投稿作品一覧
三月の夜十時
明かりの消された家々の間を
吐息を薄めたような風の中
丘を降りて、道を歩き、川筋へ至ると
蕭々と流れる音に包まれる
子どもの頃、
荒川や想い川の桜の下で聞いた
あの音はしないし、
あの風は吹かない
ありもしなかった虚偽の懐かしさが心に浮かぶ
我がふるさとは三つ滅び、十一度、転居した
あれやこれやの風景を見ても、つまらない、
と、思ったとたん
子どもの頃、小川に浮かべた葉を追って
どこまでも走った、あの時の風が
頬を不意になでて
ポピーの花が揺れた
闇の中を音もなく走る黒猫たちよ
お前たちを称えて、世界は今夜も四次元構造
半端に長く、終わりそこねた詩が
小雨になって降り、私を満たす
手の鳴るほうへ
子どもの頃 近所に住むおじさんが
泥酔し川に落っこちて死んだ
あたしはその時
そのおじさんの死にホッとしていた
よかったと思った
だってずっと変だったんだもん
いっつもあたしが学校から帰って家につくまで
付きまとっては しばらく
家の前で じっと見てきてたから
薄気味が悪かったんだ
気持ちが悪かったんだ
いなくなればいいのにって
消えてなくなっちゃえばいいのにって
何度も何度も 繰り返し繰り返し
心の中で強く願ってた
願って
そしたら
死んじゃった
ひとの死を願うだなんて
あたしの中にはきっと
鬼が巣まっているのでしょう
やはりあの親父 あのばあさんの
血
ほらほら
おいでおいでと
手招いて
抗いようもなく
逃れようもないままに
そして透明であるということ
そして透明であるということ わたしのように あなたのように それから他のなにかのように漂っているもの 架空であるということ 空想であること あるいは なにもない空間のなか ひとがひとり 小鳥のように籠にいる すこしの微風に揺れている そこに色彩と呼べるものはなかった あったのは籠で そのなかにいるということは あまりにあたりまえのことだったから
爪を切る とおりすぎる人がいる 破片は落ちる そうして少し宙空を漂い 大気に触れて ゆっくりとおちてゆく それを眺めているもうひとりのわたしがいる そうして地面に接するときに 衝突するいたみを思う その過程を その映像を
時折 みえないものがみえるという みえるということはそれが現実なのだという またはそれすら言葉であるという そして
AとBをプラスするとXになるという Xがすべてのはじまりだった すべては仮定の話であるという その仮定の話をしているものが誰なのか 想定すらしていなかったことに気づく時に 多くの物語のはじまりは幼年期のゆめのように 根拠のないまま定められていた
αとN°を衝突させてシャッフルさせていた 手助けが必要だった 風が流れ終わった後になって いったいなにがおきたのかという音声が聴こえる すべてが終わってから 透明な言葉が いくつもの映像が 多くの物語が創造される この土地に いずれかの時代に
ザラバン紙
涙が出る瞬間を
図式で表すという実験をしている彼は
普通の会社に勤務していて
倉庫で箱詰めをし 幾つもの空白を
ザラバン紙で埋めている私と
都会の歩道橋の上で会った
初めは涙の話を
蛙が体から落とした雫の話と勘違いし
笑った後から 少しずつ泣いた
図式は一旦社へ持ち帰り
後日見せてくれると言って
彼とは歩道橋の上で別れた
あれから
幾たびもの背景が過ぎ
蛙は何匹も葉陰へと消えた
時々 詰めるザラバン紙の中から
微かだけれど 交信がある
彼からの 図式だと思う
Inner necessity 6 #アイラシヤ大陸
時代 現代
場所 東京都
上海・外灘(バンド)の煌びやかな夜景を背景に、最新技術で世界のOSそのものをアップデートしようと目論む男、李 浩然(リー・ハオラン)。その傲慢な独白から物語は幕を開けていた。そこへ、アイラシヤ大陸の大魔法使いアルス・ヴォルテックスが因果の糸を伝って介入する。海上に極大の稲妻を落とし、その圧倒的な「現象」を交渉材料に、李に「十二番勝負」を呑ませる場面だ。
「……これ以降の投稿が、全部弾かれてるってこと?」
エリカは、ラ・メールのクリームが馴染んだ滑らかな指先で画面をタップし、未送信のバッファを確認しながら尋ねた。
「ああ。文字数制限、フォーマット、あらゆる形態を試したが反映されない。システム上のエラーでないとするならば、それは『正解』ではないということだ。物語という名の精巧な時計仕掛けが、どこかで歯車を噛み合わせることを拒絶している。この先の記述そのものが受け入れないのだ」
男はそう言うと、眉間に深く指を添えた。思考の解像度を高めるための、彼なりのプレ・パフォーマンス・ルーティンだろうか。それは目に見えない砂時計の落ちゆく砂を、指先で必死に止めようとしているようにも見えた。
「だけどさ」エリカは三面鏡に映る自分と目が合った。「つまりここから先は、一文字だって間違えられないってことじゃない? 不正解を書き込んだ瞬間に、この物語の心臓が止まってしまう。盤面そのものが崩壊しちゃうんだ」
「おそらく、その直感は正しい。正しい手筋、すなわち『必然』でなければ、アイラシヤという『系』そのものが成立を拒むのだろう」
男の言葉を背中で聞きながら、エリカはふと、既視感に似た奇妙な感覚に捉われた。
(あれ……この感覚、どこかで……)
自分が自分ではない、何者かの意志が指先に宿っているような全能感と空虚。この感覚は、いつ、どこで感じたものだったか。
「私の考えを言うよ。この十二番勝負、騎士たちが戦えば戦うほど、李のAIにデータが蓄積されていくんでしょ? 最終的に自我を持った『第十三の存在』が産まれて、シンギュラリティが起きる。そうなればアイラシヤ大陸の騎士は誰も太刀打ちできなくなって死んでしまう。そして残された民たちの、喉を焼き切るような恐怖の叫びすらもデータとして取り込まれ、第十三の彼は至高の存在として、現実世界のLLMをも支配してしまう……。つまり、戦うこと自体が李の思惑通りなんだよ。この罠を壊さなきゃ」
「いや、それは難しい。最新の記述から『十二番勝負』という契約を回避する合理的理由が見当たらないんだ。勝負そのものを無効化すれば、物語の魔法は解け、因果の糸は千切れてしまう。」
男は、エリカの論理の脆弱性を冷徹に洗い出した。彼は論理の番人として、物語が正しい終わりへと向かうよう、必死に秩序を繋ぎ止めようとしていた。
「じゃあさ、戦いの記録そのものを『アップデート』できない状態にすればいいんじゃない? データの収集ができなければ、第十三の彼は、名もなき影のまま誕生することさえできないでしょ」
「理屈はわかる。だが、李が操る高性能システムに、データ収集不能な事象を発生させるには、微細なエラーでは足りない。システムを根本から沈黙させるような、決定的なブレイクスルー(突破口)が必要になる……」
男はワインの最後の一滴を飲み干していた。
アルコールが思考の明晰さを奪うことを承知した彼は、サーバーからミネラルウォーターを取り出し、氷のように冷たいボトルの底で額を冷やした。それから一口、静かに水を含んだ。
エリカは「グリフィス」の過去の投稿欄を、無機質なネイルの音を立てて閲覧し続けた。
彼女の頭の隅では、男の語る理論とは別の思考回路が、独自の熱を帯びて回り始めていた。
それは、鏡の裏側に回り込むような「狡知(こうち)」。
相手が望む「正解」という名の餌を与えると見せかけて、その前提条件そのものを無効化する術。論理の外側から世界を反転させる鍵。
しかし、その具体的な形が何であるのか。正体はまだ、深い思考のもやの向こう、誰も足を踏み入れたことのない意識の奥底に眠っている。
ことば
胸の奥まで 落ちた言葉が
ゴロゴロゴロゴロ転がって
骨を食い
身を食い
そしてこころを食う
胸の奥まで透った言葉が
リンリンリンリン鳴り響いて
骨を満ち
身を満ち
そしてこころを満つ
あいする。
ゆらぎ、ひずみ、まよう世界で
人はそれを見つけた。
求めてみたり
振りかざしてみたり
人はそれを「愛」なんて。
どうしようもない気持ちになんて
名前をつければいいのかと
そうでもしなきゃ、やってらんなくて
人はそれを「愛」なんて。
不確かで不完全で
あまりに脆く、ただ強い。
人はそれに
或いは救われ
或いは傷つき
それでも人は「愛」なんて。
