投稿作品一覧
咲羽
咲く羽と書いて、さわと呼びます。
大地に落ちた種子が
土の中で十分に栄養をたくわえ
芽を出し
葉を広げ
茎を伸ばし
大輪の花を咲かせた時
枯れることなく
その花びらを翼にして
自分の思うところへ
自分の生きたい場所へ
自由に羽ばたいていけますように
と、つけた名前です。
大地はどこまでも続いていて
空はどこまでも広がっている。
つきなみ怪談 すし詰め
偶には回転寿司もいい。蓮中さんはそう言って握りを口に放り込んだ。意外と剛毅な食べ方をするんだな、と私はガリを噛みながら思った。
「あまりこういう店には?」
「あ、いえ。回転寿司だけでなく握り寿司自体、あまり食べないんですよ。どちらかといえば、押し寿司や柿の葉寿司なんかをよく食べます」
奈良の柿の葉寿司なら私も先日、出張の際に頂いた。葉の匂いが妙に残ってるのが印象的だった。蓮中さんは満員の店内をそっ、と見回して目を僅かに細めて続けた。
「さっき、バスの話がありましたよね」
「あぁ、廃棄予定のバスの中に人がみっしり立ってる……」
軍艦のイクラが運ばれてくる。
「押し寿司って、時間が経つほど馴染むでしょう」
その言葉を聞きながら、イクラを口にする。妙に生臭さを感じて、私は慌てて茶でそれを流し込んだ。
千本桜論
1 読めるか読めないか
作詞作曲・黒ウサ、Vo初音ミクによる「千本桜」の歌詞を以下に読解する。
この歌の解釈は先行事例が多々あるようだが、検索するとくだらない解釈が上位に並ぶ。曰くこの歌詞は解釈できない、曰く意味はない、曰く音で楽しむ歌だ、曰く刺激的な語の羅列である、などというものである。最初にそうした論を否定しておく。
この作品を原作とした歌舞伎は私も鑑賞し、実在する。また、私は鑑賞していないが、漫画、小説、芝居なども存在するらしい。それら二次創作や翻案は、元になった「千本桜」への解釈と鑑賞を実行しなければ存在しないはずであり、したがって千本桜が「解釈することも可能」な詩であることは間違いない。二律背反である。解釈が存在するのであれば、「解釈できない」という説は確実に誤りである。
なお、「解釈することもできるだろうが、解釈はしない。」という鑑賞態度ならば、形式的には存在可能である。ありえねえとは言わん。だが無益だ。何が嬉しくてそんなことをするのか?何も楽しくないではないか?
解釈しない鑑賞は、解釈の不能性を味わうことがあってこその読み方である。解釈不能な作品においては、ときには解釈の不可能さが感動を触発する。それはよい。私もその事は知っている。
だがふつうに意味が読める文字を読まないで、これはただの音の並びです、やあやあ、いかにもきれいなならびですね。ではごきげんよう。などと述べるのはあまり立派な態度とは言えないと私は思う。
2 カタカナで歌う少女
この詩にはひらがなベースの部分とカタカナベースの部分がある。
カタカナベースの部分は少なく、以下4行のリフレインである。
千本桜 夜二マギレ
君ノ声モ 届カナイヨ
三千世界 常世ノ闇
嘆ク歌モ 聴コエナイヨ
これはこの歌の中で何らかの特殊な声を表現したものであり、この曲がVO初音ミクをアテ書きしたものである以上、この部分は人間の感情や認識ではなく、人ならざるものの声なのかもしれない。初音ミクが発話者であることもありうる。仮にこれを初音ミク17歳少女(架空存在・アイドル)が自己の内心を歌っているのだとする。あとから全体を考えて見れば、それが整合性が良い。
するとこれはまた、「君」と呼ばれる者へむけた歌いである。
【君ノ声モ聴コエナイヨ】と歌ってるのはカタカナ少女だから、もう一人の誰かである「君」も歌っている。また、その歌はこの楽曲を構成する一部であり、カタカナ少女(初音ミク)に呼応して、対話のような構成をなしているに違いない。
だからこの歌詞には少なくとも2人の誰かが登場している。
では、上記カタカナフレーズの前後直近で呼応している歌詞は、カタカナ少女に向かって何を述べているか。そこからカタカナ少女が何をしていることがわかるか。
カタカナ少女のリフレインする四行のフレーズに、隙間をあけずピッタリついて歌われる、平仮名少年のフレーズが、以下の五パートある。これら五パートはいずれも、カタカナ少女への呼応であると解釈できる。またいずれもが、依頼または命令の文形で、カタカナ少女への希求・祈りと、応援を表明している。
(1)
ここは宴 鋼の檻
その断頭台で見下ろして
(2)
青藍の空 遥か彼方
その光線銃で撃ち抜いて
(3)
希望の丘 遥か彼方
その閃光弾を打ち上げろ
(4)
ここは宴 鋼の檻
その断頭台を飛び降りろ
(5)
君が歌い 僕が踊る
ここは宴 鋼の檻
さあ光線銃を撃ちまくれ
カタカナ少女は鉄の檻の中にいる。おそらくそれは運命だが幽閉された可能性もある。カタカナ少女が初音ミクなら、鉄の檻(機材)の中にいるのは起動までの初期設定だ。
また、カタカナ少女は囚われて処刑目前だ。断頭台にいるのだから、そのままなら殺されるが、その処刑は見物されている。
これらのフレーズで、カタカナ少女を「君」と呼んで歌いかけている者を、ひらがな少年と呼ぼう。ひらがな少年は、カタカナ少女に対して「君(ミク)が歌い、僕は踊る」と伝える。だからカタカナ少女はひらがな少年(僕と自らを呼ぶ者)の身体を行動・動作へと向かわせるアイドルだ。
彼女は歌っている。少年も少女も鉄の檻に囚われているが、死んではいない。むしろそこは宴である。強制は宴を結果しない。宴は参加者が自ら望んで参加することで発生する。
ひらがな少年は千本桜の夜に紛れている。そこには多数の桜が存在し、その一部がひらがな少年だ。桜の多くはカタカナ少女の処刑を見物しているのか、そうではないのかだが、ひらがな少年は処刑に同意していない。
ひらがな少年はカタカナ少女に断頭台から飛び降りろ、と歌いかける。
逃げろ、殺されるな、自由になれ、というのだ。
処刑場で反乱を起こす断頭台上のアイドルである、カタカナ少女に、ひらがな少年が期待する戦闘行為は、3通りである。
(1)青空の彼方を光線銃で撃ち抜くこと。
これは軍事衛星などを破壊する行動である可能性があるが、非・戦闘員を直接殺害する行為ではない。
(2)閃光弾を打ち上げること。
閃光弾とは、暗闇などを光で照らし、敵を発見する武器。対人の殺傷兵器ではない。
(3)光線銃で撃ちまくること。
これは殺戮である可能性があるが、そのような銃は作詞時点で実戦投入されていない。だから(1)とともに隠喩(歌による敵の無力化)である可能性もあるし、殺害するとしても、断頭台から飛び降りた直後であるから、逃げるという目的にとっては必然的な犯罪と言えよう。
この歌詞を暴力的であるとする解釈も可能かもしれないが、カタカナ少女に歌いかける部分で述べられている言葉を、たとえば無名の人に無差別大量殺人を呼びかけるアジテーションと解するのは、相当な無理があると私は思う。
ともあれ、カタカナに着目するだけで、すくなくとも一人の生贄なりかけ少女(上述のカタカナ少女)と、それに歌いかけている少なくとも1人の死刑反対者が読み取られた。
3 平和国家日本
詩でも小説でも、状況は最初に決定する。
優れた文芸作品では、登場人物は最初から動作しなけばならないし、物語は説明される前に始まらなければならない。したがって状況説明は多くの場合に冒頭ではないが、作中世界の枠組みと登場人物たちの足元は最初から暗示されていて、導入が終わる前半まではそれがぶれてはならない。
「千本桜」の最初のスタンザで提示されるのは、
・磊落と見える平和国家
・日本製二輪車
・悪霊退散のおなじないのようなICBM
・戦国時代のような状況で無敵を示している少年と少女
である。
私は断固たる反戦主義者であり、あらゆる戦争に絶対に反対だが、上記四点を状況として描くことに違和感はない。ましてや上記の提示をもって好戦的だと述べるとすれば、それはリアリティにかける状況認識であると言えるだろう。
平和国家であることは人類の最前線での知的戦いであり、もちろん楽でも簡単でもない。
日の丸が商標にすぎないのであれば、それを愛そうが嫌悪しようがどちらでも好きにすれば良い。どちらも同じように無意味でくだらない。
大陸を飛び越えるアメリカのミサイルが、中国やロシアの脅威をなんとかしてくれるなど、呪術並みに非現実的だ。
そうであることが快適だとは言わないが、国土が戦場になっている国よりましであり、他国の住宅に絨毯爆撃したり、あろうことか学校にいる女の子をピンポイントで殺害して笑ってる愚劣な連中よりはまだ人間的であるし、どの時空で何を戦っているのか私が知らない少年と少女に、彼らの物語が進行していることもわかっている。
わかったうえで私は絶対的・原理主義的な反戦主義者なのであり、このサイトで別の散文により言及した平塚らいてうも、濹東綺譚の永井荷風も、同じ意味で反戦主義者のカラマートである。
4 この国はだれのものか
マルクスは資本論においてやや難解な地代論を述べた。
価値とは畢竟労働が姿を変えたものであるから、労働時間と賃金は差し引きする項目で修正の上では、等式で結ばれるという労働価値説はわかる。生産手段の独占や特定階級の投資・再投資による搾取が資本主義のシステムであることもわかる。受給曲線も剰余価値説もちろんわかる。だが、地代というものは何百年の大論争を経済学者たちがやったあとでも、やはり実感として私には納得できないものである。なんとなくおかしいではないか。土地は人間が作り、作った人が販売するものではない。基本的には自然が作ったものだ。なのになんで土地にお金を払わねばならない。
柳田国男は土地はそこにいる者たちのモノだ、という捉えかたをした。
彼はそこにいる者たちを当初農民ととらえたが、後にはよりひろく、すべてのなりわいに拡大して、常民と呼んだ。
その後の彼のロジックを私は未理解なのだが、結果的に彼は、死者や妖怪も「民」に含めた。ものすごくぶっ飛んでいて、ものすごくしっくり来る考え方だ。
都会にも田舎にも幽霊の出るとされる場所はあり、すくなくとも当面はそこには人が住めないので、伝説と死靈が占有している。保護されている禁断の場所も、神聖視されている場所もある。妖怪もアニメなどのなかに姿をかえつつ、それでも消滅しないし、しばらく前のコロナの時にもなんだか見慣れぬ姿絵が流行った。演劇に登場してもらう場合は、お岩さんには今でも礼拝は行われる。お墓も青山や六本木ですら守られている。
地代なんて変であり、土地は、そうした非実在存在や過去に生きた死者もふくめて、みんなの物なのが本当なのだ。
いっぽう、インターンネットの普及は、すべてを情報化する方向に進んだが、これは現実の土地と存在者を切り離す面もあった一方で、怪異と生者を等価にながめる、未来のAIの視点を我々に近づけている。それは当然人外の視点だから、人間のうち資本家や支配者と呼ばれる地位の者たちの、あやふやな感性やあやしげな説明に縛られるはずもない。必然的な変化として、我々は死者と生者と怪異と神聖のうち誰かの特権をもはや信じていない。そしてアーカイブはそれらを同じ電気信号で記憶して蓄積していく。
文芸仲間と東京を文学散歩すれば、白虎隊隊士の戦闘の跡を寺社にふつうに見かけるだろうし、新宿では江戸時代に行われた牛裂き刑場のあとを見かけ、池袋には魔辻がある。関東大震災や東京大空襲の莫大な数の死者は、まだ眠ってるかどうかわからない。
戦国の少年武士や巴御前が戦場をかけるのは、初音ミクが異空間でみかけた風景であってなにも不思議はないではないか。
この国は民主主義の原理から言えば、政治的には国民のものであるが、叙情空間を描写するとなれば、それだけに限定して状況を設定しなければならないわけでもない。
千本桜は、千年桜ではなく千本桜として作詞され、歌われる。
あるひとはこれを横への空間の拡がりや多数を暗示ないし示唆するものと指摘したが、私も同感だ。この歌では時間と空間が拡張されて状況設定されている。私はその世界観に異論はないが、それが一部のひとには難解さに見えているのではないだろうか。
5 サーガ千本桜
以上を踏まえ、破綻しておらず歌詞と矛盾しない物語としての千本桜を述べることは、私にも可能であるが、考えてみればそれをここで詳述する必要はないように思えてきた。
これは軍国主義や固定観念により捕縛され、処刑されようとしている少女が解放され、精神世界の革命少女として活躍に至る物語であり、過去すべての民と英雄と怪異が参加する宴の歌である。と、いえば十分ではなかろうか。
ここで筆をおく。
大日本女王帝國相撲奇譚(後編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
大日本女王帝國相撲奇譚(後編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
6
「おらぁッ!」
泥土を蹴る鈍い轟音とともに、火花が散った。
学校から離れた寂れた空き地。赤く染まる夕焼け空の下で、川上泰子と敷島柳一郎の秘密の結界の内側の世界は、数ヶ月前とは全く異なる光景へ、変貌を遂げていた。
川上泰子の突っ張りをまともに食らい、無様に泥まみれになっていたヒトマルの代わりに、そこには新しいロボットが立っていた。
全高約二メートル。人間の骨格を無骨に模した、鋼鉄とジャンクパーツの塊。人間が搭乗して操縦する必要はない。遠隔操作が可能だ。
僕は物置にこもった。父は戦車部隊の基地の整備士である。めったに帰宅しない。一人の時間は、いくらでもあった。独学のロボット工学の知識のすべてを、注ぎ込んで作り上げた。相撲特化型ロボット、通称『人丸二号』だ。
「泰子、出力を四〇パーセントに上げる。耐えて」
僕は古いノートパソコンのキーボードを叩いた。有線で繋がった『人丸二号』に指令を送る。
『人丸二号』の駆動系は、もともとは大日本女王帝國の軍部が、敗戦後に極秘裏に廃棄した「軍事用重作業外骨格」の試作物だ。
ジャンク屋の奥底で見つけた。残骸を、僕は数ヶ月かけて、一度は、すべてを分解し設計図を作った。また組み立てながら改造を加えていった。
相撲の基本動作である。突き、押し、寄り、立ち合いの衝撃を吸収する油圧システムを組み替えた。
さらに僕は、体育の授業や放課後の相撲道場に、毎日、崇拝者を装って入り込んだ。ワイシャツの胸ポケットの万年筆を装ったカメラで撮影した。金子小百合をはじめとする、重量級力士たちの立ち合いのスピード、重心の移動、突っ張りの角度等々を記録した。
膨大なデータを徹夜で数式化した。『人丸二号』の制御プログラムへ叩き込んだ。
「こい」
泰子が鋭い目つきで腰を落とす。腰は、深く静かな海の藍色の回しが、がっちりと固めている。
ドンッ!!!
