N o w L o a d i n g
このままふくれ続けたらきっと指がちぎれるから、切ろう。 わたしは告げ、かの女の錆びた指輪へ鉈を振りおろしたが、折れたのは刃だった。思えばこれも、きのうたたき割った夫の脳髄で錆びている。刻みこまれた誓いのぶんだけ指輪に分があったのだろう、はみ出しかける脳の片隅でわたしは思考する。折れた刃は飛びすさり、わたしの眉間を貫いて、脳漿の漏れに栓をしている。 長雨を飲み、かの女はふくれている。絹のようだった肌理が、渇いた綿より欲深くひらいて雨季を貪る。飢えていた腕がなん倍にも太る。きのう焼かれた顔の焦げ目が、腐りゆく水に白々しく薄れながらどこまでも広がる。粥に似ながら煮くずれることを知らない、若さが、左手のちぎれそうな薬指にだけ血を焚いて、食いこむ指輪に誓われた名前と同じいろに錆びる。 かの女はかつて、わたしの娘だった。 女衒に売ったのが九日前、思いがけず帰ってきた。性病に肌を食い破られ、ごみ溜めに捨てられたので、這い出してきたと娘は言った。死なないと埋めてもらえないの、と娘は言い終えた。 八日前、夫が木箱に娘を転がし裏庭へ投げたのはそのためだ。雨季に蓋され長雨に漬けられ、きのうまで、娘の肌は溺れながら若い皮脂を吹きあげて、あらゆる水気をはじき飛ばしていた。わたしが塩水で炊いた粥も、その例に漏れない。 七日間、娘の転がる箱で粥を食ったのは蟻だけだったが、わたしの薄い塩味に飽きたらずきのう、蟻どもの群れが美味な脂を掘ろうと、娘の耳に口に臍に、膣にもぐりはじめたので、穢された箱へ夫が油を撒き火を放ち、泣いた、まだ清かった刃の火照る影で。 その膣を掘ったのが翅をもつ女王だったら、別の物語が飛んだのかもしれない。きょう、油に焼かれたかの女の脂が、地の潮を覆う。降り溜まり蒸発する地の体液の循環を、焦げ落ちた皮脂の油膜で食い止めている。 このために地表が海を失っても、たとえば涙の降る限り、血のしたたる限りかの女は飲み、新しい海を生むために溜めるだろう。眉間の栓を抜き放ち、噴きあがる脳漿の虹でわたしは感傷する。わたしの箱のこの穴を、いつかちぎれたらあの左手薬指が貫いてくれるだろう。
2025/02/02
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友達が海辺だった。彼の輪郭はあやふやに波打ち、切り取られた海辺の一部そのものだった。白いベッドの淵に彼は座り、波模様の影を落としながら、何も映らないテレビ画面をじっと見つめている。ぼんやりと暗い真昼の部屋で、友達の内側から海の光と波の音が流れてくる。磯の香りがこの部屋を包む中、ふと、その静けさを破る小さな動きがあった。――磯蟹だ。観葉植物の鉢の裏から素早く姿を現した。その蟹は、ほのかな陰影が渦を巻く壁を這いながら、冷たく湿ったベッドの上に辿り着き、そこで動きを緩める。やがて、磯蟹たちが次々と、彼の中の海辺に吸い寄せられるように集まり始めた。ベッドの上で、蟹たちが一匹ずつ孤独に動き回り、時折、群れとなって蠢いていた。その小さな鋏で好奇心と警戒心を交錯させながら、友達の周囲を執拗に歩き回る。それが彼の目にどのように映っていたのかは知る由もないが、ただ静かに蟹たちの動きを観察している。その視線はどこか遠い思い出の中を彷徨うようだった。彼は悠然と手を伸ばし、蟹たちを一匹、また一匹と掬い上げ、手の中へと滑り込ませ、まるで魔法のように消していった。その手つきは妙に優しかった。手の中の海辺に落っこちた蟹たちは、それぞれ姿勢を正し、ふたたび横へ歩き始める。私は、彼の無言に耐えかねて、小さく声をかけた。友達は一瞬だけ動きを止めた。そして何かを思い出したように、短い沈黙を置いた。ふっと笑みを浮かべた彼は、「ああ、忘れていたよ」と、軽く呟いてゆっくり立ち上がり、部屋を出て行った。足音も波音も遠のいていく。玄関ドアの閉まる音が鳴ると、取り残された一匹の磯蟹は、彼の座ったベッドの痕跡の上で、次第に動きが鈍くなり、やがて静止した。今でも彼の中では、穏やかな波が打ち寄せ、風が吹いているのだろう。銀色の日差しが降りそそぎ、波面が反射しているのだろう。波打ち際を裸足で歩く友達は、そのまま海辺に溶け込んで消えるのだろう。私は、私の部屋であるはずなのに、その場に取り残されたような気がした。しばらくこの部屋で、壁にもたれて佇んでいたが、自分が何を考え、何を感じているのか、まったく分からなかった。ただ、そっと目を閉じると、友達の姿が浮かび、開け放たれた海の音色が、まだこの部屋に染みついているような気がした。それでも私は、友達の顔を思い出せない。
2025/02/06
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その人は指紋だけだった 哺乳瓶の指紋は知らないもんで 最初は浴室の鏡についた指紋だった はじめて飲んだコカコーラの瓶にも 授業中に舐めていた鉛筆サックにも その人の指紋がついていた 写生大会で金賞になった絵にも あおい指紋がいくつもあった 中学一年生のとき 教室の時計を見ると まちがえることはない その人の指紋がついていた かき氷を出す店の硝子の器にも その人の指紋が残っていた 初デートで訪れた 水族館のペンギン水槽にも その人の指紋がペンギンよりも多く こびりついていた 川に指紋 雲に指紋 宇宙のはるかかなた銀河にも指紋 それらは右手の人差し指の指紋 太極図のようにせめぎ合う渦 と渦 音にない沼のように 顔のわからないその人が たしかにいるというあかし いつかその指紋で 全身をやさしく くるまれたい もちろん伴奏は 指紋だらけのグランドピアノで
2025/01/28
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田伏正雄氏は確かに存在している。貴方は考えたこともないだろう。そもそも貴方は田伏正雄氏を知らない。しかし、彼の方では貴方を知りすぎるほどに知悉している。貴方の活動領域には至るところに盗聴器やカメラが仕掛けられていて、田伏氏が監視を怠ることはない。田伏正雄氏は確かに存在している。彼は貴方の排便の頻度や回数を記録し、統計分析をするほどに徹底している。貴方が気づいていないだけで、字義通りケツの穴まで貴方は田伏正雄氏の監視下にある。 田伏氏が貴方を監視しているのは、貴方に興味があるからではない。むしろ、極度の無関心が昂じた結果とさえ言える。彼が執拗にストーキングしているのは、あくまで悪意を発散するためだ。貴方の悪評を絶妙のタイミングで流布するだけではない。貴方の背後につきまとい、ときに食事に下剤を混入させ、ちょっとした窃盗を働くこともある。身長190センチ、体重150キロの田伏正雄氏ではあるが、貴方にとっては存在しないも同然なのだから、気づかれずに妨害工作するなど容易い。田伏正雄氏は確かに存在している。貴方の人生はなぜか思い通りに進まないことの連続だと思うが、その大半は田伏正雄氏の仕業によるものだ。 なぜこんなことになったのか。始まりはとある文芸投稿サイトだったと聞いている。貴方は作品を投稿し、それを田伏氏が読んだ。起ったことはただそれだけだ。論戦が生じたわけではない。ただ、田伏氏は貴方の作品を目にし、それがあってはならないと確信した。貴方には理解し難いことかもしれない。例えば、聖典には神を冒涜する者や罪人について紙幅が割かれている。しかし、清潔な豚についての記載はない。だから、美しいものとして描かれた豚はある種の人々を当惑させるだろう。貴方と田伏氏の間には謂わばそういう種類のことが起った。 貴方は田伏氏と出会ってさえいない。釈明の機会もないし、いまさら作品を撤回したところで何の意味も成さない。貴方は自分の作品が十分に読まれていないと不満を抱えているかもしれない。しかし、貴方には田伏正雄氏という読者がいる。彼ほど貴方の作品を丹念に読み、批評的に検討する人間はいない。ただ残念ながら、貴方の人生最高の読者は貴方をひたすらに軽蔑しており、作品について語ることすら無意味だと感じている。それどころか、貴方の作品は卑劣な手段によって報いを受ける以外にあり得ないと断罪するまでに至った。 私は田伏正雄氏を許す気はない。彼の存在はあってはならない。私は彼を殲滅するために、監視し、妨害し、彼のあらゆる活動を阻止しようとしている。しかし、この戦いは敗北を余儀なくされるだろう。田伏正雄氏は確かに存在している。私には貴方が見えるのに、貴方には私が見えない。まだ気づかないのか。貴方は人生に何を問いかけているのか。そういうことだよ。
2025/02/13
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とても暑い日だった事は覚えている 体調がすぐれなくて眠っていた私は、スマートフォンからの振動によって起こされた それは上司からの連絡で内容は自宅に人を寄越すと言うものだった。 「彼」は暫くしてから自宅のインターホンを鳴らし、2つのセキュリティーを解除して ドアの前にたっていた。 「彼」は若者だったが身なりは麻生太郎風な高級感溢れるものだった。 わたしは、上司からの連絡もあって彼を自宅に招き入れた。 「彼」はリビングのソファーに腰掛けて名刺を一枚差し出した。 其処には4つの漢字が記されてあって、それが名前だと気がつくのに随分と時間がかかってしまった。 「顔が骸骨のようですよ。」 それが「彼」が発した最初の言葉だった。 確かにそうだった。 体重が随分と減っていた 妻からも頭蓋骨の輪郭が分かるわと同情の様な言葉を受けていた。 「田伏正雄さんが怒っているらしいのです。」 「彼」が二言目を呟いた。 事の成り行きはこうだ。 私の何か最近の振る舞いに於いて その事について、田伏正雄と言う人物がなにか納得がいかない、つまりは気分を大きく損ねていると言う事らしい。 「それが何か?」 私はそう言ったかもしれない。 余り覚えてはいない 今日は暑いねと言ったかも知れない 何か適切な言葉を発することができなかったのかも知れない。 「彼」の話を続けるとこうだ つまり私は田伏正雄に目をつけられていると、体調が悪くなったり妻が実家に帰っているのもその事に関係している、端的に言えば今のままでは生命の保証が出来ない だからワタシが派遣された と言う事だった。 勿論、私が「彼」を雇った訳ではない 私は唯、昨日から体調を崩して今日は会社を休んで医者に行き原因不明と言われて点滴だけを打って帰ってきただけだ。 妻が実家に帰るのも実家の方で用事があって数日前から決まっていた事だ、そう言う予定だったと言う事だ。 私は「彼」に自分の正当性と言うか、田伏正雄なんて人間?は知らないしそもそも意味がわからないのでお引き取り願えないだろうか?体調が優れないし、妻もいないのでお持てなしも出来ないので、と言う事を「彼」に訴えた。 「彼」は私の懇願の様になってしまった言葉を眠たそうな目で聞いてから、持ってきている酒瓶の様なものをテーブルに置いた。 「私はタイムチャージ制で動いています。 幾らかと言われれば1時間凡そ150万円です 今回の件でわたしの他、数人が同時に動いています、金額的な事を述べたのはこの件が如何に特殊な案件であるかと言う事を知ってもらうためです。 私たちの依頼人は別にあなたに対して何か気持ちがある訳ではありません、しかしある事情があって今回は私達に依頼をした、 非常に高額になる事を承知で。 田伏正雄氏との交渉難易度は非常に高く繊細なものである事を理解して頂いたいと思っているのです。 この酒瓶は或る王朝に纏わる一族が細々と造り続けているものです。 この飲み物が体内にある時だけ、田伏正雄氏はその者に手を出す事ができません あらゆる意味で。 2日以内に田伏正雄氏との交渉をなんとか纏めたいとは思っています。 それまでこの飲み物を体内に存在させ続けて下さい一合のお酒が体内から抜けるまで およそ5時間程かかります 一升瓶が空になるまでがリミットです。 アルコール度の強いお酒なので運転は出来ません。私たちは国家権力にも顔は効きますが、田伏正雄氏の対応で手一杯になるのでそう言う意味で面倒事になっても暫く何も出来ないかも知れません、エトセトラ、エトセトラ」 「彼」は暫くことの事情を私に説明してから、挨拶もせずに帰って行った。 私は非常に不信感と不満をもったが、兎に角この、泡盛であろうか?コレを馬鹿げているとは思いながらも呑んで、それから近くのスーパーでつまみとか鍋の材料とか買い込んで家でひっそりと過ごしていた。 上司からの連絡は安否確認の為のものが1日2回あった。 私は異常はないし、私は元気ですと少し阿呆のように答えていた、酔っていたのかも知れない。上司からは「彼」の言いつけをよく守って過ごすように、その間は特別休暇扱いにするから、との事だった。 わたしはまた阿呆のように「そうですか、ではそのようにさせていただきます。」とスマートフォンの前で頭を下げた。 2日間が過ぎて私の体調も良くなったので会社に出勤した。 上司は労いのような言葉をかけてきたが 私はなんと返答して良いか分からず ありがとうございます、無事でした とまた阿呆みたいな返答をした。 仕事を終えて家に帰ると妻が実家から帰ってきて夕飯を作っていた。 昼間に身なりの良い男性が訪ねてきて 空になった酒瓶を回収して行ったとの事だった。テーブルの上にはとらやの羊羹とA4サイズの書類が置いてあった。 書類の面には私の名前が書いてあり、注意書きもあった。 それは或る未来の日付が書いてあり、それまでこの書類を大切に封を切らずに保管するべしと言う事だった。 わたしはやれやれと肩をすくめてその書類を神棚に添えて形だけ手を合わせた。
2025/02/14
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「今月で辞めることにした」 めいちゃんが誰にともなく言った。誰にともなく言ったが、今待機室には夏ちゃんとめいちゃんしかいないので、たぶん夏ちゃんに言った。 夏ちゃんは 「そうなんだ」 としか返さないしそれ以上の感情は抱かないが、強いて言えば、わたしに言うんだ、とは思った。めいちゃんのピンク色の電子タバコから“ズズ”と音が鳴る。平日の16時。客があまり来ない時間帯。今日夏ちゃんは指名0で、めいちゃんはさっきキャンセルが入った。 用事がなければダラダラと出勤して待機室をカフェ代わりにしている夏ちゃんと、別の夜職なのか、何かの夜勤なのか、夜はここに出勤しないめいちゃんは、昼間の待機室のいつメンだ。いつメンだが、ここの女の子たちはあまり会話をしない(ここに限らず素人清楚系は女の子同士の会話が少ない。気がする。)ので、さっきの会話(?)が4、5回目のそれだったと思う。 めいちゃんはまだ窓の外を眺めたまま、あれ以来とくに何も話しかけてこない。話しかけられた以上、一応読んでいた文庫本を閉じた夏ちゃんの配慮にもおそらく気づいていない。めいちゃんのタバコがまた“ズズ”と鳴る。 めいちゃんはタバコを吸う時決まって窓の隅の地べたに体育座りをする。体育座りがちょっと崩れためいちゃんの、ちょうど膝の頂点の真上の位置には、A4のコピー用紙が2枚貼られている。 〈 は換気扇の下で〉 〈窓を開けるのは まで※外から見えます!〉 赤い文字は日に焼けやすい。恐らく「タバコ」と「ココ」があった空欄。「ココ」で「タバコ」を吸うのは、夏ちゃんが知っている限りめいちゃんだけ。なのでこのコピー用紙たちはおそらくめいちゃんのために貼られたものだった。 めいちゃんは窓の外に向かってではなく、窓の隅、ちょうどコピー用紙がある位置にぶつけるように煙を吐く。容赦ない。何度も貼り直したセロテープの跡。めいちゃんのヤニか日焼けか、薄黄色に染まったコピー用紙。日光で白く焼けた赤い文字。このコピー用紙の不毛な長い戦いも、めいちゃんのさっきの一言が本当なら、今月で終わるのだそうだ。 夏ちゃんは立ち上がって、手元はバックの中のモバ充を漁りながら、目はめいちゃん越しに窓の外を見る。雑居ビルの3階。目の前の土手よりちょっと高い位置。薄く黄みがかった空、めいちゃんの鼻先には半月が透けて見える。風が吹いてオギが揺れる。湿った土が雑草の隙間から覗く。曇りガラスの窓の隙間から生臭い川のぬるい温度が流れてくる。 旅情に呑まれてとか、学生時代に好きな人と、とかならまあ眺めても面白い気もしなくもないが、日常的に眺めたいほどの景色ではない。ましてや客の相手をする合間に、コピー用紙に咎められながら眺めたいほどの景色ではない。 めいちゃんはもしかしたら大の犬好きで土手を散歩する犬を眺めているのかもしれないし、川の向こうに見えるマンションに初恋の人が住んでいるのかもしれないし、大学でオギの研究をしていたのかもしれないし、土手や川じゃなくて窓のサッシマニアなのかもしれないし、そういえば「キラッ」みたいな模様が入った曇りガラスは建て直す前のおばあちゃん家とここでしか見たことないな、 まで考えたところで手元で一生懸命探していたモバ充を待機室のコンセントに刺しっぱなしにしていたことに夏ちゃんは気がついた。さっきの60分コースの前に充電し始めたモバ充。見ると80%まで溜まっていた。 「店で充電した充電器をさ」 まためいちゃんがしゃべった。今日はよくしゃべる。 「好きな子に貸してって言われて、」 たぶんこれが5、6回めの会話だけど、そんな段階で“好きな子”なんてワードが出てくるんだ、と夏ちゃんは関心した。 「なんか汚い気がして、『嫌だ』って言ったことがあって、」 分かる気がしなくもない。でも夏ちゃんは今80%まで溜まったモバ充を見てホクホクしていたところである。そこへの配慮は無いらしい。 「それから店で充電するのはタバコだけにしてる」 タバコはいいんだ……。と夏ちゃんは思ったが、 「そうなんだ」 と返した。なぜならこれが5、6回目の会話だからである。 めいちゃんは箱から2本目を取り出してセットする。夏ちゃんは80%のモバ充を100%にするべくコンセントに刺し直す。めいちゃんはいくつなんだろう。店のプロフィールは確か21で、それくらいに見えるけど、在籍も長いらしいしもうちょっといってるだろう。長くいても“なんか汚い”の感覚があるってことは、やっぱり夜に出勤しているのは昼職の夜勤なのかな、昼職の夜勤てなんだよ、と夏ちゃんは思いながら文庫本に手を伸ばした。 「めいちゃーん」 めいちゃんを呼びに受付のセトさんが階段を上がってくる。めいちゃん本日初仕事だ。写真指名40分コース。写真指名しなくても、さっき夏ちゃんが出たから次はめいちゃんだったのに。指名料分1,000円損した客が下にいるらしい。めいちゃんが窓を閉める。2本目は吸い始める前だったようだ。ピンクのリップが付いた片方を上にして、真っ白なままの片方が箱に吸い込まれる。 バタバタとローションと、ウェットティッシュと、タイマーと、ポイポイカゴに入れて準備するめいちゃん。待機中にセットしておけば良いのに。と思いながら、夏ちゃんはめいちゃんに手を振る。めいちゃんは嬉しそうに手を振りかえす。表情は幼いが、笑うとゴルゴ線が出る。やはり24、5歳はいっているだろう、と夏ちゃんは思った。 夏ちゃんはやっと文庫本に戻ってきたが、店舗型だと呼ばれてからプレイまで時間ないからタバコ臭いのバレるよな、〈浮浪者は首をのけぞらせて、悲鳴を上げようとした〉でもめいちゃんは指名客もそこそこいるし、〈だが、不気味なささやき声のほかはなにも出てこなかった〉やっぱ素人清楚系も本来の清楚系ではないよな、 といった具合で目が滑てしょうがない。しょうがないから、窓を少し開けて、めいちゃんの定位置に座ってみる。そこからだとちょっと向こうのバイパスが見えて、めいちゃんはもしかしたら車好きなのかもしれない、と夏ちゃんは思った。
2025/02/11
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Untitled. 鳥からのメール。 ある朝、 眼が覚めたら 鳥がおおきく羽ばたいて けれどもそれも束の間で まるでゆらめく太陽に 見透かされているよう 鳥のこころが見透かされているよう 森へいきたかったの? ゆうことをきく羽根なら ちがう鳥にならなくてもよかったの? もうすこし、 時間が見えるといい. けれどもさっきは、 束の間の出来事に 瞬間おおきく驚いてしまった。 メル友と間違えたって聴こえた. 瞬間, それも一瞬の。 空虚 やがて自由に飛びたてるように. うしなうものの 問4. 失うもののないひとは 強いのでしょうか? ((つよいのでしょうか)) かなしい夢. かなしい夢をみました。 かなしい かなしい夢は 現実に対するなにかの反映でしょうか 夢からさめて かなしい夢は かなしい現実のなにかの反映でしょうかと. それでも今は 夢からさめて かなしい唄がとおり過ぎて聴こえなくなるのを. 唄い終えた夢の余韻が消えてなくなるのを じっと待つ、 待つ . 今日、 かなしい夢をみました かなしい かなしい夢は かなしい未来のなにかの反映でしょうか. 倉庫. さよなら いとしき人. ともだちの唄に 違うひと, ねえ じぶんの存在証明の最期の砦だなんて 最期の砦だなんて くだらない考えだよ 砦はひとつでは足りない たりないたりない。 いつしか 気がつく日が来るのだと思います. さよなら すべての可能性. 違う物語に まるいひと。 * すべては日常のなかに。 遠い記憶の底の原風景から 水辺のほとり 離れていても繋がっている 光と水が 溶けあうように 離れていても繋がっている 光と虹が 溶けあうように 揺れるように、 水辺のほとりに 人魚が佇んでいました。 虹のように揺れて 子ども. もう寝なさい 子どもは眠る時間よ 寝てください. 眠りましょう 夢をみましょう. あら 微熱があるのかしら. おやすみ. こんな時間だから もう 眠る時間よ. みんなはもう ねたのよ. もう 眠る時間なんだから 子ども達は眠る時間なのよ. みんな ねているんだから もうお眠り. こんな時間よ. 明日また 寝坊するんだから いいこだから ね もうねましょ いいこだから いい夢をみるの。 よいゆめを. 球形. どこにも行き着かない と. おもいます。 明日お見舞いに行きましょう。 病室の匂いが好きです. 時折. 電話が掛かってきて. 街の都合はどうですか と. 聞かれる。 けれど. そんな質問は馬鹿げてるとおもいます いい加減にして下さい 0.1(せめて死を. 幸福になることは復讐でしょうか 幸福によって 復讐するという考え, 今日はよく晴れた日です. 過去にもこういう事がありました こういう日。 違った考えのひともいます 復讐するという考えは 幸福でしょうか. 穿いてるズボンが裂けていて それが気にならないのは幸福でしょうか 明日もまた晴れるという事がわかるのは幸福でしょうか 違った 考えのひともいます 明日が雨の日だと. そう思うひともたしかにいます それでもいいのだと思います。 (空虚) 商品価値は高まるだろうけれど、それ以上の何があるとも思えない. 憂鬱です 花. ちりぢりに散らばって 揺れる水しぶきと 一緒になって遊んでる 青い みずは 飛び跳ねて 白い空に なりました ぼくの帽子は水色で きみの帽子は ピンク色 赤いめをしているの それが黒くかわったり 毎にち色を変えている あかい眼をして 野に咲く花をかえている ともだち. みさきちゃんは死んでといわれて死にました とてもすなおな子です かけるくんは一緒に死んでといわれて ひとりで死にました とてもすなおな子でした 。 矛盾. ソーダ水のように(ように) 。すいのように 雫。 ここから消えて、 月へ還ろう 月の石は道の雫 砂漠に似て 待ち時間は明日まで 今とは違う明日まで とある小石に胸のうちを明かして 小石の胸に眠る 眠れる 眠る小石に 唄う空 伝う雫。 曖昧です. 握りしめたこぶしに血が滲む ちぐはぐなままでいるために いる. なにもわからない 音楽を聴いている 壱イ. 消滅してほしい 光が満ちている しにたいって 面白い装丁です. つけたし .2 en. どこにもいかない. モニター画面を見ている あと. 消したくなったら消せばいい あとはかつてに過ぎ去ればいい 側面. しらない, なにも しることのない +( ) +(ao) 椅子、が 壊れた 。 ai + (ao) おいで ここにおいで ここでお眠り ぼくはいつでも ここにいるから やさしい光が朝の空気に溶けるまで それまでここにいて ゆめのなかにお眠り いつでもここに ぼくはいるから 蟲の. 結局は蟲の腹です けれどもそれは生きて動いています けれどもやはり蟲の腹です 追記. *ただそう書きたかっただけです 甘いものがほしくなりました 話し. 話したいんです 話したいだけなんです あとの事はどうでもいいんです 誰がなんと言おうとどうでもいいんです 本. 言葉を信じません まとわりつく文章はかなぐり棄てます 本はガムと同じで読んだら吐き捨てるものです 味のしないガムを欲する人がいるというのも可笑しな話です 物語, 人は、みな自分の物語を生きていて 自分の物語を生きてください。 since 1900/07/Xx. (淡いグレー). み んな みんな や さしい ° 2025/01/31 in Blue 水の 落ちる 音。を聴いていた気がする since 1900/XX/x、° すべては とおい 未来の 影の 裏庭で 淡い 聲が 。 ———————— 湖 のように、入れ違う 水の 底に見える、 \ 追記、は .3
2025/01/30
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佐藤緋色の運転するビートルは文京区辺りで首都高速を降りて近くの教会に車を停める、待ち合わせの相手はビートルを見つけて、此方に向かってくる。 木暮健は助手席のドアを開けて自分が後部座席に移ろうとしたが佐藤緋色から 大丈夫です、詩織細いんで後ろに座らせましょうといって一ノ瀬詩織にハンドサインで合図する。 一ノ瀬詩織はそれを見てドアを開けて待ってくれている木暮に少し会釈してするりと後部座席に収まる。 木暮もあれこれ言うのも面倒な感じになったので素直に好意を受け取って助手席に座ってドアを閉める。 赤いビートルはゆっくりと発進して行く。 「あれ?総一郎は?」と一ノ瀬詩織が佐藤に訊ねる。 「いや、ビートルに4人は厳しいし、南雲は関係ないからな、車だけ借りたよ。代わりに俺のKATANA貸してる、大学の授業があるんでカッ飛んで行ったよ、此方、俺の先輩の木暮さんだ、今日は悪いけど先輩のサポートしてやってくれ。」 車の運転をしながらルームミラー越しに後部座席の一ノ瀬に喋りかける佐藤。 「うん、それは大丈夫だよ、木暮さん今日は任せてくださいね、緋色のお母さん少し難しい人で緊張するけど基本的には良い人なんで。 だけどあまり変なことを考えないで下さいね心を読める人なんで。」 一ノ瀬詩織もルームミラー越しに2人に話す。 後部座席からの方が話しやすい感じ。 「心を読む?、なんだか不思議な人なんだね佐藤のお母さんは。」と木暮。 「なんだろうな?あの… …式盤だったかな確か式占って言うものを使うんですよ。」 佐藤が何か思い出しながら喋る。 「塔子さんの式占はなんだかとても希少らしくて、昔は他に何人か使い手が居たみたいなんだけど、今は数人しかいないらしくて… …塔子さんの高弟みたいな方は今はバチカンで大司教をされているらしいのよね、まぁこの話をする時はかなり機嫌悪くなるけど、なんか色々とあったらしくて。 だけど多分、今日の事も塔子さん式占で何か伺ってるとは思うので、塔子さんの前では何も隠せないですよ、だから清らかな心でいてくださいね。」一ノ瀬詩織は神妙な声で木暮に告げる。 「なんだか、大変な事になったな俺は機材の買い取り交渉をするつもりだけなんだけどな。」 木暮は佐藤と一ノ瀬の顔を其々見てそれから少し肩をすくめる。 その仕草に2人は少し笑う。 車は閑静な高級住宅街に滑り込んでゆく。 華宮塔子の自宅は豪邸と言う言葉が似合う家だった。
2025/02/02
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あかぎれの手を温めながら 冬の街を縮こまって歩いている 切れた所が痛むんだ ウイスキーを飲んだら 答えが分かる お母さんはそう言ったけど 飲んでも分かんなかった それって麻痺させるだけじゃないかな 一昨日がっつり落ち込んで 昨日たくさん泣いた 今日全てを諦めた つまらない理由、友達と喧嘩した それだけ 世界は単純に出来ていて 私を中心に世界は回っていない 言葉はそのまま伝わらない でも、たまに宙返りする 誰も信じていないって 信じているってことかな 何もかも分からないから またウイスキーを飲んでみる 身体の芯が温まるよね そうだね気のせいじゃなければね 私の中の悪魔が捻くれた言葉を吐き出すから もう一度、信じてみようという気持ちも無くなってしまう それでまた、指の先を噛んでしまう 冬枯れの公園でブランコを漕ぎながら 曖昧な空想に耽る 私とあなたは 違う 人間とは ゆっくりと 急いで 考える 結局、何も知らない そうでしょう 思い巡らしたところで 分からないまま 素人が知ったような事言って 何も言えなくなる