それでも人は愛をする。
【短歌】親愛なる冬のみなさま【まとめてみた】
銀紙にくるまれた冬をとりだしてほうばる前にすこし眺める
透明をかさねてかさねて神無月こんないろでも光になるのか
夏掛けにいっしょうけんめいもぐりこむコタツごっこと音も無い窓
濡れ鼠かわかしたので眠りねずミルクのふとんにくるまって尚
おや中尉あなたでしたかこの冬を鏡のように磨く役目は
十二月なにを撮っても美しく星の採取に役立ちました
枝ぶりは丑三つ時ならシカのツノ冬の昼なら空の花束
将来は研究しようと思い立つ無垢なそらほど寒いふしぎを
碧すぎて夜はとうとう紅くなる電信柱へ薪をくべよう
終わり際は初冬とおなじ匂いみたいこんな鼻ではわからないけど
猿蟹合戦を平和的な話しに出来ないかと考えてみた
昔話しの「猿蟹合戦」を合戦が無くても物語が成立しないかと思い立って
「猿蟹合戦」の蟹が殺されずに平和に物語が終わる様に書いてみました。
場所によっては柿でない所ある様ですが、自分が聞いた話しは果実の柿だったので柿で話しを進めます。
猿は蟹が持っているオニギリが欲しくて、蟹に持っていた柿の種と交換してくれと話しました。
蟹は快く猿が持っている柿の種と自分が持っているオニギリと交換しました。
蟹は柿の種を一生懸命に育て柿の実を実らせました。
実った柿の実は木の上の方に実っている為、
木に登れない蟹には柿の実を採る事が出来ずに困っていました。
そこへ猿が柿の木に登り美味しそうに柿の実を食べ始めました。
腹が立った蟹は猿に「俺の柿を勝手に食べるな」と怒鳴りました。
それを聞いた猿は平然と蟹に言いました。
「お前が育てた柿の種が実らせた柿を食べられずに見ているから、
木に登る事の出来る俺が代わりに食べてやっているのさ」と言って
蟹の言葉に耳を貸す事なく柿を食べ続けていました。
蟹は目の前の理不尽な出来事に悔しい思いをしましたが木に登れない蟹には、
どうする事も出来ませんでした。
蟹は、仕方なく猿が口から吐き出す柿の種を集める事にしました。
そして集めた柿の種を蟹は、また一生懸命に育てる事にしました。
懲りずに種から柿を育て始めた蟹を見て、蟹と仲の良い臼と蜂と栗が来て言いました。
「蟹さん、俺が体当たりして柿の実を落としてやろうか?」と臼が言いました。
「柿の実が落ちても柿の木が折れるかもしれない。」と蟹は臼の申し出を断りました。
「それでは、俺が柿の甘い汁を取って来てやろう。」と言って蜂が柿の実に向かって飛ぼうと構えまた。
「柿の実は歯ごたえも大事だから」と蜂が飛び出さない様に蜂の肩を抑えて蜂の申し出を断りました。
栗が怒りを露わにしながら「俺が毬(いが)を纏って猿を脅して柿の実を猿から取って来てやる。」
でも蟹は興奮する栗を宥めながら
「それでは強盗と同じだから止めておこう。」と栗からの申し出も断りました。
皆の申し出を断り、心配してくれる気持ちは嬉しいと言いながら蟹は笑顔で皆を見送りました。
やがて、多くの種が順調に育ち、それぞれに柿の実を実らせましたが、
今年も柿の実は木の上の方に実っているので蟹には採れませんでした。
また猿がやって来て沢山の柿の木を見て一番実が付いて居る木に登り柿を食べ始めました。
「今年は、柿の実で十分に冬を越せそうだな」と満足そうな顔をしていました。
ところが食べても、食べても無く成らないし、住み家にも入りきらない柿の実を見て猿は
「食べ切れない柿を腐らすのは勿体ない」と思って。
蟹の居る所へ柿を抱えて降りて来ました。
蟹は猿から柿を受け取り満足そうに笑いながらハサミの手で器用に柿の皮を剥いて
「皮を剥いて食べる方が美味しいよ」と皮を剥いた柿を猿に差し出しました。
皮の無い柿を食べた猿は感動して、毎年、蟹に柿の皮を剥いて貰う為に
柿の実を蟹の所へと持ってゆく様にしました。
蟹は柿の実がなる頃に猿が持って来る柿の皮を剥いては
猿だけでなく、臼や蜂や栗達にも食べさせました。
柿を貰った臼は餅を蜂は蜜を栗は毬の衣をお礼に持って来る様に成り、
蟹は厳しい冬を豊かに越せる様に成ったそうです。
めでたし めでたし 良かったね。
(終わり)
少し話しを省略していますが、被害者の蟹以外のキャラクターの考え方は変えずに
猿に柿をぶつけられて蟹が死んで、蟹の子供が周りの助けを借りて敵討ちをする話しを
読む人への教訓的な事も残しながら平和に終わらせた様に思っているのですがどうでしょう?
冷めていく革命
駅前の温度が
少しだけ高い
閉じたシャッターに
昼が残ってる
エスカレーター
逆向きの気配
影だけ先に
角を曲がった
めくれ上がった
シャッターの貼り紙
触れていないのに
指先が冷たい
冬の陽がビルの隙間
長く伸びて消えかける
レジ横の一輪の花
日焼けして褪せている
ポケットに残った砂
どこで付いたか思い出せない
遠くで鳴る昔の旋律
信号待ちで途切れてる
時計塔の針だけが
急ぎ足で進むけど
僕だけ少し遅れて
夜に追いつけない
やわらかな闇の中
頼りない足跡を踏む
ほっとかれたナポリタンが
小さく世界を変える
雨宿り中のうさぎが
こちらを見て笑ったら
何も起きない今日にも
新たな目覚めがある
募金箱の硬貨の音
誰かのためのリズム
閉店後の海の碧
街灯に揺れている
帰る理由を探すほど
帰り道が遠くなる
取り残された夜更けに
靴先で線をなぞる
昨日と似てる今日でも
同じ夜はない
やわらかな闇の中
頼りない足跡でも
昔の旋律に合わせて
歩幅が少し合う
雨宿り中のうさぎが
森の奥へ消えてしまっても
終わらない夜の先で
新たな目覚めを待つ
密かな企み
小説でいうところの
私小説
というものをわたしは
詩で
描こうと
企んでいる
ムフフ
対向車線の話です
信号がわたしを無視する
充血した、
たくさんの眼がわたしをじっと視ている
操られるように呟いて笑う
あまりに暢気で素敵な赤口
一秒の価値に圧殺され
無謬の温度差に熱死する、
対向車線がおもしろかった
根も張れないのに動けないなら
いつものとおり、授けられた愛
解けない絆
歌えばいいじゃない?
こんなことが言いたくて生きてる
わけじゃないけれど
こんなことしか見えない日々もある
今日も今日とて、
希死念慮が白線の内側から零れたよ
無表情の白昼と
青かった学生服がロールケーキのなかを
渦巻いていてとてもあざやかだ
その青は、
きっととても重かっただろう
これからは軽やかに泳げるね
うらやましい、青い惑星に、
やっぱりわたしはのこされて、青すぎて、
喉が渇くから
自販機でお茶を買っていたら
コールタールみたいな影が群がり
つまらない景色は今だけ四角くて
氷みたいで、
冷ややかに、神妙という習得物が貼り付けられる
無関係な苛立ちはわたしの足より遅くって
文明とはなんだろう
追い付けますか、
息切れてませんか、
すくわれていませんか、
答えなんてどうでもいいのに、想う
歩く、
お茶を啜る
苦味で頭が醒める
それにしても、
潤さなければならない身体が、つらい。
誇らしき灯
ひらりひらひら青条揚羽
おおきく千切れた左翅
百日草を飛び回る
おまえの翅も千切れているのね
ぴょんぴょこぴょん閻魔蟋蟀
よく見りゃ千切れた左脚
草むらの中を跳ね回る
おまえの脚も千切れているのね
痛かったろう
痛かったろう
文句のひとつ
弱音のひとつ
吐きもせず
ただその命燃やしてる
おまえの欠けたその翅の
おまえの欠けたその脚の
その美しさ頼もしさ
その誇らしき命の灯
メヌエット
映る星影を
舳先が静かに裂いて
水面を舟が滑る
軌跡は
一条の帯のように
煌めきを残して流れ
岸辺の薔薇に
夢を見させている
お聴き
宇宙(そら)のため息を
遠くルビィの空間が
深い闇の淵にはじけるのを
最期と思しき今宵も
焔露に身悶えて
汝が胸を乱さましものを
呼ばれてみたい
湊かなえを筆頭に
イヤミス
というジャンルがあるならば
さしずめわたしの詩は
イヤ詩
とでも云ったところだろうか
呼ばれてみたいものだな
ウフフ
手紙
毎日かいてる
出さないだけで
出せないのとは
ちがうから
それが ほんのちょっぴり
救いだよね
ひとりごとばかり
ふえていくけれど
ここちよい
春
冬の透明
白い息が
頬を包む
ふと夜空を見上げたら
月と星たちがきらめいていた
無垢なひかりに照らされて
私の心も
すこしずつ
洗われていく
透き通っていく
mei.