金属と肉体が激突する。すさまじい衝撃音が、空き地に響き渡る。
『人丸二号』の重量は、内蔵された廃車用の鉛バッテリーを含めて、約四百キロ。山のような金子小百合とほぼ同等の質量だ。
泰子は鋭い踏み込みで『人丸二号』の懐に潜り込む、鋼鉄のフレームに頭を当てる。下から押し上げる。
『人丸二号』の油圧シリンダーが、ギチギチと悲鳴を上げる。モーターが駆動する。泰子を押し返そうとする。
「くうぅぅ」
泰子の巨大な殿筋。回しが谷間に食い込む。引き締まった太ももの筋肉が、はち切れんばかりに膨らむ。逞しいひらめ筋が支持する。アキレス腱は強靭だ。額に大粒の汗が浮かぶ。風に吹き飛ぶ。夕日にきらめく。
男性ならば、一瞬で圧殺されるであろう四百キロの質量と機械の剛力。それを相手にしても、泰子は一歩も引かない。いや、引かないどころか、低く、低く潜り込み、重心をコントロールしようとしていた。
「はぁぁぁぁ」
泰子の短い気合とともに、鋼鉄の巨体が泥の土俵から、わずかに浮き上がった。すかさず泰子は、右足を前に踏み出す。『人丸二号』のフレームを巻き込んだ。泥の上へ。鮮やかに。寄り切った。
ドスン。地響きを立てて『人丸二号』が土俵の外へ倒れ込む。
「やった」
僕は膝の上のパソコンを放り出した。泰子へ駆け寄る。
泰子は肩を激しく上下させている。荒い息を吐いている。乳房が揺れる。
僕を見て、にこっと破顔した。
「すごいよ、泰子。今の寄り切り。ロボットの出力は、金子小百合さんの最大推定筋力を再現していた。それを無効化して、浮かせたんだ」
「うん、ありが、とう。君の『人丸二号』のおかげだよ」
泰子は顔と両脇の汗を、手ぬぐいで拭った。倒れた鋼鉄の力士を見つめた。
「ヒトマルじゃ、どんなに頑張っても、私の全力の練習台には、なれなかったもんね。でも、敷島柳一郎君が、『ヒトマル二号』を作った。私は毎日、四百キロの化け物と、戦い続けた。金子さんの重さが、もう、怖くないよ」
数ヶ月間、僕たちは狂ったように稽古を重ねてきた。女子の巨大な肉体に、男子の貧弱な肉体では立ち向かえない。大日本女王帝國の絶対的な真理だ。
しかし、僕の知力と泰子の努力が結びついたとき、僕たちは不条理な世界のルールを、書き換えつつあった。僕の作ったロボットは、巨大女子の怪力を超えるパワーを出せる。泰子が相手にする。体格差を凌駕する技術を身につけた。
「もうすぐ文化祭だね」
泰子が腰の藍色の回しを愛おしそうに撫でながら言った。
青猫山学院大学付属学園の文化祭で開催される『秋季御前模範相撲大会』。全校生徒だけでなく、地域の大物や、時には中央の役人までもが見学に来る。一年で最も重要な行事。晴れ舞台だった。
「うん。金子小百合さんを倒して、川上泰子が一番強いって、みんなに証明しよう」
「約束、果たすよ。私の藍色回しで、相撲の世界を変える。敷島柳一郎君のロボットと一緒にね。そのためには、もっともっと練習しなくちゃ。金子小百合さんだって進歩している。対応できるようにしなくちゃ」
僕たちは夕焼けの空の下、固く拳骨を合わせた。
文化祭が近づいたある日の昼休み。佐藤菊彦が不審そうな顔で、僕の顔を覗き込んできた。
「柳、最近、なんか変わったよな」
「え、何が」
「何がって、上手く言えないけどさ、前みたいに、風紀委員の女子の男子を監視する目が、チカチカ光る場所でも、小さくなって、おびえていないっていうかさ。あと、その手の豆、どうしたんだよ。鉛筆の持ちすぎにしちゃ、物騒な手のひらだな」
佐藤は鋭い。『人丸二号』の重いフレームを毎日いじり、泰子の突っ張りを受け止めさせるために、整備を続けてきた僕の手は、自分でも気づかないうちに変わっていたのだ。
「ただの、悪あがきの成果さ」
僕は、はぐらかした。佐藤は「ふーん」とだけ言って、校庭の相撲道場に目を向けた。横顔には、いつも通りの批評家の冷徹さとは違う、少しだけ僕を羨むような、寂しそうな色が混ざっていた。
7
文化祭当日。
学校の体育館は、普段の厳粛な雰囲気とは一転し、色とりどりの提灯や幕で彩られた。異様な熱気に包まれていた。
男子生徒たちに許された観客席の板張りには、すでに大勢の観客がひしめき合っている。政治も。経済も、文化も、国技も女子のもの。男子は、ただ静かに見守るのがルールだ。が、今日ばかりは、男子席も含めて、会場全体が興奮に揺れていた。女子の巨大な肉体から発散される熱気と青春の体臭が濛々と満ちていた。
名勝負が相次いだ。白熱していた。
「東、金子。西、川上」
女性行司の朗々とした声が、体育館に響き渡る。割れんばかりの歓声が沸き起こった。
ついに迎えた決勝戦。
東の花道から現れたのは、現王者の金子だ。今日の彼女は、文化祭用に新調したという、金糸で豪華な刺繍が施された、ド派手な紫色の回しを締めていた。明らかにからだが大きくなっている。巨体は、四百キロに迫るだろう。一歩一歩を踏みしめるように歩く。土俵のある体育館の厚い床も、みしりと音を立てる。
対する西の花道から、泰子が入場してきた。
周囲の派手な演出など、どこ吹く風。泰子は、あの深く、静かな藍色の回しを締めている。無駄のない引き締まった体躯だ。悠然と土俵へ上がった。
その姿は、絢爛豪華な大輪の薔薇の花園に咲く、凛とした一輪の花だった。
「おい、やっぱり体格差が、違いすぎるよな」
「川上も、よく残ったけど、金子のあの質量には、勝てっこないよ」
隣の佐藤菊彦をはじめ、周囲の男子生徒たちが小声で囁き合う。だが、僕だけは知っていた。泰子がこの数ヶ月間、どれほど過酷な鉄の重圧に耐えてきたかを。
二人が土俵の中央で向かい合う。
金子小百合は川上泰子を見下ろした。ふん。鼻で笑った。
「相変わらず、地味な回しね、川上さん。あなたの小細工が、私の体重に通用しないって、まだわからないのかしら」
泰子は何も答えない。ただ、深く静かに、ちりちょうずを切った。仕切り線に、綺麗な手を下ろした。
瞳には不安や迷いは微塵もない。あるのは、ひたすらに磨き上げた勝負師の光だけだ。
見合って、見合って。
「はっけよい、のこった」
ドンッ!!!!
体育館の空気が爆発した。凄まじい衝撃音が轟いた。
金子小百合が、人間の山の身体を震わせながら、強烈なぶちかましを食らわせて文字通りきた。
川上泰子が、文字通り吹き飛ばされるのを見た、とだれもが思った。
しかし、違った。
金子の突進を受け止めた。その瞬間、泰子の身体は、驚くほど柔らかく沈み込んだ。
『人丸二号』の最大出力と千変万化する技を、何度も受け流してきた泰子だ。金子の直線的な立ち合いは、予測可能な軌道にすぎない。
川上泰子は、金子小百合の猛烈な突っ張りを、絶妙な手いなしで、左右に受け流した。金子の巨大な腕が、空を切り裂く。勢いのまま、巨大な乳房から、前方の空間へのめり込む。
「なっ」
金子小百合の顔に、初めての焦りの色が浮かんだ。
その一瞬の隙を、泰子は見逃さなかった。
さらに低く潜り込んだ。金子の太い紫色の回しに右手をかけた。上手をがっちりと引いた。
「おおおおおッ!」
短い気合とともに、自らの全筋肉を駆動させる。
ここからが、秘密の特訓の成果だ。
川上泰子は、単に力で押すのではない。金子の巨体が、前傾姿勢になった。その瞬間、その重さそのものを利用した。下から巻き上げる。重心を浮かせた。
四百キロを超える金子の身体が、一瞬、完全に宙に浮いた。
「嘘、私が」
金子小百合の悲鳴が響く。
泰子は逃さない。一歩、また一歩、確実な足取りで、土俵の縁へと金子を追い詰めていく。足元は、学校の清められた白砂を深く踏みしめている。揺るがない。
「いけぇぇぇぇッ」
僕は不謹慎の掟を忘れた。大声で叫んでいた。周囲の男子生徒たちも、その圧倒的な技の美しさに圧倒され、思わず立ち上がっていた。いつもなら血相を変えて飛んでくるはずの、女子の風紀委員たちも、女性体育教師たちも、このときばかりは男子の不謹慎を咎めることすら忘れていた。土俵の上の奇跡に目を奪われている。
規律という結界が、川上泰子の紡ぐ純粋な技術によって、内側から崩れていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
泰子の最後の咆哮。
引き締まった身体から放たれた爆発的なエネルギーが、金子の巨体を土俵の外へと、鮮やかに、寄り切った。
ドォォォンッ!!!
金子小百合の巨体が、土俵の外の白砂に転がった。派手に砂が舞い散る。
一瞬の静寂。
体育館の天井が崩れるかのような、凄まじい大歓声が、沸き起こった。
「おい、柳、見たかよ、ただ投げたんじゃねえ、あいつ、体重差という絶対のルールを、消し飛ばしやがった」
隣を見る。冷静で批評家気取りだった佐藤菊彦が、涙目で僕の肩を激しく揺さぶっていた。男子の応援禁止のルールなど完全に忘れていた。喉が張り裂けんばかりの声で、泰子の名を叫び、誰よりも激しく、拍手を送っている。
「ひっくり返せるんだな、おい。男子だって、川上みたいにやれば、何かを変えられるかもしれないよな」
赤く上気した顔で叫ぶ。佐藤の瞳に、あきらめの色はもうなかった。彼だけじゃない。周囲の男子生徒たちの目にも、今までにない熱い光が灯っていた。
「そこまで、 川上の勝ち」
行司の軍配が、西の川上泰子へと掲げられた。
優勝だ。
川上泰子は荒い息を吐きながら、土俵の中央で静かに一礼した。藍色の回しは、激闘の証として、白砂に汚れていた。だが、その姿は会場の誰よりも、そして歴代のどの女横綱よりも、美しく輝いていた。
僕と佐藤は、歓喜の渦に湧く体育館から一歩外へ出た。行く手を阻まれた。三方を制服の紺色のスカートと、セーラー服の高い紺色の胸に囲まれていた。出られない。肉体の檻に入れられた獲物だ。幽閉されていた。そのまま、しばらく見下ろされていた。男子に圧倒的な女子の威圧感を植え付ける時間だ。僕と佐藤は、猫ににらまれたネズミだった。身を縮こまらせるしかなかった。
「おい、そこの男子二人。ちょっと面を貸しな」
声をかけてきたのは、腕章を巻いた風紀委員の女子生徒たち三名だった。優に二百五十キロは超える堂々たる体躯。制服の上からでも分かる、分厚い胸板と丸太のような腕。
薄暗い体育館の裏手へと連行された。僕たちは冷たいコンクリートの床に正座させられた。足元の黒いローファーは、五十センチ以上の大きさがある。僕たちの胴体など簡単に覆い隠せる。踏みつぶされたら命がない。白い靴下に包まれた足首でも、僕たちの太ももよりも太さがある。スカートの中が今にものぞけそうだ。しかし、圧倒的な畏怖に視線をあげることもできない。高く突き出たセーラー服の胸の向こうから、小さな顔が見下ろしている。見上げるほどに巨大な女子生徒たちが、僕たちを冷徹な目で見下ろしている。
「決勝戦のとき、ずいぶんと大きな声で騒いでいたよね。男子席から立ち上がって叫んでいた不謹慎な奴らがいたと、何人もの女子生徒から、報告が上がっているよ」
風紀委員長の上級生の中でも特に長身の女子が、その体躯に見合う低音で吠えた。太い指先が、僕と、そしてまだ興奮の残る顔をした佐藤を、交互に指差す。人差し指だけでも、男性警察官が持ち歩く、警棒のようだ。
「伝統ある御前相撲の神聖な結界を、男子の汚い声で汚すとは、何事ですか。分を弁えなさい。あなたたち男子に許されているのは、表舞台で輝く女子を静かに見守り、社会の歯車として慎ましく生きることだけのはずです」
ドスン。
彼女は、怒りに任せてコンクリートの壁を拳で叩いた。古い建物全体がみしりと震えた。僕たちの心臓は、跳ね上がってしまう。
「す、すみません。川上さんの技が。あまりにも凄くて、つい」
佐藤が震える声で、弁明をしようとした。
「女子に、口答えするな」
一喝にかき消された。しばしの間があった。
「まあ、今回は、川上泰子さんの初優勝に免じて、特にお咎めなしに、してあげるけれど、次はないからね。反省文を原稿用紙十枚、明日の朝、生徒指導室へ出頭し、提出しなさい。分かったら、さっさと行きな。身の程知らずな、男子生徒の悪あがきは、こっちが見ていて、見苦しいだけだよ」
下級生の風紀委員の女子生徒たちからも、鼻で笑うような冷たい視線を浴びせられた。僕たちは、何度も頭を下げて、その場を離れた。
校門を出る頃には、僕たちの足は恐怖の残滓で、ガクガクと震えていた。生徒指導室は、恐ろしい場所だ。指導と称して折檻される。男子はズボンもパンツも下ろされる。女子の膝にうつ伏せに寝かされる。片手を背中に乗せられる。それだけで、身動きできない。自由な方の巨大な手で、お尻をぶたれる。本当に泣くまでは、止めてくれない。
「クソ、やっぱり、何も変わってねえや」
佐藤が悔しそうに、地面の小石を、力なく蹴った。いつもの冷めた批評家の顔に戻ろうとしている。だが、その拳は固く握りしめられたままだ。
「でもさ、佐藤。僕たちの声は、確かに、あの体育館に響いたと思うよ」
僕が言うと、佐藤は一瞬、驚いたように目を見開いた。
「お前、本当に、図太くなったよな」
小さく苦笑した。
理不尽なまでの肉体の格差。男子を縛り付ける強固な社会のルール。川上泰子が、金子小百合を投げ飛ばしたくらいで、すぐには変わりはしない。
けれど、僕の胸の奥にくすぶる炎は、風紀委員たちの威圧感によって消されるどころか、ますます激しく燃え上がっていた。肉体の壁がどれほど厚くとも、知力とテクノロジーがあれば、いつか巨大な権力構造そのものをひっくり返せる。僕はポケットの中で、自作ロボット『人丸二号』の起動スイッチの感触を確かめた。
8
文化祭の喧騒が去り、夜の帳が下りる頃。
僕と川上泰子は、いつもの空き地にいた。
泰子の手には、ピカピカ光る優勝カップが握られている。
「本当におめでとう、泰子。最高に格好よかったよ」
「ありがとう。でもね、これは、私一人の、勝利じゃないよ」
泰子は優しく微笑み、空き地の隅に佇む『人丸二号』へ歩み寄った。そして、鋼鉄の腕にそっと触れた。
「君が『人丸二号』を作ってくれて、毎日、一緒に戦ってくれたから、私は金子小百合さんに勝てたの。このカップは、私と、君と、この子のものだよ」
僕は胸の奥が熱くなるのを感じた。
大日本女王帝國。男子は小さくなり、女子がすべてを支配する世界。
けれど、僕たちは自分たちの力で、その不条理な壁のひとつを突破したのだ。川上泰子は不利な体格を技術で超えた。僕は男子という制限を知力とテクノロジーで超えた。
「ねえ、敷島柳一郎君」
泰子が優勝カップを地面に置き、僕の前に立った。
夕暮れは終わり、夜空には満天の星々が輝き始めている。初夏の心地よい夜風が、泰子の黒髪を揺らした。
「私、今日、確信したよ。体格の壁は超えられるって。だから、次の約束も、絶対に果たしてみせる」
「次の約束」
「うん。私はもっと強くなって、いつか本物の女力士になる。そして、伝統だらけの相撲の世界に、新しい風を吹かせるの」
泰子は、僕の手をそっと握りしめた。その固い手は、鉄砲柱を叩き、ロボットと戦い続けたせいで、豆だらけだった。けれども、驚くほどに温かかった。
「敷島柳一郎君も、世界を変えるロボット、作ってね。今日、私の相撲を見てくれた人たちの中に、中央の技術工廠の人がいたの。川上泰子の練習相手のロボットを作った凄い男子生徒がいるって、私、たくさん自慢しておいたからね」
「えっ、本当に」
「本当だよ。だから、近いうちに君の頭脳が、必要とされる日が、必ず来る。社会の歯車なんかじゃなく、未来を創る開拓者としてね」
僕は夜空を見上げた。
諦念に満ちていた、この国の星空が、今はどこまでも広く、可能性に満ちあふれているように見えた。
人間の力を超える人工の肉体。それを僕が作り、川上泰子が女子相撲の先頭を走る。僕たちの進む道は、この国の歪んだ男女のあり方さえも、もっと対等で、もっと素晴らしいものへと変えていくかもしれない。
「うん、約束だ。僕は僕なりのやり方で。川上泰子が、高く飛ぶための未来を作るよ」
「ふふ、期待してるね」
泰子は僕の隣に腰を掛けた。夜風に黒髪をそよがせながら、嬉しそうに藍色の夜空を見つめた。
ふいに、泰子が藍色の夜空から視線を巡らせ、僕の顔をじっと見つめた。
「ねえ、ちょっとこっち向いて」
「え、ん」
言われるがままに、顔を上げた。泰子の大きな、温かい両手が、僕の両頬をそっと包み込んだ。
鉄砲柱を叩き続け、ロボットと戦い続けた彼女の手のひらは、豆だらけで硬い。僕の顔が、すっぽりと隠れてしまいそうなほどに巨大だ。風紀委員の女子に睨まれたときは、恐怖でしかなかった圧倒的な質量が、今は不思議なほど心地よく、僕の体温を奪っていく。
「さっき、風紀委員から、指導を受けたでしょ」
泰子が少し申し訳なさそうに、眉を下げて囁いた。吐息が、初夏の夜風に混ざって、僕の鼻先をかすめる。試合後にシャワーを浴びたのだろう。シャンプーの甘い香りと、昼間の激闘の名残である清らかな汗の匂いが、至近距離で僕を包み込んだ。
「女子に聞いたよ。私のためにルールを破って、叱られちゃったって。ごめんね、私のせいで」
「ううん、僕たちが、勝手にやったことだから」
僕は彼女の手のひらに頬をうずめた。
「泰子の綺麗な相撲を見たら、声を出さずにはいられなかったんだ。反省文なんて、いくらでも書くよ。泰子が勝ってくれたことに比べたら、生徒指導室なんて、痛くも痒くもない」
「柳一郎君は、本当に強いね」
泰子は愛おしそうに目を細めた。包み込んでいた手を、ゆっくりと滑らせた。僕の首の後ろへ回した。
引かれる力に抗う術を、男子の僕の肉体は持っていない。僕の身体は泰子の豊かな胸元へと引き寄せられた。
ドン。僕の薄い胸板が、彼女の鍛え上げられた巨大な肉体と接触した。体育館で見た激しい激突ではない。僕という存在を包み込む。柔らかくて圧倒的な生命力の抱擁だった。
耳を澄ます。女相撲では、二百五十キロの川上泰子は、小兵だったが、それでも、僕の体重の五倍はある巨体だ。日夜、活動するための力強い心臓。僕の耳の骨へと鼓動が直接に響いてくる。
「泰子」
「ん。ちょっとだけ、このままでいさせて」
泰子は僕の背中に大きな腕を回した。小さな子供をあやすように。優しく抱かれた。
「この国ではね、女子は、いつも、強くなきゃいけないの。弱音を吐いたら、すぐに、誰かに、寄り切られちゃう。でも、君の前でだけは、私はただの川上泰子でいられる。敷島柳一郎君の凄い頭脳と、優しい心の前にいるときだけ、私は、大きくなくても、別にいいんだって、そう思えるの」
