秋分も過ぎ、夜が長くなった事を、まだ十九時を示している時計で気付く。わたしが創作の根城にしている山腹のこの別荘。稜線と木々に囲まれたそれは、そうでなくとも日が暮れるのは早い。
真夏の間は熱気が薄れるのに随分と貢献してくれたし、そもそもが宵闇に心を解く癖があるの自覚しているわたしなのだ。時間ごとに変わる虫の音に包まれて過ごす静かな喜びは、あの泉の水面の様に揺らめく。
宵闇の楽譜をなぞる。
十九時のそれはたいそう軽やかに、風の音と混ざりながら、わたしの耳の奥に、昼のわずかな残暑を祓う様に旋律を描いてゆく。
ランプをひとつだけ灯して、机に向う。けれど、ペンはまだ置いたまま。
この夜のはじまりを、もう少しだけ、身体で味わっていたい。
窓を開けると、稜線の向こうが少しだけ明るい。木々の影は緩やかに重なり合い、その輪郭を縁取らせている。
その影の中に、わたしの思考も沈んでいく。言葉になる前の感情が、あの泉の底の影のように、木々の間に静かに揺れている。
おとちゃんは、来ていない。
今夜はひとり。
でも、寂しさはない。
虫の音とわたしだけの時間。
この夜を豊かにしてくれる。
湯を沸かし、小さな急須に茶葉を落とす。湯気が立ち上るその瞬間、虫の音が、少しだけ遠くなる。
わたしは、
この夜の静けさを、
ひとつの詩にして残そうと思う。
それは、明日の夜、そのノートをいつも通りに、おとちゃんが読んで、そしてその静けさを肌に乗せるだろう。
虫の音が、また近づいてくる。
わたしの肌に乗るように。
秋の夜は、
わたしの輪郭を、
少しずつ、やさしくほどいてゆく。
―了―
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永倉圭夏
2025/10/14 12:33
静かだからこそ耳に残るささやかな音たちの流れゆくさまと薄暮の景色が、すっと胸に入り込んできます。
それに身も心も浸してたゆたう“わたし”に自分を重ねました。私も夜が好きなので。
静謐な夜だけでなく、風鳴りのする夜や雨が屋根を叩く夜、“わたし”は何を思うのでしょう。興味があります。