ですよー」

 すぐに許可を出し、入ってもらう。彼女は、お茶のカップとティーポットを載せたトレーと共に入室して、ラベーリアにお茶を提供した。

「有難う御座います。そう言えば、マルセロ神父は……」
「そうですねぇ……。お祈りの時間の直前に出られましたから、町長への報告も含めると、戻られるまでは、もう少し掛かるでしょうか。一応、診察開始の時間はお昼前くらいになるかと思います」
「分かりました。その間は、このお茶を楽しませてもらいます」
「ええ。今朝は水の質も良くて良い感じに淹れられたので、いつも以上に美味しく出来ているかと」
「それは楽しみですね。では、有難く……」
「カップは、折を見て回収しますので、飲み終わったら横の卓上にでも置いといてください。それでは私はこれで。神父様が戻られたら、また来ますね」

 そう言うと、ミシェラは部屋から退出。再び一人になった。遠くで聞こえる生活音や祈りの声を聞きつつ、静かな時を過ごしていく。
 結局、マルセロ神父が戻ってきたのは、それから二十分ぐらい後だった。

 その後、診察時の最終的な打ち合せや、患者達の誘導の仕方、町長からの伝言など、必要な事項について話し合いを行っていると、あっと言う間に診察開始予定の時間がやってきた。
 とは言え、何か特別なことがあるわけでもなく。最初の動線への誘導さえ終われば、あとは普通に診察が始まり、何も慌てるようなことは起こらない。

 一人目、酪農作業に従事する三十代半ばの男性。症状は関節痛と筋肉痛。診察の結果、直接的な負傷による痛みではなく肉体疲労の蓄積に由来する炎症であったため、法術の修復術が効かなかったようだ。問診の末、根の深い疲労の回復に役立つ薬と、疲労の蓄積を予防する薬を処方。
 二人目、同じく酪農作業に従事する二十代半ばの男性。症状は虚弱体質。診察の結果、労働環境の変化で慣れない作業が続いたことによる肉体への過負荷が原因だと判明。問診の末、慢性疲労の回復に役立つ薬と、本人の希望により精力剤を処方。
 三人目、役場に勤める二十代前半の女性。症状は目のかすみと、たまにぶり返す頭痛。診察と問診の結果、食事内容の偏りによる体質の改善が必要と判明。栄養補給のための薬と、応急処置に使える鎮痛効果のある薬を処方。
 等々、多様な患者が訪れ、そして──。

「次の方、どうぞー」
「失礼しますよ。って、おやまあ、旅人さん?」
「ああ、貴方は確か、朝の礼拝の時の……」
「来て下さった薬師さんってのは、旅人さんだったんですな。よっこいしょっと、あいたた……」

 次に部屋に入ってきたのは、朝の礼拝の時に出会った老人だった。彼は、痛みを庇うようなぎこちない動きで椅子に腰かけると、ラベーリアに向き直った。

「お名前を伺っても?」
「私はザルガと言います。どうぞ宜しく」
「宜しくお願いします。それで、その腰の痛みは、先週からでしたね?」
「うむ……。前に同じようになった時は何とかなったんだけど、今回はどうにも上手く行かなくてねぇ……」
「その時は、どのように?」
「いたた……、家に伝わってる手作りの塗り薬を使って、ええ。それを塗って後は放っておけば治ったんですがね」
「ふむふむ。その塗り薬とは?」
「そこの鞄に入れてきたんですが、ね……。青い線の入った陶器の入れ物なんですが、あいたた……!」
「ああ、私が取りますから! 無理をなさらず!」

 そう言って急ぎ立ち上がったラベーリアは、老人ザルガの持ち込んだ小さな鞄から、軟膏の入った陶器の入れ物を取り出す。

「これですね?」
「ええ、それです。中に塗り薬が入っておりますでな」
「なるほど」

 確認が取れたので、ラベーリアは再び自分の席に戻る。
 そして陶器の蓋を開けると、中には、乳白色に緑色やオレンジ色が混ざった、複数の薬草の匂いを漂わせるクリーム状の軟膏薬が入っているのが分かる。

「この匂いは、痛み止めに使われる薬草のものですね。あとは、かぶれを防ぐ効能を持つ薬草の匂いもします。確かに、これならば効果がありそうです」
「なぜ、突然に効かなくなったのか……。薬師さんなら、分かるかもと……」
「うーん……」

 ザルガの問いかけに、ラベーリアは薬の観察を始める。

(見た目だけなら特に問題は無さそうに見える。薬液の表面も滑らかだし、色見にも異常らしい異常は見当たらない。だけど、あの鎮痛効果のある薬草を混ぜている割には、あの独特な、鼻を突くような匂いが弱いな……)

 彼女は、薬を隈なく観察し、自分の薬学の知識から分かる様々な要素についての考察を行っていく。

(とすると、この場合で考えられるのは……)