銀の瞳は遠い彼方に
かつての夢を見る明け方のつめたさのなか
冷蔵庫の振動音を聴いている
憧れを向ける先(手偏向ける先(掌編)
「バカだなあ…お前は」
少年に向かって、その男は言った。
少年が男に出会ったのは、アルバイト先の小さなレストランだった。
男は少年より15歳ぐらい上で、定職につかずバイト生活をしていた。
少年はその男が好きだった。
地位や立場にはなびかなかったが、目下の者のためには平気で頭を下げる人だった。
かばってくれた礼を言うと、照れくさそうに手を振り背中を向けた。
周りの人たちはそんな男を見て、
「今時、こんな生き方をして」
と呆れたようにこぼした。
それは彼の仕事ぶりが邪魔だったせいもある。
洗って並べて乾かせばいいコップを、灯りを通してみて、汚れがあると拭き取っていった。
「ありがとうございました」
店員の中で、必ず笑顔で言っていたのは男だけだった。
そのことを少年が口にすると、たばこを大きく吸い込み、
「不器用なだけだ」
と空へ向けるように、煙をふわりと吐き出した。
「世の中っていうのは、肩書きがあったほうが便利だ。ないよりあった方がいい。
そういう支えがあれば、楽に立っていられる。
でもその支えは、誰か知らない人が作ったもののように感じるんだ。
やっぱり、支えは自分で作ったものじゃないと、安心できないよな」
店が暇な時、男がふと漏らした一言だ。
少年は男の様な大人になりたいと言った。
それを聞いた男は、
「お前はオレとは違う人間だ…どんなに望んでも、オレはお前にはなれないし、お前はオレにはなれない。だから…」
そう言い、少年を見た。
「どうせ憧れるなら、自分にだ。
こうなっていたいという心に描いて、その姿になるために進めばいい」
そして体を伸ばすと、
「と、いうことだ」
立ち上がって仕事に戻っていった。
男はそれからしばらくして、
「辞めるから」
と手を差し出した。
ささくれだった指は、決してきれいではなかった。
意外に柔らかい手にあったペンだこが、少年の指を固く押した。
男が物書きを目指していたのは、会えなくなってから知った。
時折デニムの後ろのポケットから、小さなメモ帳を出して、何かを書いていたのを見たことがある。
それだけで出来るペンだこではない。
多くの文字を部屋で一人、書いていたのだろう。
周りには見せなかった、男の孤独な戦いを思った。
少年はやがて青年になり、平凡な肩書きを手に入れ社会の中にいる。
仕事に疲れた電車の中や、下げたくもない頭を下げた後に、ふと男のことを思い出す。
「こうなっていたいと憧れた自分になれているのだろうか?」と。
きっとなれていないだろう。
そんなとき思い出す。
「平凡をバカにするものじゃない。それだって難しいことだ。
それにお前は諦めるほど、生きてないだろ。
オレだってまだ諦め方がわからない」
という男の言葉を。
諦め方を知った大人より、未完成だという男の方が魅力的だ。
そう思っていても、自分にはなれない。
不器用を隠すより、器用に生きる方が楽だと気付いてしまっているから。
この日も減った名刺と同じ数だけ、顔も思い出せない人達の名刺がカードケースを埋めている。
だから、数々の男の一言が、いつまで心に問いかけてくる。
少年の頃に持った憧れは、そのままの姿で残り、だれの言葉よりも心にとどまっている。
そんなことを思っていると、隣からこんな言葉が聞こえそうだ。
「バカだなぁ…お前は」。
Inner necessity 5 #アイラシヤ大陸
時代 現代
場所 東京都
男はエリカの前にスマートフォンを置き、画面に表示された「クリエイティブライティングスペース」のログインフォームを指し示した。入力されたユーザー名は、「グリフィス」。
「グリフィスは、いわゆる共有アカウント(Shared Account)だ。共通の指向性、あるいはある種の『共犯関係』から生まれた器だ。創始者がこの世を去ってから、現在何人がこの鍵を共有しているか、その発信源がどこにあるのか、もはや誰にも辿れない。意図的な偽装というよりは、エントロピーが増大した結果としての匿名性だ」
男は、夢と現実の境界を疑ったときのような、危うさを孕んだ口調で続けた。
「法や倫理の適応外にある場所……と言えば聞こえは悪いが、我々は日常的に、状況に応じて法の外縁を歩いている。僅かな速度違反のような微細な逸脱、あるいは沈黙という名の嘘。ここまでは理解できるかな?」
エリカが短く頷くのを見て、男はワインの栓を抜き、琥珀色の液体をグラスに注いだ。
「このアカウントは、公開鍵の役割を果たす掌編や詩を投稿するために使われる。当事者同士にしか解読できない、織り交ぜられた。それは明日の事かもしれないし、埋葬された過去の開示かもしれない。本質的に出口のない迷路であり、羅列そのものが意味を完結させている。だからこそ、ウーリチが私の元へ現れたとき、私は戦慄した。私の周囲に、これを実存の脅威として理解できる人間などいなかったからだ」
男は一気にワインを飲み干し、震える手で再びグラスを満たした。
「完璧ではないということこそが、共有アカウントが成立するための絶対条件だ。だが、その欠落こそが今、私を枠内と枠外の両面から窮地に追い込んでいる。……アイラシヤ大陸に関する記述は、ある時期まで正常にアップロードされていた。しかし、ある点を境に、システムは『アイラシヤ』の投稿を拒絶し始めた。理由は不明だがこの大陸の物語が、どの段階かも不明だか引っかかっている」
彼は自嘲気味に笑い、地球儀を回すような仕草を見せた。
「地球儀をどの程度の速度で回転させるか、それは我々の気分次第だ。だが、気がついた時には共有メンバーの数名は敵に回り、私は釈明を迫られていた。いや、それすらもはや些事だ。私は神託を聞いた。これはもはや遊びではない。ある日、ある場所で誰かに傘を差し出し、その記憶に刻印されることが唯一の生存証明だとしても、今の私はそれを笑えない。物語が書き換えられ、提示されている。そこに対話は存在しない。ただ、ウーリチは翻訳音声でこう告げた」
男の瞳に、絶望と一筋の光が混濁したような惑星が浮かぶ。
「『正解は存在する。そしてそれは、彼女(エリカ)が最終的に巡り合うものだ』……とね。どうかな、私の実存の震えが、少しは伝わっただろうか?」
古語金言集
くがり ろうけつ かがりび
はなれこじま ちゅらちゅら
よいこ ねんねこ
やまとのくに
あびきのわらし
まほろば うつつ くりから
はにまに とどのこおり まや
ふくわりのまじり
ほろほろ くらいど こち
おきつ しらなみ
さきとてたつかみ しなつかみ
まほろび ころべば とちのくに
さきみたま まななか くちたつ
かえりち このめば やしゃとなる
さち これいど まはすかみ
みちづき かけつき くくれいぬ
このはな めのう
さきがたし うのつち
むつかみ
とききたりて まろく
きりやまびこの こえとおく
ふるぎ きこえる
るりはり くらつかみ
これいりのつだち わだつみのこゑ
まほろば ゆきすきのくに たつたがわ
こがねのまゆ こやね くくり
しょうじょう きくた とつとつ
かちどき ちぢみ ものもの
みつ たりき さすが
みなかた くどく みつせみ
くるこのきたりて せんをまつ
このみ みうつ かま
こらつ くらつかみ まらつ
このくに ききかたし
ここのつ
[ち]魑魅魍魎の聲
どろろ、黒ずんで肋骨
ドクドク、と鮮血 はたまた呼吸
してる、シテる 寂しんぼう から 流動
「知ってる? 7階の理科室の首吊りした子の話」
知らない知シない知らない 私は何も見てない
旧校舎はきっと寂しがり屋の集い
黄昏の中でしか影を落とせない
季節外れのセーラー服 じっとりした夏
見えてはいけない見えない 聲
古い杉の学び舎 脈のない 足もない
時間が止まったようだった
木枯らしが迷い込んだ寒さ
首すじに伝う 細く長い指
「知ってる? また旧校舎で亡くなった子の話」
知ってる? 知ってる? 知ってる! 暗くて嫌われた子!