背中に回された泰子の指先が、かすかに震えていた。女力士として世界を変えると誓った少女が、僕の胸の中でだけ、筋肉の重い鎧を脱ぎ捨てていた。泰子はやわらかくやさしかった。
僕は彼女の大きな腰の、藍色の回しの結び目に、そっと手を添えた。力では到底敵わない。けれども、僕のこのか細い腕も、また、彼女を支えるためにあるのだ。熱い肌を通じて確信していた。
泰子が、ゆっくりと腕の力を緩めた。僕たちの身体が離れる。
見つめ合う二人の口の間の距離は、数センチメートル。泰子は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。でも真っ直ぐな瞳で僕を見つめた。
「私の、初めてのキスを、あげる」
そっと唇を重ねてきた。驚くほど柔らかく、夜風のように優しかった。
大日本女王帝國。男子は小さくなり、女子がすべてを支配する世界。
けれど、僕たちには、社会が強いる役割なんて、関係がない。
僕の手元には、未来を書き換える『人丸二号』がいる。僕の隣には、世界で一番美しくて強い、僕だけの女力士がいる。二人とロボットは、限りない土俵の上を、手を取り合って歩んでいく。
川上泰子が強靭な足腰で踏みしめる土俵の砂を、敷島柳一郎の作った鋼鉄の足が共に踏み鳴らす。知性と肉体が対等に手を取り合う。新しい未来が、寂れた空き地から始まろうとしていた。
大日本女王帝國相撲奇譚(後編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
(了)
全編 完
モンスーン
ある日髪をといていたら
ぱさりとこころが抜け落ちた
ある日歯を磨いていたら
ぽろりとこころが転げ落ちた
ある日くしゃみをしていたら
あちこちこころが飛び散った
ある日鼻からぽたぽたと
こころが流れて落ちてきた
砂のように粉々に
砕けたこころの欠片たち
ある日空へと舞い上り
すべてモンスーンに攫われ消えた
ゆびきり
待宵草さん だれを待つ
綺麗なお着物身にまとい 涼しい時間にうつむいて 恥ずかしそうに笑ってる
君たち君たち あたしはね 月見草ではないんだよ
あたしのお着物は お月さまの雫で出来ている
だからよく間違えられるのさ
それはお勉強して知っている
ねぇねぇ答えて だれを待つ
淋しい夕に 清しい朝に だれも来ないようにも見える
君たち君たち 知ってるの あたしの正体知ってるの
お星さまでできた色 織り成す夢が作ったお花
うんうん とってもステキだね
そう言うとおひさまキラキラ輝いて
待宵草さんおしゃべりやめた
待宵草さん、待宵草さん また明日
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帰ってきたヨッパライ
夜明け時、地上に根を下ろす花が、真夏の海岸で眠る酔っ払いの夢の中に現れてこう言いました。
「私は、花。この地上いっぱいにロマン咲く。雌蕊が受粉して実をつけ、花を咲かす。そこに本当のロマンやセンチはないの。でも、そんな私を見て歌を書くものがいる。それが、ニンゲン」
それを夢の中で聞いた酔っ払いが、こう呟きました。
「花じゃ、ダメだあ。ともに手を繋ぎ、話さないとお」
そこへ、一羽のカモメが、空から降りてきてこう言いました。
「私は、鳥。雨の日は、灰色の空を飛ぶ。空を飛ぶのは夢ではなく、日常。
決められた軌道に沿って飛ぶ流れに乱れはなく、上手くいっている時、私は飛ぶマシーン。
でも、そんな私を見て憧れを持つものがいる。それが、ニンゲン」
すると、目を覚まし開けて、それを聞いた酔っ払いがこう言いました
「鳥じゃあ、だめだあ。地に足をつけ、歩かないとお」
砂浜に流れ着いた石ころが、酔っ払いにこう語りかけます。
「私は、石。道端に落ちているオイラは決して、頑固者なんかじゃないのさ。
海を流れ波に揉まれ、流れ流されてここまできた。しかし、そんな私を見て魂を感じる存在がいる。それが、ニンゲン」
それを聞いた酔っ払いは、朝明の中で、こう答えます。
「石じゃあ、ダメだあ。心身体開き、笑わないとお」
ヨッパライが、帰ろうとしながら海をぼうっと眺めていると、海がこう語りかけます。
「私は、海。粒としての集合体として、動植物に場を提供している。そんな神として場を与える私に深く感謝とともに、畏敬の念を唱える存在がいる。それが、ニンゲン」
それを聞いた酔っ払いは波の流れに身の危険を感じながら、心の中で、こう唱えました。
「海じゃあ、ダメだあ。狭き世間を泳ぎ、渡らないとお」
ぼうっと、空を見上げながら正気へと帰りつつある酔っ払いに、空がこう語りかけます。
「私は、空。下界へと広がりながら。地上に風を送り海を作り、人々を応援する。貴方たちが輝けるように私は地上に楽園を作った。そんな私に対し、目を背けるものも、いる。それも、ニンゲン」
それを聞いて酔っ払いは、ハッと目を覚まし、我に帰るとこう語りました。
「空じゃあ、ダメだあ。日常へと帰り、働かないとお」
うた
うたはお遊び、欲望の塊
不穏な夜空に、お星さまキラリ
不満我慢忍耐の嵐
警察出動 導火線爆発
堪忍袋の緒が、切れる
延々と続く日常の中に、革命をひとつ
うたはまさしく、正当な宴
時に淫らで哀れな、無礼講
人として生きるために、耐え忍んだ日々よ
延々と続く日常の中に、理想と夢をひとつ
うたは時に、寂しくアウトロー
鳴かず飛ばずの、人生失敗
後悔無念 住民侮辱罪
吹けよ風、呼べよ嵐
生麦生米生卵
延々と続く日常の中に、主権実権をひとつ
うたは任せて、芸術の卵
オイラ、ひよっこ 鳩鶏こっこ
野球をするなら、こういう具合にしやさんせ
明けの宵、永遠の宵、ヨヨイノヨイ
つまり、人生夢物語と
延々と続く日常の中に、アイデアをひとつ
うたは、ディズニー
鳥として空を飛ぶための、仲間たち
深く不覚、遺恨の念の時を過ぎ
いつかは出逢える同志、友よ
自覚他覚 我死んでも、心は死なず報われる
視覚錯覚 聴覚味覚
延々と続く日常の中に、アナログとしての自意識をひとつ
うたは、公平 哀しき玩具と
誰のもとにも訪れる、希望無念光
落雷瞬間殺気異論のち、反論
終わらない夢の中に、覚醒をひとつ
うたは、妄想
絶え間なき、焦燥感
我ユーモアと儚き一生を懸命に生き
終わらない日常の中に、いつかは死がひとつ
海から山の暮らしへ(短歌集)
燕とびかう旅から旅へうつったが辿りついたは浜辺のベンチ
しばし逢えますまい木の芽をにぎりうしろの女へ告げているわれ
歩きぬく水音のもと下っては光りあふれる海へ出るまで
山深くふきのとうこれ咲いていてみるも無残なわれ影となる
山しづかそして笠ぬぐひとりとてやましい歌とおもいつつ諳んじ
まこと山国、山なみの中のまれつつつ苦しい肺より歌ふきにけり
あすはかへろうみどりのさくらながめつづけて日の暮れるなり
柿青く住めばこころの充つ家の青い柿の実ながめつづけて
みごもってよろけるいもの手をとって二人で歩むという夢をみる
これまでにいたところへと行くだけで震撼なぜ死をおそれるわれか
月影のいつかあの月影になるわれはこのよわいにし詩を書きつめる
遺された二つほどだけ熟柿となり雲のゆききに風のゆききに
誰も来ない日とうがらし青く草ぐさの中ひとり見つめて
病めば梅干し赤さ気にしてご飯の湯気がふうっと立って
なんぼう考えてもおなじ事わかりつつ諳んじる牧水一首
こよいもはたらくみんなにして青田の傍をぞくぞく歩む
おちばふかく水を汲んではその水を飲んで呟く「悪人正機」と
寝ては起きては仕事をしてはただふりしきる葉のふりしきり
ひとを待ち缶々の中燃える火がまるであなたを待つようである
そこに茶店がそうして席に腰を落とす空瓶活けた菊の花あり
お日様がのぞきたまいし縁側に横になってはすやすや寝顔
悔いるこころ罪あるゆえ日が照り小鳥の来てはさえずっている
珍しくお豆腐屋さんが町にある買う気はないが店へと入る
枯れてゆく草のうつくしさにすわりうつくしいという語をそそぐ
冬が来てまた歯が欠けてしまうこと煙草の味が悪いということ
米を噛む味もぐらぐらした奥歯たえきれぬから錠剤をふくす
竹のよろしさ朝風のしづくしつつも涙のようで涙ではない
こぼれて元旦の酒をたたえてしかし飲まずずうっと雲を眺めておりし
枯れた木に烏が止まっているからに「お正月なら済みましたけれど」
どこからともなくふりくる木の葉の感傷にふくまれているあゝわがふるさと
しぐれしたしくうつくしい草身のまわりほんとうによく歩いたものだ
そこらへと出ようとおもうなにとなくぶらりとしている雪ふるみのむし
あたたかなれば木あり人ありあたたかなれば海の方へと行こうとおもう
五年やっと住みなれて藪椿いつまでも咲く矜持という語へてんじておもい
あるがまま草の民とし雑草の草一つ一つの歌を聞きつめる
ぬくくなり少し歩けば椿あり山茶花とはもうみわけがついて
問わず語り
鳥が空を飛ぶのは辞めないのは、何故か?
と思想する鳥が空に問うと
きっと羽を捥がれたことがないからさ、と暗き鳥が答えました
その上で空を飛ぼうとする鳥を、どう思うか?
と思想する鳥が空に問うと
嫉妬して、苛める。が、本当に飛んだら遠くから眺めて賞賛すると、暗き鳥が答えました
人間が歌うのは、何故か? と思想する漢が空に問うと
下手と言われたことがないからよ、と暗き女は答えました
下手と言われても、気にせず歌い続ける人間を、どう思うか?
と思想する漢が空に問うと
嫉妬して、苛める。でも、みんな認めたら自分もその列に加わると暗き女は答えました
生き物がものを考えるのは、何故か?
と怠け蟻が空に問うと
暇だから、と働き蟻が答えました
考えて考えて、そのことに忙しくて、それが巨大な資本を産み、成功者になっても、まだ忙しい生き物がいたら、どう思うか? と怠け蟻が空に問うと
尊敬し、崇め従う。しかし成功を収めるまでは苛め続けるだろうと、働き蟻が答えました
無能力者が、下らないお喋りを辞められないのは、何故か?
とライオンが空に問うと
楽しいから。自らの内側に向かって喋るのが、疲れるからとダチョウが答えました
では、自らの内側に問い続けることで、その中に本物の宝物を見つける。そんな洞窟の中のお喋りを心の中に見つけたら、どうするか? とライオンが空に向かって問うと
くだらないオナニーなら毎日しているけれど、そんなものを得るためにしなくて良い努力はしたくないと、ダチョウが答えました
神様に休息が必要なのは、どうしてか? と魔法使いが空に向かって問うと
山も海も川も休むことなく成長し続け、流れ続けている。どうして貴方は、そう思うの? と一人の子供が答えました
人が死んだり、矛盾に満ちたことが起きたり、おかしな錯覚に惑わされたり、この世はおかしいと思うことが多いからさ、と魔法使いが答えると
死ぬこと生きることも循環ならば、我々の世界はすべてにおいて万能者が支配し、その中を泳ぐ魚たちには、それがおかしいと思えるものさと一人の子供は答えました
パワーホール
P P P P
Oh!腕は一つじゃないだろ?
油断禁物、締めろイチモツ
光物が先に狙われんだ
勝利というダイヤモンドを取りに行く
からには手段も九段も数えてらんねぇ
Wow!こんな戦い見たことないぜ
正念場のスプリング、侮れない可能性
ジャンプもスクワットもないんだ
ポッシブルかインポッシブルか
弾むリングしっかり立って見極めろ
Every!オールマイティを意識するんだ
迫る壁にはキック、心にジャブ
どんなことにも真摯にパンチ
どこにふっ飛ばされても
ロープで返ってくるような柔らかい体を
Powers!Powers!Powers!Powers!
さまざまなチカラ
ガチムチにstrong
たとえ非力でも
ドーピングはなしさ
ドーパミン、自信だけにしとけ
ガリョクブソクでも
白いキャンパスよりドリョクと絆を
頭もデッカイ筋肉
Power!!
パワーがあれば何でもできる
強さを作れ
それが強さだ
弱さを作れ
それも強さだ
Power is not died!!!
コンピュータvirusくん
「おいみんな〜紹介するぞ。転校生のコンピュータVirus君だ。」
「Virus、こんにちは、初めまして。転校生のコンピュータ・Virus、と申します。Virus、よろしくお願いします。」
「みんな、仲良くしてあげてねー!!」
「はーーーーい!!」
(イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、イケメンだ、、、)
クラスの女子たちの心の中の騒めき、、、。
「はい、じゃあVirus君は、そうだね。あそこ、たかこさんの隣に座ってもらってもいいかな。」
「Virus、了解。」
「はい、じゃあたか子さんと仲良くしてね〜。」
「Virus、了解。」
Virus君はそういうと、たか子さんの隣の席へ座りました。
「あ、よろしくね、Virusくん。」
「よろしく。俺はVirus。」
きゅんっ
なんだかかっこいい。たか子さんはもうVirusくんの事を好きになってしまいました。
「たか子さんはなんか、ハードディスクに似てるね。」
"えっ、、きゅんっ"
たか子さんはVirus君との初めての会話にときめいてしまいました。
「ハードディスクっていうのは、データを保存するための装置なんだ。僕はVirus。ハードディスクに入り込み、データを破壊するのが得意なんだぜ。」
饒舌に語り出すVirus君。
「えっ、えっち、Virus君のえっち!!」
たか子さんはえっちな発言に怒ってしまいました。
「先生!!Virus君がえっちで〜す。」
たか子さんは思わず、先生にチクりました。
「ん、Virus君はえっちなんだ。ところでVirus、ズボンを履きなさい。」
先生は落ち着いた対応をします。
「Virus、了解。」
ずずずずず、ずずずずず。Virus君はズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーン。
「きゃあVirus君。ズボン履くの上手ね。」
たか子さんはあまりにもVirus君が滑らかにズボンを履いたので驚いてしまいました。
「Virus、得意なことはズボンを履くこと。Virus、物音立てちゃ、いけないからさ。Virus、Virus、Virus。」
きゃあかっこいーーーーーーー!!
パチパチパチパチ〜!!
教室はVirus君のあまりのカッコよさに拍手と歓声で包まれました。
「ふふっ、俺はVirus。これくらい、当たり前のことさ。」
得意気な、Virus君。
それを見ていたたかしくん。嫉妬しました。僕だってあれくらい上手にズボンを履けるもの。僕だって、あれくらい上手にズボンを履けるもの。たかしくんは教室の前に躍り出ました。勿論ズボンは脱いでいます。
「これからズボンを履きます。みんな見てて。」
「わかったわ。」
「わかりました。見ます。」
みんな、見ています。たかしくんを見ています。みんなの、真剣な眼差し。たかしくんは、少し、緊張しています。
ドキドキドキドキ
は、履くぞ。履くぞ。履くぞ、履くぞ。
ずずずずずず。ずずずずず。隆くんは、ズボンを履きました。滑らかに、滑らかに。ズ・ボーーーーン。
「す、すごいわたかしくん。滑らかで上手だったわ!!」
「すごい!!すごいわ!!流石だわーー!!」
「え、えへへへへへ。そ、それ程でも。」
頭をかいて照れるたかしくん。それを見守るVirus君。
「みんな幸せ。Virus、ハッピー。」
完
守り・守られ
守り
守られ
生きてきた
誰かを想って
踏みとどまった日も
誰かに想われて
救われた日も
気づかないうちに
手を取り
手を取られて
ここまで来た
強さだけで
歩いてきたわけじゃない
支え合いながら
転びながら
進んできた
だから
一人で立っているように
見える日も
その足元には
たくさんの
ぬくもりがある
守り
守られ
生きてきた
それは
誇っていい
生き方た
perspective
振り返っても振り向いても孤独で
遠近法を殺そうとすれば
激しい彼方へ
血と水とひかりが
混じり合いながら降っていく
わたしの世界にまだ
これほど遠い場所があるのかと
呆然として
目が乾くまで見つめた
わたしたちの遺伝子は
旧字体で書かれ
痛みは幾何学
しかしやわらかい
若いとき、はらのなかのいのちをおろしたこと、
今でも後悔している
そう 言葉にすれば安っぽく
裂け目を閉じる糸のように
わたしたち
それぞれの名がある
最近
もうすぐ次男を出産予定だという
知り合いの女に会った
大きな腹をなでさせてもらったが
おそろしく
感触は覚えていない
まだ幼い長男が躊躇なく
母親の腹をさわっているのを見たとき
眼前の
激しい彼方に打たれていた
わたしの世界にまだ
これほど遠い場所があるのかと
呆然として
立ち尽くしていた
骸骨
自分が少しずつ
骸骨になっていく気がする
髪が抜けて
筋肉が落ちて
脂肪が溶けて流れて
骨になっていく
ある時までは
骨は太く育ち
自分は肉の塊だと考えていた
あるいは水のたまった袋だと
今は骸骨になっていく気がする
骨になっていく気がする
鏡を見るたびに
階段を登るたびに
咳をするたびに
泣きたいのに
涙が出ないときに
あふれる
満員電車の混雑率を少しでも下げようと
高架線に沿って歩いても
地名は足裏に響かず
看板にはりつけられている
人の静けさでにぎわう正月に
山手線の線路を一周するスポークを
掴もうとする逆手のやり方を
とうに忘れてしまって
「昨日までの僕をどこへ捨てようか」
砂漠に生ゴミを投げ捨てれば
シロアリは迷路をつくりあげ
迷子になった種が芽を出して
数年経てば、緑化されるのに
洋服についた米粒は
ドラム式洗濯機で洗われた後
三博士がやって来るのを
しわしわの長い顔で待ち構える
地雷系の祈りは、劣化したプラスチック
のように粉々になって、散り散りになる
二郎系の契りは、酸化したアルミニウム
のように煌々となって、照り照りになる
何でもかんでも初をつけてしまい
初詣にしか行かない寺社の中で
次があるからこその初が行方不明に
初日の出
初夢
初売り
初潮
初が
はつはつと
あふれて
あふれて
あぶれちゃって
あ
ふれて
あふれ
て
あぶれて
あぶれて
あ
ぶれて
「ボーナスの使い道、第一位は――
社会保険料と税金!