 そして、一つの可能性に行きついて、観察をやめた。

「ザルガさん。この薬は手作りと仰ってましたが、作ってからどのくらい経ったか、覚えていますか?」
「作ってから?」

 考え込むザルガ。しかし、すぐに首を横に振った。

「はて? どのくらい経ったやら……」
「分からない、という事ですか?」
「すみませんな。考えたこともなかったもので……」
「なるほど」
「もしかして、そこに何か関係が!?」
「ええ。それで幾つか確認したいことがあるので、これから行う三つの質問に、分かる限りで答えてもらえますか?」
「は、はあ、分かりました」
「まず一つ目。前は何とかなったと仰いましたが、薬はどのくらいの間隔で使ってましたか?」
「えーっと……。二周日に一回くらい、ですな。ここ最近は一周日に一、二回くらいになってましたが」
「分かりました。では二つ目。薬の効き目は、使うたびに悪くなっていましたか?」
「えっ!? あ、思い返してみれば確かに……!」
「有難う御座います。では最後です。この薬の匂いは、作りたてもこのような匂いなんですか?」
「……うーん、どうだろうねぇ。初めよりは薄くなったようなそうでもないような?」
「有難う御座います。質問は以上です。原因も分かりました。劣化です」
「劣化?」
「ええ。薬は、時間が経つことにより、混ぜあわせた薬の有効な成分が劣化、つまり効能が弱くなったり、効能が無くなったりすることがあるんです。使う回数が増えたのも、そこに関係があるように思います」
「じゃ、じゃあ、その薬はもう?」
「はい。使うにも、新しく作り直した方がいいと思います。場合によっては害になることもありますから……」
「そう、ですか」
「なので、今から私が処方する薬を使って症状を治めつつ、この塗り薬を作り直すことを強く、強ーくお勧めしておきます」
「……分かりました。そうします」
「では、今日は三回分の薬をお渡しします。効能自体はこの塗り薬と似たようなものですが、布に塗って痛いところに貼ることによって、強い効果を長く発揮させることが出来ます。ですので、その薬が効いている内に、この塗り薬を新調してください」

 そう言いながらラベーリアは、軟膏薬の入った陶器の入れ物をザルガの鞄の中に返却し、ついでに、自分が調剤した塗り薬とその使い方を書いた紙切れを彼に持たせた。

「今回の診察は以上になりますが、何か質問はありますか?」
「いや、大丈夫だよ」
「分かりました。では、お大事になさってくださいね」
「有難うねぇ。また宜しく」

 そう言うとザルガは、やはりぎこちなく部屋から退出していった。

 そこからも複数人の診察が行われ、この日は、最終的に十人の診療が行われたのだった。

 0

trending_up 67

 3

 5

田伏正雄の成分

サプリメントを選んでいる妙齢の女性の
横を通り過ぎる。
ここのところ、
目が乾燥して仕方ないので、
仕事帰りに
目薬を求めてドラッグストアにきたのだ。

「ヨッコラショーイチ」

田伏正雄は、振り向く。
確かにそう聞こえたからだ。
ちょっと笑ってしまう。

先ほど、サプリメントを選んでいた女性が、
中腰の姿勢で、こちらを見ていて
バチリっと、視線と視線がぶつかり合う。
「あ、ああ、、」
聞こえてしまいましたか?と口にしなくても
赤面しているその様が、すべてを明白にしている。
「た、た、たぶっちゃん?!!」
女性が大きな声で、こちらを指さす。
「えええ、えー!えっ!
えっちゃーーーん!!」
そう、なんと、小学生のときの同級生だったのである。1年1組 苗字は忘れた。
「えっちゃん」だった。
その手には、「鉄分」と「マルチビタミン」ふたつのサプリメントがしっかりと握られていた。

「ふふふ」
「お互いに歳を取ったねぇ、えっちゃん。」
「あの頃から、何年って指折り数えるの馬鹿らしいわ。指が足りないもの。」
「もはや、両手両足でも、たりな、、」
えっちゃんがバシっと、背中を叩き、
「それ以上言わないでよー、わたしはちっとも、変わらないんだからぁ。
まぁ、、さ、出番は減ったかなあ、、
時代が時代だからさあ」
目薬は買わず、えっちゃんがサプリメントを購入するのを待ち、「なんとなく」一緒に、店を出た。
「たぶっちゃんはさぁ、わたしのこと、
たぶん好きだったよねぇ」
えっちゃんが好きだった、、のだろうか。
初恋は忘れられないというが、
もう、何十年も前、「一昔、二昔」くらい前だからなのかえっちゃんについて思い出せるのは、
えっちゃんという名前くらいだった。
「何回も、何回も、よんでくれたよねえ。
大きな声でさ、、えっちゃーんってさ、
恥ずかしがりやだからさ、みんなの前で
大きな声出すは苦手だったよねぇ。
見かけに似合わずさ、緊張で大きな身体震わせてたよね、なつかしい」
ふーむ。えっちゃんは、どうしてだか、しっかりと、小学1年生の田伏正雄を記憶しているようだ。
「うーん、たぶっちゃん。その顔はまだ思い出せていないんだよね、そりゃそーか!」
えっちゃんは、ガハガハ笑う。
2人は、いつの間にか、海の近くの公園まで
ふらふら歩いてきてしまっていたらしい。
何気なく、ベンチにすわる。
「ふふふ、わたしは、田伏正雄をしっている。
田伏正雄の成分の中に、わたしはいるよ。
小学1年生、小学生になって初めて手にしたこくごの教科書!1番最初に出会った女の子は、わたし。えっちゃん!田伏正雄の初めての女の子!」

えっちゃんが叫んだとき、
ばちぃんとナニかが弾けた音がしたあと、
田伏正雄は、後ろにひっくり返った。
えっちゃんは、消えた。
田伏正雄の手に
鉄分、マルチビタミンのサプリメントを
残して。
あれは、なんだったのか、
夢だったのか、10月31日。
ハロウィンの。