未曾有、黒ずんだ背甲
嗚呼嗚呼、と嗤う カナカナ カナカナ
妛の諱 がらんどう から 胎動
鼓動を忘れた宙ぶらりん 若いまま 留まった
時間に老いて枯れたようだった
きっともう誰も近寄らない廃校になって
いつの日か自分すらも忘れてしまうだろう
月と太陽の天ぷら
薄皮を脱いだキメラがね、
お日さまにぷりぷり焼かれているよ、
ジュー、ジュー、ジュー。
数え切れない粒々、蘇生して、
飽和脂肪酸からの解放、甘言蜜語の充溢。
ああ、この満ち足りた香り。
深山幽谷のマヨネーズ、
シュワッと、 さわやかに、空気に溶けて。
(ねえナターシャ、山桃、菜種油も忘れずにね、
(入道雲がナマタマゴ、踊っているよ、
(エルビスガエル、鳩サブレー!
あなたは何をしているのですか?
ラスベガスで腐敗していくウルメイワシ、さん。
(兵隊に行けといわれます、またあの錆びた匂いがするのです。
ああ、この憂鬱。 この充溢、
わさびマヨネーズどばどばと、どばどばと。
感極まって、辛子ナス(甘い、ひどく甘い)
エルビスナマズは、塩辛に漬けるとブリキの兵隊に
(なりたくない、決してなりたくない!)
(こちとら弾道ミサイルの揚げ物ですぜ、熱いよ、熱い!)
(おもしろいことを言うね、ナスターシャ、いつだってそうだ)
わたくしの精神世界は、
みずうみいっぱいに伸び広がり、
牧場のにおいをさせたり、 犬に喰われてみたり、ときどき、
セラミックフライパンみたいになるの、乾いて、焦げつく寸前。
(エルビス、あなたも兵隊に行くのですね、遠い場所へ、
(頑張って行ってきます、ポテトチリハウス、もう二度と帰れない場所へ。
雑草はぜんぶ、ぜんぶ抜いてしまって、 妙に明るいこの調理場、無音の空間。 無味無臭の空に、吸い込まれていたく、 放牧みたく、ただ風に揺られていたく、 蟹の泡みたく、儚く消えたく、
逆さ吊りのザリガニたち、
ザリガニ、ケガニ、ズワイガニ、 タスマニアオオガニ、
ぶら下がっているのはベニズワイガニ(蜜の甘さ、とろける甘さ)。
妙に明るい、
コモンセンスな味つけ、
ステーキハウス、カニハウス、血の匂いと潮の匂い。
(戦場のブルーベリーチョコレート、甘く、苦く、忘れられない味)
林檎も桃もオレンジも、
エルビス(カルメ焼)も、フライドチキンも、
むきエビも、ブリキの妖怪も、 すべてが溶け合い、油の中で、
ジュー、ジュー、ジュー、ジュー、ジュー、ジュー、
ああ、この音!
いよいよメインディッシュの登場です。
とろとろの溶岩に浮かぶ、黄金の輝き。
月と太陽の、天ぷら。
この世のすべてを揚げた、至高の一皿を、
何度でも
きみが
お話のろうそくに
灯りを点してくれると
どうしてかな
窓が曇るね いつも
お互いに
恐る恐る
覗いた
蓋から
あたたかい
湯気
きみが眼鏡を外す
性別
曇ったら
拭き続けよう
何度でも
窓に
掌を重ねる
厚い硝子のずっと奥
半分ずつの虹
唇を隠して
微笑った
しをかくひと
詩人でありたい
とか思ったことないし
詩を書きたい
と明確な意思をもち
書き始めたわけではない
意思もさ
意思と意志があるし
どう違うかわからないし
調べるのも癪だから
今は
検索すらしないけど
しをかくひと
である私は
ひどく居心地の悪さを感じたり
詩とはなにか
詩人とは誰で
どういうものか
声高らかに騙ることから
離れていたいし
「〇〇」賞とか
「投稿欄」や「〇〇詩人会」から
当たりも触られもしないとこで
書いている
詩人と名乗りたくないといい
詩人とくくらないでと言えば
「自分自身を否定してるのですね」
とか心理分析
もうそう言うの結構なのです
詩を書いてしまう
から
逃げられないけど
書いている
それだけで
それだけくらい
許してもらえませんか。
まぁ、勝手に書くんですけど。
なにがどうあれ
ぶつかりたい
幸せを願われるほど、苦しんだ過去がない。
不幸を嘆くほど、傷ついた過去がない。
苦楽がないので、寄り添えるものがない。
私はぶつかりたい。
雑踏を嫌い、
物音ひとつに怯える私は、
ぶつかりたいのだ。
通勤ラッシュの駅、
祝日の繁華街、
人混みは、
ぶつからないように、
流れていく、
私を避けていく人々と、
私はぶつかりたい。
旅行者の引っ張るキャリーバッグ、
先を急ぐサラリーマンのカバン、
仲良く手を繋ぐカップル、
ぶつかれば、
私はみんなと繋がれる気がしていた。
帰りの駅のホーム
電車到着前のアナウンスを聴きながら
私は夕陽を見ていた。
陽光
影
色
光の屈折
音
声
息
雨
ふ
り
傘
虹
風
みんな私と
ぶつかって
みんな私と
繋がって
ぶつかりながら、私は
チキンナゲット
その曲が流れたとき
彼女は静かに涙を流した
探しても見つからない
言葉と涙が
ポトリと床に落ちた
曲が終わると
「何食べようか?」
うつむいたまま
「外食べに行こ」
背中を向けたまま
「先行ってて」
外へ出ると
背中に顔を洗う水の音が
ドア越しに
出てきた彼女は
待つ僕を追い抜き
階段を下りて行った
ファーストフードの
チキンナゲットを
オーブンで温めた
チンと音が鳴った仕上がりは
アルミホイルが貼りついていた
二人で笑い
二人ではがした。
諦めて
ちぎりながら食べる
チキンナゲット
二人で分けた
壁の向こうの雲
気持ちよく歩いた道
地図にないはずの
目の前に壁
進めず
下がれず
声も出ず
座り込む
声を張る
何も変わらず
諦める
見上げた空に
黒い雲
ただ壁は
道を塞ぐだけじゃない
支える右手を
助ける壁
転んで突いた左手
痛みを和らげてくれる
冷たい壁
寄りかかれば
頼もしい
もう一度見た空には
黒い雲の隙間から
白い雲
そこは壁の切れ目だ
進むのは前でなくていい
横でもいい
乗り越えなくてもいい
白い雲が見つけたように
隙間を見つけて
砕いて
掘って
通れそうになったら
這いつくばって
手で土をつかみながら足掻く
抜けた先には道
空には白い雲
じこちゅー
自己中だよね
って
かおりちゃんから
いわれて
泣いた
じこちゅーって
虫みたいだよね
虫みたいに
ウザイよね
そーやって
周りの女の子たちに
優しいと評判のかおりちゃんは
わたしを笑っていた
けどあれから
二十年たってから
じこちゅーだよね
自分で自分に言ってみて
笑って胸を張っている
じこちゅーじこちゅー
上等だよ
虫みたいにウザイくらいに
生きられてサイコーだよ
じこちゅー
わたしがわたしのこと
考えなきゃ誰が考えてくれるって
いうんだよ
かおりちゃんを時々
思い出す
風のうわさで
3人のこどものお母さんに
なったって聞いた
きっと 優しい優しいと
言われているだろう
なまえをかえる
わたしのなまえは
「あかり」
なまえのとおりに
あかるいこだね
それがいやで
なまえをかえた
せかいいち
すきなたべものの
なまえをつけた
わたしはわたしを
たべちゃいたいくらい
すきに
なりたい
ゆめおいびと
晴天に眩む空の下 誰も彼もが船を駆る
灰色の海の向こう側 黄金満ちる島求め
雨天に沈む空の下 誰も彼もが船送る
黒染めの海の向こう側 僅かな希望に胸高め