2025/02/04
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西の地平に朧月 未だ囲むは山霞 アイドリングの助手席で 曇ったガラス越しの朝 東の地平に明星が 次第に染まる茜色 肌に温もり描き加え しばしまどろむ助手席で
2025/02/10
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七日目の夜、そっと寝床を這い出し 七億のことば、七億の星空へ語る 七色の光は 七筋の道を 七節のリズムで照らし 七つの生涯を 七度閉じたあと、夜明けを迎える
2025/02/08
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魔物と戦っている者が居たことに驚いたエンディックは、すぐさま彼らの安全の為、ある行動をとった。 偽者の富に機力を溜め、強く発光させる。他の人間よりも自分の存在を示し、魔物達に注意を引くためだ。 現にこの選択は正しく、トロールは自分に取り付いた人間への攻撃より、突如現れた未知の『脅威』の即時残滅を優先した。 なぜなら、この世界で機力を用いるのは、今では魔物と勇者だけであり、魔物の敵対者であれば、それは勇者だけである。緑昇の読み通り、彼らの今回の作戦目標は勇者だったのだ。 威力偵察も兼ねて、ゴブリンは乱入者へ走っていった。 だがエンディックは勇者ではなかった。 黄金騎士は、遠くから小型の魔物が走って来ているのを知ると、体内の機力を燃やし、ここまで『あえて遅く走らせてきた』ヴァユンⅢの足に力を与える。 主と同色の獣は加速。脚部を高速で稼動させ、一気にゴブリンまでたどり着く。 「錬金……開始!」 エンディックは通り過ぎる瞬間、金の槍で魔物を……破壊した。 加速の乗った槍と、その彼の錬金術の作用により、鋼鉄の箱を一撃で殺した。 金槍に表面の装甲と、内部の機械を刺し潰されたゴブリンは転がり、黄金騎士は少し進んで左に大きく迂回。また鉄の小人の元へ戻っていく。 そしてゴブリンの死体の上で、一度横に槍を振い、また走り出した。 すると破壊され、散らばった魔物の残骸のいくつかに、淡い光が点る。 鉄の残骸達は宙に浮き、エンディックを追いかけ、接触。細かいパーツは武具に融合・吸収され、鎧の強度をより硬く、槍なら鋭さを増した。 これが黄金騎士固有の戦い方であり、彼の父親が考案した『騎乗錬金戦闘法』である。 敵対者の所有する『金属』を『錬金』する戦闘方法。槍を介して、敵の武具に機力を流し込み、無理やり使用不能にするのだ。 そしてそれは金属の体を持つ、魔物全般に有効なのである。 魔物の装甲にどんな硬度があろうと、槍に纏った機力に接触した瞬間、すぐに接触面から機力が循環し、その部分の金属を支配。錬金術によって装甲を軟化させ、そこから槍が破壊していく。 つまり偽者の富は、突いた敵の装備の解除、及び防御力を下げた状態で攻撃が可能なのだ。 ただし、一瞬で敵の一部分に機力を流し、支配するという芸当の連続使用。 ヴァユンⅢ同様に莫大な機力が必要であり、常人にそれを同時に運用し続けることは『不可能』である。 トロールは遠くで随伴機を破壊した敵に、上半身両脇で伸びるコニワク・キャノン砲を使用。砲声と火薬臭を伴い、強烈な火力が飛んでいく。 黄金騎士は瞬時に加速。後方で爆ぜていく地飛沫を置いて行き、大きな魔物へ肉薄する。 (……? な、何でこの人が居るんだ……?) エンディックは、剣を抜こうとがんばっているニアダを見つけた。仕方なく魔物を通り過ぎ去る瞬間、彼を槍で掬い上げ、遠く離れた後で畑に落とした。 「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁッ?」 トロールも後ろに行った敵を追い、脚を動かすも、鈍重な巨体は旋回には向いてない。さらに近距離護衛用の残った随伴機も、ニアダに破壊されてしまったのだ。 その間に黄金騎士は充分に助走距離を稼ぎ、魔物に突っ込んだ。狙ったのは振り向こうとしている左前足。 だが金槍は装甲を破壊できなかった、金の英雄はそのまま走って行き、距離を取る。敵の体が大きいので、瞬間的な接触だけでは、機力の浸透が足りないのだ。 しかし兜の下に落胆に表情は無く、すぐに魔物の前に走る、と見せかけて敵の右足側に。大きくカーブして回りこんだ。 大型魔物もこれを追うため、腹腕のガトリングを撃ちながら、位置を変えようとする。 出来ない。 左足が持ち上がらないからだ。 先程の刺突は攻撃ではない。槍を近付け、内部に機力を影響させて、衝撃により駆動部を歪めたのである。 これだけの巨体、支えている足回りを攻めれば勝機は有ると、エンディックは判断していた。 「その危ないブツを……頂こうかぁ!」 黄金騎士の本命の攻撃。魔物に接近し、右脇の長距離砲の砲身に突き刺し、踏み止まる。 刺さった箇所から機力が流れ込み、材質を軟化。敵の後ろへ逃れるとともに、槍を斜め上に振り上げた。 長い砲身は紙のごとく裂け、飛び散った破片が黄金騎士を追いかけて、槍と融合する。 (は、『この魔物も』大したことがねーな。そして……俺は強い! 騎士や魔言使いでも倒せない化物を、手玉に取れる。ヴァユンⅢには魔物の飛び道具すら当たらない! 偽者の富ならどんな敵だろうとブチ殺せる!) エンディックは得物を狙う狩猟者の笑みを浮かべる。このまま得意の一撃離脱を繰り返していけば、あの化物を鉄屑に変えられると。 「これなら……きっと、きっと勇者もブッ殺せる!」 大きく距離を取って、攻撃の姿勢に移る彼に、唐突に『ソレ』は起きた メナ・コントロールミスだ。 激しい頭痛と嘔吐誘引感。目を閉じてしまいそうな突然の不調に、エンディックは困惑する。 (う……! 何……だ? どうして、こんなに早く……? 不味い!) トロールは向きを変え、腹腕の武器で減速している金の獣を狙っていた。 黄金騎士はすぐさま直進から、カーブに切り替え、魔物の銃撃から離れる。ヴァユンⅢと己に活を入れるように、機力を注いで速度を戻した。 (くそ……! 俺じゃ父さん達の作品を、使いこなせないってのかよ……?) エンディックが時折頭を抱えるこの状態は、持ち主に原因が有るのだ。 槍と獣の同時使用には、膨大な機力が必要になる。その強大な力の循環コントロールに、エンディックの技量が追い付いていないのだ。 装備に供給されていた溢れる力が、主の中で荒れ狂い、急な体調不良を引き起こすのである。 (ちんたら無力化してる場合じゃねぇ。あと一撃で、『決め技』でブッ壊す!) 黄金騎士は銃撃から離れながら助走距離を取り、敵の背後から直進する。すると魔物は彼を追わず、そのまま村の方へ身を向けた。 「俺を諦めて……村を攻撃するつもりかよ!」 トロールは右砲の発射プロセスを変更し、左砲のみに切り替えていた。少しでも戦果を上げようと、敵拠点への砲撃を試みる。 エンディックは獣の脚力をもって跳躍。ある程度の高さに達すると、自らも乗り物から飛ぶ。 「必ぃっ殺ぅ……錬……金!」 黄金騎士の指令に応じ、ヴァユンⅢが自壊する。獣を構成していた全てが、主が掲げた槍に殺到し、二つの作品が融合して、巨大な槍となった。 様々な材料を混ぜ合わせたそれは、不格好で、まるで洗練されてない巨大な槍。 そして、エンディックの支配下に『侵された』武器の色はすべからく『金色』である。 「魔言『HEAT』!」 空中で姿勢を変え、槍を下に身を伸ばし、足の裏を空に向けた。その足に小さな赤い魔力円が発生。足裏から先の空間が熱せられ、魔力円から炎が噴出したのだ。 「ジャイアントォオ!」 魔力の推進装置(ブースター)により、落下に指向性と、爆発的な加速力が与えられる。 「バスタァァァアアア!」 高位置から撃ち出されたエンディックは、巨大槍でトロールに激突した。 「ジャァベリィィィィィィッンッ!」 これが黄金騎士の決め技『巨人の大槍(ジャイアント・バスター・ジャベリン)』 相手より高所から、魔言で自分を発射。敵の軟化を介さず、槍の質量と重量で敵を刺し貫く。いや、刺し押し潰す技である。 巨大槍は敵の上半身から大きな下半身を貫通し、武器と魔物の破片を撒き散らしながら、トロールを完全に破壊した。 『HEAT』は対象熱化。炎(えん)属性の魔力で空間を瞬時に暖め、熱する。魔力円から炎を出したり、熱からエネルギーを得たり、用途は様々な2の階級。 エンディックは足裏から炎を吹かし、方向を変え、落下速度の上昇を図ったのである。 正規の魔言使いではない、少年の魔力は少ない。魔言は数回しか使えない。なので錬金術の戦い方に、彼なりのアレンジ、魔言を組み込んだこの技は、全力の黄金騎士の必殺技といえる。 ゆえに今の彼に余力はないのだ。 緑昇の予測通り、これは囮である。 魔物達の『司令官(コマンダー)』は、トロールを倒したことから、黄金騎士を目標の勇者と判断し、本隊を動かした。 森から無数の巨体が現れる。その大型の魔物の数、十機。 編成はオークと呼ばれる魔物が三機、ギガースが一機、後はトロールが六機だ。 オークの見た目はトロールに似ているが、脚部が大きなキャタピラになっている 。 少し青みが掛かった迷彩カラーで、上半身の両脇には箱のような武器、推進誘導弾ポッドを備えていた。 他より抜きん出て大きい怪物は、指揮官機ギガース。 トロールをより大きくした形状で、煉瓦のような橙色の迷彩。上半身には凹凸の無い頭が有り、胸の青い光の上に角が生えてる。 上半身右側には重光線砲(ギガビームキャノン)の大型砲身が伸びており、他の二種同様、遠方の目標を狙っていた。 「おいおい……冗談じゃねぇぞ」 エンディックは冷や汗をかきながら、森から進んで来る鉄の群れを見ていた。 彼が大技まで使って倒せた大型魔物が、十匹も居る。 つまり村を救うには、あの群れの攻撃を全て避けられる程、ヴァユンⅢを動かし、魔言も絡めた必殺技を、十回繰り返す必要が有るのだ。 無論、一度に多くの敵を相手にすることも、巨人の大槍の連続使用も、消耗した少年には不可能である。 「負け……た……?」
2025/02/14
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少年には夢が有った。 少年は大人になるつれ、周りと同じように、それを諦めた。 男の耳は、その妄想とも言える夢が、実在すると聞く。つまり夢ではなかったのだ。現実にそれは有るのだ。ならば自分もそれを目指しても、良いではないか? 己にまとわり付いた物を全て捨てた男は、夢を実現させ、今も夢の中に居る。 そして今、夢に相応しい巨大な敵が現れたのだった。 ジャスティンは己の求心力が失われぬ内に、自警団や勇者を信じる者を集め、決起した。 十数人で森に向かったのである。 彼らの行動に呼応するかの如く、森まで半分の距離で、魔物も住処から出て来る。 三匹のゴブリンと、それを引き連れるように現れた、一匹の大型の魔物。 四角い大きな箱のような下半身に、巨大な四本の脚が生えている。 下に比べると上半身は小さく、腹から上が人間のような形。凹凸が無くのっぺりとした肌で、頭部はない。上半身に斜めに空いた穴で、青い光がうごめき、敵を認識する。 お腹から腕が生え、手首には近接対人用ズキス・ガトリングを装備。 上半身は箱の前側に有り、後備から長距離砲撃兵器の大型コニワク・キャノン砲を備え、長いバレルが上半身の両脇から伸びている。 ゴブリンと同じく森林迷彩に塗られた三メートルの怪物は、人々が『トロール』と呼ぶ個体である。 「クフフフ……より強い魔物を倒してこそ……勇者に……なれる。夢が……続くぅ……」 不気味に笑うジャスティンと、絶望に染まった表情の村人達の、魔物による虐殺が始まった。 自警団の若者達は半狂乱となり、重そうな脚部を動かして接近する異形に向かっていく。 トロールは射程距離に入った人間に、腹腕のガトリング砲を向けていく。 村一番の力持ちのクショム。撃ち殺される。 足の速さに自信が有るコステロ。蜂の巣にされる。 百発百中の弓使いケイル。周りの仲間もろとも、掃射されて死ぬ。 殺し進む。 △△△ 村の森側、畑には昨日と同じく大勢の村人が集まっていた。皆は何が起きているのか知っていて、ただ眺めることしか出来ない。 伝達役によれば、大型の魔物達がこっちに向かって来ると言う。戦った自警団は血まみれで倒れ、恐らく生きていないとのこと。 「だから止めたんだぁ! あんにゃろうは怪しいってぇ!」 「テンメ! 勇者様さ信じてなかったべかぁ? あんな後から来た方が偽者だべぇ!」 「オラのセガレもぉ、勇者様について行くって言ってただぁ!」 「そんで死んでんだろがぁ!」 ニアダは言い争う人々をなだめようとするが、ゆっくりと近づく脅威に混乱は続く。 あんな大きく強そうな魔物、とても人の手に負えない。散々有りもしないことを吹聴してきたニアダだが、この事態には余裕がなかった。 (やれやれ……僕だってどうしたらいいか解らないよ。とりあえず……逃げるかな) 魔物に一番効果的なのは、雷(らい)属性の魔言とされている。それも凄腕の魔言使い(スペラー)の魔言が、だ。 だが大型魔物には効かない場合が有るらしく、補助魔言よって強化された物理攻撃にでしか倒せない。 そこには『魔物に殺されずに接近戦』という無理な前提付きだが。 「ふー、そんな都合よく魔言使いが居るなんてな~……」 そう言ってニアダは、さっきから自分の肩を突付いてくる人物へ振り向いた。 そこには眉根を寄せ、神妙な顔つきになったシナリー=ハウピースが居たのだった。 △△△ 村人のほとんどが畑に集まっているので、ピンスフェルトはほぼ無人だった。 緑昇らは宿の屋根の上から、遠くの草原の様子を確認して地面に降り、無人と思われる隣の家屋の裏に隠れた。 「敵が少なすぎる。無計画に倒してしまいたく……なるほどに」 「伏兵が隠れていますの? 可能性としては森の中……ですの?」 「うむ……。それなら俺があの魔物と戦っている所に、長距離砲撃を仕掛けられるからな。よし……ここで『着て』行くぞ」 緑昇は誰にも見られていないのを確認し、右手の手甲を前に突き出した。 深緑色の下地に金十字の装飾が付き、四つのピンクの宝石がそれぞれ十字の先に飾られている。 右手を握り締め、手甲に機力を込めると、桃色の宝飾が輝いた。 すると今まで隣に居たモレクの姿が掻き消える。まるで最初からそこに居なかったように。 緑昇はそれに気にも留めず、今まで何十回と唱えてきた、誓いの言葉を口にした。 「勇者、召喚」 この魔力世界『シュディアー』には秘宝が有る。それは古代の人類が残したと言われる『技術銀行』(テクノロジーバンク)だ。 世界中の魔言使いが毎日、魔言というパスワードを用いてアクセスし、その超技術に魔力という燃料を与え、利用している。 緑昇の今の発音は、その銀行の最奥に隠された『王都に封印されていたこの世界最高機密であり、この世界の支配者である龍(ドラゴン)をも殺す、七つしかない最強技術』にアクセスするものだ。 男の背より高い位置前後に、黒い点が生まれる。 点は中空から地に伸びて線になった。線は緑昇を中心に回転し、前の線が右から後ろの線に、後ろの線が左から前の線と融合する。 線の回り動いた後には闇が生まれ、緑昇を隠すような黒い円の壁が完成した。 この黒い結界(カーテン)の中で魔力と、機力が渦巻き、技術銀行と直結。空間に『記録(セーブ)』された情報を目に見える形で『再現(ロード)』する。その情報状に格納された装備こそ、『勇者鎧』なのだ。 緑昇の体中に、無数の文字や数字の羅列が巻きついた。黒いチューブとなったそれらの上に装甲が取り付けられていく。 緑昇の胸に巻きついたチューブの上に、上胸と下胸に分かれた四枚の装甲版で作られた、胸鎧が装着される。 人の唇ような不気味な装飾が、上下左右の装甲に一つずつ有る。 肩には大きく四角の鎧が。横には循環用スラスターが付き、左右の肩の端と端を布が繋いで、マントのようになっている。 脚の情報は複雑なデザインの脚甲となり、膝と踵、足の甲にも丸刃のパーツになった。爬虫類の鰐(わに)に似た形の腕甲が、両腕に装着。右腕の装甲は左よりも大きめだ。 頭にはチューブは巻きついておらず、情報は兜になった。ギザギザのトサカの意匠に、口元は獣の牙のように荒々しい形。 青い透き通ったバイザーが目を覆い、その中の二つの鋭いカメラが黄色に輝き、外界を見ている。 鎧の質感は刺々しい鱗のようで、緑色の装甲に銀色の装着部や装飾。黒いチューブが間接や腹部に重なり、背のマントの色は緑昇の心情を表すような血色。 結界を押し開いた両手は銀色で、右は金十字の手甲がそのまま。奇妙な形の緑の鎧男が、完全に外界へ出ると、結界は消えてなくなった。 金十字の手甲から電子的な女の声が聞こえる。 「組み立て完了。大食勇者モレク・ゾルレバン2」 結界が開いた際に漏れた魔力が、周囲に突風を起こすとともに、一瞬何かが現れ、消えた。 それは巨大な怪物の姿。豚の胴体に鰐の頭を付けた緑色の異形存在が、緑昇の後ろの結界から現れて、すぐ光になって手甲の宝石に吸い込まれた。 「畑を通らず……遠回りして森に向かうぞ。先に……伏兵を探す。村から出て、平原を進めば森を探知範囲に入れられるはずだからな」 緑昇の視界内にカメラ越しの周りの状況と、勇者鎧の状態や各種兵装、周囲の魔力及び機力反応の情報が広がる。だが妨害装置の影響で、反応探知は行えないのだが。 手甲がまた音声を出す。それはモレクの声であった。 「迂回する間に進行する魔物が、村を射程に入れてしまいますわよ?」 「構わん。もし……あの魔物が囮であれば、控えている伏兵に俺達が殺されるだけだ。この場の目的は、村を脅かす魔物を倒すこと。 優先すべきは村人の安全よりも、敵と闘う俺達の生存だ。例え、勇者が人々を守る盾になり死んだとしても、その後守りたかった者達が殺される。魔物に対処出来るのは……俺達だけなのだから」 方針を決めた緑昇は、畑側とは別の村の外への道へ走った。 村人の命を無視すると言いはしたが、罪無き人々の死を許せぬという感情も有る。この事態は、己がどれだけ素早く動けるかで、死人が減るのだ。 冷酷さと怒りを抱きながら、緑の勇者は家々の間を疾走する。 「あの子……来ますかしら?」 相棒からの不意の問いかけに緑昇は、見張り台近くで会ったエンディックのことを思い出す。 あの少年は鐘の音を聞いた後、黄金の勇者以外に興味無しと言い、あの場を去ったのだ。 確かに常人に魔物に抗う手立てなど無いし、退くのが理性的である。今頃村を去っているのだろうか? 「俺の世界ではな……己には関係ないとか、俺は帰るぞと言ってしまった場合、六割方の者は戻って来るという……。 彼には黄金の勇者のことで聴取する用が有る。横から来て死んで欲しくないものだが……」 村を出た緑昇。畑側の出口とは離れているのに、向こうの喧騒が耳に届く。 「魔言『MIRROR』」 勇者が発声したのは非物理反射の技術だ。物理的ではない『何か』を鏡に映したり、影響を及ぼした敵に反射させる中級魔言で、6の階級。 大抵は敵の攻撃魔言を防御したり、砂国の金持ちが日光を遮る為だけに、魔言使いに使わせたりする。汎用性が高いが操作が難しく、消費する魔力量も多い。 緑昇の周囲に四枚の大きな鏡が呼び出され、宙に浮く。胸の唇が息を吹きかけると、鏡が風の魔力で勇者の周囲を回転。彼の進む動きに追従した。 「貴方様、注意が有りますわ。この鏡は360度全ての景色を映し、読み取り、この世界におけるワタクシ達の『座標』を欺瞞しますの。 この座標を観測した視覚に、向こう側の風景を見せ、魔力及び機力探知に対しても、別の座標の結果が出せますわ。 ですがここから先は、鏡の追従可能な速度、歩きになりますわよ?」 「了承している。『鏡面迷彩(ミラーパターン)』というこの魔言の使い方は……この勇者鎧の十八番 おはこ だからな。これで俺達は何者にも知覚不能となる……。魔物の横を素通りし、森を目指すぞ」 緑の勇者は走らず、かといって素早く歩き出した。この場所から森までは遠く、走れないならとても時間がかかる。その間に魔物によって村が襲われるかもしれない。 しかし、緑昇は己の命を優先する。 彼は勇者である。これからもあらゆる悪を殺すし、多くの人々を救うのだ。 今後救えるはずのもっと多くの人々。その未来の為、少ない命を見逃す罪悪は、もう何度もしてきた。緑昇は全ての罪無き人々の、平和を守りたいという言葉も本心だ。 だがそれは、あくまで、自分の命の安全が、勇者の勝利が、決定的である場合にのみ、だ。 緑昇が殺す悪は、生身の人間であり、彼が戦うのは、圧倒的な勇者の力で苦もなく虐殺可能という、大前提が有るからだ。 害悪として魔物を破壊するのも、勝つ確立が高い場合のみ。それも今回のような未知のケースがなければ、そうそう負けは無い。 命のやり取りは避け、ただ一方的に力を振う道徳者。 それが緑昇にとっての勇者道である。 △△△ エンディックは緑昇と別れた後、すぐに宿に戻った。武器である金属棒(メタルロッド)と、防具を入れた麻袋を取りに来たのだ。 そしてピンスフェルト村を出て、今は野道を進んでいる。 この近辺は平坦な地形ばかりなので、身を隠す場所に困る。彼は黄金騎士を『作る』場所を探しているのだ。 ある一身上の都合から、エンディックは義賊めいた活動をしている。その行動をこれからも続ける為にも、素顔は決して知られてはならない。 人々は名乗らないエンディックを指差して『黄金騎士』と呼ぶ。皮肉なことに人々にとっての羨望の渾名は、エンディック自身にとっては憎き仇の呼び名なのだ。 だが今では納得している。もし黄金騎士という名が遠方まで広がれば、怨敵が興味を持って接触して来るかもしれない。 エンディックは草地を歩んで行った先で、大人の男でも身を隠せる程の大きな岩を見つける。 その岩の裏手に回り、彼は荷物だった麻袋を逆さにして中身を出した。 出てきたのは無数の装甲板と防具の部品だが、どれもバラバラで、今から組み立てては時間が掛かってしまう。 その他に兜と、二つの籠手が転がる。どちらも汚く錆びたような色をしているが、それはエンディックの『力』によって『本来の色』を隠しているからである。 エンディックには特別な『才能』が有る。それは両親から受け継いだもので、この魔力世界において、体に宿している者はごく少数である。 それは『機力』だ。 異世界では機械を動かすエネルギー全般のことを示し、この世界ではあまり理解されていない未知の力。 だがエンディックは両親と同じく、魔力世界での機力の使い方を知っていた。 エンディックは両腕に籠手を付けて、拳を握る。すると籠手の汚れが剥がれ落ち、本来の色である眩いばかりの金色の籠手となった。中心には大きな宝石が取り付けられている。 これは籠手に土や石を、機力によって付着させ、盗まれ難くしているのだ。 そして顔の前に兜を掲げ、特別な発音を口にした。 それは空間から技術を取り出す、魔力が無ければこの世に紡ぐことも出来ない、かりそめの魔なる言葉ではない。 今、エンディックの両手に確かに存在し続ける、超技術への命令。 「錬金開始(レッツ・アルケー)」 錬金術である。 エンディックが兜を被ると、それも金色に変わる。 さらに左腕を前に突き出すと、左籠手の紫の宝石が発光。地面に無数の文字や数字が刻まれ、それは彼を中心に円形状に広がった。 その錬金円(アルケーサークル )の中で散らばっている防具と部品に、エンディックの機力が流れていく。それだけではなく、草や土、円内全ての物質が彼の支配下に置かれているのだ。 次はエンディックの右の籠手。赤い宝石が輝き、彼は持ってきた長い金属棒を右手に握った。 それを地に突き刺し、抉るように横に振り上げた。撒き上げられた土草が、棒に追従するかの如く集まり、筒状に被った形は槍のようだ。 使い手の手元を守り、鋭く尖ったそれは、色と材質を強制的に『金』に変えられていく。 「アリギエまで走ったときは、力が切れて黄色くなっちまったが……よし、いい出来だぜ」 エンディックの両の籠手は、錬金術師(アルケミスト) であった両親が錬金した作品。 使用者が機力によって稼動させれば、材質に関係なく、籠手の宝石内部に記録(セーブ) された設計図通りの作品を錬金する。 質量さえ満たせば、使用者の機力が供給される限り、その素材を強制的に黄金に変える。 右の籠手の性能は、『偽者の富 コンターフェイトフォーチュン 』と言う黄金の槍を錬金するもの。 この槍は魔言使いにおける魔言杖の役割となり、槍を媒体に錬金術を行使することも可能である。 胸の装甲板と取り付けた脚甲に、エンディックは土を塗り付けた。機力によって支配された土は防具の表面を金色に変えていく。 戦う準備を終え、村の方角を睨む姿は、人々が憧れる黄金の騎士のものになっていた。彼は弱きを救うべく、村の畑の方へ走り出す。 すると、残された装甲板や部品が宙に浮き、主を追う。黄金騎士を追う鉄の群れは、淡い黄色の光に従いながら、組み立てられ、何かの形になっていく。 エンディックが跳躍すると、その着地先へ鉄の群れが集まり、周囲の土や石を吸収し、少年の『相棒』を錬金した。 黄金騎士が飛び乗ったのは、金のプロングホーンである。 左籠手の中身は、金属の獣を錬金する設計図だ。エンディックが持ち歩いているのは、基礎となる骨格と駆動部のみ。 表面的な装飾や色は、ほとんどその場の土や草を固めて、金にしているのだ。 エンディックの機力に支配されたこの『ヴァユンⅢ』は、瞬時に変形・分解、再度組み立てが可能。 そのため表面が破損しても、骨格が無事であれば、すぐに近くの砂や土で補強出来る。 しかし形を維持しているのは、その機力なので、使用者の消耗はとても大きく、長時間の使用はとても難しい。 黄金騎士は遠くのピンスフェルト村を見やる。今あの村は魔物の脅威が迫っているのだ。 彼は勇者という単語に、あまりいい思い出はない。どこかに有る故郷、母の死、そして友人の少女。様々な悲しみに『勇者』という理不尽が関係しているからだ。 過去に何も出来なかった己だが、今はこの偽者の富と、ヴァユンⅢが有る。 エンディックは両親が残してくれたこの力で、自分達にまとわり付く過去を、振り払うと決めたのだ。 「あの勇者……緑昇って言ってたな。奴が敵でなかったとしても、信用出来ねぇ」 『ヴァユンⅢ』に制限速度はない。使用者が動力となる機力を込めるほど、ヴァユンⅢの脚は早く駆動し、あの並外れた加速での移動が可能となる。 「『俺達』を守るのは、本物でも偽者でも勇者なんかじゃない。『俺達』自身だ!」 鉄の獣は主を乗せて、草原を駆ける風となった。 △△△ 「私達で魔物を倒しましょう!」 村人の群れから連れ出されたニアダに、シナリーはそう開口した。 彼女の提示した作戦。それは彼女が攻撃魔言で小型の魔物をけん制、よくて撃破する。 そしてニアダを補助魔言で強化し、大型の魔物の背後まで跳躍させ、強化した剣で倒す……というものだった。 「そ、そりゃあ僕の必殺剣なら、魔物なんてイチコロさ! でもそれを援護する実力が、ただの修道女の君に有るとは……」 ニアダは冷汗を出しながら、返事を濁した。戦いに無縁のシナリーが、なぜこの状況を打開出来そうな案を出せたか疑問だが、それはあくまで空論だ。 その作戦には並以上の魔言使いが必要なのだ。 それも補助魔言を二つも遠方まで維持し、魔物に一撃を与えられる強力な魔言を、長距離まで届かせるほどの大量の魔力と、そのコントロールを持つ魔言使いが、だ。 ニアダの見立てでは、三人の魔言使いの分担が必須。それをこの少女は一人でやると言う。 「有りますよ。実は私スゴーい魔言使いなんです! 理由は言えませんが……多分、アリギエの騎士団所属の魔言使いにも負けないと自負しています!」 なんと、シナリーは断言したのだ。ニアダから見て彼女の瞳には、嘘の罪悪感や見栄は感じられなかったが、無理な期待は出来なかった。 「僕は……村人を避難させるよ。魔物だって村に誰も居なかったら、それで帰るかもしれない。ちょっと村が荒らされても、また直せば……」 「なら家も畑も、全部無くなるかもしれませんね?」 「え……?」 ニアダは言葉の意味が解らなかったのではない。 目の前の少女が、まるで別人になった錯覚に陥ったのだ。心を見透かしているような、こちらを写す目。重く圧し掛かるようになった、耳に聞こえる声。 ニアダのよく知るシナリー=ハウピース像は掻き消えていた。 「あの『ヘイロータイ改・参型』に似た大きな機械生命体は、広範囲大火力兵装を内蔵しているかもしれません。 もしそれが暴れまわったら、畑は吹き飛んで、家も何もかも燃えてしまいます。その場合、村の人達はどうします? 日々の蓄えや住む所がなくなったら、騎士団や役人の方々が助けてくれるんですか? 今までと同じように、知らん顔か先送りですよね? 村の人達が貧乏になって、他の町に流れ着いて浮浪者になるか、盗賊に転職するかもです。