田伏正雄は考える。そうそう、あれは、「文学」との初めての出会いで、主人公だった「えっちゃん」は、確か、、記憶が正しければ、シロクマや、いろんな動物と協力しながら、「おいしいサラダ」を作っていたはずで、、、なくてはならぬ田伏正雄の成分だ。田伏正雄は、今、もう一度、えっちゃんに会えないか、、と考えている。
だって妙齢のえっちゃんは、きっと、
「イライラ」していて、「吹き出物」や、「慢性的な疲れ」に悩んでいるに違いないから。
それに、近年の、「クマ騒動」にも、胸を痛めているに違いないから。

田伏正雄、えっちゃんに伝えたいことだらけだ。
最近、とある界隈で、プチバズしてること。
田伏正雄文学が広まりつつあること、
「おーーい、えっちゃーーーん」

たまらず海に叫ぶのであった。

 150

trending_up 66

 4

 8

翡翠の瞳のラベーリア 【短編Ⅰ:山間の町 マウテへ】 Ⅰ:向かう道中のこと (仮)

 こことは違う場所の、古の時代。今見えている世界の全ては神々と精霊たちによって運行され、全ての生命が、彼らのもたらす恩恵と大いなる破壊の繰り返しの中で生きていると、固く信仰されていた頃。
 そのような超常の者の支配下にあるとされる世界の人々には、しかし、相応に活力があり、明日へと歩こうとする生命力に満ちていていた。
 さらに世界には、彼ら超常の者の力を借り受けたり、彼らの言語を模した呪文を口にすることでそれに近しいことが出来る技、通称「法術」が存在しており、その修得者達が、建築、医療、交通などの多方面の分野にて力を発揮していた。

 これから語る一人の若い女性も、その貴重な使い手であり専門家でもあるのだが。

「クスブリソウと、キマワシソウと、ミタシギの実と……。うん。質も良いから、これだけあれば十分かしらね」

 彼女は、薬草売りらしき商人の男から何やら様々な種類の薬草を購入しており、それぞれを鞄の専用のポケットへと収納している。
 それらを一つずつ確認していった彼女は、目の前の薬草売りに向けてにっこりと笑みを向けた。その特徴的な、透き通るような翡翠色の瞳が、外の光を光源として煌めく。

「いつも良い品を有難う御座います。これ、お代です」
「銀貨が十枚。はい、確かに頂戴しました。いや何の何の。毎度毎度多くの商品を買ってくださる上客のためならば、いくらでも。またのお越しをお待ちしています。ラベーリアさん」
「ええ。またそのうちに」

 互いに礼を交すと、ラベーリアと呼ばれた若い女性は外へと向かい、いずこかへと歩き始めた。しばらく行き先を見ていると、他の建物よりも広大な敷地と建物を持つ場所へと向かっているようだった。
 その建物の周囲を見ると、二頭立ての馬車や、ワシの頭と翼に獅子の身体を持つ魔獣グリフォンなどが幾つも留まっており、それらの近くには御者や騎手らしき人がついている。それらを見るに、そこはどうやら馬車などの停まる停留所らしかった。その証拠に建物への人の出入りが多く、いずれもが旅人や行商人のような、移動の足を必要とする者たちばかりである。

 ラベーリアは、それら人混みを器用に避けつつ建物の方へと近付いていく。中からは何人もの人が話し合う声が聞こえている。
 そのまま彼女は中に入ると、真っ直ぐに「利用者窓口」の表札が掛かっている場所へと向かった。

「こんにちは。利用者の順番待ち登録、大丈夫ですか?」

 そして窓口を預かっている女性の事務員へと声を掛けて、用件を伝える。彼女は挨拶を返すと、すぐに手元にある冊子を開いて、そこに書かれている文字列を素早く確認していく。
 それからすぐに頷くと、彼女は窓口担当として相応しい微笑みをラベーリアに向けた。

「はい、大丈夫ですよ。ただ入れ替わりの時間がありますので、出発は一周時後になりますが……」
「お願いします」
「分かりました。では、こちらにお名前と、行き先の記入をお願いしますね」

 そう言って事務員から差し出された冊子と筆で、ラベーリアは自分の名前と行き先を記入、しかる後に返却する。

「はい、確かに承りました。では、一周時の十刻前には、こちらにお越しくださいね」
「了解です」

 そうして事務手続きを終えたラベーリアは、荷物と共に近くのベンチへと向かって腰かけ、鞄から小さな冊子を取り出して広げる。

「……さて」

 そのままパラパラとめくっていき、とあるページで止める。
 そこには、何者かの名前と共に病名が書かれており、更には薬品らしき物の名前とその処方の内容までもが併記されている。
 いわゆる“カルテ”と呼ばれる代物だった。

(皆さん、お元気にされているでしょうか)

 冊子に書かれている内容に目を通しながら、ラベーリアはそのようなことを考えているのだった。

 それから、やり残した事などないように確認を済ませた後で、窓口で言われたとおりに一周時ほどを待った後。

 輸送の予約していた馬車に乗ったラベーリアは、目的地として定めていた山間の町を目指して移動していた。
 その道中には、旅慣れていなければ思わず通行を躊躇ってしまうような深い森があり、人伝に聞く噂によれば、その森は精霊の影響が濃いゆえに深くなったらしく、そう言った場所を好む存在をよく見かける危険な場所だそうだった。だが噂とは裏腹に、彼女の旅路は、そのような場所を通過しているとは思えないくらいに穏やかなもので、いっそ長閑とさえ言えるほどだった。
 それらの事実が、彼女の乗っている馬車を扱う御者が優れた技量と危機回避の直感を併せ持っていることを彼女に伝えてくれていた。