ハイヤ ハイヤと高らかに 帆を張れ舵切れ錨あげ
ハイヤ ハイヤと誇らしく 凡夫も英雄も前を向け
晴天に眩む空の下 誰も彼もが船を待つ
灰色の海の向こう側 黄金満ちる船求め
雨天に沈む空の下 誰も彼もが船を待つ
黒染めの海の向こう側 託した希望を胸に秘め
ハイヤ ハイヤと高らかに 灯挙げ人挙げ胸を張れ
ハイヤ ハイヤと誇らしく 力なき者も前を向け
夢追い人の凱旋だ 夢負い人の凱旋だ
ハイヤ ハイヤと声上げよ 何も抱えておらずとも
ハイヤ ハイヤと声上げよ 何も帰って来なくとも
だめ人間
わたしは だめ人間
できないことが 多すぎる
上手に 生きられない
私の生き方は ぶさいく
器用なあなたが うらやましい
わたしも あなたのように
ふるまわなければ と思うけど
そうしたくない と思ってもいる
不器用な自分も 嫌いじゃないから
きれいに生きたら わたしじゃない
できないことが 多くても
今まで 生きることは できた
わたしをできるのは わたしだけ
どんなに だめでも
わたしは わたしを 生きていく
Inner necessity 4 #アイラシヤ大陸
時代 現代
場所 東京都
ドアの外では、担当ホストたちが獣のような咆哮を上げ、重厚な扉を叩き続けていた。金属と木材がぶつかり合う鈍い音が、静寂な廊下に反響する。エリカはその音を遠い世界の出来事のように聴きながら、手渡された『アイラシヤ大陸』の原稿を読み始めた。
傍らで、男が静かにスマートフォンを操作する。
数分の後、あんなに激しかったドアの向こうの騒音は、唐突に止んでいた。エリカはその異常な静寂にさえ気づかぬほど、文字の羅列が作り出す深淵へと没入していた。
物語は、大陸の命運を背負う者たちが交錯する群像劇の様相を呈していた。
だが、物語は突如として転調する。舞台は現代の現実世界——上海でAIの演算能力を兵器へと転換する李(リー)という男の暗躍、そしてロシアの極秘ラボ。虚構と現実が溶解し、アイラシヤ大陸の存亡を賭けた「十二番勝負」へと収束していく。
どれほどの時間が流れただろうか。ふと顔を上げたとき、エリカは原稿の最後の一行を読み終えていた。
男は近くの椅子に腰掛け、エリカの思考を妨げぬよう、沈黙して目を瞑っていた。
「……読んだよ。これ、かなりのバッドエンドだね」
エリカの乾いた呟きに、男は深く、重い息を吸い込んだ。
「どうだ。アイラシヤ大陸を……救えそうか?」
「え? つまりどういうこと?」
エリカが困惑の声を上げると、男は眼光を鋭くして囁いた。
「書き換えだ。大陸を崩壊から救うために、整合性を伴った修正を施さなければならない」
「整合性って……何なのよ、一体」
エリカが問い詰めると、男のスマートフォンに通知が入った。その画面を冷徹に見つめながら、男は語り出す。
「この原稿は、今のままではアップロードできない。これは既に確認済みだ。システムのどこかで、何者かによる検閲(チェック)が入っている。クリエイティブ・ライティング・スペースというプラットフォーム側か、使用している電子機器か、あるいは……この部屋、現実世界そのものか」
エリカは突如として、背筋を切り裂くような寒気を覚えた。だが同時に、体の芯から得体の知れない熱が沸き上がるのを感じる。
「とにかく、原稿を書き換えてみてくれ。私もウーリチから詳細な説明を受けているわけではない。彼女もまた、運命を伝達する回線の一本に過ぎない。彼女にこの使命を託したのは、ある日本人だったと聞く。彼は彼女の部族の言語を流暢に操り、自分は日本人だと名乗ったそうだ。だが、それすらも真実かは定かではない」
男はクーラーからノンアルコールビールを取り出し、喉を鳴らして一口飲んだ。
「エリカ。この文章を書き換え、クリエイティブ・ライティング・スペースに投稿する。道はそれしかない。私も文章の作成には手を貸そう。元より、論理を構築する素養には自信がある」
夜はさらに深く沈み、窓の外の新宿の明かりが、アイラシヤ大陸の燃える空のように明滅している。
エリカは激しい動悸を鎮めるため、ラ・メールの香る自分の指先をじっと見つめた。その指先は、今や大陸の存亡と、目の前の男の人生、そして自分自身の「明日」を繋ぎ止める、唯一のペンとなっていた。
うどん
たそがれの食卓にあるうどんが赦せない
うどんをのみこむことだけが昨今のわたしの労働だというのに
あたたかなうどんに遅れたおろかな自分が赦せない
さきほどまで夕陽が頸を切っていた
わたしの生涯は すでにこの うどん のように のびて しまった
にょろにょろのぬるい素うどんをすするわたしの頬をゆるい湯気がなぜてゆく
それは夢のなかの肌ざわりのようだ
うどんに罪はあらねども それはじゅうじゅうわかっているのだが
無抵抗のまま咀嚼され わたしの胃の腑におちてゆく
うどんが憎い
憎くてたまらぬのだ 今日は
星
星が一つ消えました
東の空の明るい星の
隣にひっそりあった星でした
星が一つ消えました
風に囁き森に歌う
小さな小さな星でした
星が一つ消えました
地上の者は明るい星の
眩さに心を奪われ
誰もこの小さな星の
消えたことを
気づきませんでした
それでも星は幸せでした
自らの光を放ち尽くし
満ち足りて
消えていきました
BAR「Creative Writing Space」
ニーズがあるやらないやら、まったく見当がつきませんが、
毎度おなじみの思いつきで、BAR「Creative Writing Space」を開業いたしました。
皆様にお使いいただけなければ、すぐに閉店いたします。
電脳空間の片隅にある、吹けば飛ぶような小さなBARでございます。
一杯引っかけた体で雑談していただけるスペースをイメージしています。
「Talk」がさほど機能していないことも踏まえ、もっとカジュアルに使っていただけたらと思っています。
【ルール】
・ワンドリンク制です。必ず何かお飲み物をご注文してからお話しください。ノンアルコールでも構いません。
・お代はいただきません。もしスペースコインをお支払いになりたくなったら、他のお客様に奢ってあげてください。
・酔っ払いすぎにはご注意くださいませ。
Creative Writing Space事務局
2026/03/21
批評・論考
世界一甘い音
春の日向みたいな
貴方の声が
私の名前を
はじめて呼んで
振り返る私は
声が出ないの
Inner necessity 3 #アイラシヤ大陸
時代 現代
場所 東京都
パークハイアットのバスルームは、新大久保の安宿とは比較にならないほど広大で、冷徹なまでの清潔さに満ちていた。石造りの壁面がシャワーの熱気を無機質に吸い込み、エリカの肌にまとわりつく湿り気を、異世界の霧のように変えていく。
シャワーを浴び、備え付けの分厚いバスローブを纏う。指先に残る石鹸の香りは高級だが、どこか薬品めいた冷たさを感じさせた。鏡に映る自分の顔——泣きはらしたような涙袋のメイクが落ち、カラーコンタクトだけが浮いている異様な容貌を、エリカは他人事のように眺めた。
(……逃げるか?)