それで犯罪者になった彼らを殺した方が楽だし、『楽しい』ですよね?」 「き、君が何を言っているか解らないが……そ、そんなことは」 「ニアダさん、どんな人だって幸せになる権利は有ります。でも幸せになるには、その人がなりたいと思えるのが条件なんですよ? 『また幸せになりたいと思う余裕』がなければ、もう二度と幸福はやって来ない。避難して五体満足でも、燃え上がった生活と、暗い未来が見えてしまった人の心と人生は、『不幸』に支配されるしかないんです。 この村の人達の心を不幸から守る最短の方法は、私達があの大きな魔物を無力化するしかないんですよ」 そう語ったシナリーは頭と身を下げた。そして上げた顔は、いつもの彼女の笑顔に戻っていた。 「幸い、あの小型の魔物は、死人を出せばなんとか倒せるみたいですね。魔物を一機殺すだけで良いんです。ニアダさん、私と村の人達を助けてください」 そしてニアダはシナリーとともに畑に残った。 慌て騒いでいた村人達に避難を促し、二人は畑の先、平原を突き進んでくる異形の『物』らを見ている。 「僕も……さ、今みたいな状況に憧れていたんだ」 独り言のように呟いた騎士に、修道女は顔を向ける。 彼は少女ではなく、己の姿を見下ろしていた。 ニアダの目には、胸や腰、手足に付けた質の高い防具が写っている。ゴロツキや一般人が手に入る武具とは値段が違う、騎士という職業に与えられる資格のような物が。 「悪しき化物から弱き民を守る、正義の騎士。まるで物語の中の英雄みたいだ。僕は……思い出したんだよ。 何でこの剣や防具を着ているのかって。僕は『今この場所に立っている側』になりたかったんだ。……ちょっと青臭いね」 「そんなことないですよニアダさん。そういう気持ちは、大人になってからも大事です。 うちのエンディックんも子供の頃から、勇者とかが出てくる本が好きだったんですよ? 泥棒ならともかく、『良い者』になろうとする気持ちが、非難されるのは変です」 「ありがとう……シナリー君。それじゃあ僕は、夢を叶えに行くよ」 ニアダはそう言って、意思の強い眼差しで顔を上げた。手に構えるは、村に持ち込んだ大剣(バスターセイバー)。彼は鍛え上げた腕力を頼りとする、重戦士だった。 「では……私はそのお手伝いをしましょう。ニアダさん、手筈通りに」 シナリーはそう言って、杖を振りかぶり、前へ突き出し構えた。 棒の部分を左脇に挟み、左手で支える。Xの字の杖先端へ右手を伸ばし、X字の自分側の先端を掴んだ。 まるで機力世界の機関銃でも携えるような構え方である。 そして彼女は精神を集中し、杖へ魔力を流し込む。先端に取り付けられた水色の魔玉が発光し、技術銀行へのアクセス効率を高め、現世への門を開いた。 「魔言『KICK』『SLASH』『THUNDER』」 シナリーの後方の中空に三つの魔力円(マナサークル) が生じ、それぞれ白、紫、黄色の光を放っている。 それを見たニアダは、魔物の方向へ走り出した。 三つの魔力円の内、二つが杖の先へ移動してから、走っていくニアダへ放たれる。白の魔力円が彼の足に、紫の魔力円が大きな剣に重なり、効果を発揮する。 『KICK』は脚力強化と衝撃無効化の技術。主な用途は、強化されたキック力による長距離ジャンプと、着地時の衝撃吸収である。1の階級。 ニアダの脚甲の上から、別の純白の脚甲が重ね付けられる。強化された彼の足は、広大な畑を一気に進んでいった。 「次は魔物全体にけん制。ニアダさんの危険を省く為に、小型の魔物くらいは倒さないと!」 シナリーは残った黄色の魔力円に、使えるだけの魔力を注ぎ、力を溜めていく。敵はもう畑の前まで来ている。 「オラ達も闘うだぁーー!」 見ると、村の外に避難したはずの男達が、武器を手に村から現れた。彼らの一人がシナリーに歩いて来て、感情的に語る。 「アンタ達には感動したっぺ! 余所モンのくせにこの村を守ってくれんだも。是非手を貸させてくれっぺぇ!」 「え? ちょっと待ってください! あの大型の魔物を倒す前じゃ……」 「オラ達も勇者さなるだぁー!」 村人達は制止の言葉も聞かず、畑を駆けていく。シナリーは止めようにも、構えを解けない。せっかく集めた魔力が霧散してしまうからだ。 「く……! ならなおさら成功させないと! 魔言……」 砲声。爆音。 攻撃対象が増えたこと、射程距離に入ったこと、何より指令(コマンド)が届いたので、トロールは長距離砲撃兵装を使用。発砲は数発。 弾けるような音が遠くから、轟く音が近くで、シナリーの耳に聞こえた。 彼女は着弾による激音と土飛沫で、集中が途切れないよう、しっかり前を見ようとする。 だから解ってしまった。 前方を走っていた村人達の姿がない。代わりに変色した地面と、何かの破片が散らばっていた。トロールの砲弾は、シナリーの近くとその前方に着弾したのだ。 「……っ! 魔言『SHOT!』」 焦りか恐怖か、シナリーは反射的に叫んだ。増幅され大きくなった黄色の魔力円が撃ち放たれ、その発生地点を伸ばす為、青い魔力円を杖から放つ。 魔力広域化の技術の青い光は、横向きに飛ぶ黄色の魔力円に追い付き、縦に重なった二つの円は、十字の形を成す。 だが魔物へ飛んでいく彼女の魔力は、走るニアダを追い越して進んだ辺りで、軌道がズレた。 「え……?」 このままでは魔物に当たらず、ニアダが危ない。シナリーは強引に魔力を発動させた。 『THUNDER』は小規模気象兵器の技術。魔力円内に小さな嵐を仮想的に発生させ、円内から露出させた雷雲から、雷を落とす攻撃魔言だ。4の階級。 シナリーはこれを魔物の進路上の上空に設置し、通った魔物の足を雷属性の魔力で止める。あわ良くばこれで、大型の魔物も倒そうとしたのである。 だが彼女の魔力は、敵の前まで真っ直ぐ飛ばず、横にズレてしまった。なのでシナリーは想定よりワンテンポ早く、魔力を解き放つしかない。 空高く上昇した黄色の魔力円から発せられた稲妻が、轟音と閃光を供に、地に降り注ぐ。一瞬だけではない。 シナリーが充填した魔力の落雷は、溜められた力が続く限り、何度でも畑を焼いた。 そこへ疾駆していたゴブリン二匹が突っ込んだ。突然生じた異常気象を前に止まれず、雷は鋼鉄のボディを貫通。内部の脳に当たるCPUを、修復不可能に焼き焦がした。 しかし、そこまでが彼女の限界だった。 「あぁ……!」 魔力が霧散した。 轟き続けていた雷鳴が終わり、黒々となった土と魔物の死体の上を、三匹目のゴブリンとトロールが通過した。どちらとも無傷である。 「……はあ……はぁ……、そんな……!」 シナリーは全力の魔力を放った反動と、それが予定と違った結果を産んだことに落胆する。 「大型の……魔物に……カスリもしなかった?」 複数の魔言の同時発動、およびその発動のコントロール。さらにそれを、魔物から攻撃されないであろう安全な場所から、長遠距離まで届かせる高難易度。しかも単独で実行する。 こんな芸当、高名な魔言使いにしか出来ないだろう。それをやってのけた若き使い手は、あまりの『不甲斐無さ』に泣き崩れるのであった。 「こんな! こんな『簡単な』ことも出来ないなんて……何? 何なんですか私はぁっ! もう何年も殺してないから、忘れちゃったんですかぁ? あんな雑魚くらい倒せないなんて……。 人殺しくらいしか取り得がないのに! 人を守ることも出来ないの……?」 不出来。あまりにも不出来な自分。周囲から恐れられる怪物にも、周りから愛される人にもなれない少女がすがれるのは、義父が残したこの杖だけ。 疲労による汗と、情けなさから来る涙を流しながら、シナリーは今すがりたい、傍に居て欲しい者の名前を口にした。 「……うぅ……エン……ディ……クん……私は……」 ニアダは大剣を背に担ぎながら、強化された脚力で大地を走り続けていた。今はもう、魔物と接敵する距離まで来ていた。 (やはりシナリー君に『も』難しかったか。まあ……大丈夫さ。あのトロールもゴブリンも僕が倒す。それでメデタシメデタシだ!) 小さな魔物が人間を射程に入れようと、ニアダに走っていく。 対してニアダは、ゴブリンとその後ろのトロールの位置を目で確認し、力を込めて前方の地面を蹴った。 「作戦通り、ここで跳ぶっ!」 空高く跳躍するニアダ。大きなジャンプは鉄の小人を飛び越え、彼は大型の魔物の真後ろに着地した。 そして、両手で剣を振り上げたところで、武器に取り付いた魔力が発動する。 『SLASH』は切断消滅の技術。使用者の力より魔力抵抗が低ければ、何であろうと消滅させる魔力の刃を生み出す。6の階級。 だがこの魔言はあまりにも消耗が大き過ぎるので、そのまま用いる使用者は居ない。 既存の剣の刃先数ミリだけに、最低限の魔力で作用させるのが望ましいとされる。 ニアダの剣に重なっていた紫の魔力円が発光。魔力が大きな刀身に溶け、敵に当てる部分である刃先に、紫の光が帯びた。 この魔力の光が有る間は、敵の硬度を無視し、防御力を消滅させながら斬り進むことが可能。ただし効力は一回か二回が限度だ。 重騎士は大剣を横に振りかぶり、後ろのトロールへ向く。 四角い箱状の大きな下半身と、その両側に後ろ足。 二メートル程の巨大な下に比べ、人間くらいのサイズの上半身からなる異形。 狙うは上半身と下半身の間。シナリーの話によれば、上の細い体で外界を認識しているらしい。 そこを切り離せば、下の体に有る武器を無力化出来るとか。 ニアダは裂帛の気合と供に、渾身の斬撃を振り放たんとする。 「ふっつうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっあ!」 そこで彼は気付いた。己を見る二つの視線に。 トロールの尻にあたる場所に搭載されていた、同じ色で見分けられなかったゴブリン二機の青い瞳に。 当然、ニアダとは対面する位置に有るので、ゴブリン頭部の銃口の先に彼が居るのであって。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 眼前の恐怖を優先した重騎士の剣が、ゴブリン二機を両断する。彼の大剣は、刃に触れた魔物の装甲を消滅させながら進み、刀身の大きさ分だけ抉り抜けた。 だがトロールにとっては、大きな下半身の一部を削られただけにすぎず、致命傷ではない。 「しまった……。すぐにもう一度!」 ニアダは構え直し、魔物の上半身に飛び掛る。凹凸が無いのっぺりとした肌の、人に似た上の体に、横から剣を叩きつけた。 「な……? もうか……!」 大剣は少し入った所で止まってしまう。ニアダは焦りで見落としていたのだ。剣に宿った紫の光が霧散していたことに。 トロールの上半身が傾く。頭が有ったら振り向いたように見えただろう。 魔物の腹から伸びた腕がニアダに向けられる。 その先にはガトリング砲が生えていた。 △△△ 「――終わったな」 誰にも気取られずに草原を歩む者が居た。 その者は戦闘の場所を避けて大きく迂回し、森へ向かっていた。あと目的地まで半分の所だ。 彼は見ていたのだ。村から立ち向かう者達が出てくるのを。 そして感心した。今の時世、あんな正義感を持った人間が居たことに。さらに大型の魔物を倒す寸前までいったことに。 だがそれも失敗に終わったようだ。 きっとあの勇敢な騎士は死ぬ。 なぜか? 勇者が助けに行かないからだ。 きっと畑に居る魔言使いの少女も死ぬ。 どうして? 勇者がその身を犠牲にして、戦わなかったからだ。 魔物からコソコソと隠れる勇者は、ヘルメットのカメラを操作して、せめて死にゆく彼らの顔を見ようと思い、気が付いた。 「銃声が聞こえない……?」 「緑昇! 機力反応有り。物凄い機力がこの草原に急接近していますわ!」 緑昇は青いバイザーの視界内に映し出された、レーダーを見て、その方向に顔を向ける。 村の裏側から畑に侵入し、地を疾駆するは鹿のような鋼鉄の獣。 それに跨る、槍を携えた騎士。 武器防具、乗っている獣、全て金。 「黄金騎士……! ここに出てきたか!」
2025/02/14
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どれくらいの時間が経過したのだろう? パオロ・ミシオロスキーは目の前にあるカンバスを眺める 其処には青年の姿が描かれてあった タッチの具合から見て4、5時間程描き続けていたようだ 筆を置いてベランダから街並みを眺める 大聖堂へと続く道には多くの観光客で賑わっている パオロが見上げる空には黄金の雲が横たわっていたその黄金が太陽光線の一因かはよくわからなかったが、彼がカンバスの誰かを書き記した後は必ず空に黄金の雲が見てとれた アトリエのドアがノックされ女性が入ってくる 大丈夫?デッサンの合間にも声をかけたけどまるで返事が無かったから… … 随分と苦しんでいる感じだったので心配になって と妻のアリー どうかな?描いている間の記憶が曖昧だからね、もやのような中で詩篇を暗誦しているような、しかし今回は随分と時間がかかったのかも知らない 変なプレッシャーがあったのかも … …随分と若い子ね 東洋人?しかし知的な感じはするわね アリーがカンバスを眺めながら呟く 兄さんの雷公式にもよるが、もしかしたら数日内にまた、何処かに出向く事があるかもしれない、私のスケジュールは調整がきくが兄さんの場合は如何だろう? 大きなミサも予定されているし 今、ローマを離れる事が承認されるかどうか パウロの携帯が振動する 兄のミィティア・ミシオロスキーからだった アリー、兄さんからだ、席を外してくれ アリーは静かにアトリエのドアを閉めて下の階に戻っていく 兄さん探索は上手くいった? あぁ午前中に用事は済ませてさっきまで試していた、まぁまたかと言うべきか日本ではあるな、東京都内と言う事まではあたりはついた、後は現地に行ってからになりそうだ お前はどんな感じだ? さっき終わったよ 画像を転送するよ カンバスを撮影した画像を兄の携帯に転送する 東洋人男性... ... 学生かな? まぁそんな感じだね、手元に何か? 書籍のようなものが 類似検索をかけてみるよ これは… …詩集かな? お前が読み取るものは本人に強く関わるものが多い、本人の著書である可能性もあるな 数日ローマを離れることになるが予定は組めそうか? 大学の授業の変更は大丈夫そうだけど 何人かの生徒には個別の予定を組んであったので其れがちょっと難航しそうだね 今からでも調整を始めるよ 兄さんの方は? ミサが来週あったのでは? ホルダーの調査、この案件は枢機卿から最優先のとされているからね、ミサの件は彼らの中で代わりを用意するだろう 今回は全く感知していなかった人物なのでこちらに引き込める可能性も高い、 ウラエルス・メイフェアには何故かコチラの能力、目的そのものが漏れていたようだったが今回は野良のホルダーの可能性が高い、慎重にそして確実にとの言葉を頂いている。合同での万博への侵入に関してはなんとか妨害工作が成立するように動いてはいるみたいだが万一の事があるからな 手駒の確保は何よりも優先する事になっている、前回のような事は大目に見てもらえる雰囲気ではない感じだな ウラエルス・メイフェアに関してはイギリスと現在ではアメリカも関与しているらしい、後の調査で彼は、考案者プランのクレジットを有している可能性がある事がわかった、我々の手に負える人物ではなかったのかもしれない。 まあ、ボクらの手当たり次第のこの方式だとそんな格上を掴まされる事もあるだろうね ここは切りかえて僕らは僕らの能力に見合った仕事をするだけだね それはそうとvozlyublennyyは引き当てたの? 妨害工作とは別の交渉チャンネルでプラスとの協議の結果、2アカウントの所有権と言う事で綱引きしている感じだが、トークンそのものの能力の兼ね合いで聖ヨハネ騎士団との調整が難航している 2アカウントではうちのホルダーと騎士団との間で話し合いの折り合いがつかないようだ 3つ目を強硬に要求しているみたいだが 3つ目から更に額が跳ね上がってとても交渉ラインにのせられないらしい コレもプラスの狙いだとすればいい様にやられているな ナカモト氏の資金で動かせる傭兵が 国家単位になるからね 彼の持っている警備会社はいつの間にか世界最大規模に成長しているし 初動で10万人近い精鋭兵力を用意出来るのはまあこれは世界そのものが出し抜かれている、 頭の出来が違いすぎるよ まぁだから力任せの交渉は効かないし どうしても相手の土俵でやり取りする事になるから相手の術中に陥りやすいね 明後日… …いや、明日には調整を終えて日本に向かう事にしよう、我々の他に何名か連れていくが今回はあくまでも交渉という事で手荒な真似はしない様に統制を行う事とする、が雷公式の結果が思ったよりも芳しく無い 羊男とカタナだけは連れていくか あくまでも守護のために そうだね 彼等を連れていけるのは 心強いな、なんとなく安心するよ 前回の轍を踏まないように用心深く、日本にはまだ良い思い出がないので今回は其れが叶うように。 心霊力そのものの力を得るには虹色の瞳を得なければならない、その為の悪意の絶対量が足りない今の状況でパビリオンへの接触は避けなければならない その行為が結果、悪意の出現の停止の引き金 となる可能性がある限りは。 1民間企業が大国を凌ぐ力を得ようとしている、それは阻止しなければならない ミィティアは呟くように喋る 通信を終えたパオロは再び外の景色を眺める バチカン市国に向かう人々、 空には雲は一つもなくなっていた 下の階でアリーが夕食の用意をはじめている 彼は、カンバスの右下に自分のサインを書き込んだ。書き込まれたサインは暫くはカンバスの隅で揺ら揺らしていたがやがてそこを離れローマの風にのって旅をはじめる カンバスには剥がれたサインの跡形がほんの少し光を発して明滅を繰り返している
2025/02/11
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(ピンスフェルト村・集会場) 「自警団の連中も場数さ踏んで強くなっただ! 森の魔物をとっちめるべきだ!」 「オラ達だけでどうするべか? 攻めるんなら都会の騎士様達も呼んだ方が…」 「そんなもん当てにならねぇべー!」 「魔物にちょっかい掛けてはいかん。誰も森に近づかなければ、いいだけだべ」 飛び交う怒りと恐れの声。今この場には村人のほとんど集まって、魔物の対処について話し合っている。 月が輝く夜空の下、村人達は焚き木で燃える炎を挟んで、二つの集まりに分かれて座っていた。 森を攻めようとするジャスティンと自警団の男達と、魔物に手出しするべきではないとする村長や村の相談役を筆頭とする者達である。 だが人数は、ジャスティン派の方が、明らかに多かったのだが。 「いずれ……魔物はこの村を攻めるように…なるぅ。その前に我らで……魔物を討つのだぁ」 ジャスティンの言葉に人々の意識が、戦いへと向いていく。まるで自分達が勝って当たり前のように、どれほどの犠牲が出るのか考えないように。 そんな異様な熱気の中に水をさす、三人の余所者が居た。 「はいはーい、ちょっと聞きたいんだけどよー」 手を上げたのは金髪の少年。彼は金の瞳で勇者を見ながら、問いを投げる。 「ジャスティンだっけ? アンタ随分あの化物に詳しいんだなー。まるで元は研究でもしてたみたいによー。魔物が来るって言っていたが……何でそんなこと解る?」 「……勘……だぁ」 「――おい、そんな言い訳が」 「勇者としてのぉ…長年の…歴戦の経験に基づいた……勇者としての勘が我には有るのだぁ」 ジャスティンの堂々とした物言いに少年は呆れてしまった。そこからさらに追求しようとすると、自警団の村人達がいきり立つ。 「小っゾォ! 勇者様の力さ疑うべか? 勇者様が言うなら、そうなるっぺ!」 「きっと勇者様は今まで何兆匹も化物さやっつけて来たんだ。オラ達より物知りなんだぁ」 「あの~、私もいいですか~?」 ピリピリとしたこの場の状況も気にしない少女の声。肩の膨らんだ黒いブラウスにスカートをはいた彼女は、一見修道女に見える。 「ジャスティンさん、村の人達は貴方を勇者だって言ってますけど~、本当なんですか~?」 「うむぅ。我は……このピンスフェルト村を守るぅ、勇者なりぃ……」 少女はその言葉にクスリと笑いながら、村人の怒りにさらに火を付ける質問をした。 「な~ら~、ジャスティンさんの『悪魔』は、『電子生命体』はどこに居るんですか~?」 「……む……?」 「先の戦いで、貴方は勇者召喚を行わなかった…変ですよね~? 私は証拠が見たいなーって。それとも、あえて隠しているんですか?」 今交わされた会話で少女は確信し、ジャスティンは言葉に詰まった。 勇者を支持する男達は、自分達解る範囲の言葉に怒りを口にする。 「この娘っこぉ! 勇者様を悪魔付き呼ばわりかぁ? 出て行けぇ!」 村人達はついに立ち上がり、青筋を額に浮かべながら少年と少女に掴みかかろうとする。 そこに立ちはだかったのは三人目の異見者。男でありながら長髪で、騎士団の鎧を着た彼は両手を突き出して、村人達をなだめようとする。 「待つのだ君達! 争いは何も解決しない。ここはファイナリティデストロイ話し合いで」 追い出された。 エンディック、シナリー、ニアダは結局村人達を止められず、宿へ戻ろうと歩いていた。 「――彼らは本気なのか? あの怪しげな男を頼りに、魔物に勝てると思っているのか?」 「ニアダさんの言う通りだぜ。もし森の奥まで行けたとして、騎士団でも手に負えなかったデカい魔物に見つかったら、どうするつもりだよ? 間違いなく……全滅だぜ。ジャスティン達が戻ってこなかったら、敵討ちだ~とかでさらに死ぬかもな」 少年は辟易としながら、暗い村の家々を見る。 他所から来て、少し留まるだけの旅人なら、ピンスフェルトはのどかな田舎だろう。 だがこの村の抱える『勇者』や『魔物』といった問題に関った途端、隠れていた嫌な面が露見する。奇怪な行動をとる魔物。それに怯えるゆえに勇者を妄信し、武器を持つ村人。 そしてこの普通ではない村で、エンディックの家族も死んでいるのだ。 (くっそ、ハゲが死んだことを調べに来たのによ……) 彼の横では、ニアダが先程の会話のことを幼馴染に問うていた。 「気になっていたんだが……シナリー君、君はどうして彼のことを悪魔付きのように言ったのかな? やはり……聖職者特有の、何かが有るのかい?」 「あ~、あれは適当な思い付きなんですよー」 笑顔で答えるシナリーに長髪の男は面食らった様子で、冷や汗をかきながら聞いてもいないのに喋りだす。 「いや、なに、本当に本に出てくるような悪魔とか化物の力持っていたら、さしもの僕のミラクルセレブラリンソードも効かないかな~なんて……思っていない!」 エンディックはニアダを半目で見ながら、シナリーに近寄り耳打ちした。 「――おい、あんなブッ込んだこと言うなよ! ジャスティンが本物だったらどーすんだ?」 「あ~、大丈夫ですよ? 初めて会ったときから、あの人には何も感じませんから」 「感じる……? まあ戦ってる最中、妙な真似はしてなかったっぽいが」 「魔言とは違うんですよ。『私達』はお互いが近くに居ると解るんです。漠然とした何かが。『勇者としての勘』みたいな物が……」 宿の方向から誰かが歩いて来て、シナリー達とすれ違った。 変わった服装の男女で、この二人は集会場の方へと進んで行った。 エンディックは幼馴染の異変に気付く。彼女の表情を覗くと、笑っていた顔が次第に汗を噴き出し、緊迫した色へと変わっていく。 「な、何でもないですよ。……行きましょ」 少女は持てる力の全てを持って、動揺を隠した。絶対に悟られてはならない。『相手のことに気付いた』と、あの二人に思われては危険だ。 可能性は少なくとも有ったではないか? 自分達の過去とは無関係な。 別の勇者に遭遇する可能性が。 「あの場所か……」 緑昇が指し示す先には多くの村人が集まっていた。炎を中心に大勢が座っており、何事か言い争っている。恐らくあれが宿で聞いた村の集会場なのだろう。 相方のモレクは気乗りしない様子で、こう言った。 「放っておきません? わざわざ魔物に向かっていく命知らずなんて、珍しくないでしょうに」 ピンスフェルトを訪れた二人は、まず村の周囲をぐるりと歩き、索敵妨害の範囲を探っていた。モレクの魔力及び機力探知が効かなくなるのは、およそ村全体。村の中心にジャミング装置が有るのだろう。 その頃には日は落ち、宿に向かうも、そこには宿屋の息子が一人だけ。どうも村のほとんどの大人は、集会場に集まっていると彼は言う。 そして今、村で起こっている事件の詳細を聞き、村長の下を訊ねようと二人は動いている。 「ヴィエル港の……前例がある。いつ襲ってくるか解らない……魔物の恐怖に怯え、危険な行為に走ろうとしている……村の住人には……勇者が必要だ」 エストーセイ地方のある港街の話だ。そこの漁師達が魚ではない物を引き上げたのが、事の始まり。彼らは海に漂う水生魔物の死骸をすくい上げたのだ。 他に部品やパーツが見つかったことから、その海域は魔物の住処に近い可能性があった。 だが魔物の体は鋼鉄で出来ているため、分解して闇に流せば金を生む。 漁師組合は旨みを覚え、潜水魔言を使える非正規魔言使いを雇って、次々と回収したのだ。 本来なら騎士団に報告し、調査をして貰うのが成り行きだが、得ている利益を横取りされる可能性を恐れた組合は隠し、さらに沖の方へとサルベージを進めた。 そして魔物の群れに補足される。水生魔物は対空対地攻撃手段を持っており、港に逃げられた船を追って港を攻撃したのだ。 『クラーケン』と呼称される超大型魔物の攻撃である、『推進誘導弾(ミサイル)』の雨を受け、港は壊滅。緑昇はこの事態に居合わせ、海の魔物を何とか撃退したのだ。 「それに……この魔物騒ぎが偶然ではない……可能性もある。俺達の探し物が飛び去った村だ。 誰が魔言や機力世界の技術を使っても……察知出来ない村に、ちょうど良く勇者が旅行に来る。経験上……これは罠だ」 緑昇達の探し物を『着た』何者かが敵意を持っており、策略を携え、誘い込んだのか? それは銀獣の会と繋がりが有るのか? その構成員が出した名前の人物はどうしてこの村に居るのか? 全て仕組まれたか、あるいは無関係か、緑昇はまだ判断出来ない。 「あらあら、それならお逃げになります?」 「いや、人質が居る。どうやら……もう何人か殺されて始めたようだが」 敵は恐らく自分達の情報を持っていると、勇者は予測する。 もし罪も無い善良な、力弱い村が近くに有ったら、きっと立ち寄ると。そこに居る悪を、魔物を殺さずにいられないと。そして迎え撃てる強さだと。そう知っているのだ。 あの黄金の勇者は、魔物を誘導する手段を持っているに違いない。クスター地方に自分を探す者達が訪れたから、早く来いとばかりに、村人を殺し始めた。 「今回の事件……勇者の命すら脅かす……可能性がある。無関係ならば……退いている。しかし、ついに俺達は対象を目視したのだ。踏み込むべき……と判断する」 「――まあ、構いませんけど……」 方針を話していると、集会場に着いた。 本物の勇者である緑昇が、勇者を語り、村人を死地に先導する男をどうするかは、想像するに容易い。 △△△ (翌日。宿屋『ウエル』) エンディックは早起きする方だった。朝食の時間には少し早いので、朝日でも浴びることにする。 部屋を出て、食堂も兼ねるフロントに出ると、同じく早起きした人物が居た。 「おっはよー! 何だかごめんねー。村の人が嫌な思いさせちゃったでしょ?」 シナリーの友人のリモネだ。給仕服を着た彼女は、テーブルを整えていた。 「おはような。別に気にしてねーよ。アンタが謝ることじゃない」 「でもさー、せっかく来てくれたのに、色々悪い物見せたみたいでさー。一住人として申し訳ないよー」 力なく語るリモネに、エンディックは気になった点を聞く。 「なあ、この村っていつから『こんな』なんだ? 三年前に来たこと有るけど、魔物があんな近くまで来たなんて話は聞かなかったぜ」 エンディックが父親探しの旅に出たときに、ピンスフェルト村にも寄っていた。そのときは魔物の住処が近くと聞いただけで、あんな近くまで迫って来る危険など知らなかった。 「その頃から結構有ったんだよ。この村は旅行者も多いからねー。悪い評判はあまり表に出さなかっただけ。見張りから警告が出れば、畑から村に逃げればいいしね。でも……あの人が魔物を倒してしまった……」 「ジャスティンって奴か」 「うん、あの人が魔物を倒せるって所を見せてから、有るだけだった自警団の人達が、急にやる気なったの。普段は農民なのよ? 戦ったこともない人達が他所から武器を買ったり、勇者様が一番偉いみたいに担いじゃって……嫌な空気だよねー」 「多分それ、アンタだけでなく皆思っているだろうよ。そしてさらに嫌な空気が高まれば、魔物の森に特攻。それがなくてもジャスティンの信者とその他で争いになるだろうぜ」 勇者という異物を抱えた村。このままではピンスフェルトは、故郷のようになるのではないか? あの黄金騎士に支配された村のように……。 エンディックにはこの村の問題が、他人事のように思えない。己や周りの者の人生も『勇者』という単語に振り回されてきた。 ピンスフェルトの未来に、自分の故郷のような未来が来るというのなら、可能ならば食い止めたい。 (オヤジなら……首を突っ込んでいただろうしな。それにこの問題は、どこに居るか解らない人や仇を探すより、死にたがりを助けるより、ずっと『簡単』だ) 決意するエンディックに、リモネはもう一つ気になる事柄を伝える。 「しかも昨日……もう一人出たの。自分が勇者だって言う人が……」 △△△ (村の中心に立つ第二見張り台・その付近) 「妨害装置を壊さなくていいんですの?」 森側に建てられた第一見張り台とは別の、内側に建てられた見張り台の下。 その近くで話しているは緑昇とモレクだ。彼らは有事に備え、夜に出来なかった村内部の把握を朝一番で行っていた。 「あえて壊さず、こちらの罠として残して置くのも……手だ。それよりも」 「宿で襲って来ませんでしたね。拍子抜けですこと」 二人が普通に宿に泊ったのは、敵の反応を見るためだ。挑発行為とも言える。 この怪しい村は罠が張られているであろう敵地である。緑昇らが訪れたと知れば、のんきに宿に寝泊りしているのであれば、当然夜襲が有ってしかるべきだ。 敵が何者でどこに居て、いつ襲ってくるのか解らない。 ならば、こちらでタイミングを与えてやれば良い。 村の大体の人間が集まる集会場で、緑昇は『己が勇者である』と名乗った。そして追跡を撒く行為もせず、宿で寝た。 だが、寝床は襲われなかった。 無関係な他の客を巻き込みたくないのか? 村の中で騒ぎを起こしたくない事情が有るのか? 彼らのことに気付いてないのか? 「せっかく迎え撃つ気充分でしたのに……これでは何のために、あんなに堂々と名乗りあげたか解りませんわ。 襲ってきたのは、この村の偽勇者くらい……貴方様、良いアイディアが有りますの! 魔言の大出力攻撃で、魔物の森を平地にして見ません? 邪魔な木が根こそぎ吹き飛んで、中にどれだけ魔物が居るか丸解りですわ!」 「俺の世界では……森林破壊が問題になっていてな。ここでも自然の暴虐など、論外だ。 それに……生き残りが居たらどうなる? 勇者鎧は『龍』と戦う装備。魔物との戦いにおいて、必ずしも勝てるわけではない。それに俺達は彼らと……ただでさえ相性が悪いのだからな」 「おい、そこで何してるんだ?」 緑昇が声の主を探すと、近くに立っている木の陰から、金髪の少年が歩いてくるのが解った。見たところ、武器は持ってないようだが、昨夜の集会場には居なかった顔だ。 「村の中を……探索していた。俺は『勇者』……なのでな」 「勇者……だと?」 その単語を聞いて動揺し、明らかに『自分の方』を見たのを、モレクは見逃さなかった。 モレクの口から伸びた舌が、少年に巻きつく。宙空に持ち上げられた少年は、こんな長い舌を持つ奇怪な女に遭遇しても、悲鳴を上げなかった。 「ち……間抜けだったぜ! 怪しい偽者の他に、『本物』が出てくるとはよ……」 「ふむ、撒いた餌に掛かった貴様は……何者だ? 勇者と名乗ったのは俺だ。モレクは関係ない筈だが……彼女が何者か察したか?」 エンディックは朝食後、すぐにその怪しい二人組みを探し始めたのだ。 その同じ宿に泊っている旅行者らが、食事に現れなかったからである。 そして幸か不幸か、発見して接触を試みたわけだが……。 「俺はエンディック。『アンタ達』の事情を少し知ってるだけの、ただの旅行者だぜ?」 冷や汗を浮かべながら、『勇者』と確定した男に答えるエンディック。 その勇者は地味な黄土色のコートを着た、あまり手入れをしてなさそうな黒髪の男。長身で服の上からでも、鍛え上げられた体だと彼には解る。無表情だが、その眼 に生気がなく、そして容易く他人の命を奪える冷たさが有った。 「うふふ、少し?『異世界(マシニクル)から勇者が来て、この世界(シュディアー)を救った』という『事実』を知っている者なんて、そうそう居ませんわ。ワタクシ達にとって充分に不審者ですわよ?」 これにはさすがにエンディックは呻いた。 女と彼の間で伸びている舌に、唇がいくつも生じ、一斉に発声したからだ。 この不気味な女性。目が痛くなるような桃色のドレスを着て、髪はエメラルドグリーン。歯茎に似た青い髪飾りを付け、口から粘液まみれの舌でエンディックを捕らえている。 どう見ても普通でない女を、エンディックは直感的に推測する。 コイツは以前シナリーの近くに居た『化物』に類する存在なのではないかと。 エンディックの名乗りに応じて、勇者の男も自己と目的を紹介した。 「俺は……緑昇、そう呼んでくれ。七つの勇者鎧の一つ『大食』の鎧を管理する者だ。 この村への道中……俺達は謎の敵に襲われている。そして勇者に憑く悪魔のことを、知っている人物が現れれば……尋問せざる負えない。貴様があの黄金の勇者なのか?」 「……黄金だって……?」 彼の中で何かが切れた。怒りと喜びで、理性が切れたのだ。 「その勇者ってのは『アイツ』か! あの空を飛び回る奴か! 金属毒 (アイアンヴェノム)を使う野郎のことか! アイツの居場所を教えろぉ……。あの糞野郎はぁ! 俺の獲物だぁ! 今すぐあの黄金騎士を……殺させろぉぉぉぉぉおっ!」 「……」 目を剥き、歯を剥き出すように必死の形相で訴えるエンディック。 緑昇はそれを見て、片手を上げ、また下げる動きをした。するとエンディックを締め上げている舌が解かれ、地を蛇のように這い回り、モレクの口内に勢い良く収納された。 「……おい?」 「俺達の敵が……『君』の敵でもあると認識した。よって君は早急に始末せねば……ならない脅威ではないわけだ。悪人でもない人間を殺す道理もない。だから解放した」 地に落ちる形となったエンディックに、緑昇は近寄り、手を差し伸べた。 「察するところ君は……黄金の勇者に何らかの被害を受け、敵を調べる流れで勇者の知識を得た復讐者……そんなところだな? 申し訳ないが、俺も奴の……居場所が解らないのだ」 立ち上がったエンディックは、緑昇という男の推測に驚いた。自分は親を二人も勇者に殺された、復讐者だったからだ。 モレクと呼ばれていた女性が、相方の言葉を補足した。 「貴方様のような勇者に恨みの有る方は、初めてではありませんの。ワタクシ達も昨日勇者と名乗ったら、妙な男に襲われましたし」 「恐らく勇者の名を語って、小さな野心を満たしていた……というところか。崇拝者の目の前で投げ飛ばしたからな。奴の信用は……もう有るまい」 勇者と偽る男。エンディックがその可能性を思いつくのに、時間はかからなかった。 「もしかして、それはジャスティンっていうオッサンか?」 「む……確か村人はそんな名前を呼んでいたな」 リモネから聞いてなかったが、どうやら問題が一つ解決されたらしい。村人の前で醜態を曝したジャスティンに、もう今までのような発言力ないだろう。皆を先導し、魔物の森に攻め込むこともないだろう。 (何だか不気味なオッサンだったが、拍子抜けする終わり方だな) エンディックがひとまず安堵した、次の瞬間である。 「な……!」 聴覚に激しい鐘の音が届く。警告ではない。はっきりとした大きな危険を発見したのだろう。 『魔』力か何かで動き、人を殺す『物』が、来る。
2025/02/14
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ジグザグで今にもちぎれてしまいそうだ。そんな私でも愛ならば知っている。昨夜、父親が首を吊った。死ななくてよかった。と思った。感情ってやつはどうしていつもちぐはぐなんだろう。始発電車だからか車両には私一人だった。 深夜、母からの着信で父のことを知った。電話越しの母は嫌に冷静だった。母は普段から声の平熱は低い。もともと声を荒らげたりする人じゃなかった。そんな母がより冷たい声で言った。 「お父さんが自殺未遂したから早く帰っておいで。」 「うん、わかった。」とこたえる私の声も低体温に違いなかった。 父の意識は戻るかどうか分からないと医者は言った。それでも、死ななくてよかった。と思った。けれど、生きているというよりは死んでいないのほうがしっくりくる。目を覚まさないかもしれない父を前に私は何を思うべきか答えを探していた。 いつも感情に答えを求めてばかりだ。大人になればきっと自分の気持ちに出会える気がしていた。けれど、社会に出てそれなりに苦楽を味わった今もジグザグでちぐはぐ。それが私だった。 親に黙って大学時代の彼氏と無理やり同棲して、すぐに別れて、二人で借りたワンルームに一人で住むことになって、そして二年三年と経ち、すっかりおひとり様にも慣れた私。いつでも帰ってこいと父が連絡をくれたあの酷く蒸し暑い夏の日。あの日の既読無視のままのトーク画面。捨て猫みたいな気持ちで帰宅することになるなんて。 「どうなの?仕事は。」と母が言った。私は「まあ、ぼちぼち。忙しいけど、忙しくない仕事なんてないしさ。」とこたえてからなんだか虚しくなった。私って何をしたかったんだっけ?結婚とか子どもとか、ほどほどにこなしてくんだろうなぁってどこかで思っていたのに、手元には何も無いや。母はそれ以上何も訊かなかった。 母の味噌汁は相変わらず味が薄い。若干、饐えた匂いのする冷や飯と一緒にかき込んだ。早食いのくせは抜けないねと母が笑った。父のことがあってから一度も笑ってなかったのではないだろうかと思った。私も笑おうとしたけれど、うまくできなかった。これからどうしたらいいのか。母を一人にするわけにはいかなかった。優しさなのか、義務感なのかわからないと考えてしまう自分が嫌になって笑いたいのに笑えない。泣きたいのかもしれない、けれど泣きたいのか考えている時点で泣きたいではない気がする。ああ、ジグザグで今にもちぎれてしまいそうだ。 私は食べるのをやめて、向かいに座る母の手を取って、優しく撫でた。 「あたたかいね。」と冷たい声で母は言った。「お母さんもね。」と私も低体温の声で言った。その時やっと笑えた。そして、少しだけわかった。愛ならば知っていると。
2025/02/06
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アキさんちょっと待って下さいよ 港区の溝口さんのビルの件、なんか知ってるんでしょ? 昨日のアレアレさんのYouTubeチャンネルで暴露されてましたよね 現場でアキさんの姿があったって 最上階専用のエレベーターから降りてきたってアレアレさん言ってましたよ ちょっと教えて下さいよ。 ◯✖️テレビの廊下で臥龍岡黒羽が早川アキを追いかけている クロちゃん、マジでやめときなって これは本当に駄目だから、ネタとかでも何でもない、マジでヤバイから ほんと勘弁して、それと清純派で売ってるあんたがデカい声出しすぎだから 今、デカい声出されても興奮しないよ ちょっと止まって下さい、それなら詩人Xの方はどうなんですか?ワタシもうプロデューサーと詰めてて明日、最終の打ち合わせなんですけど吉本とかスターダストとかにも根回しして結構抑えてますよ大丈夫なんですか? あ、クロちゃんごめんなさい ワタシバタバタしてて忘れてたわ 今日は鳥島さんとその話してた ちょっと延期になったわソレ 黒ちゃんに後でLINEするつもりだったごめんね マジで言ってます? は?今更早川さんと鳥島さんのレヴェルで収まる話ではないでしょ いや、先輩だけど言っていいですかね? あたおかかよ! いや、黒羽マジでちょっと黙って。 今日夜にベットで伝える予定だったって。 私も悪いと思ってるから スイートもおさえてあるし 2人で話… …いや、これも言おうと思ってたけどマジでヤバイ事になってるから あんた巻き込みたくないのよ そもそも言っても信じて貰えないし… … 早川アキは黒羽の首に腕を回して小声で呟く ごめんねコレ、結構上の方の指示なの は?上って役員とか? いや、私達が見た事ない上の方 首折れちゃうぐらい上なんよ;; 今夜埋め合わせするから 連絡するね、愛してる黒羽 早川アキはエレベーターのボタンを連打して下の階に降りて行った 呆然としている臥龍岡黒羽を置き去りにしたまま。 廊下の向こう側からADの木暮が歩いてくる 「黒羽どうしたの?」 と木暮 「うるさい、死ね」 とハンドサイン付きで黒羽 木暮はその言葉で死んだフリをする 臥龍岡黒羽はその姿を見て少し笑う 「いや、アキさんからマジいじめにあった悲し。」 「え?早川さん来てたの?そういえばなんかいい匂いするわ」 と木暮 「ワタシだっていい匂いするわ! ちょっと今日、スイート予約してくれてるみたいなんでアイツめちゃくちゃにしてやる」 と黒羽 「おい、声がデカいって別に独身同士だからアレだけど美女2人が ただならぬ関係だってしれたら変な記事になっちゃうから」 「しらんわ!こっちは企画ぼしゃつとんや、あの女今日はヒイヒイ言わしたるさかいに」 「なんなのその関西みたいなオヤジみたいな言葉使い、ミス東大が〜」 黒羽が木暮の運んでいる荷台を見る 「コレ… …もしかしてあのスピンオフの奴に出てた未来予知みたいな?」 「そうそうdiary_aryarchiveって奴だな、俳優さんアメリカに帰ったからさ、またドラマ撮るのは早くて半年後らしいんでその間どうするかってなっていて。 いや、レンタルなんで返そうかと思ったんだけど鳥島さんと話して結局買い取れるならその方向でも良いみたいでさ 俺、こんなの好きだからさ、金は局と折半して俺が買い取ろうかと思ってる」 「ふーんあんた昔からこんなの好きだもんね彼女作らないでこんなのばっかり集めてさ、まだ倉庫も借りてるの?」 「いや、昔借りてた倉庫は手狭になったんでこないだ倉庫も古いけど買ったわ 前より3倍ぐらい広い」 「オタクの極みですわね、キモ」 「お前のポルシェよりだいぶ安いよ 早川さんと遊ぶのも良いけど早く玉の輿に乗れよ、同級生の俺たちに自慢するんだろ?」 「言われなくても抜かりないわよ アンタとも普通におじゃべりするのも後1.2年くらいかしらね話は幾らでもあるからね、後少し遊んでからちゃんと乗らせていただきます」 「そうすか、それではオタクのADはまだ仕事が残ってるんで行かせてもらいますね黒羽キャスター様」 「今度、その… …diary_aryarchiveって奴触らせてよダニエルも触ったんでしょ?ちょっと映えミあるかもだからインスタ候補として数パターン撮影したいからさ。」 「OK〜LINEしてくれよいつでもこっちは暇してるからさ倉庫綺麗にして待ってるわ」 木暮はちょっと大袈裟ににこりとした。
2024/12/11
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半月ぶりにキャンデーが帰ってきて まちは大騒ぎ 先月、まちを襲ってきた悪党達を全員撃ち殺した後に、まちを出て消息が途絶えていたが聞くところによると他の町の荒くれ者を退治していたらしい。 一匹狼で殆ど自分の事を語らないので誰も彼の詳しい事はわからない 黒のボルサリーノ製の帽子を深く被り 黒色のスーツと高級時計を身に付けて彼はまちを歩いてゆく 女達は彼の姿を一目見ようと街中に繰り出し逆に男達は揉め事にならないように家の中で大人しくしている 女達の熱い視線を無視してキャンデーは 酒場によって強い酒を一杯飲み干す すると町長が役人達を引き連れて酒場に入って来て、先月のお礼と新たな用事をお願いする。 キャンデーは深い帽子の奥から町長達の顔を見てわかったと返事をする ショルダーホルスターの中のリボルバーも休む暇は無い キャンデーは酒場を後にして娼婦を抱きにゆく。 別に女を欲している訳ではなくて、余りにも女を相手にしなくてあっちだと思われる事を避けるためだ 3人分の料金を払って1人を後ろから抱いて残りの2人に細々した世話、煙草を持たせたりバーボングラスを持たせたりする 女達は自分こそが相手をしてもらう役になる為に揉めたりするがキャンデーが褐色の女を選び他の2人には次に来た時に相手をしてやると告げる、その言葉だけで女達は力が抜けて立ってられなくなる キャンデーは果てる事は無い 後ろから女を満足させるだけさせて自分は果てる事は無い、ホルスターは付けたままだ リボルバーは収まっている 相手をした女は暫くは使い物にならないので残りの女達に体を拭かせて服の世話をさせる キャンデーは女に煙草の火をつけさせる そして3人分よりも多い金額を置いて店を出る 日は暮れかかっていてキャンデーはまちのレストランに向かう 町長達が予約していた1番良い席に座る まちの有力者達が5分置きに挨拶に来る キャンデーはそれに返事することなくコースを食してゆく デザート迄に12人の有力者が入れ替わる 彼はコーヒーを飲んだ後に席を立ち店を後にする 彼は再び酒場へと足を向ける 今度は大きな劇場付きの酒場だ しかし今日は楽団がいない日でキャンデーはジュークボックスに硬貨を入れてサムシング・イン・ザ・ウェイのボタンを押す ジュークボックスは静かに光を放ち キャンデーを違う世界に誘う キャンデーは酒を飲んで それからジュークボックスの隣の機械に硬貨入れる そして自分専用の番号を押すと レシートがカタカタ音をたてて排出される 15センチぐらいの排出されたレシートを機械から切り取りそのままスーツのポケットに押し込む 機械にはdiary_aryarchiveと書かれてある キャンデーはそのまま酒場を後にする ギターの音色がまちに溢れだす 彼は町長の所有している宿屋の1番値段の高い部屋に泊まる ベットに寝て足を組んでいる 彼はスーツの上着を脱いで椅子にかける ホルスターは付けたままだ スーツに捩じ込んだレシートを取り出す 其処には♯の後に乾いた文字が何行か打ち込んである それをキャンデーはジッとみている 途中ウイスキーを一杯飲み干す 10分程レシートを眺めてから彼はそれを綺麗に四つ折りにしてそれから細かく切り裂く 彼はそれを窓の外の風に投げ入れる 細かく千切れたレシートは夜の黒に張り付いてやがて何処かに去ってゆく 彼は窓を閉めて一つため息をつく ベットに寝転んで足を組む ショルダーホルスターの中でリボルバーは完璧のまま静かにしている
2024/12/01
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夜中に目が覚める 何度も何度も見た夢 高校時代に初めて赤点を取った時の夢を見ていた、小学生の頃から毎日塾に通い難関中学に合格してからも毎日勉強漬けの日々だったがエスカレーターで入学した高校の二学期の試験で初めて1教科赤点を取った。 周囲の風景が歪んでいた。 担任は挽回する機会はいくらでもあると言ったがわかっていた、 能力の限界だった。 正直もう伸び代がない程に努力はしていた 単純な問題、 ついに学校のレヴェルについていけなくなったのだった 夢から覚めてもその時の気持ちを引きずっている、焦りと恐れと。 僕は、暗闇の中で携帯を探す YouTubeは繋がったままだった。 画面の中の彼女は 僕に優しく語りかけていた 睡眠の為のasmr 僕は冷たい汗をかいていた 側に置いているハンカチで汗を拭う 「木暮、これ片付けて貰えるか。」 プロデューサーからの一言 「片付けるって… …ここの倉庫に入れても良いんですか?」 「いや、駄目だからお前に言ってるんだよ、他の道具とは訳が違うだろ。」 「いや、これらレンタルなんですよもう返しても良いんですかね?」 「いや、ダニエルはもう帰国したんで次、もし使うとしても半年以上後なんだけど返すと次使う時にまた借りれるかどうか、なんでまた芝居に組み込んだかね 阿波さん、そこんとこ理解してないからないや、しかしこれはこちらの問題もあるか?お前のせいでもあるんだよ」 とプロデューサー 「いや、自分は阿波さんから言われて ジュークボックスとなんかもう一つ面白そうなガジェットみたいな注文で探して来ただけですよ、これに関しては小関とか大森とかも持って来てたんですけどなんか自分の借りて来たやつが使われて... ...」 僕は頭を掻いた ちょっとイラッとしたと言うか なんだか少し厄介な問題になりそうだったので。 缶コーヒーのCMからのスピンオフ作品なので次があるかどうかもわからないが このdiary_aryarchive と称された機械 映画専用の小道具レンタルでピンボールとかジュークボックスが並べられているところに一緒に置かれてあったので、つい一緒にレンタルしたけど、撮影でまあまあのガジェットとして使われてしまって次回も撮影があるなら押さえておかなければならない物になってしまった。 「返してしまうとなぁ、次に使う時に万が一無いとかなるとな、面倒だしな、どうするか木暮どう思う?」 「はぁ、… …まあ自分の責任でもあるんで幾らか出して貰えるなら自分が買い取って自分の倉庫に保管しときますけど。」 「あぁ、お前の趣味だったなそう言うの もう中みたいな感じだな まぁ額にもよるけど半分ぐらい出すから 交渉してくれる?頼んだぞ」 「了解しました、いまから連絡してアレなら物だけでも今日のうちに自分の倉庫にぶち込んどきますんで、交渉にプロデューサーの名前出しても良いですか?」 「オーケーオーケーその内、店のロケとかにもとか言っても良いよ、千鳥とか」 その時、向こうからアイドル達が来たのでプロデューサーはさっさと行ってしまった
2024/12/01
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川原の土手を歩いていたら、ふしん、と足がなにかを蹴った ザンバラになった黒髪の、布でできた泥だらけの日本人形 もげそうな首は、犬か猫にでも噛まれたのか そこで初めて息だけの悲鳴をあげる 目が、合った 眼球だけアクリルの さかしまの黒目がじっと私を見て 紅い唇は笑みを刻んでいた 嫌なものを見た 人形の脇を足を早め立ち去る 今日、嫌なことがあった 同じマンションの住人の噂話 私がお高くとまってるって言われてるそうだ 病院へ行くのにバスを使わずタクシーで行くのを 何の気なしに喋ったことがあって そこからそう言われるようになったらしい 違うのに バスの中のたくさんの他人が怖いから乗れないだけなのに わざわざ告げ口してくる人にも腹が立つ だから他人なんて 人間なんて 目、合った、人形は あれも人間に捨てられたのだ 捨てられて それでも 笑った顔で 私みたいに 薄っぺらな笑顔 はりつけて 足を止め、振り返る かなり遠くにまだ転がっているのが見える 憂鬱色の空を仰ぐ 頭の中がゲリラ豪雨みたいになって 引き返した 人形は思ったより重かった 目を合わせないようにして マイバッグの隙間に入れた 捨てるにしても せめてこの首をなんとかしなきゃ それと この気持ち悪い、目も 破れた首を縫い合わせて 目を元の位置に戻して 手洗いして綺麗にして それから それから? 頭の中が豪雨のまま帰宅した
2025/02/11
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──人魚の真なる涙は真珠。百年に一度、哀しみは真珠として零れ、そして彼女たちは哀しみを忘れる。 既に呼び名さえ混沌に穢されて失われた海。混沌の瘴気を吹き出す不気味な腫瘍が火山のように深い海のいたるところに膨らみはじめ、美しかった海はおぞましく変容し、人魚たちは浅瀬に追いやられる魚のようにあてのない逃避を続けていた。人魚たちの楽園の一つだったあの美しい海の姿は既にない。 人魚たちはそれでもあの美しかった海に感謝の歌を捧げ、ここではないいずこかの海へと逃げ延びるべく、海の一部である自分たちの魂に伝わる多くの歌を唄った。真潮の歌、逆潮の歌、底潮の歌、海馬の見えざる蹄の歌。 混沌に触れて爛れ、あるいは混沌の化け物に襲われて重い怪我をした人魚たちも少なくなかったが、いつしか彼女たちの群れはしばしば小魚たちがその身を守るように、大きな生き物のようにひと塊となり、最初は大きな魚のように、そして今は彼女たちの古い歌に伝わる偉大な人魚の母を思わせる塊となって、彼女たちは泳ぎまた唄い続けた。 波鎮めの歌、月照らす夜の歌、珊瑚の祝い歌、竜払いの歌。 しかし混沌の浸食はとまらず、やがて人魚たちの眼と体はうっすらと青い燐光に包まれ、群れというよりは本当に一体の大きな人魚のようにふるまい始めた。その姿は伝説の大いなる人魚、歌姫オルセラの姿そのものだった。唄う歌もまた彼女たちさえ忘れた古いものへと変わっていく。 海の時代の歌、星の海の歌、六つの月の歌、始まりの長き雨の歌。 これらの古い古い歌を聴いた混沌は暗い海の底で燃えるようなオレンジ色に濁る八つの恐ろしい目を開くと、混沌の化け物が集まっては無数の巨大な触手や腕となり人魚たちを捕えんとした。人魚たちの歌は今や魂を削る絶叫のようでありながら、なお荒れ狂う海の美しさを残した激しいものとなった。 彼女たちの運命がこの海と同じく絶望より恐ろしいものになろうとした時、いずこからか大いなる歌声が激しい歌と混沌を大海の如く呑み込んで鎮め、海に青く輝く道を示す。 ──甘き海の歌。 人魚たちはこの歌が、伝説の歌姫オルセラの唄う甘き海の哀しみの唄だと気付いた。 混沌は怯えて急速に委縮し、人魚たちは歌に導かれて見えざる海の道を通ると、六つもの月の輝く甘い海へと至った。輝く珊瑚の谷底には無数の真珠がどこまでも淡い光を放つこの海は、人魚たちの涙が哀しみを忘れさせる伝説の海だった。 ※以上、海をテーマにした1000字の掌編でした。以下は引用です。 ──真潮は本来の潮の流れ、逆潮はその逆の潮の流れ、底潮は海面の穏やかさとは裏腹に海の底は荒れていて泡を出す流れだ。他にもさまざまな潮の流れがある。あんた、よく覚えて生きて帰ってきなせえよ。 ──イダラハの船鍛冶の言葉。
2024/12/15
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あるときは 黄色 あるときは 黒色 あるときは 紺色 あるときは 橙色 言葉にしなくとも そのときの あの人の内面を 教えてくれる
2025/02/09
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夜勤明けの朝には霧が深く立ち込めていることが、しばしばある。僕の住む地域は盆地であり、すり鉢の底に水が溜まるように霧も溜まり濃い霧の中に町は沈む。視界も悪くなるので、自然、自動車も心持ち速度を抑えて緩々と走っていくことになる。この霧なら今日は晴天になるだろう。通学児童の色取り取りのランドセルを横目に、秋の霧が出る日には晴天になる、と教えてくれた人を思い起こしていた。 僕は臆病な少年であった。夜のトイレ(昔、田舎の便所は屋外にあった)など年長の兄を夜中に起こしては不平を言われたものだ。ある朝にサッカーの早朝練習に行こうとして立ち込める霧を前に、玄関先で立ち尽くしていた。兄はさっさと僕を置いて友だちと行ってしまった。人通りも車の通りも少なく皆んな霧の中に吸い込まれて消えてしまうような不安に足が竦む。坂を登ってしまえばグラウンドまで川沿いを五分もかからないというのに。練習をサボったら父はもう月謝を払ってくれないだろうし、もし大丈夫だとしてもチームメイト達に臆病な自分を笑われるのは七歳の少年には辛いものだった。そうしてしばらく、ぼんやりしていると誰かが坂を下りてくるのが見えた。ハゲ頭に帽子を被り眼はぎょろり、と突き出ている。虎じい、だ。年寄りだが背中はちっとも曲がっていない。虎じいは杖で霧を払うように歩いてくる。そして僕に気づくと、なんやボン、かと厳つい顔に笑みを浮かべてほれ、飴や、と懐から差し出してきた。僕がなかなか、受け取ろうとしないのをみると、オヤジさんには内緒やで、と一層、顔の皺を深くして笑うのだ。 虎じいとの出会いについて書いておこう。当時、小学校で敬老の日に市内のお年寄りに向けて手紙を書いて送る、という行事があった。特定の人物にではなく誰に届くかわからないお手紙、だった。僕はやっつけ仕事で長生きしてください、とかなんとか書いたのだ。数日後、返信が届いた。とても嬉しかった、もう少し生きて見ようと思います、と子どもにもわかる丁寧な文面でお礼が綴られていた。良ければ遊びに来てください、とも書かれていた。僕は折を見て虎じいの家に遊びに行った。会ってみると文章から想像したような穏やかな風貌ではなかったが、とても良く笑う人だった。虎じいは若い頃、日本中を旅したそうでその話はとても面白かった。飛騨高山で天狗に会った話や兵隊をしていた頃に支那で一つ目小僧に化かされただの、子どもを楽しませるためのよもやま話だったのか、本当の話だったのかはわからないが虎じいは子ども相手に同じ目線で話してくれる愉快な人だった。しかしある時、父にその話をすると不機嫌な顔をしてもう行くな、という。理由を聞けば、うるさい、と怒鳴りつけられた。怒り出すと平手どころか、何が飛んで来るかわからない父だから僕はその日から次第に虎じいの家に足を向けなくなった。祖母が、筋もんやったからなぁ、と呟いたがその意味は幼い頃の僕にはわからなかった。 そんなわけで恐る恐る飴を受け取ると虎じいは、久しぶりやなぁ、とゴツゴツした手で頭を撫でてくる。何をしてるのか、と聞かれたので川沿いのグラウンドまで行きたい、というと、なんや兄貴に置いてかれたんか、と僕の手を引いて歩き出した。歩きながら、もごもごと謝ると虎じいは笑って話し出した。 「ボン、知っとるか。この霧いうんは雲と同じもんなんやで。わしは昔、飛行機に乗ってたんや。雲はな綿菓子みたいに見えるやろ。せやけど、違うんや。あれはミルクのなかを泳いでるみたいなんや。そんで雲の上に出たらそらぁ、お天道さんが近くに見えてなぁ……」 虎じいの話の間、僕らは雲の中を歩き続けた。誰かとすれ違ったようにも思ったけれど、よく覚えていない。霧への漠然とした不安を忘れて富士山の頭上を飛行機で飛び越え雲の海を見降ろしたらでっかいナマズが雲の中から顔を出した、という虎じいの話に夢中になり笑っていた。やがてグラウンドが霧の中でも見えて来ると、虎じいはもう一人でもいけるやろ、と僕の背中を押した。別れぎわに、秋の朝に霧が出たら昼にはよう晴れるんやで、と虎じいは笑いながら土手に降りていったのだった。朝練の後、学校の授業が始まる頃には霧とともに雲も去り、晴天には青がいっぱいだった。虎じい、とあったのはそれが最後だった。サッカーや柔道に夢中になるうちに僕の生活から虎じいは遠ざかり、一年ほどして虎じいの自宅前を通ると表札がなく家の雨戸は閉められていた。 霧の町をぬけて自宅に辿り着く。夜勤で疲れた身体をソファに埋めて、カーテンを閉め切った部屋で眠った。遠い国まで流れていく雲の中、でっかいナマズが泳いでいく。その背には虎じいが杖を振り上げ笑いながら乗っている、夢など見ることはなかった。数時間後、目を覚ました僕は水を飲み渇きを癒して、カーテンをさっ、と開けた。秋の朝に霧が出たら昼にはよう晴れるから。当たり前のように秋のひかりが射しこみ、僕と部屋を濡らしていった。