(ここまで穏やかなら、私が戦いに出る必要もなさそうだし、今のうちに必要になることが分かってる薬を仕分けておこうか。幸い、時間はたっぷりあるし)

 車内から外の様子を観察していた彼女は、他の乗客が居ないことを利用し、鞄の中の荷物を取り出して整頓を始める。
 特に雑音もなく静かに取り出されたものが、ちょっとした小物置き用として備え付けられているらしい卓上に並べられていく。
 丸薬が収められた頑丈な小瓶が十数種類。薬を包む際に使う薬包紙の束。患者の情報が収められた小冊子など。いずれも商売道具の数々である。

(取り敢えず、依頼書で分かっている範囲だと、滋養の薬。鼻の病を抑える薬。お腹のむかつきを抑える薬。眠り薬。咳を止める薬……)

 彼女は小冊子を開いてペラペラとページをめくり、必要な情報を拾いつつ小瓶の配置を揃えて、鞄の取り出しやすい位置へと戻していく。もちろん、丸薬を包む薬包紙も、それぞれの小瓶の横に必要と解っている分を束から仕分けて差し込んでいく。
 そのような作業を繰り返すこと数回ほど。さして問題もなく、滞りなく全ての仕分けが終わった。もちろん使わなかったものも、元の位置へきっちりと仕舞い込む。

(こんなところかな。よし、あとは現地入りしてからだ。別件が出てくる可能性もあるし、そう言うことも考えておかないと)

 ラベーリアは、椅子へと身体を預けて一息つきながら窓の外へと目を向ける。
 すると、陽の光に由来する光源が、わずかながら車内に射しこんできているのが分かる。どうやら彼女が作業をしている内に、森の深さが幾分か解消されたようであった。抜けるにはまだ時間が掛かりそうな様子ではあったが、少なくとも大きな危険は無いように思われた。

「さて……」

 それを半ば確信したラベーリアは、一つ頷くと、鞄の横に付けていた柔らかそうな布の塊を取ってから、荷物を端に寄せて、簡易的な物理的な固定を施していく。

「FH khotbon rakh zuhde……」

 更に彼女は、早口で何事かの言語を唱えながら、鞄を指先でなぞっていく。すると、鞄全体に薄く淡い光が広がって、すぐに消えた。それは法術による防犯用の呪文だった。
 そうして。

「……よし」

 そのまま布の塊を枕のようにして、何処からともなく取り出した一冊の本を手に、読書を開始するのだった。

 それから、しばらくした後のこと。
 幸せな読書を終えたラベーリアは、その後に軽く仮眠を取っていた。眠りは浅いようで、少し身じろぎしている。
 すると、御者席の小窓が開く音が聴こえた。

「お客さん、お待たせしました。そろそろ着きますので、降りる準備をお願いします!」
「んえ……? ああ、はい。分っかりましたー」

 次いで聞こえた御者の声を聴き、眠りから覚めたラベーリアが応える。
 彼女は仮眠で縮んだ身体を大きく伸ばすと、肩を回したり足を動かしたり、軽くストレッチしていく。

「うーんっ! よしっ! 起きた!」

 そして最後に、自分の身体に言い聞かせるように声を上げると、窓の外へと目を向けた。森は既に抜けており、疎らな木々と、広大な土地とが広がっている事が分かる。
 そして、少し離れたところに、山間に特有の勾配のある地形を上手く生かして築かれた、石造りの家並みが見えた。加えて、それらの付近には無数の牛たちが放牧されている様子も見えており、山地で酪農を営んでいるらしいことが伺えた。

「長閑で良い風景だなぁ。あの町。今回も楽しみだ」

 見えてきたその風景に、ラベーリアが微笑む。
 こうして彼女は、山間の町「マウテ」に到着したのだった。

 0

trending_up 133

 2

 5

翡翠の瞳のラベーリア (序)

 こことは違う遥か古の時代。目に見えている全ては神々と精霊によって運行されており、それらの力によって全ての生命は見守られていると、固く信奉されている世界があった。
 この世界に運命的に生まれ落ちた人々は、神々の如き力を持つ大自然から日々もたらされる恩恵への感謝と、ときおり巡りくる大いなる破壊への畏怖の中で、逞しく、力強く生きていた。

 そんな世界の、とある小さな町にある教会の一室にて。
 二人の人が対面で話をしている。一人は年季の深そうな顔の老婆で、もう一人は、透き通るような翡翠色の瞳が特徴的な、ローブを纏った若い女性だった。
 老婆は、にこにこと微笑んでおり、何やらローブの女性に感謝しているようだった。

「有難う御座います、薬師様。作ってもらった薬のおかげで、長年悩まされてきた腰痛が改善してきましたよ」
「ああ、それは良かった。あれから、お変わりはありませんか?」
「ええ。ええ。とても良いですよ。腰どころか肩こりも良くなってきましてねぇ」
「ふむふむ。なるほど……」

 椅子に腰かけているローブ姿の若い女性は、老婆の話に耳を傾けながら、手近の机に広げている二冊の小さな書物に何事かを書き込んでいく。

「お聞きしている限りでは、しっかりと改善してきていますね。この調子で服薬を続けていけば、完治も近いでしょう」
「おお。なら、薬も減らしていけるかねぇ」
「んー、そうですね。飲む量は減ってくると思います。ただ、体の中から整えていくものなので、もうしばらくは飲まないと」
「そうなのかい。大変なんだねぇ。だけど、この痛みとおさらば出来るなら頑張るよ」
「その意気です。今からお渡しする薬もしっかりと飲んで、栄養も取ってくださいね」