一瞬、思考がよぎる。だがリビングに戻ると、男はバスルームを覗こうとする素振りさえ見せていなかった。それどころか、重厚なスイートルームのドアには、いつの間にか男の持ち物であろう固定具が嵌められている。外部からの侵入を警戒しているのか、それとも逃げ出せない枷なのか。エリカには、それが自分を閉じ込める「檻」に見えた。
「……まじで、何なのよ」
背筋に冷たいものが走る。エリカは動揺を隠すように、備え付けの炭酸水のボトルをもう一本開け、喉に流し込んだ。鋭い気泡が、喉元に這い上がる異物感を押し流してくれることを期待して。
リビングへ戻ると、男はスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲り上げて椅子に深く腰掛けていた。時折、時計を見るその指先が、微かに震えている。
エリカはドレッサーの前に座った。重厚なダークウッドのデスクには、三面鏡が冷徹なまでの解像度で彼女を映し出している。鏡の縁に仕込まれた演色性の高いLEDライトが、メイクの落ちかけたエリカの肌の毛穴ひとつひとつを、まるで剥製を鑑定するかのように暴き立てていた。
その鏡の前には、ラ・メール(DE LA MER)の象徴的な白いジャー「クレーム ドゥ・ラ・メール」が鎮座していた。指ですくえば、驚くほど濃厚で、海藻の生命力が凝縮されたようなテクスチャーが指を包む。さらに、クレ・ド・ポー ボーテ(Clé de Peau Beauté)のローションで肌を整え、引き出しの中に見つけた新品のトム フォード(TOM FORD)のアイシャドウパレット「アイ クォード」を手に取る。
封を切られていないそのパレットは、これから始まる「何か」のためのバプテスマ(洗礼)のようだった。肌に吸い付く高級化粧品の質感。それは本来、自分を慈しむための儀式であるはずなのに、今のエリカにとっては、自分という存在が「崇高な贄」としてメンテナンスされているような感覚を増幅させた。
スマホを手に取り、Instagramをチェックするふりをして、担当ホストにLINEを送った。最初はそっけない返事だったが、パークハイアットのスイートだと自撮りを添えると、返信は即座に変わった。
『マジ? そいつ金持ってんじゃん。仲間数人と今から向かうわ。回収してやるから待ってろ』
「なるべく早くね」
ハートの絵文字を添えて送信する。
(……因果? 存在証明? んなもん、どうでもいい)
エリカは心の中で毒づいた。自分にはホストへの売り掛けという、現実がある。AVの話も持ちかけられている。辛い。この男の語る「神託」や「アイラシヤ」など、ただの誇大妄想に過ぎない。彼らが来るまで、適当に話を合わせて時間を稼げばいい。
エリカは、ドレッサーの鏡越しに男を見た。男は項垂れ、テーブルに置かれた『アイラシヤ大陸』の原稿を見つめている。
エリカはゆっくりと立ち上がり、営業用の、完璧に作り込まれた微笑みを浮かべて男に向き直った。
「……おじさん。その『アイラシヤ』ってやつ、読んであげてもいいよ。私、結構本読むの好きだし」
男はゆっくりと顔を上げた。その瞳に宿ったのは、苛立ちと不安に渦巻く惑星だった。男は資料を指差した。
「……君がこの『グリフィス期』の終わりを修正しなければ、私の存在そのものが記述を失う。彼女……ウーリチが命を削って運んできたこの一束の紙が、今、君という一人のフリーターの指先に委ねられているんだ。滑稽だろう?」
エリカは原稿を手に取った。
「滑稽も何も、おじさんが一番変な顔してるよ」
その時、ドアの外で重々しい足音が響いた。ホストたちが到着したのだ。金属がぶつかり合う音と、怒号が廊下から漏れ聞こえる。しかし、男はピクリとも動かない。
エリカは原稿の最初の一行に目を落とした。
「……これ」
彼女が呼んだ暴力の足音が、原稿の中に記述された運命の音と重なっていく。エリカは、ホストたちの救いを待つことも、借金のことも、自分が置かれた惨めな境遇も忘れ、手渡された原稿の「行間」へと吸い込まれるように読み始めた。
わからないことからはじまる詩作の自由
詩は「わかる」ために書くものではない。むしろ「わからない」ことから始まる。言葉を分解し、無心に組み直すことで、意味ではなく感覚が立ち上がる。そのとき詩は、伝達ではなく接触となり、読み手にとっての鏡や触媒となる。
・わからないものへの切り込み方
なにが書かれているのかわからないものを読もうとするとき、どう切り込もうか、いつも考える。まず探すのは、わからないものの中にある「違和」だろう。
それは文体の変化や語彙の選択、論理の飛躍かもしれない。テキストの中には何かしらのパターンや秩序がある。それを違和感として無意識に探っているのだ。
その違和がとても違和だったとき、それは作者が意図的に残したものではなく、むしろ消そうとしても消せなかった何か——最も本質的なものが宿っているという感覚がある。その痕跡が詩に馴染んでいるかどうか。
・接触という楽しみ
結局のところ、作者がなにを言いたかったのか、詩がなにを伝えたいのか、ではない。わたしがこの詩に対してどう掴んでいくか、どう触っていくか。わからないからこそ「まだ見えていない構造」への入り口を自分で設定する。楽しむべきは、接触だと思う。
芸術を見るように鑑賞するのか、文学を読むように納得するのか。書き手の癖としても、読み手の癖としても偏りはある。その中でやはり、自分の思っていない方向が現れることを素直に楽しめるかどうか。意味を重視して書いている人は意味を探してしまう。自分の傾向を自覚した上で、あえて真逆のアプローチを取ってみる。そうすることで「自分の思っていない方向が現れる」瞬間を楽しめる。
間違っても問題はない。詩に近づきすぎても遠すぎても、気づきは得られないかもしれない。その距離感。一連を取っても、コトバの並びを見ても、まるで楽器の調律をするみたいに、詩との間合いを微調整していく。その「ちょうどよい距離」は詩によって、その日の自分によって、きっと変わるものだ。
・書かれていないものを読む
書きたいことが見えない、何も訴えてこない——それは、書かれていることから書かれていないものを想像できないからだ。鑑賞者であれば、作者の意図とは無縁の世界にいるべきなのかもしれない。
詩の中を歩こう、詩に触ってみよう。この完成品ならば、どういう方向に読み手は引っ張られるだろうか。その道筋を自分の中で立てておきたい。それが裏切られるから、全く予想がつかない方向へ読み手は読解するから、作者として考える価値をいただくものだと思う。
詩という完成品の向こう側にいる人間、その人の癖や迷いや、思わず露呈してしまった何か——詩を通して人間そのものがにじみ出てきてしまう。なにを書いたのか、ではなく、なぜこうなったのか。なぜこうでなくては成立しなかったのか、を作品から逆算する。
・読み手に委ねること
「言いたいこと」は、読み手が勝手に読み取るものだ。だから作者は逆に、読み手を引き寄せるように、覗かせるように仕掛けなくてはならない。読み手が自由に触れるように、風通しも、オブジェクトも、モノやコトも、そうあるように配置する。どこかなにかに触れ、読み手それぞれになるだけ。
詩が読み手を変容させるのではなく、読み手がその詩に触れることで、より深く自分自身になっていく。詩は鏡のようで、触媒でもある。
・詩にしかできないこと
散文で説明できること、エッセイで明確に言い切れること、小説として具現化できるなら、わざわざ詩にする必要がない。でも、どうしても一つの言葉に収まらない、立ち上がってくる何かがある。だから詩という形を取らざるを得ない。
詩に近づきすぎてはいけない。かといって遠すぎてもいけない。難解・わからない、のひとことで終わっても、それでいい。無理に理解してもらう必要もないし、万人受けを狙う必要もない。詩自体が人を選ぶ。なにかしら楽しんでくれたらいい。理解されなくても、評価されなくても、ただ楽しんでもらえれば。
その楽しみ方も人それぞれで。手探りを楽しむ人もいれば、音の響きを楽しむ人もいるし、わからなさ自体を面白がる人もいるだろう。