2025/01/09
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大量の眼鏡をまな板の上においた。 「さて、どう捌こうか」 まずは、真ん中にある「ブリッジ」を一刀両断するのがいいだろうか。いや、蟹の足を逆さに折り、本体と分離させるのと同じ要領で「丁番」と「テンプル」を分離してもいいかもしれないね。あ、なんか俺今、眼鏡捌き職人になった気分だ。専門用語使うの気持ちいいい! 事前に、ネットで眼鏡の三枚おろしのやり方見ておいてよかった。次にやるのは…あったあった、テンプルの金属部分を覆っているプラスチックの樹脂をはがすんだよね。あー、ウロコをはがすみたいに、包丁で撫でてあげればいいのか。分かりやすいね。ふーん、眼鏡の種類にもよるけど、解体しやすい品種とそうではないものがあるんだ。ま、これは今はどうでもいい。 普段かけている眼鏡には沢山の名前がついている それを知らないまま、ただ「眼鏡」と呼んでいた私に気づくから たまにする新しい料理が好きなのだ(今日の日記) 「つるの部分を大量に集めて、縦に三等分したら麺の完成です。眼鏡には鮮度もくそもありませんので、お湯が沸いたら5分ほどゆでましょう」 「麺の太さは好みで大丈夫です。もちろん品種によって断面部分の質が違いますから、細かい話、国産か外国産の眼鏡かでスープとの相性とかあるんですけど、だいたいご家庭で用意できる眼鏡ってバラバラでしょう? という訳で、皆さんが普段食べている麺の太さでお好みで切ってくだされば大丈夫ですよ~」 「モダンのカーブがちょっと麺ぽくない、それが気に食わない、という人もいるだろう。そーいう人は、テンプル部分だけ使うことをおすすめする。包丁でカーブ部分を切り分け、後から短い時間でゆで上げれば、ゆであがりの質はそこまで変わらんからな。 …何? 違う長さの麺が、一つの椀の中で混ざってんのが見栄え的に気持ち悪いって? だったら、思い切って別の料理に使うのがいいんじゃないか? 例えば、ポテトサラダと混ぜてみるなどの「工夫」をこらすのをおすすめする」 「ブリッジは、プラモデルのバリみたいなものです。魚で例えるなら、腹骨みたいと言えば分かりやすいでしょうか。うまく包丁で掃除してあげましょう」 「レンズは、お湯につけておくといい感じにふやけるんす。簡単でしょ? それを細切りにしてラーメンに乗せると…ほら、本格的でしょう。こりこりとした食感で、なんかくらげみたいなんす」 「レンズの縁部分は、集めて細切りにするといい薬味になる。黒ぶちであればあるほど香りが良いとされ、巷では、黒い葱と呼ばれ、取引価格は年々向上しているという」 「パットにはいい脂が乗ってるんですね。なので、ラードみたいな感じで運用できるんですよ。市販のスープに溶かして、豚骨スープ風味にしてもいいし、逆に形状が似ている事からわかるように、すりおろして最後に上から乗せるのもありです。どこもかしこも無駄なく使っていきましょう」 眼鏡で出汁を取る方法についても調べたけど、やるのが大変そうだったのでやめた。こんなん、素人が一から作るものじゃないしね。家のかーちゃんも言っていた。コーヒー豆は淹れて飲むものであって、焙煎するのはプロの仕事であると。黙って市販の物を使わせていただこう。 色々なネットの叡智をかきあつめ、俺は眼鏡ラーメンを完成させた。 手始めにスープを一口、そのあとテンプル麺をすすった。 至って無機質な味がした。何も染み込んでいない、ほろ苦くて熱い金属が脂っぽいニュアンスを香らせながら舌の上を踊り、食道を流れて行った。 次の日の夜、寝ていたら腹が痛くなって病院に担ぎ込まれた 胃と腸の間に何かがつまって、腸閉塞を起こしかけたそうだ 俺は決意した 次はもう少しだけうまくやると
2025/02/11
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聖歌が歌われ、 人形の木目に声が 弾かれたら 明日は雨の予報だ 雨の優しさと冷たさについて 聖歌は歌っているのだろうか 耳を傾けてみればみるほどに わ、わ、わ、わわわわぁぁ、 わからなくなる、吃りなんです 断続的な雨音は世界が吃っているのです 言いたいことが言えなくて、人形は 聖歌を木目に浸透させていく つまり、明日は晴れに変わった 歌声だけがある、歌い手は不在だ か、かなしいのか? デッサン人形は、歌い出す様子はなく 仕方ないから下手な歌声を披露するしかない 吃ってないね、本音と嘘がダンスしている
2025/02/09
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男の子が手に入れた刃物。それはいつも切れ味が悪いと、義姉が嘆いていた物だ。 彼女はこれを使い、自分達の口に入る料理を作ってくれていた。 今その刃が、女の子の体内を切り裂いた。 溢れ出る赤が男の子の手を汚したとき、彼は驚いて刃を放してしまった。少女が何かを呻いている。 かろうじて聞こえた言葉に怯えたのか、己の起こした事態の覚悟が無かったのか。男の子はたまらず家を飛び出した。 夕方までどこを彷徨っていたのか解らない。泣き腫らした赤い顔で、手には他人の血を付けた男の子は、トボトボと孤児院へ帰ってきた。 胸に有るのは、罪を犯した罰への恐怖と、大切な友達を殺してしまった喪失感だった。 暗い気持ちで夕飯を食べながら、何度も隣の空席に目をやる。そこは仲良しの女の子が座るはずの場所だが、今は居ない。 彼女という形を、彼の手で突き破ったからだ。 食事の後、育て親のライデッカー神父に呼ばれ、部屋に向かう。 怒られる? いや、そんなもので済むわけがない。きっと騎士に引き渡されて、牢屋に入れられるのだ。そしてそこで何年も……。 部屋では筋肉のせいでピチピチになった神父服を着た、頭髪を生やしてない男が待っていた。彼がライデッカー神父だ。 そしてその彼のベッドで眠る、女の子の姿も少年の目に入った。彼女の血の気のある顔を見るなり、驚愕と供に駆け寄る。 「シナリーッ!」 安らかな吐息で眠るシナリーは何も異常は無いように見えた。少なくとも掛けられた布の上からは。ライデッカーは安堵する男の子の肩に手を掛け、こう言った。 「お前もこの娘も運が良いのぅ。子供の腕力で研がれてない刃、すぐワシに見つけられたおかげで、致命傷にならずに済んだわい。 人間には骨が有るんじゃぞ? 縦に刺したら確実では無いわ」 どうやら神父は二人の会話の場面を盗み見ていたらしい。男の子が武器を持っいても止めなかったのは、行動に起こすわけが無いと、子供を信じていたからだ。 実際にその信頼は裏切られたわけだが。 「ごめん。俺、ヒドいことしちゃった……」 「ああ、ワシは人を信じる心を傷付けられた。もうしばらくは、信じるとか優しさとか慈悲の心とかって言葉を使えなさそうじゃ。 ……本当どうしてくれるんじゃ……こっんのブァッカモォオオォォォォォォンッ!」 神父の怒りの鉄拳が男の子に見舞われる。心が不安定な少年に受身が取れるわけもなく、殴り飛ばされて壁に激突した。 ライデッカーは渋い表情で涙を流しながら、不必要なほど拳を握り、男の子を訴える。 「傷付いたのはワシのピュアハートだけではない! シナリーを治療する為に薬や包帯、何よりコヤツが食事に居なかったことで、家族の皆を不安にさせてしまった! 貴様の若気の勢いで起こしてしまった、各方面への損失を考えなかったのか? あぁん!」 この神父の手口だ。口で道理を説くよりも先に、筋肉にものを言わせて、暴力で解決する。殴られて弱った相手に、それらしい説法を語るのだ。 一緒に暮らす男の子には、彼のやり方が解っていた。だから強がって反論する。 「――オヤジは『変なの』が出来るんだろ? それで傷を治せば良かったじゃないか!」 「ドゥアホォー。『変なの』じゃない。魔言(スペル)じゃ。それに回復の技術は、体の再生を無理やり早めるだけ。 未発達なガキの体に使えば、不具合が起こるかもしれんし、再生活性化の痛みにこの娘が耐えられんわい」 二人が言い争っていると、ベッドから呻き声が聞こえた。シナリーが起きたと思い、男の子はすぐさま駆け寄る。 「シナリー! ごめん、俺こんなことして……」 「だから……言ったじゃないですか……エンディックん?」 目を覚ました彼女から、名を呼ばれた少年は気付いてしまった。 シナリーが刺されたときになんと言ったのかを。 「『そんな所じゃ死なないよ』って……。今度は、ちゃんと殺してくださいね?」 彼女の名前はシナリー=ハウピース。エンディックの故郷の人々を苦しめ、残してきた母親を手に掛けた憎い敵であり、唯一の友達だった女の子である。 エンディックは神父に話した。二人の過去、シナリーが自己の殺害を彼に望んでいることを。 ライデッカーは神妙に顔つきで思考し、当面の問題の解決策を提示した。 「面倒な子供を拾ってきちまったモンだのぅ。お前さんに殺られるのが失敗した今、シナリーは自分の手でケリをつけるかもしれん。エンディック、お前さんの力を借りるぞ?」 「お、俺に出来ることが有るの?……教えてくれよ!」 その方法とはシナリーに自害防止の呪いをかけること。彼女の背中にライデッカーが魔言を使い、その効力を大天使の刺青に彫り、その絵に持続させるというものだった。 魔言によって呼び出されたテクノロジーは、発現している間ずっと使用者の魔力を消費する。 だから魔言は長時間使えず、効果は一瞬。武器に付加するものでも、刃の当たる部分だけというのが主流である。 『CURSE(カース)』は対象に何らかの制限をかける呪いの技術。呪いを持続させる為に魔力を消費し続けるこれは、実用性が低い魔言とされている。7の階級。 だがライデッカーはある方法を使えば、魔言の現象を形に残せるというのだ。 行使できる者は『この世界』ではとても少なく、さらに異世界からの来訪者達によって必要性を無くした、失われし秘法。 運良く少年は、秘法を使う為の原動力『機力』を持っていた。 絵柄に意味はなく、あくまで力のイメージを込めやすいようにと、神父は大天使の絵を選んだ。死から幼子を守るよう願う、聖職者ならではのモチーフだ。 エンディックはすぐさま絵の練習に取り掛かった。彼の時間は限られている。 完全に目を覚ましたシナリーが何度も自害を試みようとして、神父の鉄拳で気絶しているからだ。起きるたびに殴るわけにもいかず、そんな事態となっては、すぐに儀式を執り行わなければならない。 呪いを掛けるのはライデッカー、彼の魔力を少女の背中に書き残すのは、エンディックにしか出来なかった。 そして自信がついた深夜、女の子の背中に天使の焼印が押された。 儀式に使った部屋。その外の廊下で、男の子が呻き声をあげていた。 熱せられた棒が柔肌を焼いていく感触と、抑えられ苦しみもがく少女の悲鳴。儀式が成功した後も残る、おぞましい感覚。 幼いエンディックを蝕むのには充分だった。うずくまる彼の後ろから、育て親の男が抱きしめる。 「――頑張ったのぅ。これでシナリーは自分の舌を噛もうと考えることも、刃物で傷付けて出血死しようと思考することも、縄で首をくくろう思いつくことも出来なくなった。 あの大天使が呪いに反する思考を、妨害してくれるはずじゃ。 これでシナリーは勿論、孤児院の皆を、常に奴が自殺しないだろうか監視する気苦労からも、お前は救ったのじゃ」 本来『CURSE』による自殺防止は、奴隷や犯罪者の拷問に用いられるものだが、神父は言わなかった。 ライデッカーの珍しく優しい声音を、男の子は黙って聞いていた。 そして考えた後に口から出たのは、疑問だった。 「どうしてだよ……?」 その問いには涙が出るほどの悲しみと、世界に対する怒りが込められていた。 「どうしてシナリーばかりこんな目に遭うんだよ!」 「……」 「ハゲは言ってたよな? 幸福と不幸は平等に有るって。じゃあシナリーは村でいい暮らしをしてたから、皆に嫌われてたのか? 人を金の像に変えてたから、好きな人も殺さなきゃいけないのかよ? 全部アイツのせいじゃないのに!……今日なんか俺に殺してくれってよ。それがダメなら自分を傷付けて、背中を焼かれて! シナリーは何の為に生まれたんだよ? 酷いことをされる為に生きてきたのかよ?……アイツの幸せはいつ来るんだよ……」 エンディックの顔からショックや悲しみが消え、代わりに怒りの感情が。男の子は憤怒している。身の回りの理不尽に、罪無き者が不等な人生を歩んでいることに。 彼の苦悩の問いかけに、神父は言葉よりもまず、拳で答えた。 「今からじゃろうがぁぁぁっ!」 ライデッカーの暴力がまた発動し、心の傷付いた少年を、廊下の奥までふっ飛ばす。神父は肉体的にも傷付けた相手に向かっていき、胸倉を掴み上げた。 「これから幸せになれるに決まってるじゃろうが! 確かにあの娘には悪いことが続いたやもしれん! 死にたいくらい辛いことも有った。 それがどうして幸福になれん理由になる? ならシナリーが幸せになれるよう手助けをするのが、ワシら家族ではないか! あの子の心の傷が少しでも癒えるように、支えてやるが友の役目ではないかエンディックゥ!」 「あ……」 「何じゃあお前? 何も考えん内から、勝手に絶望しよってからに! いいか小僧? 全ての人間は幸せになれる権利を持ってる。どいつもコイツも幸福を欲しがっとる。 ワシのような男でも人並みの生活を手に入れた。 死にたがりで、誰かを殺したかもしれんあの娘も、本当は死なずに誰も傷付けずに、普通の人生を生きたかったはずじゃ」 そう言ってライデッカーは、子供を抱きしめた。この男は人の幸福と善性を信じていた。 そして、少女の友達のエンディックもまた、シナリーの未来を信じなければならない。 「誓ってくれるかのエンディック? あの子を助けると。自身を許し、幸せに向かえるようシナリーを導いてくれるか?」 △△△ (アリギエ・孤児院・シナリーとサーシャの部屋) あのときの薄い壁向こうの、廊下での会話は、シナリー=ハウピースの耳にも聞こえていた。二人は己を救う心算らしい。 お節介な人達に囲まれたせいか、死を渇望しているのにも関らず、この歳まで生き延びてる。そのうえちゃんとした職にまで就いて、自分でも私心が解らなくなる。 完全に覚醒したシナリーはベッドでムクリと起き、背中をさする。夢で見たあの情景が気になったからだ。 「どうすればエンディックに殺してもらえるんだろう?」 彼でなくては駄目だ。己で成しえない以上、『あの人』の息子たるエンディックの手で殺されなくては。 シナリーは恋している。 幼馴染の殺意に恋している。
2025/02/08
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店の様子は外からでも解った。いくつも大穴が空いているのだ。 残った壁や店内に血液がブチ撒かれ、中の椅子や酒瓶は粉々だ。店の外に用心棒の棍棒が転がっていた。 ポンティコスが中に入ると、血の臭いでむせ返りそうになる。嗅いだことが無いわけではない。だが、これだけ大勢の血液が流される場はそうそうない。 ここに居た自分の仲間達が死んだのは明白だ。恐らく何かの襲撃を受けたのだろう。 店内を進むポンティコスの足に何かが当たる。 人骨だ。そこら中に多くの人間の骨が散乱している。 それらはヌラヌラと真っ赤に濡れており、骨付き肉もいくつか有った。 そしてどうしてか、死体がない。まだ温かい頭蓋骨の数が、多くの仲間の死を物語っていた。 ポンティコスが地下に続く階段にたどり着くと、階下から大きな悲鳴が。 下りた彼は武器庫に寄り、愛用の斧を持ち出した。 奥から聞こえる命乞いの声を頼りに、暗い地下通路をろうそくも無しに歩んでゆく。敵に悟られぬようにだ。 地下通路と繋がっている部屋の配置は記憶している。一番奥の部屋に着き、中を伺う。 部屋の天井近くに敵が魔言で出したのか、光球が浮かんでおり、視界には困らなかった。ゆえに襲撃者の姿もハッキリと見えた。 奇妙な形の緑色の全身鎧。 まず兜。トサカのような意匠が付き、宝石が如く透き通った青い部品で目元を覆っていた。その中からは爛々と光る黄色の尖った眼差しが、世界を覗いている。口元は別の銀の部分が被せてあり、獣の牙のような装飾がなされていた。 次に胸鎧。上胸と下胸に分かれた四枚の装甲版からなるそれには、緑の鱗のような材質に、人の唇と見紛う不気味な装飾が一つずつ付いていた。 大きな肩鎧は四角く緑で、横に空いた穴から空気を出している。複雑なデザインの脚甲は銀と緑。膝と踵と足の甲に円形状の刃のような形。赤いマントも装備している。 腕甲は爬虫類の鰐を模した形で緑。右腕は左より大きい装甲になっている。 黒い縄のような物が防具間を巻きつき繋いでいた。 大柄な鎧に泣きながら懇願するのは、倒れたポンティコスの子分だった 「た、助けてくれぇ! ここにある金も武器も全部やる! だから」 「――言われなくても、金も命も頂いて行く。貴様の許しを欲していないのだ」 緑鎧の声は男で、彼は右腕の武器を戦意を失った弱者の胸に押し付けた。 右腕甲に装備された大きな剣、いや二枚の板だ。鰐の口から生えたような板の間には金属の小さな風車が三つ、ぶつからないように挟まっている。 全身鎧は武器と一つになっている腕甲に付いたレバーを左手で引く。取っ手は伸びて伸縮性のあるパーツで繋がっているようだ。 腕甲から起動し始める『機械(マシン)』の音。中の風車が回転する音。板の隙間から生まれた風が回転する音。激しく回転する空気の刃の音が聞こる。 「いやだ! あんな死に方したくないぃ! いやだいやだ! いやだががが……」 鎧男の主武装『グロ・ゴイル』が頭から床へ振り下ろされた所で、出血多量で死に、口が無くなったので、子分は悲鳴を止めた。 グロ・ゴイルとは風を殺傷力に変える、非実体の回転刃装置(チェーンソー)に似た武器である。 緑昇が得意とする風(ふう) 属性の魔力で風を流し、モレクの『空間を回転させる力』によって、回転に触れた敵性個体の空間をねじ切り破壊する武装。 歯向かう者の一生を終わらせ、殺しを見た者に一生忘れられない恐怖を教える。 かつて龍(ドラゴン) を殺したと言われる『七罪勇者』が持つ、対龍兵装(ドラグスレイヤー)の一つだ。 チェーンソーとは緑昇の世界では固い木を切るために必要な物であり、決して人に向けていい物ではない。 グロ・ゴイルとは大きな龍を殺すための兵器であり、その殺傷能力は対人の域を飛び抜けている。 緑昇の武器は悪人を切り刻み、原型を留めない程に破壊した。 すると緑昇の胸部装甲に有る唇が涎(よだれ)をたらしながら開き、勢いよく息を吸い込み始めた。 死体の肉が骨から外れていき、まるで『風』に分解され、胸の口に吸い込まれてゆくのだ。 「――ま、この中では美味い方ですわね」 奇怪な唇は舌なめずりをし、女の声で人肉をそう評価した。 あとは血溜まりとそこに添えられた骨が残るだけである。 「お前は……一体何なんだ?」 ポツリと一つ言えるまで、精神が回復したポンティコスに、緑色の殺戮者はすぐ答えた。 「――勇者だ。俺は人々の法と命を脅かす、全てを殺すことを生き甲斐としている。 街に来たときに盗賊に襲われてな。拷問したところ、ここの傘下と知り、予定もつけずに訪れた次第だ」 「勇者だと! そんな者が本当に……?」 ポンティコスも聞いたことがある。異世界から勇者が来て、悪者や怪物をやっつける本の童話なら。 少年がそうなりたいと夢を見て、抱き続ける者は騎士を目指し、いずれは現実に適応するために捨てていく英雄譚。 本物ならば止められるはずと、ポンティコスは最小の動きで斧を振るう。 ゴトリと刃の部分が落とされ、握っているのがただの棒になる。勇者の武器は速く、呆然と斧でなくなった得物を見るポンティコス。 「――孤児院と一緒になっている教会に、シナリーという修道女がいる」 ポンティコスは俯き、抵抗を諦めながらそう言った。緑昇は構わず、もう一度武器のレバーを引き、チェーンソーに殺意を込める。 どうやら殺されるようだ。だが自分にはまだ話さなくてはいけない人が居る。 「叶うなら彼女に伝えて欲しい。申し出は受けられないと。それでも君と神父様は無駄なことはしていないのだと! 感謝していると言ってくれ。もし俺のような半端者が生き迷っていたなら、無理やりにでも救ってやって欲し」 男の遺言が止まる。ゆっくりと進められた勇者の得物が、腹部に侵入。破壊を始めたからだ。 ポンティコスはある意味、思い描いていた通りの結末になったことに笑った。 悪党の終わりは、こうでなくては。今まで盗賊の頭として、多くの人々の人生を壊してきた己が、今更幸せになってはいけない。 もし善の神様がこの世界に本当に居るのなら、この身に下るのは天罰であるべき。 騎士団に自首しても良いが、なるべくなら超常の、例えば勇者なんてのがいい。 悪者が勇者に討たれる。道徳は成立した。正義は……有ったのだ。 刻まれた死体を胸の唇が吸い込むのを見ながら、緑昇は男を見直していた。 あれだけ残酷な死に様を見せられながら、逃げずに目を見開いていた、悪人の度胸にだ。 「この男の言う教会って、今日ワタクシ達が立ち寄った場所ですわよね?」 「――その修道女が全くの無関係なら良し。だが少しでも関係あるのなら……殺す」 胸からの問いかけに緑昇は、身構えた闘志を消さずに答えた。 「あらあら、容赦のないことですこと」 「だが不確定な事案より、有害だと確定している奴らが居る。先程親切なここの者が、他の役員の家や予備の隠れ家、周辺盗賊の存在を数多く教えてくれた。こちらを優先して潰していくぞモレク」 かくして、このアリギエでも、勇者が行動を開始してしまうのであった。 △△△ (ライピッツ会場) 黄金騎士は一言、二言の優勝の挨拶をした後、すぐ賞金の詰まった袋を受け取り、颯爽とどこかへ走り去ってしまった。 そのまま町外れの廃家の敷地にたどり着くと、黄金騎士は乗っている金獣からよろけてズリ落ちる。 背中から地面に叩きつけられた彼は、酷く疲れた様子でそのまま寝ていた。 「ちくしょ……最近調子悪いな、俺。形態を保つのが難しくなってきてやがる」 騎士が悪態をつくと、金のプロングホーンに変化が起きた。ボロボロと色が剥がれて、鈍い鉄色になったのだ。その足元には多くの砂や石が散乱している。 色だけではない。体も崩れていき、細かい形の金属と鉄板の山を作っていく。 「はは、それにしてもアイツら驚いてたなぁ。誰も俺に追いつけるわけねーのに」 彼が体を起こすと、『鎧だった』鉄板や砂や石ころが外れてゆく。最後に本物の兜を脱ぎ、素顔を曝した。 墓地での会話を思い出す。探し物は見つからなかったが、まさか怨敵が近くに居るとは。 案外、奴を倒すことが出来れば、彼女の悩みは消えるかもしれない。 「いや……駄目だ。アイツが許されたと感じられるのは、あの人だけだ」 だが、もしあの悪魔が彼女を狙っているのだとしたら、迎え撃つ所存である。 自分はその為に強くなったのだから。その為の黄金なのだから。 「黄金騎士は……俺が必ず倒す! 絶対にあの悪魔だけは! 父さんと、母さんの作品で!」 金髪の少年は鉄板を賞金とは別の袋に入れて、決意を胸に廃家を出た。 彼の名はエンディック。『今の』人々が黄金騎士と呼ぶ、勇者の打倒を目指す者である。 (勇者ギデオーズ=ゴールの手記より) 魔力世界『シュディアー』とは、環境管理装置『龍』によって支配された理想郷である。 我々の世界に『機力(メナ)』が有るように、シュディアーには魔力(マナ)という不思議なエネルギーが存在する。 御伽話に出てくるような魔法の力で、代わりに機械技術は進歩していない。 ある日、私の部隊が降り立った国『スレイプーン』の王が依頼をしてきた。 なんと龍から国民を守って欲しいというのだ。あの龍は世界の人口が一定数を超えると、五年一度に人減らしの名目で人々を襲っているという。なんでも、理想郷を保つ為とか。 今までの王はこれを黙認してきたらしいのだが、現王は違った。国民が殺されるのを許せないという。だがシュディアーの人間は、龍を傷付けることが出来ない。 この問題には『勇者鎧』を用いることにした。 王家の地下に封印された七つの秘宝を研究し、我々の技術で修復かつ改良した鎧。魔力と機力の両方の力を運用可能な最強兵器だ。 我々の機力世界『マシニクル』とシュディアーの友好の為、何より人々の命を守る為、龍に立ち向かい、これを撃破した。 しかしその後、勇者鎧の悪魔と契約した者達だけが、元の世界に帰れなくなった。国王は原因を突き止めるまで、ここに居ていいと言ってくれた。 そして全員毒を盛られて死んでしまった。
2025/02/07