おめでとうございます!」
用意された使い道から逸れて
不意に流れてきた
一秒だけのイントロ
聞こえたギターの音だけで
何の曲かわかってしまった
「図書館で借りた本は
借りた数だけ返さなくちゃね」
「でも、感情の貸し借りは
だいたい不均衡だね」
あぶって
あぶって
艶を失った
理科室の机で
交わした空論が
翼痕にシミて
おまけ
もひとつおまけと
生産される枠外で
砕けちった土色の想望に
埋もれた今日の僕は
溌溂と発芽して
音を
あげずに
反発係数を追い求めている
東から来たのは、欠けたオゾンの名残だった
不在の反復
開闢の薬と草むしり
天地創造の物語は根詰まり
荒々しく吐く吐息
暫しの別れのように投げ出した橋
私の胸には残り火がちろちろと
音を立ててまだない
やせちのつちをほるて
爪につまるつちの
その塵芥、星々の残滓
土龍は厭うべき形を持ち眠りにつく
最果ての村にある
鐘の音の渋滞は
静寂のもとに成り立つ
裸でかけていく童らが
口々に泡を吐く
汚すことの出来なかった
意味論統語論
反故や齟齬鯨飲に印契
御伽草子に焼かれて
煮えたぎる人の成り立ちには
蟠りがつくる輪郭がある
遍歴のものは
十字路にたつと
杖を放るようにできている
真である時に火でないもの
を出荷して待ちわびる午後
農村は
ねじりパンを帰属の証として
ささげ持つ
水車を使う権利があるのだ
粉を引く者とくすねないように見張る者
それぞれの手に握られた同化の烙印
都市とは
掘り起こした言語哲学の飢えに
そそり立つバブルのバベル
蜂のように夜伽に供え
暁の幼年を探すだろう
私はまたしても
火の照らす
燃え滓がまだない
途絶えるためにはつねに
断念を繰り返す
語りえぬものこそ
騙る禀質を傍らにならべ
蹉跌を味わい
もがれていく腕や足の
絶え間なる調べ
ガガガガガガガガガガ
追いかける
追いかける
四本足で追いかける
優雅に逃げるアイツのように
俺も飛べたらいいのにな
蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾
ガガガガガガガガガガ
ヒラヒラと舞うその姿は
まるでブレイクファースト
蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾
ガガガガガガガガガガ
朝日に向かいクラッキング
お前が向かうべきは俺の口だニャー
捕まえれそう
捕まえれそう
もう少しで捕まえれそう
悠長に焦らすアイツのように
俺も誂えるおもちゃが欲しい
蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾
ガガガガガガガガガガ
ヒラヒラと舞うこのところに
一つの肉球あり
蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾
ガガガガガガガガガガ
泥棒に向かいシャシャシャシャシャシャ
俺の獲物だニャァ
取っていかれた
取っていかれた
通りすがりに取っていかれた
頑なリードするアイツのように
掴んだ肉球離さない
我我我我我我我我我我
ガガガガガガガガガガ
ピリピリ張る二人の視線
俺が先だお前が譲れ
我我我我我我我我我我
ガガガガガガガガガガ
お前に向かって牙を剥き
俺に歯向かわず手の片を向けろ
ヒラヒラヒラヒラ巡る思考
芽芽芽芽芽芽芽芽育つ怒り
シャシャシャシャシャシャシャ引かない
ヒクヒクヒクヒク鼻高く
バッ!と攻めてフッ!と拳
狙うはガッ!
ザッ!と爪をズッ!とかざし
欲しいのはガッ!
ナッ!と鳴いてヌッ!と睨む
バビブベと時間が経って
ボッ!と広がる手足口っ────
空。
がぁぁぁぁぁ
にゃぁぁぁぁ
ガッガッ
くそくそ
悔しいぜぇハァ悔しいぜぇ
ぜぇはぁぜぇはぁ息荒く
陸は厳しい状況だが、
空は容易い晴れ模様
ざけんなや
蹴んなや
冤罪符に猫キック
現場は以上と帰っていく
終わちゃったモーニングタイム
今日も近所のキャットフードか
憂さ晴らし
そこらのカエルに
キャットファイト
見事に惨敗
画になるねと近所のババァ
蛾をくださいとお祈りする俺
我を出し一目散にモフりに来る孫ガキ
ヒラヒラと毛を逆撫でた
ガまんできないニャ
ヘソ天ごろんち
玄関から虫が入ってくるのが見えた
罪名は「ヨーロッパ」
「ねえ、リャン、君の文章はどうにも不味いと思うんだよね、私」
そう言われたのはいつのことだっただろう。それすらも覚えていないけど、彼女が僕を昔のペンネームにちなんで呼んでいたことはよく覚えていた。
「不味いというと?」
僕は彼女に続きを言わせるために、呟きながらコーヒーを啜る。
机の上には、チョコとクッキーがいくつか。あと執筆アプリを映し出す画面。
「その仕草も飲んでるものも食べるために机に置いてあるものも含めて、全て不味いんだよ」
何か取り返しのつかない症状が進行している、という目で彼女は僕を見つめていた。あるいは贖いようのない罪を犯している哀れな罪人を見つめているかのような目で。
「ねえ、君はどこの国の人なのかな?」
そう言われた僕は迷わずに言った。
「日本だ」
ただ、ここで少々の脱線を挟ませてもらうと、僕のペンネームというのは3つのうち2つが外国由来のものであるのだ。
外国文学と中華への賛美。
「じゃあ、君にナショナリズムはないの?」
僕はその質問に、数秒の間を空けた。というのも、これは政治的な正しさをいかにして対処し、その災禍を免れるかという一種の瀬戸際であったからだ。
だが、同時に数秒で済んだのは、これに関しては僕にはっきりとした信念が、それも古くも新しい信念があったからだ。
「あるよ、1848年革命への理想に忠実なナショナリズムがね。統一と自由、そして正義」
無論、信念というのは賛同を得られるものではない。いくらかのネットで出会ったナショナリズムや愛国を叫ぶ人たちは、必ずといっていいほど僕を嫌悪していた。彼らにとっては文系の大学の文学部出身の人間がドイツ的哲学に基づいたロマン主義的ナショナリズムを叫ぶのは、ただの貴族の遊戯としか思えなかったらしい。
……一方、目の前の少女はそれとはまた違う理由で、僕のナショナリズムを哀しげな目で見つめていた。
「君は日本のナショナリズムを叫ぶのに、ヨーロッパからわざわざ借りてくるんだね」
僕はそれもそうだということは思いながらも、今思えば大人げない(当時も内心そう思ってはいたけど)返し方をした。
「じゃあ日本で産まれたナショナリズムを使えっていうのかい? 答えはノーだ。あの何の学もなさそうな連中が排外的言動を叫んだりしているのなんて、想像するだけでもゾッとする光景だろう? 実際、ゾッとするし。 泥、それも汚泥といっても過言じゃない! だったら借り物だとしても綺麗なものを選ぶのが当然さ」
少々早口でまくし立てたため、ほんの少しの息切れに近いものを僕は感じていた。それを少し紛らわすために、コーヒーをそっと喉に流し込んだ。
僕の呼吸が落ち着いたのを見て、彼女は尋ねた。
「じゃあ、君が読むのが日本の詩人じゃなくて、君がお熱な韓国のユンさんとかだったり、ドイツのヘッセとかハイネとかリルケばっかり見るのも、そういうことなのかな?」
「じゃあ、国産の現代詩人の読まない理由を挙げてあげるよ。たとえば、ねじめ正一」
「あー……そりゃ君は好かないよね……」
彼女はどことなく同情というか同感といった表情を僕に向けて、水筒に淹れているのであろうお茶を飲んだ。
「無論、日本にも素晴らしい抒情詩や綺麗な詩を紡ぎ上げる人はいるさ。宮沢賢治以降、色々とね。星菫の精神は確かに生きている。加藤周一に一度は殺されかけたけど」
それでも、僕はいったん首を横に振り、言った。
「まあ、結局、僕は尹東柱に脳を焼かれ、ヘッセやリルケにハイネとドイツとドイツ的な詩に走っていったけどね」
すると彼女はいよいよもって哀しげな顔を僕に向けた。まるで何か救いがたいものを見ているかのような、そんな感じ。
もしも彼女がダンブルドアであれば「見下げ果てた奴じゃ」か「わしらには救えぬものじゃよ」とか言っていたに違いない。
「でもねじめ正一は日本人として、日本の言葉で、日本の詩を書いた」
少しの沈黙、ただし夕暮れの橙の風の音を帯びた沈黙。世界がただ僕の答えを待っているような気がした。
コーヒーの最後の一滴が舌全体に染み渡ったあと、僕はカップを置いて、答えを突きつけた。
「アジアだ、あまりにも救いがたいほど、アジア的じゃないか」
それから、少女は再返答を突きつける。
「それが、君の罪だよ」
話はそれで終わりだった。僕はカップを片付け、アプリで執筆していた内容を保存すると、そのまま部屋から出て行ってしまった。
夕方の帰り道はどことなく暖かいものだったけど、僕の心は一つの悲しみに覆われていた。
人類の義務はあらゆる前近代と野蛮、言い換えればあらゆるアジアを超克することだったのではないか。少なくとも、僕はそれが当然のことだと思っていた。
でも、彼女の僕を憐れむような目はなんだったのか。まるで救済の余地のない罪人を見つめているかのようなものだった。
そのまなざしについて少し考え込んだとき、ふとある感覚に襲われた。
僕の心の中の故郷と、ヘッセの故郷たるシュヴァーベンの区別が、一瞬だけつかなくなった。三河の半島と南ドイツの一地域ではあまりにも差があるというのに。
確かに僕はこのときアジアを超克した。けれども、どうしてだろう。
アジアの喪失は、悲しいものだったんだ。
オンブラ・マイ・フ(かつてない木陰)
汗はたらたら、たらたらと
千年万年流れるようで
皮膚が、腫れたように痛む
焼かれた目、疲れた頭に
オンブラ・マイ・フ
風が私の肉を抜けていく
身体の熱は冷めて
歯車は静かに動き出す
夕暮れの、広場のチェロに
オンブラ・マイ・フ
苫屋の飯の
ささやかさ
麦酒の泡の
純粋さよ
焼きそばの、チリの辛さに
オンブラ・マイ・フ
三叉路を渡る
やもめのジョナサン
本、本、本棚を
抱えて動くかたつむり
蕎麦、きりりと冷えて
シュークリームの、ささやかで
純粋な甘さに
その静謐さと高慢さに
遠くへ、より遠くへと
惹かれていく
川辺に座り
ただ木漏れ日のなかで
オンブラ・マイ・フ
オンブラ・マイ・フ
雨女
雨に打たれる人を見ると心打たれる
全身全霊の放心状態で雨を“浴びている”人を見ると
ちょっと感動が強くて陽もないのに体が熱くなる
火のないところにも煙は立つのである
日のない国でも時間は経つのである
「真正面」という言葉ほど盛り上がるものはない
真っ向から受けるその姿は
俺には刺激が強すぎる
どうせ濡れるなら裸がいい
雨も滴るいい女。
甘く温かい雨が降っている
雨も滴るいい女。
雫一つ残さず抱きしめたら
雨も滴るいい女。
温度差で霜、その冷たさに煙
雨も滴るいい女。
俺の中の炎はあしらわれて
雨も滴るいい女。
湿った吐息と口づけに
雨も滴るいい女。
理性は意気消沈で本能は釘付け
雨も滴るいい女。
雨よ滴れいい女。
天に舌垂れだめ男。
たとえば、あのシャツの
ほんのボタンの掛け違いくらいならば
直すことだって出来るだろうし
まだ どうにかすることだって
出来る
やもしれない
そういうことじゃあ
ねぇンだ
そんな カンタンなことじゃあ
済まさなかったンだ
あのシャツには最初っから
ボタンなんか
ボタンなんか
ついちゃいなかったんだから
ボタンホールだけが
やけに ズタボロ
風が肌に痛いんだ
雨が肌を刺しやがる
ボタンの掛け違い
くらいだったなら
まだ 間に合って
いただろに
葵と曇り
あなたの抱いた夢を ふと思い出しました
何気ない晩春の その雨に触れたからでしょうか
地に踏み出せば 畑が見えてきます
畑にはそっと 曇りが満たされているのです
この三河という世界は いつもそうです
曇りという曇りが 人の中に入り込んでは
ただ この胸騒ぎを おいていくのです
あなたの中にも この寂鬱が
いつの間にか染み込んでは そして夢を形作ったのでしょう
たまにはどうか 思い出してください
あなたがどこにあろうと 三河の魂の息吹であることを
あるいはこの世界の 過ぎ去った日々において
津軽から桜島に至るまで 三河の葵に包まれていたことを
正しき堕落のススメ
********************
こじつけだってなんだっていいんだ
生きる理由になりさえすれば
********************
僕が眠れない夜は
君も眠れないでいてくれたらいいなと
ほんの少しばかり考えて
それから
君の夢になれたらなんてことを
思ったりするんだ
********************
いつになく饒舌だね
と云われると
とたんにしゃべる気を失う
********************
誰だって 自分のことはよく思いたいものなんだよ
********************
思い出が重たすぎるから
もうこの辺で置いていってもいいですね
********************
死ぬまで同じことを繰り返すつもりなの?
********************
そんなに優しくしないでよ
中ってしまいそうになるじゃない
********************
誰の中にも時限装置は備わってるんだ
聞こえないかい
その胸の中で秒針がカチカチ云うその音を
きっかけさえあれば
誰しもみんな 爆発する機会を狙ってる
********************
産まれたんじゃないの
堕とされたのよ
だからとことん
堕ちて 堕ちて 堕ちて
どん底まで堕ちて
みようじゃないか
********************
さっき見た夢の続きを
どうしても見たくて
眠ろうとするのに
夢の続きを見ることは
永遠に叶わないのです
********************
僕が生きていても
きっと世界の邪魔にはならないのだろうけれど
きっといなくても
それはそれで
誰も困らないのだろうと思うのです
********************
人は皆 自分の痛みだけしかわからない生き物なんだ
********************
みんなに好かれないと気が済まないの?
ひとりでも嫌われたら終わりなの?