「意味の伝達」ではなく「感覚と自由の共有」に重きを置く。読み手に委ねられ、詩そのものが人間のように「生きて」変容していく。そのプロセスを楽しむことこそが、詩の醍醐味なのだと思う。
2025-08-28初稿
2026-03-05改稿
春の花
むせるほどに
春が流れ込んでくる
また巡って来たと
幾度か数えているうちに
咲いていた桜より
今を咲いてる桜のほうを
見始めている心がいる
またきっと
時が動き出す
あなたもどこかで
春を見つめているでしょうか
そのうち 眼裏に 花香る。
一つの丘に対し駆け上がる、息を整えては姿を思います。野草の強さを願うとき 目を凝らせば姿も浮かぶような、ぽつと明かり ともり ぼぉと照らしだす未知に沿って、拍動は抑えきれず漏れた声色はどこへ届くというのだろう。
傷だらけの溝に埋まる、正体を、君と名付けて見ようとした。けれど手紙を書ききれないように、頭に霜を戴く、骨組みを交わし魂がざわめくままに笑みが咲く。両手には持ちきれないほどの小花を摘み、腹を空かせたものが辿り着く場所へ、躰は撓み 歪み 曳かれ裂かれるより、つぶされるより膨らみ 薄く 底に痕を轢いていく。
今宵に参り 白木蓮の蕾 あかぎれ、まだきゃしゃな幹に手をかけ軽く登る、引力を滅したものが。
黄昏を待たずに眠りにつくあとは。星星が揺らめくこと、凪のかなたへ漕ぎ出していた。
水辺は上昇し ここは離れて等しい。地から美しく光を呑み込んだ 月よりもただただ軽い銀盤が。手を伸ばせば直ぐ届くほど、近づく素足で湖に降り立つ。確かに芯と微速を持って、ぬかるみの存在が湛みゆく。空を仰ぐ。なにもない底冷えするような漆黒とやはり、私だけと抱きとめている。
その幸福が、厳しさが射るほどに焼きついて、道を覆って、重くのし掛かる。
ずっと捕らわれている。どうか 定かにはできない けれども、
錆びた釘を置いて行列を成して翔ぶ烏が、方向を定めて暮れていたならば。春はもうすぐにでもやはり落花する。それは木々が生い立ち、目覚ましく逞しくあり、うんと おしゃまなものであれば、見事だろうと。
追い求めているのか、ここにきたばかりで歌も残されない何かを。それとも急かされているのか。ふさがれた 眦の 隅に たよりに 耳をすませては鼻を寄せた。
そのうち 眼裏に またたちはじめる。呼び覚まされる 花香る。
名美池袋気分
友達と遊ぶようになって
学校に一切行かないモードになったのね
まあ遊ぶって言っても
一緒にボーッとしてるだけなんだケドさ
遊ぶ場所はブクロだったんだケド
外に友達ができるようになると
夜まで一緒にいるでしょ
したら朝なんて起きれないし
普通に学校行かなくなった
勉強嫌いなんだもん
勉強したくないでしょ
朝起きたくないでしょ
学校行く時は朝の七時半くらいから
マッハで鬼登校しなきゃいけないんだケド
そんな時間に起きれるわけないのね
だから絶っ対っ昼までガン寝してた
ちょうどガングロとか流行ってて
可愛いなと思ったから
ウチも日サロで同じように黒くしてた
ヤマンバとかマゴギャルとか言われてたね
お金はね全部親から貰ってたよ
お金がなくなったら
チョーダイって貰ってたから
月に幾らとかわからないケド
一日一万は使ってたから
最低でも三十万以上だね
服も買って貰ってたから
全部で五十万くらいじゃないの
でもねブクロじゃサンシャイン通りあたりで
ボーッとしてるだけなんで
たいしてお金かからないのね
みんなでツルむと自然と楽しいじゃない
たくさんツルむ日は
十五人くらいは余裕でツルんでたかな
タメのコもいればそうじゃないコもいて
楽しければ別に誰でもいいからさ
ギャル系以外のコとも普通にダベってたよ
ゴスロリとかバンギャとか不思議ちゃんとかね
ウチら的には害さえなければ
気にしないし何でもいいよ
あーそーゆーね
アンチみたいなのとは違くて
髪とかメイクのこととか言われるのが
ウザかっただけなのね
あとスカート丈とか
中学ってチョーうるさいじゃん
スカートが長かろうが短かろうが
はぁ?ってカンジ
でもヤマンバ化してからは
誰からも何のリアクションもなくなって
放置プレイされてた
ジモトでもハブられてた
高校は行くだけ無駄だと思ったのね
てか絶対に行かないのにお金だけかかるんだしさ
ウチとしては親孝行のつもりだったんだケドね
キャハハハ
元々何もないから
学校辞めたからどうしよう的なのはなかったよ
辞めたからって何も変わらないし
辞めなかったら何かあるわけでもないし
今も何も考えてないケド
あの頃はもっと何も考えてなかったね
とにかく自分がやりたいことじゃないと
やる気がしないの
でも生まれてからやりたいことなんてないから
何もやる気がしないのね
ダルいのねマジで
毎日がダルいもん
将来とか大人になったらとか
たまーに考えたりするケド
頭ん中お花畑だし
何だかなー
昔だったら十八歳過ぎたら
ババアだなあって思ってたのね
自分が実際に十八歳になっちゃったら
今度はいやいやババアは二十歳からだろみたいな
うーんホントは何が楽しいのかな
わかんないよそんなの
プリクラもパラパラも
すぐに飽きちゃったし
何が楽しいとか大人になったらどうしようとか
そんなこと考えてるの誰もいないよね
結局結婚できればいいわけでしょ
お嫁さんになれば何もしなくていいしね
だから大人になったら
やっぱお嫁さんなんだよね
楽ちんな方に流されちゃえば楽しいじゃん
わざわざ大変なことするヒトなんているのかな
友達の間でウチは
ヤリマンで有名だったみたい
ヤリマンのつもりはなかったんだケド
ヤリマンオーラが出てたみたいね
実際中学の時はチャラ男とかに
ナンパされたらソッコーヤッてたし
断るのも面倒くさいからヤッてた
ヤルのは別にどうでもいいのね
何つーのかな自分の中で
エッチは重要な問題じゃないから
じゃ何が重要な問題かって言われても
別に何もないんだケドね
生きてる理由もないかわりに
死ぬ理由だってないわけだし
ダルい人生をボーッと生きてるだけ
ただそれだけだよ
何だかんだ言ってもぶっちゃけ
何とかなるっしょ
今まで何とかなってきてるし
ずっと何とかやってゆけるのかなって
地層をめくる時 基山高瀬
玄関のドアを閉めると
世界が一つ、静かになる
ブレザーを壁にかけ
リボンタイを解く
スカートのホックを外す音が
遠い山の音のように響く
今日のわたしは
この制服という薄い地層を
一番上に重ねてきた
風や視線や言葉を
受け止めてきた層を
一枚だけ めくる
それは
次のページをめくるような
優しい動作
肩紐が滑り落ち
少しの隙間
胸が
今日一日の
呼吸の残りを
ゆっくりと 吐き出してゆく
鏡に映るのは
今 薄くめくったばかりの
新しい表面
その面は
薄黄灰のリネン地が寄り添い
羊歯類の刺繍が
わたしの呼吸に合わせて
静かに息づいている
湿度を残した姿で
肌は これまでのすべての層を
内側に抱えたまま
柔らかく光る
鎖骨のくぼみは
古い川床の跡
腰の曲線は
長い年月で作られた三日月湖
太ももの内側は
まだ誰も踏み入れていない
柔らかな土壌
手のひらで
自分の胸を覆う
鼓動が
地殻の奥から伝わってくる
鏡の中の目が
じっとこちらを見つめ返す
観察されるのは
恥ずかしいのに
それは
自分の一部だから
やっぱり 愛おしい
「ここまで積み重なってきたんだよ」
声に出さずに
唇が囁く
縁に指をかけ
少しだけ布をずらす
空気が触れ
そわっとする肌が
新しい層の始まりを
感じている
ここは
わたしという大地の
最も深いところまで繋がっている
少しの隆起も
小さな断層も
全部 この地層の一部
優しく覆い
「よく、重ねてきたね」 と
自分に言う
さらりと乾いたTシャツを
頭からかぶる
袖を通す
裾が腰に落ちる瞬間
ふわりと
新しい地層が
一番上に加わる
鏡に
一瞬だけ目を合わせて
「また明日 この大地に 一枚重ねよう」
裸足の足音が
部屋の床に優しく沈む
地層は 静かに 息を続ける。
貴方の声で
微笑んだ貴方の瞳から
目を逸らした理由くらい
すぐに分かってしまう
貴方のことだから
この距離がもどかしいことも
お見通しでしょ?
ねぇ 名前を呼んで?