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教会施設の裏側には数本の木が立っているだけで何もない。敷地を囲う塀と近く、狭い場所だ。 それゆえ訪れる者といえば、掃除に来るナバロ老人くらいである。 その人気の無い場所で、緑昇とモレクが一人の男を脅していた。 緑昇に胸倉を掴まれているのはデニク。 彼は教会を出たところで、二人に声を掛けられ、逃げようとし、あっさり捕まったのだ。 「ちょ、ちょっといきなりな挨拶じゃないですかぁ? あっしが何したってんで……」 「久しぶりだなデニク」 デニクは仁王立ちする二人から離れようと後退り、すぐ木と背が接触した。 彼はアリギエで、このコンビの本性を知る数少ない人間だ。三年前に出会ったときから二度と会いたくないと願っていたのだ。 「俺はアリギエが初めてだ。ちょっと道を聞きたいと……考えていたら、貴様を見つけた」 「な、なぁんだぁ。旦那は観光で来たんすか? それだったらあっしが良い所を案内し」 「銀獣の会のアジトへの道を聞きたい。お前の命と引き換えに案内しろ」 △△△ (ライピッツ決勝レース会場) 会場は横長い円のコースとそれを囲む観客席、建物周辺の祭りの露店からなっていた。 階段状になっている観客席には多くの人が駆けつけ、コースのスタートラインには賞金と名誉を手に入れんとする、三人の選手達が既に並び終わっていた。 「ついに来たか!」 エストーセイ地方のレースを勝ち上がってきたドントンは入場ゲートを見た。 いや、彼だけじゃない。会場内の全ての人間が、五分遅れてやって来たその『真打ち』に注目する。 観客達の多くは彼を見る為に足を運び、選手達は噂通りのその姿と乗り物に度肝を抜かれた。 客の一人が遅刻者の名を叫ぶ。 「黄金騎士{ゴールデンナイト}だぁぁっ!」 金の防具を身に付けた騎士が、金の獣に乗って参上した。 昨晩とは違い黄色から、目に痛いくらい光を放つ黄金の武具を身に纏ってる。彼は槍は持たず、金獣を優雅にスタート地点まで進ませた。 ライピッツには複雑なルールがない。円状のコースをいかに速く、乗り物に乗って周回するか? それだけだ。乗る物は陸を走る物なら、何でもいい。大抵は馬である。 ドントンはなるべく軽く、しかし晴れ舞台に相応しいシャレた服装。馬にも最低限の装飾しか付けてない。 (何なのだ? このふざけた奴は……) 彼の隣に並ぶ金ピカの変人。わざわざ防具を付け重くし、兜で視界を狭くする意味は何なのか? こんな選手見たことがない。 さらに謎の金の鹿? どう見ても普通の生物に見えないそれは、ドントンには恐ろしい魔物の類に見える。 「魔言{スペル}『SHOT』」 このレースの主催者、そのお供の魔言使い(スペラー)が言葉とともに、持っていた杖を主に向ける。 唱えた『SHOT』は魔力広域化の技術。本来は魔力その物を砲弾にして、遠距離に飛ばす使い方をする。今は主催者の声を増幅し、会場内全てに届くようにしたのだ。 勿論そのままでは近くで聞いた者にはうるさ過ぎるので、聞こえ方も魔力で調整してある。1の階級。 「これよりぃ! 決勝レースを始めるっ!」 主催者の宣言により、ライピッツ決勝レースが始まった。 △△△ (会場周辺の露店街近く) デニクは二人の『旅行者』を連れ歩いていると、ライピッツ会場の近くを通りかかった。 この辺りはお祭りムードに便乗して、多くの露店がある。客はレースの行き帰りに立ち寄る者、店が目的の者。席に座れず、せめて会場の近くに居たい者と様々だ。 会場の外にも聞こえる大歓声が三人の耳に届く 「お、ちょうどレースが始まったんスかね? あーあ、あっしも行きたかったな~」 「……」 「アレ見てくださいよー。美味そうなモンが売ってますよー?」 「デニク、注意を逸らそうとしても無意味ですわよ?」 『旅行者』の緑昇はダンマリ、モレクは冷たく言い放った。対して、デニクは笑うだけである。 移動中、ずっとふざけた態度でおどけてみせるデニク。どうにかアジトに着く前に、二人を撒けないか? もし拠点に連れて行ったら、自分達にとって不利益が起こるに違いない。 デニクが苦笑いしながら思考していると、緑昇が聞き取り辛い声で話しかける。 「そういえば貴様……なぜ神になど祈っていた? あそこは邪神など祀ってないはずだが?」 緑昇の何気ない疑問に答えるのに、デニクは少し時間を置いてしまう。 それは彼にとって、告白に近い吐露になるからだ。 「なんか、その、恥ずかしい話しなんスけど……最近妙に思い出すんスよ。見殺しにした女とガキのことを」 デニクが語ったのは、二年前の出来事だった。 彼はそのとき組織からある重要な品を、アリギエからピンスフェルト村まで送り届ける仕事に任されていた。輸送は秘密かつ絶対に成功させろと仰せつかっていたのだ。 デニクは普段の商いをしながら、誰にもそれを喋ることなく、己の馬車で村に向かっていた。 普段通りを装う為に、連れの女と召使の子供、護衛の傭兵を連れていた。デニクは女好きで知られていたからである。 だが運の悪いことに、銀獣の会の息が掛かってない盗賊に襲われてしまう。とても強い賊の者達に護衛も殺されてしまい、デニクはある選択をする。 このまま殺されるか、盗賊の望みの半分を置いて仕事を果たすか。組織の人間であるデニクは、自我よりも合理性を優先した。 そして、なんとか大事な品を届けた彼は、今もここに居る。 「アイツら天国行けたかなーとか考えちゃってでスね。そしたら変な神父に強引な勧誘受けちまって、色々あって今じゃアソコに通うのがノーマルになっちまったわけですよ」 「虫のいい話しですわね。本当は己の保身も、神様に祈ってたんじゃありませんの?」 卑しく笑む悪人に、後ろを歩くモレクは半眼になる。そんな会話をしながら街を進んでいく。 「別にあっしは今更神の加護を頂こうなんざ思っちゃいませんよ。自分で外道だって理解してやす。 でも誰だって有るっしょ? 神様にでも頼りたいときが。 無茶なこと、有り得ない物事を叶えてくれる相手は、それこそ居るかも解らなねぇ奴ってモンじゃないっスか?」 「ならその無意味さも……解っているのだろうな? 存在しないモノは、一切人間に関与しない。見えもしない神が、願いを聞き届けることはない」 「へへ、こいつは手厳しい。ま、自己満足っス。でもその満足がないと、やっていけないような気がするんスよ。 心が安定しない。こんな重い腹ん中を抱えてたら、仕事でヘマしそうでね」 そう語るデニクはいつもと違う表情をしていた。 ふざけた笑い顔ではなく、重しが取れたような、労働から解放されたような、乾いた微笑み。 語る言葉以上に、彼がどれだけ宗教に傾倒しているか知れた。 デニクの心の平穏は、もはや人の認識の埒外でしか得られなくなっているのだろう。 「お、ここっスよ」 さらにアリギエの奥まで歩いた後、三人は狭い道の左右に怪しげな酒場や、一見して何屋だか解らない店が立ち並ぶ、裏の界隈までたどり着いた。 一行がある店の前まで行くと、高揚した男達の下品な笑い声が聞こえてきた。昼間だというのに、酒が入っているのだろう。 「このティーナって酒場が、銀獣の会の役員達の集まり場所になってやす。奥に地下に続く階段があって、そこがアジトっス。『真面目な』騎士様が探しているような、ヤバい薬や奴隷売買の会計記録や、現物があるんじゃないスかね?」 「そうか……案内感謝する」 「あの~御二方が何しに来たか、聞いてもいいッスか? 勇者だから悪者を懲らしめて報奨金ゲットーとか?」 ヘコヘコと媚びるデニクは、この二人が正義と称して悪人を捕まえ、魔物を退治して回っているのを知っていた。 ゆえに今、彼らに出会ったときから、どうそれに巻き込まれずに済むか算段していたのだ。 だが『今の』緑昇とモレクの答えはそれと異なる。 「殺しに来た」 「へ? でも旦那程の力があれば、生け捕りに出来るんじゃ?」 「ワタクシ達、前とは路線を変更していまして、悪に類する者は全て殺すことにしていますの。 教会に行くまでに情報収集をしました。聞けばこのクスター地方、騎士団の腐敗は酷いとのこと。強い権力による不当な徴収と罪被せ。犯罪組織から賄賂を貰い、関係者の即時釈放。 そんな所に預けるくらいなら……ねぇ」 緑昇はポツリと一言。連れのモレクは肩をすくめながら嘆く。 彼らもまた公的権力を信用してないらしい。どうやら行く先々の街で、数多くの悪徳騎士団を見てきたのだろう。 「俺は芸のない男だ。素手で殴り殺すこと。モレクの餌にすること 。連れ帰って拷問に掛けることしか出来ない男だ」 そう言って大きな体の男は、横に居たデニクの頭に左手を置く。 「俺は勇者だ。真面目に生き、誰も傷付けず、平和を愛する人々を守る。その人々の生活や理性を脅かす存在を許さない。 貴様も含めてな」 緑昇はデニクの頭を掴み、持ち上げた。地に足が着かない高さまで掲げられた本人は、慌てふためきながら、必死に弁明の言葉を探す。 「ちょっとちょっと! 教えたら見逃してくれるんじゃなかったんスか?」 「――望まれてないのだ。貴様らの改心など」 「へ……?」 「誰が貴様の心変わりを願う? 誰か神に祈って欲しいと頼んだか? 仲間を売って、今までの悪行から手を切れたつもりか? どこに向けて懺悔しているのだ? 今頃悔い改めた、己の身が可愛い臆病者に、神が慈悲など与えるのか?」 「やめてくだせぇ……。あ、あっしは」 「見殺しにした女子供が願うのは、貴様がいつ地獄に行けるのか、だ」 掴んだ左手を後ろに引いた緑昇は、デニクの顔も見ずに許しの言葉を吐いた。 「案内してくれた礼だ。お前の死体は残してやる」 振りかぶった左手を、全力で店の壁に叩きつけた。 何度も。何度も。何度も。 手の平が壁に付くまで行った激しい音と振動が、店の中に伝わったのだろう。中から慌しい声と足音。これで中に居る用心棒に気付いて貰える。 緑昇はついでにと、足元に残った体を窓に放り投げた。絶命した人体は窓を壊し、中の人間にコンニチワ。もっとも頭がないので、デニクの挨拶は悲鳴しか生まなかった。 モレクがフゥーっと息を吹くと、その風はなぜか緑昇の左手に届き、緑昇の手の汚れがなぜか掻き消えた。吹き飛ばしたとでも言うのだろうか? 「ではいつもの通りに? 案外パンチキックで行けそうですけど」 「俺個人が彼らを殺しても意味が無い。勇者として駆除することに意味があるのだ」 男が右手を前に突き出し握ると、女の姿が消える。 右手には手甲が付けられており、それは深緑色の下地に金十字の装飾。四つのピンクの宝石が備わっている。 緑昇は手甲に命じた。 「勇者、召喚」 △△△ ポンティコスはレース会場周辺を歩いていた。 彼は悩みぬいた結果、明日も同じことが出来ない、したくない自分に気付いた。プライドも捨てて、惨めな選択をしようとも、もう半端な生き方は止めたかった。 ライデッカー神父の申し出を受けようと思うのだ。きっとあのシナリーというシスターが引き継いでくれるだろう。 いや、自分だけじゃない。子分達にもそういう考えの奴らが居るかもしれない。もしかしたら、神の教えも知らず、生きる指針に迷う者が居るかもしれない。仲間達も救ってやれないだろうか? その仲間の男が一人、走ってきた。 仲間は奇声とも悲鳴ともつかない声を出しながら、血まみれで走ってきたのだ。 ポンティコスが止めると、半狂乱の彼は目の焦点が合っておらず、傷は負っていないようだ。 「おい! 何があったんだ? おい!」 「――あ! あぁ、あ……何なんだぁありゃあ? あれは! あれは……!」 仲間は恐怖の叫びを上げ暴れだし、ポンティコスから離れてどこかへ走り出してしまう。 ポンティコスは急いでティーナへ向かった。
2025/02/07
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(アリギエ・教会前) 「来て……しまった」 神を求める信徒が一人、聖なる建物の前で右往左往していた。 「どうしようかなぁ。やっぱり止めようかな。でも……」 そう言う迷える子羊の体は大きく肥えており、彫りの深い厳 つい顔には眼帯をしている。 桃色の下地に銀色の鰐(わに)の刺繍が入った眼帯を、左目にした男の名はポンティコス。 以前のポンティコスは、仕事終わりの次の日には、必ず教会に来ていた。彼は信仰深い性格で、仕事先でも成功を祈る為に、頭を教会の方向へ向けているのだ。 だが、今まで彼に良くしてくれた神父様が死んで以来、なんだか行き辛いのだ。 その神父以外とはあまり話したこともないし、ちょうど仕事も忙しかったので、葬儀にも気付けなかった。 あのライデッカー神父はポンティコスにとっての恩人である。 その死も悼めない自分は、墓に会わす顔もない。そんな心境なのだ。 「お墓に花でも買ってこようかな。でもそこを誰かに見られたりしたら……」 「あ、ポンティコスさん。おはようございます」 ポンティコスは声を掛けられたことに驚き、相手を見る。 杖を持った紫髪の修道女が後ろにいる。彼女は微笑と共に話しかけてきた。 「お義父さ、ライデッカー神父から伝言を聞いています。『イカす眼帯男が訊ねて来たら、中に入れてやるように!』って」 「え……? 神父様が俺のことを?」 彼が自分のことを気にしてくれていた事実に、思わず涙ぐむポンティコス。 それに自分のような怖い顔の人間に話しかけてくる、少女の気さくさにも感心した。 他のシスターは眼帯を付けたこの物々しい男に、気後れしているからだ。 「ほら遠慮せずに! 入って下さーい」 「じゃ、じゃあ……」 かくして神の信徒に導かれ、悪人は扉をくぐった。 △△△ 「ラーメン」 「何ですの……それ?」 「俺の世界では祈る際に、麺類の名を唱える風習があってな。……言ってみただけだ」 緑昇(りょくしょう) とモレクが教会の端の席に座っていた。 二人はイカリャックを出た後、教会に立ち寄ったのである。 そこに彼らが探す物と人の、何かしらの情報を持っているかもしれない人物がいると聞いたからである。 皆が聖なる歌を聞き、聖なる書物を朗読する教会。周囲の目から外れた席の男女は、ヒソヒソと呟き合っている。 「まさかライデッカーという男が……もう死んでいたとはな。 彼は19年前に王都の魔言師団にいたと聞く。第一期・遠征部隊……『勇者』がこの世界に来たときに……だ」 「前国王の魔の手から逃亡し、行方不明となっている強欲の鎧(マモングリーズ)と勇者。 その方達の噂が有るこの地方に、ライデッカーなる神父が居るのは変じゃありませんこと? もしかして逃亡の共犯者なのでは?」 「仲間割れで死んだ可能性か。それも含め調査を……ん? おいモレク、二席前の男……デニクじゃないか?」 緑昇の言った席に、他の信者よりも熱心に聖歌を歌う男が居た。デニクという若い商人だ。 金髪で浅黒い肌のその男は、三年前に二人と別の街で会ったことがある。 緑昇達にとっての彼は軽薄で、常に他人に媚びる子悪党という印象だ。 だから目の前の熱が入った信徒ぶりを、二人は信じられないと驚いているのだ。 「不思議なことも有るものですわ。そういえば緑昇、デニクは『銀獣の会(シルバービースト) 』の一員でしてよ? 覚えていまして?」 銀獣の会とは、仕事の稼ぎが少ない者や無職者に、『副職』を斡旋する非公認団体だ。 弱者救済をしているように聞こえるが、実態は犯罪ギルド。 紹介する仕事は、怪しい取引の用心棒や盗賊の頭数増やしなどで、はては殺しの捨て駒などを押し付ける。 悪名は知れ渡っているのだが、飯を食う為に手段を選べない者は、彼らを頼るしかない。 さらに娯楽に飽きた貴族の子供が、殺人をしてみたいが為に、強盗に参加してみるなんてこともあるのだ。 「モレク……怪しい鹿に乗る変態と、市民を犯罪に誘う悪の組織の下っ端、俺が『勇者』としてどちらを優先すべきだ?」 「後者でしょうに? いつも国王の依頼より、ワタクシ達の『日課』の方をやりますでしょう。 うふふ……一体何人召し上がれるのかしら?」 △△△ (教会裏の墓地) 一通り午前中の集会が終わり、ポンティコスは墓地へ向かう。ライデッカーの墓に行っておこうと思ったからだ。 知り合ったシスターのシナリーという少女の導きで、墓前にたどり着くことが出来た。 彼女はポンティコスと神父の関係を聞いてきた。 シナリーの話し上手のおかげで、恩人のことを話したかったポンティコスも話が弾む。 「本当に神父様はおかしな人でしたよねー! ひたすら肉体派っていうか単純っていうか」 「ええ、でもそこが良い所だったんです。俺も仕事で悩みが有るときは、相談に乗ってもらいました。 『仕事はな、嫌なことするから金が貰えるんじゃい! だが、どうしても無理なときはワシに言えぃ! ここの仕事を紹介してやるッ!』って言われたりして。神父様の励ましや助言がなかったら俺は……」 ポンティコスにとって彼と出会えたのは幸運であり、神への祈りという『贖罪』の手段を見つけられたのは、運命と言ってもいい。 神を信じることで心の安定が得られた。だから今の仕事も続けられる。 「でもポンティコスさん、神父様のお誘いは受けなかったんですよね? どうしてですかぁ?」 シナリーの何気ない疑問に答えるのに、ポンティコスは少し時間を置いてしまう。 それは彼にとって、告白に近い吐露になるからだ。 「俺は……悪人なんです」 「――何でです?」 「俺は汚い男なんですよ。悪い人間なんです。そんな男が、良い人達の仲間になっちゃいけない。 聖職者になって神様の加護を受けたり、あまつさえそれで幸せになろうだなんて、有ってはならない」 「じゃあ貴方が神様に祈ってるのって、自分を罰してくれーって頼んでるからですかー?」 「……神頼みなのは解ってますよ」 少女の発言は、ポンティコスの心情を言い当てていた。 彼の本当の望みは、一時の救済や神の守護を受けることではなく、暴きと裁きなのだ。 宗教による心の平穏を求める一方で、神罰での身の破滅を願う。 矛盾しつつも、そうでなければ不条理だと、ポンティコスは考えていた。 「俺は不条理な世界が嫌なんです。真面目に生きて幸せになれない人も居るのに、悪行を成す者が幸せになるなんて……変だ」 話し過ぎたなと思いながら、ポンティコスは立ち去ろうとした。自分はやはりここに相応しくないと実感しながら。 何歩か進んだ所で、後ろのシスターが彼を呼び止めた。 不定の意思を込めて。 「ポンティコスさんが悪人なのは解りました。でも……変ですよね」 振り向いた先には、先程と変わらぬ姿のシナリーという少女が居た。 だが何か違う。笑っていた目は、心を見透かすように。楽しげに喋っていた声は、耳に重く圧し掛かるように。 「嫌ならどうして辞めないんですか?」 ポンティコスはまるで、別の人間と対峙しているかのような錯覚に陥る。 「明日の朝食を食べたら、悪いことをするんですか? 今日の夕食を食べたら、 悪行を成すんですか? 昼食を食べたら、悪事を企てるんですか? それとも今、私を殺しますか?」 「き、君を殺すなんてそんな」 「そう、貴方は選べるんです。選択する理性と、拒む良心がある。 汚い経歴があるなら、悪事をする仲間がいるのなら、そんなモノとは手を切ればいいじゃないですか? 貴方は悪いことを嫌々やっているように聞こえます。でも神父様の誘いは受けたくない。 だからこれからも悪事を働きつつ、裁きを待つ。変です。 どうして『悪事を辞めて、幸せにもならない』という言葉が出てこないんですか?」 未来論。 彼女の問いはこうだ。 明日の自分はどんな姿でいたいか? 己が間違ってると理解しているのなら、なぜ正さないのか? 本当はどんな未来を望みたいのか? 「それに私を育ててくれた神父様がよくおっしゃっていました。 『幸せにというのは、誰にでも許された願いだ』と。どんな悪事をしたのか存じませんが、ポンティコスさんが幸せになれないという極論はおかしいです」 幸せになってもいい。 ライデッカーに声を掛けられたように、そんな言葉に困惑する眼帯の男。 「そう……だった。あのときも」 ポンティコスは自分がなぜライデッカー神父のこと慕っているのか、思い出した。 ライデッカーは他の者達とは違い、ポンティコスの悪を知った上で、その幸福を許可してくれた人間だったからだ。さらに仕事の仲間になれとまで言ってくれた。 だが、そのとき自分はなんと言ったのだろうか? 「俺は……!」 不出来。 あまりにも不出来な自分。 諸々の感情が抑えきれなくなり、それはポンティコスの残った右目から溢れ出てきた。 「……ッ! もう、行きます」 大きな手で顔を隠したポンティコスは、少女から逃げるように墓場を去る。 急ぎ足で行く男に、シナリーは元の口調に戻して、こう言った。 「ポンティコスさぁんっ! 当教会はどんな人も拒みません! 世界中の人の幸福を願ってるんですー! また来てくださいねぇっ!」
2025/02/06
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(アリギエ・オープンカフェ『イカリャック』) そのテーブルに座る男女は、ずっと注目の的だった。 一つ理由は男の大きな体だ。百九十はある身長の体を椅子に預け、女性と話す男。 店に入って来た時から、注目を浴びている。ボサボサの黒髪にどこか疲れた目で冴えない印象。 歳は二十代後半だろうか。地味な黄土色のコートを着ている彼は、とても低い声でボソボソと女性に話しかけている。 彼の名は緑昇。昨夜、アリギエにやって来た男である。 「おい……涎を拭け。モレク」 「だってちゃんとしたお料理は久しぶりなんですもの! 前の町の料理ときたら、どれも激マズでした! 昨夜なんか身の程知らずの盗賊を、ツマミに平らげてしまうところでしたわ」 テーブルを不満げに叩く女性はモレク。 綺麗な緑色のショートの頭と、細い目。痩せた体に着ている豪奢なドレスは、視覚に痛いくらいドギツイ桃色。人の歯茎を模した不気味な青い髪飾りを付けている。 二つ目の理由は、彼女が店の男達の視線を釘付けに出来る程の気品のある美女だったから。 貴族が付き人を伴って来たのだろうか? いや高貴な人種がこんな所に食事に来るはずが無い。二人は何者なのだろう……? そんな予想を周囲に抱かせていた。 「俺は……この町は初めてだ。知っているだけの詳細な情報を教えろ。お前はここに来た『記録』が残っているのだろう?」 「貴方様の前任者の時ですけどね。このアリギエは王都の周りに展開している、四つの商業都市の一つですわ。 これから回るクスター地方では一番大きい街。魔言の解析と流用がかなり進んでいて、特に建築の『完成度』が高い街ですの。 国王が貴方様の世界の技術を広めて、なんとか再現しようとしてますし、近い将来『真似』くらいは出来るんじゃないかしら」 「確かに他の地方と違って、崩れそうな家……という物は無いと見える。魔言か。この世界における魔法や魔術のような物だったか」 「緑昇……散々あれこれワタクシで酷使してきた癖に、何か解ってないような口振りですわね」 モレクの半眼に彼は、悪いともふざけているともとれる素振りで謝罪した。 「すまない。マニュアルは読む方だが、物覚えが悪い方だと自負しているのでな」 「いいですこと? この世界『シュディアー』の空間には、人類の先祖が残したと言われている『技術銀行』(テクノロジーバンク)が存在しますの。 今では実現できない超技術が貯蔵された、どこにでも在る奇跡の蔵と言えばいいかしら。 そこからスンゴい力を引き出す為の暗号や発音が、魔言ですわ。 魔言を正確に発音できる才能を、技術を行使するのに必要な魔力(マナ)を持つ者を『魔言使い(スペラー)』と呼びますの。 まあ昔は誰でも使えたそうですけど、今じゃ中々いないのが現状。魔言使いなら公職の騎士と同じくらい、安定した職に就けるって話しですしね。 あの……何で今更、貴方様にこんな事をレクチャーしなくちゃいけないんです? 緑昇、ちょっと聞いてますの?」 長々と語っていたモレク。対して緑昇は、コーヒーを運んできた『女性』店員に会釈し、黒い液体を口に含み、一息ついて街の人々を見ていた。 数分してモレクに目を戻すと、平坦な声で答えた。 「いや、あまり」 「なぜですのおぉーっ!」 激怒する彼女を尻目に、緑昇は昨夜の出来事を考えていた。 異形の獣を乗りこなす黄金騎士(ゴールデンナイト)の事だ。 噂によると、金色の武具と獣を駆って現れては、その場の弱きを助け、強きを挫く正義の騎士らしい。 様々な街に目撃談があり、賊や賞金首をほとんど殺さない事から、童話の中の英雄のようだと語り広まっているそうだ。 「ふふ、同じ穴の狢としてどう思いますの?」 「変態だな」 「はい?」 「奴が不殺を誓おうとも盗賊や反王族主義者の末路は、拷問、死刑、犬の餌と決められているのだ。直接手を下さず、公開された処刑会場に血走った目で朝から待つ。 自分が捕まえた罪人が、他人の手で殺されるシチュエーションを生き甲斐とする変態だろう。魔言に水(すい)や雷(らい)、風(ふう)といった属性があるように、人にも眼鏡属性やオトコノコ属性、東西(左ハミ・右ハミ)南(・下)北(・上)半球属性と様々あるのだ。奴は生粋のNTR者{ネトラーター}だろう」 「そ、そうなんですの……?」 緑昇は黄金騎士の乗っていたアレについて検討する。あの金属の鹿は何だったのか? 「あれは鹿じゃなくて、レイヨウのプロングホーンという、動物の形に酷似していますわ。記録によると、チーターとかの次に早いとかなんとか」 「ならアレは本物さながらの早さというわけか。だが、なぜ金属の体なのだ? 奴は魔物を使役しているというのか?」 魔物。どこの冒険者か発掘家が言い出したのか、金属で出来た怪物の総称である。 魔力か何かの未知のエネルギーで動き、縄張りに接近した人間を襲う『物』。 街道に現れる盗賊や、街で人々を苦しめる悪徳騎士よりも、さらに上位の脅威である。それは彼らの攻撃方法が、理解不能だからだ。 魔物に見られただけで殺される。魔物から逃げても殺される。肉や物でも注意も引けず、命乞いをしても殺される。 なんでも、魔物の体が光ると、穴だらけの死体が出来るそうな。 立ち向かうにしても、彼らの精錬され平たい装甲には剣も槍も弓も効かない。 雷属性の魔言が多少効くと噂される。彼らは森や海、廃墟を住処とし、そこから滅多に出ない。幸い縄張りに近づかなければ、害は無いが。 それらの情報が広められたのには、理由がある。かつて数多の戦士や魔言使いが、名声欲しさに魔物に挑み、殺された瞬間を第三者が記録したからこそである。 「奴が何かの偶然で操作端末{コントローラー}を手に入れたか。あるいは」 「あぁっ! やっと来ましたわ」 モレクを見ていた男性客たちがギョッとする。彼女達のテーブルに大量の料理が運ばれてきたからである。男が食うのであろうか? 緑昇は並べられた料理を見て、ため息をついた。一つ一つ丁寧に盛り付けられた料理と綺麗な皿。高価でないながらも凝らされた料理人達の技。 それらが今、無に帰すのである。 「毎度のことながらお前を維持するのには、金が掛かるな。まあ、『他』に比べたら『食欲』なんて安い方か。モレク、なるべく上品に頼む」 強い酸性の液体がテーブルの上に垂れた。モレクの涎である。 そして……『暴食』は始まった。 目をカッと見開いた彼女の両手のナイフとフォークが、次々と料理を突きたて、口に運んでいく。 肉を切り分けたりしない。食べていくではなく、料理を飲んでいくモレク 。その食い方の汚いこと汚いこと。汁と油を撒き散らし、道具を使うのももどかしくなったのか、手を悪魔のように伸ばし、口に入れてゆく。 そう、それは肉食動物の捕食に似ている。もしくは餌に群がる家畜か。 この惨状は見ている何人かの気分を害するのには充分だった。 気品を漂わせる貴婦人のあまりの豹変に、店内の誰もが呆然とし、連れの緑昇だけが静かに自分に必要な分をよそって食べている。 「あ、そうそう。一年前に出た賭けレースを覚えてます?」 笑いながら食事をしていたモレクが、不意に言った。 「マーツォの街での事か。お前の燃料補給に金が尽きて、仕方無しに出ようとしたアレか」 そのときは乗り物何でもありの賭けレース『ライピッツ』に出ようという話になったのだ。何でも有りと言っても大抵は馬なのだが、緑昇は自らの足で走り、優勝した。 「そのライピッツがこの街でも有るんですの。今日は物好きな方達の、大会の決勝レース有ります。ほら、途中で見かけたあの円形の建物はその為の施設ですの」 「ほう。だが今はそれほど路銀に困ってはいない。それにスポーツに出るなら、前のような裏技は用いたくない。いくら大雑把な規則でも、俺達も馬か何かに乗るべきだ。例えば」 緑昇はそこまで言って、ある可能性に気が付いた。例えばあの黄金騎士の金属レイヨウに乗れれば。 例えば自分と同じような反則的な速さを、躊躇わず使い続ける者が居たら。 その大会に黄金騎士が出ている可能性は高い。 △△△ (アリギエ・教会・墓地) 三人の子供達が墓石に隠れながら、遠くの男女の姿を観察している。 彼らの視線の先にはエンディックとシナリー。二人はある墓石の前で話をしているようだが……? 「ナンダカオニィチャンオコッテル」 「でも見つからないぐらい離れてると、何て言ってるか聞こえないね」 「早くも別れるってやつー? 変なカップルー」 「何してんのアンタ達?」 コルレとキリー、スクラが驚いて振り返ると、サーシャが袋を抱えて立っていた。彼女は墓地の管理人のナバロ爺さんに、届け物を渡すところだった。 「ボクタチハフタリノカンシダヨ」 「あぁ、あの子達ね。エンディックも苦しいわね。特に神父様に懐いてたみたいだから」 「あの人ってどんな人なんですか? どちらかと言えば真人間みたいですけど」 「そうね。エンディックはちょっと口が悪いけど、とっても真面目でお利巧な子よ? ただ気負いすぎる所があるというか、幼馴染のシナリーと一緒に居ると、暗くなっちゃうのよね」 サーシャは語りながら、知ったかぶる己に苦笑した。どれだけ二人を知っているのかと。知っていると言っても二人が孤児院に来た以降の姿だ。 多分あの奇妙な関係はその前が原因。きっと自分は助けになれないのだ。 「あの子達が互いを想い合っているのは解るの。エンディックはシナリーのことがとても大切。 あの子が怪我したりすると、血相変えて飛んでく感じね。それはシナリーも同じなの。エンディックに付きまとって何か手伝ったり、たまにご飯を作ってあげたり、お付きの使用人みたいだったわ」 「でもでもー、それって変だと思うー。だってシナリーお義姉ちゃんあんだけ胸おっきいんだよ? お付き合いしたい男の人がいないわけないじゃん!」 突如もたらされた情報に、サーシャは苦い顔をし、コルレとキリーは興奮する。 「タシカニフクノウエカラデモ、オオキイトオモッテタケド!」 「それって本当かい! きっと神様って奴の仕業だよー!」 「うん。この前にアタシ、お義姉ちゃんが脱いでるとこ見たの。なんかもうゴゴゴゴ……ズドンッて感じだったのよ。 空気そのものが揺れてたみたいな」 「いや……その例えじゃ解らないわよ」 呻くサーシャを二人の男の子がクスクスと笑う。 「マア、オネェチャンジャイッショウワカラナイヨー」 「大人になったら育たないんだよねー」 青ざめた顔でスクラは二人の口を塞ごうとするが、先に保護者の殴る蹴るの暴行。 「もう、男の子の前でそういう話をしたらダメよスクラ? ほら鼻血出してるじゃない」 サーシャは拳に付いた血を拭いながら、エンディック達を見る。エンディックは怒っているようだ。何度か言葉を交わし、彼だけ墓地を去っていった。シナリーはその後ろ姿を見つけ続けている。 ため息をつきながらサーシャは独り言を言った。 「朝ご飯で言ってたけど、あの正義感の強いエンディックが騎士になるとはね。騎士道を振りかざし、弱い者を助けるのは童話の中だけ。 本当のアイツラは難癖と徴収のプロ。適当な理由で何でもぶん取り、大金さえ貰えば罪人も逃がす悪漢供。そんな奴らの中にいて大丈夫かしら」 彼女の独り言に足元で転がっているキリーが反応する。彼は興味を持って聞く。 