 そう言うとローブの女性は、足元に置いていた鞄の中から丸薬の入った瓶と手製の薬包紙を取り出して、何錠かを包んだものを複数個、老婆へと差し出した。それを丁寧に受け取った老婆は嬉しそうに笑みを浮かべて立ち上がると、ゆっくりと女性へと近付き、数枚の銅貨を手渡した。
 女性は、受け取った銅貨を確かめると、しっかりと頷いて見せる。

「お代、確かに頂戴しました。ちなみに飲む回数と量は前と変わらず、三日おきに、二錠を、お昼ご飯の時に飲んでください。追加の分は神父様にお渡ししておきますので、代金ともども、宜しくお願いします。どうぞお大事に」

 そのまま部屋を退出していく老婆を見送った女性は、机の上の書物に追加で何かを書き込むと、手早く片づけを始めた。どうやら全ての業務が終わったらしい。
 すると、部屋の扉が静かにノックされ。

「私です。神父のラッセルです」

 扉の向こうから、落ち着いた男性の声が届いた。声の主は、神父のラッセルと名乗っている。

「どうぞ。ちょうど患者さんが帰られたところですので」

 声に応じる形で女性がそう言うと、ガチャッと言う音と共に扉が開かれ、向こう側から、信仰への敬虔さが雰囲気として感じられる初老の神父が姿を現した。手には、湯気の立っているティーカップが乗せられたトレーを持っている。

「お仕事、お疲れ様です。ラベーリアさん。宜しければ、こちらをどうぞ」

 彼はそう言うと、ラベーリアの方へと近付き、片付いた机の上にティーカップを置いた。中には鮮やかなオレンジ色の見事な紅茶が注がれている事が分かる。
 彼女は、それを好ましそうに眺めると、神父ラッセルに向けて一礼して見せた。

「有難う御座います。全部の片付けが済んだ後で、ゆっくりと頂きますね。あー、そうだ。後で、患者さんに追加で渡す分のお薬と内訳と分量表をお渡ししますから、いつも通りにお願いします」
「承知しました。それはそうと。いかがでしたか? 皆さんの様子は」
「特に、問題は何も。皆が順調に日々を生きていることが分かるくらいには、平穏そのものでしたよ。大きな怪我をしてもすぐに神父様が治してくださるから安心だ、と仰ってる男性も居られましたし」

 片付けを継続しながらラベーリアがそう伝えると、ラッセルは半分呆れたように苦笑を浮かべ、軽く溜め息を吐いて見せた。

「いやはや、まったく。私としては無茶はしないで頂きたいんですけどもね。確かに、原因の分かり易い負傷であれば法術で治せはします。ですが、神ならぬ身で我らが使う法術は、当然ながら万能ではない。体力や失った血などの回復は、結局は怪我をした当人の生命力頼りになりますから。ラベーリアさんも、よく御存じかと思います」
「そうですね。私も法術は扱えますが、薬師という仕事が各地で重用されているのは、そう言う法術の隙間を補うためですから」
「本当に助かっていますよ。前に教えて頂いた滋養の薬、あれは効果てきめんでした。きっとこれからも役立つことでしょう」
「それは良かった。今後とも、相互に協力していきましょう」
「有難う御座います。こちらこそ宜しくお願い致します」
「……と言うことで、先の言葉は、我々に対する信頼ゆえの冗談、と、そう考えられてはいかがでしょう?」
「はは、そうですね。そう言うことにしておきましょうか」
「お互い、前向きに考えていきましょう」

 ラベーリアはそう言うと、ラッセルと共に笑い声を上げ、同時に、片付けるべき全ての道具の片付けを終えた。
 そして彼女は、改めてラッセルの方へと向き直る。

「と言うことで、前向きついでに明日以降の話を始めましょうか。紅茶を頂きつつになりますが」
「良いんですか? お疲れでしょうに」
「こう言うことは、早めに終わらせておきたいんですよ。伝え忘れがあっては大変ですから」
「なるほど。そう言うものですか。では伺いましょう」
「有難う御座います。それではまず、先程のダーナさんからですが……。彼女は、お薬の種類と量が変わります。頻度は変わりません。三日おき、昼食時に二錠ずつ。これを一周月続けさせてください。次に──」

