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結果
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たけだたもつ
2025/03/23 10:03
花緒
2025/03/23 14:12
ブランコを漕ぐことが何を象徴しているのか余白が大きく、それがこの作品の美点ともなっている。
百彪
2025/03/23 18:58
ブランコを漕ぐ行為は何にでも置き換え可能ですね。
自分だとなんだろう?読書かな?
何になるでも無くただ読みつづけて、「あの人はいつもweb小説を読んでました」って弔辞で言われちゃいそうだな(笑)
かとう茶倉
2025/03/25 04:35
藤 一紀
2025/03/26 01:58
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」
「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり。……」
など、新約聖書に語られていることを思い出しました。最初の引用箇所を「ぼく」、後者を周りの反応と見ると、なんとなく重なるなあと。そして、《祝福が何かを知らなかったのに》ひとりこぎつづける(た)「ぼく」は、《いまなら祝福が何か/わかりそうな気がした》とは言っているけれど、すでに祝福されているように思います。
一心に求めることは、もしかすると、それ自体が、(勝手な解釈ですが)与えられることなのかもしれません。
それにしても時間の経過の早いこと! 懸命にブランコをこぐ、その振り子運動が、時間を加速させているかのようです。もっとも必死に生きていると時間なんてアッという間ですが。
しかし、違う角度から見ると、実は、誰にとっても同じことで、他人には見えないだけなのかもしれない。《一緒にブランコをこぎはじめ/すぐにやめた老人》も、その「すぐ」の間に長い人生を通過したようにも思えます。そう考えると、みんながそれぞれにそうやって自分の人生を生き、祝福を求めることで祝福されている「ぼく」であり、G氏であるように思えてきます。
Creative Writing Space事務局
2025/08/23 12:14