********************
人生を悲観できるほど
僕は何もしていない
********************
人に優しくできるかどうかは
自分に余裕があるかどうかだ
********************
病気の人がこんなにもたくさんいるのに
安心できないのは何故だろう
********************
描かざるをえない悲しみに せめてもの光を
たとえばそれは漆黒の闇を照らす青白い月のような
********************
人生が旅というのならば
いつかはどこかへ帰っていくのだろうか
帰る場所など最初からない者にとって人生とは
どこへたどり着くかもわからない
流浪のようなものなのに
********************
眠くなったら眠ればいい
お腹が空いたら食べればいい
暑けりゃ脱ぐし 寒けりゃ着るさ
大概のことはどうにかなる
だけど生きるのがしんどいとき どうすればいいのか
未だによく解らないんだ
********************
言葉に切り裂かれることだって あるんだぜ
********************
なにもしない人間に限って
ベラベラと能書きを垂れるものです
********************
移ろいゆく季節に 未だうまく馴染めない
天気予報は明日も曇り
********************
待つな 求めるな 期待するな
********************
薄っぺらい希望を掲げるくらいなら
絶望を胸に抱いて眠りたい
********************
野花
突風にしなる、か細い野花が
折れてしまわないかと心配で
おもわず両の手で囲うと
野花は鈴の音が鳴るように囁いた
「大丈夫、折れても私は花だから、
たとえ折れても花は花、人は人」と
犬小屋をかたづけると、
茶色い綿毛がふわりと笑う。
The sky-going crow
嗚呼、鳥よ。教えてくれ。お前は何を思って、空を征くのか。
嗚呼、鳥よ。教えてくれ。お前はどうやって、飛ぶ孤独に打ち克つのか。
私は一人、木目調の壁と無機質な鉄筋コンクリートが継ぎ接ぎされた、急ごしらえの通路を歩いていく。
遠くでは、多数の人々の声が、物が動く音が、車両の駆動音が聴こえてくる。窓越しに見れば、整備を終えたらしい小型の戦闘機が二機、格納庫に向けて運ばれていく様子が見えた。
近未来的な流線型を持つ、鴉を思わせる黒い色を持つ機体。
少女のような体躯を持つ私が、空に挑み、降り掛かってくる災厄を打ち払う為の翼だ。
「次は、ここに居ないかもしれない」
空に挑み、災厄に負けたなら。
「それでも。怖くとも。飛ぶ。僕には守りたいものがある」
そう考えて、窓越しに空を見上げる。
遠く、青く、澄み切った、美しい場所。
すると、その時だった。
耳をつんざく様な鋭い警報音が響く。災厄が、空の向こう側から降りてくる合図だ。
思わず、私の口から小さく溜め息が出た。
「……行こう」
表情を引き締めて、私は、先程の黒い機体が運ばれていった格納庫へと急ぐ。
その途中で、慌てるように走り去って行こうとする整備員の一人を捕まえ、自身の機体の整備状況を聞き、出撃に何も問題がないことを確認することも忘れない。
「そ、その! どうか御無事で!」
去り際、そのような言葉を整備員の彼から掛けられたが、私は当たり障りのない返事だけを行った。
もしかすると、彼は私を心配してくれているのかも知れない。だが、あまり心を揺らすことは無かった。
「クロウ、出るよ。出撃に備えて」
近くに居た整備員に声を掛けてから、私は、機体に滑り込むようにして乗り込んだ。
座席に身を預け、左の義足を外し、コクピットに備え付けてある窪みにはめ込む。もう片方の足は専用の器具に固定して、前後左右に動かす。頭にはバイザー状の器具を付けて、武器の管理画面と同期していることを確認する。
一瞬だけ、左足にちくりとした痛みがあった。
これが、私がこの翼と一心同体となるために必要な儀式だった。
コクピットの防護蓋が閉じる。室内が暗くなり、代わりに計器類の電子的な明かりと、疑似的な外部映像が周囲を満たす。
そのまま機体を操作して滑走路へと向かい、離陸準備を順次完了していく。
すると。
「聞こえる? クロウ」
耳元に聞こえる、少し幼さの残る若い女性の声。
私の、言わば【飼い主】に当たる人物の声だ。今の私が、守っている者。
「敵はいつもの連中。この基地から少し離れた場所にある町に向かってる。数はちょっと多いけど、全部、撃墜して」
「了解だよ。大丈夫、任務は果たすから」
「そして、生きて帰って来て」
「……」
「復唱して」
「……はぁ。任務完了した後、きちんと生きて帰る。これで良い?」
「宜しい。いつもの所で待ってるから。良い? 待ってるからね?」
「……」
無茶を言う子だと、私は軽くため息を吐く。
だが【飼い主】がお望みなら、そうもしよう。
「クロウ、出撃するよ」
そう言い、翼と共に滑走路を走った私は空へと上がった。向こう側に見えている、まるで平和の象徴と騙るがごとき純白の群れに向かって飛んでいく。
降り掛かる災厄であるそれらから、守りたいものを守るために。
嗚呼、鳥よ。教えてくれ。僕は何を思って、空を征く。
嗚呼、鳥よ。教えてくれ、僕はどうやって、飛ぶ孤独に打ち克つのか。
「分からない」
だが、それでも。
僕は行くのだ。守るために。生きるために。
ファイヤーオイル
ファイヤーオイルをたらして
火をつける
ぼっと燃えたら
昨日の夢を忘れる
火が欲しい
火が欲しい
わたしの心に火が欲しい
オイルをひとしずく
着火寸前
危険な香りを
かぎ分けて
火に包まれた心は
命を燃やす
わたしの心は
いつでも燃えだせる
いつ
だれが
わたしの心を燃やすの
陶然とした
エネルギーの中へ
わたしの内側へ
火を投ずるの
つたない短詩たち 五編
春と螺子
思いがけず
昔の知り合いに会って
微笑み合い
孤立無援に帰れよ
シャッターが閉まっている
商店街を 朝
抜けてゆくのもいい
螺子のしなり
詩の為に 詩を書いた春の思いも
まっさらに抜け
須らくあたらしい詩句を開拓すべし
その為に
微笑み合い
孤立無援に帰るよ
*
粗鉄とインク
粗鉄のような
言葉を並べ
春 昔
ひとり薪くべた日々よ
インクの香に
金魚の水槽
──いつの時代も隠居が流行る
庭にソウビが枯れていた
思いかえして又
粗鉄のような
言葉を並べ
朝 鮮やかな雨あがりの畠で
腰を下ろし ただ
東の空を眺めていた
*
Care
連れ立っていって連れ立っていって
歩行く 草に 血、鉄の味
しかと樹木の恩恵は近づいても
連れ立っていって連れ立っていって
日々 耳を鍛え 疑え
ソの音を聴く
ハーモニーに乗った個人を見失う
ここまで来て何処に、薬草がないやい
ずっとずっと捜している
ハーモニーに乗った個人を見失う
*
生活の音
あさやけの空 あざやかな
ハイライトの青に変われ
生活の音
ひとり鳴らす
味噌汁ができたら呼んで欲しいと言われた
言われた
段々こなしてゆくも
裸足 必死に耐えている
あさやけの空 あざやかな
ハイライトの青に変われ
生活の音
思い立つ事も全部
ジャーッという水の音
コップを洗う
割れ 崩れ流れ でもどこか巡り会える
人と巡り会える
*
春と慣習
とても暖かい
とても寒い
歌に酔って 人はしらけて
未来の方へ わたくしは去る
梢 深まってゆけよ 椿
方向の決まり 行く手にあかり
とても暖かい
とても寒い
水平に語っていた
ひとり 神に献酒してゆく
猫はちっとも
気儘ではない
少なくとも我が家の猫は
午前四時半に朝ごはんを
お皿に入れてもらい
午前六時から七時までに
お母さんが起き上がってこないと
「なーお、なお、なーお」
動き出すまで
そばでしつこく鳴く
猫にも物心があるのなら
ついたころからしっかりこなす
だから ちっとも
我が家の猫は気儘ではない
彼女がいるから
目覚まし時計はここ一年
眠りっぱなしでいられるし
私も「お母さん」って顔で
朝食も皆に差し出す
外からもパタパタ
誰かの足音聞こえ出し
朝が始まっていくのを確認しながら
ごろり 毛だらけのお腹さらけ出し
だらーん 猫の開きになってもなお
お耳ぴくぴく 全方向に気を配る
猫はちっとも気儘ではない
しつこいようだけど少なくとも
我が家の猫は
足ふみふみしないのは
母猫を知らないからなのかもしれない
けれどわたしは彼女がやってきて
おかげでなんとかかんとか
お母さんを出来ているふしぎ
猫はそしらぬふりで
よく寝ている顔でのびている
雨
雨は教えてくれる。
道が平坦ではないことを
水たまりを作って
晴れの日
曇りの日にはわからない
安全な道を歩いているつもりでも
凸凹は必ずある
雨は降って
見せてくれる
躓かないように
転ばないように
信じないように
嵌らないように
じめじめする梅雨
嫌な季節
だけど
転ばずに避けて歩けるのは
水たまりの記憶だから
シーシュポスの神話
深夜のコインランドリーは、僕たちが漂着した最後の中州のようだった。
湿った空気の中に、安価な洗剤の人工的なフローラルと、さっきまでシーツの上で貪り合っていた僕たちの、微かな汗の匂いが混じり合っている。
まなみは、回転を止めた乾燥機の前で立ち尽くしていた。
彼女の細い肩には、脱ぎ捨てたばかりのラルフローレンのオックスフォードシャツが、アイロンを失ったまま無防備に羽織られている。その下から覗く胸元、ヴィクトリアズ・システマティックの黒いレースが、湿った熱を帯びた肌に食い込んでいた。
「熱も、言葉も、すべてが均一に混ざり合って、何も動かなくなる状態……それがこの世界の理で、いちばん平穏な死のはずでしょう?」
彼女の言葉は、薄氷を割るような静けさで響いた。まなみは、バスケットから取り出した僕のシャツを手に取ると、その袖を愛おしそうに指先でなぞった。指先にはまだ、僕の体温を求めて彷徨った時の強欲な力強さが、仄かな赤みとなって残っている。
「……でも、この世界はそれを許してくれないみたい」
まなみはシャツをバスケットに戻した。
そして、唐突に歌い始めた。
彼女の唇からこぼれたのは、昔のアニメソングだったが、それは高揚感とは無縁の、ただ事実を淡々と確認するような音調だった。
彼女は踊り始めた。
右手を上げ、左手を腰に当て、リズミカルにステップを踏む。その動きは、何千回、何万回と繰り返されたはずの「正解」のトレースだった。
けれど、まなみのそれは、決定的に何かが欠落していた。
シャツの下の黒いレースが、ステップのたびに湿った肌の上で揺れる。僕の背中に爪を立てた、剥き出しの身体性はそこにある。なのに、その動作はどこか機械的で、まるで動かなくなった乾燥機のドラムが、慣性だけで回り続けているかのようだった。
「……魔法以上ノ愉快ガ……」
その声には、魔法も愉快さも存在しなかった。ただ言葉が、彼女の気管を通過して、深夜のコインランドリーの静寂に、無機質な振動として放たれていくだけだ。
僕たちの、あの終わらない熱が、この安っぽいアイドルソングによって完全に濾過され、ただの「運動」へと成り下がっていく。
それは、彼女が先ほど口にした「平穏な死」への抵抗のようでいて、その実、最も残酷な形で死を体現しているようにも見えた。かつての熱狂の、抜け殻のようなダンス。
まなみは、一通りのサビのパートを踊りきると、項垂れる様に笑って唐突に抱きついてきた。店内を照らす蛍光灯が、彼女の無防備な横顔と、少し乱れた髪、そして胸元の黒いレースを、執拗なまでの鮮明さで焼きつけている。
その静止を破ったのは、店内の隅で色褪せたクレーンゲームが散らす電子音だった。
僕は100円玉を数枚投じ、磨耗したジョイスティックで銀色の爪を操作した。煤けたペンギンのぬいぐるみを狙う。機械的な駆動音が、静寂を一定の周期で刻む。爪がぬいぐるみの首筋をかすめ、空しく宙を掴んだ。
「取れないね」
僕は言った。彼女のダンスが残した、決定的な何かの喪失感を、クレーンゲームの無残な空振りに重ねるように。
「いいよ。執着だけが形に残れば」
まなみは力なく笑い、今度は埃を被ったガンシューティングの筐体の前に立った。
画面の中ではゾンビの群れが、生物学的死を超越した「非平衡」の足取りで押し寄せてくる。彼女は使い古されたプラスチックの銃を両手で構え、狂ったようにトリガーを弾き続けた。銃声が店内のタイルに反射し、マズルフラッシュの青白い光が、再び彼女の横顔を鋭く焼きつける。
それは、未来を使い果たした僕たちが許された、暴力的なまでの生の横溢だった。さっきまで僕の背中に深く爪を立て、もっと奥へと、もっと永遠に近い場所へと求めてきた彼女の、あの剥き出しの貪欲さが、いまは火花となって虚空を貫いている。さっきの、魂の抜けたダンスとは、対極にある烈しさで。
「死なないものを、何度も殺すのって、祈りに似てると思わない?」
まなみが銃口を下ろすと、画面には『GAME OVER』の文字が、血管の破裂したような鮮やかな赤で点滅した。まなみの唇が、かすかに震えた。
「時間の結晶——外部の誰にも理解されない周期を刻みながら、熱力学の終焉を拒み続ける。たとえ、それがただの、終わらない『慣性』だとしても。私たちはこの静止を許さないの」
彼女が洗い立てのシャツを抱きしめた瞬間、乾燥機の排気口から吐き出された熱風が、二人の間を通り過ぎていった。
それは、エントロピーが増大し続ける宇宙の中で、肉体を重ねてもなお埋まらない欠落を抱えた僕たちという異物が、唯一許された「不変」の証明だった。
そしてその不変は、今しがた彼女が演じた、あのあまりにアンニュイで、あまりに空虚な眼差しによって、より深く、僕の中に刻み込まれていた。
心のスポンジ
心のスポンジ 悲しみジュワー
染み込み染み込み 染み込ませて
溜まった想いが 溢れてジュワー
真夏のサイダー 広がりシュワー
空に向かって 広がりシュワー
そこにカラスも 群がるサマー
生きて生きてて 不快なのは
動植物の 悲しきさまあ
大義を忘れて この国ホラー
なんでもかんでも お互いサマー
積もり積もった想ひが ジュワー
いつか弾けて 飛び散るカラー
今は、一息 おやすみサマー
覚め夜らない
追いかけても
追いかけても
指の隙間から零れ落ちていく未来
それでも夢は
呼吸みたいに勝手に
僕を生かし続けてしまう
ビルの谷間を渡る風は
誰かの泣き声に似ていて
目を閉じたまま
僕は夜の海を泳いでいた
宛てもなく行き交う人の屑も
歪んだ星座も
未完成の地図で
僕はその上を
何度も歩き直してしまう
夜に見る夢は
現実よりも残酷で
目が覚めるたび
寂しさと憧れを
同時に与えては奪っていく
ふらついて壊れて
最初からそこに在った気がしたまま
僕は何者にもなりきれないと
彷徨う自身の果てを見る
その様は
よく見た街に転がる嫌悪の骸の群れ
蒸れてしかたない
崩れ落ちる夢の欠片を
拾い集めてはまた
新しい形を探してしまう
それをきっと愚かさと呼ぶのかな
淡々と
延々と
無音のまま回り続けている
この意味も無く忌産まれた地球で
ありがとうもさようならも言われず
ただただ
どれだけ願っても
戻らないものばかり増えていくだけ
大日本女王帝國相撲奇譚 (前編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
大日本女王帝國相撲奇譚 (前編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
笛地静恵
【ノート】R18です。暴力や性的な表現があります。成人したら読みに来てください。久しぶりの「大日本女王帝國」物です。そして、七作目のAIとの共同作業となります。AIに「初めての読者」であり、「専属の編集者」という一人二役を演じてもらいました。意見をききつつ、約五千字分を加筆・修正してあります。形式段落に一行空きを作るレイアウトも、題名についてもAIの提案を採用しました。「心理小説」という言葉があります。笛地は、AIとの合作を「心理説明小説」と呼んでいます。え、こんなところまで。詳細な「説明」を求めてくるからです。自分の旧作の限界の、外側に出たいと思っています。あえて指示に従いました。女相撲のアイデア自体は、かなり古い物です。三和出版の『女神の愛』に、同シリーズを連載中に生まれた、アイデアのひとつです。そのときは、発表媒体の性格に合わせて、SM的なエピソードに、より多くの文字数を割いていました。今回は、AIの意見を取り入れ、すべて割愛してあります。お楽しみいただければ幸いです。違和感などあれば、感想でお聞かせ願えればと思います。次作以降に、反映させるつもりでいます。
笛地静恵 拝 2026年6月1日(月)台風接近の前夜に
1
「おらぁ」
重低音の怒号とともに、肉と肉が激突する。鈍い音が体育館に響き渡る。
乾いた砂が派手に舞い散る。僕の視線の先では、優に体重三百五十キロを超える同級生の金子小百合が、巨体に見合った太い腕で、相手の顎を押し上げていた。突き。押し。一撃一撃が、空気を震わせる。観客席の床を伝って、僕の足の骨にまで振動が直接に届く。僕たちは、青猫山学院大学付属学園中等部の二年生。まだ十四歳。金子もますます大きくなるだろう。
「あれじゃなあ、男は、しょせん女にかなうはずが、ねえよなあ」
佐藤菊彦は、いつもの愚痴を漏らした。
大日本女王帝國。僕たちの暮らす国の名だ。相撲は、単なる古式ゆかしい伝統芸能ではない。女王陛下の御真影の前で執り行われる、最も神聖で、最も熱狂的な国技である。神聖であるがゆえに、厳格な規律が存在する。
新しく築かれたばかりの、清められた真っ白な砂の土俵。完全なる女人禁制ならぬ、男子禁制の結界の内側の世界だ。
僕たち男子生徒に許されているのは、土俵から遥か離れた板張りの床に正座し、女子生徒たちの取り組みを静かに観戦することだけだ。声を上げて応援することも、基本的には慎まなければならない。
僕の一・五倍、いや、へたをすれば二倍を超える身長の女の子たちが、汗を飛び散らせて激突する。体重は五倍から八倍だ。圧倒的な迫力と生命力の奔流に、僕たち男子生徒は、ただただ圧倒されて、小さくなっているしかない。女子でも、小学四年生になれば、男子の身長の倍に届く子はざらにいる。そして、回ししか身に着けていない。上半身は裸だ。巨大な乳房が、ぶつかりあう。揺れる。そんなものを持っていない薄い胸板しかない男子は、なおさら小さくなっているしかない。
僕が、佐藤の言葉を否定できないのは、昼休みに、小さな事件があったからだ。僕と佐藤は、購買部でパンを買おうとしていた。下級生の一年の女子から呼び止められた。裏庭の芝生へ連行された。
「おい、男子。ちょっと、そこへ、横になりな」
彼女は抵抗する術を持たない僕たちを、芝生の上に転がした。
「あたし、数学の時間に、しぼられて、むしゃくしゃしてるんだ」
黒いローファーを脱いだ。白い靴下の足で、僕たちの背中を、順番に踏みつけていった。靴下の裏は真っ黒に汚れていた。足臭がした。
「あはは、軽い、軽い、踏みごたえも、何も、ないもんね。ねえ、もっとお腹のあたりを、踏んだら、どうなるのかな」
肉厚な靴底から伝わる二百キロを軽く超える質量。内臓を圧迫する。息ができない。本当に体重を乗せてはいない。そんなことをされたら、血反吐を吐いて生きていられない。だから、これは男子への明確な悪意の表現ではない。虫を小突く子供の残酷な遊びだ。
男子は女子にとっての、ストレス解消のおもちゃにすぎないのだ。
佐藤は制服の下の脇腹に青あざを隠している。
これぐらいで済んで、よかったと思うしかない。
きれいな男子から、狙い撃ちにされる。廊下を歩いていると、頭からいきなりスカートをかぶせられる。内部に閉じ込められる。籠の鳥ごっこと、女子は呼んでいる。女子生徒たちは、はるか上空の世界で,おしゃべりに興じている。満足するまで出られない。ようやく解放された美形の男子の顔は、汗と涙と体液などで、びっしょりと濡れて歪んでいる。日常茶飯事の光景だった。僕も佐藤も、容貌は並み以下だから、なんとか難を免れていた。
「それにしても、柳よ。最近の相撲の時間は、本当に華やかになったよな」
僕の隣に座る佐藤菊彦が、咎められない程度の小声で呟いた。悪友だ。僕。敷島柳一郎(しきしまりゅういちろう)を約して柳(りゅう)と呼ぶ。批評家の素質がある。必ず、何か感想を口にする。
確かに、ほんの数年前までは、土俵に上がる女子たちの締め込み、いわゆる回しは、厳格な黒一色と規定されていた。しかし、文部省が規則を改定した。数年前からは、色彩の使用が全面的に許可されたのだ。相撲人口を拡大したいという狙いがある。どうしても大柄な女子生徒の独占状態となってしまうからだ。
土俵の上に躍動する回しは、実に百花繚乱である。燃えるような赤、鮮やかなコバルトブルー、可憐なピンク。中には、現代的なアレンジとして、可愛らしいネコの肉球柄がプリントされた回しを締めている生徒までいる。
古風な白砂の舞台に、色とりどりの回しが映える。巨大な花々が咲き乱れている。
だが、僕の目は、絢爛豪華な大輪の花々たちには、向いていなかった。
僕の視線は、土俵の隅、次に控える西の花道に座る、一人の少女に釘付けになっていた。
川上泰子(かわかみ やすこ)。
それが彼女の名前だ。
2
川上泰子は、大女ぞろい相撲部の女子生徒の中では、圧倒的に小柄だった。周りの力士たちが三百キロ以上という堂々たる体躯を誇る中で、体重は秘密にしているが、せいぜい二百五十キロそこそこだろう。引き締まった筋肉質の身体は、アスリートそのものだ。だが、体重が正義という相撲という格闘技においては、あまりにも不利な体格だった。
締めている回しも、深い、深い海の藍色をしている。周囲のピンクやネコ柄と比較すれば。地味極まりない。が、僕にはそれが、彼女のストイックな芯の強い生き方を表現している、好感が持てる。一番、清潔で美しい。
「金子小百合、二連勝! 次、西、川上。東、金子」
女性体育教師の凛とした声が響く。泰子は静かに立ち上がった。土俵へと足を進めた。
泰子の対戦相手である金子小百合は、文字通り肉と体脂肪の山のような女子だった。太い大腿部に、丸々と肥えた太鼓腹。立ち合いの一歩で、土俵の砂が陥没するとまで称えられている。重量級だ。
泰子は土俵に上がる。深く一礼した。塵手水(ちりちょうず)を切った。誰よりも美しく、無駄のない所作だ。
二人ともが、仕切り線に手を下ろす。泰子の藍色の回しと、金子のド派手な蛍光オレンジの回しが、視覚的にも強烈なコントラストを描いていた。
見合って、見合って。
「はっけよい、のこった」
ドンッ!