「……お義兄さんって、よくある騎士とか勇者とかの物語が大好きだった子供でしたか?」 「神父様がそういう単純なお話しが好きだったから。その影響かしらね」 キリーはムスッとして、エンディックが去った方向を見た。それは失望の眼差しだ。 「なぁんだ……あの人、もの凄い……バカじゃん」 △△△ 旅の終わりは人生の終わりだった。 「――何でだよぉ」 夢が潰えるのを感じた。希望が消えるのを見た。自身の意味が霞んでいくのを知った。もし結果が解っているのなら、絶対に自我を捨てていた。 どちらか選べと云うならば、例えつまらなかろうと、満たされぬ人生を送ろうと、『彼の傍』を選んでいた筈だ。 「何か喋れよ……」 奴隷として扱って欲しかった。くだらない傲慢な意思や夢など、教えなければ良かったのだ。 結局『見つけられなかった』自分の選択は、眼前の結果に比べれば間違いだったのだから。 「ほら……殴れよ……」 朝の曇り空の下、緑の丘に立ち並ぶ先人達の名前と石。エンディックとシナリーはその中から、よく知っている人物の名を見つける。 「なんで死んでるんだよぉッ……!」 石の名はライデッカー。元は王国の魔言師団員で、一年前まではこの教会の神父をやっていた。 捨てられたり、育てられなくなった家庭の子供を孤児院に預かり、町の人々にとても好かれていた豪快な男。 そんな男の墓が建てられていた。 「俺はなあ、このハゲにもの凄い借りがあるんだよぉ……」 エンディックは墓の前に泣き崩れながら、ポツリポツリと話し始め、シナリーは黙って聞いていた。 「誕生日の日に父さんに言われたんだ。今日から一緒にご飯を食べられなくなるって。その頃ガキだったから、なんだか解らないままアリギエに連れられて、ハゲの変なオッサンに会わされた。 親父に置いて行かれて、帰り道を知らない俺にソイツはこう言った。自分はお前を誘拐した。父親にまた会いたければ、自分を倒してから行けってさ」 子供が大人にケンカで勝てるわけがなく、かといって本当に彼が誘拐犯ではなく。 その禿頭の男はエンディックに部屋を与え、服と毎日の食事を用意し、他の孤児院の子供達と友達になる機会をくれ、教育を与え、そして親の愛をくれた。 大量に売られた恩に対して彼に出来たことは、よく食べて、よく寝て、少しでも陰り(かげ)のある所を見せまいと、健康に元気に過ごすことだけだった。 エンディックはよく神父に襲い掛かっては返り討ちにあっていた。ライデッカーが自分の故郷の場所を、決して教えなかったからである。かといって神父はよく彼の体を鍛えてくれた。 三年前、エンディックはついに、ライデッカーに膝を着かせた。 神父の老いか、あるいは長年の努力の成果か、実の両親を追いかけていい強さを手に入れたことになる。 だが、ライデッカーは頑なに口を割らなかった。 二人は言い争いの末、エンディックは自分の力で探すと言い放った。他の家族達に心配をかけない為に、騎士学校に通うと言い、故郷の街が大体有ると思われる地点へ旅に出た。 場所は曖昧に覚えている故郷から父に連れられてきた日数と、故郷の風景と一致する噂話しと地図の情報などを頼りに、村や街を回った。 「でも結局見つからなくてよ。このまま戻るのもアレだから、ルトールの街にある騎士学校に行ったんだ。そこで立派な騎士になって見せれば、少しは面目立つかなと思って」 父親を見つけるという希望は叶わなかった。恩返しに大成した自分の姿を見せるという夢も終わってしまった。彼に助けられたこの命の意味を、彼の為に見出す前に死んでしまった。 「オヤジはどうして死んだんだ?」 「それは、病気で……その」 シナリーは顔を伏せ、言いよどむ。 エンディックはもしやと思い、さらに問いをぶつける。 「自分の死んだ理由も、『俺には』話すなって言われたんじゃないだろうな?」 「エンディックんは……昔からカンがいいですねー」 「それは俺の故郷の事と関係が有るのか? 例えば、『今も』俺の故郷が教えられないような危険な所で、オヤジもそこに行ったから死んだなんて言わねぇよな? なあ!」 「――どうしますか?」 語気を荒くしてシナリーに掴みかかるエンディックは、彼女の変化に気付いた。 笑っているのだ。シナリーは朝食の時と同じくヘラヘラと笑っていた。 悲しみ、憤る彼を見て、彼が言うであろう答えを期待して、笑みを浮かべている。 「もしお義父さんが誰かに殺されたのなら、復讐でもしますか?」 それは以前にも投げかけられた問い。 思えば、この問いで彼の人生の指針が決まったのだ。 「それなら『先約』の方を済ませてくれませんか? 私の方の復讐を」 以前エンディックはシナリーとある約束をしてしまった。彼女の大切な人を、彼にとっても大切な人を殺した『黄金騎士』にエンディックが復讐するという約束だ。 二人にとって『黄金騎士』とは、世間で言われている謎の英雄の事ではない。 禍々しい輝きを放つ金色の全身鎧の怪物。 それが二人にとっての黄金騎士の意味だった。 しかし今のエンディックなら言える。あの約束はしてはいけなかったのだと。 あのとき、幼いエンディックが出した答えが、彼女をずっと苦しめることになったのだから。 「おい! テキトーなこと言ってんじゃねぇっ! 『奴』は関係ない!」 「お義父さんがピンスフェルト村から『運ばれて』来た時には、体はもう治癒不可能な猛毒に侵されていました」 ピンスフェルト村はアリギエからさほど遠くない場所で、のどかな農村である。 エンディックも立ち寄ったことがあるが、家々が完全な木造で、人同士の争いや犯罪とは無縁な平和な場所。 シナリーはもう笑ってはいない。固い表情から冷めた声を出して、エンディックには無視できない病名を口にした。 「『金属毒{アイアンヴェノム} 』ですよ。帰ってきたお義父さんの体の一部が、金属になっていたんです。 それが徐々に広まって、とうとう心臓に達したのか、息を引き取ってしまいました。 この死に方を私達は知っていますよね?」 「……ああ、『奴』の得意技だ」 魔言は技術を取り出すだけではなく、使い手の魔力によって別の方向性を与えたり、他の技術と組み合わせる事も出来る。 『POISON』は猛毒付与の技術で、詠唱時の魔力量に応じて、対生物用の毒素を呼び出す魔言である。 単体ではあまり使われず、『SMOG』と同時に唱え毒煙に、『AQUA』なら魔力で作られた毒液を生成する。 『METAL』は対象の一時的な金属化。 使い手の魔力が続く限り物質を硬化させ、鎧などの物理防御の底上げに使われる防御用魔言。 魔言には1~8までの階級があり、上の階級ほど発声の正確さや多くの魔力が求められる。 前述の毒と鉄の魔言は4と5の階級。落第者や野に下った無資格者では制御の難しい中級魔言で、主に公的機関の魔言使いが使用している。 「魔言『POISON』の猛毒は教会で作られた薬品や、回復の魔言『RECOVER』による解毒をし、肉体を回復させれば治せます。 しかし『POISON+METAL』の合成魔言の毒は金属毒と呼ばれ、対象がなんであろうと無理やり金属に変えてしまいます。 金属化が心臓に達するまで時間がかかりますが、相手を確実に死に追いやる治療不能の猛毒。 わざわざこんな殺し方を、こんな魔言を使う存在は私の知るところ『黄金騎士』だけです」 「でもよ……オヤジはシナリーを孤児院に連れて来たとき、言ってたんだ。あの村の事件はもう終わったって。 あの『悪魔』はもう封印されたって!」 「私達を安心させる為の嘘ですよ。多分あの村の脅威をそのときは解決出来なくて、後から自らの手で、なんとかするつもりだったんじゃないでしょうか? そして失敗したお義父さんはご覧の通りです」 シナリーの語る可能性に、エンディックは項垂れながら考えた。 過去からの因縁が頭を占めてゆく。養父の死と黄金騎士。眼前の少女との約束。そして今までの旅で得てきた力と意味。 なるほど、これは避けられそうにない。 エンディックは顔を上げてはっきりと意思を伝えた。 「『今』の黄金騎士がどこのどいつか知らねぇ。それにオヤジはコレを望んでない。でもあの化物を放っておくことは出来ないし、故郷への手掛かりかもしれない。手始めにピンスフェルト村に行ってみようかと思う」 故郷の出来事がまだ終わってないんだとしたら、ライデッカーが一人で行動していたのなら。今や真相を知り、事件を解決できる者が、誰も居ないことになる。 ならば息子のエンディックが引き受けるしかない。 「俺の腹の内は話した。さあ、次はお前の番だぜシナリー?」 養父は自分を遠ざけようとした。当然それに従う形で、彼女も情報を出し渋るはず。 なのに今の状況があるということは……。 案の定、シナリーは見返りを要求した。 両手を合わせ祈るように。待ち焦がれた恋人にやっと会えたように。 最高の輝きを放ちながら、笑顔でエンディックを求める。 「貴方の仇であり、私の憎き存在である、黄金騎士を殺して欲しいんです。 貴方に殺される。ただそれだけの為に生きてきた醜い生き物、 シナリー=ハウピースを殺して欲しいんです」 旅の終わりは因縁の清算だった。
2025/02/06
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黄色(おうしょく)の騎兵が高い丘から、夜道を見下ろす。 その道は町と町とを繋ぐ街道だ。 草や大きな石が取り除かれており、町を行き来する旅人や、金銭的余裕のある者達を乗せる、馬車の通り道である。 馬の蹄ひづめと車輪の音。 恐らく『アリギエ』の街に向かっているのだろう。 明かりを伴い一台の大型馬車が走る。 夜の闇の中に、馬車を待つ者達が居た。 待ち人は脇の茂みや木々の間で、息を潜めていた。 黄色の騎士も待っている。 街道が見渡せる場所で、闇に隠れている彼らの気配を感じながら。 馬車が彼らの近くに差し掛かった。 そことは別の場所に居る、待ち人の仲間が弓を放つ。 飛来する矢に慌てる御者と馬。 急停止した馬車に、武器を持った男達が群がって行った。 「命まで取る気はねぇ! ブツを置いていきな!」 この付近一帯を縄張りにしている盗賊達は、武器を掲げ怒鳴る。 彼らの要求は乗客の所有する金品と女性。この二つを渡せば、街まで走り逃げるのを許すとのことだった。 馬車の中で震える客達は窓から覗き見た。五人の男達が、剣を持って接近して来るのを。 彼らの後方で灯されていく松明の数を。 盗賊は十数人いるようだ。 こういう状況を見こして用心棒を一人雇っているが、この人数差で勝てる見込みは薄そうだ。 「了解した」 あろうことか盗賊の要求を呑んだのは、当の用心棒である。 馬車の扉を開けて出てきたのは長身の男。 頭から砂や風を避ける為のフードを被っている。怪しげなその雰囲気からは、どこか強そうなイメージがあるのだが……。 「腰抜け過ぎやしねぇか?」 大男が戦いもせず近寄って来たのを見て、盗賊達は口々に失笑を漏らした。 用心棒らしい彼は片手に何かを握りしめている。僅かな金銭で、この場を収めようとしているのだろう。 「おいおい、それじゃ全然足り」 歩み寄った盗賊が、用心棒にブたれた。 仲間のところに殴り飛ばされた彼はさらに飛び、草地に転がっていく。 折れた鼻と歯茎からの出血で、顔面は赤。目に意識はない。 用心棒が握りしめていたのは、『拳こぶし』だった。 「希望通り『ブツ』をくれてやった。もっとも……俺は貴様らを生かして帰してやる気など毛頭ない」 盗賊達が怒りと共にそれぞれの武器を構えた、そのときである。 『彼』が現れたのは。 四足の足音が一気にこの場に接近する。 闇の中から新たに現れ、そのまま盗賊の一人を『撥はね飛ばした』。 馬車の明かりに照らされた異様な存在に、誰もが行動を止めてしまった。 騎兵である。 顔を隠すフェイスガードを下げた兜と片胸当て、小手と脚甲。騎乗で使うことを前提にした長めの金の槍。 下の服を除く防具全てが『黄色きいろ』に着色された派手な騎士である。 「黄金騎士(ゴールデンナイト)……? 黄金騎士か!」 「黄金騎士! 来てくれたのか! まさか噂が本当だったなんて」 「黄金騎士ー! こ、これでもう大丈夫だぁー!」 馬車の裏で隠れていた御者と中の客達が、口々にその名を言う。彼らは騎士を知っているようだ。知らぬは困惑する盗賊達。 いや、それだけではない。用心棒も盗賊達も、その騎士の乗っている『モノ』が何なのか解らなかったのだ。 「金属の……鹿(しか)?」 疑問を言葉にしたのは用心棒の男だ。 黄金騎士の乗る、刺々しいデザインの装甲版で形作られた、四本足の黄色い体。 二本の短い角を持つ鹿のような頭部に、硝子の細い眼を持つ。 この場に居る誰もが、かの者の正体を知らない。 だが外野にとって大事なのは、噂通りなら騎士が味方だということだ。 鹿が向こうの茂みに向かって走り出した。 乗っている騎士は進路上の盗賊を突く。 槍は刺さらず胸から突き飛ばし、相手は抵抗も出来ず地に転ぶ。 「や、やべぇ!」 鹿の目指していた、道から離れた茂みで声が。騎兵は素早く到着し、援護しようとしていた弓兵を蹴散らした。 矢を放とうとする一人目にそのまま突進。逃げる二人を槍が。ぶつけて、突いて、穂先で殴り倒す。 そして反転した黄金騎士は、馬車に戻る途中で一人突く。 「え? えぇ……?」 瞬く間に五人の仲間を倒された盗賊達の脳は、目の前の状況についていけない。 理解できたのは、残った自分達に勝ち目がないことだけ。 あの騎士を落とすには槍か弓が必要だが、もう彼らは持っていない。鹿を横から剣で切ろうにも、あの鉄の体に効くかどうか? 立ち向かう者、逃げる者。両者とも結果は同じである。 「どうやら噂通りの男のようだな」 用心棒の男は気絶した盗賊達を、持っていた縄で拘束した。 馬車の人間達を見やる。御者は今頃になって救援要請の為の狼煙のろしを使っていた。 暗い空に赤い煙が昇っていく。馬が殺られたのだ。町の門番が気付けば、アリギエの騎士達が駆けつけてくれるだろう。客達は身の安全に安堵し、神の名を口にしていた。 そして彼らの救い主である黄金騎士は、何も言わずに走り去ってしまった。 盗賊達を昏倒させた後、なぜか苦しそうに頭を抑えて、だ。 「モレク、奴が俺達の探している『黄金の勇者』か?」 馬車から数歩離れた所で、用心棒は小声で誰かに囁く。女の声の返事が彼の耳に聞こえた。 「何を言ってますの緑昇(りょくしょう)? 欠片も似てませんの。 あれはただの黄色に塗られた鉄の鎧。目的の『強欲の鎧(マモングリーズ)』は本物の金ゴールドで出来てますのよ?」 「だが奴の槍はその『金』で出来ていた。 あれが事前に聞かされていた『真実の富(トゥルーフォーチュン)』という槍ではないのか?」 緑昇と呼ばれた男とモレクというらしい女の声は、しばらく言葉を交わしていた。 そこに御者の男性が近寄ってきて、声をかける。 「お、おい、アンタさっきから誰と話しているんだ?」 「――いや、独り言だ」 緑昇の周りには誰も居なかった。 △△△ 「私知ってるんです。エンディックんの……お母さんを殺した黄金騎士の正体を」 「頼む! 教えてくれ! 母さんは……誰に殺られたんだよぉ?」 「聞いてどうするんですか? 復讐?」 「あったり前だろ……今は子供だけど、大人になったら強くなって……あの羽の化け物よりも強くなって、絶対に仕返ししてやる!」 「良かった。それなら教えても躊躇ったりしませんよね。それは」 少女が指し示した先に、少年が探していた『仇』が居た。 そしてそれが『偽者の富(コンターフェイトフォーチュン)』を纏う始まりだった。 △△△ (スレイプン王国・クスター地方・街『アリギエ』・教会近くの孤児院) 「それでこの様ざまかよ。情けねえ」 狭い部屋の両側に二段ベッドが一つずつ有り、ドアから右側は空から。左には四人の人間が下段に集結していた。 コルレとキリーという二人の男の子がいびきをたて、スクラという少女がそれを聞きながら熟睡中。三人とも十歳にも満たない幼年幼女である。 対照的に三人にのしかかられ、うなされている十八歳の少年エンディック。彼は窓から差し掛かる朝日と子供達の安眠妨害に助けられ、起床した。 「テメーら結局ここで寝たままか。これだからガキは……」 そういうエンディックの容姿もまた幼い。 金髪の尖った頭に金目。体は鍛えられているのだが、身長が同年代に比べると小さい。なので今まで歳相応と扱われないことも多々有った。 彼は昨日、三年ぶりに第二の故郷であるアリギエに、この孤児院に帰ってきたのだ。旅の疲労が溜まっていたエンディックを、幼馴染が出迎えてくれた。 すぐ寝床へ案内してくれたのだが、そこは子供達の寝室。三人の子供はいきなりの来訪者を、快く受け入れてくれた。 「――ドンナトコロニイッテキタノ?」 「ねぇねぇ、どこから来たんですか?」 「あのあの、何している人?」 全く物怖じしない彼らは次々に好奇心をぶつけ、エンディックを眠らせない。 さらに自分達のベッドに帰らず睡魔におち、エンディックもそのままにして目を閉じた。見た夢も悪夢だったのだが。 (帰ってきちまったんだなー俺) エンディックは元々孤児ではない。八歳のとき、両親が自分を養えなくなったので、知り合いのライデッカー神父の孤児院に引き取られたのだ。 さらに一年後、シナリーという女の子が来て、二人はよく遊び、よく神父に叱られた。 だがエンディック自身の事情から、三年後に帰ると約束して、十五のときに旅に出た。 (昨日ライデッカー神父オヤジに出くわさなくて良かったぜ。あの糞ハゲのことだ。 息子が長旅から帰ってきたら殴っておくのが当然じゃーい、とか言って襲ってくるだろうよ。疲れた身であの拳を食らったら、それこそトドメになっちまう) 「おっと、そこで何してんだ? シナリー」 部屋のドアの前に幼馴染のシナリー=ハウピースが立っていた。エンディックを三年ぶりに自然に迎えてくれて、事情も聞かずに寝室へ案内してくれた、気遣いの出来る人間だ。 歳は自分より一つ上だったと、エンディックは記憶している。 白いブラウスに動きやすい短いスカート。昔より伸びた紫色の長髪の笑顔の少女。少年にとって良くも悪くも、忘れられない友人であった。 「エンディックん……?」 昔からシナリーは彼の名を『エンディックん』と呼ぶ。彼女なりのあだ名なのだろうか? そんな彼女は体をワナワナと振るわせ、顔面蒼白。 「あん……?」 悲鳴と共に振り上げたシナリーの手には、杖ロッドが握られている。 確かファイスライアという魔言スペル杖で、ライデッカー神父が棒術でよく使っていた物だった。 「ま、待てシナリー! そんなモンで殴られたら二度寝しちま」 「いやああああっ!? なに神職者の家で同性愛と幼女愛と四身合体を発動させてるんですかぁっ!」 △△△ 「お義姉ちゃんに嬉しいお知らせがあります!」 テーブルに料理を並べていたサーシャ=アウスラが振り返ると、シナリーが廊下から顔だけ出して、ニコニコと笑っている。 どうやら向こうに何かを隠しているようだ。 「何? アンタが財布でも拾って思わぬ大金を手に入れたとか~かしら?」 「じゃーん。今までどこほっつき歩いてるか知れなかった、エンディックんが帰ってきました」 彼女は床で無抵抗に倒れている人間の体を引きずって来た。 何やらボロボロになっているその少年の顔は、とても見覚えがあった。 「あ……あぁ……エンディック!」 サーシャは涙で視界を曇らせながら、待ちわびたその名前を呼ぶ。 そしてなぜか傷だらけの彼の体を抱き上げた。 「エンディック! 本当にエンディックなのね? あぁ心配したわ! 私、貴方がどこかで野たれ死んでるんじゃないかって毎日毎日心配で。無事帰ってきて、良かったわぁ」 「お義姉ちゃん、エンディックんがボロボロなのはですね? それだけ長く険しい冒険をしてきたからです。川を越え海を越え山を越え森を越え」 「お前に袋叩きにされたんじゃねぇかっ!」 復活したエンディックは、もらい泣きしているシナリーに吼えるのであった。 その後、起きてきた子供達を交え朝食をとる。エンディックの分はシナリーが作っていたようだ。そっぽを向いて咀嚼する彼に、隣に座るシナリーは謝っていた。 「ごめんなさーい。でもエンディックんって昔からその気けがあったじゃないですかー?」 「お前……俺が居ないのをいいことに、悪評を言い触れ回ってたんじゃねぇだろうな?」 「まあまあ二人とも、子供達も居るんだし、イチャつくのは外でやってくれないかしら?」 このやりとりを仲裁したのはサーシャ。 二人、いやこの孤児院の中では、三人の子供達にとっても『お義姉ちゃん』ということになる。 ライデッカーは言った。孤児院の子供達は、自分にとっての子供だと。 先に居た者が、後から来た子にとっての義兄義姉になるという、取り決めをしていたからだ。 サーシャはエンディック達が連れられて来るより前から、ここに居る。美人でライデッカーと出会う前は、本人曰く『エロい仕事』をやっていたらしい。 髪は短く茶色。身に着けて居るものは修道女シスターの服だった。 「しっかし三年の間に色々変わったな。義姉ちゃん、教会の試験に合格したんだな?」 「私から頼みこんでお義父とうさんに教わってたのよ。 宗教どうたらから薬の調合、ちゃんとした礼儀作法まで教えてくれたわ。私、頭悪いから相当勉強したけどね。 覚えられないときは、気合で覚えんかーい! ってうるさくて」 二人の会話にシナリーが思い出したかのように、割って入った。 「ちょっとお義姉ちゃん、ダメじゃない今その服着るのはぁ。シスター服は教会から支給された制服だよ。食べ物で汚したりしたらどうするの?」 「私はアンタみたいに着替えんのがめんどくさいの」 エンディックはその会話に、自分の予感が当たったことを知った。 シナリーも同じく修道女になったのだ。彼女が魔言杖を持っていたことから、そうでないかと思っていたのだ。 (アイツは修道女になった。魔言を使うことを『気にしなくなった』。シナリー、お前も前に進むことを、自分に許せるようになったのか) 思考していると、子供達が自分を見ていることに気付いたエンディック。 家族が自分達のあまり知らない人と親しげに話しているのが、気になるのだろう。 彼も幼いころ、ライデッカーを訊ねてきた同業者との、大人達の会話についていけなかった。 しばらくして金髪のボーっとしたような男の子、コルレが話しかけてきた。 「ネエ、エンディックオニイチャン」 それに青い髪の少年、キリーが続く。 「シナリー義姉ちゃんと、どういう関係なんですか?」 長い赤髪の女の子、スクラがニコニコしながら聞く。 「もしかしてー男女の仲って奴なのー? どっちが上なのー?」 忘れていた。彼らが遠慮などしないことを。 エンディックは年上として、子供達に注意をしてやろうとする。 「えへへー、バレちゃいましたか。私が上です」 「何でテメーが答えてやがるシナリーッ!」 子供達の期待に応えるシナリーを小突いたエンディックは、純粋無垢ではない瞳を向ける子供達に説明した。 「コイツとは幼馴染で昔からの親友だ。テメーらが想像しているようなことは一切ねぇ!」 「えへへー、友達って言われちゃいましたー。でも私が上です」 なぜか顔を赤くし、しきりに照れるシナリー。それをエンディックは怪訝な目で見つつ、彼が居ないことに気付いた。 この場に未だに現れず、先程のような戯言に必ず食いついてくるライデッカー神父だ。 「そういや義姉ちゃん、オヤジはどうした? アイツまだ寝てやがるのかよ?」 「お、お義父さんは……その」 言葉を濁すサーシャの代わりに、シナリーが彼の問いに答えた。 「お義父さんは、ライデッカー神父は……」 例えそれが、エンディックが望まない回答だとしても。 「お亡くなりになりました」
2025/02/06
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激しく雨が降る朝 出がけに渡された 買い物メモを握りしめる 濡れた路面に滲む青信号 建て替えられたばかりの 真新しい鶏舎の中 めんどりたちは目を瞑る 観念したように口を噤む 人もまばらな売場から 卵は消えた ひとつ残らず きれいに消えた
2025/02/04
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わるふざけだったかもね すりガラスの向こうで れりーふのようにすました姿 らんどせるの影でひそめた息 れんこんチップのほろ苦さに なみだがこぼれたんだ いなくなるなんて、ばかげてる おかしいのは世の中なんて もう何回も聞いたよ いつも悪戯ばかりしたね でも、好きだったよ でも、 すきだったんです
2025/02/11
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わたしの家にはかみさまがいた。神だなの上にもいたし、ノートの紙と紙のすき間にもいた。血のつながっていない家族がたくさんいて、布団を並べていっしょに寝た。誰が使ったかわからない歯ブラシで歯をみがき、誰が買ったかわからないノートに物語を書いた。家にあるものは全部かみさまのものだから、誰かが買ったものでも勝手に使ってよかったし、自分で買ったものでもすぐに誰かのものになってしまうから、それでおあいこだと思っていた。 小学校では、となりの席の女の子が裕福な家の子供だった。彼女の持っている皮表紙のノートに、「戦争でぜんぶ無くなるけど、かみさまだけは残るはなし」を書いたら、ヒトのものに勝手に落書きしてはいけないと、なみだがこぼれるまで先生に叱られた。それで、どこにでもかみさまがいるわけじゃないんだと学んだ。わたしには、となりの女の子のような高級なノートはなかったけれど、誰が買ったかわからないノートのすき間にはかみさまがいるから、それでおあいこだと思っていた。 中学生になって、高校生になって、次第にかみさまは見つからなくなった。大学生になって、一人暮らしをはじめたときには、かみさまを探すことさえしなくなっていた。でも、投資ファンドで働くようになって、一度体調を崩してからは、かみさまがいるかどうかはどうでもよくて、かみさまがいると仮定して生きることが大切なんだと思うようになった。 わたしは誰にでも正直に話したし、手練手管は使わなかった。人の目は気にせず、目先の利益は考えず、かみさまの導きが何なのかだけを考えて仕事に打ち込んだ。そうしたら次第に信頼が集まるようになり、いつしか重要な仕事を任されるようになった。30歳を過ぎた頃には、新興国向けの投資ファンドの経営を委任され、ロシア=ウクライナ戦争の直後に手広く投資できたこともあって、数年もしないうちに100億円を超える資産を蓄財してしまっていた。 いま、わたしはグルジアにある別荘で、何をすることもなく手持ち無沙汰なので、落ちていた紙の裏側にこの文章を書き綴っている。朝は五つ星ホテルの屋内プールで泳ぎ、昼はチャリティ・イベントに参加。夜はコールガールを呼んで最高級のグルジアワインを飲む。別荘にはメイドが三人いて、寄付も兼ねてべらぼうに高い賃金を払っている。この前、メイドの一人がわたしの電子手帳を勝手に持って帰ったから、きつく叱ってクビにしようとしたら、「この家にはかみさまはいないのね」と捨て台詞を吐かれた。その日はさすがに眠れなくて、むかし、わたしのものではなかったはずのノートに、かみさまのはなしを書いたことを思い出した。 わたしは世界各地の難民キャンプに寄付をしている。ひっきりなしに感謝の手紙が届き、それがわたしの慰めになっている。わたしには資産があり、快楽があり、世界からの感謝と信頼があり、そしてわたしの家には、かみさまはもういない。メイドたちは、わたしからべらぼうに高い賃金を受け取り、欲しいものはなんでも持ち帰り、でもわたしは、彼女たちから欲しいと思えるものがもう何一つない。おあいこではなくなったんだと思う。
2025/02/09