 そうして次々に必要事項がラッセルへと伝えられ、情報の共有と、何度かの質疑応答が行われていく。
 それを繰り返すこと、三十分ほど。

「以上です。いつも通り、そこに置かれている冊子にお話した事は書き留めてありますので、思い出せない時などにお使い下さい。予備薬は、そこの木箱に入れてあります」

 ここまで続けざまに話したラベーリアは、紅茶の最後の一口を飲み干すと、ゆっくり息を吐いて。

「あと……」
「はい、何でしょう?」
「紅茶、ごちそうさまでした。美味しかったです」

 彼女がそう伝えると、ラッセルはにっこりと微笑むのだった。

 こうして人々は今日を生きていく。恐らく、明日より後も。

 0

trending_up 112

 2

 4

CWS怪談会 黒い魚

 この地方には補陀落渡海という捨身の行がある。
補陀落とは仏教における理想郷のことである。
補陀落渡海とは表向きはその補陀落を目指して舟で旅に出ることであったが、実態としては箱の中に僧侶を詰めて舟にくくりつけ死出の旅路へと送り出す即身仏の一種であった。
十六世紀、室町時代から安土桃山時代にかけて、もっと雑に言えば戦国時代にこの補陀落渡海は一種の流行になった。
増えすぎた僧侶の口減らしという実利的側面と、村人達の往生の祈願をかなえるための人身御供としての宗教的側面が、この熱狂を支えていた。
ある時、補陀落渡海に出た僧侶が飢えと渇きに耐えかね、箱を壊して戻ってきてしまうという事件があった。
村人達は困ってしまった。
僧侶が補陀落を目指して死ぬからこそ、村人達は往生できるのである。
戻ってこられてはその願いが叶わない。
村人達は僧侶を歓待して安心させると、夜陰に乗じてこれを襲い、総身の骨を打ち砕いた。
そうして半死半生の僧侶を箱に押し込めると、再び舟に乗せて送り出した。
それからである、当地においてこの黒い魚がとれるようになったのは。
そのどす黒い魚体をみて、あのお坊さまが祟ったのだと、人々は恐れ慄き忌み嫌った。

「はい。その黒い魚がこのスミヤキという魚にございます。全身がトロとも言われるこのスミヤキのお造り、どうぞご賞味くださいませ」

「女将さん、今のは食べる前に聞かせるような話じゃなくないか」

 400

trending_up 127

 3

 8

エル・コロソ

 その巨大生物はいつしか「田伏正雄」と呼ばれていた。
陸海空の兵器をものともせずに街を蹂躙する巨大な生物。
身長100mの小汚い全裸中年男性といった風情のその生物は、CWSなる文芸投稿サイトのマスコットキャラクターに確かに似ていた。
われわれ特高は手がかりを得るべく、CWS関係者に石抱きや鞭打ちといったあらゆる拷問を加えて証言を取った。


◇詩人Aの証言

特高:田伏正雄とはなにか。

詩人A:それがわからないんです。わかっている人いたのかな。ひょっとして運営もよくわかってなかったんじゃないかな。

特高:(石を増やしながら)サイトのマスコットが登録者にわからないことなどありえるのか。

詩人A:あったんだからしょうがないじゃないですか。でも、運営もそのわけがわからない田伏正雄を推すし、場の雰囲気に呑まれていたところはありますよ、正直。詩人の私たちもわからないんだから、あのラノベとかいうものを投稿してるWeb作家の連中なんかもっと面食らってたんじゃないかな。

◇作家Bの証言

特高:田伏正雄文学とはなにか。

作家B:踏み絵。

特高:(電流を強めながら)曖昧な表現をするな。

作家B:ツッ……ある種の内輪ノリ、あえて詩的でも美的でもない小汚い全裸中年男性をマスコットにし、それに関連する作品を投稿させることで、これを許容できるコアなメンバーとそれ以外を選別する目的があった。そう俺は見ている。そうでないなら、よくわからない。

特高:なぜ選別の必要があった。

作家B:CWSは特異な投稿サイトだ。文芸サイトと銘打ちながら、実質は詩の投稿サイトとして始まった。ところが運営は出版事業まで踏み込みたいのでサイトの拡大をしたい。そこに俺のような逸れ者の作家が目をつけた。手垢のついてないサイトのほうが良い空気が吸えるからな。俺は何人かの作家に声をかけて一緒に参加した。

特高:続けろ。

作家B:ある作家が主導するコンテストをきっかけにCWSには大量にWeb作家が流入した。サイトは狙い通り拡大した。だが、Web作家たちの多くはサイトの毛色にあわないラノベを投稿しつづけた。詩人はラノベがわからないし、Web作家は詩がわからない。塞外から呼び寄せた北方異民族が中華の作法に合わせないまま居座る、そんな状況になった。まあ、拡大と引き換えの混乱とも言えるがね。

特高:それで踏み絵が必要になった。

作家B:運営がCWSへの一種の忠誠の証を求めた、そう踏んでいるね、踏み絵だけに。

特高:(無言で電流を上げる)

作家B:イツツツッ、まあもう今となっては過ぎた話さ。俺を痛めつけても田伏正雄が巨大な姿で実体化した理由はわからんし、もう何もかも終わるんだろ、どうせ。


 山々のごときビルの陰から田伏正雄がその巨体をあらわした。
その姿はフランシスコ・デ・ゴヤの「巨人」という絵画を思わせた。
私ははじめて田伏正雄に詩と美を感じたことに驚いた。
某国の発射した複数のICBMが空を切り裂いてやってきた。

 600

trending_up 151

 5

 11

骨を囓るなんて妄想

10月31日
なんの前触れもなく
突然届いたメール
「あなた、長男でしょ。
土地は欲しいですか?」
兄は驚いて、
スクリーンショットをして
家族のグループラインに
それを送ってきた

生き別れたままでいい
関わりたくない
そんな父の親族からのメール
母は戸惑いながらも
「そんな年齢になったってこと。
避けては通れぬ問題よ」と
「これはチャンス」とばかりに
自分の「終活」の話を語り始める始末