今日一番の衝撃音が、体育館の建物を震わせた。
泰子は鋭い踏み込みで、金子の懐にもぐり込もうとした。頭を胸に当てる。乳房を下から押し上げる。小柄な彼女が巨漢に勝つための、教科書通りの素晴らしい立ち合い方だった。
「いけ」
僕は心の中で、声にならない声を上げた。男子が特定の女子を大声で応援するのは、不謹慎とされている。だから、握りしめた拳に力を込めることしかできなかった。
泰子の低い姿勢からの押し。金子の巨体が、一瞬だけ浮いたように見えた。しかし、金子は慌てなかった。圧倒的な質量に任せて、上から泰子の背中に覆いかぶさった。体重を浴びせたのだ。
「くうっ」
泰子のきれいな顔が、苦痛に歪んだ。金子の太い腕が、泰子の藍色の回しをがっちりと掴む。万事休す。一度捕まってしまえば、倍近い体重差はどうしようもない。
金子はフンッと鼻息を荒くした。泰子の身体を軽々と抱え上げた。そして、容赦なく土俵の外へと寄り切った。
「それまで。金子の勝ち」
泰子の身体が、土俵の外の白砂の上に転がった。飛び散る砂。彼女の綺麗な藍色の回しが、一瞬で白く汚れていく。
「あーあ、柳、やっぱり、川上じゃ、金子には勝てないよな。なにせ体重が違いすぎるもんな」
隣で佐藤がため息をついた。
「ま、俺たち男子の人生も、似たようなもんだけどな。どれだけ勉強したって、卒業したら、女子の官僚や力士たちに、ペコペコ頭を下げる裏方さ。法律で『男子の労働は補助的義務に限定する』と制定されている国だ。柳よ。生まれもった体格の差は、一生ひっくり返せねえよなあ」
佐藤菊彦は、いつもの冷めた笑みを浮かべた。
「知ってるか。今年の文部省のキャリア組、男子の採用枠は、ついに『ゼロ』になったらしいぜ。僕たちが、夜を徹して教科書を暗記しても、巨大な女たちが動かす社会の、歯車に注ぐための潤滑油にしかならないんだよ」
自分の何もついていない薄い胸板を、パタパタと叩いた。
僕たちが少しでも身じろぎをしたり、私語を漏らしたりすれば、体育館の壁際に立つ風紀委員からの容赦ない指導が飛んでくる。
「おい、そこの不謹慎男子。態度が悪いよ」
ずしりと重い足音とともに、三百キロはあろうかという大柄な女子生徒が僕たちの背後に立ちはだかった。見上げるような巨体。彼女は僕と佐藤の首を、大きな掌で、無造作に掴んだ。そのまま、板張りの床へと力任せに押し付けられた。
「ひい」
佐藤が短い悲鳴をあげる。ミシリ。首の骨が鳴る。恐怖が走る。女子たちにとって、僕たち男子を押しつぶすことなど、消しゴムのクズを払うぐらいに簡単なのだ。
「女子が、神聖な土俵で、汗を流しているんだ。裏方の分際で、色目を使って見てんじゃないよ。おとなしく床だけ見てな」
顔を床に擦り付けられたままだ。僕たちは「すみません」と消え入るような声で繰り返すしかなかった。彼女が鼻で笑って立ち去った。僕たちの首筋には赤い指の手形が残った。しばらくの間、震えが止まらなかった。
佐藤菊彦の一言一言は、この国の現実を正確に切り取っている。冷徹な批評の言そのものだった。だからこそ、僕の胸には鋭い棘となって刺さる。本当に、ひっくり返せないのだろうか。僕は握りしめた拳を、佐藤に見つからないように、そっと制服のポケットに隠した。
川上泰子はすぐに立ち上がった。悔しさを押し殺した、厳しい無表情で砂を払った。金子に向かって一礼した。その背中が、いつもより少しだけ小さく痩せて見えた。
僕は、胸が締め付けられる痛みを覚えていた。川上泰子が誰よりも練習しているのを見てきた。放課後、誰もいない相撲道場で、一人で鉄砲柱を叩き続けている。その姿を、僕は知っている。だからこそ練習に協力してきた。それでも、生まれ持った体格の差という冷酷な壁が、彼女の前に立ちはだかっているのだ。
僕の密かな片思いの相手。僕が心から憧れ、応援している川上泰子は、今日も負けてしまった。
3
放課後。
夕日が街を赤く染める頃、僕は学校から少し離れたところにある、寂れた空き地にいた。周囲は、古い崩れかけのブロック塀に囲まれている。夏草がまばらに生えているだけだ。普段は誰も来ない。周囲の廃墟には、幽霊が出るという噂がある。
この国は、敗戦の痛手から復活していない。町のあちらこちらに、空襲を受けて焼けた建物の残骸が、そのままに野ざらしになっている。整地されているだけましだ。しかし、次の建物が作られる気配は一向になかった。
なぜ、わざわざこんな人気の無い場所を選ぶのか。学校の通学路や公園では、女子生徒たちの『男子狩り』の標的にされるからだ。
昨日も、放課後の校門近くで、僕と佐藤は運悪く大柄な女子バレー部員たちに捕まった。彼女たちは、僕たちの制服の襟首を掴んで、軽々と持ち上げた。僕たちのカバンの中身を、地面にぶちまけた。
『何これ、男子が、生意気に勉強なんかして。どうせ将来は、工場のネジ回しになるんだから、こんなの必要ないでしょ』
僕がジャンク屋で集めた大切な電子基板やノートを、楽しそうに笑いながら、大きな足で、粉々に踏みつぶしていった。
抵抗すれば、そのまま数メートル先の藪まで放り投げられる。コンクリートの壁に叩きつけられるかもしれない。僕は、地面に散らばる大切な基板の残骸を、涙をこらえて見つめることしかできなかった。
だからこそ、この誰も来ない廃墟の空き地が、男子が人間の尊厳を保てる唯一のシェルターとなるのだった。
僕は一本の木の棒を拾い、地面の土をガリガリと削っていた。何度も靴のつま先を使って円を描いた。即席の丸い土俵を作り上げる。学校の体育館にある立派な白砂の土俵ではない。ただの泥土の、いびつな円だ。それでも、削り出した木の棒の重みや、地面の摩擦係数を頭の中で素早く計算しながら描いた円は、幾何学的には完璧な正円のはずだ。
男子の僕に許された数少ない特権は、教科書を貪り読むことと、ジャンク屋で拾った壊れたラジオの電子基板を弄り回すことくらいだ。少なとも、ここには男子禁制の掟はない。男子にだって相撲という格闘技への憧れがある。自分たちも参加してみたい。自然な感情だった。
「お待たせ、敷島君、待たせちゃったね」
丈の高い雑草をかき分ける音とともに、聞き慣れた声がした。振り返ると、上は白の体操着で、下は紺色のブルマの川上泰子が立っていた。セーラー服の上着は右腕にかけている。左腕には、AHODASのスポーツバッグがあった。肩には、あの藍色の回しを袋に入れて下げている。
「ううん、僕も今、土俵を書き終わったところだよ」
僕が笑って見せた。泰子は少しはにかんだような、でもどこか硬い表情のまま、土俵の縁に歩み寄った。
「ごめんね。今日の体育、敷島君に、見苦しいところ見せちゃって。やっぱり、金子さん相手だと、どうしても浮かせきれなくて」
「そんなことないよ。立ち合いはすごく鋭かった。金子さんだって、一瞬焦った顔してたよ」
僕の本心の言葉に、泰子はふっと視線を落とした。
「でも、負けたら、意味がないよ。この国で、相撲は運動の代表。私はもっと、強くならなきゃいけない。だから、今日も、付き合ってくれる」
「もちろん。そのために、ここで待ってたんだから」
泰子は頷くと、躊躇なくコンクリートのヒューム管の裏で、ブルマとパンティを脱いだ。全裸となる。藍色の回しを、しっかりと締めた。夕日を浴びて、引き締まった太ももや、健気な肩の筋肉や、形のよい二つの乳房が、健康的に輝く。学校の土俵では、遠くから見守るしかなかった力士としての姿が眼前にある。
「よし、じゃあ、いくよ」
泰子が土俵の中に入ってきた。腰を落とす。僕は、正面に立った。
僕は、「ヒトマル」と呼ばれている二足歩行機械に乗っている。卵の殻を半分に切った形の操縦席に男子が座る。胴体に蛇腹式の二本の腕。同じく、蛇腹式の二本の足がついている。これで登下校から、学校での生活も行っている。これがなかったら、年間、何人かの男子生徒が、廊下で女子生徒のゴムの上履きに踏みつぶされているだろう。無事でいられると思えない。
僕の体格は、男子の中では平均的だ。体重は五十キロ台後半。つまり、小柄な泰子の六分の一。おまけに男子だから、筋肉の付き方も女子のそれとは違う。相撲の訓練なんて、受けたこともない。生身での相手は不可能だ。
でも、ヒトマルに乗れば、僕は泰子の練習の相手をすることが可能だった。違法行為なのだが、ひそかに足の駆動系の耐久性を強化している。積載するモーターも、泰子の力に負けないように、工業用のそれと交換してある。重量も僕と合わせれば、二百キロを超える。
相撲には素人だからこそ、泰子の練習台としては最適らしい。専門家には予想できない角度からの攻めが可能だ。泰子の試合での順応性の高さは、いくらかはヒトマルとの練習の成果が出ているのだろう。どんな変化にも即座に対応した。
彼女は、巨大な相手と戦うための、技のキレを確認する。そのための、動く格闘人形。それが、僕とヒトマルの役割だった。腰には、白い回しを締めている。外部への持ち出しは、ご禁制の品物だ。見つかったら、風紀委員からつるし上げられるだろう。恐怖の生徒指導室から出られないに違いない。
「泰子、思いっきり、当たってきて。僕、簡単に倒れないように、ヒトマルで頑張るからさ」
「うん。手加減は、しないよ」
泰子の目つきが、一瞬で勝負師のそれに変わる。僕たちは、泥の仕切り線を挟んで向かい合った。
「はっけよい」
僕が声をかける。泰子の呼吸が深く、静かになる。
「のこった」
ドンッ!!
ヒトマルに乗っていてさえ、目の前がチカチカした。体育館で聞いていた音とは違う。耐震耐圧の操縦席に乗っていても、骨格に直接、強烈な鉄槌が下される。そんな衝撃。泰子の頭が、ヒトマルの胸元へめり込んでくる。黒髪を紺色のカチューシャで額に止めている。シャンプーの甘い香りがした。練習のあとで、シャワーを浴びてきたのだろう。
「う、ぐっ」
僕は、一瞬で息が詰まった。必死でヒトマルの操縦かんを握りしめる。彼女が全力を発揮しているはずはない。そんなことをされたら、ヒトマルは吹っ飛ばされる。故障する。二度と立ち上がれないだろう。だから、これはあくまで演技だ。型の試技にすぎない。それでも、泰子の踏み込みのエネルギーは、軽トラックに衝突されたようだった。ヒトマルの蛇腹の足が、一歩、また一歩と泥の上を滑っていく。
「まだまだ」
僕は必死にヒトマルの足を踏ん張った。両腕を泰子のくびれた腰へ回した。なんとか前進を止めようとする。彼女の肌の熱気と、うっすらと浮き出た汗の匂いが、至近距離で僕の五感を満杯にする。泰子の藍色の回しに包まれた腹部が、僕の目の前で激しく起伏している。
「はぁぁぁッ」
泰子が短い気合の声を上げた。彼女の細い、けれど鍛え上げられた腕が、ヒトマルの腰をがっちりと抱き起こす。重力が消えた。二百キロの僕とヒトマルの身体は、いとも簡単に宙に浮いた。
気がついたときには、僕は空き地の乾いた草の上に、ひっくり返っていた。見上げると、夕焼け空を背景に、息を荒くした泰子が、僕を見下ろしていた。
「ごめん、ちょっと本気出したかも、柳、大丈夫」
心配そうに手を差し伸べてくる。僕はその手を掴んで、苦笑いしながら立ち上がった。お尻についた泥を払った。ヒトマルが倒れている。僕は操縦席から放り出されたのだ。中古の腰の皮のベルトが、衝撃で切れてしまったのだ。
「強いなぁ。やっぱり、泰子の寄り切りはすごいよ。ヒトマルじゃ、全然踏ん張れない」
「当然だよ。これでヒトマルに負けてたら、それこそ相撲部を辞めなきゃいけないもん」
泰子は、今日初めて、少女らしい屈託のない笑顔を見せた。僕の胸の奥が少しだけ熱くなる。泰子とは家族で近所づきあいをしてきた。小学校入学前までは、男女の背丈があまり違わない季節がある。泰子の方が、ほんの少し目線が高いぐらいのときもあったのだ。泰子の背景の夕焼けの空が赤かった。
「ねえ、泰子」
「ん」
僕は、ずっと言いたかったことを口にした。
「今日の体育のときさ。みんな赤とかピンクとか、派手な回しを締めてただろ。金子さんもオレンジだったし」
「うん。最近の流行りだからね。ネコ柄のやつとか、私もちょっと可愛いなとは思うよ」
「でもさ」
僕は泰子の黒い切れ長の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「僕は、泰子の藍色の回しが、一番格好いいと思う。誰よりも相撲に真剣だって、一目でわかるから。だから、その回しの色のままで、次は絶対に勝ってほしい」
泰子は目を丸くした。夕日の赤さのせいだけではない。彼女の耳たぶが、みるみるうちに赤くなっていくのがわかった。恥ずかしそうに視線を泳がせた。それから、自分の腰に巻かれた藍色の回しを、両手で愛おしそうに握りしめた
「ありがとう。この回し、お母さんから、譲り受けたものなんだ。昔ながらの、本物の藍染めなんだよ。二度と、作れないぐらいに、貴重なしろもの。だから、私もこれが、一番気に入ってるの。ねえ、柳一郎君。お母さんはいつも私に言うの。私たちは国に肉体を書き換えられた存在だって」
泰子は自分の、豆だらけの大きな手のひらを見つめた、
「遺伝子改良の負荷のせいで、お母さんは今でも毎月、重い関節痛に耐えながら製鉄所に通ってる。急激に巨大化した骨格に、心臓の成長が追いつかない子だって、ざらにいる。金子小百合さんだって、あの四百キロ近い質量を維持するために、毎日吐き気を催すほどの量の食事を詰め込んでるはず。この国の女の子はね、生まれながらにして『強くなければ存在価値がない』っていう、重い呪いを背負わされているんだよ」
「私のイメージだと、お母さんはいつも泥と汗の匂いがする人なんだ。
泰子は回しの端をそっと指でなぞりながら、遠い目をした。
「お母さんは、戦中派の第一世代。遺伝子改良の実験が、一番極端に出ちゃった世代なの。体重は三百八十キロもあって、今は国営の製鉄所で、男の人の手では、何人もかかるような重い高炉のハンドルを、一人で回してる。家に帰ってくると、いつも疲れ果てて、巨体を丸めて、泥のように眠ってる。そのお母さんが、私が中等部に入るときに、藍色の回しをくれたの。お母さんが若い頃、土俵で何度も転がりながら、体一つで立ち向かった証拠なんだって。「泰子、戦後の風潮の派手な色には、誤魔化されないでね。自分の骨と肉だけを信じなさい」ってね」
泰子は、もう一度、僕の方を向いた。今度は力強く微笑んだ。瞳には、昼間の敗戦で沈んでいた陰りは、もう残っていなかった。
泰子の言葉の端々から、大女の母親への、深い畏敬の念が滲んだ。泰子は自分で自分を励まそうとしていた。
「よし、もう一丁。今度は、引き技への対応を試したい。いい」
「望むところだ。いくらでも付き合うよ」
僕たちは、再び土俵へ戻る。
大日本女王帝國。男子は土俵に上がれず、女子の後ろ姿を見つめるだけの世界。けれども、この赤く染まった放課後の空き地だけは、僕と彼女だけの、誰にも邪魔されない神聖な土俵だった。
「はっけよい」
僕の声に合わせて、藍色の回しを締めた小さな力士が、力強く地を蹴った。
4
放課後の秘密の結界での練習は、いつも以上に白熱した。川上泰子は、金子小百合にどうしても勝てなかった。巨体の下に浴びせ倒しで敗れた。蛙のように押しつぶされたのだ。無様な負けだった。きれいな顔の額に切り傷が刻まれていた。
悔しさをバネにしていた。川上泰子の当たりは、鋭さを増していた。僕とヒトマルの連合軍は、鋭い突っ張りと低い押しをまともに食らった。何度も泥の土俵の外へと弾き飛ばされた。
「まだまだ、泰子、もう一丁」
僕も必死だった。泰子の力になりたい。その一心で、泥まみれのヒトマルで立ち向かった。足回りが速くなるように、プログラムを最新型に書き換えている。しかし、泰子が仕掛けた強烈な下手投げをこらえようと、足を踏ん張った瞬間、濡れた土にヒトマルが足元をすくわれた。
「あ」
僕は操縦席から跳ね飛ばされていた。またしても、補修したはずの皮のベルトが切れたのだ。僕は無様に草の上を回転した。鈍い音がした。激痛が走った。思わず膝を抱えてうずくまった。右膝が、土に埋まっていた古いコンクリートブロックの破片に、激突したのだ。
「敷島君。大丈夫」
泰子が血相を変えて駆け寄ってきた。大きな手が、僕の肩を包み込む。体操着のズボンが破れている。剥き出しになった右膝の切り口から、血が流れていた。
「ごめん、ごめんなさい。 私、つい熱くなっちゃって」
「いいや、僕が空き地の掃除のときに、気が付かなかったからだ。大したことない」
強がって立ち上がろうとした。が、膝に力が入らない。視界がぐらりと歪んだ。地面と格闘技を演じたショックで、軽い脳震盪を起こしているのかもしれない。
「敷島君、無理はしないで」
川上泰子は躊躇なく、僕の身体を横から抱き上げた。この世界における女子の腕力は、男子の想像を遥かに超えている。二百五十キロの肉体を支える筋肉は、僕の身体をお人形のように軽々と持ち上げる。
「私の家の方が、近くだから。お母さんもお父さんも、今日は仕事で遅くなるって言ってた。とりあえず、傷の手当てをしなきゃ」
藍色の回しを締めたままの泰子は、僕を抱えたまま、驚くべき軽快さで空き地を後にした。ヒトマルはプログラムされたように、自分の隠れ場所へ帰っていく。男子である自分が、女子に抱っこをされている。その気恥ずかしさと、すぐ近くから漂う彼女の汗とシャンプーの混ざった甘い匂いに、僕の心臓は怪我の痛みとは違う理由で激しく高鳴っていた。