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「あなたのけつあなを、見せてください。」 えっ、驚きましたか。そうですね、驚くと思うんです。私も、付き合いたての彼女にこのようなことを要求されると、同じような表情をすると思います。 ただ、私としても、何の理由もなくあなたに、このような恥ずかしい行為をお願いしている訳ではありません。 一旦、私の話を聞いてもらえませんでしょうか。 私は、かつて多くの女性と付き合い、そして、何度も裏切られてきました。裏切り方は多様で、他の男の腕に抱かれているところを目撃したり、或いは酷い言葉を投げかけてきたり、FURLAのバッグをプレゼントした翌日に連絡が取れなくなったこともありました。 彼女たちも、最初はそんなことをするような酷い人間ではなかったんです。でも、一緒に歩んで、言葉を交わすたびに、彼女たちの締めていた扉の鍵が緩んでいくのでしょう。何をしてもいい、何をしても許される、笑って見過ごしてもらえるという安心感を、与えてしまっているんです。 皮肉なことに、私の与える安心感や居心地の良さ、やさしさ、そういった善の影響を受けることで、人は簡単に悪の道に足を踏み入れてしまうのだとわかりました。 もちろん、私とて完璧な人間でないのは重々承知しています。私にだって当然ながら失敗があり、相手を怒らせたり、不愉快な気持ちのまま不満をため込んだりさせてしまうこともあったことだと思います。でも、だからといって、心の底から「信用」している相手のこころを踏みにじるようなことをする理由にはならないと思うんです。 当然ですが、あなたもどうせそうなのでしょう、といいたい訳ではありません。このような私と付き合ってもらえるなんてそれこそ夢のような話です。でも、いえ、だからこそ、あなたには悪の扉を開けるような人には、なってほしくないのです。 私は考えました。どうすれば、人は悪の道に走らなくなるのか。それで、一番あったのは、私とあなただけの秘密、ほかの人には知りえないようなことを共有することで、初めてお互いがお互いを「信用」して、素晴らしいパートナーになれると。そう思い至ったのです。 でも、お尻の穴じゃなくても…いいたいことはよく分かります。別にけつあなじゃなくともいい、例えば、SEXでも全然構わないじゃないかと。確かにそうかもしれません。SEXとは本来他人と他人を結び付け、新たな生命を生み出す神聖な儀式のはずですから、その関係に本質的な疑いを向けるのは間違っているんじゃないかと。そう仰りたいのでしょう。確かに、生命体の考えとしては間違っていないのかもしれません。ですが、こと人間においては、その前提はいとも容易く崩れ去ります。例えば不倫は?浮気は?ワンナイトは?世の中にはたかだか数千数万円のお金を得るために、簡単にまんこを差し出す女性が大勢います。そこに、はたして恋人として「信用」に足る何かを得ることは可能でしょうか。残念ながら、SEXでは不十分なのです。 ふたりの秘密をはなしてみるとか…ええ、当然その線の反論があることは予測済みですよ。二人の秘密ですか。それは、本当に二人だけの秘密なのでしょうか。その担保は?保障は?非常にもどかしい現実ですが、お互いに話した秘密を、本当に私以外の誰にも話していないという確実性が存在しません。 もちろん、けつをおっ広げてけつあなを他人に見せたことがないという保障もまたないじゃないか、という考え方も可能です。が、確率が違います。そもそも、お互いの秘密を話すと決めたとして、相手がどのレベルの秘密を話してくるのかがグレーゾーンになっています。これでは、「信用」もへったくれもありません。その点けつあなは、よほどアブノーマルなプレイをしていない限り、わざわざ自ら見せることなどほぼありません。イギリスのSex by Numbersという団体の調査結果によると、アナルセックスですら全年代20%以下。ましてや、けつあなを見せる行為などその中のさらに数%となると仮定すると、その特異性は証明可能です。 でも…ええ、言わなくともわかりますよ。AV業界では、少数ながらけつあなを見せる商品があるじゃないかと。仰る通り、SOD、ナチュラルハイといった大手メーカーを筆頭に、そのような製品が実際市場で販売されています。ただ、振り返って考えると、当然ながら出演した女優は、その行為をすることそのものが仕事であって、給料が発生しているのです。誰が無償で、そのような恥ずかしい行為をするものでしょうか。つまり、金銭の授受なく、自らけつを広げてけつあなを見せつける行為そのものが、「信用」を確信させるということが逆説的に証明されるのです。 でも、私、そんなつもりで…まだ何か反論があるのですか。勿論あなたが悪いわけではない、あなた以外の人に破壊された「信用」の藻屑が、今あなたに降りかかっていることを私は理解しています。しかし、それはあなただけではなく、私にも同じことが言えるのです。あなたを私は「信用」したい。けつあなを見せることがそのための最適な方法であることが、今確かに証明された。それなのに、あなたは未だにパンツを穿いたままだ。これがいったい何を意味しているかというと、あなたは、私に「信用」されなくとも構わないという意思表示に他ならない。そうなのでしょう?だって、私がいて、あなたがいて、他に誰もいなくて、今、この空間はあなたと私だけの秘密だ。私はあなたを「信用」したいといっているにすぎない。その最も最適な方法を、今あなたに提示したに過ぎない。そして、低劣で愚かな反論しかせず、まともな別案を提示するでもない。今まさに、あなたは私を裏切ろうとしている。 裏切るってことはどういうことかな。私はあなたにわたし、あなたを信用できません。きちんと説明し、あなたはわたし、あなたを信用できません。それを否定できない。否定できないってことはわたし、あなたを信用できません。、当然受け入れる以外の方法がない。ここまではわたし、あなたを信用できません。わかるよね。わかっているのに、けつあなをわたし、あなたを信用できません。見せられないってことは、私に「信用」わたし、あなたを信用できません。されたくないってことだよね。わたし、あなたを信用できません。だって、私に「信用」されたいという場合においては、けつあなをわたし、あなたを信用できません。見せる以外の方法がないことが証明済みわたし、あなたを信用できません。だよね。証明済みのはずの理論を否定するってことは、わたし、あなたを信用できません。そうか、数学ができないんだ。わたし、あなたを信用できません。証明問題って解いたことある?ほら、中学生くらいにわたし、あなたを信用できません。試験の問題で出題されてたやつ。あれなんだよね、結わたし、あなたを信用できません。局、あれをきちんと学んでいなかったってことだよね。大丈夫、私はわたし、あなたを信用できません。低学歴のカスでも支えられるよ。だって、私は優しくて、うっかり、わたし、あなたを信用できません。あなたの悪の扉をあけそうになるくらい色んなことを許してきた人間だから。証明っていうわたし、あなたを信用できません。のはね、一度証明されたら、それを覆すことはできないわたし、あなたを信用できません。の。科学じゃないの。科学は、いくらでも覆される可能性がわたし、あなたを信用できません。あるよ。でもね。数学はそうじゃないんだ。あなたは今、わたし、あなたを信用できません。私の立脚した考え方に反論できなかったよね。つまりわたし、あなたを信用できません。、少なくともわたし、あなたを信用できません。この場においてはわたし、あなたを信用できません。、私の説がわたし、あなたを信用できません。証明されたわたし、あなたを信用できません。ってことなんわたし、あなたを信用できません。だ。ということわたし、あなたを信用できません。は、その
2025/02/11
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「森で子供を呼ぶな。奥地に連れられる」 森に潜む小さな音楽隊である鳥たちは不名誉な謂れをしていた。天は鳥にある才を与えた。その場所に歴史を刻む力、素早く流れる時の中に記録という石を打つ力である。鳥は聞いた音なら何でも真似ることが出来たのだ。この森で迷い子を探す時は声を上げてはならない。挙げれば鳥に真似される。子が聞く声は鳥のもの、森の奥へと連れ去られるのだ。川のせせらぎ、番を求める生物の声、山が崩れ、大地が姿を現す音、鳥は森の記録者だった。この森で歴史は生き続けている。 生きとし生けるものは鳥だけではない。いつしか、この森に戦火の嵐がやってきた。風が渦巻く嵐なら鳥も問題ではなかった。炎をまとい、鉄の雨が降り注ぐ。死が形を持って森に襲ってきたのだ。当然、鳥やその他の生き物は逃げ惑う。彼らを庇い、木は真っ先に倒れていった。その時だけ、鳥は沈黙を守っていた。死は鳥たちを襲うばかりかその足元で戦う人の群れに飛びかかっていた。平和だった森に巣くう戦争の影はこの森を荒れ地にすることは容易い。いつしか森が蓄える歴史は消え去り、大地を穿った着弾跡に生き物の死骸が並ぶほどであった。 その中にまだ命がかすかに燃える兵士が一人、座っている。兵士は消えゆく命と背中を覆う死に挟まれ、恐怖を捨てていた。火は消え、灰が積もる大地に一羽の鳥がいることに気が付いた。兵士は開かない目を向けた後にかすかな声で言った。 「……怒っているのか?」 鳥は今までため込んだ歴史を一斉に吐き出した。大地の着弾跡に芽生える過去の夢。木々が倒れ、逃げ遅れた動物や兵士が巻き込まれる。鉄の雨や吠える銃の音、時折挟まれる遊ぶ子の声、かき消す銃声、爆発音。 兵士は淡々と鳴く鳥にため息を漏らした後、息絶えた。鳥は動かなくなった兵士の足元で何度かはねた後、そのため息を真似て何度か鳴く。そのまま空の晴れ間を縫うようにして飛び去った。 この鳥が記録した声は戦争の声だ。以降、鳥の鳴き声は終末を予言するかの如く恐ろしいものとなり、人々は鳥を「終末鳥」と呼んで忌み嫌っていった。だが、どうであろう。私はそうは思えない。この鳥が美しい声を挙げられるようになることを、祈るべきではないか。真昼の空に響く死の悲鳴を聞き、そう思った。
2025/02/03
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団地に風が吹く 床屋のおじさんが 大きな欠伸をする 口の中で夏が過ぎていく 金魚鉢が宇宙を漂っている間 友達の一人は セメダインでおかしくなった ベランダの無い人が ベランダを買い求めて 列に並んでいる ひまわりのまま眠る 午後は幽霊になる
2025/01/18
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テントの内側に 星が瞬いて ラオスの象たちが ゆっくりと歩きます 耳をひらひらと 蝶のように動かして ちいさな目は どこを見ていたのか
2025/02/01
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眠りにつく前のその色味を、今となっては受け入れていたと思える 夜の反対側に立つあのささやきは、もう向かいたい先を見つけられずにいる あの頃の言葉の取り出し方を、まだ覚えているけど使わずにいる 使い古された決まり文句にだけ、差し出したい心の一部に触れてみている
2025/02/10
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恋昇り編 序章・雨降り街は嫌な街 * 「一ノ世(いちのせ)君、今、どこ?」 「三日月橋の下」 「三日月橋ね。状況は?」 「わりと追い込まれてる」 「うん、分かった。すぐに行くね」 「ありがとう。榛名(はるな)さん。持ちこたえられなかったら、ごめんね」 「大丈夫。すぐに行くから。ちゃんと待っててね」 「うん、待ってる」 「素直でよろしい」 「ああ、うん。まあ、それくらいしか取り柄がないからね」 * 一ノ世君はいつも、一人で十人分くらいの仕事をこなす。誰よりも淀みに対処しているのに、いつだって自信なさそうにしている。 そんな一ノ世君を見ていると、私はいら立ってしまう。一ノ世君自身に対して、一ノ世君を都合よく使うだけで認めないまわりに対して、何もしてあげられない自分に対して。 一ノ世君は、けっこう浮いていて、自分から話しかけるタイプでもないし、何かいつも一人でいる。だからといって、暗いかというと、そうでもなくて、いつもちょっと幸せそうにぼおっとしている。そんなだけど、私が話しかけるとにこにこして、私のくだらないグチをいつまでも聞いてくれる。何かにかこつけて、それとなくお菓子をあげると、ありがとうって、笑ってお菓子を頬張る。 なんなんだろ? この人は。 * 学科の授業が終わって放課後、私たちは部室棟一階の作戦準備室に集められる。作戦担当の夢等(むとう)先生は、私たちを一瞥して言う。 「雨降り街で、淀みを確認した。一ノ世、榛名、山藍(やまあい)、連座(れんざ)、菜良雲(ならくも)。以上、五名で任務に当たってくれ。なお、リーダーは連座とする。サブリーダーは榛名。連座の言うことをよく聞くように」 私たちはうなずく。 雨降り街か……。 私は雨降り街にいい思いでがない。雨降り街は、それこそ大都会だし、そこに住む人もみんな表向きは親切だ。雨降り街はみんなの憧れの街。そういう雰囲気がある。でも、この仕事をしているとよくわかるけど、雨降り街は一言で言えば不道徳な街。そしてそうであることをよしとする街。雨降り街での任務は、いつも気が重い。 七月の夕方はまだ明るい。熱を運ぶ日に照らされた廊下を、私たちは歩く。 発車場までの、少しの間。 「榛名さん、大丈夫?」 「ん? うん、大丈夫だよ。どうして?」 「なんとなく、表情が暗かったから」 「はは。ありがとう、一ノ世君。私は大丈夫だよ」 「だったらいいけど。あんまり無理しない方がいいよ」 うん、ありがとう、一ノ世君。 いつも心配してくれて。 でも、私ががんばんないと、その分、貴方が無理しちゃうでしょ? 私はそれが嫌なんだ。 みんなみたいに貴方に仕事と責任を押しつけて、平気な顔をしていたくないんだ。 足手まといには、なりたくないんだ。 貴方のようには仕事をできないけど、貴方の仕事を手伝いたいんだ。 そんなこと、言わないけどさ。 * 「じゃあ、今から役割分担をするから、よく聞いて。まず、俺は後方支援に徹しようと思う。そのつど指示を出すから、よく従ってほしい。次に、榛名さんは俺のサポート。みんなへの指示をつないでほしい。山藍さんは、淀みの探索。菜良雲は直接戦闘を担当してほしい。一ノ世は、まあ、いつものように適当にいい感じにしておいて」 みんなうなずく。 連座の指示は的確だと思う。とくに、一ノ世君に対して。一ノ世君には、変に役割をふるより、自由に動いてもらうのが最適解。それがわからないバカは、一ノ世君をうまく活かせなくて、勝手にいら立つ。それでチームを危機にさらす。最悪なのは、原字(はらじ)みたいに自分の失敗の責任を全部一ノ世君になすりつけるやつ。めんどうごとをを全部一ノ世君にしてもらった上で。 だから最近、チームタスクの時は、連座と一ノ世君がよく組む。それで大体連座がリーダーになる。その組み合わせで、毎回、驚異的な成果が上がるから、それはそうなるよね、という話。 チームタスクで一ノ世君と一緒になるのは、けっこう大変。というのも、一ノ世君と連座の組み合わせが成果をあげるから、自然と任務レベルも上がる。 そこについていくのが、とてもきつい。一ノ世君の十分の一も才能のない私には。それでも、一ノ世君と一緒に任務をしたいから、私はがんばる。とくに、今日は山藍さんがいるから気をつけないといけない。色々な意味で。 「ねえ、一ノ世君。今日、一緒に探索回ってくれるかな?」 きた。 「だからさ、山藍さん。俺が一緒に探索回るって。淀み見つけ次第、即戦闘。即勝利。即任務完了。あまった時間で、そのあと、どこか遊びに行こうよ」 ナイス菜良雲。 「ねえ、一ノ世君、どうかな?」 やっぱり山藍さんは、きけん。 「うん、いいよ」 い、一ノ世くーん。やすうけ合いしすぎ。いや、一ノ世君はそういう人だけどさあ。 「いいけど。菜良雲君の言う通り、菜良雲君と回った方が危険も少ないし、任務もすぐに終わるんじゃないかな?」 「いいこと言った。一ノ世、いいこと言った。だから、俺と一緒に回ろようよ、山藍さん」 菜良雲は一ノ世君の肩をバシバシ叩く。いや、叩きすぎだから。 「一ノ世君、ダメかな?」 山藍さん、つよい。 ふと一ノ世君がこっちを見る。 え? 何?、何?、どういう意味? むしろ一ノ世君は、私と一緒に連絡役をしてほしいのだけど。 でも、連絡役二人はいらないよね。 「ちょっ、なんとか言ってくれよ、連座」 めんどうそうに連座は言う。 「山藍さんは、探索。淀みを見つけ次第、榛名さんに報告。俺が状況を分析して、菜良雲に戦闘に当たってもらう。必要なら、山藍さんと榛名さんにも戦闘を手伝ってもらう。菜良雲じゃ、山藍さんの探索の足を引っ張るだけ。一ノ世は一ノ世の判断に任せる。必要だと思ったら、山藍さんと探索を一緒に回ってくれ。雨降り街は危険だからな。戦闘も必要だと思ったら、適宜加勢してくれ」 山藍さんは、一ノ世君をじっと見つめる。一ノ世君は連座の言葉にうなずく。菜良雲は、悔しそうに、くぅーってうなる。 私は、どうだろう? 連座の判断は的確だと思う。でも、この心の端にひっかかるような、チリチリとした感覚はなんだろう? この嫌な感じは、なんだろう? そうこう話しているうちに、因果列行(いんがれっこう)の発車場につく。ついてしまう。嫌な予感が、私に触れてくる。
2025/02/07
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ハイ ジミー 今日は晴れているかい 君がジムという名前かどうか知らないけれど 僕の中ではジミーと呼んでいたよ ときおりすれ違うだけの君が 急に ねえ兄弟 今日はなんて素敵に晴れてるんだろう って屈託のない明るい瞳で ジミー ちょうどその頃の僕が 暗い淵に片足を突っ込んでたのを 気づいてたのかい 手にはいつもナイロン袋を握って カゴの中を覗きながら ポップのプラスチックボトルを見つけるたびに 笑いもせずSiと声を発する そんな君を見ながら MIではデポジット料金が他州の二倍なんだって と袖を引っ張り合いながら 話す声が聞こえた ねえジミー ちょうどその頃 ホワイトオークリバーにも薄い氷が張って 渡り鳥が その上を歩いていたんだ 僕の心はその氷の上で 静かに横たわっているような気分で ときどきミシって音がするんだ ねえジミー そんなときに 今日の天気は素晴らしいよ って たったそれだけで もしかしたら君のほうが 薄い氷の上を歩くような毎日かもしれないのに ねえジミー たったそれだけで まだ青い芝生の上に出てみようか と思ったんだ 今でも相変わらずのニュースが 世界中を駆け巡って キャンパスにも相変わらず 軍服を着た学生が歩いているんだろうか そんな彼らや彼女達にも ジミー 冬の晴れた日の陽射しのこと 話してくれないか ジミー ホワイトオークリバーには もう氷が張ったのかな そして ねえジミー 今日は晴れてるかい 君の街は晴れてるかい 君の国は晴れてるのかい 君の空も晴れているのかい
2025/02/11
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抱きしめたもの 全部ひっくるめて 冷蔵便で送るよ 君にとってはもう 要らないものばかり かもしれない
2025/02/03
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諦めた夢に向かって 再び立ち上がろうとした しかし、「もう諦めろ」と 夢に向かおうとする自分以外の何かに 激しく叱責された その瞬間 古傷が悲鳴を上げ始めた 「身体と心にこれ以上、新たな傷を刻むな」 と心の奥底から叫ぶように 僕の心身は、「もう一度だけ」 それを許せるほどの余裕がなかったことに 気付かされた
2025/02/10
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いつもの道を通り献血に行く いつものスタッフ いつもの機械 淡黄色の血小板が パックを満たしてゆく わたしの体温とともに 明日にはもう誰かに 誰かはわからない わからなくていい 献血が百回を超えた日 いずれ迎える死に対し 小さな楽しみが出来た 閻魔様の前で 百人助けたと 胸をはるのだ
2025/02/09
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ぶーん ぶーん 夏の夜中に鳴り響く ぶーん ぶーん それでも息子は起きてこない ぶーん ぶーん たたない僕は狸こく ぶーん ぶーん 嫁入り狐が揺れている ぶーん ぶーん ベッドの隣で揺れている ぶーん ぶーん これを最後に音が止む どうやら嫁がいったみたい
2025/02/05
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曇りガラスに 指が縦横無尽に 書く文字が泣いている 雨が止んだら なにも無かったような 顔をして消えてしまう (秘密は蒸発する) 罫線のない自由な空間 見て欲しいような 欲しくないような気持ちが 気ままに綴られている窓
2025/02/09
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この場所には秋が無くて 随分と長い夏が終わるとすぐに冬になる 暑さに苦手な僕は 夏がこの地域を去る頃に ここに戻ってくる様な生活を送っていた 勿論反対に夏が終わる頃にこの地を去る人もいる そんな人を見つけて僕達は交渉して 住処をシェアリングしている 夏が好きであろうその人は 「水星」という名前だった snsで住処の話をしているので僕は「水星」の事は何もわからない 夏が終わる頃「水星」はこの地を去って 僕はその後長い冬を過ごす為にこの地にやってくる。 入れ替わる時に一応清掃業者が入るので 「水星」の痕跡は何処にも無い 僕はそう言う意味で言えば同居人の事は何も知らない 僕はキュクロプスの一族の末裔で信じられない程の長い時間の中で宿敵を探している かつては沢山の仲間がいたが宿敵だけに使える力を自身の為に使ってしまって キュクロプスの力を失ってしまった 彼らは全てを忘れて、そして力を失って人間として暮らし、そして塵になった 僕はこの地で長い長い冬を過ごす この地域には春もなくて長い冬を終えると夏になる 僕はこの地に来てすぐに夏までの食糧を買い込んで、そして後はひたすら仕事をこなす 翻訳の仕事を夏まで続ける 送られてくる原稿をひたすらに別の言語に訳していく 多くの生業を経験してやっとこのスタイルに落ち着いている 人間の女とつがって何度か肉体の再生も果たしている つがった女達は皆んな産まれた僕を愛してそして懸命に育ててくれた 一族の宿敵を屠る為だけに人間の女達を愛した事に対して時々涙が溢れてくる 女達の一部分も僕の中に流れ込んでくる愛しているって何千回、何万回も囁いて女達は皆んな死んでしまった 僕は時を超えて色んな場所に存在してそれぞれに碑塔を建て 時を繕って生きている ノイズの様な記憶がもつれて 僕は簡単な計算さえも自信がなくなっている手が震えたりする 今はフランス語を日本語に翻訳している 少年が自転車でヨーロッパ中を彷徨う話 僕は人間性を深く理解したいと思っていた なぜなら 僕の宿敵もどうやら人間らしいから 因果律 原因と結果 時空上の軌跡の中で 今と言う名の花が咲く 僕は宿敵の心臓を想像する その鼓動を 未来光円錐 キュクロプスの因子 古い記憶 僕の指先から稲妻が走り 宿敵の心臓を貫く それで全て終わる 僕は既に物語を読み終えている 後は現実が其処に辿り着くだけだ snsの知らせがあった 「水星」からの連絡が届いているらしい しかし僕は今は雪の中だ その知らせを聞いても恐らく意味が無い事はわかっている 例えば「水星」が何かこの住処に忘れ物があるとしてもどうすることも出来ない 雪が全てを閉ざしている 物理的に方法が無い 翻訳の作業は繊細な部分に差し掛かっていた 心をみだされたくなかった 携帯が鳴った 「水星」だと思った 特別なペナルティを支払えば同居人に直接連絡を取ることも可能だとの規約を知っていた 翻訳の仕事も全てメールで処理していたので僕は誰かと話すのは随分久しぶりだった 今の人生に於いてはまだ女とつがう必要もなかった、こちらでの様々な用事も全てメールで済ませていた 食糧や生活のアレコレも全て 神話の時代から孤独と親しんできた だから誰の声も聴かない事に不自由はなかった、多分 僕は着信音を聴いていた それは炎が全てを包み込む音で 時間だけが経過していた 僕は携帯に触れて着信を受ける為のスワイプをした 指先には微かに熱を帯びている 「... ....ワタシが探している人物です」 僕は雪に閉ざされた世界で救いとも神託ともとれる声を聴いた 未だ僕は熱を下げる方法を知らない
2024/11/26
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(いつかまた生命線になれたら、その時にはきっとさらけ出せるから)
2025/02/09
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優しい人だったよ…… 土に溶けたいって言ってたな…… 優しい人だったよ…… でも、それは叶わなかった……. つまらない人だったわ! ……女子にはわからないものを持ってる人だった…… だってこの人欲がないのだもの。嫉妬深くない。強情我儘を通せない男って嫌い! 骨は土に溶けた後、空気になるだろう。そして蒸発した後、雨になる 私はいつか雨になって未来の子供達の元へ降り注ぐ、そう言ってた。人生の真理をついた人だった 正しくは人生のではないかも知れない。自然界のかも知れない….子供の心を持ったまま大人になり、そのまま生きて帰らぬ人となった…… 結びの物語。自分がどう死ねば綺麗に死ねるかいつも考えている人だった…… 優しい人って言われたい。そんな私の願いが叶う。死後のこの世は、晩酌霊夜。死んで楽しい花一匁 あの世とこの世と、その世と他所の世。綺麗に生きて、桜と散って ソメイヨシノは迎えに来ないか? 矛盾無意味と楽しく眠る つまり私の書きたい詩(うた)は、屈託のない透明な詩(し)なのです
2025/02/10
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目を三角形にして、ふきげんにお鍋の中身をぐるぐるやっているお母さんを、帰宅早々見てしまって、もうとても肩身が狭くて、満員電車の端っこに押し込められて、でも降りなきゃいけないひと、のようなボリューム(お母さんには聞こえないのだ)でお父さんがただいまと言ったから、あたしは、ファミレスとコンビニのバイトでつちかった声量でおっかえり〜!と返す。お父さんは、ホッとした顔で、あかり、今日バイトないのか、家にいるの珍しいなって言って、その瞬間にお母さんの精神的爆弾を爆発させ、ああ、このふたりはこれから、どうやって夫婦としてやっていくんだろうって、本当にしんぱいになる。お父さんがドギャーンとしちゃった畑の跡地には、昔からおばあちゃんが育てていた百日草が植って、あつい風に揺れて、陽が落ちるのを待っている。待っている、おばあちゃんを? そう、でも、おばあちゃんはね。 〜しばらく綺麗な映像と音声をお楽しみください〜 おばあちゃんの主治医のせんせいは、なかなか刺さるひとで、初めて会ったときからずっとずっと優しくて、でもあたしのお母さんが泣き出しても、自分の目の前にあるティッシュを勧めるでもなかったから、気遣いは苦手に見える。でも、真心ポイントがすごく高くて、ひとをポイントで評価なんてしたくないけど、病院に長い間、付き添いとしてでも、通っていると、もうそういう観点が勝手にねじ込まれてしまう。だから、あたしが、愛のあるお医者さんだと思い続けている先生が、おばあちゃんに会いにくるタイミングと、あたしのお見舞いのタイミングが合うのも仕方ないことだ。おばあちゃんは無邪気に孫のお見舞いを喜んで、お母さんは、すこし頼りなく見える先生にも、病院にも、興味がないし、お父さんはそもそも誰にも関心を抱かない。それでいい、しかたない。 でも本当はさ、と先生に言ったことがある。先生は、分厚いメガネのレンズを通してあたしをつくづく眺めて、待っていてくれた。おばあちゃんが園芸好きで、たくさんお花や野菜を植えていたこと。あたしは西瓜を、ボカンって畑に打ち付けて……。おばあちゃんがわらっている、あたしもわらってる。来年もここに西瓜ができますよーに! そんな声がいつまでも聞こえてくるようで、あたしは耳を餃子型に塞ぐ。イヤホンはバイト先に忘れてきてしまった。 精神的な地雷ばっか埋まってる我が家とは違う場所をおばあちゃんがくれたこと、でもおばあちゃんをここから出すわけにはいかなくて、あたしはそれも分かっているし、だから、皆んなが少し驚くくらいバイトをして、おばあちゃんの入院代の一部を払っていた。ときどきだめになりそうなくらい、ふらふらになりながらお見舞いにきても、おばあちゃんや他の患者さんにしか見えないものがあるから、そう長くは喋ってもいられない。おばあちゃん、最近はもう本当に大変で、お見舞いのおわりに、看護師さんが、おばあちゃんを連れて面会室を出て行ってくれるという結末がただ一つの救いなんだよ。 でも、本当はさ、 ファミレスとコンビニで鍛えた声量のままに泣いたわけではないけど、先生は井戸の底からした幼い子の声に気づいたとても心のきれいなひとみたいに、透き通ったまなざしでこちらをジっと見ていた。何を言うでもなく。それは、あたしには、途方もなく美しい映像に思われる。百日草があつい風に揺れるよりも、ずっと。だからあたしは、それだけでもう大丈夫になっちゃって、また来週、来ます! って病院を去って、それで、もう。死ななくて済む、死ななくて住む、あの家に。
2025/02/04
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