「お父さんのお葬式についても、、、」
と冒頭でそこからは読み勧めずに
ぐーぐる先生に 言葉を打ち込む

「親の骨」 
予測変換が先読みしてくれて
くしゃみみたいな拍手がでる
「親の骨 いらない」

0火葬などという知識まで添えてくれる

いいかい?骨を囓るなんて妄想だ

4月8日亡くなった愛犬の骨つぼ抱いて
未だに泣く日があるというのに、、

おかしいかい?こんなことかいたら
薄情だとか、
「いろんな状況にある読者の気持ち」
考えていますか?と
言われるかもしれないけれど

書かずにはいられない 幼きわたし

親の骨 いらない 
予測ワード1位に助けられた夜

 0

trending_up 50

 1

 4

朝をとじこめる

目をつぶり、握っている
握っていると安心する
こころはまもられて
面に膜が張って、そのうえに置かれている
遠くに炭が燃えていて
じっじっ、と空気をふるわせている
目を閉じると、蚕にもなれます
鳥にもなれます
鳥は明け方、もう起きていて
追いかけっこをしています
隣にいないひとがいて、安心
煙がはしごをのぼっていく
道行く人を上から眺める
あなたたちは、虫になれる
マネキンが手を広げている
飲み終わったジュースがたくさん
肌を撫でて登ります
電線を綱渡りするねこ
ねこねこねこからすねこ
ダストシュートで放り出される鳩
はとはとはとドブいろ
すぽんと丸まります
握っていると、金属のやさしさ
奥歯の痛みもわすれてしまう
自販機で古代エビを買う
湯をかけて三分まつ
はつらつとした新代エビになる
冷蔵庫のブーンという音に
鼓動が眠っており
目なしであやとりをする
迫る、ウォーター、迫る
 感センサーで、照らされるパイロン
卓上の石に
額を預ける
曲がったビル
手をかけて登る
手には古代インクがあります
溝に沿って並ぶので

とまではいかないものの
室外機に回される犬
がサモエドだった場合。
石を数珠繋ぎにしてマントを編んだとき
ガソリンスタンドでは
円周率が洗車されていた
かすかに苺の気配があり
それは予備校に漸近していく
粒になって吐き出された
すべて煙で説明できてしまったら
太極拳体操が湯気をつめたく持ち帰り
南極にとじこめた
ここからさらにとじこめていく所存
だからPARTYとはおそれいった
鳥の形と相似形をなし
二階にハンバーガーが運ばれ
名前をつけていくことだけが
抵抗だとすれば
朱鷺色平茸として
ドーナツにもドードーが宿るはずで
新たに発見されるいくつもの
反射鏡、装いあらたに
葉で隠すとよい
すべての災厄から守ってくれるタイマー
もう切るよ
交換しよう

 0

trending_up 93

 5

 6

ごめんね。ハイル・ヒットラー!

幸せかい?
(ヘミングウェイ『エデンの園』第二部・7、沼澤洽治訳)

彼はなにげなくたずねた。
(サキ『七番目の若鶏』中村能三訳)

あと十分ある。
(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡2』第Ⅱ部・20、厚木 淳訳)

なにかぼくにできることがあるかい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

彼女は
(創世記四・一)

詩句を書いた。
(ハインツ・ピオンテク『詩作の実際』高本研一訳)

しばしばバスに乗ってその海へ行った。
(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)

魂の風景が
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

思い出させる
(エゼキエル書二一・二三)

言葉でできている
(ボルヘス『砂の本』ウンドル、篠田一士訳)

海だった。
(ジュマーク・ハイウォーター『アンパオ』第二章、金原瑞人訳)

どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。
(ユーゴー『死刑囚最後の日』一、豊島与志雄訳)

ああ、海が見たい。
(リルケ『マルテの手記』大山定一訳)

いつかまた海を見にゆきたい。
(ノサック『弟』3、中野孝次訳、句点加筆)

どう?
(レイモンド・カーヴァー『ナイト・スクール』村上春樹訳)

うん?
(スタインベック『二十日鼠と人間』三、杉木 喬訳)

ああ、
(ジョン・ダン『遺贈』篠田綾子訳)

いい詩だよ、
(ミュリエル・スパーク『マンデルバウム・ゲイト』第Ⅰ部・4、小野寺 健訳)

それはもう
(マリア・ルイサ・ボンバル『樹』土岐恒二訳)

きみは
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)

引用が
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

得意だから。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

でも、
(フロベール『ボヴァリー夫人』第三部・八、杉 捷夫訳)

これは剽窃だよ。
(ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』2、井上 勇訳)

引用!
(ボルヘス『砂の本』疲れた男のユートピア、篠田一士訳、感嘆符加筆)

まあ、
(サルトル『悪魔と神』第一幕・第二場・第四景、生島遼一訳)

どっちでもいいが、
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

きみの引用しているその
(ディクスン・カー『絞首台の謎』7、井上一夫訳)

海は
(ゴットフリート・ベン『詩の問題性』内藤道雄訳)

どこにあるんだい?
(ホセ・ドノソ『ブルジョア社会』Ⅰ、木村榮一訳)

お黙り、ノータリン。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)

ヒトラーはひどく気を悪くした。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳、句点加筆)

彼は拳銃を抜きだし、発射した。
(ボルヘス『砂の本』アベリーノ・アレドンド、篠田一士訳)

ああ、
(ラリイ・ニーヴン『太陽系辺境空域』小隅 黎訳)

でも、ぼくは
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第二の歌、栗田 勇訳)

いったいなんのために、こんなことを書きつけるんだろう?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

相変らず海の思い出か。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

たしかに
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

海だったのだ。
(モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)

ごめんね。ハイル・ヒットラー!
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)