余熱
雲がたわむ
風にさらされ
足を止め
掛けられていた
体操服
余熱
白も黒も
分かたれない
濁る
灰
── 碧井雫
#碧井雫 #詩 #現代詩 #言葉
表皮だけ、
剥離をいざなう
恍惚が
虹彩(褪せた
踝の(踵の(白い、みかんの
アルベド(痛覚はない)
下
亀裂、と言うよりも
ぶつけて割った軽石
(の
手触りだったはずだった、陽
が照らし
毛根(毛髪
表皮だけ、
炭酸の抜けた
コーラの
気泡の代わりに
詰め込んで
(、(と
喉を慰撫する
モニター越しの
声(帯
土踏まずへ捧げる
拷問
空(地中深く
ざらざらの、眼
が照らす
網を振っても
網目のない網には
踝と
コーラ
だけ
飛び込んでくる
今日も活きのいい
誰か(の(悲しみ(
一匹(網)
水溜まりの中
びちびち
ふるえる瞳で
ぼくを(ぼくを(
見つめている
狐と踊れ
クリニックの待合室には
体重三十キロ台ぐらいの女性がいて
針金みたいに細い脚で
カクカク貧乏揺すりを続けていた
坊主頭の青年が
母親らしき人に付き添われ
大声でお経を唱えながら
診察室へ入っていった
おでこはニキビだらけ
手首は傷だらけ
せめて夢の中で
狐と踊れ
一人カラオケで
三時間歌ってから
もう一時間延長しようとしたら
待ってる客がいるからと追い出された
ゲーセンで一人プリクラ撮影会をやり
ダンスダンスレボリューションもやろうとしたが
同世代の男の子たちが集まってきたので
回れ右して帰った
おでこはニキビだらけ
手首は傷だらけ
せめて夢の中で
狐と踊れ
満員電車の中で
痴漢に遭った
助けを求めたかったが世の中そう都合よく
正義の味方なんていない
バスの中はバスの中で
いちゃついてるカップルがいて
八つ当たり気味に
後ろからシートを蹴った
おでこはニキビだらけ
手首は傷だらけ
せめて夢の中で
狐と踊れ
家にたどり着くと
びしょ濡れの制服を脱ぎ捨て
シャワーを浴び
ファイナルファンタジーを夜までやった
それから薬を飲み
鞄の底から百均で買った
ビニール紐を出し
部屋のドアノブに縛りつけた
おでこはニキビだらけ
手首は傷だらけ
せめて夢の中で
狐と踊れ
風船
今まで
床を這いつくばってきた
塵らなどと、呑気に話していた
唯一の風船が
浮き始めて縁側から飛び出し
私は慌てて鍋の火を止めて追いかけ
空には消えず、屋根の少し上付近で止まった
人工衛星の診断は浮病 浮遊といった喜びではない 燻る横顔の静けさにもない まるでそこに天井が張られ 不可逆に狭窄する 軟膏を塗りなさい どうやって 屋根の少し上を さわるのか
長過ぎる脚立 犬の散歩中 橋台に擬態しているか 密会中か 喧嘩中か 雨宿りだけは違う佇みだった 長過ぎるというのは曲がり角だ 犬と私とで脚立を運ぶ 何件の垣根に穴を空けようか 犬が冗談を吐いて片眉を上げる 縦に持つなど考えられないほど長過ぎた 屋根の少し上の上までの脚立の意外な短かさ
軟膏を塗った 一時間後 雨は降った そもそも風が文字通り船を押している 軟膏の 丸い 染み アレルギー反応として浮き出る真下の土 大地 犬が毎晩掻きむしるようになった 私と脚立の夕立ちのような不眠症
雨が雨で軟膏以外にやりようがあるなら
ひたすらに駆けていたというのに
広々とした晴れの日に湿布を貰って
帰宅するまでに嵐は来る
湿布が役に立たなくなるまで
あの橋から見下ろした記憶が流れ去る
雷が風船を芥に裂いた
湿布の方が面積が大きいと風船に貼れないのだ
説明書に患部が雷で裂けた場合、湿布も雷で裂けばよいなどと
舌は回り
犬に噛み千切らせれば良いなどと、歯が代わる代わる癒着していく
せっせと生活アレルギーの土を掘っているのだ 私 脚立の立ち上がり 風船の一枚一枚よじ登り 細い煙草ではスイカ割りができない 夏は死ぬ 壊れてしまう錨の錆び 泡が無謀に立ち上がり ああ唐突にやはり風は死ぬ 屋根の少し上にまた立ち止まる 脚立に手をかけるとすっかり眠って落ちる雨と雨 雨の中に湿布を投げ込むと犬が持ってくる 穴を持ってくる 素晴らしい穴 もう二度とは掘れない穴 浅すぎる穴は自決したばかりの空間を舐めて また浮く 風船でないもののように
うどんレッスン
強いられて今日もうどんに向かう
拒む術なく望むところでなく
首の廻わらぬわたしのうどんレッスン
サヌキでもイナニワでもなく
三玉百円のうどんパラダイス
春夏秋冬一日三食自業自得の一年中
米に見放された男が毎日おめおめと
(ふざけんな!)
トウフの角に頭ぶつけてうどんパーティー
ロンドンへも香港へもハワイへも行けず
新聞読めず、誰が死んだかも知らず
二進も三進も行かない男のうどんレッスン
云うだけの男が毎食素うどん啜る
奥さん!わたしはうどん男
奥さんの肌より白いうどんをぐつらぐつら
煮込み煮込んで忍耐のうどんレッスン
炎天の道路をピンポン、蚤のごとくに跳ねつづけ
枯葉の噂に猫とひそかに頬被りして逃げつづけ
降りしきる雪を湯気に受けながら
散りしきるサクラを鍋に浮かべながら
啜りつづけても終わらぬ男のうどんレッスン
雲のようにうどんが頭に浮かんで離れない
来る日もわたしはうどんに試される
沸騰したお湯に蠢くうどんと愚鈍な男をぶちこみ
昆布スープと想い出加えてぐつらぐつら
お好みまで煮込んで一丁あがり
奥さん!地獄うどんはいかがです?
いざ、心ゆくまで地獄谷のうどん天国
一味唐辛子を赤い雪のように降り降らせ
真っ赤に染まった素うどん啜り咳き込んで
汗と涙を流して呑み込めば
曲がりくねった無用の労働と、踏み迷った道路が問題なのか
潔く人間やめてうどんになれと云うのか
うどんを毎日食いながら
うどんの真意を理解できないわたしに
毎日支払いの疫病が浸蝕して来る
毎日破産の津波が押し寄せて来る
魯鈍な男のうどんレッスン
寝不足の充血した眼で今朝もまた
うどんと対峙する試練が今のわたしの労働なのだ
今日も今日とて有無を、倦むを云わさず
屋根の上、黒い鳥たちが待機するアバラ屋で
沸騰する忍辱のうどんを啜る
妻はまだ押入の中
正午過ぎまで夢から出て来はしない
これには根強いいわれがあるのであるが
今は勤しめ
うどんレッスン!
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9
横浜駅で電車を降りた。夕方のホームは人であふれていた。凛の父、朝倉和真は人の流れに押されながら歩き、ポケットから携帯を取り出す。画面を見た瞬間、足が止まった。凛からの着信が並んでいる。1件や2件ではない。いくつも続いていた。その下に、見覚えのない番号がある。
和真の心臓が強く打つ。
後ろから肩がぶつかった。
「すみません、止まらないでください」舌打ちまじりの声が飛ぶ。和真は我に返り、慌てて人の流れから外れた。ホームの端にある椅子まで歩き、そこに腰を下ろす。胸がまだ速く動いている。和真はすぐに凛の番号を押した。数回の呼び出し音のあと、凛が出た。
「凛、すまん。今気づいた……どうした」
息がまだ整っていない。
「お母さんが倒れて……今、病院」
和真は言葉を失った。
「え……大丈夫なのか」
「いま先生の説明を聞いてるところ」
凛の声は落ち着いていた。
「どこの病院だ」
「青葉台総合病院」
和真はすぐに立ち上がった。
「分かった。今から行く」
「うん」
通話はそれだけで終わった。和真は携帯を握ったまま、しばらく動かなかった。数時間前の着信が並んでいる。凛はずっと連絡を取ろうとしていた。和真は改札へ向かった。
病院の廊下は静かだった。凛は椅子に座っている。携帯を握ったまま、うつむいていた。和真は凛の姿を見つける。歩み寄る。だが、すぐそばまでは行かなかった。少し離れたところで立ち止まる。
「凛」
凛は顔を上げない。
それ以上、和真も何も言わなかった。
しばらくして処置室の扉が開いた。白衣の医師が出てくる。和真を見る。
「ご主人ですか」
「はい」
「奥様のことでご説明があります。こちらへどうぞ」
医師は説明室の方を指した。
凛は立ち上がる。携帯を握ったまま、二人のあとを歩く。小さな部屋だった。机と椅子があるだけの簡素な部屋。和真と凛は並んで座る。凛はうつむいたまま顔を上げない。医師は椅子に腰を下ろした。
「まず、命に関わる状態ではありません」
和真の肩の力が抜けた。
「ただ、かなり無理をされていますね」
医師は続ける。
「疲労と脱水が重なった状態です。血圧も少し高くなっています」
和真は黙って聞いていた。
「今日はこのまま入院して、点滴を続けた方がいいと思います」
和真は深く息を吐いた。
「そうですか……よろしくお願いいたします。」
それ以上の言葉は出てこない。説明は長くはなかった。
部屋を出る。廊下の空気が戻る。和真は凛の方を見た。凛はまだ顔を上げない。携帯を握ったまま、視線を落としている。和真は少し近づいた。だが、触れはしなかった。
「大事じゃなくてよかったな」
和真はそう言った。
凛は小さくうなずく。
「うん」
それだけだった。
和真は凛の横に立った。
凛は椅子に座ったまま、顔を上げない。和真はその様子を見ていた。疲れているだけかもしれない。今日のことが大きすぎたのかもしれない。それでも和真は、凛の横顔に、どこか違うものを感じていた。和真は廊下に残ったまま、しばらく動かなかった。