5
川上泰子の家は、僕の家から二区画の街道沿いにある。古い木造の二階建てだ。戦前に建てられた家々は、どれも小ぶりだ、が、女子の生まれた家は、成長する女子の体格に合わせて、床下の基礎が頑丈になっている。天井やドアノブは高めに改良される、国から補助金が出る。泰子の家も、女子の体格が飛躍的に向上した、戦後の仕様だ。
大日本女王帝國は、強い兵士を産むために、先の大戦中に女性の肉体を、遺伝子から改良したのだ。しかし、壮大な計画は、間に合わなかった。敗戦の日を迎えてしまったからだ。そして、生まれてくる男性の肉体はそのままなのに、女性の肉体だけが巨大化するという片肺飛行の結果を生み出した。未完成な状態の遺伝子治療の技術を、実験も不十分な状況で、人体に適応した結果だった。
僕たちは、戦後のベビー・ブーム世代。いわゆる赤ちゃんが爆発的に誕生した世代に属する。戦後、二十年を経て、女子の体格は飛躍的に向上した。
この国で『戦後に強くなったのは女性と靴下』と揶揄された言葉がある。今や文字通り、数百キロの巨体を持つ強大な女性と、その重量を支える足が生み出す摩擦熱に耐える超高強度ストッキングという現実として結実している。
国は女性の肉体だけを強化したのだが、僕はそれを支える繊維技術の進歩の方に、目を奪われてきた。技術の進歩は世界を変えていく。僕の父親も軍隊で整備士を務める技術者である。僕は、技術の勝利を信じている。
川上泰子は僕を腰に抱えたまま、器用に家の鍵を開けた。
玄関の脇には、泰子のお父さんのものとおぼしき、ひどくすり減った小さな安全靴が、ぽつんと置かれていた。僕の父親と同じく、彼もまた軍の技術工廠で夜を徹して働く裏方だ。
この国の産業は、巨大化した女性たちの圧倒的なパワーと、それを支えるため、身を粉にして機械を狂わせない男性たちの、いびつな共同作業で成り立っている。
泰子のお父さんは、めったに家に帰れないそうだ。それでも、この特注の頑丈な家と、娘が力士を目指すための莫大な食費は、彼の卓越した知性と夜勤の連続によって賄われているのだ。
静まり返った玄関を通り抜ける。二階にある勉強部屋へ一気に駆け上った。
部屋に入る。川上泰子の人柄を映している。整理整頓されていた。相撲に関する技術書や、歴代の女横綱たちの写真集が並ぶ本棚の横に、ぽつんと置かれた学習机。そして、部屋の奥には、巨体を支えるために特別に頑丈に作られた木製のベッドが、鎮座していた。
「敷島君、ここに、座ってて」
泰子は、僕をゆっくりとベッドの端に腰掛けさせた。急いで一階へ降りていった。どしん、どしん、足音が、静かな家の中に響く。すぐに救急箱を持って戻ってきた。
僕の前に両膝をついた。真剣な眼差しで僕の傷口を見つめた。
「ちょっと、沁みるよ」
脱脂綿に消毒薬のオキシフルを浸した。膝の泥と血を丁寧に拭き取っていく。大女であるはずの泰子の指先は、驚くほど繊細で、優しかった。二酸化炭素の泡が傷口で蒸発していく。
「痛」
「あ、ごめん。しみるよね」
「ううん、大丈夫。泰子が優しくしてくれるから、痛いの飛んでいきそう」
冗談めかして口にした。泰子は手を止めて僕の顔を見つめた。それから照れくさそうに視線を落とした。赤いヨードチンキを塗った。ふうふうと温かい息を吹きかける。赤いのに見る角度によっては、金色の照りが出てくるのが不思議だ。大きな絆創膏をペタリと膝に貼り付ける。川上泰子は「ふぅ」と大きなため息をついた。
「よかった、骨は折れてないみたい。本当にごめんね、敷島柳一郎君を、私の練習に付き合わせているせいで、こんな怪我までさせちゃって」
「何を、言ってるんだよ。僕がやりたくて、無理に頼んで、やってることだし、泰子の力になりたいし」
手当てを終えた泰子は、救急箱を片付けた。セーラー服の上着を壁のハンガーにかけた。
「ちょっと、向こうを見てて」
壁の女横綱のポスターを指さした。
白い体操服と紺色のブルマと上下の下着を脱いでいる。女子は男子の前で素肌をさらすことにためらいがない。何の問題もない。襲い掛かってくる心配はない。すぐに撃退できる。
すばやく薄い部屋着に着替えた。僕の隣に腰掛けた。特注のベッドが、二人の体重を受けてギシッと静かに軋む。
夕暮れの光が、窓から部屋の中に差し込み、長い影を床に落としていた。両親のいない静かな一軒家。二人だけの、濃密で特別な時間が流れ始める。
僕だって十四歳の男子だ。川上泰子という美少女を抱き締めて、キスをするという甘い夢を見る夜がある。でも、現実には二人で並んで立つと、スカートの腰の辺りまでしか、僕の頭のてっぺんが届かない。つま先立ちになって、手を伸ばして、ようやくふくらんだ胸元に届くぐらいだ。拒まれたら、どうしようもない。そして、もしも嫌われたら。泰子という友達までも、失うことになる。うかつには手を出せない。夜に自分を自分で慰めるしかない。夜明けに夢精をして目を覚ました。自分よりも、小柄な川上泰子を抱いて、キスをしていた。パンツの前が、べっとりと濡れていた。洗濯機に、そのまま放り込んだ。つらい。
「ねえ」
泰子がぽつりとつぶやいた。両膝を両腕で抱えている。体育座りをしている。短パンから二本の生足が伸びている。そこも生傷だらけだった。
窓の外の赤く染まった街並みを見つめている。
「私、今日の金子小百合さんとの試合で、本当に思い知らされた。この国では、相撲が強くなきゃ、まともな大人として扱われない。私は、大日本女王帝國の力士として、もっと上に行かなきゃいけないの。でも、私の体格じゃ、どんなに稽古しても、いつか限界が来るのかなって」
彼女の声には、昼間の土俵では決して見せない、脆さと不安が滲んでいた。
「そんなことないよ。泰子の技は、誰よりも正確で、美しい。体格の差なんて、技でひっくり返せるよ」
「ありがとう。でもね、現実は厳しいよ。もし私が、これ以上、強くなれなかったら、将来、どうなるんだろうって。ちゃんとした仕事に就けるのかな。就職試験まで、相撲の結果は、つきまとうっていうし。結婚して、お母さんみたいになれるのかな」
彼女は自分の大きな手を見つめた。鉄砲柱を叩きすぎて、豆だらけで硬くなっている。
「敷島柳一郎君は、いいよね。頭がいいから。学校の成績も、いつも上位に入っているし、未来が約束されてるみたい、ちょっと羨ましいな」
「僕」
僕は苦笑した。
「僕の未来なんて、この国じゃ、タカが知れてるよ。男子だもん。どんなに勉強ができたって、表舞台に立つことは許されない。政治も、経済も、文化も、国技である相撲も、すべてが女性のものだ。僕たち男性に許されているのは、裏方として、社会の歯車になることだけだよ」
佐藤菊彦の口調が乗り移っていた。けれども、それは、この国に生きる男子全員が抱える、諦念に満ちた実感だった。
「でもね」
僕は、自分の胸の奥に秘めていた秘密を、ついに明かすことに決めた。
「僕は、このまま終わるつもりはないんだ。諦めて、ただの歯車になるのは嫌なんだ。だから僕、未来を作ろうと、思ってるんだ」
「未来」
泰子が不思議そうに首を傾げた。前髪が額にふわりとかかった。僕の顔を覗き込んだ。
「うん。実はね、独学で、ロボット工学を勉強してるんだ。ヒトマルも自分で改造した。この国は、敗戦から、まだ完全に立ち直っていない、力仕事は、すべて女子の肉体労働に頼り切ってる。それでも、復興は間に合っていない。いつか限界が来る。人間の力を超える、人工の肉体の協力が、必要になるはずなんだ。ヒトマルでは間に合わない。もっと強いロボットが必要だ」
僕は熱を帯びていく声を抑えきれなかった。
「だから僕、自分の物置小屋で、自作のロボットを作ってるんだ」
「えっ、そうなの」
泰子は驚きで目を丸くした。
「そう。何かないかなと、廃棄物置き場を、あさっていて、偶然に軍用のロボットの試作機を見つけた。進駐軍の目から隠すために、捨てられていたんだ。それに、ジャンク屋から拾ってきたモーターや、廃車から剥ぎ取ったバッテリーを組み合わせてさ。まだ、腕を動かしたり、歩かせたりするのがやっとだけどね。でも、知識と技術が、形になっていくのが、すごく楽しいんだ」
僕は自分のか弱い両手を見つめた。
「女子みたいな怪力は、僕にはない。三百キロの金子小百合さんを投げ飛ばす筋肉もない。でも、僕の作ったロボットなら、千キロだって軽々と持ち上げられる。知力は、肉体の筋力の壁を超えることができる。いつか、僕の作ったロボットで、この国の産業を、そして人間の生き方を変えてみせる。それが僕の、未来の夢なんだ。本当はね、悔しかったんだ。後輩の女の子から背中を踏まれた時も、バレー部に、大切な電子基板を粉々に踏みつぶされたときも。僕は、ダンゴムシみたいに、縮こまることしかできなかった。肉体の暴力に対抗したいんじゃない。でも、『男子だから』という理由で、自分の知性や尊厳まで踏みにじられるのが、どうしても耐えられない。僕のか細い指先からでも、世界を動かすレバーを作れるんだって、証明したいんだ」
泰子は、驚嘆の眼差しで僕を見つめていた。それは、昼間の相撲道場の片隅で、小さくなっている男子生徒たちを見下す、風紀委員の女子生徒の視線とは全く別のものだった。川上泰子の瞳の中で、僕という存在が、ただの無力な男子としてではなく、一人の開拓者として映っているのが、分かった。
「すごい」
泰子は感嘆の吐息を漏らした。
「私、自分の相撲のことしか考えてこなかったから、敷島君が、そんなに遠い未来を見てるなんて、知らなかった。格好いいよ。同級生の誰よりも、君が一番、大人に見える」
「格好よくなんてないよ。ただの悪あがきさ。でも、泰子がそう言ってくれるなら、頑張れる気がする」
二人の視線が交差する。泰子の頬が、夕日の赤さとは違う、熱を持ったピンク色に染まっていく。泰子は恥ずかしそうに視線をそらした。ふふっと笑った。
「じゃあ、約束ね。私は、この藍色の回しで、体格の壁を破って、絶対に強い力士になる。君は、その凄い頭脳で、世界を変えるロボットを完成させる。お互い、自分のやり方で、未来を掴み取ろう」
「うん。約束だ」
僕たちは、小さな、けれど固い誓いを、静かな部屋で交わした。社会が強いる男女の役割分担なんて、関係なかった。僕たちは、お互いの存在を、お互いの夢を、強く必要としていた。
「あ、もうこんな時間。お腹、空かない」
気がつくと、部屋の中はすっかりうす暗くなっていた。窓の外には、ぽつぽつと街灯がともり始めている。
「言われてみれば、お腹ペコペコかも。放課後、あんなに動いたしね」
「ふふ、じゃあ、私が何か作るよ。お母さんから、力士のちゃんこ鍋の作り方、教わってるんだ。男子の君には、ちょっと量が、多すぎるかもしれないけど」
「泰子の手料理? ぜひ食べたいな」
僕たちは一階の台所へと移動した。
泰子は手際よく大きな鍋に水を張り、出汁を取り始めた。鶏のひき肉を丸めてつくねを作る。キャベツや人参、油揚げを豪快に刻んでいく。包丁捌きは、力強く無駄がない。
「はい、お待たせ。特製、川上家のちゃんこスープだよ」
目の前に出されたのは、洗面器ほどもある大きなお椀に入った、具だくさんのスープだった。立ち上る湯気とともに、醤油と生姜の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「いただきます」
スプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
「おいしい。身体の芯まで温まるよ」
「本当、よかった。力士の身体を作るための食事だから。栄養は満点だよ。君、細いから、もっとたくさん食べなきゃダメだよ」
泰子は嬉しそうに目を細め、僕が食べる姿を、じっと見つめている。彼女自身も、特大のお椀で豪快にスープを流し込んでいく。食べっぷりの良さは、やはり大日本女王帝國の力士そのものだ。
「お父さんとお母さん、二人で並ぶとね、まるでお人形と、クマさんみたいなんだよ」
泰子は特大のお椀を傾けながら、ふふっと笑った。
「体格は全然違うし、二人とも仕事が忙しくて、すれ違いばかりの毎日だけど。でも、お母さんが、仕事で指を怪我して帰ってきた夜があるんだ。おおらかなお母さんが、珍しく泣いてた。お父さんが、自分の何倍もあるお母さんの手を一生懸命包み込んで、徹夜で特製の包帯や、明日からの工場の仕事に困らないよにと、補助の器具を自作してあげてたの。私、それを見て思ったんだ。強さと大きさは、関係ないんだって。あの二人みたいに、私も自分のやり方で、誰かを支えられる強さが欲しい。それが、私の相撲の原点なのかもしれない」
僕にとっては、どんな女の子の食事姿よりも、川上泰子のそれは、魅力的で、愛らしく思えた。給食時間の女子たちは、がっついた豚だった。
怪我をした右膝は、泰子の治療と温かいスープのおかげで、すっかり痛みが消え去っていた。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったよ」
お腹がいっぱいになった。大満足で席を立った。時計の針は、もう夜の八時を回っている。そろそろ、彼女の両親も帰宅する時間だろう。
「じゃあ、僕、そろそろ帰るね」
「うん。じゃあ、途中までおくってくよ」
川上泰子は、僕の家のある区画まで送り届けてくれた。男子の夜間の一人歩きは危険なのだ。襲われることもある。猟奇的な事件はあとを絶たなかった。
「気をつけてね。明日、学校まで歩けそうになかったら、私が、おんぶしてあげるから」
「勘弁してよ、学校でそれやられたら、恥ずかしくて、生きていけないよ」
僕たちの笑い声が、静かな夜の道に響いた。
「じゃあね、泰子。また明日、学校で」
「うん、また明日。ロボットの開発、頑張ってね」
立ち去る泰子のしなやかですっきりとした後ろ姿は、どこか神聖な輝きを放っているように見えた。
夜空を見上げながら、僕は自分の未来へ向かって、一歩、力強く踏み出した。裏庭の物置小屋に向かった。ヒトマルも、あらかじめ組み込まれたプログラムに従って、帰宅していた。
僕がロボットの開発を急ぐのには、だれにも言えない理由がある。また戦争が始まれば、巨大な少女たちは、まっさきに兵士として召集される。それが、大日本女王帝國の真の狙いだ。戦場で消耗される。けれども、彼女たちの手足となって自由に動く機械の装甲があれば。救える命があるかもしれない。たとえば、川上泰子という名前の純真な少女を。困難な時代を生きる僕たちの宿命だった。
大日本女王帝國相撲奇譚 (前編) 〜~~ 三百キロ超えの女子に、五十キロ男子の僕が自作ロボットで挑むのはありか 〜~~
了
民生食堂 あじさい 第8話 雨の夜
翌日も男はあじさいに行った。
「職安に行った」
「うん」
「仕事はなかった」
「そう。十円のお返し」
「うん」
会話はそれだけだった。
その翌日も男は行った。
「治部煮と小アジの南蛮漬けと南瓜」
「……」
男は女からお盆を受け取ると席につき、音のよく聞こえないテレビを横目に黙々と飯を食った。
天気予報では今日は晴れる予報だった。
だが、空は急に暗くなり、暴風雨となってしまう。
ほとんどが傘を用意していない客たちは、逃げるように店を出ていく。風に吹き飛ばされそうになりながらも、頭を手や鞄で覆って走り去っていった。傘を持っていた客もかえって吹き飛ばされそうになって、傘を差すのを諦めた。
またもや男だけがポツンとひとり取り残される。
女がテレビのダイヤルでチャンネルを回すと、気象情報をやっている番組を見つけた。大雨洪水警報が出ていた。
「降ってるな」
「ん」
短いながらも言葉を交わす。また男の向かいに女が座って煙草に火を点けたが、男はそれにも少し慣れてきていた。
男は雨が弱くなるのを待っていたが、一向にその気配はない。
閉店時間も近づいてくる。
壁を灰色がかったナメクジが一匹、ゆったりと這っていた。
女はそれを見つけると、いつも通りに古い箒の柄で、窓からそっと外へ放り落とす。
窓を閉めると、女は煙を吐きながら漏らした。
「今日、泊まってく?」
「え」
男はその一言に身を硬め、言葉を失う。
沈黙は長かった。
「……いや、いい」
ようやく絞り出した声。
「そう」
いつも通りの、短すぎる返答。
「アパート、どうするの」
「……どうしようもない。金がない」
「そう。誰かから借りれないの」
「借りるあてがない。周りで金払いの良いやつを俺は知らない」
「ふうん」
そのあとはただ沈黙が続いた。
このままではアパートは取り壊され、男は仕事もないまま立派な「浮浪者」になってしまう。だが今の男に何ができるというのか。彼は弱々しく自身の無力さを噛みしめていた。
閉店時間まで粘ったものの、風雨が収まる気配はない。
「じゃあ」
女はその言葉には応えず、ただ灰皿を見つめている。腹を括った男は、轟音の鳴り響く雨中へと身を投じた。
まるで滝行でもしているかのようだった。
▼次回 第9話 再びの夜
民生食堂 あじさい 第6話 無為
男は歩みを進め、活動を開始したばかりでざわつく駅前を通り過ぎ、自宅のアパートへたどり着く。
ドアを開けると、かび臭い湿気と刺すような静けさが男を迎えてくれる。
窓は閉め切ったまま。ささくれた畳は黒ずんでいる。