 1070

trending_up 130

 4

 6

舗装路


汽水域でしかいきられない乱反射は
椅子に座っても安らぎにはほど遠く
手から手と瓶のなか追いかけていた

 わたしの、わたし達の心は縛られることはない
 そんな風に真っ向から歌う事を忘れてしまった

瓶詰めの化石達に等しく月光を与え
欠落したものを忘れない為の仕草が
椅子に腰掛けながら遊歩する、夕べ

足跡を残さない誰かが通りぬけていく
椅子の背らは益々まるく、瓶は満たされ
幼い月たちさへ満ちていくのであった

 カーテンを手繰り寄せながら落ちてゆく
  みぎもひだりもうえもしたもなく
 今、ここでしか生きられないものたちが
  瓶の内と外、背を寄せあうだろう

汽水域から来た乱反射は
  椅子に腰掛けひととき
永遠の微睡みを得ていた

 どこにでもいて。どこにもいない。
  地球はほんとうに廻っているんだ、と
   投げられた瓶が汽水域をぬけてみちていく。

 100

trending_up 80

 7

 6

衣擦れ

躾糸 待ち人来ぬまま とうに切れて

 0

trending_up 20

 3

 2

だけどさ

世界も人生もなかなかに厳しいね 
だけどさ 夜 電気を消して見上げる
暗闇混じった天井の模様と
イヤフォンから耳に流れ込むミュージックは
明日も明後日もこれからもきっと変わらない
何か変わらなきゃいけないって思うよ
だけどさ 変わらなくてもいいものだって
人それぞれ あるよね 

 0

trending_up 58

 4

 1

叩き潰すというクリエイティブ・ライティング

それにつけても田伏正雄は叩き潰さねばならぬ
…ふむ、こういったものはまず古の名言から取り形から入るのがのがよかろう。なにしろ相手はCWSに投稿しているものなら見聞きした事はあろう、あの田伏正雄である。何故叩き潰し罵倒し磔にし三角木馬に跨らせねばならぬのか。実はわたしは田伏正雄文学創始者の投稿文を熟読しても、そこに至るまでの決定的な理由というのが見いだせていない。いや他の投稿者は辟易しているのかもしれないが、いちいち辟易としているという意思表示を100コイン使って書く暇人もいないだけであろうと思う。書けば300コインをあげるぞとの誘惑にも乗らない他の投稿者の方々の高潔な精神には感服するばかりである。ん?田伏正雄を罵倒するはずがなにやら他の投稿者に対する皮肉になりつつある。これはおそらくは田伏正雄に浸食されつつあるわたしの姿なのかもしれない。なにしろわたしときたら田伏正雄文学祭という文言にあっさり乗って連続掌編を三シリーズもノリノリで書いてしまった。内容はいたって真面目に幻想サスペンス風味から始まって『創作と自己変容』とか『創作対距離感』とか『創作とアイデンティティ』とかいろいろ盛り込んでしっかりTABUSEコインだの田伏正雄本人だのをストーリーの柱の一本に据え、なかなかの出来だと自負しているが、田伏正雄はおろかCWSという名前まで作中に出してしまったせいでわたしのnoteアカウントにあげるわけにもいかぬ。つまるところわたしは田伏正雄に浸食されている。融合かもしれない。融合したわたしの中の田伏正雄だけを叩き潰すことはできるのだろうか?生物のたんぱく質で作られた神経回路だろうがAIプログラムの学習だろうが学習とは融合なのだろう。個を保ったまま他の思想感情を受け入れる事なのだ。はい、これは攻殻機動隊の少佐と人形遣いですねごちそうさまでした。ここまで書いて何とか田伏正雄を罵倒しようとしても攻殻機動隊がちらついて罵倒どころかバトーさーんとタチコマの声が脳内で鳴り響くありさまだ。

一向に田伏正雄を叩き罵倒する方向に話が向かない。
そもそもがだ(困った時はそもそも論頼みだ)文学の枠組みで田伏正雄を罵倒せよという作者の命題に乗ること自体が間違いなのだ。作者が作り出した罵倒されるべき気持ち悪いキャラクターを罵倒しても、作者の思惑通りでしかない。ということでわたしのホームグラウンドである写真の世界で田伏正雄を論じてみよう。となると190cm150kgの巨漢で鼻毛伸び放題、いつも小鳥が周りに集まる人物というのはなかなかに魅力的な被写体である。スラリとととのった青年よりよっぽど人物として興味深い被写体だ。個人的な好き嫌いなら鼻毛は整えてほしいが被写体となれば面白い逸品だ。女湯と書かれた暖簾をくぐろうとするシーンですらノンフィクションなら決定的瞬間として写真史に残る一シーンになるかもしれない。カルティエ・ブレッソンも迷わずにライカを向けるだろう。ただ誠に残念ながら現代社会において浴場でカメラを構えること自体が社会的困難である。よって、これは浴場を借り切って演出写真として実現されるべきだ。写真家、ロバート・メイプルソープは様々な性的多様な作品を残しているがそれに続く歴史的一品の誕生である。

創作のキャラクターとその作者は一体であるとの前提において、キャラクターを叩けという作者の命題は作者の思惑とは別の方法論をもって褒め殺すことこそ思わぬ方向からいきなり横っ面をひっぱたく唯一の方法ではないだろうか。
この一文をもって一旦〆る事とする。

 0

trending_up 244

 6

 10

 0

trending_up 0

 0

 0