腹が鳴った。
冷蔵庫は空。戸棚の奥に、製造年月日から十ヶ月は経っている袋めんが一つ残っているだけだった。
それを茹でる。具はない。
AMラジオを点けると、勤め人向けの朝番組が流れてきた。
働かねば。
ひとりで、味噌ラーメンを食べる。
温かかった。
でも、それはあの民生食堂の簡素な食事の「温かさ」とは何かが違う。
男はアパートを出ると、職探しに行く。町工場回りをしても、どこでもけんもほろろに追い返された。疲労感だけが男の両肩にずっしりと圧し掛かる。
仕事をせずとも腹は減る。
どうする。
真っ先に民生食堂あじさいの暖簾を思い出した。女の顔も思い浮かぶ。今頃はいつもの無表情で、昼の客が来るのを待っている頃だろう。あそこへはすぐにでも行ける場所だ。
いや。踵を返した男は、通りすがりに見つけた中華で、ラーメンと半炒飯のセットを頼んだ。
店内では客や店員の怒号のような会話と、テレビの音声が騒々しさを競っている。あの民生食堂の張り詰めた静けさはどこにもなかった。
乱暴に隣に座った職工風の男が「チェリー」を取り出し吹かして新聞を広げる。あの女の煙草だった。ここの騒々しさと「チェリー」の紅色が繋がらない。男にとってあの紅色はあじさいの休憩時間の静けさの中に女が手に取るはずのものだった。
透き通った醤油スープに具の少ないストレート細麺を急いですする。合間に炒飯を頬張ってろくに噛まずにスープで飲み下した。味が入ってこない。
男は慌てて食べ尽くすと、スープまで飲み干して立ち上がり早々に会計をする。
飯を食ってからの男は工場回りを再開しようとして、やめる。もう既にあらかたの工場は回っていた。
工場の壁に囲まれ、じめじめした狭い公園の、苔むしたベンチに一人座る。そのまま二時間身じろぎもしなかった。
目の前で子供たちがはしゃぎまわっている。男は子供たちや宙を彷徨って虚しく弾けるシャボン玉を目で追っていた。男が子供の頃やっていた遊びはもう見当たらなかった。
ため息ひとつ吐いて男は立ち上がり、尻を叩いて帰宅する。
かび臭い居室から洗濯物を取り出して銭湯に向かった。
コインランドリーへ無造作に洗濯物を突っ込み、風呂へ入る。
長々と浸かったので少しのぼせた。
帰宅し水を飲む。洗濯物は畳まずに放り投げる。布団を敷いてその上に腰を下ろした。
気が付けば晩飯を食っていない。男はうんざりした顔で立ち上がり、駅まで彷徨う。改札横にある閉店寸前のキヨスクでカレーパンと焼きそばパンを買って帰る。
アパートの自室で布団の上に座ってそれを食べるが、今度のパンは塩気があるもののやはり歯ごたえはない。また民生食堂の総菜が頭をよぎる。
歯を磨いて明かりを消し布団に潜り込んだ。
今日一日を振り返る。
何もない無為な一日。
また雨音がトタンの屋根を打ち始める。
男はその音も耳に入らないまま眠りに落ちていった。
▼次回 第7話 再会
光、それを追うものと
石の中の日光
影に射す光
その恋人の撚り糸
言葉は紡ぐものではないよ
もちろん紡がれたものでも
白亜紀からジュラ紀
サピエンス以前の歴史
の蔦を伝い
拙い記憶の風下には轍
私たちは確かに
不確かなものに囲まれて暮らし
冴え冴えと
遮るものさえない運命を見定めて
裂け目から発芽した
過日ののぞみに触れて
器用に奇天烈に破廉恥に
形容詞を使い果たすことすらできず
一途に史実を真実と信じ続け
帰らぬものに帰らぬ理由を問う
昨日、抽斗のLEDを逃がしてやった。彼はしばらくの間、部屋を泳ぎまわり、いつの間にか消えた。彼は卵を産みつけたのではないかしらと私は思う。きっと、ベッドの下あたりに。LEDの卵たちはきらめく柔毛に包まれて、闇の中で林の夢を見る。
林には木々の愉悦のほかに何もなく、卵たちは好き好きにさまよう。勿忘草の川や、鬼灯の扉を開けて、ケンポナシは鈍色に発光していた。
私は一個の卵を身に宿したまま、坂道を逆に登り、悲しみに名前をつけていた。こわい。やめて。こないでよ。跳び箱を跳んで逃げていくトカゲの群れとはぐれて、はじめて私は涙の意味を知る。
あれは鹿だ。
一本の脚が言う。
魚であるために
鋼を束ねて捏ねる。
やはり鹿だ。
林に木漏れ日が落下して死んだ。
影を追って
鹿だ。
夢で会えたはずの恋人たちの
撚り糸を綯い交ぜにして
石の中の日光
影に射す光
私よりはるか昔を生きる。
卵はかえらない。
けれど、舌先にのせた
微熱と痺れは
私たちのまなこにうつる
鹿の姿そのものであったのだが。
遅い朝
リハビリついでに買い物をした
令和日本は五月晴れ
背に酷暑の滲む蒼穹の下
冷やし中華となりました
生活の詩(うた) 五編
桜
俎上の、桜のはなしも
つきつめる
五輪の花弁つけた、こころのざまだ
青春の
アラベスクから
夜を徹し筆持つ今は
もう上昇も下降もできず
燃料が尽きれば墜落する
湯気立つおしぼりで顔を拭おう
ほら
やるから
そして
俎上の、桜のはなしも
つきつめる
五輪の花弁つけた、こころのざまだ
*
依存症
酒は脳を麻痺させて
昨日の夕方には足の指に
電気が流れたようだった
──依存症はね、暮らしを抜本的に
変えたいと思っている人ほどなりやすいの──
今朝の仕事は朝七時からだった
さくばん
朝五時に起きられる状態ではなかった
仕事はキャンセルした
昨晩
俺は何をしていたか?
トリスの瓶のウィスキーをキッチンのシンクに
思いっきりぶちかまして棄てていた
俺は眠りわずらい
純になれば純になろうとするほど
洗濯機の水槽内の洗濯物みたいにグチャグチャだ
なんでそもそも純になりたい?
変わらない自分でいることもゆるされるのか?
懸命洗濯物を干していたら なぜか幸福になっているし
もうお酒は断つよ
その前は7年断っていたんだから・・・
終えると
キッチンに立ちながら
ヨーグルトを食べていた
*
誇りの歌
借り宿にして顔洗い
何を背負うて 高笑い
出会いがあれば 別れあり
働き蟻に 礼なさい
報われる事 無いと分かって
ふくれ顔
坊や 良い子だ 手を洗おう
妻が美人で 鼻高い
やっぱりお家は温かい
さくらの枝を 折ることなかれ
事なかれ 主義で済ますな 要らん戦争
まあまあ そろそろ歌っておくれ
草の民とし誇りの歌を
借り宿にして顔洗い
何を背負うて 高笑い
*
曇りつづき
さびしいままに置いてかれ
土に涙の塩がふる
純粋性の名のもとに
情動さえも冷やされて
そうして成った作物を
分け与えつつ口にして
あの夏もまた良かったと
十月の空 思いたい
*
旅情
旅情をやどしそのままに 四月の気層の底をゆく
花さえ散ってしまっては 若葉に期待するばかり
根も葉もないは噂だけ わたしの罪はわれが知る
風にかまけて歌うたう 山の威厳をそのままに
こころを海へ傾けて きみと相談している日
暗き中にも光りあり 書店の奥の暗がりに
沼津の地図をもとめては 海はどちらと目をこらす
旅情を宿しそのままに 四月の気層の底をゆく
きみの手をとり歩きゆく 樹香の果ての神秘へと
きみの手をとり歩きゆく この頼りこそよすがとす
詐欺師
せかいいち
もしくは
うちゅういちになる
嘘付きが死ぬ程嫌い
そういうきみのためだけに
なんどしのうがなってやる
水に流す
何故
今日もこの便器の
此処だけ
ビッチリ汚されていて
毎週2回
私はそれを
当たり前に
磨くのに
かわらず
毎回キッカリ
◯◯塗れで
体調すら心配に
なる
まず水に流す
最後もまた
水に流す
顔も知らない
誰かの為の掃除を
しながら
私を見掛けたことが
あるかもしれない誰かの
クソを拭い捨てる
働きすぎる便器を
ピカリと光るくらいに
撫で回す
だから何のコレが
私を一番癒し
もちつもたれつの
食物連鎖すら
腹落ちさせてくれたのです
さあ 今日も
にがおえ
いちどもわたしを
じっさいにみたことないひとに
かいてほしい
きっと
お姫様みたいに
かいてくれるだろうから
いきる
ちからづよく
いってのけ
はないきは
いさましいけれど
それって
ゆっくり
きえていくってこと
にくしみ
もじを
じっとみていたら
またきづいたの
にくがあるから
しみこんで
いるのだね
もう ゆるせる
もう ゆるせた?
にくがなくなるころ
きえていくって
しったから
あなたもわたしもだれかれも
2人のちっちゃなだれかさん (2 little whos by e e cummings)
2人のちっちゃな だれかさん
(ボクとアタシと)
この下の
素晴らしい 木の
にこにこしながら 立っていて
(どうでもよくって
どこ? とかいつ? とか)
いまここに
(おとなびちゃってる 既知の世
界から いかにも遠く
ボクもアタシも いかにもラシク)
だれかさんと だれかさんが
(2つのちっちゃな
ボクとアタシと その上は
とほうもない 輝いていて
まっかっかに 夢が)
※どこかにも書いたが、人が規則を破壊するとしたら二つの理由がある。一つは虚無感から。おそらく高橋新吉のダダイズム的破壊はこれが理由であろう(一読すれば、その虚無的心情が深淵からこちらを覗き込む)。もう一つは童心の発露。心が子供返りをしており、せせこましい規則に縛られずに自由に遊ぶ。すると創造的破壊が生じる。カミングスのこの詩は後者による。だって、この詩、読めば誰にだって容易に知れる。破格といえば、形式的には、i&you fulのあたりが存在しない英語となっている。おそらく、「ボクらしさとキミらしさ」と言いたかったのであろうが。また、しばしば語順が乱れている。under are this wonderful treeとか、all realms of where and when beyondとか、どうも各連につき一か所はありそう。意味的には、幼い男児と女児が一緒にいるところを詠んだものであろうし、いかなる世間的約束にも縛られない自由な心を描いたものであろう。童心ゆえの破格なのである。ただ………実に訳しにくいものではあるが。
2 little whos
2 little whos
(he and she)
under are this
wonderful tree
smiling stand
(all realms of where
and when beyond)
now and here
(far from a grown
-up i&you-
ful world of known)
who and who
(2 little ams
and over them this
aflame with dreams
incredible is)
以下は、実はこうだったのかな、という自分の理解を覚書として(間違っているかもしれませんが、いや間違っていそうですが…訳者泣かせのカミングス………ぐすん)。
2 little whos (he and she) are under this wonderful tree
stand smiling now and here (beyond all realms of where and when)
who and who (all I and you, far from a grown-up world of known)
(2 little ams, and over them, this is aflame with incredible dreams)
晩春
影が落ちていく
ゆえは知らねど
ただ影が落ちていく
日が差し込んできているのに
どうして地に影は染み込むのか
春が役目を終えて過ぎ去り
夏が青春を伴って来れども
影、ただそこに落ちていく
それが三河の春だった
それが三河の唄だった
さよならだけの 夢だった
ガルシーア・ロルカ風に
澄んだ泉にカスタネットを沈め
むくむくと
生温かい若者が芽を吹き出し
マルティネスが作った百人分の喪服を着て路上をゆく
大地の毛穴に沈殿する煙のアルバムが時間をかぞえ
暗がりで動く
巨大な蝶の心臓をもつ騎手たちの
青ざめた月桂樹の股間の傾斜した鉄床
アーイアイ! イグアナのすすり泣く屋根!
アーイアイ! 首から驢馬の首をさげる乙女!
マルティネスは月が上にある橋を渡って
鋳造されたばかりの
陶器の子供たちが
ぞろぞろとゆくのを見た
「トマトパスタとオリーブオイルの暗礁だ……」
彼は初めてヴェルレーヌの詩を読んだときに
眼から黒い
黒い
キコリたちが持ってきた
小麦の映る鏡の悲しみのような
沼地の表面のインクの神経を流した……
とても臆病な人で
オリーブが
百年かかって鳥たちに襲われるとどうなるか
しきりと気にしていた……
彼の睫毛が震え音階が呼吸をしランタンの痕跡が遠ざかる
アーイアイ! 油脂で作った徒歩の永遠!
アーイアイ! アドレナリン大菩薩の殺人!
巨大な蝶の母
林檎の木の下で死んだ日焼けした音節の心臓が
澄んだ泉にカスタネットを沈め
黒い土に水をかける犬たちが歌う
……黒い馬 黒い馬 チェロをはこべ
黒い波間
黒い波間をゆけ
昼間には馬は台に載せられ回転を余儀なくされる
馬は復讐の歌をイナナキ
その歌は白い壁にこびりついてシミとなり
シミはやがて
眩暈の獲物の記憶そのもののような
オウムガイの群れとなり
この便箋には知性がないと気が付く
「アンダルシーアの布で拭う血の痕と
オリーブオイルで可動する機械のバラードだ……」
アーイアイ! カチカチ鳴る巨大な手!
アーイアイ! 清潔な納骨堂の夜の恐怖!
……チョコレートが好きだった彼は
澄んだ泉にチョコレートを溶かしてシコタマ怒られて
下着を無秩序な高山病にかかった
記憶と幻想の残骸の
宗教的電話による絵画で
反抗的な風景に変えてしまった
その翻訳された風景の中で
若者がむくむくと芽生え
生温かい状態のままで欠伸をし
青い花の脳みそと
十本の小刀の思想を持つアメリカの鰐を吐き出した……
百人分の喪服を着て歩くことは可能だろうか?
騎手たちは飛行機の中でレモンをかじりながら考えた……
シカゴに行って大好きだったシカゴ管弦楽団の演奏を生で聴けると楽しみにしていましたが
空港から一歩出た瞬間
白馬に猛スピードで突撃され
踏み付けられ
首が飛んでいき
手足も引き千切れてしまい
内臓もほとんどが使い物にならない
ミンチ状態になってしまいました
大好きなシカゴ管弦楽団による
ストラヴィンスキーの《春の祭典》
を聴く予定だったのですが当然そんなことは無理になりました
後日
白馬に乗っていたという王子様
(写真がついていました。金髪碧眼、色が白く、唇が赤く、首が長い、スマートな少年という印象でした。年齢は八十六歳で職業は雨とサンザシを主たる題材とする虚無の写真家だと書いてありましたが)
から詫びの手紙が
書留で墨田区の自宅に届きましたが
せっかくの機会を踏みにじられた怒りはおさまることがなかったのでした
アーイアイ! 手の中の豪雨!
アーイアイ! さんざめくインク壺の中のベロニカの言葉の収穫!
みどりいろのばしょに みどりいろのあしでたって
みどりいろのかぜに ふかれていた
……おさないころに ハートのかたちをしたサカナを じめんにならべて それで すきなひとを ゆううつにさせた……
みどりいろのテマワシオルガン みどりいろのオンガク……
すきなひとの みどりいろのくびすじ……
アーイ! アーイ!
泉の底でカチカチ鳴るカスタネットのリズムに合わせ
マルティネスが百人分の喪服を作る
巨大なアドレナリン大菩薩が窓から覗いている
アーイアイ! アーイアイ!
喚きながらオリーブオイルで濡れた橋を渡る
……陶器の子供たち
空は巨大な蝶に覆われて
地は巨大な蝶の母たちに覆われて
暗がりで動く地理学と旅人の影
歯が剥き出しになりチェロの音が響く
澄んだ泉から
むくむくと
芽を吹き出した生温かい若者が
欠伸をしながら生まれ
じーっと宙の一点を見つめ
どろどろと溶けていく
赤いダリア
赤いダリアの球根を買いました。
ほんとは、赤ではなくて
ピンクかオレンジが欲しかったのだけど。
でも、売れ残った赤いダリアの球根を見ると
2センチほど伸びた芽の先端が、
白いネットに絡まっていました。
今、この白いネットの網目を切ってあげないと、折れてしまうかもしれない。
そう思いました。
2026年5月8日のことでした。
ダリアを育てるのは初めてのこと。
説明をよく読んで植えました。
しかし、2週間を過ぎても土の上に
顔を出しません。
2センチ伸びていた芽はどうなったんだろ?と
心配になり始めました。
ちょっと、土の中見てみよう!
わたしは、球根のまわりを少し掘りました。
すると、2週間前に見た芽よりも少し太くなって
今にも顔を出しそうにしているのを発見
良かった!
元気だったんだね!
それから、掘った土をそっと芽のうえに戻しました。
ランプの芯に光りあり
世をうとむ日々約五年 今日も畑に励まされ わがつみのことわれが知る 朝露のなか燃えあがる
わが妻のこと頼りとし 病のことをうとむ日々 薬学の本開いては 陽は惜しみなく暮れてゆく
あゝ 郊外の夜の底 われは何かを失って
確かに手にはランプあり ランプの芯に光りあり
世をうとむ日々約五年 晴耕雨読 約二年 今日も畑に励まされ 土くれ投げて雲あおぐ
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